楊 家 将

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1無名武将@お腹せっぷく

楊懐、楊弘、楊儀など、楊家の武将たちについて語れ
2無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:00:09
楊家将演義ですな
3無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:02:37
楊奉忘れるな
4無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:07:54
楊任カコイイ!!
5無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:09:30
楊g


……誰?
三國志辞書の変換で出てきたんだが
6無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:14:24
>>2
北方謙三の楊家将は、楊家将演義の前半部分だけを抜き出して、
書いたらしいね。
後半は、ファンタジー色が強いので、書く気にならなかったとか。
7無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:21:47
>>6
ファンタジー色が強いと言うか、武侠風。
それに女将軍がずらりと出てくるから、
北方氏のわりと硬派な作風には合わなかったんだと思うよ。
中国で、楊家将と言ったら女将軍なんだけどね。
8無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 11:42:26
昔、NHKのBSで楊家将のドラマが放送されていたことがあったね。
最近は、しょぼい朝鮮時代劇を放送しているけど、
やっぱり中国の時代劇が見たい。
9無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 12:03:40
アレは凄かったなあ。
珍妙な陣形を敷いてみたり敵味方入り乱れてカンフーで戦ってみたり。
武侠小説をそのまま時代劇にしてみましたって感じで。
10無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 12:48:15
もうすぐ中国で放送が始まるテレビドラマ「少年楊家将」の予告編
http://www.youtube.com/watch?v=h58SWG-OdbU
http://www.youtube.com/watch?v=7vV06lu5H58

NHK、これ買う気ないかなあ
11無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 15:29:23
楊継業! 遼軍をして無敵と言わしめた当代随一の名将!!
正直、楊家将演義は読む気にはなれないが…
12無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 16:04:59
読むより、ドラマで見たいね。
13無名武将@お腹せっぷく:2006/10/03(火) 23:02:13
一度脚色のない、原典の翻訳本が読みたいね、楊家将演義。
三侠五義とか、児女英雄伝はあるんだし。

ただ、訳者田中芳樹は勘弁してもらいたい。
14無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 07:33:25
二階堂センセのところで読めばイイサ
途中までだけど。
15無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 09:59:49
岳飛配下の楊再興は、この楊家将の子孫ってことになっているんだよね。
16無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 19:58:02
俗に『楊家将演義』と呼ばれる小説には『北宋志伝』と『楊家府演義』の2種類があって、
どちらも明代末期に書かれている。
17無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 00:02:24
>>15
それを言ったら、水滸伝の楊志も、子孫じゃなかったっけ?
つか、みんな山賊になるなんて落ちぶれているな。
宋代初期は、国家の柱石となる一族だったのに。
18無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 00:50:37
穆桂英たん萌え
19無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 09:02:47
それはまあ梁山泊が山賊の集まりだからしょうがない。
水滸伝の舞台が宮中だったら有名どころの子孫も貴族やら役人やらとして出てたろうけど。
20無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 23:49:05
雁 門 関
21無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 16:10:19
雁門関

 雁門関(がんもんかん)は別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古
来からの関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。

名前の由来
 雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことか
ら、雁門の名がある。

歴史
 中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点としての役割を担ってきた。戦国時
代末期に、趙の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初め、漢代には匈奴や鮮卑、南北朝時代から隋唐代に
かけては突厥や回鶻(ウイグル)、沙陀、五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防
戦が繰り広げられてきた。統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1700回を数えるとされる。

 雁門関は北魏の時代には東陘関と西陘関が両置されていたが、唐代より西陘関が雁門関と呼ばれるようになった。元代
に至って雁門関は廃止されるが、明の洪武7年(1374年)に、吉安侯陸享の手で修復され、やや東の位置に移された。以
降、明代には瓦刺(オイラト)や韃靼(タタール)の侵入に対する上での、長城上の要衝として重視されるようになり、
寧武関、偏頭関と共に外三関と呼ばれるようになった。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%81%E9%96%80%E9%96%A2
22無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:29:42
第一回 北漢主 忠臣を屏逐し 呼延賛 激烈に仇を報ず

第二回 李建忠 力もて義士を救い 呼延賛 夢に神武を教えらる

第三回 金頭娘場に征いて芸を闘わせ 高懐徳大いに潞州に戦う

第四回 和議を講じて楊業兵を回し 鑾駕を迎えて豪傑能を施す

第五回 宋の太祖 後事を遺嘱し 潘仁美 計もて英雄を逐う

第六回 潘仁美 詔を奉じて宣召し 呼延賛 単騎にて駕を救う

第七回 北漢主議して河東を守り 呼延賛力もて敵将を擒にす

第八回 建忠議して接天関を取り 大遼出兵して晋陽を救う

第九回 郭進大いに耶律沙を破り 劉鈞敕書して楊業を召す

第十回 八王進みて反間の計を献じ 光美使を奉じて楊業を説く

第十一回 小聖夢に感じて太原を取り 太宗議を下して大遼を征す

第十二回 高懐徳 幽州に大いに戦い 宋太宗 班師して汴に還る

第十三回 李漢瓊智もて番将に勝ち 楊令公大いに遼兵を破る

第十四回 将士を犒いて趙普官を辞し 群臣と宴して宋h詩を賦す

第十五回 曹彬兵を部して大遼を征し 懐徳歧溝関に戦死す

第十六回 太宗五台山に駕幸し 淵平幽州城に戦死す
23無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 20:08:31
二階堂センセのやつだな。
わざわざ貼らなくてもいいよ。
24無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 10:53:49
>>21
雁門関を舞台にした物語となると、天龍八部を思い出す。
25無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 12:00:13
楊業 〜986
 并州太原、または麟州新秦の出身。別名は継業。若いころは無頼で騎射に優れ、20歳のときに劉崇に
召され、北漢の将となって“無敵”と謳われ、建雄軍節度使に進んだ。代州にあって北防を担い、宋の太宗
が北漢を滅ぼすと帰順して右領軍衛大将軍・鄭州節度使とされた。翌980年、遼が雁門に来攻すると騎兵
で奇襲して大勝し、これより遼軍は楊業の軍旗を遠望すると軍を返すようになったという。以後、しばしば
遼軍を撃退したが、潘美の意を受けた監軍の王[イ先]の強要で寡兵で出撃して力戦の末捕えられ、絶食
して死んだ。
26無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 13:40:05
生まれの方はよく分からないっぽいな。
楊家の子孫って、実際はどうなったんだろう?
物語世界では大活躍だけど。
27無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 14:25:11
呼延氏も結構有名だね。
物語世界では子孫が出てくるし。
28無名武将@お腹せっぷく:2006/10/08(日) 00:11:38
とりあえず>>10のドラマの放送を望む。
合戦場面も、大河ドラマなんかよりよっぽど力入っていそうだし。
29無名武将@お腹せっぷく:2006/10/08(日) 23:36:55
>>25
>右領軍衛大将軍・鄭州節度使とされた。

節度使の権限が削られていっている時期だね。
30無名武将@お腹せっぷく:2006/10/09(月) 07:12:29
楊氏のような存在は警戒されて当然
31無名武将@お腹せっぷく:2006/10/09(月) 23:55:17
ふーん
32無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 19:50:23
関係ないけど、射G英雄伝で楊康の親父さん、鐵心は楊再興の子孫だそうな。
33無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 21:46:39
その楊再興も、確か楊家将の子孫だったはず。
水滸伝にも子孫は出てくるし、
宋代の英雄一族だね、楊氏は。
史実ではどうか知らないけど、物語世界では大活躍。
34無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 21:55:19
>>33 岳飛伝に登場ですよ。 楊再興。
35無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 22:44:36
>>1
ローカルルール回避の荒技スゴスw
36無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 23:17:59
何の疑問もなく楊家将の話をしてたけどよく考えてみれば1のあげてる楊懐楊弘楊儀は全部三国時代の武将だなw
35の書き込み見て気づいたけど。
37無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 00:22:14
楊奉は漢人だよなあ
38無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 09:11:51
スレタイの楊家将って、絶対確信犯w
39無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 16:12:21
楊家将演義の悪役 潘仁美

説岳全傳の悪役 秦檜
40無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 19:16:46
敵国に内通した巨悪の売国奴秦檜と比べると、
潘仁美はやることがせこくて、小粒という感が否めない。

宋代の奸臣となると、潘仁美、蔡京、秦檜が、
それぞれ楊家将、水滸伝、説岳という物語もあって、代表格かな。
41無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 23:18:54
柴郡主というのが出てくるようだけど、
宋の趙匡胤に簒奪された周の柴氏の娘なのかな?
42無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 00:23:51
詳しく知らんけど、トランプには柴栄の女(むすめ)とあるな。
戦陣で出産した肝っ玉かあちゃんってこの人のことでしょ?
43無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 00:44:07
もし宋の簒奪がなければ、周の公主か
柴氏は簒奪されて皇帝から王に格下げになったので、郡主か
44無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 01:01:11
親王 → 郡王 → 公 → 侯 → 伯

公主 → 郡主 → 県主

こんなんだっけ

>>42
>戦陣で出産した肝っ玉かあちゃん

何だか、お姫様らしからぬエピソードだな
45無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 09:59:16
楊業の子孫って史実では本当にどうなったんだろう
武官になっていたのかな?
46無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 10:59:31
開国の功臣の子孫ってどう遇されたんだろうね?
周の柴氏みたいに、代々国の保護を受けて、貴族待遇を受けたのかな?
明の場合は、ほとんど粛清されちゃったけど。
47無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 11:56:33
説岳じゃ、功臣の子孫っぽいのが出てきたな。
〜郡王とか名乗っていたし、やっぱり貴族になっていたんじゃないかな。
48無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 19:07:17
未確認ですまんが、後周・柴氏、呉越・銭氏は貴族待遇だったはず。
その他、荊南・高氏、湖南・周氏は不明。
後蜀・孟氏、江南・李氏はヌッコロされた。
石守信や王彦超とかの有力武官は、例のお涙頂戴劇で軍権がなくなっただけ。
その他節度使(大名クラス)も制度上、軍事力を持たない地方官となった。
だったと思う。 基本的に貴族階級のない開明的な王朝だった。

訂正よろしく。
49無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 19:38:50
>>44
徽宗の時だけ、皇女の称号は帝姫、王女の称号は宗姫と改められた。
ただ、靖康の変が起こって、宋の皇族は全員金軍の捕虜となり、
帝姫、宗姫の称号を持つお姫様たちはみんな北方へ連行されて、奴隷にされちゃったけどね。
南宋になってから、公主、郡主に戻された。
50無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 21:36:09
楊家将がいればなあ
51無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 09:37:15
>>48
伝統的な意味での貴族層は、朱全忠が黄河に投げ込んじゃったからねえ
52無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 00:00:39
北方謙三のじゃなくて、ちゃんと訳した楊家将が読みたいね。
平凡社だったかな?
中国の古典文学の全集出しているところで、出版して欲しい。
53無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 10:29:21
原典は、北宋志伝と楊家府演義の2種類があるんでしょう?
54無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 10:55:13
狄青が主人公の万花楼演義なるものもあるらしいね。
55無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 09:57:58
万花楼演義も誰か翻訳してー
56無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:23:36
>>54
宋代随一の名将狄青と、楊家将の楊家三代目の楊宗保、
それに包公として有名な包拯が一緒に協力して、西夏の李元昊をやっつけるという話らしい。
楊家将の外伝的なものかな。
57無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 15:24:29
楊家将における狄青の扱いをみると、楊家将の同系列とはちょっといえないかと
58無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 14:28:37
万花楼は、北宋オールスター勢揃いを目指したんだろう。
59無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 14:34:15
水滸伝の呼延シャクも呼延氏の子孫という設定?
60無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 21:16:51
宋太祖、趙匡胤の義兄弟、呼延賛の直系。
61無名武将@お腹せっぷく
中国英雄板が誕生しました。
来訪歓迎。

http://hobby8.2ch.net/chinahero/