1 :
無名武将@お腹せっぷく:
ゲームやマンガがきっかけで三国志に興味持ったやつへ。
俺がなんでも答えてやるよ。
余裕の2
正史はどうして最近減少気味なの?
正史は、イカ臭い起臥す。
正史を飲みこんで呉蘭。でも健康にいいって本当?
_, ,_
( `Д´)
⊂|、, つ
((, ゙iニニЭ・:∴:・゚・。。・:∴。・゚・・。・。。・゚・'
| | ノ
(.(_)
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 10:11:28
>>2 ゲームやマンガのキャラクターに、三国志の人物を安易に当てはめた
物が増えた。
それに影響された単細胞の割合が多くなってきたから。
彼らにとって実際の歴史などどうでもいいのだ。
大半の奴がそうだろう。
俺みたいに無双から入った奴は少数派だよな
イカ臭い
/⌒ヽ⌒ヽ
Y
八 ヽ
( __//. ヽ,, ,)
丶1 八. !/
ζ, 八. j
i 丿 、 j
| 八 |
| ! i 、 |
| i し " i '|
|ノ ( i i| こすると正史
( '~ヽ ! ‖
│ i ‖
| ! ||
| │ |
| | | |
| | | |
| ! | |
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 22:02:40
この板の連中に正史なんて言ったってわかんないよ
マンガとゲームしか知らないんだから
凌統が死んだのは四十九歳って書いてあるけれど
二十九歳って書いてあるムック本があった。
誤植ですか?
裴松之の文章を見ているとムカムカします。
腐れ儒者とはこいつの事です。何とかして下さい。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 22:33:19
マジレスすると凌統の没年は二十九が正しく四十九は伝写の誤りと考えられています。
俺は裴松之の文好きだけどな
なんか読んでてスカッとする
裴松之の功績は認めるが
あいつ今で言うと厨房だよな
安易に厨房とか言っちゃって…
裴松之は孔明マンセー
これはガチ
曹仁が好きなんだけど。
正史の曹仁は強いって聞いたけど、本当ですかね?
どれくらい強かったのか詳しく
>>22 皇族の手本となる人
曹丕が「見習え」と弟に注意。
>>23-24 すげえじゃん!
最近三国志Yやって曹仁の能力の低さに泣き濡れていたところだったから救われた気持ちだ
>>25 それはよかった!
三国志シリーズは演義と正史で扱いが違う人は
能力がコロコロ変わるからねぇ
/ .| .゙l ,/` l゙
| 丶 _ .,! ヽ
> ``‐.`ヽ、 .|、 |
゙'. ,ト `i、 `i、 .、″
| .,.:/"" ゙‐,. ` /
` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 !
、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、
、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、
,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、
,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、
_,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、
,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、
、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、
.l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._
,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ
,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐,
,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,!
j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿
゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/`
`'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/`
``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"`
`"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'`
: `‘"`―------
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/30(日) 11:36:43
劉封って皇太子なのに、なんで援軍に行ったり、
関羽がやられた責任とかとらされたんですか?
もし処刑されてなかったら、劉禅の代わりに皇帝になってたんでしょうか
>>28 答えの一つは御自身で仰ってるようなもんですよ
>劉封って皇太子なのに
皇太子ではありませんが?
>劉禅の代わりに皇帝になってたんでしょうか
劉禅以外にも実子が存在しますが?
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/30(日) 17:27:44
ちゃんとした三国志の小説を読みたいのですがおすすめはありますか?
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/30(日) 18:04:18
北川三国志から入って馬超のイメージが変な方向に固まってしまった俺がいるw
華佗は実際はどのタイミングで死んだのでしょうか?
赤壁前・後?
関羽死亡前・後?
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/30(日) 23:28:34
>>36 スレタイ通りの答えを希望するならば
赤壁前
反三国志はどんな内容なのでしょう?
おっぱいおっぱい
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/31(月) 06:45:43
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/31(月) 07:30:24
陳到って趙雲の次にに強かったんでしょ?
>>43 陳到。字は叔至。豫州汝南郡の人。
経歴的には孫乾と同時期からの劉備配下の将ともいわれ、
趙雲と並んで忠義と武勇を誇る人物と高く評価されているにも関わらず、
三国志演義には記述がない人物である。
劉備が豫州刺史を務めていた頃からの家臣で、武勇に優れていた。
忠誠心も厚く、劉備が蜀の皇帝になると征西将軍、永安都督、亭侯に封じられた。
正史・『三国志』の「蜀書」には、楊戯が記した『季漢輔臣賛』が記されている。
これは、蜀の人材のどういうところが優れているかを記しているものであるが、
陳到もこの中に記されている名将の一人である。正史の中では趙雲に次ぐ人物として
高い評価を受けている。
『季漢輔臣賛』は陳寿の意地が感じれれる。
三国志Cの武将列伝に孔明は実は軍略が得意ではなかったってあったけどマジ?
>46
「蜀書・諸葛亮伝」は「臨機応変が求められる軍略は彼(=孔明)の得意なところでは
なかったのであろうか・・・。」との文で締められている。
しかし、これは著者の勝手な評価だ。実際本人がどう考えていたかは分からんよ。
>>47 やっぱ正史にあるんだ
あと漢中攻略戦が法正のおかげで孔明は蜀にいただけとか
法正が生きてたらイリョウ?の敗戦はなかったとか武将列伝に書いてあった
>>48 たしかに漢中攻略の主参謀を務めたのが法正。孔明は後方維持・補給だろうな。
攻撃の機会を見極めて夏侯淵を討ち取った。
夷陵については孔明が「法正が生きていればこの戦いは止められただろう。また止められずとも無惨には負けなかっただろう」
みたいなことを言った逸話がある。
両方うろ覚えなので間違ってるかも。
ちなみに正史覚えたてはやたら法正をマンセーしてうざがられる傾向にあるから気を付けろよ。
>>49 諸葛亮一人ですべてができるわけではないしな。
法正の得意なところ、劉巴の得意なところ、諸葛亮の得意なところは、それぞれ違っていたと言えるから。
夷陵はそもそも戦争しない、というのが諸葛亮の構想で、戦争することが決まっていたらあとは、どう戦うかだから、諸葛亮にはもともと勝算をみいだせなかったのでしょうね。
郭沖の諸葛亮マンセーにはうんざりだ。
>>47 著者の評価だけを見ないで他の人の評価も集めてみたら?
司馬懿は蜀の陣跡を見て、諸葛亮を「天下の奇才」と評価してるな。
司馬炎は諸葛亮の部下の樊建と対談して、
諸葛亮の政治を大いに評価してるな。
他の人物の意見も広く集めてみれば?
少なくとも君より陳寿の方が公正な評価に努めてると思う。
諸葛亮自体は好きだが裴松之のマンセー文章見てると胸糞悪くなる
>>53 あの人極端だよね。
逆に孫盛の評価がいいとスゲーって思ってしまう。
>>52 鍾会も孔明ファンだっけか。
ん?これは正史になかったか。
55 :
47:2006/08/01(火) 08:34:00
>52
「諸葛亮は軍略不得手?」と言うのは陳寿の評価で、諸葛亮本人が
「俺は軍略は不得手だ」と自己評価していたかどうかは分からんでしょ?
47で言いたいのはそういうこと。
「少なくとも君より陳寿の方が公正な評価に努めてると思う。」
とのレスが付くのは理解できない。
・・・まあ諸葛亮伝に「毎に自ら管仲・楽毅に比す」とあるから、実際に
諸葛亮本人は「俺は政治も軍事も何でも得意」と思っていたかもしれないけど。
大体、「臨機応変の」軍略が得意ではないのかもって書いてあるだけで
軍事自体がへたくそとは書いてないだろ。
>>51 信者から見てもあれはうんざりする
むごい統治て
>>55 「公論は敵讐より出ずるに如かず」
自己評価よりも、他人の評価の方が的を得ている場合が多いということ。
59 :
55:2006/08/01(火) 21:16:01
>>58 俺は「諸葛亮本人が自分の得手・不得手をどう思っていたかは不明」
と言っているだけで、「陳寿やその他の人の『諸葛亮評価』が適切かどうか」
などは言ってもいないし議論する気もないよ。
60 :
51:2006/08/01(火) 21:45:17
>>57 だね。
それに、裴松子にバサッと斬られっぷりがいいね。
しかし、
カクは二荀と一緒にするな。と陳寿を叩いていたが、裴松子の我儘だ。
>>60 裴松之は荀ケが大好きで賈詡が大嫌いみたいだからな。
ますます気に触ったんだろうな。
あと孫権も大嫌いみたいだな。陸遜もけなしてた。
甄氏も裴松子に嫌われているしな。
それは初耳だ
一応叩き上げを嫌うスタンスみたいだが…
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/06(日) 14:52:33
劉璋と戦った扈瑁についておしえれ
甘寧はこいつと一緒に劉璋と戦ったの??
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/06(日) 15:17:26
金宰陽に一票
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/07(月) 02:09:08
無双厨の質問っぽくないな
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/08(火) 23:15:49
じゃあ無双厨から質問。
前にどこかで、徐盛が一番強いと聞いたのですが、本当ですか?
もし徐盛じゃないとしたら、誰が一番強いのですか?
後宮に数千人の女を囲っていたが、それでも満足せずどんどん女を増やし続けた
孫皓陛下が三国志最強の「男」・・・に一票。
>>70 孫晧は、皇太后を景后に降格させ、宮廷内で殺害したとさ。
>>69 呉で一番強い武将か?
腕っ節という意味なら、正史に一騎打ちの記載がある孫策・太史慈、賊討伐と黄祖戦のインパクトで董襲あたりじゃないか。
兵を率いた徐盛も結構強いが、甘寧のほうがグッとくるエピソードが多いな。
呉で思い出したが、周ユ・甘寧らが説いた「天下二分の計」
は史実? あの時点では無謀な策に見えるのだが・・・・
史実
甘寧のは赤壁前で
「劉表親子は馬鹿だし黄祖はボケだからあとはどうにでもできるよ!」みたいな感じだが
孫権はこの意見を入れて黄祖を破った
ただ劉jは速攻で曹操に降伏してしまった
ちなみに張昭に「お前荊州にせめこんだら揚州が大変なことになるよ」と反論されて「あんたがしっかりすれば無問題だよ」って返した逸話がある
周瑜は蜀を取ってその後は馬超と同盟し荊州拠点で侵攻をするという計
曹操を赤壁・荊州で破ったあとだったから大丈夫だと思ってたんだろうな
後の呉蜀の足並みの揃わなさを見ると
天下二分の方がまだ北に対抗できたように見える
実現できれば
しかし、曹叡が冷静に鉄壁しているからな・・・
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 15:58:53
>>77 天下二分の計は東晋時代以降に実現された
確かに北に対抗できたな
>>72 確か曹叡(魏の明帝)にも似たような話が…
ああ、曹叡の場合は皇后だったな。
正直すまんかった。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/14(月) 22:29:03
『諸葛氏集』は陳寿の諸葛亮に対する尊崇の念が感じられる。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/14(月) 23:52:48
>>81 諸葛亮が陳寿に貶められたと信じている人のソースの半分が実は元ソースが陳寿。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 00:30:16
関羽と張飛の力(武力)関係はどうなってたんだろね。関羽の方が若干劣ってるようでそこまで劣ってるとは思えない。関羽が苦戦した紀霊を張飛が瞬殺た。しかし関羽は顔良と文醜を討ち取ったり…謎(俺は顔良は味方に劉備がいたから関羽を味方だと勘違いして油断したと思う)
バテバテの華雄や顔良を一発で倒す
これは亀田が世界チャンピオンになる事よりも難しいのです
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 02:23:37
>>82 だから諸葛亮が陳寿に貶められたと信じている人はバカばかりなんだよな。
陳寿が『三国志』以外にどんな著書を残して、陳寿が故郷の蜀漢の先人を
どう記してきたか知ろうとせずに、ただ自分の勝手な孔明のイメージに差し障る
ネガティブな一文だけを見て陳寿を叩いてるから、救いようのないリア厨なんだよな。
首って倒したやつのいちいち拾って保管しとくの?
9999人分の首が限度らしいけど多すぎじゃね?
保管っつうか適当にどっかに突っ込むんじゃねえの?
耳を斬って数えることも多かったらしい
相手にしない
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 23:33:51
なんでわざわざ伝もないのに徐庶のコーナーがあるのさ
かっこいいから?
徐庶のコーナーってなに?
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 08:37:22
諸葛誕が信仰してた邪神ってどんな神様なの?
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 09:36:09
>>93 諸葛伝にひっついて何か書いてなかったっけ
徐庶の説明みたいな
>95
「蜀書・諸葛亮伝」の徐庶が劉備の元を去る場面に続いて、注として
「『魏略』に曰く、徐庶は前の名を福、単家(貧乏な家)の出身・・・」と
徐庶についての説明がある。
でも何で、「諸葛亮伝(付徐庶伝)」なんだろ?訳ありで魏に降った黄権は個別であるのに・・・
>>97 魏に逝ってからは大した地位に就かず実績もないからではと。>徐庶
「正史・三国志」では「諸葛亮の若かりし頃の友人の一人」つーだけの
扱いのような気が。
>>98 御史中丞がどんな地位か調べてみた方がいいぞ。
徐庶の出身・経歴からすれば相当な出世だ。
100 :
98:2006/08/27(日) 14:16:35
>>99 「徐庶は独立した伝を立てられるほどの功績があった訳でも、高い地位に
就いていた訳でもないからではないか?」と言いたかったのだが・・・。
確かに紛らわしい書き方だったかな。スマソ。
101 :
97:2006/08/27(日) 14:26:31
徐庶は「魏略」で列伝されてるはずだが
すまん、列伝でのうて立伝に訂正
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 00:21:27
>>96 宋の文帝が諸葛亮伝読んで「徐庶て誰?」と発言して
傍に控えてた裴松之が得意げに徐庶の説明をしてる図が目に浮かぶw
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 00:24:33
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/ レ' `l1、!-、 /,.へ ,' ',
【ひょーりみ ◆7rAzqBFcf.】
可児派の当主。三戦板愚痴新党終身党首。 多くの猛将コテが春華に敗れ、
脱落していく中、15歳で互角に戦った化け物。 その実力を評価され
19代新党党首に任命される。
しかしまだ子供である、寂しがりやで毎日欠かさずレスをつける。
また気に入らないことがあるとすぐイジける姿がなんとも可愛らしい。
三戦板に巣くうホモどもに狙われているとか、すでに食われているとか
さまざまな憶測が飛び交っている。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 02:09:09
>>96 単福の意味は「どこにでもいるような福さん」
太郎みたいなものか
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 03:20:12
ここまでする宗教は、キモイを通り越して不気味だな。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 03:47:51
そうだね!プロテインだね!
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 15:23:45
いまさらだが、陳寿の父は陳式であると言われ、軍律違反で陳式が処刑された
ために、孔明を恨みに思い、貶めたとも言われる。ただ、大学で教授の言った
ことの受け売りだが・・・。
演義のように神格化された諸葛亮と比べなければ陳寿の評は特別貶めているとは感じない
>>110 演義の孔明の方がよっぽどバカに見えるけどな。
現代人の感覚で読むと演義の孔明は卑怯で陰険な頭でっかちクンだからな
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 15:54:12
歴史を勉強してるけど、演義とかは史料としては含まれないので、
比べられる事は出来ないし、
>>110みたいに、神格化してる文書では
正しい歴史は語れない。ただ、教授がこう言ったのは、演義と正史の
孔明の扱い方の違いを言及したものだと思う。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 17:03:36
>>1よ、聞いてくれよ。
俺は吉川、横山を読んだ演義厨(正史は武帝紀で断念)なんだが、三国志大戦にはまってる。
(↓三国志大戦のEX呂布のカード裏の記述)
圧倒的な強さで幾多の戦場を血に染め上げた三国志最強の武人。
一万の軍勢をわずか数十騎で討ち破り、その手には、一振りで何十人もの敵をなぎ倒す方天画戟が握られていた……はずだが、竹ぼうきでも強かったかというと、たぶんそんなことはない。
「グワハハ、ブッ殺してやるあ!・・・・・・なんちって♪」
「一万の軍勢をわずか数十騎で討ち破り」
こんなことあったっけ?
飲酒運転で人を殺した場合、
酒を飲んだ人が悪いのか?
酒を飲ませた店が悪いのか?
酒を店に売った人が悪いのか?
酒を造った人が悪いのか?
車を運転した人が悪いのか?
車を人に売った人が悪いのか?
く
>>115 SEGAスタッフ製の解説なんてまじめに受け取るモンじゃないぜ
太史慈の解説とかだと死因が演義準拠で合肥戦なのに没年が正史準拠で赤璧前に死んでいたりする
お前死んだ後に合肥行ったんかいと問い詰めたい、二度死んだのかと小一時間問い詰めたい
>>116 解決が早いのは董卓だ。すぐ終わる。
どうしても勝ちたいなら張譲もありだと思う。
絶対勝ちたいなら張飛か孫権だ。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 22:40:03
>>109 いまさらだが、陳寿の父は陳式ではないのが定説。
陳寿の生年は西暦233年なので、陳式が陳寿の父であるのは明らかに不自然。
>>117 多分吉川三国志の影響を受けて張合βと同じように3回死ry
>>121 陳式が斬首されたのは演義の創作ではないのか?
創作やね
陳寿は親不孝者で有名だからなあ
もし陳寿の父が陳式だとしても
尊敬する諸葛亮を貶めてまで親の仇をとろうとするかどうか
>>125 他国の王様に、敵の宰相は凄いのでお手本にしてくださいと出した書物
五虎将軍の人達って正史でも活躍したの?
>>127 五虎将の由来は、主に軍事・武勇で活躍した人物として蜀書に五人が並んで紹介されたのを後の人が五虎将と呼んだもの
つまり正史で活躍したから五虎将として現代に伝えられていると解釈すべし
ただし演義のような大活躍はしていなかったり、正史の都合の悪い記述は演義では無視されているケースが多い
>ある時、董和の友人の許靖の子の葬儀に董允と費イが一緒に参列することになった。
>この時ばかりと董和がわざと粗末な馬車を用意すると、董允はそれを嫌ったが費イは平然としていた。
>これにより董和は、「二人の優劣が今日になってようやくわかったぞ!」と言ったという(『蜀書』「費イ伝」より)。
ニュアンスは何となく伝わって来るんだけど、董和が判断した優劣の根拠って何?
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 11:57:23
125 :無名武将@お腹せっぷく :2006/08/28(月) 23:42:43
陳寿は親不孝者で有名だからなあ
もし陳寿の父が陳式だとしても
尊敬する諸葛亮を貶めてまで親の仇をとろうとするかどうか
126 :無名武将@お腹せっぷく :2006/08/29(火) 09:49:39
>>125 他国の王様に、敵の宰相は凄いのでお手本にしてくださいと出した書物
↑この流れがわからねえ。誰か説明してくれ。
なんで呉だけ五〜将軍がいないの?
呉書に武勇の人物五人を列伝した巻が無いから
つーか五将軍という呼称は後世の人間の手に拠る物だろうよ
>>130 酒を盗んで拝礼せずに飲んだという話だろうか?
…それでもやっぱりしっくり来ない
>>133 呉は[五]将軍ではなく、[呉]将軍だから
呉は五将軍の代わりに
程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統・徐盛・潘璋・丁奉の12将軍です。
四天王じゃ不満かね
>>136 将軍だとイマイチ強そうじゃないので
12神将とかにしようぜ!
>>134 「陛下の前で恐れ多くて汗も出ません」じゃなかったっけ?
でもこんな逸話、正史にあったんだろうか?
呉は五将軍じゃなくて五都督だろ
都督も陸遜が独立して立伝されてたり、魏や蜀みたいに並列して立伝されたメンツをひとくくりにするのが(呉では)難しい。
>>139 兄は泣いたけど弟は泣かなかったとかいう奴じゃなかったけ?
>>142 正史じゃないけど世説新語の話なら汗のようだね
董允と費イに当てはめると馬車が粗末な程度で動揺する董允が鍾畝で、落ち着きを払う費イが鍾会ということかね
無双厨です
馬騰殺したのは馬超って友達が言ってたんですが
どういうことですか?馬超の一族は曹操に殺されたんじゃないんですか?
演義では馬騰が曹操に殺されたのでその復讐のために馬超が兵をおこしたとなっているが、
正史では馬超が兵をおこしたせいで都にいた馬騰が処刑されるはめになっており、
ちょうど因果関係が逆になっている。
正史ならば馬超の乱が引き金になって馬騰が死んでいるので、
ある意味馬超が馬騰を殺したとも言えるだろう。
146 :
145:2006/08/29(火) 19:09:40
ありがとうございます
あとその友達が董卓が本気なら呂布にも勝てるって言ってましたけど
無双や横山先生の見ている限りじゃ信じられないんですが…
上は144の間違いです…
>>146 その可能性もあるってこと
少なくとも史料のうえでは呂布は最強でもなんでもないし、
演義のような度の過ぎた超人でもない
董卓は董卓で腕力や武勇に優れていたという記録があるしな。
ただ
>>148の言っているように「可能性」までしか言えない。
董卓が死んだ時は気持ち悪いほど肥満だったからな
横山で董卓をイメージすると今後ギャップに苦しむだろう
その肥満体ながら怪力は健在だったみたいだがな
刺客に腹刺されてもそのまま首絞めるし
投げた戟は壁に突き刺さるし
董卓=ハート様
董卓=ベイダー
『本気なら呂布にも勝てる』という小学生のような表現にワラタ
この前横浜中華街に行ってガイドマップみたいなのを貰ってきたんですが、
それに「関羽は帳簿を発明したと言われる」って記述がありました。
とりあえずちくま文庫の蜀書の関羽伝は読みましたが、そのような記述はありません。
この逸話は何が出典なんでしょうか?
伝説
>>156 「関羽は商売の神様」→「商売には帳簿が必需品」→「じゃあ関羽発明だろ」って
ノリではと。
算盤も関羽が発明っていう話もあるな
髭様のアイディア 関羽
>>160 それほど商いの神様としての関羽が親しまれてと思うと興味深くない?
今日の金言
「『孔子廟のない中華街』はあっても、『関帝廟のない中華街』は無い」
三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君万歳。
・・・張飛カワイソス。(´・ω・`)
張飛廟は雲陽県盤石鎮というところに移転だそうだ
長江の北岸かな?
歩隲が長江を堰き止める話を上表したときに孫権は笑って取り合わなかったとあるが
三峡ダム計画が実現している今、孫権は歩隲に謝罪と牛千頭を贈ってもいい筈だ
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 19:09:53
>>162 張飛も一応神様になったのにね・・・
・・・張飛カワイソス。(´・ω・`)
166 :
163:2006/09/04(月) 08:46:44
>>165 あの張飛が三下に寝首刈られたとなれば化けて出ても不思議じゃないのになぁ・・
酒振舞うだけでご利益ありそうだし、もっと信仰されてもいいような
>>164 そうなんだ。有難う。
関羽は祟るけど張飛なら祟らない
そんなイメージ
庶民は張飛の督郵鞭打ちで大喝采を上げる。
庶民の人気者、張飛。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 22:50:41
最近はいろんなスレで正史厨が大人気ですね
たまに柴錬三国志とか読むと、新鮮な気分になるな。
>>168 あれはいい役与えたなあと思う。
劉備キレる>関羽押さえる>張飛が妙な殺気で、「すまんのぅ・・・」
これだとVシネだw
張飛「わしゃあ幽州で生まれた男じゃけぇ…兄ィの為なら汚れ役もこなさにゃならんのじゃぁ」
庶民「やれやれぇ、もっとやれー! クソ役人なぞぶちのめせーーーー!!」
官憲「こらー、貴様らなにをやっとるか!」
庶民「政府の犬が来たぞ、逃げろー」
地方尹「もっと税を搾り取れ」
督郵打ったの正史だと劉備だけどな
それじゃあ庶民は喜ばないんだよ。
講談ってのは、その場のノリでやってしまうからおもしろい。
たぶん、張飛がやったほうがバカうけしたんだろう。
現実も秘書がやった事になるんだ
張飛がやったでいいんだよ
こっちのがリアリティがある
>張飛がやったでいいんだよ
>こっちのがリアリティがある
(;´∀`)・・・うわぁ・・・
張って姓が中国全土にあって上流から下流からどこにでもいるんだよね
庶民には少ない劉とか関とかじゃなくてどこにでも張だから人気が出たってのはあると思うのよね
それにしては、どこにでも李だからといって
李典や李厳や李儒は人気が出んのだな
決めつけ厨乙
>>178 現実を見るんだ
親の罪を被ってお勤めに行くのが
任侠じゃねーか
>>179 国姓だったあとの時代の演義では、李姓が大活躍してるじゃないか。
それでは判官贔屓の最たるものが拝めるがな(日本に輸入されたらものすごいアンチが沸きまくるようなヨカンがするようなのが…)。
呂布が張飛、関羽、許緒、典緯、夏候惇ともう一人誰だかと同時に戦って引き分けたって
話があったと思うんだけどあれって演義だけの話?
>>183 演義にも正史「三国志」にもないお話。
「魏書・呂布伝」本文には呂布が一騎打ちをしたという記述は無い。
注には「郭と一騎打ちして負傷せしめたが引き分けた」との記述がある。
(英雄記曰:郭在城北.布開城門,将兵就,言「且卻兵,但身決勝負」.
、布乃独共対戦,布以矛刺中,後騎遂前救,、布遂各両罷.)
(流し読みで原文を読んだので他を見落としているかもしれん。スマソ。)
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 23:00:31
中国学科教員 問題言動集
N.S教授・・・・・授業中に、
「人間は働かなくても生きていける」
「(自分のことを棚に上げて)中国語学科の学生は常識が無さ過ぎる」
「(上に同じく)教育学科の学生はロリコンだらけ」
「一般教養など必要ない」
「セクハラというものはその行為を行う本人に悪気が無ければセクハラには当たらない」
「大学教授は世間を知らなくて当たり前だ」
etc迷言多数
W.Y教授・・・・同じく授業中に、
「第123代天皇は精神異常者」
「N.K(D大名誉教授)、F.N(T大教授)、S.T(元G大教授・故人)、H.I(元N大教授)、
I.S(芥川賞作家・都知事)、K.Y(妄想漫画家)は人間のクズ」
「金持ちへの税制優遇をやめて税金をできるだけ多く巻き上るべきだ」
Y.Y助教授・・・・退学願を提出した学生に対して、
「私の言う通りに行動すれば、君の要求が通るように私が裏で話をつけておいてあげよう」
という内容の取引を持ち掛けた。
以上のように、中国学科はキ○ガイ教員の巣窟です。
これから大○文化への入学をお考えの皆さんは、
中国学科にだけは絶対に出願をしないようにして下さい。
演義の方で水関の戦いとか虎牢関の戦いとかってあるじゃん。
あれって正史のどこ見ても書いてないんだけど、演義オリジナル?
それとも李儒みたいに後漢書あたりに載ってたりする?
オリジン弁当
>>186 突っ込みます。
「正史のどこ見ても書いてない」んだったら、後漢書は正史と認めていない、と?
・・・揚げ足取りだけ?
>>186 演義オリジナル
長安遷都周辺で史実として残っている戦いは曹操の追撃、孫堅北上くらいなもんで
反董卓連合はハッキリ言って何もしてない
>>191 サンクス!
さっきまでGoogleでも情報を探してたんだけど、演義オリジナルと明言したサイトが一つも見つからなかった。
Wikipediaでも「虎牢関」という項目があって、(演義という断りなしで)虎牢関の戦いがあったことになってるし。
>>192 付け加えると虎牢関なんて関は実在しない
そのサイトの調査不足
虎牢関というものが史書に顔を出すのは新唐書以降
秦代〜唐以前にも虎牢という地名は存在するがそれは城であって関じゃない
>>192 wikiはうまり鵜呑みにしない方がいい
正演混合や、ありもしないことが書かれてあったりする
例えば五将軍はネットでの造語なのに「演義の五虎大将はこれに対抗して創作された」みたいなことが書かれてあったりする
鵜呑みにしちゃいけないのは、この板で聞いた情報も同じだけどな
>>195 三国演義事態が、作者が生きている頃の地名等を使っているので、架空の場所がよく出てくるね。
あと、その三国志人気で、ここがどこそこの古戦場、とか無理やり作って観光地にしてるとかなんとか。
日本でも大河ドラマが作られると
どうでもいい土地が急に名所として売り出されることは結構あるな。
>>196 五将軍ってのは正史に原型と思しき五子って表現があるんでネットでの造語と言い切るのはどうかと
五虎大将って呼称はともかく正史での立伝形式は陳寿は狙って対応させてるよね
明の時代に「五〜」って呼称が流行ってただけ
>>195 >秦代〜唐以前にも虎牢という地名は存在するがそれは城であって関じゃない
春秋時代から
>>194みたいな個人サイトはともかく、wikipediaは書き換えた方がいいんじゃね?
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 16:13:38
あげてみる
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 22:20:32
正史とか史書っていうと、教科書とか記録みたいなイメージだけど、実際は伝記とかレポートに近い。
だから、読む人によって読み取りかたが違う。
真実を探るには、それこそ政治学や地理学、民俗学の(大学で研究員になれるくらいの)知識が必要。
ネットで出来るのは所詮、赤壁は無かったとかソウソウが孫子に訳注つけたみたいな、そんなもっともらしいな蘊蓄の語り合いのみ。
出所は別冊宝島というオチつき。
>>206 曹操が孫子に注釈を入れたものが現代に残っているのは事実です。
赤壁が無かったとか言う奴はその正史さえまともに読んでないわけだが
赤壁での遭遇戦から烏林の焼き討ち、江陵攻防戦までの一連の流れをもうちょっとしっかりと読んでみろ
もっとスレ趣旨に沿った素朴な疑問の質疑応答が見たい
ゲームじゃ全盛期のソ連みたいな兵力もってるけど
実際はどんなものなんですか?
10分の1くらい?
色々なサイトなり見てもはっきり出てこないねぇ。 >兵力
つか、各国の総動員出来る兵力か、それぞれの戦いに導入された兵力か
どっち?
馬岱の字がわかりません!教えて下さい。
>>213 伝わってません。
・・・と一応マジレスしておく。
字を発見したら教えて下さい。