1 :
無名武将@お腹せっぷく :
2006/09/03(日) 00:04:41 どっち?
流行らせんなよw
3 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 00:25:16
韓信って誰よ
4 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 00:34:25
なにかのすごい将軍だった気がす
兵法の大家趙括
劉備と劉邦どっちがすごいのかを考えると自ずと答えが
韓信は国士無双なわけだけど、心情的には諸葛亮を推したい気分
9 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 02:42:53
比べるやつ間違えてるだろ…なぜ武人と文人を
電気毛布サイコー
>>9 どっちも将軍タイプだし間違ってないとおもうけど?
国士無双、背水の陣 どっちも北伐してるが功績みたら韓信だろ
諸葛亮はアルベルトにだしぬかれたりしてるから小物っぽい 韓信はまだ登場してないからな
>>12 背水の陣なんて国士無双に比べたら糞みたいなものですよ
並列する意味がわからん。
ところで背水の陣と馬謖って同レベルの作戦だよね
それでも、成功と失敗の間には大きな差がある。 韓信と馬謖が同レベルとはいえないわけだ。
戦術級の成功と失敗なんて紙一重だとおもうよん
17 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 12:18:21
18 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 15:50:09
そりゃ韓信だろ 漢ができたのは戦争面で韓信がいたから 孔明じゃ無理
19 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 16:02:52
孔明を比べたいなら韓信でなくしょうか(変換できなくてめんどう)。
なにってんだか 韓信のほうが適切ですがな
諸葛亮はひとりで韓信・張良・蕭何の役回り。 蜀漢には諸葛亮しか人傑がいなかったのよ。察してやれよ。
はたして小説家と格闘家を比べられるのでしょうか? 1mと1kgはどっちがすごい?の問いに答えられる人間がいるのでしょうか?
遠征軍を率いた、という点では同じ土俵だよ?
>>22 のアンカーはどこに向かってるのでしょか?
>>21 諸葛亮が評価されてる部分は北伐のための内政じゃなくて
北伐なのだから韓信が一番比べやすいかと
片手間でやった兵糧のやりくりをそれに専念できた蕭何と比べるなんて理不尽
>>24 いやぁ、優劣を比べているのじゃなく、あくまで役割であって。
ひとりで漢の三傑分の仕事をこなさないといけない状態だったのじゃないかと。
いやいや北伐の前の内政も十分評価に値するだろ
国自体が安定してなかったら蜀みたいな弱小国家が大規模な軍事行動なんて起こせない
>>24 の頭の中は兵糧の確保以外の内政行為は無いのか?
当時は兵糧を集めるのは楽じゃなかったんだと思うよ。 孔明は蜀軍で天下統一は出来なかったが 韓信は漢軍で天下統一出来たから韓信の方が凄いだろ。
韓信だけの手柄というわけでは… 実戦指揮などの戦術能力でいえば、諸葛亮はあまり冴えをみせないね。 戦略的構想力は非凡と言えるけど。 韓信と諸葛亮では違うタイプの指揮官だな。土俵は一緒でも。
戦略的傾向は非凡と言うより手堅いのほうが適切なんじゃないか 小が大に勝つには何処かで大きな賭けを行わなければならないけど諸葛亮は博打を避けてたからな 馬謖がヘマをしてしまって博打すら打てなくなってしまったかもしれないけどさ
韓信
韓信
32 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 23:00:41
なんだかんだでほぼ一人であんな雑魚い後期蜀を支えられたのはすごいと思う 韓信じゃ無理だろう
33 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 23:09:17
34 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 23:12:37
尾珍々
>>32 どーだかね、なんだかんだで斉を治めてたわけで。
政争には全く向かないがからきしの政治音痴というほど酷いものでもないと思われ。
ただ諸葛亮のばりの施政は無理だと思う、逆に諸葛亮も韓信の神業のような用兵術は無理だろう。
正直比較対象として相応しくないのではないかなと
36 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 23:16:20
>>33 ショウエンとヒイが支えられたのは
公孫淵などの北方荒らしと、司馬イ自身が
政権をとるための下準備をしていたから。
孔明と戦っていたら司馬イは政権を取れなかった。
>>36 それは二人を過小評価しすぎ、諸葛亮亡き後の蜀のほうがずっと長いんだぞ?
>孔明と戦っていたら司馬イは政権を取れなかった
あとここのところ意味不明
38 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/03(日) 23:23:11
あの四輪車男は!あの北伐大好き男は!あの羽扇男は!
まてよ、みんな、不意打ちで韓王信の方の韓信かもしれないぞ
40 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 02:48:35
>諸葛亮はひとりで韓信・張良・蕭何の役回り。 鳳統が生きてたらなァ・・・
ホウ統が生きていたら陳平になれたかもしれないけどね
法正=陳平 龐統=蕭何 孔明=韓信 関羽=曹参 張飛=樊噲 馬良=陸賈
43 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:15:58
そういえば、ホウ統は孔明と同じ位だとか水鏡先生が言ってたな。 呉に進行する時、孔明に嫉妬して命令違反をしなければ・・ 呉にとっては、うまく地の利を生かしてホウ統を討ち取ったのは大手柄だな。 必ず大きな脅威となったからな。チャンスを逃さず早めに芽を摘んだのはなかなかだ。 思い返してみれば孔明の蜀って運が無いよな。魏の曹操なんて何度となく殺されかけ事か。
44 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:17:44
???呉がホウ統を討ち取る???
46 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:24:14
つか普通に伏龍鳳雛と並んでますが
47 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:26:22
うっ!やば・・なんだったっけ? 鳳落城って言う険しい地形で死んだのは覚えてる。 あと矢で撃たれたのも。
伏龍=鳳雛は判るが、それ以外が理解不能。 キミの脳内三国志では一体どんな経緯で龐統は死んだのか聞きたい。
49 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:30:10
>>46 孔明が「まだ若くしてその才を充分生かせずに亡くなるとは惜しい人物だった」
と言ってたよ。早死にしたから実際は未知数な所があるんだよ。
50 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:30:50
>>48 それを本にすれば超三国志に勝るとも劣らない作品ができる…はず
51 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:33:11
>>49 才能を生かす生かさないは別
伏龍鳳雛と並んでいる=諸葛亮に匹敵する
従軍戦役:先主の入蜀 戦死地点:雒城(正史)、落凰坡(演義)
孔明の対人評価は当てにならない。 だが先主が腹心として期待していたのを見るとあながち嘘でもない。
54 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:36:18
>>48 まず孔明が天文の通りにこう行動すればいいと言ったのを
鳳統はこれはこう行動すべきだとあえて孔明の意図と違う解釈をした。
なんでかと言うと、劉備が孔明を厚く用いてるのに対して「自分はそれ程
信頼されているのか?」とか思って嫉妬したとか。
55 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:38:45
56 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:39:38
>>53 伏龍とんとかのの二人を手に入れれば天下を統一する事が出来ると聞いた。
57 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:44:00
質問、他の者はどういった経緯で鳳雛が死んだと思ってるか聞かせてくれんか?
戦果が思うように上がらないので強行偵察をしたら 流れ矢に当ってアポン
59 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:48:32
うむむ、呉で死んだのは確かに誤ったがそれ以外どこか変なのか分からんよ。
呉で死ぬというのがありえないミスw
61 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:51:40
>>50 待ってくれ、弁解するチャンスを与えてくれ!!
>>58 伏兵に矢で襲われて体に数十本も刺さってた。
62 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 03:57:51
>>60 それ以外は「孔明に嫉妬して命令違反」の部分かな?
63 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 04:02:36
>>54 のレスで納得してくれると良いよ。そんじゃあな!
諸葛亮に対抗意識は燃やしていたとは思うがな だからこそ焦って流れ矢に当る場所まで出たわけで
65 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 04:06:43
あっ!そういや劉備と一緒に出陣する際に落馬してたな。
>>64 そんなw焦って死ぬなんてたいした事ないなw
>>48 伏龍=鳳雛は判るが、それ以外が理解不能。
キミの脳内三国志では一体どんな経緯で龐統は死んだのか聞きたい。
>>51 才能を生かす生かさないは別
伏龍鳳雛と並んでいる=諸葛亮に匹敵する
なんだか良く見たら皆別々にあーだこーだ言ってるみたいだな。
益州遠征計画の中心。 総大将:周瑜⇒先主に交代しただけで、参謀:龐統は不動。 最後の詰めの所で梃子摺って戦死したが、 「長江下流からの遠征」という超困難な仕事を半分成功させただけでも十分凄い。 こいつがいなかったら天下三分は有り得ない。
68 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 07:08:56
志村ー周喩周喩
>>67 作戦名、北伐:蜀遠征
司令官、諸葛亮:劉備&ホウ統
主な武将、魏延:黄忠、魏延(援軍に張飛、趙雲、諸葛亮)
後方支援、李厳:諸葛亮
主な敵将、司馬懿:張任
敵国君主、曹丕:劉璋
自国戦力、夷陵後:無傷の大兵力
敵軍士気、旺盛:多くが降伏
自国補給、ギリギリ:敵である劉璋からもらえる
敵国地理、姜維案内:法正案内+地図多数
策謀、異民族ほう起:劉璋の国中枢の重臣の内応、だまし討ち
実績、志し半ばに倒れるも誰もなし得ず:志し半ばで倒れ、その後諸葛亮等援軍が完遂
基本出来レースの蜀遠征が超困難とは┐(´∀`)┌
何故その出来レースで何年もかかるのかな? ┐(´∀`)┌
主な敵将に劉循がいない時点でニワカ。 兵力のない非主流派の法正や張松、孟達の内応だけじゃ不足。
にわかというレベル以前の問題では?無傷の大兵力とか糞ワラタ 北伐は困難というか端から無理、蜀の国是なのだから仕方がないっちゃそうだが・・ 人材、兵力で劣っているにも関わらず張コウを討ち取り、郭淮を敗走させてるのだから大したもの
>>70 広いから
ホウ統等が初動でしくじってるから
>>71 全部書き切れませんが?
代表者1名です
>>72 無傷ですね
大兵力ですね
ほとんど無理だから超困難
蜀制圧は出来て当たり前レベル
>>73 >初動ミス
上策を取らなかったのは彼の責任ではない。
思いのほか雒城が持ったがそれは敵を褒めるべき。
>劉璋側の代表者
張任はいい指揮官だが仲達と並べるのは不適当。劉循が妥当。
むしろ彼は仲達にとっての張郃だろう。
>益州制圧は出来て当たり前
その出来て当たり前のことを何故魯粛は出来なかったのかな?
他人を評するのはもう少し慎重にやれ。
史料的な確証も取らずに不用意なことばかり憶測に基づいて言うと反論が不可能になる。
過去の言質を取られるからだ。
益州制圧だって馬超の急な参戦がなければ難しかったかもしれないのに。 出来て当たり前、は無謀だな。
>>75 じゃ、これよりも恵まれた制圧戦争はあるかぃ?
出来て当たり前で悪ければ、出来なければならないに変えても良い
曹操の荊州侵攻のほうが簡単だったと思います さらに言うなら官渡の袁紹と赤壁の曹操は勝って当たり前だったと思います
できて当たり前の制圧戦ってなんだよ? そういうのは制圧戦とは言えないんじゃないか。 より負担を少なくしようとする努力を君らは度外視しすぎ。 それに、誰かが誰かより劣っているなんて判断は軽々にはできない。 固定された能力値なんてないんだから。
>>77 たしかに荊州制圧の方が簡単でした!
重臣内応より君主自ら降伏の方が簡単ですよね!
官渡と赤壁は戦力差なので勝敗は兵家の常です。
>>78 人物の問題ではなく
作戦の難易度の問題です
益州制圧はこれほど好条件が揃ってるのに
超困難であると思われるわけですか?
陳慶之の方がすげーだろ。諸葛亮なんか糞だ。
名家馬鹿乙。まさか自分でも入蜀が出来るとでも言うのか。 どうでもいいが、そんな簡単なことを魯粛が実行しなかった答えを教えてくれ。 あと北伐は言うほど困難じゃない。 孔明がやっていた時期は兵力差が戦力差に直結しなかった。 魏にとっても蜀にとっても兵站的に外線作戦だったからだ。 一度や二度の決戦さえ乗り切れば関中確保は難しくない。 それが不可能になったのが成国渠と臨晋陂の整備。 魏軍の兵站の負担が軽くなったので相対的に強くなっただけ。 それ以前は互角以上の勝負だったのだよ。
>>81 孫家には内応者からの要請が無かったからですよ?
俗に言う地の利(詳細な地図、案内人)、人の和(内応者)、天の時(呉は引継でどたばた)が揃ってる状態ですな
で?
その内応者の末路を述べろ。また所有する部曲の数を調べろ。 勝敗を決するには不確定要素過ぎる。 そもそも益州自体が何重もの要害に囲まれた巨大な城のようなものだ。 劉璋は言われるほど惰弱でも無能でもない。 その割には兵力が少なすぎる。内応者がいてもだ。 入蜀が困難でないなら何故腹心の幕僚が死ぬ? また直ぐに漢中を伺えないほど益州内の内政が破綻するまで長引くのだ? これらを「先主、龐統が無能だった」で片してしまうのは問題外。 外征とは条件に関わらず困難な事業であると言っておこう。
周瑜はどーなんの? あいつの情報収集力なら内応者も案内も必要ないと思うけど。
>>80 陳慶之は遠征軍将で諸葛亮とは少しく立場が違う。
戦場においての軍才は、陳慶之は神の領域だが。 お前は項羽か?と疑いたくなるくらい。
>>83 不確定要素かどうか知らないが、詳細な地図と
後に参謀としても重宝される軍事に精通する案内人
途中までは内応者の手引きにより、無傷で進軍
補給物資も手に入り
数少ない士気旺盛な司令官は不意打ちで殺され、兵力は吸収
首謀者は切られたが、重臣の内応が出たということで動揺がはしり
それを境に続々と内応者が出、士気が下がり、徹底抗戦をするものも少ない
劉章は無能ではないのかもしれないが、劉備の名声に比べれば二代目のボンに過ぎなず
(現に劉備に援軍を要請するぐらいだ)
これだけの好条件が揃っているにも関わらず、地形だけを見て困難な戦争と断言し
さらに制圧を成し遂げたわけでもないホウ統が
援軍としてきて、瞬く間に制圧をした諸葛亮に勝るとする根拠に乏しい
というより、根拠にならない
ホウ統は明らかに経験不足、この征蜀で、諸葛亮における南蛮制圧戦のように経験をするはずが
なかなか落とせない焦りから流れ矢が届く範囲にまで出てしまった
鳳凰になる機会を失ったといってよい
>>84 難しい
周瑜のどの部分で情報収集(特に詳しい地理)を評価したかはわからないが
内応者無しに城を落とすのは困難
その証拠に曹仁の守る江陵落とすのにどれだけ時間がかかったか見ればわかる
>>32 蜀vs魏&呉よりも
漢vs楚の方が戦況は悪かっただろ。
勢力図は項羽で決まってたのを引っくり返した韓信の方が凄い。
漢に比べたら蜀なんて恵まれてた方だろ、それなのに魏を倒せなかった諸葛亮の方が劣る。
そりゃ前線指揮官としての能力は比べるまでもなく韓信ではあるが諸葛亮は国政全体を預かってたからな お題では諸葛亮との比較になってるがケ艾とかのほうが韓信に近いタイプだと思う
説得で城を落とされたらたまらんと愚痴ってた韓信はどこへ? 説得で崩れちゃう勢力図なんて無いに等しくね? しかも主力の項羽とはほとんど出会って無し
91 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 17:39:45
北伐も大して成功させずに無能な弟子(約二名)を重用した丞相は誰でしょう
ショウエンとヒイは無能ではないと思うぞ。
ひとりは馬謖として もうりは誰だろう? 馬謖意外の人事ミスはないけど無能だよな 張飛重用して徐州失陥 関羽重用して荊州失陥 無能な諸葛亮を重用したりと まさに人の見る目がない劉備 劉備を重用して徐州失陥 張バク、陳宮重用して滅亡すんぜん カコウエン重用して漢中失陥 曹操もだらしねぇ しかし韓信ってころりと呂后に騙されて無能だな 側近があれほど制止してるのにもかかわらず よぇぇ
初期 諸葛亮→ニート 韓信→ニート 中期 諸葛亮→劉備軍の軍師に就職 韓信→劉邦に天下とらせる 後期 諸葛亮→何度も北伐するが成功せず 韓信→左遷 末期 諸葛亮→陣中で病没 韓信→謀反の罪で処刑 人生で見たらこんな感じ?
95 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 18:13:27
アンディフグとピーターアーツだな
>>93 ・呉との同盟回復
孔明の派遣した人間全員失敗
→劉備が評価したトウシを派遣して成功。
・南征後の人材配置
孔明が任じた人間はほとんど殺される
→劉備が評価した馬忠だけ、無事に治める
劉備と曹操は滅茶苦茶は人を見る目がかなりシビアなんだが
張飛は除州の失敗が下で後々漢中守将のポストを魏延に取られてるし
関羽の荊州配置に関してだが敵方からの評価や劉備陣営でのポジションを考えるに
関羽ぐらいしか選択肢が無い。
お前の論は無理矢理他を貶めて諸葛亮を持ち上げてるだけ、
やはり成功者と失敗者の壁は厚いな。
どっちが成功者でどっちが失敗者なんだ? どっちも結果をみれば人生失敗してそうだが
>>96 諸葛亮も公平な人事でシビアだがなぁ
あれほど正史に繰り返し人事の妙が称えられているのに
不思議と人を見る目がない扱いされるんだよな
不思議だなぁ
>>90 もしかしてそれは斉のことを言ってるのか?斉だって結局軍事で平定してるだろ(?食其の件はこの場では不問)
他に西魏、趙、燕、代と諸国を平定した功績がある。
劉邦が項羽に大敗を喫して勢力比が完全に項羽側に傾いた時に踏みとどまれたのも
韓信と彭越の別働隊がいたからこそだろう。
>>99 別に見る目が無いとは言ってないよ、画一的な評価しか出来ない人物だとは思うけど
ケ芝のような目上に対しても媚び諂わない、ある種で多少偏屈とも言える性格を持つ
人物を高く評価して太守の任に就けるなんて諸葛亮はまずやらないだろう
人事も政治も戦略も戦術も安定思考の諸葛亮
姜維を見出したのも諸葛亮だが結果的に亡国の士になってしまったな 姜維の立位置は非常に難しいものであったのにそれに対する配慮が疎かだったように感じる。 無論姜維の件は諸葛亮一人に責任を帰依するものでなく費イや姜維本人にも問題があったわけだが。
そういった人事を含めると、韓信の出番はなくなる。 韓信は実戦指揮官。 比べるなら、戦争指揮、あるいは戦略で比べるべき。そして比べると、戦略はともかく実戦では韓信がはるかに上。
と、上のほうでも何度も言われてるな
諸葛亮信者釣ってるんだろ
何度か言わないと、横道それるし、こいつら。
韓信、項羽とガチンコしてないんだよな
どういう意味だ?垓下では軍勢が多すぎて韓信直属の精兵対楚軍の精兵の図式にならなかったとかそういう類か? いくら軍勢で勝るっているといっても稀代の戦術家である項羽とまともにぶかつるのは下策もいいとこだろう 最終的に数の利を生かして完勝しているのだから何ら問題はない、と思う。
イコールコンディションで試合しないと、実力がはっきりしないからだろ。
はぁ?戦争はスポーツじゃねぇぞ、阿呆
ならガチンコで勝負してないとか、的外れなこと言ってるのはどういう意味だよ?
歴史上において同条件に近い形で雌雄を決した戦いなんてあるの?
兵の数、士気、練度、地形、攻勢か守勢か・・・etcとてもじゃないが無理だね
あるのなら是非例を提示して頂きたいものだ
>>110
>>108 一度だけ、垓下で真っ向勝負してるよ
韓信が前衛を率いる漢軍三十万に対し項羽軍十万で
この時、序盤は項羽が韓信を圧倒し、崩れたところで漢軍は全軍を
投入して項羽が敗れる結果になってる
項羽のが強そうだな
>>113 わからんかな〜。 皮肉を言ったんだよ。
スゲぇ逃げ口上w後釣り宣言並だ
わざわざ「試合」と皮肉ってるのに、後釣りって…
じゃあ、なんでガチンコしてないな、なんて言ってるんだよ。 それを
>>112 でも書いてるのに、答えていないのはそっち。
憶測だが韓信は内政もやれば凄腕だっただろうよ。 でも蕭何や張良が居たから軍事に没頭出来たんでしょ。
何勘違いしてんだよ、うすら間抜け。
>>108 は俺じゃないっての
121 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 22:04:03
へとへとな項羽軍10万 元気一杯な韓信軍30万で戦ったあげく 押され気味になって更に余剰戦力を投入しなければ勝てない韓信は 項羽に劣るのは間違いない そして姉妹スレの呂布と項羽スレで争っているのは呂布 つまり呂布=項羽と考えられる 呂布は鉄アレイで殴ると死んでしまうので 鉄アレイが最強と言えるかもしれない が、不意打ちで鉄アレイで殴るには計略が必要だ 呂布は三国志時代の人物。その時代最高の軍師と言えば 諸葛亮だろう つまり諸葛亮最強! 結論:諸葛亮>韓信
>>120 噛み付いてくるからだ。 で、117か?
何で項羽軍はへなへなで韓信軍は元気一杯なんですか? 項羽軍10万は天下に名高い精鋭なんですが?粗悪な釣りはやめてね
>>122 >>117 だけどさ。
>>110 みたいな脳死全開なこと書かれたら一言突っ込みたくもなる罠
必死に開き直ってるとこ悪いけど結局例示出来なくてしどろもどろしてるようにしか見えないんだけど・・
125 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 22:15:46
まだ諸葛亮を最高の軍師とか言ってる奴がいる 司馬懿=周ユ≒陸遜>諸葛亮
>>118 の文章を見て某糞コテを思い出してしまった
>>124 はぁ…例示ねぇ。 どこでそんな曲解してしまったんだ?
順を追って説明するよ?
まず、
>>108 がガチンコしてないんだよな と言ってるのに対し、
>>109 がどういう意味だ? と返している。
で、
>>110 での発言はそれを横受けして、
>>108 を皮肉った。
つまりはガチンコでないとどっちが強いかわからない、と言ったととったわけだ。
こっちが例示しなければならない理由はないよ。
これでよろしいか?
128 :
うす :2006/09/04(月) 22:25:14
韓信、孔明ともに物語で読む限りは我々のレベルから見てみれば 神様てき知能の持ち主と思う 二人が同じ時代に、たとえばシバイチュウタツの代わりに韓信がいたらと 考えたらどちらが凄かっただろうなと言うのは確かに興味ぶかいかな 時代も違うし登場する武器や部下も違うから誰にも予想できないと思うけど、 まぁ、雰囲気で考えるなら、項羽配下で韓信なみに知能ある配下と言えばハンゾウ だが、項羽はこのハンゾウの助言をうまく使えない性格であったわけで、敵のレベルと 言えば孔明の方がより強敵と戦っていたように思う 項羽にハンゾウの言う事を聞かせないようにする策で相手勢力に知的パワーの感じない相手を 手玉に取った韓信とシバイ、陸孫、シュウユなどの知力者をまともに相手した孔明では ではね、 両者とも中国史を代表する名軍師だが、自分の君主を天下人にできた、 できないの差はそこで出たと思いますな!
>>125 諸葛亮は劉備が死ぬまでは政策秘書と宰相を歴任
軍師と言って差し支えない
>>122 直前まで、項羽は劉邦と戦っており
双方疲労により和を結んだんだが、速攻盟約破って劉邦不意打ち
その後、韓信が援軍に来る流れだから
劉邦"が"不意打ちね
>>129 最高の軍師ではない
だらか他の軍師と比べてあるっしょ
>>131 盟破りの不意打ちは成功せず、逆に劉邦が追い詰められてる
更に恩賞が問題となり諸侯が集まるまで時間が掛かった事とか抜けてる。
あの状況なら楚軍にも軍を立て直す時間は十分あった。
>>133 最高の軍師なんて言ってるのは
>>121 だけなんだが、どう考えてもネタだろう
135 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 22:57:17
>>134 >>129 はわすが諸葛亮は軍師じゃないとか言っている(見間違い?一応軍師ではあるよ)
諸葛亮は軍師だよ
と言っているから
軍師ではあるが最高の軍師ではない…
ややこしくなって来ちゃった(´・ω・`)
136 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 23:08:28
韓信って誰?
韓の王族の信
俺が三国志NETに登録するときに使うなまえ
韓信は逞しいけどな 劉邦に兵を騙し取られるが、その後、自力調達 そこから強国斉を打ち破ってる ここで斉の君主となって三つ巴状態になればなあ・・・ 非情さも兼ね備えた諸葛亮の方が若干上かも
140 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 23:20:00
141 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/04(月) 23:57:42
韓信は役満だからなあ
孔明はハネ満ぐらいかな
143 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 00:18:14
>>125 馬鹿だなwww周ユは自分で仕掛けたのを全て孔明にかわされた上に
機智と智略でこてんぱこんにされて死んだじゃないか。
司馬懿なんか惑わされぱなしでこてんぱこんだったじゃん。
まぁ、運だけは強かったがな。
武帝>仲達>孔明>周瑜>武帝
145 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 00:24:03
どの武帝だよw
ど、どの武帝だ!?
武帝>武帝>武帝>武帝>武帝 さあ、当てろ
148 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 00:30:24
>韓信とシバイ、陸孫、シュウユなどの知力者をまともに相手した孔明では うむ、シバイとシュウユは×だな。シバイなら最低限の事位なら出来るだろけどね。 陸孫は・・・・それなりにやるかもしれん。シバイよりは出来ると思う。
149 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 00:33:20
>>125 はははwそんな明らかに差のある奴を比べても意味無いなw
浪費癖ランキング
確か「陸孫はいにしえの孫子にも劣らぬ」とか魏の提督の誰かが言ってた。 蜀の要請で呉の水軍が魏の三路からの進行に失敗してうまく撤退した時に。 水軍で先陣の指揮官は諸葛僅だった。陸孫が「連戦で消耗していながらも これ程の精鋭が居るとは 魏を油断していた」とか驚いてた。 その後、うまく挟み撃ちにして魏軍を滅ぼそうとしたんだけど間者が捕まって また作戦が失敗した。適当に役目を果たしたので呉はうまく撤退した。
153 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 00:58:46
>>143 は演義脳ってやつか…
周瑜が自分から仕掛けて全てかわされたとは何を指しているのかな?
司馬懿が惑わされっぱなしでこてんぱんだったのは何をもってそう思ったのかな?
正史の記載を引用して教えてくださいな
>>143 のエロい人
釣りも釣られ師もイラネ
軍事部門を任せられるような人材さえいれば 自分は優秀な行政官に専念できて、 蜀も本人ももう少し長生きできたかもしれんね>諸葛亮 総理大臣が向いてないのに防衛庁長官まで兼任してたような事態が異常な気がするよ…。
156 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 01:52:30
>>153 はははwww仕方なく孔明が呉に招かれて魏を追い払う辺りで
周瑜が孔明の智略を知って「この先脅威となる今の内に殺さねば」
とか思い込んで暗殺しようとしたのにも関わらず全く歯が立たな
かったじゃないか。末期の最期に「天は周瑜と孔明をなぜ作られたのだ」とか
言ってた。
確かシバイは危険に敏感になり過ぎて在る物無い物に惑わされてた。仕方ないけど。
出てきては敗れて引き篭もってた。決戦した時は八荒の陣でやられてた。
竃を何故か大量に作ったのを疑って進行できなかった。孔明が少ない戦力で
窮地に陥った時、城の門を全開して一人で琴を弾いてたのを驚いて攻めなかった。
確か、家康もそんな事があったな。ウンコ漏らしてたけどww
孔明が死んだ時はソックリ人形で誤魔化されてあわてて撤退したのを追撃されて
逆の立場に陥ってた。後々それに気が付いて追撃を再開してけど既に遅かった。
まぁ、やられ方は曹操ほどじゃなかったけどな。シバイは魏を守っただけ良くやった。
>>152 孔明はうまくいくと思ってた、けど・・予想が外れて血吐いてたな。
孔明「新たな作戦を立てねば・・」
157 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 04:19:49
>>156 いにしえの厨房にも劣らぬ書き込みよな!
>
>>156 あなたは三国志が2種類あることを知っていますか。
説明すると正史(事実の記録)と演義(小説)です。
あなたが言っていることは、小説の中の作り話です。
本気で言っているのですか。
それとも、釣りですか?
>>158 釣りでもここまで馬鹿を披露する奴はおらんやろう
160 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 06:20:19
正史を事実の羅列とか史実とか言う奴は、絶対に正史を読んだことない。これは断言できる。 紀伝体の歴史書なんて物語調もいいところ。 もっというと三國志に史実なんてない。正史と演義という2つのイフがあるだけ。
韓信は相手が項羽だったのも幸いしたんだよ。 つ【項羽の性格と楚軍の補給線】
諸葛亮は管仲・楽毅に自身をなぞらえていたわけだから 韓信よりそちらと比べるのがいいんでない?
なぞらえていたというのは少々語弊がないか? 目標としていた、とするのが適切かと しかし、これも難しいだろうな
164 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 07:58:29
周ユ対司馬懿がみたかったね
三国志中最高の指揮官は、魏:ケ艾、呉:陸抗、蜀:諸葛亮 史記ではぶっちぎりで韓信
166 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 08:08:38
管仲と諸葛亮はタイプが似てるよね 政治家としても優秀で軍略も机上論じゃない、実行力があるタイプ 半蔵や張良は策は考えついても指揮するのは別な人っていう 一般的なイメージの軍師って感じだよね。 項羽は戦争しかできない駒タイプ。 将棋でいうと飛車並みの優秀さだけど棋士いないと無駄な感じ 蕭何は超優秀な社員って感じ。 会社あっての優秀さで独立したらその他大勢のひとり。 つーことで、諸葛亮>楚漢時代の有名人らで決まり
>>169 諸葛亮=ハドラー
楚漢時代の有名人=六団長
ってかんじか?
>>165 蜀は劉備を推す、どっちにしても魏と呉の面子には劣るが
>>169 大事を成せなかった諸葛亮がそれ以上の困難を成した楚漢戦争の人傑を超えるとでも?
上の方で何度も言われてるが諸葛亮が軍事まで統括したのは任せるに足る人材がいなかったからであって
諸葛亮の軍略が類稀なるものであったからではない。
魏延あたりは優秀な現場指揮官だが軍権を与えた時のことを考えたら躊躇うものがあったのだろう
>>171 劉備って勝ったの漢中だけだよ?
それも法正のおかげで
蜀に戦略や国力の不利を戦術で逆転しうる人材がいたら諸葛亮の負担も相当軽減されていただろうが 悲しいかな、そのような人材がいたのは蜀ではなく国力で勝る魏というオチだったと
OK! 諸葛亮の軍才は韓信の半分 軍師としては張良の半分ぐらい 内政としては見る目が無いので蕭何の半分 って事だな? 合計すると 韓信より1.5倍凄いと結論 さすが理数系の俺
理系に失礼だからそういう恥ずかしい真似はやめてくれ
>>173 魏は国力二倍以上だけど全然勝ってないよ
防衛で精一杯
なにを基準にして勝ちなのかわからないが・・・ 戦って最後まで起ってたやつが勝ちじゃない? つまり漏れ
>>172 拠る基盤も持たない劉備が何故諸所を頼っても重用され続けたのかということを
考えてみてくれ。
戦として成立するような状況で劉備が負けた相手なんて曹操と陸遜ぐらいだ
>>176 国力比は2分の1なんて甘いもんじゃない
防衛が魏の戦略目的。そして魏はその戦略目的を全て達成しているし
蜀呉の共同作戦にも冷静に対応してる。
魏が防衛だけで手一杯なら天然の要害を誇る蜀を陥落しうるなど土台無理な話だ
蜀が落ちたのはケ艾のウルトラCがあってのことだろう、剣閣越えとか人間のやることじゃない
>>178 エン術と一進一退
呂布に敗北
曹仁に追い払われる
というより、勝ったのが漢中だけなのだが?
それも法正の手取り足取りで
陸遜が凄いのは良いが
その時の用兵は曹ヒに鼻で笑われるものだしな
>>179 それは違うぞ。
防衛戦とはいえ戦争があれば少なからず国力が疲弊するわけで
なるたけ早期撃退が好ましい。
それが防戦一方になったのだから、やっと防いだというのがふさわしい。
だけど北伐で諸葛亮のすごいところはそこじゃあない。
あの退却の見事さだ。
ほとんど兵を喪失していない。
それも大軍を率いて、敵を打ち破っていないのに、だ。
負けた大軍の退却がいかに難しいかは説明不要だろう。
これをいうとだいたいのひとは、
勝てない戦いをした時点で戦略があまいのでは?といってくる。
しかし、蜀は魏の打倒を国是とした国家であり、
姜維にも通じるが、魏を攻めていなければ国家として成り立たないのだ。
この、攻めなきゃいけないが攻めても勝てない、
これをクリアするには攻めて、しかも損失がないように退却するしかない。
それが諸葛亮の戦略目的であり、
見事に達成したのだから類稀な才能というにふさわしい。
魏延はそのことがわかっていなかった。
長安奪取レベルの戦術は優秀でも、戦略において無知だったといわざるえない
よく「実際に天下を取っていない」という批判を見かけるが、 項羽(一時的には取ったが)や韓信、曹操といった面々は 取るだけの実力があったのに取れなかった。 それに比べて諸葛亮は取れる力がないから取らなかったのだ。 これは全く違うことで、前者はマイナスの評価になっても後者はならない。 後者の例は他に岳飛などである。 負けても戦わなければいけなかったものたちは悲運としかいいようがない。 これもifとしてよく言われるが、劉備に諸葛亮がいたように、 諸葛亮に諸葛亮がいれば或いは…
長くなってしまったが、 政治家で戦略は下手という評価を見直し、 願わくば演義以上に彼を称えてほしいものである。 むろん諸葛亮>韓信なのはいうまでもない。
185 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 13:32:59
たった今まで『韓玄と諸葛亮ってどっちがすごいの?』かと思ってた。
法正のお蔭とか張良のお蔭とか先主や高祖を舐めすぎ。 沮授一人使いこなせなかった袁紹より確実に上。
まさか無敵の夏侯淵が劉備に負けるなんて・・・
姜維はすごいよ。 別の時代に前蜀というのがあって、だいたい蜀漢とおなじ版図で、主も劉禅と似たような(というと御幣もあるが)ボンクラで、そこを攻めた後唐の郭崇韜と康延孝は、わずか70日で成都を落とした。 後唐は建って間もないし、国力的には実は疲弊しまくっていて前蜀側が不利どころか有利とさえ言える状況だったのに。 そういう不甲斐ないのに比べたら、諸葛亮や費イ、姜維はよくがんばったと思えた。
>>186 あの戦争で、何かしらでも
劉備の戦争アクションあったか?
戦争命令ですら法正だぞ?
風評の劉備は凄いというのすらないのに
何を根拠に?
呉蘭、雷銅が死んでも崩れないのは法正の力ではないだろ。 ただ座ってるだけでも、 それまでにやることやってるヤツとそうじゃないヤツでは結果で大きな差が出る。
ん? いつのまにか最強を決めるになってる?
>>182 国力の絶対的に違うのだから長引くことによる喪失は蜀のほうが相対的に大きくなるだろ
魏は呉蜀両方を同時に相手にして尚余裕があるんだぞ。
戦略目的を達成したのは魏も一緒だ。
諸葛亮びいきが過ぎて魏側の視点が完全に無くなっている論だな。
馬謖のポカでおじゃんになったが諸葛亮自身も当初は長安奪取までは十分視野に入れていた
諸葛亮の撤退戦の巧さと蜀の国是は認めるが、戦略目的を達成出来たかは大いに疑問。
また大軍で攻めたにも関わらず寡兵の陳倉すら落とせていない戦術面の甘さは擁護不可能。
張コウ相手じゃ諸葛亮程度では相手にならないのでは? 陳到とか魏延とか戦歴がある武将じゃなきゃ
>>191 「それだけ」の粘りが十分凄いんだよ。
馬謖が大敗してあっさり退いた孔明とは将才はともかく将器の面で格が違う。
戦功の派手さばかりを評価して、
決勝点を抑えるセンスにはまるで目が行かないタイプと見た。
>>197 書いてもない文章から
よくそこまで想像でき断言しますね
ところでイリョウで焼かれて
部下大量死で粘りを発揮しなかったのは
なんでですか?
政治的不利: ・魏呉と同時に対抗 地理的不利: ・白帝城〜夷陵>>夷陵〜江陵。補給戦が長すぎる。 ・夷陵の地勢。この時点で突撃衝力を失っていた。 ・結果的に黄権の部隊が遊軍化。 戦術的不利: ・呉班の伏兵が補助。それが全滅しても搦手から勝利をもぎ取ったろう。 ・つまり火計を仕掛けられる時点で潮時で引き際。 ・基幹戦力を打破されて粘るのは無理。戦死しなかったのが奇跡なくらい。 ・撤退に関しては孔明に一歩譲るが南征北伐だけで孔明が断トツのトップとはとても言い難い。 ・夷陵の失点があろうと漢中が法正に負んぶに抱っこだとしても入蜀で龐統が死のうと基盤を築いたのは先主。 ・夷陵の時点で指揮官として衰えが出ていたのは否定しない。 きみはもう少しさんごくし以外の本も読もうね。
>>171 食料で揉めて魏に内応する奴が出てきたり。馬ショクが勝手な事したりとかで
蜀はついてなかったんだよ。
>>174 プゲラwww足し算しか出来ない消防めがw
>>199 補給線とか考えて戦争準備するのが司令官じゃないですか?
敗因がわかったから、武人としての資質が高いに"決まっている"と言える
根拠は?
というか粘りは?
>>183 諸葛亮に諸葛亮がいれば或いは…
うむ、ホウ統が生きてたらなぁ。
>>200 それを含めた上での統率力だろう。
諸将が魏延、呉懿を推挙したにも関わらずそれを押し切って馬謖を街亭の守将にしたのは諸葛亮だ。
それに魏でも孟達の内応があり成っていれば・・・という状況も考えられる、
蜀ばかりが運が悪かったというのは言い訳にならない。
>>204 失敗は失敗で、軍が壊滅したりしていない所を見ると
諸葛亮の粘りのすごさがわかりますね
粘りというか元々ローリスクローリターンな戦略だから その中での馬謖の敗北なんてホントとんでもない大誤算、大損失だよ
>>202 劉備の粘り強さは、夷陵のときは発揮されていなかったように感じる。
あの寝業師が、夷陵の地勢をみても、なお軍を留めてしまったのはやきが回ったとしか思えない。
ただ、老齢時の失敗のみで、すべてを却下するのはあまりに乱暴・無思慮・無分別。
人的ゆかりも地盤もない四川の地に、征服王朝を打ち立てた人生そのものが、まぁいわば粘りにみえないこともない。
だが、諸葛亮の負けなさも相当にすごい。
負ける=戦争に勝てない、ではなく、負け=壊滅とか最悪、死とかいう意味で捉えた場合だが。
諸葛亮の戦いを見ていたら、前秦の符建や唐初の竇建徳が、一度の敗北で滅亡に叩き落されたのが、一瞬信じられない。
>>204 >押し切って馬謖を街亭の守将にしたのは諸葛亮だ。
他の将が務めるはずだったんだけど馬謖が俺にやらせろ!俺にやらせろ!とか
うるさかったからだよ。あんなんでも一応とても秀でてたらしい。自信過剰で
失敗したんだよ。 才あるものは才に滅ぶ
>>207 というか行くしかなかったんじゃないかな、荊州は魏呉に対抗する上で絶対不可欠の要害の地で
しかも当時の蜀には荊州を基盤とする士大夫が大勢いた。
よく適当なところで和睦しておけば良かったと言われてるが上記の理由から
荊州を取り返してもいないのに引き返すなんてのは政治的に非常に困難だったと思われ。
そして相手が陸遜というのがこれまた悲惨に拍車をかけたわけだ。
>>207 苻堅だよ〜。 登録からして間違えてたorz
劉備は軍事的には平凡だよな 困難なルートならその備えをするだろうし 壊滅しちゃってるし 凄腕な評判も無い
>>209 相当の妄想が入るのだが、
劉備は壊滅する数日前に指揮官のフウ習と策を練っていた。
この策が成功していれば呉を打倒できたかも・・
213 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 18:58:02
韓信対諸葛亮はどうなったの?
215 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 19:28:35
>>214 . ィ
.._ .......、._ _ /:/l!
:~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、| _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ またまた、ご冗談を
,.--l‐''"~....-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:' ノ゙ノブ
" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
.-''~ >'゙:: ‐'"゙./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:'゙
軍事なら韓信、政治なら諸葛亮でいいんじゃないの?
「○○と○○はどっちが〜」は珍シリーズと化しそうな予感。 どこでも演義VS正史の対決が拝めるね。
所々で芳樹厨とアンチ禿げの対決
>>216 軍事でも政治は諸葛亮です
運は韓信かな
>>217 というかね、韓信に関してはおおよそ史料に拠った意見なのに諸葛亮だと
演義をソースにしてみたりでおかしい子がいるんだよ
>食料で揉めて魏に内応する奴が出てきたり
李厳って魏に内応なんかしてた?
>>220 自分の拠り所の資料が一定してないわけか。
正史嫌いなくせに、史記は引用するってことね。
史記も正史だってわからないんだろ
223 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 22:36:16
将棋を発明したのは韓信 饅頭を発明したのは諸葛亮
そろばんは関羽
紙は蔡倫
226 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/05(火) 23:01:58
諸葛亮を政治家とか前漢のショウカとか抜かしてる奴は 頭おかしい。 彼は立派な軍指揮官。
>>226 たしかに軍指揮官だが稀代の名軍指揮官と言うわけではない。 だからもっと才能があった政治の方を歴代の名将と比べられる
(日本語下手でスマソ)
だけど、蕭何には軍才をにおわせるものがないと思うが… 軍政ともに辣腕をふるった人物と対比させてみれば?
>>228 政治は簫何に並ぶってことだよ
統率まあまあで政治の才能があるのは管仲やら呉起(軍事才能は呉起に劣るが)あたりかな
>>227 指揮官にどこまで入れてるのかわからないけど、
実動部隊じゃなくて総大将のほうだったら稀代の名将だよ
それと、だからもっと才能のあった政治じゃなくて、
本職でない政治方面の能力ですら非凡だったんだよ。
あ、そうか。 後方での存在感、というか縁の下の力持ちとでもいうか、そういう類? ただ言いたいのは、軍才(戦術的洗練さ)がない諸葛亮は、じゃあただの文官で国家運営にだけ携わったか? といえばそうじゃないわけだから、蕭何に並んだとしても一面でしかないんだよね。 韓信と比べるのも一面だけ。 >>統率(戦術)まあまあで政治の才能があるのは と、いうのと比べるのが妥当なんだろうね。大方の住人にはわかってることだろうが。
>>230 政治は稀代の名将だけど統率は非凡ではあるが稀代の名将なのかな…
軍を統率するにはもちろん統率能力も必要だけど養うだけの政治能力も必要だと思うんだよ。 そこで政治能力が抜群の諸葛亮は軍を上手く引きえたんだと思う。
間違え指摘反論お願いします
政治にどこまで入れてるかによるけど、
政治家じゃあ軍は率いれないよ。
>>181-182 にも書いたけど、主‐従は軍略‐政治なのだよ。
ほんとは将軍として攻めてたいのだけど、
後方を任せられるやつがいないから自分でやっていたってだけのこと。
もし諸葛亮のバックに蕭何や曹操がいたら魏倒せたかもしれない。
ついでに
>>194 確かに客観的な視点じゃなくて、
北伐をしたから軍略が甘いというのに対する擁護論ですな。
しかしながら、国力に関してですが、よく遠征軍は不利といわれますが、
地元で戦ってる魏は長引けば荒れるんです。
対して、疲弊しないことを第一に考えている諸葛亮は
田畑の維持に必要な最低限の農民は確保しているので、荒れません。
あとは攻めて、戻るだけ。
>>233 どちらかというと兵糧物資が潤沢で防衛線で無理せず守ってる魏よりも
国力が低く剣閣からの物資補給が困難な蜀漢の方が疲弊するのでは?
>233 そうかなぁ… 諸葛亮に軍略を疑う事例 まず関羽へ後詰めを送らなかったこと 呉との関係を信頼しきっていたこと 北伐の際も成都には費イや董允もいるし… いくら名将が守っていたとしても大軍を擁して一城を落とせない たしかに魏も戦が長引けば疲れるが国力が計り知れない魏よりも蜀の方が先に駄目になる気もするし…
>>233 諸葛亮が手を出せたのは広大な魏領のほんの先っちょ。
多少荒れたところで魏に大して効果的な打撃にはなりえないよ、
唯一脅威となりえたかもしれない第一次北伐の際も曹叡自らが長安まで出向いて
民心をさせるなどしっかり横綱相撲を取ってるね。
そして攻めて、戻るだけなどと言うほど遠征行は甘いものではない
蜀は険しい糧道に常に兵站(兵糧ではなく)の不安を抱えていた、
天然の要塞とは言うがそれは蜀にとっても容易ならざる存在だったのだよ。
現代の剣閣の写真を見ても到底人が通るような場所ではないと感じるな、
それを当時、しかも軍勢が通るのだから補給だけでも命がけだったろう
>民心をさせるなどしっかり横綱相撲を取ってるね。 失礼。正しくは 民心を安定させるなどしてしっかり横綱相撲を取ってるね。
>>235 よし、お前、九州で指揮権与えるから
北海道に北の将軍様が攻めて来たら対処してくれ
ただし通信手段は徒歩か船な
>>238 あらかじめ送っておくことは可能なんじゃ?
つか、関羽は陸遜のおべっか計略に嵌って 予備戦力(後詰め)を前線に出して隙を狙われたわけだが
241 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 01:42:21
>>240 送らないよりはましなんじゃ? 諸葛亮は完全に関羽に荊州任せっきりにしていたし
本軍が居なくなってしまいますが?
243 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 02:05:54
>>235 なんでもかんでも諸葛亮とか・・・あきれる。
関羽のは陸孫を褒めるべきだろう。
>>242 なにもそこまで送れとは…
>>243 送らなかったことは事実だし諸葛亮が呉との関係を信頼しきっていたことも事実だよ
245 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 08:06:27
結局結論はまだでてないってこと(´・ω・`)?
246 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 09:30:03
>対して、疲弊しないことを第一に考えている諸葛亮は >田畑の維持に必要な最低限の農民は確保しているので、荒れません。 悪い噂が流れて一度都に引き返した事があったな。長く空かせていると それなりにリスクがあると思うよ。 それと、大軍を撤退するのはとても難しいとか前に語られてた気がする。
陸孫→自らは動かず常に隙を伺って相手の意表を突く シバイ→篭城大作戦で魏を守った!篭城最強ねwwwっうぇww 陸孫とシバイが居なければ天下統一なんて簡単に出来たんじゃねぇのか?
248 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 09:52:29
攻撃は最大の防御でなく防御は最大の攻撃だね
249 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 09:56:22
陸孫 油断させて警戒心を解いた関羽を討つ 劉備「憎きDQN呉討つべし」と大軍率いて呉に迫ってくる 呉は大ピンチ!陸孫が再び大地に立つ! 守りを固め隙を見せない陸孫、エサにも釣られない。 うかつに行動した蜀が大惨事!縦列に長く伸びた大軍の側面を突かれた! 劉備、ただ自分の感情に任せて多くの損害を被った事に強い責任を感じなんかの病で 回復の見込み無いまま死んだ気がした。 まぁ、陸孫さえいなければどうなったかは想像付くけどなww 劉備は悪くないと思われ。
250 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 10:07:14
捕捉
関羽さんは呉に備えて一定距離間に灯台みたいな物を作って警戒した。
火をおこして煙が立ち上る仕掛け。この為、連絡が素早く伝わる。
だが、警戒心を解いた関羽は不覚を取られてしまった。
>>248 うまっ
251 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 10:39:29
軍事は韓信>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>諸葛
252 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 10:44:53
軍事 韓信 武力 韓信 知力 諸葛亮 政治 諸葛亮 魅力 諸葛亮
つか、韓信も長安に項羽在駐してたら 蜀からでれたかどうかも怪しい
何度も言われてるけど、得意分野が違うから比べようがないんじゃね? 諸葛亮が軍事的に無能とは言うつもりないけど、韓信と比べるのは失礼 逆に政治的な分野なら逆も然り 総合的になら、俺は韓j信に一票だな
>悪い噂が流れて一度都に引き返した事があったな それ演義
256 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 14:07:30
>>254 軍事はもちろん政治は圧倒的に諸葛亮が勝ってます。
韓信のほうがすごいところは国士無双の名声と運だけ。
>>236 根本的に伝わってないみないですね。
先っちょとかそんな話をしてるのではないのです。
>>256 は語れば語るほどボロがでてしまう痛い子みたいだな
諸葛亮は軍事勝利だけで魏の切り崩しを狙っていたわけでもないみたい。 文帝がかたちはどうあれ、簒奪して後漢に取って代わった事実(と思われる。一応言っとく)は後漢の官たちには衝撃だったわけだから、その辺の世論を喚起させる狙いがあった。 第一次北伐こそそれで、件の失敗のせいで後漢復興世論を不完全燃焼させてしまった。 と、いう見方ね。
やっぱり、曹丕と曹叡の政治がよかったんじゃないか? 蜀呉同盟で魏を倒せる根拠も魏の民が呉蜀に流入したからだし。
260 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 14:47:59
>>257 はずれ
最初から穴だらけを勢いでごまかし、
諸葛亮信者を増やそうとしたけど疲れただけです。
突っ込まれたせいで舌が回らなくなったわけじゃないです。
メル欄みればわかります。
韓信、項羽に勝てないじゃん 項羽が長安に居たら蜀から出てこれないよ?
>>260 アンチ諸葛亮のネガティブキャンペーンだと思ったんだが違ったのかww
てか、史記の河北と三国志の河北じゃ状況が違うだろ 三国志の時に韓信が魏・或いは呉の制圧をやれたかはかなり怪しくないか ま、軍事能力では韓信>諸葛亮なのは当然なんだが
>三国志の時に なんだよ「三国志の時」って
言いたいことはわかるんだから、そうつっこまずとも… 三国時代、だな。
>>254 で結論出た気がするな。
ネチネチと粘着してる奴らは荒らしね。
268 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 22:22:50
陸孫>韓信=諸葛亮 まぁ・・・これでおkじゃね?
>>269 演義(物語)同士での比較なら、別に史料はいらんでしょ。
ちなみに、隋唐演義や残唐五代史演義伝を例に出してみた本人です。
272 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/06(水) 22:32:29
>>161 直接項羽以外にも斉だって滅ぼしてるし、三振だって滅ぼしてる。
管仲と諸葛亮のほうが比べやすいんじゃね? 両者とも政治・軍事に八面六臂の活躍だし。
管仲の戦略目標:斉桓公を覇者にする⇒達成 孔明の戦略目標:先主を覇者にする⇒失敗 単純な優劣は明らか。 あとは何故孔明が失敗したのか、両者の出発点からくる条件の差、 管仲には孔明の目標が達成出来ただろうかを検討するだけ。 下らん議論はするだけ無駄。 管仲≧孔明が妥当だろうよ。
諸葛亮が耐え切ったのがすごいって言うの聞くけど 曹丕とかの立場で、蜀を滅ぼすメリットはあったんだろうか? 北にも南にも蜀以外の勢力はあったのに何故蜀だけ特別なのか。 今の時代で北朝鮮では餓死者が多く出るような非人道的な政治をするから 武力行使をするべきだとかの論は成り立たないわけで。 また、項羽はもともとからそれなりの勢力だったが曹操はそうでもなく 拡大していった勢力の内部でも問題点が無かったとも言いきれない。 具体的な戦略はともかく、状況として蜀が簡単に滅ぼされる状況にあったとは言いきれないのではないか。
>>276 「後漢⇒魏の禅譲」という政権のとしての正当性を揺るがす存在だから。
愚民を従えるのに正義による恐怖政治以外に有効なものは無い。
>>275 覇者ってのは諸侯の首領格のことだろ?
劉備は一応皇帝にまでなったわけだから…。
天下三分が当面の目標だったのだから少なくともそれは達成してるよね。
その他十分議論するに値すると思うけど。
隆中対の目標は天下三分じゃなくて天下統一じゃん。
弱小勢力→天下三分→天下統一 の天下三分までは達成したってことでしょ
281 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/07(木) 00:32:58
韓信>>諸葛亮>>>>>陸遜
283 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/07(木) 07:46:21
禰衡対諸葛亮の舌戦
>>275 ただの強国を覇者に
用兵から皇帝に
覇者って別に天下取るとかとは違うから
功績の大きさはそんなに違わない気がするけどな
そちらも異民族討伐成功させてるしな
>>279 蒼天読んでておもったことなのだけど、天下三分ってのは、
天下を取る=曹操を打倒して中原を支配しなきゃいけないって常識から逸脱して、
皇帝がいるのに皇帝を名乗るっていうありえない発想をしたのがすごいんじゃないの?
これってソ連崩壊や東西ドイツ統一くらい、現実離れした出来事だとおもうんよ。
一般的な天下統一ってのはおまけの+αでさ。
ここでいう皇帝ってのは曹操ね、
曹操(実際は曹丕だったけど)が簒奪するのは時間の問題だったろうし。
>>276 ある。少なくともこの時代以前は中華を統一する者=皇帝だった。
北や南の異民族と同じ扱いではないさ。
マンガ(演技?)を見た感じでは韓信に凄みがある。 よくあの状況から逆転した。感動した。 けど最後があっけない。マンガで韓信が殺される所までやったら 萎えるだろうな・・・・・・・
マンガ史記では死ぬとこまでやった 二心無いのに劉邦にハメ殺されてすげー可哀相だった
いや二心抱きまくりですから
290 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/07(木) 20:24:57
>>288 お前は一体、なんの漫画を読んだんだと小一時(ry
横山史記
横山だとそんなに二心ありって感じはしないかな ぶっちゃけ呂后が酷すぎてな…
>>278 劉備が一応皇帝? 自称だろ? 理由はどうであれ曹丕は当時の王朝から禅譲された訳で正当性があるわな。
演義とかの影響で劉備を正当化する向きもあるけど劉氏の子孫なら当時何百人いたっていうしそれなら劉虞や劉焉が王朝建ててもそれは正当になるよね?
でなきゃ孫権や袁術(笑)と同じ自称でないのかな??
>>282 放っておけば? 陸遜の事知らないかまってチャンなんだからさ
正当性の面において孫権とは比べ物にならない。 袁術の方がまだ可能性があるくらいだ。 魏にとっては禅譲でも、蜀漢にとっては簒奪。 後漢と言う時代、その復興に対しての当時の人間の意見と利害のぶつかり合いがそこにあった。 それを解決させなかったので、結果的に魏の正当を保障したのが呉。
>>293 の思考回路が複雑でわからない。
>>275 主人のスタート地点が違いすぎる
あと飼い犬としてはそうかもだけど、個人なら諸葛亮>管仲のが妥当
296 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 10:56:21
>>295 >>293 の話も理解できないバカは書き込まないでね^^
諸葛亮>管仲が妥当とかwwww
もう一度、管仲の実績見直して来い
age厨はたいていバカ。
299 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 11:43:04
このスレは只今、紛争中だな・・・。 楽しく見ているYo!
>>251 逆に言えばこうなるな。
政治は諸葛>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>韓信
>>296 >>278 の「劉備は一応皇帝にまでなったわけだから…。」から
>>293 で「劉備が一応皇帝? 自称だろ? 理由はどうであれ曹丕は当時の王朝から禅譲された訳で正当性があるわな。」
って台詞が出てきたんでしょ?
違うなら違うでアンカーミスとしかおもえないのだけど、
あってるのならこの話題がどう繋がってるのが説明してくれないかな?
「一応皇帝」に「?」をつけて「自称だろ?」っていう流れが
どういう思考回路で繋がってるのか全く理解できない。
>>301 劉備が皇帝だってwワロスwww
あんなの自称じゃねーかよpgr
皇帝の正当性なら当時の王朝から禅譲された曹丕が一番だよwwwww
こんな感じじゃないのか
日本語おかしいな、 どういう思考回路になってるのか全く理解できない、でヨロ
>>302 それなら「一応皇帝」の「一応」をどういう意味だとおもってるのか知りたい
>>304 君は他人の日本語の心配をする前に、自分の日本語の理解能力を心配したまえ
>>293 は
>>278 の「劉備は一応皇帝に〜へのレスなんだからそこを引用しただけだろうに
>>293 は単に皇帝の正当性について話しているだけだろうさ
劉備かぁ・・あれは確か荊州を取る時だったけか。 後継者に選ばれ自然にとれた物を拒否しやがって、結局は後々取ることになってるじゃないか! せっかくのチャンスを、ここで無駄なロスが無ければどうなってた事だろうか・・・ 劉備って最も肝心な時に優柔不断な所が嫌だな。袁紹かお前は!!
今日はなんだか良く釣れるのぅ。
>>305 いや、別におかしくは無いと思うが。(多分…304)
とりあえず、韓信と諸葛亮ってどっちがすごいの?
管仲がいちばんつおい
管仲は狭い地域のナンバーワン 光栄三国志だと孔融の領土とちょっとぐらい
劉備の蜀漢を正統視するのは、なにも「三国演義」からというわけでもない。 東西二京を含む勢力を便宜上、中華正統王朝とするが、東晋や南宋といった、華南に追いやられ中華正統を自認している時代には、蜀漢を正統視することで、内外の政治宣伝に利用したむきもある。 姓や血統に正統性をもとめる場合と、政治的な流れでの正統性という場合とがある。 前者はたぶんに感情論的なものが内包するのじゃないかと考えている。
313 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 16:48:50
陳平や蕭何の方が頭いいです
314 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 16:58:53
魏蜀呉のどれが正統かなんてお前らがこんなスレで話し合って決めることじゃねーよ
じゃあ、どこで決めるんだ? ノータリンなレスつけてないで、もっと語れ。
どこが正統かなんて気にしてるのは厨房だけ どこだろうが何も変わらないのが真実
中国の話だしね所詮 それも昔話だし
>>309 同じ蜀の地から、北伐に向かい、
韓信は大軍を率いて、項羽を打ち破った。
諸葛亮は後事を託されたが、長安に迫れなかった。
どう見ても韓信だな。
たらればの話は無意味
>>318 だから韓信の時代の河北と諸葛亮の時代の河北とじゃ情勢が全く違うだろ
軍事で比較するなら一戦一戦の采配をもって比較すべきだろ
劉邦が漢中から討って出た時って、別に項羽が他の地域を統一してたわけじゃないよ。 多数の王国が分立してる状態で、反項羽の国もたくさんあった。 華北統一王朝を相手にした諸葛亮のほうがはるかに困難な状況。
それを言ったら魏は呉蜀両面を相手にしなきゃだったわけで・・・状況はどっこいどっこいだ。 項羽と曹叡の君主としての差は影響してると思うが
第一次北伐なんて蜀にとってこれ以上ない最高の状況だったのに長安への足がかりすら得られんかったからなー
状況はどっこいどっこいって・・・。 蜀と呉を合わせても魏にははるかに及ばない勢力。 項羽の楚はせいぜい全体の1〜2割程度の勢力。
>>325 何で無理矢理楚を低く見積もるかね?
全体の1〜2割程度しか掌握してない項羽が覇王と号し諸侯に対して封建なんてよく出来たもんだな
強国である斉をはじめ直轄でなくても項羽の勢力下にあった国なんて沢山あったんだが。
じゃなかったらわざわざ韓信が諸国を平定してから項羽にあたる必要が無い
>>321 一戦一戦の采配… で比較してしまうと、韓信の洗練されたとでも形容すべき采配は、諸葛亮をはるかに凌ぐわけだが…
つうか、何回も言っているが、戦術の冴えで韓信のインパクトに並ぶ人物は、なかなかいないと思う。
あと、楚漢覇権の時代は、まだ戦国時代の感覚が抜け切っておらず、各王国の子孫らは独立の気風を持っていた。
項羽はいわばその宗主権を得ていたに過ぎない。だからこその覇王呼号か。
蜀漢の秦嶺越えと、韓信のとでは、政治状況は明らかに違うので、そこの比較は一行レスでは無力。
>>327 >何回も言っているが、戦術の冴えで韓信のインパクトに並ぶ人物は、なかなかいないと思う
俺もそう言っているがね
比較するならそういう部分での比較が妥当で、結果だけで韓信>諸葛亮とするのはあまりに寒いだろってことさ
329 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 19:51:48
韓信って結局のところ智将を相手にした戦ってほとんどなくないか? 背水の陣とかいい例。相手に計略あればあんなの一瞬で終わってる。 同じく司馬イと知力勝負を繰り返し、 なおかつ有利に進めた諸葛亮とじゃ全く違うだろ
330 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 19:53:38
全く違うってのは実力ってんじゃなくて 比較基準のことな。
>>328 ま、そうだろうとは思っていたけどね。
双方での洗練された部分が違うからなぁ。 衆を統率し、戦略が非凡な諸葛亮と、一定の戦地で手腕を発揮した韓信とじゃ、話が逸れて逸れてしょうがない。
>>韓信>諸葛亮とするのはあまりに寒いだろってことさ
寒すぎるねぇ。 そういう全否定・全肯定しかしないのはツマラン。
332 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 20:28:12
光武帝にその功績は韓信を上回ると言われた耿エンこそ最強
333 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/08(金) 20:47:27
>>329 それはつまり、劉邦が人材登用の点で相手に勝利したと言える
国は外からよりも内からの方が脆い どうみて劉邦が云々というより 項羽の失策が生み出した勝ちだと思うぞ
韓信は馬謖レベル 良くも悪くもその程度 それで十分だ
336 :
sage :2006/09/08(金) 21:35:40
諸葛亮を天才軍師って思うのは、中国の歴史を三国志演義から 知り始め人間が通るはしかみたいなもんだと思ってるけど、 他にそう思う人居ない? 正史や他の時代知りだしたら、凄い人物がごろごろしてて 、そこまで高い評価が出来ないんだが。内政家としては、 部下を使うのは下手だけど、かなり優秀だとは思うな。
ときどきいる名前欄にsageって書く人は専ブラ使えや
>>336 早くその時期を通り越しなさい
話はそれからだ
>>311 >管仲は狭い地域のナンバーワン
国の大きさで人物の優劣も決まるならモンゴル帝国の圧勝だな
事実圧勝なんじゃね?
歴代中国の王朝は周辺異民族に押されっぱなしだったけど 三国時代は異民族に対して優勢だった稀有な時代
こう見てみると管仲と諸葛亮は似てるな 狭い地域の名宰相 富国強兵をし 異民族討伐で名をあげて 国境付近をなだらかにし 君主の名声を全国に轟かす
君主を殺そうとはしていないがな
>>336 おれも通った道だから言うが、他の時代のすごいと思う人を、上げてみてくれ。
知れば知るほど、諸葛亮の非凡さもわかってくると思う。
釣り? んなことしても腐るほど偉人傑人が挙がってきて諸葛亮が埋没すると思うんだけど
中国史は魏晋南北朝時代の前半部分だけじゃないっすよ
>>345 そう思うなら埋没するほど人物を挙げてみてくれたまへ
桓公、管仲、孫武、田文、蒙武、?政、蒙恬、呂不韋、項籍、劉邦、張良、韓信、蕭何、 劉秀、劉裕、楊堅、、李淵、、李世民、武則天、趙匡胤、阿骨打、岳飛、朱子、チンギス、 オゴデイ、フビライ、朱元璋 明までだが中国史に詳しくない俺でもこのくらいは出てくるぞ、 主だった人物しか挙げてないし、専攻してる人ならこの4〜5倍は軽くいくと思われ。
劉秀とその部下に対しては諸葛亮もベタ褒めしてるな
>>348 私見だけどその中で諸葛亮と能力的に肩を並べる(または上回る)のは
管仲、孫武、劉秀、李世民、朱子、チンギスくらいじゃないかな。
一地方政権の宰相と建国の祖や名君と名高い高祖、太祖、太宗連中が同等なんてのは 欲目が過ぎると思うが。 まぁ私見って言ってるしあまり追求はしないけどさ。
>>328 お前ら何を言ってんだ。そもそも得意分野が違うから比べようがないじゃないか!
まぁ高祖(王朝の創始者)が必ずしも能力的に優れてはいないのはたしかだろう すごいかどうかと聞かれたらすごいけどねw
354 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/09(土) 04:36:04
皇帝よりも実務をこなす宰相のほうが能力的に上なのは当然といえば当然じゃないのか?
最低から最高まで上り詰めた朱元璋が能力的に優れてないだなんて嫌すぎる そしてその腹心である劉其は張良、諸葛亮と並び称されるに相応しい人物だが 何故か日本ではイマイチ無名という有様・・・カワイソス
他のはともかくテムジンは別格にしといてくれ
あれは世界規模でも別格だし中国の偉人たちとも凄さの性質が違う。
>>350 >>348 は
>>348 が知ってる人物挙げただけでしょ、
>>356 朱元璋はもちろん能力的には優れてるけど…
秀吉をかなりえげつなくした感じだw
>>357 たしかに
>>348 がこれら人物の業績を詳しく知ってるとは思えないな
またそうやって釣るんだから。
別に韓信が政治や統治能力で諸葛亮より上って言ってるわけでもないのに、なんで孔明厨はこんなに必死なんだ?
で、
>>350 はなにを基準にそんだけしか諸葛亮より互角以上がいないっていってるのかわからん。
軍事能力見れば、諸葛亮は
>>348 の中じゃよくて中の中くらい
内政能力でもよくて中の上、そのくらいの人物だと思うけどな
まぁ
>>350 と同じくあくまで私見なんだけどね
つまり一芸には秀でないが総合すると上ってことだな
だが軍略はピカイチ
>>359 今、とある時代にひっかかってるので、道草してる状態(orz
ま、その時代を脱却する気は、今のところないけどね。
その時代では、諸葛亮がなにやら大きく見えてしまう…(気のせいかもしらんけどね)
>>348 関連に試みに問うてみるが、たとえば、曹操と諸葛亮ならどっちがより優れた丞相だと考える?
また、四川軍閥が秦嶺なり荊楚なりに進出して、勢力を拡大したことがあったのかどうか。
>>365 丞相としてみたら諸葛亮
諸葛亮が優れているんじゃなくて曹操が駄目すぎる
>>366 俺は曹操はむしろ、宰相のが向いてたような気がするって意見なんだが・・・
トップとしての曹操は、問題もあるがそこまで酷評するもんかね?
歴代統一王朝の始祖から見れば、やや小ぶりに見えるだけで
>>367 優れた丞相って言うのは君主を良く補佐し、乱世においては覇道に導き、
太平の世ならば民を安んじ善政を行う人物だと思う
その点で君主(献帝)をないがしろにし後漢滅亡の最大の原因になった
漢の丞相・曹操は丞相失格
でも狙ってやった曹操は覇者としては超一流
四川の蜀漢は外から来た征服王朝で、益州臣や荊州臣などあるとしても、シャドーキャビネットだった諸葛亮と、後漢王朝の内乱から丞相にあがった曹操とでは、「丞相」という立場は同じだけど、色合いはずいぶん違いますね。 比較に出して申し訳ない。
>>362 結論はとっくに出てるのにネチネチする奴が居るからさ。
>>368 まぁ、近従、皇后一族、典医、豪族と
暗殺しようという勢力に囲まれ、狙われ続けられれば、
皇帝を立てて、民を安んじるなんて夢のまた夢だわな。
韓信だろう 諸葛亮と比べるのは、韓信に失礼!
ほんと、韓信のような戦うしか能のないマシンと比べちゃ、諸葛亮も地下で泣いてるよね。
粗悪な燃料ですね
このスレ、諸葛亮に関しては演義で語ってしまう人もいる一方で史料をひいてる人も いるけど、韓信に関してはせいぜい横山光輝の項羽と劉邦や史記やあたりで 語ってしまってる人多すぎる 別時代の人間を比較したいんなら史料読まないと無意味なんじゃ…
>>375 今更そんな良識レスは、もはや誰も望んでいないという…
>>375 釣りですか?史記は正史なんですが。
君の言うところの「史料」って正史三国志のことだろ?
事績を辿るのに正史三国志は認められても史記は認められないとかそういう類の人ですか?
ああ、正史≠史実ってツッコミは(ry
>>375 は横光の史記ことを言ってるやもしれんが演義みたいに脚色してる部分ってあったっけ?
漫画というよりか絵が付いた伝記みたいな印象を受けたが
よほど悪意のある曲解でもしてないと
>>377 の様な意見は出てこない気がするよ。
>横山光輝の項羽と劉邦や史記
この二つって明らかに漫画だし。
俺も漫画の方も読んだ事あるけど、いくら史記といってもとてもじゃないが
漫画で全てのニュアンスや細かな事まで伝わってこないし読み取れる事にも
限界があるよ。
それとも
>>377 は漫画で史記読んだら万事OKって人なの?
なんか全般的にツッコミどころもずれてる感じだし、釣りですか?って俺には
>>377 の方が釣りに見えるよ
>>379 漫画も含めて多角的じゃなかったんですか?
>>379 たしかに377に悪意は見止められるけど、君の言ってることもなんか怪しいと思うけど。
377は司馬史記を正史と知らんのと違うかプギャー。 と言ってるだけでしょ。
横山史記がそもそも眼中にないんだろう。
もっとも、どれだけがこのスレ内で史記を引用している人がいるかはあやしいところ。
そもそも史記自体をみたことがあるかどうかも。
横山光輝の項羽と劉邦や史記 これを、横山光輝の項羽と劉邦や(横山光輝の)史記と解釈するか、 横山光輝の項羽と劉邦や(所謂正史の)史記と解釈するかの違いだと思われ
383 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/11(月) 17:39:56
自分に股の下をくぐらせた男を中尉にした韓信に感心。
横山史記こそ正史なり
戦争では明らかに韓信だろ 処世術は諸葛亮だな
>>387 はい、そこ! 諸葛亮の戦略と戦術が優れていたと評価できるところをあげなさい。
>>387 自分の意見も言わずに逃げるような書き込みするのやめたらー?
負け犬(笑)
>>387 はすでに逃げてしまったようですw
こういうのを恥知らずの御馬鹿ちゃまといいますw
はいはい政治家政治家
「はいはい○○」という奴は まともな議論する脳みそを持たない、主に無知無学な2ちゃんころに多い。 こういう輩は、全くもって自分の知らない次元の話をされた時は 言い返せないのだが、「負けてると思いたくない」あまり 「何かレスをして、勝ってる気分になろうとしている」のだ。見てて哀れである。
はいはい政治家政治家
394 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/11(月) 23:12:09
なにこのみにくいじえん これがうわさのさんせんいたくおりてぃってやつですか?
>>394 言い返されたからとうとう自演扱いか
精一杯だな
無双ばっかやってないで頑張れよ!
>>394 お前みたいな奴を心底カワイソウだなって思います。
はいはい政治家政治家
397 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 15:36:29 はいはい政治家政治家
はいはい政治家政治家
はいはい政治家政治家 と言った回数ほど 悔しかったという意思表示らしい 負けたくないという意思表示!!頑張れ!!
はいはい政治家政治家
ちょっと待て? 「はいはい政治家政治家」以外のやつは、諸葛亮をただの政治家としか見てないのか?まさかな…
いや、俺は
>>387 が諸葛亮を単なる政治家としかみていないからそう言ったのか、
逆に
>>386 を貶したくて皮肉を言ったのか分かりかねてるんだけど
諸葛亮を政治家として見てるんじゃなくて 諸葛亮の本職が政治家、 韓信の本職が戦略家ってことだろ
>>404 それも釣りか? わけがわからなくなってきた。
韓信は戦術家。 劉邦軍閥には先陣で戦う勇猛な将は多いけど、実戦指揮官は皆無に近い状態だった。
張良が早めに参陣しているので、戦略は一貫していたけど、武力を用いなければならないとき、実際に戦って勝てる算段をたてるのは、また別問題だった。
そこを埋めるのが韓信の役割なんじゃないの?
と思っていたが…
で、諸葛亮はその両方とも、さらには蕭何の役目までやらなければならなかった。…と上のほうでも書いたけど。
すまん
>>404 だが戦略家と戦術家を書き間違えた
夜勤明けで頭ぼーっとしてる。
407 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 20:11:45
諸葛亮が実戦指揮・兵糧確保・政務等、様々な事をこなさなければならなかったから、 勝てなかったとかいう事は誰も言わないよな? 社会にでて、こんな寝言みたいないい訳言っちゃう奴ってたまにいるけど 本当に馬鹿だと思うよ。 小・中・高と全国レベルでスポーツで活躍したり、トップクラスの成績をおさめてきた人間は こういうことを絶対に言わない。 まぁ、諸葛亮擁護するやつも馬鹿 韓信を過大評価しすぎる奴も馬鹿 敗北した人間 戦果をあげた人間 田舎っぺ大将は誰か くらいわかる人間になってね
408 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 20:14:13
まあ、歴史にもしはNGワードだが、劉備率いる蜀が天下を統一すれば韓信と同格かむしろ越えてたかもな。 統一の機会があっただけに惜しいな
その場合、劉備が天下統一後諸葛亮をどう扱うのかな?
役目とか役割の話してるのに、勝ったとか負けたとか、擁護とか馬鹿とか…
>>407 の知能レベルこそゲームの勝った負けたのレベルから、そう遠くないな。
>>408 どうだろうね…政治家としての手腕を発揮してほしいけど乱世の能臣、治世の姦雄だったりして(マテ
それは以前から評価されてただけあってないと思うけど暫くは滅ぼされた奴らの残党がうっさいから統一はするが治世にならないかも
413 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 20:40:22
諸葛亮の任務に対する態度は極めてマジメで公正であったらしいから統一後にありがちな 権力闘争にも巻き込まれずに名宰相として一生を終えそう
>>410 2ちゃんの書き込みからそこまで妄想ふくらませるお前がキモイです(笑)
諸葛亮は神懸り的な戦上手っていうより、公正無比な完璧主義者であり それがわざわいして過労死したんだろうな
416 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 20:43:35
>>410 なにか407の書き込みに不満点ありました?
多分、君が劣等感の塊でお馬鹿な人間だからそう思ったんだろうね
417 :
中立者 :2006/09/12(火) 20:44:35
子の代が心配だね。黄皓とかいるし。 そこは過労死しなかった諸葛亮や殺されずにすんだ費偉の出番か
>>414 410はきっといじめられッ子でずっと3流人間の人生を歩んできたんじゃん?ww
えらい釣れたな。
>>410 に返してるのはみんな407か?え?
韓信は項羽に従ったとしても、漢に叛いて統一王朝を築いたとしても 同じような死に方をしただろうね。 いや、戦術をたてるのが天才的だったとは思うけど、当時の漢にその戦術を実践できる将が 韓信支持者にいたかどうかも微妙か
>>420 自分は407じゃないけど410に返しましたがwwww
>>421 韓信は穀倉管理とかでも非凡さを発揮したりする故事があるけど、例えば項羽なら完全スルーだろうね。
そういう地味な功績はあまりお認めになりそうにない、項羽。
>>424 自演してないです。
人の発言内容を読み取ろうとせずに、発言した人間の性質を想像しイヤミを言うのはどうかと思います。
内容以外で言い争っているやつ キエロ それが善良住民の心境です
つ〜か、「韓信と諸葛亮…」というスレタイに沿った
>>426 ポマエの意見をもっとしゃべれ。
でなければ、何言っても無意味。
すごいの定義によってどっちがすごいかわかれそう 個人的に諸葛亮みたいな人物が上司だったら理想だけど
>韓信は穀倉管理とかでも非凡さを発揮したりする故事があるけど、例えば項羽なら完全スルーだろうね。 劉邦も完全スルーだったな。 もし蕭何が韓信の非凡さに気付いていなければ、また劉邦が蕭何の言う事を良く聞く人間でなければ、 今頃韓信は後世の誰にも知られていなかったのだろうな。
ま、ある程度の結論には、最初のほうかすでに達していたわけだが… 上司としてなら、諸葛亮チームは、ちょっと息が詰まるかも…(なんせ完璧主義者で休まず働きまくるからなぁ)
ポマエがポエマーに見えた
俺もだ
>>431 うはw そういえば。
夏侯嬰と蕭何に乾杯だ。
438 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 21:24:05
ここはいい釣堀ですねage
↑キモっw
うほっw
>>437 がヒットw
リリースしてやるよw
高学歴厨理屈屋(
>>407 )と工場勤務の低学歴オジサン(
>>410 )が互いに必死に自演を繰り返してるスレはここですか?
二人じゃ自演にならないんじゃポエマー?
443 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 21:30:21
オサーン必死です。 きっと社会で認められてないんです
444 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 21:32:01
407ですけど、東大在学中で官僚予備軍ナンデスw 410ですけど、痛いところ突かれて傷ついてるんデスw 441ですけど、vipperデスw
445 :
407 :2006/09/12(火) 21:33:19
(笑)
448 :
444 :2006/09/12(火) 21:38:14
449 :
410 :2006/09/12(火) 21:39:41
官僚予備軍は2ちゃんの三戦いたにはこねーな。 釣られてみた
>>450 一人二人はいるだろうよ
予 備 軍 なんだからさ
一旦自演とか置いといて話題戻さないか?
449 名前:410[410って(笑)] 投稿日:2006/09/12(火) 21:39:41
>>446 が釣れますたwwwwwwwwwwww
こいつもメル欄で使ってる
>>407 の自演だろうけど
おし、自演の話はここまで スレタイ続行しよう
そうだ。
まず流れをかき回すきっかけのレスをつけてしまったことを、
>>407 以外に詫びます。
で、上司の話に戻るの?
458 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 21:59:12
410は407に言われたことがよっぽど傷ついたんだろうなw
おいおい馬鹿の相手するのはやめろって 407と410はスルーでいいんでない?
>>458 410は低学歴のお馬鹿さんだからね('A`)
自演とか言い出したキチガイはどっちがはじめ?
また沸いてる・・・
自演とか言い出したのは
>>420 あたり
こいつが一番幼稚だねqqq
468 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:07:44
>>467 へぇへぇ。 そうですよ。
>>420 =
>>410 です。
そのあと話題を戻そうと燃料投下してるんだがな…
こりゃ戻らんな。 話題がうやむやになった。
誰か燃料。
470 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:09:19
>>407 を馬鹿にすると短時間に大量のレスが沸いて集中砲火をくらう
ただし、書き込み制限の30秒以上たってから次の批判書き込みがある
461だけど、
>>410 と一緒にしないでくださいwwww
僕は自演なんてしましぇーんw
>>470 だがな、407と違って、一応は話題振ってるんだ。お前もスレタイどおりに行けよな。
475 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:13:19
>>407 以外とか407を自演扱いしてるやつのほうが自演&スレ違いな気がする予感
476 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:14:13
>>457 お前、ホントに頭ガキだねー。
なんでそんなダメになっちゃったの?
自演自演いってる奴と揚げ足とりとケンカばっかしてるやつはスルーでいきましょう
>>410 は完全無視で
>>458 だなw
410ってホントカワイソウなオ・ジ・サ・マ('A`)
481 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:18:51
482 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:20:08
ちょwwww俺は
>>410 じゃねーwwww
こんな低学歴オサーンといっしょにしないでくださいww
あ。410はオマケにブサイクっぽいからキショイw
すげースレだ
484 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:24:01
結局おれが悪もんかい。 まぁいいや。 諸葛亮の秦嶺越えは、先にも書いたように魏との真っ向勝負でのこと。 対して韓信の場合は、項羽の目付け役で、関中を三分割された章邯ら。 命令系統がそれなりに統一されている曹真らの軍団とでは、その時点で差があるうえ、韓信は項羽の劉邦をあなどる意識を逆手にとって、三秦王たちを詐術にかけた。 評価できるのは、そのあたり。作戦の緻密さと実行力、そして結果につなげたこと。 諸葛亮は、戦術的な騙まし討ちをする余地は初めからあまりないので、戦略的詐術で相手を翻弄したけど、馬謖の失敗で終った。 結果からみれば諸葛亮プギャーだけど、隴西一帯を視野に納め、曹真ら魏軍を翻弄したのはかっこいいと思う。
487 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:27:39
資源確保ってその時代にはそんなに難しかったの?
資源確保は難しかったと思う。 蕭何のように食料を途絶えさせないで供給することはすごいと思うよ ケンカしてるやつと自演してるやつは消えてね
今と違い手に入れられるのが年によってまちまちだったりするしね
ほほほー。
やっぱショウカって凄いのかww
じゃぁさ、単純に考えて戦争も食料供給もこなした諸葛亮ってすごくね?w
諸葛亮>>韓信じゃね?w
って単純すぎるかw
>>410 は馬鹿なのでほっておきましょう
食料供給は李厳、李豊だろ
あれ?
>>407 の言いたいことって結果至上主義なんじゃないの?
>>491 の言葉だと、407の反対のような気がするが、どうよ?
一気に人へったなw
自演自演いってる馬鹿が一人でほえてるスレw
おおっとここでお馬鹿さんの決まり文句『自演』が炸裂wwww
>>410 自演自演言ってばかりいないでアンタもスレタイに従った書き込みすれば?
女々しいよ。あなた。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwww マジウケルンダケドwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ageage
>>486 =410だ。
いいかげんスレタイに戻れって。
500 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:45:57
>>410 が降臨されましたw
気持ち悪いのでみんなで非難しましょうw
100もスレ回ってワクテカして覘いてみればこれですか・・・・・・。
諸葛亮って食料供給上手くできてたの?
李厳の責任にしてクビにしたことあったじゃん。
はいw
>>410 はシカトしますw
諸葛亮が李厳に罪をおしつけたわけじゃないと思う。 決め付けよくない なんか人で戯言いってる馬鹿がいるけど、皆様スルーの方向で
はいはい政治家政治家
ケンカしてるやつとケンカ煽ってるやつが増えすぎて話にならんぽw
507 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:58:20
509 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:58:34
戯言低能力独身親父の410がいるスレはここでつか?
511 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 22:59:42
ところで407はどこに消えた?wwwwww おめーもちゃんと出てこいやww 410ばっかいじめられてっぞw
513 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 23:00:47
vipじゃなくてもこんな祭り会場があるんでつね オモシロスワラスワラス で、410って馬鹿なの?w
514 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 23:02:07
407と410の戦いは今日も続く! でもさ、今時vipでも自演とか言っちゃう浅はかな香具師いねーよな
>>502 そんなに簡単に補給線をつなぐことができたら、誰も苦労はせんよ。
諸葛亮も最後は長期化も視野にいれて、屯田政策に切り替えたし。
まぁそこで寿命となったわけだから、その効果がどれほどだったかはわからないが。
516 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 23:07:35
高能力で高学歴だがおそらく地獄逝きの407 低能力で低学歴だがおそらく地獄逝きの410 どっちもどっち 早く2人とも消えてね
>>515 諸葛亮はとても優秀だったけど蜀は長続きはしなかったな。
かわいそうに・・かわいそうに・・
ワシ、消えませんw
だって
>>407 が自演厨だってみんなに認めてほしーんだもんー♪ww
by410
519 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 23:09:40
524 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/12(火) 23:26:20
>>520 残念だね。違うよ
つかまとめてるおまえらも自演組のクセによw
>>515 結局、五丈原での屯田は失敗したようだな。
後継者の姜維は沓中で屯田政策で踏ん張ってたが。
>>527 なるほど。
まぁ、政治的に不安定になっていない国家を、外から叩くのはやはり難しいのだろう。
曹操も結局、華南に手が出せなかった、というのもそのあたりに理由があるのかな。
すげーアンカーの数だなw
530 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/13(水) 06:00:35
>>527 定説はそうですね。植える品種を間違えていたということで。
そのあたりはとうがいの方が上だったでしょう。
どうも、大政治家だし総合的にまとめていく力は凄いけど、個別にスペシャリストと
しては何か痒いところに手が届く所までは行ってないかな、と。
【朝日が軍部の手先だったころ・・・。】 [●] ⊥▽ ̄] G\(@∀@-ア <ヘイタイサンヨ、アリガタウ! \ <!>報\ 香港を失い、いままた東亞の拠点シンガポールを喪失、 数世紀に渡り七つの海に雄飛し、 世界の富と領土を独占した英国没落の弔鐘は高らかに鳴り響いている。 皇紀二千六百二年二月十五日! この日こそは世界歴史を転換する日であり、 我が一億の日本民族、 いや東亞十億の民族が奥底から歓喜する日である。 ⊥☆ ̄\ ⊥☆ ̄\ ⊥☆ ̄\ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ハ \‖~:~‖\‖~:~‖\‖~:~‖\
謀反人として処刑された韓信と 蜀の宰相として死んでいった孔明 人生の勝者として見たら軍敗があがるのは孔明だと思う
533 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/13(水) 20:10:16
軍敗じゃなくて軍配
>>532 いや、まて、過労死と斬首どちらが上か難しい所だぞ
>>534 過労死というのは後世の創作。実際には寿命がつきだけ。あの時代で50まで
生きたんだから当時としては長寿なほうでしょう。
上流階層としては平均的じゃないのか>50で死亡
仮に過労死だとしても最後まで全力を尽くせたのと 志半ばにして殺されたのじゃ比較にならないな
志は達成してるじゃん
>>536 全力を尽くしても長安への足がかりすら確保出来なかったのが諸葛亮の限界
それでも志を達成したとでも言うつもりかよ
濡れ衣で殺されるくらいなら、志半ばで目標に向かっているときに死んだほうが、いくらか納得はできる。 他人の利益のために嵌められて殺されるなんてまっぴらゴメンだね。
だから半じゃないじゃん 目的達成して王侯貴族になってるじゃん
>>541 「志半ば」は諸葛亮のことだよ。 この早とちりさん。
>>542 537 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/09/14(木) 07:12:39
仮に過労死だとしても最後まで全力を尽くせたのと
志半ばにして殺されたのじゃ比較にならないな
>>543 は成功した後、嵌められて消される人生をお望みか?
太く短い人生 一夜限りでもキングになりたい
>>545 よし! 今夜だけおまいが王でいいよ
そのかわり明日死ね
>>546 よし、家臣Aよ、美女100人を連れて参れ
>>547 御意!
ささっ、王さま、眼を瞑って思い描いてくださいませ
いま王さまのまわりには100人はおろか1000人にもおよぶ美女が溢れております
眼を開けることさえ慎みなされば、王さまの御心に適わぬ事などありはしませぬ
よいですか、王さま
明日をむかえる刻限まで眼を開けてはなりませんぞ
それではご存分に心ゆくまでお楽しみくださいませ
そして、明日になったら潔く死にやがってくださいませ
>>548 またまた嘘ばっかり
裸の王様じゃないんだからね!
>>549 王さまの想いが弱いのです
さぁ、酒池肉林の極楽を思い描いてその中に埋もれてしまいなされ
躊躇われては王さまに残された時間は刻一刻と無くなってしまいますぞ!
また自演かよ
なんだよ、王様俺じゃねーのかよ
ふむ。
ここまで(
>>554 )までを考慮して、記念すべき555の私が結論を出すとするか。
【結論】
将の将である夏侯惇が中国史上最もすごい将である。
>>553 これは王さま、私の不明にてとんだ無礼を…
ささっ、私めが申し上げたとおりになさいますよう
で、どっちがすごいの?
今宵かぎりの王様が一番すご(ry
もう死んだよ
560 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/17(日) 01:56:54
韓信の脱ぎっぷりがスゴイ
561 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/17(日) 09:00:29
どっちもすごいんじゃね?
562 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/18(月) 10:48:03
諸葛亮の女の趣味がスゴイ
韓信厨と諸葛亮厨ってどっちがすごいの?
564 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/18(月) 13:37:23
どちらかといえば無双厨
韓信は才能こそあったが、カリスマが無かった 劉邦が拾ってあげなかったら、ただの一兵卒で終わってた
>>565 それは孔明にも言えるだろ
劉備が拾ってなかったらただの農民のままだった
567 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 00:20:46
司馬遷が史記で韓信はおごり高ぶることがなければ 太公望等と同等だったと書いている。 その点において孔明のほうが上。
568 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 01:12:22
どちらかといえばニートの諸葛亮の方がランクが上。
569 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 03:16:50
勝ち組という点で韓信だろうな
韓信は武将 諸葛亮は宰相 くらべられません。 ショウ何と諸葛亮を比較しろ
571 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 03:41:32
572 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 03:44:21
というか
>>1 の質問があいまいなせいで難しいスレになってる。
答えなんか無いんだけどな
孔明はは正史の孔明? 演義の孔明?
574 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 03:55:05
[韓信] 攻撃:67 素早さ:26 防御:96 命中:75 運:18 HP:148
[孔明] 攻撃:54 素早さ:45 防御:65 命中:58 運:83 HP:298
韓信 vs 孔明 戦闘開始!!
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は1のダメージを受けた。
[韓信]の攻撃 HIT [孔明]は50のダメージを受けた。
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は1のダメージを受けた。
[韓信]の攻撃 HIT [孔明]は83のダメージを受けた。
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は1のダメージを受けた。
[韓信]の攻撃 HIT [孔明]は59のダメージを受けた。
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は61のダメージを受けた。
[韓信]の攻撃 HIT [孔明]は1のダメージを受けた。
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は77のダメージを受けた。
[韓信]の攻撃 HIT [孔明]は1のダメージを受けた。
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は5のダメージを受けた。
[韓信]の攻撃 HIT [孔明]は1のダメージを受けた。
[孔明]の攻撃 HIT [韓信]は22のダメージを受けた。
[孔明]が[韓信]を倒しました(ラウンド数:7)。
魔法のMD5 - MD5バトル
http://www.newspace21.com/mix/btl.php
>>573 韓信の評価に史料を引っぱっておいて、諸葛亮に関しては演義とか
おかしいと思わんか?
ここが横山スレだというなら別にかまわんが
姓名字は統一しろ
577 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 21:37:02
どっちも正史の比較でいんじゃねーの? 俺はニートの始祖・諸葛亮を推すけどなw
ニートの始祖は韓信だぞ、しっかりしろ
579 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 22:05:36
ニートでヘタレ、それが韓信
580 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/19(火) 22:06:27
諸葛亮はニートでヒッキーだな
>>577-580 ニートの始祖は太公望呂尚。
2人とも老人になるまでニートじゃないから
まだまだだな。
582 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/20(水) 01:09:36
それがあったか 感服
天照は家事手伝いですお。
田畑耕してるのに二ートじゃねぇだろ
って良く考えると 劉邦・張良・韓信・陳平などなど みんな元ニートってわけか ニートでも頑張れば偉くなれるんだよねwww
586 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/21(木) 00:32:50
乱世ならね
彼らは無職でも勉強していたわけでして
588 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/21(木) 00:59:37
今も乱世 しかしながら食べ物に困らないこの時代 あと数十年もすればニート楽園 そしてより生活が楽&楽しくなり、もっとニートと鬱病患者が増える
ま、ニートつっても勉強もしてたし志もあったからn 厳密に言うとニートではないな。無職だ。
晴耕雨読だから 農業の人とも言える
>>589 ニート
本来の意味…就業・学業への意欲がない無職を指す
世間の認識…無職全般
>>591 分かってて書いてるレスに対して何してんの?
わかってない人もいそうだから、念のためにまとめたんだろ
>>486 韓信の時代の関中は豊かであり
当時の蜀は流刑地の未開発地域だから
むしろその地域の短期間の戦力比では
三国時代より韓信の時の方が不利だったんじゃないか?
日和見集団相手にするのと魏を相手にするのとどっちが楽なんだろうな
魏は大国だが 楚は足場も固まらぬ諸侯の一つでしかない
韓信が相手にした諸侯よりも 孔明が相手にした魏・呉の方が強大強固だったのは間違いない。
まぁだからといって諸葛亮の軍事能力が韓信を上回るなんて事は言わないがね
599 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/21(木) 22:04:52
三国時代以外の話はどこの板行けばいいの?
600 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/21(木) 22:34:13
VIP
601 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/09/21(木) 23:08:58
第1回最強ニート決定戦 韓信VS諸葛亮
はいはい
「はい」は一回でよろしい
はい
へい
ほい
ハイホイハイホイハァーイ!!
「はい」は一回でいいのよ
全部読めていた
知っていたよ
おまえはおry
ジェリド乙
>>598 韓信の軍事力なんてよく言うが
将軍としての能力が凡庸以下であるのは自他ともに認めるところ
ぶっちゃけ項羽相手だったら韓信でも孔明でも倒せる
ぶっちゃけだってさ…しかも倒せるときてるし
まるで項羽すら倒せないような言い草だな。
精子厨的に所轄量は有能だったのか!?
あたりまえじゃん
項羽VS韓信 1千 対 1万なら 1千の項羽の圧勝 30万 対 20万なら 20万の韓信の辛勝
どういう仮定だよ。 そもそも勝てないから、圧倒的優位になるまで劉邦はもとより、韓信も張良も項羽とまともに戦うのを避けることにしたんだぜ? さらに圧倒的大軍をもってしても、楽勝とはいかず、情に訴えるような小細工をして切り崩し、ようやく勝ったじゃないか。
小細工w
というか漫画程度の知識の奴はやたら韓信を持ち上げるし項羽を過小評価する 傾向にあるな ろくすっぽ史料なんか読んでませんっていうんだろうけど
韓信のほうは認めるが、項羽は過小でもなんでもない ただのぶた。
うわぁ…
左腕な
そもそも項羽と呂布を比較する事がどうかと。 呂布と英布ならまだ面白いが。
項羽と呂布スレの結論は鉄アレイ最強でした
629 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/04(水) 23:30:05
項羽と呂布を比べたいなら新しいスレを立ててそこでやってくれ
630 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/06(金) 01:00:08
つうか韓信の政治力が孔明以下ってことはないんじゃない? 韓信は高祖から最初にもらった少数の兵を「もとで」に 後は「徴兵、徴兵」でまかなってきて、むしろ高祖に兵を送ることまで しているが、それら強引に思える様な徴兵をした国でも反乱は起きていない。 また李車左に従い趙での民心を治め政治をうまく行なった描写も史記にある。 軍政: 戦地や占領地での軍隊による統治 という難しい政治 (恐らく普通の政治より難しい)を行なっているし、また高祖が 天下を取った後で王になった(赴任した)楚もよく治まっていたとの描写もある。 むしろ韓信の弱点は権謀術数(世渡り)だと思われる。根拠は以下 カイトウに独立を提案されても受け入れない。 ショウカにだまされる。 高祖の恨みを買う行動。 才気ありながら項羽に受け入れられない。 タイミングを逸した謀反。
お、久しぶりにまともなレスが 確かに韓信は政治下手ではなかったかもしれないが 諸葛亮のように一人で計画立案しやり通したという感じではない カイ通の進言は韓信にとって千載一遇のチャンスだったと思うが やはり高祖への恩義を感じて踏み切れなかったんだろう この時進言したカイ通を取り逃がさずに斬首して高祖への忠誠を示しておくべきだったと思う 結果としては天下人としての器量は高祖の方が一枚も二枚も上だったように思える
権謀術数や派閥作りみたいな能力じゃ 韓信は諸葛亮の足元にも及ばないな。
633 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/06(金) 01:52:27
韓信は軍人なわけでそもそも政治を学んできた諸葛亮と比べることがおかしいわな F1レーサーと短距離走の選手を比べてるって感じ
634 :
630 :2006/10/06(金) 02:37:34
>>631 >諸葛亮のように一人で計画立案しやり通したという感じではない
そりゃ戦略の話でしょ。
政治(内政)だったら十二分に韓信もやっていたし
孔明にしたって一人でやっているわけではない。
>>632 同意。
>>633 韓信は元々軍事も政治も恐らく独学。
政治面でも(軍政、内政)は諸葛亮にも
劣っていたとは思えない。
ただ、外交戦略・権謀術数まで含むと劣っていると思う。
>>632 諸葛亮が派閥云々とよく聞くけど
何がソースなの?
>>636 李厳がなんで派閥相手の諸葛亮が死んだときに、
自分の復帰の見込みが断たれたなんて泣くんだよ
普通は派閥抗争の相手が死んだら、これで復帰できると喜ぶだろう?
諸葛亮の権力は派閥の力学では無く劉備の遺命である代理人としての地位
李厳が下克上しようとしたのかもしれないが、諸葛亮がスポイルしたわけではない
>>638 >李厳がなんで派閥相手の諸葛亮が死んだときに、自分の復帰の見込みが断たれたなんて泣くんだよ
諸葛亮が人事において公正だったことは周知の事実だと思っていたが、違うのか?
あと、この時既に李厳は派閥抗争ができる状態ではないんだが
てか、ちゃんと読んだのか?どこをどう解釈したらそうなるんだか
>>639 君は何を怒ってるんだ?
私がいつ諸葛亮が不公正だと言ったのかね?
とりあえず>638は馬鹿
諸葛亮が公正さ公平さを強調したのは 君主代理の最高権力を既に付与されているから 派閥の後ろ盾を必要としていない しかしながら代理にすぎないので各派閥から支持を取り付ける為に 人事、裁判等を公平にする必要があった 現在の例でいえば竹中平蔵、平蔵は小泉の信を得て権力を持ち得た、 派閥の力学とは権力構造が違う
派閥作りうんぬんは丞相府に権力国力兵力を集中させたからじゃないの?
NEET出身だから人事や評価に私情を挟まない公平さを持ってたんじゃねーかな。 逆に、そういう部分に辟易してNEETになる人間が多いからさ。
と、現代のNEETが申しております
韓信は才能がある分野だけに突出していた だから普通の将軍としてさえ無能だった
647 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 07:31:38
648 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 08:55:53
その時代によってまわりの状況、人材の豊富さや個々のレベルが違うわけだから一概には言えない。 ただ結果論として韓信は国を一つにまとめた。諸葛亮はできなかった。でみたらやはり韓信が一枚上か。
>>644 思いっきり人事や評価に私情を挟んでいないか?
650 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 11:22:59
649 :無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 10:36:39
>>644 思いっきり人事や評価に私情を挟んでいないか?
>>648 しかし韓信は国を纏めた功績は蕭何、張良とわけねばならず
三分の一の功績といっていい
しかして諸葛亮はこの三者の役割を一人で担い三国鼎立を為しえて過労死した男である
その功績が統一の三分の一と考えれば互角と言えますな
653 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 16:09:49
確かにその通り。事実三国志自体劉備が劉表のとこに身をよせたとき諸葛亮にあわなければ劉備も赤壁の前に滅んでいたはず。 そう考えたら呉も勢いそのままに魏に滅ぼされたはず。そこから一国の君主まで作り上げた諸葛亮の功績はすごいですね。名前としても諸葛亮のほうが後世にも伝わってる。 自分的にも孔明のほうが神がかっていると思う
あと求められるのは、清廉かどうか。
はどうでもいいとして...
656 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 19:35:38
>>652 いやいや、韓信は魏、趙、代、斉と反独立国のように治めている。
特に斉は(劉邦から王権を貰い)名実共に治めているといってよい。
劉邦から預かった少ない兵力で国を切り取りつつ、徴兵しつつ、
その兵を劉邦に送りつつ、斉では斉ではかなりの期間政治を
行なったが反乱はない。そう考えれば孫策のほうが近いか。
どちらにしろ政治に関しても大きな過失は見受けられず、
むしろ占領国で無理な徴兵をしつつよく治めた韓信の政治能力は
孔明に負けてはいないと思う。
ちなみに天下三分の計は構想としては孔明より、
皮肉にも韓信の食客であるカイ通のほうが早い。
項羽・劉邦が争う中で斉を基盤として
第三勢力になることを薦めた。
それも土台に春秋には三晋、戦国には斉・楚・秦の三強のやり取りがあったからでてきた発想だしな
それは天下三分の計とはいわないだろ、
>>658 ものごとを表面的にしか受け取れないバカですか?
はて?
>>656 =
>>659 ?
表面的にしか理解してないのは君のほうだろ。
天下を3つに分けて考えるのと、天下取りの第3勢力になることは全く別次元の話ですよ
661 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 20:02:55
それまた確かに。自分は演技だけで史実や正史はあまり知識ないので、あくまで自分の印象ですが、韓信は自らが先頭に立ち指揮している軍師とゆうより曹操や周喩タイプだと思う。 逆に孔明は張良など外から指揮するタイプだと思う。 将棋で言うなら韓信は飛車、角で孔明はそれらを動かす名人といった感じ。 印象なんですごさは実際わからない。ただ先駆者である韓信の後にあれだけの名を残す孔明もひけはとってないと思います。
>>660 天下という次元でしかお前の頭が三分の計を処理し切れてないのがありありと分かるよ
兵法は大にも小にも通じる。問題はそれを真に理解し、運用できるか。
お前は天下三分の計をその字のままにしか受け取れず、
カイ通が三分の計の初出という巷に流布した話を盲信してるだけ。
孔明も理で軍を動かすタイプの将軍だぜ
>>662 こいつなにいってんの?
文字くらい読んでくれよ、違うっつってんだよ?
まあまて まずは
>>662 の考えを聞いてみようではないか
きみのいう天下三分の計とはいかに?
>>665 >>660 の言う天下三分の計は天下を三つの統一された政治機構のみが分け合うっていう
ホントに字面だけからしか中身を見てないのをアホのたわ言w
三分の計は簡単に噛み砕けば、三すくみをつくり、漁夫の利を得ること。
その部分を無視して字面通り、天下が三つにならなきゃ三分の計じゃないって主張するのはアホ
667 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 20:16:52
ですかね。 史記では項羽と劉邦の二大勢力の中お互いが兵力を浪費しあって疲れている頃、韓信の独立が実現できる状態だったわけですから、孔明のほうが状況的には苦しかったと思うのですよ。 だからといって韓信がたいしたことないわけではなく、韓信だからこそ勢力にわかれることができるのであってやはりお互いの君主が憎めない人だったからそれをしなかった。 仮にも孔明、ホウトウが魏についたら三国志は赤壁を迎えず治まり、また韓信が完全に独立していたら劉邦が初代皇帝にはなっていなかったと思う。 時代を変えられた二人はやはり同等の人物だったと思う。
> 三分の計は簡単に噛み砕けば、三すくみをつくり、漁夫の利を得ること。 それな誰でも思いつくようなことのどこがすごいんだ? 劉備を侮辱するのもいい加減にしろ
概念的な評価を抜いたら北は曹操、東は呉に取られたから一番弱そうな蜀を攻めようっていう むしろそこしか攻めるとこないのになにいってんのって感じの戦略だしな。
>>669 大まかな戦略は誰でも思いつく、漁夫の利的な考えはそれこそ古代からあったんだからな
問題はそこまでたどり着く、もう少し細やかな戦略、戦術
その部分こそが諸葛亮の腕の見せ所であって、諸葛亮が天下三分の計を考えたんじゃなく
カイ通が天下三分の計を最初に考えたんだぜってのは的外れすぎる意見
672 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 20:26:57
すいません、なんか自分のレスが邪魔しているようですね。
673 :
656 :2006/10/08(日) 20:30:29
>>660 >>656 =
>>659 いや別人だが・・・
それはともかくカイ通の天下三分の計がオリジナルかどうかはさておき
三国時代の三分の計に酷似して当然三国の三分より時期的には早いよ。
三国三分も魏・呉の争っている隙に第三勢力に蜀を基盤に第三勢力になれと
進言したもの。(正史にあるかはしらん。演技だけ?)
カイ通の三分の計は楚・漢の争っている隙に漢から独立し斉を基盤に
第三勢力になれと進言したもの。孔明が蜀の地の利、カイ通が斉の強さを
説いて独立を進めたのもよく似ている。決定的なのはカイ通は
「天下を三分して、その一つの王になれ」と言っている。
参照は太史公書の淮陰侯列伝
674 :
656 :2006/10/08(日) 20:54:34
>>667 >史記では項羽と劉邦の二大勢力の中お互いが兵力を浪費しあって
>疲れている頃、韓信の独立が実現できる状態だったわけですから、
>孔明のほうが状況的には苦しかったと思うのですよ。
いやそれはそうなんだけど、項羽と劉邦が曲がりなりにも
対峙できていたのも、韓信が独立を実現できる状態であったのも
韓信の力が非常に大きい。元々は劉邦から預かった1万五千の兵力を元に
魏・趙・代を滅ぼし、燕を威圧して併合し、斉を奪った。
しかもその間には、何度も劉邦に兵を送りつつ、劉邦が不意に単身韓信の
陣に乗り込み、印綬を奪って2千の兵だけで斉に行けという無理難題も
押し付けられたりしている(後年の謀反や確執はこの辺りが影響しているかもしれない)
とにかく、三分の計を持ちかけられた時には、劉備と違いその策に乗れる
基盤ができあがっていたことは確かだが、その基盤を誰が作ったかと言えば、
韓信の力が大であると言える。そう考えれば孔明の状況のほうが苦しいとも
言いがたい。
もし、カイ通の言うとおりに韓信がしていたら 一足早い三国志が来ていたってことだな
たぶん、ほんの一時的に三国にわかれると思うが、 一息ついた項羽に攻め滅ぼされると思う
677 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/08(日) 23:08:33
項羽は田横の斉にさえ梃子摺ってたので 韓信の斉を滅ぼすのは厳しいだろうな 実際項羽の部下の竜且は韓信に惨敗してるしな
項羽が韓信を攻めたら、劉邦も同時進行の可能性が高い
ありがちw で項羽が折り返してきてまた負けんのねw
>>678 >>679 意味不明
項羽と劉邦の戦いを韓信が傍観してたら?って仮定だろ
項羽が劉邦との戦いにケリがつかないうちに韓信に矛を向ける理由がない
項羽が劉邦との戦いにケリがつかないうちに 田横や彭越に矛を向ける事数多
田横や彭越は項羽にはむかったからだろ 劉邦から独立するということは少なくとも当面の間項羽とは戦わないということ 項羽にとってこんな好都合なことはないのに(現に項羽は韓信を引き込もうとした)わざわざ韓信と戦う意味がない
それで韓信は得をするのか?
項羽と組んで劉邦と戦うか項劉の共倒れは待つか 既に独立勢力なみの威容を誇っていた もし劉邦に逆らって項羽と戦わなかったらor項羽と組んだらというIFの話をしてる 項羽と戦ったら史実そのまんまだろ
>項羽と戦わなかったらor項羽と組んだら だからこの時の韓信のメリットは何よ? 項羽と戦わないことでなんかメリットあるのかと聞いているんだが
686 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/10(火) 20:52:25
旗下の曹参や灌嬰らの諸将が素直に従うか?彼等主力の将は劉邦の同郷や友人。 隣の趙にはやはり劉邦と関係深い張耳がいる。 まず彼等が従わないのでは、韓信は斉を掌握出来ずに終わるのではないか?
687 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/10(火) 21:03:31
韓信ほどの名将ならば、独立勢力となったとき項羽につくだろうか? 劉邦と項羽。比べたら韓信は劉邦につくことは結果ででている。ならばどこにも属せず、疲弊した勝者を攻めただろうな
韓信が劉邦に味方につかなかったら あっというまに劉邦が蹴散らされて、韓信に大軍展開な悪寒
689 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/10(火) 21:39:53
劉邦は項羽相手に辛抱強く中原の拠点を守り続けて、項羽を釘付けにしたという優れた将でもある。 万一韓信が不穏な動きを見せたとしたら、史実のような早期決着はないだろうが、実際に有利なのは底力が違うし能力でも大きく劣るわけでもない劉邦。
三国志オタの視点から見れば関中漢中を支配する劉邦が圧倒的に優位だよな それでも韓信と項羽が組めば互角以上の勢力になるだろうがうまく共闘できるとも思えないし
項羽の元を去ってから再び項羽に仕えた人物って思い浮かばないな。 韓信しかり、陳平しかり、英布しかり、鐘離昧しかり、季布しかり、 范増ですら項羽の元を去ってるな。
韓信が項羽を「匹夫の勇、婦人の仁」と評価してる以上 韓信が「匹夫の勇、婦人の仁」ごときと手を組むなどありえない
呂布みたいなものだからな 戻る気起きるわけないでしょ
>>688 当時でも、黥布や彭越などの反項羽勢力は健在だったし、
劉邦配下に張良、陳平などの優秀な参謀が控えていたので、
あっという間に劉邦が項羽に蹴散らされて滅亡 てことはないだろな。
実際、劉邦は彭城の戦いや榮陽の戦いなどで壊滅寸前になってるのに
劉邦は項羽の攻撃から辛くも逃げ延びて、何とかしぶとく生き残ってるな。
それにしても劉邦は戦の弱さ以上に、何が何でも生き残るしぶとさは驚異的だ。
後年、劉邦は匈奴を討伐して逆に包囲された時も、何とか命からがら逃げ出して絶体絶命の危機を凌いでるな。
項羽が君主して仰ぐに値しない・盟友になり得ないにしても 華北で英気を養いながら項羽劉邦の疲弊を待つ 天下をとることはできないにしても三国鼎立させることは十分可能だったと思うが
旦那と走狗と狡兎の三国鼎立
旦那と良弓と飛鳥の三国鼎立
698 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/10(火) 23:44:12
あの時代は秦が旧六国の城壁を破壊しており、旧六国は著しく防御力を失った状態 だからこそ項羽や韓信が次々城を落とせた訳だが、「英気を養う」には全く向かない状態なんだよ 早期にケリを付けないと一番ヤバいのが韓信なんだよね
699 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/10(火) 23:53:06
韓信が後年王から侯に降格された時、 樊噲のような劉邦の親族でわりと名が残る武将が主君のように彼を拝むエピソードを見て、 当時の武将にとって軍神的な存在だったかもしれない。 本当に分離するならどれぐらいの人が韓信についていくのかな。
黥布・彭越がついていくだけで充分な内乱。
韓信が後年王から侯に降格された時 ほとんど擁護する香具師がいなかった件について
韓信が降格時の罪状は楚の将軍をかくまったことなんだが その韓信をかばうなんてギャグだろ
季布は生き延びて後年劉邦に仕えてるのにな・・・
韓信は臣としてはあまりに大勢力すぎたし いずれ潰されるしかなかった
韓信もカイ通先生の言うことを聞かずに身を滅ぼしたんだから、 范増の言うことを聞かずに滅んだ項羽と同類だな。 劉邦に敵うようなタマじゃないよ。
韓信なんて参謀総長以外には使い物にならない無能の人ですからね・・・ 一芸だけに秀でた不世出の天才
707 :
656 :2006/10/11(水) 05:43:14
>706 参謀総長???張良ならわかるけど。 将軍の間違いじゃないの? 功、主に勝りて賞されず 功、主に劣りて賞される はたしてどちらがすごいのか難しいところだね。
708 :
656 :2006/10/11(水) 06:57:33
二人を能力別で比較すると 功(臣下としての功績) 韓信>>>>>孔明 孔明のほうが上だろって思う人がいるかもしれないが そんなことはない。韓信を孔明で例えるなら、許昌の曹操を 取り囲むように次々に諸国を占領して、劉備に防衛のための兵を 送りつつ、ついには曹操を討ち取って統一するという快挙を あげたようなもの。 戦術・統率(将軍としての能力) 韓信>>>>>>>>孔明 これは説明の必要は無いと思う。 戦略(参謀・軍師としての能力) 孔明>>>韓信 孔明は国家方針を立てているので基本的に戦略家である。 韓信は劉邦に項羽の逆をいけのような方針を示しただけで 後は反項羽勢力で囲むという流れを作ったぐらい。 政治・治世(政治能力・統治能力) 韓信≧孔明 これも反論が起こりそうだが、韓信は占領地において 徴兵を行ないつつも反乱を起こさせていない。 また占領地の降将なども使ってうまく治めている描写もある。 孔明は自らの占領地である南蛮で幾度と無く反乱を起こされた後に 平定した。状況は違うかもしれないが占領地での政治は難しい。 任地においてもよく治めていたようだ。
709 :
656 :2006/10/11(水) 07:00:46
権謀術数(世渡り能力・人間関係・謀略など) 孔明>>>>>>>>>>韓信 孔明は蜀臣として並ぶものがいないほど尊重された。 一方の韓信は・・・。 飛鳥尽きて良弓仕舞われ、狡兎死して走狗煮らる という諺もあるが、それ以前に劉邦に疑われるような 行動を起こしすぎた。劉邦の出兵の催促時に あべこべに 斉の仮王になる許可を求めるなど。 また呂氏に嵌められるという最後であった。 人望 孔明>>>韓信 韓信も人望が無いわけではないが、軍人としての 尊敬に近いものや力を持つものに対してのものだろう。 この辺は順当に孔明でいいと思う。 部下の扱い 韓信>孔明 孔明は部下の扱いに優れているとは言い難い。 馬謖の鑑定眼に対しての事だけではない。 部下に任すことができずに全部自分でやろうとしてしまう。 諸臣が他の将軍を派遣すればいいと止めるのも聞かず自ら征南し、 軍事においては現場主任の意見を聞かず、要を未経験者に任せ、 あげく細かい刑罰や巡視まで自らが行い過労死するという 失態を犯している。この辺は部下に任せるということが 苦手な人間と判断した。韓信は孔明より部下を使う範囲は 小さかったかもしれないが、降将をうまく使ったり、 垓下戦などで他の将を適材適所に配置したりしている。 義理・忠節 孔明>>>>>>>韓信 説明の必要はないと思う。
韓信はあれだけ誘惑が合ったのに最後は劉邦に協力しちゃうんだから お人好しで忠節はそんな低く無いでしょう
んだんだ
最終的に謀反を起こした時点で >義理・忠節 >孔明>>>>>>>韓信 と言わざるを得ない
呂后が悪い
韓信が謀反起こした時には、既に戦力は劉邦に抜き取られちゃってるでしょうが!
716 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/11(水) 15:41:23
北番の軍勢が代州を襲ったため、急きょ征伐軍を出す事になり、大将に相国の陳きが選ばれた。
彼は10万の兵を率いて都を出る時に、韓信にあって敵にあたる作戦を尋ねた。韓信はそのとき、
漢の国を奪うことを臭わせた。その後、陳きが作戦を実施して40万の番兵を撃ち破ったあと、漢に
叛旗を翻した。そこで漢は王自ら大軍を率いて陳き征討に出た。この間、王室にいた呂后は、韓
信がこの期に蜂起したら関軍は挟み撃ちになることを心配していた。そこに呂后のもとに韓信の使
いが、陳きとのやり取りを示す文書を持参した。文書をみた呂皇后は、反逆の証拠として韓信を別
件で誘い出し、庭に引き出してその首を刎ねたのだった。(14巻)
http://www3.starcat.ne.jp/~koten/kansopage/kans40.html
戦術レベル・用兵→韓信 戦略レベル・政治的かけひき→孔明 と勝手に考えてる
俺が不勉強かもしれんので
>>708-709 に訊きたいんだが、
>垓下戦などで他の将を適材適所に配置したりしている
ここの典拠って何?
作戦通りにことが運んだからじゃないの
韓信って垓下では全作戦を主導する立場じゃなかったはず
韓信の麾下で働いた将官も劉邦に配属された連中で過不足なく働いたけど、
それだけで過剰に自分の裁量に委ねすぎた諸葛亮を韓信以下の評価にできる
とも思えんのだが
たしかに諸葛亮の用いた・推挙した人物は諸葛亮好みの小さくまとまり過ぎた
優等生タイプが多いが
>>709 は一国の宰相と派遣司令官の人の扱い様を安易に評価し過ぎてるよ
>>722 同意
韓信を経験した時代の三国時代に孔明たちは生きてる
ことを忘れないであげて(´・ω・`)
それと占領下での治世ですが南蛮は漢民族ではないですね
孟獲は漢民族。 あと、南征後の諸葛亮存命中に南蛮は反乱起こしてるな。
孟獲は漢民族かもしれないが南蛮が異民族の多い地域なのは間違いない 四川省南部・雲南省は現在でも少数民族が多い そもそも韓信が華北を治めていたのはごく短期間であり内政面で評価に値するのかも疑問
いくら孔明の内政手腕を必要以上に賛美しても 異民族対策はどうあがいても班超に及ばんから止めとけ
韓信の頃は大量の流民が発生した時代でしょ 兵糧の確保は困難だが兵役はむしろ志願する物が者が多かったと思うぞ
いい加減、南蛮ではのうて南中と言って貰いたいが
>>726 誰も必要以上に賛美してないし、班超に遠く及ばんのは分かりきったことだと
思うのだが
729 :
656 :2006/10/13(金) 06:14:32
>>720 >>722 記憶ではどこかにそのようなことが書いてあったと
思ったんだけど確かに直接は書いてない。
どこかに書いてあるかもしれないけど史記の
高祖本紀・項羽本紀・留侯世家・ショウ相国世家・淮陰侯列伝
この辺にはざっと目を通して見たが書いてはいない。
とはいえ、
>韓信って垓下では全作戦を主導する立場じゃなかったはず
とは言い難い。むしろ順当に考えれば韓信でいいだろう
根拠は
@他に全指揮を全作戦を展開していたものの存在は書かれていない。
A前回の漢楚の全面対決はホウ城戦だが韓信だった。
前回時と比べて実績・信頼は比べ物にならない。
B今回はホウ城戦より親劉邦色が強いとはいえ諸侯連合に近い。
まとめるのは韓信のような実力者でなければならない。
C未だ漢の大将軍職であるため漢を盟主とする軍なら韓信が妥当
D韓信のひいた布陣が前線であるという描写はある
730 :
656 :2006/10/13(金) 06:33:08
ちなみに韓信の(治世や軍政)としての政治手腕を評価したのは 考察なく当然のように政治は孔明というイメージがあったから。 自分自身そういうイメージがあったんだけどよくよく韓信を 見直してみると治世・軍政としての政治能力は今でもやはり 低く無いと思っている。 孔明は南蛮・異民族だから反乱が起こされやすいという話があるが ちょっとそこまで三国志は詳しくないからわからないけど 蜀国内や元魏領地でも演技では起こされてるよね。正史はどうなんだろう。 一方韓信は孔明がおさえた領土の何倍もあるが反乱という話はないと思う。 異民族じゃないから反乱なんてとは言い切れない。 漢楚の戦い、またはその前後は本当に反乱だらけなんだな。 まず秦からしてみれば全地域が反乱、次に項羽も劉邦がたって全地域に反乱された その少し前は劉邦とは関係なく殷の反乱が起きた。これはなんとあの陳平の 平定先であり、あの陳平でも反乱の憂き目にあった。それが元で項羽軍から離れる。 今度は劉邦がホウ城戦で項羽に負けると全地域が反乱。やっと項羽を倒すと 劉邦が統一をすると功臣の反乱である、鯨布、ホウ越、チンキ、ロワン、韓王信、韓信 実は三国志の時代よりずっと弱肉強食や反乱が盛んだった時代である。 そのなかで韓信は占領将軍でありながら反乱らしい反乱を起こされていない。 これは治世や軍政の巧みさがあったはずである。
>その少し前は劉邦とは関係なく殷の反乱が起きた。これはなんとあの陳平の >平定先であり、あの陳平でも反乱の憂き目にあった。それが元で項羽軍から離れる。 なるほど殷の反乱は劉邦とは関係ないかもしれんが項羽とは大いに関係がある。 当時陳平は項羽の属将であり反乱を起こされたのは項羽だ。 >そのなかで韓信は占領将軍でありながら反乱らしい反乱を起こされていない。 >これは治世や軍政の巧みさがあったはずである。 斉は項羽によって大量虐殺が行われている。 韓信が占領する前に地ならしされていたことは明らか。 秦への反乱、彭城大敗後の反乱、呂后専制時代の反乱は原因がはっきりしている。 それらを引き合いに出しても韓信の政治手腕を持ち上げるのは無理があるだろ。
732 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/13(金) 21:01:00
孔明は好き嫌いが激しすぎだよ。 生意気なやつを高い位に就けなかったし、 しっそで口だけのやつを重用しすぎだよ。 やっぱり韓信を劉邦に紹介した、 しょう何が最強だな。
く ま
734 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/13(金) 21:09:57
若い時の曹操が最強だろ!!
735 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/13(金) 21:16:17
ごめんなさい… ほんとは三国志なんて嘘なんです さよなら
孔明の人事面での失敗って馬謖くらいしか思いつかんが それも贔屓の馬謖を斬った公正な逸話だし
本当に公正だったのかはおいといて 李厳と廖立は人事面での失敗だろ
739 :
平民バカ :2006/10/14(土) 01:06:48
史記も小説みたいなもんだからな。 連合軍がぼろ負けしたとき韓信は大元帥でなかったから悪くない事になってるけど、 漢中王から軍権預かってるくせに何やってたんだと思うし。 劉邦が必死に戦ってるときに支援の手は打たないし。 蕭何が兵站を担当してくれて、 劉邦が自分を囮に各地で転戦してくれて、 レキイキや張良が韓信の武威を巧く宣伝して諸侯を脅しまくってくれたから、 韓信は連戦連勝できた。 無能ではないけど大村益次郎とかディープインパクトみたいに敵にも味方にも恵まれていたとしか思えないね。
740 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 01:11:35
そもそも大元帥って何よ
横光のマンガネタだろ
大元帥(笑)
諸葛亮はショウカと比べるべき存在なのかも知れんね。
745 :
656 :2006/10/14(土) 03:18:13
>>731 そういう面も確かにあるかもしれないですが
三国時代より反乱が日常的に起きる時代で
反乱を起こされて無いということです。
>>739 史記が物語的な側面も確かに持ってるけど
それでも正史よりははるかに・・・。
ほとんど知らないのですが正史にすら幻術やら
妖術やら出てきますよね???
正史が「事実」というのは史記より無理があると思います。
>>744 だったら政治面ではなおさら勝てないんじゃ・・・
軍事はやってないから完全に未知数だし。
746 :
平民バカ :2006/10/14(土) 06:14:10
韓信の派手な功績のほとんどは伝承みたいなもので、砂嚢の計とか何の証拠も残ってない戦いで、竜且将軍とかも実在したかどうか分からない。 木おけの船も浮力の問題で一人の兵士にいくつもおけが必要で現実みに欠ける。 史記は、他にも縦横家の張儀とか、実在が否定されてる人間が多数登場する。 そもそも、韓信の登場以前から劉邦は秦軍や項羽より戦が巧かったと言われている。 はっきり史実と言えるのは劉邦軍の別動隊を率いた韓信が斉を滅ぼして王になり独立した事ぐらい。
747 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 06:35:40
劉邦は七十二回項羽に負けたんじゃなかったっけ?
748 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 07:02:57
しゃらく
>>656 さん、一度中国通史を読んでみたほうがいいんじゃないか。
>>史記が物語的な側面も確かに持ってるけど それでも正史よりははるかに・・・。
ここの一文が痛い子になりかけてるので…。
>>正史にすら幻術やら 妖術やら出てきますよね???
二十四史すべてを網羅してないのでアレですが、どこの時代のどのあたりか詳細がわかれば、すぐ調べられるんですがねぇ。
ちなみに史記や三国志を初めとした歴史記録の編纂作業は、それを執筆する人物の腕の見せ所になるので、味わい深い文章になってることがある。それが現代小説ふうや物語風と思えるのかもしれない。
「三番目の戦力をもってるから独立しなさい」と 「至強に対抗するため、まず三番目になるための戦力作りから始めましょう」だと 随分立地点が違うと思うんだが
751 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 12:58:52
>正史が「事実」というのは史記より無理があると思います。
正史とか史記は「事実」ではなく「史実」。
>>745 の発言で一気に評判落としたな。それまではそこそこ良かったんだが。
752 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 13:04:44
>>746 実在が怪しまれてるのは蘇秦の方じゃないの?
張儀が自分の凄さをより際立たせるために作り上げた虚構の存在という説なら聞いたことある
史記が史実なら砂嚢の計等も含めて史実になるな
>>753 とりあえず「史実」と認められている。
史実は、あくまで後世の人間が認定したもので、「事実」かどうかは確認のしようがない。
物証等の研究で、より事実に近づくのが歴史学。
【史実】 歴史上の事実。「―に忠実な小説」 [大辞泉] 歴史上の事実。 [大辞林] 史実と事実の間に決定的な違いがあるとは思えんが 三国オタの間では演義批判から正史=史実とする誤用が多々見られる
う〜ん。 そういわれると史実と事実の違いは少ないか。 三国オタにかぎらず、「史実では…」という引用はよくみられるから、明確な違いがあってもよさそうだけどな。 とにかく、正史二十四史は歴史事実を書き留めている史書として認定されたのだろう?
仮に「史実」の意味が
>>754 のとおりだとしても
>>745 は正史が「事実」とは異なると言ってるだけだから
>>751 の批判は完全に的外れ
正史に幻術やら妖術やら出てくるくだりは事実かどうかわからんが
幻術妖術の類はよくわからんけど、頭に矢が刺さっても生きてるとか、そういうのはよくあるわなw
759 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 18:16:28
ってか孔明ってなんか実績あんの? 戦争指揮官として。
無いと思ってる759は素人
761 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/14(土) 18:24:03
おいおい二人とも空想の人物だぞw
762 :
平民バカ :2006/10/14(土) 19:41:51
>>759 五丈原で徹底的に司馬懿が守りにはいる原因となった戦いは、
魏延、呉班、高翔を次々に繰り出して首級三千をとってボロ勝ちしている。
少ない兵力で多方面に進軍の可能性をチラつかせて、魏軍を少なからず混乱させたし、
無理な占領統治にこだわらず、占領地を放棄することにも躊躇いはなかったし、
遠征による国内の不満をそらすために、
数的不利にあっても形の上の勝利を確保する知恵があり、確保できる能力もあった。
漢晋春秋だな、正史では逆に大敗してる。 信憑性はどちらが上とも言えないだろうけど…
まぁあれだ、韓信は早く天下統一しすぎたんだよ。 孔明みたいにゆっくりと勝ち続ければ長生き出来たのにな。
平話だと、韓信の生まれ変わりが曹操だよな
766 :
656 :2006/10/15(日) 22:54:06
>>749 >>史記が物語的な側面も確かに持ってるけど それでも正史よりははるかに・・・。
私がここで正史といってるのは三国志部分の正史のことです。
三戦板で正史といえば一般的にはそうでしょう。
もちろん二十四史の一つに史記が入りますよね。
そういう意味で誤解される文章でした。
ただ、史記は物語風になってるところは多いと解釈していますが。
刺客列伝などは多分にそういう色を含んでいると言えませんか?
767 :
656 :2006/10/15(日) 23:03:00
えー三国志正史を意外にも詳しく知っている人がいないので (ちなみに私も知らないので)なんともいえませんが 幻術やら妖術については例えばサジとかが出てきたような 気がします。そういう意味でむかしちら見した「三国志正史」 は「太史公書」よりも事実から遠ざかっているなあと感じたことは ありました。
三国志で左慈が出てくるのは裴松之が注をつけた部分で正史本文ではないよ 立伝されてるのは後漢書
769 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/15(日) 23:24:38
管輅とかねえ
770 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/15(日) 23:46:50
正史が事実よりも遠ざかってるって 黄忠や馬超の没年とかの事言ってるのだと思ってしまった 最近よくいるじゃん 正史厨に間違い指摘された演義厨がファビョって 他人の受け売りで「正史は事実ではない」と叫びまくってる基地外が
>>656 正史というのは後世の人間が、認定した王朝の記録であって、より事実を記しているであろうもの。
いわゆる一次資料なわけです。
司馬遷は各地を旅し、残された記録、地方でみつけた文献、言い伝えやらを総合して、前漢以前の王朝史その他の記録を記した。
秦代の焚書は有名で、それにより多くの貴重な竹巻が損なわれたために、ある種現代小説モドキな文章が要求された、あるいはそう意気込んだか…
正史というものを、そう堅苦しく考える必要はない。あれは読むと結構ワロス部分もあるから(やたら士大夫のかっこうを仔細に描写していたりとか)。
そこから読み取れるものには限度があり、裏をとるために正史以外の資料や記録、出土品に頼らざるを得ないわけです。
だから現代科学(歴史学含みですよ)で、ある程度確立された「通史本」を読んでみたほうがいいと、おせっかいしたわけです。
772 :
656 :2006/10/16(月) 01:22:30
>>771 実は秦が統一する以前までしかもうあまり興味を持っていないです。
三国時代も昔は好きでしたが・・・。と、なると春秋戦国以前の
資料はほとんど史記しかないことになりますね。
物語性が強いところも含めて史記は好きですが。
まあ話はそれましたが私が述べた韓信像は史記に頼っています。
史記の韓信はそれなりに信憑性がおけると考えています。
とりあえず、韓信自信を含めた本紀・世家・列伝読んでも
突拍子もないことやありえないだろと思われるような記述は
ないと思います。
先ほどの刺客列伝などはドラマ性が高すぎてちょっと本当かな
と思ってしまうところは多々ありますよね。
>>771 一次資料というのは当時の人が残した記録についていうのであって
後世の人が書いた記録は一次資料とはいわないと思うが…
>>773 まぁそうなんだが、司馬遷以前がまとまってない以上、我々にとって史記が一次資料にはならない?
疑わしき一次資料でFA
それを否定するヤツはいないだろう。
777 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/16(月) 20:05:56
司馬遷の祖先は周代には記録係の家系だから ある程度の一次資料を備えた上で「史記」を書いたのだろうな ところで「史記」のどれだけの部分が司馬遷の父司馬談が書いたのだろうか
778 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/16(月) 20:11:13
司馬遷の自叙の先祖んとこを素直に信じるのは浅はかだろ ありゃ美化の権化だ 秦の小役人の家が周の記録を持っているわけがない
779 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/18(水) 21:08:39
三國志は演義と正史の二つのフィクションがある。 しかし、正史は歴史として認められている。 だから事実である。 どんな歴史家も歴史の現場には立ち会えないから、それを否定することは全ての歴史書を否定してる。 ただ、演義にロマンを感じないタイプの正史ファンはむしろ歴史板にいくべき。 正史はれっきとした史書だし、演義の「何故カンウはソウソウを斬らなかったのか?」に対して、「作者の都合」とか答える奴は趣味としては三國志に対してあまりに侮蔑的すぎる。
歴史板の三国志(正史)スレは演義厨に荒らされてる最中な
なんで三国演義を歴史書と同列におくの? そもそもそこが間違ってるとなぜ気づかない。
いやみんな分かってると思うよ
いや明らかに解ってない香具師もいるよ
>>782 >>779 がそれを理解しているとは、どうしても読み取れなかったもので…
そりゃ、三国演義の話で盛り上がってるところに、「いや正史では…云々」と言われる伝統行事wにはうざいものを感じてしまうが…
だからといって、三国演義を歴史書かなにかのように昇華させようとするのは、いかがなものか。たぶん、原文なり訳本なりを読んだことがないんだろうな。
あれは時代劇みたいなもんなのに。
>>779 > 何故カンウはソウソウを斬らなかったのか?
歴史小説だからだろ
>>784 >三国演義を歴史書かなにかのように昇華させようとする
>>779 が言いたいのは、誰も当時を生きていたわけではないんだから
そーゆう意味では(極端ながら)物語も史書も違いは無いってことでは?
違ったらゴメン
787 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/18(水) 23:49:57
>>774 亀レスだけど、
『史記』は、同時代の人間による生の資料=一次資料を踏まえた上で書かれたものと思われる。
こうした資料を一般的に二次資料と呼ぶ。
ちなみに歴史学における「資料」は、「史料」というのがより適切。
>>786 >>779 の言いたいこともわからんではないのだが…
まぁ、演義派も正史派も、もっと大人になって愉しめってことかな。
いやぁ、おせっかいしてすまなかったね。
>>787 同一人物なので、お礼をば。 例えば、史記を基にして書いた小説等では、参考資料「史記」だけど、これは二次史料と呼べばおkなわけですね?
>三國志は演義と正史の二つのフィクションがある。
>しかし、正史は歴史として認められている。
>だから事実である。
これは思いっきり誤解を招いている発言だという事になぜ気付かない?
できる限りノンフィクションを後世に残す事を追求するスタンスで成立した正史と
できる限り面白いフィクションでエンターテイメントの娯楽性を追求して成立した演義を
同じフィクションで一括りにしようとする姿勢、それに
>>781 が一石投じているのになぜ気づかない?
>>779 は壮大な釣りをきどった人か、さもなくばキチガイだろう
>>788 『史記』自体は二次史料だけど、もし司馬遷を研究するのであれば『史記』は一次史料となる。
792 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/19(木) 00:47:07
昔大学の教授に史記は一次史料なんですか?って聞いたら 「春秋戦国時代に関する記事については厳密な意味では一次史料とは言えないけど 中国史研究者の間では一応一次史料と同様の扱いをしている」的な事を言ってた
時代が古くなればなるほど真に一次史料と呼べるものは少なくなるからね
「三国志」において正史も平話も、それから派生した演義も同列だろ
演義は史実じゃない、というのはわかる。
けれど、演義が三国志じゃないというのは理解できない。
演義も三国志、正史も三国志、どちらも三国志という物語ではないか。
いくら正史に忠実なドラマを作ったってノンフィクションとはいわないだろう?
>>791 人々の伝承ってのはどのくらいなのですかね、
史記は伝承をもとに選りすぐった内容ですよね。
あれが2次史料ということは人々の伝承は1次史料ってことですか?
ははは。
これはひどい
796 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/19(木) 02:03:44
なんで三国正史を物語と同列におくの? そもそもそこが間違ってるとなぜ気づかない。
>>797 794ではないが
世の中には三国志というドラマと史実である正史が並列して存在するので
物語の演義を三国志ではないと否定するのはナンセンスという事ではあるまいか?
誰がそんな否定をしている? 被害妄想か? 考えすぎなんと違うの。 少なくともおれは、演義も史書も、両方の三国志が好きだ。 もとは柴練三国志から足を踏み入れたが。
いや「正史を物語と同列におくの」という疑問に答えて
つまり
>>794 は、三国演義は三国志ではない、と言われたわけだ。
言ったヤツがバカだけどな。
そういうやつが三戦にいっぱいいるからね。 なぜ兀突骨の考察は素直にできるのに、馬謖の考察になると正史に書かれていない虚構だといいだすのだろう。 いや、もちろん虚構だと言うだけならいい。 あきれるのは、それを理由に評価を決める一因にしないことだ。 スレタイにもどこにも正史準拠なんて書いてないのに、 三国志=正史って基本概念を抱いてるやつがどうしようもない。
いや、まぁ。 三国志=正史(あるいは史書と言っておこうか)が基本概念でなければならない。 あくまで現実世界で起こっていたであろう事象を記したものが正史であり史書なわけで、三国志(魏書、蜀書、呉書などまとめて三国志)=三国時代というのは、それに基づいているのはわかるでしょ? だが、そこからそれら現実にあったであろう事柄をまとめ物語ったのが「三国演義」(あるいは三国志演義)なのであって、羅貫中は正史三国志を参考にはしているが、厳密かつ緻密な歴史考察はなされていない。 ぶっちゃけ、勉強不足とさえ非難される。 のであって、こいつを現実世界の歴史として考察するときの史料には、ふつうならないわけです。 とはいっても、コーエー三国志や、今出回ってる三国志関連の本などは、基本三国演義が根底にあるから(どうであれ参考にはしている場面があったりする)それらの話題の最中に、正史云々とするのは空気読めなさすぎ。 正史厨とやらのお知識披露でしかないと思う。 なにやら長文になっちゃってごめんね。
例えば兀突骨。 彼が実在の人物かどうか、は0にはならないとはいえ限りなく否だろう。 では三国志の登場人物か、といえば否だろうか? といえば理解できるでしょうか。
>>804 言ってる意味がもひとつわからんなぁ。
兀突骨自体のことはよく知らんが、架空なら架空の人物でいいんじゃないの?
小説等にはよくあることじゃないか。そのモデルが雲南以南の別民族であっても、それにインスピレーション受けて登場させたんならおkでしょ。
正史にそのまんまの記載はない、というだけで。
俺は兀突骨も三国志の登場人物だ、という仮定のもとで 三国志=正史ということは、兀突骨は三国志の登場人物じゃないということになる。 それは仮定に反するじゃないか、つまり命題の三国志=正史は間違ってる ということがいいたかった。
じゃあなんで、「三国演義の登場人物だ」って言わないのか。
最近スレタイから外れた話題になってるな。
じゃあなんで、「正史三国志の登場人物だ」って言わないのか。
登場人物というのは物語に出てくる人物の事であり 正史に出てくる人物は「正史三国志に伝記されている人物だ」が妥当か
三国演義も三国正史も、略して「三国志」と呼ぶから問題なのだろう。 フェラーリとフェラ○オを、略して「フェラ」と呼ぶのと同じぐらいの誤解が生じるな。 これからは三国演義も三国正史も、「三国志」という言葉を使用しないで、 それぞれ「三国演義」「三国正史」と呼べば全て解決。
「三国正史」などというもの存在しない これは間違いない真実
813 :
779 :2006/10/19(木) 21:45:14
正史をフィクションと言ったのはあくまで正史が真実そのものではないが、ってこと。
正史は記録書というより紀伝体である伝記であり…ただ、こんなのは
>>779 全体の枕詞で、オレが言いたいのは演義を語るにあたり、「真実はこうだったんだからそりゃ作者の都合に合わせただけ」って考えは、それこそ正史と演義を同列に考えてる。
誰かが上からの視点で考えてるから、演義を前提に語ろうとすると、それを真実にしようとしてるように見えるだけ。
演義だってヤンウィリーがトールハンマーを無力化したくらい「事実」。そのときあの作戦は…って語るのに対して、あそこで負けたら物語が進まないじゃん!って考え方を否定してるんだよ。
銀河英雄伝説だっけ
>演義だってヤンウィリーがトールハンマーを無力化したくらい「事実」。 >そのときあの作戦は…って語るのに対して、あそこで負けたら物語が >進まないじゃん!って考え方を否定してるんだよ。 言いたい事はわからないでもないけど、こういう考えが痛すぎるって 言われてるんだろ 田中に毒された子が全員ヤバイ子になるとも思えないが、さすがにね…
>>781 の言ってることで問題ないと思うんだけど。
それが分かってない人がひとりいるってことなんかな。
正史銀河英雄伝説スレを思い出した
>>816 もう一人は三国志という形態であれば演義も正史も同列と考えているんだと思うよ
この考え方は一つの味方として正しい
>演義の「何故カンウはソウソウを斬らなかったのか?」に対して、「作者の都合」
>とか答える奴は趣味としては三國志に対してあまりに侮蔑的すぎる。
>>779 のこれが意味不明。
ひたすら「正史は捏造」とか喚いてるキチガイと同レベルにしかみえない。
銀河英雄伝説を例にとったのは我ながら痛いけど、演義の内容を議論するのは映画の物語を議論するようなもの。 まず正史ありきだとそれが痛い話題に感じるんじゃないか? で、あくまで正史ありきならば、世界史にいくべきだと思うし、正史にはその資格がある。
とはいえ、議論する時は正史準拠でなければ話にならない
演義準拠じゃ話にならんけど 必ずしも正史に準拠する必要はないだろ
演義だと主観が入りすぎてな、議論にならんと思う
824 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/19(木) 22:57:46
韓信と比較するんでしょ? だったら正史準拠でしょ
正史も主観入りまくりの件について
武帝、先主、孫権じゃ客観性も糞もないわな
827 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/19(木) 23:43:41
主観の入ってない史書なんて無いよ
×孫権 ○呉主 じゃね?
それだと、武帝でのうて太祖
まぁなんだ。 このスレでは少なくとも、正史同士の比較でないといけないわな。 三国演義の諸葛亮は神なんだから、韓信が勝るはずがないわけで。 と、いうわけで、ここでは演義の話はなし。 また、演義の中の人物で話題が盛り上がってるところでは、正史の記述を持ち出すのには慎重にすればよろし、とそれでいいだろう。
孔明の凄さは、天下三分の計の発想力に伴う先見の明にある。 天下三分の計はゲームのように、三勢力が生き残り覇を争うことではない。 中華を中華で無くすこと。いわば中国の解体だ。 また、孔明と他の政治家は同列には語れない。益州は蛮地でありかつ孔明の故郷ではないし、コネすらもたない。三國時代、全くの異郷で成果を挙げた政治家はあまりに少ない。 漢書を読んだことないからカンシンはあまり知らないが、政略なら負けないんじゃないか。
演義基準で語る場合
吉川ではこうだけど北方ではこうだけど
原文の三国志演義ではこうなっていると語るのが正しいんじゃないだろうか?
>>832 韓信の場合
諸葛亮以上にコネが無いと思うのだが
韓信に政略なんてないだろ
>>833 演義基準というよりも、出典、論拠をあきらかにするのが、混乱を少なくできるだろうね。
>>天下三分
そこまでつきつめて考えたことないけど、どうも戦国期のような国が並立する思想がその根底にある気がするのだが。
それに後漢初期では三国時代を凌ぐ皇帝の乱立があったし、規範とすべき前例は多かったように思える。
また諸葛亮や劉備の狙いは、公孫述の前例に倣い、四川一帯と南鄭を統べ、隴西との連携を考えていたように思える。
公孫述は隴西軍閥との連携を欠いて、劉秀に各個撃破されたけど、戦略的にみて採ってもいい戦略だったのじゃなかろうか。
で、そのためには荊州(江陵)の確保はなくてはならない…(わき腹の玄関口だからね)
諸葛亮の発想、構想は稀有だけど、独創というわけでもないと思う。
ただ、歴史的に見て成立する必然性が皆無に近い流浪の集団を、四川征服王朝にしたてあげたのはすごいと言える。(この場合は劉備の生命力がすごいのかも)
まぁ私見です。
劉備にしても諸葛亮にしても蜀にしても 新野から漢中戦までが一瞬煌いているだけなんだよね 花火大会で例えるとそれまでは作ってる段階で、 一発目がバーンと輝いて、そのあとは驚きに慣れちゃってつまらない感じ ちなみに韓信は股を潜るときが一番だよね
孔明は馬謖を推しておいて斬った事が一番か?
>>832 あれって周湯の天下二分の計を
魯粛が受け継ぎ、一時三分と改変したものを
孔明がパクったんだったよね
新しいものを創造するより
パクって研磨していく能力の方が優れてると思うんだけど
臨機応変って感じでもないし
>>836 股を潜った時はまだ凡夫だったから大したものではないよ
それを何度と無くネタにされる時が最高だね
全然、敵が降伏してくれないの
たまらんね
くまどこ?
呼んだか
地道に潜んでるね。
842 :
くま ◆puW3YMC99o :2006/10/21(土) 01:22:37
な、俺の言うとおりになっただろ?
オレのいう通りにもなった。
844 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 01:26:13
蜀を根拠地として天下三分するというのはやはり無理があると思うんだよね
845 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 01:27:55
実は根拠は荊州だと思うんだよね
846 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 02:58:00
韓信=義経 孔明=竹中
847 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 03:46:03
848 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 13:03:54
>>797 そんな事したら三戦板に核の冬がくるぞ。
849 :
天皇兵か? :2006/10/21(土) 13:34:09
いいよね、蜀は
850 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 18:28:25
孔明って名前売るのに成功した石田三成みたいなもんだろ 過大評価されすぎてる 張良や韓信と比較するがショウカと比べるべきで張良のような戦略家でもない 現に孔明より人事眼あった劉備はその役割には法正やホウ統を任命してるし 蜀攻略も漢中攻略も法正の功がほとんどで、法正が死んでから蜀は軍事的には成功してないし 劉備が呉攻略で大敗した時も孔明は法正がいれば止められたし大敗はしなかったと言ったらしいし
851 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 19:03:22
言ったらしい?(°Д°)ハァ?
852 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 19:09:43
853 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 19:15:19
確かに
孔明しか知んないから孔明に一票
855 :
無名武蒋@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 19:38:23
856 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 19:46:04
韓信=義経 諸葛=三成
孔明孔明て呼んで、孔丘の親戚扱いしてるつもりかね。
859 :
無名武蒋@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 19:52:15
三国志のゲームおよびマンガ中毒者は、諸葛亮をあざなで呼びたがる傾向にあることを、皮肉ってると思われ。
日本じゃ孔明と呼ぶのがもともと一般的だったろ 「今孔明」、「孔明の嫁運び」、「死せる孔明、生ける仲達を走らず」などなど むしろ最近の作品で諸葛亮と呼ぶことが増えてきた。
演義での呼び方がそもそも孔明だしな
862 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 20:02:35
創価こと公明の完全犯罪 公明は鳳統、法正、李厳、関羽、魏延など自分より優れた実力者をみな殺し 馬食や姜夷など自分が扱いやすく小さい人間を引き立てさも自分が凄い人物かのような創作をしたのである
>>860 ほとに? それこそ後代の作品に影響された結果広まったものじゃないの?
まぁ、日本では中国のあざなを名とする向きも少なからずあるでしょうね。
「孔明」だって、いわば「信長」とか「政宗」みたいなものと思ってるわけでしょ。
>>861 ふつうは諸葛亮。あるいは諸葛、単に亮など。武侯というときもある。
劉備とか他人が物語中で呼んでるのが孔明。
>>859 しかし、たかだか名前の呼び方に拘るのは下らないねwww
どっちがくだらないんだか
>>866 孔明とか読んでおれは字知ってるんだぜってやつのほうがくだらない
>>860 「死せる孔明、生ける仲達を走らず」の出典がなにか知らんが、
『三国演義』では
「死諸葛走生仲達」となっていて、悪役司馬懿のほうだけが字呼びとなっている。
出典は一般常識だと思われ
>>870 “す”が“ず”になってたぜ
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
それはそうとして日本では孔明と呼ぶのが一般的だったと言ってるのだが
だから、それってあざなを名前かなんかと同義と思ってるから、そう広まったのと違うのか? と言ってるわけで。 違うなら違うで、孔明という呼び方に親しみが篭っていていいというなら、もうそれ以上語ることはなにもないがね。
孔明を諸葛亮と呼ぶのが日本で一般的になったのは 光栄のPCゲーム「三國志」が出てからだと思われ
そんなことはないと思われ
>>874 IDないから、誰が誰かわからんなったが、今確認してみたけど、柴練でもおもくそ「孔明」あと「仲達」。そのほかは趙雲とかフルネームで書いてるのにね。
ああ、あと天地を喰らうとかでも「孔明」だったっけ?
そういうの、よく目にする。
諸葛孔明は一発変換できるが諸葛亮はむり
>>877 一発変換は重要だな。 「こうめい」がいけるところがなんともかんとも…
まぁ、日本ではそんなところか。
>>878 まだ持論を拝聴してはおらんが? 他に主張することはないか。
以下グチ
概説書の類でも「諸葛孔明で知られる云々」とあるが、孔明だけってないんだよなぁ。
あざなが伝わってないのも多いんだから、表記は姓名でいけばいいのに…
つ項羽
愚痴、チラ裏と書けば何でも許されると思っているのをちらほらと見かけるな
>>882 まぁおれは今回初めてだがね。 他ではやらん。
このスレは定期的におもろい流れになるから、ジョークもいいだろう。
>>881 項羽は中国でも項羽だよな。 史記のせいか?
>>880 呼び方ごときにわざわざ拘るな。無駄な労力wくだらねーw
>>884 呼び名が中国でいかに重要か認識していないようだな。
だからくだらんとか言ってるのか。
>>885 認識してないのは一般的な日本人だと思われ
従って貴方の認識が異端であると思われ
ならばよし!
>>885 中国ではという言葉には( ゚Д゚)_σ異議あり!!
中国の一時代ではだな
時代毎、職種で呼称の重要性は変わる
日本でもそう
日本人て姓名だけだからな。 外国みたいにミドルネームとか無いから 外国の名前の文化の違いがわからないので仕方ないか。
昔は日本でも忌み名の概念はあったよ。 でも現在の戸籍方式導入にあったて姓と氏を混同し、苗字という単一概念を生み出し、 元服や状況の変化に合わせた改名を廃止し、名前を生涯唯一の識別コードとした。
>>889 まぁ、官にあるものの場合、その呼び方は姓と官職名であって、名前やあざなは親兄弟くらいの限られた関係でしかないでしょ。
肉親の道徳観は日本とはずいぶん違うから、判りにくいのだろうけど。
一般庶民ではあざなどころか、二とか三で呼ばれてたそうだし。
>>892 つ劉邦
庶民出なので名前も字も曖昧なので
兄貴の意味程度の邦をつけた
日本でも時代によっては呼称は厳格
894 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html :2006/10/21(土) 22:24:32
『タダで有料ネットゲームをやろう』 1時間で千五百円の現金とかWebMoneyが手に入ります。 フリーメールOK&mixi紹介もあり
895 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/21(土) 22:28:11
>>893 それは間違いだよ
「邦」に兄貴なる意味はない
劉氏は裕福な家
劉邦の兄や弟にも名があるがそれらはどうなる?
>>893 かなり特殊な例だと思うが… だが、尊んで呼ぶとき、漢高祖なわけでしょ?
それで誰かわかるから。
諸葛丞相、諸葛武侯等々、三国演義でもそうなってる。 なってないのは日本の改変小説みたいね。
>>890 日本にも字あったよ
たまに変換できるだの出来ないだので優劣決める人が出てくるけど、
当初のころはネタだったろうけど、最近は真性っぽいよね
ていうかさ、
>>850 や
>>859 みたいな一昔前の話されても困るよね。
諸葛亮は政治云々や蕭何云々、字云々、知識ころがしが大好きな中学生みたい。
精神面で成長してないのかな?
あのね、彼の活動をみてごらん。
どこをどうみたって曹操や陸遜、金正日のような統帥、元帥タイプだから。
>>897 知識ころがしというが、より正しい知識はもってないとダメだろ?
間違ってるやつは、その間違いを素直に認め修正していけばいいだけじゃないか。
それに、
>>859 のあざな云々は揶揄っただけだから、
>>850 と一緒くたにされるのは納得がいかんな。
>898 呼び方がどうであれ、 ここで話をするのになんの問題もないってことがわかってるなら それはごめんよ。
>>899 おれはもともと孔明と表記されていても、なんの文句も言ってなかったが
どっちでもよろし、くだらん。
といわれたので、それは違うといっただけ。
そういう、まぁトリビアかもしれんが、知識はおれは結構まじめに教えを受けたものだ。
おせっかいと感じたなら忘れて結構。
おれ孔子の名前が孔丘だって知ってるんだぜ。凄いだろ 孔明とか言ってたら孔丘の関係者みたいだぜ。4649!
へぇ〜
へぇー
このスレ、最初から参加してたけど、定期的におもろい流れになるのな。
韓信は字が無いのか どんだけ賤しい家の出身なんだか
907 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/22(日) 01:46:51
伝わってないだけ 史記や漢書を少し読めば字が伝わってないなんて珍しくないと分かるはずだ
908 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/22(日) 01:55:48
漢代以前は字を名乗るのは一般的ではなかったんだろうね
…え?
劉邦 季 姓は劉、名は兄ぃ、字は末っ子
911 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/22(日) 14:06:31
春秋・三国板初めてのぞきました。 もう少しマニアックかとおもってたら、普通でした。 思い出したいのだけど、思い出せない。だれだったかな。 「○○の一言は、万金に値する」 みたいなことを言われた古代中国のひとがいたけど誰か分かりませんか? 教えてください。 スレ違いすいません。
宋書(南朝)までを簡易検索かけたけど、どのことかわからん。 萬金と言っても、それまんまの記述があるわけじゃないのかな。 どの時代かでもわかればいいが…
913 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/22(日) 20:10:01
多分
>>911 が聞きたかったのは
「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず。」の事じゃないかと推測
そんなこと以前に春秋・三国板ってどこ?
【三国戦国板】を 【三国「戦国」(春秋戦国時代)板】と解釈したと思われ ここは本質的には光栄板だと思うんだが
そのとおり。 光栄板というか、光栄の三国志シリーズと信長の野望シリーズ板。 だからこそ同じコーエーとはいえ違うシリーズの無双で板違い云々となった。 戦国無双が出たことにより、 無双は三国志、信長の野望シリーズのアクションバージョンということになって今は打ち解けてるけどね。
917 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/24(火) 12:08:05
杜甫の有名な「春望」のなか「家書抵万金」の一句があります。 戦乱のときの家書は万金に値するって意味。
918 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/24(火) 12:20:52
杜甫だったけ?孔明の句を作った人。詳しくは知らないが
919 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/24(火) 17:37:47
920 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/24(火) 18:19:00
一人でがんばる孔明に乾杯
921 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/24(火) 21:34:43
孔明のせいで蜀に人材なし
なんでやねん
蜀に人材がいないってよくいうけど士太夫がいなかっただけだろ
924 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/25(水) 01:55:02
孔明の人を見る目がない扱えないのは有名 人を扱えうのは劉備以下
>>924 どこにそんな記述が有るのかと
まずは正史読め
逆の事が書かれているから
これだから2chで憶えた正史厨君
正史でこう評価されてました。
だからそれは正しいいのです。
>>925 くんはえらいね^^
くだらん煽りは抜きにして、正史でも諸葛亮は公明正大な人事を行ったというような記述で 人を見る目があるとか扱いが上手いという記述はあったっけ
>>926 正史ではといいつつ妄想で固めた理屈で押し通るよりは偉いと思うよ
>>927 信賞必罰の原則が正しく機能していれば自ずからなるし
魏延、揚儀のような優秀だが仲違いする阿久の強い人物も諸葛亮の元では力を発揮している
また「諸事に精通していて、物事に対してはそれぞれ根本を追及し、評価に見合った内実があるかを見極めて、虚偽ある場合は歯牙にもかけなかった。」とある
それは人の扱いが上手いということではなく、信用されてたってだけの話 人の扱いが上手いというのとは少し違う
>>929 「評価に見合った内実があるかを見極めて」
とあるのにか?
出師の表にある人事を見ても、見る目が無くて人を使うのが下手という評価になるの?
>929じゃないけど、その言い分は際どくないかな 馬謖がいるし
劉備だったら宝の持ち腐れだったもんな。
>>931 張飛に任せて城アポーン
劉備に任せて州アポーン
人間誰にも失敗はあるのだが
一回で全て帳消しか?
過労死で死んだのだから、物事を上手く進めてはいただろうが、人を上手く使ってはいなかっただろうよ
まずよく考えるんだ 劉備が全国から集めた人材は優秀だが諸葛亮より高齢だ 諸葛亮が集められるのは益州からのみ ハンデがありすぎる 基本的に劉章の時代のみの人材ぐらいしか量、質が集まらないのにな というか、呉の提督も激務で短命
936 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/25(水) 19:48:49
孔明の好みは秀才ばかり用兵に関して上手くないし
だから魏延重用で戦争勝ってるじゃねぇぇかぁぁ
>諸葛亮が集められるのは益州からのみ 羌維は涼州からだな
939 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/25(水) 20:04:45
孔明は総帥としては2流ようするに石田三成 どっちも頭脳が優秀で行政家としては適してたが所詮将の器ではない 魏延も孔明の為に戦ってたわけじゃないし
魏延重用は劉備の頃からの既定路線だし 抜擢した馬謖が失敗したのも龐統と並んで評価された廖立を腐らせたのも諸葛亮の人事が原因。 劉備や曹操は失敗しているけどそれ以上の成果がある。 諸葛亮の場合評価は高いけどそれを裏付けるだけの実績に乏しい。 ところで出師の表の人事ってのは誰の事?
流石に武闘派と対立してた三成と同等とは言えないねぇ
943 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/25(水) 21:19:34
三成の置かれた状況と孔明の置かれた状況が違うだけ 孔明の方が恵まれた状況にいたため忠臣として喧伝された 政治家らしくない潔癖さも共通してる
>>942 出師の表に出てくるのって郭攸之、費禕、董允、向寵くらいじゃない?
それだけじゃ足りませんかね?
諸葛亮が見る目が無くて人を使うのが下手という事に対する反証としても 人事がずらずら書いてあるという点でも不十分だと思う。
947 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/25(水) 23:46:04
劉備=秀吉 孔明=三成 魏延=清正 韓信=義経
>>946 見る目が無くて人を使うのが下手な人間が行った人事です
適正かどうか判断してみてください
つまり出師の表を読めだの偉そうな事をいっておいて、結局は
>>944 の面子だけで
言い切っちゃってるわけか
他の史料や記述には見向きもせんわけな
これはさすがに痛い子としか思えんわ
>>949 他の記述としては928で記述しておきましたが
ご確認いただけてますでしょうか?
だから、公明正大な人事を行うこと≠人の扱いが上手い、だと何度も言われているわけだが
>>952 出師で人事の実例を見せ
「諸事に精通していて、物事に対してはそれぞれ根本を追及し、評価に見合った内実があるかを見極めて、虚偽ある場合は歯牙にもかけなかった。」
という見極める力があるという評価記述も列してありますが
足りませんか?
諸葛亮の人の使い方に関しての疑問点は2つ 1つは馬謖だが、これは俺は特に気にしていない 重要なのは、死因が過労死と思われることだ 適材適所の配置だけでは人の扱い方が上手いとは言えないと思う
>>954 完璧、潔癖主義は個性の問題だからねぇ。
でも、寿命といってもいい微妙な年齢だったでしょうに。
ただ長く生きたから(なにかをなす時間があったから)優秀だと決め付けたりするのは、あまりに簡潔だとは思うでしょ?
諸葛亮の生きた期間、彼にしか為し得なかったであろう事柄で対比すべきでしょうね。
そういうところはどうよ?
あんまり詳しくないからあれだが、外征をほとんどしなかった五代十国の前蜀など、攻め込まれたら70日で終わったよ。
>>955 それは個人の能力であって、人の扱いとは別な話だろ
俺は諸葛亮は凄まじい努力をし、政治手腕に長け、戦略的にも長けていたと思うが、人の扱い方が上手かったとは思わない
因みに諸葛亮の没年齢は50〜60だったはずだから、当時のこの階級層としては早世と言えるのでは
957 :
平民バカ :2006/10/26(木) 15:41:18
蜀は滅亡寸前に武侯祠を建て、北伐の途上に亡くなった孔明の遺言とも言うべき王朝の公文書を公開した。 これが現在にまで一字一句形を変えずに残る。 後世の人々が古代の名将のデスクワークを目の当たりにできる珍しいケースだ。 開戦の理由と政治の責任者が陣頭に立つ理由を明らかにし、万一に備え後任者まで推薦しており、文意は明瞭でフレーズも巧み(危急存亡の秋とか) 諸葛亮に関する後世の評価(陳寿書も含め)は、前出師表という一次資料に基づくものだ。 こと孔明の事跡に関しては、歴史書の真贋はあまり問題ではないのでは?
>人の扱い方が上手かったとは思わない これって具体的には何をもって言ってるの? 馬謖だけじゃないんでしょ? もっと細かく言及すればいいのに
過労死とは過労から起こるものです つまり、人に任せることが出来なかったということでしょう 即ち、人の扱いに長けていないということとなる これでおk?
>>953 >出師で人事の実例を見せ
その人事がどれだけ優れていたことか・・・
諸葛亮の留守中は大過無いが、大功も無い、下手したら誰でもは言い過ぎだが
ある程度の人物になら普通にこなせる程度のことかもしれない
それで優れた人事と言われても・・・
>「諸事に精通していて、物事に対してはそれぞれ根本を追及し、評価に見合った内実があるかを見極めて、虚偽ある場合は歯牙にもかけなかった。」
>という見極める力があるという評価記述も列してありますが
>足りませんか?
馬謖という大ポカがあるのにこんな記述残されても・・・
陳寿の評価が間違ってる可能性は?
>>958 諸葛亮の南中統治に対する人事はほとんど失敗に終わっていないか
諸葛亮が評価した人材は失敗や殺されたりしていた気がする
馬忠の評価は劉備によるものだし
>>959 呉の周揄、魯粛、呂蒙も激務で短命
人を扱うのが下手だったんですかね?
>>960 それでも馬忠を南中統治に起用したのは諸葛亮なのだが
劉備さんが南中統治は馬忠しか居ないとか言ってましたっけ?
また南中統治に功績を挙げなかった人は劉備に評価されてませんでしたか?
劉備も張飛起用で失敗
曹操も劉備起用で失敗
ここらへんは無視されますかね?
特に曹操の劉備起用は反対されてますが
一回の失敗は全てがダメ扱いになりますかね?
>>961 地域特有の病気の可能性があるよ
それに職と仕事量が違わないか
>>962 南中が何郡あったかは忘れたが馬忠李恢以外失敗したというのに?
あと失敗した人材の劉備による評価は分からん、調べれば分かるかもしれないが
でも南中統治に起用したのは諸葛亮なのだから諸葛亮の人事に問題があったんじゃ
>>962 1回じゃなくて馬食の件と合わせて既に複数なんじゃ。
そういえば張翼を南中か何処かに派遣してやっぱり失敗させたこともあったような・・・
ここでは馬忠李恢が成功しているのに諸葛亮の人事評価にはならないらしい 駄目な所だけを見て、陳寿が間違っていて俺が正しい理論がOKらしいな 三国志は無かったよ派が正しい時代ももうすぐだ
呉と同盟を結ぶ時とう芝の前に幾人か送ったが失敗 劉備の評価したとう芝は見事同盟を成立させる 粗探しみたいだが探そうと思えばそれなりに出てくるんじゃないか? 人事での問題
とう芝は外交官として劉備に認められていたわけじゃないわけだが というか、劉備に認められていた人間どれだけ居るかわかっているのか?
>>967 半数以上が失敗しているから馬忠李恢の成功だけを見る方が間違っていると思う。
王伉も成功していたような気もするが。
>>967 反論できないからといってそのようなことを言い出すのはどうかと思う。
>>969 登*芝の前に呉に送られた人材達は失敗している、
そして彼らを外交官として送り出したのは諸葛亮なんだから
やはり諸葛亮の人事に問題があるんじゃ。
ただ最終的に成功させているから人事に関しては特別劣っているわけでも
優れているわけでもない程度でいいと個人的には思うんだが。
諸葛亮は難治の場所を成功させた事で名声が凄いわけだが その課程の失敗で、成功はチャラですって あんまりじゃないですか?
>>962 >劉備も張飛起用で失敗
>曹操も劉備起用で失敗
この辺は別にそれほどおかしなことじゃないから
諸葛亮の馬謖の抜擢と同格に扱うのはおかしいと思う。
劉備の張飛と後年の関羽に荊州任せるのも
他に任せられるような人物がいるかどうか
劉備と関羽張飛の関係を考えれば仕方がないんじゃないかと思う。
曹操の劉備起用や夏候淵に漢中を任せるのも
当時の夏候淵の地位と曹操の関係を考えればそれほどおかしなことでもない
(劉備は微妙だがw)
>>972 >難治の場所を成功させた事で名声が凄いわけだが
そんなことってあったっけ?詳しく
次スレは不要だな
>>972 ひょっとして南方のこと?
あれは反乱を軍事的に破ったけど統治には失敗して放棄しているみたいだから
過程は一部成功で結果は失敗が正しい評価かと。
と、君が思ったからサラダ記念館
とりあえず華陽国志・劉先主志には 「蜀の人々は皆、諸葛亮が優れた人物を巧みに抜擢するのに感服した。」 とあるな。 誰の伝だか忘れたが、これは正史の注にもある。
新唐書南詔伝のところに、南詔の太子が城を築こうとしたところに、諸葛亮が建てたという石刻があり、それには 「もしこの碑が倒れたら、蛮を漢の奴隷にする」 とあったそうな。 驚いた南詔太子は、倒れないように補強したという。 唐は南詔問題で頭を抱え、よく諸葛亮の南征が話題に上っています。前例に沿おうとしていたのかな? それに、人事人事というが、それでもって政権が傾いていない以上、必要以上に責めることはない。 曹操も襄陽、漢中と人事ミス(というか人材を得ていない)で失陥しているところや、情実で大権を与え余計な敗北を喫してしまった光武帝も、常に完璧な人事をこなしていたわけではない。
>>978 別に誰も下手だとは言ってないわけで
とりたて優れているというわけではないと言っているだけで
>>979 欠点ばかりをあげつらっているから、下手だと言ってるようにしか見えなんだわ。すまんね。
しかし、評価すべきところも挙げておかないと、そういう見られ方してもしようがないと思う。
しかも、相手である韓信には触れていなければ不公平というものではないかね?
>>980 この場合韓信は関係ないわけで
全体として見れば良い面と悪い面があるな、という評価で落ち着くわけで
単に全体を見れてないだけかと
え? 韓信は全国を統一させたw名臣で、諸葛亮は失敗した というところからの派生じゃなかったの? >諸葛亮の人事ミス論戦
983 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 19:32:00
諸葛は荊臭奪われた辞典でたいしたことない
すべて関羽が悪い。 そのあと死んだ劉備もあほ。 でも諸葛亮の思惑通り。 うざかった荊州の豪族は土地を取られ、邪魔だったやつらは皆死んだ。 これで天下は孔明のものになった。
>>980 諸葛亮の人事で評価すべき点というと無難な人材を無難に運用したに落ちつくんじゃ
概ね公明正大な人事を行った程度でさ、
(馬謖は別として)大抜擢など特に無く功績に応じて普通に任命昇進させていくような。
最もそれも乱世はともかく平治における人材運用としては非常に優れていると思う。
やっぱ馬謖の失敗がなー、普通に馬謖があの任につける程度の地位経験人々の評価を
受けていたのであれば、まあミスしたけど仕方が無いかで済むのだが・・・
夏候淵とか関羽は位階や君主との関係を考えれば仕方が無い面あるから
諸葛亮のミスとは同列に語れないし。
韓信には触れ様にも史料が・・・
ただ韓信の功績を考えれば人事に関しても人並み以上だったんじゃないか?
>>984 過労死するほど忙しい地方の天下なんか欲しいか?
馬謖を人事失敗の例に出すやつ、ありえないんだけど。
未来が読めないと人事が下手ってことになるのかよ。
優秀な人材に経験を積ませて使えるようにするのはあたりまえだろ。
経験値稼がなきゃレベルUPしないじゃん。
経験値を稼いでたら死んじゃったってこと、おまいらも経験あるだろ?
>>986 栄華を極めたいわけじゃなかった
才を生かした充実した生活をしたかっただけかもしれん。
自分じゃなきゃ天下を救えないとおもってただけかもしれん。
何が真の目的だったかはしらん。
ていうか、釣りにもなってないけど、実際、俺、孔明の思惑通りなんておもってないから、
つっこまないでくれ。
でも荊州奪われたのは関羽があほだからなのはたしか。
>>985 超重要なところに経験浅い者をつけたのは冒険で、それは情実が働いた可能性もあり、その点のみは非難はまっとう。
白い布に黒いシミという感じだね。
ふつうは取り返すことのできるレベルの敗北ではあるが… ただ、蜀漢には失敗を許容できる時間的余裕がなかったので、その失敗があとあと響くのも事実。
しかしそれ以外で、深刻な人事ミスが特に多いとは思わない。
ワンマンな宰相が、長く朝廷を留守にしていても揺らぎがなかったのは、実は国家機構が潤滑に機能している証左でもある。
先見の明的な派手な抜擢がなければ、評価できないというなら、これ以上語ることはないけどね。
>>987 いきなりの大抜擢はリスクを伴う。 多少推薦者にも自信はあったようだけど、その点で言えば他の普通の人事とは性格が異なり、成功しなければ非難を受けるのはしょうがない。
だが、それをもって全否定の種にするのはおかしい話だわな。
989 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 20:30:35
孔明は元々軍事の才能ないくせに用兵やったのが間違い 孔明は戦略戦術に優れていない 蜀攻略もやってない寒中攻略もやってない 刑臭の失敗もないし、劉備の大敗もない
三戦板から出て行けw
>>988 なんだかんだ言って
>>985 とほぼ同意見なんじゃないか
>>987 >経験値を稼いでたら死んじゃったってこと、おまいらも経験あるだろ?
馬謖の場合はとても経験値を稼げるような相手じゃないところで経験値を
稼がせたにあたると思う。
992 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 20:37:07
孔明の軍事的な成功は一つもない件 あえてあげれば南蛮ぐらい
>>985 とはそこで同意見になっただけ。 それまでは985が不必要に諸葛亮を責めていると、こっちが勘違いしていたみたい。
>>992 軍事的勝利? いっぱいあるでしょうが。
戦術的には勝利している。 北伐行では最終的に撤退はしたけど、壊滅もせずに無事帰ったのは指導者として得がたい資質。
戦略的にというと、かろうじて陰平、武都の切り取りがあるが、隴西一帯に支配が及ぶようなことはなかった。
994 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 21:27:15
宇目
>>993 985は自分だが今日このスレにレスしたのは985が初めてだぞ
文体や固有名詞人名の使い方などから判断するしかないが
夕方は結構人がいたんじゃないか?
996 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 21:32:02
魏延の策をとってれば成功したかもしれないのに 諸葛のせいで・・・
それはないだろうな 魏延スレに行くといい
>>995 まじですか? そのつもりでレスしてたよ。
999 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 21:40:24
1000なら中日逆転優勝
1000 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/10/26(木) 21:44:14
孔明は無能1000
1001 :
1001 :
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