1 :
無名武将@お腹せっぷく:
筵織りから一国の皇帝へとのぼりつめた漢、劉玄徳。
その魅力について語るスレです。
東北の片隅に生まれ、約60年後に南西の果てで皇帝になった漢。
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 00:00:04
耳たぶ
上杉謙信は糞
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 00:45:09
手ながい
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 01:00:28
割れこそ
運も魅力のうち
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 04:15:39
すべて孔明さまのお陰
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 22:30:21
しぶとい
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 23:15:04
ぶっちゃけ為政者としてどうなんだ?
11 :
黒眉:2006/06/01(木) 00:17:38
実際に会ったら仏陀と間違えそうな予感
>>10 個人的な能力は可もなく不可もなく、トップとしては人材の使い方はうまいが改革にはあまり興味がないといったところ?
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 00:38:25
運もいいのか悪いのかわからんな
結果的には運はいいんだろうな
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 07:52:35
でも中原へ出るには荊州陥落が大きな痛手でその一因としての
ホウトウの死はやはり運が悪いんじゃないか?
まぁトータルでは良いと思うが
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 07:53:29
でも中原へ出るには荊州陥落が大きな痛手でその一因としての
ホウトウの死はやはり運が悪いんじゃないか?
まぁトータルでは良いと思うが
運の悪いこともあるだろうが筵売りから皇帝だからなw
運の良さはピカイチだろ
あれだけしぶとく生き延び続けた男が運が悪いはずがない
まあ強いて言うなら悪運が強いってトコだろうな
あの劉備の一生を「運」で片付けられるとなあ。
劉備は、「庶民代表」「親漢室」「反曹操」など、その場その場に応じてレッテルを
自分で自在にはりかえているように思える。その手腕は実力だと思うがね。
まあ、弱小勢力で呂布だの曹操だのとガチやって死んでないのが運といえばそのとおりだが。
頭の悪い奴って語尾にw付けないとレスできないのか?
>>19その程度のことは承知の上での話だろうな
>>22板全体を見て好きに判断すればいい
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 18:30:04
19
あと「関羽のかたき」とかね
結局、劉備って頭はよかったのかな。
俺みたいな浅学の輩だと、劉備が切れ者だったのか運がいいだけなのかイマイチ分からん。
>>25 目の付け所は悪くないが、詰めが甘い。
悪運は強いが、幸運とは言えない。
劉備の場合、一番評価すべきは挫けぬ心だと思う。
最近の三国志創作を見てると、ほとんどの作品が劉備=ヤクザで描いてるよな。
まあ実際ヤクザだったんだろうけど、みんなワンパターンに描くようになってくると、
演義ががんばって捏造した聖人君子の劉備をないがしろにするなといいたくなる。
>>27 勢力を失っての逃亡先でも丁重に遇されてるところを見ると劉備=ヤクザというのは的を外した見方だと思うがな。
>>28 ヤクザというといいすぎかもしれないけど、少なくとも、善良なるイチ草鞋売りではないでしょ。
だからといって貴族豪族でもないし、名の知れた武人でもない。
それに当時は食客の風習が残っていたし、力こそすべてな風潮が広まっていたから、ヤクザでも
「うさんくせぇ野郎だけどとりあえず使えるだろうな」と礼遇してくれると思うよ。
劉備は高い名声と人望があったんだから優遇されるのは当たり前
逆にその名声ゆえに何度か殺されそうになるわけだし
ヤクザは違うだろ
俺はここでヤクザという言葉を、地位や家柄に頼らず腕っ節で勢力を作った者という意味で使ってる。
(劉勝の末裔の件は、誰が見てもヨタ話だからこの場合『利用した』であり『頼った』わけではない。)
この意味でのヤクザは決して「悪逆無法の犯罪者集団」ではない。むしろ庶民の支持を集めるために
善行を行い名を上げることは積極的にやったと思う。ただ、庶民の人気を集めるには政府に逆らうことも
必要になるから、そういう意味では犯罪者ではあったとは思うけど。
ヤクザが「高い名声と人望」を持ち得ないなら
>>30の主張が正しいと認める。
俺は逆に、劉備はヤクザだからこそ「高い名声と人望」を得たと思ってるがそのへんどうだろう。
>むしろ庶民の支持を集めるために
>善行を行い名を上げることは積極的にやったと思う。
劉備ってなにかしたか?
>>32 庶民からの絶大の支持を受けてたし、また劉巴伝には荊州降伏時に荊楚の士人は皆劉備に付いていったともある
いくら人望があるとはいえ、何もしなきゃ崖っぷちの人間についてく奴なんてそうそうおらん
膨張表現が含まれてるにしろ、劉備は上下にも受け入れられることをやってたんだろう
>>33 言葉が足りずすまない
黄巾の乱、挙兵時までに〜だね
さあ? なにかしたという記録は俺も知らないなあ。
「思う。」の部分は妄想9割で書いてるので、できればその部分でいじめないでくれ。
ただ、徐州入りのとき、孔融に手紙をもらっているけど、その時点での劉備の経歴は、
「黄巾討伐で功があったけど督郵をぶっとばしてプータロー。学友に泣きついてなんとか
飯を食っている男」という状況。孔融がこいつなら大丈夫と認めるほどの経歴じゃない。
史書に記されていないところでなにかもうちょっとあった、と考えるのが自然と思うがどうか。
あと、31の本題である、ヤクザでは高い名声と人望を持ち得ない理由を教えてくれ。
粘着すんなよ
そもそもヤクザって定義がわかりにくい
地位や家柄に頼らず腕っ節で勢力を作った者ってそれヤクザっていえるか?
>>35 自然と人が集まっていったというイメージだったので確認したまでだ
気を悪くしたなら申し訳ない
ヤクザという言葉の使い方に温度差があるのだろうな
「ヤクザ者」って程度の軽い意味でなら特に違和感ないと思うが
ならず者ならどうだ?
>>40 ああ、それはぴったしだ
けど劉備は違うんじゃない? 本家が貧乏だったとはいえ親戚はそれなりに裕福だったわけだし
それで塾にも行って学識はある(しかも師は廬植)。これだけでそこそこの名はつく
帝室の末裔だと言い始めたのはいつごろだろう
ヤクザって呼称を使っておいて、後レスで自分の定義で補完するなんて
どうみたって余計な誤解を生むしおかしい。
初めから「門地・財力・名声にさほど恵まれない叩き上げ」くらいに書いておけば
変な誤解も生まれない。
現代的な枠や用語で括ったりそれっぽい表記をするからおかしくなる。
ま、ヤクザという呼称に関しては誤解が解けたわけだしお終いにしようか
もう落ちたけど姜維スレと蜀将スレの変な人登場?
>>42 言われてみればまったくもってそのとおり。すまぬ。
いつも疑問に思ってたんだが、廬植の塾って洛陽にあったのかな? タク県にあったのかな?
変な人?
>>45 幽州の田舎(と言えるかは知らんが)に中央の高官がわざわざ教えに来るはずないだろ
「上谷の軍都山に隠居し、コウシ(学校)を建てて教授し、」とあるが、
劉備が諸生だった頃は廬植の隠居前か…。
いや、廬植はトウ固の禁でクビになったから、私塾を開いたんだよ。
で、廬植の出身地がタク県なわけで、出身地に帰って私塾を開いたとするなら、
タク県に塾があったことになるわけ。
50 :
47:2006/06/03(土) 00:53:48
ああ、俺も書いた後で「この時廬植って官職就いてたっけ??」と思ったよ。
生意気な口調で堂々と間違ったことを言ってすまん
たしかに公孫瓚伝や先主伝のその前後の記述からも涿郡にあったと見るほうが自然だね。
後漢書には学問を終え郷里に帰り人々に伝授したとあるのでタク県だな
>>48 そう、隠居前
それはもう少し後の事だね
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 02:16:31
敗走、撤退、失陥などがありながら、一段落するとその前より高い地位やより良い境遇にいる不思議
長坂の戦いも、曹操の虎豹騎を消耗させるために意図的に誘ったのだったら神
小学生の時に演義から入って「劉備良い人だなぁ、諸葛亮すげーなぁ」って思ってた
ある時に正史を読み演義の脚色に気付いた
その後、蒼天航路を読み、正史との違いがあるも、絵で劉備の情けなさを見た
普通はこうゆう違いがあると、劉備や諸葛亮に失望しちゃうハズなんだけど、一切なかった
曹操が劉備より数千倍凄いのは解ってるけど、結局は劉備スキーなんだよな
こうゆうのも人徳のうちに入るのかな?
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 03:49:18
演戯では立派なとこが、正史ではダメダメなとこが魅力かな。
このギャップがかえっていい。
諸葛亮も同様に演義では神がかり的なところが、正史では人間味溢れるところが魅力的。
孔明は幻滅どころか尊敬に変わったなあ。
劉備は何か笑えた。
駄目な子ほど可愛いのが身に染みてわかった
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 22:38:42
蒼天航路の劉備を見た時はかなりの衝撃を受けたが読み込むとしっくり来た。
本当のところはいったいどんな人物だったんだろうな。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 01:32:43
正史ちゃんと読めば劉備が曹操なんか目じゃないくらい怪物だとわかるて思うんだがな
ダメとかいう印象になるのは、勝敗みたいなあたりしか見てないからだな
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 09:09:06
別に本気でダメと思ってる訳じゃないよ。
ほっとけない人、ぐらいの意味だよ。
愛情こめた言い方さ。
劉備と曹操はそれぞれ別ベクトルで怪物だからなあ
一概に比べられないだろ
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 23:01:24
たしかに劉備の伸び率は半端ないがいろんな改革を為した曹操も半端ねぇw
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 23:06:02
やめてくれ。劉備のイメージ壊すのは。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 23:07:28
そのイメージとは?
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/05(月) 00:55:19
人食い人種
劉備に対する他者の評
・幼少時
劉元起 「一門の人間の中で並みの子供ではないからだ」(先主伝)
・陶謙死後
麋竺 「劉備でなければ徐州を治めることが出来ない」(先主伝)
袁紹 「劉備は度量が広く立派な信義のある人物だ。劉備が徐州を治めることは私の希望に沿ったものでもある」(先主伝注)
・呂布に降る
呂布配下の諸将 「劉備はしばしば態度を変えるしてなづけるのは不可能。始末するべき」(先主伝注)
・曹操を頼る
程c・郭嘉 「ずば抜けた才能を持ち人心もつかんでる。最後まで人の下にいる人物ではない。始末するにしくはない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
・呂布を捕縛
呂布 「この男が一番信用できんぞ」(呂布伝)
・曹操の庇護下
曹操 「今、天下に英雄と言えるのは君と余だ。袁紹などは問題にならん」(先主伝)
・袁術討伐
程c・郭嘉 「劉備を自由にしてはいけない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
董昭 「劉備は勇敢にして大きな野望を持ち関張がその羽翼となっているので信頼してはいけない」(董昭伝)
・曹袁戦前
曹操・郭嘉 「劉備は人傑であり今攻撃しないと後の災いとなろう。袁紹は機を見るに敏でなく行動を起こさないだろう」(武帝紀、郭嘉伝注)
・曹操の烏丸・袁尚討伐。
張遼他 「北方討伐の隙を突き劉表に説いて許を襲撃するに違いない」(武帝紀、張遼伝注)
・曹操の荊州討伐
傅巽 「劉備では曹操に対抗できない。仮に対抗できるとしたらいつまでも劉jの下位にはいないだろう」(劉表伝)
・赤壁の戦い
程c 「劉備は英名があり関張の武は万人に相当する。孫権は彼らと協力し我らに抵抗するだろう。それはやがて分裂するだろうが、その時にはもう劉備を殺すことは出来ないであろう」(程c伝)
曹操 「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」(武帝期注)
・入蜀
劉巴 「(劉璋を諌めて)劉備は英雄で受け入れれば必ず害をなすので断るべき」(劉巴伝)
黄権 「劉備は勇名を馳せており、部下として遇することは出来ず、賓客として扱えば二君を認める形になる。国境を閉鎖して入国させてはならない」(黄権伝)
劉巴 「劉備に張魯を討たせることは虎を野に放つのと同じことだ」(劉巴伝)
趙セン 「用兵は稚拙で逃走にあけくれてる。一方、蜀は小国と言えど堅固な地である。併合は不可能だろう」(先主伝注)
傅幹 「劉備は度量があり部下に力をふりしぼらせる事が出来る。また政治・戦略に優れた諸葛亮が大臣となり、勇敢で万人を相手に出来る関張が将軍となっている。成功しないことがあろうか?」(先主伝注)
・曹操の漢中討伐
張魯 「曹操の奴隷となっても劉備の上客にはならん」(文帝紀注)
劉曄 「劉備は人傑で度量もあるが行動は遅い。今蜀を手に入れたばかりでまだ治まってないので今これに付けこんで押しつぶすべき。さもないと政の諸葛亮、武の関張らを用い要害を利用して防備し再び犯すことは不可能となろう」(劉曄伝)
・劉備の漢中侵攻
曹操 「玄徳がこのような策を考えつくわけがない。誰かの入れ知恵に違いない」(法正伝)
・関羽の北上
龐徳 「劉備は小物に過ぎない。わしは国家の鬼となっても、賊の将にはならん」(龐徳伝)
・文帝即位
賈詡 「劉備は優れた才略を有し群臣にこれに匹敵するものがいない」(賈ク伝)
・夷陵の戦役
劉曄 「劉備と関羽の関係は道義では君臣だが恩愛では父子。小国といえども必ず報復の軍を起こすだろう」(劉曄伝)
曹丕 「(劉備の布陣の様子を知って)劉備は戦争を理解していない」(文帝紀)
・劉備死亡の噂
魏の群臣、皆慶賀するところ袁渙は以前劉備に官吏に推挙されたことがあったので一人祝賀を表さなかった。(袁渙伝)
魏の群臣は祝賀を述べなかったが、黄権だけは加わらなかった。(黄権伝)
・その他
陳登 「傑出した雄姿を持ち王覇の才略を備えている点で劉玄徳を尊敬している」(陳矯伝)
裴潜 「中原にいれば乱を齎すことは出来るが太平を招くことは出来ない。しかし要害の地を占めれば一方面のあるじとなるだけの器量はある」(裴潜伝)
彭羕 「(左遷させられて)劉備は老いぼれて話にならん」(彭羕伝)
ガキの頃文庫本の演技読んだ時は、スカした野郎だと嫌ってたが、
流れの傭兵団率いて転戦した曲者団長だと認識したら、なかなか興味深い奴になった。
結局それ以上の器じゃ無かったかも知れんが、それもまた面白い。
戦国は好きだが、土地柄や文化のせいかこういう将のいないのがネックだ。狭いのに。
追記:ほぼ単独で仕官巡りした奴なら結構いるんだけどな。
演義では「仁徳の人」って感じだけど正史だと寧ろ「仁義の人」って感じかな?
> 裴潜 「中原にいれば乱を齎すことは出来るが太平を招くことは出来ない。しかし要害の地を占めれば一方面のあるじとなるだけの器量はある」(裴潜伝)
これが的確すぎるなw
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 00:02:22
期待age
>>66-68 超乙!
正史未読なんで面白かった。人物像は知らんが他方への影響力は大まかに一致してるな。
>>69 ちょうど「盗賊」という中国土着の概念に似ている。
劉備は官軍なんで盗賊ではないが、地元の若者で旗揚げして転戦しつつ勢力を広げながら国家を狙う様は共通する部分がある。
明大祖・朱元璋や、その明を滅ばした李自成、清で太平天国の乱を起こした秀浩全などが盗賊らしい。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/06(火) 19:42:27
66-68
乙。
マイナーな人まで詳しくありがd
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 17:43:37
age
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 23:47:02
麋竺の劉備好きっぷりがすさまじいよな。
奴隷(兵士?)2000人の供出に劉備軍団への経済援助。
土地を捨ててまでも劉備について行くし。
ある意味凄い世渡り上手な人物だと思う。
荊州に入る前は、旗の色変えすぎだし。
荊州、益州は掠め取るし。
それでいて人気があるってのは相当な人物だよな。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 00:54:59
徐州での陶謙からや荊州での劉表からの移譲ってなかなかのものじゃないか?
特に徐州に関しては、曹操への援軍として来てたんだよな?それなのに引き継ぐって
劉備はどうやってまるめこんだんだろうか
孫乾がうまく働きかけたんだ
と言ってみる
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 23:54:56
徐州に関しては孫乾は関係なくないか?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 01:43:52
1番人間くささが出てる人物だと思う リュウビがさらけ出した弱さは誰もが持っている美しきサガだ それに気付いた仲間は決していなくならない
劉備は能力こそあったが、それを自覚する能力が少なかったってだけだろ。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 19:40:24
83
どこからそう考えるのか教えてくれ
>>84 劉備のあの謙遜ぶりは己が能力を自覚してなかったんじゃないか、と。
劉備には武勇も知略も特筆すべきとこはないが欠けていた部分もないんじゃないかな。
だからこそ陶謙は劉備の徐州をゆずろうとしたし、張松は蜀を捧げようとした。
あ・・・あれ?
武勇>英雄の器
智謀>英雄の器だが謀が遅い
特筆すべきことばかりですけども?
劉備は武勇に優れてるとは思えないがな。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 23:31:13
体格もいいし、黄巾に対して兵を挙げた時は戦場にいただろうから
まぁ個人としての戦闘能力は高いんじゃないか?
もちろん一流とは言わんけど
前線に出てたとかあらくれをまとめたとか聞くけど
目に見える武勲が分からんね(^^;)
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 00:25:58
演義のイメージを持ったまま正史を表面だけなぞると劉備の評価は低くなる
逆に演義を抜きにすると意外に劉備は恐るべき男
曹操や孫権みたいな地盤なしにあそこまで上り詰めるんだからな
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 12:34:54
地盤もなければ頼れる親族もいない。
「劉」姓は最大限に利用したがなw
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 18:40:18
劉姓なんて大して利用価値はないよ。
あったとしても彼の晩年近くなってから、多少有利だったかな?くらい。
劉姓がそんなに有利なら劉表や劉虞や劉璋や劉岱や劉馥や劉纂その他は皆もっと栄達していたはず。
全員太守や州刺使クラスじゃねーか。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 18:51:35
反曹などの漢室派が劉姓の劉備を利用したからだろう黄巾討伐や反ドウ卓連合に参加して国に忠誠心や強さは見せてるし、漢室派は信用出来る味方として劉備を担ぎ劉備もこれは有りがたいとそれに乗っかったんじゃね?
親漢王朝でいくと反曹操の人材が集まる。
こいつらは曹操を討ちたくてたまらない。
だから劉備にとってみれば信用のできる部下が集まることになる。
>>97 反曹操親漢室をスローガンに劉備の配下になった人間なんているのか?
配下っていうと思いつかないなあ・・・
でも協力した人はいるんじゃないかな、董承との一連はその表れだと思うし。
超旬か様が百ゲット
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 19:49:38
演義のイメージで語るなよ
だいたい本当に反曹操・親漢ならすんなり劉備につくのはおかしい
なぜなら劉備はれっきとした漢の皇帝に対して忠実ではないし、
漢の皇帝がいるのに別の劉氏を立てるというのは不義不忠の極みと言ってよい
劉虞は現にそういう立場になることを拒否している
漢の皇帝をもり立てるだけなら劉氏でも異姓でも同じことであり、劉備に限る必要はない
劉備についたのは反中央・独立割拠を志向する豪族や名士が中心
・・・え。
これって史実スレなのか。
>1
一国の皇帝と言いつつ支配規模は所詮王レベルだけどな
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 20:08:17
王様クラスでもスゲーよ!あの国土だぜ!!乱世じゃなきゃ毎日極楽だぜ〜
105 :
徐庶:2006/06/12(月) 20:24:47
きっかけはオレだろ?
お前は劉備を売って曹操に仕えただろうが
107 :
徐庶:2006/06/12(月) 20:31:01
でもきっかけはオレだろ?オレが導いたところが大きい。
108 :
徐庶:2006/06/12(月) 20:31:16
お袋人質にとられたんだからしかたないだろ?
実際には殺されなかったとは言え
曹操のためにゃ献策してないし充分忠は尽くしたアルよ
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 20:34:41
徐庶・・・私を導いて欲しかった・・・(シャー風に)
>>108 献策していないのではなく、曹魏政権じゃ
徐庶がでしゃばる幕なんてなかった
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 20:47:14
一度は曹軍を華麗に追い返えしてる男だぜ!信用されなかっただけだろ
王朗の副官になったのは信用されたといえるのか
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:00:44
副官じゃ発言権は余り無さそう王朗に対しては有りそうだけど
本当に忠義があったのなら諸葛亮と連絡取り合ってたはず。
孔明がイザと言う時は工作を頼もうと思ってたからこそ、
「徐庶の奴出世してねえなあ」と嘆いたのかも。
地位低いと工作員としての価値も薄いからよ。
忠義の士であれば一層魏に尽くそうとするだろうな
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:17:18
それはただの裏切り者
117 :
徐庶:2006/06/12(月) 21:18:43
オレが孔明に導いたんだろ。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:18:48
119 :
夏候惇:2006/06/12(月) 21:20:08
忠義といえば俺だろ
ここなりきりスレ?
121 :
董倬:2006/06/12(月) 21:24:59
俺がナンバーワンでしょ
122 :
曹操:2006/06/12(月) 21:27:22
命乞いした乞食は僕です
123 :
張飛:2006/06/12(月) 21:28:57
一番強いのは俺だよ
黙れ下郎ども
御史中丞は普通に出世コースの一つじゃないのか?
恩情地位かもしれん
>>126 曹丕が即位すると右中郎将になり、それから御史中丞と段階を踏んでるから単なる温情とかではないと思うがな。
官界における政治力には乏しいが能力は買われてる中央非主流派って感じかな?
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 21:56:27
昇級出来る倍率は魏ではどれくらいだろう?ライバルが多そう
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 22:33:24
劉備は行動を見ていると
頭がいいのか悪いのか分からん。
しかし、堂々とした態度、はったりは
一流だったと思う。
初期の頃なんの地盤もないのにものすごく偉そうw
逃げ足だけはナンバー1です。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 22:42:42
曹操なんかも強いのか弱いのか、わからんよ。劉備と似てる
劉備も曹操も似たもの同士
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:07:33
故に英雄、か。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:12:02
曹操も弱小だった時は自分のミスで窮地に立ったり、絶体絶命の危機を運と逃げ足で凌いでいる場合が少なくない。
逆に大勢力になってからは赤壁・漢中と自分の判断で要地を失っており、正直あまり褒められたものではない。
劉備に三公の父と莫大な富と有力官僚の親族集団がいたら曹操以上になったのでは?
>>133 でも漢中は多くの住民を移住させてるから軍事的にはともかくそんなに大きな損害とはなってない気がする。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:17:53
奸雄とか鼠雄とかレッテル貼られてるが間違い無く、英雄
三十近くも年下の嫁にびびる漢萌えw
孫権も妹をそのまま劉備の嫁にしといた方が良かったんじゃねえの?w
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:29:02
曹操倒すだけの目的だったら仮面夫婦でも良かったから一緒に居た方がよかったかもしれん
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:32:40
>>134 以後四十年関中に平和が訪れなかったのだから、漢中失陥は国家百年の大計を誤る大失策として赤壁に並ぶよ
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:37:42
合肥も?
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:39:47
魏にとっちゃ漢中って維持しにくい場所にあるもんな。
でも蜀にとっちゃ北伐の足掛かりになるようなもんだし。
鶏肋ってよく言ったもんだなw
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:41:32
>>140 そう
維持しにくいのは確かだが、強制移住に大将は将帥としては二線級の夏侯淵と、
曹操は漢中を捨てる気があったようにも思える
しかし漢中から何度北伐軍が進軍し、漢中を抜くまでどれだけかかったかを考えれば、曹操が明らかに政治・軍事的判断をミスしたのがわかるはず
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 23:58:03
夏侯淵を派遣したことで漢中失ってもよい、ってのは無茶じゃないか?
一緒に張コウも派遣してる訳だし。
あと、漢中の土地としての防御面というかそれはどうなんだろう
みみがー大きいー
>>143 本気で漢中を保つ気なら素直に韓浩を大将にすべきだった。
事実上の漢中放棄まで保てばいいと夏侯淵にしてみたが劉備には足下見られてた感じ。
夏侯淵に西方の賊や張魯を討たせていたから、
漢中は夏侯淵の守備範囲なんだろうね。
割と優秀な将なんだけど死んだのは劉備を甘く見たというべきか。
と言うより法正の存在を軽く見てたんじゃないか。
彼の才の有無自体は、あの一戦だけで終わってしまい深い検証の仕様がないが、
少なくとも夏侯延からすれば
「それまでの劉備」の感覚で戦ってたら違う調子の動きをされ
感覚を狂わされたと見た。
夏侯淵は張コウかばって戦死
法正の存在云々とは違う
別に漫画的でもないだろ。
野球やサッカーの例を元に想定したから、スポーツ的発想とは言えるかもしれないが。
あれらは簡易化されているとは言え、生身の人間による集団戦術だから共通する部分はあると言える。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 17:52:24
漫画を元にしているなら素直にそう言う。
どうしても漫画だと思いたいなら、話は平行線を辿るしか無いな。
史料に即した建設的な否定を望む。
どりあえず反論しておくと夏侯淵は「それまでの劉備」とはろくに戦ったことありません
終了
>>153に唖然。
曹操陣営と長く接してきた劉備の戦い方や傾向その他の情報が夏侯淵には
一切なかったとか考えてるなら呆れるしかない。
そもそも
> 「それまでの劉備」の感覚
って何それ?wの世界なんですけど……
以前の姜維スレや現在の法正スレにいる「史書の行間を読む人」wが光臨してるの?
せめて閑中の司令官に曹仁を置けば…
むこうの243や252あたりか?wつかあそこの住民はほとんどがその手の奴に見える
劉備がすごかったんだよ
曹操が本腰いれてなかっただけでは
夏侯淵は捨石か
>>159 ああ、ゴメン
夏侯淵と曹仁を入れ替えたら
という意味だったが、書き間違えた。スマソ。
けど入れ替えても結果は同じかな?
要塞の閑中に周遊を相手に守り続けた曹仁では。
もう蒼天が史実でいいんじゃね?夏侯淵めちゃくちゃカッコイイし
争点厨氏ね♪
夏侯淵の定軍山布陣はまずい策だったのかねえ?
劉備も曹操が漢中を奪い返しに来た時は山に篭もっていたみたいだが……
篭り続けていたら自分が死ぬ事はなかった。
夏侯淵はその性急な性格が危ういと劉ヨウもおっしゃったじゃないですか
つまり猪武者が自爆しただけ
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 00:39:17
出て行かず守りに徹していれば良かったんでねえの?
きっと馬ショクと同じくやっちまったんだよ
若僧の馬謖ならともかく
と思ったが馬謖も結構歳いってたんだよな
俺にも劉備と同じことが出来ます。
>>173 北海道で生まれて、流れ流れて還暦を迎える頃に沖縄にて知事に立候補。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/15(木) 00:32:18
175
せめて当選って言ったれよw
せめて福岡って言ったれよw
結局、曹操とどっちがすごいのよ?
もちろん生まれた時の身分とかも含めて
どうしてこうも比べたがる?
曹操も劉備も違うのに…
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 01:07:31
>>178 生まれた時からの身分と詩や学問は曹操>>>劉備
本人の能力なら互角
粘り強さは劉備>曹操
まあ教養は曹操のほうが多かったかもね・・・だって筵売りだし。
>>181 教養(若い頃)
一応は盧植に師事した劉備>学問を学んだと言う記述のない曹操
曹操は若いころから学識あるし、そもそも名家の子供は学問受けてて当然
曹操は古学に明るいと言う事で後漢の朝廷に何度も召し出されてるわけだが
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 19:54:20
曹操の方が為政者としては格上だろうね、ガチンコタイマンの喧嘩なら、劉備
プラスイメージとマイナスイメージが表裏でハッキリ分かれてる曹操に対して
劉備はそのへんが複雑に混ざり合ってる感じがする
その辺の得体の知れなさが劉備の魅力のひとつだと思うんだけど
劉備=部下が働きやすい社長
曹操=すこぶる有能な社長
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 22:31:29
劉備はワンマン社長だぞ
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 22:34:34
ダメになるとすぐに会社をたたむが、決してワンマンじゃないだろ
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 22:41:24
>>187 でも、曹操は適材適所で部下を配置するから、部下にとっては十分
働きやすかったんでない?
劉備に関しては、劉備のために働く部下ってかんじだが、曹操に関しては
自分の生きがいのために働く部下が多そうだと思う。
>>190 徐晃や張遼や賈詡なんかの中途組を見てるとそう思うな。
特に徐晃は名君に巡り会えてマジ幸せッス!って言葉残してるしね。
>>189 >>188のワンマンという言い方が悪いなら、独裁性の強い君主と言えば
わかりやすいかも。
つまり黄皓が一番悪いんですね!
なんでそうなるよ
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 23:46:37
>>192 劉備に関しては、人徳とかそういうところを強調するなら、劉備の信条に共感した
人々によって、彼らの行動の方針が一つにまとまってるといった感じ。
でも、客観的に見るならば、あの頑固親父(いいすぎかな?)に変にカリスマ感じて
ついていける奴だけが残って、後は別のとこにつくか在野って感じだね。
>>193-194 ワロタ
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:22:49
劉備は正史や蒼天のおかげで凄く気になる
人物だね。徒手空拳であそこまで上り詰めた
のは見事。でも当時の超一級の人物である程イクや
カクカに認められているんだからそれなりの才覚は
あったとは思うな。我々がとやかく言ってもさ。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:31:09
>>197 曹操自身も頭の回転の速さがちょっと違うだけって言ってるしね。
もちろん、われわれ一般ピーポーが敵う人物ではないね。
ただ、自信家過ぎるきがするなぁ。
199 :
:無名武将@お腹せっぷく :2006/06/17(土) 00:32:44
今で言う小泉だな。
顔がよかったのかな?世間ウケがよかったのかな?
うまいこと民衆を引き付けて、実際の政治は部下に
任せっきり。
自分の”関”心があることにはだれの意見も組み入れず、
関心のないことはまかせっきり。
でも永い時間を経ても魅力を感じるのは???
>>195 なんかズレてないか?
>>188や
>>192の言うワンマンって、劉備政権における劉備を頂点にした
組織構造の点なんかを指している気がするんだが
人徳だの信条だの抽象的な事で語ってもしょうがない感じ
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:40:08
>>199 風貌、確かに体格のいい武将ばかりの世界で比べると、175あるかないか
の身長は低く見えるかも知れんが、普通の人に比べりゃ、現代だって結構体格がいいほう
だし、耳はおいといても、赤い口とか、ようは顔のパーツが結構目立ってたのかもね。
良し悪しはわからんが、目立たないタイプでは決してない風貌だよね。
劉備の魅力、優しさの中にある、欲とかの人間くささがよく言われてるけど、
自分は、かなり強い欲を見せながらも、時折見せる優しさのほうに惹かれるな。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:45:28
>>200 うーん、自分はゲームや漫画に影響されてから正史とか読んだって過程
がかなり劉備は人望が厚いみたいなイメージに思考が固まっているかもしれない。
だからご指摘のとおりかも。でも、自分としては、そういう抽象的、感情論で
なんとなく固まってるところがある集団(全部がそういうことで動いてたとは思わない
けど、曹操陣営に比べてそういう精神的な部分が多い気がする)
だからこそ、あまり曹操側ほどの大きな組織になれなかった気がするんだよね。
曹操の組織構造は理詰めだけど、劉備の組織構造には感情的なもんが結構ひびいてる
と思う。
うまく説明できない。スマソ。
203 :
:無名武将@お腹せっぷく :2006/06/17(土) 00:47:38
>>200 ・・・なるほど。
少し考えた中での自分なりの答えは
秀吉と同じで出生が貧しい中で頂点を極めた、一般人の
目標でまつりあげられているような・・・
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:47:50
劉備より曹操の方がよくも悪くも部下任せだ。
曹操は大企業のトップ(三世。自分の代で会社をデカくした)で、劉備は一代で全て築いたワンマン社長。
バックボーンも必要とされる能力も違うんだな。
能力は曹操の方が圧倒的に上でしょ。
しかし謎なのは、劉備の魅力は一体何だったのかって事。
あれだけの仲間が離れがたい何かを持ってたんだろうけど。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:52:35
>>203 確かに、曹操にもレッテルがあったとはいえ、はるかに劉備のほうがゼロスタート
だったからそれでどの時代でも(現代でも)劉備はまつりあげられるだろうね。
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 00:58:07
>>205 軍師的な能力としては曹操のが圧倒的だろうけど、総大将としては知識よりも
決断力だから、曹操と僅差と考えてよいのでは?
劉備の魅力、劉邦に近いものがあるっていうのが、大きいんでは?
当時の人々にとっては歴史上で大きな成功者である劉邦のイメージがある
劉備について行くこと自体にロマンを感じるやつも多かったんでない?
そういった状況に酔ってたやつもいると思う。
あとは、部下と対等に接してくれるって言うのも大きいと思う。
劉備は何にせよ世に出る時期が遅かったんじゃ・・
蜀を取ったのも魏が中国大陸の半分をも統治した後(だよね?)だと思うし・・・
>>赤壁
てか、当時の中国にとって蜀の地方はまんなかをすでに取ってる人間
からしたら本当にどうでもいい位置だしね。確かに天下三分を思う蜀
勢力にしたら攻められにくい蜀の地はいい足がかり(結局攻めにいくにも
苦労したけど)かもしれんが、天下三分?ハァ?な魏にとっては、まじ
無関心な土地だと思う。
>>207 まぁ、決断力だけを見れば大差はないかもしれんが、
結果やそのほかの政策を見ても、やはりトップとして優秀なのは曹操じゃないかと。
劉の影響力ってのは大きかっただろうね、確かに。
その位置から対等に接してくれれば感動すると思う。
しかしそれだけだったのかなぁ。
現代のヤクザの親分にも魅力のあるやつがいるが、そういう何とも言えんもんを
持っていたと信じたいw
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 01:25:29
>>210 まぁ、こっちもなんだかんだ言ってみたが信じたいよね。
演義や漫画、やりすぎだとは思うが、正直、あれらに描ききれないような
魅力を持ってたって思いたい。なんだかんだ言ったってあれだけの名将達に
君主に選ばれたし、長坂でも万単位の人がついてきたのは事実だもんね。
やっぱ、三国志はいいね。
>>211 うん、演義の反動で劉備ダメ男論が強くなりすぎてるけど、
実際すごい男だったからこそ、あれだけ人がついてきたんだと思う。
そこには何かがあったはずw
劉備は再び再評価されてもいいと思う今日この頃。
正直、3人の中で仕えるなら、劉備だな。
>>212 ああー、いいなぁ。また三国志がメディアでピックアップされないかなー。
最近の三国志評価って依然変化ないのかな?ああ、自分で調べてみようかなー。
てか、昔はそういうスレなかったっけ?最近ここはネタスレのほうが多い気がするけど、
数年前って、マジ論議ばっかりだった気がする。
聖人劉備なら極悪人曹操
曹操持ち上げたらへたれ劉備
こういう構図にうんざりだ。
どっちも好きだし、すげー奴等だと思うんで
陳腐な対比は止めて欲しい
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 02:05:01
>>215 演義だったかなんだったか忘れたけど、劉備が自分は曹操と逆のことを
することで生き残りたい!!って蜀とりのあたりでいうシーンがあったと思う。
それが後々に大きく影響してるんじゃないかな?
でも、それはそう思う。曹操だって優しさあるし、劉備だって傲慢さがある。
曹操が落ち込むときもあれば、劉備がマジでヒーローな場面もある。
二人とも、総じてそのカリスマの方向性は違えど、人間性に大きな差はないよね。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 03:10:03
>>209 違う
益州は劉邦が封建され天下取りの起点になった。しかも豊かな地。
決して単なる田舎、辺境ではない。
曹操や魏は蜀を無視したのではなく、攻め落とせなかっただけ。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 03:40:22
>>217 確かに劉ショウとかが一年間籠もれたりは可能な備えがあったとか、そもそも
戦乱に程遠かった土地だから豊かだろうけど、真ん中で地盤を固めた勢力を攻める
にはやっぱり辺境じゃない?劉邦への憧れの半端なく強い当時を考えると、それは
確かに士気を高める重要事項だけど、魏と蜀の圧倒的な差を埋めるものとして
漢中はそんなに効果がないと思う。実際の人口、経済力から言えば、魏は圧倒的に強い。
それに、攻め落とせなかったと言うよりは、わざわざ攻め落として得られるメリットが、
あの辺境に攻め込むデメリットよりも小さいってのがあるんじゃないか?
バカばっかのスレだな
北方三国志で曹操が死んだとき、
劉備が「越えられなかった」と言って泣いて、
それを見た孔明が「入り込めない」みたいなこと思うシーンがあったけど
こんな曹操と劉備いいな
>>214 昔流行った頃とは評価は違うと思うよ。
個々に対してさらにつっこんでたり、新説があったり。
劉備と曹操は特に変わったよなぁ。
>>221 そうだね。昔とは大分変わったと思う。
やっぱりそれだけみんなが曹操=悪玉、劉備=善玉に飽きたし、
違和感も持ち始めたってことじゃないのかな?
>>222 違和感を持って、それらが逆転し、そしてさらに再び劉備の魅力を
語ってみようってのがこのスレって感じだね。
今までは極端すぎた。
たまに聞く劉備と董卓のやったことは変わらないって説はどうなの?
吉川しか読んでないから納得しがたいってのはあるけど・・・
>>225 漢室を蔑ろにしたという程度じゃないか?
それは曹操も孫権も一緒だけど。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 14:33:35
>>225 やったことが董卓に似ているのは曹操
董卓改良版が曹操というべきか
董卓のどういった行動についていってるかによるよね。
一番近いのは孫皓あたりな気もするけど、結局自国建国のために同族攻め込むは
戦争しまくるってことにかわりはないしね。そういった点で董卓っていわれるのかも。
でも、行為で言えば、徐州大虐殺をやってしまった曹操は、董卓なみに残忍と
謳われても仕方ないと思う。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 15:57:11
曹操が献帝を擁してからの権力や軍事権の掌握、皇帝の傀儡化といったあたりの手法は董卓と同じ。
廃立こそしていないが、皇后の廃位、大臣の粛清、人臣を超えた地位など、董卓が志半ばで果たせなかった目標を曹操が引き継いだ感さえある。
まあつまり簒奪のことだが。
劉備は危なくなると本拠や主を移りつつ集団を維持してゆく中小軍閥的な性質と、
清流派を自認する官僚や豪族たちからも支持される名望と、
勢力を完全に自分の支配下に置くための独裁的手法とが同居している。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 18:58:35
>>229 でも、当時の皇帝傀儡化は、董卓に始まったことではないよ。確かに、群雄の一人が
皇帝を手中に収めたのは後漢の最後のほうでは目新しいことだったかもしれんが、
それ以前からしばらく外戚や宦官によって傀儡化が常套となっていた。
大義に漢室復興を掲げておきながらってあたりでは董卓なみの不義かもしれんが、
あの当時、まぁまぁ聡明だった献帝を中心に国を盛り上げるのは難しいと思う。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 19:57:22
232 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 19:58:48
諸葛亮・法正スレが熱くて過疎ったかw
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 20:09:03
>>233 なるほど。あっち行ってみようかと思うけど、今日は玄徳の気分なんだよねー。
>>234 劉備がなぜ法正を寵愛したか的な話題もあがってるし
時間があれば突いてみてくれ
>>230 つまり敢えて皇帝を手元に置かなかった袁紹の方が曹操より革新的な発想の持ち主だった、と
だめだ、諸葛亮法正スレは。
変なのが住み着いてて話す気にならん。
結果的に見ると、
袁紹の手法は、南北朝隋唐帝国的なものの前身であり、
曹操の手法は、古代秦漢帝国的なものを円滑に動かせるようにすること。
だとすれば袁紹が革新的と言えるかもしれないね。両手法の是非はともかく
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 21:56:38
>>238 しっかりしたビジョンを持って天下取りに取り組んだ袁紹と、往々にしていきあたりばったりな曹操の違いとも言える
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 22:20:47
>>238 確かに、袁紹のほうが自力で天下を取ろうとしたよね。
そこんとこ、本当はもっと評価されるべきと思うけど、やっぱ歴史家としての
立場の陳寿にはそれは無理だったのかな。
袁紹は皇帝を手元に置きたいが為に廃立まで画策してるぞ
劉虞が断固として拒絶したから果たせなかっただけだ
お前ら大分見当違いだぞっと
皇帝立て替えて傀儡の下で権勢を敷くのは古典的のような。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 08:30:38
>>241
そう、曹操が皇帝を擁立した時諸侯は次々と
彼になびいた。袁紹が悔しがったのは想像に
難くない。やっぱ袁紹は曹操に比べると政治
オンチだな。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 08:34:55
袁紹が献帝を手中に収めたら世の流れはもう決まるんじゃないのか?
曹操という強大な勢力でもなくてもある程度は彼になびいた訳だし
漢での名声が違うからね。
劉虞・・なんで皇帝にならなかった?
246 :
袁術:2006/06/18(日) 11:42:18
韓玄「ワシもじゃ」
>>241とか
でも、実際袁紹の軍には、皇帝を持つ曹操に対抗しうる力が既にあったってことは
すごいんじゃない?劉虞の件でも失敗はしてるけどあそこで曹操になびく一群雄にならなかった時点で、
袁紹にはそれでも天下を狙える実力があったし、その後に至強として世間に認識されてるから、
当時は誰よりも、自力で天下に近づこうとしたと思う。
ただ、思うことと、できることは違うけど。脳みそあっての天下とり。
てか、ここって劉備スレ・・・。238から皆まとめて方向音痴。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 16:56:38
劉備の場合皇帝を擁さない方がいいだろうな
強いて言うなら現状の皇帝を保護する。
今の中央(=曹操)は漢をないがしろにしている!
とすれば大義名分がたつし一旗上げたい連中は集まってくる。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 18:09:36
>>252 劉備のことを言っているのかな?
彼の場合それどころじゃないだろ?
漢左将軍宜城亭侯司隷校尉領予州牧劉備玄徳参上!
仮に蜀取り後で仮定してみる。蜀の大義は漢朝の建て直しだ。
ということは、曹ヒが皇帝になった時点で蜀の大義は消滅している。
なぜなら、魏に攻め入ることは民にとってただの領土の取り合い以上の意味がないのだから。
つまりチャンスは蜀取り後から曹ヒ擁立までの期間だ。
結論を言うと、劉備ゆえに成功し、劉備ゆえに間に合わなかった…という所か。
三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君参上!
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 21:13:56
>>254 司隷校尉を称した時には荊州牧にもなっていたし、同時に行大司馬も称したから、
左将軍行大司馬領司隷校尉荊豫二州牧宜城亭侯劉備
の方がいいよ
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/19(月) 16:03:45
重役重役
益州牧も兼ねてなかったか?
>>259 ということは
左将軍行大司馬領司隷校尉益荊豫三州牧宜城亭侯劉備玄徳なのか!
ちなみに
>>254は「吉川三国志」で
諸葛亮を迎えるとき(2回目)に諸葛均に託した手紙に書いた名前
あれか。
萌えショタが「こんな長い名前覚えられないですう・・・」ってやつか
>>261 全て繋げて書いて、自分で理解できてるか?
左将軍・行大司馬・領「司隷校尉・荊益豫三州牧」宜城亭侯
くらいに纏めた方がわかりやすいと思うが。
>諸葛亮を迎えるとき(2回目)に諸葛均に託した手紙に書いた名前
成都に入る前じゃね?
>>261 たしかところどころ「之」が入ってたような
「漢之左将軍…」
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/26(月) 20:56:51
劉備って一度あってみたい歴史上の
人物の一人なんだよな。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/27(火) 21:17:23
司隷を合わせると牧職を四つ兼任した怪物
268 :
劉備:2006/06/29(木) 08:11:41
劉備のさらけ出した弱さは誰もが持っている美しきサガだ それに気付いた仲間は決していなくならない
>>268 おいw
最近ネタスレ多いからこういうきちんと議論してる所は貴重だ
陰ながら応援します
オレも語りたいけど知識がねぇし
無知は恥ではない
だが無知である事を受け入れた蒙昧の輩は無恥だ
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 15:44:57
受け売りを自慢気に語るのはビルの屋上で靴を揃えるみたいなもんだな
ということで劉備の乳首は陥没か否かについて
劉備はかなりの巨根
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 20:52:11
平原の相を領した時、劉備を気に入らない人間に
よって刺客を送り込まれたことがある。劉備に対した
刺客は劉備の人柄に感じ詳細を告げて立ち去ったという。
マンガみてえなエピソードだよな。
>>275は親に少しは本を読めと注意された鬱憤晴らしに
揚げ足取りたくてしょうがない子供ちゃん
話半分だとしても
そういうネタに事欠かないのは
いい人かどうかはさておき
ただ者じゃなかったってことなのかな
少なくとも陳寿はそのつもりで載せたみたいだね
恐ろしい能力ではある
劉備で黙っててもその相手が理想とするような人物像を
自分に投影させるような力を感じるな
だからこそ彼本人の本質ってのは結構見えてこない、鵺のような男だ
そんなぬえとか言われても
>>281 しかも相手の人物像を的確に見抜いてくる。
ある意味曹操より上手だよな
曹操は感情出すぎ
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 13:05:16
優しさこそが本当の強さ 教えられました 劉備殿
花の刑事だっけ
>>274 これか
劉備が平原令の時であった。
着任するや否や周囲の曼民(逃散した元農民の愚連隊、博労、やくざ)がこぞって帰順し、
以前の令であった挙昭はひどく嫉妬を覚えた。
挙昭は刺客を二人おくり,劉備はそれを知らず,客としてもてなした。
歓談するうち二人の刺客は劉備の人品(原書では徳風)に感じ入り,
自らの目的を恥じ、劉備に自分達が刺客である事を告げた。
劉備は動ぜず二人に旅費を渡し、逃がせた。
関羽は「(挙昭を)追わないのですか」と劉備に問うと、劉備は「追わない」と答えた。
挙昭は数日の内に他国に逃亡した。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 23:06:40
>>287
そうそう、原典は何か知らないが最近読んだ本に
ちょこっとだけ載っていた。
その本の詳細きぼん
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 23:34:00
>>289
ん・・
平凡社っていうとこから出てる新書で
「三国志人物外伝」っていう本だよ。
正史基準で色々エピソードなんか書いてある、
三国志好きなら面白いんじゃないかな。
あの著者司馬氏嫌いで司馬氏の話になると突然冷静さを失って毒舌になるのが笑える
292 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 18:59:04
それ読んでないが、
司馬氏は三国志の訳本で太刀打ち出来ないから嫌いなんじゃね?
>>290 三楠。さっそく今度の日曜に探して読んでみる。
>>293 太祖や大帝が誉めておりますぞ!
しかし、武帝紀みてると一番劉備を評価しているのは
曹操なんじゃないかと思えてくる。
つーか、劉備は強かったんじゃねの?
負けてばっかだけど、招く方としては戦力として軽視できないくらいには
曹操としては諸葛亮や孫権に負けたというよりも劉備に負けたというほうが体裁がいいんだろう
全然関係ないけど唐突に
「敗走させたら右に出る者はいません」
というのを思い出した
本当に関係ないな、スマン
でもマジで逃げるの早い。
投資家になったら大損はまずしないだろう。
喧嘩も逃げるが勝ちってもしや劉備殿からきてるのかおそれいったわ
劉備は世間では優しいやつだって言うイメージがあるが、
実際には普通のヤクザもんだったんだよな。
人を普通に殺してるし、結構気も短い。
役人をぶち殺したのも張飛じゃなく劉備本人でしょ、確か。
>>300 殺してはないよ。
殺そうとしたが哀願されたので許してやってる。
むしろ殺してるのは曹操や夏侯惇といった連中。
徐庶もそうだし調べればもっといる。
俺も督郵しばいたのは張飛だと思ってたが、実は劉備だと知った時は
その人間臭さに逆に親しみというかそういうのを覚えたな。
俺は横山から三国志入ったんで仁者劉備のイメージしかなかったから。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 22:32:12
曹操は理不尽に人を殺してるからなあ。
曹操のキレ方は計算の内っぽくて怖い。
キレるとVシネモードの劉備はもっと厄介。
Vシネワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 22:54:32
つまり役人が劉備に賄賂を要求した時に、Vシネのチンピラがキレた
時の効果音がなったんだなw
>>301 あ、許してたんだ?殴り倒して半殺しくらいにはしたんだよね、でも。
俺もそういう劉備の方が好きだし、
逆にリアリティも感じられる。
他の曹操とかは、殺してるだろってイメージで、実際殺してるけど、
劉備の場合違うからなぁ。
>>309 小説や漫画のイメージに毒されてるアホの子だな
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 08:33:15
吉川三国志や横光三国志のイメージってのは王道だね
そこから三国志に入った人が多いだろうしな
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 09:56:35
曹操は徐州大虐殺さえしなければ・・・・
しかも2回・・
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 12:47:19
徐州なくても配下や大臣を酷く扱ってるから、曹操は
この勝利 我が民に捧ぐ 足軽 言わしておけばいいさ 権力や金に狂わずただ必死に民のために戦う
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 13:00:05
ひさしを借りて母屋を乗っ取る。そんな言葉がよく似合う男だなwwwwwwwwww
そんな劉備が大好きだったんだな、魏延は。
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 21:00:49
たしかに魏延は実際は結構年下だろうけど劉備世代最後って感じがするよな。
なんか蜀に一人だけ空気の違う奴が残ったみたいだ。
何か途端に魏延が切なくなってきた。
延はちっちゃいと孫権はいっていました!
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 23:35:01
夷陵の後もう少し劉備が生きてたら魏延の子午道からの長安急襲の策は
どうなってたかな?
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 00:33:55
しばりょうの「項羽と劉封」の劉封の描かれ方がオイラの劉備像に近い。
あれをちょいと上品にした感じ。
根拠とかないけどさ。
>劉備&刺客
わざと相手の懐に飛び込んで非武装化する、てのは
秀吉が前田の城に城門に一人で近づく(誰かが火縄銃撃ったらそこでジエンド)
とか、
ナポレオンが百日天下の時、前皇帝逮捕のため送られてきた軍隊と遭遇したとき
丸腰で一人語りかけた(部隊長が普通に命令遵守すれば即拘束)
とか、類例があるね。モンテーニュも旧教と新教の抗争の時に似たことをした
旧教側領主について書いている
>>310 日本語も読めないウンコなんだなぁ、お前は。
>>322 人徳エピソードのようである意味空城の計だね。
魏延さ〜ん!
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 20:52:39
324
空城の計って「もしかしたら大軍がいるんじゃないか…?」っていう
ものだから少し違うんじゃないか?
>>324 その心理に似てないかなと思って。
たしかに少し違うんだけど。ゴメン。
まぁ、劉備はそういうこと考えてやってるわけじゃないだろうけど。
何か異次元的レベルの度胸、という点ではちょっと似てるかな・・
空城計と丸腰武装解除
しかし俺のような凡人にはこういう連中のその自信の根拠がわからん。
相手を必ず丸飲みにできる、という絶対的自信があるのか・・?
6゚∀゚)てかさ、俺が死ぬわけないよなあ!
みたいな意味不明な超自信があって、
それを関・張・簡あたりが煽ったんじゃ
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:23:52
ありえないほどの自信がなけりゃどっかで賊にでも落ちぶれてるだろうな
最後まであきらめなかった根性を評価したい
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 18:33:35
324
いやこちらこそ揚げ足取りみたいになってしまった。ごめす
工房の頃、漏れのクラスに劉備っぽい奴がいたな。
能力的にもとりたてて優秀な所が無いのに、学年トップの奴に少しライバル視されてた。
友達が多くて、部活の後輩からも露骨に尊敬されてたみたい。
実際そんな奴いなかった?
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 22:20:12
いや劉備は間違いなく優秀だよ、能力は
地盤以外は天下人としての資質は曹操を軽く上回る
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 22:45:32
そうだよな、資本がないから何度も流浪をしてんだよな
>>335 劉備ヲタだがさすがに曹操より上とは思わない
ただ、徒手空拳からのし上がれるのは劉備だけだと思う。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:06:16
曹操はスタートラインが劉備と違いすぎるからそもそも同一に論じられないよな
ただ、曹操は実際に天下取りに失敗しているから、資質として見れば絶賛はできないよ
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:35:15
>曹操は実際に天下取りに失敗しているから
曹操の支配した中原から見れば、蜀や呉なんつうのは野蛮人の住むド辺境ですよ?
当時の感覚でいえば、天下は獲ったということになると思うんだけど。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:55:55
>>1 >筵織りから一国の皇帝へとのぼりつめた漢、劉玄徳。
劉備が貧しい筵織りだったなんてあり得ないでしょ。
本当に貧乏だったら、塾に行けるわけがない。塾に行くくらいの
金はあった、つまり地方の豪農だったと見るべきだろ。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:58:32
違うよ
蜀は漢の高祖の最初からの本拠、呉は項羽や呉楚七国の乱の地盤
いずれもここを抑えずに天下を取ったなどとは言えない地
ついでに言えば辺境っちゃ辺境だが当時の感覚はそこまで視野狭くない。狭くなるのはむしろ魏以降だろ
戦乱以前は官僚が蜀や呉に赴任することは普通にありえた
344 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:00:10
345 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:02:19
そんな金持ちが親戚にいるんじゃねーか。貧農っていえるか?
大家族主義の中国だぞ?
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:05:26
>>342 劉邦にとって真の拠点は関中です。当時の蜀は流刑の地だぞ?そんな
ところが拠点になるかよ。
官僚が赴任するっつてもねー、はっきり言って左遷ですよ?それに
官僚より地方の豪族の力が強いようなところだぞ。劉表だってケイ州に
赴任する時、地方豪族の反対にあって追い返されたくらい。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:07:29
つまりそんな豪族が強い地に君臨した劉備最強、と言いたいわけだな
>>345 父親が死ぬと収入が途切れるので結構苦労する(らしい)
そういう人物は劉備の他にも見受けられる。
すぐには思い出せないのであれだが。
劉備が遊学に出るのが15の時だからそれまではそうした援助がなかったとしても不思議ではない。
ちょ、ちょっとまて
マターリいこうぜ
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:12:02
陸遜も親父失うと親戚を頼ってるよね
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:14:32
正史には劉備は「読書を好まず、華美な服装を好み、乗馬や犬や音楽を愛した」と
あるけど、それでも貧農?きっと筵がよっぽど売れたんだろーなぁ。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:18:43
劉備の祖父と親父は県の役人。つまり貧農ではない。
確かに親父が死んで一時期は困ったかもしれないが、裕福な親戚の
援助を受けて塾へ行き、だがしかし真面目に勉強するわけでもなく
派手な服、速い馬、闘犬、音楽にうつつをぬかした不良。
それが劉備。どこが貧しい筵織りだ。そんなの一時期のことにすぎないん
だぞ?
「いやいや、筵を作るのはいいですよ、がっはっは」
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:18:49
劉邦も劉備も半農半官の中小豪族ってとこ
豪族としては大したことなかろうが貧農なんかじゃない
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:20:14
後漢時代の遊学開始の年齢は大体15歳〜20歳の間。
劉備の遊学開始年齢からみて、
親族から多少の援助はあったかもしれない。
つーか伯父さんが金払ってくれたんじゃなかったっけ?
で、その奥さんが「家庭のことは別々」みたいな愚痴をこぼしたとかいう話があったはず
>>357 なんで家の子と同じ扱いをするの?と文句言ったという話だね。
劉備が豪族だったと判断する材料は無いだろ。
塾に行ってた、ったって孔門だって顔回とか窮死するヤシも居るしな。
遊んでたってのも、しょせん田舎町での遊び人だろ。別に金があったか
どうかはワカラン。クリーニング屋の兄ちゃんが仕事後毎夜服装をギンギンに決めて
改造バイクやパチンコで遊んでても街の名家の一人と判断しないだろ。
言えることは、水飲み百姓では無かったというぐらいで、それ以上は
大農だったか中農だったか小農だったかはわからんと思う
>>359 父親が死んでから15になるまで多少の援助はあったかもしれないが、基本は蓆を売って生計をたてていたというところだろうな。
親族から援助を受けるようになって遊学し、名士や侠と友好を結ぶようになったのだろうね。
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 01:18:28
ヒント:祖父は孝廉で県令までなってる
>>361 それがどの程度裕福だったのか教えてくれ
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 01:27:34
ヒントは出したので自分で考えろ
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 01:30:06
>>362
>>360だろうな
>>358 「それぞれの家の事は別々でしょ!何で何時も援助してあげてるの」
「我が一族にこの子がいるからだ。常人ではない」
と小さい頃から叔父に認められているね
細かいようだが
>>357、伯父じゃなくて叔父だからな
>>362 人に聞く前に後漢書百官志くらい読んでおけ
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 08:19:22
>>359 筵織りで服買ったり闘犬したり音楽(これって女のことだぞ)にうつつを
ぬかすことができるほど稼げるわけねーだろw
服にしたって、現代とは価値が全然違うってことがわからんか?絹が戦勝の
ご褒美として与えられるような時代だぞ?
だから貧農でわなかったと俺も思うよ。
だけど、遊びったってどの程度のもんかわからんしな。それに
侠客の集まりに出入りして塩商人や泥棒とかと付き合ってればあぶく銭が
入ることだってあるだろうよ。
遊び人だった=「中小豪族」認定に直結するするもんでわ無かろうってこと。
少なくとも袁さんちみたいな金やコネはない、と。
貧乏でもあそびを色々工夫するやんか?
闘犬だって華美な服装だって音楽だって、似たような
経済レベルのものが集まればそれなりに試行錯誤して
やるわけで、んでそれを見てる人なんかはそういうことに関係なく
「ああ闘犬してるな」とか「華美な服装してるな」って思うわけで
それが文章として残っただけでしょ。
日本で言うとかろうじて豊臣秀吉が類似する人物だと思うが、
やくざな若者時代をすごした事と、
嘘でも漢帝国の復興を一時的にやってのけた事が、
秀吉よりは魅かれるなあ。
秀吉は、若い頃はちょっと卑屈な主人への従順さを見せているけれど
劉備にはそういうのは無い感じ。
あとやっぱ秀吉は晩年の迷走が大失点だね
曹家並の金持ちではなかったろうけど、
孫堅と較べたらどうだろ。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 16:29:52
曹氏→大金持ち、高官の家柄、一族挙げての覇業
孫氏→金持ち、家柄は大したことない、一族挙げての覇業
劉氏→一族はそこそこ金持ち、その地方ではそこそこの家柄、一族が覇業に加わった形跡がない
劉備が覇業には一番不利な環境
そうなのか? Wikiには孫堅のオヤジは瓜売りだったって書いてあるぞ
まぁ劉ちゃんトコよりはいいと思うが
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 16:59:01
馬騰は薪売りだっけ?
みんな苦労したんだな(ノД`)
学校に行かせてくれたおじさんの息子はどこ消えたんだろ。
>>373 ただ曹さんちは金あっても陰口叩かれそうだが。
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 18:38:28
現代風に言うと…。
曹操の家 国会議員or大臣の息子
孫権の家 裕福な軍人or警察署長の息子
劉備の家 親戚の多い農家の息子
生まれからして差あり過ぎ…。
更にもっと貧乏なのが秀吉
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 18:45:34
劉備の家も、農家とはいえ顔役で市議くらいは出してるよ、その例えでいえば
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 19:13:30
しかし曹操&劉備&孫権の3人の条件を徒手空拳の貧乏状態と仮定すると…
曹操はどっかの有能な将軍止まりかな…
孫権は…思い浮かばない
劉備は史実同様に言うに及ばず。
>>380 うちのじーちゃんが田舎の村議だが別に偉くも何ともない
そんなレベルかな
>>381 曹操は韓信みたいにひょんなことで芽が出るかも知れない
でも、危ないと思われて殺されるような気もする。
孫堅ならともかく、孫権は地盤ないとどうにもならなそう
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 20:15:29
>>382 マジそんな感じじゃね?
もしかしたら中央政界にも知り合いの一人や二人=ロショクやコウソンサンもいるかもしれないけど、まあ余程優れてでもいないと向こうでは歯牙にもかけてくれないよね。
劉備「私は農村の生まれだから何でも美味しく頂けるよ。」
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 21:24:17
途中接待されて接待するやつのオカミさんの肉をオオカミさんの肉とし
て食ったらしいからな。
劉姓は漢の皇族の姓だから
庶民がそう簡単にホイホイと名乗れるものでもないよな
('A`)
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 09:40:36
劉さんってあのあたりにはたくさんいたんじゃないの?中山靖王ってのは
子沢山だったらしいし、その子孫はあの時代なら結構な数になってると思う。
多いだろうけど勝手に名乗るはNGだっけ?
じゃあ劉壁は一体…
勝手に名乗っちゃいけないが、それ程厳格ではない説とか
しかし身分詐称するなら打ってつけの劉勝の子孫を名乗るところが余計に胡散臭さを煽っている感
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 14:15:37
肉めし(゚д゚)ウマー
12 :無名武将@お腹せっぷく :2006/07/07(金) 09:58:25
呉懿「勇気あるファッキン・コメディアン 劉玄徳
漢中王なのは感心だ 気に入った 家に来て妹をファックしていいぞ」
劉備「Sir,Yes Sir!」
13 :無名武将@お腹せっぷく :2006/07/07(金) 10:34:17
孫権「勇気あるファッキン・コメディアン 劉玄徳
寝業師なのも気に入らんが 家に来て妹をファックしていいぞ」
劉備「Sir,Yes Sir!」
14 :無名武将@お腹せっぷく :2006/07/07(金) 12:11:24
麋竺「勇気あるファッキン・コメディアン 劉玄徳
州牧を引き受けるのは感心だ 気に入った 家に来て妹をファックしていいぞ」
劉備「Sir,Yes Sir!」
つまり妹属性萌えのフェチだったんだよ
劉備・孫堅・曹操の環境の話だけど、やっぱり曹操が色んな面で抜けてて劉備と孫堅は善し悪しじゃないかな?
劉備の方は家に金もなく自分を中心とした同族連合は作れなかったけど、
親戚の援助もあり同郷の人士の中でも博学で知られた名士盧植に学問を学ぶことができた。
祖父が孝廉に推挙されるなど家柄も(本来は)悪くないみたいで、名士層の端にぶら下がることはできた。
対して孫堅の方が金はそこそこあり、家柄は代々地方の役人だったみたいだが評判はあまりよろしくない(結婚騒動とか)。
学問を積んだ形跡もあまりなく、孫家を軽んじる文人豪族は結構多かった(王叡とか陸康とか)
じゃあ孫堅の何が良かったといえば、一門連中を中心とした軍事的基盤があったことと、上司や機会に恵まれたこと。
これと本人の軍人気質が幸いして、若い時から武功を重ねてかなり順調に出世できた。
一方の劉備は盧植の元公孫サンらと知己を得ると、後は積極的に無頼の徒と交わり(勉強しないとか華美な服装とかは性格じゃなく、
意識的なポーズだと思う)商人からの援助を得るなどして一応の仲間を集める所からはじめなくてはならない。
人々の信服を得るのにはそれなりに時間もかかる。
劉備が初めて手柄を立てたのは恐らく184年、この戦功により県の尉になっているが
孫堅の方は17の旅先でたまたま機会に恵まれ(仮だが)尉となり、殆ど同時期にこれまた偶々大規模反乱が起こり
この平定に活躍。上司の臧旻が公正な人物できちんと上表までしてくれたお陰で丞に昇進&武名アップ。
後に武名を知った朱儁に目を付けられ正規軍に抜擢され、劉備と同じく184年にも武功を上げ、
朱儁がこれを詳しく上表してくれた結果、別部司馬にまで出世できた。
孫堅の実力も勿論あるが、同族一門は数百人以上に上り(孫静伝)結束は固く、さらに上司にも恵まれていた。
一方劉備はといえば、商人からの援助で急ごしらえで整えた義勇軍を頼みにし、
有象無象を率いて功績を挙げ折角官職を得るも上司と揉めて棒に振るはめになるなど、
はっきり言ってこの時期はついてない。
しかし、後に公孫サンとの縁故を生かし職を得、任侠的結びつきで軍を強固にし(親族不在のハンデを乗り越え)、
多くの人士からの助力を集めることに成功するなど、若い頃の下積みは確実に後に繋がってる。
>>395 劉備の場合、徐州に来るまで自前の兵っていなかった感じだな。
黄巾討伐の時は数百名くらいの私兵はいたようだが。
孫策も似たような状況だけどおじが丹楊の太守だったり、袁術から父親の兵を付けられたり。
自前の兵と言うことでは劉備より恵まれてたと言えるのかな?
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 21:47:21
孫策は親父からの私兵もあったんじゃないか?
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 21:55:44
劉備は徐州に来た時には烏丸の騎兵まで持ってたけどね
徐州でも曹操でさえてこずった丹陽兵を新たに従えたわけだし
孫策の場合は親父以来の私兵や親族を中心に、北方から混乱を避けて江南を目指す人の流れに加えて、
周瑜(周尚)からの大量の物資援助があり爆発的な軍の拡大に成功してるからなぁ…
北方人士や周瑜を孫策の求心力で集めたと取れば逆境からの逆転劇だが、
親父や情勢の成せるわざと考えるとやはり劉備よりは恵まれてるかな。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 00:40:36
福耳太郎
401 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 01:16:48
(´┏┓`)
(´・∀メ`) へー
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 01:21:38
〈 ノ /
し 妹 う 〈 ヽ 人 気 〈
て を ち 〈 ノ 間 に ヽ
い フ に 〈 , -――- 、 ヽ // 入 /
い ァ 来 〈 ____ \ } ‥ っ ヽ
で ッ て 〈 ※ ※ ※ ヽ / た /
す ク 〈'´ ̄ ̄ ̄ ̄`丶∠、 で ヽ
// r┘/ / l| ヽ V〉 す /
‥ r┘ / / /l/ヽ. ! l/i⌒ヽ /___
r┘l |≧:x/ / x:≦、| l |/ノ⌒Y⌒Yヽ___
r┘ T|l {イ:::´l { l リ / /! r'´ __
Y⌒Y⌒ ヽ. / ト、 ヽゞ ' ___ ゝ ' ノ イ l /´, `ヽ
, rー、ト、 Y ノ イ´ } '、 〃 /|ヽ. l
/ /⌒ヽ〉 >r ァ< { } ヽ l イ////X ノ
{. 〈 / 〉 「 不 7 T} } l 人!「 ̄ ヽイ
6゚∀゚)<別に妹萌えなわけじゃないけど、みんなが妹くれるからもらってやったぜ
405 :
nm:2006/07/11(火) 08:16:52
俺は最初本を読み始めたとき、劉備にあこがれた。その後諸葛にあこがれたが、
最後には劉禅が一番幸せな人生を送ったことに気が付いた。
なんだかんだいって一番かしこい
まぁ後世の人間になんだかんだ言われても実際もう存在しないわけだし、
へっちゃらだよな。
それを言うなら
天下統一して一万人の女相手にウハウハした
司馬炎が一番好き勝手生きた幸せ人生のような。
歳のせいか、一万人とファック、とか読んでもとてつもない疲労感しか
想像できない・・ orz
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 11:49:03
1日3人弱で1年で1000でも10かかるんだな。
10年間毎日三人なんて、一週間でも無理だ。腎虚で死ぬわw
一人一発までのペースでなら二十代の内にこなせそうな気もする
当代随一の野戦指揮官、百戦錬磨の古強者である
不屈の傭兵隊長劉備玄徳について語ろうぜ。
劉備ってもっと早くにチャンスなかったのかな?
>>413 徐州で袁術と争ってる時が最初のチャンスじゃないかな?
劉表が死ぬときにおとなしく荊州をもらっていれば…
>>415 ほとんど同時に曹操が攻め込んできてるからムリ。
劉表配下の主だった連中にも支持されてないし。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 20:32:05
416に同意
荊州での劉表死亡後については、劉備の行動が正着だて思う
襄陽取りとかやってたら曹操に来られて壊滅してたし、長坂でも兵を分けて温存したことで反撃できた上に曹操には騎兵を使わせ疲弊を強要した
兵力差を考えると荊州では劉備が曹操を手玉に取ったと言ってもいい
>>417 手玉に取ったは言い過ぎだと思うが、亮の言うとおりにしてたら襄陽で劉備死亡の可能性はかなり高かったろうな。
ぶっちゃけ、流民を放置してさっさと江陵を押さえるべきだったな。
江陵を確保して迎撃態勢を整えれば、曹軍だって簡単には手を出せない。
のちのち孫権に因縁つけられなかったろうしw
>>408 司馬炎自身も面倒っちくなってロバに適当に歩かせて止まった所で一晩過ごすみたいになってるね
江陵に入れたとしても、かえって孤立無援で滅亡した可能性が高い気がするんだが
じゃあ呉巨を頼って…
それに劉備が民を置いて江陵に向かい、占領に成功したとしても、曹操はすぐに追いついてくる。
態勢を整える暇なんかない。
追撃部隊は軽騎5000。精鋭を江陵に急行させて確保すれば撃退出来ない数じゃない。
勘弁してくれ
427 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 23:20:05
その後から主力も来ますよ
それに劉備が江陵を確保できる保障もないのでは?
劉備はそれよりも、荊州に野望を持つ孫権と曹操をぶつける作戦に出たんだよ
長坂もただ逃げただけじゃなく、曹操自慢の虎豹騎を使わせて消耗させて、後々の反撃のための布石を打ってる
そのためには逆に捕捉されるスピードで進軍する必要があったから、あえて民とともに進軍したんだな
>>419 あれは流民を引き連れていたから意味のある逃走だったんだよ
軍事的な面は
>>417で語られてるので割愛して政治的な面からのアプローチを
流民達の行動で曹操の残虐無道さを周囲に知らしめる宣伝効果がある
そして曹操が強引に長坂で劉備を補足し攻撃したからそうはならなかったが
そうでない場合、劉備によって荊州全土で泥沼のゲリラ戦が展開される
しかも、追撃されたらされたで曹操の悪評を広める事ができる(事実そうなった)
もし流民を捨て、自分だけ逃走したとなると世論は劉備を見捨てる
荊州の人間は曹操に付き、いくら江陵を手中に収めても誰もついて来ない
元々寡兵な劉備が人心を失ったら勝てる物も勝てないわ
これらを鑑みると実際の劉備の行動は軍事的にも、政治的にも曹操を追い詰めた最善の一手と言う他ない
Fact@
あの、諸葛亮孔明が臣下についた。
その後の諸葛亮の行動を鑑みて
欲得ではないと、ほぼ断定できる。
故に「常人ではない」と結論@
>>429 諸葛亮は意図して「君子たる臣下である自分」を演出していたと考えられる節が見受けられる
「私は質素な暮らしをしている」「子孫に美田を残さず」等、至る所にその演出は散りばめられている
「これほどの君子である自分が仕えている大漢帝国」という宣伝の為だと考えられる
従って「諸葛亮が仕えていたから」と言う理由で劉備を賞賛する事は
「まて、これは孔明の罠だ」
と言う事である
>>430 そう読むと、すべてがつまらなくなる
故に却下。
軍需物資や防衛拠点さえ確保できれば、劉備は曹操軍とも互角に戦える。
曹操が恐れたのは劉備の人望でも名声でもなく、ましてや青二才の孔明でもない。
歴戦の野戦指揮官である劉備の軍事能力だと思うがいかがだろうか?
それは言い杉、お前如きに青二才と(ry
まったくだな
諸葛孔明青二才とはすごいな
いや、あの当時は曹操から見りゃ十分青二才だろ
つーか曹操があのとき諸葛亮のこと認識してたかどうかも疑わしい
>>432 劉備の人望と名声と、そして軍事能力
どれかじゃなくて全てを恐れていたと思うがどうだろう
>>432 お前は「青二才」と言う言葉を理解してから出直せ。
>435
>諸葛亮のこと認識してたかどうかも
逆に曹操を侮辱する言葉だが、それでいいな?
全てと言うか、その底知れぬ可能性は軽視出来なかったかもね。
当時の曹操にとって、恐るべき将帥は劉備だけであり、
その将器は単に実戦部隊の将器に留まらないと予見されてたのかもね。
ちなみに孔明は当時まだたいした名声もなく、軍事にも疎いただの書生程度と思われ。
思われないよ、ヌケ作
>>439 友人などの近しい人間からは高い評価を受けていたし
荊州ローカルに限れば非主流派名士の元締め的存在
劉表の長男劉キにも高い評価を受けており、身の処し方等を相談されたりもしている
軍事に関しては疎いかどうかを証明する資料はないが、
後の北伐を見るに才能はあったと考えられる
隆中対ではしっかりと戦略を示し、注釈によれば劉備の兵が少ない事実を指摘しその解決策を授けている
あくまでも荊州ローカルではあるが、名声は高かった
曹操の視点で考えればいいんじゃない?
当時、最も強敵は孫権。これは異論ないでしょ。
同時に劉備の動向も不気味だったハズ。でなければ騎兵を急行されて追撃はしない。
ならば、その時点で曹操は誰を恐れたか?
あくまで「その時」の「曹操の認識」で考えればいいと思う。
百戦錬磨の劉備?名声も実力も不明な孔明?
>>433 孔明は青二才だろ。
彼の領分は施政と立法であり、軍事や戦略は素人。
魏延の雄略に尻込みしたり馬謖を起用したあたりヘタレ臭い。
諸葛亮の話をするなら諸葛亮と法正スレに行ってくれ
>>443 長安急襲は無理やり突破するだけ。取った後は魏は攻めが弱くなると楽観している。
そういや劉備って
徐州で独立したときに
「曹操本隊以外には負けね」みたいなコメントしてるんだよね
それって逆に言うと「曹操だけは勘弁な!」ってことだよな
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 09:49:49
だって曹操じきじきとなれば兵の数や質が段違いだろうからな
将としての資質で負けていないのは荊州での展開や漢中戦を見れば分かる
449 :
信玄:2006/07/14(金) 09:57:58
>>442 >当時、最も強敵は孫権。これは異論ないでしょ。
おおっと、おぬし、卓説じゃが、神の半島、朝鮮の秘めたるポテンシャルを忘れてないかのう?(にやり)
曹操本体は青州兵という信仰で命捨てた兵を
韓浩、史渙と言った有能の士が率いて
神武と謳われた曹操が戦術を立ててる
その上に二荀らに代表される参謀達が曹操を後方から支援
そりゃ勝てる気がしないだろ
実際、夏侯惇や芋禁には勝っているしね。曹仁には負けたけど。
>439
孔明をこそ曹操はもっとも恐れていたんだよ。曹操の慧眼をもってすれば、
放置すれば孔明がいかなる将器を発揮するかなどはお見通し。
であればこそ、孔明一家が居た徐州を侵し、後にまた荊州まで追ってきた。
劉備?あ、そんなん居たっけ・・てのが曹操の本音だった。本人に聞いたんだから間違いない。
majika
誰だよ芋禁って
-勅令-
芋の栽培はこれを禁ず
横山マンガみると最初のうちは劉備はかっこよかったがだんだん40巻ぐらいになると
劉備はわがままになるだけで、諸葛だけがかっこよく表現されていたな
劉備は年をとってからの方が落ち着いて考えるようになった。
若い頃など行き当たりばったりだろ。
晩年の気品というやつですね相国
最後まで落ち着きなかったと思います。夷陵とか。
そんなアバウトでダイナミックな劉備が好き。
>>455 これのことか
46 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 01:36:02 0
アメリカの開拓時代初期、
ジャガイモは淫らな気持ちを起こさせるとして
教会から人間が食べるのを禁止されていた。
もし、劉備がいなかったら
♪アタック音
諸葛亮は何してた?
♪アタック音。
名士
曹操に仕えて、もしかしたら群の太守ぐらいには出世していたかも。
魏には行かないだろ
出世する見込みがないからと見切りつけてたわけだし
結構自己主張激しいよね、諸葛亮って
曹操大嫌いだしなぁ・・・呉に行くか一生晴耕雨読の生活か・・・
>>468 曹操という人に興味はあったが、
どうせ行っても出世できねーしと思って行かなかった説もある
てゆーか、出世の厳しい曹操軍閥に入るよりは
筋肉バカばっかの劉備軍閥のほうが出世しやすかったからじゃね?
それを漢復興の為と見る事もできる
さすがに孔明もアホじゃないから
漢が復興出来るなんて真剣に思ってなかったろうよ
473 :
sage:2006/07/15(土) 14:07:16
>漢が復興出来るなんて真剣に思ってなかったろうよ
荊州失うまではまんざらでもなかったんじゃないか?
まぁ漢の復興ではなく中華統一という意味で。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 15:22:04
>>441 >劉表の長男劉キにも高い評価を受けており、身の処し方等を相談されたりもしている
おいおい、正史にも載っているエピソードだからってこんなの信じるかね、普通。
二人だけの密談がなんで歴史書に載ってんだつーの。
ひとついいことを教えてやるよ。三国志の時代に仕官して出生したいと思ったらな、
とにかく「評判」ってものを得なくてはならない。科挙とかねーからな。どこそこには
親孝行で勉強家で徳のある若者がいる、そういう評判がある上で「仕官させて〜」と就職
活動するわけだ。
んで、仕官を望む若者達(いつまでたっても就職できない爺もいる)はな、協力して
お互いのいい評判を流しまくるわけだよ。孔明とその仲間達もお互いのことをやけに
褒めちぎってるだろ。
孔明の伏龍だなんだっつう評判もね、作り上げられたもんなんだよ。実績もなにもない
ただの若造が自然と評判になるなんてあり得ないっつうの。
曹操が孔明を恐れていた?もうあんまり笑わせるなって。
張松って、相当な劉備信者だよな。
自分の仕えてる国を、縁もゆかりもない劉備に、
乗っ取らせようとするか?ふつー。
当時から、劉備信者っていたんだな。
>>474 おいおい文盲か
最後にちゃんと「荊州ローカルの名声」と書いてあるだろ
何勘違いしてるんだ?
>友人などの近しい人間からは高い評価を受けていたし
>荊州ローカルに限れば非主流派名士の元締め的存在
>劉表の長男劉キにも高い評価を受けており、身の処し方等を相談されたりもしている
田舎者どうしのシックスナインだな
>軍事に関しては疎いかどうかを証明する資料はないが、
>後の北伐を見るに才能はあったと考えられる
あの程度で軍事才能アリとするなら曹操は銀河系を平定できる
>隆中対ではしっかりと戦略を示し、
あれは戦略ではない。構想であり妄想
>注釈によれば劉備の兵が少ない事実を指摘しその解決策を授けている
戦争バカの集団に初めてインテリが参画しただけ
>あくまでも荊州ローカルではあるが、名声は高かった
地方ローカルの名声なら尚更曹操の耳には入らんわな
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 17:15:42
なんか痛いな
うむ、てか痒くなってきた
陳寿はこんなつもりで
「軍事は不得手」なんて書いたわけじゃなかろうに
>>477 >あの程度で軍事才能アリとするなら曹操は銀河系を平定できる
あの程度?
諸葛亮のやった事は大きいぞ
後代の戦術のお手本となる八陣を考案
後に武器の王とまで称される槍など武器を改良
会戦となれば司馬懿、張コウと言った歴戦の名将を打倒してる
大規模な戦略企画もお手の物で、正史三国志を全く疑わなければ
成功しなかったのは運の無さ故としか言いようが無い
ソフト、ハード両面の強化といった後方支援から最前線の指揮まで出来る
天下の奇才との評判は間違いじゃないぞ
>あれは戦略ではない。構想であり妄想
戦略ってのはその構想を指すんだよ
あと当時の天下三分は識者の間で割りと共通の認識だったとみられている
それを何を根拠に「妄想」と断じてるの?
>戦争バカの集団に初めてインテリが参画しただけ
糜兄弟はどこに?
別駕従事は戦争バカじゃないぞ
>地方ローカルの名声なら尚更曹操の耳には入らんわな
だからそう主張されてるレスなんだが読み取れないの?
赤壁前後の諸葛亮は「荊州ローカルの有名人」という趣旨で何度も書かれているだろ
中原にまでどうやったら名前が鳴り響くんだよボケナス
おまいらそんな簡単に釣られてんじゃねーよ
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 18:09:17
長文の書き込みは書いてる方もそれなりに楽しいから気にすんな
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 18:48:35
こわい。こわい。
わあいわあい
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 21:09:45
>>481 >後代の戦術のお手本となる八陣を考案
はぁ?!八陣のこと本当に知ってんの?あんなの軍事が専門でない者が作った、
いかにも理屈優先の実戦不向きのもんだと思うけどねー。
だいたい八陣ってのはもともと孫子(戦国の方ね)が考えたもんだぞ?
まぁあんたが孫子の八陣の方を指して言っているなら納得だが、どうも孔明の
八陣の方を言っているようだ。
試しに孔明の八陣理論を探して読んでみなよ。机上の空論だってわかるから。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 21:12:20
>>481 それにさぁ、孔明には軍事の実績もある!って力説してるけど、肝心の
結果がないじゃん。孔明の戦略目標が仮に長安奪取だったとするなら成果
ゼロなんですけど。攻撃的防衛っていうんなら、まぁよしとするが。
まあまあマターリいこうぜ。
ここまでの流れを総括すると、
曹操>>>>>>曹豹>>>越えられない壁>>>孔明
って事でFA?
国力や戦力に差がある場合、才人が懸命にガンガってさえ達成が困難を極める
目標もあると思うが。それをもって無能、失敗と呼ぶのはあまりに酷だろう。
え、ちょ、ちょっと
>>474あたりから釣りだろ? 反応せんでいいよ
八陣って
歩兵の防御力と弩兵の火力を
出来る限り活かそうって奴じゃないのか?
>>488 同意いたす
孔明スレ池よ
>>488 それは孔明が孫子を知らないと言ってるのと同じだが。
493 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 22:11:04
>>488 おいおい、戦争なんだぜ?敵味方あわせて夥しい数の人間が死んでる。
各国の人民だって重税を課されて塗炭の苦しみってやつだ。
孔明は頑張りました、だから許してね、なんて通用するかよ。
>>493 >各国の人民だって重税を課されて塗炭の苦しみ
例えば?
孔明と関羽はヲタもアンチもキチガイじみてるから
どこのスレでも嫌がられる。
というわけで孔明の話やめてくれ
じゃあ劉備の信任篤く本人も意気に感じていた魏延について語るか。
当時、三国でも屈指の名将だと思うがどうだろう?
とりあえず諸葛亮のほうが劉備より人気者だってことはよくわかった
劉備は演義マンセー度では孔明と同等くらいなんだがあんまアンチいないね
一昔前はうようよしてたが
劉備のアンチはチョンか池沼か共産党員だろ。
劉備はマンセーされてても万能としては描かれてないから
蒼天の劉備は嫌いだな。鬼嚢時代は例外。
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 00:55:15
蒼天の劉備は天下とか器とかペラペラ喋りすぎ。
じゃっかあしい!!
俺はあまり違和感無かったけどなぁ。
劉備という人物の一つの捉え方としてはアリだと思ったよ。
「聖人君子」「ペテン師」「任侠」など、
見る人によって違うイメージを持たれるという「不思議さ」が、
物語の素材としての劉備の魅力だと思う。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 06:19:07
>>494 蜀記には「孔明は法と刑が峻急で、百姓を刻剥し、君子小人よりみな恨みを抱かれた」と
ありますが?
>>505 それを劉備がいかにフォローしていくか、
みたいなんが蜀の進め方なんだろうね
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 09:45:46
劉備がペテン師なら曹操もペテン師だわな
(操・∀・)<劉備はよくわかんないけど凄い奴だぞ。
6゚∀゚)<曹操は抜けてるところもあるけど凄い奴だぞ。
ふたりとも認め合ってたでいんじゃね?
ある意味同類で、ある意味水と油
>曹操+劉備
凄いったって、まぁ2chの三戦板というエリート中のエリート集団の精華
である当スレ住人に比べたら大したこと無いだろ。
このスレの住人だったら、ナポレオンもアレキサンダーもジンギスカンも
知力、武力、魅力どれをとっても子供扱いにできるはず。
俺たちのような人類未曾有の大英雄たちの目で見れば曹操劉備孔明なんて
輩が単なる愚物・小者に見えてしまうのは仕方ない。比較すれば事実そうなんだから
>>505 三国志の諸葛亮伝の評くらい読めよ
蜀記と三国志のどちらが信憑性高いか比べろ
話しはそれからだろ
うん、そうだね。
ところで正史全編読んだわけじゃいけれど、
史実の劉備って演義みたいな偽善臭があまりしないね。
漢中王になったり擬似漢帝国を建国したりしたのって、
決して善人ぶっているんじゃないよなあ。
演義だと聖人君子だが、正史だと任侠親分だわ。
劉備は君子っぽい一面も見せてるからただの任侠親分だとするのは早計じゃないか
対曹操の為にかぶった君子の部分と素の劉備の君子っぽい部分の境界線が全くわからんがね
多少の聖人っぽさを強調して対劉障の宣伝に使った訳だろ?
>491
るさい、孔明なくして劉備なんぞ語れるか。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 14:29:10
劉備が劉禅に残したお言葉より
「悪小なりといえど為すなかれ
善小なりといえど為さざるなかれ」
517 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 15:42:24
>>511 「蜀記」って呉の人が書いたものだっけ?
だとすると信憑性は??だが・・・
でも蜀劉備政権には当時でも士大夫、人民レベル両方
から批判の声はあった。
そもそも国力が乏しいのに軍備を拡張しまくり遠征しまくりだからな。
某宰相がいかに無謀な国策をかかげていたかがわかる。
519 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 16:32:26
国力が乏しいのに軍備を拡張しまくり遠征しまくり
戦争前に国力を高めていますが。
ゲームのやりすぎじゃないのか?
戦争直前に頑張れば国力って高まるんだ。
そいや孔明に金10000で開発させたら一気に土地価値あがるもんな。
>>520 519が言いたいのは南方制圧による兵員確保とか、塩の専売による財政補填とかだと思うぞ。高まったと言えば高まったんだろう。
それで補いきれてるとは言いがたいが、だからこそ損害を最小限に押さえつつの侵攻作戦になったと思われる。
520は典型的なゲーム脳だな。
曹操みたいな勝てば大勝ってのは蜀では厳しいよね
蜀が出来るまでも劉備はヤバくなると逃げてる
元手が少ない以上、決して悪い手じゃない
>>520 語調を和らげてみては? つ旦
ゲームのやりすぎと的をつかれてキレただけだろ
あと単純な国力アップとは異なるが、呉との関係改善も魏方面に回す兵力の増加に、
法律の整備や官僚機構の構築も長い眼でみれば国力の増加に繋がるかな。
諸葛亮は劉備の夷陵での敗戦を受けて蜀の官僚機構を再構築し直しているからなぁ
その結果大規模リストラで史官まで省いて、それで浮かせた経費を北伐に回してる
官僚機構の構築という意味じゃ諸葛亮の時代は大きく後退して
個人の能力に拠る政治体制に移行してたはず
また孔明か
つまらんヲタとアンチの言い争いは孔明スレたててそこでやってくれ・・
劉備死後はまた別物だからね・・
529 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 20:35:31
ところで正史全編読んだわけじゃいけれど、
史実の劉備って演義みたいな偽善臭があまりしないね。
正史=史実って思ってる時点でどうかと
ここでも正史と史実について延々と論争が起きるのは勘弁なんで勝手に纏めとくが、
正史も史実の一部です。けれど
>>529は(恐らく)史書の一部の記述を丸呑みにして
絶対の事実と信じることの危険性を指摘したかっただけと思われます。
以上。
別に史実の劉備語るのに正史だけが全てじゃないし
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/18(火) 06:52:43
大衆には演技のようにうつってたんだろ。
いや逆か、民間伝承をもとにしたのが演技か
533 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/18(火) 07:11:22
劉備になりたい。
>>533 まずは組を興そう
古きよき任侠でギネス級(構成員が)の奴らを倒せ!
50になるまで国を転々とする流浪の人生を歩みたいと仰るか
現代風にいえば、50になるまで職種を鞍替えしまくり
利益も出ず規模を拡大できない
有限会社「劉備商事」ってトコか(笑)
>>536 有限会社はないだろ、有限会社は…。
蜀という国は1000万円以下の規模か?
少なくとも大手3社に入ってるだろ。
明らかに。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/19(水) 00:30:20
蜀漢をたてるまでの劉備の例えだろ
徐州以前が、個人経営の「劉備玄徳商店」で、
入蜀までに「有限会社劉備」設立まで成長させ
ついには「株式会社Ryu-bi」として業界三位のシェアを得たとか。
誰が上手い事を(ry
でも本当に上手いww
一代で財を成したカリスマ社長が死んで重役連が揉めた挙げ句二代目で倒産
劉備商店をIT関連企業だとすると
関羽張飛はプログラマーだな。
それもただのプログラマーではない
「プログラマー1万人に匹敵する」スーパープログラマーだ。
>>544 ちょっとワロタw
まあこのへんにしようか
そういや劉備の一族って誰も劉備について行かんかったん?
放蕩息子が近所の悪ガキ組織して飛び出していった
ぐらいの認識されたんじゃない?
もしかしたら何人かは親族が従軍したのかも知れない。
しかし初期劉備軍は装備も練度も貧弱で、たちまち戦死したのかも。
ただ明日を生きるために戦い、ほかを顧みる余裕がなかった。
戦死した者の遺族に賠償も謝罪も出来ず、親族とは疎遠になった。
いつしか劉備の周辺から親族の姿は消え、
生き残った若者で固められるようになった。
赤ら顔の関
虎髭の張
ノーテンキな簡
彼らを率いて、劉備はゆく。
明日は田さんの助っ人だってよ…
劉備がお茶買うところが好きです
あれ読んだ時はオリジナルとは思わなんだ
>547 へたに劉備親族が付いていって、世に出ちゃうと、
家系がばれちゃうから、連れていかなかったのかもw
>>553 いちおう、祖父が県令やってたぐらいだから、いいんじゃない?
せめてお金出してくれた叔父さんの息子くらい
連れて行ってやれよ
>>555 付いていきたくねえよ、あんなヤツにor付いてったら死んじゃったよ……
という可能性が高いんじゃないかな?
通用するしないは全く無意味だアフォ。
>>559 真面目な貴公には悪いが
彼女の発想は昨今の家庭でもありうるぞ?
あの台詞見たときは劉元起が太っ腹すぎると思った。
りゅうほう〜涙
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/26(水) 00:50:46
age
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/28(金) 13:41:35
ほしゅ
劉備のイメージが坂東三津五郎というのは?
どうぞご随意に
どうぞご随意に
↑糞
どうぞご随意に
すいません質問です
リュウビは、戦争が下手じゃなかったのは本当ですか?
うまかったがその時代を代表するほどでもない
戦争は上手かったが戦闘は一流半
どーゆー意味?
戦術と戦略の評価ならよく聞くが戦争と戦闘とは新解釈だな。
よかったら詳しく教えてくれ
>>574 戦争状態にあっても非戦闘区域はある。
これから類推するよろし。
類推て
ごく単純に言うと、国家間で「戦闘」をしている状態が、「戦争」。
個人間ならケンカ。
戦争は必ずしも一対一ではなく、また外交問題などが絡んでくるので、戦闘が弱くても勝つことはある。
このスレ的に言うなら、劉備は赤壁では大した戦闘はしてなくても、結果的にはあの局面の戦争で勝利側についた。
ってとこかね。
>>574 戦争とは複数国、もしくは複数勢力で戦闘をしている状態
戦闘は実際に切り結んだり撃ち合ったりする行為
劉備は戦争と言う勢力の目標を貫徹しようとする能力と意志は三国時代でも他の追随を許さないが
その実現行為の一つである戦闘行為は一流半
その良い例が袁術戦で、戦闘行為に敗れた劉備は即座に軍を建て直し再度袁術と戦っている
(後方を呂布に乱されているせいで結局負けるけど)
逆に曹操は戦争は微妙なのだけど戦闘行為は神
だから戦争の規模が大きくなると勝ち切れない
漢中戦が両者のいい対比
>>562 あ〜あ。
バカが、頑なになっちゃってw
浜幸レヴェル。
575 577 578
なるほど、言われてみればたしかに劉備って戦闘行為以外のところで
うまくやってるよな。皇帝の子孫みたいな宣伝活動とかも
てか新解釈でもなんでもなかってな。俺の認識が足らなかっただけだ。
教えてくれてありがd
>>578 これ読むと、劉備が劉封で曹操が韓信って感じしてきた。
ふたりで組んだら天下取れたんじゃね?
>>581 つまり呂布はとんでもないタッグを相手にしたと。
つまり呂布にも天下の謀臣がいればよいと。郭図とか。
そのあたりは、劉備個人の才といえるのか?とは思うが。
荊州以前の劉備には戦略構想がまるでみられない。そういった肉付けを与えたのが
荊州以降に仕えた謀臣たちだろう。
荊州到達以前の劉備は戦略未満、戦術以上の部分だけが優れてる
戦略は諸葛亮が、戦術は法正が補って漢中戦で曹操を押さえ込むわけだな
>>585 そんなことはないと思うぞ。
豫州・徐州時代も北は袁紹と結び、西は曹操と一応の平穏の状態を保った上で袁術に対してる。
豫州・徐州に加え、揚州も獲得できれば袁紹・劉表とともに曹操包囲網が出来上がる。
結果的に保護した呂布に足元をすくわれてしまったが、戦略としては間違ってないというか他にとるべき戦略は無い。
むしろ隆中対の方が、曹操が侵攻してこない段階においては机上の空論に近いものがある。
荊州以前の劉備で戦略的ってなると
徐州失陥もそのひとつかと。
あえて呂布にくれてやったような。
母屋を取らせるところまでは作戦なんじゃ?
青州黄巾が徐州に来て先主がそれを接収。
献帝を擁立するために上洛しその途上呂布と曹操を配下に。
これで最強かな。
>>586 ちょっと待て
何で献帝奉戴前の曹操が袁紹と対立するんだよ
>>591 劉備が呂布に打ち破られたのと曹操が献帝を許に迎えたのはほぼ同じ時期。
曹操と袁紹が中原の覇を競うならどのみち対立するだろ?
そのさい劉備が献帝擁する曹操と結び袁紹・劉表と対峙する可能性もあるけど、
史実の通り袁紹側につく可能性が高いと思うがどうだ?
後で戦うほうを弱くしたいわけだから…
うーむ・・
>>589 てめえ、バカの癖して北方三国志
コケにすんのか、コラ。
袁紹は無理だったけど、
劉備なら曹操を使えたかもしれないと思うわけですよ
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/02(水) 00:49:25
劉備と一緒に献帝に参内する曹操の気分はどんなだったろうと考えることがある
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/02(水) 00:59:06
戦国時代の武将と現代の総合格闘技選手どっちが強いのだろう??(゜Q。)??
何で闘うんだよ
>>598 強さを競うのは何で?
現代総合格闘技で競い合うなら当然現代の選手だし
戦国時代にあった武術の業比べなら当然戦国武将(のトップ)
武器持ち格闘ってのは体格差が素手より出にくい
いくらいい体してたって槍を使えなければあっと言う間に槍衾だ
マケボノ弱いとか言うんじゃねーよ
>>593 董卓以後の中原は、袁紹派と袁術派の争い。曹操は袁紹派に属し、劉備は袁術派
だった(劉備が寄寓した公孫サンも陶ケンも袁術派)。もっとも、徐州を手にして
からは明らかに袁術派からは離れているが。
曹操と袁紹は裏では対立もあったが、はっきりと両者が袂を分って敵対したのは
袁術の死後。
603 :
sage:2006/08/02(水) 13:15:37
呂布を保護したときにそのまま配下にとどめておくのは無理だったのかな?
まぁ無理だったのかメリットがないから歴史がこうなったのか
劉備を保護したときにそのまま曹操配下にとどめておくのは無理だったのかな?
まぁ無理だったのかメリットがないから歴史がこうなったのか
歴史見ればわかるけど劉備ってちょっとでも独立の機会あればすぐさま独立するよ
遅かれ早かれそうなる
606 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/02(水) 22:49:52
千年以上も経った今でも豪傑として歴史に名を刻むなんてただ事ではない ヤバすぎる
ヒョードルが人類最強になってるけど千年後に名前残るわけない
と
まぁ素朴な疑問でした。
赤兎馬だっけ?
これも今の馬よりスタミナあるんだろぅな
オッズ一倍なさそう
サラブレッドとは種類が違う
609 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/03(木) 07:55:22
劉備の魅力は三国志Iでは知力とカリスマを100に出来た唯一の君主
三国志IIだと信用度100にしたときにこれまた唯一配下の忠誠度が下がらなかった
というくらいかな
>>602 徐州を得るに当たって袁紹の推薦も受けてるなあ。
袁紹にあたる為に公孫瓚に派遣されて斉に向かったはずなのに、
曹操に攻め立てられた陶謙を救助に行ったと思ったら何故か袁紹と良い仲になってて、
袁術と対峙したら曹操とも良い仲になってる。
ほんに中原の情勢は複雑怪奇なり。
公孫サン(袁術派)と袂を分かって徐州へ援軍の名目で陶謙(袁術派)に乗り換え
陶謙(袁術派)は淮南を巡って袁術と仲違いして派閥を脱退
丁度曹操に攻められているところで陶謙死亡、劉備は袁紹派入り
これで袁紹派は東南北と囲まれていた形から南北の挟撃状態へ盛り返した
袁術は三者共通の敵ということになり仲違いする理由もない
複雑どころか単純明快
袁紹派か袁術派か、それだけだ
>>611 袁紹・曹操ライン、袁術・公孫瓚・陶謙ラインだけでは説明が付かないだけじゃないか?
陶謙を助けて曹操と対峙するなら、曹操と同ラインの袁紹とも対立するのが自然なのにそうはならなかった。
また陶謙が死ぬと、曹操とは呂布という要素、対袁術があったこともあるのだろうが手を結んでる。
劉備は世渡りが上手いよな。悪い意味ではなく。
>陶謙を助けて曹操と対峙するなら
この時点で既に陶謙と袁術は対立関係
あと曹操と同ラインの袁紹ってのも誤解甚だしいな
袁紹が親分で曹操は子分
袁紹にさえ話しが通っていれば後は自然と収まる所に収まる
614 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/03(木) 11:41:39
まるで見てきたように語りますね
どこが?
こんなの残されてる文献からいくらでも読み取れる事だろが
>>615 たまに伝聞のニュアンスを出せば良かったんじゃない?
>>613 > この時点で既に陶謙と袁術は対立関係
なんで?
当時の状況としては、
・袁紹と袁術は対立していた。
・袁術は公孫瓚と結ぶ。
・公孫瓚は劉備、単経、陶謙とともに袁紹包囲網を敷いた。
・曹操は袁紹と結び、その包囲網を攻撃した。
・劉備は陶謙の救援に赴く。
なのに、
袁術と陶謙は対立していたっていうのは変じゃないか?
もちろん勢力圏が隣接している以上、問題が一つも無かったということはありえない。
しかし、陶謙と袁術が明確に対立していたという根拠は?
また仮に陶謙が袁術と対立し袁紹包囲網から抜けたのなら、その陶謙を攻めた曹操は袁紹に敵対したと言うことになるぞ?
言ってることがムチャクチャじゃないか?
>>618 >・劉備は陶謙の救援に赴く。
この直後に陶謙は袁術の支配領域だった豫州の刺使に勝手に劉備を任命してる
普通同盟相手の支配領域に勝手に刺使を任命する訳はないのでこの時点で二人は完全に対立関係
恐らく陶謙は曹操の最初の徐州侵攻中に全く手助けしてくれない袁術と手を切ったと考えられる
ここから陶謙はしばらくどっち付かずの状態のままで劉備に代わってから袁紹派に参入したと考えられる
>>619 つまり陶謙と袁術が対立した(可能性がある)のは曹操対陶謙が一段落した後でということだな。
包囲網を何とかしたい袁紹とそれを利用してうまく立ち回った劉備という図になるわけだ。
>>620 陶謙の孫策嫌いもそのあたりからなんかな?
しかし、劉備は抜け目無いなぁ。流石だ。
袁紹による劉備の徐州推薦も、劉備を自派に引き込む算段だったと。
劉備からすれば曹操の攻撃を袁紹に止めさせることになる。
永田町みたいだな
でも本人は広島死闘編
626 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/04(金) 07:50:00
暑い
梅酒 (*´д`*) ハァハァ
一杯やりながら劉備について語ってくれや
折角だからここは梅酒よりピーチフィズとか桃で行こうよ
どうせ梅酒の山なんか無いんだろw
やっぱ曹操天才だな
劉備は逃げ上手。チンピラ時代に鍛えたのか?
劉備がチンピラだった時期なんてあるのか?
劉備は何気に弱小ではあるが豪族だったんだろ?
そこらへんの一農民がそう簡単に兵隊集められるわけない
豪族、と言っていいかどうかは定義にもよるだろうけど、少なくても劉備の一族の宗家は立派な豪族だったはず。
劉備の家は主が亡くなってから結構苦しい生活だったっぽいが、少なくとも農家じゃないだろう多分。
ちなみに兵隊集めたお金は借りました。
>>633 やっぱ侠客の出だしって現代風だとチンピラかな?
あんな髭ふたり従えた、終始笑顔の青年ってかなり怖いな。
チンピラってかヤクザじゃないの。
そだね。
なんかチンピラって聞こえが良くなかったら。
ヤクザの聞こえが言い訳でもないけど。
チンピラはヤクザの下っ端かヤクザ予備軍。
チンピラ=部屋住みなど、きちんと杯を受けていない準構成員
ヤクザ=暴力団の蔑称 宿場の自警団というよりは町の汚れ屋としてのニュアンスが強い
多分こういう解釈で良いと思う
あの時代に顔役やろうというあたり流石だな、劉備
地方の有力者としては普通じゃないか?
無頼の輩を食客として擁するのは。
もっとも劉備の家自体は決して有力者とは言えないけど。
劉備は名目だけに近いだろうが盧植に師事し、公孫瓚らとも親交を結んでる。
現代の感覚でチンピラとかそういう見方をするのは間違いだと思う。
もっとも役人等に推薦されたりとかしてないので、中途半端な感は否めないけど。
>>647 おじさんの援助が無ければ学校も行けなかった母子家庭の
どこが有力者かと小一時間
>>648 > もっとも劉備の家自体は決して有力者とは言えないけど。
と言ってるんだが。
大げさに言えば劉備は貧乏人の癖して有力者のように振舞っていたのであって、それは決してチンピラとか言われる振る舞いではなかったろうということ。
若い劉備が初めに目指したのは任侠結社の顔役だったと
さっきからしつこい人がひとりいますね
そんなに劉備=チンピラ(任侠)が気に入らないのかね
1800年前のことなんぞ、真実は不明なんだから
好きなように考えろ
というか任侠を現代の任侠映画あたりと同質に認識してる人がいるんじゃないの?
他の群雄から見たら意味不明で怖い存在だったろうな
平気で裏切るし
弱小の筈が何故か生き残ってるし
>>657 劉備助けて滅びなかったのが曹操と孫権だけなんだよね・・怖い
>>657 劉備は裏切った事が一度しかないはずだけど?
劉備ヲタしつこーい☆
・・・・・ちょとまて、劉備のスレだぞw
おれが一体何をしたんだよなんでおれの話をマジメに聞こうとしないんだよ
もうやだよこんなの
誰か助けて読もう
聞くのは無理だが読んではやれる
だからお前の話しとやらを書き込め
スレに沿う内容でな
やっぱ蜀にいる主な将は劉備じゃないと扱えないような人間ばっかだったのかな。
劉備から後の諸葛亮以降にスムーズに引き継いだ武将って、速攻で死んだ趙雲以外は思い浮かばんな…
後は劉備より先に死んだり問題起こしたりが殆ど。
そう考えると孫権と曹丕はすごいね
その2人は確かに凄いが、そもそも引き継がれた武将の質が…ねぇ?
臧覇とかいたしな
>>667 速攻?
劉備が死んでから4年くらい生きてなかったか?
あと問題起こしたってのは誰?
魏延とか楊儀のことじゃない。
魏延は楊儀にハメられただけだし楊儀は武将じゃない
李厳もいるぞ
あと廖立とかもそうかね?中々重用されていたようだが…
李厳は武将じゃない
武将という言葉に拘るあんたはゲーム厨ですな
どこが武将に拘ってる?
>>667の言ってる事が的外れだと遠回しに言ってるだけなんだが
呉懿、呉班、李恢、劉邕、輔匡、陳到、高翔、廖化etc.
で、そいつらが劉備から諸葛亮に引き継がれた後に問題起こしたとでも?
>>680 いや、その逆だよ。
667が趙雲以外思い浮かばないと言ってたから挙げてみただけ。
向寵なんかもそうだな。
陳式、呉蘭、雷銅…
>>683 呉蘭、雷銅は漢中王になる以前に死んでるではないかw
なんか、劉備死後成都で反乱起こした奴いなかったっけ
速攻で鎮圧された奴
あとは雍ガイ組だな
まあこいつらは諸葛亮が嫌だから反乱した、というわけでもなさそうだが
>>685 黄元の事なら諸葛亮に対して思うところあっての叛乱。
典拠は「華陽国志」。
>>685 漢嘉太守黄元の反乱は劉備が一応は没する前。
理由は686が言うように諸葛亮に気に入られてなかったので劉備が病に倒れると反乱。
楊洪伝にもそう記述されてる。
688 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 23:39:21
age
久々に来たが何か、バカスレの様相を呈しているな。
なんとなく、
シャア=曹操
ブライト=孫権
キリシア=劉備
というイメージ
寧ろ
キシリア「君と余だ」
シャア 「…手の震えが止まりません…」
だと思う
シロッコ=孫堅
カミーユ=孫権
ブライト=陳宮
今それらの名前を検索してガンダムのキャラだと知ったぐらい
ガンダムを知らない自分が、レスから勝手にガンダムキャラを逆想像
シャア:クールで戦略の天才だが、ナイーブな面もある好色で小さな男
ブライト:周囲を支え、かつ周囲に支えられる、真面目だがきっぷもよい酒飲みの男
キリシア:根拠に乏しい謎の超自信に溢れ、勢いで流れを押し切る憎めない男
シロッコ:からっとしているが頭の使い方もなかなか上手い、豪快なならず者の親分
カミーユ:内外政に堅実な手腕を発揮する、気のいい大酒飲みの酒乱男
合ってる?
>>693 シャアとブライトだけなんとなく合っている
寂れてない寂れてない
>>695 同意
というかやっぱどうしても武将のイメージからだと
どっか憎めない奴を想像するよな
これだからガンダムヲタは・・
この手のアニオタっていうかバカオタって場違いも弁えないゴミが多いからな
学問板のようなところにも涌いてくるし、寄生虫みたいな奴らだな
議題さえちゃんと提起されていれば脱線することもないと思うよ
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを着けましょう
俺は別にアニメな流れでも構わないけどな
はいはい
↑デブはROMってろ。
やはり、北方三国志の劉備がダントツで良いと結論。
↑バカ
消えろ。
人物像の例えの話がそんなに場違いだとは思わないんだけどね……
↑ピンポイントだったようだなwバカが。
お前は今のまま、掃き溜めにいろ。
バカとかw使わなきゃレスできないなんて、なんて可哀相…
↑バカとかw使わなきゃレスできないなんて、なんて可哀相…
なんちって
ええいお前ら
スレタイぐらい読め
発端はガンダムヲタなのにそれを擁護する
>>700=
>>714の図じゃん。
他の板でも涌いてくるけど、ほんとガンダムヲタはタチが悪いな。
荒らしてる自覚もなければスレ違いも認識できない。
↑悪いがガキに賊と君主の見分けは絶対つかないよ。
>>717 だから少しはスルーと言う物を覚えろと……
下手に突っ込むから本題に戻らないじゃないか
北方三国志読本で北方先生は何につけ「よよ」と泣く
「演義の劉備」が許せなくて、かっとすると
何するか解らないキャラに仕立てた、と述懐していた。
もう「最高」と思う。
然しながら、史実としては関羽、張飛、孔明、趙雲という
とんでもないスーパースター達が僕についたのだから
やはり人間的な魅力満載の御仁だったと断定する。
>関羽、張飛、孔明、趙雲
一人ダウトが混ざっています
史実の趙雲はスーパースターとは程遠いな
>724
詳しく
たぶんだけど原文(別伝抜き)の趙雲の事じゃないの?
どうやって征東将軍まで出世したのかよく分からないっていう。
俺的には史実の関羽の方がスターっぽく無いと思うけど
関羽は負け戦の記述が主だからしょうがない
史実なら蜀の柱石たる将帥は張飛かと。
>>726 関羽は他の人物の伝を全部統合してその隙間に推論というパテを塗り込んでやるとあら不思議
巨大な英雄関羽像が浮かび上がってくる
実はやっぱり凄い人だったってこと?
まあよく考えたら関羽伝だけでも顔良討ち取ったり
地方司令官として干禁を捕らえて曹仁追い詰めたりと、けっこう凄いよね
その後すぐやられるけどな
>>730 三国時代全部を通して見ても
劉備、関羽、張飛の三人はやっぱズバ抜けてるよ
>>732 諦めなければ負けじゃないと言わんばかりの劉備
劉備の戦略、戦術を深く理解する関羽
部将としては当代随一張飛
三人とも役目は違えども凄いからね
自演ぽいな
本人は多弁じゃないけど祭り好き、部下も民衆もワイワイやってるのが好きで
飛び入りで歌い、剣舞を舞う、気前のいい傭兵隊長ってイメージかな。
軍学には疎くてもそれなりに強く、それ以上に将兵にとってはよほど居心地が良かったんだろう。
乱世の志願兵というのは土地を焼け出されたりあぶれたりして行き場のない庶民や
一旗上げようとする士大夫の集まりだから。
ボスが偵察に出て、「曹操が来た!」とまっしぐらに逃げても、
兵士はそこが居心地のいい場所なら戻ってくる。
「いきなり逃げるなんてひどいっスよー」みたいな冗談があったのかもしれない。
関羽、張飛、趙雲、魏延のような武官が心酔したのはそういう懐の深さだろうか。
そういう風に一定の兵団を率いてあちこち転戦できる人間というのはそれだけで貴重だし、
「大人」の証でもあるから、陶謙曹操袁紹劉表などの群雄にも厚遇されたのだろう。
>軍学には疎くてもそれなりに強く
劉備は字の付け方、各地の儒学者からの尊重されっぷりを考えても相当の知識人
ただ勉強を好まないっていうポーズをしてただけに過ぎない
若い頃から皇帝になる野望を持ってた男が兵学だけ除外して知らないとは考えにくい
軍学に疎いと言うのは的外れ
>>736 自分の劉備像もそんな感じです。
軍学については、こんな感じじゃないですか?
「軍学?ああ、そういや昔、公孫あにぃと一緒に廬先生に習ったなぁ。
でもあまり覚えてないや。たしかこーゆー場面では…
ってこりゃヤバイ!雲長、益徳!逃げるぞぉ!」
てな感じで、各地を転戦しつつ実戦で練り上げていったのではないでしょうか?
蒼天の影響受けすぎ
惜しい。
蒼天じゃなくコーエー三国志5「武将ファイル」の影響うけてます。
ゲーム厨は去ね!
同意、思考する意味なし。
志向する上での側面のひとつにはなり得るんでないかな
劉備ってそんなに戦に弱いかな。
曹操が強すぎるだけじゃない?
本人もそう思ってた節はあるよね。
抜け目の無さは凄いし、状況判断に優れているのでは?
勝てる状況なら勝つけど、無理ならさっさ逃げる(こっちの方が多いが)。
独特の嗅覚をもってる観はある
少なくとも実戦指揮官としては当時屈指でしょ。
夷陵の敗戦が喧伝されすぎてると思う。
夷陵じゃなくて前半期の流浪してたころのだろ
夷陵は最初有利に進めてるし、あまり批判は見ない。陸遜が凄すぎた、と
流浪時代の苦戦は仕方ないでしょ。
地盤もなく、訓練もされてない小勢で
それでも多少の戦果を残すなんて立派すぎる。
地盤がないというか、地盤を持ってもすぐ落とすというか
>746
観じゃなくて感ね。
俺の劉備像
剣を担いで集団の先頭をねり歩く無頼の親分。
無駄口はきかないが、口をひらけばサビの利いた一言が。
戦いでは冷静に戦況を見つめ、関張に進退を指示する。
旗色が悪くても動揺は見せず、旗色が良くても驕る事はしない。
勝てば盛大な酒宴で部下を労う豪気さを持ち、
負ければ鮮やかに軍を転じて再起を図り闘志はますます旺盛。
乱戦になれば自ら剣を揮い血煙の中を切り開く猛者。
対陣となれば鋭く戦機をうかがう老練な将。
兵勢利あらず、敗走の時には素早く逃げ去りその志を失わない。
「劉備玄徳ここにあり」
再び立ったその旗の下、関張たちがまた集まる。
不屈の戦闘集団は、今日も中華を駆け巡る。
>ねり歩くワサビ
まで読んだ
>>752 そこにもう少し「寡黙」が欲しいな、俺的には。
でも、雰囲気は近いかもしれないね。
GJ。
演義の人物像の描き方が悪いんだよ。
俺が羅漢中だったら、どうしようもない悪たれ酒飲み無能親父で
山賊に毛の生えたような奴で、いつも偉大な英雄曹操に駆逐されては
何度もしぶとく蘇るゴキブリみたいに描く。
その方が聖人君子な演義劉備より面白い。
757 :
752:2006/09/11(月) 14:15:19
>>752です。
>>753>>754 長文駄文スイマセン。
次回はもう少し読んでもらえるよう頑張ります。
>>755 寡黙いいですねぇ。
自分としては「重厚」なイメージがあります。
蒼天とはまったく逆な感じかと。
>>756 それ面白そうですね。
ゴキブリと聞いて「こち亀」の両さんを連想したのは内緒です。
>>756 時代も文化も無視して適当にその方が面白いとか言うなって。
ついでだが、そういう水滸伝的役回りは張飛が担っている
つ【三国志平話】
・「曹操がキターだぁ?かないっこないだろ、俺は逃げるぜ?」な劉備
・徐州を乗っ取り、荊州も乗っ取ろうとして失敗して逃げ出す劉備
こういった劉備を描けないから中国は停滞して植民地になる破目になったんだよ。
釣りなのか電波なのかわかりかねるから困る
かくして劉備は後の中華帝国の運命すら担ったのである
>>760 気にしなくて良い。
お前が電波なんだ。
もう来るなよ。
テレビを見ていて思ったが、小沢さんて劉備に近いよね?
全然
小沢って誰だよ?精神障害者。
劉備の耳のでかさって、史実ですか?
一応ね
おそらく、ある程度の誇張はあるだろうが
人並みはずれてデカかったのは間違いないだろう。
>>736 遅レスで恐縮ですだが、それは正史を元に述べてるのかえ?
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 18:28:16
落ちるよ
落ちても良かったと思うんだ
ageだろうがsageだろうが、レスさえあれば落ちないだろ
774 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 10:46:00
あげ
ネタも無いのに上げなくてもいいと思うんだ
ネタもないのに書き込まなくていいとry
俺は北方三国志の劉備が一番好き。
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 00:18:15
女南でゲリラ戦を展開した時期がありますが
これは誰に破れたの?曹仁?李通?
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 10:47:37
無双2以外の劉備は無理
>780
どーでもいい
ゲリラって人相目立ったらダメだろ
783 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 18:03:41
あまり
784 :
匿まん:2006/10/07(土) 23:07:53
手が長い、耳がでかい、目が離れている、頭つるっぱげ…
服を脱ぎ、両手バンザイ。
あーら不思議、捕まった宇宙人になったとさ
めでたし、めでたし…
つまらん。
>>750 徐州乗っ取られは張飛のミスだがね
>>738 「勉強よりも友達と遊ぶことを好んだ」
と書いているだけで勉強しなかったとは
書いていないので「覚えていない」はないんじゃない?
曹操孟徳伝の落ち着いた感じの劉備が実態に近そう
あの劉備はなかなか良かった。
初心者を蔑ろにして、乙にいるオタク。
>あの劉備はなかなか良かった。
周りが見渡せない「非公共」さん。
少なくとも頭は良くないね。
乙にいる…?
文脈から判断するに悦に入るの事?
791 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 07:57:52
乙にいるage
>>792 バカになんかしてないんだけどなぁ。
単純に意味のわからない言葉出てきたら質問してみるのは正しい姿勢じゃない?
曹操孟徳伝というのは、もしや 宝 島 出 版 ?
>793
マジレスバカ過ぎw
なんか厨がわいてるな
>>797 泣くな!
゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 05:25:26
雨
799 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/19(木) 20:54:56
1時間で約1500円の現金・WebMoneyゲット!!捨てアドOK,ミクシィ紹介あり
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 22:04:20
今気が付いたんだが、劉備って文醜と一緒に騎兵を率いてるんだな
実は劉備は優れた騎将だったのか
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 00:52:03
劉備は西郷隆盛みたいなやつだったんじゃね?
西郷ほど礼儀正しく理想主義者かしらんが、能力が特別優れてたわけでもないのに人気あり
配下も桐野とかたたき上げおおいし
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 01:11:22
劉備の軍事的能力はあの時代で一番だよ、おそらく
かなり独裁的だし、あの時代で君主としての能力に一番恵まれていたのは劉備
礼儀正しく実力もそれなりにあったから人気もあったんだろうが
805 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 01:45:03
西郷も劉備も得体が知れないのにトップクラスに行く
なんか政治家より宗教の教祖ぽい
806 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 02:48:01
劉備は曹操より前線での戦闘経験多いからね
修羅場をかいくぐるだけの武力、統率力があるぐらいだから将としてもそこそこいけたんじゃね
>>805はどうかと思うけど
>>806は的を獲てないか?かなり劣勢な立場でも連戦連敗ながら生き残った実力はあるわけだから。
これはごく限られたデータではなく正史の何人のも列伝に記されてる。まぁ、関張がスゴいねって言われたらそうだけど
無限のデータがある存在なんて存在し得るのか?
んーこが長い
んーこをする時間は短い
そんなイメージ
>>812 806や809は「曹操はいつも大兵力で戦ってたから劉備より大したことない」と言っているわけではないと思うが、
君は曹操教に溺れて文を読めなくなってるのか?
>>812 >>806が曹操を掛け合いに出しただけで曹操より優れてるなんて言ってないだろ?
曹操と戦果の違いはあるけど劉備も将として優秀。そう言いたいように読めるけど?
曹操の凄さを語りたいならそちらの巣に帰って下さい。
>>812だって曹操の方が優秀なんて書いてないと思うけど。
「曹操より前線経験多い」なんて断言的に書いてるからつっこまれてるんでるんじゃないの?
曹操教とか、巣に帰れとか、なんかそれもそれで自意識過剰な脊髄反射に見えるよ。
816 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:07:42
盛り上がって参りますた
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:21:58
一番すごくね?
百姓が皇帝だぞ?
曹操→金、地位
孫権→親、兄弟のすねかじり
関張がスゴいってなら、曹操は文官がすごかったねとしかならん。
部下の出来も自身の能力と変わらんよ
劉備が負けまくりって、勝てるわけない戦いで殺されなかったことがすごいし、
勝ちきれないやつの能力が微妙としかいえん
曹操と劉備の立場が逆なら統一してただろう
>勝ちきれないやつの能力が微妙
曹操も凡庸ではないだろ・・・
821 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:25:28
関張とか別にすごくねーよ
劉備を凡人にかけばかくほど庶民的で正義派に見えるからそう書かれてるだけ。
実際すごい人間だと思うぞ
823 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:28:05
それはあるな。
凡人がつわものを従える。
凡人が時の覇者に挑む。
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:31:35
>劉備は曹操より前線での戦闘経験多いから
意味不明。
むしろ、曹操が出なきゃ魏軍はザコだらけだが。
825 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:32:59
ザコ・・・
まあ曹操がいなくて勝った戦いは少ないが・・・
劉備は非凡というよりも環境や謀臣の程度で化ける型に見えなくもないけどね
>>819の最後の意見には簡単には頷けないわ
曹操は政治家にしか見えん。
長坂で捕まった劉備の娘とか家族ってどうなったのかな?
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:53:58
消息について注一つ残らないところを見ると曹操が殺したんだろう
むしろ、何も残ってないから生きてたような気がする。
惨殺なら残るだろう
娘2人は曹純に囚われた
前線=危機的な意味合いって言いたいと思うが…それなら分かるだろ?
劉備は転戦、連戦、連敗で危機的場面を曹操よりも経験しながらも生きてるからある程度の実力はある。そう言いたいだけだろ。
>>824>>825 蒼天房か?
曹操も凡人だろ
834 :
平民バカ:2006/10/31(火) 22:03:00
何度も死にそうな目にあって、劉表の客将としてようやく安定した生活を取り戻したはずの劉備が
「股に肉がついた」
って泣くあたり、底が知れない人物だと思う。
なんかこのスレでは少しでも曹操>劉備的な意見があると蒼天房扱いにしたがる
人がいないか?
劉備は非凡であり誰しも認めるところだが、劉備が必ずしも曹操より多くの死線を
潜り抜けてるとは思わないが
曹操にも死ぬ危険は幾度もあったわけで、劉備の方が多いなんて断言してるから
レスがきてるんだろうに
被害妄想乙
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 00:14:35
莚織りから皇帝つったって自称だから強運もへったくれもない
漢朝の皇帝になったんなら凄いけど・・・
全ては亮先生のお陰で亮先生の言う事聞ける人間なら誰でも皇帝になれるよ
自分で亮先生を見い出した訳でもなく三雇の礼だって珍しくもないし
>>835 所詮アホスレだから真面目に考えるだけ損だよきっと・・
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 00:29:31
劉備は中原の争いで破れたんだから曹操>劉備
劉備も徐州持ってたし
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 01:42:58
ってか曹操マンセーのバカどもはスレタイ読めんのか?
さっさと巣に帰って曹操の話で盛り上がってください。
>>840 お前のがいらんわボケ
夏侯惇隔離スレみたいな扱いにしたいのか?
842 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 14:58:47
孔融って相当な劉備ファンだよな、劉備が原因で殺されてるし。
実は曹操陣営の中にも劉備ファンは沢山いたんじゃないかな?
だから見せ占めに殺して、言論を封殺する必要に迫られたんじゃないかね?
庶流とはいえ、『劉』だからな。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 20:51:11
袁術様も一国の皇帝じゃ
>840-841
だから、バカは消えろや。
バカしかいないじゃねーか
バカって言ったら自分がバカ
やっぱ人生がドラマチックすぎるよ。
一介の素浪人が流浪の果てに皇帝にまで上り詰め、
しかし晩年は失意のうちに死を迎える…
行間を読み取ろうとすると、いろんな想像が湧いてくる。
創作の素材としては最高級ではないかな。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 12:40:06
趙雲の人生の方がドラマチックだよ
趙雲より張飛の人生の方がドラマチック
張飛はドメスティック
張飛より張繍の方が
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 01:37:42
劉邦も劉備もなんで英雄扱いされてたの?
劉備の場合劉邦がいたから最初から一目置かれてたんだろうが
855 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 01:54:10
劉邦も劉備も仁のもとに民のための世を作る事を掲げて死ぬ気で戦ってきた。英雄じゃね?
劉備なんて、最初から最後まで己の立身出世しかありませんでしたが
>>856 それでも尚且つ英雄扱いされるというのが
劉備の魅力であるわけだ
858 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 02:22:00
劉備が曹操とかからも英雄扱いされてたのは何で?
中国の不思議じゃね?
>>858 それは中国の不思議ではなく藻前さんの不思議じゃね?
>>858 何故か曹操の反董卓の挙兵を手伝い、何故かその直後に公孫サンに取り立てられ
何故か徐州をもらい、何故か陳登は英雄とは劉備のような人物といい、何故か曹操も君と余だといい
何故か劉表に厚遇され、何故か劉キにも厚遇され、何故か以下略
不思議だな
戦術家としても優れてた。
前線指揮官として過ごした時期が一番長いし。
負け戦や敗走も多いけど。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 04:40:29
乱世に劉邦や劉備みたいなタイプが上に行くのって中国だけ?
日本の場合あんなタイプが担がれるのってないじゃん
863 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 08:40:26
864 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 11:18:28
なんと気持ち悪いスレ
劉備の魅力じゃなくて例の5人の魅力だろ
例の五人て誰だよ、
関羽と張飛は分かるが
関羽、張飛、簡雍、孫乾、麋竺だろう
酒見賢一のド変人劉備が一番好き。
869 :
徐庶:2006/11/03(金) 21:18:40
870 :
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871 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 16:35:54
耳のでかさって、人間的にどの程度可能か。
873 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 14:13:24
劉邦のように良い将に恵まれた点からすると魅力となるのだが、確かに何にもない人間にひかれる人間もいない。
手が長く、耳がデカイことに当時、救世主的な特徴とかがあって、それが切っ掛けになったんじゃないだろうか?
お前そんなやつにひかれるのか・・・。気味悪いが・・・
>>873 >手が長く、耳がデカイことに当時、救世主的な特徴とかがあって、それが切っ掛けになったんじゃないだろうか?
後付だろうな、やはりw
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 00:52:29
>>何故かその直後に公孫サンに取り立てられ
劉備の義兄弟は公孫サン唯一人
劉備がいなければ乱世は30年早く終わってた
879 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/11/12(日) 18:12:54
劉備がいなければ三国志はここまで有名にならなかった
・・・かもしれない
司馬炎が同じような風貌だっけか。後付けなら興味深いが。
今じゃバンドマンみたいだが
世紀末の梟雄・劉備
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 00:38:33
司馬炎のロン毛・長腕は演義だっけ?
司馬炎よ。
お前は偉大である。
だがな、お前は三国志にとっての
死神なのだ。
耳がデカイってのは耳たぶがデカイってことだよな?
耳「たぶ」って表記はなかったんじゃないの?まぁでも常識で考えれば耳たぶが長くなきゃどこが
長くなればいいのかわからないわけだし・・・
と考えていたらアレ国志の妖精耳劉備見て以来それならうさ耳でもいいのかとしなくていい開眼をした
>>885 佐藤藍子のように全体がデカイ可能性もある
真正面から見て左右に激しく突き出てたんじゃなかろーか
◎(・∀・)◎ ←こんな感じに
お釈迦さんの耳のイメージだろ
>>884-888 その通り。
でも、中国だから容姿的には
「化け物」の可能性の方が高いぞ。
チャンコロが歴史に刻む位だからな。
.◎(・∀・)◎
†( )†
U ┃ ┃U
∞ ∞
こんなだったのか…劉備って。
>>890 それはちょっとwwww
当時の価値観といえばそれまでだけどそういう物体に心奪われる人が果たしていたのか
ダンボみたく空とか飛んだんなら神秘的かもしれないけど
呂布の方天戟が劉備を一閃した。
関羽が駄目だと思った次の瞬間、
劉備は耳を羽ばたかせ宙に舞った。
何故だろう、駄目だと思った関羽に笑ってしまった
曹操「玄徳の耳はすごいのう! わしもお空を飛んでみたいぞ」
程c「アホなこと言ってないで早く殺しなさい」
郭嘉「you、劉備殺しちゃいなyo!」
荀ケ「あんなクソ野郎殺すのが最善です」
曹操「あの耳を殺すなんて出来ない!!」
耳が大きいとか首が360°回るとか言うのは、一種の貴種の表現なんじゃなかったっけ。
高い地位につく人は普通の人間と違う身体的特徴を有してる、っていう。
だから、実際は些細なもんだったのをことのほか誇張してる場合もあるかもね。
.◎(・∀・)◎ <……
†( )†
U ┃ ┃U
∞ ∞
>>895 狼顧の相は180°だよ。
狼は首だけ曲げて後ろを見るから。
◎(`・∀・´)◎ /
─⊂工( 劉 )工⊃/
┃ ┃
∞ ∞
飛ぶなよ、劉備w
>>899 雌雄一対の剣を持ってる勇ましい劉備…のはず。
901 :
木村:2006/12/04(月) 20:00:21
さけんじゃいますぅ
r-──-. __
/ ̄\|_劉_,,|/ `ヽ
l r'~ヽ ゝ__.ノヽ/~ ヽ l
| | l ´・ ▲ ・` l | |
ゝ::--ゝ,__∀_ノヽ--::ノ
 ̄ / 丶' ヽ::: ̄
/ ヽ / /:::
/ /へ ヘ/ /:::
/ \ ヾミ /|:::
(__/| \___ノ/:::
大江健三郎著:「見る前に跳べ」part2
〜青年・劉備の誰にも言えない恥ずかしい「部位」の悩み〜
904 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 21:43:10
劉備って胡散臭くね?
それよりお前がバカっぽくね?
そもそも、ヒゲの大男ふたりに「義兄弟の契りを交わすぜ!」と思わせたのはなんだったんだろうな。
いくらご立派な思想を語ったとしても、二人にとっては自分より小さくて弱っちい男だし
「けっ、どうせ口だけだろ」と思われても全然おかしくないと思うが。
腕っ節だけで頭悪い人物しか回りにいなかったから
初めて会った劉備がすごく有能な人物に見えたんだろうか?
>>907 演義の設定にごちゃごちゃとした考察が必要?
ごめん(´・ω・`)
>>907 人が人に惚れるのに意味なんて必要か?
こういうこと考える奴は
三国志読むのに向いてねーな
はいはい小説読んでようね
>>907 >二人にとっては自分より小さくて弱っちい男だし
だからこそ何か惹きつけられるものがあったのかもしれないな
マターリいこう
913 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/08(月) 07:45:07
あ
>>907 「こんな後漢の世の中なんて・・・」
「絶望した! 塩商人が追われる世の中に絶望した!」
殺伐とする二人は、ある時なごみ系の劉備と知り合い
「世の中捨てたもんじゃねぇな」と義兄弟になったのれす
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 12:18:59
916 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 13:24:52
あひゃ
917 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 13:40:05
劉備のお尻をフガフガする関羽がみたい
918 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 17:20:18
劉備はうんちにまみれてるから素敵よね
素敵よね
単に劉備の腕っ節が関張を遥かに凌いでいたと解釈してはダメかね?
>>919 俺の想像力の限界を試そうとしているのか?
初対面でケンカになって、関張両名を雌雄一対の剣で弾き飛ばす劉備…
そういう三国志もあっても良いかもしれないがw
いや、マジでちょっと読んでみたいかもしれん。
でも関張が爆乳で露出度高い女キャラになってたりしたら嫌だな。
「天地を喰らう」が初三国志の俺にとっては三国志最強は普通に劉備
人形劇三国志の劉備も相当強い
平気で呂布と一騎打ちする
>>921 その後演義読んだら、やっぱり「こんなん劉備じゃねえ」って思った?
>>923 演義っつーか横山版だけど、ぶっちゃけ思った
関羽張飛のほうが劉備より強いなんて有り得ん!みたいな
そして実は今でもそう思ってる
925 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 03:50:18
桃園の誓いや義兄弟の関係はウソでも、若い頃から関張最強豪傑コンビが
一心同体で付き従ったのは事実だからな。
やはり何かそういう連中を惹きつけるカリスマがあったんだろうな。
RPGの主人公が、生まれた村出発する時に既にレベル60台くらいの
戦士2名味方につけてるようなものだからな。
927 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 08:45:29
ヴ
>>925 既而遼以問羽,羽歎曰「吾極知曹公待我厚,然吾受劉將軍厚恩,誓以共死,不可背之.
吾終不留,吾要當立效以報曹公乃去.」
何せ劉邦の子孫だからな