魏晋十六国南北朝を1000までに語り尽くすスレ

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1無名武将@お腹せっぷく
>>1-100   三国鼎立から曹魏の衰退
>>100-200 西晋の成立と八王の乱
>>200-300 前趙と後趙の争いから冉閔散るまで
>>300-400 [シ肥]水の戦い〜前秦の隆盛から衰亡〜
>>400-500 東晋〜江南豪族と貴族社会〜
>>500-600 軍人政権の台頭〜劉宋と斉〜
>>600-700 北魏帝国の形成から分裂まで
>>700-800 梁武による治世と宇宙大将軍ww
>>800-900 北斉と北周
>>900-1000 陳〜貴族政権からの脱却〜

2無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 23:30:02
真のキーマンは孔明?魯粛?
3無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 23:42:38
魯粛はなんだかんだで周瑜が生きていたら黙って天下二分だろ
本人が言うように、天下二分は周瑜にしか出来ない
4無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 23:50:32
宇宙大将軍を語れるのはまだだいぶ先の事か…
5無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 23:55:06
俺の興味あるのは、>>300以降かよ
6無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 23:55:12
鮮ウホとかが意外と重要だったりする
あと曹操時代って青州は荒れ放題だったようだな
臧覇たちに任せきりで曹操の勢力圏内と言えるか微妙
7無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 00:03:14
100までぐらいにしといたほうがいいんじゃない
8無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 00:12:15
清州兵が清州兵として力を失ったのは曹魏の軍事力に影響力を与えたのかな?
9無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 00:57:40
司馬懿って曹丕と私的がつながりがあるから
曹丕とその子の曹叡までは忠臣で
系統が曹丕からずれた時点で乗っ取りを考えたんじゃないかな?
リアリストと忠孝が同在してるのが三国時代の傾向だとおもう
10無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 01:04:41
清流派の下野と宦官・外戚の専横について。
曹操の中興の原動力となった在野名士たちとそれを結びつけた下野した清流派たち。
11無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 01:25:19
この時代あたりから兵は賎民になっていくよね
いわゆる兵戸
末期には兵籍から外れることが褒美になってる
12無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 02:06:14
>>9
それじゃ司馬懿は個人的感情で国家に害なす奸臣じゃないか
彼だってそこまでひどい人じゃないでしょ
司馬懿のクーデターは司馬懿なりに追い詰められた結果だと思うけど?
13無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 02:15:35
追い詰められたんじゃなく、馬鹿な奴が大義名分をプレゼントしてくれたから司馬懿としては有り難く使わせてもらったんだろう
14無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 02:58:56
使わせて貰った後は皇帝へ一直線だからな>司馬氏
司馬懿の真意が何処にあったかは謎だ
皇帝になりたかったのか、ならざる終えなかったのか、なるつもりは無かったのか
15無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 03:09:33
>13
司馬懿は当初曹爽とは競わず協力し合っていただろ
曹爽一派が権力を独占して司馬懿を追い出そうとしなければ
彼もクーデターなんて極端な行動によって権力回復したりはしなかったと思うけど?
16無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 10:42:35
司馬懿は曹爽と協力して皇帝(斉王芳)を傀儡としていた
この時点でアウト
王莽や曹操がやっていたことを単独ではなく複数でやっていただけのことだからな
17無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 12:07:01
梁冀は?
18無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 12:33:11
>>15
完全に騙して「司馬懿はもう無害だ」と思わせておいてクーデター
追い詰められてはいないんじゃないか?

司馬師・司馬昭も実力者だと分かっているはずなのに放置しているし
曹爽がよほど無計画・無警戒な男だったか、司馬師・司馬昭とはつながりがあって安心しきっていたか

曹爽は司馬懿に良いように踊らされた感が強いな
家康の関ケ原〜大阪の陣あたりの謀略みたいなことをしてたっぽい
19無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 13:21:01
>16
それじゃ曹叡の遺言がアウトになっちやうよ
司馬懿が簒奪を企てるか以前の問題だよ
そもそもこの時の曹芳をいくつだと思ってるの
先帝から遺命を受けた臣が協力して幼帝を輔佐してるだけで傀儡扱いって極端すぎ

>18
司馬懿が相手を油断させようとボケ老人のふりをしたのは
すでに曹爽によって政治的影響力を削がれたあとでしょ
実権を取り戻すのに武力による曹爽排除しかない状況は十分追い込まれてると思うけど?
20無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 13:28:51
>>15は司馬懿は被害者かつ清廉潔白で、その後の禅譲は孫が勝手にやったと言いたいのか?
司馬懿が好きなんだな

司馬氏への反乱を計画した王凌を自殺に追い込んだエピソードを見ても、司馬懿の生前から司馬氏の専横が目立っていたようだが
その3〜4年後に李豊・毋丘倹・文欽と反乱が相次ぐわけで、単に降り掛かる火の粉を払っただけでここまで反感を買うものかな
21無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 14:42:46
>>19
それは魏の明帝の遺詔がどれだけ怪しい代物かわかってての発言?
曹爽・司馬懿連立政権では極端なまでに斉王芳を厳重に警護しており、初めから何か後ろ暗いことがあったのではないかと感じるような体制だったじゃないか。
斉王芳擁立から既に、明帝の命令を守っただけの忠臣とは到底思えないんだよ。
22無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 21:45:40
>20
自分のスタンスは司馬懿は曹爽から実権を奪われてクーデターを起こすと決断するまでは
簒奪の意志がなかったというものだよ
クーデターによって曹爽を排除して以降の司馬懿には
簒奪の意志はありだと思っているから
>司馬懿は被害者かつ清廉潔白で、その後の禅譲は孫が勝手にやった
なんてのはカスほども思っていないしそんなこと書いてない
王凌や李豊・毋丘倹・文欽にいたってはクーデター以降の
司馬懿が専横を露骨に示し出した時期なんだから反発されて当然だろうな
としか言えん

>21
魏の明帝の遺詔の怪しさは当然考慮に入れた上で言っている
でも、この遺詔の改変過程については司馬懿が権力保持のために
曹爽・劉放・孫資を使ったのか
劉放・孫資が曹宇一派を排除したいがために行なったのかは
判断しきれないことでしょう
司馬懿と劉放・孫資が明らかに徒党を組んでいたのならともかく
それと悪いけど
>曹爽・司馬懿連立政権では極端なまでに斉王芳を厳重に警護しており
が具体的に史書のどの記述を指しているのか自分には判断つきかねるから
示してもらえるとありがたい
23無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 22:25:14
晋書宣帝紀見れ
24無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 22:39:26
曹爽と仲良く専横している間は忠臣で、皇帝が巻き添えを食うかも知れないが曹爽と曹芳が一緒に狩りをしている隙にクーデターを起こしたあたりから人変わりしたんだな
曹爽がおとなしく降伏しなかったら別にそれでもかまわないわけだ

おkおk
25無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 22:49:02
まあ皇帝陛下をないがしろにする傾向は曹操が作ったようなもんだから曹氏としては因果応報だな
26無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 22:51:50
>23
「更直殿中」のことでいいの?

>24
>皇帝が巻き添えを食うかも知れない
クーデター起こすってのはそれぐらいリスクがあるってことだよ
失敗すれば皇帝に剣を向けた逆賊として三族皆殺し確実な行為を
ただ政敵を片付けたいって安易な感情ですむわけないだろ
27無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 23:28:38
>>12のおまいさんの発言を受けると、

曹爽に実権を独占されたから司馬氏独力での簒奪に方針変更するが、これは個人的な感情ではない

ということだね
28無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 23:45:58
司馬懿と曹爽はそれぞれ兵3000を率いて殿中に交替で詰めていた。
この兵は斉王芳を守るための兵であるが、戦場ではなく京師の奥深くにそれだけの兵がいたわけで、これを異常事態とは思わない?
29無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 00:05:35
なんとなくこいつは、考察系スレでさんざん自説をぶった挙げ句姜維の話をふられて
「蒼天に出てこない奴のことは分からない」
って言ってたヤシと同じ匂いがする
30無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 02:53:28
兵3000ていうのは直接統率可能な兵数を与えられた
てことの記述じゃないの?
交互に殿中に詰める時に率いた兵数としてかかる文なの?
それとも大臣が殿中に詰める時にはその配下の兵は総て引き連れるものなの?
31無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 13:40:21
統率可能な兵というだけなら少ないし書くほどのことでもない
彼等は特例として兵を率いて殿中に詰めていたからこそ特筆されるんだよ
32無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 14:52:00
統率可能な兵として3000が少ないか多いかといったら多いぞ?
別に軍事行動を起こすときに与えられる兵でも
国境や治安のために与えられる兵でもなく
彼らが自身の権限で動かせる兵が3000だぞ?
特筆される事例でしょ

というか、ただ統率する兵が3000だけでは特筆されるに価しないから
これは殿中に3000の兵を率いて詰めていたんだというのは
君の一解釈でしかないでしょ?
史書に明確に書かれている確定事項じゃないじゃないか
少なくとも宣帝紀が明確に書いてるのは
それぞれ兵3000の統率権を与えられた、二人で協力して朝政にあたった
交互に殿中に詰めた、殿中に詰める際に輿に乗ったままだった(そういう特例を許された)
てだけじゃないか?
33無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 15:28:11
いつも兵がそばにいないとクーデターの時に困るじゃない
34無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 16:06:02
随分変な方に話を飛ばすな
皇帝の居住区を守る兵士は普通に存在してるでしょ
それとは別に司馬懿や曹爽が自分の直轄軍3000を率いて殿中に入っていたらから異常事態だったと
>>28は言ってたんじゃないの?
でも、殿中に詰めていたと書かれている箇所からは
兵3000を率いて殿中に詰めていたとは確実にいえないだろ?って言ってるんだよ
だったらそんな大量の兵士は率いずに殿中に詰めていた可能性だってあるでしょ
むしろその方が普通なんじゃないの?
35無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 17:45:08
仮に曹爽がわが司馬氏のクーデターを防いでも
魏王朝はどん詰まりな気がするなぁ
36無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 18:16:29
>>35
どん詰まりというか曹爽による簒奪が行われてただろうね
曹操らと血は繋がってないから、南斉から梁のように別の国号を称したかも
37無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 20:04:17
簒奪までやるかな?
なんか梁冀みたいに権勢を振るった所で皇帝に抹殺されそう
で、皇帝の力を借りた勢力が後門の狼になると
38無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 20:09:05
>>37
どちらが先に相手を抹殺するか、の問題でしかないわけやね
39無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 20:27:45
当時の人間達は曹家の簒奪をどう見てたんだろ?
「簒奪って簡単じゃん」なのか「簒奪って大変だな」なのか
40無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 21:11:29
司馬氏が曹操のやり方を徹底して模倣しているのをみると
「そんなことできるの?!なるほどねぇ」
みたいな感じかな
41無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 21:49:22
曹操のやり方は近くは董卓、遡れば王莽の模倣だよ
42無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 21:52:50
魏の代は「鼎立」時代だし、晋は16国に組み込まれてる気が…
43無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 22:09:15
>>42
ん?どういうこと?
44:2006/10/16(月) 22:30:54
スレタイについてだろ
普通は魏晋南北朝とか東晋十六国とか六朝とかいう
魏晋十六国南北朝ってのは無いかと
でも、語り尽くしたいので全部入れたのさ
45無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 13:16:24
浮上
46無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 16:57:04
三国志かぶれが乱入不可能な南北朝あたりからが楽しみだったけど、もしやすでに大気圏離脱失敗?
47無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 19:51:43
元凶劉劭あげ
48無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 20:57:17
六朝の君主の中では曹操ってかなり優秀な方じゃない?
漢人君主に絞れば六朝最高の名君と言っても過言ではない
49無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 20:59:34
曹氏魏て六朝に含まれるのか?
50無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 21:02:29
含まれないよ
51無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 21:08:42
そして漢人君主に絞る理由がわからない。
52無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 21:50:07
六朝って

孫呉・東晋・劉宋・南斉・梁・陳

だからね
53無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 22:05:16
六朝は魏晋南北朝とほぼ同義で使われてるよ
54無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 22:07:24
下手な言い訳乙
55無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 22:57:43
>>53 時系列内で同義として使われるかもしれんけど、魏時代の呉政権という厳密な差異があるわけで。
魏が六朝には含まれないでしょ。
56無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 23:05:44
前漢―後漢―魏―西晋―五胡十六国―北魏―西魏―北周―隋―唐
    |    U           |
   蜀漢    U           東魏―北斉
         U
南越…………呉―東晋―宋―南斉―梁―陳
57無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 23:08:15
正直南越を入れるなら東越もじゃないかと思うんだ
58無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 23:59:37
なんで五胡十六国から東魏が分かれてるの?

って、蜀漢もズレてるな
59:2006/10/21(土) 04:08:50
雲崗石窟が作られた王朝と民族って何でしょうか?わかる方いらっしゃいましたら、お願いします
60無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 04:26:59
>>59
わかる奴が大半と思うが、雲崗と入力できるくらいならぐぐれ。
もしくは辞書引け。大漢和・漢語大詞典とまでいかんでも、
漢語林クラスの辞書なら間違いなく載っている。
61:2006/10/21(土) 14:03:47
>>60
王朝は北魏とわかったんですが、民族がわかりません…教えていただけないでしょうか
62無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 16:34:51
ぐぐる手間より質問して何時間も待ち続けるほうを選ぶ理由がわからん
63無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 18:09:52
民族は柔然族。モンゴル系ともトルコ系ともそれ以外とも言われてるね。
明らかな弱体から再起した柔然族は太武帝の弑殺に揺れる北魏に侵攻し、
書籍等の史料に従えば、平城付近まで占拠した。
房屋跡無し、とまで言われる破壊の後に巨大な石仏を作った。これのこと。
刊行物には「雲を衝くような」とは「雲崗を破壊するほどの」献文帝時代の最後の
反撃を語源としているとするものもある。
論争は絶えないエピソードだけどね。
不利は柔然の側にあって、さらには柔然は南朝と結びつつも北魏との和平を
可能な限り探ったんで、以後、大戦争は起こっていない。
64:2006/10/21(土) 18:47:41
>>63
ありがとうございます!
65無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 18:56:49
>>64
縦、縦
66無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 19:16:44
上手いなw
67無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 19:39:16
ところで、民明書房ってなんなんだ?
68:2006/10/21(土) 19:54:36
石窟作ったのは鮮卑族ですか?
69無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 21:03:51
>>67
マクロスでぐぐれ
70無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 21:11:55
ぼけよw
ほんまに「マクロス」でぐぐっただろうがぁ!

>民明書房

なつかしぃ! そういえばあったな、そういうの。 しかし、それがどういう関係に?
71無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 22:12:10
梁の武陵王・蕭紀って、無能な人物なの?
田中芳樹の短編だと無能な小物扱いだけど、そんな人物に蕭衍が
わざわざ要地の蜀に赴任させるものだろうか。
皇族の補佐(蕭ヒ)がもの凄く有能だった…ということ?
でも、それなら最初から蕭ヒを益州刺史にすればよかったのに。
蕭衍本人を例に出すまでもなく、劉宋時代から皇親たちの叛乱が
頻発していたんだから、血縁の親疎は関係ない気がする。
72無名武将@お腹せっぷく
まだ早いよ。 語りたいけど。