1 :
無名武将@お腹せっぷく:
あ
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:05:25
残念だが板違い
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:06:17
今が旬
既成事実が欲しいんでしょ。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:24:14
このスレは横浜ベイスターズの秦がエースとして一時代を築き、そして引退するまで続けましょう。
さて、符堅について語るか。
すみません、スレタイに誤りがありました。
↓が正しいスレタイです。訂正の上、皆様にご迷惑をおかけしたことについて、深くお詫び申し上げます。
秦檜の時代
秦檜ってさ、靖康の変で金軍に拉致された後、金の側に寝返り、
間諜となって南へ戻ると、宰相として南宋の実権を握り、
忠義の名将であった岳飛を陥れて殺し、金に優位な講和をまとめた、
恥知らずの売国奴って扱いになっているけど、
本当に金に寝返った人なのか?
そもそも靖康の変で、金に連れ去られた原因って、
金が傀儡政権を立てたことに猛反対して、怒った金軍に連行されたわけでしょ。
そんな硬骨漢が、あっさりと魂を売って、敵国に寝返るか?
見張りを殺して逃げて来たってのは実は本当の話だったんじゃないのか?
いくら秦檜を擁護しようが、それは無駄と言うもの。
現に説岳全傳という数百年の長きに渡って庶民に愛され続けてきた物語があり、
悲劇の名将岳飛、卑劣な売国奴秦檜という構図は、それ自体が歴史を持ってしまっている。
今からどう足掻こうが、秦檜が忠臣として認められることはないのだ。
秦檜って25歳で科挙に合格している。
南宋に戻ってから宰相になったのは、別に破格の昇格って訳でもなさそう。
そもそも靖康の変に到るまでの経緯と言うか、宋の対応がありえないぐらい間抜け。
いくら金に対して軍事面で劣勢にあったとは言ったって、
仮にも当時の世界の富の半分を占めるような超大国なんだし、真面目に対処していれば、
勝つことはできなくても、あそこまで悲惨な事態は招かなかったはず。
講和なら講和、抗戦なら抗戦でどちらか筋を通した対応を決めて、
首都へ到る露呈にもきちんとした防衛兵力を配しておけば、皇帝が捕虜になるような事態は避けられたはず。
金にしたって、大宋帝国ともあろうものが、ああも呆気なく倒れるとは思っていなかっただろう。
かんようにブチ切れ
>>8 仮に、本当に金と内通なんかしていなくて、
岳飛ら主戦派を退けたのは和平を進めたのも、宋と金の国力を冷静に比べた上での、
現実的なやむを得ない選択だったとしよう。
それでも、権力を握って独裁者と化し、反対派を弾圧したんだから、
売国奴ではなかったとしても、擁護する気にはなれない。
14 :
♀校生 ◆AAA/JTPRVg :2006/09/16(土) 01:49:25
秦の時代の名将について語ろうぜ!
ってスレなんだぜ?
15 :
♀校生 ◆AAA/JTPRVg :2006/09/16(土) 01:50:45
統率力 90以上
項羽
韓信
蒙恬
16 :
♀校生 ◆AAA/JTPRVg :2006/09/16(土) 01:55:16
統率力 90以上
項羽
韓信
蒙恬
冒頓単于
>>9 うん、中国の武侠小説とか、時代劇とか見ても、
岳飛は正義の英雄、秦檜は悪の権化、裏切り者の売国奴って構図は、
完全に定着しちゃっているね。
この状況を覆すのは不可能なように思える。
>>7 秦檜の時代となると、秦檜が生きた1090年から1155年までか。
出来事としては、金の勃興、遼の滅亡、靖康の変と北宋滅亡、
南宋の建国、宋金の抗争、紹興の和議、
後はまあ死後になるか采石機の戦いなんかも入れたいな。
金を建国した完顔阿骨打の完顔部と、滅亡した渤海との間に繋がりはなかったのかな?
ちょうど領域が重なっているし、国を構成していた人間も重なっていたんじゃないかな。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 15:09:03
残念ながら秦の時代最強の人物は始皇帝である!
そして彼こそ過去から現代において最高の人物であることも間違いない!
>>8 いいところまで気づいているようだね。
そもそも高宗は、金に勝っては困るから、秦檜を共犯者に引き込んだ。
この場合の共犯者は軍閥の解体に伴ういけにえの抹殺。岳飛を実際に殺したのは高宗と言ってもいい。
高宗は欽宗という弱みを金に握られているので、強くは出れなかった。
秦檜はその役を最大限にいかして、なおかつ高宗の弱みも握ったということで権勢をふるった。
秦檜は高宗の共犯者で道具だけど、高宗の能力を凌駕しそれを持って権勢を振るったので、臣としては誉められたものではない。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 16:44:42
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 16:49:16
>>22 皇帝の独裁権力の魅力を知れば、
肉親さえ捨てられるほど非情になれるんだね。
>>25 醜いお家騒動という言葉は初耳かい? なぜそれが起こるか一考するといいよ。
>>10 科挙の合格年齢は、平均で30代だったようだし、
25歳で進士となれば、かなり優秀だね。
順位はどうだったのかな?
同じ進士でも、順位によってかなり待遇が違うはずだし。
秦檜もあれだが、夫人の王氏も大悪女って扱いになっているな。
夫婦で協力して岳飛を陥れ、殺したと。
説岳全伝なんかだと、金に拘留されていた時は淫乱女に描かれているし。
そりゃ読み物だったら、善悪はっきりさせた方がウケるからねぇ。
三国演義でもたんまにそういう夫人がらみの陰謀があるが、それだけ亭主に対しての発言力はあったと見るべきなのかな?
側室のいいなりになって後嗣を誤った例なんぞいっくらでもあるだろう
でも、中国って正夫人の立場はかなり強かったようだよ。
皇帝にしたって、皇后に子がなくて、嬪妃が生んだような場合でも、
その子が跡を継いだ時、皇太后として君臨できるのは、生母ではなく皇后。
宋では女性が賢明なのが目に付く。
暗君はいれど、暴君がいない宋という時代を象徴しているような。
宋は太祖の残した遺訓で、言論を理由に士大夫を殺してはならないことになっていたからね。
独裁権力を持つ皇帝も、太祖の祖法には従わなければならなかった。
言論の理由が保証されたことが、全般的に明るい雰囲気を与えている。
また簒奪はしても、後周の皇帝であった柴氏はきちんと保護されている。
このあたり、目につく残酷な事件があまりなかったので、
暴君という印象を持つ者がいないのだろう。
>>33 趙匡胤の生母からして賢明な女性だったから、そういうDNAが一連的に続いているような印象さえ受ける。
趙匡胤の光と影は、自分から言わせれば李重進の討伐に尽きますね。
郭氏の親類筋で自分の上官であるから、扱いにくいのはわかるけど。
一方で同じように郭氏の婿で直接の上官だった張永徳は生かし(このとき既に兵権がなかったから?)、李重進は討伐したあたり、自分が所属していなかった侍衛軍に石守信とか息のかかった者を当てるつもりで殺したんじゃないかと勘ぐってしまう。
李重進が新領土の節度使になって赴任した後の侍衛軍を任された韓通は、真っ先に殺されてますからね。
しかも李重進はできるだけ無駄な争いはしたくなくて、何度も入朝の請願をするも、結局認められなくて、進退窮まって反乱に出たといういきさつがあります。
とはいえ、趙匡胤の黒さはこれだけだと思います。それ以外は歴史上特筆すべき名君であろうという評価に変わりはありません。
長文あしからず。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:19:24
趙匡胤が殺したのは必要最小限に留めたって印象
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 06:10:04
これ以後秦檜は権力を握り続けるのですが、殺された岳飛はやがて民族の英雄として祭り上げられるようになりました。
資料集の写真を見てください。杭州に岳飛廟というのがあって、今でも参詣する人が絶えません。で、この岳飛廟の一角に、これ、
二人の座像があります。後ろ手に縛られてひざまづかされているのすが、これは秦檜とその妻です。二人の像は頭とか肩がテカテ
カと黒光りをしているでしょ。岳飛を殺した秦檜は超悪役にされてしまっていて、岳飛廟を訪れた人たちはこの像に唾を吐きかけてい
くのです。テレビで見たことがあるんですが、大声で秦檜像に向かって怒鳴りつけているのね。それから、ペッ、ペッと唾を吐いてい
た。すごい剣幕でしたよ。現在の話ですよ。岳飛が殺されてから800年が経っているのにですよ。なんだかびっくりしましたね。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 00:06:09
あの死人に鞭打つ感覚は日本人には理解できないよな。
姿形は似ていても、日本人と中国人じゃ、根本的な考え方が違う。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 23:57:29
このスレは秦檜に乗っ取られたな
今の三戦住人は秦ふくを無視するから困る。
で、秦檜は本当に金に内通していたのかね?
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 23:02:42
それより秦檜の奥さんの王氏は本当に淫乱だったのか?
秦檜=孔明
岳飛=魏延
さ す が に そ れ は な い
秦檜=正義、岳飛=悪で小説を書けないかな。
作家の田中某氏は無理だったらしいが。
>>45 書けるよ。 宋という国自体、軍閥に対するアンチテーゼのような体制だから、いかようにも私兵集団を危険視することはできる。
ただし、個人として自己犠牲なりの崇高と思われる精神が介在しているのは、はたしてどっちか? ということになると難しいとは思うが。
国は保たれた、お前の犠牲によってな。 というところで、犠牲になるのが本人なら拍手喝采だけど他人を犠牲にした場合は…… どうよ?
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 19:14:25
中国の掲示板とか覗いたら、
秦檜=悪、売国奴
ってのはもう信念になっているね。
平民にとっては国民全てを屈辱の渦に叩き込んで、
実利を独占する貴族の代表見たいのもの。
どうせ貧乏なら、せめて社稷に幻想を見れる方が平民には良いのだ。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:29:34
今さら正義の人格者秦檜なんて言い出しても通用しない。
何百年も講談等を通じて、
秦檜=悪、売国奴の認識が刷り込まれているんだから。
それに、多分史実でも善人じゃないだろう。
善人に政治はできん
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 14:48:29
秦檜の名誉を回復する方法について考えるか。
すべて高宗が悪い。 以上。
高宗も結局、自分の子に帝位を伝えられず、
太祖系に乗っ取られる結果になったね。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 20:01:06
愛国の士秦檜を応援するスレage
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:38:23
>>1を見れば、このスレは売国奴に乗っ取られても文句は言えないな。
秦檜閣下マンセー。
そうそう。 どんな世界、どんな政治体制、どんな社会であっても、一番悪いのは一番権力を持った者が利己に走ったとき。
しょせん秦檜は2番目に悪いにすぎないのさ。
秦檜の死後は南宋は無意味な軍拡に突き進んでいくがな
金がおもくそ南下してきてるのに、無意味もくそも。
ただ、歴代の宰相には人物を得ていなかったようには思えるな。
その金の脅威が増す中で装備や訓練をおざなりにして
頭数だけの兵士数を増すのは意味の無い軍拡
秦檜の時に20万だった禁軍が死後は40万〜50万までに膨れ上がったんだっけ?
しかも主要な財源たる農村の荒廃が進行するなかで・・・
塩の専売くらいじゃとても追いつかないよね。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 11:34:55
秦檜厨晒しage
またガイエ厨か。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 11:49:21
三戦でやるなよ
秦檜ファンがこうも多いとは。
三戦住人は天邪鬼気質。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 16:04:25
>>60 経済面では、南宋は貧しい華北を切り捨て、豊かな江南の開発を進めたことで、
むしろ富裕になったのでは?
まあ、秦檜のいた頃は、まだ大変だっただろうけど。
南宋って、建国直後にもう科挙やっているよね。
金軍に攻め立てられて、大混乱の最中だったのに。
本当、執念だわ。
科挙のシステム自体は出来上がってたわけだし少しでも人材は欲しいしで
執念という程に驚くべきものなんだろうか
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 13:27:13
でも、靖康の変の翌年にもうやっているんだぞ。
この頃は、朝廷自体が金軍から逃げ回って、都があちこちに移って、
海の上まで逃げたりもしている。
いくら人材不足でも、こんな大混乱の最中にやらんでもいいだろうに。
下手したら、試験会場が逃げ回るわけだしw
>>70 そりゃすごい。 その頃って宗沢死んで、高宗は南海方面まで逃げてたんじゃなかったっけ?
岳飛が金軍の退路を断たなければ終わってた時期だよね。
きちんとした手続きでの試験はできなかっただろうし、
金に占領された華北の人とかは参加できなかっただろうね。
実は進士になる大チャンスだったかも。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 00:41:02
その年の進士は、何だか白い目で見られそうだな。
混乱のどさくさに紛れて進士になった奴って思われて。
にしても、靖康の変の時の宋って脆すぎる。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 10:27:41
平和憲法をありがたく守っているどこかの国みたい
秦檜は権力者となって栄華を極めたけど、子孫はろくな目に遭っていないね。
おまけに後世の評判となると、最悪だし。
中国で、歴史上の嫌いな人物投票やったら、1位になるんじゃないか?
>>75 逆だよ。 その平和憲法をありがたがってる連中に反発した「はねっかえり」どもが、声高に
「異民族に屈してたまるか、なんで毎年毎年巨額の貢物をして顔色伺わなければならん! 戦争じゃ戦争!!」
と威勢良く息巻いたものの、「万に満たれば無敵」の金軍に再三背信行為をしたあげくの首都陥落。
主戦論を唱えたお調子者たちは、憐れ遥か北の地へと強制連行…
それ以前の、軍の弱体化が問題なんじゃないのか
>>78 遼には都度、大負けしているんだ。 太宗の時でさえもな。
それで南北平和共存の盟約で平和が来たのに、時が経つと喉元すぎればなんとやらで、「なんで異民族ごときに!」となって暴走を始めたわけ。
軍は確かに冗員多すぎて質が悪かったけど、統率する側の命令系統がバラバラなうえ、アホ官僚どもの自己利権漁りの結果、国内経済の破綻、民衆への過大な負担等、国内不安を抱え込みすぎていた。
裕福で豪奢に見えたのは首都だけという…
まるで今の日本のようだよ。
何を言ってるんだ?
日本国内の資産は東京だけでなく全国にちらばっとるぞ
そういうことを言ってるわけじゃない。
腐りのベクトルが似たような方向へむいてるって言いたいわけ。
どれもこれも全く同じではないけど、似たようなところに陥っていると危惧するわけさ。
上の文章の最後から2行目が紛らわしかったのは謝る。
>>81 現代日本はここ5年で見違える程に体質改善されちゃったからな
(まあそれでもまだ不健全だけど)
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 19:19:36
でも、なんだかんだで、明朝に比べたら、宋朝はかなりましだろう
明朝のことはよくわからんから、最近その道に詳しい人がこの板には大勢いるようなので、解説願いたい。
おれは南宋までで中国史終わってるからだが、北宋にはかなりいいイメージを持っている。
上でも言ってるように戦争は弱いけど、言論で弾圧されたりすることがないし(つっても、あんまり強情だと流刑にされる…)
強情でも何でもなく
普通に政争に負けたら流刑ですよーだから、言われるほど宋の体制に幻想を持つのはどうだろうね
国家のイメージってのはやっぱ太祖の人柄(まぁ、趙匡胤だって謀略は使うけど)によるんじゃないかと
新法・旧法派がらみの政争でも、流刑は最終的で、だいたいは失脚くらいでなかったっけ?
ちなみに、建前はどこそこへの赴任ということだけど、中身は永久追放=流刑。 赴く途中で殺されるのが基本、とかいうやつ。
幻想をいだいてはいない。 ただそれまでの貴族支配や五代のころのとんでもない乱世にくらべると、いいイメージかなと。
ああ、それと暗君はいたけど、暴君が出ていない珍しい王朝だし、皇后や太后がかなり賢くてわきまえてる人が多いこと。
それでも「言論では殺されない」というだけでかなりマシだと思う。
少なくとも、明より数百倍マシ。
こっちだと、自分が何で殺されるかも判らんというケースが多すぎ。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:18:41
明は何だか無茶苦茶な殺され方が多いからなあ。
于謙とか、袁崇煥とか、国に忠誠尽くしても、報われないしなあ。
でも明は活力のある時代だよ。政界はグダグダだったけど
皇帝が変わると権力者も変わる辺りは、宋みたいにズルズル引きずらなくていいかも
不遇な人も多いけど、それでも有能な人物が出続けたのは人材の総合力が上がったんだと思う
庶民は割と伸び伸びしてる時代
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 01:58:37
宋代は、五代の相次ぐ簒奪劇を教訓に、武官に力を持たせない政策が行われたということは、
かなり有名だけど、明代も負けず劣らず武官を冷遇している一面はあるね。
皇帝は無能、
あるいは意欲的に政務にとりかかったのに、しばらくすると職務放棄。
官僚や宦官が互いに足を引っ張り合い、
難癖をつけて政敵を処断する。
それが明。
しかし、なにゆえ明代の話になっているのだろう…
いや、いいけどさ。
むろん現代にも…
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 10:43:41
でも、なんだかんだで200年以上続いたよな、明は
二代目と三代目もな
二代目、三代目がしっかりしてれば大抵の王朝は長く続くし
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 16:34:21
魏は?
初代が統一出来なかったからしょうがない
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 17:26:21
( ̄!ー─--、
〉 /\__/ヽ`i
. / 〉 ||
|: /__ __|_
(^Y ━` i´━'| よいか皆の衆!
ヽ_, __ 」__ | 四方の敵陣から聞こえてくる歌は楚の歌じゃ!
/'ヽ ┠─┨/ それを聞いて逃げ出すのはよく訓練されたこのわしじゃ!
/\.,,ヽ┃ ̄┃、
,/ ヽ ヽ`ー"/:: `ヽ これおやじ! フゥハハハーハァー
/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l,
|;/"⌒ヽ, \ ヽ: _l_ ri ri
l l 項 ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / |
゙l゙l, 王 l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
| ヽ 命 ヽ _|_ _ "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
/"ヽ 'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄ [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/ ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | |
ところで、塚本青史の「始皇帝」、デキはどうだった?
相変わらず登場人物(それも偉い人たち)に
「蹴散らしてくれるワ!」「まったく美事な策よのオ!」
とか野卑っぽく叫ばせてるの?
なんか次回作は満を持して淝水の戦いを書くらしいけど…。
あぁ、苻堅が謝安が桓温が、塚本の珍文で穢されていくううぅぅぅぅぅ
>>101 塚本氏って、桓温書いてたの?
それは知らんかった。知らんほうがよかったかも…
あ、悪い。 次回作のことね。
威勢のいい謝石かぁ…
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 23:42:27
塚本青史か、あの人、とりあえずは漢代以前に引きこもっていてもらいたい。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:15:31
漢代やそれ以前にも要りません
やっと漢代に飽きてくれたんだから勘弁してよ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:19:36
『光武帝』は最悪だった
107 :
無名武将@お腹せっぷく:
多分奴は三国時代は最後に取っておいてるな