1 :
無名武将@お腹せっぷく:
プライド高いのが欠点だったかもしらんけど
実力もあったし、忠義もあった。
ホウ統ならもうちょっとうまく使えてたか。
演義じゃ悪役でカワイソス。
正直言うと魏延のスレ建てたかっただけ。
2 :
1:2006/06/25(日) 01:37:47
陳蘭「大変です!
紀霊部長!
道場破りです!
紀霊「な、なんだって!?
呂布「くくくくく・・・ 見たところたいしたプログラマーはいないな。
この会社の看板は俺が頂く!
紀霊「そんなことは私が許さん!
呂布「雑魚が… 勝負する前に一つだけ教えてやろう…
俺のプログラマーレベルは 192 だ!
紀霊「なッ!!!??
呂布「見たところ貴様のプログラマーレベルはせいぜい50前後…
話にならん
雷薄「ちょっと待ってください!
紀霊「ら、雷薄!
雷薄「さっきから聞いていれば勝手なことを!
今なら許してあげます、すぐに帰ってください!
呂布「若造が… でかい口をききおって… いいだろう
まずは貴様から血祭りにあげてやる
雷薄「!?
呂布「死ね!
ぐわっしゃ!
3 :
1:2006/06/25(日) 01:38:26
紀霊「な、何が起こったんだ!?
陳蘭「あまりにも一瞬の出来事で… ただ雷薄の奴が呂布を押し返したような…
紀霊「ありえん!
雷薄のプログラマー・レベルは 68 だぞ!
呂布「馬鹿な… プログラマー・レベル 192 の俺が…
まさかこいつ、瞬間的にプログラマー・レベルを上げるタイプか!?
雷薄「仕事はダラダラやってればいいというわけじゃありません。
やるときは集中して
キチッと仕事を終わらせて定時で帰る、それが真のプログラマーです!
呂布「知った風な口を!
くらえ!
仕様変更クラッシュ!
雷薄「うおおおおー!
高速コーディング!
紀霊「ら、雷薄のプログラマー・レベルが上がっている!
陳蘭「信じられない!
プログラマー・レベルが 384 を超えたあ!
呂布「ぐわあああああああああああああああああああああー!
・
・
・
呂布「ハアハアハア・・・ なるほど、定時で仕事を終わらせるやつの中には
瞬間的にプログラマー・レベルを上げることができるやつがいるという噂は
本当だったのか。
だがな・・・・・・フフフフフ
4 :
1:2006/06/25(日) 01:39:08
呂布「貴様は知っているか… 徹夜を繰り返し続けることによって
深夜に最高のプログラマー・レベルに達する奴がいるということを…
紀霊「伝説の徹夜プログラマー族か!
呂布「それが俺だー!!!
紀霊「りょ、呂布が擬似的に徹夜空間を作り出したー!!!
呂布「徹夜拳ッ!
陳蘭「プログラマー・レベルが・・・404 になりやがった!
雷薄「徹夜族…もっとも忌むべき存在です!
遅くまで仕事をやってれば偉いってものじゃないんだよッ!!
紀霊「ら、雷薄が怒ったァァァァー!
陳蘭「あの物腰静かな雷薄が!徹夜族に怒りを示したのか!
呂布「定時上がり組みに俺の苦痛がわかってたまるかー!
紀霊「お互いのプログラマー・レベルが上がっているー!!!!
紀霊「雷薄のプログラマー・レベルが512を突破したー!
陳蘭「し、しかし呂布のプログラマー・レベルは 747 です!
紀霊「こうなったら雷薄の瞬間的な爆発力に賭けるしかない!
陳蘭「次元を超えた戦いだ… とてもレベル 29 の俺が出る幕じゃない!
呂布「死ねー!
納期短縮シュートォッ!
雷薄「高速デバーッグ!
どがががががああああああああああああ
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 01:39:37
6 :
1:2006/06/25(日) 01:39:54
雷薄「うわーっ!!!
紀霊「らいはくがヤラレター!!!!
陳蘭「やはり呂布のプロジェクトは定時上がりじゃ駄目なのか!?
雷薄「くっ・・・ どんな困難なプロジェクトも・・・
PMがしっかりしてさえいれば
乗り切れます!
紀霊「なっ!?
雷薄のやつマサカ!?
プロジェクト・マネージャに目覚めつつあるのか!?
陳蘭「いくらなんでもお前の若さじゃPMは無理だ雷薄!
雷薄「やってみなければわからん!
245 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2005/03/23(水) 05:32
雷薄「サンダー・アメリカン・リスケジュール!!!
呂布「そんなリスケ認めるかー!!!!!!!
ぜ、絶対にみとめん
みとめんんんんんんぐあわわああああああああああああああああああ
・
・
・
こうしてエンジュツ・ソフトに平穏が戻った。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 01:48:12
ドラクエシリーズで最も重要な呪文はなんだろう?
私はピオリムだと思う。
まず雑魚敵を含めて、モンスターの素早さが全体的に高い。
特にボス戦ではほとんどのボスが、最も素早いキャラと
同等かそれ以上の素早さを誇っている(レベルを上げなければ)。
そのためパーティーの行動に、不規則に敵が割り込むことが多く
回復のタイミングが掴みにくい上に計算を邪魔されやすい。
しかしピオリムを一回唱えれば、大抵全員が敵の素早さを安定して
上回るので、計算通り戦闘を進めやすくなる。
また通常の戦闘の場合、雑魚敵は倒すのに大体1ターン以上かかるので
2ターン目に先行された場合は計2回の打撃を受けることになる。
だが1ターン目にピオリムを使っておけば、2ターン目は先行でき
敵の攻撃を1回受けただけで、2回目の攻撃を安定して
加えることができるのだ。
つまり(こちらより素早さが高い)敵の攻撃を一度無効化するに近いので
回復呪文を唱える回数も減り、しかも敵を安全に倒せる。
MP消費は少ないし、回復呪文の使用頻度は落ちるしで
私はほとんどの場合、1ターン目にピオリムを唱えている。
魏延は.........
.....江森三国志での活躍が一番でしょう。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 01:56:16
蒼天の魏延はかわいい
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 07:33:15
ウルトラマンを倒し、一躍有名になったのがゼットン。
最強の宇宙怪獣だ。
地球を侵略にきた宇宙人は、死にぎわに「ゼット〜ン」という不思議な言葉を残す。するとこの怪獣が姿をあらわしたのだ。
それからこの怪獣の名はゼットンと呼ばれるようになる。だけど宇宙人は本当に名前を呼んだのだろうか。「たすけてくれ〜」と言ってるのかもしれないし、「(地球人の)バカタレ〜」と言ってる可能性だってある。
ウルトラマンを倒した後、ゼットンは科学特捜隊のペンシル爆弾にやられてしまう。「たかが人間に何ができる」なんて油断したに違いない。何しろゼットンはテレポーテーションまでできるんだ、科特隊ごときにやられるわけがない。
『帰ってきたウルトラマン』(71)にゼットンII世が登場するが、偉大な初代のあとのドラ息子というかんじだった。怪獣世界の紀伊国屋文左エ門2代目と呼ばれている。
1.重用してくれる恩のある上司(劉備)
2.睨みを利かせる実績ある先輩格(関羽、張飛、黄忠、馬超)
3.魏延も認める経験ある同僚(呉懿、李厳、趙雲)
思うにこの辺りがごっそり抜けて、役人上がりとかが軍部の高位を占めてきたあたりから
「俺がどうにかしなきゃ」→「俺がいなきゃどうにもなんねえ」→「俺最強」
と調子に乗り始めた気がする。
>9
確かにかわいい
多分紙媒体で最もイケメンに描かれた魏延ではなかろうか
>11
1,2,3に軍人しかいねぇのがやっぱり魏延らしくて良いな
後ろ3行は多分当たってる、そんな気がする
>10
ゼットンって強いよな、"Z"は英語の最後の文字で"ん"はひらがなの最後の文字で
Zん(ゼットン)が出てきたのがウルトラマンの最終話(だよな)ってのが何とも
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 00:04:19
「俺がやらないと」みたいな考えは嫌いじゃないんだけどな。
捉え方によるが。
蜀はそんな人が目立つような。
「俺達が…」という感じでなく。
プライドの高さはどんなものだったのだろうか。
朱桓ほどじゃないだろうけど。
蜀の経済力が2倍なら魏に勝てた。
蜀と魏の経済力の差は10倍といわれている。
しかし魏軍の3分の2は対呉戦線に
送られているので、もし蜀の経済力が2倍であれば、魏軍
とは互角の条件で戦うことが可能である。
それでもまだ魏軍が多少は有利であるが、将才は明らかに
蜀が勝っているので、このクライの差はどうにでもなるだろう。
蜀の経済力が倍ということは兵士の数も倍ということである。
北伐する兵士の数も倍になるので、天水を攻めながら長安を強襲することも
可能で あったであろう。
またガイ亭をまもる兵力も倍なので例え緒戦で半数失ったとしても
残りの兵力で魏軍を完全に叩くことが出来る。
そうして長安を速やかに占領し、有利な条件で講和に持ち込むのだ。
>>15 >蜀の経済力が倍ということは兵士の数も倍ということである
安易すぎないか?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 03:12:07
>>16 まあ当時の経済力ってのは養い得る兵士数って考えで
あながち間違いじゃないとは思う。
それにしてもえーと・・・
(実際)蜀:魏 = 1:10
(仮定)蜀:魏 = 2:10
のときに
魏 10×2/3 → 呉
魏 10×1/3 → 蜀
だとすると
蜀vs魏 = 2vs3.33・・・
>>15の言う通りの数字で計算してみたけど
人材不足な蜀が、まだこれだけ差があるのに
これを互角の条件と言えるだろうか?
それを将才でカバーと言い切る
>>15は
どう見ても肥ゲーのやり過ぎです。
本当にありg
てか経済力2倍にしろとか恐ろしく難しい要求出されても
諸葛丞相困っちゃうよ。
理論上可能なのと物理的に可能なのはまた違うからな……
>>17 丞相が費イみたいな性格ならまだ頑張れるかな?
小泉「竹中くん、米国に攻め込むから経済力2倍にしてくれたまえ」
・・・無茶だよね・・・
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 21:40:39
そもそも数字で計ろうとするのが間違ってる。
俺かっこいいこと言ったよ今。
烏合の衆は数字的には何割引き?
朱桓とかと同じ輩だろ。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:07:56
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:32:05
>>15 三国志時代の経済力ってのは即ち農業生産力のことだろう?
耕作可能な土地は限られているのだから、生産性を2倍にしなくては
ならない。その為には新たな農業技術が必要になるわけで、
つまり蜀に一番必要な人材とは参謀でも勇将でもない、学者だと
いうわけだね!
そこで魏延なんだね!
だよね!
魏延は国じゃなくて劉備個人に仕えていたんだよ
だから劉備の下に来るまでは裏切り者に見えるし劉備が死んでからは信頼がないように見える
それは演義でそうゆう役にされちゃっただけでしょ
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 22:27:21
最後まで国のために尽くそうとしたのは事実
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 22:31:47
孔明を斬れば一発解決。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 22:50:47
同じ「愛国者」でも、
そのイメージする「国」の形が違えば、
このような対立が起きてしまう。
それこそ悲劇ではないか?
われわれはこの教訓に学ぶべきではないか。
魏延はちゃんと世の中の見方を知っていた。そこを見込まれて劉備に漢中太守に
抜擢された。長安奇襲作戦だって太守をやってるときの経験からだろう。
憎き諸葛亮の死後も魏に寝返らなかったのは、自分を重用してくれた劉備に
忠誠をつくすためだろう。
それに比べて楊儀は自分の利益しか考えてない。魏延に罪が着せられたのは、
諸葛亮及び楊儀を支持するひとが多かったためだ。なんともはかないことだ。
当の孔明は2人の仲を心配してるんだっけ
なんつうか、蜀は濃い
諸葛亮との不仲ってのもどこまで信じていいか微妙だしな
ともすれば楊儀との不仲から、何でコイツ使うんだって感じだったのかもしれないし
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 14:17:56
入社した途端に「こいつ危ない」なんて副社長に言われたらそりゃショックですよ
>>37 まあそれは演義の話だが
諸葛亮の元で征西大将軍・仮節・丞相府前軍師。
独立判断が認められる高位司令官、兼、最高司令官の軍事顧問。
性格や戦略で反りは合わなかったかもしれないが、
最も歴戦の武官として諸葛亮は魏延を重用していたと見ていい。
だからこそ、「諸葛亮の跡継ぎは俺だ」と思い込んで、楊儀と対立。
生え抜きの武官が軽視される価値観から支持を得られず敗北してしまったのだろうけど。
だから、軍事戦略面では諸葛亮の「軍師」に集中できる人材がいれば良かった。
荀攸のような。
そうすれば魏延は別働司令官に集中できる。
魏延の別働迂回案を具体化し難点を修正し諸葛亮を説得できる「軍師」がいたなら、
まさに「働きどころを得た」かも、しれない。
まさしくホウ統、法正。
この二人が居れば関羽も張飛も劉備も諸葛亮も魏延やらも良い方向で活躍できてたかも。
歴史のことを惜しんでも仕方ないけど、蜀は一人の死を悔やむと芋づる式で名前が出てくるよな。
法正に文句は無いが、龐統は活躍の時間短いからどういうタイプだったか
よくわからんのよね。諸葛亮に近い軍政官タイプのように見える。
自分としては「帷幄で策を立てるについて、自分は遠く及ばない」と諸葛亮に言わせた
劉巴に妄想を逞しくしたいところだ。実績無いけど。
俺だから使える(by劉備)の劉巴もすごい人だよね
魏延も劉備だから使える人物
>>42 俺はその逸話で「劉巴って狭量な奴だなー」としか思わなかったよ。大人物とは思い難い。
本当に優秀な奴は人格面でも度量が広いことが多いのに、劉巴ごときが幅をきかす蜀の人材難は深刻だ。
>>44 案外劉備軍の採用基準は「変な人」なのかもしれん
陳群や田豫は普通の人だったんだ、きっと
あんまり関係ないけど
人格面云々って話聞いてショウエン(漢字忘れた)思い出した
>>41 正史ではどちらかではなく両方ゲットすれば統一可と酔狂が言うのと
西都攻めにはホウ統を連れて行ったというあたり
政治は諸葛亮軍事はホウ統な気がする
……ホウ統法正いなくなってから碌に勝ってないな蜀は
劉備に孫堅やら曹操みたいな親類がちょっとでもおったら軍師問題もなんとかなってたかもねぇ
>>48 あ、そうだね。諸葛亮は後方型で龐統は指揮官型として活躍が目立つ。
洛城(漢字でない)で戦死したときも「部隊を指揮して」とあるし。
ただ、中華では、士大夫の教養の一環として軍略があるし、太守のように
どこかの行政長官はほぼ自動的に司令官の権能を持つから、
両者の位置は結構近い。荀ケや張昭もそんな型だったと思う。
直接部隊を指揮せず進言や立案と言う形で力を発揮した郭嘉荀攸賈詡
のような「軍師」型とは毛色が違うんじゃないかと言いたかったんだ。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/20(木) 22:46:45
軍師スレになってる件
気にしたら負け
>>49 いや、それ親戚のレベル高すぎな上にリーダータイプだし
船頭多くして・・・の典型になりそう
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/21(金) 01:32:44
ゆで卵を湯からあげてすぐ魏延に漬け込んどくと、殻が綺麗にむけます。
また魏延を裏返しておくと、防虫剤代わりにも使えます。
55 :
49:2006/07/21(金) 04:09:26
>>53 ごめん、今読んで気付いたんだが俺が言いたかったのは
> 劉備に孫堅やら曹操みたい『な』親類が〜
じゃなくて
>劉備に孫堅やら曹操みたい『に』親類が〜
の間違い。
要は曹操でいう曹仁、曹洪やら夏侯一族みたいな親類が居れば人材不足回避できたかもなってことを言いたかった。
個人の武が際立って目立つ蜀将の中で魏延に渋さを感じずにはいられない
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/21(金) 14:08:55
魏延がいなかったら蜀の滅亡はもっと早かった
_,,. -‐‐‐‐‐‐‐- 、
lヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
l } | | | | |
l } | | | | |
|ニニ''" ̄ ̄○ ̄ ̄`|
/ //  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/ // ヽ
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|:::::::| |::::::: \___/ |
ヽ::::::| |::::::::::. \/ ノ
魏延、パン買ってこい。
魏延は間違いなく六虎将にあたる将軍だ
無骨者で口下手だったんだろう
馬超は客分的な立場で別格だったから、
関羽 張飛 黄忠 魏延 趙雲
の序列で五大将。大将としては張飛より評価されていたっぽいが
張飛は将軍よりも許チョのような護衛官が向いてたと思う。
ポカーン…
張飛の戦歴少しは洗えよボケナス
そんな怒るなよ。
悪かった。
一軍の将としては張飛に勝ってるかわからないけども、
重要拠点の太守としては当時の蜀の中では最も評価されてたんだと思うよ
あと、序列で言えば古参の趙雲より上に来る事はまずないんじゃないかな
無骨者で口下手って確かにそんな感じするよなぁ、意外に寂しがりやだったりしてなw
ベ、別に蜀のためにここから撤退しないわけじゃないんだからね!
楊儀が気に入らないだけなんだからね!
強ち間違って無いような気がした何そのツンデレ
>>61 63の言うとおり、四川省では五虎将=関羽・張飛・趙雲・黄忠・魏延らしい。
うちの会社にいる中国人研修生8人がみんなそういう認識だな。
ちなみにその研修生たちは全員四川の出身だ。
>>70の会社は益州閥なのか?
法正はいないよな…?
四川省の人には馬超は群雄の1人で蜀漢の武将としては客将ってことなんだろうか?
群雄というか、馬超は「涼州支配権を正当化する人物」だからね
当時の扱いでは別格に高い。漢中王推挙文では筆頭に上がっている。
次が益州の重鎮である許靖。
それに比べて、本来中華の文化では、武事専従の人物は格が低い。
魏書では魏の五将がずっと後ろに出ているように。
だから、馬超と他の五人はまったく別の地位に属していたと見ていいと思う
もっとも、儀礼上の格式と勢力内での重要度は一致するとは限らないわけだけど。
劉備の最晩年まで、軍団を主体とする武装集団だった劉備軍団では、
子飼いの部将の権威は非常に大きかっただろうし
雑多な名家豪族を纏めるために諸葛亮辺りが劉備直属として政権運営していたのだろう
…というような背景で、
>>70のような認識が生まれたんじゃないかな? 俺70じゃないけど
まとめると「魏延は悪くないヨ!」でおk?
権力争いして諸葛亮の後継者を名乗り、軍兵を動かしたんだから、
「悪くない」とまでは言えないかなあ
あれだ、ツンデレが最凶になったんだ
結局デレて見せる機会もなく逝ってしまった亮ちゃんへの想いと後悔が重なっての暴走か
つД`゚)゚。
>>75 当時、あの中で節持ち、つまり軍を独断で動かしていい権限を持っているのは魏延
軍兵を動かした事を批難される謂れはない
だいたいヨウギなんかが言ったこと信用できないしな
最後は息子と共に追い詰められて切られたって漢中の嫁とか一族はどうなったの?
劉禅が反乱じゃないって言ったから殺されはしなかったん?
楊儀なんて、諸葛亮の後継に任命されなかったから、魏に寝返ろうとしたからな。
その点、魏延は蜀にとどまって立派だった。本当に忠義にかけるなら、諸葛亮死後、
すぐに、魏に下っていただろう。
当時の情勢考えるとどう考えても五丈原から退いちゃいけない筈なのだが
(たとえ諸葛亮が病死したとしても)
楊儀は大局が全く見えてないから派閥争いを平気でやるし勝手に引き上げるんだよなぁ
まあ、当然だけどこのスレ的には楊儀コノヤロって流れになるわな
いやぁ、楊儀がちゃんと考えてるんだったら「魏延アホス」って言うんだけども
楊儀が考えてる事って主導権握りたい、権力握りたいって事ばかりなのでな
>>79 逆に言えば彼の性格で軍を動かせる程の地位を持った魏延を危険視してたかも。
楊儀は魏延と折り合いが悪かったから魏延が頂点に立つと始末されると思ったんじゃないかな
でも蜀で魏延いなくなれば代わりはいないのに対して、楊儀の代わりは一杯いたようだがな
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/29(土) 22:09:51
>>87 やはり楊儀の代わりも居なかったんじゃないのか?
ただ孔明亡き後は魏延のような主戦派よりも楊儀・ショウエン・費イのような穏健派の方が蜀には必要だった…。
故に劉禅は泣く泣く魏延を叛逆者として処断させた…。
89 :
趙広:2006/07/29(土) 22:14:36
楊儀が穏健派だったかどうかは正史の記述だけでは不明
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/29(土) 22:45:52
魏延は勘違い野郎なんだよ。
孔明に「一気に長安を攻めましょうよ」と進言していることからも
よくわかる。
孔明は長安を獲ろうなんて考えていない。そんなことは不可能。
蜀にとって、魏延のような一か八かの賭けを好むような猛将は
危険な厄介者なのだ。いつかは粛清される運命だったんだよ。
勘違い野郎出現
>>90 第四次まではガチで狙ってたみたいだけど?
第五次は侵攻戦ってよりは防衛戦の意味合いが強いけど
>>90 ヒス君、君は馬鹿かね?
圧倒的に国力で負けている以上、一か八かの賭けをしなければ後はズルズルと負けパターンに落ちていくだけ。
北伐は第一回で長安を脅かせなかったのが全て、後は蛇足だな。
12人の怒れる魏延たち
>>96 俺は裏切ったのか!?
12人の陪審員(魏延)たちが話合う。
次第に楊儀にハメられたのではないかと考える魏延たち。
軍法会議が進むにつれ、
一人、また一人と偏見に気付いていき…
魏延差別を根底に据えた異色の作品!
近日季漢系シネマで上映未定!
「俺を殺せるものがいるか!」
「俺は出来るぜ」
「俺も魏延だからおk」
「おっと、この通常の3倍自信過剰な魏延も忘れてもらっちゃ困る」
「なにィ」
「でもこれだけいたら、俺らだけで長安落とせそうな気がしね?」
「うはwww いけるwwwwwwww」
「楊儀倒すのは後回しかよ」
「……今だからいうけど、俺、丞相のこと、結構好きだった」
「俺漏れも。おし、丞相の夢を俺らで叶えてやるか」
「じゃあ楊儀ぬっころすのは12人目に任せるわ。1人で十分だべ」
「また俺かよ('A`)マンドクセ」
長安に奇襲をかけて大暴れする12人の魏延
「1000人のヤムチャ最強への道」を思い出した。
もしここで楊儀を擁護するスレを立てると凄い抗争が勃発しそうだな。
五丈原さながらの。
楊儀を擁護するスレって具体的にどういうスレタイになるんだ?
「泣き虫楊儀タン萌え」
なんか随分前に
「魏延を励まそう」だとかいうスレがあって
次スレが「楊儀も励まそう」か何かだった気がする
励まそうじゃなかったかもしれんが
まあ魏延スレの続きだから魏延擁護が多かった気がするけどなw
あとコテの長文とかもあった気がする
ドキッ!魏延だらけの水滸伝(楊儀も出るヨ)
よいこの童話:楊儀と40人の魏延
>>100 案外、マジ考察を交えながら
共存しそうな気がする。
魏延は長生きしたら姜維になれたかもしれないね
でもそのおかげで蜀の滅亡も早まったかもしれないね
>>107 もし魏延が北伐したら長安奇襲して全滅するか
長安奪取するかのどっちかだったと思う。
姜維のように何回も北伐することはできなかっただろう。
>>108 ありえそうで苦笑いだなぁ
しかし、諸葛亮亡き後、長安周辺の軍政と兵站を維持できるとは思えないのはいかんともし難い
魏延は一応漢中を数年、何事もなかったかのように切り盛りは出来ていたから期待できない訳ではないんだがな
いかんせん諸葛亮のその辺の管理能力が凄すぎてかすんでしまう
魏延が長安遠征したとしてもシバイを出し抜いて到着は難しい以前に不可能かと思われる。
2、3城抜いて、シバイ援軍→兵站限界退却という姜維さん、諸葛亮さんと同じ道を行くのでは?
司馬懿が西方戦線に顔出すのは第四次からで
それ以前は曹真が担当者
まあどっちにしても隙は無いから辿る道は一緒なんだろうけどな
魏延は蜀の漢中統制の基礎を築いた。
長安奇襲も突発的な策では無いだろう。
彼だって有能な将軍だから、太守として赴任してる間に長安のことはもちろん、
進撃する時のルートなども調べていたはずだ。それゆえの長安奇襲作戦だったと思う。
姜維も地元で地理に明るかったわけだが
太守として何年も大過なく勤め上げてるしな
姜維が魏延と比べて何倍も劣るのであれば別として
同じ運命にあると思うよ!
>>112 魏延が兵権握るとしたら諸葛亮のすぐ後だから司馬懿じゃね?
長安奇襲作戦のとき、長安には皇帝曹叡が来てたと言うし、たとえ、魏延が死んでも、
曹叡を殺せれば、蜀魏の両国にとって大きなことだと思うのだが。
>>115 曹叡の長安到着は2月半ばだから、史実では到着した直前か直後に諸葛亮は撤退している。
魏延の作戦を採ったとして、奇襲によって長安に達した頃には未だ到着してないだろうから、
曹叡を殺すのは不可能だろう。
仮に曹叡が到着していたとしても、身一つで来るわけではなく、数万の兵を伴うのだから、
曹叡を殺すどころか、長安城内に殺到するのも不可能になると思うのだが。
うーむ、曹爽が来てくれる時まで我慢ってのは?
真田幸村が突貫して徳川家康をぬっころすよりも難しいと思うのだが
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/01(火) 13:19:44
で、魏延の一族はどうなったの?
三族皆殺しとか聞いたことがある気がしないでもない
三族ってなんだろ
三族と三親等は違うん?
劉禅が謀反じゃないって言ったにも関わらず皆殺しですか
>>122 やべえ
泣ける
でも
蒋碗は帝に上奏して
讒言した者の官職を剥ぎ、
魏延の名誉を恢復してやりました。
ってのはホント?
馬謖がアホやらずに処刑もされなかったら
いろんな所が変わってきてたような気がしないでもない
そりゃあ、ねえ。
根本から替わるわなそりゃ
蜀は人材を活かしきれないまま殺しすぎ
それはどこも一緒
そっか(´・ω・`)
蜀は人材をいかしきれたから
逆境の中、鼎立する国を手に入れられたとも言える
中期まではな……。
諸葛亮は人材の扱いは上手くないと感じる
ベンチャー企業を思い浮かべれば当然そうなる
新しい秩序が生まれた頃に起業する時はあらゆる組織から
優秀な人材をヘッドハンティングして国を作る
ある程度、組織が固まってくると新卒を育てて使うようになる
優秀な新卒はブランドを選ぶので中堅に人材は回ってこない
中堅は人材難になり、創業の後継は人材難で苦労する
>>132 >新しい秩序が生まれた頃に起業する時はあらゆる組織から
古い秩序が崩れるときに起業する時は、だな
町工場経営だった黎明期からの大幹部は、現場に有能ではあったが大企業経営には向かず、
経営基盤が固まった頃に加わった能吏集団は頑張って組織を構築したが、
最終的に一地方に閥を築いたものの、カリスマ社長の死によって歯車が狂いだし、
二代目ボンボンを守り立てた実務屋は敏腕だったが雑多な出身の集団を完全に使いこなすには至らず
超一流企業の資本力と大規模な人材育成の前に敗退した
実務屋の家族ですが、労災ですよね?
>>134 そのリアクションは想定外だった
モニターの前で爆笑させていただいた
労災の代わりに長男が出世し、
ボンボンの義理の息子になって社と運命を共にしました
解り易いように例えて言ってるんだろうけど逆に解りづらいよ。
そんなにうまくないし。
え、俺分かりやすいと思ったけど・・・。
それにしても
>>122は泣ける。
なんだかんだで北伐の戦犯は孟達と馬謖だと思う
まあ二人とも相手が悪いといえば悪いが
馬謖の場合は完全な失策だから相手の質は関係ないと思う
孟達は司馬懿の予想外の速さがあったから相手次第で生き残ってただろうが
個人的には馬謖と王平を組ませるのが分からん
補い合うより反発し合う方が明らかに可能性高げじゃないか?
そこらへんも諸葛亮の見る目がないってことだろうな。
名門出自で「馬氏の五常」なんて呼ばれてたエリート青二才と
読み書きはほとんどできない実務叩き上げの軍人。こりゃ無理だ。
叩き上げに厳しく育てさせて現場の経験を積ませる、というのならわからなくもないが
だったら王平を上に据えなければ意味がないし。
そもそもやや指示待ち気味な王平が適任か?つったらそうじゃないし。
どういう意図でこんな組み合わせにしたんだか。
>>141 王平は叩き上げじゃなくて漢中周辺にいくつかあった大きな氏族のリーダー的存在だとする見方がある
そう見ると、中央出身の指揮官に地元民の首魁を副官につけている形
これだととてもいい組み合わせだ
王平は山頂に布陣する馬謖を諌めた事や、王平の部隊のみ持ち堪えた事から、
街亭会戦ではやけに目立ってるけど、彼は馬謖麾下の一部隊長であって、
別に馬謖の副官だったわけではないと思うが。
あれ
参軍って副官的立場の人の事言うんじゃないんだっけか
当時の王平は裨将軍として1000人を率いてただけだったはず。
参軍は馬謖の方だろう。
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/07(月) 02:55:44
建興六年、属参軍馬謖先鋒。
王平伝の該当箇所だがこれを参軍馬謖の先鋒に属していたと読むのか?
普通これ「参軍として馬謖の先鋒に属し」って書き下し文にならん?
王平は街亭での功績が取り上げられて参軍になっているのだから、
街亭の戦いの前から参軍になっているのはおかしいだろう。
本当だ
もう少しちゃんと読めばよかった
>>141 あの時点で馬謖より王平の方が司令官として勝ると判断する理由がないな
エリートぼんぼんだからって意味で排除するのは滑稽だし
南征でも的確な助言も行っていて、育てる意味での助言付き司令官抜擢
馬謖じゃなきゃ趙雲あたりになるな。
王平出る幕ナッシング
>>149 魏延スレだから、というわけでもないが順当にいけば魏延だったんだろうね。
趙雲には少数を率いて囮として大軍を釘付けにするという持って来いの任務があったし、こっちの方は適役だったと思う。
結局人材イネーってなるわけだが
李厳はこのときもう平民だったっけ
>>151 李厳が庶民に落とされたのは231年だから、この時は江州で兵站管理をやってた。
李厳って自分を過小評価していたのかな。
嘘で誤魔化さないといけないほど無能だったとは思えないが。
そんなに無理難題だったのかな?
大雨が降って蜀の桟道経由での食料配達が困難だったという話だが、それならそう言えばいいわけで。
諸葛亮自身も大雨で食料が不足することは予想できたと思うし。
まあ引いたら負けだという意識が統一されてなかったのかもしれん
李厳は益州派だったから政治的に葬られたのかもしれん。息子はそのまま任を引き継いだそうだが
たたき上げの軍人より官僚を優先する(司令官には行政能力が必要なので)伝統的な考えから、
諸葛亮のいわば司令官育成計画の筆頭に立つのが馬謖だったんだろうね
だから対魏初戦の先鋒で箔を付けたかったと。結果がああなってしまったが…
李厳はどうなんだろうね。あのくだりの彼の弁明は明らかにおかしい。
多少の責任を問われる(降格などなら多少とは言えないが)風向きを察知して
諸葛亮に押し付けようとしたのか…
それにしても嘘をついてばれればより罰が重くなるのは明白だろうに
諸葛亮の上表をそのまま読めば、「これまでの言動も悪く堪忍袋の緒が切れた」
ということになる。
益州閥との抗争説はそれなりにありえるだろう。李厳を罰する署名には呉壱や劉巴などの
名前もあるけれど、本物の「益州豪族」の名前はほとんど史書には出てこないわけだろうしなあ
とはいえ、李厳、呉壱、劉巴、許靖らも益州出身じゃないんだよね
旧劉焉・劉璋派と劉備派との間で勢力争いがあったとしても、それを地方閥の抗争と見るのは
不自然だと思うが… 古代中国史学的にはどうなんだろ
益州派という区分よりも北伐賛成派、反対派という区分ではないだろうか
大雨のために食料輸送が困難になった、
このことを受けて「天意は北伐を望んでいない」と李厳が感じたのかもしれない
そういや、まだそういう時代だったよね。
159 :
157:2006/08/11(金) 11:24:05
追記:157を前提にして話すと、
あの時代の天とは皇帝、つまり蜀で言えば劉禅なわけだから
李厳がやったことは勝手に劉禅の意を汲んでやったということになる
これは軍規違反より重い罪なのでああいうことを言ったのかもしれない
つい、口からでまかせが出たんじゃね?
軽口の多い人みたいだったから
能力は豊かだけど言い訳が多い人ってのは実社会にも多く居るし
李厳がカッコイイ人物として見ている人には不愉快かもしれんが
だって…丞相に会いたかったんだもん!
孔明だって似たようなもんだよな。
ふん、あんたのところなんて仕官しないんだから!でも…また来てくれるよね?×2とか
私のことがいやならどこへでも行けばいいのよ!×7とか。
採用基準ツンデレか・・
2世紀とは思えない先進性。
関羽「べ、別にあんたのために顔良と文醜を斬ったんじゃないんだからね!さっさと兄者のもとに帰りたいだけなんだからね!」
すげぇ、捜したらまだツンデレが出てくるかも知れん
関羽のそれはかなり無理があるなぁ
結局逃げるから
張飛もっぽいな。
デビュー時やら厳顔戦やら
張飛「あててんのよ」
ドガバキドコドガバキ
劉備「超おもしれえっ!」
魏延 「・・・いかがでしょう」
諸葛亮「うむ!妙案じゃ、すぐに精兵5000人を集めよ」
関羽「あんたなんか何処へでも行っちゃえばいいのよ!二度とあたしの前に姿を見せないで!!」
曹操「すまぬ・・・」
172 :
結局:2006/08/15(火) 13:24:13
徐庶が劉備の下にいて、鳳統が氏なず、法正が長生きして、夷陵の大敗を防いでいれば北伐におけるギ延が立案した長安奇襲作戦を劉備か鳳統が採用した可能性がある、って事ですか?
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 16:55:40
要するに韓玄が統一するってことでは?
>>172 その場合、
関羽が死なない→荊州失陥がない→魏河北へあぽーん→孫権との決戦
の流れになるのでは
多分人材豊富で魏延が建策する事もないだろう
175 :
魏延:2006/08/15(火) 21:04:11
犬は餌で飼える。人は金で飼える。
だが反骨の俺は何人にも飼うことは出来ん
ダメじゃん
逆に後漢の混乱があと20年ぐらい延びてたら
ひょっとすると魏延もいい感じの群雄になれてたかな?
拠って立つ基がない
>>172 そんなに戦力が残っているなら
投機性がある作戦も諸葛亮はOKすると思うよ
戦力がギリギリだから投機的な魏延の策を拒否しただけだから。
180 :
結局:2006/08/17(木) 17:51:34
172
181 :
結局:2006/08/17(木) 17:54:32
まちがった
反三国志のコンセプトが徐庶が劉備の元に居たら、ってもんだしな
皇帝:俺
丞相:諸葛孔明
元帥:韓信
軍師:竹中半兵衛
将軍:項羽、関羽、張飛、上杉謙信、趙雲、馬超、羽柴秀吉、武田信玄、チンギスハーン、源義経
家来:魏延
これで世界征服できるんじゃね?
無理
配下は優秀でもトップが終わってるんじゃ話にならん
西欧の奴も味方につけよし。
反
>>184連合がオールスターになるぞ
いや誰がトップで誰が幹部だろうと
国力ない国じゃ世界征服なんて夢のまた夢
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/17(木) 23:58:09
>>184 たしかに君は戦上手なのかもしれない。
また、政治やらせたら思わぬ才能があるのかもしれない。
君の書き込みに反応して、
というよりも、ひきつけられた人もいるわけだから、
魅力もあるのかもしれない。
光栄的に評価するならば、武力、政治力、魅力は一定の基準値に達してるのかもな。
しかしな、悲しいけど知力が0じゃ無理だと思うぞ。
魏延VS張遼 魏延VSホウ徳 魏延VS甘寧がみたかった今日この頃
魏延VSホウ徳はあるじゃん、演義だけど
甘寧がキツイかな?
先主のお礼参り中も漢中守備だっけ?
>>191 一番問題なのは「忠誠」が低い事じゃないか
>>184 時代設定は後漢で、漢中付近からスタートだろう。呂布も欲しいな。
やはり、一番のキーマンは魏延だろう。もちろん進軍ルートは子午谷→長安
五丈原のルートは孔明にまかせ、趙雲、馬超、王平その他をつけて司馬イをけん制してもらう。
子午谷ルートは俺。城攻めは秀吉に任せて、奇襲は義経。信玄には兵糧係をやってもらう。
先鋒は項羽で、呂布、関羽、張飛、チンギスハンたち計10万で突っ込んでもらう。これだけで
魏軍50万ぐらいは壊滅できるだろう。
魏延は謙信の部下にして後詰。
その後、魏→呉→東南アジア→インド→ペルシアを制圧
孔明の部隊は五丈原→西域→モンゴル→中央アジア→ペルシア。
ペルシアで合流して、ローマを落として世界征服完了。
あ、孔明の部隊には韓信つけて、俺の部隊は竹中半兵衛が軍師兼通訳な。
殿!
信玄と大汗が馬のことで揉めております!
呂布も参加した模様!
殿!大汗は呂布と義子の交わりを結んで独立しました
やっぱ意気投合したかw
殿、中華以西は2人に任せるのがよいかと。
あ、砂漠と熱帯と台風は鬼門ですぞ。
この前出てた三国志マガジンでギエンの処断話がマンガであったけどそのギエンはかなりかっこいい
忠義の士ってな感じ。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 00:25:28
姜維あたりは魏延のこと、どー思ってたんだろうか?
孔明死後、魏延を除こうとする動きなんだが、
文官中心プラス
それらの布石エピソードに絡んでた馬岱や王平の魏延に対する気持ちはわかるが。
キョウ維も老趙雲を退けりる武の持ち主。魏延はその時の蜀随一の武の持ち主。ある意味で尊敬していたかも。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 00:43:37
劉禅が双方から「あいつは謀反心あるぞ」と言われたって、
孔明が仕切ってた蜀の大派閥には勝てないだろ。
楊儀、費禕、姜維、董允、蒋琬は、劉禅というより孔明の子分。
それに対して魏延は劉備の臣だし。
>>193 アラッ…知らなかった…どの場面だっけ?
>>194 そだね。関羽と同じく大事な要所を劉備は魏延に託したんだからある意味劉備の魏延への信頼は関羽に近いかまたは同格だったのかもな
ここで言うと怒られそうだけど、無双の魏延好きだよ俺。
演義仕様だけど
>206
大丈夫、俺も好きだぜ!
つーか無双の魏延って演義仕様なの?
とてもそうは見えんが…
魏延と張コウと綾統は完全な無双オリジナル仕様だな
演義の魏延は確か関羽にそっくりという設定だったような
身の丈八尺、顔はくすべた棗の如し眼には星が流れ云々って奴だね
眼には星が流れって…、なんかかっこいいなw
つーかこの頃からある表現だったのね。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 21:59:10
>>211 いや張コウのオリジナルはSF2のスペイン人(名前忘れた)だと思う。
バルログか
216 :
206:2006/08/24(木) 05:40:32
>>210-211 俺の言った「演義仕様」ってのは魏延の見た目のことじゃなくて
無双の魏延での扱いのことを言ったんだが。
魏延の見た目とあの喋りが好きとは言ってない。
それに演義の魏延があんな姿だったとも思ってない。
いや、扱いも演義仕様には見えんのだが
あと無双の魏延好きなんじゃなかったのか?
どっちだよ
迷うわぁ♪
演義なの?コーエーなの?
どっちが好きなの?
第三者の漏れが見ても意味不明
眼には星が流れってどんな眼なんだ?
なんかキラキラおめめしか思いうかばんぞ。
>216
中身が好きだって事だろ
あの外見とあの喋りは俺もどうかと思うけど
中身までおかしいわけじゃねーから俺的には無問題
連レスごめ
>220
眼には星の輝きをたたえ、とか、眼は巨(おお)きな星に似ていた、とか
つまるところ星に例えるのは、ギラギラしたとか、そう言う系じゃないかと思ってる
224 :
220:2006/08/25(金) 05:08:54
>>223d
ギラギラか…血走ってて眼力があるかんじかな?
なんか怖いがな(´・ω・`)
>>221 だから扱いも演義仕様には見えないってば
そもそもあれだけキャラが違えば扱いも違うのが当然
あとはっきり「無双の魏延好き」って書いてあるのに
好きなのが扱いだけで本人は違うって…
紛らわしい書き方してるのはそっちだろ?
つまらん事でケンカすんな
>>206の書き方が間違ってたって事でいいだろ
目に星
佐藤元のぷっつんか
>>225 エンディングの事を言ってるんじゃないかなぁ<扱い
演義仕様なら、「俺を殺せるものはおるかー!」×3がないとな
最近まで馬岱に「ここにいるぞー!」ってセリフが演義にあるもんだと思ってた
え?ないの?
それは知らんかった……
え、あるのかwww
勘違いが勘違い読んで勘違いしてたかもしらん。
すまんすまん
俺は演義は横山光輝版しか知らんが、なんか違いがあるのか?
横山版は演義じゃなくて演義系漫画だろう
たとえば貂蝉の自殺は吉川三国志独自のものと聞いている。
横山三国志は基本的に吉川版の漫画化
もっとも、俺も、演義や吉川他三国志小説読んだことないので
偉そうな事言えないけど
演義はそのうち読みたいねー
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 02:33:45
角川の「完訳三国志」の5巻を観てみた。
第105回に次の通りある。
(前略)楊儀がこのとき陣中にいて錦のふくろをあけたのである。中に,かようにかように,と文句があった。
儀が明るい顔になる。馬で駆けだし,魏延にむかい,笑いながら「丞相は汝がいずれは謀反する,と早くから予言されていた。わが輩に汝には警戒せよ,とのお申しつけがあった。はたして今や,そのざまだ。
きさまが今もし馬の上で『誰だ,おれを殺すのは?』と三べんいえるかどうか,いえるならいってみろ。三べん果たしていい切ったなら,きさまも男だ,この漢中を渡してやろうではないか」
延が,ふざけるない!の大笑いだった。
「楊儀!さんぴん!よく聞けよ。孔明が生きていたあいだには二目も三目もおいてやったが,かれが死んだ今日,天下のどいつがわが輩に楯をつこうか!何が三べん!三万べんでも言ってみせるぞ」と,刀をひっさげ,轡をとり,馬の上で「誰だ,おれを殺すのは?」
とたんに「おれが殺す!」と,うしろで声がして,白刃がキラリ閃いた。魏延が馬から斬りおとされた。人々が驚いてみる。魏延を馬岱が斬ったのだった。
(後略)
おお、こんなのなんだ
原典的には「俺が殺してやる」系なのね
その内中国語で読んでみたいねぇ
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 07:51:58
儀在門旗影裏,拆開錦嚢視之,如此如此。
儀大喜,輕騎而出,立馬陣前,手指魏延而笑曰:
「丞相在日,知汝久後必反,教我提備,今果應其言。汝敢在馬上連叫三聲『誰敢殺我』,便是真大丈夫;吾就獻漢中城池與汝。」
延大笑曰:「楊儀匹夫聽著!若孔明在日,吾尚懼他三分;他今已亡,天下誰敢敵我?
休道連叫三聲,便叫三萬聲,亦有何難?」
遂提刀按轡,於馬上大叫曰:「誰敢殺我?」
一聲未畢,腦後一人弱゚而應曰:「吾敢殺?!」手起刀落,斬魏延於馬下。?皆駭然。斬魏延者,乃馬岱也。
「さんぴん」に時代を感じるな
最後の行ちょっと訂正
「吾敢殺イ尓!」
ね
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 07:56:44
鄭成功大好き
魏延「わしを殺せるものがあるか」
馬岱「ここ・・」
魏延「(ギロッ)」
馬岱「こっ、ここは少し暑うございますな・・ははは」
魏延「わしを殺せるものがあるか」
姜維「おのれっ」
魏延「ふんっ!(斬)」
姜維「うぎゃぁ」
魏延「わしを殺せるものがあるかっ」
張翼・高翔「・・・」
魏延「カーカカカ 約束通り漢中の城を渡してもらおうか」
楊儀「げえぇっ」
>237
ありがとー!演義を中国語で見るのは初めてだぜw
やっぱカッコいいね、この場面
「天下誰敢敵我?」ってやっぱ自信過剰だよなー
良いもん見せてもらいました
魏延「おまえはもう死ね!サニーパンチ!」
楊儀「ごが ごがあっ!」
魏延「さーて、漢中を手に入れる前に司馬懿のカスを殺して俺の実力を見せてやるか きえーっ!」
司馬懿「蜀軍が突撃してきた!?ぎゃーきっと孔明の罠じゃ逃げろー」
魏延「逃がすかボケェェェ!」
司馬懿「ぎゃー」
曹真「ひー」
郭淮「助けてー」
.
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 12:31:42
もし魏延が諸葛亮より先に死んでたら忠臣扱いだったかもな
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 12:40:56
魏延ってイマイチだったけど、このスレを見て少し印象が変わったよ。
>>249 ちょっwwww魏延がいまいちwwwww
漢中の太守だった男だぜ
>>249 そんな君にこれを紹介しよう。
ttp://meimu.sakura.ne.jp/page026.html >ホウ統亡き後、劉璋の家臣だった法正が頭角を現わす。法正は劉璋を裏切って蜀に来たにも関わらず、次第にその存在は大きくなり、ついには蜀軍太守、揚武将軍に任命される。
>しかし孔明は、裏切り者は再び裏切るという信念から、法正陣営を切り崩すために魏延を取り込む手段を模索する。
>だが孔明は、自分の側に取り込んでいた筈の歌姫・香蝉により、魏延に性癖を知られてしまう。香蝉の本名は燕郎といい、かつて魏延の枕侍童を務めていたのだ。
>魏延は孔明を服従させるために関係を強要する。
ちょ、おま……wwwww
>>252 論文の一つや二つ、軽く書けるほどの巻末の参考文献の膨大さで男色
いっそ気持ちいいほどの評価だな
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 08:57:03
食傷闘技スレが魏延ネタで盛り上がってる。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 14:01:01
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 15:29:50
あれぇー、やらかしちゃったなー
って感じだな…
そこでも言われてたが
名無しのままでいる賢しさも必要だぜ
ましてやIDなし板なんだから…
魏延祭りおわっちゃったなあ
まあ後半はむげん祭りだったけど
・・・むげん?
祭り中の前スレで魏延は謀反じゃなく政争で負けたって記述が
「後主伝」って本に書いてあるとか謂ってる人がいたんだが
そんな記述あるのか?
はっきりそういう記述は無いよ。
ただそういう見方も出来るってだけ
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 21:05:34
ちくまの「正史三国志」の5巻を観てみた。
後主傳第三に次の通りある。
(前略)秋八月,諸葛亮が渭浜でなくなった。征西大将軍魏延と丞相長史楊儀が指揮権を争って協調せず,兵をあげて互いに攻撃しあい,魏延が敗走した。魏延の首を斬り,楊儀は諸軍を統率して成都に帰還した。大赦が行われた。(後略)
ちくま訳は誤訳も多いからなんとも言えないけど
262は中国文を知ってて別の解釈をしたのかも
>>262さん
解釈を教えて
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 22:19:14
秋八月,亮卒于渭濱.
征西大將軍魏延與丞相長史楊儀爭權不和,舉兵相攻,
延敗走;斬延首,儀率諸軍還成都.
大赦.
原文の該当箇所
まあどう見ても不和からの政争だわな
>>266 なるほど、ありがとう
これでなんで魏延が謀反人なんて説が広まってるんだ?
楊儀伝と魏延伝読めば判るよ
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 22:46:47
270 :
269:2006/09/24(日) 23:11:20
ちくまの「正史三国志」の5巻と「むじん書院」を観比べてみた。
「むじん書院」には載せられていない裴松之の注釈に次の通りある。
『魏略』にいう。諸葛亮は病気になると,魏延らに向って,「わしが死んだ後は,ひたすら自国の守りを厳重にし,慎んでふたたび来るようなことがあってはならぬぞ」といい,魏延に自分の職務を代行させ,秘密裡に遺体を運び去れと命じた。
魏延はかくてその死をかくし,褒口まで行軍し,はじめて喪を発表した。諸葛亮の長史楊儀はかねてより魏延と不仲であったため,魏延が軍事の職務を代行しているのを見て,殺害されるのではないかと危惧した。
そこで魏延が軍勢を挙げて北方へつこうとしていると宣伝し,かくてその軍勢をひきいて魏延を攻撃した。魏延には本来そういった気持がなかったので,戦わずして軍が逃走し,追撃され殺害されたのである。
臣裴松之の考えでは,これはつまり敵国の聞き伝えによる記事であり,本伝と,どちらが正しいか問題にする価値はないであろう。
魏延はやっぱり謀叛人なんかじゃないじゃないか
誇り高き漢中の大守をバカにしやがってクソ楊儀め
権力争いに敗れただけだね。
もし謀反というなら蜀に対してではなく諸葛亮の遺命に対してだね。
>>270によれば孔明の遺命すら魏延支持だけどな。
しょかつりょうしね
長史で特に軍を率いる事が無かった楊儀が、諸葛亮に代わり軍事を代行する
魏延に対して軍を率いてあっさり打ち破るとか不自然な点があるし、
後に失脚する楊儀がこんな大それた事をすれば蜀書にも載るだろう、
また季漢輔臣賛でも魏延は謀反人扱い。
まあ裴松之の考えのとおりですな。
>>276 そうか?
楊儀が魏延と普通にやって勝てると思えないからこそ
>>270の魏略の状況の方が納得できると思うが
まして正史に政争と判る記述があるんだろ
最後の一文もなんかわざとらしく感じるんだが
儀略ってのを引用している箇所って他にないの?
その箇所にそれぞれ同じことかいてるなら判るんだが
魏延が粛々と諸葛亮の遺命を遂行している中、楊儀が謀反を騒ぎ立てただけで
軍が離散するものだろうか?
そもそも、誇り高い魏延が、自身に非が無いにもかかわらず、楊儀の出鱈目を受け入れて、
抵抗も無く殺されるというのが不自然だ。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 00:18:31
>>276 たかが長史が軍師魏延を指し置いて軍事代行することの方が不自然だがな。
まぁそういう疑義を資料が書かれた時代背景を考慮して読み解くのが史学の楽しみだが。
むじんに因れば考察は不要らしいから正史からは謀反したかどうか判らないってことになるが。
(その割に魏延は謀反と断言してたダブスタ野郎だったな)
最前線の流言蜚語なんて一番ヤバイトラップじゃん。
しかも諸葛亮が死んだって発表直後だろ。兵が動揺してるとこにそんな噂が広まれば離散位するだろ。
三国史読むなら少しは戦場心理くらい考えようよ。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 01:44:04
>>276 >蜀書にも載るだろう
楊儀伝・王平伝の記述は楊儀や費イ,そして間違った判断をした結果魏延の三族処刑を認めてしまった蒋碗らの言い分からの記述だよな。魏延の三族は処刑されているンだから。
その状況で正史に「間違ってました」なんて,大っぴらには書けない事ぐらいは想像つくよな。蒋碗なんか直後に丞相になってるンだから。
蜀寄りの陳寿がその辺を考えないで書いている訳はない。
裴松之は「敵国の聞き伝えによる記事」と書いているが、じゃあ誰がこんな正史と違いすぎる内容を伝えたか。本国に戻った楊儀・費イ ・姜維・王平じゃないことは判るが、内容はどう考えても現場にいた者の言葉としか思えない。
推測だが,これを魏に伝えたのは処刑から逃げのびた魏延の近親者じゃないかと考えればしっくり来ると思わんか?
>>277 魏略に限らず,裴松之は色んな史書を参考に注記している。
中には魏延伝同様正史と違う内容を載せている箇所もある。
その中で,魏延伝同様「その内容は疑わしい」とか「間違っている」と自分の意見を付記している箇所もそれなりにある。
但,ここ以外の箇所では他の資料とつき合わせている。
例えば「『山陽公載記』には別の事が書かれているが,『魏書』に記載されている内容と『蜀史』の内容はまったく同じである。また時系列に見てその内容は有り得ない。それゆえ『蜀史』の方が正しいことがわかる」的に,否定の根拠を書いている。
魏書や呉書に比べると記述が少ない蜀史のなかで,わざわざ引用しておいて根拠なく内容を否定されているのはこの箇所だけ。
ちなみに,姜維伝にも同じ魏略から引用をしていて,しかも正史と内容が違うが,「この叙述は本伝と異なっている」と異伝を紹介しているだけで,他国の伝聞だから信用できない,なんて物言いはしていない。
個人的には,この書き方を「敵国に来ざるを得なかった者からの伝聞」という意味を暗喩している,という見方をするのもありだと思う。
尤も,陳寿ではなく裴松之がそんな暗喩を使う必要性がないが。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 01:55:20
>>278 >誇り高い魏延が、自身に非が無いにもかかわらず、
>楊儀の出鱈目を受け入れて、
>抵抗も無く殺されるというのが不自然だ。
魏延伝に,「自分の本拠地の関中まで逃げたが,追撃してきた馬岱に斬り殺された」とあるが。
軍が離散した理由が
>>280の理由に因るとすれば,抵抗しなかった訳じゃなく,する暇がなかったのではないか。
まあね。
>281
でもこの魏略の記事は他の史書と合わない点が多いぞ
もし魏略の通りだとすれば、諸葛亮死後の撤退を指揮していたのは魏延で
褒口(褒中の間違い?)まで撤退して諸葛亮の喪を発したとある。
でも蜀書・晋書・漢晋春秋に寄れば撤退を指揮したのは楊儀と姜維で
司馬懿は蜀軍が撤退し始めた時点で諸葛亮の死の確証を得ていないながらも
追撃している。このとき司馬懿に対峙しようとしたのは楊儀ということになっている。
もし魏略が正しいなら司馬懿の追撃に対するのは魏延じゃないとおかしいだろ
司馬懿の追撃は諸葛亮の喪が発せられる前なんだから
蜀志に関しては後の宰相である蒋エンや費イに配慮して改変されたという理屈も通るけど
その影響を受ける必要のない晋書や漢晋春秋の記述と矛盾がある魏略が正しいとするのはちょっと無理がないか?
成立時期にもよるんじゃない?
特に晋書と漢晋春秋は云百年あとになって編纂されたものなんだし
三国志と近い時期に書かれた魏略を晋書、漢晋春秋と比較して魏略が一方的に間違ってるってのはちょっとなぁ
考え方を逆にしてみなよ
魏略の優位性は成立年代のはやさしかないんだよ?
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 09:54:51
後代の二次資料が正史の影響を受けてないって解釈も斬新だな。
>>277 正史は政争と謀反の2通りの記述で書いてあるが、経緯は魏延の命令違反で一致しており、
魏延が諸葛亮の遺言に従い軍事を代行したというのは魏略だけ、
また正史中の楊儀は諸葛亮の遺言を遂行しているから他の諸将を味方につけている状況なので勝って当然、
むしろ魏略中の流言程度であっさり魏延を討ってる方が不自然すぎる。
魏略を引用している箇所は他にもあるが、裴松之は史料の妥当性を検証して信用に足るかどうかを決めており、
正史とあまりに違う記述には突っ込む形をとっている、魏略だからって史料全てを否定するスタイルではない。
>>279 長史は丞相府の事務取締役で、部隊の編成から補給まで担当していた楊儀は政務のNo2、
諸葛亮批判をする強硬派だった扱いにくいであろう魏延に全権を託す方が不自然だが。
>>281 >これを魏に伝えたのは処刑から逃げのびた魏延の近親者じゃないかと考えればしっくり来ると思わんか?
だったらそいつらは魏延よりの味方するという考えはないのかね?
それに陳寿がそこまで記述を変えれば大幅な捏造が必要であり、多くの伝を改竄したことになるが
そんなことをすれば正史に現在の評価は与えられなかったろうという事で無理がある。
また陳寿は「魏延は楊儀を取り除きたいだけだった」との弁護もしており、
蒋碗等に気を使うならこんな事は書かないか、それか蒋碗を魏延よりの立場に書けばよい、
なにも後に失脚した楊儀に合わせて大規模な捏造をする必要は無い。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 11:55:26
>>288 過程が一致ってドコとドコのこと?
魏延伝以外に書いているトコあったっけ?
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:01:31
>>288 流言程度って蜀軍のおかれた状況舐めてないか?
不自然と言えば、それまで付き従っていた将兵が王平の一喝で乱れることは不自然とは思わないのか?
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:06:20
>>288 魏略へのツッコミスタイルなんか問題にしてない。
ツッコミ入れるときは必ず言及してた根拠をここだけ述べてないことに疑問がある、と言っている。
話を反らされても困るんだが。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:16:46
>>288 そう、長史は事務長官。軍務では魏延の命令書を握り潰さなければ自己の正当性を主張出来ない立場でしかない。
丞相府内でも蜀全体でも位が上の魏延を指し置いて全権を握るのは不自然とは思わないのか?
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:23:55
>>288 勿論、魏延の縁者の言ならば魏延寄りだろう。
それを認めるなら正史が魏延寄りに書かれることはない、という時代背景を考慮しなければ考察は出来ない、ということを言っている。
それを考慮した上で、陳寿が擁護していることは凄い事だと思うが?
>>289 王平伝や季漢輔臣賛は魏延は反乱者扱い。
>>284が言うには漢晋春秋との記述とも合わないとさ。
>>290 >不自然と言えば、それまで付き従っていた将兵が王平の一喝で乱れることは不自然とは思わないのか?
兵は魏延個人の私兵ではないんだから、むしろ命令違反してまで付いてきてくれる方が不自然。
蜀書を見れば魏延は橋を焼いて味方の退路を断ったりとかなりの無茶をしており、
王平が魏延の非を唱えればそれを受け入れるのには違和感は無い。
>>290 正史とあまりに違う記述の上に、
>これはつまり敵国の聞き伝えによる記事であり,本伝と,どちらが正しいか問題にする価値はないであろう。
と理由も書いてますけど。
>>292 楊儀は別に魏延も命令を握りつぶして正当性を得た訳では無い、
諸葛亮の遺言によって正当性を得ている。
丞相府内の権限では魏延と楊儀の立場に格差は無い(丞相府外の権限では差があらわれるが)
それよりも公然と諸葛亮批判を行っていた魏延に軍権を委ねられるような遺言こそが不自然、
あれほど単独での作戦活動を望んでいた魏延が、諸葛亮の命令どおり下がると考える方に違和感がある。
>>291 過不足無く答えてる気がする
部外者のおいちゃんにも判るように
趣旨説明してくれ
>>293 だから陳寿の擁護は魏延寄りではないが別にアンチ魏延でもない証拠、
わざわざ大規模な捏造なんてする意味は無い。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:40:44
>>288 というか、独自判断が必要な先方軍を任せていた魏延を、自分の死後は遠ざける諸葛亮が判らない。
>>297 度々別軍を率いての作戦行動を望むし、それを拒否すれば諸葛亮への批判を憚らないわで、
自分の死後の撤退を遂行してくれる人物じゃないと判断したんだろう。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:48:35
>>294 過程の記述の話だろ。扱いの話なら後主伝と違うのはすでに述べられていると思うが。
扱いは2種類あるが過程の記述は一致していると言うからドコと?と聞いたら、謀反人扱いしている、と言われても。
>>299 経緯が楊儀の謀反なら魏延が謀反人扱いされる事は無い、
しかしながら楊儀が謀反人扱いされてたり、楊儀側から仕掛けた記述は無く、
どうみても単なる政争か魏延の謀反かの二択だったという事。
経緯が一致してるという書き方が悪かったかもしれないが、
つまりや著者の思惑や当時の見方では原因は魏延の命令違反という見解で一致してるという事。
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:58:19
>>300 後主伝とは一致してないでしょ。
つか昼休み終わるのでまたね。携帯からだと打つの遅くていけない。
>>301 後主伝では政争って形をとってるね、しかしながらこれも魏延と楊儀が
互いに争ったというもので、魏略みたいな一方的に魏延が攻撃された
記述とは程遠い。
>楊儀は諸葛亮の遺言によって正当性を得ている。
戦時下で、現場のナンバ−2に話を通さない丞相の遺言というものに
そこまで絶対の権限と正当性は無いのでは?
だからこそ、後主伝では「政争」になってるんじゃないかと。
>公然と諸葛亮批判を行っていた魏延
魏延の軍師という立場からすれば、苦言を呈したり批判をするのはそれ程の越権では無いでしょう。
>あれほど単独での作戦活動を望んでいた魏延が、
>諸葛亮の命令どおり下がると考える方に違和感
「魏延は諸葛亮の命令どおり下がらない」との想定が容易に成り立つ状況なら
当人に話を通さず「魏延+直轄下の軍を残して撤退」という命令を出す事こそ不自然。
諸葛亮が登用・推挙した面子を見てけば分かりきった事だけど、魏延みたいな
性質の人物って諸葛亮が好まない型の人間なんよね
自分が死んだ後、たとえ蒋エンや費イを執政者にしたところでどこまで行動を制御
できるか不安はあったろうし、半ばこうなるように諸葛亮が誘導したのかも…とか
勘繰ってしまうよ
季漢輔臣賛は諸葛亮を持ち上げることによって間接的に司馬氏の天命を正しいものとするって政治的意味合いもあると考えられる代物
その晋朝建国神話の敵役である諸葛亮様に(作戦上とは言え)反論してる魏延の存在はやっぱり扱いが難しい
蜀書こそは陳寿の置かれた複雑な政治的立場の影響を最も受けた史書であるわけで
最も鵜呑みにしちゃいけない(信用するなってわけじゃなくて)物でしょ
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 16:06:37
むじん君史学の人は
時代背景や政治背景の考察を否定するから
議論にならないよ
諸葛亮没後の軍権の正しい在り処はどこなんだろうと思って調べてみた
結論から言うとどこにあるのか正しくはわからん
雍州刺使→不明 蜀の人物で任命されてた人おらんかも
鎮北将軍、征北将軍→やっぱり不明 数年前まで鎮北将軍は魏延だった
魏延は「使持節前軍師征西大將軍領涼州刺史」で微妙に職域がずれてそう
ただ憶測になるけども丞相府の中でも前軍師だし軍事部門のトップだし節持ってるし軍権は魏延にあると考えてもよさそう
魏延がそのまま引き上げ作業とかだって指揮して問題ない筈なんだがなぁ
ちょっと魏延をハブった側の動きが不可解
>305
なぜ季漢輔臣賛が司馬氏持ち上げの意図を持つことになるんだ?
この書が書かれたのは蜀が健在のときだぞ
それとも陳寿が蜀書の末尾にこの書を持ってきた意図が
>諸葛亮を持ち上げることによって間接的に司馬氏の天命を正しいものとする
と言いたいのか?
だとしても季漢輔臣賛が魏延を「反乱の意志を持った」と評していることは司馬氏や陳寿の思惑とは関係ないだろう
むしろ当時の蜀政権が魏延を反逆者と位置づけていたことの裏づけでしかない
>>308 ああ、ちょっと誤解してたわ
書かれたのが延熙四年つーことは諸葛亮没後5年だな
司馬氏を持ち上げる為云々ってのは大間違いだったな
ただ書かれた年代を考えると、魏延を謀反人扱いするってのは当然だろう
魏延をハメて殺した(と仮定すると)楊儀の片棒担いで尚且つ追い落とした蒋エンが将に政権握ってる時じゃん
こんな時期に「謀反じゃないです、政争です」なんて残るわけが無いと思うが
>>309 個人のサイトを覘かなきゃ分からんおまいに万歳
>>303 魏延に話を通さないは既に書いたとおり、魏延が撤退命令を遂行する可能性が低いと見たからで、
また諸葛亮の遺言に従わないよりは、従う方が正当性も権限も存在する、
丞相の撤退命令を無視する、していいような状況でも命令内容でもなし。
後主伝で政争扱いなのは陳寿の魏延への擁護の現れでしょう。
>魏延の軍師という立場からすれば、苦言を呈したり批判をするのはそれ程の越権では無いでしょう。
「臆病者」と罵るのは苦言じゃなくてもはや悪口の類でしょう、
少なくとも理性的な反論ではなく、そういう部分で諸葛亮が後事を託すに相応しくないと見たんでしょう。
>「魏延は諸葛亮の命令どおり下がらない」との想定が容易に成り立つ状況なら
>当人に話を通さず「魏延+直轄下の軍を残して撤退」という命令を出す事こそ不自然。
遺言では「撤退に従わないなら魏延を残して撤退しろ」だよ、
また命令に従わないと推測してるならむしろ魏延に話を通すと余計に拗れるのは目に見れてる、
命令に従わないと思ってるのに、その従わないであろう命令を事前に伝えたら意味無いじゃん。
この時の費禕の行動もちょっとなんだかなあというものだな。
>>307 >ただ憶測になるけども丞相府の中でも前軍師だし軍事部門のトップだし節持ってるし軍権は魏延にあると考えてもよさそう
諸葛亮はそこらへんを上手い事に魏延の官位をぼかして軍権を持ち得ないようにしてる。
まず前提として北伐軍というのは益州の兵で丞相府が動かしているという忘れてはいけない、
諸葛亮の官位は丞相・益州牧であるから当然北伐軍に対して正当な権限を持つ訳だけど、
魏延の官位である「使持節前軍師征西大將軍領涼州刺史」というのは前軍師という職以外は北伐軍に対して
命令権を持たない官位、涼州刺史は監察権しか持たない上に涼州ではそれも意味が無い、
征西大将軍も高官ではあるが蜀では地方の軍・行政権を持ってないし、北伐軍には関係ないんで指揮権にはなりえない、
使持節も命令を出せる範囲が自分の指揮下の軍だけしか命令権が無いんで軍全体には意味無いし、
地方の軍・行政権が無いんでこれまた意味が無い。
残るは前軍師だけになるんだが、やっぱこれだけでは北伐軍の命令権は無し、
軍師はあくまで参謀とか一指揮官までの権限しか持たない。
つまり魏延は高位高官であっても軍を指揮する権限は非常に制限されてるって訳さ、
また丞相府自体に命令権を持つ人物が居なくなったので一旦軍を解散させる必要もあったし、
丞相府に属する将軍達が魏延の命令を聞く義務は無い訳、そのまま指揮するのは問題ありあり。
>>314 蜀の場合急死した司令官のスペアを用意する機構ってどうなってたんだろうな
魏の場合、夏侯淵戦死時の動きからある程度その辺推測できるんだけど
蜀の場合は司令官が急死した場合って軍権の行方がどこにあるのかがさっぱりだ
>>315 魏の場合も司馬の郭淮が機転を利かせて張コウを代理に推した後に、
曹操が仮節を与えた訳だから機構と言える程のものが存在してるとは言い難いと思うけど。
司令官の急死には現場の機知と君主の判断に任せるほか無かったんじゃないだろうか。
317 :
301:2006/09/26(火) 23:50:32
昨日の昼休みの続き。
論点が拡散しているので,論点ごとに分けて。
【蜀の「謀反」についての公式見解について】
関連
>>288,
>>289,
>>294,
>>296,
>>299-303,
>>305,
>>308,
>>310,
>>312 政治背景を考えれば,魏延の謀反が本当だろうが事実無根だろうが,蜀史としては「謀反」ということにしなければいけないのは判っていることと思う。私以外でも上記関連発言の中でそういう意見が書かれているし,更なる説明は不要だろう。
その状況で猶,後主伝では魏延を一方的な悪とは看做さず,魏延伝では陳寿が魏延を擁護している。
更に魏に伝わった伝聞では全く逆の状況だし,「石の馬」の民話の様に民衆の間でも魏延の謀反に疑念が出ている。(石の馬の像を作らせたのは魏延を偲んだ蒋碗だという話もある)
これらを勘案すれば,魏延の命令違反という見解で一致している,などとはとてもいえない。
318 :
301:2006/09/26(火) 23:54:06
【流言飛語と戦争心理について】
関連
>>288,
>>290,
>>294 >むしろ命令違反してまで付いてきてくれる方が不自然。
そのとおり。
だからこそ「魏延は橋を焼いて味方の退路を断ったりとかなりの無茶をして」いることに配下の将兵が付き従っていることに違和感を感じないかと言っている。
319 :
301:2006/09/26(火) 23:59:41
【裴松之のツッコミについて】
関連
>>288,
>>291,
>>295 >正史とあまりに違う記述には突っ込む形をとっている
これはチト語弊がある。裴松之は正史を妄信している訳ではなく,他の史書と矛盾点があれば複数の史書の内容を併記した上で事実関係を精査し,どちらが正当かを判断している。事実,正史の内容について異論を唱えている箇所もある。
ただし,私が問題にしているのはその否定の仕方なので関係ない話。
先に
>>281でも書いているが,蜀書で参考文献を否定している他の箇所では,例えば「『江表伝』では云々と書いてあるが,誰某のこういう話も伝わっており,状況的にありえないため,これは呉の人が自国賛美のために書いたものであろう」の様に否定の根拠を書いている。
ところが魏延伝だけは「この記事は敵国の伝聞であって,本伝と真偽を争うほどのものではない」のように根拠が「伝聞だから」という理由にならない理由でしかない。
そこを疑問視している。
これについて「正史とあまりに違う記述には突っ込む形をとっている」だの「過不足無く答えてる気がする」だのと言われても,話を逸らしているのか,と勘繰りたくなるというものではないか。
それとも,他の箇所の様な論理的な否定と「伝聞だから」というのが同等の根拠とお考えか?
320 :
301:2006/09/27(水) 00:02:24
【指揮権の委譲・後継者について】
関連
>>288,
>>292,
>>294,
>>297-298,
>>303,
>>304,
>>312 >楊儀は別に魏延も命令を握りつぶして正当性を得た訳では無い、
>諸葛亮の遺言によって正当性を得ている。
そうであれば魏延の命令書を握りつぶす必要がない,という話。
全軍に正当性を主張して,魏延に命令に従うよう命令を発すればいいのだから。
そうすればそもそも僚軍と対峙なんていう不祥事になることもなく,平穏に事は納まっていた。例え魏延がそれに抵抗したとしても,その時点で魏延旗下の将兵は楊儀についたと思うのだろう?
ならばこそ,そうしなかった事,あの諸葛亮がそれを指示しなかった事が先ず不自然だ。
それをせず,魏延軍を置いて軍を率いて撤退を開始し,魏延が阻止に動いて初めて魏延旗下の将兵にそれを通告することも不自然。
更に言うなら,諸葛亮がそんなに魏延を警戒していたなら,騒ぎの元になる前に魏延を呼び出し(最前線には呉壱でも費イ でも代官に送ればいい),丞相府の役職を解任し(かつて劉[王炎]に対してやったように),本国に送り返しておけばいい。
丞相府の人事なのだから,諸葛亮にはそれをすることが可能なのだ。しかしそれをしていない。
あの諸葛亮が魏延が独断専行すると予見までしていて,猶それをしていないことには違和感はないか?
>諸葛亮の命令どおり下がると考える方に違和感がある。
実際に諸葛亮は,独自判断が必要な先鋒を任せている。
その魏延が命令に従わないと考えるほうが違和感あると思うが。
321 :
301:2006/09/27(水) 00:06:27
【丞相府内の地位について】
関連
>>288,
>>292,
>>294,
>>303,
>>307,
>>309,
>>314-316 >丞相府内の権限では魏延と楊儀の立場に格差は無い
魏延は前軍師なのだから,事務部門の長(長史の楊儀)や軍事部門の長(司馬の費イ )の上。留守役の蒋碗よりも上。(丞相府内の地位なら楊儀,費イ ,蒋碗は同格だが,職責の違いから長史の方が司馬よりもデカイ面ができる)
現代軍制の参謀と,古代軍制の軍師を同じと考えてはいけない。
>残るは前軍師だけになるんだが、やっぱこれだけでは北伐軍の命令権は無し
これはそのとおり。しかし,まるで魏延にだけ当てはまるように書いているが,これって諸葛亮以外の全員に当てはまる話だが。
その上で魏延には先鋒軍の指揮権が与えられ,楊儀や費イ には与えられていなかった。
>使持節も命令を出せる範囲が自分の指揮下の軍だけしか命令権が無い
諸葛亮が死んだ時点で次官の魏延が指揮権を持つわけで,軍令違反者を処罰をする権限は発生するわけだが。
ところで,魏延って仮節じゃなかったか?
322 :
301:2006/09/27(水) 00:11:13
【一次資料と成立背景について】
関連
>>288,
>>293-294,
>>296,
>>305,
>>308,
>>310 >わざわざ大規模な捏造なんてする意味は無い
>>317にも関連の話を書いたが,後の蜀の実力者である蒋碗,費イ ,姜維が連座して,蜀軍の高官を三族もろとも誤って処刑してしまった事件がもしあったとしても,隠蔽する必要などないとお考えか?
いや,
>>300や
>>302を読むと,本当にそう考えているように思えてならないが。
しかもコトの当事者は事件直後に干された上に,(一緒に干されてたっぽい)費イ の密告で処刑されてるんだが。
スレタイ関係ないな
324 :
301:2006/09/27(水) 00:28:19
【諸葛亮批判について】
関連
>>294,
>>298,
>>303,
>>312 魏延が諸葛亮を臆病者と批判している件については,私も問題あると思う。
ただ,北伐を行っている原因ともいうべき出師の表からすれば,魏延の批判は当然ともいえる。
本当に魏を討とうと考えていたなら,蜀と魏の国力の差から考えて乾坤一擲の策を採るしかないのに,強攻策をとらず安全策を採りつづけたのだから。
諸葛亮もその辺はわかっていたのではないだろうか。だからこそ,魏延が公然と批判をしていても処罰も降格もされなかった訳で。
実のところ,出師の表で謳った魏討伐なんてのは名目だけで,北方領土の拡充しか諸葛亮は考えていなかったのではないかと思う。
出師の表の名目を信じて,魏討伐のための献策をしていた魏延が愚かだっただけで。
ただまぁそうは言っても,皆おなじように感じても諸葛亮にそんな批判はできなかった訳で,蜀の第一人者である諸葛亮を公然と批判すれば流石に周囲もドン引きしてたろう。
魏略の記述からも少なくとも楊儀からは「魏延が指揮権を握ったら俺を殺しかねない」と思われるような言動をしていたことは想像に難くない。
楊儀を錯乱,暴走させた原因は魏延の日頃の態度にあった,という正史の評価には私も同意する。
いくら堅物軍人で先帝に忠実だったとしても,相手見て対応を変えないとイザコザの原因になるのは今も昔も変わらないってことだろう。
魏延は軍人としては優秀でも,世渡り下手だったのだと思う。
とりあえず、蜀軍の軍権の問題はおいておいて
史書の話しておくよ
蜀書のスタンスは
諸葛亮の遺言は「全軍の撤退。魏延がその命に従わなければ彼を残して撤退」
その命を受けたのは楊儀たちで、費イが魏延に報告
魏延はその命に反発して「丞相府の人間は撤退。他の諸将は北伐続行」を提案
魏延以外の諸将はその提案を無視して撤退開始
その行動を見て、魏延は全軍が撤退する前に足止めしようと先回りして橋などを焼く
楊儀と魏延がそれぞれ成都に対してお互いが反逆したと上奏
成都では蒋エン・董允が楊儀の肩を持ち、魏延が反逆したと劉禅に意見
魏延と楊儀は軍事衝突し、魏延は敗れ斬首。三族皆殺しに合う
最後に陳寿は魏延に反逆の意志はなかったと弁護している
つまり蜀書は最初から「魏延反逆」なんて記述はとっていない
魏略のスタンスは
諸葛亮の遺言は「全軍撤退」
その命を受けたのは魏延
撤退作業も魏延が主導し、それに危機感を抱いた楊儀が「魏延謀反」の流言を飛ばし魏延を攻撃
魏延は反逆の意志がなかったので楊儀に討たれ斬首
よって魏延は反逆はしていないとなる
季漢輔臣賛のスタンスは「魏延は反逆の意志があった」
「反逆の意思」という点で見ると
蜀書と魏略が同じ主張をし、季漢輔臣賛が反対の立場をとっている。
しかし裴松之が魏略と蜀書が異なっているといっているのは
その撤退の過程
魏略が正しいとするなら、蜀書は
・諸葛亮の遺言を受けた人々
・撤退を指揮した人物
・魏延と楊儀の衝突の過程(劉禅への上奏など)
が捏造と言うことになってしまう。
それに君の言う「後の蜀の実力者が関わった誤りを隠蔽する」
必要があるなら蜀書はその誤りの隠蔽自体をしていないぞ
ちゃんと蒋エン・董允は魏延が反逆していると言う楊儀の意見に賛同したと書いた上で
魏延に反逆の意志はなかったと書いている
ちなみに、漢晋春秋や晋書は魏延が反逆したかどうかで魏略と記述が対立しているわけではなく
撤退を指揮した人物が誰かで魏略と食い違っている
もし魏略が正しく蜀書が間違いであるとしたいのであれば
蒋エンや董允の誤った判断を隠蔽していない蜀書が
なぜこんなに多くの捏造をする必要があったのか?
蜀の権力者の影響を受ける必要のない漢晋春秋や晋書が
なぜ魏略ではなく蜀書の過程にそった記述を採用したのか?
を説明しないといけないぞ
もし301が「魏延の反逆は蜀政権による捏造」と主張したいだけなら
蜀書でもその主張を展開するのは可能だと私は思うから
魏略をあまり引っ張りすぎない方がいいと思うぞ
魏略についてはそういう記事を書かれるくらい当時の蜀軍の動きがおかしかった程度でおさめとけばいいんじゃね?
327 :
301:2006/09/27(水) 01:30:03
>>326 >蜀書でもその主張を展開するのは可能
全くの同意です。
>>317でも同様のことを書いたつもりですが,判りにくかったようで申し訳もない。
「魏延は謀反している」という意見に対して,蜀史も含めて周辺事情を勘案すれば謀反とは到底思えない,という考えです。
328 :
301:2006/09/27(水) 01:37:09
>>326 >魏略をあまり引っ張りすぎない方がいいと思うぞ
これも同意見。
魏略を引っ張るつもりはないんだけど,たまたま話題に上ったので種にしただけです。
主張としては,正史を妄信しすぎない方がよい,ということを言いたい感じです。
史書を政治的背景や成立背景を考慮しないで鵜呑みにするのは危ない,という話。
乙乙。
こうやってまとめられると、読んでて面白いよ。
「魏延の上手な使い方」としては
>諸葛亮がそんなに魏延を警戒していたなら,
>騒ぎの元になる前に魏延を呼び出し
>(最前線には呉壱でも費イ でも代官に送ればいい)
>丞相府の役職を解任し(かつて劉[王炎]に対してやったように)
>本国に送り返しておけばいい
これがキーポイントだと思った。
真偽はともかく「全軍の撤退。魏延がその命に従わなければ彼を残して撤退」って
どこからどこまでも不自然で違和感まみれ。
これが事実なら、諸葛亮は最後の最後でアホなミスをしたもんだと。
>301氏
全面に対し反論できるほど博識ではないが、主張のおかしい部分がある。
>>320 人事異動の権利があるのにしなかったというが五条原の時点で魏延にかわる適任者がいると思うのか?
しかも、撤退の理由は諸葛亮の病死。その直前まで北伐の真っ最中。
その主張なら諸葛亮が自分の死を戦前に予想して撤退準備を人事異動で整えなければならない。
もし予感していたとして、漢中の太守を10年間勤めた魏延を侵攻の直前に配置換えして戦になると思うのか。
>>318 >>むしろ命令違反してまで付いてきてくれる方が不自然。
>そのとおり。
>だからこそ「魏延は橋を焼いて味方の退路を断ったりとかなりの無茶をして」いることに
>配下の将兵が付き従っていることに違和感を感じないかと言っている。
長年、漢中太守を勤めた魏延だから自分の手足くらいいるだろう。
橋を焼くくらいなら魏延の独断でも当然出来るはずだ。
そこに蜀のほぼ全軍を率いた楊儀との対峙になる。
魏延の手足と蜀全軍の対峙。
実戦になれば勝敗は見えている上に楊儀側にも魏延隊全軍を全滅する意味はない。
魏延一人を差し出すことを条件に投降を受け入れる布告は行われるだろう。(これが
>>320のいう通告?)
そして、それがどれほど効果をあげるか想像してみるといい。
魏延が戦で負けたのではなく、離反した軍が味方全軍の前に降伏したのではなかろうか。
要は、始めは楊儀と魏延の対立。
⇒楊儀を中心とした撤退主張と魏延の反抗。
⇒魏延隊の孤立と布告―おそらく流言でも一喝でもなく投降を促すただの布告―による投降。
⇒軍令違反による処断。
こちらのほうが流れとしては読みやすい。
ただ、楊儀にはめられたというのはあながち間違いじゃない気がする。
というよりは諸葛亮が楊儀と魏延の対立から、撤退時にごたごたをある程度予想していた。
(ここで撤退の指揮を執ることが今後の軍権への発言権に影響するだろうことから)
その上で、争いで撤退に支障をきたすよりはどちらかを切り捨てることになっても撤退を優先した。
魏延は、諸葛亮に見捨てられ、撤退=優先される作戦にのった楊儀に軍権争いに負けた。
魏略の内容を、「諸葛亮の遺言」を「諸葛亮死後の軍権」に読み替えると魏延側の主張としては意味が通ると思う。
魏延側の敗残が魏に下って、『丞相死後は魏延に軍権が移るはずだったのに楊儀に奪われた』と伝わった。
程度の意味しかないかと思う。
あと、敵国に伝わった伝聞を理由として認めていないようだが
戦争中の敵国に伝わった伝聞は情報操作の可能性もあるし、これほど裏と確証のないものはないと思う……。
>>331=332
漢中の太守を10年間勤めた魏延を配置換えするのを非とするワリに
諸葛亮の死後に内部で政争が起こる現象を是と考えてる風なのが気にかかる。
現代では結果的に魏延軍は成都に戻ろうとしたし、
全面的な軍隊同士のぶつかり合いは無かったが、
大規模遠征軍のトップがそれぞれ軍隊を抱えながら対立する
なんて状況を想定した撤退作戦そのものがおかしいだろ。
異変があれば、即座に退却してきた諸葛亮手法から鑑みれば
自分の死による撤退命令が出ていなかったと考えるのは難しいだろう
>>301(長いんで勝手にまとめて反論させてもらう)
>配下の将兵が付き従っていることに違和感を感じないかと言っている。
王平の一喝で配下の将兵は離散してるから、付き従いつつも魏延の行動に疑問を感じていたんだろう。
だから別に違和感は感じない。
>そうであれば魏延の命令書を握りつぶす必要がない,という話。
握りつぶす以前に、命令違反である命令をわざわざ伝える義務がない。
全軍への正当性は諸葛亮の遺言で既に持っており、他の諸将も命令に従っている中で魏延だけが反対、
諸葛亮の遺言に逆い、楊儀の下風に立ちたくないと言ってる魏延に再び命令を送るのも無駄と判断したんだろう、
僚軍と対峙という事態に陥ったのも魏延が友軍に対し攻撃を始めたからで、楊儀側は放置しただけ。
もっとも楊儀に魏延に含むところがあったとは思うが、魏延が攻撃を仕掛けてくるとまで予想したかは微妙。
>更に言うなら,諸葛亮がそんなに魏延を警戒していたなら,騒ぎの元になる前に魏延を呼び出し〜
諸葛亮の死は敵と対陣中の急死、そんな時間が無かったであろうし、
また敵と対峙してる最中に前軍の指揮官を更迭する愚はしないだろう、呉壱や費イも別々に軍を率いているであろうし、
いきなりハイ交代、なんて出来るわけが無い。
>実際に諸葛亮は,独自判断が必要な先鋒を任せている。
魏延の独自判断は戦術レベルの判断、戦略レベルでは諸葛亮が判断して魏延を派遣しており、
大将として全軍を指揮するような判断を任せていない、同一視
するものではない。
>>301続き
>魏延は前軍師なのだから〜
初めから古代の軍制で語ってるんだが?古代の軍制では軍師は一指揮官とか参謀までの役割しかもたん。
長史や司馬に比べれば位は高いが、職務で見れば大差なし。
>これはそのとおり。しかし,まるで魏延にだけ当てはまるように書いているが,これって諸葛亮以外の全員に当てはまる話だが。
その通り、だからこそ諸葛亮の遺言で楊儀が正当性を得てるわけだ、誰にも指揮権が無いからこそ指揮権があった諸葛亮の遺言が尊重される。
んで魏延に与えられてるのは先鋒軍である魏延配下の軍だけであるから全軍への命令権は無い訳。
>諸葛亮が死んだ時点で次官の魏延が指揮権を持つわけで,軍令違反者を処罰をする権限は発生するわけだが。
理由は↑に書いた通り持たない、だから軍令違反者を処罰するもなにも軍令を出す権限自体が無い。
ちなみに魏延は使持節。
>後の蜀の実力者である蒋碗,費イ ,姜維が連座して,蜀軍の高官を三族もろとも誤って処刑してしまった事件がもしあったとしても,
>隠蔽する必要などないとお考えか?
後の時代の人間である陳寿にとっては隠蔽する必要は無い、こんな事を隠蔽するようならば蜀書の謀略を悉く隠蔽する必要があるし、
魏延に対して同情を示す必要も無く、もっと簡単な改竄で終わらせることが出来る。
また費イは帰国後昇進しているし、楊儀の密告くらいでいきなりショウエンの後継者候補になるのは不自然だから
別に干されてるポジションにないでしょう、姜維なんか
337 :
336:2006/09/27(水) 13:26:50
途中切れてた...。
>姜維なんか
姜維なんか順当に出世してるしね。
>>335 隠蔽論とか、魏略の真偽とかはどうでもいいけど
「諸葛亮の遺命」に対する認識がどーも気になる
>握りつぶす以前に、命令違反である命令をわざわざ伝える義務がない。
皇帝に認められたわけでも無い「丞相の遺命」に"絶対"の正当性は無いのでは?
もし諸葛亮の遺命の正当性が確立されているのであれば
蜀書の文面を見る限りで「遺命に従っただけ」の楊儀の行動が、
結果的に政争と処理されているのは極めて不自然。
一方で使持節前軍師の魏延が作成して、丞相司馬の費イが連署したら
それはそれで本来なら正当とされる方法で作成された命令書。
本国で事態を煮詰めた結果、どちらが正式かの断定が出来かねるからこそ
魏延処断→恩赦発令(逃走者や加担者の保護)→楊儀左遷→後主伝では政争扱い
という、行ったり来たりな事後処理になったのでは無いかと。
正当性という観点では
227年に発布された劉禅の詔勅(北伐遂行命令)>諸葛亮の命令(実際の北伐軍指揮)>NO2の魏延の命令
になると思う。
で、諸葛亮の遺命による撤退命令は当然北伐軍全体に及ぼす権限を持っているが劉禅の詔勅よりは弱い
だから魏延は諸葛亮の撤退命令を丞相府の人間に限定し、それ以外は劉禅の詔勅に従い北伐を続行することを提案している。
これが蜀書に書かれている魏延の発言
「丞相が亡くなられてもわしは健在である。
幕府付きの役人たちはこのまま遺体を運んで帰国し、埋葬するがよかろう。
わしは自ら諸軍を率いて俗を撃つのが当然である。
一人の死によって天下の事を廃するとはなにごとか」
になる
ただし、314が書いているようにこの時点の魏延には自軍以外の諸将を直接指示するだけの権限は持っていない
北伐を続行するなら劉禅から新たに権限を追加してもらわなければならない
だからあくまで撤退するか北伐を続行するかは諸将の判断に委ねられる
それで陳寿は
「当時の世論が諸葛亮に代わる者として自分を望むにちがいないと期待していた」
のだろうと、魏延の心理を推測し、彼を弁護している
魏延にしてみれば劉禅の詔勅を諸葛亮一人の死で廃する諸将や撤退を指揮している楊儀は命令違反になるだろうし
楊儀にしてみれば劉禅から北伐軍の指揮権を委ねられた諸葛亮の遺命に逆らう魏延は命令違反になる
どちらも微妙なところだと思うよ
それで肝心の劉禅はと言うと、魏延と楊儀のどちらの主張が正しいか蒋エンと董允に質問してはいるが
はっきりとは決断を下していなかったと思われる
だから後主伝ではこの一件は政争扱い
しかし、楊儀が既に魏延を処罰(斬首)してしまったことから蜀政権としては
魏延の反逆としなければ治まりが付かなかったんだろう
それで当時は魏延の反逆とされ、季漢輔臣賛などはその方針に従い「魏延に反逆の意志があった」と書いたんだろうし
蜀が滅んだ後に書かれた三国志は政争扱いしてるんだろう
>>338 >皇帝に認められたわけでも無い「丞相の遺命」に"絶対"の正当性は無いのでは?
まあ遺言に"絶対"の正当性は無いだろうね、ただ別に"絶対"の正当性なんて無くて問題ない、
諸葛亮の遺言に逆らう事はそれ以上に正当性が無いのだから。
また諸葛亮は皇帝から全権を託されているんで皇帝が否定しない限りは認められる、
全権を委任もされていない一介の将軍が否定するのは不可能。
政争としては処理されてない、所々ある政争扱いの記述は魏延側は楊儀を取り除きたかっただけという陳寿の同情と、
蜀に謀反する気が無かったという客観視の結果だろうよ。
結果自体は論功行賞自体は多くの人物が昇進しており、魏延を討ったことは功有りって形で終わってる。
蜀書・季漢輔臣賛でも所々は謀反人扱い、謀反とまではいかないが、魏延に非がない訳じゃ無いというグレーな扱い。
>一方で使持節前軍師の魏延が作成して、丞相司馬の費イが連署したら
>それはそれで本来なら正当とされる方法で作成された命令書。
だから魏延には北伐軍の命令権が無い上に、諸葛亮の遺言に逆らう命令書に従う義務は無い。
つーか事務担当の長史を通さない命令書が正当な方法かさえ疑問だ。
>本国で事態を煮詰めた結果、どちらが正式かの断定が出来かねるからこそ
上記したように、魏延を討つに関わった多くの人物は昇進しており、判断しかねたという事は無い。
恩赦は魏延関連よりも、諸葛亮の死とショウエンが後継に決まった事に対する恩赦だろう、
楊儀左遷は諸葛亮の意向なんで魏延の件とは関係が無い。
>>339 同意するところも多いけど、あえて突っ込ませてもらう。
一つは劉禅の詔勅は「北伐の大将として諸葛亮を任じ、全権を任せる」というのも、
つまり北伐の遂行命令は諸葛亮に下されたものであり、
>227年に発布された劉禅の詔勅(北伐遂行命令)>諸葛亮の命令(実際の北伐軍指揮)
↑のような不等号は成り立たない、劉禅がまた詔勅を発布して諸葛亮の大将の任務を解かない限り、
諸葛亮の命令=劉禅の命令という拘束力は存在し続ける、また発布で全権の担わされたのは諸葛亮であるから、
>諸葛亮の命令(実際の北伐軍指揮)>NO2の魏延の命令
というのもおかしい、魏延の権限では諸葛亮に次いで2位の命令権を持ち得ない。
>蜀が滅んだ後に書かれた三国志は政争扱いしてるんだろう
謀反扱いと政争扱いの両方。
あと楊戯は公平な人物で清潔な人格であると記述されており、当時大権を担っていた姜維に対しても
暴言を吐けるぐらい言葉を憚らない人物、そんな楊戯が当時の方針に従って公平でない書き方をするっていうのにも疑問がある。
>諸葛亮の命令(実際の北伐軍指揮)>NO2の魏延の命令
のNO2ていうのは具体的権限と言うより蜀軍で諸葛亮の次に高官だった程度の意味だったが
この書き方はよくなかったな。スマン
ただ、たぶん君は権限と正当性をごっちゃにしてるんじゃないかな?
権限で言えば劉禅の詔勅=諸葛亮の命令だけれども
正当性という点では劉禅の詔勅=諸葛亮の命令というのはありえないよ
劉禅の詔勅は実質は君の言うように「北伐の大将として諸葛亮を任じ、全権を任せる」ものだけれども
それは劉禅が北伐遂行を望んだという建前のもと頂いているもので
それを超える正当性は諸葛亮にはない
今回のような諸葛亮が自分の死によって北伐の中止をせざるを得ないと判断して
全軍に撤退を命じた場合、権限としては全軍への拘束力を持ち魏延も従う必要がある
が、それは同時に「北伐」という劉禅からの使命を諸葛亮がまっとうできなかったと言うことだ
この使命をまっとうできなかった命令が劉禅の使命を超える正当性を持つことは絶対ありえない
魏延にしてみれば北伐を続けられる状態で諸葛亮が死んだというだけで劉禅からの使命を反故にするとは何事か!
となる
あ、343は
>>342へのレスです
アンカー付け忘れスマン
>>343 >それは劉禅が北伐遂行を望んだという建前のもと頂いているもので
>それを超える正当性は諸葛亮にはない
諸葛亮が正当性を問われるのは北伐自体を放棄した場合のみ(魏との同盟とかね)
正当性で言っても劉禅は諸葛亮に全権を任じた上での北伐命令なので、
戦略的な出兵・撤退は諸葛亮の判断が全てであり、上に書いたような魏と和する事態でも起きない限りは
正当性においても諸葛亮=劉禅は成立している。
>今回のような諸葛亮が自分の死によって北伐の中止をせざるを得ないと判断して
この場合も諸葛亮の判断は戦略的な撤退に過ぎず、北伐という指標そのものを放棄した訳では無い、
ただ確かに劉禅の命令をまっとう出来なかったという点は諸葛亮の手落ち、
しかしながらその責任問題を追及できるのは命令を下した劉禅のみで、
自分の死による戦略的撤退というのは諸葛亮に与えられた裁量の範囲内であり正当性は保持している。
反面魏延にしてみればというが、劉禅が与えた使命は「諸葛亮への北伐命令」であり、
諸葛亮が死んだという事は実行者不在の状況な上に、劉禅からの命令を受けた人物は他に居ないので
北伐実行者は宙ぶらりんの状態、その状態では諸葛亮の命令以上の正当性を持つ命令は存在しない訳、
何度も書くが、劉禅の北伐命令というのは諸葛亮へ(全権を任じるという形で)下されたものだから。
ありうるとすれば劉禅自身が新たに実行者を任じる他に無い。
>>345 いや、だから正当性と権限をごっちゃにしちゃダメだよ
権限と言うのは現場で迅速な対応をするために与えられているもので
現場において劉禅=諸葛亮とは言えるけれども
正当性というのはその与えられた権限を正しく行使したかもとわれるもので
絶対的に劉禅=諸葛亮とはなりえないんだよ
実際君が諸葛亮の正当性がなくなる例として>魏と和する事態を上げているように
あくまで諸葛亮の正当性は劉禅の北伐命令に従って適切に行動しているときにのみ与えられているものだ
その上下関係がある以上、正当性は劉禅>諸葛亮だろう
今回の場合、諸葛亮の撤退命令は現場では当然正当性が一番ある
ただし、絶対的正当性というわけではない
蜀軍に多大な被害出ているわけでもなければ兵糧切れを起こしているわけでもない状態なら
諸葛亮の権限を誰かに委譲・もしくは劉禅により新たに実行者が任命されれば続行可能ではある
限りなく可能性は低いけれども
だから魏延はああいう提案をした
もし撤退しか道がないなら魏延だって反対せずに撤退してるよ(今までの北伐の撤退に従ってきたように)
ただし、さらに勘違いして欲しくないんだが、これはあくまで
正当性が劉禅>諸葛亮だから諸葛亮の遺命に「絶対的な」正当性はない
と言いたいだけで、魏延の提案に諸葛亮以上の正当性があると言っているわけじゃないよ
魏延と諸葛亮で見れば当然、諸葛亮>魏延になる
部外者だが、結論としては
「遺命に「絶対的な」正当性はないものの、魏延と諸葛亮の遺命で見れば当然、諸葛亮>魏延になる」でいいのか?
ただまぁ、戦場に出れば君主より将軍の方が命令の正当性は高いと思うがな
えれえ長文スレでございますな
いかに皆が魏延を愛してるかってことさ
>>333 魏延と楊儀の対立は諸葛亮も生前から心配していたことだった。
そこに実権が絡むとすれば、衝突を予想するのは困難なことではないと思う。
配置換えを非とするのは諸葛亮の健在な戦前。
この時点で非なのは理解してもらえるだろう。
諸葛亮の死が見えてきて撤退が現実味を帯びたときにはまさに敵前。
すでに漢中太守がどうこうという段階ではなく人事の問題ではない。
撤退を視野に入れたとき、上記の対立が予測される。
『トップの諸葛亮不在での最初の全軍の指揮を誰が執るか』
この実績は以降の発言権に直接に響くはず。
魏延は五上原の戦況ゆえに抗戦を主張したとする意見が多く見えるが、
それは違って
ただ「楊儀が全軍を指揮する」のが気に入らなかったのではなかろうか?
楊儀が撤退の”全軍指揮”を執れば以降の軍権が武官最高位の魏延から逃げていく。
橋を焼く等の行動は撤退の邪魔でなく、(今、指揮を邪魔することで)今後の指揮権が渡るのを阻止したかった。
陳寿の「魏延は楊儀を取り除きたいだけだった」の擁護の内容とも符号するし
>>332の
>魏略の内容を、「諸葛亮の遺言」を「諸葛亮死後の軍権」に読み替えると魏延側の主張としては意味が通ると思う。
>魏延側の敗残が魏に下って、『丞相死後は魏延に軍権が移るはずだったのに楊儀に奪われた』と伝わった。
これを想像する要因となってる。
それに上の解釈ならば、後年この事件が政争扱いされたのも納得がいく。
>>350 >魏延は五上原の戦況ゆえに抗戦を主張したとする意見が多く見えるが、
>それは違って
>ただ「楊儀が全軍を指揮する」のが気に入らなかったのではなかろうか?
戦況と実権の両方だと思うが
>>350 解釈というより、人物の心情想像じゃないか
想像を要因にして、さらに想像を重ねたら、
どんな解釈でも出来るわな。
官職一つに政治的意図を読み解くのが史書の愉しみの一つ。
軍務一つにも意図を推し量ることも不毛じゃないでしょう。
動機・意味をさぐるのを無駄とは思いません。
魏略のくだんは確かに想像でしかないですが、他は一応の論拠になったものがあります。
諸葛亮の魏延だけ残せと不可解な命令もその一つです。
どこがおかしいか、また温いか具体的に指摘を願います。
それと、
単純に魏延が最期に何をなそうとしていたか知りたいってのが本音です。
>>351 魏延に遺命を撤回させるどんな実権があるんだろう?
むじんの再来とでも思ったんじゃないの
353が楽しんでる所悪いけど、議論するためだけのスレでも無いので
明確な答えが出そうに無い、呂布鉄アレイ議論は程々にな。
>魏延が最期に何をなそうとしていたか知りたい
とか言ってるけど、もう353の中では答え出てるじゃん。
だったら353はそれを信じてればいい。
353じゃないが悟った!
魏延は「勘違い女系へたれ」
自分の企画が通らないからって
上司の陰口は叩くは
嫌いな奴はネチネチとイジメ
陰湿な対立
撤退命令の正当性は一般兵士すら理解できる程度の事
わがままで拒否って弾劾されて逆切れも
相手にされずにアポン
360は「粘着アンチ系荒らし」かな
>>361 荒らしかどうかは知らないが否定する材料は妄想意外無いな
>>350 >気に入らなかったのではなかろうか?
妄想いいたいだけなら
>>252みたいな小説でも書け
面白ければ読む
>>362 受け取り方の問題だろ
人物の行動なんて悪し様に受け取ればどうとでも悪く言える。
そして、
それをわざわざ、該当人物のファンが集まるような場所で言うのは
厨のすることだ。
一連の云々で、それとなーく魏延否定意見出してた人の言いたかった事って
結局
>>360なのかね。
魏延の我が儘も諸葛亮が居てからこそなんだよなぁ
魏延って我侭なんていってないだろ
勝ための努力しかしてない
どっちかというと諸葛亮の方が
自分がいいだした北伐なのに
勝つための積極性がない
>>367 我が儘ではないが、諸葛亮は何度も魏延に便宜を図り
庇ったりもしている記述はある。
魏延が驕っているのも記述されている所だ。
無理矢理擁護するのも如何なものかと思うぞ?
我侭ではないと認めてるなら
擁護じゃないだろ
>>371 記述がダイレクトに我が儘と書かれているわけではないが
複数の記述を見るかぎり、これだけ便宜されたり擁護されたりするという事は
我が儘と取れると思うのだが、どうか?
我が儘というより驕っていたと見るべきかもしれないが
諸葛亮は魏延に藺相如、廉頗の交わりを望んでいたんだろうと思うが
それには少し魏延は精神的に幼かったという感じかな
意見が合わなくてもいうことが合ってるなら
諸葛亮も便宜図るし擁護もするだろ
便宜や擁護が我侭の証拠ってどんな理屈だよ
諸葛亮を擁護したいってのは判ったが
無理ありすぎだぞ
>>373 「意見が合わなくてもいうことが合ってる」
って、結局、意見が合ってるのか合っていないのか?
>>360のせいでちょっとカワイイツンエロ系OL魏延を想像してしまった
「(諸葛亮と魏延の)意見が合わなくても
(魏延の)いうことが(北伐の趣旨に)合ってるなら 」
これでわかるか?
>>376 私の意見が違わないのだが?
魏延が有能であるからこそ、
諸葛亮は魏延の我が儘も黙認するし、擁護も便宜も図る
なぜなら藺相如、廉頗の交わりを望んでいたからだ
でも魏延は廉頗程に精神的熟成はしておらず
残念な事だ
という趣旨だが
なんで諸葛亮擁護?
私の意見が違わないのだが?→私の意見と君の意見に違いが無いのだが
有能で主張も間違ってないなら我侭じゃないな
それならお互い主戦派と慎重派で意見が違っても
協力し合ってるのだから幼くもないな
なんで魏延だけ非難してる?
魏延を非難している意見を諸葛亮擁護なんていうから
言ってる趣旨はお互い一緒なのにもめあいになってるんじゃないか?
自分は部外者だがどうして魏延を非難しただけで
諸葛亮擁護と取られるのか理解できないよ
魏延非難が間違っているとしたいなら
魏延の発言は軍事上の対立なだけでわがままじゃないと言えばいいだけだろう
我侭じゃないってのは初めからいってる
それでも我侭として印象操作をしているのをみて
諸葛亮擁護だと思っただけだ
>>379,381
主張ってなんの主張?
軍事的に有能=魏延の主張が正しい事にはならないと思う。
幼いとしたのは作戦決定後の上司への作戦の不満を他人に述べる事と
周りと衝突して非難されているという史実から
張翼等は姜維の作戦に反対するが、決定後にはそれに不服はもらさない
本来の軍人はそういうもの
意見の対立が問題ではなく、その後の事が問題
383 :
382:2006/09/30(土) 15:24:25
ちなみに、この意見はさして独創性の無い
陳寿と同じ意見でございます
まあ性格に難があったのは確かのようだし、そんなとこだろ
周囲の人間の対応をみても、少なくとも度量の大きな人物ではないってとこ
諸葛亮が便宜を図っているといったのはお前だ
魏延の主張が正しくなければ便宜を図る必要はない
諸葛亮が魏延の歓心を得るために
正しくない便宜を図る訳はない
>作戦の不満を他人に述べる
多数派工作だろ
普通に仕事していればどこにでもある話だ
誉める話じゃないが根回しは必要だからな
>周りと衝突して非難されている
楊儀のことか?
とくに非難はされていないだろ
楊儀に怒りを抱いていたってだけだ
楊儀は性格悪いので諸葛亮は後継者に選ばなかったがな
魏延はただの軍人じゃなく軍師だぞ
最善を目指して動くの当たり前だろ
ただの軍人や事務官と同じでどうするよ
べん‐ぎ【便宜】
1 ある目的や必要なものにとって好都合なこと。便利がよいこと。「資金調達の―を得る」
2 特別なはからい。そのときに適したやり方。「―をはかる」「―上、代行を置く」
3 音信。たより。
>>386 へー、3の意味は知らなかったなぁ、どんな風に使うんだろう
俺がチェックしてるスレじゃここが一番速い
みんな魏延が好きなのね
>>385もなにをそんなにいきりたってるんだろうな
なにもかも魏延に非はないって言いたい様にもうけとれるし
むしろ、一生懸命に魏延の非をアピールしまくってる
自称部外者のレスのが必死過ぎ。
一連の流れをかるく読むと,
>>382氏は魏延非難というより楊儀を擁護したいがために魏延を悪者にしようとしているように思えてきた。
>389
え?自分のレスも魏延非難に入れられるの?
つか非難か擁護かしか受け取れないって極端すぎないか?
陳寿の総評とほぼ同じ事を書いてると思うのだが
ちくまの「正史三国志」の5巻を観てみた。
劉彭廖李劉魏楊傳第十末に次の通りある。
評にいう。
劉封は嫌疑をかけられる立場にありながら,身を守る配慮だけをし対策を立てられなかった。彭ヨウと廖立は才能によって抜擢されて昇進し,李厳は才幹によって栄達し,
魏延は勇猛を以て任じられ,楊儀は実務の手腕によって出世し,劉[王炎]は古くから仕えたものであり,ともにみな尊重された。
その行為を観察し,その品行をたどってみると,禍いを招来し罪を得たのは,すべて身からでたさびであった。
>>392の言が
>>382についてであるなら,同じ事を書いている,とは言えない。
評では魏延について「魏延は勇猛を以て任じられ」たが,「その行為を観察し,その品行をたどってみると,禍いを招来し罪を得たのは,すべて身からでたさびであった。 」としか書いていない。
>>382はそこから類推した自分の感想をも書いている。
魏延伝や裴松之が付記した魏略を読む限り,「身からでたさび」とは,少なくとも楊儀からは「魏延が指揮権を握ったら俺を殺しかねない」と思われるような言動をしていたこと,であることはわかる。
楊儀を錯乱,暴走させた原因は魏延の日頃の態度にあった,のであろう。
しかし,それは楊儀との個人的な話に過ぎない。
目下だがプライドの高い楊儀を,魏延は上手くあしらえなかったことが「身からでたさび」であったということであろう。
>>394 「身から出た錆」っていうのはたんに対楊儀じゃなく、諸将からの人望が薄かった事を指すんじゃないか?
諸将からの人望が厚かったら、いくら楊儀が暴走したとしてもあのような結果にはならなかったろう。
>>394 楊儀が錯乱し暴走というのは君の感想であって陳寿の感想ではあるまい
むしろ多くの現場の将、兵、君主側近は魏延の錯乱で暴走であると感じているからこその結末であろうに
というか、日頃の行いに決定した事項にも関わらず諸葛亮の作戦に不満を言いちらかす行為が含まれないと
したのはどのような用件から?
その短い「日頃の行い」から、側近連中が楊儀の言を重くみた一要因ではないとしたのは何故?
>>396 >君の感想であって
そうだが,それがなにか?
自分の言を「陳寿の感想」と同じだと言ったのは貴方で私ではない。
史書の少ない記述から自分の推論を述べるのが史学だと思うが。
それを「陳寿の意見」だというから非難している。
ちなみに史書には楊儀と魏延の争いを魏延の一方的な非であるという記述はない。
また蜀史全体からも,魏延伝のみでさえも,諸葛亮死後の魏延の行動を非難はしていない。
さらに楊儀伝では「諸葛亮は,平生からひそかに,楊儀は狷介偏狭な性格だから,蒋碗を後継者として考えていると語った」とあり,楊儀の性格に難があったことは判る。
>諸葛亮の作戦に不満を言いちらかす行為が
>含まれないと したのはどのような用件から
ちらと観た所,
>>385のいう「多数派工作」ってのが近い。
魏延は軍師であるため,楊儀や費イ と違って戦略的な意見を言えるし,言わなければならない立場にある。
そのとき,北伐軍の意見が魏延の積極策に傾けば,諸葛亮も無碍に却下はできなくなってくる。
>>397 君は私の意見を陳寿と「同じ事を書いていない」と書き、
その証左に上げたのが「君の感想」なのはどういうわけか?
張翼などは、決議が決まれば不満を述べなかった
これが本来の軍人の姿である
何度も言うが
意見の対立が問題では無く、決議の後の不満を他人に漏らす事が問題なのだ
また、魏延の癇癪的な性格の為、派閥工作等をするような人物に思えない
その証左に多くの人は魏延の前では本心を言わないし、避けているではないか
関羽的な性格だろうかと思うが
派閥工作であった証拠も無いしな、仮に派閥工作だとしても
不満であったとしか思われない程度の稚拙なものとなるが
それは逆に不名誉であると思うがどうか?
癇癪持ちで派閥工作とかしない関羽的な性格ってのは同意だが
そんな否定的に書くこととは限らないんじゃねーの?
勇猛で口だけ野郎うぜーってのは
当時の将軍としちゃ決議に不満を述べない奴より普通だろうから
(まあそりゃ述べないほうが軍人として有能ではあるんだろうけど)
嫌われてたとか政争に負けたのはやっぱ諸葛亮や楊儀なんかと
折り合いつけられなかっただけの理由じゃねーかと思うんだけどなあ
で関羽の頃とは違って自分が下で劉備が死んでたって話
多数派工作したけど負けたんじゃなく
そういうのにこだわらないから付け込まれたというかね
魏延は部下の面倒見とかはよかったんだろ
魏延以上に好き嫌いで動く諸葛亮や楊儀は
馬ショクに責任取らせたり魏延密告したりしてうまく立ち回ってたわけだし
魏延が生前でやったことで色んな意味で一番マズかったのは
楊儀を脅しつけるだけで実際にぶっ殺さなかったことだろうと思う
>魏延以上に好き嫌いで動く諸葛亮や楊儀は
>馬ショクに責任取らせたり魏延密告したりしてうまく立ち回ってたわけだし
>魏延が生前でやったことで色んな意味で一番マズかったのは
>楊儀を脅しつけるだけで実際にぶっ殺さなかったことだろうと思う
全ては魏延が正当な前提で言ってるのと大差ないのな
ここまでくると唖然
別に正当云々なんて言ったつもりはないんだがなあ
政治向きじゃねーってのと侮ってた小物に足掬われたって言ってるんだよ
楊儀自体は魏延いなくなったあと結局失脚するような奴だしな
やたらめったら魏延の性格が非難されてて
どうにもカワイソス
出自もよろしく無いようだし、
長い間漢中にいて、本国の政治派閥とは縁遠かったろうし、
政争の敗北は、性格よりもポジションの問題だと思うけどなぁ。
403 :
397:2006/10/01(日) 18:55:41
子供が風呂に入ってる間に少しだけ。
>>398 >証左に上げたのが「君の感想」なのはどういうわけか
証左は
>>393と
>>394の前段で,正史の記述しかしてないが?
>>394の後段は私の意見だが,説明しないと判らない書き方をしたつもりはないのだが。
読みにくかったのなら誤解は解いておこう。
>これが本来の軍人の姿である
どうも誤解があるが,魏延は決まったことには諾々と従っている。
その上で,更なる作戦立案をしているに過ぎない。
魏延はただの将軍ではなく,前線指揮官兼軍師なのだから。
魏延の軍師としての職責から言えば,結果の伴わない戦略に異を唱え,上策を献するのは当然だし義務でもある。
方針が決まったからといって,その方針では北伐の結果をを残せないとなれば献策を続ける義務がある。
結果として魏延の献策が用いられなかったため,それが正しかったかどうかは不明なので,それは問えないとしても,結果的に成果を残せなかった諸葛亮の北伐の方法に異を唱え続けたと書かれている魏延を非難する理由にはならない。
>実際にぶっ殺さなかったことだろうと思う
バカだろ、こいつ。
悪さしてチクられたDQNの論理かっての。
>>399 「魏延以上に好き嫌いで動く諸葛亮や楊儀は」
楊儀はいざ知らず、正史の諸葛亮の評価は、繰り替えし述べられている
人事の公正さであるのを御存じ無いか?
これを払拭させる考察が「君の感想」だけなのは何故か?
>>403 私の意見の陳寿の言う「日頃の行い」に「諸葛亮への憶病者と不満を言ったりした」事が
陳寿の意図に含まれないとしたのは何?
で、作戦決議の前にどうやって決議が決まった事へ不満を抱くのか?
また、多数派工作への考察への史実的根拠は何?
例えば、魏延と同調した武将が居たでも結構だ
406 :
405:2006/10/01(日) 20:49:29
また、私見である
諸葛亮は魏延に藺相如と廉頗の関係を望んみ、厚遇したし、魏延へ便宜を計ったにも関わらず
魏延は廉頗ほど、精神的に大人では無かったので、理解されなかったのは残念な事だ
であるが、君は魏延は精神的にも大人の対応ができるとする根拠は何か?
費イや夢占いを行った人物(名前失念)が見せた魏延への対応を覆す史実的根拠は何?
決議は一度かもしれんが会議は何度もやるもんだろ
諸葛亮、魏延と藺相如、廉頗じゃ色々違いすぎるでしょ。
諸葛亮が魏延に刎頚の交わりを望んでいたならその考えが間違いだと思うけどそんな話あったっけ?
409 :
405:2006/10/01(日) 21:56:00
>>407 決議に不満を思えるなら決議の後だろうな
違うなら「不満・恨み」といは違う記述となるな
>>408 宰相と将軍。諸葛亮は前線指揮官として働いているが
区々の戦は野戦司令官として魏延に意見を尊重するからこそ魏延をNo.2の位置に置いている
そして諸葛亮は魏延を悪口を取り合わずに信頼、臆病等の陰口も黙殺している
>>409 諸葛亮、魏延の関係は直属の上司と部下。
藺相如、廉頗の関係は官位の上下でしかない。
藺相如の場合は臆病者と呼ばれても覆すだけのエピソードがある。
諸葛亮が臆病とは思わないが魏延を納得させるだけのモノはない。
魏延がどれ程の陰口を言ったか定かではないが
本来ならば諸葛亮はもっと厳格に接するべきだったと思う。
ただ魏延の能力は北伐に欠かせないものであった為に黙殺せざるを得なかったんじゃないかな?
諸葛亮としてはその選択しかなかったと思うが刎頚の交わりを望んでたというのは違うと思う。
ま、諸葛亮も優秀な現場指揮官を切るわけにはいかなかったんだろうけどな
412 :
405:2006/10/01(日) 23:26:31
>>410 魏延と義兄弟のような関係になったというのを見た覚えがあったから探してみたが無かった。
ただ優秀な魏延と健全な関係を望んでいたし、その事が国益に繋がると信じていたのはわかる。
敢然に同じではないが、厳格で公正にも関わらず諸葛亮は魏延には甘いととれる処置をしている
魏延はそのような厚遇は自分の才能から鑑みれば当然だと思っていた事でごう慢になった
これが残念でならない。
というか、遺命にさえ従っていたら
楊儀に足をすくわれる事も無く、姜維の位置になった事だろうに
あとは蒋エン、費イがどこまで魏延を抑えられるかが疑問だが
やや積極性に富む蒋エンとのコンビは夢は広がる
もし魏延が諸葛亮の遺命に従って生きていた場合、
蒋エンとの上下関係てどうなるんだろうな
魏延はあまり政治向きには見えないから、彼が政治と軍事両方で
諸葛亮の後任になるとはあまり思えないので
政治は蒋エンが見て魏延は軍事を見ることになると思うんだが、
そうなるとやはり蒋エンの方が上官になるのかね・・・
414 :
405:2006/10/01(日) 23:47:08
>>413 費イと姜維のような関係になるのではないかと予想される
ただ諸葛亮ならまだしも蒋エンの下に居られるかと癇癪を起こすかもしれないが
そこは蒋エンの性格と費イの調整能力に期待
415 :
405:2006/10/01(日) 23:49:01
可能性は低いが、軍事トップになることで自制心が芽生えるかもしれない
う〜ん
魏延の自尊心が蒋エンの下についても軍事のトップにつくことで
満たされれば蒋エンと魏延の2トップも夢じゃないのかもな〜
蜀みたいな小国が軍事と政治の実権を分ける事は自殺行為だろう、
諸葛亮〜蒋エン〜費イの流れを見てもトップが軍事と政治のトップに立ってるしね。
おまけに官位で蒋エンを上回る魏延を姜維の様に蒋エンの指揮下に置く事は色々面倒だろうから、
多分楊儀と同じくほされて終わりでしょう。
そもそも魏延がトップの器であるとは蒋エンも費イも思わないだろう、トップに足る器だったら
諸葛亮も魏延に撤退を任してるでしょうし。
なんだか悪意あふるる憶測だな。
>>417 >蜀みたいな小国が軍事と政治の実権を分ける事は自殺行為
しかし同じく一州で未だ不安定な時期にあった呉は百官を司る張昭と軍権を預かる周瑜の体制で乗り切ったような…
まぁ関係としては蒋エン:魏延は張昭:周瑜より周瑜:程普の方が近そうなのでやっぱり難しいか。
諸葛亮なんて劉禅を抑えて全権を握ってるんだし、
一歩影に入れば、国賊だの、董卓の再来だの、臆病者だの、
いいだけ言われてて当たり前じゃね?
魏延に限らずさ。
魏延は陰口でなく表でも大声でいうから特記された。
諸葛亮は陰口の存在も理解してるから、持ち前の「公正」さゆえに
魏延だけを処罰することはしなかった。それだけじゃね?
少しはまともに考えてから書きこんでください
このすれって常に貼り付いて
魏延擁護の意見に反論してる
香具師がいる?
自分の都合で劉封を死刑にするように進言したり
お気に入りの馬謖を大抜擢したり
結果馬謖を斬って公正という評価を得たけどやってる事はトカゲの尻尾きり
自ら位を下げ李厳と同列になったにも拘わらず権力は維持したまま
諸葛亮が公正だなんてとんでもない
諸葛亮の歿した後でそれを言った臣がいたけど、劉禅に速攻で処刑されたけどな
核心突いちゃったのか(ノ∀`)
426 :
405:2006/10/03(火) 01:23:14
なぁこのスレの住人に聞きたいんだが
得に魏延擁護とか言ってる人
正史ではって言うぐらいだから正史を元に擁護してると思うのだけど
なんで魏延が完璧な人格者になるん?
それとも俺が読んでるちくまの正史は間違ってるのか?
それと魏延を擁護する為に諸葛亮を貶さなければならないとは思うのだが
好き嫌いで諸葛亮が人事をやったとしても、野戦指揮No2にいる魏延も
諸葛亮お気に入り人材の一人でしかなくなってしまうけど
その辺はどうなの?
>>423 >自分の都合で劉封を死刑にするように進言したり
代替わりした後に制御が不安定になるという理由があるし、
当時はまだ諸葛亮が全権を握ると決まっていた時期ではなく、
自分の都合というよりは蜀及び劉禅の事を慮っての事だろう。
>お気に入りの馬謖を大抜擢したり
これはまあね、ただ北伐の計画者の一人であるし、お気に入りという理由だけでもないだろうが。
>結果馬謖を斬って公正という評価を得たけどやってる事はトカゲの尻尾きり
>自ら位を下げ李厳と同列になったにも拘わらず権力は維持したまま
一応序列では諸葛亮の方が上、また丞相の職務をそのままにしたのは劉禅。
>諸葛亮が公正だなんてとんでもない
以上の点でおおむね公平、相対的に見ればなお公平。
>>426 >それと魏延を擁護する為に諸葛亮を貶さなければならないとは思うのだが
>好き嫌いで諸葛亮が人事をやったとしても、野戦指揮No2にいる魏延も
>諸葛亮お気に入り人材の一人でしかなくなってしまうけど
>その辺はどうなの?
諸葛亮の人材登用の例を見りゃわかると思うがとりあえずは自分の派閥から登用
他の派閥で端役を与えた人間が功績あげたらそれ登用
と言う感じになってるんで魏延は後者のパターンにあてはまるよ思うよ
429 :
405:2006/10/03(火) 07:08:27
>>428 魏延や李厳が他派閥である根拠は?李厳も魏延も最初から重責の場所にいるしな
諸葛亮派閥ではなくて損している人って誰?
というか諸葛亮派閥って何?諸葛亮が重用→諸葛亮派閥な理論だと
どんな公正な人事でも派閥人事になってしまうのだが
馬謖は南征時に参謀として機能していたし、当時の期待の新鋭(馬家の五常)
サプライズ人事が失敗はしたがお気に入りだからだけで抜擢したわけではないぞ?
別に魏延を完璧な人格者だなんて言ってる奴はおらんと思うけどなぁ。
「感じ方」でもって魏延を露骨に悪し様に罵るようなレスが入れば
「感じ方」でもって魏延を擁護するレスが入るのは当然だろ。
405って、真面目に議論してる風に見えて、
所々で「俺の意見肯定しないって事は魏延の評価もっと下がるけどいいの?」みたいな
牽制入れてたりするから、見ていてムズムズする。
431 :
405:2006/10/03(火) 11:17:52
>>430 どこまで擁護したいのかが判らない。
擁護している人の魏延の性格が見えてこない。
どんな感じなの?
私の意見はたぶんに普通に読んだ感想というよりも
そのまんまの文章だが、批判している事になってるしな。
というかいまのところ擁護の人の文章から見えてくるのは
アンチ諸葛亮的意見だけだな。
諸葛亮が悪い奴だからといって相対的に魏延が人格者になるわけではあるまいに
やっぱ陳寿は諸葛亮贔屓だから、魏延は酷い書かれようとかになるのかな?
それなら正史ではという枕詞や、史実的根拠は無くなってしまうけども。
>「感じ方」でもって魏延を擁護するレス
そのレスの擁護の仕方が極端すぎるから405とかは
魏延が完璧な人格者になるのはなぜ?て聞いてるんじゃないのか?
それとも魏延擁護者にとっては420や423は極端でもなんでもなく
公正に評価しているつもりで言っているのか?
それに魏延の性格がわがまま・傲慢と言っただけで
>魏延を露骨に悪し様に罵るようなレス
と取るのもすごいと思うけどな
どれだけ魏延を正当化したいんだ
433 :
432:2006/10/03(火) 11:27:11
>>405 ゴメン。重なったな
リロればよかった…
434 :
420:2006/10/03(火) 13:58:16
魏延の決議後の不平は
赤壁前の孫権の名言?「今後、降伏を口にするものは……!」に言われるように
それだけでも斬首になってもおかしくは無いが、
悪口のほうは蜀の中でも、豪族や益州組を中心に日常茶飯事だたんじゃまいか?
と、言いたかったのだ。
諸葛亮の公正の部分で叩かれるとは、いやはやうっかり。
>>423-245 勉強になりまいた。諸葛亮=公正のイメージですっかり固まってた。
諸葛亮もそうだが、楊儀も清廉な人物とされてたり性格に難ありとされたり一定しないねぇ。
435 :
405:2006/10/03(火) 16:36:55
>>432 自演乙とか言われそうで怖いねw
>>434 鵜呑みにしないで
諸葛亮は劉封が嫌いで言っているわけではなく
曹丕、曹植のような後継者争いになりますよ
特に劉禅は幼少、劉封は勇猛で覇気のある人物です。下手をすれば国が二つに割れますよ。
身内だからと甘い処罰ではなくこのさいやっちゃった方がお家安泰です。
という進言をしているだけ。
三国志の諸侯が倒れるきっかけはお家騒動ばかりを鑑みて
非情ではあるけれど、公正じゃないという進言ではない。
当時新鋭で有能であった馬謖等をサプライズ人事することは
劉備も好んで行っている
典型的なのは諸葛亮や、魏延ですな。
失敗したから公正ではないという意見は変な話。
>>434 もっとちゃんと調べろ
諸葛亮が公正さを称えられているのは法運用の厳正さであり、人材登用の面じゃない
ただ人の言ってる事鵜呑みにすんのはまるで勉強になってないぞ
437 :
405:2006/10/03(火) 17:53:46
>>436 まぁ落ち着いて、伝評を読んでみたまへ
ほれ
信賞必罰「忠誠を尽くして時世に益となるものは例え仇敵であっても必ず賞し」だな
信賞必罰って法家の考え方ですが?
ああ すまんすまん
途中で送信して煽ってるみたいな口調になっちまったな
信賞必罰は法家の考え方ですが?
法の運用がしっかり行われたのは信賞必罰も厳密に行われたってことだろ
人材登用ってのはそこじゃなくて先ず誰を「その功績を上げる機会に使うか」ということ
440 :
405:2006/10/03(火) 19:46:57
>>439 「忠誠を尽くして時世に益」ある人物を高い官職に就けるわけで何か公正さに問題はないと思うが。
宰相職の人間が功績も勤務態度もわからない人物を登用しなかったから公正ではないという事かい?
それは逆じゃないか?
トウシ等の例もあり、才能を見つければ即座に上に上げる。
その才能の見つけ方の公平さには下記の記述もある。
諸事に精通していて、物事に対してはそれぞれ根本を追及し、評価に見合った内実があるかを見極めて、虚偽ある場合は歯牙にもかけなかった。
諸葛亮の死に際しては李厳も廖立も「もう自分が使われる事は無い」
と嘆息したんだから人材登用も公平だったんであろうと思うけど。
>>435 >諸葛亮は劉封が嫌いで言っているわけではなく
>曹丕、曹植のような後継者争いになりますよ
>特に劉禅は幼少、劉封は勇猛で覇気のある人物です。下手をすれば国が二つに割れますよ。
>身内だからと甘い処罰ではなくこのさいやっちゃった方がお家安泰です。
>という進言をしているだけ。
この考え方が既に公正じゃない
関羽に救援を出さず、孟達を離反させ、上庸を失ったから死罪にすべきというのなら一定の理解は出来る
しかし将来の脅威を除く為に死罪にすべきなんていうのは公正な人間がすることではない
別に諸葛亮の進言が絶対間違っていたというつもりはないよ
劉備を例に出しているが劉備は公正な人物といわれているわけではない
私が言いたいのは諸葛亮が特別公正な人物ではないということだけ成功失敗は関係ない
劉備亡き後の地盤の緩んだ状態では関張馬(馬氏は元々か)も昔みたいな使い方はできないし
人はいないし公正な人事を行わないと国が立ち行かないんじゃないかね
>>442 うーん、俺も臣亮の国家への進言としては特に問題は感じないけどな
結果が伴なったかどうかは今となってはわからないことだけどw
これを許せないと思うのは感情論、とても人間らしい
>>442の正義感ではないかなあ
抑えるとこは抑えておくのも公正な判断だよ
許す許さないの問題じゃないんだが…
さらにいえば有能無能、好き嫌いとも関係ない
そういう考えから離れて公正という言葉の意味を考えて欲しい
罪に応じて罰し功に応じて賞するのが公正ということ
446 :
405:2006/10/04(水) 01:29:01
>>445 では、私心から出た言葉では無いとい共通認識はあると考えてよろしいな?
次に未来に対する進言が乱世において重要であるという認識は?
また、企図者ではなく実務者になった時の諸葛亮の陳寿がくり返す公平さは納得できますな?
というか、好き嫌いとも関係なく、そういう考えから離れて公正に正史を見れば
くり返す陳寿の言葉に肯定できそうな気がするけどなぁ
まぁ別にいいんだけど
むろん是とした劉備も公平な人間にはならないのだろうなぁ
447 :
405:2006/10/04(水) 01:32:09
つか、当初は諸葛亮の私心ある派閥抗争の哀れな犠牲者の劉封という主旨から
諸葛亮は「公正さを称えられているのは法運用の厳正さ」だけだという主旨に変わり
最後は「罪に応じて罰し功に応じて賞するのが公正」で、諸葛亮は違うのだと
変わる論点も如何なものかと思う
全部違う人?
俺は
・諸葛亮は「公正さを称えられているのは法運用の厳正さ」だけだという主旨
しか言ってないな
>この考え方が既に公正じゃない
許す許さないの問題じゃないって
冒頭から私心が入ってるよ・・・でなければ現代における一般論か
俺は好きだけどね、そういう物の考え方
でも罪には罰は当たり前
自由気ままな農民じゃないんだから罪が無かった(軽かった)としても
必要な時には命を差し出さなきゃならないのが支配層ってもので
当然そういう覚悟でその場所に立っている、いや立たなきゃいかんのだよ
その辺については諸葛亮はいつも怖いくらい正しい判断を下してると思うな
劉封の件に関しては後々の火種になるかもしれないから
都合の良い機会に消しておこうってことでしょ?
こんなの公正とは言えないでしょ。
もし対象が劉封じゃなかったら?
別に劉封じゃなくてもこの場合は死刑ってことなら公正だとも言えるけど。
要は政治的判断からの粛清の意味も含んでの出来事だし公正さなんてない。
451 :
405:2006/10/04(水) 07:15:19
>>450 基本的に死刑になってもおかしくない罪
才能や親愛の等の酌量によって十分に助かる罪
ちょうど馬謖くらいの罪かなぁ
陳寿も書いてるけど、孟達も指摘するように疑われるような地位に居て
対策無しで帰ったのと言うのも無策だよなぁ
でも、その程度は義子だしという気持ちもわかるな、
劉備泣いてるしな
非情だよな
陳寿の上奏文にダイレクトに諸葛亮は「公正誠実な心」としてあるね
というか敵国の君主だけど見習って下さいって、どこまで諸葛亮誉めてるんだ
陳寿は
452 :
405:2006/10/04(水) 07:32:01
いや、軍令違反ではないから、
戦犯扱いひと一人とされているが馬謖とは違うな
>>405=431
諸葛亮の話に波及するのは、
405が「諸葛亮がこう判断したから、魏延は悪い」という
諸葛亮を価値観の中心に据えた語りが原因じゃないか。
そりゃ、反論として「諸葛亮の判断が常に公平で正しいものとは言えない」
みたいな主旨で発言する人も出てくるよ。
最近世間では諸葛亮は批判されやすい傾向にあって、
反して魏延は同情されがちで持ち上げられがちな傾向にある。
そのへんのトラウマがあるんじゃないかと推察されるが、
このスレは魏延スレという性質から、若干魏延に好意的同情的ではあっても
露骨な諸葛亮アンチ発言で魏延を持ち上げてるようなレスはそう無いでしょ。
諸葛亮諸葛亮と一番こだわってるのは誰か、少し考えれ。
454 :
405:2006/10/04(水) 09:39:25
>>453 えっと、すまないが
「諸葛亮がこう判断したから、魏延は悪い」とはどの事を指しているのだろうか?
ひょっとして決議の結果を魏延が不満や恨みを漏らすのは
軍人として、張翼等と比べても幼いという事か?
405は諸葛亮ヲタなのか…。
諸葛亮スレでも立ててそこでやればいいのになぁ
こうせい[公正]
@かたよりがなく正当なこと
Aはっきりしていて正しいこと
※ちなみに「正当」とは正しくて道理にかなっていること
そして「道理」は物事の筋道
「正しい」とは道理や法にかなって誤りがないこと、だとさ
全くはっきりしないyo!
日本語って語彙が多すぎて詳しく説明しすぎのきらいがあるから
逆にきちんと意味が伝わってるかどうかが判らないよな
実際は理解できてないのに理解した気になってウンウン言ってる状態
or文章から受ける先入観のせいで全く伝わらない状態に陥りがち
それでここも議論が長引いてるっていうか
英語や中国語は簡潔だけど並んでる言葉から語意を理解しにくい
だから会話する際やたら大声や激ジェスチャーで説明してくる訳だが
考えたら劉備と言葉を交わした上で文字をなぞってるだけだと見破られた
馬謖はひどいもんだったんだろうなw
俺はこの件については諸葛公正派かな、諸葛支持はしないけど
誰かといえば魯粛派だし
457 :
405:2006/10/04(水) 19:52:50
あわわわ、オタ扱いで議論終了
おかしいなぁ、魏延を語る上で諸葛亮は重要な人物
この人物の評価を曲げると、魏延もあらぬ方向に流れていくと思うのだが
陳寿が記述している、そのまんまの評価だと諸葛亮オタ扱いか
なんつーかな
ちなみに、誰々オタってのは特に無いな
むろん諸葛亮も大好きです。
ただ、元々軍事素人の諸葛亮が野戦も強かったのは魏延が居たからじゃね?派
このと迎合できるかと思ったのだが、残念だ
>>456 魯粛良いよね、あの不遜な性格、度胸と見通しの良さ
数字コテそろそろうざいです。
自分語りがしたいなら消えれ。
自分の勝手な思い込みが陳寿の記述と同じだと本気で思ってるなら凄いな。
461 :
405:2006/10/04(水) 21:31:36
>>458 同意、そろそろ数字コテうざいと思いますので、止めます
ただ、諸葛亮を考察することは魏延すれでも意味はあるよという事だけでも
ご理解ください。
>>460 勝手な思いこみって・・・
あんだけ諸葛亮伝だけでなく他伝でも繰り返して
そのものズバリ公正って記述があっても
思いこみかよ。
どこまで記述があれば公正な評価になるんだよ
もうわけわかんねーよ
話を元に戻せよ。
諸葛亮存命中の魏延に対する扱いは公正なものだった。
少なくとも有能と認めながら冷遇するようなことはなかった。
これは間違いないだろ。
ご理解下さいってもうアホかと。
魏延貶める理由付けのための諸葛亮の考察を
延々魏延スレでやりゃ、嫌悪されて当然だろうに。
「諸葛亮を否定したら魏延の能力評価も低くなりますがいいんですか?いいんですか?」系の
押し売りトークなんか、なかなか粘着質でしたよ。
はいはい諸葛亮スバラシス諸葛亮マンセー
>>405 諸葛亮に対する「公正」という認識だけなら
諸葛亮伝だけでなく蜀書の各所に書かれているから
そこを陳寿の記述と同じと主張することはおかしくないと思うよ
でも、君が他に主張した意見(劉封の件)もひっくるめて見ると
君の意見=陳寿の記述とは言い切れないから460みたいな突込みが入ってしまうんだと思う
相手が君と議論する気があるなら
君の言いたかった部分が「公正」という部分だと解釈してくれるかもしれないけど
ただ、黙らせるために揚げ足取りをする人たちはそんな丁寧に君の文章を読み取ってはくれないから
あまり不用意に陳寿の記述と同じとは主張しない方がいいよ
>>466 405と同じだったらなんか問題あるのか?
468 :
405:2006/10/04(水) 21:48:56
>>462 えっと、同意ですが?
>>463 ほんと、すまんが
どこら辺を貶めてるかだけをチェックさせてくれ
何を貶められたと思ったの?
>>464 なるほど、了解した。
劉封を笑えないな
ご助言感謝。
で、ダイレクトに自分へのレスが無い限り
コテはやめさせてもらいます
話しの落としどころもテーマも明確で無いまま
延々とシフトトークしてるからウザがられるんだよ。
何か主題があるんじゃなくて
「他人の人物感を否定するための議論」だったら不毛だよ。無粋なだけだ。
405よりも名無しでチラホラ入る諸葛亮至上主義っぽいレスのが気持悪い。
まぁ、数字コテは引き際が肝心だとも思うけど。
個人的に諸葛亮は遺命が公正だと思えないから好きになれない。
結果論で正当化されてるけど、遠征先でTOPの対立を煽るような
撤退命令を自分の死後に敢行させるのは、下策もいい所だ。
>>470 > 個人的に諸葛亮は遺命が公正だと思えない
そう考える根拠は?
どこが公正でなかったのか?
どうしてれば公正だったのか?
テーマは、魏延は人事で冷遇されたか
すげー言い分を否定されたが、405だから仕方がないのか
>>470 公正かどうかはわからないが
「撤退命令を自分の死後に敢行させる」事への
不信感は同意。
なんでだろうね
考えても見なかった。
蜀将が止まってるとこ見るとどうもここに人が流れてきちゃってるんだな
魏延スレにまさかの大量レスでびっくりした
魏延スレじゃなく405スレと化してる
この流れにびっくらたまげたわい!
魏延は悪い言い方すると子供っぽい所が良いんだよな
こう良い事は良い、悪い事は悪いみたいな直球なノリが
ただ信じたら後は一直線だぜ!なわりに結構下調べしてたりね
まぁ最後はやり過ぎ感もあるけどね、全部含めて魏延大好きさ
>>470=472でいいのか?
だとしたら君は、諸葛亮が遠征先でTOP(魏延と楊儀?)の対立を煽るような
撤退命令を出したことを
>魏延は人事で冷遇された
ことの証左とし
>諸葛亮は遺命が公正だと思えない
と主張しているのかい?
470と472は別の人だよ
>遺命
楊儀あたりが捏造でもしたんじゃって言いたくなる程
中途半端な撤退命令だよな。
そんな疑いかけちゃ楊儀が可哀想だからなんだけど。
>>>撤退命令を自分の死後に敢行させるのは、下策もいい所だ。
諸葛亮は対陣中の病死で急死だからしょうがないと思うけどねぇ、
トップ対立を煽る形っても魏延が指揮しても荒れるだろうし、
そこらへんは仲の悪い2人を文武のトップとして位置づけていたツケだろうな。
ただ楊儀に撤退を指揮させたのは部隊編成から軍資供給まで事務を統括していたという、
楊儀が諸葛亮の右腕として軍の根幹に関わってきたからという所もあるかもね、諸葛亮には従ってたみたいだし。
それを考えればまあ妥当っちゃあ妥当だと思うよ。
たしかに結果論だが、魏延に撤退任せても撤退してないよなw
話は戻るが法正を野放しにしたのは公正とは言えなかったかもしれんな。
彭羕や劉封に関しては進言してるのに。
劉備のお気に入り度を鑑みて進言しなかったのならば諸葛亮の瑕と言えるだろうな。
蜀乗っ取りに関しては法正の功績がでかすぎるからだな
諸葛亮にも劉備にも恩人的立場の人
下手すると劉備でも頭が上がらない相手
病死っつっても、計らい方は色々あるだろ。
魏延にも話通しておくなりなんなりすれば
多少は状況違ってくると思うがね
>>484 話を通すって、話は通して無視されてるじゃん
事後連絡じゃん。
急死なんだから前線にいる魏延にはどうしても事後連絡になると思うけど、
楊儀らに遺言を伝えたのも死の直前だし。
また事前連絡が吉と出るか凶と出るかの問題が残る、
楊儀に従えって言い残す場合は間違いなく反発するだろうし、
事前連絡によりその遺言に対しての前準備がなされるかもしれない。
魏延に退却の指揮をとらせる場合では楊儀の反発は必至だし、
こっちは魏延が素直に退却するかどうかという遺言の内容自体に問題が残る。
なんか苦労がにじみ出てるな
一応考えて出した結果ってことなのか
何にせよ遺言は諸将との兼ね合いやらで絶対優先されるものじゃないから
ここが魏延と楊儀、広義では武官と文官の政争の正念場だったんだろうな
まあ何らかの理由で当てにしてたと思われる武官は魏延にはついてこなかった訳で
武官随一の自分が処断されることは無いと判断してたのも甘かった訳で
よく言われる驕りというやつが目を曇らせてたのかもな…
命を賭けていたのかもしれないけど
>>489 >「遺言は諸将との兼ね合いやらで絶対優先されるものじゃない」
それはない、遺言じゃなくて命令だから優先されなければならないものだ
撤退が困難であれば別だが、撤退自体は相手の戦略もあり膠着状態、容易な状態だったので得に
>>487を読んで一理あると思う
しかし
>>480の推論である「急死」である場合は、という前提は付くけど
ところで事後連絡なのかな?死において撤退は既に規定路線であって
その命令が来ただけとも読めるが
これには等量の反論もできるかな
諸葛亮のような大物になると「死」を前提にした作戦は会議で掛け難い
諸葛亮自身でさえ、死を前提とした作戦を事前に打ち出すのは困難かもしれない
それこそ死の間際じゃないと、意識する事すらタブーで難しいかもしれないな
諸葛亮のミスは、自分の死直前にようやく撤退命令を一部の人間限定で発した事かと。
戦争のための遠征なんだから、
事故死とかそういう、不測の事態も折り込むのは当然だし
事前に本国にも話を通して計らっておけば、
問題無く撤退出来ただろうに。
諸葛亮の死の可能性を大多数に事前に知らせると
凄い勢いで士気が下がりそうな予感
主将の死は英雄であればあるほど、兵への影響がでかい
遺言って考慮はされるけど必ずしも優先はされないんじゃないか
呉でも切羽詰った状況下で魯粛と程普が続けて死んだ時
孫権は魯粛(親劉備政策)の指名した厳峻ではなく
呂蒙(親曹操政策)を大都督にしてる
少々派閥争いや政治的背景が読み取れるよ
影響力の強い人間が死んだ瞬間、全員サバイバルゲームに突入
政争に負けたら命があっても官としての人生は終わったも同然だし
普通に考えたら魏延も撤退まではするだろって感じだけど
この機に魏延は自分の方針をアピール→うまくいけば大手柄で間違いなく自分がトップに
いっぽう楊儀は政敵を叩き潰すをチャンスを逃さなかった
伸るか反るか感はなはだしいが
二人は日ごろの確執を見るに肉体的な意味の生き残りもかかってて必死だったんだろう
>>494 それは一度落ち着いてから、改めて指命でしょうに
戦場で作戦行動中に、命令無視でいきなり指揮権を交代を迫るのはあり得ない
というか、君主命令もなく独断は軍法会議なのは間違いない
というか、自らの官の人生で独断するので行動を肯定するのはいかがなものか
同情はできなくもないが、やり方が乱暴すぎる
足をすくわれるのもやむなし
>>494 そろそろ、楊儀も同時に擁護している事実に気づいてください
つーか、魏延が楊儀をぬっころせた場合、蜀が滅ぶ可能性が高い
魏延に反対できる勢力の消失、事実上の武力による魏延独裁政権が誕生
武力で宰相の遺命を無視された事を追随する形になるので朝廷の威信が地に落ちる
やり方に不満を持つ諸将の反発は必至
威信を回復させるには討伐か左遷をするしかない
内乱があれば他国の介入でほぼ間違いなく滅ぶ
まぁ上手くいけば傀儡政権の後に魏延王朝誕生w
>>496 ちょwww楊儀の擁護してるかこれwww
どっちかっつーと中庸に俺は読めるんだけど
もしかして”叩き潰す”って部分か?
仮に擁護してるとしてもそれって問題あるのか?
お前初めてか議論は、力抜けよ
楊儀ぬっ殺すというか諸葛亮没後に魏延が生きてた場合、彼を抑えるために
李厳なり廖立なりが担ぎ出されたと思うけどなあ。
>>494 魯粛の場合は主権が孫権にあるわけだから、後任の人事は孫権の自由でしょ、
魏延の場合と一緒には出来ないでしょう。
諸葛亮没後に生きてるというだけでは何とも・・・
楊儀の末路を見る限り実権の無い職務に廻されて干されるだけじゃないの、
多少なりとも人脈等のバックボーンがあった楊儀でさえああなのに、
そういうバックボーンが楊儀よりさらに弱い魏延なんて余計にだと思う、
諸葛亮生前から与えられた官職に実権は少なかったし。
>499
孫権は自分勝手な任官はできないよ(´・ω・`)
公はいわばシンボル的存在なので盛り立ててくれる諸侯の顔色はうかがわないとクーデターが起きゃう
魏延を孔明の遺言に従わせるには劉禅タソ名義で勅を出し直さなきゃならなかっただろうね
この場合はもう間に合わないんだけど…
>>497 魏延の暴走が官僚生命の問題で仕方がないなら
楊儀が魏延ハブにしてヌッコロしたのも問題無しになる
という事かと
>>501 >魏延を孔明の遺言に従わせるには劉禅タソ名義で勅を出し直さなきゃ
えっ?なんで?逆じゃね?
「魏延が孔明の遺命を覆すには」じゃね?
>>501 それは勢力の派閥とかバランスとかの関係であって、主権が孫権にある事に変わりは無いと思うが?
主君の孫権が家臣の魯粛の遺言に従わなければならない理屈は全く無い。
また叩き上げで子飼いの呂蒙を後継者にしてる時点で結構人事の自由は持ってると思うけど。
あまり呉の話引っ張るのも悪いけど
魯粛の後任人事を厳シュンにしようとしたのは孫権で
魯粛の遺言にそんな指名なかったと思うんだけど?
そもそも諸葛亮の遺言の件と並べる例じゃなくないか?
確かにそろそろ呉の話はスレ違いかもな
だが俺も厳シュンは魯粛の遺言だと思ってたよw
ところで反骨の相って結局どんな姿なんだ?
字面もあって後頭部の絶壁という話で納得してたんだけど
よく考えたら東洋人は絶壁が多いよな
秦始皇兵馬俑の兵士像でも後頭部が出てるのは異民族の像で他のは普通〜絶壁
逆に後頭部が出てるのを反骨だとすると馬超や馬岱は高確率で出てるだろうし・・・
教えてえらい人
なんだと、後頭部が出ていると異民族なのか
俺は異民族だったのか、こぶのように突き出てるし…
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 17:35:02
でも、ヨウギも結構有能だよね。
だから俺は諸葛亮はすごいと思う。
早死にしやがって。使えねぇww
512 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 02:24:53
き‐こつ【気骨】
自分の信念を守って、どんな障害にも屈服しない強い意気。
自分の信念を曲げない強い気性。
・ ―のある人
・ ―に欠ける
類語:
⇒ こんじょう【根性】
⇒ いじ【意地】
⇒ くろう【苦労】
⇒ こんき【根気】
ぉぃ、【気骨】と【反骨】は似て非なるものだぞ
>>511 一瞬判断に苦しんだ後、「楊儀」だと気付いて納得した