袁紹の天才性を語るスレです
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 11:34:01
袁術の方がすごい
思 い 付 き で ス レ を 立 て る な
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 11:42:38
袁紹の善政は、五湖十六国時代まで領民に語り継がれた
袁紹はリストラされるオヤジやニートとかわらない。
袁紹は三国志版・花形(むろん、巨人の星の・・・。)
袁煕は柔弱じゃないです。
袁紹「三国志の主人公袁本初だ。気軽にエン様と呼んでくれ」
袁紹=サル
本初は凄いよ
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 04:27:01
とりあえず、麹義を生かしておけば、曹操に勝てたんじゃない?
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 04:51:12
名前からすでに負けてる。
何進が十常侍に殺害されたときに宮廷に乗り込んで宦官の粛正を行った決断力、
董卓が献帝廃立をほのめかした時に毅然と立ち向かった度胸、
漢と長年敵対していた烏丸と友好な関係を結んだ外交手腕、
さらにあの曹操が袁家の内部分裂があったにもかかわらず
河北制圧に五年以上かかったのは袁紹の内政はがよほど優れていたためであろう。
勝敗は平家の常、官渡や倉亭の戦いで袁紹に軍事の才がないと判断するのはいかがなものであろうか。
むしろ曹操と対峙していながら内乱を平定したことは評価されてしかるべきだろう
曹操にあり袁紹になかったものは、良き後継者と運だけではなかったであろうか
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 14:35:36
戦略が無かった
ゲームでも河北の圧倒的な兵力は恐ろしかった
袁紹には寿命が足りなかった
血統の良さではスレタイ通りだが・・・
>>14 曹操を潰すために外交的包囲網をしっかりと組んでいたじゃん。
まあ、それを跳ね除けた曹操がもっと凄いから、
タイトル通りじゃないんだけどな。
少なくとも無能からは程遠い人物だよ、袁紹は。
チクリ&やつあたりで田豊殺した件は?
あれは派閥闘争の結果だからやらないとまずい
その派閥抗争をどうにかできなかったのが彼のミス、てところでしょうね
>>21 アホか
その派閥の争いを無くす為に切る必要があったんだっての
そこからまだまだ粛清しなければいけない人間はいたんだがそれ以前に袁紹の寿命が尽きたのがよくなかった
袁紹に足りない才能は長寿だ
>>22 でも長生きしてその後曹操に何度挑戦しても勝てなさそうw
使えない軍師ばっか残っちゃってるし
いい武将は官渡でみんな死んだか曹操に降っちゃってるし
審配くらいか?使えそうなのは
袁紹は派閥の内訌で空中分解してただけ
それが解消されれば順当に勝っちゃうよ
>>24 あの時曹操が勝ったのは神がかり的な健闘もさることながら、
どう考えても袁紹に責任がないであろう裏切りがあったおかげだぞ。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 22:54:36
張コウや許ユウが裏切りさえしなければ袁紹が天下を統一していたと思う
劉備は袁紹配下のままだし
孫家も名望ある袁紹には歯向かおうとしなかっただろう
郭図のことかーーーー!!
エン様偉大だな・・・
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 21:40:26
審配 顔良 文醜 張郃 田豊 沮授
と官渡直前では人材面でも曹操にも負けてない。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 21:45:46
人使いは下手で器量も無かった(反董卓軍結成の際)と思いますが
宦官を皆殺しにできる豪胆さ、董卓の専横を察知して逸早く渤海に避難する機敏さは評価します。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 21:50:27
郭図、逢紀等がいなければ・・・
と思ったが、彼等がいてもいなくてもバカ殿は田豊達の献策を受け入れない様な気がする・・・
曹操はあれだろ。
千年に一人のラッキーマン。
運も実力のうちとか言われそうだけど。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 21:54:44
戦の勝敗は曹操と袁紹の人物の差と?
つまり、曹操が勝ったおかげで乱世は長引き、
民はますます苦しんだと。
曹操ゆるすまじ!!!!
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 22:34:44
袁家ってなんか評価されないよね。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 23:34:58
袁紹には寿命が足りなかったというより
そもそもが曹操より一世代前の人間じゃないか?
敗者ってのは、やはり評価されにくいよね。
>>27 劉備に限ってそれはなくね?
孫家も孫堅・権ならまだしも策は微妙な希ガス
どっちにしろ内紛を統制できてないし、袁紹死後荒れる事は必至だろうな
派閥の内訌を終わらせる為に田豊処断したりしてたんだが。
問題は内部粛清終わらせる前にゴタゴタしてその間に寿命が尽きただけのこと
内部がゴタゴタしてる割に忠臣が結構いるのが不思議
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 14:58:33
この二人って若い頃は不良仲間だよね。
ずいぶん家柄は違うと思うけど、そんな二人が親しく交わることって可能だったの?
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 15:00:00
権勢家一族の次世代同士ですから
むしろ家ぐるみで親しくても不思議じゃない
超回復!
袁紹はすごい!
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 17:11:02
>>34 机上でのみ兵法に触れ伝聞でしか戦場を知らぬチャネラーが
あの戦をあなたが満足できるように語れぬのは百もご承知のはず。
>>39 どうだったんだろうね。
ただ、袁家が官渡で勝てば、
平定戦なんて必要ないくらいあっさり中原も靡いただろうから、
疲弊も少なくて済んだろうし、その後の反乱も少なかったんじゃないかなあ。
つまり、曹が必死に抑えてるボロボロの中原・河北とだから孫や劉も
対抗しようとしたけど、
袁が順当に治めてる強い中原・河北とだったらケンカする気になったかどうかと。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 17:59:02
<22
ああこの人は無視した方が良いや
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 18:13:42
関羽が顔良に不意打ちしたから、2枚看板が崩れた。
>>41 ゴタゴタしてたのは後継問題くらいでまだまだ崩壊現象起こす程じゃないかったと考えられるしね
曹操も後継者どもが相争って共倒れになるのを待ってたしね。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 19:21:37
34 :無名武将@お腹せっぷく :2006/10/18(水) 21:54:44
戦の勝敗は曹操と袁紹の人物の差と?
46 :無名武将@お腹せっぷく :2006/10/19(木) 17:11:02
>>34 机上でのみ兵法に触れ伝聞でしか戦場を知らぬチャネラーが
あの戦をあなたが満足できるように語れぬのは百もご承知のはず。
1の結論はもうすでに蒼天航路で出てるってことだな。
あれは美しすぎて戦ではない。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 19:59:27
曹操死後も曹彰と曹植がゴタゴタしたらどうなってたことか
そうならないように曹植派の楊脩はぶった切ってあるし
曹彰は兄弟二人に比べるとその器ではない(神輿にするにしても曹植ってわかり易いのがいるし除外)
過小評価されがちだけど楊脩の影響力は物凄くでかい
その男をぶった切ってまでも曹丕への継承をスムーズにしようと曹操はかなり腐心してるわけだ
で袁紹勢力で類似するポジションにいたと思しき人物が田豊
もう少し粛清を進めれば袁紹→袁尚への継承がスムーズに行ってたんじゃないかと考えられる
55 :
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56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 20:37:07
いやいや曹彰はかなり危険だったはずだよ
名声、実力、本人の権力志向、一歩間違えればヤバかった
賈逵が上手くやったのと曹丕の暗殺のお陰だな
楊脩は曹植取り巻きの筆頭だったのか?
>>56 「俺はリーダーになるんじゃなくて将軍として功績上げたいんで匹夫でいいっす」って宣言してるのに?
あと曹植に「お前が王位につけよ」とも言ってる
神輿にするにしても曹植がいる間、曹彰にスポットが当たることはないと思われるがどうよ
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 20:55:00
素直な子だね
曹操の印綬のありかを知りたがるということがどういうことか
曹丕時代の彼の評判を知り兄であり君主である曹丕はどう思ったか
曹植が候補から消えたなら、むしろ曹彰の野心が頭をもたげ始めても不思議じゃない
>あと曹植に「お前が王位につけよ」とも言ってる
これは曹操死後の言葉
>>42 石井仁の本には、仲良かったと言っても曹操がパシリみたいな感じで
対等ではなかったろう・・みたいなことが書いてあった。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 22:19:31
紹父さんはなぜ長男ではなく末っ子を次代の盟主にしようとしたの?
よく言われてる見た目の良し悪しがマジで理由なの?
当時の基準(今もかw)では容姿も結構重要だったようだが
>>62 官渡辺りの対曹操戦で一番戦果をあげていたのが三男坊で一番失敗してたのが長男坊
実力主義で後継ぎ決めちゃったら家が割れちゃったの見てたので曹操は長男重視
まあそうは言っても曹家の嫡男は三男に劣るとされてるものの事跡を見ればやっぱり優れてて
曹操からしれみりゃどっちも優秀だから長男でいーやってな感覚なのかもしれん
袁譚、袁尚の母親は同じ?
もし違えば、母親側からの圧力とかもあるんじゃないか。
劉表のとこみたいに。
>>64 賈クの進言は玉虫色
曹丕にした方がいいとも受け取れるし曹植にした方がいいとも受け取れるよ
>>65 伝わっていない。もし違うなら、それが原因で問題が起きた、というような
教訓めいた話が伝わるはずなので、おそらく同じ母親だろう。
特に袁紹の正室は袁紹死後に側室を37564ちゃうような人だから、
いかに袁譚がへっぽこでも、母親が違うなら後継争いのなかで
こういうことは宣伝に利用するはず。
むしろ、袁譚が生母に疎まれていた、に100五銖銭。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 01:38:39
袁譚が青州をまとめた手腕はガチ
袁紹さまマンセー!
>>67とか見てると、
袁紹と曹操の最大の違いのひとつが
奥さんかもしれん・・と思ってきたw
卞夫人賢妻だからなー
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 14:00:39
その人の成功を+失敗を−だとすると。
袁紹は+もいろいろとあったが、官渡での負けが大きくて−も大きくなった
その後+を作れずに我々には、袁紹=曹操よりは下
と写っているのでは?
官渡の後も倉亭で二連敗目を喫した挙句、磐石な筈の支配体制も撓んで冀州反乱
これを鎮圧したところで死んだからなぁ
ジャンプの打ち切り(俺たちの戦いはこれからだ)みたいなところで死んでるから評価低いんだよ
猜疑心が強くて人を用いることができなかったイメージが強いけどそうじゃないの?
田豊は袁紹の器量の狭さのために殺されたかわいそうな人だと思ってたんだが
田豊の出身地と地盤、息子達の担当地域を併せて考えると面白い事がわかるかもよ
あと讒言された連中の出身地と讒言した連中の出身地も考えると
何で袁紹陣営にあんな讒言の嵐が吹き荒れたのかのヒントになると思う
それってつまり派閥を抑えられなかったってことじゃないか?
派閥自体は曹操政権にだってあったけど、少なくとも当時は派閥争いが政争
になって政策を左右するまでにはなっていない。
派閥で国策を決めてそれで敗戦してるんだから、言い訳にはならないと思う。
だからその派閥争いを終わらせる為に河北出身者や青州出身の袁譚取り巻きを切り捲ってたのが官渡の直後の袁紹
曹操が曹植の取り巻き切り捲くってたのと同じような状況だったんだが袁紹はその粛清中に死んだっつーこと
ちなみに当時がどこを指してるんだかは知らんが魏公就任辺りからは派閥争いで政争になって国策を左右してるよ
っていうか魏公就任が派閥争いの結果だったりするもんでな
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 16:59:03
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:02:56
官渡敗戦時てなんか連れてった兵力の大半が殺されたか降ったかで
ほとんどまともに帰還できなかったて記述が本なんかでは多いがす
ぐ仇討ち戦(倉亭)してみたり反乱鎮圧したりしてるとこ見るともと
もとの財力と兵数だきゃ凄まじかったんだろうな
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:47:38
>>79 おれ持ってんのだと真三国志の一とかかな
ほかでも何度かみたがたいとるは失念したわ
紹と無事帰れたのは側近800だけだったとかそんな感じで書いてあった気ガス
生き埋めにされたのが6,7万人とかw
ぬぬ…。以外に良スレだね此処
>>74 もう少し踏み込んで教えてもらえないだろうか?
ふみこむも何もそのままの意味じゃないの?
袁紹が官渡に連れて行ったのは選りすぐりだけだろ。それは全軍の一部だけのはず。
で、曹操は袁紹の外交戦略に嵌まって、軍団のほとんどを周辺への防備に当てざるをえず、
袁紹と対峙した軍は公称で官渡に来た袁紹軍の10分の1だったとか。
ちょっと佐賀大きすぎるので多少誇張が混じってるだろうが、
実際袁勢力は曹勢力の数倍の規模があったんだろうな。
せめて分裂さえせず、勢力を立て直せたら、まだ十分曹操を倒せたはず。
実際、曹操が本格的に河北制圧に乗り出すのは袁紹死後だからな。
後の時代にも官渡が一番きつかったという発言があったらしいし。
しかし許ユウが下ってくれたからよかったものの
曹操も勝算あると思ってたんかねえ?
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 06:17:05
誰かが曹操に
「ラッキーチャンス来るから待とうぜ?」
って言ったらしいじゃねーかwww
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 08:57:58
言ったらしい?(°Д°)ハァ?
>>89 正史に書いてあったから絶対にあったんだお(`・ω・´)
って人?w
otituke
>>86 「下って」ではなく「降って」ではないのか?
偶然にしろ必然にしろ、官渡で曹操が勝ち、袁紹は負けた、だろ。
官渡にこだわるとやはり曹操が有利、勝ったからね。
有利不利は勝つ確率の決定要因で、勝ったからと言って有利だったわけではないし負けたからといって不利だったわけでもない
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 19:13:47
倉亭での2敗目がそーとー効いたか?
官渡大戦の翌年だけにおまけみたいな書かれ方ばっかだけど
経緯とか詳細知ってる人いる?
曹操軍にさんざん誘い込まれて伏兵食らってまた遁走 みたいな
話だったような記憶があるんだが・・・ok?
そりゃ演義の十面埋伏ネタだな
六年夏四月,揚兵河上,撃紹倉亭軍,破之.
紹歸,復收散卒,攻定諸叛郡縣.(武帝紀)
正史三国志中には曹操と袁紹の倉亭はこれくらいしか記述がない
三国志と後漢書の袁紹に至っては完全に記述なし(春秋の筆法だから当然だが)
ただこの直後袁紹は冀州を平定しているわけで、
袁紹の冀州の反乱鎮圧の軍を再南下と勘違いして曹操は倉亭まで行ったが鎮圧の兵だと知ってそのまま引き上げた
という可能性もないわけじゃない
倉亭はどうも東阿の側っぽいのだが、いくらなんでもそこまでエン州側に食い込まれてるってのも考えにくいからな
もし倉亭が98のいうような感じだったとすると、
袁紹は領内をまとめ、再南下の機会をうかがう体制を整える前に病死、
袁紹存命中は袁紹が曹操を攻める側だったのが、
馬鹿息子どもが内戦繰り広げて曹操に攻められる側に転落したわけか。
なんと悲しい結末だ。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 12:27:35
ほかの原因は結果論になるかもしれないが、
すくなくとも嗣子が決まってない状態で、
三人の子供にそれぞれ領地を与えたことは大失策だと思う。
派閥の争いならどこにもあるが、こと後継者にかかわるケースは激しい。
まだ天下定まっていないときにいち早く後継者を決めるべきだった。
決めたかったのに青州派が邪魔しまくりんぐ
まあ青州を譚に任せたのが大失敗だったな
譚は名将
個人としての能力の問題じゃなくて立場と性格の問題
尚は稀代の英雄
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 16:38:45
おなじみ黄巾など反乱者が山盛りだった青州は、袁譚によってまとめあげられたんだぞ
軍事・政治的な能力は袁尚より評価できる
河北四州の精鋭を率いていって勝てなかった宿敵が領地を伺っているのに、
青州をがどうとか言ってる場合じゃないだろう。
自分の州とかなんとか言ってるから、内乱起こしたりするので、
多少軍事・政治的能力があろうと、兵の将であって将の将ではないということだ。
当然袁勢力の首長になる器などない。
袁譚は治世の能臣
袁尚は乱世の奸雄
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 17:27:28
袁紹が袁譚を後継にしてれば無問題だったというわかりやすい結論に
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 19:09:59
やはり袁紹が曹操より有能と言うのは言い難い
袁紹は有能だと思うが、ひとつだけよくわからんのはなぜ
菫卓を洛陽に呼んだりしたかだ。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 20:43:10
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 21:13:22
>>110 派閥的には董卓ってのは清流派で袁氏シンパってことになってたから
そうか
袁紹は曹操を後継者にすればよかったんだよ
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 23:13:51
弟に追い込み掛けられて宿敵に降伏する袁譚に−1票
光栄の初代三国志だと、
袁紹が知力60台、武力80台、カリスマ80台(顔グラがかなりカッコイイ)
袁譚と袁煕が知力30台、武力30台、カリスマ30台(顔グラは量産型へっぽこ)
袁尚がおやじの袁紹とほぼ同じ能力(顔グラは量産型へっぽこ)
地味に袁煕は有能だと思うんだがな。争いに参加することもなかったし。
それ2じゃね
2なら今手元にあるが、
袁紹が全部70台、袁譚と袁煕が全部50台で、袁尚が全部60台。
全員顔グラがあるが、たいしてかっこよくない。
後継者として選ばれる事がなかった時点で優秀とは言えない気がする。
袁紹の頭の中には後継者は袁尚ってなってたんなら選定理由に
長男だから云々ではなかった訳だし。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:04:28
後継者選びも馬鹿したし
カンガンを倒した後の董卓の台頭も考えておらず
優秀な軍師を捨て
部下に裏切られ
圧倒的に兵力勝ってたのに大敗し
なんかもうだめ
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:10:19
人材を抜擢した目を評価しようじゃないか
なんで袁紹をここまで過大評価できるのかがわからない
人材抜擢なら劉備や曹操におとるっしょ
やっぱりエンショウもそこそこの官位の父の息子かむしろ売りの家庭ならもっと開花した
むしろ名門だからこそあそこまでいけたんじゃね?
名声であそこまで人が集まったんだし。
劉備は他人が抜擢した人材を引き抜いてるってイメージが強いな。
演義が抜けきれねぇ・・・。
>>27 それもあるがそしたらエンショウの力を全て出し切っていない気がする
うまきなんねぇかな…
袁紹は最大の敗北を知ったのがかなり高齢だった。
曹操と同じ年齢だったとしたらどうだろう?
>後継者選びも馬鹿したし
後継者選び自体は失敗してない
問題なのは後継者から外された息子の取り巻きをキッチリ粛清していなかった事
しかしこれも官渡後、即座に始めている(この時点で袁紹は自分の代での統一は諦めたんだろう)
冀州の反乱が起こりそれを鎮圧してる間に袁紹の寿命が尽きてしまった為に上記の粛清は全然目立っていないのが残念なところだ
>カンガンを倒した後の董卓の台頭も考えておらず
董卓は元々袁紹の伯父、袁隗によって引き立てられた人物で袁氏を中心とする派閥に属する人物
この男が野心を持って自分が天下に号令しようとするなんて事を予測出来る方が可笑しい
それと何苗の暗殺というハプニングがなければ結局董卓は軍事的に洛陽を押さえる事ができなかったと考えられるし、偶然が幾つも作用した結果で
先見性の無さとするのは結果論が過ぎる
>優秀な軍師を捨て
例えば田豊は青州出身で袁譚の取り巻きの一人
先ずこいつを処刑しておかなければ禍根となるので除いたわけだ
本人の能力よりも立場が問題だった
>部下に裏切られ
許攸ははっきり言って人格破綻者なんで袁紹を責めるのはどうかと
利己主義も程が過ぎる
>圧倒的に兵力勝ってたのに大敗し
許攸のせい
>なんかもうだめ
ダメだね、君が
後継者を次男にすれば内部で争いが起きるのは必須
それを治めずに死去か。 無責任な
「予想できなかった」それは言い逃れにしかならない。 極端に言えば彼さえカンガンを討伐しなければ洛陽は荒廃しなかった
禍根を絶つために優秀な人物を疎外。 それは果たして英雄のすることか?
許脩 人材の前歴やそれをうまく使えないのは君主の技量不足
祖授の進言を無視しまくったのは如何?
しかも烏巣焼かれた戦いだけが官渡の戦いではないくらい分からないか?その前後にも大軍で戦い破れている
エンショウを擁護するのは良いが
>>130見たいな極端な儲は痛い
>>130ではないが
>>132 >それを治めずに死去か。 無責任な
おまえは北斗の化身か?人間の寿命は自由にならない。
>極端に言えば彼さえカンガンを討伐しなければ洛陽は荒廃しなかった
>>130を極端といっておきながら自身も極端なことをいう。
普通こういうのをダブルスタンダードと言うのだ。
>人材の前歴やそれをうまく使えないのは君主の技量不足
むちゃくちゃだ。決定的な取り返しのつかないタイミングで最凶の裏切り行為を
やってのけたやつをつかまえて使いこなせないのは君主の技量不足とは。
丁原が呂布に斬られたのは丁原の技量不足かね。
>しかも烏巣焼かれた戦いだけが官渡の戦いではないくらい分からないか?その前後にも大軍で戦い破れている
敗因は烏巣を焼かれたことだけだ。敗因でもなんでもない局地戦の戦果を持ってきて
何を語りたいのだ?なんか蜀軍が王双を斬って勝利を喧伝してるみたいな感じだな。
>>圧倒的に兵力勝ってたのに大敗し
>許攸のせい
>>130のこれよりはましだろw
>>132じゃないけどね
禍根だらけの袁紹軍でなんであそこまで田豊嫌いなんだろう
どう考えても最優先に指定される人物じゃない
>>133 >敗因は烏巣を焼かれたことだけ
判断に迷って南下が遅れたこととか
沮授の献策聞かなかったこととか
白馬の陽動作戦に引っかかったこととか
もぐら作戦通じなかったとか
いろいろ重なっての敗北じゃないの?
他に穴がなかったら、底力は凄いんだから
烏巣焼かれたくらいで壊滅しないと思う。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 09:44:44
許脩のせいで官渡の戦いは負けた
これは必然か? カンガン討伐しなかったら董卓の暴挙が起きなかった 必然ではないのか?
極端と言ったのは許脩のせい官渡に負けたということだ
自分がもう老いて先が短いくらいわかるだろう。 それなのにってことだ
許脩はエンショウに進言したが自らの家族が罪を犯したため用いられなかったんだぞ?
それを丁原と同一視するとは
しかも最後は何言ってんだが
官渡の戦いをもっと嫁
烏巣の敗走だけが官渡でのエンショウの敗北なわけないだろ
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 10:11:09
>>132 >後継者を次男にすれば内部で争いが起きるのは必須
>それを治めずに死去か。 無責任な
収拾つけられなかった事は事実で失敗の1つ
だが収拾付けようと幾つかの方策を実行し微妙なものながらも結果を出していたのは事実
そのままいけば上手く行ったのに寿命が足りない事を惜しんでるんだよ
>「予想できなかった」それは言い逃れにしかならない。 極端に言えば彼さえカンガンを討伐しなければ洛陽は荒廃しなかった
事前の董卓の上奏とか、後漢内部での派閥構造とか考えていってる?
上に書いたんでもう一度その辺洗いなおしてみろよ
>禍根を絶つために優秀な人物を疎外。 それは果たして英雄のすることか?
劉邦知ってる?
>許脩 人材の前歴やそれをうまく使えないのは君主の技量不足
>祖授の進言を無視しまくったのは如何?
沮授は長期戦派
後継ぎ問題の青州派と冀州派で大きく割れていた袁紹軍団の中で青州派が長期戦を主張していた
無論、袁紹は冀州派に大いに肩入れをしている(と言うか青州派が徒党組んで背いてるだけなんだが)
袁紹陣営で起こった官渡戦後の大粛清は袁譚を擁立しようとする青州派に集中している
最上段での話しがコレにつながる
青州派が長期戦で時間を引き延ばしその間に後継問題をひっくり返そうとしてるようにしか袁紹には見えないだろう
>しかも烏巣焼かれた戦いだけが官渡の戦いではないくらい分からないか?その前後にも大軍で戦い破れている
敗れていない
破られたとする根拠があるなら上げて欲しい
顔文は戦死であって敗死ではない上に元々橋頭堡確保の為の先遣部隊で大軍とは考えにくい
袁紹は連戦連勝し黎陽、白馬を抑え陽武まで進軍している
陽武は河内にあり、エン州州都陳留の目と鼻の先
>エンショウを擁護するのは良いが
>>130見たいな極端な儲は痛い
煽り入れる前に漢字くらい覚えたら?
>>136 因果関係が滅茶苦茶です
>許脩はエンショウに進言したが自らの家族が罪を犯したため用いられなかったんだぞ?
>それを丁原と同一視するとは
「攸」の読みは「ユウ」な
進言は受け入れられなかった→その後家族が逮捕されたので裏切った
この時系列だよ
>烏巣の敗走だけが官渡でのエンショウの敗北なわけないだろ
官渡の位置見て言え
地図も見た事ないのか?
>>135 それらの要素がすべてあってなお烏巣が焼かれなければ負けなかった。
というより、もともとそれらはたいした要素ではない。
烏巣焼かれたくらい、というが、兵糧を焼かれるというのが
どれほどのインパクトかってことがわからないか?
これは、奇跡に近いタイミングを生かして勝利をもぎ取った曹操の
神がかり的な英断をたたえるべき場面で、ここで負けたことで
袁紹を貶めることは、曹操へのひいきの引き倒しに等しい。
結局誰を後継ぎにすればよかったんだろう
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 13:21:59
長子袁譚の元一丸となる体制になってればおけ
袁譚は駄目だ。主体性がない。郭図に脅されて無理やり後継争いとか、
馬鹿すぎる。
また、後継争いに軍を用いた袁尚も駄目だ。曹操という大敵がいる状況で、
阿呆すぎる。
袁煕も駄目だ。嫁さんを曹ヒに盗られるなんて、間抜けすぎる。
となると高幹しかいないのではないか。
>>142 後継争いに武力を行使し始めたのは袁譚だよ
で逆撃食らって曹操と同盟組んだのも袁譚
まあネタレスなのはわかるんだけどさ
じゃあ長男とか抜きで言えば袁尚が後継者ってのは
あながち間違いじゃないって事?
池面だからって訳だけじゃないんだな
袁紹は名門のボンボンと言われがちだが、実際は袁術あたりから
妾の子とか馬鹿にされたりして苦労もしてるので、
いろいろ自身の後継については考えてたんだろうな。
息子たちに州牧をやらせてたのも、競わせるとか実力を測るなどの意図があったのかも。
結局それが裏目に出て、派閥が形成されたってオチかな?
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 17:12:02
>>144 尚に積極的に評価できる程の能力を示す業績は無いんじゃないか?
譚や高幹は難治の地の刺史を勤めて一定の業績を挙げていると言えるだろうが
ウソー焼かれた てのは結構効いたとおもうがな
当時の兵隊なんて衣食住の待遇メインで特に食い物が重要だったろうからなぁ
兵糧基地が全焼だなんてちょっとでも小耳に挟んだ日にゃ浮き足だっちゃって
戦うどころではなくなってしまいそーだが。
て感じのことが元Gベレー作家の柘植さんの三国志本には書いてあった。
受け売りでめんご。
>袁紹擁護の人
たかが高官ひとりの裏切りで烏巣焼かれてしまうのは駄目じゃないか?
そこまで大事な拠点を淳于瓊なんぞにまかせてるし。
あと、烏巣焼かれた後の対応も不味い
>>148 >淳于瓊なんぞ
なんぞと言えるほど軽視できる理由を教えてくれないか
あの無様な負け方見たらわかる
結果論でしか歴史を語れないアホは帰ってね
>>150 淳于瓊は頑張ったんだぞ!
演戯だと酒飲んでるけど…それでも真面目に戦ったんだぞ!
あやまれ!淳于瓊にあやまれ!
しかしながら淳う先生は蒼天スッドレで見掛け倒しNo.1キャラに認定されてしまいますた
オシャレ短足キャラで俺一目でファンになったんだけどなぁWW
>>151 とは言え 戦関係は一族挙げて曹操に全敗だしなあ・・・
過去の敗戦から何か対抗策を考えるとかしなかったのか この河北鉄筋家族は
戦が致命傷でないとしても負けるたびの人材喪失は結構痛かったんじゃないかね
>>151 結果で語るしかないんじゃないかなー
官渡の袁紹はいいとこ無いんだもの
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 02:13:09
烏巣が焼かれたらおしまいってことは分る。
また、許脩の裏切りは有る程度予測できないと思う。
ただ、袁紹の圧倒的な優勢を考えるなら、
まず官渡の長期決戦に持ち込まれる時点はある意味負けだと思う。
そして後の記述を見ても分るが、当時両方の陣営から裏切り者続出していた。
それを上手く使えるかどうかによって勝敗が決まるといっても過言ではない。
曹操が勝って文書を焼いたから曹操陣営の裏切りを知る手段がなくなったが、
劣勢ゆえ許脩以上の大物、烏巣以上の情報が袁紹に流されることも考えうる。
更に許脩の裏切りはあくまでも参謀個人の裏切りで、
上手く手を打てば損害を最小限に防げたはず、
いや逆に曹操を嵌めることもできるかも(それはさすがに無理か)。
ただ、烏巣奇襲の記述を読んだら、曹操もまた紙一重の勝利。
僅かな時間差で逆にやられるところだった。大勝はあくまでも結果ですね。
>>148 淳于さんは結構潔くて格好いいじゃないか
負けたけど
>>157 >許脩の裏切りは有る程度予測できないと思う。
異国の方ですか?日本語おかしいぞ?
>>157 城は攻められても落ちないようにできている。それを落とすのに時間がかかるのは当たり前だ。
それと許攸の裏切りを過小評価しているようだが、参謀個人の裏切りなどではまったくない。
軍事上の最高機密を漏らしたのが重要であって、烏巣以上の情報などというものはありえない。
そもそも何もしなければあとちょっとで落ちてたところなんだから。
あと、淳于さんは西園八校尉もつとめた大物だし、あの場に張コウがいても
やっぱり首切られて鼻をそがれたと思う。
>>160 でもだからって袁紹の敗北をすべて許攸の裏切りに起因させるのは無理があるよ。
それならば許攸が裏切る素地を作った袁紹の責任とも言える。
赤壁もそうだけど、総帥の直接責任じゃないかもしれない要因はいろいろあったにしろ
やっぱ負けは負けであって
評価下がるのは仕方ないんじゃね?
勝った者がすごくて負けた者はダメという結果論のうえに二元論でしか物事を語れないのか・・・
官渡はおいといて、
白馬と延の負けは、袁紹にとっては緒戦でしかなかったけど
曹操は全力で叩きにきたからってので合ってるの?
>許攸が裏切る素地を作った
許攸が裏切る動機として伝わっているのは、
・家族が犯罪を犯して捕らえられたのを逆恨み
・強欲であったため、袁紹からもらえる褒美に不満があったこと
があげられる。
裏切る素地というのは、例えば関羽のように普段からビホウを軽んじてました、とか、
菫卓みたいに恐怖政治をしいてました、みたいなやつを言う。
許攸の動機は本人の性質というしかなく、これを袁紹の責任にするのは無茶だ。
だいたい袁紹陣営には派閥争いはあれど袁家への強い忠誠を誓う忠臣が多いというのに。
>>162 高みからばっか物言ってないで
お前の意見でも書いてみたらどうよ
>>164 それでも、袁紹側に完全に非が無いとは言いきれないんじゃないかなあ
確かに許攸の裏切りは致命的だし、予測つかなかったにしろ、
そこまでの重要機密を知る高官が相手側に寝返ってしまうという時点で
例えば赤壁の孫権軍などと較べて何かが甘かったんじゃないか。
それが袁紹の責任とは言えないか。
>>163 あのあたりは曹操側の領域になるんだろうから、おそらく
敵地で陣地確保をしようとした一部隊(率いていたのは有名人だが)を
とりあえず潰したという感じなんじゃないか?
袁紹側には出鼻をくじかれた感はあっても緒戦とすら思ってなかったかも。
>>161 俺も袁紹は好きだがその官渡の負けを否定することは出来ないし
それによって評価が下がることも認めた上で袁紹を語らなくちゃいけない。
許攸の議論になっているみたいだが…
もうこれは本人の意思であって許攸の裏切りをとめることは不可能だったと思う。
しかしある程度袁紹が許攸の裏切りを遅くさせることは出来たと思う訳よ。
例えば褒美を送れば、他の配下は不満を持つにしろ…
わずかながら許攸の裏切りを遅くさせることはできたはず。
ただ許攸一人が袁紹の配下じゃないから
官渡の敗戦を袁紹に押し付けることはできないし、許攸に押し付けることも出来ないだろうと思った。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 17:22:11
だから裏切っていたのは、必ずしも許脩一人とは限らない。
曹操陣営にも裏切りや情報の流出が行われていたはずだ。
袁紹は雑音に惑わされずに価値のある情報を拾うことが出来なかった。
情報の流出を防げなかったことより、敵の動向を読めなかったことの問題が大きい。
しかるべく情報収集の策が講じられた場合、曹操の奇襲部隊が出撃するとたん、
率いる将、部隊の規模、装備また本陣に残された兵力についての情報が入るはずだった。
みんな日本語へンじゃね?
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 17:28:17
強欲で自分を逆恨みするような奴って見てたら分からないか?
明らかにそういう奴って態度に出るし、それを見過ごすのは人を見る目のない証拠だと思うが・・・。
やっぱ許攸に裏切られたのは自業自得じゃないの?
>>169 許攸は身ひとつで曹操に投降しており、しかも
投降が発覚する前に、ものすごい速さで決断し、曹操は出撃している。
インターネットと通信衛星のある時代じゃないんだから、
常識で考えろよ。なんだよ奇襲部隊が出撃するとたんってw
だいたい袁紹は情報流出なんぞに頼らなくても勝ってたんだから。
逆転の直前がどんな状況なのかわかってるのか?
あと一ヶ月で城内の食料が尽きてるところだったんだぜ?
しかも兵力差数倍以上。いったいこの状況でどんな情報
を拾う必要があるか、教えてくれ。
>>171 少なくとも、家臣団から必死こいて諌められたのに裏切りの常習者に
兵を与えて大戦の直前に徐州を一時的にでも奪われた曹操より
下ということにはならない。
>>172 しかし曹操はそこからはい上がった
袁紹は死んでしまった
袁紹は敗戦処理が不味かったよ
一時的に敗北したにせよ、河北の余力はまだ相当あったんだし、
せめてもっとしっかり後継決めてから死ねばよかったのに。
それともそこは息子がアホ過ぎだったから仕方ないってことになるのか?
どう考えても袁譚は駄目な子だよなあ。
青州の統治もかなり評判悪いらしいし、
郭図に脅されて弟と内戦するようじゃ…。
袁譚が官渡で戦死していたらあるいは曹操を寄せ付けなかったか?
>>175 不味かったのは敗戦処理じゃなくて敗戦処理できない残り時間の無さだろ
敗戦で揺らいだ冀州をしっかりと鎮定し、袁譚派の人間は粛清してるわけで
面白いのが冀州が反乱したと書いてあっても冀州のどの城、どの郡かは全く不明っつーことだな
冀州という言葉に惑わされがちだがもしかするととても小さい規模の反乱だったのかもしれん
官渡の敗戦は許攸のせい
敗戦処理の不味さは時間のせい
>>178 妥当なまとめだな。
袁紹は少しも悪くない。
まあ少しも悪くないというと語弊はあるかもしれないが
旧来言われてきた程袁紹は無能でも何もしてこなかったわけでもないわけだな
オマイラの理論だと劉禅も無能ではないな
はいはい。歴史の勝者以外は全て無能ですね。よかったね。
>>184 そう熱くなるなよw
ROMが
>>178-179を読んだ感想だ。
無能と使ったのは
>>180にあったの使っただけだ
部下の管理も出来ない、タスクに必要な時間も読めない上司はイラネ
個人的な袁紹の感想は
「一方の雄も機を読めなかったなぁ」って位
>>181 ちゃんと三国志について調べていれば劉禅が無能であったという証拠が何一つ無いということくらい知ってる筈だが
有能な部下をしっかりと信任して用いる中華皇帝としては極々平均的か平均以上の及第点が付く人物だぞ
まともなスレになりそうなのに、
袁紹擁護が聞く耳持たないから
はいはい袁紹無能じゃない無能じゃないで終わってしまってる。
惜しいですね
あべこべだろ?
袁紹を批判してる連中こそ、実績を省みずに
印象で「袁紹無能」を連呼しているじゃないか。
袁紹を擁護する立場の人はそれなりに資料を読み込んでその上に自分の解釈を乗っけてる。
いきなり読んでも?ん?となるし解釈が入ってるから万人が納得できるかと言うとそうはならない。
袁紹には弁護の余地なしとする人が資料批判全くしてないように見受けられるのよりはマシだとは思うが。
許攸が裏切ったから官渡は負け、
時間がなかったから敗戦処理が上手くいかず、
これでどうやって袁紹は有能だったとの結論に達するのか
>>190 まずそれは袁紹の一部分しかあげてないし
許攸が裏切ったのは許攸自身の強欲であり、他の君主であっても止めることは
不可能であったのではないかと思われるため。
それに許攸一人のせいで官渡の戦いで
結果的に鳥巣が焼かれたことが官渡敗北の原因だけど
それ以前にも軍を引き離されたりしているしね。
それに敗戦処理だって袁紹は官渡で負けた後
反乱を全て鎮圧させているし、鎮圧させて再び曹操に挑もうって言う時に
病死してしまった。だから敗戦処理が上手くいかなかったというのは間違いではないかと思う。
ただ、田豊や沮授といった家臣を投獄してしまい
どの計略が正しいのか分からなかった袁紹の知力が低いのはもう「そうだ」と認めるしかないが
有能でなかったというのはちょっと間違ってるんじゃないかと思う
>>190 不利なところばかり取り上げればそりゃ誰だって無能だろ。
>時間がなかったから敗戦処理が上手くいかず、
ここにつっこむやつってマジで頭がおかしい。
人間の寿命をなんだと思ってるんだ。
病死したくて病死する人間なんてどこにもいないぞ。
ましてや古代で、人間の命数なんて医者でもわからんのに。
寿命で死んだのが悪いというやつは、ぜひとも袁紹が
不摂生や荒淫をしていて命を縮めたというソースを持ってきてくれ。
もし仮にそういうことがあったのならたしかに袁紹の責任だからな。
>>191 袁紹の計略は少しも間違ってなかったぞ。
戦略的に曹操を追い詰め、戦術も小さな負けはいくつか食らっているが、
逆転直前の状況では曹操の被害の方がずっと大きい。
9割9分勝っていて突発的な裏切りで負けただけのに
なんで知力の問題になるんだよ。
袁紹が責められる点があるとすれば、アホの長男を作ったことだけだ。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 10:22:03
そー考えると曹操に味方したカク&張繍のギャンブラーっぷり(主にカクだが)
もなかなか凄いな
劉表は日和見を貫き通したが
>>191 >>178-179が擁護派のまとめだろ?
あえて無能と使わせてもらうが、これだけ読んだら誰もが無能じゃないな。
すべては部下と時間が足りなかったせいと解釈できる。
人を見る事、人と行動する事を勧める。
>>193 >ここにつっこむやつってマジで頭がおかしい。
>人間の寿命をなんだと思ってるんだ。
寿命が来る前にやれる事・やらなければいけない事はある
特に上に立つ者であれば
>袁紹が責められる点があるとすれば、アホの長男を作ったことだけだ。
また人のせいか・・・
寿命やら派閥やらのことばっかじゃなくてさ
袁紹が優れているってところを挙げたらどうなんだい
今まで見てても無能じゃないってことばっかで
ただの地盤がしっかりしてた一君主であって曹操より優れているとは思えないんだけど
>>196 それができるなら未練というものは存在しない。
上に立つものほどやることが多いということがわからんか?
>また人のせいか・・・
日本語でいいよ
199 :
ポン:2006/10/29(日) 12:37:43
ありゃ?これって今現在はなしてるスレなのか^^;では1つ!
袁紹は並以上の能力を持っていたと思います。これまでの功績をみれば落ち度があるにせよ
三国志においてかなりの能力があったと思います。それに名門の家柄の助けもあってカリスマ性は高いです。
曹操がいなければ誰が天下を取っていたかといわれると袁紹がまず一番に思い浮かびます。(将来の心配はありますが)
ですが曹操のほうがはるかに有能であったと思います(後世の評価をみれば中国至上稀に見る英傑であったと評されてる・どっかの文献か忘れたけど)
言ってみれば早々は規格外の能力であったはず。
曹操より袁紹が有能だとは思いませんが、袁紹もかなりの逸材だと思います。
>>198 >上に立つものほどやることが多い
だから?当然の責務でしょ?
やることが多いから出来なくていいって?
それとも暗に袁紹は君主の器じゃないって言ってる?
まぁ
>>197がいい事言ってるからプラス要素だしたらどうだ?
>また人のせいか・・・
裏切り者や馬鹿息子の無能を袁紹のせいにするなよ。
>>200 ・容姿が優れている。
・家柄が優れている(ただし母親が庶民であるため、
必ずしも順風な幼少期ではないのできちんと苦労もしている)。
・謀略に優れほぼ無血で根拠地を得る。
・戦略に優れ、圧倒的機動力と武力を誇る白馬義従による戦術を得意とした
公孫サンを滅ぼす。
・外交に優れ、曹操陣営を次々切り崩し、包囲網形成。おかげで
曹操は軍の大半を官渡に振り向けられなかった。
・10万の精鋭を800まで減らされる大敗のあと、領土に起こった反乱を
粘り強く鎮圧。
・後世にいたるまでその政治を領民に称えられる。
>>200 >やることが多いから出来なくていいって?
誰がそんなことを言った。
人には寿命というものがある。これはわかるよな。
その寿命というものは誰にも予測できないもの。
いくら若くても突然逝ってしまうこともある。
ましてやあの時代、衛生的にも不備なところはあったはず。
それを寿命前に全て片付けておけというのは少々無茶な気がすると言いたかった。
散々言われている時間がなかったって事が惜しまれるだけ。
じゃあここでまとめ
袁 紹 の 欠 点 は 寿 命
だってこれしか言いようがないじゃない。
袁紹「ふふふ……よし、軍備も整ったし反乱も鎮圧したし再び戦を仕掛けるぞ!」
次の日
袁紹「ぐはっ」(血を吐く)
家臣「とっ……殿!とのぉおおおおぉおおぉ!!!11」
袁紹ファンだが曹操より凄いなんて思っちゃいないし
劉備・孫権より劣ると思ってる俺からしたら
あんまり擁護も過ぎると恥ずかしくなる・・
>>201 荀ケ・郭嘉あたりに逃げられてるし、
長所も多いけど短所もそれ以上にあるよね
でもそんな本初が好きです。
>>204 劣っているというか
元々三国志の群雄達なんて優劣で現せないものだと思う
袁紹に出来て曹操に出来ないこともあるし
曹操に出来て袁紹に出来ないこともある。
ってのは他の群雄にも言えることだがね
>>204 こういう自称ファンってむかつくな。
曹操劉備孫権より凄いとは俺も思っていないが、
短所よりは長所の方が多いと思う。
むしろ、お前みたいに短所しか見ていないような奴が
ろくに検証もせずに「袁紹は駄目な奴」だというレッテル張ってるじゃないか。
>>204 袁紹の偉業は名門としての権勢のおかげで
曹操の偉業は実力なんだろ、
お前のような奴から見れば。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 15:00:35
袁紹て仮に曹操を滅ぼしたら そのあとどーするつもりだったのかな?
自分が皇帝になるつもりだったのか 漢王朝をそのまま奉戴したのか?
曹操に先に天子奉戴されて悔しがったり大尉じゃなくて大将軍にしろと
か都をキシューの近くにしろとか色々文句垂れたって話があるよね。
スタンスがいまいち判らんのだが。
差し当たりは皇帝を傀儡とし、天下が定まったら禅譲、という曹操と同じことをするだけじゃないかな。
別の皇帝を立てる可能性もあるかもしれないが。
>>204 明らかに袁紹は貶められすぎ。曹操だって陳宮や関羽に逃げられてる。
司馬イなんて仮病まで使って逃げようとしてるじゃないか。
もちろんおれはそんな曹操も大好きだが、それを根拠に長所より短所が多いなんていわれたら困る。
いかに優れた史書とはいえ、
三国史は魏を正統とする立場をとっているので
曹操のことを良く書き、曹操の敵のことを悪く書く傾向があるということ。
とくに、他の史書との間で矛盾が生じなければどんだけでも悪く書けるので、
そもそも晋の時代まで事跡のあまり伝わっていない人物は不利。
例えば陶謙なんかは酷評されすぎてるように思える。
>>208 袁紹のスタンスは菫卓の立てた劉協陛下を認めないというもの。
そのために劉虞を皇帝に立てようと画策している。
劉虞は公孫さんに殺されたけど、その息子だかが袁紹陣営にいたような気がするので、
その人を皇帝にするつもりだったかもな。
袁紹って今まで思われていたよりも、ずっと凄い人ですよ
これでいいんじゃね?
互いに互いの意見咀嚼してないから
建設的な議論になりようがなくて、読んでてもつまらん
>>213 駄目だった派が駄目じゃなかった派の意見全く無視してるだけだけどな
駄目じゃなかった派はこれまではこうだと思われてるかもしれないけどよく調べてみるとそうじゃないんだって言ってるのに対して
駄目だった派はあれもこれも全部袁紹のせいって言ってるだけ
>>215 そう、君だけが正しいんだよね。
はい、袁紹はすごいです。
袁紹と曹操が十回戦ったら十回とも曹操が勝つと断言できるのか?
袁紹が負けたから駄目といってるやつらは
曹操と袁紹が同じような状況で戦えば10回戦って9回袁紹が勝つだろうよ
>>216 やっと袁紹のすごさを認めたか。
前半の当てこすりは余計だが、己の非を認めるのはいい傾向だ。
袁紹は少し南征するのに手間取ったところが痛かったんじゃない?
黒山の賊や公孫サン、さらに烏丸との戦いで多少の犠牲を出してでも
即片付けたら後顧の憂いもなく力をつける前の曹操を倒せたのではないか?
ほぼ無血で河北を平定したのは評価するべきだろうが・・・
うん、糞スレに認定します
曹操と袁紹が10回戦えば、9回は袁紹が勝つだろうな
ただ袁紹は天下統一は出来てもそれを維持出来なそう
なんかどっかから煽り屋さんが湧いてきたようです
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 01:28:33
>>219 そりゃ兵力差が圧倒的に違うんだからそうだろうw
兵数的には5〜10倍諸説あるがそれで負け越しとかだったら
ホンマモンのアホだよw
ま 曹操も赤壁で呉を圧倒的勢力で攻めていながら結果はボロ負けだったり
もあったしなw。案外 官渡時の袁紹と似たような慢心状態だったりしてな。
ボロ負けじゃない
とかいったら釣り認定ですか?
てか同じ様な状況下で10回戦自体ありえないと思うんスけどw
いくら袁紹マンセーのための例え話にしても極端杉
袁紹擁護派は
>>217みてどう思うんだ?
ネタでもきつく感じないか?
(゚Д゚)ハッ!みんな釣られてたのか?www
>>229 10回どころか100回やったら99回は袁紹が勝つ。
それほどの難しい勝利を現実に勝ち取った曹操は偉大だ。
と思った。
>>226 >曹操も赤壁で呉を圧倒的勢力で攻めていながら
曹操は全然圧倒的じゃないぞ
数において有利ではあったが内情はボロボロ
>官渡時の袁紹と似たような慢心状態だったりしてな
官渡時の袁紹は慢心してませんから
むしろ安全策に安全策を重ねて真綿で首を締めるように曹操を追い詰めてる
232 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 21:56:55
私は
曹操>劉備>孫権>袁紹
だと思っているよ
233 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 22:32:43
俺は
曹操>孫堅>袁紹>劉備>劉ショウ>>>>>越えられない壁>>>>>>韓玄
だと思ってる。
軍事に限るなら
劉備>袁紹>曹操>孫権
統治なら
袁紹>曹操>孫権>劉備
文化面なら
曹操>>>孫権>袁紹>劉備
>>236 袁紹の凄さも知らない可哀想な人が何でこのスレにいるの?
スレ違いだから出てった方がいいよ
>>235 おれならこうかな
軍事
曹操=袁紹>劉備>その他
異民族相手に絶大な力を発揮した公孫サンと馬超をそれぞれ倒したのでこの評価。
劉備は生き残り続けたしぶとさを買った。
袁紹=劉表=孫権=曹ヒ>>>その他
袁紹の異民族融和策や劉表のケイ州文化サロン、孫権の江南開発は歴史に残る。
曹ヒは魏を国として完成させたし。
文化面なら
曹操=曹ヒ=曹植>劉表>その他
曹一族の数々の文化的。劉表は文化サロン形成が評価対象。
>>147 ああ それ俺も持ってるわw
柘植さんの本だと袁紹始め袁関係者は全員けっこうボロクソに書かれてるよな
勝ち戦の界橋でさえ 名門のボンボンは詰め甘くて性も無いみたいな感じで
さらに息子たちの辺りになったらもう話にもならん て状態になってるw
合戦・軍事が中心の内容だから尚のことなんだろうけど・・・・
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 02:15:41
袁紹が趙雲と郭嘉を殺しておけば呉が覇権を取ってたさ
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 02:44:20
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 03:36:37
>>240 ならば信長が明智を殺してたら…
未来は読めないし実際に殺さなかった
曹操に勝ってれば早く終わってただろうな
魏と蜀の王は誕生しなかったわけだし
でもこんなおもしろいストーリーにもならなかったぞ
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 20:00:27
g
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 20:47:03
結局 彼は曹操に献上するために広大な地域を平定し
曹操の評価を上げる為に大兵を率いて官渡で大敗し
曹操に魏国を建設させる為に後継者もろくに決めず
に病死し 内戦の種を残して一族滅亡へと導き そし
てそれらを曹操に全て実現させる為のみに存在価値が
あったのです。
真さに惹き立て役の鏡と言えるのではないでしょうか。
たとえ本人が望まなかった歴史上の役割ではあっても。
袁紹がそれだけお膳立てしてやったのに統一できないとは
曹操はヘタレだな。
>>246 向こうで仲良く口喧嘩してそうだ。
形成不利になると不良時代の事言われてたりして。
うん、敵とはいえ友の死に涙出来る曹操は詩人だなと思うんだ。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 23:44:38
官渡時 袁紹軍
歩兵 10万
騎馬 1万
胡族 8千(騎馬)
全軍 計11万8千
生還 (たったの)800騎
生還率 約7%
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 23:47:00
×7%
○0,7%
魏(と言うか曹操軍閥)では、手柄の水増し5倍10倍当たり前
逆算して帰還した人数を計算すると三国志のようなありえない(生還800騎)という有様になると思う
そもそも軍隊では4割がやられると全滅として考えられるのが常識(現代で)
三国時代としたって99.93%がやられるような事は城を包囲されて全員殺されるような事態にでも陥らなければ有り得ない
良くて5万、ちょっと冷ややかに見れば1万くらいを討ち果たして袁紹が帰ったようにしか思えない
そもそも河北四州の人口と兵士の人数を計算すると11万も動員出来たかさえも疑問符
まあ、ちゃんと考察すると大体二倍差ぐらいに落ち着くというのをどっかで見たな。
とは言え圧倒的不利は不利。
途中はボコボコにされて泣き言言う始末。
ここから勝つんだから曹操も頑張ったよ。ほんと。
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 01:17:53
曹操氏ね
ていうか、降伏した袁紹軍の使えなさそうなやつ皆殺しにしたんだろ。
兵糧がないから。
別に戦争で討ち取ったのがそれだけの数ってわけじゃないはずだが。
袁紹は無能?有能?
◇ふー、びっくりした
うーん、今回は簡単だとぼくは思っていた。
だって、袁紹は歴史の敗者だものね。彼は天下を取る器ではなかったのだ。
この質問のこたえなんて考えるまでもない。けれど、このスレのみんなが
どんなふうに感じているのか、それが探りたくてこのテーマにしたのだ。
するとあらら、不思議。寄せられたのは多くの袁紹擁護のレスばかりだった。
なぜなのかしらん? というわけで、今回は多数を占める「袁紹は有能」派からいってみよう。
「勝敗は平家の常、官渡や倉亭の戦いで袁紹に軍事の才がないと判断するのはいかがなものであろうか。
むしろ曹操と対峙していながら内乱を平定したことは評価されてしかるべきだろう」(
>>13さん)
「張コウや許ユウが裏切りさえしなければ袁紹が天下を統一していたと思う」(
>>27さん)
「官渡の後も倉亭で二連敗目を喫した挙句、磐石な筈の支配体制も撓んで冀州反乱
これを鎮圧したところで死んだからなぁ」(
>>72さん)
「明らかに袁紹は貶められすぎ。曹操だって陳宮や関羽に逃げられてる。
司馬イなんて仮病まで使って逃げようとしてるじゃないか。」(
>>210さん)
ふー、びっくりした。でも、擁護派の意見はほぼ一点に集中している。
袁紹は無能ではなく、むしろ過小評価されているというもの。それ、ほんとなのかなあ。
今回のこたえは数字のうえでは「無能ではない」派が圧倒的だったけれど、
レスをしなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
袁紹は無能である。
発言しない者は存在しないのと同じだ。
兵の減少より配下の筆頭がポコポコ斬られまくったのが痛かったんじゃないか?
257 :
.:2006/11/08(水) 13:56:13
痛いのは淳于瓊くらいじゃねーの
顔ちゃん文ちゃん
袁紹は黄河をクロールで泳ぎきり冀州へ逃げ帰った
>>260 マジ
宇喜多に対抗できるのは袁紹しか居らん
袁譚なんて背泳ぎだぜ
ヨユーがちげーよ
袁尚は潜水だったがな
袁煕なんて黄河を開いて歩いて渡ったよ。
曹操は袁紹の子供達を赤壁に連れていけばよかったのに
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 22:35:59
ところで官渡は三馬鹿兄弟は全員参加したの?
自分の持ってるヤツだと譚は兼大将軍幕府長史青州督とゆーやたら
長い肩書き付けて親父と一緒に中軍にいるみたいなんだがあとの二
人に関しては分からん
袁譚からの援軍要請で出兵してたんじゃなかった?
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 23:36:01
袁譚は青州刺史じゃなかったか?
軍事上てか軍隊内での役職名だろ 多分
袁煕は動けないかも。友好関係とはいえあの人達は油断ならんだろうし。
袁紹が敗れ去った原因の一つに名士という人種を集め過ぎた て説があるな
ガイシュツの派閥争いがその典型なんだろうが紹その人が名士そのものだったた
めに配下の名士連中に対して君主権力を確立しきれなかった ての
そしてさらに時間が足りなかったてか
やはりガイシュツの真三国志の中のオハナシ
むしろ、袁紹自身はしっかり君主していたように思う。
孫権とこの張昭みたいなのはいないし。
ただ、袁紹の君主権というのは簡単に子供に渡せるようなもんじゃなかったのかも知らん。
本人のカリスマ性だけだったとか。
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 02:02:05
あの時代は世襲がうまくいったところの方が少ないんじゃない?
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 02:03:56
いや、世襲でなければ国は持ってないのが普通だ。
x
先代から受け継いだのは劉璋と孫権くらいか?
馬超もそう言えるのかな?
下克上みたいな時代だから世襲がうまくいった例は少ないし袁紹だって
カンフクから騙し取ったキシューを元手に後漢の最大軍閥にノシ上がったわ
けだしな。
しかしそろそろ語ることもなくなってきたなw。
つくづく後継者争いが悔やまれるところだ。
袁紹は革新的で、曹操は保守的。
袁紹は産まれるのが10年早かった。
馬超はむしろ親父を下克上して実権を奪い取ったと見るがどうか。
袁家の後継争いは家臣の派閥争いに柔弱な長男が担ぎ出された点が大きい。
現に次男は分を守っていたし。やは長男を殺しておくべきではなかったか。
田豊も粛清しているのだから、いくらでもやりようはあるはず。
しかし親父がそこまでしてやらないと駄目な三男もやっぱり駄目だな。
官渡で逃げる時長男に軍のシンガリをやらせればうまく戦死してくれた
かもな
オヤジといっしょに真っ先に馬乗って逃げちまったらしーからな
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 17:09:18
袁譚がしっかりしてて親父にも信頼されてたら、
そう感嘆に滅ぼされなかったと思うがなぁ。
袁紹自身、弟に見下される悔しさは
よく分かっていたはずなのに、どうしてあんな後継選び
したんだろ
乱世だから才があるほうがいいな…ってことで弟。
袁譚は郭図に脅されて泣いちゃうような子だからなあ。
まあ怖くて泣いたわけじゃないがw
青州経営も駄目駄目だったみたいだし。
それでももし自分の代で曹操を倒して天下を取れていたら、
もしかしたら長幼の序列どおりにしたかもしれないが、
あの長男に曹操の相手をさせるというのは…。
>285
そんなに青州ダメダメだったの?
>>286 http://mujin.parfait.ne.jp/mujins/sanguo/a.html によると、
袁譚は小人どもを信任して浅薄な言葉を受け入れ、
奢侈淫乱にふけって殖産の困難を省みなかった。
妻の弟に軍勢を授けて城内に入れ、市井で盛大に盗みを働かせたり、
城外で田畑を荒らさせたりした。
また部将二人を諸県に下向させて兵士を募集したが、
賄賂を出す者は見逃し、出さない者から取り込んでいった。
貧しい者が数多くいて山野に潜伏したのを、兵を放って捕まえさせたが、
あたかも鳥獣狩りのような風情であった。
一万戸ある城でも戸籍には数百しか編入されず、
賦役・租税収入は三分の一にもならなかった。
賢者を招聘しても応じる者なく、
徴兵期日に来ないで一族と暮らす者がいても、
処罰することができなかった
つまり統制がなく、不正が横行。
>>287 そりゃダメダメだわw
袁紹存命中に譚を除こうと思ったら親父がその時の政治的罪を本人
にしっかり突きつけて処罰するか暗殺しちまうかなんだろうけど
謀反されるかもしれんか 親子とはいえあの時代じゃ
蒼天キャラじゃクソマジメボーイだったのになw
ま あのマンガは逆解釈が売りだったからな
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 22:01:19
当時の青州に暴力による秩序を打ち立てた袁譚はラオウ
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 22:26:44
譚が丕ぐらい節制ある人間だったら
後継者になれたかも
袁譚は、袁紹というより、叔父の袁術に似ちまったのか。
名家没落の典型って感じだな。
>>288 田豊やらの青州出身者の処刑がその準備だったんだがね
官渡から1年じゃ除ききれなかったって事だな
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 21:09:10
>295 そーだな キョロクってとこだな
ただ長子派ではあったつーか袁紹に「長男を外に出すと御家騒動の元になるよ」
と忠告したら干されだしたよーだな
そして郭図に讒言されて最終的に斬られるハメになった てのが通説だね
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 21:17:07
ちなみに讒言マンの郭図もけっきょく長男派だったんだな
こいつは豫州出身みたいだが
勝機ありと見た方に付いただけじゃん?
結果的には都合の悪い諫言はウザがり都合の良い讒言にはノっちゃう
てゆー通説のほうが説得力あるじゃん
これは私見だが田豊て自分の立場とか私利私欲で派閥作ったり参加す
るってのより袁家のために一生懸命献策してた硬骨の人のイメージが
あるけどな
界橋の戦いでもある程度勝負がついたってんで油断して袁紹がティー
タイムしてたら白馬義従の残党にいきなり襲われたとき身を呈して馬
鹿殿庇ったつー逸話もあるしね まぁすぐキクギが駆けつけたんで助
かったってから手柄はキクギのものだったんだろーが
田豊に関するトドメの讒言は逢紀だな
郭図はソジュの格下げ関係の讒言だね
どっちにしろ出身地がらみの派閥とかではないようだけどね
讒言マンなどといわれているが、彼らは皆袁家には忠誠を誓っている。
田豊を讒言した逢紀にしても、審配を嫌っていたのに
別の人の讒言からかばったりしている。
>田豊て自分の立場とか私利私欲で派閥作ったり参加す
>るってのより袁家のために一生懸命献策してた硬骨の人のイメージが
>あるけどな
これは田豊だけでなくある意味みんなそうだ。派閥ってのは
私利私欲だけでつくるもんでもあるまい。
みな裏切ってはいないからなあ。上がちゃんとまとめられたら…
陳羣は郭嘉の不行跡を非難したが、曹操はそれを意に介さず郭嘉を重用した。
一方で陳羣を誉めこれも重用した。
まあ違う例もあるかもしれないが曹操と袁紹の違いがここにあるかもしれない。
優秀な部下が揃ってたのにもったいないよね
使い切れなかったんだな
家臣団が問題になるほど分裂しだしたのは死後で、逆に言えば
袁紹だからこそ有能だけどアクの強いやつらをまとめて大勢力を築けたともいえる。
なにしろ、現行の皇帝の正当性を認めないなんておおっぴらに表明しちゃうような
人間のもとにあつまった連中だからな。
>>305 あれを古代中国でいってのけるあたりかなりの革新派なんじゃないか?
中華全土で自身が最大勢力だという自負もあったんだろう。
まあ、正当性うんぬんで言えば、形式上は官軍である董卓とも闘ってるわけだし。
で 出身地派閥説は終了でよいのか?
>>307 袁紹は最大勢力になる前から劉虞を擁立しようとしてたりするぞ。
>>308 派閥が重要という説は終わってないが、出身地ってのは
>>294の勇み足だな。
革新的つーより反董卓軍の筆頭だったわけだからヒッコミが
つかなかったてトコだろう 劉協に関しては
劉虞の方がいろいろ評判も良かったみたいだから世論が自分
に傾くはずだみたいな目論見もあったろーし
もっともそっちは公孫サンにぶっ殺されてオジャンになったが
協奉戴はソジュが進言したけど郭図が反対したんだっけ?
この郭図ってのは一番足ひっぱっとるなw しかし
ゆえに郭図。
郭図はウソー焼滅状態のときもウソーの救援より官渡陥落の優先を進言した
上 作戦の失敗を張コウ 高覧の責任として袁紹に讒言し 怒らせた二人を曹操
軍に投降させてしまうような状況に追いやってしまうなど保身第一主義者とし
か思えないことをやっている。
その他のアホ所業を見てもある意味曹操にとってはキョユウ以上の功労者と言える
かもしれん。その後の袁兄弟の争いでも袁譚をかつぎおまけに譚に曹操へ降伏
するよう進言し お役目終了とともに袁譚とそろって斬首されている。
それにしても袁家の内紛は複雑。
官渡決戦でも田豊・沮授ら河北出身者は持久戦を主張してるが、
同じく河北出身の審配は河北出身でありながら
豫州出身の郭図と組んで
短期決戦を主張している。
(その割には審配と郭図はその後決定的に対立してるが)
また、袁紹と個人的な繋がりが深い逢紀は
河北組の田豊は讒言してるのに、
審配のことはかばってる。
一方同じく袁紹個人と懇意な許攸は
審配と折り合いがつかず出奔している。
んで、袁紹死後は
河北出身の審配と袁紹との個人的関係が深い逢紀が担ぐ袁尚陣営と
郭図・辛評ら豫州(袁家の縁の地)組が担ぐ袁譚陣営で内紛を
起こしてる。
河北出身者、袁紹との個人的繋がりが強い者、
袁家と縁が深い豫州出身者などの利害が複雑に絡んで
単純な派閥争いではなくなっており、
もう何が何だか、て感じになってるね。
審配と逢紀は袁紹存命のころから袁譚に嫌われていたため
譚に後を継がれると自分たちの立場が危うくなるといった
個人的?(派閥的?)事情もあったようだ
しかしまー讒言しなかった奴さがすほうが大変なくらいの讒言ブームだね
袁紹陣営はw
こういう讒言記録の残ってる連中てのは忠臣と呼んでいいのか?
主君に自分の都合あわせの嘘の報告をしてたってことだろう
それも自陣営に場合によっては深刻な影響さえ与えかねない
足の引っ張り合いみたいな
ただ袁家という巨大資本にぶらさがってるゴマスリリーマン名士って感じ
するな 裏切らなかったてのも曹家より袁家の方がまだ見込みありと踏ん
で残ってただけで忠臣てのとはまた違うものなんじゃないか
自分の祖先を正当化するために他の家臣の悪いところを書いてたら、他の家も同様で伝という伝が讒言だらけになってましたとさ。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 01:04:38
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 22:01:35
子孫代々も足並み悪いてか
つける薬ないねw
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:21:59
結論 袁紹は曹操に劣る(主に人を見る目)
実際に劣っていたから、争覇戦に敗れたわけなんだけど、河北一円の支配ってやっぱすごいこと。
どうもこーえー三国志とかでは、三下扱いの観を拭い去ることができんが…
>>322 争覇戦とやらが何を指すのかはわからんが
袁紹は余力を充分に残してたし、官渡も致命的な敗戦ではないんだよね
劣っていたってのは正確な表現ではない
いや、河北軍閥と河南軍閥の中原支配の争覇でしょ?
違うのか。
戦略的に優れていても、戦術で負けることもあり、そのあたりを含んで相対的に劣っていたからこそ最終的に滅亡を余儀なくされるわけで。
>>322は統率者個人の器量ではなく、軍閥組織としての強靭さ、厚みみたいなつもりで言ってみた。
統率者個人の器量に頼ったのが袁紹軍閥という考え方をするならね
で、君その軍閥の構造がどうであるかについて
>>322で一言でも触れてるわけ?
後付けで何言っても「はあそうですか」としか言えないんだが
ケンカすんな
おれはケンカや難癖つけるつもりなど微塵もないのだがな。
そもそも争覇において、それぞれの勢力を前提におかずに語ることはないでしょ。
個人の力量(数値)で語るのはゲームだけ。
揚げ足とるなら、こういう言い方もできる。 おれは個人名を出していない。
しかも別に袁紹が無能とも言っていないし。
というか、言い合いする理由がこちらにはないから。
>>323でなにが気に障ったのか教えてくれ。
袁紹が曹操より優れてたかどうかは分からんけど、
袁紹があと10年くらい長く生きてられたらどうなってたのかってのは気になるところ
>>328 官渡でまさかの敗北を喫し、
当然袁紹は今度こそは勝つ、
という思いを抱いただろう。
でも次の倉亭でも負けてるし、
あんまり期待はできないかもしれないな。
でも、袁紹が生きてたら、派閥抗争が
あそこまでひどくならなかっただろう
袁紹があと10年生きてたら、曹操の河北制定も10年遅れそう。
本拠に残した戦力を考えれば、中原を争う勢力ではまだ曹操と互角かそれに次ぐ。
実際、後継者争いで分裂した袁家残党を掃討するのにも数年かかってるし。
曹操の覇業が10年遅れれば、当然歴史の IF に突入。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 09:15:59
( ´w`)<袁紹の本拠地が炎上した、ナンチテ
>>331 郭図「この機を逃さず一気に曹操の本拠を!」
…やつなら言ってくれる
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 12:04:41
官渡 倉亭後の袁紹の勢力てどのくらいなのだろう?兵数とか。
領地はほぼ丸残りなのだろうが人的損失は凄かったろう。
名のある武将とかの。紹が生きてても息子たちはバカのままだろうし。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 13:05:17
>>330 まあ袁紹だって公孫瓉相手に7年くらい掛かってるわけ
だからな。この時代のペースなんじゃないの?数年単位て
>>316 審配は最後の最後まで袁家に殉じて処刑されたので、まだマシと思われる。
>>334 公孫さんを甘くみるな。
曹操に対する袁術や呂布、張繍、当時の劉備あたりよりずっと強敵だぞ。
甘く見るな たて白馬義従だけだしな 切り札は
しかも後半は引き篭もり状態のままで黒山族との連携に失敗して自爆
したようなものだし
曹操が戦ってきた敵とそんなに大差ないと思うが
むしろ曹操の方が四方の敵と戦いながら軍も鍛えられていって
臨機応変の奇策や耐性力 機動力など全ての面で袁紹軍より上
だったんじゃないのかな 兵数や軍師の数じゃ負けてたから押
されもしたけど
篭城させるまでにも結構掛かってる。
曹操は常に敵に囲まれている状況だったので 案外 官渡での袁紹側の
波状攻撃にもそんなに慌ててなかったかもな。
白馬 延津 如南 韓荀別働隊など苦しみつつも全て退けてるし。
(といいつつもそれなりに弱気になってたりもしたようだが)
そこらへんの粘り腰は凄かったと思うね。
カク&張繍の自軍参加と劉表の日和見の功績も大きいが。
>>337 強力な騎兵が最大の切り札のはずの公孫讃が
何で篭城という騎兵の機動力をまったく殺してしまう
選択を選んだのか?じっとしてれば他のやつらは
勝手に潰し合ってくれると本気で信じてたのか?
もしかして公孫讃がこの選択を選んだのは
袁家の謀略にまんまと乗せられたからかもしれないな。
袁家十八番の讒言誣告の嵐も方向が内に向かうと自壊してしまうが、
河北統一という共通の目的があり、
利害が一致しているうちは恐るべき謀略集団として
機能したのかもしれないな。
あまり覚えてないんだが、飛び出す公孫サン、叩く袁紹みたいなイメージが残ってる。
>>340 かもしれない、じゃなくて事実そう
劉虞の殺害を袁紹陣営は上手く利用して公孫サンを外交的に孤立させた
それから正面決戦で袁紹が騎兵相手の戦闘ノウハウを持ってた麹義に白馬儀従を打ち破らせた
実はこの時袁紹も戦闘に参加してたりする
曹操程ではないが袁紹も優れた戦術指揮官だったので、公孫サンの主力を徹底的に打ち破って篭城せざるを得ない状況に追い込んだわけ
>>340 ちゅーことは対曹操戦では利害バラバラだったのかな?
戦う時期に関しては賛否あったわけだが
>>342 やはりそうなのか。
で、切り札の騎兵をボコボコにされて
プライドを傷つけられ、ショックと反動で
ひきこもってしまい、
人間不信が高じて、配下を虐遇し続け、
遂に滅んだわけか。
調子のいいときはいいけど、
いったん挫折すると脆い所は
袁紹と公孫讃、似ているね。
その点めげない曹操はやはりなんというか、超人的だ。
公孫サンは個人的にはけっこう好きなんだけどなw
(ほんとは役人上がりだけど)生粋の武人て感じで。占い師や商人は可愛がる
のに出来の良い役人や名士のことは迫害してたなんて逸話もあるくらいだし。
ただしそのおかげで軍隊としては強かったんだろうが内政面や軍事面で参謀
となる人間が0に近い状態だったらしいけどね。
豪速球だけど直球しか投げられないピッチャーのようなタイプか。
>>345 晩年はちょっと呂布に似てるかもな<公孫さん
もとの人間性は任侠オヤジと裏切り常習犯だから真逆だが
公孫さんの易城って、蒼天で描かれてるようなすげえ非常識な城だろ?
あれだと、守ってる兵や将たちも何のために戦ってるのかわかんないよな。
タダ飯が食える
そんなとこだろな
袁紹のモグラ作戦にもまったく気付かなかったくらい緊張感のない
篭城ぶりだったかもしれん
主君がやる気なくして厭世状態なわけだからな
ただ黒山との連携作戦が成功したら と考えると袁紹対曹操戦の時期とか
もズレこんだろうし もしかしたら公孫瓉対曹操なんてカードも有り得た
かもしれんし・・・Ifで考え出すとキリないけどw
悠長に穴掘ってる最中に曹操が袁紹の背後を攻撃したわけで
ここから官渡がスタートしたと言っても良いだろう
持久戦の提言はずっと続いた戦争状態の一時緩和も目論んでいたと思われるが
袁紹的にはこのままブッチギレば勝てるって思ってたに違いない
公孫サンを下した勢いもあったんだろう
袁紹の背後ちゅーとどこらあたり?
199春 公孫サン自害
199 4 曹仁・史カンに討たれた睦固(河内)が袁紹に救援依頼 ←ココ?
199 6 袁術死亡
199 8 黎陽を曹操が、青州へはソーハが進撃
11 張繍 曹操に降伏
199は動きが多いのでゴタマゼな感じでよーわからん
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 17:06:54
結論 袁紹は変化球投手に弱い。仮に死四球で出塁してもカクシ球でアウトになるマヌケ。
バントが苦手な袁紹配下たち
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 17:17:56
バントがうまい人はレギュラーどころかベンチからも外されるのです。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 20:17:41
尚は武勇に優れた人物だけど、器量が狭く、しかし母と父から愛される。
譚は劉備を尊敬し、優しかったらしいが有能ではなく、父と母から疎まれる。
煕はすべてにおいて特に活躍はないが覇気もなく温厚で父からは後継者からはずされる。
幹は・・・・・なんだろう。あまり高幹について考えたこと無い。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 20:37:36
袁譚の青州経営失敗を責めて殺しちゃえば良かったのに
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 20:41:49
チンコのでかさか?
俺の方がでかい
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 20:42:24
>>356 幹は金銭トレード要員として袁家に貢献しますた。
>譚は劉備を尊敬し、優しかったらしい
これはどうも…。ミーハーで寛大と無責任を履き違えていた、といいたいところだ。
煕は己の分を守り袁家の異民族支配に尽力した
幹は辺境にありながら袁家崩壊の際に最後まで曹操に抵抗した
本初くんは一代で天下取る気満々だったんですよ。悪いのは曹操です。
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 19:15:26
>360
幹て一度 曹操に下った?
降将の高幹が反乱 みたいに俺の持ってる本には書いてあるんだが
>>362 一度降ってるよ。
袁譚の投降は保身だが、こっちは反乱のチャンスをうかがったという感じだな。
んで最期は曹操軍縦断マラソンか。
>>365 走れ、高幹!
ただ、完走しても、劉表の保身のためにあっけなく
身柄を曹操にひきわたされそうだ。
366 :
365:2006/12/02(土) 00:52:32
>>365 それは劉表を甘くみすぎ。
ていうか、劉備を飼うぐらいだから高幹ぐらい余裕だろ。
しかしもし劉表がもっと長生きで曹操南下の時に元気だったら、
どうなっていたか。やっぱりあっさり降伏したのだろうか?
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 01:15:32
劉表のままなら降伏しなかったかもよ
369 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 01:18:21
劉表さんは孫堅の進行を阻止したぐらいだからね
>>367 >>368 >>369 劉表って単身で荊州に赴任してきた時は、
地方の豪族数十人をまとめて処刑するなど、
若いときは果断な行動力を持っているんだよな。
その後も孫堅の浸入も退けているし、張繍や劉備をうまく利用して
盾にしながら領内を発展させているし、政治的立ち回りも上手い。
曹操南下の際は、益州や揚州と共同戦線を張れるかどうかが
鍵になるんじゃないか。
孫権との同盟は難しいと思うが。
文官ハーレムなイメージがある荊州だけど、実際は水陸両軍鍛えてるし武器や船舶の物資も豊富で完全に戦乱に適応してるんだよな。
もう少し長生きしていれば劉表の身の振り方ひとつで歴史が変わっただろうね。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 03:44:15
讒言を鵜呑みにして処罰したり、自分の意見に反対されただけで処罰するって言うのは
人間としての器が狭いんじゃないの。
>>372 そもそも讒言を鵜呑みにしたり意見に反対されたから処罰したとは限らない。
他に理由があって、口実ということもあるわな。
ただ対曹操に関しては取捨選択ハズしまくった・・となる罠
まあ結果論だけど
官渡の時 田豊除外してソジュ格下げって情報得た曹操が
手ェ叩いて喜んだ て話もあるくらいだからな
>371
しかし曹操南下の頃のケイ州軍て実戦から離れてけっこう久しい
んじゃない?訓練や物資・武器はたしかに凄かったろうが そ
の頃って日本の自衛隊みたいな感じだろ。実戦の近いところ(
時期)では黄祖が孫権にタタっ殺された て時くらいで。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 06:38:37
実戦経験というのも魔法の言葉だと思うが。
前線で何十人も殺したような凄いやつはとっくに出世して前に出なくなるだろうし、
勇猛だけど力の足りない兵は死んでいくから、必ずしも
普通の兵卒の恐怖への耐性とか強さがそんなに違うとは思えない。
何万ともなるとその差が如実に現れるんじゃないか?
兵卒の差はやはりあると思う。
董卓配下の呂布やカクシや徐栄なんかは中原の敵には圧勝するが、同じ元董卓配下(兵卒の質が同じ)には苦戦してる。
これは後漢末期の平和な中央の兵と、辺境で反乱や異民族の鎮圧に明け暮れてた兵との差だと思う。
1 文醜、顔良の戦死
2 許攸の裏切り、酒に酔った淳于瓊
3 劉備離脱
4 田豊獄死
5 郭図の責任押し付けによる張郃、高覧の離脱
6 後継者争いによる国の分断
挙げたら切りがないな、つーかなんで後継者決めなかったんだ?
劉表でさえ臨終の時に後継者決めようと必死だったのに
ああ、挙げたのは袁紹軍が敗北した主な理由なだけで
別に袁紹が悪いって言ってるわけじゃないから
あと張繍が曹操に降伏したのも痛いか、
まぁ賈詡がいたからどうしようもなかっただろうけど、
でも張繍が賈詡の意見を無視して袁紹に降伏してれば
賈詡が袁紹に呼び出されて「後継者どうすればいい?」と問われたりして「長子にしなさい」
みたいにな展開になったかもしれないのに・・と妄想は膨れ上がる
張繍が袁紹に降伏したらカクはとっととずらかっていただろうな。
袁紹と曹操の差がどうこう言う問題じゃなく、
あの地勢じゃ曹操に降伏する以外に手はないからそうしたんだろうし。
それよりだったら劉表に降って袁紹の攻撃に合わせて何か仕掛けるってところか。
劉表が動くかどうか解らんけど。動かない気がするけど。
劉表は動かないんじゃなくて動けない
南海貿易ルートの確保に必死だったから
>>385 南海貿易のことは初耳。それは蒼梧太守に呉巨を任命
したこととかと関連があるの?
でも劉表の領土って主に荊州北部から中部にかけてで、
南部はあまり支配権が及んでいないんじゃないか
>>376 あの時代に実戦まったく経験ないって・・・どんな楽園だよ。
実戦経験のない地方軍閥かぁ…
大きな会戦は経験ないだろうが、賊や領域内での内乱鎮定とか、敵対勢力の境界巡回中の衝突くらいなら、日常的だったと思う。
と、思うがな。 確証はないけど。
劉表伝くらい読めばわかるのに。
劉表自身が軍を率いてというのはほとんど無い。
が、対孫堅、対張済、対孫策、対張羨及び張懌と戦役は起こってる。
新野に劉備を迎え入れて以降も対曹操や対孫権と矛を交えてる。
また支配領域も張懌を平定することによって長沙から零陵・桂陽に及んでいる。
ただし、武陵までは抑えてはいないようだ。このことは劉巴伝などからも裏付けられる。
基本的には専守防衛のプロなわけだな。
しかしいつまで劉表マンセー関連の話題を続けんだ?ここで。
大戦と云われる戦いに一度も参戦せずに国内ばかり見続けたヲッサンの話を。
でかい州だから てのは判るけどさ。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 23:34:07
国内ばかり見てきたんじゃなく、外に攻め出せそうな態勢を整えたそばから死んじゃっただけだよ
誰をせめようとしたの?
劉璋。
しかし結果的には彼の軍は州境を越えて展開することはなかった
やっぱ死んだら負けだよな。
みんな死んでる
偉大なるケイ州の王・劉表。
しかしその彼も、袁紹の格下の同盟者でしかない。
つまりこの流れこそ袁紹の偉大さを示すものなのだ。
お、頑張ったな。よし、流れが戻ったことにしてやろう。
しかし結果的に彼は(彼の一族も)曹操には一度も勝てなかった
勝てなかったって……、そりゃ戦ったのは袁紹の人生の最末期だろーに。
袁紹はいつまで曹操のことを友達だと思っていたのだろう。
張バクのことを曹操はお互いの家族の面倒を見る約束をするぐらいの
友達だと思っていたそうで、裏切られたときはさぞかしショックだったろうが、
袁紹もわりとあとの方まで曹操のことを自分に従う年下の友達だと思っていたのかもしれない。
やっぱり天子奉戴のあたりかね。
>401 そうだね
その直後あたりからかもね。大将軍にしろとか都をキシュー近くにしろ
とかふて腐れだしたあたりから本格的にヒビが入りだした感じだね。
曹操は袁紹を親友だとは思っていなかったとか、そんな話をどこかで聞いたような…。
記憶違いかも試練。
袁紹と曹操が遊んでた頃って、大学生と中学生ぐらいの差がなかったっけ?
親友というより兄ィって感じだろ。
弟分に完敗したショックで病死してしまいましたとさ
家格に違いがありすぎるから、
友達とは言っても曹操は袁紹のパシリみたいなものだったんだろう
ってのも本で読んだ
石井仁の曹操だな
まーあれだ、曹操は袁氏に仲間と認められることで「宦官野郎」みたいな扱いから脱却しようと必死で、袁紹に媚売ったりしてたんだろうよ
花嫁泥棒の話を見てるとかなり親しい仲に見える。
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 12:10:48
>>408 ジャイアンとスネ夫と同じ意味あいの親しさだよな
ジャイアン「イタタ。腰を打ってしまった。スネオ助けてくれ」
スネオ「(ニヤニヤ)」
ジャイアン「?」
スネオ「柿泥棒がここにいるぞ!」
ジャイアン「!」
晩年の袁紹は便所でビチグソ垂れたあとヘッピリ腰でケツふいたまま
のスタイルで鼻血吹いて死んだようなものだな
「ったくよう!糞ぅ操のヤロ〜・・ったま来るよマヂったま来るよドタマによ!!」
などとゲリグソ便器いっぱいに巻き散らかしながら興奮しているうちに鼻血を
ドバーとブチまけ後始末もしきれずにそのままな・・・。
遺書ばかりか正式な後継者もろくに決めず内紛の種と曹操に差し出す河北4州だ
けを残してな・・・。
>>408 ビスマルクにも似たような逸話があるね。
策士エピソードのテンプレなのだろうか
袁紹とか袁一族を主役にした伝記小説とかってあるのかな?
>>412 ぐぐったけど分からなかった。詳細キボンヌ
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 04:51:09
>>413 ありそうだけどなぁ なんたって朝倉義景が主役の時代小説だってあるくらいだから
袁家の概要 術側との確執 幼少曹操とのマヌケエピソードからその後の戦や謀略や政治
内紛 三兄弟派閥 官渡の顛末 思いを果たせず死んでいくとこまで 何気で波乱
万丈な人生だもんな 本初さんも
>>414 ソース出せなくて申し訳ないけど…
ドイツの鉄血宰相ビスマルクの友人が川で溺れてたんだ。
もう駄目だと嘆く友人にあろうことかピストルを向けるビスマルク。
苦しんで溺死するくらいなら友として私が…とトリガーを引こうとした時、
その友人は慌てて自分で岸に上がったとさ。
んでしたり顔の宰相殿。
構成が似てるなあ…と思いまして
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 10:53:13
なかなかタイトな内容の良スレなので結構楽しく読んできたが
ムダレスが少ない分 短命だったな
残念age
419 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 14:20:25
袁紹>曹操 は0
袁紹=曹操 が少々(袁紹の寿命、運のなさ、曹操の幸運等)
袁紹<曹操 が多数
まとめ
言われているほど袁紹は無能ではないが、曹操の方が総合的に上である。
でおK?
>>419 個人の差ではなく、配下の差ということでまとまりました。
板違いスレ終了。
続きは中国英雄板でやれ。
>>419 個人の能力に関して、勝敗を重視するなら曹操が上だが、
内容を重視するなら、育て上げた兵力、大戦開戦までの状況の作り方など、
袁紹があらゆる点で上回っている。袁紹が負けたのは運と許ユウの存在だけ。
袁紹>曹操 は0というのは当たらない。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 22:52:02
>>421 配下を適材適所に配置するのも君主の仕事であるし、それを適切に出来るのは君主の能力といえるのでは?また手駒がないならまだしも袁紹には優秀な部下も多々いたから配下の差とはいえないと思う
>>423 では『袁紹>曹操』とする人は少々いるということで
ところで、「…あらゆる点で上回る…」でとまでいえる根拠となる例を出していただきたい(直接対決でなくても、袁紹は〇〇して良い結果を得たが、曹操は××してしまい△△になってしまったみたいな)
>>421 配下の差といってもねえ。
例えばジュンイクやカクカのように、袁紹を見限って曹操についた者達もいるわけで。
>>423 田豊や祖授などは兵は疲れて国力も疲弊しているから長期戦覚悟でまず建て直しが必要
と主張したが容れられなかった。攻勢にでて結局敵の防衛拠点を落せなかったのは、曹操
らの奮戦もあるだろうが国と軍の疲弊という要素も大きかったのでは?
そんな状況を運の一言で無視されてもねえ。
>>424-425 意見を言うのもいいがスレぐらいは読み直せ。
あるいはスレが停滞していて議論していた人間がいなくなったと判断して
わざと過去に散々議論された話を蒸し返しているのかな?
>>426 読んだけど結論出てないじゃないか。
平行線辿ってるだけ
>>424 根拠となる例
・袁紹は謀略によって根拠地を得、政治力によって宿敵公孫サンを弱体化させ、
領地を荒廃させることなく戦力を増大させた。その結果、大戦に際し大軍と
膨大な物資を用意することが出来た。曹操は血で血を洗う戦を重ね、領地が荒廃し、
領民に恨みを買い、準備できた軍事力と物資もすくなかった。
・天子奉戴をした曹操は宮廷内の陰謀に悩まされたが、袁紹にはそのようなことはなかった。
・曹操は大戦の直前は回りが敵だらけだった。張繍を篭絡できたのと、劉備を潰せたこと、
孫策が横死したことでなんとかなったが、それでも賊やら劉表やらに対応するため
軍のほとんどを周辺に残さざるを得なかった。
・袁紹の敗因はただ一つ。許ユウの裏切りのみ。国の疲弊なんて曹操のほうが圧倒的に
上。まあアホ息子の袁譚が納めていた青州はアレだが。
袁紹の場合は「董卓が勝手に擁立した皇帝なんて正統じゃないね!」というスタンスも遠因じゃね?
てか、術と対立する劉グ擁立が失敗だな。
術敵に回して劉表見方に味方につけたところを見ると。
袁術は袁紹が嫌いだから別の立場をとっただけだろ。
許攸に裏切られたのが問題なのではない
逃げられた挙句、兵糧庫の位置を敵陣に知られたという事が問題
話は変わるが烏巣を襲撃された際に一軍をもって官渡攻略に辺り
一軍をもって烏巣支援にあたるのが兵力の逐次投入に見える
ここからは完全に邪推だが純軍事的にそう判断したのではなく
攻略策を示した郭図と支援策の沮授の互いの面子を保つための政治的妥協の産物に思う
どちらかに一方に全力をもってあたれば違う結果だったのではないだろうか
城というのはそもそも落ちないように出来ている。
兵糧庫の位置が知られた状況で、もし成就の可能性が高いのなら、
袁紹が勝つには曹操率いる烏巣襲撃隊に全力を当てて撃破するしかない。
なぜそれをしなかったか。
・袁紹軍は曹操軍の数倍
・烏巣を守っていたのは西園八校尉もつとめたジュンウケイ、それなりに有能。
もちろん兵も多数。
・許攸投降直後で偽降の可能性もあるのに曹操が信用するとは考えにくい
などの理由により、成就は不可能、もしくは本気ではないただの陽動の類と判断したのではないか。
主力はあくまで城攻め部隊だし。
そんな状況で曹操が空気を読まずに奇跡を起こした、とおれは考える。
歴史を劇的に変えるのは大抵空気読まない奴の行動だな
孫策も空気読まずに度重なる太守就任の要求をした挙句、空気読まずに袁術から独立しちゃってるからな
孫策は結構綿密に計算ずくで独立したんじゃないか?
若い頃(というより少年の頃か)から独立は視野に入れてただろうし、
太守就任要請はその布石だろ。
しかも曹操本人も陽動のつもりだったとか言うオチだったらひどいなw
当時、太守は30代くらいになってから任命されるのが常だったっぽいのに
20代前半でいきなり太守にしろ、と何度も要求するのは布石ってより空気読めてないだけだろう
しかも喪中にも関わらず別に軍事活動しようとしたり空気読めてなさすぎ
実力だけはあるもんだから恨み買って横死するのも当然だな
よく孫策が生きていたら……というifを言う奴がいるが、
あんなのが生きていたら一時的に勢力を伸ばすも
その後まとめきれずに目も当てられない惨状になるのがオチだろ。
一番いい所で死んで後継に一番いい人選をしたその慧眼は確かに凄いが。
孫策がその後どうなろうが袁紹さまには関係のないこと。
曹操の背後を攻めてさえくれればそれでいい。
いや、袁術から独立しないのが一番だろ。袁紹からすると。
袁紹からすれば孫策から独立してもらうのが一番ありがたい
袁紹の敵は袁術だったわけだからな
孫策が独立せず、袁術に忠誠を誓っていた場合、
曹操が袁術の対立がどうなるかが読めない。
孫策は揚州を押さえているから価値があるわけで、
結局直接の戦には参加しないだろうし。
仮に参加したとして、袁術軍の先鋒に使って
いい働きができるものかもわからん。
案外親父みたく流れ矢で戦死とかもありえる。
何しろ一騎打ちしちゃうような命知らずだからな。
443 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/13(土) 23:05:05
そもそも、当時のわずかな孫策とその仲間達がそのまま配下にいたところで
袁術が曹操に勝てるのかどうかすら怪しい。袁術が孫策を先鋒に起用するかどうか……。
孫策が袁術から独立して、敵をばったばったと倒して国を作ったほうが
結果的には袁紹の同盟相手になるわけだし、袁紹にとっては良かったと思う。
官渡に至る時期には術が兄貴の所に逃げ込もうとするぐらいの仲
にはなってたんじゃないの?
仲悪くても一族なら許してもらえると思う奇妙な信頼が中国文化にはある
孫策きたら陳登ぶつければ済む話w
というか元々陳登と闘うつもりだけだったかもしれないし
曹操はアレクサンダー・カエサル・ナポレオンとかと肩を並べる(いや、それ以上の)英雄ですよ。
袁紹とか教科書にすら載らないザコと比較するのは失礼だと思うがね、俺は。
曹操もアレクサンダーとかと比べたら教科書の扱いは低いだろw
曹操は世界史にも日本史にも出てくるぜ?
教科書に載るか載らないかで人物は決まってしまうのか?
厨房には、それくらいしか出典がないから…
>>433 曹操が空気読まないで意外な手に出るというのは
董卓追撃や徐州急襲等から当然予想して対策をうつべきでは?
群雄の中では恐らく袁紹が一番曹操をよく知っていたのだから
455 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/27(土) 00:13:43
>董卓追撃や徐州急襲等
別に意外な手じゃないとおも
つーか、両方とも曹操を窮地に落としいてれないか?
>董卓追撃
まあ空気はよんでないわな
少なくとも同盟軍の中では
>徐州急襲
たぶん建安五年の時の事だと思うがどうだろうな
武帝記だと諸将は曹操自身の征伐は袁紹に背後を突かれる
おそれがあると反対したとあるからまあ意外な手だと言えるのか
まあ呂布に背後を突かれた時のことを言っているんならよく分からんけど
458 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/03(土) 02:41:26
調べたんだが
袁紹より袁術のほうが良血なんだな
歴史は嘘をつかない