1 :
無名武将@お腹せっぷく:
明朝末期、天下を争う位置にいた李自成、呉三桂、多爾袞の三雄について、三国志との共通点も考慮しながら論じるべし。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 21:45:29
強引な明末三国志だなw
どう考えても三国志とは言わない件
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 21:51:52
李自成は農民反乱軍の自称大順皇帝、
呉三桂は愛妾のために民族を裏切った売国奴、
多爾袞は清の全権を握る摂政王だが、皇帝に非ず
つか、崇禎帝の立場って…
戦乱期はどれも三国志と比較したくなる、というかそういう視点でまず見てしまう。
そういうやつがトンチンカンなことを言い出す。
でも、いろいろネタの豊富な面白い時代だよね。
司馬遼太郎は韃靼疾風録でこの時代を描いているし、
金庸の武侠小説「碧血剣」もこの頃が舞台だし。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 23:23:44
呉三桂は三藩の乱で、自称大周皇帝になったんだよなw
漢民族の王朝の復興とか、呉三桂がやると滅茶苦茶説得力に欠ける大義名分掲げて。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 01:33:23
李自成は明を滅ぼすまではともかく、その後は悲惨だろ。つーか、あっさり負けすぎ
あんまりしっかりとした志はなかったようだからね。
明朝の行政機構を取り込まなければならなかったんだろうけど、
北京へ入った途端にどんちゃ騒ぎを始めたから…
李自成ははっきり言って盗賊さんの集まりのようなところがあったから、
陝西や河南、山西を転戦していた時は暴行掠奪を禁じていたようだけど、
北京を占領して、都のお宝の山を目の前にすると、賊の本性がもろに出てしまった。
それに流賊だから、移動するばかりで、特定の地に根付いていたわけではないから、
統治機構のようなものを持っておらず、大順皇帝となっても、
政府はほとんど機能しなかった。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 12:58:57
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 00:50:35
>>6 香港で映画化もされた、
梁羽生の武侠小説「白髪魔女傳」も万暦年間末期以降の明代が舞台。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 01:14:48
現代中国ではむしろ、明末は共産党(李自成)、国民党(明)、日本軍(満州)の構図と理解されているらしいな。
ていうか、そういう小説あるし
張献忠や南京の亡命政府、鄭成功軍は無視の方向ですか?
それを入れちゃうと三国志にならなくなり、
ローカルルールをクリアできないので無視ですw
>>13 くううう!あの時、日本軍が国民党と連携して共産党を叩いていればなぁ!!
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 14:11:39
>>16 あっちはあっちで反日だから無理だと思うが……共産党が消えれば一億か二億くらい中国人が助かったのかな?
それはそれとして、張献忠は確か蜀で皇帝に即位しなかったか? 場所だけは劉備と同じだ
>>17 そういえば、劉備、張献忠とも、どっちも流賊で似ているな。
張献忠
張献忠(ちょうけんちゅう、1606年 - 1646年)は、明代末期の反乱軍の指導者。
陝西延安衛の出身。崇禎3年(1630年)に王嘉胤が反乱を起こすと、これに呼応した。
一時は官軍に降ったものの、間もなく高迎祥の下に投じて、山西、河南を転戦した。
後に李自成との反目から高迎祥の敗死を招くも、湖南、江西から四川に侵入して独立勢力を形成し、
崇禎17年(1644年)には成都府に拠って大西皇帝を称した。
明滅亡後は、清軍の圧迫を受け、粛親王豪格の軍勢と交戦中に射殺された。
張献忠は嗜虐癖が異常に強く、残酷な殺戮を好んだ。
李自成や張献忠が劉邦や朱元璋はもちろん、元末群雄の張士誠や陳友諒にも
劣る気がするのは俺の偏見だろうか?あんまり簡単に清に負けるもんだから
明末の流賊どもは皆小者に見えるんだよな
中国じゃ流賊は政権を崩壊に追い込むことはできても、
跡を引き継ぐことはできない。
統治を行うには、それなりに行政能力のある者が必要だから、
現政権の行政機構を取り込まなければならないんだろうけど、
流賊はその政権に対して反乱を起こしているんだから、
構造的に既存の行政機構を取り込みにくい。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 03:44:47
劉邦も後で反乱軍に参加してるけど最初は盗賊だったんだけどね。こいつにはショウカがいたからOKか
毛沢東も盗賊に分類してOKだが、こいつはインテリだからな
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 04:54:22
後宮小説について語ろうか
墨攻の映画、もうすぐ公開
そういえば、この時代の盗賊の首領は大抵の場合はあだ名をもっていたらしいな
李自成自身は闖王(突撃王とかそんな意味らしい)、馬守応は老回回(イスラムじーさん)、羅汝才は曹操(三国志のあの人)
他にも八金剛、掃地王、乱世王、九条龍、となんかよく分からない名前が目白押しである
かっこよさそうってことで、
水滸伝とかからぱくったりしたみたいだよ。
本名を隠す意味もあったようだけど。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 14:57:00
元末の紅巾の乱の時も、反乱軍の首領で、
あだ名のような名前が結構残っているよ。
まだ水滸伝が成立する前だけど。
やっぱり本当の名前を隠す意味が大きかったたんだろうね。
有名な連中は嫌でも本名が知れ渡るけどな
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:34:29
李自成を初めとした明末の大盗賊は、みんな流賊である。流賊とは、決まった根拠地を持たずに
各地を流れ歩く盗賊であり、これに対して定着型の盗賊を土賊と呼ぶ。
流賊と土賊のどちらが恐いかと言えば、圧倒的に流賊が恐い。仮にその地域に、人間が一人もい
なくなり、奪う物がなくなれば、土賊は困るが流賊は困らない。流賊は次の地域へ出かけて行けば
いいからである。
つまり、流賊の方が、荒らし方、奪い方が酷くて、徹底していたのだ。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 15:46:10
陳勝 劉邦 朱元璋 李自成 洪秀全 毛沢東
中国の大盗賊祭になりましたね!!
■基本■いちおう明末清初の群雄
【大清】フリンきゅん&ドルゴン
【大順】李自成
【大周】呉三桂
【南明】呉王
【台湾】鄭成功
【大西】張献忠
>>32 あの人は神です。中国の歴史物で最も素晴らしいと思っています。
あの人には三国志の続編を出して欲しいところです。扱うのは曹ヒとか司馬一族とかで。
>>33 鄭成功の要請に江戸幕府が小田原評定をしていなければ、日本も入ったかもしれない
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 09:57:51
仮にあの時、呉三桂が清に寝返ることなく、李自成に従っていたらどうなっただろうか?
どちににしても、李自成の政権は長続きすることはなく、明朝の後継となることは不可能で、
清もいずれは山海関を突破して中原への進出を果たしていたように思えるけど。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 06:55:37
三国志のメインヒロインを貂蝉とするならば、
明末三国志のメインヒロインは陳圓圓となるかな?
中国の大盗賊完全版は俺の宝。墓にも持っていく予定です。
ただあの方の三国志は曹操マンセー過ぎなので焼却いたします。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 23:25:05
清の黒幕で、真の売国奴の洪承疇は語らないの?
世渡り上手、てことくらいしか知らない
洪承疇は清のために明侵略の作戦を立てた漢民族って昨日聞いた。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 07:43:41
袁崇煥が処刑された経緯とか見れば、
明朝に忠義を尽くすなんて馬鹿らしい。
崇禎帝が悪い人じゃないのは認めるが、あんな奴の部下やってたら、首が幾つあっても足りやしないからな
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 00:29:01
崇禎帝に限らず、明朝の皇帝に仕えるのは辛いな。
特に洪武帝なんか、上司にあんな人がいたら悪夢。
そういう血筋なのかね? 二代三代ともに似たようなことやってるし
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 14:51:30
逆に宋の太祖なんかは簒奪時の殺しは必要最小限に留めているし、
宋代を通じて朝廷内で言論の自由が認められていて、あまり残酷な虐殺というのは聞かない。
創業者の性格が反映されるのかな。
文官のレベルが低く、民間のレベルが高かったから
明代は優秀な武官が沢山出たと言える
宋はその点文弱だった
>>46 そりゃしょうがないわ。 前世紀のトラウマを払拭しようとした結果と見れないこともない。
48 :
46:2006/09/25(月) 02:01:25
ごめん、誤爆
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 03:23:29
>>35 大順政権については過大評価説と過小評価説があるからな。
この時代を扱った小説が中国で書かれたらしいが、途中からすごいことになってるらしいね。
日本語訳があると聞いたが、それもそのまま逝っちゃった内容なのかね?
日本でこの時代を扱った小説となると、何があるかな?
一番有名なのは、司馬遼太郎の「韃靼疾風録」かな。
陳舜臣も、「珊瑚の枕」、「旋風に告げよ」、「風よ雲よ」なんかを書いている。
後は、井上祐美子の「紅顔」、伴野朗の「傾国伝」等が思い浮かぶ。
外国作家では、実より虚の方が多いけど、金庸の「碧血剣」が面白さでは抜群。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 18:45:13
いろいろと面白い人物や出来事の多い時代だから、
小説を書くネタには困らないね。
張献忠はある意味、人気あるだろうね。何か悪いものでも食ったのか?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 16:16:20
数々の残虐な行いが繰り広げられたこの時代では珍しく、
張献忠は人道主義者だったからね。
確か、この世でこれ以上の不幸に遭うのは忍びない、とか言って部下を処刑したんだっけ?
「蜀碧」には、歴史上稀に見る人格者張献忠の輝かしい業績が記されているよ。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:38:56
あの時代には珍しいヒューマニズムに満ちた男だな
人民裁判、なんていう茶番をやった李自成とは大違いだな
裏切り者呉三桂などと、比べるべくもありませんな
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 16:02:25
今生きていたら、ノーベル平和賞は確実
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 17:28:57
おみゃーら、なに褒め殺しとる
史可法ってのは、李自成や張献忠の討伐に功があったようだけど、
武将としては優れていたのかな?
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 20:02:05
でも、揚州は守ることができずに、
揚州十日記の大虐殺を招いてしまったね。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:41:31
揚州って塩の集積地として栄えていたんだね。
明末の大虐殺の後も、清代にはちゃんと復活しているし。
NHKは一度大河ドラマで、鄭成功を扱う気はないかな。
面白いと思うが。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 15:11:22
台湾が絡むから無理w
日中合作の鄭成功の映画も、中共のプロパガンダ色が強いというか、
「台湾は中国のもの」という主張が前面に強く出すぎていて、
引いちゃったな。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/09(月) 13:14:21
エキストラは人民解放軍の参加だけあって、
迫力はあったけどね。
役者もそう悪くはなかった。
>>52 最近、題名忘れたけど、呉三桂を極端に美化した小説を読んだ。
陳円円は、桃紅という名前になっていて。
なんつーか、凄く見たい
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 21:58:30
碧血剣の前に作った神雕侠侶が、3月に大陸で放送されて、9月に日本版DVD発売となった。
この碧血剣は今年の年末から大陸での放送を予定しているようなので、
早ければ来年の夏か秋に日本版DVDが発売されて、ビデオ屋でレンタルできるようになるんじゃないかな。
神雕侠侶、碧血剣共に同じプロデューサーの制作だけど、
神雕侠侶がファンタジー色を強く打ち出し、映像美にこだわったのに対して、
碧血剣は、歴史色を強め、全体として手堅い作りにするとか。
まあ、どちらも武侠小説が原作なので、ファンタジーであることには変わりないけど。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 14:21:58
李自成の乱って、農民とかの民衆は、政権を倒すことはできても、
新たな政権を作ることはできないっていう典型的な見本だな。
政権を作るには、支配階級、古代なら豪族、近世なら士大夫層の協力が必要。
李自成は駅卒をやっていたらしいけど、
駅卒って普段どんなことをさせられるのかな?
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 23:31:46
荷物運びのようなことをやらされるらしいよ。
駅卒って、職もなくてぶらぶらしている連中が、放っておいたら盗賊になりそうなんで、
仕事を与えると共に、疲れさせて暴れる元気を奪うのが目的だったらしいから。
中国の大盗賊に、そんなことが書いてあったように思う。
中国の大盗賊が事実として書かれてるみたいな言い方だな
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 01:24:20
逆じゃなかったか?
駅卒廃止で失業者が流賊化
放っておいたら見事に盗賊になったんだな
李自成に明朝が滅ぼされた後、
明の皇族があちこちで皇帝に立てられたりしているけど、
地方に封じられていた明の皇族って、どれぐらいの兵力持たされていたんだろう?
三国志との共通点も比較しながら語っているので、このスレは板違いではありません。
と、一応書いておこう。
削除されたらたまらん。
>>81 基本的にもっていない。持つと、法違反で謀反扱いされる。
後の永暦帝だったか、王時代に盗賊軍がせまってきたんで朝廷に討伐の軍よこしてくれ
と頼んだがむこうもそんな余裕ないのでなしのつぶて。仕方なく自分で兵集めて戦った
ら後になって問題視されて王位剥奪(王位そのものは弟の相続が認められて王家は自体
は存続したが)
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 15:47:57
寧王とかよく兵を集められたものだな。
崇禎帝が袁崇煥処刑しなかったら、明朝はもう少し延命できたかな?
無理だよ。
明の滅亡は、実は万暦年間にあったと言われるぐらいだし。
万暦帝の末期の乱脈財政で既に再起不能な状態に入っていた。
崇禎帝がいくら頑張ろうと、滅亡を避けるのは無理。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 12:21:42
ぐうたら万暦帝の治世が半世紀近くも続いて、やっとくたばって、
やっとまともそうな泰昌帝が跡を継いで、何とか立ち直れるかも、
と思ったら変な薬ですぐにあぼん、
その跡を継いだ天啓帝も変人で、魏忠賢に政治を丸投げしたからな。
で、ようやく寿命と知能を兼ね備えた人が出てきたと思ったら、手遅れでしかも猜疑心が強い男だったか
色々終わってるね
ほんとう、天命が尽きていたんだろうな
明朝ってろくな皇帝が少ないな
名君と暗君が交互にでるんだけど
暗君が長く、名君が短いのか明……と陳御大がおっしゃってた気がする
万暦帝とか、嘉靖帝とか、無駄に長生きしたからなあ。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 02:00:37
>>87 明末三大怪案の、紅丸の案ってのは、一体真相は何だったんだろうね?
泰昌帝が飲んだ紅丸は、やっぱり毒薬だったのかな?
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 09:12:16
>>92 元々の泰昌帝の体調の問題だったようにも思える。
清といえば、満州八旗の精鋭部隊とよく言うけど、
既にこの時の中原平定戦の時点で、軍事力の中心は、
明から寝返った、漢人部隊になっていたらしいね。
行政機構も、既存の明のものを上手く取り込んだようだし。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 14:27:13
三藩の乱を鎮圧したのも、八旗ではなく緑営中心
こうも違う王朝も、それも異民族の支配下にあっさり入る中国人って分からんわ
96 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>95 明末の重税&極めて悪い治安状態を経験すれば
弁髪さえすれば無問題の清王朝の方がましだと当時の漢民族は思ったんだろ。