1 :
無名武将@お腹せっぷく:
三国志には女性が少ない。
ゲーム等では、強引に女性キャラを増やしてはいるものの、なかなか苦しい。
これは、中華エンタテイメントとしては、かなり深刻な欠陥ではないだろうか?
エロゲーでもやってろと曹操が言ってたよ。
三國志に女はイラネ。
エロゲでもやってろバカ
女萌えしたいならエロゲでいいんじゃね?
歴史ものに女が少ないと言われても…………
中華エンタテイメントってなによ
まー、エンタテイメント性なら、金庸の武侠小説とかの方が上だね。
日本じゃあまり浸透していないけど、
闘う美女キャラがわんさかいて、
映画、ドラマ、アニメ、ゲームといろいろな媒体に進出している。
吉川英治の三国志も架空の芙蓉姫を創作していたからな
物語として華に欠けるところはあるわな
まあ中華エンタテイメントによれば女は家畜だから
>>1の言うこともわからんではない
>>6 武侠小説は女に限らず、登場人物の個性が強すぎるから
ほとんど変態や基地外ばっかりで、まともな奴いないし
まだ隋唐演義の方が、
使える女性キャラが多いね。
京劇でよく使われている木蘭は、ディズニーアニメにもなったし。
平陽公主萌え
柴紹 (´,_ゝ`)プッ
>>6 金庸の武侠小説、日本でメジャーにならないのが不思議。
本格的に知られたら、三国志にも太刀打ちできると思うんだけどなあ。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 19:25:33
吉川三国志は偉大だった、ということだ
>>13 金庸の武侠小説がどれほどの出来かは知らんが、闘う美女キャラがわんさかいてって話しなら
一般的には洋画、オタ層には漫画やラノベがある
歴オタは女性にではなく時代考証や人生観に嵌るのだから不思議でもなんでもない
金庸の小説は侮れんぞ。
ライトノベルで読めて、一見ストーリー展開も漫画みたいだが、
教養が詰まっているし、テーマが奥深い。
文学として、魯迅や巴金と並び称されることもあるぐらいだし。
金庸
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BA%B8 金庸(きんよう、簡体字表記:金庸、ピン音: Jīn Yōng 1924年6月6日 - )は中国の小説家で、香港の『明報』とシンガポールの
『新明日報』の創刊者。武侠小説を代表する作家で、その作品は中国のみならず、世界の中国語圏で絶大な人気を誇る。本名は
査良縺B金庸とは筆名で、繧フ字を偏と旁に分けたものである。
1955年に処女作『書劍恩仇録』の連載を開始して以来、1972年に『鹿鼎記』を最後の作品として断筆するまでに、長編を中心に
15作の武侠小説を書き上げた。それらの作品群は、文学的な表現と巧みな展開の物語で、爆発的な人気を引き起こし、香港中国
のみならず、台湾や華人の多い東南アジア各国でも広く読まれている。その浸透ぶりは、「中国人がいれば、必ず金庸の小説が
ある」と言われるほどで、中華圏における民族作家として確固たる地位を確立している。
金庸の武侠小説は動乱の時代を舞台としたものが多く、壮大な歴史背景に、実際の歴史上の人物も多数登場して虚実入り混じ
った世界を形作り、武侠小説の枠を超えた壮大な歴史叙事文学と呼ぶに相応しいものとなっている。また、作品の中では、民族間
の葛藤が描かれることが多いが、それらの関係は伝統的な中華思想によっては捉えられておらず、諸国家・民族が客観的かつ平
等に描かれているのが大きな特徴となっている。
武侠小説はそれまで低俗な大衆小説として知識人からは軽蔑される傾向が強かったが、豊かな教養に裏打ちされ、また西洋
小説の影響も受けた金庸の作品は知識人の間でも好評を博し、金庸の作品の主題や物語、登場人物を研究する「金学」なる学
問まで生まれた。武侠小説を文学としても評価される域にまで引き上げたことで、金庸は、「武侠小説の第一人者」との呼び声も
高い。また、作品の多くは映画やドラマ、漫画、ゲームなど様々な媒体に進出して大衆に広く愛され、中華圏における広範な娯楽
文化の一翼を担っている。1995年に、現代中国の代表的な作家を選んだ「二十世紀中国文学大師文庫」で、金庸は、魯迅、沈
従文、巴金に続く、第4位に置かれている。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/13(日) 00:14:32
魅力的な女性キャラっていないな。そういえば。
大半が旦那の引き立て役だしな。
名前自体伝わっていない場合が多いね
後の時代に比べて、
漢代の頃は、女の名前は、男の名前としても通用する名前が多かったらしい
暗殺とかのためなのかねぇ
三国志の女性はほとんどおまけ程度の役割しかないね
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/14(月) 23:25:37
ようは、天龍八部無双を作れ、ってことだな
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/14(月) 23:38:57
ホモと腐女子ばかりのスレですね
>>1は何が言いたいんだろうな。
中華エンタテイメントってなによ?
封神演義、史記、隋唐演義、西遊記、楊家将演義、水滸伝、説岳全伝、金庸の武侠小説群、
こんなところか?
遊仙窟と金瓶梅を忘れてる
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 01:06:01
史記はエンターテイメントじゃないでしょ
僕は扈三娘たん
>>1安心しろ
演義は女性分少ないが正史には魅力的な女性の逸話が多いぞ
犯してくれと言わんばかりの格好で戦場でやり振り回してる女よりよっぽどいい
やっぱ穆桂英だろう
>>22 無双にしたら、王語嫣とかまでエロい格好させられて、
闘うことになるんだろうなw
無双厨のとんでもない妄想としては呂后さえ妖艶な年増女として描かれることを望むらしい・・・。
三国志は娯楽性は少ないわな
姓だけで名前のない女が多いよな
>>15 >時代考証や人生観に嵌る
金庸の小説こそ、その時の時代背景や民族関係、
人はどう生きるべきか、について熱く語れるものだぞ。
黄薬師の生き方に憧れる
確かに、女どもぱっとせん。
やっぱ潘金蓮
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/21(月) 00:09:35
黄蓉たんの名前が出てないのはどういうわけだ
水滸伝もそこそこいるな
水滸伝の女性キャラ
扈三娘(梁山泊。双剣使い。良家の令嬢。海棠の花と称される美女。)
顧大嫂(梁山泊。孫新の女房。パワフルな肝っ玉母ちゃん。)
孫二娘(梁山泊。張青の女房。追い剥ぎの娘で人肉酒屋を営む姐御。)
答里孛(遼国の王女。七星宝剣の使い手。使い捨てキャラ。)
瓊英 (田虎軍の将。美少女。飛礫と戟の名手。実は両親の仇・田虎を狙っている。)
段三娘(王慶の妻。拳法の使い手。淒い醜女で精力絶倫。)
戦闘要員だけでこれだけいるんだよな。だとするとやっぱ三国志って女性キャラ少ないな
やっぱ羅貫中のせいか?
ドラゴンボールには女性が少ない。
ゲーム等では、さらに女性キャラが出てこないので、なかなか苦しい。
これは、本邦エンタテイメントとしては、かなり深刻な欠陥ではないだろうか?
女性キャラ云々以前に、
三国志のキャラは全体的に個性が薄め
それは関帝聖君を知ってる上での台詞か?
三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君
映画、ドラマ、漫画、ゲームなんてものにする時、
女がいないと作品に華に欠けるんだよな
純粋な三国志ファンならガチムチの髭兄貴達が汗臭い活躍するだけで充分華を感じるんだろうけどな
不特定多数の層を相手にしようと考えるとどうしても女性が欲しくなるのも確か
そもそも三国志に集中しているのがよくないんだな。
挙げ句無駄に女体化して三国志の風味を損なうドラゴンシスターみたいな作品が出きるしな
…蒼天の丁奉が女体化したのも華が足りない故のテコ入れだろうか
それなりの数の女性は登場するけど、
生き生きとした女性キャラってのがあまりいないね
せいぜい存在感あるの貂蝉ぐらいか
肝っ玉母ちゃんな呉国太とご機嫌取り孫権のやりとりとか好きだな
まぁオバチャンだから華は無いけど
天龍八部の登場人物約180人のうち、女性は以下の35人(多分見落としあり)
刀白鳳 秦紅棉 木婉清 甘宝宝 鍾霊 葉二娘 王夫人 王語嫣 阿碧 阿朱 阿紫 馬夫人(康敏) 阮星竹 譚婆
天山童姥 李秋水 夢姑(銀川公主) 西夏宮女 余婆婆 蘭剣 竹剣 菊剣 梅剣 崔緑華 穆貴妃 辛双清 葛光珮
平婆婆 瑞婆婆 小翠 幽草 石清露 黎夫人 程青霜 符敏儀
>>52 その中に段正淳の愛人が6人、娘が5人もいるんだよなw
やっぱ黄蓉
楊家将なんか、女将軍勢揃いって感じだよな
ドラマで見たら、かなり華やかだった
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 15:41:00
吉川英治もさすがにまずいと思って芙蓉姫を創作したんだろうな
>>52 その中にまともな女性というのがほとんどいないのが恐い。
3分の1ぐらいは凶悪犯罪者だし。
やっぱり客を殺して人肉饅頭にして次の客に出すような女がいないとな
水滸伝ばかりか、三侠五義とかでも出てくるから、
支那人って人肉ネタ好きだね
序論
戦乱の物語において、女性の戦に携わる姿が時として見受けられる。好例は、西洋のジャンヌ・ダルクであろう。その神秘性の是
非はともかくとして、彼女がフランスに勝利をもたらしたのは――ファンタジーに近いとは言え――歴史的事実であり、物語の題材と
して申し分ない。
中国の物語となると、戦場で活躍する女性の数は飛躍的に増加する。いわゆる「女傑」だ。特に絢爛豪華な物語と言えば、『水滸
伝』であろう。『水滸伝』では、扈三娘を始めとし、孫二娘、顧大嫂、瓊英、答里孛、段三娘と六人もの女傑が登場する。
また、『封神演義』においても、数多くの女性道士が登場する。そのほとんどが一級の強さを誇り、男顔負けの能力を有している。
では、『三国志演義』はどうであろうか。これが、意外と少ない。戦乱の世を扱った物語であるのに、女傑と呼べるのは孫仁こと、孫
夫人ただ一人。正史で大活躍した王異は、王氏として没個性人物に貶められている。
何故、『三国志演義』では女傑が少ないのであろうか。儒教思想の影響が強い――とする発想は、極めて幼稚なものだと言える。
全ての原因を儒教一つに求めることはできないのだ。
ここで改めて問う。どうして、『三国志演義』では女傑が少ないのか。
今回のレジュメは、『三国志演義』の作者(あるいは作者たち)の意図を考察したものである。
『三国志演義』の異常性
原因の一つとして、「『三国志演義』は歴史を忠実になぞらえた小説であり、それも戦乱史を題材にした以上、女傑という非現実的
な存在が登場しないのは当然のことである」といったものが先に考えられる。
一見これは納得のいく説明のように思えるが、実際は穴だらけの論理と言えよう。中国の、特に中世の小説には、歴史を題材にし
たものが数多くある。『楊家将演義』を始めとし、これらの小説には実に多くの女傑が登場する。これらは確かに、歴史と食い違って
いる面がある。だがそれは、実在しない女傑を登場させたから、史実と違ってしまったとは言いがたいものがある。事実、女傑がほ
とんど登場しない『三国志演義』でもまた、史実と異なる点が数多く見られる。
つまり、女傑の存在の有無は、歴史物語の正確さとは無縁に近いと言っていいだろう。歴史に忠実にしたため、女傑を登場させら
れなかったとは言いがたいのである。
先の理論をさらに誤りとするのは、『三国志演義』が数々の民間伝承を取り込んでいるという事実――そして、正史三国志や民間
伝承において、数多くの女傑が登場しているという事実である。
例えば、正史三国志では「王異」なる女性が登場している。彼女は魏の武将趙昴の妻で、(『三国志演義』において勇猛で知られ
る)馬超を撃退した勇敢なる女性だ。彼女は伝こそ立てられていないものの、戦の時は必ず作戦会議に参加したとあり、かなり優秀
な女性だったことを窺わせる。同時にこの――作戦会議に全て参加したという――エピソードは、当時の女性に対する態度が、時と
して大らかなものであったことを裏付けていると言えよう。(これは、曹操の妻に対する態度を見ても判る。彼は実家に帰った妻の下
へ行き、わざわざ頭を下げている)このことは、女性が戦争に参加していても何らおかしくない、という問題へと繋がる。
また、『三国志演義』に取り込まれた『花関索伝』には、鮑三娘、王桃、王悦、花鬘といった魅力的な女性達が登場するはずだが、
『三国志演義』ではどういうわけか花関索のみを登場させ、その他の女性群は抹消している。花関索という非実在の人物を登場させ
ておきながら、彼と共に蜀を守って討ち死にしたとされる鮑三娘はどうして登場させないのか。墓まで存在するこの架空の女傑を、
何で物語に取り込まなかったのか。
ここで、『三国志演義』の女性に関する矛盾点を二つにまとめてみた。
・ 歴史を題材にし、袁紹の勢力拡大の様子など細かい部分まで再現しながら、何故か歴史に登場する女性を封殺している
・ 削る必要のない『花関索伝』の女傑をあえて削り、登場させる必要のない花関索を登場させている
明らかに異常である。正史に登場する王異は『三国演義』において王氏と名を変えられ、ただの賢夫人としての役目しか与えられて
いない。また、雑劇や民間伝承で活躍する孫尚香(孫夫人)も、劉備への愛に殉じる存在にしか過ぎない。
どこまで儒教の影響があったのか
さて――中国の物語に登場する女性について、ほとんどの人が、「男尊女卑という儒教的価値観があるため、その扱いは冷ややか
なものである」と考えている。このことから、「『三国志演義』に女傑が登場しないのは、そういった儒教思想が根本にあるから」とする
識者は多くいる。
『三国志演義』の各パートにおいて、儒教的なモチーフは数多く見られる。愛に殉じる孫夫人、義理の父のために己の体を犠牲にす
る貂蝉、儒教において「美徳」とされるものが詰まっている。
だから、確かに間違いとは言いがたい。けれども、全てが儒教思想に起因するというのは、やや強引な考えではないだろうか。そん
なに単純なことで『女傑』の要素を省いたとは、到底思えないからだ。
例えば、義父や国家のためとは言え、二人の男と関係を持った貂蝉はどうして非業の死を遂げないのであろうか。本来なら、儒教の
道徳観に照らし合わせて、吉川英治の『三国志』の如く自殺させるべきなのである。
また、左慈や于吉のような妖人が活躍する点も奇妙な感じがする。曹操を貶めるためとは言え、わざわざ道教的な存在である左慈
を持ち出してきたのは何でであろうか。道教は基本的に、房中術や錬丹術など、およそ儒教から見ればいかがわしい行いを実践して
いる集団である。しかも左慈は史実において、房中術を実践した、と書いてあるのだ。こんないかがわしい存在を、曹操をからかうトリ
ックスターとして選んだのだから、『三国志演義』に注がれた儒教色は実はそこまで濃くないことが窺える。
となると、事態はややこしくなってくる。『花関索伝』などの女傑が登場しない理由は、決して儒教的男尊女卑思想から来ているので
はない、ということになる。
そもそも、いくら男尊女卑思想が根底にあっても、物語を彩る要素『女傑』を削る理由になりうるのだろうか。その考え方は、どうもこじ
つけであるような気がしてならない。
文人、羅貫中
「羅貫中が文人であり、文人として女傑は好みではなかった」という説もある。これは、もっとも有力な説と言えよう。何故なら、しっか
りした裏づけがあるからだ。
根拠として挙げられるのは、『三国志平話』である。『三国志平話』では、劉備、関羽、張飛の三人は、賄賂をせびる役人を殺した後
に山賊へと身を落としている。その後、事態を重く見た朝廷が十常侍を抹殺し、「招安」という形で三人を招き入れている。
一方『三国志演義』では、三人はそのまま流浪の旅に出て、別の地に身を寄せることとなっている。
あくまでも、『三国志演義』は「上品」で、「文人的」である。それとは対照的に、『三国志平話』は「粗野」で、「庶民的」だ。ところが、
当時の基本スタイルから見ると、『三国志平話』の方が普通なのであり、『三国志演義』が異色なのである。『楊家将演義』や『説岳
全伝』を見れば解るように、この当時の小説は「豪快」で「非現実的」なものだ。そしてそのほとんどが、「女傑」を登場させている。
羅貫中は実際、文人である。だが、文人であるからと言って「女傑」が嫌いであるとは限らない。ここは単純に羅貫中が女傑を嫌っ
たと考える方がよいだろう。
こうして、『三国志演義』に女傑が登場しない理由が判明した。
さて――彼は一人の「小説家」である。小説家が小説を書く際、先立って「書きたい」と思った動機がある。現代では雑誌社と専属の
小説家、という関係があるが、当時はあくまでも能動的に小説を書いていた。〆切りなどなく、小説を書く義務もない。裏を返せば、社
会的に保証された仕事ではない。そのため、小説を書くということは何か動機がなければやれない行為なのだ。
では、羅貫中は何の意図があってこの『三国志演義』を書いたのか。その疑問に入る前に、しばし視点を別の作品へと移したい。
『水滸伝』における女性の扱い
序論で述べたように、水滸伝には六人の女傑が登場する。
扈三娘、孫二娘、顧大嫂の三人は主人公グループであり、答里孛は異民族の女将軍、瓊英は反乱者田虎の配下の美少女で、段
三娘は反乱者王慶の妻である。
答里孛と瓊英は扱いの良い女傑だ。特に瓊英は、扈三娘や男達を相手に奮戦し、後に梁山泊サイドに仕え、幸せに結婚・出産をす
るという破格の待遇である。また、顧大嫂は最後まで生き残り、物語の最後の方ではシャム国の王となった江賊李俊に付いて行った
とある。
一方、扈三娘、孫二娘、段三娘の扱いは酷いものだ。段三娘は悪役であるからともかく、扈三娘は冴えない男と無理矢理結婚させ
られた挙句、戦場で石つぶてを顔面に受けるという無残な死に方をしている。孫二娘とて例外ではない。
この扱いの差を、「瓊英は親の仇を討ち取った貞女であるから、作者が儒教思想に則って免罪符を出した」「扈三娘は主家の滅亡に
殉じず、仇である梁山泊に従ったから(入山以後は)没個性の人物とされ、無残な最後を遂げた」とする説もある。だが、私はもっと物
語の構造から彼女たちの扱いを見るべきではないかと思う。
水滸伝のストーリーの根幹にあるものは、「地上に落とされた百八の宿星が、罪を購うために地上で己の役目を全うする」というもの
である。故に、天殺星――黒旋風の李逵は、作中において老若男女問わず人を殺しているのだ。(彼が子供をまるでスイカ割りのよう
に殺すシーンを読んで、「中国人は残酷な描写が好きである」とするのは、以上のことから考えて、全く作品の本質を捉えていないもの
と言えよう)
扈三娘、いや――地急星にとってみれば、死を迎えたことは決して悲しいことではないのだ。むしろ、ようやく天界へと戻れるのだか
ら、人間・扈三娘がいなくなったことを寂しく思いつつも、密かに祝福すべきことなのである。
『三国志演義』執筆の動機と、女傑不存在の関係
『水滸伝』において、一部の女性の扱いのひどさは、「物語の骨子」に原因を求めることが出来た。『三国志演義』では、女傑が登場
しない理由を羅貫中の個人的趣味に見出すことができる。
では、『三国志演義』もまた、女傑が登場しない理由を、「物語の構造」に見出すことができないだろうか。
そもそも、『三国志演義』はどんな意図があって書かれたものであるのか?意外と、この疑問に正面から取り組んだ人間は少ない。
そこで、私なりに『三国志演義』の(執筆当初における)基本コンセプトを考えてみた。
・ 歴史を解りやすく解説
・ 人間存在の空しさ、儚さを表現
・ 今は亡き英雄達に捧げる物語
etc…
様々な動機が理由として考えられる。そのどれもが、『三国志演義』作成の動機として相応しいものばかりだ。
ところが――結局、「どうして『女傑』は登場しないのか」という問題を解くことにはならないのである。
戦乱物語でありながら、ここまでスッパリと『女傑』を切り捨てている原因は、もはや作者の個人的な趣味に求めるしかない。
これで『三国志演義』に女傑が登場しない理由がはっきりと判った。
ところが、まだ一つ疑問が残る。以上の理由で女傑を省いたのであれば、羅貫中は『三国志演義』内の女性にどんな役割を与えて
いるのか。
ここでもう一度、『水滸伝』に目を向けてみたい。
女性の役割
『水滸伝』における女性の存在意義とは何か?先に結論から述べると、「数多くの女性を表現する記号」であると言えよう。
登場する女傑の名前を見ていただきたい。瓊英と段三娘は後世に付け加えられた人物だから除外すると……扈三娘は、「扈家の
三番娘」となり、孫二娘は、「孫家の次女」であり、顧大嫂は、「顧家の一番年上の嫂」となる。およそ本名とは言いがたい名前だ。
それも、名前の付け方が安直である。この三人、年齢の順に「大」「二」「三」と名付けられている。適当と言うしかない。(後の民間
伝承では、三人を姉妹としている)
特に扈三娘は、「三」という字に「複数」「聖なる」といったニュアンスが込められていることから考えると、「扈家の聖なる娘たち」と
読み取ることもできる。扈三娘は女兵士を率いる女傑だが、彼女自身もその女兵士を表現したものと考えられよう。
また、唯一考えられて名付けられたと思う答里孛は、漢民族離れしたその名前から「異民族」を象徴した存在と読める。
『水滸伝』における女傑達は、無個性な名前を与えられた、記号的な存在である。(ただし、これは女性差別とは無縁である。小説
の表現上の問題でしかない)
『封神演義』や『児女英雄伝』には立派な名前を与えられた女傑が登場することを考えると、以上のことはそれほど飛躍した考えで
もないだろう。
それでは『三国志演義』を見てみよう。
登場人物の名前を見てみると、貂蝉(元となった『三国志平話』では、ただの幼名)、孫夫人(『三国志演義』で出てくる孫仁という名
は、本来別人のもの)、王氏、大喬、小喬……どれもこれも、本名と思われるもので記されていない。あくまでも呼称である。
唯一、孫魯班だけは本名らしく、王異と違って正史のままの名前で登場しているが、彼女が「悪女」で、しかもたった一回しか登場
しないことを考えるとあまり大したことではない。むしろ実名を出されたことで、彼女に対する(羅貫中の)悪意を感じる。
『三国志演義』における女性もまた、『水滸伝』と同じように「記号的存在」と言える。もちろん、これは儒教や女性差別とは全く関係
ないこととして考えるべきだ。ただ、文章表現の技法的な話である。
ところが、『三国志演義』に登場する女性と『水滸伝』の女傑は、ある点で決定的に違う。それは、「自由意志」の有無である。
『水滸伝』に登場する女傑は、みな個性に溢れていて、自分の意志で運命を選択している。一番運命に翻弄されている扈三娘でも、
一応自分の考えを持って梁山泊に入山したのだ。
だが、『三国志演義』に登場する女性は、どれもが運命に対して「受動的」である。自由意志を持っているかと思われる二人――貂
蝉は「義父と国家のために身を捧げた犠牲」であり、孫夫人は「策謀のための道具」でしかないのだ。つまり、羅貫中があえて女性の
自由意志を否定したのであり、羅貫中の好みは全てに従う女であると言えるのだ。
これは決して勝手な想像ではない。正史では、敗戦した曹操に怒った丁夫人が実家に帰っているが、『三国志演義』にはそのエピ
ソードがない。『三国志演義』では悪役曹操は愛欲の果てに敗戦したのであるから、その上妻に逃げられたという話は曹操を馬鹿に
するいいエピソードのはずである。どうして羅貫中はこの話を取り入れなかったか。
すでに述べたように、羅貫中は自由意志を持った女性が嫌いだからだ。あくまでも夫や天下に従う、従順な女性が好みだからであ
る。こうなると、彼が「文人」である点を通り越して、彼自身の趣味が表れたと言えよう。
まとめ
こうして考えると、羅貫中が「女傑」を登場させるわけがない。「女傑」とは「自由意志」を持っているから「女傑」なのだ。簡単に男
や天下に従ったりしないからこそ、「女傑」は庶民に好まれるのである。
単純なことだ。羅貫中は「女傑」が好みのタイプでない。だから『三国志演義』には「女傑」が登場しないのだ。
「女は出しゃばるんじゃねーよ」by羅貫中
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 09:25:17
確かに三国志に出てくる女ってみんな受け身だよね
是非はともかく恣意的な文章だな
>>60-69 長すぎ
ここはお前の日記帳ではないので、もっと簡潔に纏めろ
倚天屠龍記の女どもは恐いよ
三国志はそういうこと想定していないんだから、
格闘型のゲームとかで、
女に過激な格好させて、無理矢理キャラに仕立てるのはよくないな
三国志と並んで水滸伝や金庸の武侠小説もメジャーとなれば問題なし。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 23:17:47
三国志の登場人物のうち、女は何人いるの?
ヲタ文化の隆盛=歴史の面白味
とでも思ってるのかこのスレ?
うん、たぶんおまいが居る板を間違えているんだろう
ここはホビーカテだしな
なっ!?(゜д゜)
>>81 三国志の捉え方にもいろいろある。
純粋に歴史として捉えることもあれば、
演義から始まって映画やドラマ、漫画、ゲーム等の様々な媒体に進出しているエンタテイメントとして捉えることもできる。
歴史としてだけでは捉えられないからこそ、世界史板から分離してこの板が存在しているんだよ。
>>79 スレとは関係ないけど少ないと思うよ
分類不能や雌雄同体が多いし
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 00:07:46
個性が立っていないんだよな
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 02:33:07
三国志になんで女を求めるんだ?
ギャルゲーでもやってろ
おまえはホモゲーでもやってろ腐女子
89 :
呉三桂:2006/09/02(土) 10:32:28
三国志の女は、男の従属物としての色彩が強いね
ないものねだりすんなよ……
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 23:11:41
楊家将演義だと女将軍勢ぞろいだったりするのにね
一騎当千の女化は別の意味で引いたけどな
ミニスカ爆乳の女を「関羽」って言われても髭+マッチョなイメージしか出てこないので
あんなに大胆な格好をしていても俺のマイサンは全く無反応だった
関羽は髭マッチョのイメージが強すぎて女体化が抵抗ある。せっかくの髭マッチョなんだから髭マッチョのまま出せと
>せっかくの髭マッチョ
なんかワラタ
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 22:36:36
羅貫中がいたのは元末明初であって、唐代以前ではないのだから仕方ない。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 23:14:02
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 00:30:18
>>95 古代の中国では意外なほど女性は自立しており、行動的であり、必ずしも男性の従属物ではなかった。
この傾向は、漢朝崩壊後の異民族の中原侵入によって更に強まりを見せ、
特に鮮卑族系の政権が次々と誕生したことで、鮮卑族の女性の自由闊達な気風が漢族の女性にも広まり、
その後やはり鮮卑系である可能性が高い唐朝の時代には、女性の自由の度合いは最高潮に達した。
だが、唐朝崩壊と五代の混乱、宋朝の誕生を経て、儒教的思想である男尊女卑観が社会の、
特に貴族に代わって登場した新たな支配階級である士大夫層の間で主流となり、次第に女性の自由は失われていった。
南唐に起源を持つ纏足も、ちょうどこの時期に広がりを見せた。
つまりあれか
某南国少年漫画に出てくる髭マッチョ娘みたいな関羽ならおkってことか
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 23:16:41
>>1 まー、確かに三国志は全体的に無骨で、
華やかさに欠ける部分はあるね。
時代的にも、ちょっと地味な感はあるし。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 23:24:53
五代十国の方が、華やかな雰囲気はあるかもね
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 12:42:21
五代十国は唐代と宋代を繋ぐ時代で、
社会の支配層が貴族から士大夫に移った時代。
女性の解放度が薄れ、儒教的な縛りがきつくなった時代。
女性の縛りの象徴とも言うべき纏足が生まれたのもこの時代。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 00:41:57
契丹人の女狩り
>>102 孔子廟で孔子の妻の靴が展示されてた記憶があるんだが
実際に纏足はもっと前からあったんじゃないかな?
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 14:48:37
中国男の小さい足フェチは昔からあったよ。
でも纏足は南唐に始まり、宋の時代に広まった。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:16:02
確かに三国志に出てくる女たちってぱっとしないな。
>>105 金蓮ですな。
その昔アニメから三国志に入った友人は、于禁が女じゃなかったことにショックだったらしいw
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 06:08:50
>>103 なぜか遊牧民は特に纏足の女を好んで、
纏足の女ばかりさらっていたらしいな。
加えて、纏足→身分卑しくない→美女率高い。かな。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 15:27:37
宋の時代なんかは、身分の高い女性の前に、
妓女に纏足が広がったようだね。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 23:36:08
あの小さい足がいいという考えが理解できん
フェチズムとは得てしてそんなもの
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 15:46:13
>>1 隋唐演義の方が、魅力ある女性が多いよね
三国演義に登場する女性たちは、男の付属物。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 17:48:03
女なんて所詮男の附属物品だろ?
つか、三国志の女は個性に欠ける
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 12:10:53
そんな
>>115はもう3年半女性と話したことがないらしい
>>112 小さい足ってのがフェティッシュの対象らしいからね。
足に巻いてある布を解いていくってのが良いらしい。
蔡文姫の名が一度も出てこないなんてな
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 18:08:21
隋唐演義と比べても、女性の活躍の度合いという面に関してはかなり見劣りするね
>>117 うるせー氏ね!!
俺は今まで女に不自由したことねーし
今だって四股かけてるし童貞捨てたのだって小5のときなんだぞ
今もほしのあきクリソツの彼女が横でほとんど裸で寝てるしな
そんな俺が言うから間違いない
女なんて所詮男の付属物品
お疲れ〜
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 12:47:52
付属品かどうかはともかく、
娯楽性という点じゃ、やはり恋愛描写はあった方がいい
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 13:14:55
>>122 何の自慢だよ・・・・
おめーが死ねグズがw
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 13:57:16
女側の意見だけど、三国志は男だけでも平気じゃないでしょうか?
野球とか男ばっかだけど盛り上がるし。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 14:45:05
平気っつうか、すでに大々々流行なわけだが
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 15:41:08
でも、女がいて歴史は動いたと思いますよ!数少ない女がいての三国志だと思います。
>>129 世界の男女比って概ね半々だろうから
きっと裏方で名前の知られてない女性達が
こっそり活躍してたに違いない
軍事とか政治とかってより、生活面でね
>>115 どうでもいいが
お前自分を産んだかーちゃんに謝れ
いくらなんでもそりゃねーわ
まずは、三国志を歴史と捉えるか、娯楽と捉えるかの問題だ
>>132 正史は歴史、演義は娯楽と捉えると良いような。
演義には創作の女性も出てくるし。
個人的に「三国志」は女性が登場しなくても面白い読み物だと思うけどね。
この板では基本的に娯楽
三国志は娯楽、三国史または三国誌は歴史
陳寿の正史が三国志と呼ばれてることについて一言
陳寿の三国志も私的感情・政治的圧力によって
歴史とは違う部分が多々ある
本当の歴史とは陳寿の記述の更に奥にあるもの
かもしれない。
てか素直に謝るよ
>>135は適当だった
レスなら何でもよかった
今は反省している
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:27:56
この板では三国志は娯楽だよね
歴史としてなら、学問カテゴリーの方にあるはずだし
だから
>>1の中華エンタテイメントという表現は正しい
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 15:14:01
まあなあ
隋唐演義では、個性の立った女が多いだろう。
隋唐無双なんかが発売されたら、
無双厨はみんな隋唐の方へ移るな。
平陽公主萌
>>140 一番移りそうなのは封神無双じゃね
おにゃの子いるし、演出がどれだけ派手でも違和感なし
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 20:08:35
やっぱ金庸の武侠小説をゲーム化するのが一番だろう。
古典ではないが、エンタテイメント性では群を抜いている。
>>142 封神演義はジジイ系が最強レベルの存在だから女人気は上がらんと思うぞ。
ナタ、ヨウセンを美男子化して売り込めばそこそこ人気出るかもしれんが。
個人的には、元始天尊、通天教主、太上老君、接印道人、準提道人の広大無辺な法力をどう描くか
興味のあるところだ。
下位と上位の力差がありすぎるんで、根幹を模したゲーム化は難しそうだけどな。
PS版みたいな妥協案は煮えきらんかったし。
>>144 おいおい、藤崎版封神を見てもそんなこと言えるのか?
>>145 藤崎封神なんて取り上げたら、バトル封神級の地雷と化すのは明白だろw
147 :
くわぁまん:2006/10/06(金) 04:39:43
確かに、女性キャラ少ないけど皆無じゃない。
多分に男を建ててしゃしゃり出ないてのが本当のとこじゃないの?
三国志英傑伝見てたら趙安の娘で庖ガ親、辛ピの娘で辛憲英が男勝りなことをやったらしい。
あとシン皇后の姉妹なんかもあったよ
探せばいるね(笑)
世界の半分は女
探せばいるのは当たり前
>>143 金庸作品はとにかくツンデレヒロインが多いからな。
ここが重要だ。
つか金庸の武侠小説って、まともな人間がいないか、
いてもほとんど活躍の機会が与えられない・・・
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 18:00:49
>>147 探せばいる = 探さなければいない
この点が問題なんじゃないか
そりゃ違う
探せばいる = 俺くらいしか知らない
これが た ま ら ん じゃないか!
俺さんはそれで構わないかも知れないけど、
広く大衆的な人気を目指すなら、俺くらいしか知らないでは問題だなあ
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 14:29:47
広範な中華娯楽としての三国志は欠陥品ということか
>150
そもそも武侠の輩というのは普通の社会の住人ではないわけで・・
趣味カテゴリーにあるのに、三国志は広く大衆的な人気がないのか
>>150 大衆人気は絶大だと思うよ。
神となった関羽の人気などはまさにそれを物語るものにも見えるし。
メジャーな大作ほどミーハー人気も平行して生まれ、それを嫌う人も多いと思うけど
普通に考えたら三国志演義は面白い作品じゃないかな。
日本においてじゃね?
まあ野鳥観察とかあんだから三戦が趣味カテでも何らおかしくない
小説、漫画、ゲームなどメディアでも取り上げられたから
三国志人気はいろんな世代に広まったんだじゃないか?
まあ、その分余計な汚物も増えたけどさ・・・。
無双厨とか、大戦厨とか。
つーか厨がつくものは全部汚物
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/09(月) 12:38:57
無双のような類のゲームは、歴史色の強い三国志ではなく、
もっと格闘向きの物語を題材に使うべきだな
武侠小説とかね
DevilMayCryやってればいいんじゃね
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 08:44:18
だが、それがいい。
三国志を単に歴史、戦史として捉えた場合は、男だけでも問題ないが、
娯楽として捉えた場合、映画、ドラマ、漫画、ゲームといった媒体に進出するわけで、
やはり恋愛要素を初めとして、女はいた方がいい。
メディアを舞台にするならバランスが重要だよ。
決戦U、藤崎竜版封神演義、三国志大戦の呂姫のような
演義でも語られてない好き勝手な捏造設定をつけてまで女性キャラを目立たてようとする
差し出がましい真似をする作品は原作との接点さえなくなるので止めてもらいたいね。
腐女子受けを狙った「下手」な作品に仕上げるのは勘弁。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 00:58:28
無理に三国志ばかり使う必要はないと思う。
中国歴史絡みの娯楽なんて、他にもいっぱいあるんだし、
もっと紹介して広めればいい。
169 :
平民バカ:2006/10/13(金) 03:57:10
三国志に限らず、歴史ものの英雄群像劇に女性キャラが極端に少ないのは世の習い。
これは単に女性の地位が低かったからだけでなく、何十人も英傑が登場する群像劇で、それぞれ個性はあっても、
男女関係となると、結局最終的にやることは一緒で、
いちいち掘り下げて書いていたらエロ小説になってしまうからだろう。
ギリシャや日本神話が一部そういう目で見られる向きがあることを考えると、
英雄の活躍を楽しみたい小説としては、三国志の男女比はこれでよいと思うよ。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 12:16:44
楊家将演技をゲーム化すればいいのでは?
金庸の武侠小説の方が手っ取り早い
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 17:47:50
恋愛要素入れるだけなら、将の奥さん出せばいい。
無双やBASARAの影響で戦う女を求めてるやつはただの馬鹿。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 09:11:50
やっぱ隋唐演義だろう。
隋唐演義を、映画化、ドラマ化、アニメ化、ゲーム化して、
三国志に並ぶコンテンツに育て上げるべきだ。
三国志と水滸伝の両方の要素を兼ね備えているし。
ここは紅楼夢で
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 00:28:13
林黛玉ちゃんage
王熙鳳の方がいい。
あのきつい性格がたまらんよ。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 12:18:45
漢の浪漫に女子はいらぬ
漢の浪漫(笑)
漢の浪漫には女は必要ないかも知れないが、
中華歴史娯楽としては女は必要だという話だろう。
捉え方が間違っている。
バカな!漢の浪漫に女は必要だ
そんな事を抜かす奴は大抵が腐女子か尻穴スキー
漢の浪漫に女は必要ない。
「断袖」
これこそが三国志、漢たちの浪漫だ!
女は出て行け!
ホモも出てけよ
劉備も、関羽、張飛のために両方の袖を切ったことだろう
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 11:17:03
三人でさぞかし熱く激しい夜を過ごすんだろうなW
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 13:24:04
3Pか。そういった小説はないの?
189 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/19(木) 20:43:10
1時間で約1500円の現金・WebMoneyゲット!!捨てアドOK,ミクシィ紹介あり
マジレスなのか壮大な釣りなのか判断に苦しむ
無理に捏造とかしなくていいから、既にある女性関連のエピソードを
もっと掘り下げて欲しいかなぁ、個人的には
>>1 つ「一騎当千」
なに、ロリっぽいのが良いだと?
つ「Dragon Sister!」
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 00:57:53
何も三国志に求めなくても、水滸伝とか、女将軍大活躍の楊家将とか、
ツンデレ美少女いっぱいの金庸の武侠小説とか、いろいろあるだろう。
三国志だけにこだわる必要などない。
>>192 それで済んでしまうなら同人という物が此処まで波及しなかったと思うんだよね(´ー`)
いついかなるものにも、いついかなる方向にも、需要が大なり小なりある訳よ
おい!皆
王異を忘れてないか。
>>194 忘れてないよ
俺たちのアイドル(゚∀゚)
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 23:30:36
>>193 それより、三国志以外のものの知名度が低すぎるんだと思う。
楊家将なんか、未だにまともな翻訳はなされていないし。
北方氏の小説は、前半の男中心のところだけ抜き出しているしね。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 05:42:22
北方謙三は、楊家将の後半はファンタジーっぽくて嫌だったらしい。
あの人も、武侠っぽいのりは性に合わないんだろう。
コーエーに頼んで金庸無双を作ってもらえばOKだな
需要がありません(^^)