1 :
1:
まんこ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 00:03:44
ちんこ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 00:05:29
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 01:41:21
もはや語ることなし
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 02:41:57
チョクパリ
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 04:56:03
結構よかったよ、
1549と比べてだけど。
9 :
:2006/06/04(日) 08:11:15
じゃあ、西軍が勝っていたらのif話で盛り上がろうか?
シチュエーションは・・・鉄砲を撃ちかけられた小早川が徳川方へ攻撃したら、
ということで。
>>9 小早川隊東軍攻撃も狂おしいほどさんざん過去に話されたネタ
11 :
sage:2006/06/04(日) 08:44:07
西軍勝ったどーーー!!!
>>1乙
ちなみに当日の兵力。
@関ヶ原全域から大垣城まで含める全軍
東軍約10万1千 西軍約8万7千
A大垣城周辺(守備の西軍、攻めていた東軍)除く
東軍約8万9千 西軍約8万2千
B南宮山の西軍及びその押えの為の東軍を除く
東軍約7万5千 西軍約5万6千
C当初参戦しなかった部隊(東軍家康本隊、西軍小早川ら松尾山周辺の部隊)除く
東軍約4万5千 西軍約3万6千
つまりどの局面でも兵力的には東軍が勝っていた、
よく言われる東軍7万強西軍8万強という兵力は、
東軍はB、西軍についてはAの場合を用いているので明らかに公平ではない。
こういう情勢で西軍は本当によくやったと思う、しかし限界は直ぐに訪れた。
13 :
12:2006/06/04(日) 12:50:13
東軍には秀忠の援軍が約3万8千あって、この後続が到着すれば
東軍約13万9千 西軍約8万7千
となって、さらに差が大きくなる。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 12:52:56
>>9 それで西軍が勝ったであろうというのは、ただの妄想に過ぎない。
西軍にはやる気のない連中があまりにも多すぎる
やる気の低い軍が敗北するのは当然の結果
あの時もっとやる気を出していたら、というIFは現代の俺らもよくする後悔だが
結局は通用しない考えなんだよね
太平洋戦争みたくやったら必敗の戦争だからね
変えるなら関ヶ原を行わない仮定で進めないと
例えば蔚山城に篭城中の清正に三成自らが兵糧を送りに行くとか
三成の職権を越えとるがな
総大将は輝元なんだから
三成達はその指揮に従って動くべき一部将にすぎない
なのに輝元のいない軍議で勝手に関ヶ原で戦うことを決めといて
毛利が参戦しないとか文句言ってる時点でダメダメ
ほう、目の前に敵軍がいるのに大坂まで伺いを立てろと?
これはまた斬新な意見がでたものだ。
敵を目の前にして
・輝元出てこなくていーよー
・金や米が足りねーYO
・どいつもこいつも信用できねー
・このままじゃダメポ
三成君はファビョっちゃってるね
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 19:05:51
目の前に敵軍がいるのに・・・ってのは朝鮮出兵した者達も同じような状況だったんじゃないか?
実際に敵が目の前にいる現場にはその現場の事情があるのに
それを三成が秀吉に悪し様に報告したから反感を買ったわけで
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 20:07:52
,.、 .,r.、
,! ヽ ,:' ゙;.
! ゙, | }
| ゙; i_i ,/
|______ ,r' `ヽ、
|―,.、― ,r.、―‐(⌒)、i" ゙;
| ,! ヽ,:' ゙;. ヽ !. ・ ・ ,! 新スレです
| ! ,! } ヽ ヽ、 x _,r''
| ゙; i ノ ヾ、`''''''''''''''"´`ヽ. 楽しく使ってね♪
| ,r' `ヽ、 l l l
,i" ゙; ! i___| ♪仲よく使ってね
!. ・ ・,! | t,ノ
|ゝ_ x _::' !、、、、、、、、、、! 荒らしたりしないでね♪
|,/"`''''''''''''''"´';, | | |
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|゙''::r--、::--;r' |____|_____|
|―゙'ー-‐゙ー-゙'―┐ (,,,__(,,,____)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>19 総大将は確かに輝元だが、前線での戦闘指揮官である宇喜多がOKだしたら
問題ないんでないかい。
前線に輝元本人がいた場合、宇喜多が勝手に戦闘を仕切るのはまずいが、輝元不在の場合は
宇喜多が差配してもよかったと。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/05(月) 01:54:15
そうだね。宇喜多中納言は西軍副将格だから、輝元不在にあっては指揮権がある。
もともと寄り合い所帯で強権を持った指導者がいない西軍だから、フィクサー
である石田三成の意見が比較的通った可能性は否定するべきではない。
東軍とて岐阜城攻略時は家康の叱咤があったとはいえ、家康不在の環境下で、福島・
池田らの諸将は自分達の軍議において陣割と作戦遂行したんだしね。
一人芝居で盛り上がる?
ンモー ──- 、⌒ヽ
(___ノ( )
(ノ ー | /
ンモー _\ [・][・]─--6 / / ∨ ンモー
v∠二__ \ ⊂ ソ / ̄丶 ̄ ̄ヽ
/ ヽ \ (!!!!__ / /ヽノヽ丿\ノヽ/
!ノ ー | |\ ヽ、 // !ノ ー |∴: |
と゚ ゚ レV.V.V \∧∧∧/ と・ ・ |∴:|
(__,,_ 9∴ノ . ..< ン > (__,,_ 9∴ノ
ゝ、_` __ソ . .< モ ..> ゝ、_` __ソ
 ̄! ! .< │ >  ̄! !
─────────< の .>──────────
,ンモー、 < 予 > ─── 、 ⌒ヽ
⌒ ヽ .< 感 > (___ノ( )
(/ ̄ ̄ ̄ ` 、 # /∨∨∨\ (ノ ー | / 相変わらず
|ノ ー し / / ̄ ̄ソヽ\ □-□──6 / ンモーなヤロ共
c゚ ゚ つ( / (///ル( )\ ⊂ ソ
(___ ( / (ノ ー | / \(__,,_ /
ゝ、 ` / □-□--─6 / \ ヽ、` /
/ ⊂ ソ \
ンモー (:.:..:____ \ |
 ̄ヽ、` |
28 :
鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/06/05(月) 20:54:59
(´・ω・)村越茂助の口上エピソード(扇で彼を煽り、誉めたやつね)は、正則の豪胆さを表す話というよりも、彼のへたれぶりを表す話と捉えたほうが自然。
だって冷静に考えたら、そうでしょう。
換言すれば家康は「オマエラを信じてないよ。そんな状態で出向くのは恐いよ」といってるわけだ。
これは実に女々しい発言ではないか?
小山会議にて上方にいる妻子を捨て殺しにしてまで家康についてゆく、と誓った奴らに対してあまりに失望させる発言だとは思いませんかい?
それを聞いた時、諸将の中には「おのれ内府!我々の覚悟を疑うか!」と激高した奴も内心いたんじゃない?
しかし正則がそういった感情の奴らを打ち消すごとく、「もっとも」と村越を誉めたため、その場は丸く納まった。
もはやこの時点で正則は心底、家康の犬だな。
表面では村越を誉める余裕を繕っているが、心中は「やっべ!家康を怒らしてしもうた!」と震撼してたんじゃないの?
仮に村越が「殿は病気で遅れます」と口上したとしても、正則は「そうか、ならば内府がくるまで、我々は先に攻めておきますぞ!」という風な発言をしてたんじゃね?
結局、奴はこの時期、すでに狸の言いなりだよ。
(´・ω・)と、自分いっておきながら、そう考えると伊奈図書事件で矛盾してしまうな…
しかし関ケ原の戦功第一を自負する正則にとって、家康への追従を忘れるほど、許せない事件だったのだろう。
あとは、関ケ原以前までは欲に狂っていたが、いざ関ケ原後になってみると、
「自分はとんでもない怪物に手を貸してしまった」と予想してた事とはいえど、あまりの状況の変化に恐くなってしまったんじゃないのかな。
その結果、あの不可解な事件が起こったのかも…
正則は三成憎しであった
合戦に当たって、総大将の着陣を待つのは原則
ただし総大将から先陣を命じられたら突き掛かるのが当然
家康と正則らは完全な主従関係ではないため、家康が念を入れて「忠誠度」を確かめた
家康もびびっていた
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/05(月) 22:35:25
輝元が出陣していない時点で西軍に勝ち目は無い
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/05(月) 22:38:00
毛利元就
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/05(月) 22:57:01
なんで西軍8万 東軍7万なんて訳分からん兵力非がまかりとおってるのかが全く謎。
だれか教えて!
兵数がわからないから全部デタラメ
わかっているのは島津の1500と秀秋の8000だけ
35 :
鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/06/05(月) 23:04:58
>>30 (´・ω・)正則は三成をそこまで憎んでいたのだろうかのぅ。
彼は日本軍が破竹の勢いであった文禄の役では、対して苦労をせず戦功をあげ、帰国したら清洲24万石を手にいれた。
朝鮮の役は正則にとって、運が開けた誠にメデタイ戦だったのではないか?少なくとも朝鮮役は彼にとってつらい思い出ではないはず。
苦戦したほうの慶長の役は、彼は運良く渡海してないし。
…まあ嫌いだったのかも知れないが、清正ほどではないかと。
正則が三成にひどい事されたエピソードある?
晩年、正則は三成に対して自分が間違っていた懐述をしてなかった?
正則が心底、三成を嫌ってなかった表れじゃないかな。
もし清正だったら死んでも思いつかない境地じゃないかな。
と勝手に新解釈をしてみました。
>>35 三成襲撃に参加したのでは?
恨みがないのに襲撃?
>>37 正則「いや、あれは虎があまりにも強引に(ry」
>>38 虎だけが三成嫌い?
じゃあ関ヶ原も虎が無理にということでいいのでは?
正則が最初に、東軍に着くといったのは演技?
>>36 根拠はって、島津は島津家の書状、秀秋は三成の書状の中であるんだが
後は陸軍参謀歴史編纂部による、島津に課せられた3人役の計算
加藤や福島だって領地の没収はされていないわけだし
最も三成に恨みがあるのは小早川ということになるな
小早川も会津征伐に真っ先に駆けつけて最初から東軍として戦っていれば
名声はだいぶ違ったものになってただろうに
秀吉から叱責されてるじゃん>福島、加藤
清正「あのへいくわい者は生かしておけんわ!なあ市松、おぬしもそう思うだろ!?」
正則「え?…あ、ああ!も、もちろんだ虎よ!あの才鎚頭を串刺しにしてやろうぞ!」
清正「そうだ!その意気だ!ようし襲撃だ!」
正則「…」
てなシチュエーションを妄想してみる。
>>42 (´・ω・)あ、正則も三成のチクリで叱責されてたんですか。
不勉強ですいません。
つまんねー妄想を他人に披露すんなカス。
オナニーしたいならチラシの裏にでも書いとけ。
>>45 (´・ω・)おやすみ、もう寝ます。また明日ね。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 00:35:42
おまえら、あの不自然極まりない一連の三成ざん言(チクリ)しまくり説を
鵜呑みにしとるんか?!一応「史料」にあるからなあ・・というかも
しれんが、徳川時代に徳川に都合良く書かれなければならないことを
義務付けられたような文献などに簡単に洗脳されるな!
歴史を盲信するな!歴史を疑え!「史実」は必ずしも真実ならず。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 00:56:57
秀吉厨もね、
太閤記の類は全然あてにならないから
>>40 三成の書状ならば正しいという保証はないのでは?
陸軍によれば、他の大名の兵力も出てるけど?
他の大名の兵力は島津に課せられた軍役を基にして算出したと、
明治に編纂部発行の関ヶ原役に書かれてるだろ
>>33 関ヶ原に関する古記録を見てみると、様々なエピソードも含めて
西軍が多かったとするものばかりで、東軍が多かったとする史料はない。
以下のように兵力の記録がないわけではないが、
これらも内訳が細かく記載されているわけではない。
1,東軍5万 vs 西軍8万 (イエズス会年報)
2,東軍7万5千 vs 西軍10万8千(内府公御陣場覚書)
3,東軍7万5千 vs 西軍12万8千(関原軍記大成、改正三河後風土記など)
でも「勝った方は味方はできるだけ少なく、敵方はできるだけ多く申告するだろう」ってことで、
「東軍7万5千・西軍8万」という線が一応妥当なんじゃないかと思われている。
その一方で、現在流布している関ヶ原の各大名の「兵力」は
参謀本部が100石=3人役で「仮に」算出したものがベースになっている。
(家康・忠勝・義弘・秀元を除く)
この計算だと西軍は8万になるが東軍は10万を越えてしまうので
ハッキリいって変なのだが、かといって確定的な史料があるわけでもないので、
これ以上突っ込んで考察する人は今までいなかったんだな。
西軍が多いというのもないと思うのだが。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 11:51:57
旧帝国陸軍・参謀本部戦史研究部門の資料は確か江戸初期の軍役制度から算出
したんではなかったっけ?
まぁ現代では、おおよそこの程度の兵力であっただろう、という仮定しか出来ん
わけで、あんまり深堀しても意味なさげ。
あ、でも小早川の兵力15000説は帝国陸軍の数多いあやまちの一つだろうw
誰かが上でいってるように8000が石高(筑前・名島30万石)からすれば順当。
>>53 同感
陸軍算出で概ね正しいのではないか
小早川は8000
>>53 (´・ω・)なるほど30万石ではたしかに1万5千は無理ですね。
なんでそんな大きな数に伝わってしまったのだろうか・・・?
なにか理由があるとは思うんだけど。
56 :
53:2006/06/06(火) 13:45:23
>>55 どうなんだろうね。
なんか関ヶ原後の黒田家かどっかの石高と取り違えたとかだっけ?
何か、なるほどと思える理由あったはずだが失念・・・。
ご存知の方、ご教授請う。
だからさ、関ヶ原の兵力は、陸軍の編纂部が『関ヶ原役』に島津家に会津征伐に出された軍役の
100石につき3人役を全国の大名に当て嵌めて算出したと書かれてるだろう
小早川秀秋は筑前名島36万石で計算上は1万800人、だが書状で8000人と書かれてるって話
陸軍が算出間違えたのは、秀秋を筑前名島52万石で計算したから
そうして考えると、朽木らの裏切り連鎖が起こらなければ、
兵力的には大谷隊はもっと善戦できたかもしれないんだな。
大谷が善戦出来たとは別の話
いやいや、
朽木ら4000+大谷隊なら兵力的にも何とかなりそうじゃね?
ってこと。
それ以前に朽木らは味方しません
都合のよいタラレバ繰り返せばどんな逆境も覆せる
(´・ω・)4人の中で、戦の開始前から家康に内通を申し入れていたのは脇坂ダケダッケ?
>>61 いやだから、8000ってのはそこまで圧倒的な数字じゃなかったね、といいたいだけだよ。
別に西軍が勝つとか、そんな事は言ってないし、
小早川と共に脇坂らは裏切るのは、戦地でありながら傍観している事を見ればわかる。
65 :
53:2006/06/06(火) 17:28:49
>>57 ありがと。
>>61 まぁ松尾山近辺のIF条件がどうあれ、結果は覆らんとはおもうけどさ、
小早川の寝返りから脇坂らが西軍に矛を向けるまで若干のタイミング・ラグも
ある訳で、その間に大谷勢がより一層の奮戦を展開したり、宇喜多勢がたとえ
2000程度でも良いから開戦前に対小早川の備えとしての支隊を編成してればね。
宇喜多は明石掃部の前衛のみが6000余の福島勢に対していた訳だしね。
どうせ宇喜多の後衛は開戦初頭から終盤近くまで東軍とは、ほとんど干戈を
交えてなかったわけだし、惜しいとは思う。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 17:59:01
小早川を1万5千で計算して
東軍8万9千、西軍8万4千
らしいので、もし
小早川が8千だった場合は
東軍8万9千、西軍7万7千
になり、かなり戦力差があることになる
>>61 >朽木らは味方しません
脇坂と朽木はともかく、赤座、小川あたりは怪しかったと思うがね。
怪しかったとは?
>>68 (´・ω・)赤座と小川については、裏切る直前まで、なんの根回しもしてなかったのは不覚ではないかな。
不覚というより戦況に大差ないから放置されてたというべきでしょ
講談ネタで悪いが、朽木か脇坂が戦後に家康から返り忠が遅くなって申し訳ないって言ったら
お前みたいなショボい兵力がどう動こうが大差ない(プゲラって話あるじゃん
良くても西軍に味方しない、ひたすら傍観ってところだよ
基本的に小大名だし、家康だって関ヶ原の西軍の布陣を事前に完璧に予測
できないし。
>>65 いくら一度小早川隊を押し返したとはいえ、それは、大軍の上、内応状態からの進撃だったから隊列が乱れてただけでしょ?
大谷隊以下にあれ以上の奮戦はを望むのは酷かと。
>>70 (´・ω・)んだね。いつの世も弱者切り捨てってことかのぅ…
(´・ω・)東軍諸将は戦場で小早川隊の裏切りをみて、ぶっちゃけ、どんな感情をその時に抱いたのかねぇ。
まさかって感じだよな
とくに黒田隊なんて天地仰天の極み
つーか松尾山に独断で陣取ったから両軍とも判ってたんでしょ、少なくとも日和る事は
黒田から検分役が秀秋の陣に派遣されてたんだが・・・
徳川からも目付行ってるしね
小早川だけなら、意外と持ちこたえたかもしれないぞ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 19:49:05
小早川が東軍に寝返っても、脇坂も朽木も赤座も小川も西軍に加担していれば
小早川 VS 脇坂・朽木・赤座・小川・大谷・小西
の構図になるから、意外と耐え抜けた可能性はあると思う。
最初に押し返した部隊とはまるっきり戦力が違うから小早川隊単独でも押しつぶされてたでしょ
無理無理
もう見苦しいからやめなよ
>>79 それなら小早川が潰れる
そうじゃなくて、4将中立でも、持ちこたえたかもってこと
奥平貞治は秀秋の目付じゃないぞ
もうさんざん語り尽くしたから
西軍の惨敗をせめて惜敗ってことにしようとする書き込みはもう以降は禁止ね
虚しいだけだから
もうさんざん語り尽くしたから
東軍の大勝をせめて辛勝ってことにしようとする書き込みはもう以降は禁止ね
虚しいだけだから
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 21:56:16
関ヶ原に陣築いて堀作って大砲や銃火器を配備して兵糧蓄えて東軍を待てば勝った!
小早川が撃退される=西軍勝利ではないのだが?
もしそうなら西軍は勝っているが?
92 :
77:2006/06/06(火) 23:26:06
>>89 そうなんですか
小早川内応時に徳川目付けの奥平籐兵衛討死の記述があったからてっきり小早川隊の目付けかと勘違いしてました
中途半端な知識で混乱させてすいません
「奥平貞治は小早川隊の目付じゃない」なんて
>>85=89の妄想だから、気にするな。
>>92 関ヶ原軍記大成では奥平は小早川の陣にいた事になってて、
松井だっけ?が寝返りに反対して、貞治に兵を預けて去っていき、
貞治は大谷の陣へ突っ込んで討死となってる
けど始末記や卜斎記では奥平貞治は福島などの目付の一人として帯同し、
大谷勢との競り合い中に討死したとあるんだよ
要は話を盛り上げる為の創作って訳だね
これは関ヶ原の話が軍記大成をそのまま受け取られてるから、ある意味しょうがないかと
>>90 石田隊は柵作って、大砲等銃火器備えて東軍迎えうったのに破れた
そうか、野戦に重要なのは堀だったのか
>>95 >始末記や卜斎記では奥平貞治は福島などの目付の一人として帯同し
それはあなたの思い込みではないですか?
少なくとも「慶長年中卜斎記」や「関ヶ原合戦始末記」には、
奥平貞治が福島隊の目付をつとめたという記述はありませんよ。
福島隊の目付と書いてないけど
福島や京極、藤堂の左翼の目付の一人と書いてるよ
他では福島らを一番備として、その目付の一人ともある
そもそも合戦中に奥平貞治が動かない秀秋に家康の意向を伝えに松尾山に登り、
また動かない松野主馬に注進して、主馬の揮下の兵を譲り受けて突撃なんて、
展開として無理ありすぎ
付け加えるなら奥平貞治が秀秋の目付となってるのは軍記大成だけだよ
秀秋の軍勢の中で討死したというのもね
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 03:28:04
加藤清正も福島正則も単細胞のアホ。
清正は1611年の会見のときに秀頼を守ろうとしてたがおせえんだよw
11年前に気づけや。三成が泣いてるわ
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 04:38:53
↑別にいいじゃん、
豊臣家なんかなくなったところで誰も
困らない、むしろ民衆にとっては喜ばしいこと。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 04:44:24
そりゃまあ民衆は豊臣政権の贅をつくした無駄にうんざりしてたからなぁ
>>99 >福島や京極、藤堂の左翼の目付の一人と書いてるよ
>他では福島らを一番備として、その目付の一人ともある
「慶長年中卜斎記」「関ヶ原合戦始末記」両方手元にありますが、
福島や京極、藤堂の左翼の目付とも一番備の目付とも書いてありません。
何か別の史料と勘違いされていませんか?
>そもそも合戦中に奥平貞治が動かない秀秋に家康の意向を伝えに松尾山に登り、
>また動かない松野主馬に注進して、主馬の揮下の兵を譲り受けて突撃なんて、
そりゃ確かに無茶ですが、「合戦中に」「家康の意向を伝えに」とか
「主馬の揮下の兵を譲り受けて」とか、そんな記述見たことありません。
何かの間違いでは?
貞治は合戦開始前に秀秋を監視するために派遣されたんでしょう。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 07:53:26
>>102 よかねーよ!
前田利家、加藤清正、福島正則の三人は少なくとも、豊臣家のために滅ぶまで戦いつづけるべきだった。
それぐらい秀吉から施しを受けたはず。
なによりも、それが「義」というものだ。
秀吉は生前、彼らに義の教育を怠った。関ケ原の敗戦はそのツケだ。
前田は少なくとも最後まで豊臣家の為に尽くしたと思うがな。
卜斎記や始末記には目付とはないね
でも家康の西上に帯同した中に奥平貞治の名前があり、福島らについていた事から、
十分目付とは推察出来るよ
慶長年中卜斎記
大谷刑部少輔備前中納言平塚因幡…思ひ思ひの高名也
始末記
去程に同日の辰刻より合戦始て先陣…出雲守ば高名する
いずれも何と書いてあるでしょうか?
いつの出来事でしょうか?
>貞治は合戦開始前に秀秋を監視するために派遣されたんでしょう。
そんな記述はありませんよ
大成には目付ともありませんよ、何かの間違いでは?
というか言葉使いを変えても文体同じなんで
いつ罵倒じみた事いうのかヒヤヒヤもんですね
こんなこと言うと別人だからと言い切られるんでしょうが
>>105 「義」なんて儒教的な言葉、概念なんて当時の日本で知ってるやつのほうが少ない。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 10:29:31
結局、加藤主計頭・福島左衛門大夫・浅野紀伊守などは関ヶ原を家康の天下取り
とは認識出来てなかったんじゃないか。
黒田甲斐守・細川越中守なんぞは、よく分かった上での行動かと。思うに多くの
中堅以下の大名や田舎大名たちは家康の野心を理解していなかった可能性あると
おもうんだが、どうだろうね。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 11:15:29
認識するもなにも元々は上杉征伐、
三成が動かなければ天下取りの戦いに
発展していない、
家康にとっては受け身の戦い。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 11:35:17
それは俺も常々思ってた
なんで遥かに若い三成は家康が死ぬのを待てなかったかなぁ
上杉が潰されそうだったり清正とかに狙われてたりと
色々大変だったとは思うけど後を継ぐのは秀忠さんですよと
放っておけば家康一代で徳川家も終わりだったのにな
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 17:05:39
民衆第一主義の清正は、最初から家康や三成みたいなアホは相手にしてないんだが?
>>112 中立ってのは一番賢いようで、
一番愚かな選択なんだぜ?
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 17:50:02
まあ加藤家の末路を考えれば自明だな。
みっちゃんは当時失脚してなかったか?あのままほっといても家康が順繰りに
大老叩いて乙りそうなんだが。
116 :
鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/06/07(水) 17:57:16
>>111 (´・ω・)三成が奉行職から失脚。前田利長が失脚。それでもって次が会津征伐で上杉景勝を屠ふろうとしているわけだ。
@会津征伐が完了したら次は宇喜多、毛利に牙が剥けられることは明白。
大どころをあらかた潰したら、あとは豊臣恩顧を潰す。そうなったら豊臣家をどう扱おうが家康の胸先三寸。
この方法なら豊臣潰すのに1615年までかからないかと思う。
史実の豊臣家を潰すのに関ケ原後15年間もかかった理由は、外様に大領を与えすぎたためではないか?
秀頼をないがしろにした途端、外様が組んで歯向かってこないとも限らない。
だが@の方法(個々撃破作戦とでも言おうか)なら、秀頼の名のもとに、大老筆頭として粛々と、大した抵抗もなく次々と政敵をかたずけることができ、15年もかかるまいよ。
当然、ここまで家康が仕上げたら、たとえ後継ぎが「秀忠」でも徳川天下は揺らがないでしょう。
史実の三成は「こうなってはからでは遅い」と危惧し、まだ宇喜多、毛利、上杉が健在なあの時期に反旗を翻したのだと思うよ。
※ちなみに家康が天下を仕上げる前に病死でもした場合は、家康の奴はきっと、世継を「秀康」にしたのではないかと言ってみる。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 18:36:14
>>109>>110 福島たちの視点からだと豊臣恩顧の
文治派VS武断派の抗争に大老の支援を仰いだというだけではないか?
自分たちこそ豊臣天下のメインで徳川も毛利も所詮外様を
豊臣の争いに担ぎ出しただけとおもっていたとか。
>>111 そりゃまてないだろ。
上杉征伐してしまえば家康が天下の軍勢を総動員するという
既成事実が出来る上
残す大老は宇喜多 毛利だけ
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 19:09:11
司馬懿が東軍を率いて、孔明が西軍を率いていたら
結果は、どうなっていたと思う?
>>118 そんなことはどうでもいいから、早く死んで。
120 :
名無し募集中。。。:2006/06/07(水) 19:25:14
加藤福島は十分豊臣家存続のために尽くしただろ
豊臣政権の存続と豊臣家の存続は違う
前者は明らかに無理があるし
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 19:28:51
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 19:36:38
清正>>逆らえない程の壁>>糞漏らし家康
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 20:09:59
各個撃破? 次は宇喜田、毛利?
なにを根拠にみなそのようなことを論
じているのだろう。
前々から思っていたがそんなにうまく
いくものなのか?
それは、家康の過大評価であり、天下
を取ったことから逆算した後付け理論
ではないのか。
家康以外に治められる者はいない
これで良かったんだ
>>107 なんだかよくわからないけど、ずいぶんと嫌われてしまったようですね。
嫌われついでに一応レスしておきます。
>卜斎記や始末記には目付とはないね
やっぱりそうですか。あなたの推測にすぎなかったと。
>でも家康の西上に帯同した中に奥平貞治の名前があり、福島らについていた事から、
>十分目付とは推察出来るよ
「書いてある」と断言するのと「推察できる」じゃ、ずいぶん違うように聞こえますが。
そうならそうと、最初からそう言ってくれれば良かったのに。
>大成には目付ともありませんよ
これは事実誤認ですね。
関原軍記大成 巻之二十四 内府公岡山御出馬
「前後の兵数総て七万五千三十余人なり。岡山の御留守は堀尾信濃守忠氏勤むべしと仰出さる。
此時奥平監物定勝入道道久が五男、奥平藤兵衛貞治を筑前中納言秀秋の陣所へ遣わさる。
是は秀秋裏切りの時、戦功を糺し給はん為めの御目附なり。」
関原軍記大成 巻之二十五 筑前中納言反忠附奥平貞治戦死
「秀秋の先鋒三百騎、死憤の兵に駆立てられ、
松尾山の麓へ披き靡く輩廿九人、創を蒙る者五十人に及べり。
内府の御目附奥平藤兵衛は、高名して其首を御旗本に送り、猶先鋒にありて戦いけるが、
味方の兵士崩るゝとき、比類なき働きして討死す。
此時、藤堂高虎以下の諸将も、大谷が先鋒木下山城守・大谷大学頭と相戦いけれども、
利を失ひて引退く。」
>>125 >「書いてある」と断言するのと「推察できる」じゃ、ずいぶん違うように聞こえますが。
>>95 >けど始末記や卜斎記では奥平貞治は福島などの目付の一人として帯同し、
>大谷勢との競り合い中に討死したとあるんだよ
↓
>>98 >少なくとも「慶長年中卜斎記」や「関ヶ原合戦始末記」には、
>奥平貞治が福島隊の目付をつとめたという記述はありませんよ。
↓
>>99 >福島や京極、藤堂の左翼の目付の一人と書いてるよ
>他では福島らを一番備として、その目付の一人ともある
目付の一人として帯同しとレスしたら、福島隊の目付を勤めた記述ないと指摘したから
福島や京極、藤堂の左翼の目付の一人と書いてると返答したんだよ
大成のは174Pとか完璧見落とし
それで慶長年中卜斎記と関ヶ原始末記もあるんでしょ?
なんで比較しないの?
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 20:58:39
>>125 まあ確かにそのことは誰もが気が付い
ていたと思う。
内容といいスレのつき方といい、明らか
におかしいもの。
知識自慢もほどほどにしないとね。
>>123 そうだね。
家康個人を過大評価していると思う。
根本的には秀吉が織田家との同盟関係を律儀に守った家康をものすごく信頼して、
徳川家に広大な領土と強大な権力を与えてしまったことに尽きるんじゃないか。
秀忠に代替わりしてもそれほど状況は好転したとは思えない。
福島正則だって秀忠の代につぶされているけど、
逆らう気力すらなくメソメソするだけだったしね。
>>125 慶長年中卜斎記と関ヶ原始末記が手元になければこちらが書こうか?
>他では福島らを一番備として、その目付の一人ともある
他の史料では
大垣藩地方雑記
一番備 関ヶ原町西大関村境迄ニ
福島左衛門大夫 同刑部大輔 京極侍従 藤堂佐渡守 有馬玄蕃頭 山内土佐守 田中兵部少輔
以下四人目付 伊丹兵庫頭 村越兵庫頭 河村助左衛門 奥平藤兵衛
庵主物語
一番備 関ヶ原町西大関村之堤迄
福島左衛門大夫正則 同刑部大輔正之 藤堂佐渡守高虎 田中兵部少輔吉政 有馬玄蕃頭豊氏
京極侍従修理大輔高政 山内対馬守一豊 伊丹兵庫助 村越兵庫助 河村助左衛門 奥平藤兵衛貞治
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 21:45:37
石田と小西と島津義弘が軍議したときに義弘をなぜ兵数が少ないからと軽んじたのだろうか?
朝鮮での武勇は知れ渡ってるはず。俺が石田なら義弘は心強い味方と思うんだけど。。
九州土民相手ならまだしも義弘なら言葉は通じるでしょ。もったいない
相手が朝鮮土民じゃないから。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 22:07:31
義弘に発言権などない
島津の当主は義久
弟で軍事を掌握してたとはいえ義弘は陪臣だから
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 22:08:22
西軍は劣勢だったので、下手に疑って味方を減らすようなことは避けたかったのだと思う
だから、小早川や吉川のような信用できない奴でも出陣させざるを得なかったのかもしれない
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 22:11:55
>>132 なるほど。。。あくまで陪臣の身分か。。
だから兵もなかなか都合つかなかったのね(´・ω・`)
島津家内では義久、豊臣政権では義弘。
義弘は陪臣扱いではない、両頭体制。
両頭なんて史料をヒネた解釈で読んだ後世のこじつけ
なら義弘が陪臣だったのを立証すればいい。
>>130 そもそも関ケ原の発端の一部が、豊臣奉行の朝鮮半島での武功の軽視から始まったので、島津ごときには発言権は無いと石田方は思ったんじゃない
内務畑としては、領地を切り取ってない戦に戦功など無いと考えられる、与えられる物、領土も既に国内に無かったんじゃない
そもそも無いから国外に出ていった訳だし
>>126 「福島や京極、藤堂の左翼の目付」であって「福島隊の目付」ではないってこと?
よくわからないなあ。まあいいけど。
>>129 やはり「目付」の根拠は別の史料でしたか。
(庵主物語には目付とはありませんけど)
しかし「大垣藩地方雑記」・・・いつごろの成立でしょう?
名称からすると、明治以降の史料のように思えます。
それから、これらの史料の信憑性ということになりますが、
特に山内一豊と有馬豊氏が福島正則と共に「一番備」にいることが気になりますね。
慶長年中卜斎記や関ヶ原合戦始末記では、遠江衆は南宮山の毛利勢に備えたとしていますが、
この記述を否定するほどの史料とも思えません。
>>139 それで慶長年中卜斎記や関ヶ原合戦始末記は手元にないの?
あるんじゃないの?どっちかはっきりして
信憑性や成立年代での話なら尚更慶長年中卜斎記や関ヶ原合戦始末記の方が、
関ヶ原軍記大成より古く高いけど
目付に関しても説明したし、慶長年中卜斎記や関ヶ原合戦始末記の内容に触れない理由がわからない
つうか島津兄弟は秀吉が仲違いするよう仕向けてるからな、三成にしても信用
ならん奴らだと思ってたんじゃないの?
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 10:12:45
朝鮮戦役の論功行賞は秀頼成人まで凍結じゃなかったか?
>>123>>128 大老職の前田利長はこじつけの恫喝めいた宣戦布告で屈服させたわけだが、
前田征伐に当たっては家康は大老筆頭の要職にある立場を利用して大老職ら
に帰国を勧め、家康の意見に反対し得る毛利・宇喜多・上杉+当の前田らが
上方を離れた後におもむろに征伐決定を下した。
このようなやり方な上に奉行の石田治部・浅野弾正らを失脚せしめたわけで、
当然、他の大老たちは次はわが身と思うのは当然ではないだろうか。
ポーランド・ベネルクス諸国を国際批判を浴びながらも、のらりくらりと
侵略したドイツに対してフランス・イギリスは当然、連合してこれに当たろうと
考えるのは、むしろ自然な流れだと思うが。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 11:49:26
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 12:03:04
ワロタ
>>142 (´・ω・)同意です。
会津征伐後に宇喜多、毛利に攻撃目標が移行する、という考えは過大評価でも、歴史からの後付け理論でもなんでもないですね。
「なにを根拠に」という意見もありますが、あの時期から律儀者の仮面を脱ぎ去って横車&開き直り野郎に豹変した家康が、
宇喜多・毛利を捨て置く、という「根拠」を探すほうが困難かと思いますがね。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 12:43:32
>>146 そうですね。ごく普通且つ自然な発想ですな。
前田・石田・浅野の失脚なぞは毛利・宇喜多・上杉には他人事に見えると
考えられる事の『根拠』を聞きたいくらいですね。
別の例を挙げれば清国の欧米列強に侵略されるのを見て、当時の日本は
開国を急いだということも同様。当時の清国の有様を傍観して他人事
として無関心なら今の日本はあるまい。
往時の英首相ネヴィル・チェンバレンとて様々な検討のうえで宥和政策を
取ったはずだが何も考えないで他人事と判断できると思うのは如何かと。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 13:32:08
家康が専横を極めたというのもどうかな、
既得権益にしがみつき勝手なことをして
いたのは他の大老、奉行ではないか?
家康は諸大名を守るがわに回り彼等と対立
していただけ。
別に宇喜多、毛利、上杉が既得権益を享受していたとは思わない。
三成にしても秀吉の後楯を良いことに大禄を食んでいたわけではない。
唐攻めも、積極的に三成が煽ったわけでもない。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 14:55:46
政権の中枢にいるということがすでに
既得権益なんだけれどね
五大老の専横云々以前に、会津〜関ヶ原に限定すれば
豊臣から兵浪米を捻出させ勅許も得ている家康の前には
弾劾できる要素は何もないだろう。家康を更迭可能な上部機関は、判断不明瞭な幼君なわけだし
逆に下部がやれば豊臣や朝廷に弓引く逆賊になりかねない
結局西軍は「内府ちがひ」を出した時点で決戦以外の選択肢を全て失ってるんだよね
決戦以外に家康を打倒する術がなかったとも言える
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 15:35:55
それだけ無能だって事。家康の死を待つ方が利口
家康が死ぬ前に他の大老も秀頼も排除されると感じたんでしょ
実際、三成も排除され、前田は屈服し、宇喜多は内部分裂でガタガタにされてんだから
大老連中も三成も死神じゃないから人の死期なんてわからん罠。
色々考えると豊臣も四大老も、関ヶ原に持ち込むしか家康に勝てる見込みがなかったのは
既に戦略的敗北だわな。家康はじっくり腰を据えて各個撃破してけば
いずれは天下が取れるんだし。いっそ関ヶ原スレをやめて、晩期秀吉の政策検討スレでも
始めたほうがいいかもw
それなら簡単、秀次処刑の時に家康も連座されそうになったが、危うく切り抜けてるのを
切り抜けられないようにして減封処分で一安心
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 16:13:03
「危険だから早めにつぶすしかない」
アンチ家康派の矛盾と言うか一貫性の
なさと言うか、もうあきれるね。
秀頼を潰すときは散々言っておきながら
家康を潰すなら何やってもかまわない
って言っているのだから。
>>158 何かとてつもない勘違いと解釈をしているようだが、考察スレ向きではないよ君
秀吉在命時に家康を処断するのは、ほぼ不可能でしょう
秀頼誕生後は尚更ね
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 16:59:51
>>159 一方の立場でしか物事をみないで都合の
いい理論を並べる人が多いから言ったまで。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 17:11:49
家康の死を待てって言ってる人いるが、それは家康が権力を握ったら人変わりして
急に友好万歳にでもならん限りあり得ない。
仮に石田・宇喜多・毛利・上杉らが関ヶ原を起こさなければ、家康は大老筆頭として
太閤在世時の非を鳴らして石田家を改易、宇喜多は家政不行届として減封程度は、
即座に実行可能だろう。
前田・宇喜多・石田を屈服させた後ならば毛利・上杉を難癖つけや言いがかりなど
何とでも料理できよう。その後に秀頼は考えればよい。
・・・とここまでは誰でも考え付く内容だが、ここまで考えてなお家康の死を
待てるのはまともな組織指導者じゃあないよな。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 17:19:24
徳川が大老の一人を滅ぼした、他の大老
は次は自分の番だと思った。
この文は主語が徳川から豊臣にかわって
も成り立つと思うのだが。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 17:23:52
>>163 ん?これは秀吉が明智・滝川・柴田と片付けた当時の事?
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 17:34:14
>>164すいません、
わかりにくかったみたいですね。
つまり西軍が徳川を滅ぼしたとして、
他の大老は安泰かということ、家康がいなく
なればバランスも変わるわけだし、
166 :
鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/06/08(木) 17:35:50
>>143 その映像を見て思い出したが、
たしかに家康って律儀者でもなんでもないよね。
彼は「強いもの」に対して律儀なだけだね。
てゆーか前田家失脚にみる彼の横車を押す癖は前々からあったよね。たとえば第一次上田合戦なんか良い例。
北条との講和条件に勝手に沼田を差し出すことを約束して、
「そんなわけだから、沼田を渡せ。替地は後で考えるから。」と一方的に昌幸にナメた通告した。
当然、理不尽な要求を蹴ると、替地を検討するどころか逆切れして討伐軍を起こすでしょ。
およそ律儀者と言われる行動ではないね。まあ弱小に大して律儀である必要はない、と言われればそれまでだが・・・
以下チラシ
↓
あとは毛利吉成(勝永の父)が豊臣政権下の奉行だった時、裏から手を回して家康のために不足していた材木を
調達してあげたことがあったよね?(講談ネタだったら謝る)
関が原合戦後、西軍に組しても改易にならなかった者や期間をおいて罪が許されて大名に復帰した奴らもいる中、
なんで吉成はシカトなんですか?まあ吉成は山内家で配所と思われぬ待遇で過ごしたとしてもなんで家康は彼の存在をスルーするんですか!!
この恩知らず!!しかも彼の死後、せめて勝永をせめて取り立ててやれば、恩を報いたことになるのに、それもしないで15年間スルー。
だからそのツケが返ってきて、勝永に本陣を突撃されるんですよWWWWWWWWWWざまあ見さらせWWWWWWWWWWWW( ^∀^)ゲラゲラ
そりゃ勿論その通り、ただあの時点で一番強い家康が精力的に潰してるから
手が組めただけで。
昌幸舐めてたって、従属した挙動の定まらない有力豪族に対して試す目的での条件だしただけだろう
断れば史実のように軍送って潰せばよし、従えばそれはそれで良し
強い側の理論でやってるだけで律儀とか、そういう話じゃなかろう
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 17:59:00
457 :音速の名無しさん :2006/06/04(日) 03:49:53 ID:KNbWvBlI
あのさ、おれも君たちの大嫌いな在日だが。在日3世。
別に嫌われようが何されようがこっちはどうでもいいよw
日本という国における「楽して稼げる職業」は在日・帰化人が握ってるし(笑)
金あるから在日でも日本人女とやりまくり。さらにはレイプしても全然バレないw
あと数年で日本の参政権も取得できるし(爆)
俺達はもうお前達みたいに毎日毎日職業とか将来とか金の心配なんかしなくていいよw
バックに総連や創価学会がついてるし、働かなくても行政から月20万の金入ってしねw
今俺達が考えてるのはもっと大きいこと。
いかにしてこの日本という国をボコボコにいじめ抜いてやるか、ってこと。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 17:59:57
つまり、日本の中に、俺たち朝鮮人、韓国人の血を増やして在日を増やす。
んで日本人を少数派にしてその日本人をいじめたおす。んでこの国を乗っ取る。
今はもうその最終段階に入ってるわけ。
平和ボケした危機感ゼロのお間抜け日本人は気づいてないがw
例えば韓国ブーム。あれは在日が作ったって知ってる?
あれだけ大規模なブームを作れるくらい、もう日本の中で在日の力は最強なんだよ。
自分達を地獄に導いてるとも知らずに毎日毎日テレビで韓国をヨイショしてくれる本人w
韓国ブームのお陰で在日や韓国人へのマイナスイメージがプラスイメージになった。
そして日本人が韓国人や在日と結婚する数も圧倒的に多くなった。
つまりもうあと30年で日本は完全に在日主体の社会になるよ。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 18:00:44
たった100万人に満たない在日に使われる1億人の日本人w
お前ら糞日本人に一生地獄の生活を見せてやるよw
どう?ムカムカする?(爆)
でもせいぜい今みたいに2ちゃんで数十人ぐらいがチョン死ねって言うぐらいだろね(爆)
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 18:09:31
糞が主食のチョンは一匹残らず37564になるから、僕たちも安心だね。
>>168 まあね。
ただ小土豪が大勢力の傘下に入る理由は本領安堵が目的なわけでしょ。
「どこどこに兵をだせ、金をだせ」と軍役を課す分には、昌幸も従うしかないが、「所領をよこせ」という小土豪の根幹を揺るがす命令は聞けないでしょ。
百歩ゆずって渡したとしても替え地も与えないというのであれば、なんの為に家康傘下に入っているかわからないじゃない。
といいつつ、
>>168の指摘は否定しない。小土豪なんざ、どう扱おうが構わないね。
>>166 >あとは毛利吉成(勝永の父)が豊臣政権下の奉行だった時、裏から手を回して家康のために不足していた材木を
>調達してあげたことがあったよね?
ありませんでした。少なくとも一級資料には全く出てこない話です。
>>173 基本的に賛成だが、「小豪族なんてどう扱ったってかまわない」と言い切れるほど
の権力はほとんどの戦国大名は持ち得なかった。どんな有名な大名も、小豪族の
扱いには心を配っている。しなかったやつは逆らわれて殺されたりして愚者扱いを
受ける。
それこそ上で出ていた家康と他の大老の関係だよ。小豪族ひとつひとつは小さいが、
ひとつの小豪族を理由なく理不尽に軽く扱うと、他の小豪族たちが「自分も同じ扱い
を受けるのでは?」と疑心暗鬼にとらわれる。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 19:26:57
>>165 5大老のうちで傑出していたのは
前田(利家)
徳川家康
小早川隆景(一時大老だった)
この三名でもない限り豊臣をひっくり返せる
面子とは思えない。
まあそれはともかく、実際の話徳川を処分したとして
前田は完全に没落し恐らく宇喜多の後塵を拝するほかなくなるだろう。
で宇喜多がかろうじて豊家家門だが、こいつのがんばりにかける他無いわな。
西軍総大将にして筆頭大老 毛利輝元
徳川打倒の殊勲にして次席大老上杉景勝
が東西の二大巨頭として宇喜多の上に位置するのは間違いなかろう。
で上杉と毛利がぶつかるとは思えない。
両者はテリトリーも違えば全国津々浦々を制覇したいという欲求など
あるとも、思えないし、出来ない家柄。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 19:48:19
で、164は豊臣が上杉毛利を潰すんじゃまいか?
ってことだろうが。
結論的に言うと無理。
理由は戦後処理の段階で豊臣が主導権をもてないから。
西軍発起に時点から考えれば分かるが西軍も
決して豊臣正規軍じゃない。
大老奉行の連名であり秀頼は抑えていたとはいえ積極的協力をうけていない。
家康が豊臣の名を使い勝手に都合のいい
所領配分を決めて自分に有利な天下を招来したようなことが
西軍首脳にも可能なわけで・・・
西軍首脳のうち
エケイは毛利と気脈を通じるだろうし、小西は九州以外に口出しできん。
増田は内応疑惑があるので積極的発言は無理、長束も積極的働きをしていない。
上杉は上方から遠いし無関心。
毛利の場合吉川の内応がある。
石田が復帰してくるが、彼は表では西軍の首脳に参加していない。
宇喜多の場合、お家騒動と不始末で恩賞は必要
このような連中の合議で、豊臣家など無視して決められる
勢力配分と大名配置が豊臣家の天下を磐石にしたものと
思えず、
そして秀頼成人の間まで政務を代行するのもこいつら。
石田や宇喜多が秀頼の恩ために努力するというのはないとおもう。
関が原前後の経緯から考えて宇喜多&石田と淀殿サイドは
あまり良好な関係をもてないであろうから
宇喜多や石田が積極的に豊臣家を棚上げしてしようとしかねず
毛利や上杉は宇喜多&石田と取引して豊臣家を骨抜きにする
機会があると思われる。
長文スマソ
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 19:53:15
そういうことじゃないんだけどね。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 20:14:03
西軍勝利(家康討死・徳川家改易)という条件下においては、豊臣家の相対的な
権力は減衰していると思われ。
既に太閤在世の頃より、豊臣家は武家の棟梁という制度的な位置づけではなく、
武家社会そのものが貴族社会化の兆しがあり、大名家の統制に関しては多分に
太閤個人のカリスマに拠って立っていた感がある。
そうした中で太閤薨去し、はたまた配下大名達が争闘を繰り広げる状態は既に
政権としての態をなさない、といっても良いかと。
過去スレでも散々議論されてるから割愛するけど、普通に言って毛利・上杉・宇喜多
・島津の諸侯系大大名や所領を増やすであろう石田・小西ら豊臣官僚系大名との確執
は予想されるが、大体において諸侯による連合政権のようなイレモノにお飾りと
して豊臣家当主が据えられる、くらいが穏当なIFだろうか。
家康がいない場合
替わりに豊臣をひっくり返すくらいの突出した者はいないかもしれないが
どうせ豊臣には従わずにめいめい勝手に動きはじめるだろう
でもって各地で切り取り次第の戦が始まる
そして豊臣にそれを止める力はない
即座に豊臣にとって代わる者がいないからといって豊臣の天下が安泰とかいうのがそもそも間違い
家康が秀吉の言いつけを破ったときに何もしなかった豊臣は終わってる
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 21:00:07
豊臣恩顧の武断派は豊臣を捨てていたのか先見性なしの只のバカなのかどっちなんでしょうかね?
後世から見れば馬鹿だがその時代では豊臣VS徳川ではなく文治VS武断だからしょうがない。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 21:20:58
く ろ だ が居るぞ!!
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 21:23:29
質問です
細川忠興・浅野幸長・藤堂高虎などは武断派ですか?
全員武断派でしょう。浅野は親子ともに石田三成を憎んでたみたいだ。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:05:50
>>180 諸侯連合政権がイコール天下泰平ではあるまいよ。
>>181氏が言うように室町
幕府も末期は諸侯はめいめい勝手にやってるだろう。そういう意味での仮定だ。
まぁそもそも間違い、などと締めくくる貴方のご高説を受けたまわりたいもの
だな。
>>181 そうですね。私個人の意見としてはそうなるのかなと。
ただ足利ほど長くは続かないだろうけどね。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:11:42
小早川隊が裏切った後さっさと西軍が退却したらどうなった?
殿は大谷隊600で
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:14:19
>>190 西軍は残存部隊(石田、島津、小西、宇喜多 +南宮山3万)が近江で田辺攻城部隊1万5千と大津攻城部隊1万5千と合流して佐和山に籠城
もしくは徐々に大坂へ撤退。
しかし裏切りはかなり出ると思われ
>>183 結果を知ってる現代の人間からしてみれば勝ち負けはともかくとして、
家康が豊臣を潰そうとしてる事を完全に見抜いていた石田や大谷、宇喜多、直江、真田(真田は徳川が嫌いなだけか)は頭はいいな。
それすら気づかないで打倒石田に燃えてた加藤や福島はバカ
いくら石田憎しとはいえ家康が豊臣から天下を奪おうとすることに気づいていたら石田側についてるでしょ。
はなから徳川が天下を取るだろうと予測した上で家康側についてたわけでもないわけだし。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:15:18
淀「大坂には入れません!」
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:16:43
>>183 細川忠興は?
なんかこの人物、親父ともども好きになれん。あとなぞが多い
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:35:49
細川父子は分かってたんじゃないの。
明智の寄騎だったのに、いざって時に秀吉に加勢するのは情報収集と分析、そして
決断力に相当以上長けてないと出来ない。
実際、細川氏が明智につかなかった事が他の大小名には少なからぬ影響及ぼし
たわけだしな。
関ヶ原でも良い先物買いをした、というところか。
そういや、幽斎・忠興に三成絡みのエピソードって聞かないな。
>>192 徳川が天下を狙ってるのは余程の馬鹿でない限り分かる
徳川が天下をとってもいいと考えていた恩顧たちも多いことを忘れてはならない
逆に会津に向かえば三成が挙兵すると見抜いた家康がすごいと思う
反家康派の筆頭とはいえ三成は20万石の官僚にすぎない
戦で強い奴に挑んだ武勇伝や軍団を指揮した経験もほとんどない人間が
自分に挑んでくる度胸を持っているとよく見抜けたものだと思う
当時の人からすれば「三成ってこんなに勇気のある人間だったのか」
と驚いた奴も多いのではないか
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 22:48:50
別に西軍は豊臣家のために挙兵したわけじゃないだろ
単なる主導権争いで毛利も宇喜多もこのたぐい
三成も蟄居するハメになった自分自身の復権のため
負けたおかげで(それと大阪の陣が後に起こったおかげで)
秀頼を守るために殉じたことにされて不必要に美化されてるだけ
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 23:08:17
決めつけておられるが根拠はあるんかい?
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 23:13:00
そうだね、上杉なんかも越後の旧領回復
を狙っていたわけで決して豊臣に忠正心が
あるわけじゃない、
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 23:24:59
まぁ東軍諸将も家康の為に挙兵したわけじゃないしね
毛利・宇喜多・上杉らは座して死すよりは、、、ってのがハラのうちに
あったと思うが、総論賛成でも各論はね。
>>200の言うように上杉は
いくら加増とはいえ旧領越後を手放さなければならなかったの痛かった
はずだしね。ただ上杉の場合は、あくまで東西手切れが長期戦になる事を
期待し、またそれを念頭においた越後奪還であって、越後奪取を実現する為に
西軍に参加したのとはニュアンスが違うとは思うがどうだろう。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 23:35:33
>>202 会津征伐のそもそものきっかけは越後に
入った堀秀治が一揆に悩まされ、これを
景勝の扇動によるものとして、家康に訴
えたことに起因している。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 23:44:06
>>198 たしかにそう考える方が自然であり正しい
歴史解釈のような気がする。
秀頼のためなどというのは物語のなかの
脚色にしかすぎない、
現に豊臣は西軍を支持していないわけだし。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 23:51:03
>>202 そりゃもう東西の雲行き怪しくなってるんだからさ。
一揆煽動できる旧領越後はそれぐらいやるんじゃないのかな。
会津七口のうちの一つでも東軍侵攻の可能性を減らせれば残った六ヶ所
に兵力を集中しやすいしね。
>>202は、景勝が越後奪取を企図⇒越後一揆煽動⇒会津征伐発動という流れの
上杉が領土獲得を目的で始めたのが原因というご意見ですか?
>>192 完全に見抜いていたかどうかはわからないぞ
清正は最初、西軍として参戦しようと書簡とか送ってるでしょ?
>>183 豊臣家への忠誠心はそれなりにあったと思うが、
関ヶ原で思いがけなく大大名になってしまったので、
後は子孫にこの地位と財産を継がせたいと願って
ひたすら保身に走ったということなんじゃないかな。
彼らは彼らなりに賢い人生を送っているつもりだったのでは。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 08:14:12
>>207 別に東西関係なく、当時の大名の全てが保身に走ってたじゃん。もし保身に走ってない奴がいたら教えてくれ。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 08:22:45
刑部
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 08:53:57
大名限定で。
小西
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 11:18:41
小西って関ヶ原で何で弱かったの?
朝鮮での武功が帳消しになるくらい弱かったなコニタン
無知糞コテがうざいな
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 22:38:12
鳥屋
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 23:31:42
秀信?ああ尾張と岐阜二カ国の大名にしてやるとそそのかされたやつね
家康に直談判した時の吉川は保身しなかったと言えるのかな?
それまでは保身の塊だったけど・・・
吉川も毛利を見捨てて周防・長門を独り占めするくらい狡猾だったら
悪としての輝きを放ってある意味大物と評価されたろうに
中途半端な忠義は持つものじゃないね
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 09:44:27
>>219 というか、最初から徳川は周防・長門を吉川じゃなく毛利に与える
つもりでいたのでは?
逸話自体が吉川を弁護するためのやらせの工作の匂いがする。
あの時点で、そのような毛利潰し発言したら
毛利が背水の陣で立ち上がると思う。
そうなりゃ徳川の仕置きに不満な連中も一斉に動きだすだろ。
関が原の合戦の余韻も冷めてない状況でそんなことやれば
家康が勝っても天下をまともに収められてない・・という懸念が
でてくるし。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 10:09:13
>逸話自体が吉川を弁護するためのやらせの工作の匂いがする。
これはどうだろ。そこまで徳川が吉川に遠慮する必要性がないと思うが。
ただ毛利家改易だけはないの確かだ。御説の通り毛利120万石が立ち上がれば
島津も立ち上がるだろうし宇喜多・長曾我部の残党も蜂起する可能性あるわな。
幕末と同じ流れだな。
西軍はみな弱いよ
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 16:06:29
だって文官の集まりだもん
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 16:12:37
小西行長の対戦相手って寺沢広高と織田有楽斎だったよなぁ?どっちも雑魚じゃんか
質問だけど、何故、寺沢広高は九州の小大名なのに先駆けて会津にむかい東軍になったの?東海道の山内一豊・田中吉政なら徳川領に近いし仕方なしって感じもするけど・・・・
武将派だからでは
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 18:27:19
武将派ねぇw
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 18:56:31
義のない勝利は虚しいもの。
家康が痛感したことはその一事。
このスレに屯ろするクズどもにも肝に命じて欲しいわけだが。
義のない勝利で家康はなにひとつ得るものがなかった。なんにも得てない。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 19:00:37
>>225 たしかそうだよ。漏れも聞いた。
しかし恩賞に肥後一国と言う時点で
コニタンが人の財布に手を突っ込むきか?と
毛利輝元に談判してお流れになったそうな。
その時点で石田三成嫌いが東軍武将の理由というのが
うそ臭いと感じたな。
槍一辺倒の堅物なんだから肥後一国でもありがたいと思えよ
逆にいえば肥後一国じゃあ秀頼を守れないと思ったわけだ
なんとチープな忠義心よ。秀吉もないてる
233 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 19:26:01
>>232 いや清正は肥後を半分こしてる隣の小西うざいから(とは直接的に言えんので)
しっかり働くんで肥後一国くれよと主張
毛利は加藤が味方になれば東軍切り崩しとか九州の戦況とか非常に有利
に働くと考慮してOKしたが
小西が漏れの領土を勝手に恩賞にするなと主張したわけで
実際加藤が西軍だったら面白かったと思うだけに残念だな。
学研の某IF小説にもこのネタが一向に出てこないのが
不思議とイヤー不思議だ。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 21:11:06
ほぅ、そんなエピソードがあったとは初耳だな。
とすると関ヶ原戦役時に九州に在国したままってのは頷けるな。
清正像からは程遠い中途半端な中立って線が考えられるな。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 21:22:30
清正が西軍なら確実とは言わんが90%西軍勝利な希ガス
俺的に
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 21:40:39
肥後一国が小西が不満というなら美濃・三河・遠江・駿河のうちから
40〜50万石って事とにしときゃ良かろうに、毛利中納言も大将が必要以上に
遠慮してどうしたものか。何のために石田・増田・長束ら奉行衆がいると
思ってるのか・・・。
これだけの恩賞あるなら加藤清正が西軍として参加したかもなぁ(妄想)。
もし西軍参加したとすると、小西と同じ方面には展開せんだろうからや、
はり毛利元康・立花宗茂・鍋島勝茂・筑紫某と同じ伊勢方面か。清正いれば
小早川はともかくも鍋島は脱落しなかったかもと更に妄想・・・。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 21:40:52
ドラクエシリーズで最も重要な呪文はなんだろう?
私はピオリムだと思う。
まず雑魚敵を含めて、モンスターの素早さが全体的に高い。
特にボス戦ではほとんどのボスが、最も素早いキャラと
同等かそれ以上の素早さを誇っている(レベルを上げなければ)。
そのためパーティーの行動に、不規則に敵が割り込むことが多く
回復のタイミングが掴みにくい上に計算を邪魔されやすい。
しかしピオリムを一回唱えれば、大抵全員が敵の素早さを安定して
上回るので、計算通り戦闘を進めやすくなる。
また通常の戦闘の場合、雑魚敵は倒すのに大体1ターン以上かかるので
2ターン目に先行された場合は計2回の打撃を受けることになる。
だが1ターン目にピオリムを使っておけば、2ターン目は先行でき
敵の攻撃を1回受けただけで、2回目の攻撃を安定して
加えることができるのだ。
つまり(こちらより素早さが高い)敵の攻撃を一度無効化するに近いので
回復呪文を唱える回数も減り、しかも敵を安全に倒せる。
MP消費は少ないし、回復呪文の使用頻度は落ちるしで
私はほとんどの場合、1ターン目にピオリムを唱えている。
清正が西軍方だったとしたら九州がほぼ西軍一色で毛利は更に大軍で上洛したかもな
西国の大名方も吊られて西軍に付いて完全な東西対決になってたりして
>>234 毛利輝元が大坂に行くときに清正に声をかけたら、
「大和一国くれれば味方する」と回答したという話は聞いたことがある。
家康に対しては「肥後一国ほしい。でも豊臣家蔵入地は含めないでね」
と言ったらしい。
清正には「自分が政局のキャスティングボートを握っている」
という意識があったのかもしれないな。
だから双方に自分を高く売り込もうとした。
逆に清正の要求を輝元が飲んで
怒った小西が東軍に付いていたら?
私的見解で申し訳ないが、関ヶ原での島津の動員の少なさ、
小西の動きの少なさ、清正の肥後からの不動は、朝鮮役の疲弊で、
小西も島津並とは言わないが、かなり少ない兵力だったんではなかろうか?
行長と清正は最初から最後まで最激戦区で戦ってたのだし。
清正が動かなかったのは両天秤にかけてたのもあろうが、
動けるだけの軍勢を揃えられなかったのではないのだろうか?
経済的には疲弊してたろうね、詳しい人フォロー願う。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 23:54:05
島津は経済的に疲弊していた。
そのうえ島津一族はほぼ反豊臣派。しかし徳川も好かない。
ということで、どちらにも介入しないと決め込んだ島津義久。
そのとき、上方の義弘は親豊臣であったが兄の意見をとって東軍に参加しようとする。
そんな時に、伏見城代・鳥居元忠に拒否されて怒って西軍に参加。
だから動員少なくてもおかしくはない。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 23:55:27
>>243 ゴメン 兄の意見じゃなくて独断だった。
「豊臣家の大老筆頭は徳川家康。ならば東軍に大義があるであろう。」と判断
>>243 島津は関ヶ原時は伊集院一族がまだ反乱中だったし余所に軍出す余裕も無かった品
しかし鳥居元忠の伏見入城拒否ってほんまかいな
死人に口無しで罪をなすりつけただけかもよ
7:3で嘘だな。
「俺、東軍に着こうとしたんだもん、でも籠城させてくれないんじゃ孤立して全滅じゃんよ。
それじゃ西軍につくしかないじゃん、俺、悪くないよね(´・ω・`)」
って言い訳だろ。
247 :
徳川家康:2006/06/11(日) 00:22:33
/ ̄ ̄ ̄\
/ / \ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ・ ・ | < しゃねぇな だって島津健全だし 強ぇし
| )●( | \________
\ ー ノ
\____/
248 :
鳥居元忠:2006/06/11(日) 00:24:11
/ ̄ ̄ ̄\
/ / \ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ・ ・ | < さげるぞおめーら
| )●( | \________
\ ー ノ
\____/
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 00:27:08
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;輝元ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
うまくいきゃ毛利幕府実現できてたのに・・。
島津が徳川を好かないというが関ヶ原前は島津に対して何も悪いことはしていないはず
関ヶ原で豊久を殺したがそれは孤立して前進退却を命じた義弘の責任だろうし
島津義弘は徳川につこうとしていた
伏見城代・鳥居元忠に拒否されて怒って西軍に参加。>ネタ。
>>245 >>246 正解。
島津義久=親豊臣。
島津義弘=親豊臣でも親徳川でもない。
253 :
秀元:2006/06/11(日) 01:13:36
島津義弘と三成の繋がりは長いから、その関係だろ
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 01:31:39
>255 義弘の独断では。
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 01:37:12
三成は島津降伏の時に便宜を図ったんでなかった?
佐竹なんぞもその縁。
関係が長いくらいで、味方しないだろ
なんで独断で決めるのか?
どういう状況判断なのか?
>>257 それが理由なら島津全体が西軍のはずだが?
関係長いだけでしないだろと決め付けてもな
関ヶ原なんて人間関係の繋がりで構成されてるから
義弘が三成と親友だったということか
語弊かもしれんが感覚的には長い付き合いのお得意様なんじゃないの
鳥居元忠の島津籠城拒否は事実。
死人に口無しはウソ。旅客機の墜落事故じゃあるまいし全滅ってことはありえない。
夜陰に紛れ脱走した奴や、捕虜に取られた奴、落城のどさくさでなんとか逃げおおせた奴、何人かはいるはず。
島津義弘のような高名な武将が表れたら、城内で噂になり足軽の端々まで伝わるはず。島津もウソはいうまいよ。もし虚偽の発言をして、なおさら不利な立場になりたくない。
実際、家康は島津の発言が事実かどうか綿密に調べた。もし虚偽であったら即とりつぶす口実にしようとした。しかし数名の生き残りが義弘の来訪を証言したので、不問となった。
>>259 義久=反豊臣(豊臣政権に非協力的、豊臣政権もそれを踏まえた上で大隅に飛ばした)
義弘=親豊臣(非協力的な義久に代わり、薩摩に義久と同等の知行を得る)
>>263 鳥居元忠の島津籠城拒否は事実だが、しかし・・・
島津義弘が鳥居元忠の暗殺を狙っていたという説もあるそうだ
(鳥居元忠は、それを知っていたから島津の籠城を拒否したということらしい)
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 09:04:16
>>265 >島津義弘が鳥居元忠の暗殺を狙っていた
それでも、籠城拒否の正当理由にはならないよ
島津だけでなく小早川も入城しようとしていたらしい
小早川の兵の数と島津の策略が加わると伏見の時点で西軍を倒していまいかねないので
家康が西軍を倒す場面を作るために鳥居は拒否した
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 10:36:51
267 ソースはあるの?あの時点で西軍あぼーんで家康はOKでしょ。
>>254 そりゃあ、周りが皆西軍なんだから、無理に抵抗したら全滅じゃあないか。
西軍にはそういうのが沢山いる。小早川なんかもそう。
そういう連中が真面目に戦うはずがないんだよ。
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 12:42:04
>>270 東軍か西軍かはともかく、
義弘の上方での行動を承認はしてないと言う点で、
島津は割れていたと言えるかもしれん。
好意的に解釈すれば、決定的に介入しないことで家の保全を勝ち取った。
>>275 義久が東軍なら義弘の首を差し出せばいい
割れているのなら
>>277 それは二つの点で愚策。
一つは、義弘が積極的に西軍へ荷担した事を認めることになる。
二つは、その事を外交案件として徳川の介入を招きかねない。
上でも語られているが、
重要なのは、あくまで義弘個人がやむを得ず西軍に荷担し、しかも本戦でも積極的に兵を動かしていないという事。
領主、義久は不介入でしたよ。
その仕置き、義弘の桜島で蟄居は島津側が下すことで、領主の家臣に対する裁決は済みましたよ。
これ以上なんか文句有ります?
と非は認めながらも、突っぱねてる。
>>278 やむをえずじゃなくて、積極的に参加したのでは?
>>278 義久が東軍ならば、西軍の首を出すのが当然
割れていたのならばな
>>276 心の底ではね。
そもそも決起の計画なぞ事前には知らず、
決起した西軍に関所で足止めされて西軍に参加させられたのだから、
少なくともその時点で心から西軍につくなんてことはありえない。
まあ、その後の心理的な動きは推測するしかないが。
島津の敵中突破は、武門の意地では無くて
三成らが敗走した伊吹山方面は東軍の大兵力が雪崩れ込んでいたから
後退するのが無理な状況だったから、東軍の兵力が手薄な南宮山方面に前進したわけで
その結果、家康本隊の側面を通過して退却することになったに過ぎないだけで
あの場面では現実的な選択だったけど、後世になって武勇伝になったらしい
まぁ島津以外にはできない退却ではある
捨てカマリなんて他家の武士にやらせようとしたらストライキか逃亡だろ
忠義心が恐ろしく高くないと無理だろうな
できるとしたら島津と徳川くらいだろうな
286 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 16:30:30
三成の石田家も可能では?
三成の軍団は当時としては非常に強力で、尚且つ忠誠心が厚く、関ヶ原では全滅したとNHKで言ってた。
関が原での織田軍ってどういう活躍したっけ?
織田秀信のことなら
堅城かつ後詰を期待できる岐阜城を出て決戦
→ 負けという華麗な活躍です。
織田有楽斎のことなら
東軍に参加してふらふら
→蒲生氏郷を討ち取るという華麗な活躍です。
織田軍は信長自身が率いていたときは桶狭間や天王寺で見せたように滅茶苦茶強かったけど
本能寺以後はさっぱりだね。それまで中核を担ってきた武将達が次々独立したためかね
>>289 蒲生郷舎だろ、とマジレス。
五年前に死んだ人間討ち取るな。
立花軍なら島津並の戦闘力持ってたんじゃないかね
道雪以来の良い家臣を抱えて、大津城攻めで見せたように早合使用など火力増強の工夫にも余念が無い
九州戦や朝鮮戦でも小勢ながら活躍してるし
>>291 討ち取られたのは蒲生頼郷が正しいらしいがな。
郷舎は戦後蒲生家へ帰参。
>>292 関ヶ原に遅参したのが痛い
雑魚が篭る大津城ごときに手こずりすぎだよ
しかし立花は島原の乱に出陣してるのがすごいな
戦国の生き残りが参戦してるんだから
>>288 岐阜城じゃあの敵部隊は防げないからな
西軍にも属さず、ただ家名を上げるために華々しく散っていった(降伏したけど)と妄想してみる
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 18:45:30
桶狭間みたいな大逆転の可能性は無かったのか?
裏切り者続出の西軍じゃあ桶狭間はミリ、まあ所詮寄せ集めだしな。
小関ヶ原とかいわれてるな
>>294 梃子摺りすぎって開城までたった一週間じゃん
関ヶ原本戦が1日で終わったから間にあわないという結果論
攻城戦としては十分速いほう
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 22:08:11
>>300 そうですね。 と言うか攻城戦は通常10倍の兵力がいると言われるのに、
大津の件に関しては、攻城軍15000に対し籠城軍3000 かなり落城は早いよ。
だいたい攻め始めたのが家康が赤坂に着陣した13日だし
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 22:15:58
>>297 佐和山籠城とか・・・・・
大垣から、大谷と合流して近江まで下がるとしたら、まず小早川は従わずに東軍に降伏するが、毛利・長曹我部は動く可能性が高い。
西軍主力37000+脇坂等4000+南宮山28000+田辺・大津部隊30000 の計99000になる。
補給ができるなら絶対に負けはない
可能性が高いとよく使うヤツの可能性の算出方法知りたい。
>>297 桶狭間みたいな大逆転で東軍が勝ったわけですが?
大逆転か?
関ヶ原だけでなく、三成の挙兵からずっと東軍が有利だったやうな・・・
>>301 大津攻撃軍は宗茂といい元康といい歴戦の勇将揃いだなあ。ある意味西軍最強?
284>>
まあ義弘の私兵みたいなものだからな。
>>306 その最強部隊が本戦に参加することなく敗走しなきゃいけないんだから、
宗茂・元康の悔しさったらないだろうな。
大坂の輝元もやる気ないから雪辱戦もできないし。
別に悔しくないよ
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 00:00:26
309 変
>>305 少なくとも東軍「有利」になったのは小早川寝返りからだと思うが
家康は引き返して来るわ、前田は最南下始めるわ、岐阜落ちるわ、
三成らは大垣抜け出すわ、東軍有利な話しかないけど
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 00:31:41
診方が原当時の徳川なら可能かも。
鉄砲の装備率の問題も出てきそうな気もするが。
……どうだろう?
実際、井伊なんかが狙撃された影響は大きそうだが。
>>295 当主ではないが島津家の山田有栄なども入れて良いのでは?
島原の乱の時は、薩摩藩軍勢の指揮官な御仁だが、
関ヶ原本戦に参加して一隊を指揮、それで帰還後は
出水地頭、家老職までなっているのだから。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 01:47:21
有利な点といえば前田勢が丹羽長重の偽情報に引っかかった挙句奇襲喰らって損害だした事とか
上杉が家康軍を追撃しなかった代わりに最上せめていくつか城落としてたこととか
東軍に比べるとささやか・・・
>>317 池田隊によって少数での籠城はほぼ無力化
そもそも岐阜城の防衛は木曽川、長良川等南側の防衛ラインに拠るところが大きい
2隊に岐れた大軍をそこで押し返す力も無いし
>>312 戦闘力の低い家康本隊が止むなく決戦に出なければならなかった事が既に東軍の不利
それを石田方が知って大垣城を引き払った可能性は…無いかな
突如現われた旗印にびびったって話だし
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 05:32:10
戦闘力の低い家康本隊?
もしやどこぞの本で本隊は秀忠だと言ってた先生の一説を真実認定でつか?
(´・ω・)私も家康本隊は寄せ集めで、秀忠が率いている隊がマトモだと思っていたが、実際は違ったのか?
まあ雑魚兵ばかりで決戦に出るような男ではないだろうな、家康は。
・寄せ集め
・戦闘力が低い
寄せ集めは調べたらわかるが、戦闘力が低いなんてわかりようがないような。
>>322 別に寄せ集めでもないよ。
ただし、中級指揮官が少ないので3万という数としては運用が難しいということ。
よって、3万という額面上の数を全て戦力化するのは難しかったのではないか?と。
もっともそれでも1万やそこらの兵力は普通に戦力化できるだろうし、
相対的に弱い部隊とは到底いえない。
>>325 秀家の部隊みたいに額面通りの力は出ない可能性があるで桶?
大名クラスが三〜四人、大身旗本が多数いてそれらに寄騎同心制である程度の戦力を整えられるので問題無し
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 10:16:35
>>328 うーむ微妙だな。現代の軍隊みたく連隊長が転任で作戦直前に変わりましたってな
わけにはいかないだろ。
寄騎寄親制ってのは指揮官&兵隊っていうほど簡単な繋がりじゃないだろう。
平時には会社の課長&部下みたいなもんで、一般生活上の上でも寄親・寄騎の
関係あるから戦時でもある意味での主従関係あるから生死を掛けた戦闘に臨める訳で
>>325氏が言うように部隊運用としては難しい部分も出てくるはずだ。
おそらく防衛的任務や単純な攻勢任務は何とかいけるかも知れんが、複雑な作戦行動
となるとどうだろうね。
関東転封以降はいわゆる三河武士は中堅以上はいたとしても中堅以下の圧倒的多数は
関東の地侍とか関東での雇用だから末端の兵まで家康にスゴイ忠誠心にあるとか
上の意を汲んで以心伝心で行動するようなかつての精兵ではなかろう。
大阪城攻防戦でもその辺りは顕在化したとおもうけど。
実際あの時、家康本軍にいた大名、旗本にどれだけの寄騎がいたかは自分も知らないが平時から家康は大身旗本には寄騎を付けていたから基本戦術単位である備の構築には問題はないです
やはり圧倒的に勝てる戦いでは、逆に兵たちは命を惜しむよね。
戦後、恩賞・手当てが目前に迫っているのに、つまんないところで命をおとせないね。
大坂夏の陣における家康本陣の旗本衆は、ただの物見遊山にきた程度の感覚じゃないかな。戦闘意識ゼロ。
だから、ああも無様に潰乱した。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 11:14:09
>>330 うん、だから一定レベルの作戦行動なら問題ないとは思う。
大身の旗本は数千石レベルの知行だと思うけど、だとすると寄子は千人って
ことはないわな。数十から数百レベルの小規模の備が沢山ある状態と思われる
んだけど、現代でいうと独立中隊が沢山あって独立機関銃小隊とか砲兵中隊が
ポロポロ存在してる状態だと指揮系統が大変だと思うんだよね。
大将の家康はともかく、それ以下はいきなり尉官クラスが大勢いてもなぁ。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 11:24:44
>>331 それもそうだね。常識的に考えれば御説の通り。
ただ北条戦以降は徳川勢なんぞ実戦経験が不足も良いとこ。なるほど
部将クラスには戦国生え抜きのツワモノぞろいだが軍勢の中核となる足軽
クラスはもはや三河の郷党ではないからね。
家康は間違いなく一流だが兵は戦闘処女か北条戦以来ご無沙汰の連中だ。
部隊錬度は高くはあるまい。
10万石では一つの備は500〜600が5つ、本陣が1000なので、大身旗本が大名に寄騎していれば問題は解決されます。
また忠誠心も徳川に帰属しているから、そこからの下知ならそれ程の問題はないかと
また、知行の面でも関東入国の知行割りで規格化を推進しています。
家康本陣に従軍していた大名は奥平信昌、松平忠政(共に三万石)しかいないんですが、一概には言えないと思いますが、六万石の大名率いる部隊と三万石の大名率いる2部隊とでは同数でも攻撃部隊に回せる装備の質、練兵度に資金力の関係上、差が出ると思います
家康本陣は正に旗本の掻き集め
後は主力の先鋒松平・井伊隊6000人と本多忠勝隊500人(ほぼ無戦力)のみ
挙げた首級を見れば僅か500弱の本多忠勝隊が90くらいの戦果があった
秀忠軍がいたほうが良かったに決まってるが、家康直率軍が弱かったとは到底思えない
所詮、追撃戦で挙げた首でしょ。
>>329 関ヶ原に関して言えば、複雑な機動は不要
他の大名でも、大身の部下ばかりではない
実戦経験が少ないのはその通りだが、秀忠隊も同様
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 14:47:13
>>338 徳川勢は追撃戦だけやったわけじゃなくて正面戦闘から参加してるわけだが
追撃戦の相手だって島津。楽な稼ぎしたとは思えんが?
福島正則に勇戦を誉められたら「敵が弱すぎたんだよ」と答えた本多は別格だと思う
井伊なんかは負傷して後の死去に繋がってるようだし
なぜかしらないが、家康が本隊を進めて宇喜多勢らと戦闘したことは有名じゃないんだな
直後に小早川裏切りという一大イベントがあったせいか・・・
石田隊も実戦経験があまりないだろ
あと、ないのは誰だ?
大谷隊か
336
その大名に寄騎同心制で備を構築した大身旗本が寄騎していたのではないかと
また、後方兵站に関しては家康の直轄領100万石が大きな力になるかと
ちなみに家康の本軍3万はここからの計算だがこれは本来知行地ではないからこれから本軍を計算するのは不適当
>>341 直正=銃創で後死亡、忠勝=撃たれて落馬・愛馬死亡、忠吉=怪我
逃走する寡兵の島津相手にね、下手したら四天王の二人が討たれたわけで本当楽じゃないわ。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 17:12:45
家康本陣が仮に3万として家康は大将として3万の軍勢の内、本陣に8千〜1万
程度おくとして、残りの2万余を知行3万石の家臣2名が1万づつ率いる・・・。
3万石といえば動員兵数は750〜900程度で、その2名も1万もの大軍を率いる
経験も素養もあるまい。
現代では言えば3万の兵力は二個師団相当でそれぞれの師団長は少将〜中将クラス。
正しいたとえかどうかはともかく、家康配下でこれに相当するのは四天王だろう。
四天王は井伊が12万石、本多が10万石、榊原も10万石、酒井が3万石だ。
この中で酒井は信康切腹の責めもあったというから例外とすべき思う。尚、幕府設立
後は知行14万石。
この身代の差をみれば3万石という身分は現代の軍でいうところのせいぜいが
中佐か少佐クラス。これは大隊長がせいぜいなところで連隊・旅団を飛び越えて
師団クラスの指揮をさせようというのだから大変だとは思う。
普通の会社で言ったら課長が急に社長室に呼び出されて、「今日だけ専務やれ!」
みたいなモンだろね。個人的に大変だと思うけど。
日本史板で同じ事書いて散々叩かれてたのがいたが、同じヤツか?
>>347 井伊麾下の木俣某は知行四千石、3人役で120人だが、
実際は木俣隊800人を率いてますが?
また直政が先駆けすると、本営を預かって井伊隊全体を采配していますが?
自分の家臣だけを采配するとでも思ってるのか?w
それだけは言ってはいけない。
寂しがり屋さんを生温かく相手にするのも男の度量ってもんだ。
それも言ってはいけない。
寂しがり屋さんをぬるぽに相手にするのも男の度量ってもんだ。
>>347 安易に現代の兵制に例えるのは全くナンセンスだよ。
師団―旅団―連隊―大隊という編成を再現しようとしたら、
100万石クラスの大名の下に30万石くらいの家臣が3人ほど、
その下にそれぞれ10万石くらいの家臣がまた3人ほど、その下に3万石くらいが・・・
という、全くありえない構成になってしまう。
まあ、それでも3万という軍勢に比べれば部隊に厚みが足りないかなとも思うが、
もし仮に半数の1万5千しか戦力に出来ないと仮定しても、
それでも関ヶ原に存在した部隊の中ではほぼ最大の戦力を有するということになる。
どう考えても、家康本隊が弱いということにはならないのよ。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 19:12:40
西軍が小早川を味方にできていたら・・・?
>>353 いざとなれば、松平、井伊、本多が何とかする
関ヶ原はそんなに複雑な戦闘は要求されない
>>355 西軍が勝利してるかもしれんが、
そういう仮の話をだすのなら秀忠の軍勢が予定通り到着していたら?ということにもなるぞ
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 19:45:03
>>357 西軍が小早川を味方にできていたらという仮説も
東軍に秀忠の援軍が到着していたらという仮説も
どちらも可能性があったのだから論議の余地はあると思う
ないよ
360 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 19:48:28
存在の証明が出来なければない
可能性あった証拠がないじゃんw
秀秋は暗殺された可能性が高いらしいが
これから何百年経ってもバカにされ続けるぞ
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 19:52:30
だから可能性の存在が証明出来ない限り、可能性はない
じゃあ東軍が島津を味方に出来ていたらというのはどうだ?
何がじゃあなんだ?
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 20:44:21
まぁ落ち着けよ二人とも。
IF厨乙
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:17:07
小早川西軍参加があれば、吉川が動かずとも東軍は崩れる
理由:大谷〜藤堂間での戦闘に側面から小早川+脇坂20000が加われば必ず崩れる(藤堂が)
例え脇坂4000だけでも側面攻撃を開始すれば藤堂は崩れ、大谷諸隊がフリーになり 福島→崩れる、宇喜多フリーになる その後大谷・宇喜多・小早川で協力し小西・石田隊を救援
数で言えば西軍56000対東軍74000だが、士気崩壊すれば話は別
371 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:18:39
>>370 東軍が崩れれば吉川も参戦するわな
只、家康が黙ってみてるか・・・・
小早川が西軍に付かない限り脇坂らも動かない。
小早川が西軍に付くには、西軍が東軍を圧倒しなければならない。
西軍が東軍を圧倒するには小早川が西軍に付かなければならない。
終了
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:35:25
東軍には南宮山方面に14000の予備兵力が配備されているから
それも動員すれば合計で89000になる
しかし、士気崩壊すれば敗走は殆ど決定である
>>337 東軍の中で兵数もそうだが、質の面で最低ランクの本多隊が最前線でガチンコ勝負でもしたと?
あれか?某ゲームのホンダムばりの大活躍ですか?
申し訳ないが、挙げた首の数云々は知りませんが最前線での後方指揮に赴いた時に福島隊外が崩した敵部隊の首でも拾ってたんじゃないですか?
つ【チラシの裏】
質が最低かの判断基準はなんだろう?
島津が側面をつけば石田隊が崩れる
そうすれば士気崩壊する
東軍の勝ちは決定的だ
>>333 徳川兵に実戦経験が不足してういるのはなにも家康が怠けていたわけではなく
秀吉がそれを狙って関東に鞍替えしたのと渡海させなかったことだろう
(朝鮮に行かなかったことについては家康も望んだことたが)
だから秀吉の目論見も半分は達成されている
そこから武断派の不満を功名に利用して駒にした家康の策謀の勝利
宇喜多の主力部隊は、東軍移籍だよ
∧ ∧
/ ヽ‐‐ ヽ
彡 ヽ
彡 ● ●
彡 ( l おまえら関ヶ原論争はおいとき。サッカーだぜ
彡 ヽ |
彡 ヽ l
/ ` ( o o)\
/ __ /´> )
(___|_( /<ヽ/
宇喜多の主力×
宇喜多の国家老〇
>>383 今回だけは全面的にお前が正しい
やっべ、キューエルスタメンだ
サントスだめぽ
>>379 当時の軍隊の構成はこうなっていた。
まず数石取りの小身武将も万石取りの大身武将も石高に応じた軍役を負担している。
でも彼らはバラバラに戦うのではなく、いくつかの「備」に再編成され、
この「備」が戦闘における基本ユニットとなる。
このときに重要なのがこの「備」を率いる指揮官であって、
戦下手だったり臆病だったりすると、その「備」は全く戦力にならない。
そのため、戦国大名は「合戦の名人」や「勇将」の評判をとる武将には禄高を惜しまなかった。
そして、万石取りの大身武将こそ、独立した「備」を率いる高い軍事的能力の持ち主であり、
単に兵力を多く集めるだけではなく、強い武将を旗頭とした強力な「備」を
いかに多数編成できるかが、その大名の戦力を判断する上で非常に重要な要素となる。
>>386 少し修正させてもらうと
万石持ちでなくても寄騎同心制で備を指揮できるものもいる。
で、自前で「備」を編制できる事が大名の資格になるわけで
>>389 寄騎同心制に頼らず、自分の家臣のみで一つの「備」を編制できる
一つの基準が一万石という事
>>377 慶長年中卜斎記より
「よき者共は美濃守、秀忠公の御供に参侯」
徳川軍はおろか、東軍全体の先鋒を担う予定であっただろう秀忠隊、当然、本多隊の先備えを担う主力部隊は秀忠隊に従軍、豊臣諸将の軍監に充たる忠勝隊は500人弱の上、小姓など。
先鋒に加わる予定も無いので当然、秀忠隊に従軍した部隊とは戦闘力で雲泥の差が出ると思われる
関ヶ原の家康本軍にいた大名は大須賀忠政(3万石)、奥平信昌(3万石)
酒井重忠(1万石)、久野宗成(1万石)、大身旗本は不明
>>391 仮に、全部弱兵で役に立たないとした場合、何故家康は開戦したのか?
>>390 徳川だけでなく、他の大名も似たようなものだが?
>>394 家康が開戦したというより、
西軍が仕掛けたんじゃないかな。
何故家康は開戦したのか?>それが解らんのよ、大津勢が到着しても千曲を覆すほどの影響はないだろうから
秀忠を待てばよかったんじゃない。
負けてモータ。
>>399 関ヶ原の布陣といい、関ヶ原七不思議のひとつ。
今日のサッカーは関ヶ原そのものだよ
日本は西軍じゃ
403 :
391:2006/06/12(月) 23:58:32
>>394 特に戦闘力がなかったと言う本多忠勝隊の話ね
作戦が無いジーコは西軍か・・・序盤は優勢で後半一気に総崩れ。
西軍の方がもっと弱かった
てか、1点目もラッキーなだけじゃん西軍よりダメポ。
忠勝は最強レベル
昔はね、でも関ヶ原の頃は自慢の槍も柄を短くするなどしてたんじゃない。
後半三十九分までオーストラリアは、いわば小早川に寝返られ、脇坂四将にも裏切られた「大谷隊」に等しい。
その絶望状態から小早川らを蹴散らし、さらに御輿で、本陣にいる家康めがけて突撃を敢行し一気に首をあげたようなもの。
…日本代表はむしろ官渡の戦いの袁紹軍のようだ。あれよあれよという間に大敗してしまった。
でもないんじゃん、豪軍の方が終始押してたきガスー。
多少みじかろうが大した問題ではない
>>408 軍艦=目付け
おっしゃるとおりだし、ちゃんとそう書いてるよ
取った首云々って言ってるから特に本多忠勝隊の事を書いただけ
50レスくらい前からなんだから流れを読んでくれよ
本多忠勝隊の質の話をしたんだよ
少数の軍艦でましてや事情があるから戦闘力が低いって当たり前の話を長々かいてすまないが
引いてはその事情で家康本隊も大した戦力じゃないんじゃないかっていうのが大元の流れでしょ?
>>417 家康嫌いだから
弱いってことにしないと気が済まない
419 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 05:47:19
官渡の戦いのような大逆転は無かったのか?
>>414>>416 事情って日本語少し変だったかもしれませんが、戦力構成が家康隊<秀忠隊にしたから。
動員出来る人数全てが均等な戦力になるわけじゃ無いので当然
>>418 嫌いじゃないが、少し悪い見方で書いてます
>>421 そうでしたか、失礼しました、会津討伐の時も家康隊に従軍してたんですか?
>>414 スレ読んだけど、忠勝隊の精鋭のほとんどが秀忠隊に預けられたから、関ヶ原の忠勝隊は500程しか
率いてなかったんじゃないかと思った。
質が低かったわけじゃなくて、数が少なかったんじゃないの?
スレ内の話しだけの想像だけどね。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 14:17:51
十九女池を背に布陣した忠勝。
文字どおり背水の陣を引いていたのだ!
>>422 数的にはだいたい同じだろ
むしろ家康の方が内容的に上かと
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 16:46:36
>
>>341 直正=銃創で後死亡、忠勝=撃たれて落馬・愛馬死亡、忠吉=怪我
>逃走する寡兵の島津相手にね、下手したら四天王の二人が討たれたわけで本当楽じゃないわ。
これ忠吉も銃創なんだよね
で、こういう事情らしい
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/ 91 :名無し三等兵 :2006/05/16(火) 05:23:18 ID:???
中略
私が知っている戦国時代の騎兵部隊の大規模運用は関ヶ原で撤退した島津を追撃するために
徳川方の各備から抽出・臨時編成した騎馬隊ぐらいかなぁ。
結果は大失敗だったけどなー。まぁ島津は鉄砲装備率がむちゃくちゃだしなぁ
2ちゃんのレスで“らしい”と言われてもなw
いかにも2ちゃんらしいゴミレスありがとう
こういう事情らしいで、何かの資料に書いてあるというなら兎も角
>>426はない。
忠吉が銃撃されたってのはNHKの葵三代でもそうなってたね
そもそも忠吉と戦ったことになってる松井三郎兵衛の首が取れてない
という部分からして奇妙だし
ダメぽ。
家康の不利になるとすぐ腹切ろうとする癖を利用するとか。
>>398-399 小早川を西軍と見るから分からなくなるのよ。
小早川の実際の行動を見ると、伏見城攻めには西軍として参加したが、
直後に家康に謝罪の使者を送り、その後は命令拒否を決め込み一切西軍としては行動していない。
その上14日には松尾山から西軍を追い出して占領しているし、陣中には黒田家の目付けすらいる。
これだけの状況がそれっていれば、むしろ東軍としてみるのが当然。
で、小早川を東軍としてみると、東軍が関ヶ原に進出すれば小早川と合流して数的な有利を確保できるし、
西軍を分断もでき、さらに前田軍との合流も容易になると、圧倒的に東軍有利になる。
だから、東軍がそういう作戦をとろうとするのは当然だし、西軍がそれを阻止しようとするのも当然。
結果として、小早川が直前に三成が提示した関白という条件につられ、
この期に及んで西軍攻撃を躊躇した為、家康は危ない橋を渡る羽目になったわけだけど、
それは結果論。むしろ土壇場での三成の計略を褒めるべき所、まあ、最終的には失敗だったが。
後、西軍を裏切って東軍についた大津城が僅か1日2日の距離で必死の籠城戦をしている時に、
のんびり待機していたのでは士気にかかわるという事情もある。
>>434 >小早川が直前に三成が提示した関白という条件
おいおい、こんな講談話を本気にするなよ。
>>434 前段同意
別に危ない橋は渡っていない
「最強」の家康軍もいるし
大津城の情勢なんかそう簡単にわからないから士気には関係ない
伏見落城で士気低下?
家康も秀吉も
「内府殿、是非この品をそちに・・・」
「太閤様、それはもったいのうございます・・・」
とか適度な距離を保ちつつ機嫌をとりながらも、
「この野郎!さっさと先に死ね!」とか思ってたんだろうなw
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 21:18:32
小早川の気が変わって家康と交わした約束を反故にして、反対に家康本隊の側面を襲撃していたら
たしかに結果は変わっていたかもしれない・・・
で、先にあぼんしたのが秀吉だったと。
肥満体と言われながらも健康管理を徹底していた家康の勝ちだった
>>437 秀吉(のさばってもいいから、秀頼は殺さないでね〜)
家康(律儀者の演技、ばれてないよな〜)
>>439 ガリガリに痩せてる奴と太った奴では大抵、後者が長生きする
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 21:53:41
前々から疑問に思っていたのだが、家康は
粗食を好んでいたと言われているのに肥満体
だったのだろう、
過度の忍耐によるストレス太り
>>442 ジャンクフードを食べまくって運動不足な現代の肥満体とは同じではないだろう
家康は70過ぎても乗馬ができたので脂肪の塊ではありえない
当時の人の脂肪率は間違いなく現代の人より低いだろうから
その中では現代人の標準レベルに近かったというのが真相じゃないか?
ずんぐりむっくりな家系だっただけじゃね?
家康が太ったのは大阪にいた時だそうです。
秀吉からご馳走攻めを受けたのが原因だそうですよ。
家康の粗食は金を貯めるための節約ですから自分の金を出すのでなければ贅沢してもかまわないのでしょう。
それに天下人からの接待を断れるとは思えませんしね。
忙しくて運動する時間もとれなかったので太ってしまったということらしいです。
秀吉が金沢城に行ったときは
前田利家が白鳥の肉とか出してるからね
秀吉は普段からとてつもない贅沢な食事をしてるんだろうなぁ
>>436 大津城の状況は分かってるよ。
数日前に捕らえられた三成の使者の持っていた書状から、大津城が攻撃中だということは確認済み。
まあ、それ以前に1日で移動できる程度の距離で戦闘が行われていることくらい、
普通に情報収集していれば分かるでしょう。何せ大っぴらに大砲撃って攻撃しているんだから。
で、そういう状況で放置しては士気にかかわる、
東軍が関東にいて手の出しようもない伏見城の時とは状況が違う、
東軍には大津城主の実の弟もいるしね。
それに、より具体的な問題として、大津城が落ちればそれを攻めていた部隊が、
西軍主力に合流する可能性も出てくる。
>>434 小早川が西軍に鞍替えもしくは粉砕されても、東軍はさして不利にならないんじゃない。
実際に多少ひよったのは事実だし、そのおかげで一時は家康自身も多少あせった訳でしょ。
秀忠を待てば当てにする必要も無し、大して戦功の無い秀忠に手柄をたてさせるチャンスでもある訳
で。
でも家康は秀忠がいつこっちに来るかわかってない罠、あんまりグズグズして
西軍の兵力が上回ると小早川、吉川も宛てにできないからあのタイミングで博打
(といっても7割〜8割は勝てる博打だが)に出たんじゃないかな?
漏れなら、評価の低い跡継ぎに箔をつけさせたいと思うがな。
史実は逆で評価を落としてしまうがな。
>>442 それ言ったら秀吉はなんで贅沢しててもガリだったのか?
>>450 戦いって一度負けると全てを失う可能性あるわけ、長い間積み上げてきた家康ブランドの価値を
考えれば、博打なんか打てるかどうか?またその必要が本当にあるかどうか?
若いときの家康ならともかく晩年の家康があえて戦う必要があのときあったか?
>>448 大砲撃ったからと言って、どうなっているかわからないが?
普通に情報収集?
じゃあ大津の部隊は家康の状況を知っていたとでも?
だからっつって待ってれば勝てる情勢になるかどうかはわかんない訳よ、家康
は秀忠遅参の理由を知らないし、若し輝元や大津を攻めてる連中が先に大垣に
来たら人数的に不利になる。
100%勝てる情勢なんてそう簡単にある訳じゃないし8割見込めるなら打って出
る価値は充分あるよ。
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 17:38:38
待つのも相当な博打だったと思う
むしろ打って出たほうが勝算が高いのだから、あの状況では現実的な選択だったと思う
家康だって必ずしも待ってばかりでは無かっただろう
まあ、結果を知ってるから言える部分はあるな。
ここの住人的にはどうなのかな。
さすがに輝もとの出陣位は諜報してるから、出陣が無い状況で考えて、
漏れなら秀忠を待つが。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 18:12:45
秀忠を待つにしても、秀忠が到着するまで耐え抜く必要があるよ
お前がどう思おうが家康が動いて戦った事実から、
家康が勝算ありと考えたんだろ
お前の知ってる情報と家康が把握していた情勢は違うのだから、
お前が俺だったらとチラシの裏されても知らねーよ
>>453 いつ来るか分からない秀忠を待って、
西軍が集結する可能性を残す方がよっぽど危険な賭けだよ。
>>454 城が攻められていることは一目瞭然でしょう。
それに大津城は周りを西軍に囲まれて攻められているのだから、
東軍本隊と連絡を取るのが難しいのは当たり前。
外から城が攻められているのを確認するのと、
城内から外の様子を確認するのとでは全く違う。
なんで、
>じゃあ大津の部隊は家康の状況を知っていたとでも?
となるのかよく分からないが。
>>462 おまえが情報収集くらいしているとか言っているのだが?
自分の言っていることが理解できるのか?
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 20:47:55
大津部隊はかなり士気も質も高いと思う。
立花・毛利などの積極部隊15000の戦力は脅威だろう
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 20:57:40
というか家康にとっての最大の恐怖は豊臣恩顧がいつ離れるか分からないことじゃないか?
だから気持ちの変わらないうちに、決着をつけたかったのだろう。
あと三成が目前にいる訳だから手をだしてしまったって訳
くだらない言い争いをするまでもなく、
9月12日に捕らえられた三成の密使の書状で、
大津城が攻められているなんてことはとっくに東軍に分かっていたのだが。
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 21:11:12
西軍が桃配山を占拠すれば有利だったと思う?
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 21:45:31
トリビアで前田利長が関ケ原に参加していたっていうのだが。
150p
加藤清正のも長そう
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 21:53:12
前田が関ヶ原にいたって
新説だぞ!!
大谷善継に良いように踊らされただけなのにねw
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 22:51:18
461=463
うざい!
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 22:52:47
>>470 がせに決まってる 前田が関ヶ原に来てる筈がない
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 22:53:49
西軍は戦力を、大垣に集結しておくぜきだった。 そして家康着陣の前に東軍を叩く。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 22:53:59
★緊急事態発生!!日本に朝鮮人が押し寄せる法案が可決間近!?★
自民党が本来推進していた「北朝鮮人権法案」とは、北への「経済制裁のみの法案」でした。
これに対し民主党も二月に「北朝鮮人権侵害救済法案」として「独自案」を国会提出。
これは「脱北者を難民と認定し、日本の定住資格を与え、難民者の生活を支援する」という条項を盛り込んだものです。
法案成立を急ぐ自民党は、ここへ来て民主案(脱北者支援)も受け入れる考えに方針を転換…
脱北者支援について「施策を講じるよう努める」の明記で合意。13日衆院を通過しました。
マスコミは圧力をかけられていて報道規制しています。
スパイ防止法さえ無い日本が脱北者の移住を支援… orz
そんなことをすれば、どの様な事態に発展するかは火を見るより明らか!
法案は6/16参院可決、成立予定です!時間が有りませんので今直ぐ抗議行動に結集して下さい!!
【政治】 "脱北者の保護・支援も" 「北朝鮮人権法案」、衆院通過→今国会で成立へ★3(N速+現行スレ)
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1150255281/l50 【日本終了】朝鮮人を日本に大量移住 反対 OFF5(抗議運動作戦本部)
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1150235212/l50 ↑今デモが実現化しようとしています!少しでもいいから覗いてみてください。
「脱北者支援」の何がマズイの?
1.彼ら一人につき毎月17万円の生活保護を与えるために税率が上がります。10%以上は覚悟しておいてください。
2.治安が悪くなります。アメリカ外務省は『世界中の国々で韓国に対してのみレイプ警告」を出している。
3.脱北者を日本が受け入れるとありますが、中国や韓国はなぜ受け入れないのでしょう?
ワザワザ、海を越える危険を冒す必要があるのでしょうか?
4.日本での反日活動に拍車がかかり、一部地域では外国人参政権が取得できる所まで来ています。
詳細は
http://www.geocities.jp/shikokuchuo_city/ 結論
日本という国に、日本人が住めなくなります。
住みたい場合は、暴力にも負けず税率にも負けず文句も言わないで下さい。
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 06:05:20
西軍って退路を確保してなかったの?
再起もできないほどの惨敗を喫するまで
退却は考えなかったの?
退路もなにも勝つ以外に選択肢はない
元々石田宇喜多以外にヤル気あるやついないから
撤退したら三成は毛利や豊臣に捕まって首刎ねられて謀反人の首として東軍に差し出されておしまい
(でもって三成一人が勝手に暴走したことにして言い訳する)
480 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 08:18:00
宇喜多はともかく石田は乾坤一擲の勝負だからな。石高・官位・声望・実績と
どれをとっても家康には及ばないし、一応総大将の毛利だってそれは同じ。
家康は家康で戦が長期戦になれば豊臣恩顧大名が離反する何かがおきる可能性
もあるわけで両者共に決戦を急ぐ理由もそれなりにあったから家康・三成の
二人に関してはガチだったが、周りはそれほどでもないどころか上杉景勝や
黒田如水とかは長期戦を想定してたくらいで大名達はそれほどアツくなってない
だろな。七将とかも実際どこまでやる気マンマンだったか分からんなー。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 19:59:21
東軍より西軍(主要メンバーは)やるき満々でしょう。小西・宇喜多・石田などなど あと立花
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 20:40:58
確かにトリビアの泉で
前田利長が関が原の戦でかぶってたという兜を紹介してた。
いくらなんでもなー。マスコミでああいう歴史歪曲やった日には・・
まあ、某歴史番組でも山之内一豊が明智光秀を討ち取った殊勲者だという
歴史歪曲をどうどうとしてはいるのだが・・
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 21:10:51
三成は大坂城に戻ろうとしたらしいが
大坂に戻ったら即刻家康に送られるだろうな
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 22:10:21
>>482 オレもみたよ。ありゃヒデェよな。
まー歴史オタじゃないかぎり関ヶ原合戦の同時期に北陸道で大谷・丹羽とやりあった
なんてこたぁ知らんわな。
っつーか前田利長って誰よ?くらいの勢いだろうな、普通。
485 :
なぎ:2006/06/15(木) 23:38:57
>>481 毛利も広家一味以外は、やる気ありありムリムリいんじゃない桶!
東軍も正則、長政、高虎はありそう。
>>484 しかし大半のテレビはひどすぎるな、もっともらしく語るのがなおさら。
487 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 01:30:25
TV番組なんぞハナっから視聴者を馬鹿扱いして作ってるのが殆どだ。
真面目に検証しつつ面白く見せるなんてものを作れないわけではないが、面倒くさいんだろうよ。
よって視聴者も鼻で笑いながら観るのが正しい。
489 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 04:46:52
山内一豊が秀吉に重宝されてる感じで大河でやってるがあれも相当ひどい。
秀吉が政権とったときにはそれこそ大出世をしそうな感じだがあとで無理が生じてくる。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 05:02:16
トリビアの泉って
金曜の夜放送しててすぐ打ち切りになった番組?
人取り橋の戦い:伊達軍vs大内軍
とかひどいこと言ってたな。
491 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 07:14:54
なんであんなつまらなさそうな番組がいまだに続いてるの?
>>489 三中老と黄母衣衆だもんな、出世競争で負けちゃうし。
関ヶ原の論功行賞で土佐一国貰うわけだけど、
当時の土佐の石高は九万五千石(後に22万石に訂正される)だから、
十数万石の中村Jr・堀尾Jrに負けてるんだよな・・・。
ついでにあそこは碌に戦ってないから地侍が大量に残ってる罠、明らかに改易
狙ってるだろあれは。
495 :
鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/06/16(金) 10:41:19
(´・ω・)とりあえずフジテレビの視聴者センターに問い合わせてみますた。
女性の方がでて、利長の件を話したところ、『少々お待ちください』と一分ほど待たされ
『今の時点では確認できませんが、たしかにお客様と同じような質問がきております。』と。
『ちょっと確認できませんって!?あのねぇ、その件はわかりやすく例えるならば、「今回のワールドカップの日本代表のFWはアルシンドです!」級の間違いですぞ!おわかりですか!?』と訴えた。女性は軽く失笑しておりますた。
担当は一時半すぎに出社してきますので、またおかけください、と。
当然、担当の名は教えてくれなかった。
わたしは何故にわざわざ勤務中に電話をしてまで確かめたかったというと、『利長が関ケ原にきて鯰尾兜かぶってました』という真偽が知りたいわけではない。だって、うそに決まっているから。
問題はその話の『出所』だ。
取材陣の方達がだ・れ・に・そんなガセネタを掴まされたのか?それが知りたいのだ。
まさか兜が展示してあった富山の博物館の館長じゃないだろーなwwwwwwwおいwwwwwww
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 11:25:39
本人降臨につき晒しage
ついでに日和るについてkwsk語ってくれよwwww
795 名前:鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE 投稿日:2006/04/25(火) 15:20:26
>>793-794 (´・∀・)アホはおまえだwwwwwwwwwww
「日和見」の一亜種に「日和る」言葉があるのをしらんのかチンカスWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
主に全共闘時代に使われた言葉だボケWWWWWWWWWW
意味は「困難から逃げ出すこと」
まさに賎ヶ岳での退却行為は「困難から逃げ出した」わけだろうがWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
勝家につくか秀吉につくか悩んだ挙げ句、どちらに付くわけでもなく、ついに逃げ出したんだろ?違うかWWWWおらWWWWなんとかいえボケWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
秀吉死後も、家康と一戦を構えるわけでもなく、豊臣派を落胆させ、あの世まで逃げ出したんだろうがWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
「日和る」の意味ぐらいわかれよ無知&糞マヌケがWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
↑いい加減やめたら、うざい。
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 13:55:47
↑いい加減都合悪くなると名無しになるのやめたら、うざい。
このスレの住人ですが496に質問、鳥とはどういう因果?
(´・ω・)さっきの続き
とりあえず午後もフジテレビに問い合わせてみた。
担当の男性がでて、
「はい、それは富山の郷土博物館の方がそうおっしゃっておりましたので、そのように放送しました」と。
「館長がそういったのですか?」ときいたら
「館長かどうかはわかりませんが、そうだと思います」と。
僕はこれ以上テレビに責任はないと判断し、礼を述べ電話を切った。
そして即座に、富山の郷土博物館に電話をした。
女性の方がでた。
「フジのトリビアの泉という番組から取材を受けた博物館さんですか?」というと
「そうです。」と。
ここか…僕はことの顛末を話した。すると
「え?ああそうなんですか、いえ、すみませんが今は『学芸員』がいないので判断つきかねます。」と。
「学芸員って人たちが取材に応じたのですか?」
「はい、ただ学芸員が直接テレビにでたわけじゃありませんし…」
つづく
続きまだ〜?
(´・ω・)続きは後日。
この後、学会員の口から我々が想像だにしないとんでもない発言がっ!!!!!!!!!!!11111111
なんやねん書けよ
もうおまえNGね
504 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 19:58:30
まさか「我が郷土博物館では前田利長が関が原に出陣した資料がちゃんと展示してあります」
とかいったの・・?
それなら歴史を揺るがす新資料だ罠。
西軍は赤坂表から進撃してきた家康本隊と
北陸から近江をへて関ヶ原に進出した前田隊に挟撃されていた事になるからな。
そら、小早川の寝返り以前に勝てんわな。
西軍は一度撤退したほうがよかったかな?
必勝の陣計取って撤退する馬鹿はいないよな〜
別に必勝の陣形でもないからな。
南宮山の毛利や長宗我部は大垣からの撤退を知らされず、小早川は東軍寝返り濃厚。
どこが必勝の陣形なんだか。
>>506 大垣を撤退して関ヶ原なんで、三成が書いてるように西軍の内情が疑心暗鬼でボロボロな状況で、
関ヶ原からも撤退するとなると西軍は集団として崩壊しまう恐れがあるので
これ以上の撤退は不可能かと。
ぼろぼろといっても、西軍はもともとよせ集めだったし仕方ないのでは?
三成はすぐぼろが出るとは思ってなかったのかな
三成は19万の身の上で家康に対抗できる数を集めたのことは本当に
凄いと思うけど、よくよく見れば東に比べて最初から最後まで辛い状況
だったんだね。三成や上杉は本当に家康に勝てると思ってたのかな…
上杉は徳川と戦う気はなかったんだと思うよ。
家康が前田の時と同じように圧力かけてきたから、
最初は要求突っぱねて上杉家の面子・立場を少しでも保ち、
外交折衝して適当な所で折り合いをつける考えだったが、
家康が即軍事行動に移したんで戦わざるを得なかったと。
上杉征伐も宇喜多や毛利との合議もなしに、家康が独断で決め、
秀頼から許可取ってる事が凄いと思うけどね。
強引な手法で他に口を挟ませてないからね。
>>508 家康様も結構疑心暗鬼でしたよ
なんか日本人の性格が思いっきり出てる気がする
>>508 寝返り濃厚っていうか、
普通に見れば14日の段階で明らかに裏切ったと言ってもおかしくないほどの状況だからね。
>>509 勝てると思ったというか、
今やらなければもっとやばくなると思ったのでしょう、少なくとも三成は。
実際順当に上杉討伐が成功してしまえば、家康の権勢は今よりも強固になって、
手が付けられない。
>>510 結局のところ上杉と三成の密談はあったのかな?あったとしたら、
どのくらいの所まで想定してたんだろ…。もともと上杉が会津に帰って
不穏なことしてたから、征伐、というくだりになったんだよね?
密談があれば上杉はもっとましな行動をとるだろ
昔の通説。
上杉と三成が示し合わせての挙兵。
家康は三成に蜂起させるため、わざと大坂を空けた。
両方とも今では否定が農耕。
まず第一に上杉が騒ぎを起こしたからといって必ず家康が動くとは限らないしね、
実際、上方の情勢が不安だから家康は動かないほうがいいって進言をしている者もいたのだし。
よって上杉が誘き出すという前提が成立しがたい。
そして、家康も上方の情勢が不安だといわれながらあえて動いたのだから、
多少の変事はあることも覚悟の上というか、予想していたとは思われるが、
史実ほどの規模の蜂起を予期していたとは思えない。
もし、西軍蜂起が予想どおりのものだったなら江戸で一ヶ月近くも様子を見たりしていない。
よって関ヶ原は突発的な戦いだった。
ただ、家康の根回しによって徳川にとって最高の結果となった。
つまり外堀を埋めておけば、いくら想定外の事態が起きても何とかなるという事である
これが後の大坂夏の陣である。
しょせん三成は家康の手の平の上
なんか薄っぺらいな
中学の教科書みたいなスレですね
藻前の頭もな。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 21:56:08
突発的すぎるな。
西軍もあわただしく準備不足で決起したようだし
事前準備がなさすぎなのであのような惨憺たる結果だったんだろな。
せめて西軍に求心力たる人物がいればよかったんだが・・
宇喜多秀家や石田三成が一歩引くような
それで毛利輝元が総大将の座を譲ってもよいというような
そして吉川広家や小早川秀秋それに加藤清正あたりが協力を惜しまないような
上杉景勝に押しが利きそうな
徳川家康との政治交渉が出来るような
となるとひとりしかいねーな小早川隆景。
彼が生きて西軍の副大将か参謀になっていれば西軍が勝ててた罠。
淀殿の場合戦に勝てばどのようにでもなるから無問題
ただ豊臣のあやふやな非協力的態度からして
戦後 徳川幕府ならぬ毛利幕府にされてどっちにしても
豊臣の天下は終わってたろうがな。
それが前田利家だったわけで・・・。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 22:03:07
立花宗茂と石田三成ってうまくいっていたのかな
関ヶ原の戦い
最優秀選手賞:徳川家康選手
優秀選手賞:小早川秀秋選手 最上義光選手 鳥居元忠選手
敢闘賞:真田昌幸選手
敢闘賞に激しく意義あり、そこは大谷が来るべきだと思ふ。
黒田長政も入ってないしな
>>523 秀長>>隆景>>利家>>>>>>>秀次か?
戦後 徳川幕府ならぬ毛利幕府にされてどっちにしても 豊臣の天下は終わってたろうがな。>まあ、家名が残ればよい訳で、
秀吉も器量がなければ天下人はあきらめてたんじゃない、せめて秀信や秀家の待遇を望んでたんだろうね。
大谷なら平塚と戸田にやって欲しい。この人好きだけど、必要以上に過大評価
なのはどうかと思う
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 06:12:24
家康は果たして天下を狙っていたのだろうか?
もし三成の挙兵がなければおそらく東国で
独立政権を創るか、豊臣政権の執権的立場
になることぐらいしか考えていなかったと
思う。当時の彼の力では西国を支配すること
は出来ない。
だからこそ西国を揺るがす為に戦った訳で
隆景をいれれるなら蒲生氏郷もはいってこれる感じでは
隆景と利家の間くらいにははいりそう
ただ伊達と徳川に挟まれた地で力を発揮できるかは疑問だが
隆景はその点西国だからたしかに対家康ではもってこいかもなぁ
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 11:58:14
もともとは上杉征伐であって関ケ原は突発的
なもの、
家格で言うなら
・織田信雄(転封拒否で失脚)
・羽柴秀長(後継の秀保死去で断絶)
・羽柴秀次(後継問題で自害、御家断絶)
・徳川家康
・宇喜多秀家
・上杉景勝(天正十六年の上洛により)
・毛利輝元(同上)
・前田利家(小田原征伐後に奉行筆頭格から昇格)
・小早川隆景(小早川秀秋を養子として後)
これらの家が武家清華
織田は信雄が失脚したが、将来的には秀信が清華になったと考えられる
武家清華の話なの?
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 18:47:27
蒲生氏郷の場合は徳川の背後からの牽制と奥羽の監視が役割だし
主力というより側面支援の別働隊という感じなので、
で前田利家の場合、病がなー。それになにより上杉との関係が
上杉と徳川が組むなどありえんとは思うが、前田も上杉には含むところ
多いし
>>上杉景勝に押しが利きそうな
>>吉川広家の行動を抑止できる
の条件にも、そぐわないと考え外した。
隆景の場合、朝鮮出兵にも実際赴いてるし、彼顕在なら小早川の行動と
毛利一族の結束ができるので、その辺が重要だな
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 20:16:22
>>539 景勝は秀吉が亡くなってからもずっと反家康だから、家康が相手なら利家にでも協力するのではないかな。
利家が死ぬまでは四大老で反家康でまとまってたんでない。広家は微妙だが利家を嫌う理由もすくないのじゃないか、
利家は分権型で必ずしも奉行衆とはあっていなかった幡豆。
とにかく三成に拍手。
家康だって爪を噛んでたらしいし。
>利家が死ぬまでは四大老で反家康でまとまってたんでない。
輝元派、利家派、家康派がありまして。
宇喜多は利家派、上杉も取次ぎの関係上、利家派。
>>480 やる気を試すために、カマをかけたのだが?
545>> 彼としては最大限のやる気だしたんじゃない?
>>543 伏見の時はてるもとは利家を支持してた筈。
>>523 下手に準備したら、謀反の疑いをかけられて、潰されるからなw
>>546 そうかもな
一般的にはやる気無しと見られてしまうが
550 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/19(月) 18:30:33
やる気が無いふりをしていただけで、全くやる気が無かったとも言い切れない
>>550 ただ西軍にはやる気がないと写ったろ
パフォーマンスでもいいけど出すべきだった
まあもともと二股だったかもね
>>552 そのまま、伏見で家康が糾弾されたのは家康に非があり、
利家や他の大老が手を組んだだけ。
結局関ヶ原では誰が一番漲ってたんだろうか。
漏れの予想:松平忠吉
てるもとくんは、大坂城に入って秀頼様のために涙ながして、手紙書きまくって、相当頑張った。
彼の生涯で一番努力した。
隆景があと10年長生きしてたらどうなってたんだろう
隆景が大老筆頭、秀頼が御神輿か。
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 16:06:38
それはないでしょ、
本家の輝元や吉川を出し抜いて、
隆景が長生きしたら毛利閥が強化されただけ。
家康が大老筆頭なのは変わらんよ。
隆景が家康より長生きすればそうだけど、家康の野心を見抜いて毛利のために打倒家康はないかな。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 18:48:43
>>561 家康が秀吉薨去の後、大老筆頭として史実のとおりに行動すれば
彼が反家康になるのは必然。
それも豊臣のためではなく毛利生き残りのために
家康の行動は彼が吾妻鑑を愛読しているという有名な故事からして
目的ははっきりしている。
豊臣家における執権北条の立場になる。
ここでは毛利一族の立場はあえていえば三浦一族あたりか?
そして家康が露骨な行動をとる動機も明らか、天下取りするしか
徳川が生き残る道が無いから。
関東250万石の徳川は一大名として生き残るには巨大すぎ、豊臣は
足場が不安定・・黙視すれば秀頼長じて豊臣の足場固めの標的に
徳川が足利義満における山名のような立場に立たされる懸念もある。
徳川が天下の実権を握るしか徳川が生き残る道は無い。
それは毛利にも同じことが言える。徳川の天下で生き残るには
毛利は巨大すぎる。逆の立場で大毛利として生き残るには
この期に、徳川を悪役にして毛利が執権となってしまう以外
生き残る道は無い。
隆景顕在なら、もっと露骨な徳川と毛利の天下取りの戦になったとおもう。
隆景と家康どっちも寿命的にはそろそろ危ないお年頃だったし。
家康の目的は明らかというが大半はそう思ってなかったから。
長年培った「律儀者」という風評の賜物。
565 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 20:14:24
家康が吾妻鏡を愛読していたことから考える
ならば東国に別の政権をつくることも考えられる。
武士の発祥の地である関東を領国としている
し源姓を名乗っている頼朝を意識していたはず。
長年培った「律儀者」という風評の賜物>家康が仮に律義者であるとしても250万石を放置するのは禍根
を残すと考えるのが普通では、隆景・秀家・景勝・奉行衆みな思惑は違っても同じではないか?
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 22:58:35
外様に250万石もやった時点で豊臣終わり
568 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 22:59:21
晩年の秀吉は本当に豊臣家を続かせる気があったのか と疑問
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 23:02:37
英雄も耄碌したんだろうな、加奈氏ス。
どの本やドラマでも家康が大老筆頭になってから
勝手な婚姻進めたり因縁を吹っかけて征伐したことしか言われていないが
家康はその間もきちんと政治をやって評価されている
律義者の仮面を被ったヤクザに過ぎなかったらいかに250万石を持っていても
諸大名を味方として取り込むことは反三成感情を利用しても不可能
もっともそんなことを描写したところで面白くもないから描かれないんだが
テンプウするときに加増なしだと問題だと思ったんだろ
移動直後は野原だったらしいぞ
秀吉にしては、厄介者を遠ざけた上で、危険人物で周りを囲んで
しかも通り道には豊臣系を配置
万全の構えをとった
574 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/21(水) 02:08:45
毛利幕府の方が重商主義の分、鎖国政策を取らずに日本が列強になっていた
可能性は高い。そうなればアジアを主戦場にヨーロッパ諸国と対立
実際は植民地戦争だが大義名分は反キリスト教でいい
こうなってりゃ明治維新後無理して列強に追いつこうとして破綻した道を
通らなくても良かったと思われ。
毛利幕府実現の可能性は立花、毛利の大津部隊と石田、宇喜田の合流
いくら吉川でも主戦場に毛利の旗が翻ってしまえば東軍攻撃に応じざるをえない
つ【チラシの裏】
歴史おたの楽しみは脳内妄想もありだろう、大津の毛利軍到着時のよしかわ君の対応も見たかったね。
オナヌはひとりでしてください
他人は見せられても不快でつ
そんなこと便所の落書き用の掲示板で言われましても
その便所の落書きで必死にやられても(笑
基本的にタラレバ厨は放置。
まあ「大津の毛利軍が到着していたら」くらいの
スパンならまだ話のしようもあるけどね
今日見た「たら」「れば」レスでは
「毛利元就が関ヶ原まで生きていたら」
が一番輝いていたな
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/21(水) 19:01:39
>>574 毛利幕府実現というなら
立花、毛利の大津部隊との合流なんぞという設定せんでも普通に
小早川秀秋が西軍に参加したですむ問題だと思う。
秀秋が西軍参加すればヨシカワもさすがに参加せんとまずいだろ。
そして南宮山の毛利が背後を襲えば家康を撃つ確率も高まるわけで。
仮に逃しても、東軍のほとんどは殲滅できる。
東海道から関東を攻め上る際に大津部隊との合流が出来れば無問題だろ。
戦後、秀秋を暫定関白に据えるわけだが、彼は立場が脆弱なわけで
淀との問題もあるだろ―し・・秀秋は輝元の婿で一門の家を貰ってる
立場でもあり、彼を上手いこと使えば毛利が将軍就任するのも可能だと思う。
ちょーむりポ。
タラレバ厨は前提無視しるから相手にしては駄目だ。
毛利幕府を作りたければ大返しをしている秀吉を背後から追撃すればよい
それに反対して止めさせた小早川が秀吉に重宝されたことを羨んだ吉川は
関ヶ原で同じことをして自分が隆景のようになることを企んだが状況の違いを理解していなかった
毛利幕府なんぞ夢のまた夢で毛利には詐欺の被害者役が精一杯だろう
>>574 対外貿易路線は家康の方がまだ先見の明があったろ、二代、三代は別としても
よく聞く『戦国時代がそのまま続いてたら西洋列強に追いついてた!』
みたいな論調も現代人にとっては都合のいい歴史だろうが
『400年後の世界のために目先の平和は諦めてください』なんて
実際にその時代を生きる人間にとっちゃ糞喰らえって話だろ
ifもそこまでいくと甘ったれた妄想だよ
それに封建制度を脱却して統一国家になる過程を考えれば、
江戸時代はとても役に立っていると思うぞ。
中堅・下層武士が直接領地を治める事はなく、額面だけの領地。
藩が雑事の全てを代行して、一生自分の領地を見る事がない者も多かった。
そういった領地観が、明治維新でたいした混乱もなく
武士の既得権益を取り上げられた要因の一つだしな。
まぁ家康をはじめ徳川氏は戦国時代に完全に終止符をうったから
そういう意味じゃ凄いんだけどな
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 08:29:48
重農主義で引きこもった徳川の爪痕で日本が外交発育不全に終わったけどな
591 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/06/22(木) 08:51:51
>>589 土台は豊臣氏だよな・・・
既成の桃山の泰平の世で
家康は反乱に成功し、伊達は失敗した。それだけの事
とはいっても外征続きだからな、桃山期は。
戦場が日本の外に持ち出されただけで、戦そのものは続行。
太平の世は大坂の陣以降、好意的に見積もって関ヶ原以降だろう。
あと、家康の叛乱については何も言わないで置くけど、
なぜそこに伊達が出てくる?
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 12:15:14
>>592 >戦場が日本の外に持ち出されただけで
↑
だから何?国内統一なされたからこそだろ?馬鹿かてめーわyo
伊達が徳川の下で簒奪を伺ってたって歴史風説に乗ってるんじゃ?
595 :
鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/06/22(木) 12:39:41
(´・ω・)戦国時代に「完全」に終止符を打ったのは徳川氏ではなく、やはり豊臣氏だね。
徳川家が終止符をうったとする意見もわかるけど、やはりそう考えるより太平の世の豊臣政権を混乱に乗じて奪っただけだよね。
「混乱に乗じて」と取るか「わざと混乱させて」と取るか微妙なところ
つけ入る隙があったのは確かなんだけど
「総撫事令」の発揮された年が戦国の終焉
598 :
名無し募集中。。。:2006/06/22(木) 16:39:03
元和偃武が戦国の終焉
この論議は下のレスが事の発端
588 :無名武将@お腹せっぷく :2006/06/22(木) 01:13:35
>家康をはじめ徳川氏は戦国時代に完全に終止符をうったから、そういう意味じゃ凄いんだけどな
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 17:32:47
関ケ原はスルーですか?
>>601 そう思うなら話題を振れよ
戦国の終焉は島原・天草の乱
>>599 (´・ω・)ああ、あの続き?いや実は大したことはないのよ。
あの後、学芸員に聞いたら
学「私もテレビをみて、ハァ?と思いましたよ。利長が関ケ原にいたら歴史が変わりますよ。」と。
(´・ω・)「しかしテレビは博物館の人からそのように…」
学「だまらっしゃい!」
(V・ω・)「ひっ!」
学「だいたいにおいて!利長が関ケ原にいたなんて、我々学芸員はおろか、歴史好きの小学生だって鼻で笑う戯言ですよ!!ましてやご当地の大名の足跡を間違えるわけござらぬわ!」
(V・ω・)「し、失礼しますた。そうですよね!わたすも学芸員さんの言うことに禿上がる程、同意です!」
(´・ω・)つまりテレビ側は、学芸員から聞いた話と取材人の妄想が混同してしまいオンエアに至ったのではないかと推察されます。
だから私はこれを受けてフジに電話したよ。
「あの〜、博物館側は『そんなこと言ってません』っておっしゃっているのですが…」
すると、担当テレビマンの口から我々の想像を絶する驚愕の事実がっ!!!!!!1111111111111111
第三話!
『鳥屋驚愕!!担当が流した涙の理由(ワケ)』
ご期待ください ノシ
※なお上記の学芸員とのやりとりは一部誇張した表現を使っておりますので御了承ください。
引っ張ってるといつの間にか忘れてしまうからな。
606 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 19:05:42
>>586 少なくとも元禄期までは鎖国のプラス面が遺憾なく発揮されてると思う。
ただ、それ以降は時代にマッチしなくなってきて騙し騙し制度疲労しつつ
あるのを突貫工事で補強してかろうじて体裁保っただけだからな。
だから徳川の二代目三代目が悪いとは一概に思えん。
豊臣が続いてたらそりゃ海外進出は早まったかもしれないが、
国民は塗炭の苦しみを味わったと思う。
急激な富国強兵や国威発揚、海外進出に伴う歪がでまくって・・
まあ、こりゃスレ違いだがww
よく織田や豊臣政権が続いていれば鎖国しなかったと言われているが
家康だってオランダやイギリスと貿易を始めるなど鎖国なんて考えていなかった
だけど創立者の死後も長期間にわたって天下を安定させるとなると
キリスト教の排除と諸大名が外国から武器を購入できる状況をなくすことを考えなければならない
そうなると織田や豊臣だって貿易統制をやらざるをえなくなり徳川と同じことになる
薩摩藩の密貿易も阻止できない徳川鎖国なんざ本末転倒
>>588を書いたのは俺だが、豊臣氏はなんだかんだで大坂の役の発端となってるから
徳川が真の意味で戦国に終止符を打ったと思った。
そりゃ秀吉はすげえけどさ、秀吉没後には関ヶ原も起きてるし完全には終わってないよね
家康は海外貿易推進派。鎖国の弊害を家康に帰するのは間違い。
しかし鎖国政策も、少なくとも十七世紀の時点ではそう誤った政策とは言えない。
よって鎖国を行った家光とそのブレーンを責めるのも間違い。
鎖国が問題になるのはその後だよな。八代吉宗は少しずつ解禁していったし、田沼
の時代には松平利明や工藤俊介などが蝦夷地開拓と開国交易を主張している。政権
担当だった田沼も蝦夷開発に着手しており、開国を目指した気配もある。
それらの成果をすべて台無しにしたのが松平定信。こいつから日本の政治は歪んだ。
>>610 それも典型的な徳川史観だけどね。
単に家康の没後を狙う天下人が生まれなかったという事。
何故織田豊臣が臣下に簒奪され、徳川家がそれを免れたかは
トップの去就に影響されにくい安定した官僚体制に有ると言われるけれども、
老中の中から秀忠の失墜を狙う第二の家康が現れる可能性は有った
それこそ、豊臣大老の座から抜きん出た内府と同じように
>>611 松平定信が作った七分積金制度が
維新直後の明治政府の財政を支えたという話もある
まあ、皮肉な話というか・・・
かの渋沢栄一も松平定信を尊敬していたとか
直江兼継最強
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/23(金) 01:24:50
>>612 実際、徳川宗家の血筋が絶えた時には酒井による執権簒奪の可能性もあった
でも徳川時代には事実ほとんど大きな戦が起きていないのも事実で
一体どうしてそれが可能だったのかは議論すべきだろう
鎌倉時代後期の元寇後に北条家の勢力が異常に伸張したときに例外的に
大きな戦が無かったことはあったけどそれ以外は平安末期から大阪夏の陣
までもの凄く不安定だった。室町幕府なんて全盛期の義満の時代でさえ
周辺地域を従わせることはできなかった。漏れが思うに草の根の民衆の
武器放棄の意思が江戸時代を通じてずっと働いていたことが大きかったと思う
支配層がいかに民衆の武器禁止を打ち出しても実際は隠れて大量の銃器を
保有していながら一揆などには使わなかったという話は聞いたことがある
>>613 少なくとも定信退陣後暫くは幕府財政も好転したらしい。
将軍家斉の50人以上の子供の養子縁組や婚礼でその黒字も吹っ飛んでしまったが。
>>615 堂々と嘘つくな>実際、徳川宗家の血筋が絶えた時には酒井による執権簒奪の可能性もあった
618 :
ジェンキン寿司:2006/06/23(金) 03:35:18
余に一万の兵を与えたまえ!
徳川本隊まで斬り込みにゆく。
>>615 幕府が強権を発動できる初期の頃に勢力を確固たるものに変えられたから。
あとは武士のサラリーマン化。
というかもうこの話はスレ違いっぽいので別スレ池
620 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/24(土) 22:19:03
西軍が勝つとしたらどういうシチュエーションが必要?
どういうシチュっていうか、普通に裏切りがなければ余裕で勝ってた。
余裕で負け、裏切りも含めての戦いだしな。
裏切りが「なければ」っていってんのに、「含めて」とかホームラン級の馬鹿だな
余裕で負けとあるがなw
裏切りなければというタラレバ厨には裏切りあったから
ああいう形になったのが理解できないからしょうがない
で・・・・なんでこのスレにいんの?
そうだな、タラレバ厨は何でこのスレにいるのだろう。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/24(土) 23:57:31
>>626 あるがなって、前の前提ひっくりかえしてあるがなも糞もない。
タラレバ話が嫌なら放置しておけばいいだけ。
タラレバ話に史実はこうだからとか突っ込み入れるのが理解できない。
631 :
620:2006/06/25(日) 00:00:02
あの〜別に関が原で決戦しなくてもいいわけですよ。
篭城になってたりとか戦線がもっと拡大してたりとか。
タラレバ厨はアホだから関ヶ原に両軍が出て戦った理由も知らない
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!たられば話しちゃヤダヤダ!
`ヽ_つ ⊂ノ
ジタバタ
>>633 自称知識人キタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
636 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 00:05:02
前の前提引っ繰り返した時点で関ヶ原の戦いはありませんが何か?
タラレバ厨ファビョる。
(ヨ
〃〃∩ _, ,_ ノノ キィィィ ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!
⊂⌒(#`Д´)illi <タラレバ話はヤダヤダヤダヤダ!!
`ヽ_つ⌒ヽ(ヨ) ( ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!
⌒Y⌒ ドンドン
640 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 00:07:13
タラレバ厨駄々こねる。
( ´,_ゝ`)プッ
無知晒されると煽るのは典型的な(ry
低レベルな
ネイバーの朝鮮人みたいだな。>タラレバ厨
自ら負け組みの道を選んだ上杉悲惨(笑)
タラレバ厨は相手が一人しかいないと思ってるのか・・・。
これまた痛い。
650 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 00:23:35
自称凄腕ハカーがいるスレはここですか?w
おまいら必死すぎ
歴史検証の多くはタラレバ話なんだがなあ。
これがどうだったから、こういう結果に繋がったのではないか。
でもこれがこうだったら、やっぱりどういう結果になるとか。
史学検証で結果を覆す仮定の話なんて出てきませんが何か?
史学検証(笑)
関ヶ原スレの恒例行事だな
西軍厨がこうすればああすれば勝てたと西軍の有利な展開を話したがるのは
その為のスレなかったっけ?
>>656 隔離スレあるけどたまに巣から出てきます。
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 00:43:03
>>656 戦国版、西軍勝利?
それともバカニュース?
こんなんあった。
451:鳥屋◆Mzllk81HNE :06/06/24 23:36 ID:Uhp90i2Y
まずおまえらに糞バカスケといっておく。
さんざんチョンをバカにしてきた奴らが
日本がオーストラリアに負け、韓国がトーゴに勝った途端に、
『悔しいけど韓国強いや(^^ゞ』とか『韓国の強さを潔く認めるのが日本人の美徳』とか抜かし始めた屁たれども。
私は正直にチョンが嫌いなら、へたに気持ちを翻意しないように皆に警鐘を鳴らした。引き続きチョンを叩け!と励ました。
しかし勢いに飲まれている屁たれどもは私の忠告を一笑に付した。
しかし、韓国が一次リーグ敗退がきまると、洗脳が解けたように、再びチョンを猛烈に叩き始めた。
はっきりいっておまえら最低だ。首尾一貫、初志貫徹ということばを知らんのか!恥ずかしい人間どもめ!
叩くなら叩く!誉めるなら誉める!どっちかにしろクズが!!
はっきりいっておまえらとは組めない!!信用できん!
背中を見せた途端に、うしろからバサッって斬り掛かられそうだからなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
とにかくおまえら逝ってもらっておKよ!(^.^)bおk!
検証と称しつつも
結局単に西軍を勝たせたいという願望だけでしょ
せめて架空のファンタジーの世界だけでもっていう
もう虚しいだけだからここではやめようね
三戦板なんだから妄想専用の別スレたててもいいと思うし
しかし西軍派が電波を飛ばすおかげで
東軍が当時の情勢を細かに語って論破するのは端から見ていても勉強になるよ。
そう言う意味で、ある程度の毒は薬になると思うぞ。
それ以前に個人的には、多少の史実にはない仮定の話をしてもいいと思うのだけど、
例えば、こういう条件ならどうなっただろうか?とか。
しかし、
>>620の言い方では最初から西軍を勝たせるという結論を提示して、
それ至る方法を問うているのであって、
最初から検証と称することすらない単純な願望にしか見えない、さすがにそれは無意味だと思う。
花の〜以外で関ヶ原関連の面白い漫画ありますか?
仮定のテンプレつくったらどうだろ
〜〜ならば? → 〜で無理
誰か頼む
秀吉死亡から西軍敗北に至るまでの過程で
豊臣が徳川を完全に従えられるチャンスはどれだけあっただろうか?
ていうのはおkかね?
だれかが秀頼を担いで独裁。
後は適当な口実で家康を討てばOK。
667 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 17:27:05
当時の豊臣に家康を討つ力などない。
家康どころか毛利、上杉、島津さえ難しい。
というかなんでみんな家康を潰せると思うの
だろう?そして潰したがるのか?
家康嫌いなんだよ
遡って、どうすれば長久手戦で家康を切腹に追い込めたか
関ヶ原ネタじゃないけど・・・
前から出ているネタだけど、その場合は、家康が降伏するまで徹底抗戦だな
しかしこの場合、九州から島津が来る・・・
何、島津如きに畿内は取れない
そこが家康に専念すべき正念場
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 19:19:39
>>670 切腹に必要など無い。
ようは家康が敗走する状況にまで追い込めば
切腹にいたらずとも徳川の所領を大幅に削減し
関東を丸ごと与えるような行為をせずにすんでいた。
そしておそらく朝鮮出兵への出兵もおこなってかなり消耗を
余儀なくされていたと思う。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 19:23:59
ただ島津が九州丸ごと版図としてしまっていたろうし
その島津征伐の経緯次第で
奥羽を伊達が統一する時間的余裕を与えてたんジャマイカ?
佐竹を伊達北条に挟撃されてしまっていたりするかもな。
ただこの場合、徳川をかなり削減させられるうえ
島津や伊達も史実どおりに敗走に追い込むのは確かなのだから
外様の勢力を若干弱める勢力配置が可能になったと思う。
小牧の時点では秀吉にとっては家康は織田に忠実な同盟者で勝家のような犬猿の仲でもない
島津や伊達を増長させるくらいなら取り込みを図って解決するのは当然の選択
このままだと信長が家康と同盟せず美濃ではなく三河を侵攻すべきだったと言い出す輩が現れかねないな
島津が北上してくれば、北条も動く可能性が
そうなると秀吉包囲網だな
長宗我部も加盟か
天下へ遠のく可能性が
そうなると朝鮮には行けないから、対外的には良しか
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 19:58:41
天候不順で安倍川・大井川・天竜川が次々に氾濫
東軍家康隊が足止めされる
一方秀忠隊は真田と適当なあたりで手打ち岐阜城下へ先行
ここを西軍に叩かれ三河に後退
家康隊は士気が落ちて豊臣恩顧の大名は様子見で離脱
家康隊はバラバラになり秀忠隊と合流、再編成して江戸に戻る
畿内から美濃までを押さえた豊臣家の経済力は大きく
数年後再編成した西軍に江戸城は陥落
678 :
名無し募集中。。。:2006/06/25(日) 21:10:57
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 22:39:51
左様、花の慶次ならば月代の三成。サコンならば総髪の三成が堪能できるのじゃわい…。
680 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 06:56:22
家康が関が原に到着しないで、戦いが始まれば西軍にも勝ち目があった?
そりゃそうだろネ。
でもその場合は関ヶ原戦が無いかも。
若しくは、関が原が岐阜や伏見のような小規模戦線に落ち着いたか
ただ関が原以外で決戦の選択肢になりそうな地というと・・・箱根位?
家康が来る前に岐阜落ちてるのに、なぜ箱根?
684 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 16:43:34
大坂方から軍資金や兵糧米が出ない時点で西軍
は終わりでしょう。
恩賞は期待できないは、大義名分がなければ
反乱軍ということになるはじゃ戦意が無くて
当たり前。
>>683 箱根はないな。岐阜が陥落してるから、大垣周辺で睨み合いかな。
家康が来なければ、東軍も仕掛けられないから西軍と対峙して膠着。
前田の南下が予想されるから、田辺の部隊か大津の部隊を佐和山城に入れて対抗、
こちらも睨み合い、となると補給の苦しい西軍が不利かも。
>>685 そうなると大谷刑部が離脱して敦賀に帰国、北陸勢迎撃の構えになるだろうか
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 17:11:30
豊臣積極加担 はどうしたらできる?
>>687 西軍が家康に勝たなければ豊臣は動かない
689 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 17:56:12
家康が関が原に到着しなくても、代わりに秀忠が到着していたら結果は同じだったと思う?
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 18:50:36
>>685 その場合勝っても天下仕置きは徳川の手で行なわれないような気がする。
西軍とほどほどのところで和睦しちまうかもしれんし
三成の切腹くらいで手打ちしてさ
>>689 事前の情勢、つまり小早川裏切り吉川も内通という状況から考えれば、
家康の代わりに秀忠軍でも東軍が勝ったと思う。
しかし、すんなり裏切るはずだった小早川が最後の最後で躊躇したという、
実際の状況を考えると秀忠では危なかったかも知れない。
小早川軍に向けて鉄砲を撃ちかけて云々といった逸話の真偽はともかくとしても、
歴戦の戦国大名家康と初陣の秀忠では、敵味方に与える心理的な影響力もかなり違っただろうし、
万が一小早川が東軍を攻めた場合、家康ならともかく秀忠に対処できたかどうか。
補佐役の側近も足並みが揃っていないことは上田城攻めで確認済みだし。
状況次第だが、秀忠だけでは決戦に及ばないのでは
流れでということはあるかもしれないが
家康為しでも勝てるかもしれないが、この場合もしかすると
吉川がというか毛利が西軍に参加するかも知れないな
693 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 20:44:16
家康隊3万の代わりに秀忠隊3万8千が桃配山に布陣するだけの話だろ
他の布陣は東軍も西軍も変わらないのだから、東軍が史実より8千だけ多くて
西軍は史実と変わらないけど、それでも東軍が史実より苦戦すると思う?
当然苦戦
というか危険だなw
>>693>>694 東軍の強さは家康のカリスマ性によるものが強いんじゃないかな。
秀忠は大した戦歴がないし、徳川家のなかでも立場が強いともいえない。
小早川なんぞは家康がいても怪しい訳だから、秀忠采配で東軍が苦戦に見えたらどう動くか不明。
豊臣恩顧の東軍にしても家康が居るのと居ないのでは士気が違う。
秀忠が家康より先に到着してたら、間違いなく家康の到着待ちだろうから関ヶ原での戦いはないだろう。
むしろ、家康到着前に東軍撃破を狙って西軍が仕掛ける可能性はあるかな。
696 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 22:42:10
秀忠が大将では毛利は西軍参加濃厚の上に東軍は寺沢、田中らが寝返る
可能性が出てくる。
>>686 大谷が大津軍と合流して、近江で前田を迎撃するのはあるかもしれない。
>695 家康が岐阜攻略にも関わらず出陣しない、もしくは秀忠を大将にして送るなぞすれば、
さすがに豊臣恩顧連中も西軍に付かずとも離脱者が出るかも。
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 22:49:56
699>>
意味不明??kwsk
>>700 史実で家康が来る前に仕掛ける時間はあったが・・・・
遅れてくるのとこないのは違うんじゃないかな
広家は家康と戦わなければ桶?
伏見や安濃津は攻めてる。
705 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 23:58:05
>>697 名将大谷+西軍の武闘派大津部隊対前田の大軍の大激突!!
見たい!
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 00:31:00
>>693 秀忠軍は3万8千のうち、森忠政・仙石秀久5千程度を上田の押えとして配置している。
家康軍は3万+井伊・松平・本多の7千
だから桃配山に布陣できる秀忠の軍勢は3万3千
家康が到着する前に福島あたりが挑発されて先走る展開ってありえないかなぁ?
やっぱ本多・井伊が止めるか?
>>707 ありえなくはないけど、慎重派の三成が挑発しないのでは
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 04:27:06
>>706 東軍が史実より3千だけ多くなるけど、それでも秀忠の采配では不安かな?
710 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 04:47:59
東軍が負けていれば
「信康が生きていれば関ヶ原の遅れは無かったのに」とか言われてたんだろうなw
秀秋の寝返りも西軍が疲れてきて勝てそうに無いと思ったからではないか?
それなら家康でも秀忠でも何も変わらない。
でもないな。
秀秋は家康が美濃に来る前から家康に使者送ってる、松尾山に来たのは家康が着たから。
家康が来なければ秀秋は来ないだけ、広家もなー。
広家もなー>広家は秀秋と違って転戦してきたんジャマイカ?詳しい人よろPk。
715 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 18:28:07
小早川は来なくても吉川は来るだろ?
吉川はでも西軍として動くカモよ
717 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 20:07:56
小早川の代わりに誰が松尾山に布陣するのだ?
松尾坂内でもおいとけ
719 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 20:42:34
低脳しかいない馬鹿な西軍は、何故、負ける戦をしたのか?
低能でも意地を見せられる事を示したかったから
721 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 20:58:46
豊臣が西軍の味方になってくれると勝手に思っ
ていたんだろう、だけど豊臣は我関せず、三成
、宇喜田、小西ぐらいしか戦う意味がない。
この状態で西軍が勝つというのがそもそも無理。
>>709 そりゃあ不安どころの騒ぎじゃああるまい、
秀忠は初陣で合戦経験ゼロなんだぞ?
>>719 不利は明らかだろうがやる前から100%負けが決まっていたわけでもない、
そして今やらなければ状況はさらに家康に有利になって、
今以上に勝率が下がるだけ。
723 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 22:46:52
三成はここにいるタラレバ厨と一緒で、ならば勝てると思ったんだよ
毛利も小早川も豊臣恩顧も味方すると思ったんだ
>>724 勝機があると思うから挙兵したんだろう。
多くの戦いがあったが殆んどの場合敗者の方も勝利の可能性があるから戦った。
不利な状況で負ければ、結果を知っている我々からは愚者扱いを受ける。
不利な状況で勝てば、英雄・知将扱いを受ける。
だが神話化されている桶狭間など、知将と呼ばれるか愚将と呼ばれるかは実際はその差は
紙一重なものも多い。
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 00:04:26
後付けの理論ではなく敗因の分析は意味がある
と思う、西軍の場合は準備段階から問題がある
と言わざるをえない、
敗因の分析も後付けの理論、まあ意味がないとは言わんがw。
728 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 01:06:29
秀吉の生前は政権の中心にいたから三成は勘違
いしていたんだろうね、自分が動けば豊臣も諸
大名も味方につくと、
それはあるかもね。真意はどうあれ、自分には豊臣を守る名分が
あるんだから起てば皆も自分のもとに集まると思っていたのかも
実際は集まらなかったけど
三成って司馬氏の影響かどの小説もかなり義人に書かれてるし、
市販の研究本でも結構ある意味では絶賛されてるのが多いと感
じるんだけど、実際どうだったのかね…?この人の兵を集めたり、
決戦することが出来た手腕はともかく、関ヶ原でも人間的に損
してる所が多いと思うんだが
730 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 05:35:40
少なくても関ケ原の頃は信望はなかったと思う
朝鮮出兵のことなどで諸大名から不満が噴出して
五奉行から失脚させられたのではないか。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 09:25:42
>>727 そういう意味では事前に必敗を説いた大谷くんは偉い。
三成が負けるって思った人は初めから西についてないと思うよ。
この人部下にも無謀じゃないか?って言われてなかった?
三成が勝つと思って付いたのは僅かだと思う。
三成が勝たねば先がない危ういと思い味方したり、家分けたりが大半。
これは東軍にも言える。
三成は挙兵すれば多くの豊臣恩顧が味方すると思ってた。
福島さえ味方すると信じ切ってたから、家康が東海道を上ってこれず、
尾張に攻め入る事もしなかった。
桶狭間程には無謀な話でもないからな
成功の見込みの微妙な低さで行けば第一次・二次反織田包囲網に近い
735 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 17:20:16
桶狭間の場合は無謀もなにも戦うしか道は無
かったが、関ケ原の場合は戦う必然性は無かっ
たのでは、
736 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/06/30(金) 17:24:30
つ 松平に習って今川に臣従
737 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 17:48:07
今川が長年争ってきた織田を完全に潰すつもり
で攻めてきているからどうなんだろう。
城の救援が第一目的でしょl
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 18:24:29
終わりの下3軍の支配が目的でしょ、信長も程々に今川の先手に打撃を与えようとしただけ。
>>732 裏事情を知らなければ、2大老が連合して(3大老とも見える)豊臣の行政官たる奉行衆の連署で徳川を弾劾してる訳だから
豊臣の意思に見えるンじゃないか、それで集まって見たが、豊臣はやる気無し、毛利も屁たれ、でだんだん士気が萎えて、脱落。
(
) ゴ オ 死
( ミ タ ね
( 野ク よ
) 郎 ど ア
( も ホ
〜、_ _
/\__`,〜〜〜´
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.| _ノ' 'ヽ、_ .::|
| ノ●ゝ, 、ノ●ゝ、.:::|
.| o゚ ,ノ(、_, )、。゚ .:::|
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真の糞はお前らオタクどもだアホ
(
) ゴ オ 死
( ミ タ ね
( 野ク よ
) 郎 ど ア
( も ホ
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真の糞はお前らオタクどもだアホ
unn
>>735 豊臣のためであろうが、或いは政権内での自身の返り咲きの為であろうが、
家康の専横を止めようと思えばあのタイミングしかない。
後になればなるほど家康有利になるばかり。
まあ、三成の目的がもし後者であるなら必死に家康に取り入るって選択肢もありえるが、
それを言えば、信長も今川に降伏するという選択肢もあったということになる。
桶狭間も無謀ってほど、兵力差なかっただろ。
後に話が大きくされてるだけで。
結構ある
でも講談ほどではないね
少なくとも直接戦闘した実数にはイメージほど開きはないね
奇襲戦ではないっていうのが通説になってるし・・・
744>>
高虎みたいにかな、そんな事しないのが三成の良いところでもあり、愚かなところでもある。
750 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 23:59:10
秀吉の生前には三成は政権の主導的立場にあった
のだから朝鮮出兵の失敗などにより失脚させられ
たとしてもおかしくないとは思う。
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 00:00:05
>>749 完璧に通説になってるよ。
流石にそこはすでに信憑性を論じるレベルでもないくらいみたい。
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 00:09:52
>>749 奇襲なんて今時DNQテレビぐらいだよ。
桶狭間が奇襲戦ってのは、とっくに終了してると思ったが・・・・・・
まあいい。
とりあえず関ヶ原スレだから、やめとこう。
なにが
西軍ひっぱい
桶狭間は奇襲戦だし、一夜城は本当に建ったし、武田の騎馬隊も存在した
はいはい、もういい子は寝ようね。
正面戦とすれば尚更無謀だった尾張殿
三成にも、
そうやって勝ちを拾った三法師程の洞察力があっ「たられば」
>勝ちを拾った三法師程の洞察力
勝ちを拾ったかもしれないが、洞察力はないとおもわれ。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 01:31:30
>>759 そうだそうだ。
手取川で謙信に惨敗し信長は命からがら逃げた
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 01:38:21
三成は秀吉が死に、奉行を解任された時点で
すでに過去の人なのです。
関ケ原は彼が政権の中枢に返り咲くために起こし
た日本史上最大の悪あがきなのです。
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 03:11:38
仮に三成が挙兵せず家康が豊臣政権の執権についていたらどうなっていただろう
秀頼が成人後にやはり史実通り豊臣家の滅亡を計った後、北条家同様に
朝廷から傀儡関白をかりてきて徳川執権体制を磐石にしていただろうか
それとも豊臣家を象徴とした諸大名連合政権のようになっていただろうか
日本には朝廷という象徴には事欠かない権威があるのでやはり後者の道は
選択しずらく最終的には豊臣家は滅亡か小身大名になるしかないかも
しかし豊臣家は小身大名か旗本としてなら生き残れたはず
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 05:17:08
もし秀吉が天下を統一する前に死んでいたら、どうなったと思う?
768 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 05:35:40
>>766 それをさせないように家康が傍若無人に振舞ってたんだろ
三成が何もしなかったら、大阪の陣みたいに
よく分からんことでイチャモンつけて上杉や毛利が前田みたいに
人質要求されて、反発してただろうよ
つーか、秀頼がえらいでかくなって家康がビビったから滅ぼしたんじゃなかったか?
どっちにせよ、蒲生氏郷や前田利家が死んだ時点で豊臣終わり
769 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 06:25:01
>>769 豊臣には足利、山名、武田、今川、織田のように小身になって
生き残る道はあった。秀吉の子孫はいないが信玄や義元、信長の子孫はいる
陰湿な狸親父相手ではムリだな、皆殺し乙。
何故か、三成の息子は殺していない
定石では皆殺しだが
家康は三成みたいな男は何気に好きなのよ。
忠誠心が高く、私利私欲に走らず、己のために蓄財せず、家康の理想の家臣。
嫌いなタイプ、欲が深く、私利私欲の為に主家をダメにする馬鹿。
本多正信みたいな感じ?
正信は昔、そむいた事があるからね。
それが負い目で家康の前ではなお更謙虚、三成とは違う。
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 00:19:21
家康違いの条々はいきなり第一条に浅野と三成
を罷免したことに対して抗議している。
つまり、豊臣のためではなく己のための戦い、
加藤達に追われて家康邸に逃げ込んだのも三成の株を下げてる
誰のせいで豊家が割れてるのか、自分を泳がせれば家康がどう得するか
知っての挙動だろ
777 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/07/03(月) 13:22:00
三成って東軍で言えば誰?
本多ほどには人を見る力も無いし
藤堂高虎辺りが家康に挑戦するのと同じか
778 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 13:33:03
西軍についた人は最初は豊臣の代表であり総意
だと思っていたはず、
しかし実際は武断派は東軍につくし大坂は我関せ
ずだし、失敗したと思った人多かったんだろうな
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 16:54:33
人望のない石田如きじゃ、家康を倒すのは無理。そう大谷もゆってるお。
豊臣についたつもりの大名も大課ツ他と思われ。
>>779 人望以前の問題だろう、実力が違いすぎる。
だから、総大将がてるもと、副賞が秀家、しかも豊臣の支持を得てると見せかけるための
奉行連中の支持で体裁は整えた。
782 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 17:56:31
その肝心の豊臣は知らんぷりなんだがw
つ、豊臣の支持を得てると見せかけるための
784 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 18:08:49
三成が本当に豊臣家のことを思っているなら
朝鮮出兵失敗の責任を一人でかぶり自ら奉行の
職を辞し豊臣家に不満が向けられないようにす
るべきだった。
でも、結局は同じじゃない。
786 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 19:05:57
やっぱり三成だって自分がカワイイから、そうするはずないじゃん。
>>773 本多正信は徳川家のために考え出す策略こそ汚いものばかりだけど、
自身は清廉そのもの。領土もたった二万石で、それ以上は望まなかった。
息子の正純に「大身を欲するな」なんて教訓を残しているくらいだよ。
毛利元就みたいな奴だな。
まぁ有名な話だけどね>息子の正純に「大身を欲するな」
父の言いつけを守らず加増を受けた後に、吊り天井事件や土井利勝らの謀略で幕政から外されてしまった。
かつて大久保忠隣らを追いやった罰が当たっただけかもしれんがな
大久保忠隣の件は家康の公認でもあった訳で、正信だけの責任にするのは酷ではないかな。
忠隣も正信も忠臣だな、気の毒なくらい。
792 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 23:21:39
正信は家康のために汚名を一人で着た。
敵からも味方からも嫌われたし、それに報いられることもなかった。
793 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 23:34:35
>>721 それこそまさに忠臣だよな、読んでてせつない
気持ちになった、そして正信が好きになりそう
な気がした。
794 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 23:37:17
721じゃなくって792だった。
なぜこのようなミスを…
佐竹義宣です。
石田クンが兵挙げるの早すぎるから、
せっかく上杉クンと挟み撃ちにしようとしてたのに家康に逃げられちゃったよ。
だからやることなくなっちゃってぼけーっとしてたんだけど、
石田クンのために何かしてあげられたかな?
南は家康の長男が通せんぼしてるし、追いかけるのもどうかと思ったし。
こんばんは
石田です
あの時点で私が出陣しなければ、上杉征伐を名目に集結した方々が
そのまま東軍に組み込まれてしまいました。
そうなった場合、西軍の勝ち目は大幅に低下することは否定できません。
こちらとしては、ぎりぎりの選択であったのです。
ところでお伺いしたいのですが、上杉さんもあなたも東軍が目の前に
来ていながら何をしていたのでしょうか?
あなたたちが東軍主力を釘付けにしておいてくれれば
直江さんと示し合わせたように東西から家康を挟撃して
必勝の態勢を構築できたのは確実です。
合理的かつ納得性の高い回答を求めます。
797 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 00:17:39
増田です。
誰かさんは、秀頼様のためとか言っているけど
本当は自分が奉行に返り咲くためなんです。
そんなことになんでオレたちまでつきあわさ
れなきゃならないんだよ
それにあいつの方がオレより下なのになんで威張
っているんだよ、むかつくから軍資金も米も
出さない。
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 00:25:26
上杉は無口なので直江が代理でお答えします。
あの時点で上杉は背後に最上伊達を抱えてました
こいつらをどうにかしないと関東にいけないんです。
上杉は回り全部敵だらけです。
こっちの敵は家康だけじゃーありません。
せめて東軍主力が領内に入ってくれないと多少でも勝ち目のある戦は無理です。
それにあなたも長期戦を前提として、私どもが奥羽を固めるのをご了承されて
ましたよね。
なんでいまさら、そんな主張をされるのでしょう。
それよりも石田のほうにご質問したいんだが
なんで秀頼様を旗印に出来なかったのでしょうか?
あなたが主張しているように「豊家の為」ならば
秀頼様がお名前出していただけてるはずでは?
せめて暗黙の支持とか軍資金の出費とかあっても不思議じゃないのに、
あなたは自分の財産きり崩しても
大阪は軍資金を調達してくれてないですよね?
どうしてでしょう?
私どもは豊臣家の意思で徳川を討つというので勝算有りと考えてたんだが
どうみてもあなたの勝手な行動のようにしかなってないんですが?
合理的かつ納得性の高い回答を求めます。
なんで山内一豊が東軍についたんでしょうか?
800 :
千代:2006/07/05(水) 08:25:27
強いもんに付くだぎゃ。
>>799 だって福島が超睨んでるんだもん
あいつ怒らすと恐いの知ってるだろ?
この前も池田が超怒られてたし
大作w
あの桶屋の息子も十数年ぐらいすれば見違えるほどの分別がつくよw
それはそうと先駆けは我らがもらった!
三成が挙兵しなければ上杉なんて普通に粉砕されて終わりだし、
その時上杉側につくほど佐竹はアホじゃあないだろう。
実際東軍の主力軍が関東を離れてさえ、静観していただけなのに、
主力軍がいる状況でそれと事を構えるはずがない。
805 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 23:49:56
上杉>>>>>>石田
上杉謙信が元気でも徳川には勝てないか
ありえない仮定だけどな
また上杉厨の妄想が始まってしまったのか
上杉謙信(笑)
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
前田利家さえ生きてれば家康の天下は無かったと言われるからには
謙信では尚の事・・・
812 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 00:24:03
佐竹はつくんじゃないかな
811 名前:無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日:2006/07/06(木) 00:21:17
前田利家さえ生きてれば家康の天下は無かったと言われるからには
謙信では尚の事・・・
>>810 そんな窮地を救ってくれた上に本領安堵、秀吉・三成にに大恩があるわけだな。
815 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/07/06(木) 00:30:00
利家が唯一家康を止められる大老だったのが事実としても、
そこでどうして晩年負け続けの田舎武者が来るんだw?
>>811
>>804 佐竹は親子で対応が割れていたからな。
徳川の人質要請は断っているし、裏で上杉との折衝はしていたようだから
上方で東軍敗北、もしくは上杉が南下してくれば参戦したんじゃないかな。
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 00:33:11
晩年負け続けの田舎武者が来るんだw>誰のこと?検診か?
上杉謙信はキモイから他のスレでやってくれ。
藻前の改行厨ぶりもキモイ。
否定できん
つーか上杉が出てきたとたん、急に増えたなw
・徳川史観狂信者
・武田騎馬軍キチ
・毎度お馴染み信長厨
>>823 ああそっか
検針と聞くと嫌な思い出がw
826 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 01:39:12
無知で自己中の秀吉厨
まぁ関ヶ原スレで一番の害は西軍厨なんだが
上杉厨だろう
関係の無い話題を持ち出し、自演でスレを荒らし続ける
上杉叩き厨だら
過剰に反応して荒らし回る
メモ
また〜のか
(笑)
糞
否定できん
反論できんorz
831 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 17:15:38
真田厨ってやだな、言葉の響きが、
サナダ虫みたいで
>>816 逆に言えばそれ以外の条件では多分参戦しない。
そして上杉は南下できないから結局本戦で西軍が勝つか、
最低でも西軍に有利な感じで長期戦にならないと、
佐竹を西軍としてみることはできないかと。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 21:09:48
その馬、「急に鞭で打たれたので」・・・とか言ったりしない?
>>832 家康にすれば長期に関東を空けることは危険なことに変わりないので、
短期決戦に出た面もあるかもしれない。
佐竹が小山で徳川に奇襲してたら面白かったな
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 20:44:51
>796 石田さんの
石田さんが兵を挙げなかったら西軍大名が東軍に組み込まれてって、
小山で離反した大名って真田以外にどっかいたっけ?
>>837 いないはず
宇喜多なら離反したと思うけど
ただ宇喜多だと難癖をつけてつぶしかかったかもしれない
あんまり有名じゃないけど、いたんじゃないか。
840 :
名無し募集中。。。:2006/07/07(金) 22:35:15
宇喜多家から上杉討伐に派遣されて既に家康に合流してた軍勢は
その後西軍が蜂起してからも東軍にとどまって
関ヶ原決戦当日は黒田隊の一部として戦ってる
841 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 22:59:42
家康は小山会議で、妻子が三成に人質に取られてしまう危険がある者が多いのを知りつつも
三成に味方したい者は遠慮なく陣を払って帰還しなさいと言った
そして実際に真田昌幸が西軍につくというのに手を出さずに認めて帰らせた
三成は家康に合流するために東へ向かう者を無理矢理捕まえて嫌々西軍に組み込んだ
人間の器からしてまるで違いすぎる
西軍の数が思ったより多くて家康が慌てたとか、19万石の三成がこれだけの軍勢を集めてのが凄いとか
全くのナンセンス
そんなのは馬鹿馬鹿しくてまるで意味が無い
数さえ多けりゃりゃいいというものじゃない
ヤル気のないものを無駄に集めたところで結局どうなるかは
史実がよく物語っている
まず家康がしたことは
自身は手を出さずに
集まった諸将の自発的な意思という形で岐阜を攻めさせたことだった
一方三成がしたことは
人質を取ろうとして
それすら失敗して細川ガラシャに死なれて諸将の反感と憎しみを買っただけだった
この時点でもう圧倒的な両者の差は明らか
かと思えば、島津が折角自発的に意思を示した夜襲案を一蹴して
更に信頼を失ったり
840>>
宇喜多のって、彼らが何で東軍なのか調べてみな。
841 アホ?マンガの歴史本ばかりじゃなく、お勉強しようねボク。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:13:49
846 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:19:54
843>出羽野神 乙
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:36:36
>>841 あまりにも歴史小説鵜呑みにしたというかTVの思惑通りというか
史実を考察まったくしていないというか
な意見がいっそほほえましいですね。
まぁでも三成と家康では器や何もかも違いすぎるのは事実なんでしょうがない
849 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:39:52
>>837−840
主家と敵対して東軍に加わった宇喜多隊は、ありゃ東軍に加わって当然だろ。
あの仕打ちではね。
あの場合の責任は秀家のほうにある。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:39:59
>>844 それって秀吉厨に言った言葉だと思った。
アンカー間違えて打っただけだよね?
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:43:35
>>847 またアンカー打ち間違えてますよ、
それ秀吉厨そのまんまじゃないですか。
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:44:40
家康と三成では政治家としても武将としても経験、洞察力、統率力、勝負勘
その他で役者が違いすぎたのは確か。
というか三成は強力なリーダーを補佐してサポートする才と事務能力がメインなので
リーダーたるべくして経験をつんできた家康と比較するのは筋違いと思う。
三成の不運は西軍に補佐するに足るリーダーが不在だったこと。
853 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:48:07
>>細川ガラシャに死なれて諸将の反感と憎しみを買っただけだった
これは確かに事実だが・・確か大阪にいた諸侯の妻子は安芸に送られた
ないし送られる予定だったそうなのだが
これは確かなのかな?
そうだな、三成の不幸はそこにあるな。
タラレバ厨になるが、秀長、隆景、氏郷、利家のだれかでもいきてればな。
まあ、その場合家康は動かないだろうけど。
855 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 00:52:02
秀吉が居なくなって秀長が率いる時代になれば豊臣はむしろ安泰だろうな
>>849 本人達は納得できないだろうが、近代大名?に生まれ変わるには避けて通れないだろうね。
>850>851
うざい、神君厨が。
秀長生きてたら、豊臣の崩壊はなかっただろうし
利家生きてたら、家康の独走もなかっただろうが
隆景と氏郷?隆景は兎も角、氏郷が何するんだ?
>>858 氏郷って反家康派でしょ、その彼が生存しているということは、上杉は越後に居る。
会津と越後の両方に反家康派の大勢力がいることになる。
氏郷なら尾張派をまとめて、豊臣をかついで家康に対抗しうる。
ということジャマイカ。
信長の眼力が試されるな、麒麟児。
>>859 >氏郷なら尾張派をまとめて、豊臣をかついで家康に対抗しうる。
これが無理あるな
つか氏郷は反家康でなく親利家なわけで
>>841 家康は250万石というダントツの石高で、単独でもかなりのところまで戦える戦力がある、
その上5大老の筆頭で圧倒的に有利な立場。
その家康が帰りたければ帰ればいいというから、器の大きさや余裕を示すことになり、
聞いた方も家康についていけば大丈夫だという気持ちにもなる。
対して19万石で罷免された元奉行の三成が同じことをしても重みがまるで違う。
圧倒的に実力不足の三成は家康にどうにか対抗する為に、
ともかくまずは数をかき集めなければならなかった。
250万石対19万石という絶望的な差や、立場の違いを考慮せずに両者を比べるのは全くナンセンス。
確かに集めた具体を結束させることまでは出来ず結局は敗れたが、
だとしても、正に集めただけでも凄かったんだよ。
集めた部隊をです。
864 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 12:52:19
毛利、宇喜田を担ぎ揚げ、西国大名を足止め
して西軍を結成したことは十分評価に値する。
しかしそれだけであって全体的には杜撰さが
目立つ。
あと三成は秀吉生前には政権の中枢におり、諸
大名には豊臣家の代表と思わせていたわけだから、
十分家康の対抗馬になりうるので家康と三成
の石高を比較するのはナンセンス。
>>864 既に失脚していた事実を無視しすぎ。
それに能力はともかく奉行職の三成では大老の家康に対抗できない。
だからこそ当初は前田利家、関ヶ原の時には毛利輝元を担いだ。
そして政権内の権力闘争ならともかく、
実際に軍隊をぶつけ合う合戦に望む以上、
兵力とその裏づけである石高は極めて重要な要素。
奉行として辣腕を振るったと言っても、豊臣の代表は言いすぎだわな。
別に奉行職の筆頭って分けでもないし。
要するに最初から三成は家康に真っ向から対抗できるような存在ではなかった、
それでも、あそこまでやれたところは大したものだが。
867 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 14:49:16
石田三成に筑前、増田長盛に大和で100万石を与えるってプラン
実現してたら西軍の動向にも政局にも変化が出たろうに・・残念だな
この二人が計200万石になれば、それだけで徳川の石高に十分に
匹敵してこれに上杉&毛利&宇喜多の加勢で十分西軍優位にもっていけたろうに。
あれだけ徳川が好き勝手やってたのに
豊臣本体が動かなかったのが理解できない。
豊臣は大坂65万石はあるんだから18000人は
軽く動員できる。これを核にすれば毛利勢を前に押し出せるし
豊臣恩顧の七将もびびるんじゃないか。
賊軍認定されれば東軍からかなりの
造反者も予想されるしね。
>>868 さて、豊臣本体の意思を決定するのは誰でしょう。
秀頼はまだ幼少でその力はない。
淀殿はこの頃はまだ専権を振るってはいなかった。
北政所は京に移り、大坂城への影響力を失っていた。
大野治長は東軍に所属。
関ヶ原の頃の豊臣家に、強力なリーダーシップを持った人物なんていない。
家康寄りの立場の片桐且元をはじめとする烏合の衆が「どうしようどうしよう」と
ロクでもない協議を重ねたあげく、「勝った方に味方することにしようよ」という
最悪の選択肢を選んでしまった。そんだけ。
要は無能揃いの豊臣家内部に期待しても無駄ってことだよ。
徳川の東も三成の西も名目は豊臣の為、だからな。
どちらについてもよくないと思われる。
871 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 17:46:41
信長の野望的には
工作で士気低くしてから突撃すれば勝てたのではないかと思われる。
872 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 18:53:22
>>869 三成は実質豊臣みたいなものだろ。
それを言ったら福島とかもそうかも
しれないが。
三成が豊臣をのっとるつもりで
動員かければ良いのだろうが
そういうとこは変に自分に
厳しかったのだろうか。
>>870 表向きはそうだが徳川の専横は
誰の目にも明らかだったはず。
だから日和見がむしろ不自然。
>>871 そんなことせんでも、武将全員俸禄あげて忠誠100にすればおk
>>872 例えば福島や加藤は、三成が専権を振るっていると考えたから彼を襲撃した。
豊臣の譜代からしてこうだったのだから、外様の大名の感覚なんて押して知るべし。
傍から見ればどっちもどっちということ、当時の人間にはその後の展開なんて分からないからね。
それに、西軍が勝ったらどうなったかは分からないから、三成の行動が本当に豊臣家のためのものだったのか、
それとも豊臣政権内での自身の権力の為だったかも分からない。
もし後者であれば政権内の権力争いそのもので正にどっちもどっち、
真実はともかく、少なくとも、当時の人間がそう思ってもおかしくはない。
最大の問題は
>>869のいうとおり、豊臣家の意志を決定できる者が当時存在しなかったこと。
意思の決定者がいない以上いかなる行動も取れない、
何しろ何かをするという「意思」がないのだから、それに基づく行動もない。
幼君を抱えることの最大の問題点がここにある。
もちろん、三成にはそんな事をする権限はないし、
もししようとすれば名実ともに逆臣となってしまうだけ。
本来君主が幼すぎて自分で物事の決定を出来ない時は、後見人がついてその任に当たるわけだが、
豊臣秀頼の場合は、その後見人が他ならぬ家康。
利家が生きている間は彼も後見人でそれなりにバランスを取っていたが、彼が死んだ段階で家康だけ。
これではもうどうしようもない。
もし、秀長が生きていれば彼が秀頼を後見して外様の入る余地などなくしたのだろうけど。
三成が蜂起したのも単なる自分の復権・権力拡大のためにすぎないだろ
単に豊臣家のためではなく、自分が主導権を握って牛耳れる豊臣政権のため
三成が実質豊臣なんて
本人が死んで敵の家康が豊臣が天下を奪ったから結果を知ってる者が後付けで言えるだけであって
豊臣家にしっかりとした意思決定の主体があったとしても西軍に肩入れする意味はない
東も西もどっちもどっちで家来同士の権力争いにすぎないんだから
まあ、意思決定出来るのがいて、且それなりの判断力があれば、
権力争いに過ぎないとしても、250万石の大勢力家康がこのまま権力を握り続ければ、
いずれお家乗っ取りとかも可能になるかもしれないが、所詮19万石の三成では、多分そこまでは無理だ。
くらいの判断はするかもしれないがね。
もっとも、そもそも意思決定者がいればこんな事態にはならなかったと思うが。
例えば福島や加藤は、三成が専権を振るっていると考えたから彼を襲撃した。
豊臣の譜代からしてこうだったのだから、外様の大名の感覚なんて押して知るべし。 >
逆だろうな、俺らこそ豊臣の家臣なんて思ってる連中は三成を逆恨み。
外様連中は、うまく取り次いでもらえれば親になるだけ。
三成は私的な欲望で戦をしかけてないよ。
家康が法律を破って私的婚姻を結びまくって
やりたい放題だったからこそ
死にかけの利家が動いたわけで。
同じ豊臣の臣とはいえ徳川は不忠の臣。
というのは言い過ぎか。w
家康は戦国大名だから最後の下克上を
したんだろうね。
加藤やら福島の恩顧も徳川の下克上は
認めていたんだろうが秀頼を殺すとは
想像もつかなかったんでしょう。
881 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:37:41
>>877 会社組織ではよくある構図なんだよな・・ちゅうか漏れも経験あるし
現場組(制服組)と事務組(背広組)の対立
この場合営業と総務の対立かもな
営業拡大に失敗して社内のリストラ経費削減に向う仮定での責任問題の
なすりあい、派閥抗争・・・って具合に。
>>879 そうかも知れないが、いずれにしろ周りからは、
三成と家康の対立は権力争いにすぎないと思われてもおかしくはない。
その後の展開を知っているものはいないからねえ。
三成と家康の対立っつっても、ワンサイドゲームで家康の完勝だったのを
三成が輝元や秀家抱きこんで敗者復活戦狙っただけとも言う
あえて言えば、社民党が自民党を倒すようなものだな
たまたまうまく連合を組めたので数が集まった
まあうまく連合を組むのも能力のうちだが
885 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 22:49:35
元就が出馬していれば、西軍の勝機はあった
全てはそこだと思う。
元就3万の軍勢と、大津で攻めてた1万5千。
これだけそろえばなんとかなったろう
でも元就が戦意があったかどうかは別の話
それは釣りと見ていいのか。
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 22:58:40
輝元?
888 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 23:12:08
織田信高・伊藤盛正・岸田忠氏・ 秀頼配下の黄母衣衆ら2000は
戦ったの???
889 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 23:12:24
食いつきにくい釣りだな。
890 :
885:2006/07/11(火) 23:13:48
失礼。勘違いです
輝元、そう輝元が出馬したと仮定したら勝機はあったのではないかと
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 23:26:09
出馬って、お山から降りてきて東軍に攻めかかるってこと?
そのためにはさらに色々な仮定が必要だな。
片一方を仮定してるのに、相対する片一方は史実のまま動くと考える思考が不思議。
じゃあ
信康が出てくれば楽勝だった
894 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 00:15:42
謙信が生きていれ(ry
呂布が(ry
896 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 02:07:11
897 :
草創:2006/07/12(水) 02:28:20
898 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 05:44:35
織田信高・伊藤盛正・岸田忠氏・ 秀頼配下の黄母衣衆ら2000は
戦ったの???
899 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 05:59:33
三成は、なぜ小早川を懐柔できなかったのかな?
ヒント:三成はお世辞が下手
案外そうかも。
902 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 13:17:09
ゆれる思い
負けないで
904 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 14:41:43
カンウがいれば勝てた
幸村がいれば勝てた
秀吉がいれば勝てた
907 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 15:54:46
アームストロング砲があれば勝てた
あの矢さえ喰らわねば……
なんの矢?
910 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 22:56:20
いつも思うんだ
マシンガンが西軍にあれば勝てたと。。。
タイムリミットしてあの日に戻って渡してほしい
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 23:09:25
家康が元気すぎた。それに尽きるだろう
利家とそんなに年変わらないのに家康はピンピンしてるんだもの
912 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 23:20:02
75歳まで生きたなんてあの時代の感覚では考えられない
なんてしぶといおっさんだったんだ
913 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 00:42:55
もうじきこのスレも終わるけど、次スレからは
戦国版になるのかな?
戦国板だね
>>910 続戦自では
吉継が陸自から渡されたマシンガンで小早川軍追い払おうとしてたが
結局弾薬切れで潰されたな
916 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 07:31:27
人質戦法大好きのテロリスト石田クズ厨死ね。
戦国時代に人質戦法は当たり前だがね、家康もやってるよ。
細川の件が悲劇の講談になっちゃってるから、悪者にされてるだけ。
江戸時代なんて人質みんなから取ってたジャマイカ
そうなると、薩長同盟後は江戸にいる倒幕雄藩の人質は当然処刑?
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 12:05:11
時代飛びすぎ。
921 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 12:43:56
家康ならいざ知らず、人の気持ちを汲めない、人間として最低な野郎である、
石田の人質には、誰だってなりたくないよなw
人間として裁定ではない
>>921 すまんが、会った事ないからわからんよ。
924 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 13:23:39
>>921 そこまで器量のないやつが直江や大谷などと親睦を深めれるわけがない
家康厨って学校教科書に素直なんだろうな
926 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/07/13(木) 13:26:14
>924
文治派には徹底して優しかった三成
その何割でも正則に注いでやっていれば・・・
教科書には最低と書いてないだろ
三成は全員に公平だったと思うよ
杓子定規で公平過ぎたんだろ
死ぬ思いして槍働きして恩賞持ち越しじゃやってられんわ
平等原理の三成が
競争原理の家康に敗れたって事か?
そこまで状況をデフォルメできるもんだろうか。
931 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 16:16:25
三成は忠臣とか義の人とか呼ぶ人がいるけど
具体的には何を指してそう呼ぶのですか?
別にこれといって何かしてるように思えないが。
加藤清正の方がよっぽど忠臣だと思う。
加藤清正が忠臣と言えるか、議論の別れるところ。
正則みたいに豊臣が滅びるまで生きてればな。
933 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 17:27:55
人望がないのが三成の弱点。
根は悪い人じゃないと思うが、空気が嫁ないのが痛かった。
よくいるじゃん。根は悪くないんだけど、みんなから嫌われているヤツ。
それがきっと三成なんだと思うよ。
多分、周りの事を全く考えてなかったから嫌われていたんだろうね。
三成が朝鮮役の恩賞用意を怠ったせいで
大老家康に我先に大名達が靡いたのが豊家不運の始まりかねぇ>933
いつまでも豊臣の恩だけで大名が動いてると考える程の性善論者だったと
三成が朝鮮役の恩賞用意を怠ったせいで
大老家康に我先に大名達が靡いたのが豊家崩壊の始まりかねぇ>933
いつまでも豊臣の恩だけで大名が動いてると考える性善論者だったと
怠ったも何も恩賞を用意するような立場じゃあないわな。
937 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 19:06:50
>>934 朝鮮役の恩賞
それこそ秀吉の責任ざんしょ。
まして消極的だった三成とかに対し、積極的に進出迎合していたのは
不満組のれんちゅうではないですか。
そのうえ加藤清正は西軍参加OKの打診までしており
家康は正則や長政と三成が和睦して徳川を責めることを疑心暗鬼してた
つーくらいだから
朝鮮役での三成の態度とか三成嫌いが東軍参加の理由というのは
あまり理由にならん気がする。
恐らく理由としては朝鮮役が無駄働きだったから恩賞の代わりとして
国内を切り取り勝手したい。
がくそ真面目で融通のきかない三成ががんがってると邪魔
だから除いて混乱を煽れば・・・
戦キタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━!!!
領土拡張のチャンスキタ━━(゚∀゚)━━!!
もしくは家臣に漏れたちの恩賞無いのは三成のせいなんだぽー(つД`)
つーことにしとけば家臣どもも煩くイワンだろ(´▽`*)アハハ
・・その後
Σ( ̄□ ̄||ゲーッ三成討つべしだってー?やっべー家臣たちやる気満々じゃねーか
引っ込みつかね―よ・・
( ̄ヘ ̄;)ウーンこのままいっちゃうかー
てノリの連中バッカのような気がシル。
とりあえず、読みにくい。
三成は人望があったが、武将派が敵になったのが敗因
941 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 19:54:42
真相はこうだ
実は三成は毛利を恐れていた。秀頼をないがしろに出来るのは家康より毛利だった。いざとなれば家康と豊臣は戦うが毛利と豊臣は戦わない。だから毛利と家康を戦わせる必要があった。それが関ヶ原である。
意味分からん。
942 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 20:01:13
↑なるほど
毛利家と家康を戦わせ両者がぼろぼろになったとこで豊臣を復興させようとしたが失敗したんだな。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 20:01:55
なかなかに高度な自演をするな。
946 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 23:13:22
三成が正義って何で言い切るんだろう。
ジャスピオン=三成
948 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 23:30:55
小説に書いてあることを鵜呑みにしすぎ、
少しは自分の頭で考えてみるべき。
体制側を正統とみなした場合だな
もちろん体制側が正義とは限らないわけだが
しかし家康のあくどさを見るに(ry
家康は最後の下克上をしたのさ。
いやいや毛利も油断ならぬぞ。毛利も家康も豊臣には縁がないのじや。その気になれば毛利が豊臣をのっとるぞ。
島津家に士官出来て
それがしは果報者で御座る。
952 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 18:35:47
それがしは黒田家で御座る。
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 18:38:49
それがしは立花家で御座る。
955 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 18:50:04
プッ。
関ヶ原で戦わずに京都まで誘い込めばヨカタ
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 18:52:42
957 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 18:53:49
958 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 19:05:17
>>955 いっそのこと一気に大阪城に篭城する。
その上で淀殿は押し込めて毛利輝元に引っ込みつかないようにさせてしまう。
こうすりゃ藻瓜は本気になるだろう。
そのうえでとりあえず和睦で家康の大老辞任と関東蟄居
三成の淡路流罪くらいで痛み分けする。
こうして徳川と他の東軍の豊臣恩顧を切り離してしまう。
あとは出たとこ勝負w
ただでさえ結束が弱い西軍が、
大坂まで攻め寄せられるような情勢になってまとまっていられると思うか?
瓦解して終わり。
960 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 23:29:50
この合戦は秀頼が出馬しなかったことがすべてだ
豊臣恩顧も目が覚めたろうし
母親が馬鹿だと悲しい
961 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 23:53:57
しかし秀頼は成人するまでは大坂城から出すなというのは秀吉の遺命みたいなところもあったしなぁ
>>960 当時の淀殿に秀頼の出陣云々に口出しする権限はない。
というか、そんなことを決められる権限を持っている人間は当時一人もいなかった。
あえて言うなら、家康なら可能だったかもしれないが・・・。
奉行と大老が戦争している状況で秀頼は何も出来ないだろ。
全員、豊臣の家臣
形式上は
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 14:33:41
まず野戦
石田宇喜多の陣の場所に問題あり。工夫なし。
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 20:22:45
そんなことはない
三成は秀頼出馬を打診したよ
967 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 20:27:28
家康が豊臣家を潰そうと企んでいたことは、あの当時の武将なら誰もが一度は
疑いを持ったはず。三成はその企みを感じ取った
淀にはそれが判らなかった。
目先の利かない馬鹿女
だから淀には(ry
なにがなんでも淀のせいにしたいようである。
970 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 00:50:45
淀殿は大野治長と親しかった。
大野治長は関ヶ原の戦いで福島正則についていた。
よって淀殿は東軍
971 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 07:31:22
つまり東軍と関ヶ原で正面衝突は避けるべきだっちゃ。
972 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 08:23:45
>石田の人質には、誰だってなりたくないよなw
家康の人質なら、女は犯される 孕ませる
光成なら 軟禁
そうか・・・いろいろあるんだな。
長谷堂での上杉は悲惨だったな
否定できん。
上杉惨め
979 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 01:44:52
松川の戦い(笑) : __,,,,,,,,,,yww,,,,、 .l゚“''''z l゚゚゚゚゚゚》
: .,r''',ラx, ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、 .l“゚” ̄: `゚'i、 .,xネ .タ--r,#━″ .゙''''=,,
.,r''”゙”ヘ、 ,l`l ̄'ョ゙ト | l .l: _、 .] .l ll゜ ,,,,,,,,,,, 'l:
,r″ .゙'l,,《.゙v,,r゙,ナ .』 : _,,,,,,,,,,,,,レ l,yxrr━'''“゚,√ ,ト .レi、 ,l丶 .l'l| l━=l″ :l
.,l° .,, .゚!Z=r〃 “''"““゚“゙ ̄″ ,,f° ,f° .レ .ll: .l`l ,,,,,,,,,,,, l
.,i″ ,l~゚li、 .゙'L ,r″ .,l″ .l′ .ll" .,l 】 .'サ''''″ ]
.,,l° .,√ ゙!i,、 .゚┐ ,r″ ,こ レ .ll" .,l ,l ,,,,,,,,、.,,l
ぐ .,√ ゙!i,、 ゙'l=@ : : : : : : .,r″ .゚'r,, ┃ ,ll ..l: 】 `'=″ ゙y
: `'、..,l° ゚h, ,ト .l'''''"'““゙゚゚゚“゙゙゙”””””””””l ,r″ .,,i,, `'┐ 《 ` .゙=l li、 ,,r″ .,,v-x,
.″ ゚!i、 ,r° .l : ┃ ,,/゜ .,r°゚''=@ .゙'┐ `'=x, ] ヤ° .゚'i、 ,,i´,m, ゙K
゙″ .l,,yvrr━・''''''““゙゚゚゚“゙゙゙”””` .゚'v、 ,r" ゙'┐ .,/ .l′ .セ'!l .,,ri、 ,ト.l, .《,,,ド┃
`゚V″ `='′ il,,,,_ l′'h,_._,,r''″ ゚!i,,,/゜ ゙=,,,,,,,r″
゙”゜ `″ .″
コピペも満足に出来ない無能
上杉の事か
>>981 へぇ。上杉って人がコピペしてるんだ?(笑
ところであなた顔真っ赤ですけど大丈夫ですか?
南ちゃん乙
どうあがいてもコピペミスだけは覆せそうにない哀しみ
伊達と上杉、水と油。絶対に交わらない
下痢が止まりません
秀吉って本当人望(というか豊臣政権体制自体もろいけど)ないんだなー。
大谷さんでさえ、最初東軍に付こうと思ったぐらいだしな…。
やっぱ晩年が悪かったか。
さーて埋めちゃおう!
小早川秀秋が、家康も三成もやればよかったのに・・・・
小早川が天下統一してたらおもしろいのに・・・・・・
家康を負いこんだんだぜ(´・ω・`)
歴史に「もしも〜」はありません。
でも、そう思いたくなるのが現状だよね♪
993 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 15:42:02
あげ
994
995 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 15:47:29
996
995
998 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 15:49:49
997年
1000
1000 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 15:50:46
1000
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
ん ド l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ た
の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
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ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
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