1 :
達磨:
三国時代の戦乱期、忘れてはならない主要舞台、それが東漢の都洛陽。
その洛陽を見下ろす形でそびえているのが、中国の五嶽の筆頭、中嶽嵩山である。
その嵩山の峰の一つ少室山の麓に、禅宗の総本山にして、武林の泰斗として内外で有名な少林寺がある。
三国時代と少林寺について語れ。
少林寺の創建は5世紀末、三国時代とはかぶりませんがなw
3 :
達磨:2006/10/20(金) 14:51:15
>>2 (゚Д゚;)ガーン!!
知らなんだ.........orz
面壁してきます.........
李連杰の映画「少林寺」は名作。
何気に李世民とかも出てきたし。
>>3 どうして開祖が知らないんだよw
× 三国(魏・呉・蜀)時代
○ 三国(宋・金・西夏)時代
少林寺もちゃんと三国時代にかぶっている。
>>4 実際の歴史でも、唐朝の天下統一戦争の時、李世民が洛陽の王世充を討伐した時に、
少林寺も僧兵を出して、協力していたらしいね。
ただ、仏教って基本的に殺生禁止だろうに、李世民の軍勢に加わったということは、
当然敵兵を殺しまくったんだろうか?
達磨さんスレキタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!
多くの武術が少林寺の武術を起源とする伝説を持つことから、少林拳を含めて数多くの武術を少林派と呼び、
太極拳の創始者張三豊が修行した場所が武当山であることから太極拳を武当派武術と呼ぶ。
しかし達磨大師の伝説も張三豊の伝説も信憑性が薄いことからこの分類自体ほとんど価値がない。太極拳の
門派の者が少林拳門派に対抗意識が強いために2つの門派が対等で対立しているという発想から無理に考えら
れた呼称であるように思われる。別の説として、1928年に南京中央国術館が開設され、当初は学科として、
少林門と武当門が設けられた。武当門の中に武当拳、太極拳、形意拳、八卦掌 などが含まれていた。後には
学科の分類は改められた。
西暦496年少林寺が建立されたのは、跋陀という天竺僧によるもので、
達磨が少林寺へやって来たのは、西暦527年で、30年以上も後のこと。
禅宗の開祖なのは確かだろうが、寺の創設者ぶって、偉そうにしてるんじゃねえよw
だるまさんをいじめるな!
ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/axian/sankou/shaolin/lishi_1.html 十三棍僧、唐王を救う
西暦617年、随が滅亡し、新たに唐朝が長安に興った時代。随の遺将・王世充が洛陽に「鄭」国を建て、自ら皇帝と称してい
た。唐第一代・高祖李淵は唐王朝の統一政権を更に強固なものとするため、息子の李世民に命じて王世充を討伐すべく、洛陽
に向かわせた。
この時、少林寺は志操、曇宗をはじめとする僧兵団を派遣し、進んで李世民を助けた。少林寺の武僧達は戦闘の中で、王世
充の甥である王仁則を生け捕りにするなど多大な功績を立て、結果王世充の鄭を下すのに大きな力となった。
これにより、後に李世民が帝位に昇った際、少林寺は以下の恩賞を賜った。(1)少林寺武僧のために碑を建て、13名の和尚
の名を刻んで後世に伝える。 (2)今後、少林寺の戒を解き、飲酒、肉食を禁じない。(3)少林寺で特に功の大きかった13名の
僧に爵位を与え、官職に封じる。(4)少林寺に田畑40項(量詞?を与え、荘園とする。(5)今後、少林寺は500の僧兵を持ち、
常に訓練する事を特に許す。
(2)と(3)は僧達によって丁重に辞退されたが、これ以後少林寺は時の権力者と強く結びつき、隆盛を誇る事となる。映画「少
林寺」の元にもなった有名なエピソードである。
少林寺守護神・緊那羅王
『少林寺志』によると、緊那羅は元末明初の少林寺に実在した僧で、俗名を許那羅という。
普段は寺の炊事僧として働いており、誰の話題に上る事もないような目立たぬ存在だった。しかし元朝末期に起こった農民蜂
起軍である紅巾軍が、大挙して少林寺に攻め入り寺の財物を略奪しようとした時に、寺の衆僧で誰も敵う者がいないのを聞くと
棍を手にして飛び出し、見事これを撃退した。
後世、観音菩薩の化身・緊那羅王として神化され、現在でも当地の武術家によって「少林武術の守護神」もしくは「山門顕武
第一人」として奉られている。
月空和尚、倭寇を撃退す
西暦1551年(明嘉靖30年)、月空和尚を首領とする少林僧兵100余人は、中国南方沿岸部に出没しては猛威を振るってい
た倭寇を撃退するために出撃し、数度の戦闘で倭寇に壊滅的な打撃を与えた。しかし度重なる激戦で、月空をはじめとする僧兵
らも最後には全員戦死、寺に帰ることはなかった。少林寺の西にある搭林(歴代高僧の墓碑)には、月空和尚のための搭が今で
も残っている。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 14:14:38
少林寺の武術って、あれでしょ。
達磨さんが山の中で修行していたら、虎とか豹とかの獣が襲いかかって来たので、
わずらわしくて振り払っているうちに、自然と武術が形成されたんでしょ。
トラ相手に、わずらわしいから振り払うって・・・
達磨さん、どんな化け物なんだよw
達磨さんの辞書に不可能の文字はない。
>>12 唐代を通して、少林寺は朝廷の保護を受けていたのかな?
廃仏の騒動とかもあったけど。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 14:32:31
会昌の廃仏も、皇帝の権力が及ばなかった、節度使の支配地域では、
あまり行われなかったようだよ。
むかし少林寺拳法やってたとき、ダルマさんの教えとか暗記させられたな…
当然覚えちゃいないが…
>>9 少林派と武当派、武侠小説の世界では、武林の頂点に君臨する二大門派だね。
>>12>>13 この逸話って、どれぐらいまでが史実なのかな?
武術修行していたのは確かなんだろうけど。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 22:18:21
11世紀末の少林寺では、方丈の玄滋大師に何と隠し子が発覚した。
しかも、その隠し子は少林寺で弟子となっていた。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:41:52
>>23 なんと!三戦板の盟主に立ててもらったのか。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 04:11:30
訳
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 14:50:57
27 :
無名武将@お腹せっぷく: