■ 西域 ■

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1無名武将@お腹せっぷく
 三国時代を中心に、西域全般について語りましょう。
2無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 08:31:35
西域、絹の道、嗚呼浪漫かな
3無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 08:33:55
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9F%9F
西域は、古来、中国人が中国の西方にある国々を呼んだ総称である。本来は東トルキスタンをさしたが、拡張されて西トル
キスタン、さらに西アジアをもいう。
中国の西方の国々が記録のうえに明確に現れたのは『史記』の「大宛伝」が最初だが、ここには西域の語はみえない。『漢
書』にいたって初めて西域の語が現れ、西方の国々のことを記した「西域伝」が作られる。この西域伝では西域の地理につい
て「南北に大山あり、中央に川あり、東西六千余里、南北千余里」と述べているので、タリム盆地、すなわち東トルキスタンを
さしていることが明らかである。しかし、『漢書』西域伝には東トルキスタンの国々ばかりでなく、西トルキスタン、インド、イラン
などの国々についても記されている。その後、中国歴代の正史のいくつかは西域伝を載せているが、その地理的範囲はすべ
て『漢書』と同じである。
大まかにいって、西トルキスタンの東南にはガンダーラがあり、東トルキスタンにはホータン・クチャがあり、シルクロードの分
岐点にあたる。
4無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 10:02:29
先週の世界ふしぎ発見で、西夏を特集していたから、
その前にスレが立てばよかったのに。
5無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 11:47:01
崑崙山脈周辺に、漢代以前に移住した漢民族は、どれぐらい民族としての特徴を残していたんだろう?

千年以上も経てば、異民族との混血も進むだろうし、

環境から言っても、農耕民族よりは、遊牧民族的な風習を身につけていくんじゃないだろうか。
6無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 12:58:39
7無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 16:42:53
ベルガモンはどうよ
8無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 05:18:42
>>7
西域じゃねーじゃん
9無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 18:21:37
ウイグル自治区
10勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2007/01/05(金) 23:33:02
そういえば、結婚式で両親と別れ難く号泣する儀式ってウィグルのみでしたっけ?
11勇魚 ◆Cl39TXJnDE
季節によっては、カゴメトマトジュースは新彊ウィグル自治区のトマトで出来てますよね/^o^\