1 :
無名武将@お腹せっぷく:
チョンメスに種付けし放題、チョンオスは奴隷として牛馬のように
こき使えるぞ!メスチョンに生ませた子供は奴隷としてこき使う。
ああ、太閤殿下があの時朝鮮を征服されていれば・・・・
今からでも遅くない、朝鮮を征服すべきだ!
あんなとこいらない
しかも戦国時代板に立ってます。
むしろ南方に進出しようぜ
法則発動で日本滅亡
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 03:26:24
スルーして中華攻め、中華統一
自治厨が戦国をこの板から追い出そうとしてるらしいぞ
最悪だな
井沢も書いてたが、朝鮮の宗主国は中国の明。明と日本両国に従属するという二重外交を朝鮮は取れない
つまり明を滅ぼさない限りずっと朝鮮は抵抗し続ける。そして明を滅ぼすことは
人口差から見て無理
10
12 :
◆OXDAJEBEBE :2006/09/08(金) 17:45:30
てす
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 17:49:20
たまに誤解してる奴いるよな
あの出兵の目的はあくまで唐天竺の征服だから
朝鮮を主旨として議論すること自体がおかしい
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 19:05:31
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 02:46:45
井沢はトンデモのようなものだからスルーとして、
ただ現実論として、朝鮮を長期支配することには無理があった、という点においては間違いない。
なぜなら、具体的な統治プランがないから。
軍事力だけでは占領は出来ても有効な支配はできないぜ。
もう少し、民政を考えるとかしないと、
結局は民兵のゲリラ相手に時間を割かれている間に物資が切れて、
それでおしまい。
というか、オレはむしろ、
>>1 に問いたい。
貴様は、そんなに、「チョンのメス」とやりたいのか?
とな。
もし、オレが真の意味での差別主義者なら、
向こうが股を開いても、御免こうむるがな。
貴重な男汁をくれてやれるか、もったいない。
とな。
差別意識を持っている「メス」相手にも欲情できるなんて、
なんと「博愛精神」に満ちていらっしゃるんでしょう。
>>1よ、あんたすげーわ(W
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 03:04:32
だから朝鮮を統治という考え自体秀吉に無いんだって。
明を征服できれば成功、征服できなければ失敗で日本に帰るだけ。
目的地が遠い分、もっと現実味がないな。
まあ、歴史に残る、大ネタだ。
というか、ほんとうにそうなの?目的が本気で中国だったの?
国内向けのプロパガンダがそうだとして、
実際には朝鮮あたりで手を打つつもり、ではなかったなんて、
断言できるの?
というか、目的はともかくとして、
現実問題、海を渡って直接中国大陸に上陸するのでなければ、
朝鮮は避けて通れないことくらいは、
いくら老人惚けが脳までキていてもわかっていてほしかったのだが、
そういう観点で、稀代の英雄秀吉の汚点といえる。
朝鮮を避けては通れないことくらい秀吉もわかってたよ。
だから実際に通って行っただろ。
単なる通り道。
秀吉も馬鹿じゃないから、朝鮮だけを支配したって維持するだけでも大変ってことくらいわかってただろ。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 06:32:43
不謹慎だクズども
明皇帝=後陽成天皇
明関白=豊臣秀次
日本天皇=後水尾天皇か八条院智仁親王
日本関白=豊臣秀保か宇喜多秀家
朝鮮総督=豊臣秀勝か宇喜多秀家
九州総督=小早川秀秋
インド皇帝=豊臣秀吉
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 20:23:56
日本の世界征服思想はこの頃からあったのですね
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 13:00:36
チョーセン雌に種付けしてやる!
差別意識があっても種付けできるのはアメリカ南部の黒人奴隷と農場主の関係で
実証済みだ!種馬のように腰を打ち付けるべき!
中国の征服となると、女真族の金による靖康の変、
女真族の後裔満州族の清の中原進出などがあるだろうけど、
いずれも鍵は兵力の多寡よりも、騎馬による機動力の有無だと思う。
広大な大陸を制圧するには何より機動力が必要。
それに中国の既存の統治機構を上手く取り込むことが必要。
大名配置による支配のようなものをそのまま持ち込んだら、
元朝の旧南宋地域支配より悲惨な状態になると思う。
靖康の変のような展開に持ち込めれば理想だけど、現実には難しそう。
まず遼東の平原を突破して、山海関を攻め落とすことができるか。兵站の維持が絶望的に難しそう。
万暦年間の明軍は腐ってはいても、首都に接近されれば、本気でこれを防ごうとするだろうし。
海路渤海を通って天津付近に上陸する手もあるかも知れないが、
北直隷は広く、北京まで結構距離がある。北京にまで進撃して包囲することができるかどうか。
万暦帝が江南へ逃げる可能性もあるし。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 14:50:23
>>25 天津付近から北京まで運河が伸びているから、そこの線に沿って進めばいい。
土木の変や庚戌の変の前例から考えて、明の皇帝は北京での籠城を選ぶ可能性が高い。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 16:56:31
>>27 海岸沿いに北上しなかったため日本軍は朝鮮の制海権すらとれなかったのですが
>>27 北京城を包囲したとして、どうやったら落とせるかな。
ああいう城壁に囲まれた形の城は、日本の軍勢は攻め慣れていないんじゃないかな。
何だか、あっさり陥落してしまう気もするけど。
それと北京の外城となると、30キロ以上あるんじゃないか。
完全包囲しようと思えば、相当な数の兵力が必要。
>>29 全てを包囲しなくても、城門部分を効率よく押さえればいい。
それでも、10万人ぐらいの兵力がないと心細いよね。
文禄・慶長の役で最大18万人ぐらいだっけ?
朝鮮での押さえの兵、敵地に孤立しないための連絡線維持の兵とか考えたら、
ちょっと厳しいね。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 00:57:43
北方の遊牧民に比べたら、やっぱり日本の軍勢は歩兵が主体だろうし、
動きが鈍くなるのは否めないね。
大陸では明軍に容易に捕捉される可能性が高い。
だから奇襲的な行動は取りづらい。
元々、日本本土待機の兵が10万近くいたらしいからなぁ、
朝鮮でさえ、完全制圧できなかったのに、北京まで進むのは無理だな。
遼東の荒野のような場所は、日本軍は経験ないだろうし。
ヌルハチを味方に引き入れることができないかな。
この頃には、既にある程度の勢力は築いているわけだし、
明への反感も持っていたようだから、かなり強力な味方になり得る。
禁中護衛の親軍は北京に約12万人、南京に約10万人。北京の五軍営が約12万人、神枢営が約7万人、神機営も約7万人。
各地の五軍は、左軍都督府約45万人、右軍都督府約72万人、中軍都督府約30万人、前軍都督府約57万人、後軍都督府約64万人。
全体で明軍の総兵力の定数は約316万人となる。
但し、実際は極端に定数を割り込んだ状態にあったため、明軍総兵力の実数は多くても50万人ぐらいであったとされている。
>>35 日本と繋がりが全くないので、どうやって連絡を取るかが問題。
そもそも互いに相手がどのような者か知り合うこと自体難しい。
それに仮に味方に引き入れることができたとしても、
ヌルハチは親の代から明との関係が深いし、簡単に裏切られる可能性が高い。
>>36 その50万人ぐらいの兵力を、明は首都の警備や辺境の防備に当てなければならない。
南方の四川や雲南での少数民族への牽制のための兵力配備、
北方の遊牧民の侵入を防ぐべく延々と築かれた長城の線への兵力配備、
こういうことを考えたら、50万人ははっきり言って少なすぎる。
明を攻める前に、朝鮮の制圧を考えようよ。
朝鮮を完全に支配化に置かない限り、北京攻めなんて夢のまた夢。
現実問題として、一時的に咸鏡道まで攻め上がったものの、
すぐに退却する羽目になったじゃない。
朝鮮も、靖康の変みたいに、宣祖を捕虜にできればよかったんだろうけど、
何しろ、とっとと都を捨てて逃げちゃったからなあ。
日本軍の進撃速度は十分速かったと思うけど、それでも逃がしてしまうんだから、
どうしようもない。
だいたい、軍事力だけで「征服」が成功すると考えているから、失敗したんだって。
民政とか政略とか、そういう観点がなければ、「外国」との戦争には勝てない。
それがわからないやつが戦争を指揮しても、国力が疲弊するだけで何の戦果も得られない。
まあ、文禄慶長の時は、相手も弱かったから亡国の大敗を喫せずにすんだ。
その点で秀吉は死に際までツキに恵まれていた。
当時の日本軍に欠けていたのは、騎馬による機動力、兵站線、制海権。
そもそも対馬海峡という海を隔てている以上、
渡海して補給を続けるのは、当時のどこの軍隊だろうと至難の業だったはず。
>>31 日本での待機兵力なども含めると、全体で33万人ぐらい動員したようだけど、
日本の場合は、戦闘員以外の者の数もかなり含まれている。
>>43 十数万の軍勢を、朝鮮半島へ渡海させただけでも、
実は大したことなのではないだろうか?
そもそも統治するための人材を用意しないとね。
中国語や朝鮮語を自在に操れとまでは言わなくても、
漢文に通暁して、現地の人間と意思疎通でき、行政能力を持った人間が多数必要。
上陸軍の進撃は慶尚道内に留めて陽動作戦軍とし、
その間に奇襲部隊を船に乗せて気づかれないように黄海を北上させる。
そして江華島付近に上陸させて、開城を急襲、陥落させる。
こうすれば、朝鮮国王は、北への逃走路を塞がれた格好となり、
漢城を捨てて北方へ逃亡することはできなくなる。
すると、朝鮮国王は漢城籠城を選ぶか、清軍侵攻時の例から考えて南漢山へ籠もる。
こうして開城を占領してから、南の本隊が北進すれば、朝鮮国王を捕捉できる。
でも、こんなことできる水軍なんてないか。
明の皇帝が万暦帝みたいな間抜けでよかったな。
永楽帝みたいな覇気のある皇帝だったら、逆に日本へ攻め寄せたかも。
ただ、日本は海に囲まれているから、元寇と同様に、
一時的に九州の一部を占領するぐらいのことしかできなかっただろうけど。
渡海作戦は難しい。
>>46 講和を求める朝鮮側に対して、交渉に宣祖自ら赴くよう要求。
やって来た宣祖を監禁してしまえば、朝鮮の朝廷は言いなり。
靖康の変パターン。
>>48 >>1の望む方向からすると、国王を拘留した上で、
朝鮮にはとても支払い不可能な天文学的な賠償を要求。
当然払えないが、払えないなら代わりに女でもいいよ、と言って、
妓生から始まって、両班の婦人、そして最後は、王妃や王女まで差し出させる。
主立った武将を集めた戦勝祝いの宴では、王妃王女たちを酌婦として侍らせ、
その後は…ハアハア
宗主国と属国ではレベルが違うなw
>>48>>49 金の場合は、征服というより掠奪が目的だったから、金銀、女を奪い尽くすと、北へ帰った。
そもそも金自身、超大国の宋がああも呆気なく倒れるとは思っていなかった。
宋側の対応が信じられないくらいいい加減だったのが、宋滅亡の原因。
宋が滅んで金は困った。建国間もない金には、行政能力のある人材が致命的に不足し、
残された宋の領土を統治する力がまだなかったからね。
だから宋の大臣を無理矢理皇帝に仕立てて、楚という国を建てさせている。
それに比べて太閤の朝鮮出兵は、朝鮮を占領し、更に統治して領土化するのが目的。
それに、当時世界の富の半分を有した宋朝の都なら、金銀財宝に事欠かないだろうけど、
貧乏な朝鮮の都を占領しても、奪えるものは高が知れている。
大楚皇帝張邦昌w
>>50 韓国は整形してこれかよ…
朝鮮王の後宮にもろくな女いなさそうだな
いっそ朝鮮を通らずに江南へ直接攻め込んでは?
朝鮮より江南の圧倒的な豊かな土地だし、領土にし甲斐がある。
東シナ海を押し渡る外洋渡航能力がない。
そもそもそれだけの船を持っていたら、史実でも直接明へ攻め入ったはず。
ポルトガルやスペインと喧嘩せずに船を借りるべきだったな。
マカオやフィリピンを奪われる危険性も考えて、
日本に外洋渡航能力を持たせないようにしていたんだろうけど、
そこを何とか引き出して、日本・南蛮連合軍で超大国明に戦いを挑む。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 22:53:52
この時代にどれほどの規模の艦隊が派遣できたというのか
あまり過大評価しないほうがいい。
まだ西洋と東洋のパワーバランスはアヘン戦争ほど天秤が傾いていない。
むしろ逆だ。
仮にそれなりの規模の艦隊で海岸部に迫っても、陸戦部隊はほぼ日本の負担。
下手に南蛮と組むと、日本の一人負けで、国力が疲弊したところに、日本が南蛮に食われてしまいかねない。
あくまで国力の身の丈にあった範囲で、戦争の規模を制御すべき。
戦術や戦略で圧倒しても、
最終的に戦争で消耗した国力を取り戻すだけのゲインをもたらすのは、
政略だ。
日清戦争や日露戦争で、日本が成功した理由はその見極めが絶妙だったからに他ならない。
外国との連携も、主導権を相手にすっかり渡さないように、極力介入をさせないように外交を尽くして、
おいしいタイミングで和平を図るためだけに、介入を利用した。
そのうえであれだけの成果を得た。逆にいうと、アレ以上は望めなかった。
アレ以上を望むなら、時代を問わず、アレ以上の外交能力、政略が必要。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:13:47
>>1 >>23 むしろ朝鮮系以外の他の民族のオンナでは勃たないんじゃない?
なかなかフェティッシュな性癖だね。
オレなら日本女性で必要十分だけどね。
結局のところ、明という巨大な国を直接征服して統治するなんて不可能なんだから、
戦争を優位に進めながら、講和交渉を行い、できるだけの譲歩を引き出して、
最大限の利益を得る、というのが理想なんじゃない?
最低条件としては、まず勝たなきゃいけない訳だけど。
まあ、まずは江南を戦場に想定して、どのように戦えるか考えてみようじゃないか。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:39:14
また、満州の後金と手を結ぶのも、考えものだろう。
確かに「勝てる」かもしれない。
だが、地政学的に、むしろ、後金の軍勢が主力とならざるをえない。
となると、やはり得られるものはそれほど多くはないだろう。
女真族だってボランティアで日本と手を結んだりはしない。
むしろ、女真族のための戦いにいいように利用されるリスクを背負い込むだけだ。
やはり、本気で戦果を得るつもりなら、単独でそれなりに戦い、適当なタイミングで和平に持ち込まなければならない。
考えてみれば、和平も難しいが。
何しろ、外交の主導権を明が握ってしまえば、
明の立場では朝鮮の国土がいくら荒れようと知ったことではなく、
ただ、第一の衛星国家が「東夷」の「倭人」に屈したら、大明帝国の面子にかかわるというだけのことだから、
まず普通に交渉しても和平には応じない。というか、げんにそうなった。
また、明帝国本土を本気で侵略するなら、軍勢の規模が足りない。
北方騎馬民族が華北を制圧するのにどれだけの軍勢を動員したかを参考にすべきなのに、
日本側にはそういう様子もなかった。
また、有力武将に対する内応工作も必須。
単純に戦闘だけで長城を超えるのは、至難の業だ。
ましてや、日本軍は「攻城火力」に欠けている。
山海関を武力で抜くのはほぼ不可能だ。
日本より明に攻め込みやすいはずの女真でさえ、内応がなければ華北侵攻はかなわなかっただろう。
その前の代の金や契丹は燕雲十六州という長城の南の地域を確保することで
長城の防衛ラインとしての存在意義を失わしめて、はじめて華北に進出できた。
この経緯も、民族的な目で見れば「裏切り」によるものだ。
まず、敵を知り、その弱みを突く。
この兵法の基本を、秀吉はこのときに限ってすっかり忘れてしまっている。
やはり、老化ゆえだろうか。
対馬海峡を渡るだけで済んだ朝鮮半島と違って、江南との間には広大な東シナ海が広がっている。
スペイン、ポルトガルの艦隊なんかの全面協力を得ることができたとして、
長崎、平戸辺りから出撃したとしても、江南へ持って行ける兵力は、数万人以下。
三、四万人も上陸させることができれば、上出来なんじゃないかと思う。
最初の上陸地として、真っ先に候補に挙げられるのが寧波。
寧波には市舶司が置かれ、日明間の貿易の指定貿易港となっていたから、
当時の日本人にも比較的馴染みがあったはず。
倭寇として密貿易に携わっている者なら、寧波やその沖の舟山群島の地理に詳しかったはず。
寧波は攻め落とすことはできても、維持するのは難しいかも知れない。
ただ、舟山群島なら島なので、一度占領してしまえば、なかなか奪回されないように思える。
上手くすれば、前線基地として活用できると思う。
結局のところ、日本側は井の中の蛙だった。
確かに、当時の明朝は斜陽を迎えつつあって、戦いを挑む好機ではあったけど、
あまりに相手のことを知らなさすぎる。
日本の大名配置による分権支配をそのまま持ち込もうとするなど、愚の骨頂。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:55:37
江南を主戦場にもっていくなら、当然、長江での水戦は避けて通れない。
操船というのは、
単に、船を操作するテクニックだけではなく、
航海する水域の知識がモノをいう。
参考までに、日本列島付近の海域は、航海術の観点で言えば、難所が多い。
現代、比較的安全に航海できるのは、江戸時代に確立された沿岸航路を受け継いでいるからに他ならない。
「水軍」の強みはまさにそこである。
地元の水夫以上に水域を熟知している者のは、情報化されていない当時では、ほかにいないのだから。
逆に、その強みがあくまでローカルなものであったから、李舜臣の水軍に遅れをとることにもなったのだが。
つまり、水戦は、陸戦以上に「地の利(水の利、というべきか)」がものを言う。
となると、江南での戦闘で必要なのは、事前に地元の水夫を抱え込むことだろう。
海岸部までは倭寇を抱え込めば何とかなりそうだと思ったが、
よく考えれば、この時期の倭寇は江南人が中心だ。
結局、江南地方に事前に調略活動を仕掛けて、初めて五分五分の土俵に上がるチャンスを得ることができるということだ。
陸戦主体にしろ、水戦にしろ、いずれにせよ、外征にはいろいろと事前の準備が必要ということ。
とくに、内応者を用意するのが、古代から近世に至るまで、中国侵攻では必須パターン
>>63 兵力が限られているし、仕掛けるとするなら、
阿片戦争のような形の戦争かな。
限定した局地戦で優位に立ち、有利な条件で講和する。
ただ、講和する伝手はあるかな。
いずれにせよ、戦闘を行いながら、明側と交渉を持たなくては。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 01:38:10
秀吉の妄想から端を発している以上、
他国との同盟ははなから無理だろうな。
また、「それに中国の既存の統治機構を上手く取り込むこと」も不可能。
基本的に日本の大名システムしか頭にはなかったから。
となると、補給も現地では略奪レベルで、基本は日本本土からの輸送。
すると侵攻が進むたびに補給線がどんどん延びていく。
やはり、戦術的には勝てても、戦略的にはどう考えても厳しいな。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 02:09:36
スレ主さ脳わいてるな!アフォもここまで来たら大概だな!!いまだにチョンとか言うてるとは…
まともに社会で働く能力がある人の発言だとは思えんな
>>66 嘉靖年間の後半に、倭寇が大暴れして、杭州、蘇州はおろか、
南京付近まで進出したこともあるようだけど、
その実態は少人数で奇襲的に荒らし回っただけのようで、暴走族のようなもの。
特定の城を攻め落とし、その地の占領を続けるというようなことはしていない。
>>70 嘉靖末期の倭寇の活動は、一連の倭寇の活動の中で最大のものだったけど、
ちょうど同時期に、アルタンハンが北京を包囲したりしているので、
明朝としては、そちらの方がはるかに重大事だったみたい。
北虜南倭は、北虜が先にあって、南倭は後。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 10:21:19
不謹慎ってんだろーがボケ!
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 10:30:01
日本語を普及させて欲しかった。
せめて、中国語と日本語の間の文字を使って欲しい。
>>71 庚戌の変は包囲とは言っても、本気で北京を攻め落とすような意図はなく、
どちらかと言えば、都の周りで騒ぐことで、明の皇帝に貿易、朝貢と互市を要求するデモだった。
そもそも北虜南倭の原因は、民間の自由な貿易を認めない中国の歪な貿易体系にある。
浙江、福建沿岸辺りの漁民なら、倭寇とかやっていた奴もたくさんいただろうし、
上手く味方に引き込めば、江南に攻め入る際に便利な道案内になる。
寧波を第一攻略目標とすると、
寧波 → 杭州 → 蘇州 → 南京という順番に攻めて行くことになるかな。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 01:02:28
点と線で侵略を進めると失敗するのは歴史上立証されている
点と線だけでうまくいくとしたらそれはゲームでの話だ
内陸の農民反乱をうまく利用しないと
ここは良スレだから残っても良いだろう。
ホントこの板の自治会はクズだなあ。
結局、江南の沿岸部を占領しても、対馬海峡と違って東シナ海は広すぎるから、
仮に明の水軍の妨害が一切なかったとしても、安定した補給を続けるのは無理だと思う。
結局、補給は現地調達(掠奪)に頼ることになるだろうな…
江南は、当時の世界で最も富裕な地域。
農業生産力も最高だし、現地調達するなら、朝鮮よりずっと状況はいいかもね。
ただ、明側が焦土戦術を採る可能性は大に思える。
>>81 鄭成功率いる明の残党討伐に苦慮した清も、鄭成功の補給を断つために、
沿岸部の住民を内陸部に強制移住させた。
結果、経済的に苦境に立った鄭成功は、新天地を求めて台湾へ向かい、
オランダの勢力を駆逐して、台湾に拠ることとなった。
中国はこういう焦土戦術、平気で採るよね。
江南作戦
とりあえずの目標は明の副都南京応天府の攻略だな。
南京大虐殺になるかも知れんがw
南京よりも、経済の中心地である蘇州と杭州を押さえるべき。
明朝の財政は、この辺りの地域からの税収に支えられている。
それに蘇州と杭州は、南京よりも沿岸に近いから、より攻略しやすいはず。
天に極楽あれば、地に蘇杭あり
江南は豊かだから、何もない朝鮮と違って、
掠奪しがいがあるね。
占領して領土化できなくても、掠奪するだけでも、
なかなかの儲けになるかも。
>>84 そういう点から考えて、明に最も打撃を与えるには、
鎮江から揚州にかけての線を占領し、長江と大運河の連絡を寸断するのが最適なんじゃないかと思う。
明に限らず中国の歴代政権は、経済面で江南の豊かさに頼っている。
唐が、安史の乱で首都を占領されながらも滅亡を免れたのは、江南を確保していたからと言われているし。
その観点から考えれば、北京と江南を結ぶ大運河の寸断は、明にとって死活問題となるはず。
最大の税収源地域である蘇州や杭州との連絡を遮断されるのに加え、
揚州もまた塩の集積地であり、重要な塩税収入の源。
元朝末期に張士誠が反乱を起こしてこの地域を占領した時には、
それよりはるかに規模の大きかった河南の紅巾の乱に対して動きが鈍かった元朝も、
即座に丞相自ら率いる大軍を送って討伐に乗り出している。
その理由は、元朝の最大の収入源が塩税であり、これらの地域が塩の集積地であったから。
問題は、鎮江や瓜州、揚州といった地域が、長江を河口から200キロ以上も遡った地点にあること。
これらの地域を占領するには、長江を遡って内陸奥深くに侵入しなければならない。そこまで到達できるかどうか。
更に、仮に占領に成功したとしても、次はその占領状態を維持し続けなければならない。
補給線を構築するのが絶望的に難しいし、下手をすれば敵中に孤立してしまう。
明にしても、属国の朝鮮とは違い、生命線とでも呼ぶべき地域を占領されれば、
それこそ総力を挙げて奪回に乗り出して来るに違いない。
思うんだが、日中戦争が結構参考になるんじゃないか。
確か杭州から上陸して、南京まで進撃しているわけだし。
整理してみると、
まず明そのものを攻め滅ぼして占領、日本に併合なんてことはまず不可能。
仮に明自体を滅ぼさせても、その後に残った中国大陸を占領し、統治することが不可能。
明の領土の一部でも占領し、それを日本領に編入して統治することも難しい。
要は対明戦では、戦争を優位に進めながら、明側と交渉を持ち、有利な条件で講和に持ち込む。
それも、領土の割譲は難しいから、日本側に有利な条件での交易を認めさせるといった内容になると思う。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 21:35:37
>>89 ま、そういうことではないかと。
そういえば、
坂口安吾がそういう小説書いてた。
短編だし読みやすい文体だったのでお勧めしたいのだがが、
タイトル忘れたorz
大体統治プランが、大名制じゃあなあ…
せっかく整備された官僚制行政機構があるのに、
大名制じゃあ一から始めなきゃいかん。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 22:16:42
>>44 数百万の兵を太平洋中に送った大日本帝国はこりゃ奇跡だね。その伝でいくと。
いくら時代は違うとはいっても。
時代が違うし、数百万の兵を一度に一ヶ所に送ったわけではないからね。
さすがに比べるのは、無理がある。
宋は建国当初から北方に契丹人の遼という強大な宿敵を抱え、
更に中葉より西北に党項人の西夏が勃興したことで、二つの外患に悩まされることとなった。
宋は武官による簒奪によって誕生した国である。
そのため、武官の勢力伸張を恐れて、文官を優遇し、武官の権限を削ぐ政策を採った。
それは、安定した文治体制の確立へと繋がったが、副作用として軍事力の弱体化を招いてしまった。
弱体化した宋は軍事面で遼、西夏に対して優位に立つことができず、
両国に対して毎年巨額の財貨を贈ることで和睦せざるを得なかった。
つまりは平和を金で買うことにしたのである。
日本も、宋に対する遼や西夏のような立場になればいいってわけね。
毎年明が、歳幇と称してお小遣いをくれる関係を目指せばいい。
日本も、明に歳幇の要求を呑ませるには、まず軍事的に優位に立たなければならない。
それも、明に過度な負担を強い、戦争を続けるぐらいなら金を払ってでも講和した方がいいと思わせなければならない。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 09:01:25
では、まず、どのように対明戦争を仕掛けるかだな。
大雑把に言って、
朝鮮に攻め込むか、江南に攻め込むか、になるが。
朝鮮作戦は、基本的に史実に沿って。
江南作戦は、南蛮(ポルトガル、スペイン)の協力が前提。
でも、ポルトガルやスペインは、日本が外洋渡航能力を持つのを恐れて、
船の技術を漏らさないように注意していたらしいじゃん。
理想形態は阿片戦争かな
阿片戦争は、英国軍は水上戦力で相手を圧倒していた。
それに清朝側の失策も大きく、英国軍も少なからず危ない橋を渡った上での勝利。
当時の日本は、たとえポルトガルやスペインの支援を受けたとしても、
阿片戦争時ほど明を圧倒する戦力は持っていない。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 00:00:01
倭寇のような海賊のようなものを組織して、
毎年嫌がらせのように明の沿岸を荒らし回る。
そのうち、明も軍費の増大に悲鳴を上げて、講和する気になるだろう。
そのためにも、長江奥深く侵入し、副都南京を脅かしたい。
鄭成功の軍勢は、長江を遡って南京包囲まで行ったんだし。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 13:57:40
隆武帝の死後に永暦帝に即位した桂王・朱由榔から「延平郡王」を拝受した鄭成功は、明王朝復興のため南京攻略を志し、1658年
5月13日、兵11万、大小の艦艇290隻からなる大遠征軍を率いて廈門を発った。しかし、8月9日に杭州湾に浮かぶ羊山沖で猛烈な
暴風雨に遭い、成功の息子3人を含む8000余人の将兵を失う大打撃を受けてしまう。鄭成功はやむなく温州近くへ引き返して盤石衞
を攻略し、その地で養兵訓練と造機造船に従事した。
翌1659年4月19日、国姓爺軍は再び南京を目指して盤石衞を発ち、5月17日には前年暴風雨に遭った羊山沖を無事通過する。沿
岸部を北上する国姓爺軍は、5月18日に清の総兵・梁化鳳の死守する崇明島に至ったが、鄭成功は日時を遷延するのを恐れてあえて
攻略せずに素通りすることにした。その後、全艦隊は揚子江を溯上しながら瓜州、鎮江で勝利を重ね、7月7日にはついに南京城外郭門
の一つ観音門に到達する。7月12日、嶽廟山に本藩を構えた鄭成功は、獅子山に前鋒鎮・余新、儀鳳門に左提督・翁天祐、第二大橋に
中提督・甘輝、漢西門に右提督・馬信を配置して南京城を完全に包囲した。
一方の南京城側では、城外の建物を焼き払い、十里以内の住民すべてを城内に入れて国姓爺軍の襲来に備えていた。城将の郎廷佐
は、鄭成功に対して開城までの猶予を懇願して時間稼ぎをする一方で、松江総兵の馬進宝と崇明総兵の梁化鳳、江寧総兵のハハムに
再三使者を送り来援を促す。成功の右腕ともいうべき甘輝は速やかな南京攻撃を進言するが、馬進宝が国姓爺軍に内応するという情報
を得ていた鄭成功は南京の降伏を待つ方針を変えなかった。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 13:58:16
しかし、7月22日、崇明島を発った梁化鳳の軍勢が南京救援に到着し、さらに塞がれていた神策門の漆喰を剥がして南京城兵が打っ
て出ると、成功の誕生日を翌日に控えて軍規が緩んでいた国姓爺軍は不意をつかれて大打撃を受ける。鄭成功は観音山まで退いて陣
形を立て直したが、翌23日の決戦にも部隊間の連絡が不十分だったために大敗を喫してしまう。甘輝をはじめ、万礼、林勝、陳魁、張英、
蘭衍、李泌、藩庚鐘などの将士を失い、長江での溺死者だけで4500以上の損害を受けた国姓爺軍は南京攻略を諦めて退却した。
鄭成功は帰路、報復のために崇明島を攻撃したが、梁化鳳の激しい反撃によって多大な損害をうけたため攻略を断念する。9月7日に
廈門に帰還した鄭成功は永暦帝に使者を派遣し、自らの王爵を剥脱して敗戦の責任をとった。しかし、その永暦帝もこの年、平西王・呉
三桂(1612〜78)率いる清軍に追撃され雲南からビルマへ逃げ込むことを余儀なくされていた。南京攻略の失敗によって鄭成功は、清王
朝の勢いが強大で中原回復がもはや不可能であることを悟らされた。
お誕生日のパーティーの準備をしていて、
浮かれているところを不意打ちされて負けた鄭成功、
間抜け
>>101 明朝が音を上げるまでに、何年かかるんだ?
それまで太閤殿下の寿命が持つのか?
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 18:06:44
歳幇をねだると言っても、明朝がモンゴル人にやっていたような、小遣い代わりの朝貢貿易じゃ意味ないだろう。
宋が遼や金、西夏に贈っていたような、本格的なものを目指さないと。
例えば宋と遼の間の澶淵の盟だと、直前の戦いでは太宗皇帝自ら親征している。
このような大規模な戦争を開かないと、明朝も対等な交渉に乗ってこない。
沿岸でけち臭い海賊を働く程度では、完全に見下されて、大した成果は得られない。
明本土に入っても国内の短距離戦しか経験していない一般兵だと、遠征の途中で
「そんな地の果て(北京)まで行きたくない。」ってなりそう。
行った先で北京が廃墟になっていたら遠征続行は、まず不可能。
27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 22:13:19 ID:7dGQ2AG9
秀吉の唐入り自体、国内の余剰戦力放出の意味合いが強い戦。
ロクな計画も立てずに勢いだけで行ったら予想以上に上手く事が運んだだけ。
信長だったら天下統一後の計画もしっかり立てていたみたいだから、直隷平原抜いて北京に迫れたかもしれない。
信長天才論かよw
信長、信忠の死で天下が見えてきた秀吉。信長配下の一官僚で栄達する事を考えていた秀吉に天下統一後の予定など急に立つはずがなく、信長のやり方を踏襲するしかなかった。
死んじゃったから分からんが、
たとえ信長が本当に超人的な天才だったとしても、
使える兵隊や装備はそんなに変わらんのだし、
北京へ迫るなんて無理。
信長だろうと秀吉だろうと、結果はそんなに変わらんよ。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 14:42:29
>>112 日本は鉄砲という新兵器を世界で一番多く持っていたが?
北方諸民族が北京へ迫れたから大丈夫じゃね?
信長なら明の中に裏切り者を作っておいて情報網を混乱させ
明の大軍をどっかで撃破したかも。
土木の戦いじゃ圧倒的少数のエセン軍が60万の明軍精鋭部隊を
壊滅させたって言うし。
明は大砲などの点では日本に勝っていたけど
小銃などの小型なものは日本が優れていたよ。
>>113 >日本は鉄砲という新兵器を世界で一番多く持っていたが? …
ここで問題にしているのは、鉄砲とかの武器の装備ではなく、遼東から北直隷にかけての広大な平原地帯を、
いかにして走破し、北京まで到達するか。
日本軍は徒歩兵中心で、騎兵中心の遊牧民とは違い、機動性に劣る。
また何もない平原地帯では、現地での食糧等の調達が難しく、とてつもなく長大な補給線が必要になる。
>信長なら明の中に裏切り者を作っておいて情報網を混乱させ…
信長ならできるってのは信長天才論に基づいた希望的観測。基本的には秀吉と条件は変わらない。
確かに中国の歴史上で、敵国に内通する売国奴と呼ばれる人間は多数出たけど、
内通するにもまず繋がりがなければならない。
当時の日本は、明国内にほとんど交渉を持っておらず、ここから内通者を作るのはかなり難しい。
>土木の戦いじゃ圧倒的少数のエセン軍が60万の明軍精鋭部隊を…
土木の変は、オイラト軍が優れていたと言うよりは、明軍が間抜けすぎた。
当時、明の専権を握っていた宦官の王振に唆されて、正統帝が親征を強行したわけだけど、
50万と言われる大軍の中には、皇帝に付き従う文官等の非戦闘員が多数含まれていて、決して精鋭部隊ではない。
しかも軍事に素人の王振が、武官たちの猛反対を押し切って危険な進軍を繰り返した挙句、
いざオイラト軍が姿を現すと、水の補給ができない場所に布陣してしまい、オイラト軍が何をしなくても、
明軍の将兵は渇きに苦しんで自滅してしまった。
いくら斜陽の明朝と言えども、こんな醜態を再び晒してくれるとは考えづらい。
秀吉は西欧の航海技術の提供が受けられず江南、朝鮮からのニ正面作戦を断念するしかなかった。
信長だったら秀吉と同じ事になるだろうけど信忠(ちゃんとした後継ぎ)がいる分、秀吉同様の本人死亡による全軍撤退の可能性が低い。
十万以上動員して少しも敵地を取れなかった事には、ならなかった無いかも。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 21:03:22
60万も精鋭がいたら凄いだろうな
自衛隊で言うレンジャーだろ
そこまで練兵できる明軍スゲーな
孫武が100人くらいいたのか?
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 21:17:38
>>114 補給線は朝鮮を征服したあと各地に拠点を構築して確保すればよかったかも
しれない。事大主義の朝鮮にはソウルに軍を駐屯させて威圧し従わせればい
いと思う。食料は大量に持っていけばよい。永楽帝のモンゴル攻撃のときも
食料は大量にもっていった。一番の問題は弾薬。これが痛い。
情報網はおそらくあなたの言うとおりだ。ムリだろう
しかし日明貿易は存在したし明は商人を通じて日本の国情を探っていたから
偵察くらいはできたかもしれない
永楽帝のすぐ後の明さえこんな醜態をさらしている。
国力がどんどん落ちていた当時の明も可能性は無いともいえない。
また清もサルフの戦いで明軍を圧倒したし朝鮮征伐では碧蹄館や
四川の戦いで{精鋭島津だが・・}圧倒的多数の明軍を撃破している
明の大軍を敗れないとは必ずしも言えないのでは?
一つ教えてもらいたい事がある。
土木の戦いの明軍には非戦闘員がどの程度存在したのだろうか?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 21:19:00
>>116 ここで言う精鋭とは訓練された兵士。
特殊部隊ではない
いやどこで言っても精鋭は精鋭だろ
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 21:55:29
領地取っても維持が無理だろ
本州の大名が九州や四国の領地を維持するのも困難なくらいなのに
>>117 >朝鮮征伐では碧蹄館や四川の戦いで圧倒的多数の明軍を撃破している
明が朝鮮へ送った援軍は、多くても10万人程度と言われている。
日本軍の10数万人も全てが戦闘兵というわけではないにしても、
明軍が圧倒的多数であったとは言いがたい。
それと明の国力が落ちていたとは言っても、
万暦年間の前半は、張居正の頑張りで国力が建て直されていて、
当時はまだその余韻が残っている。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 10:21:40
秀吉を暗殺したのはチョソンの無名のサウラビがわざと捕虜に
なって陣中に侵入して警備が寝静まった夜半に単身秀吉を殺害
。直後に異変を発見した警備に十重二十重に取り囲まれて斬殺
された。しかしこの一件で韓国男児の忠烈が諸国に響き渡り、
以後国境を侵す者はいなくなった。
この美談は後年の安重根烈士の義挙にも繋がって世界の話題の
中心を大韓民国に常に集める事になる。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 16:18:21
>>1 倭奴が侵略したのは、ウリナラ美女が目当てだったニカ!
>>123 世界共通の統一後の必然、統一後の余分な軍事力消化。
朝鮮も失敗に終ったけど、世宗の代に国が安定して余った軍事力を対馬侵略にあてている。
余分な軍事力消化?
子飼い大名ばかりを消化させて徳川を温存させたのに?
秀吉は中国やインドを本気で支配するつもりだったと思うよ。
半分狂ってたみたいだし。
中国やインドを本気で支配するつもりだった半分狂った男が
慶長で南鮮三道で妥協しようとするか。
秀吉は対明戦争を本州の延長で考えていたけど、文禄後に大陸の広さ支配の難しさに気付いて慶長で大陸支配から南鮮三道支配に下方修正したのが真相だと思う。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 21:50:43
>>121 いや、一つの決戦での話し。
正面衝突したら日本が勝つ見込みは十分あったかも知れないということ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 22:12:06
いくらチンギスでも海を渡って日本を攻めて成功は無理だろ
レス違いだが、
侵攻のし易さ
宋>山岳地の壁>高麗>日本海の壁>日本
高麗も半島特有の風土病「派閥争い」に罹って居なければ、半島自体遊牧民が苦手とする山岳地が多いのだし、意思統一して戦っていれば相当粘れたはず。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:40:42
とりあえず江南は戦場にしなきゃいかん
そうでないと明は動じない
朝鮮半島での作戦では、戦線をあまり北へ伸ばしてはいかん
北京攻略は無理だから諦めろ
>127
短期的に連勝するのはまだ易しいが、被支配民族からの支持が無い状態で
領域を長期保持するのは非常に難しい。豊臣政権からすると得たものは無く
かえって自らの存続に引導を渡した形なのでそれ自体愚行だったという評価は揺るがないだろう。
しかし、道義的問題を一時棚上げして、植民地支配という形であっても
大陸との交流がもっと続いていたら、という仮定をしてみると、
それなりに豊かな果実は生まれていったかとも思う。
暴力的過程を通じてでも異文化と接触しまくった方が鎖国的平和より
文化的に得るものは大きいというのはちょっと居心地悪いが真実性がある
金と南宋の間で結んだ紹興の和議のようなものを、日本と明との間でも結べたら、
まさに理想なんだけどね。
明は朝貢貿易を見ても分かるように面子を重んじるから、日本は名より実を取る方向を目指すべき。
君臣関係だと、あまりに日本の立場が弱いので、
例えば明を兄、日本を弟というような形にすれば、明側としてもかなり交渉に応じやすくなるだろう。
その上で、寧波や福州等の港を開港させて自由な貿易を認めさせ、
できれば寧波、舟山群島あたりを割譲させるか租借したい。
>133
明は対日本では別に追いつめられてないし、喩えとして
ちょっと極端じゃない? >紹興の和議
明がどの程度なら譲る準備があったのかは大体判ってるわけで、
それを蹴ったのは秀吉の誇大妄想狂の然らしむるところで如何ともしがたい
理想なんだから、できるとは言っていない。
紹興の和議ほど圧倒的有利な講和は無理だろうけど、
それまでの朝貢貿易のようなしょぼいものでは済ませたくないし。
大陸侵攻の真の目的は実は不況+失業率抑制策だ、という説があるね。
天下統一でそれまでの戦争バブルはじける→失業不況→秀吉の意図的散財→続行不能→
戦争バブル再現の試み→失敗・・
みたいな。
当時の連中はそういう経済の法則性を自覚はしてはなかったけど、
彼らが出来る範囲でインフレと戦ったというか
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 14:36:18
堺とかの商人とか、当時の経済界には、
海外進出を要望するような空気があったらしいね。
それと一応の天下統一で戦乱がなくなって、
浪人がかなり出ていただろうし。
明との直接貿易をしよう、という方向に向かった場合、
日本と明との間に立って儲けていたポルトガルなんかが反発して、
妨害に出てくるかもね。
その場合は南進策でつよ。
或る程度アジア史が変わったろうな。
いきなり仕掛けても大変だろうし、
まずは現地に日本人町を作って…というような長期的な作戦が有効。
東南アジア方面に関しては。
日本人が船団を作って押し寄せたら防御の術は全くない、
と当時、現地のポルトガル人も自覚して恐れていたぞ。
でも確かに陥落さすのと保持するのは違うことだから、制海権を長期的に
確保するための手は色々打つべきだが。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 19:59:39
やっぱり日本人町を作ってじわじわと浸透していくのが一番だろう。
やはり宋と遼、金、西夏との関係を研究するべきだな。
いくら領土を攻め取ったところで、民族も言葉も文化も違うんだから、
統治なんかできっこないし、手に負えなくなって投げ出すのは目に見えている。
中国人にしたら、大名制なんか意味不明の統治形態だし。
元朝にしたって、結局まともな徴税体系を構築できずに、
塩税に頼らざるを得なくなったんだし。
>宋と遼、金、西夏との関係を研究するべき
そういう高級な歴史・政治に関する知識や視野を持ってたヤシが
一体当時の日本側に1人でも居たのか、すご〜く疑問だ・・
経験がなければ暫くは何が必要なのかも皆目判らんよ
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:31:59
とにかく明側と交流を持って、
相手を知ることが一番大切だな。
そんなことができたら最初から攻めんわい
寧波を首都にするという構想もどうだろうね。
確かに、海の側に開けていて、日本とかとの交通も便利だろうけど、
中国内陸部への交通という点じゃかなり不便。
広大な中国大陸を統治したいなら、まずは大動脈である長江を接した場所を選ぶべきだったな。
「広大な中国大陸を統治しる」という目的がいくら妄想スレでも非現実的杉で萎え。
下手に内陸に入っても、すぐ旧軍のように点と線の支配に押し込められ、
次には線を失い、点が自滅していくだけだろう。
むしろ、沿海部分の城塞都市を落として小領域を確保死守して尺進の橋頭堡にした
方が地道でいいと思う。・・それでも、やっぱ結局その内に海に追い落とされそうだが
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 14:44:27
だから、このスレ的には、領土を増やすのは無理だから、
倭寇やって嫌がらせみたいに江南の沿岸を荒らし回り、
音を上げた明朝からお小遣いをがっぽりいただこう、
という方向で結論が出ているのだが。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 18:05:29
征服
↓
法則発動
↓
日本沈没
あの当時の明であれば、
女真族と上手く連携とって、
30年くらいかければ何とかなりそうな感じも、
wiki見ればするが。
・・・日本側の士気が低すぎるから無理かな。
>>151 日本と女真族は付き合いがないから、一から始めなきゃいかん。
それに比べると、明は二百年以上も付き合いがあって、
女真族が団結して力をつけないように、分裂を画策するようなこともやっている。
結局、それが失敗して清朝が誕生するわけだけど。
一度女真族を味方につけたところで、明の誘いを受けて寝返る可能性大。
いきなり「唐入り」じゃなくて、
大陸進出の第一段階として、まず「仮道入女真」を考えるべきだったろうね
女真を攻めるのならば、明も介入してこないだろうから
まあ、朝鮮の反応も考えると、
半島を通らず、日本海を渡ってポシェット湾あたりに上陸し、直接満州に進撃する方がいいかな
満洲や内蒙古の女真、モンゴルを征し、豊臣家が満・蒙のハンとなり、時期を待つ
これが最良の戦略だな
でも満州攻めて、領土化しても何もない荒野だからな。
それにだだっ広い平原で、日本軍は戦った経験ないだろう。
いきなり攻めるんじゃなくて、まずは交易でも始めて、
女真族と付き合いを深めることが大切。
何だったら、若手の武士を留学させて、騎馬兵を養成できればいいけど。
>>154 歩兵主力の戦いしか経験していない当時の首脳部に騎兵を理解できるかな。
あの、女真って凄く強いんだけど・・
火縄銃並べて必勝を期しても二発目撃たせず騎兵で蹂躙するようなヤシらだぞ?
地の利もなく補給もままならなず、枕を並べて哀れ凍土の一部と化すのが関の山だ。
まだ旧百済領土あたりの永久保持とかの方が現実性がある
>>156 火縄銃の弾幕を受ければいくら女真とは言え粉砕されるって。
日本軍の補給線が延び切った所で補給線を分断、補給が途絶えた日本軍を時期を見計らって各個撃破と遊牧民の定石で戦うと思う。
当時の火縄だと弾幕というほどのもんをいつも作れるわけでない。
柵の後ろに居るとかで無いと、一発撃って、二発目を撃つ前にもう
騎兵は突っ込んで来てるよ。
陣地戦ならはるかに有効だろうが、ここでの仮定は日本軍が敵地を制圧して回るってことだろ。
まぁ>157のが一番定石だし採用されるとは思う。
それに仮に弾幕を張れたとしても、
女真族だって一度痛い目に遭えば、学習して無謀な突撃は控えるようになるだろう。
むしろ、兵站を狙ったゲリラ的な戦法を選ぶかも知れない。
ということで、関東軍路線は放棄やむなし
いや、
大陸制覇を果たすにしても(最終的に)、
軍事で優位に立ち、明に君臣関係を結ばせるにしても、
機動力のある女真と蒙古を従わせなければならないことに変わりはないのだから、
南進よりも北進の方がよい
それに満洲を制圧すれば、朝鮮に北と南から圧力をかけることも出来るんだから
女真と蒙古を臣とし、朝鮮を小者とし、民である漢を支配する
これが賢明な戦略
日本単独で明を相手にするのは決定力に欠ける
>大陸制覇を果たすにしても(最終的に)
・・大陸制覇とか目標を極端に高く置いちゃうと、もう理性的議論は出来なくなるが。
それじゃ俺はかえってツマラン。しかも何だよ蒙古って。モンゴルのステップ地帯に
まで日本軍が進出支配するっつの? 想像のしようもなくて頭抱えちゃぅょ・・
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 11:58:37
女真族や蒙古族のいるような地域は、仮に征服しても旨みがないよ。
基本的に、何もない荒野なんだし。
侵略するなら、やっぱり豊潤な江南だろう。
近世以前の時代は、
江南を支配する国 = 世界一の経済大国 だからね。
北宋なんかは、今の中国の三分の一ぐらいの面積でありながら、
世界の総生産の半分を占めていたし。
>世界の総生産の半分を占めていた
ネズミ算式に行けば中国に関しては未来にも似たような数字が出てくるんだろうが、
その前に地球環境悪化と資源枯渇で成長が破綻しそう・・
しかし、
江南を支配する国 = 世界一の経済大国 ≠ 世界最強の軍事力
だったよな
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 22:51:46
そうだね。
北宋がいい例だけど。
靖康の変なんか、信じられないほどいい加減だったからな。
金にしても、宋があれほどあっけなく崩壊するとは思っていなかっただろう。
宋を滅ぼしてしまって、残った領土の統治に苦慮しているし。
宋が成立する前の五代は、武官による簒奪が相次ぎ、
宋自身も、武官であった趙匡胤の簒奪によって誕生した国だから、
軍閥が力を持つことへの警戒心が異常に高かった。
だから、武官には力を持たせないというのが基本政策となった。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 15:50:18
殿下万歳
「殿下」って何か馬鹿そうに聞こえるな。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 19:57:12
正直、イ・スンシンは別格。
世界レヴェルでは信長・秀吉・家康はあまり知名度は高くない。
以前に取引先のスペイン人に尋ねたが、誰一人知らなかった。
過去の日本人で一番対外的に有名なのは昭和天皇だし、
悲惨な戦争を引き起こした張本人だし、
いい加減靖国参拝はヤメロと言いたい。
それに比べ、イ・スンシンは「世界三大提督の一人」。
ネルソン提督を超える神鮮人である。(完)
妄想乙
李舜臣は文禄慶長で一番頑張った朝鮮人だが明国朝鮮地区の英雄の域を出ていない。
>>172 さすがシナの正朔を奉じ続けた東方礼儀国…、日本とはレベルが違いすぎる
シナから、外藩と雖も内服に同じ、って言われるだけのことはある
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 21:58:06
>>173 なにいってんの?
あんたあたまだいじょうぶ?
李舜臣は「世界三大提督の一人」。
秀吉なんてただの「ラッキーマン」。
半兵衛と官兵衛がいたら、ボクにだって天下統一できちゃうよ!
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 22:00:37
>>174 >さすが東方礼儀国…、日本とはレベルが違いすぎる
えへへ
そこまで誉められると照れちゃうな
日本だってそこそこ頑張っていると思うよ!
てへ
まず第一に、半兵衛や官兵衛が
>>175についていく気になるだろうか?
>>174 焦土戦術(焼く物は元から少ない)を行っても秀吉生前に日本軍を撤兵させる事が出来なかった。島津・宗・立花に破れて海の藻屑になった武将がねえ(将校の消耗から考えて明・朝鮮の完敗)。
練度が低く纏らない(弱い)朝鮮兵を率いてほぼ孤立無援で戦い続けたけた点は評価出来るけど。
179 :
178:2006/10/14(土) 22:58:34
訂正
174→175
174氏スマソ。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 23:27:00
>>177 なんだと! 小日本猿めが!
ボクのおじいさんは戦後に駅前の一等地を保有してパチンコ屋で大儲けした、昭和の昇り龍なんだぞう!
同じ釣りなら釣られにゃソンソン〜
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 01:54:43
>>181 おい! おまえだ、おまえ!
オレのことを罵るのは好い、覚悟の上だからな。
だが、オレのことを邦人なんかと一緒にするのだけは許せねえ・・・
分かったか!
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 01:57:46
>>178 >孤立無援で戦い続けたけた点は評価出来る
むう、おぬし、できるな?
! まさか! おぬしも神の半島出身でござるか?
低レベル釣り師はどっか行けよ。
軍事・政治的な考察をする気がないのにスレを浪費されると迷惑だ。
×スレ
○レス
回線(ry
おや、ちょっと目を離した隙に荒れちゃったなあ。
李舜臣の評価点って、上げた戦果より勝ち目の無い戦いを続けた姿勢。
実際、李舜臣の戦果は芳しく無い。指揮するのが補給無し、練度低し、統率無しの弱兵じゃ民間船を偽装した騙し討ちや小規模補給部隊を襲うぐらいしか手は無い。
李舜臣は確かに大した戦果を上げていないが彼の祖国が朝鮮である事を加味しようよ。戦い続けただけでも大した物だぞ。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 07:02:17
まあ朝鮮出兵は時代が悪かったかも、30年ほど後だと大陸は戦乱だから
まるで状況が違ってくる、違いすぎて想像出来ないけど。
家光の時代にも明から鄭成功が援軍要請にきてる、鄭成功は母が日本人で7才まで日本で育ってる人
当時もやっぱ浪人がうじゃうじゃ居たし、国力も秀吉時代以上だし、大義名分も有る
加藤清正なんかは朝鮮での補給の不備に懲りて、マグロ漁船として船を沢山造ってたそうだ、(鎖国前)
条件はそろってるから、やってみれば成功したかもしれないが。
もちろん秀吉の失敗をよく知ってるから、成功しても、それは逆に日本の不安定化に繋がると見て止めたそうな。
俺的にはやって欲しかったなw
清軍は兵力はそんなに大きくないが、広大な大陸を駆け回る機動力に優れていた。
しかも、李自成の乱によって崩壊した明朝の残党を、
かなりの部分で吸収し、統治機構も基本的にはそのままの形で受け継いだ。
だからこそ中原支配を確立し、更に安定した政権を持続させることができた。
徳川幕府じゃ、大名配置による統治形態しか頭にないだろうなあ。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 09:45:51
>鄭成功が援軍要請にきてる、鄭成功は母が日本人で7才まで日本で育ってる人
歴史にロマンを求めすぎかと・・
鄭成功自身は、中国人だという意識の方が強かったと思うよ。
日本人の血を引いていることに、コンプレックスを抱いているようなところもあったらしいし。
コンプレックスがあったかどうか知らないけど、自分が掲げてる目標との関係上、
部下とかの手前、お前ハーフじゃん、という目で見られるのは得策じゃなかったのは
容易に想像が付く。
スーチーに対するミャンマー政府の悪宣伝で、あの女は旦那が西洋人(だから真にミャンマーのためを思う人物ではない)
なんてのもされてた。そういう安直な攻撃はいつの時代もされるし大衆のレベルに合ってるので有効でもある
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 02:12:47
196 :
信玄:2006/10/19(木) 02:25:09
秀吉を暗殺したのは、チョソンの無名のサウラビがわざと捕虜になって陣中に侵入して、警備が寝静まった夜半に、単身秀吉を殺害。
直後に異変を発見した警備に十重二十重に取り囲まれて斬殺された。
しかしこの一件で韓国男児の忠烈が諸国に響き渡り、以後国境を侵す者はいなくなった。
この美談は後年の安重根烈士の義挙にも繋がって、世界の話題の中心を大韓民国に常に集める事になる。
まずは、通常通りに対馬から釜山あたりに上陸し、部隊を北上させて、漢城に迫る。
同時に強力な水軍で海上機動艦隊のようなものを組織し、黄海を北上させて、電撃的に江華島と開城を攻め落とす。
漢城より北に敵が現れれば、朝鮮王は逃げたくても逃げられないわけで、漢城での籠城を選ばざるを得なくなる。
後は、朝鮮王を捕虜にして、朝鮮の行政機構を支配下に置き、段階的に実権を奪っていって占領を進めていく。
>>197 朝鮮国王は包囲されかけた時点で王子か側近に漢城を任せて明に逃げそうな気がする。
一人も居なくなるような苛烈な派閥争いで生残っているので危険に対する鼻は利きそう。
>>198 だから、先に開城と江華島を占領して、明への逃げ道を封じるんだよ。
南北から攻められたら、漢城に籠るしかないでしょ。
籠城戦に持ち込めれば、後はいかようにも料理できるわけで。
そもそも朝鮮いらんだろ
明軍をおびき出すために、朝鮮を叩くのさ。
明軍の主力を朝鮮半島に引きつけてから、江南を急襲、
鎮江と揚州を制圧して大運河の喉元を押さえ、
有利な条件で明と講和を結ぶ。
>>201 航海技術に不安が有って東シナ海を渡る長期海上ルートが使えなかったから朝鮮からの一面作戦になったのだぞ。
もし不安を感じさせないだけの航海技術が有ったら二面作戦を使っている。
反対に、半島に釘付けになってる時に大挙九州に上陸されたらどースル?
軍事において、自陣営に最善の、敵陣営に最悪の展開をのみ想定して
作戦計画を立てる者はまずもって失敗するぞ。
それに対抗するための予備役十万が九州に詰めている。
肥前名護屋城
先に琉球を攻略したら航海技術と船が手に入らないかな?
琉球の進貢船は当時アジアで最優秀の船だ。
まだ薩摩藩の支配下ではない時代だったっけ
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:58:45
当時フィリピンの方を攻めるって案もあったらしい
航海技術が発達してないからやめたらしいけど
航海技術は、ポルトガルとかスペインと手を組んで、入手するしかないね。
江南作戦は、それが前提となる。
>>203 当時の明朝が、外征に動員できる兵力は10万もあればいいところ。
それに、渡海作戦の難しさは元寇が証明している。
明は、鄭和の大艦隊という壮挙をなした経験があるとはいえ、
万暦年間には関連資料が全て破棄されて残っていないから、
あれだけの艦隊をにわかに作ることも不可能。
たとえ九州に攻め寄せられても、沿岸部はそれなりに被害を受けるだろうが、
内陸部まで攻める余裕はないと思われる。
早々に兵站も破綻して撤退に追い込まれるだろうし。
>>207 亀井茲矩が秀吉に「琉球くれ」と言ったが実行はされなかったね
まず、何が大目的なのかをはっきりさせないとな。
スレタイどおり朝鮮の長期維持による領土拡大なのか、
秀吉が言ったように唐天竺まで征服したいのか、
或いは本音は明を貿易の場に引っ張り出して経済利益を得たいのか。
何を達成したいかを明確にしないまま局地的状況に流され、なし崩し拡大でダラダラ・・
てパターンは日本人の悪い癖だ
>>1を読む限りは、朝鮮の征服、朝鮮人の奴隷化だけどね。
先の方の議論では、主に明とのどう戦うかについて議論している。
そこである程度結論として導き出されたのは、
明を滅ぼして大陸を完全征服することは不可能、
明の領土を攻め取り、領土化して長期維持するのも難しい。
そこで明との戦争を優位に進めた上で、講和を結び、
交易を認めさせる、あるいは宋が周辺国に行っていたような歳幇の提供を認めさせるような、
経済的利益を得るのが現実的ということでだいたい結論がまとまった。
そこで、次に明との戦争を具体的に、どうやって進めるか。
大きく分けると朝鮮を戦場にするか、江南を戦場にするか。
もう一つ加えるとするならば、朝鮮を経ていかに北京を狙うか。
もっとも、北京方面への進出も相当難しい、
江南を戦場にする場合は、航海技術が必要なので、
ポルトガルやスペインの協力が必要という方向で結論が出つつある。
213 :
紐育人:2006/10/20(金) 13:03:38
一つ絶対に言えることは、朝鮮半島を半植民地にした場合、当時の奴隷商人の活発さ
からして長期間にわたって大量の朝鮮人が日本に入ってくるだろうということだな。
当時は近代的民族概念が無いし容姿も甚だ似通ってるから大規模な人種的、文化的な
融合が起こるね。また、明との貿易+人的交流で中国文化の影響が更に強まる。
仮に比較的に上出来の講和が出来ても、日本文化の儒教文化圏の一部化が進むのは間違いない。
つまり少なくとも今我々が考えてる日本文化とはかなり違うものへと成長してくだろう。
よく言われる事だが、鎖国によって比較的強い程度の独自性を作り出す
300年の猶予が与えられ、巧くペリーを迎えられたわけだが、それを失うという面がある。
まぁ俺は何でもごった煮、雑種文化の方に大きな魅力を感じる質だからそんな
IF未来も面白いと思うが、多分なんだかィャーな気になる御仁も居るのでないのかな?
>>213 ごった煮、雑種文化にはならずに多少中国文化が入るだけだろう
有田焼なんかはその例ではないかな
どのみち秀吉が死んだら家康の時代だし、鎖国はほぼ決定事項では
>>214 家康の基本姿勢はバテレン(侵略尖兵)は×だが、交易は○。
鎖国化したのもバテレン禁止令の徹底で結果的になったに過ぎない。
朝鮮に明軍の主力を引きつけて、江南を制圧するという意見があるが、
仮に南蛮の航海技術が手に入っても、東シナ海を押し渡って、大軍を運ぶのはかなり難しい。
それよりも数千人の精鋭部隊を編成して、先に江南へ送り込んで沿岸部を荒らし回り、
明軍の主力を江南に釘付けにする。
その上で、主力の大軍を朝鮮に攻め込ませる方が現実的だと思う。
明だって、国力の源泉とも言うべき江南が危機にあれば、属国などに構っていられないだろう。
江南に攻め込まれれば、寧夏の乱を鎮圧した後の李如松の主力部隊は、
江南の防衛に回され、
属国朝鮮が援軍を求めたところで、遼東に残っていた数千人の兵の派遣で、
お茶を濁されるだろうな。
鴨緑江を越えて侵攻したら、話はまた別だろうけど。
>>217 >遼東に残っていた数千人の兵の派遣
祖承訓とかw
>>216 江南で海賊行為をやったとしても、沿岸地域だけでなく長江内部まで荒らせるのか?
更に、捕縛された場合、独立した場合のリスクが高くないか?
嘉靖年間の倭寇の騒乱時には、少人数ながら、内陸部まで入って南京の周辺も荒らし回っている。
一時的に攻撃をかけるぐらいなら、そう難しくなさそう。
それと、理想としては長江内部に入って、南京、揚州まで荒らしたいものだけど、
長江に入らなくても、蘇州、杭州を脅かすことができれば、
十分に明軍を引きつけることができると思うよ。
>220
少人数過ぎ
>>221 内陸部の南京や揚州の方面は、少人数でも構わないよ。
少数の精鋭部隊で、ゲリラ的に暴れ回ればいい。
何も、城の攻略を狙っているわけではないのだから。
北京の朝廷へ、騒乱の規模が過大に報告されればしめたもの。
沿岸に近い蘇州、杭州は数千人規模の部隊で占領してしまう。
これで寧夏にあった李如松の軍勢はそのまま江南に回されるだろう。
荒らしまわるのは可能でも占領は無理だろう
まず蘇州、杭州を数千人規模の軍勢で落とせるかが疑問
日本と中国では城の構造が違うし、防衛にも不安が残る
ついでに船や武将が捕らえられた場合、攻められる恐れがある
ま、中央に被害がどう伝わるかはポイントだろうね
低く伝えるか、誇張して伝えるか…さて、どっちだ?
敵を引きつけるのが目的だから、占領しなくても騒ぐだけでいい。
蘇州、杭州も占領できなくても、一時的に攻め落とせれば上々。
嘉靖年間の騒乱の時も、江南の地方官は、被害を大袈裟に伝えたから、
それなりに誇張して伝えるだろう。
低く伝えたら、自分たちだけで対処しなければならなくなるから。
つーか、「朝鮮征服が成功していたら」がテーマなんだから、
フツーに朝鮮半島制圧を前提として話すべきだろう
>>224 成程、日本のゴミ箱体質とは違うな
どっちもどっちだが
以下、南蛮の造船技術を得て江南を荒らしまわり戦力の分散に成功しました、という仮定でどうぞ
>>216の
>その上で、主力の大軍を朝鮮に攻め込ませる方が現実的だと思う。
>明だって、国力の源泉とも言うべき江南が危機にあれば、属国などに構っていられないだろう。
だから
朝鮮征服は成功ということだろう
半島に足場ができ、陸路からの大陸侵攻が可能になる状態だな
人も土地も荒廃した荒地を足場と呼べるなら。
>以下、南蛮の造船技術を得て
連中がそんなもんタダで呉れるのか?
百歩譲って呉れたとして、その見返りは何か。思わぬ陥穽があるかも知れんぞ。
まず都合良い仮定をして、それを基礎にして練る戦略は所詮白日夢であって意味がない。
「どんな天候も想定して出陣すべし。粗忽者は好天と決めつけ戦場に出、雨に遭って狼狽する」
と戦国の軍略家も言って居る。
まあ、いいじゃないか。とりあえず、
>>226に沿って、
江南に数千人規模の軍勢を送って荒らし回り、
明軍の主力部隊、寧夏で反乱鎮圧に当たっていた李如松の部隊はそのまま江南に直行、
明が朝鮮に派遣可能な兵力は、遼東に残留していた一万人以下の部隊に限られるという設定で、
話を進めよう。
>229
史実では秀吉は造船技術の見返りに国内での布教の自由を用意していた。
結果は南蛮の脅迫外交でだめになった。
南蛮船襲えばよくね
どーせ遠征とかしてこないし
233 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:11:42
太閤の目的は大名たちの目を外部に向けさせることが目的、
豊臣の基盤整備の時間を稼ぐための外征であり成果は2の次
徳川を北條の旧領へ転封し、東海中仙の両道を譜代の家臣団
で固めた太閤にとっては、子飼い家臣の派閥争いと毛利3家
が、政権の脅威と考えたため、武闘派家臣と毛利3家の弱体
を目的に朝鮮出兵を行った。そもそも、太閤の得意とする戦
は調略でありいきなり京城まで攻め入るのは無策といわざる
を得ない。本気で攻略を考えるのであれば、倭寇的な攻撃を
前段に行い、その取締を口実に大陸及び半島に陣所を構えさ
せ、兵站及び連絡を整備した上で、蒙古、ウイグル、満州等
の異民族と呼応して戦端を開くだろうし、十分な水軍を整備
して戦に望むだろう。世界でもまれに見る米本位制の経済を
とっていた日本が米の収穫量がわずかな朝鮮半島を占領する
意味は大名には少ない。攻めるなら江南だが、それには水軍
整備が必要であり橋頭堡に琉球を占領し支配を安定してから
でなければならないのは自明の理である。
234 :
ドク癌竜:2006/10/24(火) 00:20:40
お前らいつまでも過去の話で盛り上がってるんじゃね〜実際はチョンども殲滅してくれればよかったのにね〜そしたら今こんな事にはならなかった(笑)
>233
そゅぅ高度の政治的判断があったの、ボケ老人の妄想だったのかよくわからんな
>>235 北九州に明の逆襲に備えて予備役約十万を配置、朝鮮上陸軍約16万を支える補給路の整備、慶長の補給限界の見極め戦線の縮小とかはボケ老人のそれじゃない。
>>233のような高度な政治判断があったと考えるべきだろ。
だが耳を切らせて耳塚、ってのはどゅぅ合理性があるんかな。
その時点でボケ始めたのか
ちゃんと祭らないと怨念に祟られるだろ。
ぃゃそぅゅぅことでなく・・
>>239 まあ、どのようにして前線で耳を集めたのか察しが付いただろうから、前線の後ろめたさを払拭する(士気を維持する)為のイベントを興したのが事実だろう。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 17:49:02
どっちにしろ中途半端に攻めて落とせなかったのが痛い
負けるならやらなきゃよかったよ
15年戦争のことかぁ〜っ?!
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 05:25:08
そもそも太閤は北條征伐と相前後して大坂城、聚楽第、伏見城と大型の土木工事を各大名へ普請させ
体力を奪っている。そこに肥前名護屋を追加していることは、第1目的は国内事情であることは明白だ。
実質豊臣政権はわずか14年しかない。その間に大型土木工事と外征を2度起こしていることは明らかに
国内の不平をそらしまた、造反勢力の弱体化を企図したもの以外に無い。
個人的には攻めるなら勝戦をしてもらいたいとは思う。せめて済州島や鬱稜島、巨済島などを長期に
渡り占領できれば、今日の竹島問題も無かったのにと思う。中世末期に海外領土を得ていれば、近代に
おいて、日本ももっと早く列強に対応出来ただろうし、アジア全体ももう少し緊張感のある近代史を、
送ることが出来たと思う。さすれば、アングロサクソン優位の現代世界観もなく真の平等世界が実現
していたかも?と妄想する。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 05:50:55
国内の不満それなかったけどな。
>せめて済州島や鬱稜島、巨済島などを長期に渡り占領できれば、今日の竹島問題も無かったのにと思う。
これら半島周辺が日本領となることは、より密航しやすくなるということをお忘れなく
>アングロサクソン優位の現代世界観もなく
>真の平等世界が実現 していたかも?
>と妄想する。
一行目は可能性があるが、二行目は確かに物凄い妄想だな。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 17:59:29
,,r''"ミミミミミヽ
/∬/彡ミミミ'´ u ミ おい、真央また叩かれてるじゃねーか!
/ミ/ミ/ニ彡ミ" l 早く対応しろよ!
{ミ{彡l三彡" ⌒ '⌒ l あれだ、「芸スポでまおまおが攻撃されてるよ」って狼にレスしとけよ。
{ミ{彡l二ミ u-=・- -=・- え?それでも無理?ならもういいから!
{ミ ノ ノ^,-, ""´ r_ ) } エヘヘブヒーってレスしとけよ!
ζ /´ ´ ' , ^ヽ r-‐==ァ ! とにかく話題逸らして!逸らして!
/ u ノ'"\u`='' ノ
/ \_/ \/ ___/\ ._________
/ ノ ζ'ζ' \ // /
/ ヽ // /
/ Y ヽ //. N E C /
ヽ__ // /
百歩・・いや三千歩
ゆずって太閤殿下の思惑が成功していたとしよう。
そうなってもできるのは満州人が日本人に書き換わっただけの
大清帝国になるだけだと思う。
で、列島には膨大な開拓農民が押し寄せてきて、征服者だった筈が
民族の故地も独自性も失って消滅・・と
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 01:12:15
マンセwwwwwwwww
sage