1 :
無名武将@お腹せっぷく:
史記にも游侠列伝があるように、中国の歴史上には游侠、侠客と呼ばれる人物が存在したが、三国時代においては、
そのようなものに該当する民間の人物は存在したのだろうか? 游侠、侠客が活躍する江湖の世界が成立する余地は
あったのだろうか?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 23:30:46
劉備関羽張飛の三人は游侠のにおいがする
いただろうけど、三国志の世界は、群雄割拠、武将中心の世界だから、
武侠小説のように、游侠、侠客が活躍する余地を作るのは難しいだろうね。
学研の歴史群像新書で、中国遊侠伝という小説を読んだことがあるよ。
孫堅の若い頃の話でね。
あまり江湖という感じでもなかったけど。
>>4 何だか、もう絶版みたいだね。
中国遊侠伝―三国志異聞〈1〉
ISBN:4054015816
学習研究社 (2002-10-04出版)
・宇佐美 浩然【著】
後漢末、宦官の専横により政治は荒れ、江南と呼ばれる長江下流域の南側では、海賊が跋扈し、人々の往来を妨げていた。
游徼(町の巡査)になりたての程普は、郡の太守から海賊退治を命ぜられる。
数十人の兵士を率いて向かった海賊の根城には、1000人に及ぶ海賊たちが篭もっていた。
根城は難攻不落のうえ、多勢に無勢。
途方に暮れていたとき、程普はひとりの少年に出会う。
それは、孫武の再来と呼ばれ、神童の誉れ高い17歳の孫堅であった。
孫堅は程普の依頼を引き受けると、単身、海賊の根城を攻略する。
果たして、孫堅が使った奇想天外な戦術とは?痛快チャイニーズ・ファンタジーの登場!第七回歴史群像大賞佳作受賞作。
時は後漢末、江南と呼ばれる長江下流域の南側では、海賊が跋扈し、人々の往来を妨げていた。游徼(町の巡査)の程普は途方に暮
れるが、そんな折、ひとりの少年に出会う。それは神童の誉れ高い十七歳の孫堅であった! 痛快チャイニーズ・ファンタジーの傑作!
中国遊侠伝〈2〉―三国志異聞
ISBN:4054019234
学習研究社 (2003-01-08出版)
・宇佐美 浩然【著】
孫堅は、妖術師・許昌の打ち立てた帝国の東西の防衛線を陥落させ、呉氏の荘園を取り戻した。
追いつめられた許昌は、本拠地の句章城に約1万人の信徒たちと共に立て篭もる。
だが、叛乱軍の烙印を押された信徒たちは、そのほとんどが許昌に洗脳されている農民たちであった。
彼らを救出すべく、孫堅は再び奇想天外な策を編み出す。
そして、愛する呉淑玲を取り戻すため、あらゆる陰謀を跳ね返し、宦官の一族である呉郡太守を倒す決意を固めるのであった。
黄巾の乱まで9年。
江東の地に、三国志の英雄が誕生する!第七回歴史群像大賞佳作受賞作。
妖術師・許昌は、信徒にするために洗脳した一万人の農民たちと共に、本拠地の句章城に立て籠もる。孫堅は奇想天外な策で
農民たちを救い出す。そして、愛する呉淑玲を取り戻すことに成功する。黄巾の乱まで9年。江東の地に、三国志の英雄が誕生する!
歴史群像の作品としては、かなり異色のものだったと思う。
かなりファンタジー色が強く、戦記ものという感じはしなかったし。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 12:15:54
カクカは侠でしょ?
また紛らわしいスレタイだな。
賈逵伝の注にある祝公道みたいな人物?
こういう人物なら列伝こそされてないが本文や注に散見されると思う。
魏略あたりにそういう伝があったような?
侠って言葉が完全に一人歩きしてるな
蒼天の影響で
劉備=侠なんてまさにそれだ
三国時代は、当時の社会状況が分かる資料が少ないから、
侠客が活躍する江湖の世界を形成するのは難しいだろう。
現に、武侠小説の多くは、社会状況の分かる宋代以降を舞台にした作品が多い。
三国志の世界って、民間の状況、庶民の生活とかがあまり伝わって来ないからね。
武将など、当時の支配階層にあった歴史上の人物の動きばかりで。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 12:28:34
三国志の時代の庶民の姿は悲惨だから面白くはならないだろうな
庶民文化が成立したのは、貴族が事実上消滅した宋代以降だから
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 15:11:18
三国時代の民を主人公にすると…
普通の徐州の農民の子だったが黄巾の乱で徴兵される
→帰ってきたら飢餓で親が死ぬ
→曹操の虐殺で兄弟や友人が死ぬ
→自分は流民化して荊州に
→荊州に曹操が来たので劉備に従う
→長坂で曹操に捕まる
→屯田民にされる
→農奴同然の余生
駄目だ悲惨過ぎる
侠とか入りこむ余地ない
例えば水滸伝の世界、天下を放浪し、街道沿いの街には旅籠や料理屋があり、
旅の芸人が出てきたりする、というような世界は、
水滸伝が書かれた明代初期の社会を元に描かれているけど、
それを宋代に持って行ってもそんなに違和感はない。
ところが、三国時代まで持って行ってしまうと、時代が違い過ぎて、
違和感がある。
⊃中国任侠伝
こういう江湖世界の面白さが出てくるのは五代以降
三国時代って、乞食はいたんだろうけど、どんな感じだったかな?
洛陽城の貧民窟の様子が知りたいんだけど、
資料なんか…ないだろうな。
この時代は、どんな料理を食べていたかについても、
あまり詳しいことは分かっていないからね。
現在ある中華料理の原型は、宋代に石炭が普及して、
強い火力を長い間出し続けることができるようになって登場したからね。
それより前は、ずいぶんと雰囲気の違う料理だったらしい。
漢代なんかは、料理の主な調味料は塩と梅だった、
とどこかで聞いた。
三国志の世界は、基本的には、武将や名族、官職を持つ者だけの世界だからね。
庶民は道端に生えている雑草のような扱いだし、草莽の英雄も登場しようがない。
けしからんな、三国志は。
水滸伝を見習え。
>>23 だから、三国志は何だか上滑りしたような部分があるんだよな。
>>22 塩と梅、それにまあ酒とかは使うだろうな。
酢、味噌、醤油といったものはまだなかったのかな?
それともあったとしても、広く普及はしていなかったのか?
食客とかは遊侠とは違うの?
孫策を切りつけた許貢の食客とか。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 09:35:52
>>27 それは間違いなく侠だろう
侠の基本原理は事の善悪じゃなくて、行いの意味だと思う。
恩義ある人間の依頼なら神様をも手にかける、憚らぬ、それが侠かと
侠は己を知る者の為に死ぬことができる
不正を見れば行動でそれを正そうとする
弱きを助け強きをくじく
義を見てせざるは勇なきなり
漢の中の漢か
>>29 14歳の時に師を侮辱した男を殺害した夏侯惇もその素質はあるな。
「侠」とは己の信条に則って正義のために行動しようという精神の在り方であり、
そこに手段としての武術、すなわち「武」が加わったものが「武侠」である。
游侠の「游」は、天下をほっつき歩くというような意味かな。
天下をほっつき歩きながら、己の信じる正義の行いをする人。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 18:21:50
かんのなかのかん
つまり漢中
>>3 武侠小説で、三国時代を舞台にしたものはないようだね。
金庸の武侠小説
天龍八部 ・・・ 北宋後期
射雕英雄傳 ・・・ 南宋中期
神雕侠侶 ・・・ 南宋後期
倚天屠龍記 ・・・ 元朝末期
碧血劍 ・・・ 明の崇禎年間後期
鹿鼎記 ・・・ 清の康熙年間前期
書劍恩仇録 ・・・ 清の乾隆年間中期
飛狐外傳 ・・・ 清の乾隆年間後期
雪山飛狐 ・・・ 清の乾隆年間後期
笑傲江湖、侠客行、連城訣 ・・・ 不明
梁羽生の武侠小説
唐代
『女帝奇英傅』
『大唐游侠傳』〜『龍鳳宝釵縁』〜『慧劍心魔』
宋代
『武林天驕』〜『狂侠天驕魔女』〜『飛鳳潜龍』〜『鳴鏑風雲録』〜『瀚海雄風』〜『風雲雷電』
明代
『還劍奇情録』〜『萍踪侠影録』〜『散花女侠』〜『聯劍風雲録』〜『廣陵劍』〜『武林三絶』
清代
〜『白髪魔女傳』〜『塞外奇侠傳』〜『七劍下天山』〜『江湖三女侠』〜『冰魄寒光劍』〜『冰川天女傳』〜『雲海玉弓縁』〜『冰河洗劍録』
〜『風雲震九州』〜『侠骨丹心』〜『游劍江湖』〜『牧野流星』〜『弾指驚雷』〜『絶塞傳烽録』〜『劍網塵絲』〜『幻劍霊旗』
『武林一劍』
『龍虎鬥京華』〜『草莽龍蛇傅』
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 23:58:35
>>18 血湧き肉踊る武侠小説って紹介されていたけど、
血湧き肉踊ることはなかった。
陳先生の作品だと、他の小説の方が好きだな。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 06:13:28
史記、刺客列伝、聶政、聶政の姉
聶政の死に様は本当に壮絶だよな。
>>41 陳御大の作品は、落ち着いた説明調が持ち味。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 19:23:45
「許仲康は天下大乱の際に若者と一族を集めて城壁を築き賊の侵略を防いだ
その後、曹操に帰順した許仲康とそれに従っていた侠客は皆、虎子(近衛兵)
となった」
魏書の許チョ伝の引用だが、明らかに三国時代にも遊侠の徒はいたと言うことに
なるし、許チョが門客を数多養っていたことから、許チョは「侠」。
金を貸さなかったために曹丕に恨まれていた曹洪はその食客が法を犯したことにつけこまれて危うく処刑されるとこだったな。
史渙は任侠と明記されてるな
>>39>>40 基本的に近世以降だね。
思うに、武侠小説の門派ってのは、道教系、仏教系、あるいは邪教(マニ教?)系などの、
宗派がそれぞれの山に拠っていることがあるけど、
それぞれの宗派が各山に確立するのが、だいたい唐代宋代より後なので、
自然と舞台もそれ以降になることが多いのかなと思う。