1 :
無名武将@お腹せっぷく:
三国志とかの中国ものでさ、剣士の物語って何かないかな?
剣戟描写のある作品ということなら、武侠小説
日本のチャンバラ小説に該当するようなものってことかな?
それだったら、
>>2の言うような金庸、古龍などの武侠小説。
あるいは古典なら、三侠五義、児女英雄傳もそういう要素があるかな。
三国志の時代を舞台にした武侠小説って聞かないねえ。
何でだろう?
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 18:16:43
演義
張飛君の大冒険
第一話 VS督郵
水滸伝があるではないか
>>4 武侠小説を書こうと思えば、当時の民間の社会状況が分からなければならないが、
中国で、細かい社会状況が把握できる資料が残っているのは宋代以降。
だから武侠小説も宋代、明代、清代に集中する。
日本で時代小説、時代劇が江戸時代に集中しているのもほぼ同じ理由。
また、唐代以前となると、貴族中心の社会で、侠客が活躍できる余地、
つまり江湖が描きにくく、武侠世界が成立しにくい。
後、三国時代は素材としてそれほど面白い時代でもない。
金庸の武侠小説
天龍八部 ・・・ 北宋後期
射雕英雄傳 ・・・ 南宋中期
神雕侠侶 ・・・ 南宋後期
倚天屠龍記 ・・・ 元朝末期
碧血劍 ・・・ 明の崇禎年間後期
鹿鼎記 ・・・ 清の康熙年間前期
書劍恩仇録 ・・・ 清の乾隆年間中期
飛狐外傳 ・・・ 清の乾隆年間後期
雪山飛狐 ・・・ 清の乾隆年間後期
笑傲江湖、侠客行、連城訣 ・・・ 不明
梁羽生の武侠小説
唐代
『女帝奇英傅』
『大唐游侠傳』〜『龍鳳宝釵縁』〜『慧劍心魔』
宋代
『武林天驕』〜『狂侠天驕魔女』〜『飛鳳潜龍』〜『鳴鏑風雲録』〜『瀚海雄風』〜『風雲雷電』
明代
『還劍奇情録』〜『萍踪侠影録』〜『散花女侠』〜『聯劍風雲録』〜『廣陵劍』〜『武林三絶』
清代
〜『白髪魔女傳』〜『塞外奇侠傳』〜『七劍下天山』〜『江湖三女侠』〜『冰魄寒光劍』〜『冰川天女傳』〜『雲海玉弓縁』〜『冰河洗劍録』
〜『風雲震九州』〜『侠骨丹心』〜『游劍江湖』〜『牧野流星』〜『弾指驚雷』〜『絶塞傳烽録』〜『劍網塵絲』〜『幻劍霊旗』
『武林一劍』
『龍虎鬥京華』〜『草莽龍蛇傅』
古龍の武侠小説
作品多数
どの時代が舞台かなんて考えずに書かれている。
史実では存在しない、架空の歴史空間が舞台。
宋代がいい時代だろうね。
こういう物語を作る題材に事欠かない。
中国じゃ、異民族の侵略に立ち向かった英雄、
いわゆる愛国英雄は高い評価を受けるからね。
その点、宋代はまさに外患の時代、
しかも肝心の朝廷官軍が頼りないと来ている。
となると、草莽の英雄に頑張ってもらいたいという話になるわけで。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 16:14:17
岳飛ネタは頻繁に使われるよね
やっぱり民族感情に訴えかけるものが大きいんだろうか
スレタイ見てドキッとした俺がここで登場。
何をドキッかは知らんが、金庸の武侠小説は面白いよ。
どれも長編小説なのに、読んでいて長さを感じない。
最近は射雕英雄伝、天龍八部、神雕侠侶はドラマ化されたもののDVDが出ているので、
こちらもかなりお勧め。
神雕侠侶は今見かけているけど、映像綺麗杉。
日本のドラマ、これはやばいぞ。
NHKの大河とか、映像面で明らかに見劣りするし。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:44:20
>>9 梁羽生って作品多いんだな
タイトル見ているだけで、読みたくなってくる
正直、ストーリーに金庸ほどの奇抜さはないな。
かなり古典色が強い。
それと恋愛描写が金庸より細やかで丁寧。
金庸の武侠小説はいろんな武器が出てくるね。
剣や刀は当然として、暗器も種類は豊富だし、やたらと変な武器が多い。
このあたりの珍妙な武器の登場も、面白さの要素の一つになっていると思うけど。
それに比べて、日本の時代小説はほとんど刀ばかり。
暗器も手裏剣に、銭があるぐらいか。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 16:01:51
武器も面白いが武器の名前も面白い。
碧血剣の付録の武器図集には、
双刀、単刀、剣、双鈎、拐、三節鞭、七節硬鞭、軟鞭、狼牙棒、
槍、鏟、弾弓、袖箭、双戟、匕首、盾、
が紹介されているよ。
金蛇剣なんてのもあったな。
絵見たら、そのまま蛇の形だしw
武器の名前より、面白いのは技の名前だろう。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 20:19:34
桃花島主黄薬師の「落英神剣掌」なんか、名前だけで痺れたもんな。
後、天山童姥の「天山折梅手」とか、かっこよすぎ。
韓信は大剣こそ背負ってたけど結局は軍略メインの将になっちゃったしなあ。
>>24 何と言っても、「降龍十八掌」と「打狗棒術」、「弾指神通」、「蝦蟇功」、「一陽指」
金庸の小説はおもろいね。
金庸の武侠小説の面白さは、何と言っても、巧みかつ驚天動地なストーリー構成にある。
更に、歴史上の虚と実を物語中に巧みに織り込み、古典文学の溢れんばかりの豊かな教養を下地にしている。
しかも、ライトノベル感覚で軽く読めながら、深い文学性さえ持たせている。
あれだけの小説、真似しようと思ってなかなか真似できない。
武侠小説を書いてみたいなと思って、いろいろ準備したことがあるけど、
実際に書くとなったら、かなり難しいね。
金庸みたいに歴史性を持たせたものにしようと思ったら、
調べなきゃならないことが山ほど出てくる。
それにあの奇抜な発想は、常人には思いつかない。
武侠小説の中じゃ、剣が武器の定番だけど、
実際の歴史じゃ、剣というのは武器としては実用的でなく、
早くから廃れていたんだよね。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:54:57
剣は実戦ではなく、儀式用に用いられることが多い。
剣には神秘性があるとされ、基本的にファンタジーである武侠小説では多用される。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:57:05
射雕英雄伝三部作が武侠小説の最高峰であることには誰も異論がないはず。
いや天龍八部
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 15:51:43
>>23 あだ名が一番面白い
東邪、西毒、北丐、南帝、中神通ってかっこよすぎ
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 17:36:43
流派東方不敗は!
オカマの拳よ!
漫画でなかったけ?
竜の軍師とか言いながら格闘してる奴
東邪 西狂 南僧 北侠 中頑童
>>29 金庸は、道教や仏教の思想観も取り入れているからな。
あれだけの教養を身につけた人物なんてそうはいない。
だから半世紀近く経っても、金庸を越える作家が現れない。
教養に欠けるから、どれも話が薄っぺらくなって。
武侠小説は日本じゃいまいちメジャーにならないなあ。
ドラマの地上波放送か、無双のようなゲームの発売でもなきゃ駄目だな。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 12:56:48
>>9 梁羽生、作品が多いなあ。
ものすごく見たいけど、翻訳されていないからなあ。
タイトル見ているだけでも、わくわくする。
還剣奇情録とか、風雲震九州なんてかっこよすぎ。
出版業界は不況だから、原文読むしかないな。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 20:38:19
>>8 金庸の小説の舞台は、動乱期に設定されることが多いね。
乾隆帝時代が舞台の作品でも、戦いのあった辺境とかが舞台になるし。
武侠小説の世界で一番不思議なことは、侠客、剣士たちがどうやって生計を立てているか。
少林寺あたりなら、寺の坊さんなんだから、それでいいんだろうけど、
名門崋山派とか、崑崙派とか偉そうにしていても、山奥で剣の修行ばかりして、
どうやって収入を得ているのかと思う。
確かな収入源がないくせに、みんなやたらと気前よく金を使うし。
それは聞かない約束。
書いている方だって、そんなこと考えていないのだからw
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 06:44:27
例えば青城山は道教、峨嵋山は仏教の聖地だから、
青城派、峨嵋派はそれぞれ道観、仏寺に属しているものと思われる。
峨嵋派は尼僧の集団として描かれることもあるし。
だから、山の名を冠した〜派は、何らかの宗教団体である場合が多いように思われる。
それと、〜門のような、町道場のような門派は、地主のような金持ちがやっている印象を受ける。
魔教さんも宗教団体だよね。
こちらはマニ教系っぽいけど。
マニ教に弥勒信仰が合わさった白蓮教なんかが、実際の歴史上でも、
方ロウの乱とか、紅巾の乱とか、いろいろと反乱を起こしていて、
朝廷の側からは邪教扱いされていたし、
教団そのものも秘密主義めいたところがあったり、特異な教義があったりして、
外から見ると、多分に怪しいところがあった。
だから魔教としての役割を担わせるのに、これほどよい存在はない。
同じような理由で、密教のチベット僧も怪しげで悪役に仕立てやすい。
こちらは異民族な上に、実際にモンゴル等に広まっていたから、
中国を侵略する敵の手先としては格好の存在。
雲南とか貴州の苗族のような少数民族も、
魔教とよく似た、毒使いの怪しい教団がよく出てくるね。
実質白蓮教の魔教は、天下に広く横行し、江湖の覇権を争うほど規模が大きいのに対し、
少数民族毒使い教団は、地域限定、民族限定で規模が小さく、
悪人の助っ人として登場することが多いように思える。
金庸の笑傲江湖ってさ、正派の各派と魔教こと日月神教が対立し、長年血みどろの闘いを繰り広げてきたという世界観でしょ。
で、その各勢力の位置を見ると、日月神教の教団本部である黒木崖は、作中では河北と山西の境、恐らくは太行山脈の中にあって、
最寄の町は平定州となっている。
それに対して、正派の一角を占める恒山派の恒山も、山西の北部にあって、両者の位置はかなり近い。
令狐冲と任盈盈も、恒山を下りてすぐに黒木崖へ行ったわけだし。
いくら江湖の覇権を巡る争いであって、領土の争奪戦でないとは言え、これだけ地理的な近さがあると、
恒山は、正派にとっての日月神教に対する最前線となり、恒山派かなり緊迫した状態に置かれるんじゃないだろうか?
作中の恒山派は、女ばかり、可愛い尼さんの集団となっていたけど。
>>49 崑崙派みたいな辺境になると、ろくに檀家がいないだろう。
あのへんだと漢族自体人口が少なく、異民族の世界。
それに崑崙山脈みたいな高山なら、普通は人が生きていくのも厳しい。
>>53 なら、魔教の本拠地はどこがいいと思う?
正派各派の拠点から、適当に距離のある場所ということになるけど。
正派の主要各派
少林派(少林寺) ・・・ 河南・嵩山
武当派 ・・・ 湖北・武当山
崑崙派 ・・・ 西域・崑崙山
峨嵋派 ・・・ 四川・峨嵋山
青城派 ・・・ 四川・青城山
崆峒派 ・・・ 陝西・崆峒山
点蒼派 ・・・ 雲南・点蒼山
五嶽剣派
嵩山派 ・・・ 河南・嵩山
崋山派 ・・・ 陝西・崋山
泰山派 ・・・ 山東・泰山
恒山派 ・・・ 山西・恒山
衡山派 ・・・ 湖南・衡山
以上の地点に近い場所は駄目
江南には意外にないんだね。
魔教は、空白地帯の江南に割拠するべきかな?
江南は、主人公周辺が活躍する舞台として置いておきたいので、
魔教の支配下に置かれるのはちょっとまずい。
それに正派の拠点が江南にないのは、大きな山がないからだろう。
たいていは、山の名を冠しているわけだし。
雲南には点蒼派があるけど、大理って西の方だし、
雲南の東部から貴州にかけてのあたりの山間部なら、ちょうど毒虫とか棲息していそうで、
黒木崖みたいな場所もありそうだから、そこが魔教の拠点にふさわしい。
東方不敗天下無敵
武侠小説の中、内功を説明する独特の怪しい理論って、
神仙思想と言うか道教的なものと、仏教的なものの二種類があるよね。
それと、まあ西方から伝わったマニ教っぽいものもあったけど。
欧陽鋒の蝦蟇功とかは、自分で考え出したんじゃないのかな?
>>59 東方不敗の「葵花宝典」って、前王朝に仕えた宦官が編み出したものでしょ?
前王朝って、いつの時代なのかな?
それと葵花宝典(及びそれと同一である辟邪剣譜)というのは、内功の技なのかな?
少なくとも、剣法ではないよね?
金庸の「笑傲江湖」は、登場人物が全て架空の人物で歴史性が薄く、明確な時代設定はなされていない。
ただ、作中で、朱元璋の名が過去の人物として出てくること、張三豊が創設した武当派が大きな勢力を持っていることから、
明代以降であることが推測される。
また、弁髪に関する記述も見られないことから、明代である可能性が高い。
更に決定的なのは、同じ金庸で、清代の康熙年間を舞台とした「鹿鼎記」の中で、「笑傲江湖」の主人公の令狐冲を、
前王朝の使い手としていること。
つまり、「笑傲江湖」は清代より前の時代、つまり明代を舞台とした物語であることがこれによってほぼ確定する。
細かくは、朱元璋も相当昔の人物として語られていることから、明代の中期から後期にかけて、
16世紀である可能性が最も高いと思われる。
その明代の「笑傲江湖」の中で、前王朝と語られるなら、通常は明朝の前の元朝を指す。
ただ元朝はモンゴル人の王朝なので、それを除外して宋朝を指している可能性もある。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 16:07:07
>>62 その葵花宝典や辟邪剣譜を身につけて、どう強くなるかと言うと、
とにかく動きが早くなる。
刺繍針を武器にする点がちょっと気にかかるが、やはり動きが早くなるということは、
予想もつかない動きで相手を翻弄するという類の技ではなく、
単純に速度が増したということだと思う。
だから、内功に属する技である可能性が高い。
韓信タンは?
>>63 笑傲江湖において、最強にして究極の武芸の秘訣が実は去勢することであり、
最強の武術を身につけることを目指す男たちが去勢によって人格が崩壊し、醜態を晒しているのは、
実際の歴史上でも、宦官が跋扈して、世に害悪を撒き散らしたことを示しているんでしょう。
なぜあんな変態たちが権力を手にして、専横がまかり通ったのかよく分からん
宦官の力の源泉は、つまるところ皇帝の権力そのもの。
独裁権力を持つ皇帝の側近として、その権力の行使の代行を託されることで、絶大な力を持つことになる。
つまり、皇帝の代理人として権勢を振るうことになる。
歴史上、宦官の害がはびこったのは東漢、唐、明と言われているけど、
東漢末期の十常侍、唐代末期の宦官たちは、黄巾の乱、黄巣の乱とそれぞれ戦乱が始まると、急速に力を失った。
これは皇帝権力そのものが弱体化したから、それに依っていた宦官も力を失ったということ。
誰も皇帝に従わなくなれば、宦官に従う者などいない。
明代には、政権を壟断した宦官が何人も現れたけど、皇帝の信任を失った途端に失脚している。
皇帝の絶対独裁権力が確立した明代では、宦官はいくら権力を握ろうが、結局は皇帝の信任あってこそであり、
皇帝権力そのものを手にすること、つまり簒奪は絶対不可能だった。
「笑傲江湖」そのものが、文化大革命時に、権力闘争に明け暮れていた、
共産党の毛沢東以下の面々を、皮肉った小説だと言われているしね。
権力を求めるあまり、人間性を失ってしまうことが、どれだけ馬鹿馬鹿しいか、
宦官を絡ませることで、より醜悪に描いている。
射雕英雄伝のチンギス・ハーンも毛沢東になぞらえているって話だよね
金庸先生は、作家であると同時に政治評論家だから。
そもそも武侠小説も、自分が創刊した新聞の売り上げを伸ばすために、
連載していたものだから。
書いた時々の世の風刺が入っていたりする。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 15:56:02
何はともあれ、東方不敗天下無敵
でも、一番面白いのは「天龍八部」だと思う。
複雑な民族問題が絡んでいるので好きだ。
「笑傲江湖」は歴史性はあまりないからね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E5%85%AB%E9%83%A8_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29 天龍八部の舞台は11世紀末、宋代の中国大陸。五代の混乱を収めて中原を統一した漢人の宋に対して、北方に契丹人の遼、
北西に党項(タングート)人の西夏が鼎立するなど、様々な国家と民族が入り乱れていた時代である。
物語に登場する4人の主人公も、それぞれ複雑な国家・民族関係を抱えている。
最初に登場する主人公段誉は、宋の南西に位置した小国大理の王子で、その母は少数民族族擺夷族の出身という設定にな
っている。また大理の段氏自体が、史実では、擺夷族系白族である。
段誉は吐蕃の護国法王である鳩摩智にさらわれ、江南の慕容家へ連れて行かれるが、この慕容氏は、数百年前に存在した
鮮卑族の燕朝の末裔という設定である。古の王朝復興が一族の悲願であり、主人公の1人である慕容復は密かに宋朝の転覆
を企てている。
慕容家を離れた段誉は立ち寄った酒楼で、偶然にも丐幇の幇主喬峯に出会い、義兄弟の契りを結ぶ。物語中盤の主人公であ
るこの喬峯こそは、天龍八部の民族問題を象徴する人物である。喬峯は武勇に優れ、人望もあり、中原最大の勢力である丐幇
を率いて中原への侵入を図る周辺異民族との戦いに身を投じ、とりわけ北方の契丹人を民族の宿敵として死闘を繰り広げてきた。
だがある日、実は契丹人であるという本人さえ知らぬ出生の秘密を暴露されたことで、今まで仲間だった者から裏切り者扱いをさ
れたばかりか、今まで己が信じてきた価値観が全て崩壊するという事態に直面する。契丹人である喬峯がなぜ漢人として育てら
れたのか? その原因は30年前に雁門関で起こったある悲劇にあったのだが、その事件の真相が物語全体の鍵ともなっている。
壮絶な民族差別に遭って宋を追われた喬峯は本来の契丹人の姓を名乗って蕭峯と名を変え、同胞である契丹人の国遼に逃れ
るが、終始民族問題に悩まされる。その過程で、当時は契丹人の支配下にあって、後に金を建国することになる女真族の人々と
出会うのだが、その素朴な生活に接し、交流を深めることで、民族問題を客観的に捉えることができるようになるのである。金庸
の作品では、伝統的な中華思想は否定され、諸国家・民族が客観的かつ平等に描かれるのが、特徴であるが、それが最もよく
表れているのが、天龍八部の蕭峯にまつわる逸話である。中国という存在を相対化し、その歴史を批判的に見ようとする視点が、
作品の構造そのものの中に備わっているのである。
少林寺の僧で、最後の主人公である虚竹も、後に西夏の公主と結ばれる。
こうして宋を内部から転覆させ、王朝復興の悲願を遂げようと企む慕容一族、南下して宋侵攻の機を窺う契丹人の遼、その背
後で密かに実力を養う女真族、祖国と民族防衛の使命感に燃える中原の少林寺や丐幇など武林の英雄たち、西北から虎視眈々
と漁夫の利を狙う西夏、更にその間に暗躍する吐蕃、そして南西に逼塞して自己保全を図る大理、という錯綜した国家・民族関
係を背景に、驚天動地の物語が繰り広げられる。
76 :
無名武将@お腹せっぷく: