7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 09:38:33
10月に反乱が起き、その鎮圧の報が届くのに2ヶ月をようし、
そのころには秦嶺山脈は雪で閉ざされた
>>7 でも215年には曹操は冬に帰ってるよ?1ヶ月くらいずれてるけど。
218年の時は雪で閉ざされてたってのは可能性としてはなくもないかもしれないが、なにかソースとかはあるの?
なんか劉備と曹操の漢中争奪戦について別のスレを立てた方が良さそうな予感。
関羽が動くかもしれんので動けなかったんじゃない?
この頃の魏軍は、まだ予備戦力なんてそんなに無いだろうし
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 11:16:17
漢中を捨てて荊州の動向を見守る方針にしたわけか
>>12 捨てたとは言えないと思うが。
荊州の状況を見守っていてカタがついたと思ったら、ほぼ同時に夏侯淵が斬られちゃったってところだろ?
217年
・法正、漢中侵攻を進言。
219年
・法正、これを討つべしと進言。
>>9 このスレで扱う漢中争奪戦はこの辺だけだしな
>>14 その間、黄忠はどうしてたろうか?とか
その間、諸葛亮は成都にいて劉備の要求に応えるのに必死だったとか
その間の趙雲の活躍は趙雲別伝通りだったのかとかもちょっと語りたい気もするw
>>14-15 スレタイ:漢中をめぐる魏蜀の激突
ホスト規制で立てれなかった、スマソ
そういえば漢中では対夏侯淵、続く対曹操の両方とも山に陣取ってるんだよな。
馬謖は街亭の時にこれを見習っちゃったのかな?
相手に包囲されないだけの大兵力があるから、山に陣取るわけですよ
また糞スレ立ってるな
前スレの1が居座ってトンデモ論続けてる内だけ伸びると言うのがなんとも
>>18 なるほど。
>>19 今のところスレタイとはあまり関係ない流れになってるw
煽りで埋め尽くされる前に漢中スレ立てないか?
結局、法正と諸葛亮の決定的な違いは?
>>23 字かな?
孝直と孔明、2人の気質を表してるような。
馬謖の陣取った山というのが、戦略的効果を持つような、詳しく言えば、
数本の隘路によってのみ通過でき、敵にその迂回を強要させるような、
大きな山地であったのか、それとも、一会戦にのみ影響を及ぼすような、
単なる高地のようなものであったのかによっても違うと思う。
包囲され水路を断たれた、という内容から察するに、戦略的な意味を持つような山地ではないだろう。
とすれば、戦術的な意義しか持たない、単なる高地であったと考えるのが自然。
高地であるならば、そこにほぼ全軍を配置するというのは、愚かと言わざるを得ない。
そもそも会戦での、敵による包囲や突破は、そのまま敗北に繋がってしまうので、
狭い高地に全軍を押し込めるのは合理性に欠ける。
高地の占拠は戦場を把握し易くするし、敵の接近を妨げる防護力も高地に存在するが、
殆どの戦力をそこに集めて、敵の包囲や突破を逆に容易にしてしまっては意味がない。
十分ではあるが、過度にならないよう戦力を配置し、戦術的な軸として使うべきだろう。
>>26 馬謖の話は漢中戦のスレではスレ違いかな、と思ってこっちに書いたんだが、
直前に馬謖の話が出てはいても、このスレでもスレ違いには変わりないな。
漢中戦に関係ありそうな事を何か考えたら、これからそっちにレスする事にするよ。
2いらなかったな。このスレ。法正について語るにはタイトルが微妙すぎるし。
ゲームで法正の能力が低いのが悲しいの〜
できれば司馬懿並にしてほしい
それは過大だろ。程イクぐらいあればいい。
理不尽スレですら法正の知力が95で確定に近い時期があった
誰も反対意見出さないし、あれには呆れたが
やっぱり若死に補正は中々消えないのか。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 00:10:22
ま〜
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 17:41:51
_/⌒ヽ_
ノ\ヽヽヽヽ\
゙、 )二ニ二○)
V/ノ ノハヽ、 ヽ
i | l'┃ ┃〈リ .__
从|l、 _ヮ/从 /ノ)
/∀_ヽ. (/ミノ
(ニつ〈、つ //
/___ゝ  ̄
クカツリョウ
く葛亮 いわく
あなたがたは
ほかに することは
ないのですか
ねーな
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 23:14:01
劉璋に仕えていた頃の法正の地位はどの程度?
劉備に蜀を売るくらいだから大したことはないのか
最初新都県令、その後は軍議校尉らしいよ
劉璋にはあまりよく用いられなかったとある
地位には詳しくないからよくわからんw
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 11:27:35
劉璋にさえ冷遇されたわけかw
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 11:31:08
法正って性格悪いのか?
>>38 195年頃、蜀入り、しばらくしてから新都の令、つまり県の長官レベルに任じられ、
その後召されて軍議校尉だから冷遇とは言えないと思う。
一緒に蜀入りした孟達が、劉備を迎えに行った時の副将であることを考えてもね。
本人的には不満だったにしてもね。
乱世にアホの劉璋が親分ではやってられんだろ
青史に名を残そうくらいの野心はあっただろうし
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 17:19:06
法正も周瑜と同じく諸葛亮が疎ましかったんだろうな
妬み僻みがありそうだ
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 19:10:26
そう思った理由も書いてくれるとおれうれしい
>法正も周瑜と同じく諸葛亮が疎ましかったんだろうな
それは演義での話だな。
正史の記述を見る限りでは、周瑜が諸葛亮を疎んだ事実はないし、
そもそも周瑜はそんなに狭量な人間ではないようだ。
単なる使者を疎ましく思うほど周瑜はけちじゃない
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 03:06:34
周瑜は置いといて、実際に法正はどうだった?
そりゃ昔の同僚を微罪で殺しまくってたというくらいだから狭量の帰来はあるだろ。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 06:39:02
やーまざきいちばーん、やーまざきいちばーん、やーまざきいちばーん、やーまざきいちばーん
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 01:22:34
法正と馬超は同郷で同い年
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 03:52:11
、_人__人__人__人__人__,
、_人__人__人__人__人_, __r‐ 二二ニ=, -‥-、 _) (_
_) (_ / ヽ、 - _ } ftr_ L _) こ 言 策 蜀 (_
_) か い ズ 楽 (_. i/_/´ `ー- 、二匸戈ツ、_〕 _) の わ 士 の (_
_) し た ル し (_ ∨ _,,,,,_} { _,,,,,,,,_`ヽ| 「 \\ _) 孔 し と 乙 (_
_) ら だ し て (_ / ,-。‐、! iヾ , ‐。-、ヽL!、 l }イ _) 明 め 女 (_
_) ! き て (_ ', `二/ ゝ i`ニ彡 ` Y^ヽ _) が た 一 (_
_) (_ / ,イ_^ー'^┘ー、 }フ/ _) ! の (_
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51 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 23:38:34
漢中で降り注ぐ矢の中、体を張って劉備に退却を決断させた法正はかっこいいな
みんな、houseの単語、法正って覚えなかった?
なるほど
ほうせい家を建て、家庭をほめる
houk(ry
なんだかんだ言っても、嫁さん4人いる孔明は、
エロいね。