金がおもくそ南下してきてるのに、無意味もくそも。
ただ、歴代の宰相には人物を得ていなかったようには思えるな。
その金の脅威が増す中で装備や訓練をおざなりにして
頭数だけの兵士数を増すのは意味の無い軍拡
秦檜の時に20万だった禁軍が死後は40万〜50万までに膨れ上がったんだっけ?
しかも主要な財源たる農村の荒廃が進行するなかで・・・
塩の専売くらいじゃとても追いつかないよね。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 11:34:55
秦檜厨晒しage
またガイエ厨か。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 11:49:21
三戦でやるなよ
秦檜ファンがこうも多いとは。
三戦住人は天邪鬼気質。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 16:04:25
>>60 経済面では、南宋は貧しい華北を切り捨て、豊かな江南の開発を進めたことで、
むしろ富裕になったのでは?
まあ、秦檜のいた頃は、まだ大変だっただろうけど。
南宋って、建国直後にもう科挙やっているよね。
金軍に攻め立てられて、大混乱の最中だったのに。
本当、執念だわ。
科挙のシステム自体は出来上がってたわけだし少しでも人材は欲しいしで
執念という程に驚くべきものなんだろうか
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 13:27:13
でも、靖康の変の翌年にもうやっているんだぞ。
この頃は、朝廷自体が金軍から逃げ回って、都があちこちに移って、
海の上まで逃げたりもしている。
いくら人材不足でも、こんな大混乱の最中にやらんでもいいだろうに。
下手したら、試験会場が逃げ回るわけだしw
>>70 そりゃすごい。 その頃って宗沢死んで、高宗は南海方面まで逃げてたんじゃなかったっけ?
岳飛が金軍の退路を断たなければ終わってた時期だよね。
きちんとした手続きでの試験はできなかっただろうし、
金に占領された華北の人とかは参加できなかっただろうね。
実は進士になる大チャンスだったかも。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 00:41:02
その年の進士は、何だか白い目で見られそうだな。
混乱のどさくさに紛れて進士になった奴って思われて。
にしても、靖康の変の時の宋って脆すぎる。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 10:27:41
平和憲法をありがたく守っているどこかの国みたい
秦檜は権力者となって栄華を極めたけど、子孫はろくな目に遭っていないね。
おまけに後世の評判となると、最悪だし。
中国で、歴史上の嫌いな人物投票やったら、1位になるんじゃないか?
>>75 逆だよ。 その平和憲法をありがたがってる連中に反発した「はねっかえり」どもが、声高に
「異民族に屈してたまるか、なんで毎年毎年巨額の貢物をして顔色伺わなければならん! 戦争じゃ戦争!!」
と威勢良く息巻いたものの、「万に満たれば無敵」の金軍に再三背信行為をしたあげくの首都陥落。
主戦論を唱えたお調子者たちは、憐れ遥か北の地へと強制連行…
それ以前の、軍の弱体化が問題なんじゃないのか
>>78 遼には都度、大負けしているんだ。 太宗の時でさえもな。
それで南北平和共存の盟約で平和が来たのに、時が経つと喉元すぎればなんとやらで、「なんで異民族ごときに!」となって暴走を始めたわけ。
軍は確かに冗員多すぎて質が悪かったけど、統率する側の命令系統がバラバラなうえ、アホ官僚どもの自己利権漁りの結果、国内経済の破綻、民衆への過大な負担等、国内不安を抱え込みすぎていた。
裕福で豪奢に見えたのは首都だけという…
まるで今の日本のようだよ。
何を言ってるんだ?
日本国内の資産は東京だけでなく全国にちらばっとるぞ
そういうことを言ってるわけじゃない。
腐りのベクトルが似たような方向へむいてるって言いたいわけ。
どれもこれも全く同じではないけど、似たようなところに陥っていると危惧するわけさ。
上の文章の最後から2行目が紛らわしかったのは謝る。
>>81 現代日本はここ5年で見違える程に体質改善されちゃったからな
(まあそれでもまだ不健全だけど)
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 19:19:36
でも、なんだかんだで、明朝に比べたら、宋朝はかなりましだろう
明朝のことはよくわからんから、最近その道に詳しい人がこの板には大勢いるようなので、解説願いたい。
おれは南宋までで中国史終わってるからだが、北宋にはかなりいいイメージを持っている。
上でも言ってるように戦争は弱いけど、言論で弾圧されたりすることがないし(つっても、あんまり強情だと流刑にされる…)
強情でも何でもなく
普通に政争に負けたら流刑ですよーだから、言われるほど宋の体制に幻想を持つのはどうだろうね
国家のイメージってのはやっぱ太祖の人柄(まぁ、趙匡胤だって謀略は使うけど)によるんじゃないかと
新法・旧法派がらみの政争でも、流刑は最終的で、だいたいは失脚くらいでなかったっけ?
ちなみに、建前はどこそこへの赴任ということだけど、中身は永久追放=流刑。 赴く途中で殺されるのが基本、とかいうやつ。
幻想をいだいてはいない。 ただそれまでの貴族支配や五代のころのとんでもない乱世にくらべると、いいイメージかなと。
ああ、それと暗君はいたけど、暴君が出ていない珍しい王朝だし、皇后や太后がかなり賢くてわきまえてる人が多いこと。
それでも「言論では殺されない」というだけでかなりマシだと思う。
少なくとも、明より数百倍マシ。
こっちだと、自分が何で殺されるかも判らんというケースが多すぎ。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:18:41
明は何だか無茶苦茶な殺され方が多いからなあ。
于謙とか、袁崇煥とか、国に忠誠尽くしても、報われないしなあ。
でも明は活力のある時代だよ。政界はグダグダだったけど
皇帝が変わると権力者も変わる辺りは、宋みたいにズルズル引きずらなくていいかも
不遇な人も多いけど、それでも有能な人物が出続けたのは人材の総合力が上がったんだと思う
庶民は割と伸び伸びしてる時代
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 01:58:37
宋代は、五代の相次ぐ簒奪劇を教訓に、武官に力を持たせない政策が行われたということは、
かなり有名だけど、明代も負けず劣らず武官を冷遇している一面はあるね。
皇帝は無能、
あるいは意欲的に政務にとりかかったのに、しばらくすると職務放棄。
官僚や宦官が互いに足を引っ張り合い、
難癖をつけて政敵を処断する。
それが明。
しかし、なにゆえ明代の話になっているのだろう…
いや、いいけどさ。
むろん現代にも…
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 10:43:41
でも、なんだかんだで200年以上続いたよな、明は
二代目と三代目もな
二代目、三代目がしっかりしてれば大抵の王朝は長く続くし
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 16:34:21
魏は?
初代が統一出来なかったからしょうがない
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 17:26:21
( ̄!ー─--、
〉 /\__/ヽ`i
. / 〉 ||
|: /__ __|_
(^Y ━` i´━'| よいか皆の衆!
ヽ_, __ 」__ | 四方の敵陣から聞こえてくる歌は楚の歌じゃ!
/'ヽ ┠─┨/ それを聞いて逃げ出すのはよく訓練されたこのわしじゃ!
/\.,,ヽ┃ ̄┃、
,/ ヽ ヽ`ー"/:: `ヽ これおやじ! フゥハハハーハァー
/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l,
|;/"⌒ヽ, \ ヽ: _l_ ri ri
l l 項 ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / |
゙l゙l, 王 l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
| ヽ 命 ヽ _|_ _ "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
/"ヽ 'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄ [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/ ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | |
ところで、塚本青史の「始皇帝」、デキはどうだった?
相変わらず登場人物(それも偉い人たち)に
「蹴散らしてくれるワ!」「まったく美事な策よのオ!」
とか野卑っぽく叫ばせてるの?
なんか次回作は満を持して淝水の戦いを書くらしいけど…。
あぁ、苻堅が謝安が桓温が、塚本の珍文で穢されていくううぅぅぅぅぅ
>>101 塚本氏って、桓温書いてたの?
それは知らんかった。知らんほうがよかったかも…
あ、悪い。 次回作のことね。
威勢のいい謝石かぁ…
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 23:42:27
塚本青史か、あの人、とりあえずは漢代以前に引きこもっていてもらいたい。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:15:31
漢代やそれ以前にも要りません
やっと漢代に飽きてくれたんだから勘弁してよ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:19:36
『光武帝』は最悪だった
107 :
無名武将@お腹せっぷく:
多分奴は三国時代は最後に取っておいてるな