中国では古来より、都市全体を城壁で囲んだ構造を持つ城郭が発展してきた。それらの城郭の多くは、戦乱を
想定した防御拠点であると共に、国あるいは地域の行政拠点としての性格も帯びながら発展してきた。即ち、中
国の歴史上において、城郭と都市は不可分の存在なのである。本スレでは、三国志を初めとする中国の歴史上
に登場した城郭を網羅し、その構造と変遷をつぶさに考察することとする。
これは世界史でやるべき内容では
正直ゴミカスしかいない三戦でやるべき内容ではない
>>2 それじゃあ俺たちまるでバカみたいに聞こえるじゃん
中国の城郭の中でも、最大なのは、歴代皇帝の都となった都城。
漢や唐の長安城、洛陽城、宋の開封府城、臨安府城、
元の大都城、明や清の北京城、南京城がこれに当たる。
このような巨大城郭都市とでも呼ぶべき都城の城壁の総延長は数十里に達した。
これら城郭都市の発祥は、殷代周代から春秋代にかけての時代に生まれた、
邑と呼ばれる都市国家にまで遡ることができる。
やがて戦国時代に本格的な領土国家の形成が進み、秦が中原の統一を成し遂げると、
これらの城郭は、中央政権が、各地域を統治する上での、行政拠点としての性格を帯びるようになる。
>>4 規模で言うと、大体は、
都城 → 州城 → 県城 の順だね。
>>2 そのゴミカスしかいない三戦板の状況を改善するためにも、
こういったスレの登場は歓迎するべき。
三戦板がゴミカスの溜まり場であることを望んでいるなら、また話は別だが。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:44:56
中国の城における城壁、とりわけ華北のそれは、
無尽蔵にある黄土を搗き固めて構築されるために、極めて強力な土壁となる。
黄土は水の浸蝕に対しては脆いという弱点を持つが、
降雨量の少ない華北においては、数十年に一度の異常気象でもない限りは、心配する必要はなかった。
中国の城壁の変遷って、版築土塁から焼きレンガ、石積みになったぐらいで、
基本的な構造はほとんど変化してないんじゃない?
同様にヨーロッパでも都市を長大な城壁で囲んでいたけど、
こっちは攻城兵器や大砲に対処する為に劇的に変化しているが。
中国では欧州より先、宋代に火薬が発明され、武器としての火器も実用化されたものの、
城壁を破壊するほどの威力を持つには到らなかった。
火薬は後にイスラム圏を経由して欧州に伝わり、火器は攻城兵器として発展したために、
城郭構造は根本的な変化を余儀なくされた。
だが、中国では軍事上の脅威は、もっぱら北方の遊牧民であり、
それら遊牧民の軍事力の主体は弓矢と騎馬であったから、攻城兵器として火器が使われることなく、
防御面において、城郭構造は根本的な変化を迫られることはなかった。
むしろ、商業の発達による社会の変化に伴う、城郭内部の構造の変化の方が大きい。
まず大前提として確認しておかなきゃならんのは
中国語で「城」とは「都市」という意味だということ。
このスレは、古代中国における都市の構造と変遷、
と言い換えることもできる。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 16:07:05
中国都市史となると、「鎮」は外せないね。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 19:29:06
板違い
景徳鎮とかなら焼物でも聞くなあ。
都市というよりも郡の市街といったイメージが。
塢や関、囲あたりについて語るのもありですか?
スレタイに沿うならアリでしょう。
>>13 こういうことばかりヌかすアホを追放する自治会が必要だな。
スルーで充分。
>>12 鎮は商取引の場である市場が開かれ、その周囲に住む人が出てきたことによって、
生まれた町で、後から県に昇格して城壁に囲まれるような都市も出てきたものの、
基本的には城とは少し違うように思う。
軍が本拠を置くこともあるでよ。
>>14 本来の鎮は、県以下のごく小規模な都市である場合が多いけど、
江西の景徳鎮、河南の朱仙鎮、湖北の漢口鎮、広東の仏山鎮の四大鎮は、
発展が著しく、かなりの規模の都市となったから別格。
城=都市なら城の中で作物育てれば兵糧攻め無効化できるんじゃね?
あわわ、俺は神か魔か
中国の城郭は、町を城壁の中に囲っていて、
基本的に農地は城壁の外にあるんじゃないのか。
城にもよるんだろうけど、
長安城や開封府城、臨安府城とかは完全に無理だろう。
臨安府城なんかあの面積で、人口150万人だから、相当な人口密度だったはず。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 07:00:46
靖康の変で、開封府が金軍に包囲された時なんか、
城内はかなり食料不足に陥ったようだよ。
>>24 それ以前にすでに物資流通を徽宗や北朝六賊らによって混乱させられているわな。
高い人口密度、それが胡同を生んだと思われ。
五輪のせいでぶっこわれてうry
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 00:09:23
北京も人口密度高いけど、宋代の開封府はもっと人口密度が高そうだし、
北京の胡同のようなものが当時からあったんじゃないかと思う。
明代清代北京城や唐代長安城に比べて、
明らかに一回り小さい城の中に、一説には百万とも言われる人々がひしめいていたわけだし。
おまけに、計画的に造られ、城内が整然と坊で仕切られた長安城に比べ、
開封府城は、商業の発達による街の拡大に伴って、
応急処置的に城域を広げてきたわけだから、城内は相当雑然としていたはず。
古来より襄陽は、関中(陝西)、中原(河南)、長江流域の三つの地域を結ぶ、漢水に臨む要衝として、
対岸の樊城と合わせて 発展してきた都市である。
同時に、数多くの戦乱の舞台となってきた。
三国時代には、魏、蜀、呉が盛んに争奪戦を繰り広げ、
南宋時代には、北方の金、元に対する最重要防衛拠点として、
激しい攻防戦が展開された、まさに兵家必争の地であると言える。
このように激動の歴史を潜り抜けてきた襄陽の歴史について語れ。
襄樊でもっとも勇名なのは、呂文煥だよな〜。
しかしこの板では知ってる人も多くないという現実
チン4では過小評価。あと孟珙もいないのは理不尽。
岳飛シナリオ欲しい。
それ以前に続編がでないよ。
岳飛シナリオつうか、金南下のシナリオだな。
ところで、襄樊のスレッドってあったんだな。 なんでかそっちに29がコピペされてるが…
こっち統一でおk?
ok
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 09:06:18
650年に完成した長安城の外郭城の築城には、41000人が30日投入された。
フイフイ
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 23:52:59
中国の城壁って、放置していたら、住民が勝手に自分の家の建築資材に使おうと、
崩して持って行くから、消滅の道をたどるみたいだね。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 08:44:04
だから万里の長城も消滅の危機にあって、保全に苦労しているんだよ。
清朝時代に、駐防八旗が置かれた江寧、西安、荊州なんかは、
城の中心にある内城には、八旗を構成する満州族が居住したために、
満城とも呼ばれた。
太平天国の乱の時は、太平天国側は、満州人は有無を言わさず皆殺しの方針だったから、
南京とかで、満州人たちは内城に籠って必死に戦ったんだってね。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 17:45:27
中国で難攻不落の城と言えば、何がある?
北方政権の対北防衛線:長城
南方政権の対北防衛線:秦嶺山脈〜漢水〜桐柏山脈〜淮河
南方政権の最終防衛線:長江
関中を本拠:函谷関
江南を本拠:襄樊
河北を本拠:山海関
或る程度自然の要害に拠ることが出来て、
設備投資にコストを掛けることが出来て、
当代随一の名将を配することが出来ればそこは既に難攻不落だろう。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 12:49:27
遊牧民の侵入に対する北方防衛の要と言えば山西の雁門関
古来よりこの地を巡って戦いが絶えなかった、まさに兵家必争の地
>>22 都市は基本的に汚れとの戦いで苦闘する場所だから、農地の確保は
無理っぽいです。
宋代の話で言うと、主要都市の環境政策は水の確保が最重要課題でした。
開封には水売りがいましたし、臨安府では洞庭湖から水道を引いています。
ちなみに、飲料用水道の整備が一番早かったのは四川の成都で、その
技術が臨安府に提供されたとのこと。
というか
>>22は千や万単位の人間がどれだけの食料を消費するかも
まともに考えていないアホでしょ
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:30:58
南宋の臨安城なんか、あんなに狭い場所に150万人もいたんだから、
どう考えても、農地なんて確保できないな。
>>44 見事に釣られましたな。
城があって、その周りに農村(邑?)があったの?
城の中には政庁と役人のお屋敷だけ?
日本の城みたいに水掘りとかはなかったのかな?
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ヽ ヽ、. l l i /{ { / / / ,' }7ー、._ヽ、
\ ヽ l !_ } / ヽヽ / / , i i ! \ヽ
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} / / \!ヽ \` ー- -‐ '´/ / / ,' ヽ
>>44 食料が足りないなら人口を減らせばいいじゃないの。
人口が減った分、食料が「増える」んだね、きっと。
50 :
◆8sgA2hPWB6 :2006/10/02(月) 00:56:06
まあ私の手に掛かれば何でも上手く行きますが
服部?
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 16:07:27
>>46 水堀と言うか、運河が走っている城が多いね。
江南と、華北じゃいろいろと状況も異なるけど。
蘇州城なんかだと、まさに水の都で、城内の交通も運河が中心。
蘇州城は防御面では大したことなかったようだけど、
城内に運河が縦横無尽に走り、水上交通が発達した都市。
江南で最も豊かな地域の中心地であり、
城域面積では水の都ベネチアの4倍ある。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 19:58:39
西洋の蘇州と呼ばれるベネチア
ぶっちゃけそれが正しいよな。
つか東洋のヴェネチアって、いくつもあるよな。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:30:51
山海関の防御力ってどれぐらいかな?
呉三桂が開門しなくても、清軍は山海関を突破できたかな?
当時の明朝はもう再建不可能だっただろうね。
崇禎帝は結構頑張ったけど、もう腐り切っていたから。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 14:26:16
袁崇煥を切った時点で、崇禎帝は無能
ところで、寧遠城はどうかな?
>>52 ああそういえば川の近くに建てるのは基本だったよね。
洛陽も長安もギョウも許昌も建業も成都も川の近くだったね
合肥新城は逆に川から遠ざけたな。
合肥新城は都市ではなかったからか?
水路に近ければ呉の攻め手に利するから
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 09:09:38
中国じゃ、城=都市だし、必ずしも防御面に重点を置かれて築かれたわけではない。
開封府城なんかは、完全に商業面での発達に合わせて拡大された城だし。
防御用城郭となると、山海関、雁門関等の関城だろう。
特に万里の長城沿いにいろいろあるけど。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 23:50:38
>>56 遅かれ早かれ清朝は中原に進出したんじゃないかな?
当時の明朝は再起不能な状態だったし、満州族には勢いがあったから。
李自成の順朝にしても、とても政権を担えるような状態ではなかったし。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 02:24:57
古代中国
ってあるけど、明清の話も出てるようだから、いわゆる前近代=古代という考えか。なるほど。
古代中国の城郭は日本の平安京なんかと違って、
門から入ると内部もまた高い壁で区切られていたって
聞いたことがあるんだけど本当ですか?
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>>65 中国の城は、大きなものだと、内部でも中心が城壁で区切られていて、外城と内城の二重構造になっていることが多い。
内城には首都だと宮殿、普通でも役所が置かれたり、清代の駐防八旗が置かれたところだと、満州族の居留地になったりした。
唐代の、例えば長安城だと、
>>66のような感じで、城内が坊と呼ばれる区画に区切られた。
それが次の宋代の開封府城になると、内城と外城の区別はあったものの、坊のような区画は崩れて失われ、
もっと雑多なものとなった。
都城だと、中心部の宮城に向かって、皇帝専用の道御道が走っていたりするね。
あれって、横切ることはできたんだろうか?
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 06:41:03
どうなっていたのか知らないけど、できたんだと思うよ。
そうでなきゃ、城内の交通が不便で仕方ないし。
開封城の図を見ると、御道って正面から南北にまっすぐ宮城に向かって伸びてるね。
道幅だって、数十メートルある。
あれで、横切れないなら、わざわざ宮城の北側へ回って、何キロも遠回りしなけりゃならない。
いちいちそんなことやってられんだろう。
朱雀門から外城までの一直線の道は、趙匡胤が柴栄の命で、馬がへばるまで走らされた神聖な道である
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 11:15:37
趙匡胤と柴栄って仲良さそうな感じだよね。
簒奪の時も、あまり残酷なことはしていないし。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 21:50:51
,.::''"´ ̄`ヽ、
,...ィ'´ , , ,. ,、 ヽ.
,:' l .:,':,':./!ゥ'i/ !y._i::..ト.
,' .:::}'`レ"' ´ ' ゙'Y!.i.jヽ
i .::::i、゛ `"´ ー'i!i'` 早く
>>51が氏にますように。
| .:::/ `ヽ, 、_..' _._ノ::.!
レ" .人`ーェr/;';'}ヾノ
/、::.:ヾ.y'.i i.|
/.:.:.:_,.、、:.:ヽj !j、
i'.:.:.:.:゙、ツ.ソ:゙、 /j:゙i
>>73 趙匡胤のいい人キャラは割引がいると思うけどね。
柴栄の子孫を遺していたから水滸伝が成立したと思えばいいのだろうか。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 23:07:48
l'⌒l⌒l⌒6
|. | | .|
| ̄ ̄ ̄ ̄| i 、/~ ̄∩ ̄~\,ィi ./~ ̄ ̄ ̄~\
/~ ̄ ̄ ̄~\ `ミ二<“0”>二シ' 〈巛〈^^⌒^^》〉》 〉
/ ^ ^ rfリ川fテ, lW ^ ^ Y /´ ^ ^ `、
. 彡 (_人_) シソfソリソミ _,,ノリ * (_人_) * |lリ、_ . ( (_人_) ィ、
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ヽ (. ) / ゝ (英.) .ノ ヽ (姜.) ノ
', i! / ', i! / ', i! /
(___/ \___) .(___/ \___) . (___/ \___)
明代の西安城ってさ、唐代の長安城に比べてどれぐらいの規模なの?
長安って唐末に朱全忠が破壊したんだろ。 めっちゃ規模小さくなってるのと違う?
長安城は破壊された後、宋代から元代にかけては中心部が修築された小規模な状態で続くが、
明代に入って、軍事的な重要性が高まったことから、西安府と改められて大規模な増修が行われ、
城壁も大幅に増強された。それが現在にいたる、西安城。
それでも唐代の全盛期に比べると面積にして四分の一程度。
軍事上の要地、陝西一帯の行政の中心地としての機能は担ったものの、
大唐の都城、東方世界の中心地として栄華を極めた頃とは比べるべくもない。
増強した西安城に、河西回廊を突破したティムール軍が襲いかかって欲しかった。
さぞかし凄い戦いになったことだろう。
>>80 なんか唐の時分にはよく見られた光景のような…
安録山や吐蕃にやられ放題…w
ティムール侵攻の時の相手は、永楽帝だから、逃げることはないだろう。
まあ、西安は首都ではないし、状況次第では放棄もされるだろうけど。
陝西方面の制圧を考えるなら、西安城攻略を抜きにしては考えられない。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 16:23:40
西安城より手前の河西回廊がまず戦場となるだろう。
唐の滅亡と共にその都城長安城は壊滅してしまい、五代以降は官署区であった皇城部分が修築されて存続したものの、東
西2.8キロ、南北1.8キロという小城郭に過ぎなくなる。城内面積にして、わずか16分の1という規模である。
元代を経て明代になると、版図の縮小に伴って北西に立地するこの地の軍事的な重要性が高まり、戦略上の要地として大幅
な増修が加えられる。従来の城郭を北側と東側へと広げて面積で3分の1が拡張され、城壁構造も著しく強化される。その後も、
補修を経ながら、ほぼそのままの規模で現在にまで残る西安城がこれである。
ちなみに、西安という呼称は、明代初期にこの地の行政区名が西安府と改められたことによる。西方を安全たらしめるという意
味である。
この西安城の城壁の規模は、東壁と西壁は共に2.6キロ、北壁3.3キロ、南壁3.4キロで、城周11.9キロの横長の方形である。
城壁の高さは12メートル、基厚は15〜18メートルある。城壁へ登るための馬道と呼ばれる斜道が城壁内側の4ヶ所に取り付けら
れている。城門は、東西南北に合わせて4門が開かれた。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 13:01:43
西安市には今でも明代の城壁とか、鐘楼なんかが残っているね。
中国の主要都市で、今でも城壁とかを残しているのって、西安市ぐらいじゃないかな?
ほとんど近代に撤去されたと思うから。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 01:50:39
西安城の他に、小さな県城だけど世界遺産になっている平遥城は、
県城の構造がよく保存されている。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 23:44:53
基本的に、城壁というものは、近代的な市街地を広げる時には、邪魔以外の何物でもない上、
庶民の住居の材料として持ち逃げされるから、あっという間に破壊除去されてしまう。
近代でなくても、一旦寂れてしまった城の城壁は、たちまち周辺の住民に持ち去られて、
崩壊してしまった。
>>85 蘇州も門とか一部は残ってる。
10年位前に行ったときは、旧市内が繁華街、古くからある商店街や寺院(ドウカン)なんかで
外にでると畑や新しい大型工場とかいかにも新興地だったね。
城壁がはっきり残って無くても、意識的に旧市内の方が格上っぽい感覚は残ってるようだった。
>>87 持ち逃げってソースあるの?
それって偏見じゃね?
長城のそれは問題になってるから知ってるけど、
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 10:01:40
大体今残っているのは明代清代の城郭だね。
当然と言えば当然だけど。
>>89 長城ですら持ち逃げするのに近くのものを取らないとはこれいかに
この板にこのスレタイ、絶対ネタスレだと思ったんだ…
むしろなんか受けたw
>>91 いや、別に深くは追求しないけどさ、
一部の人(長城付近の人)の所業なのに、中国人は皆そうだ
っていうのは偏見じゃないかとおもっただけさ。
ちょっと古いネタだけど、イラク人ってだけでテロ起こす、みたいなさ。
?
イラクはテロ頻発地域だがイラクでテロを起こすのはイラク外から流れ込んだテロ組織が大半だというのは有力な見方だぞ?
>>93 皆そうだ、なんてことは言ってないが
富士山に日本人はゴミを捨てるよね、だから日本人は皆ゴミを撒き散らす、なんて極論は成立しないだろ?
まぁ日本人かどうかわからんけどさ
イラクに関しては、テロの定義がよくわからんのでなんとも言えない
少なくとも武力は絶対ダメだっていう価値観はあの地域にはない
というか多分日本だけ
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 16:48:00
>>87は少々うかつな文章だということに気づいていないのかな?
たしかに「中国人全員が、城壁を材料として持ち帰る」なんて、そのものずばりは言ってはいないが、そう取れる文章でもあるようだ。
「基本的に」という部分が、まさにソレ。
別に謝罪とか、そういうことを言っているわけじゃなく、
>>95のような論点はずれに発展するのはいかがなものか。
87と95が同一とも限らんがね…
>>96 ええと、「基本的に」は「邪魔な上に」にかかるだろ
あれこれ言う前に日本語の読解力を身につけろよ
国語で習うとおもうんだけど、そういうの。
「基本的に、城壁というものは、近代的な市街地を広げる時には、邪魔以外の何物でもない」上、
庶民の住居の材料として持ち逃げされるから、あっという間に破壊除去されてしまう。
って言いたいのだろうけど、
基本的に、(城壁というものは、近代的な市街地を広げる時には、邪魔以外の何物でもない上、)
庶民の住居の材料として持ち逃げされるから、あっという間に破壊除去されてしまう。
でも取れる。
本来句読点はその誤解を防ぐためにつけるものだが、多すぎで役になってない。
それと、どっちにしろ変わらん。偏見をもっているように取れる。
しかし、何度もいうが違うならそれでいい。
どうでもいいと思うことに粘着し、具体的にどうしろとも言わない
仮に個人が偏見を持っていたとして、それがなんだというのだろう
良スレと思われたスレは、こうして駄スレへと変わるのであった
基本的に偏見はよくないだろ。
それはそれとして、今の流れで言うと、具体的な行動は
>>87にこそ必要で、
>>89がなんかソースあるの?
と言っているのに、提示していない。
「偏見だよ」とでも言えば、それはそれで収まったかもしらんが。
その89も深くは追求しないと言っているので、もういいが。
>>87の状況はまさしく「国破れて山河有り」だな。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 01:43:34
中国英雄板できたし、自演も疲れるので、このスレ放棄
103 :
無名武将@お腹せっぷく: