劉備が四郡を手に入れたときに統治を諸葛亮に任せたが、零陵・桂陽・長沙の三郡だけで武陵は除外されてるな。
ちなみに太守は別にいたらしく零陵は郝普、長沙は廖立、桂陽は不明、別伝を信じるなら趙雲。
武陵は誰がいたか注を含めてもまったく不明。
オレが俄かだからだろうけど、武陵郡はちょっと特殊な感じだな。
>>26 参考にならんかもしれんが、廖立と潘濬が武陵出身だね
>>24 金旋の息子だか弟だかが許都のテロ防いで死んでる事から考えるに
正史の南部四人組は取り残された派遣組で独立どころか曹操の下に付いていると考えていいと思う
赤壁直後に即刻江陵を方位して南北の連絡を断ちつつ南部四郡を制圧されたから脱出もままならなかっただろうし
ましてや独立なんて出来ようはずもないだろう
恐らく統一以後を睨んでいた曹操は軍事よりは文治に重きを置いた人員の配置をしたであろうし
金旋や韓元などは外地を任せるに相応しい優秀な人材だったろうと考えていい筈
>>25>>26 蛮族がいたのも武陵だな
あ、書き忘れたが荊州南部四郡は交阯に通じる南海貿易の為の玄関口としても重要
ここに無能な人材を配備するわけもなくコーエーゲーやら演義やらのイメージそのままに4人組で語るのは良くないな
世界史板に来た人いる?
あちらで長沙・桂陽出身者を回答させてもらった者だけど。
後漢で蔡倫を無視して目立った人材がいないとか言われると悲しい
紙は大事だぞ
>>27 一応
>>10で上げときました。
>>28 武陵はともかく他三郡は一応劉表の勢力下だったし、劉巴が曹操に派遣されて帰順を呼びかけられている。
また時間的な制約もあるから四太守は据え置き人事と見るべき。
だから
> 正史の南部四人組は取り残された派遣組で独立どころか曹操の下に付いていると考えていいと思う
というのとはちょっと違うんじゃないかな?
>>30 私ですがなんでしょう?
桂陽郡出身者として蔡倫は調べはついていたけど、さすがに後漢末から三国時代
には殆ど関係ないから挙げなかった。
次代の晋までみても長沙・桂陽の出身者って少ないよね。
少ないと言うかさ
政庁を置いてたとはいっても群盗、蛮族溢れる地から中央官界で出世出来る人間なんかそうはいないだろう
ざっと調べたけど後漢の始まりか終わりまで賊乱が絶えないじゃないか
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 16:56:27
うろおぼえだったからちゃんと正史読み直したら息子の金イが許都でクーデター起こした側だったのな
で、金旋は武陵太守でそれ以前にも益州やら涼州やらの地方で太守を歴任してた、と
対蛮族のスペシャリストとは言わないまでもそれなりに功績上げてた人なんじゃなかろうか
金旋、再評価の兆し!
このスレ的に言えば四太守連合の筆頭は金旋か!?
劉先(魏)は零陵だったか
>>37 劉先は曹操によって武陵太守に任命されてるね。
時系列的には荊州侵攻より前の話で、荊州侵攻時には既に武陵太守ではなかったみたいだけど。
あと結局武陵郡は劉表の勢力下には入ってないみたいだから、実際には赴任しなかった、あるいは武陵郡の一部分だけは一時的に勢力下においたことがあると見るべきかな?
>>36 つーか他の3人の功績らしきものがさっぱりみえねーんだよ
>>37 武陵は武陵蛮などの異民族がいたから無能な太守を任命するわけもなく
金旋はかなり優秀だったんじゃないかと
42 :
劉度:2006/06/02(金) 18:59:07
まあ基本資料は演義なんだから、議論はほどほどにしてまったりいきましょーや(ふっかけたの俺だが)
43 :
孫権:2006/06/02(金) 19:15:27
敵役登場!
あれ・・・お呼びではない。失礼しました。
正史に記述の無い私が来ましたよ
賑わって参りましたが、生半可な知識しかない自分がお恥ずかしい。あまり下手なこと言わないように弱気でいきます。
>>43孫権殿
未来の領土へようこ(ry
御宅も曹操殿相手に大変ですね。配下の方々の健康管理にご留意して頑張ってください。
頼恭も零陵郡の人だった。
若死にした子の頼広は諸葛亮にその死を悼まれたとあるからこの辺も抑えておきたい人材かな?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 22:18:05
零陵郡に劉先繋がりで、周不疑。
長沙郡に桓階・呉巨・劉封。
長沙には、劉寿(138年司徒)・劉囂(169年司空)がいる。
張羨は零陵、桂陽、長沙太守となってたわけだが、子はいなかったのかな?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 22:42:29
張懌だったかな。
前の太守だと、長沙太守蘇代・武陵太守曹寅。
賊には、長沙区星・零陵周朝・桂陽郭石・蘇馬・零陵観鵠。
正史とか演義とか肥ゲーとかごっちゃになった俺の妄想、うんごめん。
荊州南郡諸侯:不遇の劉[王奇]が荊北から脱走→それを捕縛し劉協を傀儡皇帝とし非難、正当性を否定→
劉[王奇]を帝位に就けようとするが本人が拒否→孫権の江夏攻めの際黄祖の援軍として周瑜軍を側面からつく→
周瑜軍撤退→曹操の南征の時黄祖に降伏勧告をする、黄祖難色を示すも子の黄射が劉賢と友人関係であった為南郡連合に加担する→
劉[王奇]が210年に死亡、劉姓の劉度が跡を継ぐ→交州制圧し南海交易で手腕を振るう→215年、劉度死亡、劉賢が跡を継ぐ→
劉賢は積極的に外征を行い荊州を征圧、遂には楚王を称する。→しかしその後の二度の北伐は失敗に終わり国力は疲弊する→
いつも地団太踏んでいた孫権が曹操に屈し、荊州南郡を奪取、劉賢は223年失意の中病没→兵制は世襲制がとられていた→
その為勇名を馳せていた金旋の子、金禕が民衆を支持を受け反乱、黄射が戦死し金禕は孫権に降伏。
因みに劉備は益州に行き、なぜか後継者候補になり劉循を推す張任・法正らと敵対。法正は私怨も含んだ政敵駆逐をするが、
劉循が死亡した為張任・法正らは流刑に処される。その頃馬騰は漢中を攻め取った後で
北伐を薦める諸葛亮と荊州奪取を目論む関羽・劉備が敵対、劉備は東征をするも陣中で没する。
諸葛亮は劉禅を傀儡皇帝とし、漢王朝後継者とする
孫権は相次ぐ王・皇帝僭称に焦り魯粛の天下三分戦略を撤回、劉ヨウの子劉基を漢の正当な後継者と言い張る。
荊州南郡奪取後は士燮亡き後の交州を征圧、交易をする。
汝南の和洽も初めは劉表の下に身を寄せていたが、劉表を見限って武陵に渡ってるな。
他に河東郡の裴潜もこの時期には長沙に。
あと桓階が長沙郡出身。
地味に人材が揃ってきたな。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 18:16:58
age
208年時の南荊州4郡
ここまでの整理
長沙郡
太守:韓玄
配下:楊齢 黄忠 魏延 劉磐
地縁者:桓階 呉巨
滞在者:劉磐 裴潜
桂陽郡
太守:趙範
配下:鮑龍 陳応
零陵郡
太守:劉度
配下:劉延(劉賢) 刑道栄
地縁者:劉巴、黄蓋、蔣琬 劉敏 頼恭 頼広
武陵郡
太守:金旋
配下:鞏志
地縁者:廖立、潘濬
滞在者:和洽
蛮族:沙摩柯
やっぱり桂陽郡が見劣りするな。
韓浩は韓玄の甥として演義に出てきてたんだっけ?
だとしても南荊州四郡侵攻戦の時に登場はしてないよね?
>>55 > 配下:楊齢 黄忠 魏延 劉磐
訂正↓
> 配下:楊齢 黄忠 魏延
長沙郡の地縁者に劉封を追加。
あと演義では零陵→桂陽→武陵→長沙の順で降してる。
川の流れに従った自然な流れといってるが、地図で見る限りかなり不自然だと思うんだがどうなんだろう?
武陵→零陵→桂陽→長沙の逆時計回りのほうが自然な気がするのだが……?
長沙が最後になるのは当然だから問題は武陵だね。
武陵が攻めにくかったから後回しにしたのかな?
>>58 > 長沙が最後になるのは当然
地理関係で言えば南郡のすぐ南で4郡の中では一番距離も近い。
攻略価値も考えれば一等最初でもいいと思わんでもないけど?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 22:30:41
発展age
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/19(月) 15:11:24
鮑龍と陳応と刑道栄、最強は誰?
南荊州4郡で最強は黄忠、次点は魏延だろうが。
結局、南荊州四郡は発展しないのか……
劉度も劉家ブランド感じないしなぁ。
張機の弟子とかおらんのだろうか。
放置スマソ
武官は揃ってるのに如何せん知将が少なすぎる四郡。鞏志は思った。この地に1人の偉人が現れれば私だけが頼られずに済むのに。
ところで韓玄殿がもっと優しい方であれば長沙は守りきれたんじゃないですかね。魏延殿は信じてやればきっと報いてくれる人だと思うし。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 01:13:40
>>55 演義では韓浩は韓玄の弟だね
同姓だというだけで血縁関係はなかったはず
陳群も気にしていた劉巴殿にご助力願うのは如何でしょう?
蒋エンは最初舐めてかかってきそうなんで心配です。
軍も引き入れる男でしょうが。
三国志\だと陳・鮑の二将が強すぎる件
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 18:08:53
劉巴なら曹操、劉備、孫権どこと結んでも心配はないかと。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/19(水) 16:23:37
漢民族と蛮族の人口比ってどんなもんだったんだ?
蛮族に人口統計の記録など残ってるわけねーだろ
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 18:09:43
良スレage
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 23:08:10
ファイト
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/18(金) 23:59:30
ははははは
75 :
無名武将@お腹せっぷく:
資料少な杉