1 :
無名武将@お腹せっぷく:
戦略・政治面だけではなく、
彼が何を想い三国という時代を生きたか、そして後世の人々に何を与えたか。
改めて諸葛孔明という人物の生き様を語るスレ。
劉備の部下だった
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 15:23:19
なんという糞スレ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 15:49:08
葛ていう漢字の意味辞書で調べたら、かづら、くずだって。
あんまり良い家柄ではなさそう。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 15:50:30
劉(意味は殺す)なんかも大したことなさそうだよな
三国志を知らない日本人は「諸葛孔明」を連呼するが、やはり
「諸葛亮」といいたい
>>4 名は亮(明らか、明るい)
字は孔明(はなはだ明らか)
諸葛姓の一般的な説は
1.葛氏が陽都へ移住した際に、陽都の葛氏と区別するために諸葛と名乗った
2.葛嬰の孫が諸県侯に封ぜられたので諸と葛を合わせ諸葛とした
諸葛豊(前漢・司隷校尉)------父・圭(後漢末・泰山郡次官)
圭が長生きならばもっと高い官職についていた可能性もあるのではないか。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 09:23:42
諸葛玄を予章郡の太守にしたのは劉表だと『献帝春秋』にあるけど、
劉表が予章太守を任命することは可能なのか?
牧だから可能っぽい
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 10:10:20
牧や刺史にそんな権限ほんとは無いけど、みんな勝手に任免してた
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 02:00:12
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='| ショカツリョウ
i!f !::::: 諸葛亮いわく
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V 「
>>1 家事とか他にやる事はないのですか」
 ̄ハ:::::\ "''il|バ'
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 02:06:11
しかし、諸葛亮の書生時代というのはよくわからんね。
13 :
:2006/07/04(火) 09:36:46
日本に諸葛という名はNTTに20ぐらい掲載されているが
これはいつごろ中国から来た人だろう
中国て二次姓自体珍しいよな
日本では二次姓中心なのになぜ中国朝鮮は一次姓ばかりなのか
結構不思議
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 19:14:00
2文字姓が珍しい韓国にも諸葛という姓があるようです。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 23:29:31
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 20:52:04
やはり学問をするに多少なりとも金がかかるんじゃないか?
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 12:50:13
孔明は私塾通い?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 14:28:01
先祖から受け継いだ遺産じゃないのか?
あぼーん
、_人__人__人__人__人__,
、_人__人__人__人__人_, __r‐ 二二ニ=, -‥-、 _) (_
_) (_ / ヽ、 - _ } ftr_ L _) こ 言 策 薔 (_
_) か い ズ 楽 (_. i/_/´ `ー- 、二匸戈ツ、_〕 _) の わ 士 薇 (_
_) し た ル し (_ ∨ _,,,,,_} { _,,,,,,,,_`ヽ| 「 \\ _) 孔 し と 乙 (_
_) ら だ し て (_ / ,-。‐、! iヾ , ‐。-、ヽL!、 l }イ _) 明 め 女 (_
_) ! き て (_ ', `二/ ゝ i`ニ彡 ` Y^ヽ _) が た 一 (_
_) (_ / ,イ_^ー'^┘ー、 }フ/ _) ! の (_
`Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y´ ヽ /、ィエエエエェィ', 、___, ィ」ム _) (_
__ト、 }┬┬┬┬j } f´ | l三ヽ `Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y´
rーニ| { こニニニニン ' l | }=≡≧、
{三三{ i __ ノ ,.イ {彡三ミ}
}===_卞ー‥⌒ー一' 二´_,rf´=≡ミi
衫三ミ{ ∨Y1 ィフ^Y / / 仁三ニミ}
〉===ミ{__ `V´ _ --< /二二 Y ̄ ‥‐- ___
, -- 、__ イ {三三=ミ}ー‐ァY⌒Y´─…¬ }{彡三ミノ '´ `ヽ
/ / ゝ´ ̄`)ノL._イ }ゝーイ ト、ー─' /ム== =} , '´ ̄ ヽ
. /  ̄ ̄` ‐;彳` ̄´ノ/^Y^ l l ` ̄´ レ'=r_ミソ / 、 ゙、
// {廴,〃 // .l l r_‐ン ヽ ヽ
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='| ショカツリョウ
i!f !::::: 諸葛亮いわく
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V 「攻略の一歩はまず祁山から」
 ̄ハ:::::\ "''il|バ'
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 09:10:56
おいおいもう頭悪そうな
雑魚キャラしか残ってないのかよ
泣けるぜ
孔明って仲達に一度も勝ってないって本当?
何を以って勝利したとカウントするかによるが
局地戦ならやれば諸葛亮が勝ってた
戦争全体だと司馬懿に対して諸葛亮は戦略目標を達成できていなかったので
一度も勝っていないと言えるかも知れない
あぼーん
横山の本読んでて思ったんだが
孔明、韓信ともに騙そうとしすぎなんじゃないか
虚と見せて実や実と見せて虚より
警戒した相手には実と見せて実が最強の兵法だと思うんだが
郭沖はウソばっかつくペテン師。
実と見せて実だと相手がその「実」とやらに対応してた場合大怪我する
『兵法は戦わずに勝負を決することにあり』と思っている
もはやお主に教える事は無くなった
征くがよい
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 11:04:25
孫子の兵方法
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 11:07:11
孫子の兵法 という言葉自体がおかしい という説が… 孫子 だけで良い
孫子は兵書じゃなくて人物を指す場合もあるので
孫子の兵法は誤用じゃあない
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 15:22:21
「よし、ご奉仕ご奉仕!」
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 16:06:39
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 16:09:33
どうでもいい
例えば仲達vs孔明で両軍互角の兵力の場合に
孔明が全軍で攻撃を開始すると
仲達はおそらく孔明が伏兵を置いていると考え
全軍で戦うことができずに負けるんじゃないかな
孔明は全軍対全軍になっても互角に戦える
無策も策のうちの気がする
肥準拠パラメータ
そりゃ根拠じゃなくて妄想だ
もっと理論的に述べろよ
そんな餌で釣れるのか
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/20(木) 22:21:59
孔明の策age
あぼーん
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/30(日) 05:02:21
諸葛と会っていたもので
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/05(土) 00:59:06
諸葛亮の連弩は
李陵の“矢を30本連射できるもの”を改良したものでしょうか?
>>46 そういう説があったということで自己解決。
今日は孔明先生の命日ではないのかね?
>>48 で、ありますね。シンミリ
時建興十二年秋八月二十三日也:壽五十四歳(演義)
草廬にありて龍と臥し 四海に出でゝ龍と飛ぶ
千載の末今も尚 名はかんばしき諸葛亮
えーっと、新暦にすると10月3日・・・?
気の持ちようだし今日のつもりでいいんでない
(‐人‐)
線香あげたか?w
そもそもどの宗派なのかがわからんので、線香をあげていいものかすら疑問
当時は宗派等あったんだろか?
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/01(日) 22:47:07
はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
新暦だったら命日昨日だったな・・・・
秋風五丈原〜
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 05:53:32
>>25 局地戦で諸葛亮が司馬懿に勝ってたってマジ?
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 09:44:42
>>55 当時も何も、今も昔も中国は儒教国家ではないか。
太平道や五斗米道は道教ですよ
>>58 局地戦で大敗したから以降引き篭もりに作戦変更したんだよ
いきなり引き篭もれる程に司馬懿は血の気がないわけじゃない
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 12:33:44
諸葛両はなんで劉備の延命の祈祷をしなかったんだ
自分の時はやってたのに・・
演義の諸葛亮は腹黒いからな
味方も焼き殺すわ、言論でなじり殺すわ、嫌みで殺すわ
すげー嫌な奴だから
実権手に入れる為に祈祷を施さないなんて当然だな
>>59-60 この二つを道徳としていろんな教育現場で叩き込んでるんだから
日本の国教と言っても過言ではない
>>63 確かに、と思ったが白帝城であった時にはもう手遅れだったんじゃないのか
(゚Д゚)ハァ?
演義の話してんだろうが(゚Д゚)ゴルァ!!
本気で祈祷で延命できたと思っているわけねーだろ
いるよな、空気読めない奴って
>>67 Q、梧空が本当にかめはめ波撃てると思ってるわけ?
A、劇中では撃てます。
アニメ版の孔明ならたぶん現代の米軍が相手でも勝ちそうな気がします
そりゃ十傑衆だからなぁ
>>72 そっちかよw
まぁ確かにアレどんな事態になっても「全てわたしの思うがまま」らしいから無敵だよなw
ところで声が富山敬のオカマ風孔明覚えてる奴いない?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:51:49
保守党
おれの先祖
みんなの先祖
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 23:03:07
しかし戦場で道士の服か。
神懸りなものを何か表現したかったんだろうか、この人は。
道士服の出所ってどこだっけ?
太平御覧だっけ?
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 00:44:40
>>79 三国志平話では最初から神仙として描かれてるね
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 01:09:16
『芸文類聚』に「素輿に乗り、葛巾、毛扇もて」という記述はハケーンしますた。
ただこれは渭水で対陣しているときの司馬懿の評価が「諸葛亮は名士である」
ですので、ちょっと違うね・・・。
服装も敵にさえも褒められるほど「諸葛亮は偉大」ということ
を強調するための記述のひとつなんでしょうか。
道士の服という観念はこの時代にすでに定着してたのかな?
漠然とした道教を組織化したのは張魯のおじいちゃんの張道陵だから、
当時としては新興勢力っていうか「若い組織」なんじゃない?
84 :
平民バカ:2006/11/03(金) 07:40:03
>>62 局地戦だけじゃなくて決戦で敗れている。
局地戦に敗れたのは郭淮で、これをみた司馬懿は持久戦の構えに変えた。
その後、包囲された城のカク、魏平から救援要請、
『蜀を畏れること虎のごとし、天下の笑いをいかにするか』
と突き上げられ、司馬懿は完全な蜀侵攻軍殲滅を企図して全面攻勢に出てる。
包囲軍と諸葛亮が離れている内に各個撃破を狙ったが、諸葛亮はすでに合流して迎撃体勢を整えていた。
で司馬懿は大敗、更に兵糧不足で撤退する蜀軍の背後を突こうとして張コウが死んだ。
賈クってなにしてたの?
>>85 賈クは「晋書」では賈嗣と表記され、魏平と共に祁山に駐留していた将軍。
お分かりとは思うが、涼州武威郡出身で李カクや張繍、曹操陣営と渡り歩いた
著名な賈クとは別人。
>84
漢晋春秋に載ってるその諸葛亮の勝利と
晋書に載っている司馬懿の勝利の関係性がよくわからんのだけど
これって、局地的に司馬懿が諸葛亮に勝利したこともあったけど
決戦で諸葛亮に大敗して陣地に引きこもったと見ていいのかね?
それともどちらかが嘘で勝利したと書いているの?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 14:20:41
孔明は龍の世界で勉強して頭が良くなったらしい。
玄徳は大鬼の肝臓を食べて立派な男になっていった。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 16:04:01
だが人生とは短いものよのう
あの蒼空極はいずこであろうのう
諸葛亮は魏延以下で過大評価のおもしろ雑魚
軍事にはなんの才能もありゃしない
92 :
名無しさん:2006/11/07(火) 01:00:29
実際は諸葛孔明は普通の政治家で特別な軍事的才能は
なかったんじゃないかな
三国志なんてのは暴れん坊将軍と似たようなレベルの活劇
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 01:16:08
>>92 お前の低能ぶりが、短い文章から濃密に伝わる
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 02:11:51
田舎の小国の丞相だからそれを周や漢の宰相・軍師とくらべるのは如何かと思うが、それなりの政治家でありまずまずの戦略家ではあったんじゃない?文化人という意味合いで当代一流とみてはどうだろか?神格化もしやすいしね。
当代随一の政治家で明晰な戦略家であり、戦術家としても非凡ではあったが、部下の扱いには長けていなかった
諸葛亮は陳寿に戦略戦術よりもくどいほど人事を高く評価されてる事を知らないみたいですね
>>95は正史読んだことが無い事がわかりました
また 公明正大な人事≠部下の扱いに長ける ということを話さなければならんのか
諸葛亮は政治も知らず戦略も無く戦術も無い「おもしろ雑魚」である。
政治を知るなら者なら、勝ち目の無い戦争を止め民を戦争の苦しみから解き放つべきである(韓非の例を見習うべき)。
また戦略を知るなら、魏に勝ち目がないことを知ってるはずである(勝ち目が無いことを知りながら、戦争を行ったとしたらA級戦犯)。
さらに戦術を知るなら、たたき上げの魏延に侮られることなどないはずである(劉備にも戦術家として評価されてない)。
結局司馬仲に翻弄された、過大評価の「おもしろ雑魚」でしかないのである。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 12:24:07
まさに悪党age
>>98 諸葛亮以外が魏延と揚儀を両立して使えるとは思えないのだが
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 14:05:57
孔明も劉禅という名君が居たからこそ自分の才能をフルに発揮出来た
もし無能で猜疑心の強い君主であれば趙国の李牧と同じ運命を辿っていたかもしれない
諸葛亮に全権を委ねた劉禅以上に良い君主となると
諸葛亮を必要としないほどの名君か
諸葛亮を一官僚として扱えるほどの名君ぐらいだろうな
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 14:31:19
劉備「何故根拠も述べずに孔明を下することに快楽を覚えるのか。」
関羽「逆賊とは斯様なものでござる。」
張飛「斯様ってどういう意味?。」
劉備「関羽っ!」
関羽「兄者っ!」
>>101 そういうことではなくて、なんでも自分で処理しようとするリーダーは人の使い方が上手くはない、ということ
>>105 それってどこの伝に乗ってる記述だっけ?
信頼する他人に任せると、大軍出して奥深く間で行って焼かれたり
頂上登られたり、兵糧遅れの言い逃れに嘘で退却させられたりする
トラウマにもなるわw
劉備も張飛を太守にするのためらってるしな
享年54歳は当時の支配階級にしては早世したと言える
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 15:57:30
劉備「我らは仲良く死んでしまったのう」
張飛「兄者、呉にやられるなんぞ盲ろくじゃわい。ガハハ」
劉備「ハッハッハッハッハ・・・。っ!?」
劉備「関羽っ!」
根拠がそれだけってのは薄弱すぎませんか?
陳寿の評では
『どのように小さい善でも賞せざるはなく、どのように小さい悪でも罰せざるはなかった。
みなこれを畏れつつも愛し、刑罰は明らかで公平であった。その政治の才能は管仲・蕭何に匹敵する』
とあるから些事でも自分で処理してたんだろ
部下に処理を徹底させれば問題無いんじゃね?
軍が略奪しなかったって記述は、司令官のやることは中級管理者に徹底させただけだと思うし
信賞必罰、責任の所在をあきらかにする等々は、指導者としてなくてはならない。
陳寿のそれは指導者としての諸葛亮を称揚しているにすぎない。
一兵士の不祥事から大将人事まで全ての最終処理を全部自分でやってたんだろう
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 17:19:01
だが人生とは短いものよのう
あの蒼空極はいずこであろうのう
なんか切なかったなあのシーンは
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 20:01:36
おそらく少年時代に見た曹操の徐州大虐殺の影響で
「自分の軍隊は絶対に虐殺、略奪をさせない。」
とゆうことだったと思う。立派な人だ。
呂蒙モナー
>>117 だったら劉備軍の略奪も止めろよ。
たしか成都を攻略したときに兵たちが官庫の略奪やったんで諸葛亮が国造りを
はじめたときに資金がなくて難儀したとか。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 13:45:11
人間は奇蹟を信じており奇蹟を起こす非人間的偶像によって道徳や美徳観念を裏付けようとするから孔明がいなくとも孔明みたいなモンは作られただろう・・・
>>119 民衆じゃないから良しとせにゃ
兵が働かぬ
ていうか「自分の兵は略奪者揃いだ」って雄弁するやつはいなかっただろうから皆曹操みたいなこと言ってたと思うが・・・
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 00:13:00
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 19:26:21
自分の軍隊じゃない。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 20:35:33
自分の軍隊じゃない。
→自分の軍隊ではない
→自分の軍隊だろうに
さぁどっちの意味だ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 22:56:48
諸葛亮が些細なことまで自分でやってたのは臣下たちを奮い立たせるためではないかと思う
実際誰か忘れたが諸葛亮のその姿を見て感動して奮い立たない者はいないって絶賛しとったからね
ぶひぶひ 孔明!
孔明「国が国を謀るも良し、攻めるも良し、だが、女でもって釣るはあまりにも下策、周瑜によく言っておくが良い」
その言葉を聞いた呉、ヒゲ周瑜は死亡した。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 00:37:53
公賛党、孔明党、・・・
つまり孔明は中田英寿ってことだな。んで劉禅がジーコ。
もしかしたら孔明も周りから煙たがられる存在だったのかもね。
監督としてのジーコは劉禅くらいのものだな
中田って おいwww
>15
そしてその内こう言い出します。
「2字姓は、半島発祥の文化ニダ!日本のはパクりニダ!」
>103
諸葛亮を必要としないほどの名君 ⇒ 袁紹さま
諸葛亮を一官僚として扱えるほどの名君 ⇒ 曹操さま
>>137 知られていないではなく表示の問題じゃなかったか?
いわゆる「ワープロ文字」、というかはしらんが、の問題ですね。
尚や瞻のページではそのうま解説されてるのに…>wikipedia
>>140 このページの項目名には一部の日本語環境で表示できない文字があるため(ry
ってあるね。でもごめん、wiki編集したことない。
>>140 おまえに 日本語を 教えてやろう!
旨=むね
>140
>142 ワラタ!
「そのまま」って意味かと思ってスルーしたら、旨かよ!
144 :
140:2006/12/11(月) 00:25:18
哂え、哂うがいい…
1つ賢くなった冬の夜。
>>144 これも諸葛亮が後世に与えた教養のひとつである
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/21(木) 08:24:23
三国志好きには一番影響力ありそうな人なんだがなあ
結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。だまされるんじゃないぞ。
「結婚は1億円の無駄遣い」
実際は1億どころじゃ済まないけどな。子供ひとりで4000万の出費だ。宝くじでも当たったら、考えてくれよ。
結婚した瞬間に、30年間の強制労働が約束される。
どんなにがんばって稼いでも、自分で使える金額は1日数百円程度になるぞ。
どうしても買い物がしたければ、妻に頭を下げて「お願い」するんだ。
そして「無い袖は振れません」と、あっさり却下される。
残りはすべて、ガキと女が「当たり前のように、何の感謝もなく」吸い尽くす。
家事は極めて軽労働になった。
さらに、コンビニやインターネット、AVや風俗関係も、ますます「嫁いらず」に拍車をかける
昔は男にとって結婚も妻も「必要」だった。今は「人生の不良債権」にすぎない。
社会的に男女は対等で平等です。男性が女を養う必要はありません。
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★☆★捨てた女は何も知らない真面目な馬鹿男が結婚(残飯処理)してくれるさw★☆★
■〜それでも結婚するあなたへ〜■
[夫婦財産契約登記]
これはある意味では男性の『究極の護身法』と言えるかも知れません。
夫婦の財産についての法律です。
夫婦財産契約により契約財産制となり、自分の稼いだ財産はすべて自分のものとなります。
離婚時に財産の半分を配偶者に持って行かれることはありません。
孔明が初めて中華まんを作った人というのは本当なのだろうか
南蛮人の人の頭を食べる習慣をやめさせる為に慢頭を作ったらしい。
しかし孔明が南蛮統治をしてたわけじゃないからね…。
つくられた経緯は本当でも開発した人は多分孔明じゃないと思う。
まて、
川に生け贄を流す風習に生け贄の変わりに人形(饅頭)を流すよう諭したのが
元の話だとおもったが
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/07(日) 13:13:14
おとといの日本人の好きな天才100人で第4位になっていたね。
しかし日テレはアホか?弓矢10万本を曹操軍から集めた話を史実として解説
しているとは。
孔明さんがしたすごいことと言えば、「有給休暇」をつくったことだと。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/13(土) 22:54:54
孔明って気球作ったの?
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/14(日) 13:29:28
>>154 気球は知らないが諸葛亮は星をも作り出した
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/14(日) 14:57:47
孔明は兵法家というよりは法家だったよう。
法による統治で国を強くしようとした。
理論だけでなく、実行力のある行政官、つまり総理大臣だった。
臨機応変が苦手なために、戦では仲達に勝ちきれなかった。
馬超を味方につけたことを蜀から荊州の関羽に報告する時は
「馬超は武勇に優れた男だが、髭の素晴らしさは将軍には及ばない」
と、ユーモアも持っていたようです。
孔明の死後、魏の武将が蜀の領内で
孔明の生前に孔明を見たことがあるという老人に
孔明はどんな男だったか聴くと、
「いたってふつうの人に見えました。皆様のように
威風堂々とした感じではありませんでした。」
と答えたという。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/14(日) 15:37:54
ブッハー!
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 15:14:13
>>154 気球に関しては色々な話がごちゃまぜになったっぽいな
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/10(土) 12:29:33
地味に生き残ってたか…
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/10(土) 12:37:36
孔明ほどの天才はそうそういない
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 04:33:32
張裔
「丞相の行う刑罰・賞与は、貴貧親疎の別なく甚だ公平無私であった。
賢愚を問わず、みなその身を忘れて働いた。」
>>156 今更だけど馬超の髭が関羽に及ばない、と言ったのではなくて、
関羽は新参の馬超や黄忠が自分と同列に叙せられるのを
嫌がったから、諸葛亮は
「馬超は確かに張飛にも匹敵する豪傑だが、武勇は髭殿に及ばない」
といって宥めた、ってこと。
ユーモアはともかく、諸葛亮はプライドの高い関羽など古参の武将を
御するのに結構気を使っていたことは間違いない。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>154 孔明灯ですよ。
紙と竹で作られた1㎥程度の灯篭で、
一番下に油に浸った布切れなどを竹に掛けて(ちょっと説明しにくいが)、
そして火を付けたらあっという間に百メートル以上に上がれる。
夜中にこれを使って連絡を取る。
いわば可動式烽火。