1 :
無名武将@お腹せっぷく:
三国時代に優るとも劣らない中国史上の屈指の乱世五代十国時代。
この時代を舞台に、三国志演義のような小説を作るとするならば、どのような物語構成にするべきか?
黄巣の乱からかな?
第一部は黄巣の乱が中心だね。
最終部は、南唐の後主李Uが、開封に連行されて、軟禁された末に死ぬところで終わりかな。
ちょっと暗い結末だけど。
第一世代は、黄巣、王仙芝、朱温、李克用、李茂貞、王建、楊行密といったところだな
趙匡胤のおかげで5代のイメージはそれほど悪くないな。
趙匡胤は必要最小限しか殺さなかったからね。
>>1スレ立て乙!
前スレ
>>990にわろたwwwwww
ところで、まとめサイトの件はどうなってる?
この時代、三国志より個性的で面白い人物が多いと思う。
うまく体系的にまとまった物語を作ることができれば、
かなりのものができるはず。
五代
後梁(907年 - 923年)
建国者は朱全忠(朱温、朱晃)
後唐(923年 - 936年)
建国者は李存勗だが、事実上の建国者は父親の李克用。突厥の沙陀部族出身。
後晋(936年 - 946年)
建国者は石敬瑭。
後漢(946年 - 950年)
建国者は劉知遠。
後周(951年 - 960年)
建国者郭威。
十国
呉(902年 - 937年)
南唐(937年 - 975年)
呉越(907年 - 978年)
閩(909年 - 945年)
荊南(907年 - 963年)
楚(907年 - 951年)
南漢(909年 - 971年)
前蜀(903年 - 925年)
後蜀(934年 - 965年)
北漢(951年 - 979年)
他に河北で燕王を称した劉仁恭、陝西で岐王を称した李茂貞など
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/01(金) 23:41:59
後漢が滅亡したのは何でだぜ?
後漢の建国者劉知遠は建国翌年には早くも死去、
跡を継いだまだ若い劉承祐は有力軍閥の郭威を排除しようとしたが、
逆に叛乱を起こされ、混乱の中部下に殺されて後漢滅亡。
郭威が後周建国。
独眼流アゲ
そういや元祖独眼龍がいたのもこの時代だったな
黒い衣装で統一した鴉軍ってのも萌える
演義なら、必ずしも厳密に史実にこだわる必要はないし、
物語を面白くするための創作は大いにあり。
ただ、歴史上の人物を主役に据える以上は、
基本は史実に沿わなくてはならないし、
あからさまに史実に反する創作は許されない。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 21:39:53
第一部「黄巣の乱」の主役はこの4人
黄巣 王仙芝 朱温 李克用
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 23:24:47
黄巣の乱を描いた長安烈日って小説を読んだことあるよ。
科挙に落第した失意の黄巣が長安を去るところから始まる。
科挙に落第し、失意の中、酒店で自棄酒をあおる黄巣。
そこで同じ山東出身で、長安に科挙を受けに来て落第した王仙芝と出会い、
天下国家を論じて意気投合。
始まりはこんな感じかな。
長安烈日の設定を生かして、二人を密かに支援する商人のような存在が欲しい。
李克用ともどこかで出会うような場面が欲しい。
前蜀(903年 - 925年)
黄巣の乱鎮圧に功績があり、唐から蜀王に封じられていた王建が、唐が滅ぼされると四川で自立して皇帝を称する。925年
に後唐に攻め滅ぼされる。
後蜀(934年 - 965年)
前蜀を滅ぼした後唐より四川に派遣された孟知祥が叛乱を起こして自立し、後唐蜀王に封じられた後、934年に皇帝を称して
後唐から離れる。965年に宋に攻め滅ぼされる。
呉(902年 - 937年)
開祖楊行密は群盗出身だが、唐に帰順して節度使にまで伸し上がり、江南に勢力を築く。902年に唐より呉王に封じられる。
自立はしても唐の臣下の立場を貫き、後梁と争った。楊行密死後は、部下の徐温に実権を握られ、徐温の死後跡を継いだ徐
知誥に禅譲する形で滅亡。
南唐(937年 - 975年)
呉の実権を握った徐温の死後、その養子徐知誥が跡を継ぎ、呉から禅譲される形で建国。当初は国号を斉としたが、唐に変更。
江南に強大な勢力を誇り、文化的・経済的に大いに繁栄したが、北方を統一した後周の圧迫を受け、続いて宋に攻め滅ぼされる。
呉越(907年 - 978年)
無頼出身で、唐から節度使に封じられて浙江に勢力を築いた銭鏐が、後梁より呉越王に封じられる。西隣の南唐と度々抗争
するが、南唐が宋に攻め滅ぼされると、宋に投降する。
閩(909年 - 945年)
節度使王審知が、後梁に入朝して閩王に封じられる。王審知死後は内紛が続き、933年には独立して皇帝を称するも、
内紛は止まず、南唐に攻め滅ぼされる。
荊南(907年 - 963年)
後梁から荊南節度使に封じられた高季興が自立。弱小国であったため、後唐や後周、呉、閩、南漢、後蜀のほとんどの周辺国
に対して臣を称して安全を保った。963年に統一を進める宋に投降する。
楚(907年 - 951年)
唐の湖南節度使馬殷が、後梁に入朝して楚王に封じられる。その後、後唐、後晋、後漢、後周と五代の各国に対して臣を称し
続けた。馬殷死後は内紛が続き、951年に南唐に攻め滅ぼされる。
南漢(909年 - 971年)
唐の節度使で広東広西に勢力を持つ劉隠が後梁から南平王、続いて南海王に封じられる。跡を継いだ劉龑が913年に皇帝を称
して完全に自立、国号は当初の越から漢に。971年に宋に攻め滅ぼされる。
北漢(951年 - 979年)
後漢の創始者劉知遠が劉崇が、後漢の滅亡と後周の建国の際に太原で自立。北方の遼の援助を受けて、後周、宋に対抗する。
979年に宋に攻め滅ぼされる。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 23:27:58
初代はいいが、二代目から内紛でごたごた→滅亡ってパターンが多いよな。
作家の田中某氏がこの板の住人だったなら、
大喜びでこの企画に参加してくれたことだろう。
調べたら、羅貫中が『三国志演義』と同じく、『残唐五代史演義伝』なるもの書いているんだな。
このスレの存在意義が…
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/06(水) 09:46:32
まあ、いいや。ここはここで考えよう。
古典ではなく、近代小説の形式で。
主軸は五代の興亡に置かれることになるだろうが、
十国も上手く物語に織り込みたいところ。
ほうぼうで五代を語っていたわしに、居場所が…
ここに居てもいいでつか?
李存孝萌えだ。
趙匡胤については、飛龍伝っていう小説があるらしいね。
三国志演義だと、劉備が中心だけど、五代の場合は一人で続けられない。
最初は黄巣、次に朱温と李克用という感じで、最後は趙匡胤、
そして趙匡義と李Uが主人公になると思う。
>>24 どうぞどうぞ。
五代関連の人物伝をまとめて(と言っても穴だらけ)いるけど、実のところ唐の最末期や五代の中間期、はたまた中央とほぼ関わらない周辺国のことはよくわからないという…
山西軍閥、河南軍閥、河北三鎮と南唐くらい? 今出版されてる本でわかるのは。
李存孝のことなんて、ほとんど出てこないし…
最後に裏切ったヤツだから人気でないかもしれないけど、驍勇冠絶、万人辟易、張遼・甘寧に比す など、キーワードは萌えるものが…
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 06:36:07
面白い時代なんだけど、三国志に比べて全然関心持たれないね、日本では
だよなあ。尚武の雰囲気かと思えば
政治力で生き残る国もあったりするのに。
オムニバス形式の方が良いかも分からんね
関心はもたれて、結構研究文もあったり。 ひととおり出たから、もういいか、という感じがしないでもないけどね。
日本の戦国時代に比較できるから、人気は出ると思うのだ。
>>14 の「あからさまに史実に反する創作は許されない」となると、残唐五代史演義伝はヤバイね。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 22:45:20
いっそ、武侠小説風にしてやったれ。
丐幇誕生秘話なんかも盛り込んでやる。
>>31 疾走、趙匡胤。
開封だろ?? それじゃないか。
>>丐幇
いや、ソッコーWiki見て確認したけど、誕生秘話だったから首都外城のことかと…
五代期あたりに、そういう組織ばったものが形になったのかな。
関係ないかもだけど、劉知遠南下前には、方々で抵抗勢力(契丹への)があったけど、それまでの逃戸との絡みで、そういう組織の形成がなったのなら、おもしろい。
↑ いや、そうじゃないな。
そういう乞食の互助組織がすでに機能しはじめていたからこそ、あれだけのレジスタンス活動につながった、とした方がいいかもしれない。
連投スマン。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 16:46:45
五代の代表的な人物と言えば馮道
以前同じ乱世の宰相として孔明と比較している本を読んだことあるけど
なかなか面白かった
本のタイトルを教えてプリーズ
>>36 馮道は凄いね、契丹にまで仕えているんだから。
よほど信頼できる人物だったんだと思う。
>>36 郭崇韜とか桑維翰なんかも、結構よろしいよ。 諸葛亮というほど、長期に活躍はしないけど、軍政ともに手腕を発揮した名臣。
桑維翰は親契丹だから、ヘタレなイメージもたれるかもしれないけどね。 顔はおもしろかったらしい…
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 16:03:51
>>36 馮道と耶律楚材って、野蛮人の虐殺を止めさせたあたりが似ているね
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 20:47:44
どうにも伸びないね。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 23:33:00
>>40 漢人の馮道が契丹の皇帝に虐殺をやめさせ、
契丹人の耶律楚材がモンゴルの皇帝に虐殺をやめさせた、
って構造が何だか面白いね。
>>28 各国をオムニバス形式に〜ってのは
既に田中氏がいくつかやってるからなあ
そんな俺は馬殷萌え
検索してみたら残唐五代演義を編訳して公開してる人がいるね
まずはそれを読んでからだな
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 13:04:23
>>44 そのサイトの管理人さん、中国の唐末および五代十国史を普及させる一環として、
管理運営をしているって、俺たちの同志だな。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 16:23:56
良スレあげ!
47 :
国:2006/09/12(火) 16:57:10
「五代史」はかの欧陽脩の著書で、
大変な名文とされていますが……
その序文は全くの駄文で、今では
作者もわかっていないそうで。
欧陽脩自身で序文を書く、なんて
ことはどうしてできなかったんだか(T_T)
>>47 その序文というのは、どのあたりですか?
中華書局のは持っているのですが…。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 00:55:10
>>33 金庸の「天龍八部」は11世紀末が舞台だけど、
漢人の契丹人に対する憎悪がぞっとするぐらい生々しく描かれているね。
実際はあそこまでの対立感情はなかったとは思うけど、
相州での大虐殺とかを念頭に置いて書かれているんだろうね。
>>50 契丹ばっかりひどいことやってるワケじゃないしな。
趙在礼とか。 いやそれ以前に、節度使のほんとんどが任期中に取れるだけのものは取りつくそうって発想だったから、公の制度にのっとった分、たちが悪いかもね。
とはいえ契丹も容赦なかった…
どうせなら物語を10年くらいに凝縮しよう!!
そうすれば趙匡胤と朱全忠の一騎打ちも見られるべ
53 :
国:2006/09/13(水) 15:32:34
>>52 切り捨てるには惜しい人物が多過ぎる。
それに大長編小説になったって、いいじゃないか。
>>50>>51 >契丹ばっかりひどいことやってるワケじゃないしな
そのへん、金庸は、宋の官兵が契丹人の婦女子を虐殺する場面を描いて、
客観的な描写で、漢民族=正義のような中華思想を否定しているね。
要は、人は民族など関係なく、誰でも悪に転じ得る、と。
伊達に、魯迅と並び称されているわけじゃないんだと感心したよ。
>>53 つまり、「新五代史」自体が、欧陽脩の手によるものではない、ということ? じゃないわな…
序文といっても、出版説明(中華書局の)以外では、目次のあとすぐに本紀が始まってますが…
例の「嗚呼」で始まるアレのこと?
書自体には詳しくなくてすみません。 でも、それはすごい気になる話だ。
>>54 金庸のそれは読んでなくて申し訳ないけど、宋の時代なら、とにかく契丹や西夏などの「異民族」はこきおろすでしょうね。
五代のときはもう北方の垣根なんぞ吹き飛んでいましたから、強大すぎる国、という感じの認識っぽいです。
だから契丹の国家だって、五代十国王朝のひとつに入ってもいいくらいだと思いますね。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 14:52:20
あの時代に、現代ほどの民族意識があったかどうかだね。
知識人である士大夫層はともかく、
一般の庶民にとっては、民族がどうのこうのなんてあまり関係なかったんじゃないかな。
一般庶民どころか士大夫層にだって、五代時代は垣根が低くなってるよ。
廬文進や趙延寿、韓延徽とかは契丹から礼遇されてるしね。
あくまでも、北宋や南宋時代の儒教ばりばり士大夫層の主義主張なわけで、民衆、とくにその国境に近い人たちには当てはまらないのでしょう。
そういえば、衛青も奴隷時代は普通に匈奴の人らと暮らしてたというし。
このような良スレが削除対象って一体・・・
この板の自治会は最悪だな。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 20:49:51
だからローカルルールから時代制限を外せと何度言ったらわry
ここで言っててもしょうがないけど〜。
今どういう動きになってるのか知りたいが、他の下ネタスレよりはよっぽどいいと思う。
自治スレってどこ?
残唐五代史演義は、やっぱり黄巣、朱温、李克用等、
中原の五代の動きを中心に進むようだけど、
何とか呉の楊行密とか、蜀の王建も物語に絡むようにしたいね。
みんな魅力的な人物だし。
楊行密から徐知誥あたりの話は、かなりおもしろいと思う。
でも、絡むのは朱晃だけかな。
南唐になった後、中原王朝に対して間接的に嫌がらせしてるけど、軍事衝突は後周世宗の登場まで、まともなのがないようだ。
残唐五代史演義は、
「悪党に滅ぼされた王朝が、忠臣英雄の活躍によって再興する」
という物語の基本線に無理やり当てはめた話だから、色々と
構成が偏ってるんですよね…。
この場合、
悪党=朱全忠
滅ぼされた王朝=唐
再興した王朝=五代の後唐
なわけで、物語の8割が唐滅亡〜後唐建国に費やされてるバランスの
悪さ。
後唐が正義派のためか、李存孝が秋毫も犯さぬ名将として描かれ、
一騎打ちをやらかすエピソードも追加されてたりします。
実際に話を書く場合、残る後晋・後漢・後周をどう面白く郭嘉、が
問題ではないでしょうか。
67 :
国:2006/09/18(月) 12:26:27
>>55 >例の「嗚呼」で始まるアレのこと?
たぶんそれだと思いますよ。
あの序文がどれだけひどいかについては、
「典籍便覧」に次のような一節があります。
「欧陽脩、五代史を修む。
ある者、序を作ってその前に冠す。
王安石曰く、仏頭上あに糞を着くべけんやと」
王安石の毒舌バロス…
>>66 李存孝についてはそれなりに語りたいこともあるけど、残党五代史演義伝のそれはかなりキモくなってますね。
李存孝の本性は、短絡的思考と感情の爆発… 今でいうキレる子供みたいなもんだと思ってる(こりゃ誉めてはいないな)
でも有事のときの天才的攻撃力はすさまじいものがありますね。
沙陀騎兵に脈々と受け継がれる強い部分を象徴しているかのように。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:37:56
>>66 朱温を正義の英雄として描くのは難しいだろうなあ。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 09:37:37
朱全忠、これ全身忠義なりw
五代史に正義の人物を求めちゃイカン。
何人かはもちろんいるが、この時代は狂いすぎてますんで。
いっつも思うことなんだが、李克用・李存勗の率いる沙陀政権は、統治国でははちゃめちゃな内政しかしておらず、民衆からは徴発の名を借りた略奪がデフォなのに、よく領民からそっぽを向かれなかったな、と。
張承業や郭崇韜あたりが、それなりの善政をしいていたと思うが、太原府に敵の猛攻を受けたり、鎮州を巡る攻防で潞州も離脱し、幽州は半分焦土と化してもいるというのに、北に契丹うちには趙、南にむろん梁があって、よく生き残ることができたもんだと関心する。
山西軍閥の河南移行がなければ、そのあとの展開は望めず、郭威は潞州の一軍士として終わっていた可能性もあったりして。
その場合、柴栄は商人に転職していたかもしれないな…
領民からそっぽを向かれなかった理由ですが…。
武皇〜荘宗時代(前期)は、劉仁恭・朱全忠との三竦みが大きかったのかも
しれませんね。劉仁恭は契丹の防壁になってくれましたし、朱全忠は南の
楊行密との淮河周辺での戦役が、国力を削いでいたと思われますし。
一強が現れなかったことが幸いしたのかな、と。
それと、史書の表現が過大である可能性もあるんじゃないでしょうか。
例えば朱全忠が汴(ベン)に入ったあとで富裕な家の子弟を集め、
「廳子都」を作りましたが、本当に乱世でボロボロならば、そんなに
沢山の富裕な家があったとは思えませんし。
他の可能性としては、略奪の対象がどの程度広範だったか、というのも
あるかと。
盧程のように「豪右」と称される重臣は、同時に荘園の経営者でしたから、
そこは徴発(略奪)の対象にならなかったのではないか…と考えますが。
そう言えば、李嗣昭の財政面における重要性って、どの程度だったんでしょうか?
荘宗〜明宗期における後唐の経済力も気になりますが…。
不勉強でトンチンカンな意見、すいません。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 07:02:16
劉仁恭、十国の中に数えられなくて可哀想…
>>73 五代政権贔屓な記述は、考慮しないといけないでしょうね。
劉仁恭や燕を建国した劉守光の廬龍軍閥は東の脅威でしょうが、討伐の軍を起こすと李存勗はあっという間に降していますよね。
そのあと、南で梁と対陣しているとき、新領土になった幽州に契丹が攻めてくるという危機的状況だったのに、苦渋の選択で7万もの軍を割いて幽州に援軍を送っているあたり、どこにそんな底力があるのかと不思議。
(梁の内部がボロボロなのは内緒だ)
>李嗣昭の財政面
これに倣ってのことなのか、すでにそういう風潮だったのか、この後の節度使は基本的に私財の貯蓄に余念がありませんねぇ。時代を考えると当然ではありますが。
李嗣昭の奥さんは一体どう荒稼ぎしたのか、詳細が知りたいところですが。
李嗣昭の財産は、梁との長い戦いを乗り切るためには不可欠なほどだった、と言いますが洛州に遷都した後も、その遺産を使って軍隊の俸給にしようとか考えてたようなので、ものすごい規模だったんでしょうね。
しかし、一国があてにするほどの財産って…(株取引でボロ儲けした闇財産みたいなもの?)
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 12:15:58
普通に考えて、かなり国土が荒廃していただろうね。
特に華北なんかは、戦乱に次ぐ戦乱で人口もかなり減っただろうと思う。
>>76 そこで、呉〜南唐の登場ですよ。
南唐の最大版図は三国の呉の半分くらいだけど、密度(生産能力とか人口とか詳しくは知らんが)は上回るくらいあったと思われ。
この頃の華南はすばらしい。北がボロカスだっただけに…
あと、前蜀〜後蜀も四川引き篭もり組で、かなりの文化を誇ったものの。
前蜀は後唐の郭崇韜、康延孝コンビにわずかに70日でアボン
国力があっても、中の人の多くが無能で利権争いとか足の引っ張りあいしていたら、かくも惨めな最後を迎えるということですね。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 15:31:12
まあ、三国時代と比べたら江南の開発が圧倒的に進んだしね。
既に唐の時代に、経済力の中心は江南に移っていたらしいし。
安史の乱で、唐が首都を失いながらも滅びなかったのは、江南を確保していたから。
江南が乱に巻き込まれなかったから唐は滅びなかった、という側面はあるにはあるけど。
その安史の乱以後、緩やかにしかし確実に崩壊していく唐をみると、そうだと一概には言えにくいものがあるなぁ。
安録山の割拠した、廬龍・成徳・天雄の河北三鎮は五代初期の兵乱にも強く影響していて、晋王である李存勗が後梁を滅ぼせたのも、魏博天雄軍の精兵である銀槍効節都を親衛軍に編入した要因も大きい。
河北三鎮を支配下に納めた晋が、後梁の地の利を上回る優越の元となった安録山の遺産(と言っても、その遺産って朝廷にへつらうことのない反骨の気風なわけだが)は相当なものと思える。
梁、晋争覇のとき、江南の富は、淮南節度使から呉王となった楊行密、杭州での自治軍から抜きん出た銭鏐と、楚の茶王馬殷らによって分割統治されており、貿易流通以外では華北に物資が流れることはなかったようです。
江南に比して華北が荒れ果てた大地だった事情のひとつもその辺にあろうかと。
あと、後晋期では不幸としか言いようのない旱魃とか、そのあとの契丹南下とかすこぶる悲惨な政権です…
と、ずっと独り言つぶやいててすみません。やっぱ人気ないのかな、この時代。
知られてないだけだろう
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 00:01:11
知名度age
1日1レスというほどネタがあるわけでもないけど。
やっぱ好きな李存孝について語ってしまおうか。
李存孝は
>>66さんが言っているような「秋毫も犯さぬ名将」などではありません。
これは残唐五代史演義伝の中だけの話なのですが、たぶん当時から判官贔屓的な同情を受けていたのでしょうねぇ。
突厥沙陀という塞外の遊牧系民族であった李克用が、その勇猛さをあてにされて唐皇帝から、黄巣の乱鎮定を委託され南下を始めたおり、李存孝は近習として仕えていたようです。
「演義」では羊飼いの青年だった李存孝、初名「安敬思」は昼寝をしているとき駆っていた羊が虎に襲われたので、起き抜けにその虎を打ち殺した勇者として登場します。
岩波文庫「完訳水滸伝」の5巻33ページにある
「まさか、あなたひとりで虎を四匹も殺せるわけはない。あの李存孝と子路でも一匹ぶちのめしただけだ」
は、すでに李存孝の驍勇としての伝説が有名だったからできる話。
ただし、両正史にはこの話はありません。
雜劇に「雁門関に存孝虎を打つ」というのがあるそうです。
その勇猛っぷりに目をつけた李克用が、ぜひ仮子(養子以上の結びつきを要求された関係)としたのでした。
雁門を発した李克用はこのとき28歳の青年だったわけですが、李存孝はどうでしょう。
記録に年齢に関するものはなく、想像するしかできないわけですが、
李存孝が実際にその超驍勇ぶりを示すのは、もう少し後の西暦890年、反李克用包囲網が敷かれ朝敵となってからでした。
長いからつづく。
つづき。
今更朝敵にされてしまったことを、李克用が抗議するのも筋違いということで(さんざん反乱やら圧力やらかけてきてますから…)受けてたった李克用陣営は、
まず最近降ってきた李罕之という男が朱全忠に攻められているからと、李存孝を派遣しました。
李罕之はとても信用の置ける人物ではなく、李克用自身も「お前がワシのもとにいるのは、董卓のもとに呂布がいるようなもんだ」と突き放しています。
しかしこのときは、李存孝の急行が功を為し、朱全忠麾下の驍将・鄧季筠と張全義を撃破することに成功。
また唐の正規軍である孫揆の2000が要衝・潞州に向かっているからと、
李存孝は300騎だけでそれを急追し孫揆を擒えたので、潞州を孤立化させることにもなった。
そのあとで、李存孝は潞州に立て篭もる朱全忠側の勇将葛従周を敗走させ潞州を奪い取ったのでした。
側背を安泰にした李克用は、晋州に陣取る唐正規軍に攻撃を仕掛け、さんざんに打ち破ったあげく、ついに朝敵の汚名を武力によって返上させることに成功しました。
一連の戦いで戦功のある李存孝はしかし高い地位に任命されることはなかったので、せっかく自分が奪った潞州で逆ギレ略奪をして潞州の人から総スカンを食らいました。
さらにむちゃくちゃ仲の悪い李存信(李克用の仮子だけど李克用と年齢はあまり変わらない)と共同戦線を張らねばならないとき、
勝手に戦線を外れて李存信に「あいつは二心がある」と誣告されてしまいます。
身の危険を感じた李存孝は、本当に謀反をし、李克用の討伐を受ける羽目になり、戦後、謀反の罪で車裂きにされてしまいました。
李克用陣営の主砲とも言うべき李存孝が死んでしまったために兵力が一時不振に陥ったというのは有名な話だ、と宮崎市定氏も著書で書いています(文章は違いますが似た意味で)。
一体何を語りたいのかわかりませんね… まぁそういう武将です。
突厥沙陀部族は遊牧民だったようだけど、どれぐらい漢化が進んでいたのかな?
逆に言えば、どれぐらい遊牧民の風習を残していたか。
例えば契丹族の遼と比べたら、どのように違ったか。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 15:32:17
かなり前から唐に服属していたし、相当漢化は進んでいたはず。
それに自ら進んで漢化していたようだし。
それに対して、契丹人はある程度、自分たちの遊牧民の気風を守っていた印象。
おっと、世界史板にもありそうな質問ですね。
というわけで、そこまで学問的な解説はできませんが私見を言わせてもらうならば…
この時期、「漢化」ということにどれほどの意味があるか、ほんと疑問になってきます。
突厥(テュルク)の中で沙陀磧という砂漠付近で遊牧していた集団を沙陀というわけですが、その中の朱邪氏が陰山方面に流れてきて唐の傭兵みたいなことをやりつつ、暮らしていたわけです。
で、龐勛の乱で手柄を立てた朱邪赤心に国姓を与え優遇したのは周知のとおり。
朱邪赤心改め李国昌は朔州に鎮し、黄巣の乱のおりは唐朝に対しあからさまに叛旗を翻しましたが、程なくして鎮圧されています。このとき韃靼に逃げ込んでいます。
次に唐朝から招安を受けて、「なんでもいいから黄巣をやっつけてくれ!」と泣きつかれ、正規軍となって南下しますが、鴉軍の通った後はぺんぺん草も残らず… といった有様がよく似合うふうだったそうです。
いわゆるDQNな集団だった鴉軍は、容赦のない略奪を道々行いますが、いざ開戦となるとあきれるくらい強いんですよね。
だから唐もなにも言えない。実際、李克用の参戦で黄巣の乱は一気に収束に向かいましたし。
ただ、狼を除いて虎を放つに等しく、対抗馬として朱全忠を置き、李克用は晋陽に封じることになったわけです。
この時点では漢化どころか単なるやくざ集団だったわけです。
で、この河東節度使に任命されたとき、唐の目付けとして宦官である張承業がやってきます。
たぶん、この張承業の指導で漢化というより躾(笑)がなされたと予想します。
(つづく)
(つづき)
やがて唐に何度も叛旗を翻し、あまつさえ朝敵にすら認定されておきながら、唐を継ぐとまじめに公言したわけです。
ただ、「晋王」の時代はどうであれ遊牧民の気風はまったく抜けていないようです。
後方に、張承業や郭崇韜、そしてまだ無名ながら馮道あたりが国づくりを少しづつではあるでしょうが、やっていたからそれなりに地盤が整いだしたのではないかと想像します。
晋は後梁を圧倒した時点で「唐」の再興を宣言し、朝廷や制度は旧に復してしまいました。この辺で漢化したともとれなくもないですが、たぶん漢化したのは李存勗だけだったように思えます。
どちらにせよ、実力者が取って代わるという「下克上」な世情はそのあともずっと続いていくわけですから、「漢化」という言葉はまだ当てはまらないような印象ですね。
残唐五代は狂った世の中なので、一定の尺度が全然使いものにならないんですよね。日本の戦国時代みたいなもんです。
>>86>>87 丁寧な解説ありがとう。
三十年戦争のヴァレンシュタインの傭兵軍団を連想した。
>>88 ヴァレンシュタインは知らなかったので、Wikiで見るとなんか似てますね。
李克用も、当時唐の梁王だった朱全忠には、滅亡寸前まで追い詰められていますので、そのまま滅亡していれば対比させるのも面白いことかと思いますね。
ただ沙陀の底力というやつは、そこからがすごいことになってるわけで。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 17:56:25
そろそろスレの本題に戻るならば、
まず第一部は黄巣の乱で、当然黄巣が主人公。
腐敗した唐朝に対し、圧制に苦しむ民衆を率いて立ち上がった正義の英雄という位置付けにするかな?
となると、黄巣を裏切った朱温、鎮圧に従事した李克用の両名は悪の側に回るのかな?
朱温は終始悪役でいいかも知れないけど、李克用はちょっと位置付けが微妙かも。
李克用のバックグラウンドの説明はスレに沿ってるつもりだったが… まぁいいか。
『残唐五代史演義伝』のイメージが強いから、晋王軍を主役級にしたい欲求はあるけど、黄巣をとなると朱は裏切り者で、李は最強のライバル。
唐の鳳翔節度使(もとは宰相だったけど讒言受けた)の鄭畋は、李克用登場まえのライバル。
そんな感じ?
クライマックスとなるべき会戦は、
まず、鳳翔府近郊での会戦。 鄭畋?万VS黄巣軍のNo.2尚譲5万。→長安攻防戦へ。
続いて、梁田陂の戦い。 黄巣軍No.2尚譲の15万VS李克用の1万7千。→再び長安攻防戦へ。
最後は、大康〜西華〜王満渡の戦い。 李克用&朱全忠連合軍VS黄巣軍残党。
黄巣、長安確保してから官軍に勝ったのは長安攻防戦のときだけ…か。
後は、王建とか楊行密なんかを物語にどうにか絡ませたいね。
王建は絡むよ。
ただし、四川の話ではなくて、楊復光麾下の武将として、黄巣と戦う(駆け出しの頃)。
思うんだけど、第一部、第二部とかにしないと、ムリーな感じ。 上でもゆってるか…
楊行密は単独の物語かな。 淮南一帯を舞台に、孫儒(馬殷の上官)と激闘。 一度は本拠を明け渡すものの、やがてそれを吸収して精鋭・黒雲都設立。
江南を切り取り、呉越の銭鏐と激闘! 馬殷の楚とも激闘! もちろん朱梁とも激闘!
…このへんになってきたら、細かいとこはまだ全然知らんね。 列伝を追う価値は大きいぞと。
十国で一番暑苦しいのは楊呉かも。 あとは最弱勢力、荊南の高氏か。
朱温主役の方がみたい
ああっ、もうダメッ!
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96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 16:13:29
三国のメインヒロインが貂蝉なら、
五代は花蕊夫人かな
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:38:09
南唐の周后もいる
ヒロインかぁ
そういえば目玉な女性いるのかな…?
花蘂夫人は微妙だね。 五代というには遅すぎるし、北宋というには早すぎる(時代は北宋だけどさ)。
王建夫人のほうならいいけど、孟昶夫人のよりエピソードがないような。
五代前半ならば、李克用の嫁の、秦国夫人劉氏などはどうか?
色っぽいヒロインなどでは絶対なく、姐さんという名称がよく似合いそうだけど…
中盤は、郭威の奥さんで地主階級の娘、柴氏かな。
これは柴栄につながるエピソードで、美談街道まっしぐらという感じ。
さらに、その柴栄の奥さんで当時の名門節度使符彦卿の娘、符氏などもいいエピソードがある。
やっぱりヒロインは美女、それも悲劇に見舞われた女性でないとね。
その点、南唐の李Uの夫人大周后小周后の姉妹がいいと思う。
特に小周后は南唐滅亡後、李Uと共に開封へ連行された上に、
李Uから引き離されて宋の太宗の後宮に入れられたという逸話があるようだし。
李Uも最期も悲惨だったし、南唐滅亡でほぼ天下統一が果たされたわけだし、
このあたりを物語の最期に持って来ればいいと思う。
田中芳樹曰く、 じゃないけど、五代初期は語り手として馮道がしっくりくるかも。
幽州廬龍軍からの出発だから、残唐には入らないところがニントモカントモ…
第一部、残唐〜大梁建国 は、朱温主役。
第二部 五代群雄伝(パクリだよな〜) は、馮道語り手。
第三部 北宋建国 は、趙匡胤?
第二部が異様に長くなりそうな気配…
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 14:41:06
第一部は黄巣の乱がいいんじゃないかな。
第二部は、残唐から大梁建国で、朱温が悪の主人公。
第三部は、李克用とその子孫を正義の側に立てた、打倒大梁と後唐建国。
第四部は、語り手馮道による五代群雄伝。
第五部は、郭威による後周建国と、柴栄の天下統一推進、趙匡胤の活躍。
第六部は、趙匡胤の宋建国、天下統一、南唐滅亡と後主の悲劇。
第七部 北宋初期・無敵の楊家軍。
第八部 澶淵の盟・平和共存なる。
…までいくと長い?
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 17:12:16
盛り上げる為にあげ
第六部まででいいんじゃ?
>>104 厳密に言えば、北漢討伐までだね。
それまでは北宋も五朝の延長でしかないわけだし、江南国攻略で終わらせるのは、徳川家康の物語が関ヶ原の戦いに勝利した時点で終わるのに似ている気がする。
気持ちよくぶった切るなら、『五代群雄傳』のように、北宋の建国で終わらせるのが、ひとつの時代の終焉には適していると思える。
というか、その著書の範囲内、西暦880年〜960年間にするのが、妥当だと思えるなぁ。
黄巣の詳細を追っても、あんまりワクテカしないと思う…
それより、悪党朱温中原跋扈の方が興味を引いていいのじゃないか。
大河小説として始めるなら、最初は安史の乱について最小限の説明が
あってもいいんじゃないかな?
五代の特徴(例:節度使の巨大な権能・兵士たちの傭兵化等)、その
淵源を語るのに必要な気がするんだけど。
個人的に、馮道はペシミストな印象があるなあ。
遼の太宗に打草穀を止めさせるときの台詞で「佛」の単語が出るけれど、
これは末世に弥勒菩薩が降臨して人々を救う、っていう終末思想が絡んで
いるんだろうし。
中国だと、北周の時代に末法の世に入っちゃってるんでしたっけ?
「五代群雄伝」のタイトルが駄目なら、「遼宋“龍”伝説」というのは
いかがかな?
第一部:青龍編〜黄巣の乱、唐滅亡〜
第二部:赤龍編〜梁晋、河北争覇〜
第三部:白龍編〜後唐春秋、遼帝国襲来〜
第四部:黒龍編〜蛮帝耶律氏の暴虐、後周の反撃〜
第五部:青龍編〜北宋天下統一、春は再び巡ってくる〜
どっかで聞いたようなタイトルなのは内緒だZE!!
あまり、オリジナリティを発揮されないほうがよいな
元ネタは隋唐龍伝説か・・・・・・
確か、北周の武帝の急死した理由が、なんと腹上死だったという奴
しかも腹上死したことが、洛陽の人々の間では公然の秘密だったとかなんとか
あまりにもあんまりなデキに絶句した記憶がある
>>107 それだったら、「五代群龍伝」はどうかな?
たくさん生まれた皇帝たちを龍にたとえて。
>>106 もちろん、唐末から五代の軍乱、はては北宋のシビリアンコントロールの意義を説く上で、安史の乱を避けての説明はムリだけど…
それが物語り、小説となると、いささか迂遠な気がしないでもないです。
安史の乱の顛末だけなら、河北三鎮の説明に絡めることができるから、冒頭に持ってこなくてもいいかな、と思うし、
『三国演義』も、清濁闘争の象徴である党錮の禁からではなく、黄巾の内乱から始まっているので、五代物語りも黄巣からがいいかなと。
ただ、上でも言ったように流賊の足取り追ってもあんまり盛り上がらないように思えるから、役者が次々と出てきだす、黄巣の長安陥落からがいいと思った。
>>馮道はペシミスト
老荘思想な人ですから… で、その「佛」を持ち出したのは、耶律徳光を諫めるときに引用しているだけで、馮道の理念から出たのじゃないのでは?
と、解釈してますが…
>>107 耶律徳光スキー だから、蛮帝とは言わないで…
『十国春秋』が手に入った! 早速見てみる…
読めるかー! 漢字ばっかやん(当たり前)。
ともあれ、南唐の名将のひとり、劉彦貞の項を見る。
う〜ん、結構評価高いんじゃないかな? 五代史記の李璟の項では李重進に瞬殺されてて、大したことない感じだったけど。
李穀の正陽への後退を追撃に出た劉彦貞に、「彦定、名将家の子といえども…」 と前置きがあるのがちょっとグッド。
そうか生まれながらの名家にそだち、武芸はあれども猪突してしまう性格だったわけね。
しかもその配下には、張延翰や咸師朗等の闘将ばかりで無略だった、と。
そこを李重進が側面から破ったということか。
…李重進の引き立て役? いやいやw
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 20:03:47
やっぱ始まりは黄巣の乱だと思うな。
三国志の黄巾の乱にも対応できるし。
>>109 隋唐龍伝説書いた人、長安烈日っていう黄巣の乱の小説も書いているよ。
だいたい似たような作風だと思う。
ああ、あのとんでもなく怪しいヤツね。
まだ読んでないし読む気もないから、批判はできないけどあらすじを見ると爆発しそうになる(ぜひご自身の目で)。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:37:38
後、水滸伝も書いてたな。
>>111 でも、耶律徳光が開封へ入った時の、虐殺掠奪ぶりを見るとねえ
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 15:02:06
打草穀
>>117 いやむろんわかってるよ。
でも、国家としてのレベルというか固まり度合いというか、内実が伴っているのは、当時契丹の方だったわけで。
「蛮帝」よりも「暴帝」にして欲しいところ。
沙陀王朝である後晋も、内部節度使どもは、赴任先の藩鎮では鬼の収奪を繰り返してますし。
趙在礼という節度使が、朝廷からの任地替えで他藩鎮に移ったとき、その州の人たちは「目から釘が抜けたようだ!」と喜んだところ、地獄耳にも聞きつけた趙在礼は舞い戻ってきて、「抜釘銭」と称してさらなる搾取に励んだそうな。
唐末五代は、みんなして常識とか節度とかを見失ってる狂った時代だというのが、よくわかるエピソード。
耶律徳光は魅力的な悪役を目指しては。
漢民族の愛国心が燃え上がりそうなネタだし。
だとしたら、主人公は柴栄しかいないな。
とりあえず、生前は遼軍に対して連勝してるし。短すぎるからなんともいえんが、少なくとも後晋のヘタレ連中よりは愛国心をくすぐる存在には違いない。
それと、狂気の天才戦術家・李存勗かな。 契丹と、叔父甥の契りはあれど、ことあるごとに戦いに及んでいるし、だいたい痛みわけで終わってる(ちょい押し込まれ気味か)。
なんと言っても、相手はあの阿保機だしね。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 16:12:43
柴栄が長生きしたら、天下統一を果たしていた可能性大だろうな。
でも、趙匡胤も王朝の開祖としては魅力的。
柴栄と趙匡胤ってものすごく気のあったダチって感じがする
無駄に爽やかなんだよ、アノ二人
何だか、陰気な暗い印象ってのがないね、この二人は。
趙匡胤も簒奪はしても、柴氏の一族はきっちり保護したし。
他の時代だと、どろどろとしていて血生臭くなることが多いから、余計にそう感じる。
それ故に一層暗く感じる趙匡義
>>123 えっと… それはなにからのイメージですか? よければ教えてください。
そういう二人の関係を切に望んでいるのだけど、「飛龍全傳」とかでは
柴栄は陰険で姑息な感じで、趙匡胤は呂布か張飛か、ってイメージらしいしorz
宋史の太祖本紀で、有名な逸話が「周世宗は方面大耳(貴人の相)のものを見ると自分の地位を狙うものと疑い、これを皆殺しにしたが、おれは一日中側にいても害されたことはないのだ!」というのがあります。
これは趙匡胤がつまり貴人であって、しかも天命により生きながらえることを約束された、パフォーマンスなんですが、注目すべきは「疑心のある」柴栄(涙)。
そりゃたしかに… いっぱいいっぱい手討ちにしたさ… でもよ。 命令違反者ならびに戦場離脱者とかだぜ…
>>126 その辺は作り話っぽい気もしますが。
後周の王朴に関するエピソードを読むと、趙匡胤は爽やかな好漢だと
感じられもするわけで。
というか、それほどまでに柴栄の猜疑心が強かったなら、わざわざ
石刻遺訓なんて残さないんじゃないでしょうか。むしろ柴氏一族を
皆殺しにした方が、周囲から支持を集めそうな…。
>>127 作り話だとは思うけど、問題はそういうイメージが広がってるかもしれないのかなぁ、ってことで。
ロマンを追求してしまう性格上、二人には高潔な友情を求めてしまう。
>>石刻遺訓なんて残さないんじゃないでしょうか。
そう… だから余計に違和感が。 信長のようなもんで、傍目からは悪鬼か羅刹にでも見えていたのが、趙匡胤にはそうではなかったということかも…
>>王朴
漢の張良+蕭何といったところですよね。 北伐前に亡くなったのが惜しまれます。
ひとつ妄想してみた。
柴栄が北伐行で発病せず、予定通り幽州を狙うものとし、遼には20年ばかり早く耶律休哥が生まれている… と、そういう状況。
双方ともに高速展開を得手とするので、幽州(遼側では燕京)をめぐって豪快な機動戦が期待できたのではなかろうか。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 21:37:30
Ifものねえ・・・いろいろややこしそう
やっぱ趙匡義は趙匡胤の死に関係があるのかな?
あったほうが面白いかもね。
もしかしたら花蘂夫人との一件で、ずっと恨みに思ってたとか…
>>134 そんな小説があったな。「この女だけは兄貴に譲れねえ」とか言って。
誰の作品だったか。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 13:03:42
井上祐美子の「芙蓉怨」という短編小説だね
太宗の子孫は靖康の変でほとんど連れ去られ、
結局南宋は太祖の子孫が継ぐことになったね。
因果応報だな
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 08:24:01
誰だったか、名前出てこないけど、そういう因果応報史観の人が、
清代にいたよな。
ネタが少ないね。
拠り所にできる小説なりがないのが原因だろうか…
「馮道 〜乱世の宰相〜」は小説じゃないけど、それっぽく読めておもろいよ。
そういえば、日本でこの時代を扱った小説って見かけたことないね。
明末とか元末の動乱期だと、わりと小説書いている人もいるけど。
馮道なんて、主人公としてうってつけだと思うけど。
柴栄や趙匡胤もないんじゃないかな?
史記から春秋戦国の話拾ってくるよりもずっと面白いと思うんだけどね。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 11:16:04
一番書いてくれそうなのが田中某氏w
いや、陳御大だろ
そーだと信じたい
小前が趙匡胤書いてるってさ。
146 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/19(木) 20:49:43
1時間で約1500円の現金・WebMoneyゲット!!捨てアドOK,ミクシィ紹介あり
↑ ちなみに12月予定らしい。 小前氏の趙匡胤。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 01:16:37
小前亮って「李世民」書いてた人だよね。
中国の皇帝シリーズで行くのかな?
「李世民」はまだ読んでいないけど、どんな感じの作家なのかな?
個人的には、教科書のような文章を書く塚本青史の印象>小前亮
文章に引きこむものがないというか、読者をアジれないというか。
作家にはアジテーターの資質が不可欠だよな、と思わせた人。
ちなみに「李世民」では、彼がいかに遊牧民と関係ない純粋の漢人で
あるかが、至る所で強調されてて萎えた。
北魏→北周→隋→唐の流れは完全に無視ですかい、と。
隋唐の皇族に夷狄の血など混ざっていない! という主張は、昔の
中国人の論文に載ってたけど…、アレを読んだときを思い出した。
そりゃあ、杉山の遊牧民マンセーありきな著作集もどうかと思うけどさ、
バランス感覚って大事だよね。
例えば杉山が遼の凄さを強調して、後唐〜後晋期の中国はヘタレ扱い、
耶律徳光が仕方なく撤退してやったように書いたりするのが、とても
正確とは言えないのを考えると…。
遼の撤退は国力の限界、行動可能限界の露呈であったはずなのに、それが
「融通無碍の遊牧民らしい、実に見事な行動」
になっちゃうのがなんとも。
それほど遼が凄いのなら、最低でも金と同程度の領域を支配してないと
おかしくないですかね?
まあ、杉山氏の場合は、
「土地の確保にこだわらないのが、遊牧民の実に卓越した戦略」
と賞賛するだけでしょうが。
>>李世民が漢人
血統でいうなら、ありえなさすぎの主張ではないかな。 生母からしても北方の血を受け継いだ人だったわけだし、生活環境も漢化した北魏の流れとは言え、随所に、とくにその時代女性の現場での活躍が多かったようなところをみても、純粋な漢族とは言えない。
そもそも漢人にこだわる理由がわからんね。
もしかすると、柴栄も純粋な漢人として書かれるだろうか。
一般には漢人皇帝なわけだけど、血でいうならこの時代、純粋な漢人がいったいどれほどいるのだろうかねぇ。
それを純粋な漢人だ、と主張し印象付けようとするのはどうだろう?
>>遼の凄さ
実際すごいわけだけど、杉サマがマンセーしすぎて失笑しますがね。
特に、幽州を巡る攻防で、李嗣源の馳突と李存審の知略で追い払ったあの戦いで
晋側は必死で7万もの大軍を用意してそれでやっと勝った。しかも指揮官は阿保機自らではなかったので勝って当たり前。いやそれ以前にすでに幽州のような焦土には見切りをつけて撤退しかかっていたのに、それをさも大勝利で追い払ったかのように喧伝するのはワロス
と言いたげな部分。
晋は南に梁という天敵をもっていたのに、北に7万も、しかも宿将をあてる芸当ができたことを褒めろよ、と。
西夏の特集だってさ。珍しいね。
今週の世界ふしぎ発見
第982回
東方のピラミッド 〜西夏王国の遺産〜
2006/10/21(土)21:00〜
不思議なピラミッドと謎の文字を残し
忽然と砂漠に消えた西夏王国!
ミステリーハンター・阿部まりなが
現在の中国 寧夏回族自治区を訪ね
かつてシルクロードに栄えた
謎の王国についてレポートする!
>>151 ふしぎ発見シルクロードはよくやってるけど西夏は初めてだろなぁ
もうじき1000回いく番組なんで全て知ってるわけじゃないが
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 16:22:42
かなり昔に、三国志とか、始皇帝について特集していたのは、
何となく覚えているけど、
近世以降、宋代、明代、清代となるとまだないかもね。
拓跋思恭あたりから話が… ないわなorz
どうせ、西遷したあとなんだろうよ、けっ。
そうなるとあんま五代との関わりがねぇ…
拓跋思恭が黄巣の乱で李姓をもらって、夏州定難軍に鎮するあたりから始まったら神です。
>>154 まあ、無理な注文だわな。
ちょっと中国史に詳しい奴でも、そのあたりとなると全然知らないことが多いだろうし。
制作側の念頭にあるのは井上靖の「敦煌」だろうし。
『敦煌』は「西域」って感じでいいよね。
映画で、李元昊の渡瀬さんが、めちゃかっこよかった。
内容はアレだけど、自分的にはまぁまぁだった。
見逃したと思ったら、野球の延長で命拾いしたw
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 21:36:14
世界ふしぎ発見の西夏特集、
まあ、こんなものか、という内容だったね。
個人的に興味のある部分は、あまり取り上げられなかった。
左遷の由来についてやってたけど
自分が聞いたのは劉邦が項羽に漢中に封じられたのが語源って聞いたんだけど
違ったんだな
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 02:23:37
向こうで三国志のスレが認められているなら
ここで五代志に関するスレが1つぐらい認められてもいいはずだよ
>>161 乙です。
こっちではなにかと文句言われそうなので、移転しましょ。