劉禅は、名君なのか暗君なのか?
名君だろ。大きな失敗は私情に駆られた呉攻めくらいか
名君か暗君かのどちらかというのはかなり判断しづらくないか?
良くも悪くも中庸派だったと思う。
>>1 名君でも暗君でもない
強いて言うなら凡君だ
守旧、調整に優れ、他国侵攻は他人任せ。
かなり孫権に近いんでない?
いや近くないだろ
調整能力に優れていたら魏延と楊儀の政争ももっと上手く収められた筈だ
一理あるな。
ただ、楊儀の件は収めようと思ったら魏延が死んじゃったっていうのもあるんで無い?
孫権で言えば同様の政争に赤壁前の張昭と周瑜のケースがあるけど、あの件は
張昭がすぐ傍に居たっていうアドバンテージがあるから比較したら可哀想でしょ。
そう考えると楊儀もぬッ殺して喧嘩両成敗に持ってったとこはそれなりに評価しても良いのでは。
いや楊儀は楊儀で蒋エンとの政争に敗れた結果の降格な訳で
劉禅の手柄とするにはどうも抵抗が…
確かに劉禅の手柄っていうと抵抗あるな。
まぁ、楊儀なんて脅されて泣いちゃうような子だし、
劉禅も信用できなかったんじゃないか?
狭量ってのが呉にまで知れ渡ってるような人間だし
まあ普通は信任されるわきゃねーな
11 :
2:2006/05/17(水) 20:28:33
ごめん。劉備と見間違えた
12 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/05/18(木) 00:14:45
もちろん名君です。降伏は民を思っての英断ですからね。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 00:18:25
宦官の黄皓を重用した時点で救いようのない暗君
ここ何スレ目?
暗君じゃあない
暗君じゃあないが、だからといって=有能でもない
どっちでもない
宦官を重用=無能じゃないだろ。
宦官が有能かどうかを見抜くのは基準になるが。
そもそも清流中心の歴史書は宦官は悪く書きがち。
あれだけの期間皇帝やれたんだから
それなりに優秀だろうね。
ただ、覇業の人ではないからなぁ・・・
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 23:43:34
コウコウが政治に介入してからおかしくなった
イメージがある。
宦官は後宮にいて幼いころから世話をしてくれる人だから信任するのも無理はない
だが、それを利用して政治に介入しようとする宦官も宦官だし、
その宦官に操られて傀儡になってしまう皇帝も皇帝なんじゃないかと。
宦官が中国の宮中にいたのは古代から清まで変わらないこと。
皇帝として、過度に信任してしまうのは適当とはいえない。
宦官が表に出ておかしくなるのは後半でしょ?
在位期間の長い皇帝の後半なんてそんなもんだ。
例外は清朝くらいか?
>>20 黄皓のせいで何がどうなって蜀の政治がダメになったのか細かい点挙げてみ?
実際には黄皓なんて居ても居なくても一緒だから
蜀の政治を狂わせたのは姜維や漢中閥
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 10:08:28
劉禅が名君たるエピソードを語れ
↓
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 12:19:30
魏に勝つという国是からして蜀は無茶だったからなあ。
皇帝なった時点で17歳くらいでしょ?
漢の復興の大儀も年齢からして、実感わかなかったんじゃないかなあ。
皇帝の子だからそうではないのかもしれないが。親を見て子は育つ。
劉禅が暗君と呼ばれる様になったのは劉備が悪い。
義理人情で国を傾かせた劉備は所詮大将の器ではなかったという事。
それでも劉禅は劉備に比べて名君とされるべき。余計な事をしなかったから。
その義理人情で国を傾かせたってのは何のことを言ってるんだ?
まさか関羽の敵討ちとか言うんじゃないだろうな
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 13:51:06
劉禅は暗君です。
名君ならば降伏した後65歳まで幸福に生活しません。自害するのが当然。
>>15 それは結論ではない
劉禅の犯した失策について何も触れられていないフラッシュなど結論にはならん
>>33 儒教的価値観だとそれは当然ではない
と言うのも魏に滅ぼされた漢の後嗣を継いでいる以上、劉禅は漢の祭祀を絶やせない
世に漢の末裔が居ない以上、劉禅は死にたくても死ぬことは許されない
現代の価値観で考えるお前が昏君
封神マニアキタ?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 15:58:55
劉禅の無念は劉淵が晴らしてくれたからもういいよ
まぁ、血縁ではないけれども
37 :
?:2006/05/20(土) 03:23:08
正史に書いてある記述でFA。
真っ白な糸のようで、周りに染められてしまう人。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 04:23:00
魏に降ってまで生き延びようとするとは愚考。
降ったことにより民や兵を助けたという見方もあるが違う。自分が生き延びたいがため。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 05:15:28
じゃ、あのまま国民の最後の一人が死ぬまで戦って最後に自刃しろと、
>>38 どうしてお前は物事を切り離してでしか考えられないんだ?
自分も助かりたかったし民も兵も助けたかったから降伏したんじゃねーの?
俺は劉禅じゃないからわからんが
>>38 儒教では先祖の祭祀を絶やさぬ為の幸福は美徳
またこのスレか!
なんか定期的に起てられるな、このスレ・・・
過去に散々語り尽くしたんだからもういいだろう
おまえら劉禅とか言いつつ昭和天皇を批判してんだろ!
おまえらの企みなどまるっとスリット裂けて〜お見通しだ!
当初は降伏したからって劉禅が助かるかどうかは確かでは無かったでしょ?
それでも棺桶を背負って後ろ手に縛ってトウガイに出頭した。
結果的に命拾いしたけど必ずしも己の保身ばっかりって人じゃないと思う。
>>6>>7 この頃は親政状態ではないので、やはり責は諸葛亮にあるような。
>>34 そのフラッシュは2003年制作。当時盛り上がっていた劉禅スレで出たフラッシュ。
で、そのスレの結論だったんだが。3年も経つと
>>34みたいなのばっかり増えたな。
劉禅の失政を何一つ書かないで結論とかちゃんちゃらおかしいわ
47 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 18:16:36
劉禅の失政を何一つ書かないで結論とかちゃんちゃらおかしいわ
棺桶背負って歩くのはドラクエのコスプレだったらしいよ
あれ?その頃まだドラクエ発売されてなくない?
だよねえ。
蜀の存在意義は漢王室再興にある
蜀からみれば賊となる魏と共存したまま地方政権として延命する事はその存在意義が揺らぐ
魏と戦う姿勢を見せなければ、漢王室再興の為に集まった将や武官、民らの心が離れるのは必至
北伐は国内の安定と漢王室再興の大義という相反する課題を両立するために致し方なかったと思う
だから、漢王室再興という、蜀の存在意義にとっては、劉禅は暗君だったのではないか
しかし、皇帝が積極的に軍を動かさなかったから、蜀は263年まで存在したことを忘れてはならない
劉禅が蜀漢を40年間維持させることができたのは、何もしなかったからだ。
劉禅が劉備のような性格だったら、諸葛亮の死後は、いよいよ政策をガッチャンガッチャン
変え、外征も繰り返し、国力は大きく疲弊するだろう。そして、そのうち魏が攻めてきても、
最後まで戦い続け、民を苦しめる。勝てば名君だが、負ければ暴君である。
だから、あっさり降伏した劉禅はある意味名君だ。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/21(日) 18:12:41
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/21(日) 19:40:19
とりあえず正史には暗君とは書かれてなかったそうな
>劉禅の失政
孔明が謀反を起こすという讒言を聞いて「孔明がそんなまねをするわけなかろうが!」といって讒言した人を切り殺した。
陳寿の評が彼を的確に評している。
孔明死後は酒色に耽って政治を混乱させたと言うがな。
>>57 孔明死後どれだけ年数が経ってから滅亡したと思ってるのかと。
劉禅がのびのび出来るようになったのは董允が死んでからだなあ。
劉禅が司馬昭から「蜀が恋しいかね?」と問われたとき、
「ここでは毎日楽しく暮らしているので、蜀が恋しいとは思いませんね」
といったのは、決して劉禅が馬鹿だからではない。自分を守るための策なのだ。
もしここで、さびしいなんて言おうものなら、司馬昭は「謀反の気あり」
と思って即刻劉禅を斬首するだろう。
それを免れた点で、劉禅は名君だ。
>>60 その後で実際に謀反を起こしたなら確かに名君だが
そのまま何もせずに長生きして死んでるじゃねぇか
アホですか
>>60 劉禅は挙げ足とりが好きな
>>61のような人物だったようなので、人を言いくるめたり黙らせたりする機微には通じていたと思う。
機転の利く奴だったかも知れないが、明君かどうかは別問題だろう。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/21(日) 23:17:46
キョウイの北伐は悪いとは思わんな。
諸葛孔明の目的の一つに洛陽占領があったから
守勢にはなれんだろう。
国力を考えたら、守勢では張魯等と同じ運命を
たどることくらいキョウイでも分るだろう。
>>63 その後五胡が侵入してきた事を考えれば、頑に守勢を保っていれば良かったと思う。
魏・晋の宮廷は、既に蜀が滅んでいる状態の呉攻略ですら、反対意見続出するような
状況だった。
蜀攻略なんぞ、うるさい姜維を黙らせるためのものに過ぎなかったのだから。
劉禅がせっかく成都を無血開城したのに姜維のせいで多くの人が死んだ
姜維を用いたのは劉禅ですが…
軍閥を制止できなかったのなら暗君。
ヒイの後を継ぐ奴がいなかったのがまずかったな。
姜維の北伐自体は、タカ派のガス抜きや軍事力を弱体化させないためにも必要だった。
姜維はウンコ武将という漏れに言わせれば、67は正論だな。
時々降格させたりとかしてるあたり、いつか消してやろうという
思惑が見え隠れするし。
軍閥押さえられないとダメって
>>66が言ってたけど、費イ、蒋エン、
董允亡き後、漢中閥を押さえられる成都閥の重鎮がいなかったって
いうのが真相じゃね?特にそこに劉禅は関係ないとオモ。
姜維がウンコ武将ってのはどうかと
政治センス皆無ってんならわかるが戦術家としちゃ超一流だろ
>68 すべての責任は皇帝たる劉禅に帰されるのだよ。
劉禅に関係ないなんて、どの口が言うんだよ。
別に煽るつもりはないけど、切り離す考えはよくない。能動的に動かなかっただけでも名君とは間違っても呼べない。
現代に置き換えて。
ある程度の資産を残しつつ、より大規模な競合との
吸収合併を決定した社長はどうか。
結局回帰するところは陳寿の一言ジャマイカ?
ちなみに姜維勝ち戦ほとんど無いよ。
戦術家としても3流。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 18:37:26
傀儡同然だから責任は帰せない
ただし傀儡同然だから名君とは間違っても言えない
献帝を中原を復興した名君と呼ぶ人がいないのと同じ
現代に置き換える意味はないだろ
名君かどうかって、現代的価値観じゃない?
じゃあ、そういう見方もあるかと思っただけでした。
癇に障ったらスマソ。
親父が一生を賭けて築いた会社を、親父のライバル会社に吸収された。
親父の夢はその会社に勝つことだったのに。
現代に置き換えても駄目だな。
だがおかげで社員の給料は据え置き。
場合によっては抜擢・栄転。
一部の造反社員を除き、概ねいい目しか見てないわけで。
>>71 姜維の北伐スレで語り尽くされてるから読んで来い
姜維を三流だなんて言ってた事を後悔するから
>>76 やる気のある社員を犠牲にして、保身しか考えてない社員にいい目を見させたのが正しいと言えるかな?
>>76 社員に忠誠心を持たせられなかった。
はっきりいって社長としてはダメじゃん。
合併に素直に賛成することで社員への悪影響を最小限に抑えたことは誉められるが、
その件についてはそれ以上でもそれ以下でもない。
そういえば孫晧も徹底抗戦しなかったな。
暴君的要素はあまりみられない、能力的にもみるべきものはない、しかし家臣を信用するある種の人の良さは持った皇帝、それが劉禅。
ってとこじゃないか?
少なくとも名君とは言えないよ
そうか。もしかして劉禅が、痴呆みたいに思われていることへの反論で、極端に名君とかってなってるわけか。
最近、こういうスレにきたから、流れが掴めなかったが。
でも結局、結論は70-79でしょ。
平時なら及第点以上の皇帝になれたとは思うが
乱世じゃ微妙ってな典型だな
で、結局陳寿に回帰
蜀では劉禅以外の皇帝を立てようとしなかったのは不思議だ。
反主流派などは別の奴を担いでも良さそうなものなのに。
ヒント:孫権手法
>>85 担ぐにしても誰を担ぐ?
皇帝にまでなっちゃってるから代役にも相応の名分がある人間じゃないと難しいぜ
>>67 ガス抜きだったら、南蛮征伐で思いっきりやらせれば良かった。
というか、実際かなりやっている。
(孔明の南蛮征伐で完全に南蛮が服従したというのは、演義のフィクション。
実際にはその後も南蛮はたびたび叛乱を起こしている。)
そのまま姜維は南蛮に置いて、思うぞんぶん超一流の戦術を発揮させておけば、良かったのだ。
俺は魏を倒すんじゃコルァ!って奴らは南蛮じゃ納得しないよ。
それに、せっかく戦意旺盛な奴らなんだから魏との国境に置いたほうが効率的。
どのみち、蜀から手を出さなければ平穏無事に済むなんてわけではない。攻めなきゃ攻められるんだから。
諸葛亮が李厳をクビにしたり、魏延を嫌っていたのがいけない
>>89 だから、平穏に済んだ可能性が高いんだよ!
同じ事をまた書くが、魏・晋の朝廷は、後の蜀併呑後ですら、呉侵攻に反対意見が噴出
するほど、外征には慎重。
何とか守勢のまま時が経てば、五胡の侵入で魏・晋は滅亡した。
その時は蜀にとっては、起死回生の逆転のチャンス到来である。
>>83 面白いもんで、「そうせい侯」毛利敬親のほうが、劉禅なんかよりよっぽど無能だった。
だが、毛利敬親のような「無能な名君」があの時期の長州に登場したのは、まさしく天の
采配としか思えない。
あの時期、逆にもっと有能な藩主がいた場合だったら、長州藩が滅んでいた可能性が高い。
劉禅があの時期の蜀に登場したのは、逆天の采配という気がする。
劉禅がもっと無能な君主で、讒言で「天才的戦術家」の姜維を誅殺していたほうが、
蜀はもっと長らえただろうと思う。
>>91 実際に蜀は攻め込まれて滅亡してるじゃん。
孔明時代から魏は常に蜀を攻める機会を窺っている。
姜維や歴戦の精鋭達が南方に送られたとなれば、喜んで攻め込んでくるよ。
>>93 蜀侵攻の時だって慎重意見が多く「邪魔な姜維を暗殺すれば、それで良し」
という意見が多かったくらいなんだよ。
「天才的戦術家」の姜維がいないほうが、むしろ魏は蜀を放置していた可能性が大きい。
そうせい公って、「一本の矢は折れても三本の矢は折れん!」とか言って、
蛤御門攻めや、長州征伐に対する徹底交戦を命じた人だろ?
無能な人なら大人しく幕府に従ってただろ。
>>92 敬親は積極的に家臣を引き上げてなかった?
清風とか。
中途半端な知識しかないけど。
蜀を滅ぼさないままでも五胡の侵入は有り得たのか?
また、有り得たとしても、それは蜀の人物に予見出来得る事だったのか?
>>94 反対意見があるのは当然。
でも最終的には、蜀攻めも呉攻めも強行論が勝って征伐が実行されている。
蜀が大人しくしてたら、「蜀は文弱になったから攻め時だ」とか何とか、結局強行論が勝つと思うよ。
>94 それ、ものすごく考えにくいんですけど。
魏は中華の正統王朝を自認していて、中華の統一を大目標に掲げているでしょう。
しかも相手は禅譲を受けた先王朝を継いでいると自称しているし、いつまでも放置するはずがない。
順序として後回しにはしたけど、それは諸葛亮の内政があって、蜀が磐石と思えたからでしょう。
普通、国を滅ぼすときは外圧だけではありえないから、内部崩壊か疲弊するのを待っていたのではないかと思う。
姜維がいなくなれば、遠からず蜀侵攻作戦が発令されたと思いますよ。
いた状態でも遠征軍が出たのだし。
読み返して気になったんだが
>>2の私情にかられた呉攻めって何なんだ?
とっとと統一しないと周辺民族からなめられるからな
まあ、
>>11の意見は全く間違っちゃいないんだが、
「何ファビョってんの?」みたいな、イリョウの戦いに
熱いものを感じない、正史でも劉備って熱い漢だと感じない
輩は嫌いだ。
>>99 その中華の統一を果たすことなく禅譲を受け帝位に就いたんで残りの地域は「中華ではない」と切り離した感がないではないけどね。
曹操が210年に出した布告に「(劉表の荊州を制して)ついに天下を平定した」との文言があるのは有名な話し。
勿論統一できたらそれに越したことはないし、当然狙ってはいただろうけど、「当面は無理」との認識は多分あった。
呉に対しての封国とかも、現実認識として滅ぼすことができそうになかったので体裁を取り繕ったんだろうし。
だから姜維が前線に居る居ないに魏の侵攻は直接関係無く、
国力の衰退をどうにかしないと駄目だろうな。
なんだかよくわからんが、劉備は熱い男だと思うよ。
あれ? 劉備ってクールってのが定評なんじゃ…
>>105 反対意見ばかりを重視しすぎていないか?
賛否両論あるのは当たり前で、慎重派が主流だったわけではない。
魏は帝位に就いた後も蜀や呉を何度を攻めている。
とても切り離しているようには見えない。
でも最後の一文には同意。
ショウエンやヒイのように姜維を上手く操って、政治とのバランスを取れる人物が必要だったな。
ふむ。 東晋の王導みたいな人物だな。
でも、それこそ諸葛亮ではないか。
>>108 魏が帝位に就いて以降に、蜀や呉の制圧を狙った侵攻が幾つある?
慎重派が主流じゃないとのことだが、積極的に呉や蜀を滅ぼそうとする動きが主流だったと?
じゃあ263年に大侵攻を起こすまでに立てられた積極派の動向ってどんな例?
孫権死亡直後とか、あくまで呉・蜀の乱れるのを待ってからの行動が殆どであり、
それでも敵国の乱れがないと早々に引き上げてきた。決して無理はしないというのが念頭にあるように俺には思えるが。
繰り返しになるが、当然統一できるならしたかっただろうが、現実にはすぐにどうこうはできないというのが魏のスタンスだろう。
蜀が滅ぼされなかったのは天下の難所函谷関を初めとした蜀の地形のせい。
抜けたトウガイは立派というべき。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 23:35:28
曹爽の征蜀くらいは出してから世迷い言を吐くべきだな
曹爽の征蜀かぁ…あんな功名心に逸った非計画的な事例を基に世迷い言とまで言われなあかんのかい。
あれが魏のスタンスを表していたり、魏が蜀侵略に積極的だったという証左だったりすると113はお考えで?
とりあえず後出しのくせに偉そうな物言いの114が劉禅以下なのはわかった
「待っていれば五胡の侵入が起こったのだから」と言うが、蜀を滅ぼさないままで、
八王の乱かそれに準ずるような内乱が起こり得たのか?
後だしのクセにって…何が?どのレスのどの部分になんの問題があったのよ?
偉そうなのは悪かったね。別に反論しても特別相手を侮辱するつもりはなかったが、
113とか115の方こそよっぽど失礼な物言いだと思うぞ。
特に113はまだ議論の範疇だけど、115は全く建設的でないただのイヤミだよ。
純だなぁ君は
全力で釣られてくれるし
実力の割に態度偉そうだけど
中二病っぽいからやめといたほうがいいよ
曹爽の場合、自分に箔を付けたい一心の勇み足で魏の方針とは思えない
>>114は、相手にある程度の知識がある前提で議論しただけで咎なしと思う
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 00:29:28
三戦名物発動か…
釣り宣言か…
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 00:39:23
要は負け惜しみじゃないの?
>>116 魏は内乱が頻発状態でしたが、何か?
公孫氏とか、諸葛誕とか、カンキュウケンとか・・・
曹操がわざわざ引き入れちゃったから、五胡はもう内地に侵入してた
ただ、鼎立状態の常時戒厳令下では国が一気に傾くような乱にはなりにくいんじゃね?
五胡大乱は軍縮後の晋だからこそ大乱になった
>>109 蒋苑は自ら魏侵攻作戦を立てた積極派だが。むしろ周りが蒋苑を抑えて、やめさせた。
費イの場合は、姜維の兵力を1万以下に抑えるのがせいぜいで、北伐そのものの阻止
はできていない。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 01:06:40
>>125 漢中から漢水下って裏陽を攻めようとしてたな、荘園。
でもそれって魏侵攻作戦だが北伐じゃないな。
胸囲も荘園みたいにすれば・・・
胸囲?荘園?
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 01:13:44
>>126 荊州人のしょうえんは呉も蜀も騙して荊州奪回するつもりだったんじゃねえ?
>>126 姜維の場合、夏候覇と羌の協力が前提の戦略立てていたから、裏陽攻略は考えられ
なかったんだろ。
むしろ孔明のほうこそ、裏陽攻略やるべきだったな。
北伐やりながら、魏延の積極策蹴って慎重策やるくらいなら。
最初に孟達寝返らせて失敗したのがよほど懲りたんだね
孟達とは知人だったしなぁ
根拠ナシだけど、諸葛亮の劉封誅殺の進言って、孟達がらみで感情のねじれがあった、って事はない?
それより言う事聞きそうな劉禅を立てたと言う方が?
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 18:47:33
AGE
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/04(日) 23:04:09
ケイ州って徐晃、文聘、夏侯尚ら名将が守ってたんじゃ
なかったっけ?
>>134 三人とも荊州にいた事はあったが、諸葛亮が北伐を行う頃には既に死んでたと思うが。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/05(月) 18:31:59
夏候尚が死んで自分の立場の危うさを感じるようになったのは孟達
曹ヒが死んで自分の出世を見込めなくなった孟達
>>43 つまり本土決戦もせずに連合国に降伏した昭和天皇は糞である……
という話?
大体、劉禅が無能か否か、は3年前に話がついてる。成果としてフラッシュもある。
今このスレで騒いでるのは、あの時議論に負けた奴か、新しい奴。
>>139 何も3年前の答え1本にせんでもいいだろ
そのスレが今もなお生きてるわけではあるまいし
新しく議論すればいい
去年もこのスレ起ってた・・・
>フラッシュ
「北伐を慣行」なんて書いてる時点でな……。
>北伐を慣行
あながち間違いでもない気がする。
ごめん
俺「にわか」なのに
コーラ吹いた
>>92 有能な人材に仕事を任せることのなにが無能なんだ?
行政機構を単独で運用するのは無理なんだから、
有能な人材を抜擢し、彼らに仕事をまかせるのは正しいことだよ。
劉禅を主人公にして小説書いたら面白そう。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 00:15:23
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 00:20:41
、 j___j___j___/
ヽ/ ̄ \ 十 〇
/ /~`‐、―――;/\ 十 __ _ __
十 | l ,.-―-、 . ―、|) o 。 °十 」 ̄|[][]| || | ___| |ロロ__ _
十 |. l⌒ヽ ! | ( 0| |( 0||―-、 + |_  ̄|| |.| ||__  ̄|.| || |
,.-''" ̄~~"'''―┴┴-( (ニュー''/))へ ヽ + 〇 | || | ̄ .| | | || ||__|l |
/ / ̄~''''ー――‐''"~ _,.ヘ l. o / |! | / |/ /| | l. |
/^!__ /`ー'ヽ__,、__,、__,.-‐' \ l. / / \| / /,.-'<___,| .! |(R)
|/ ,.┴、 l――---、――-、 \\ \ 十 // .// ̄ ∠-‐''王三l‐
/ / /ヽ \ /⌒'" ̄`'"⌒ \\_....-‐'''l / 囗/~7_,「三~KX> 、/!ニニ!
.| /つ `ー'----ノ ̄ ̄ヽー''"\l__,.-く ̄`ヽ /__/ー‐' 7__/
ヽ__(___.......... -―<____ノ―'''" ( 人 ̄ \
\ `ー---‐'"ノ \\__人 ( ̄ ̄ l
 ̄ ̄ ̄ ̄ `ー-----ヽ、 (~ ̄ノ
十  ̄ ̄
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 00:39:03
劉禅ってやっぱ劉備が投げたのが駄目だったのかなぁ・・・・
趙雲の鎧がきつかったんだろう・・・・
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 00:43:33
死ぬ間際の親父が孔明に「場合によっては君が帝位についてくれ」なんて言ってんじゃ、
なんとしてでもこの王朝を守ろうという気になれないんじゃないか。
劉備自身が成り上がりだから王位の世襲に対する拘りとかがなかったのかも知れん
諸葛亮に対する牽制のほうが可能性高いとは思うが
でもその親父が自分の正統性の根拠にしてたのがまさに「血筋」なんじゃないの?
まあ単に自分の野心のためにタマタマ劉姓であったことを利用してただけかもしれんけど。
蜀が内乱も起きず持ちこたえたのは劉姓の漢を復興させるという、目的があったからだと思う。
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 23:50:48
諸葛亮の後ノムさんがいたら
蜀も安泰だったと思う。
あの緻密なデータ主義はきっと
生きるはず。
誰を再生するかな?
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 09:19:19
劉禅再生して夷陵のリベンジ。速攻で建業まで陥落させて魏も制圧。
は無理そうなので、諸葛亮の後じゃなくて前にいてもらって張飛を
更生させて欲しい。部下に殺されないように(つД`)
それを言うなら関羽まで遡ってもいいじゃないか
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 09:48:47
関羽にくっつけて部下のデータ把握させて
残す組みの選択とか兵糧の確保とかか。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 18:38:33
とりあえず馬謖斬っとけ
>>161 軍権を与えなきゃそれで十分だろ。
内政等には使えるし。
漢王朝の血筋を引く者として、父の遺志を受け継ぎ漢王朝の復興を果たす使命を背負わされながら、
肝心の親父は、長坂では自分を投げるわ、丞相にとんでもない遺言はするわ、
どうも血筋を何とも思っていないような言動ばかり。
父の遺志に背こうという気もないが、
かといって何としてでも父の果たせなかった夢をかなえようという気にもなれない、
といった心境だったのかしらん。
武だ勝頼とどっちがしょぼいんじゃい
どっちもしょぼくない
どっちがの質問なのになんでわしがでるんじゃいばか
しょぼいから
おまえの脳もしょぼい
魏も軍事力が高いとは言え、内部の結束は割とガタガタだった。結局荊州の件で呉蜀が争っていなければ…あの時点で終わってたんだよ。きっと。
劉禅はよく保たせた方じゃないか?
劉備が暗君だという歴史的資料ってなんかある?
司馬昭との会話があるけどあれは単なる保身の策とも取れる
あ、劉備か
釣られた
つーか勝手に勘違いしてただけか
暗愚とは程遠いが劉備の魅力と言うのは侠客である部分が大きいから
お坊ちゃんが陣営を継ぐのには厳しい雰囲気かもな
威圧が効かないと動きそうに無い曲者が多いし
>>172 劉禅にしてみれば望んで就いた帝位でもなし。
それでもなんとか弱小国を30年間もちこたえさせた。
帝位から降りてやっと肩の荷が下りたというのも、正直な感想じゃなかったのかね。
それを暗愚の証にされたんじゃ、かなわんだろ。
そうだな
だから俺も策の方だ思う
「笑っている」というのも郤正と打ち合わせしてる可能性が高い
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 01:57:12
劉備は侠客じゃないだろ
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 02:12:07
>>157 ノムさんに再生してほしい人物
姜維=無意味な北伐を繰り返し、蜀を衰退させた。
よって、ノムさんにより、再生工場行き決定
劉禅=人のいうことを聞き、愚直であるため
ノムさんによる更正必要なし。馬鹿につける薬は無い。
黄皓=宦官の分際で劉禅に取り入り、魏が攻め込んだという
情報を官邸で閉鎖するなど、IDにはあるまじき行為
よって再生工場行き。
簡雍=傲慢な態度は主君を馬鹿にしている。
よってノムさんの更正が必要。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 06:59:08
魏は降将の扱い悪いからなあ
簡雍は死んでるだろ。
>>181 野村再生工場がごく短期間の再生の後、再利用不可能になることを承知の上での発言で?
>無意味な北伐
文官中心の中で武官の存在意義を示す為に、仕方なく行っていたともとれるし
逆に結果的に武官の立場をますます微妙な物に・・・
張飛もへたに長生きしてたら魏延と同じ扱いされたかもしんない
いやあ、劉備死後身を引くくらい機微を分かってたならいいんだが
劉禅との縁戚をかさに来て、あれこれ言って疎んじられそうな感じがするぞ
まあ俺は張飛好きなんだが
張飛は身分の高い人は敬愛したらしいから
文官にとってはけっこう扱いやすいんじゃないの?
張飛も結構出世したから文官等は下になるんじゃないか?
名士の劉巴は張飛のことを「どんなに出世しようと兵卒は兵卒」ってな感じで
見下してたからそう単純にはいかないんじゃないか?
特に張飛は名士を尊敬する気持ちが強かったみたいだし
まあ魏延の様に脅して泣かしたりは流石にしないと思うがねw
泣き虫楊儀でごめんなさい
好きな子ほどいじめたくなる心理か。
普通に、李嚴・馬謖あたりでいいんでねーか?
演義系創作物でしか三国志は知らないのだが、
劉禅にどうしても悪いイメージを持てない。
最初に見たのが人形劇だったからかなあ……。
悪いイメージはないよ。 ただ暗君なだけ。
暴君よりははるかにマシな皇帝。
滅亡時の張悌の分析が何気に核心ついてると思う。
宦官が専横し正しい政治が行われず、軍は不必要な遠征繰り返して民は疲弊し防御体制も整わないし、
劉禅は全く国の統制ができていない暗君だったけど、自らは大した横暴はしてない。
つまり、積極的に虐殺だとかそういう悪行は行なわなかったけど
良くも悪くも放置プレイだったんだろ
そういうのってよくいる
暴君ではない、単なる暗君タイプじゃん。
>>199 向こうにとっては、放置が理想の皇帝らしいぞ。
税金払ってやるから、だまっとけ!って。
北伐してたから、劉禅は放置じゃないけどね。
龍禅から諸葛亮に禅譲してれば良かったのにな
>>201 しかしそれだと大義名分が。
漢王朝の血筋だというのが正統性の根拠なのに。
>>202 劉禅の娘を嫁にもらい劉姓に改正
劉亮として蜀漢皇帝に
ってのは駄目?
諸葛亮は丞相って身分だったから美談になるわけで
もし皇帝になっておんなじことやってたら始皇帝並みの独裁者として叩かれまくると思う
やっぱボスがやる気無いとダメなんだよな
満州みたいに血筋だけ引っ張ってきて傀儡でも人は付いてこないし
しかしやる気満々なボスだったら諸葛亮なんて真っ先に謀殺されてるかもしれんぞ
晩年の孫権を思い出す
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 20:41:40
劉禅と堀内恒夫はどっちが無能か?
相当白熱した議論希望
堀内は元が名の通った選手だから事情が違う。
昔で言えば武人としては優秀だが、君主としてはダメなタイプと比較してなんぼ。
>>209 >武人としては優秀だが、君主としてはダメなタイプ
つまり堀内=lubuだといいたいのか?
劉備は君主と言うかリーダーとして有能だぞ
>>211 ああ、lubu=呂布 な。劉備は liubei。
あ、それは失敬
呂布は呂布でリーダーとして無能ではないと思うぞ
人間性に多いに問題はあったが
劉禅にたとえられるのは、
前任者から受け継いだ戦力を使って、
優勝もしないけど最下位にもならず、
ずるずると長期政権が続く、
しかし新しい戦力を育てることもせず、いつのまにかチーム状況はガタガタ。
こんな感じかねえ。
具体的には誰になるかな。
>>214 正力松太郎の子だな。
ナベツネの前の巨人軍オーナー。
ひょっとしたら務台が挟まってるかもしれん。
監督やる人は、選手時代に地味であっても活躍してるから、
オーナーから探すしかないねぇ・・・
ジーコかなあ……。
解任を決定づけるような大失敗だけはしないまま、
超低空飛行で4年弱の任期を全う。
最弱小国をひきいて
三国時代の皇帝では最長在位の劉禅。
>>214 北島監督亡き後の明大をふと思い出した。
219 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 02:26:46
>武人としては優秀だが、君主としてはダメなタイプ
つ公孫3
巨人の監督ってのは、中間管理職だからなあ。
君主にたとえるのは無理がある。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 22:04:23
でも長嶋茂雄=劉備=国民的カリスマは同意
堀内恒夫=劉禅=無能はたしかに難しい。
このレールに当てはめるなら一茂だが
選手としては雷同レベルマネージャーとしても
劉禅レベルということはない。
むしろナベツネの後オーナーや代行になった人
こそ劉禅。
監督に限らなきゃカズシゲの劉禅ぶりも捨てがたい
一茂の才能は凄かったがその生かし方をしっかりと学べなかったのが痛いな
以前「現役引退前後になってやっと野村監督の言っていた事がわかった」と嘆いてたし
一茂は引退直前はレギュラーとしてはともかく一選手としては普通くらいにはなってたと思うけどな。
一茂に、親父のようなビッグなプレイヤーとなって、長嶋王朝の後を継ぐことを
本気で期待していた人にとっては、劉禅になぞらえたくなる気持ちも分からんではないが、
傍から見てる分には、単なる「芽の出なかった一選手」、
それ以上でもそれ以下でもないよ。
たとえがカツノリのほうが良かったとでも言うつもりかッ
やっぱりカツノリも才能だけは人並みはずれてあるよ
だからバッティングにしても当たれば飛ぶ
ただし若いうちに人格や親子関係のせいで伸び悩んだまま引退を考える年齢になっただけのこと
「三流」とか読むと、一茂ってホントに「ふつうの選手」だったんだなと思う。
才能を順調に伸ばすことのできる選手の方が特殊で、
ほとんどの選手は才能を開花させそびれ、やがて引退。
つーか、一茂は中高野球やってないのにプロに行くという、
ある意味なめた真似してるからなあ。
もしずっと野球してたらどうなってたんだろ。
父親みたいな球史に残る選手とは言わないまでも一流選手にはなれてたと思うよ
肉体的なポテンシャルだけは凄いから
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/21(水) 22:31:27
一茂がどうした?
野球わかんないから話に入れない・・・。
てか、劉禅スレじゃないのかここは・・・。
>>232 気にするな。
一部の連中が脱線しているだけだ。
じゃぁ、劉禅=百田光雄ってのはどうだ?
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 00:06:18
劉禅は長生きしたんだよね。ソウヒよりも長生きしたんだっけ?
一人の人間としては賢い生き方だ。
誰も否定できまい。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 00:10:04
>>235 でも、劉禅は皇帝の身にあった人間。国民の命背負った立場にある人間だよ。
その人間を、その人一人のものとして評価するのはこのスレの本筋とはちがうのでは?
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 00:11:13
しかし劉禅やカツノリに限らず
親が偉大だと、息子は並じゃ
だめなんだな。
>>235 曹丕は40歳で死んでる。
ちなみに劉禅より20年上。
曹叡は35歳前後で死亡、劉禅より2つ3つ年上。
劉禅は271年、65歳で死亡。
劉禅の場合、はっきりした前例があるにもかかわらず、黄皓の言いなりになったのは
かなりの痛手。虐殺とかなくとも、これはかなりダメだと思う。
あと、無謀な姜維の政策に口を出すこともできないはずがない。
諸葛亮のその場しのぎ政策ならまだしも、国ごと体当たり政策を
見てみぬふりするのは凡愚としか思えない。
姜維が暴走してたころはすっかり無気力になってたんだろうなあ
>>240 姜維を抑制してた費禕やお目付け役の董允が死に、逆にお気に入りの陳祗や宦官の黄皓で固められるようになったからね。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 00:45:12
>>241 当時の劉禅はその現状わかってたよね、もちろん。
なんかどうしようもないって思って放置してたんだろうか・・・?
陳祗は黄皓を引き立てた以外は問題ないだろう
でっかい禍根を残しはしたものの彼自身が有能な官僚で蜀の命脈を保ったことは間違いない
やっぱ黄皓がなー
と言っても黄皓も悪い悪い言われちゃいるけど具体的にどんな悪さしたかは良くわかってないワケだけど
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 01:01:10
たしかに・・・。そういや、黄皓って何したっけ?
そうせい公みたいなイメージがある。
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 01:06:15
>>245 知識不足で悪いんだけど、そうせい公っていうのは誰?
それとも、そう、せいこう見たいなイメージがあるってこと?
せいこうってあの擦り付けの酷い奴?
皇帝の立場が無気力とか政治を顧みないのが許されるわけねーだろ
乱世で凡愚というのは罪悪だ
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 01:09:50
>>247 ありがとう。戦国あんま詳しくないんだ。スマソ。
なんかそいつは黄皓っぽいかんじがするの?
よかったらなんかエピあげてもらえると嬉しい。
>>248 劉禅の時代はもう乱世とは言いがたい希ガス
魏の知識階級なんて蜀や呉が国家を名乗ってることすら知らなかったんだぜ?
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 01:14:58
>>250 つまりはそれだけ魏との力の差が開いてたってこと。
だったら逆に、打倒魏の蜀には大乱世では?
まー、孫だけのモチベーションや危機感を劉禅は持ってなかっただろうけど。
これは皇帝として最悪。
>>249 戦国じゃなく幕末長州の殿様。
毛利敬親で調べな。
>>249 244のあとで書き込んだんで紛らわしかったが、黄皓じゃなく劉禅ね>そうせい公
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 01:25:54
>>252 ありがとう。早速見てみる。
日本史疎くて・・・。苦笑
サンキュー!
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 01:29:40
>>252 軽くウィキで見ただけだが、日和見主義っぷりといい、左遷されようといい、
本当に劉禅ぽいね。
>>251 蜀も国境以外はそれほど乱世としての意識はなかったと思うよ
そうでなけりゃ中央で官僚が政権掌握し続けるなんてありえないもの
つーか蜀は時代が下るにつれて軍部内でも厭戦気分が蔓延して
だからこそ姜維は孤立化したわけだし
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 02:01:02
>>256 それがいけないと思う。
蜀の国の目的は打倒魏国、漢王室中心の天下を取り戻すってところにあるんであって
のうのうと生き残るってとこにあるわけじゃないんだから。
諸葛亮は存命中、そのためにあれだけコストのでかいパフォーマンス侵略
やってのけてたわけだし、そのコストを意義あるものにするためにも、
国中がやっぱり危機感を持つべきだったと思う。
諸葛亮が頑張って国政を安定させたおかげで国民も平穏を求めちゃったんだよ
戦争よりも平和を求めるのは人間としてむしろ真っ当なことではないか?
そもそも、蜀は劉備の国奪りや皇帝僭称のせいで建国の時点から
劉備政権に冷ややかな見方をしていた臣下が多くいたのは記述にあるとおり
劉備、諸葛亮の時代でそれだったんだから劉禅の時代にモチベーション高めろって方が無理
諸葛亮が頑張ったことは認めるがその努力を臣民に押し付けて
劉備や諸葛亮の遺志を継げ、魏を倒せなんて教化するのは危険思想以外の何物でもないぞ
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 02:28:11
>>258 でも、そういう臣下って左遷されて、中央には劉備皇帝うおおおーー!!
みたいにモチベーション高い奴しか残されてなかったんじゃなかったっけ?
費詩はとばされたし、劉巴のとこには遠方からの人望が途絶えたってあるから、
少なくとも中央ほとんどの臣下はそれなりに気合あったんじゃないの?
民とかはマジで献帝しんだとおもってただろうし。
親の志を子が継ぐのは当然と考える当時の価値観からしてみれば
暗愚呼ばわりされるのも仕方ないけど、
現代人の感覚を当てはめてみると、劉禅って妙に親近感感じるんだけどねえ。
人形劇三国志が話続いていれば、
漢王朝再興の大義を捨てて、戦を避けた劉禅は多分名君扱いになってたと思う。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 03:39:54
>>258 劉備の国取りってどーゆー事??
あの時のショクは劉エンが混乱に紛れて土地の豪族を殺したり、財産を奪ったりドぎついやり方で反独立をして、怨みを持つショクの土豪は劉備が乗り込んで来た時、我先に劉備勢に加わってるし
最後まで抵抗してたやつらは劉エンが連れて来た子飼いの将軍達でっせ
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 03:50:39
劉禅の明君、暗君を決定するのってどの部分を評価するかによるよな。
それに、降伏したのも、当時の劉禅がびびったのか、それとも正しい状況判断
に基づいてなのかによると思う。その行動の正否は。
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 04:08:33
降伏とかよりギに攻め込まれるよーな国にした劉禅はめちゃめちゃ暗君
呉のセツクなんかがゆってるよーに黄皓とか自分にすり寄ってくる奴らを周りに置いて政治を堕落させ、さらに優秀な人材を育てる事をしなかった
派手好きで遊び好きなトコばっか親に似たんだな
統一国家の内乱なんだから、統一事業は絶対に避けられない
戦は不可避
魏帝だったなら良かったのかも。
あの寿命は魅力。
逆に性格さえ良ければ・・な
曹丕みたいな方が逆転の機会は作れそう。
俺は劉禅自身よりも劉禅に教育をした者の責任が大きいように思える。
劉禅はたしかに、君主としての意識や打倒魏・中華統一に対する価値観は欠けてたけど、
一人の人間としてそこまで不出来という感じはしない。
どちらかというと、立場に対して適切な教育を受けていないんじゃないだろうか。
そうした意識・価値観は、人間に最初からあるものじゃなくて外部から与えられるものだと思うし。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 10:15:02
>>267 確かにそれはいえてる。ただ、そんなこといってたらいろんな人の評価も
そういうのが関わってきてきりがないと思う。
>>264 つーか黄皓重用したのなんて最後の数年だけだろう
即位期間のほとんどを劉禅は色んな人から叱られて過ごしたわけだが
陳祗が大権掌握したのがそもそもの始まりなのかなー
父劉備の後を継いで厳しい状況の中で16歳で皇帝になりお飾りとしてだが40年近く蜀の地に君臨した劉禅。
兄孫策の後を20歳で継いで厳しい状況の中でリーダーシップを発揮し皇帝の座に就き、合わせて50年近く呉の地に君臨した孫権。
似通った要素を持ってるが全然違う両者。
自ら国を作った人間と出来上がった国を継いだだけの人間を比べてもしょうがないだろ
比較するなら孫亮と?
>>271 孫権と劉禅の能力・人格等が逆だったらどうだったかねえ?
と思ったが劉禅(中の人→孫権)の活躍はなかったろうなあ。
曹操の荊州討伐の時に孫権(中の人→劉禅)は降伏したであろうから。
>>267 後継者の教育と人材の育成
この二つは時折もちあがるネタだけどちょっとゲームに毒された考え。
傅育者が如何に優れていようとたいした君主にはならない事なんてざらにある。
劉禅は環境や周囲の臣下の質の変化で毒にも薬にもなるタイプ。
諸葛亮ら執政者の言う事はよく聞き、董允ら直言を吐く朝臣を強引に退ける事も
ない、いうなれば輔政の臣の質が全てものをいう型。
こういう君主は自身は無能でも臣下さえまともなら名君で終われる。
逆に言えばどんなに優れていてもアクが強く独裁性が高い君主が必ずしも名君の
評価をうけない例もあるわけで。
降伏に決した点も、臣下の意見を聞いて最も妥当で常識的な判断を下したわけで
祭祀を絶やさないという点ではまともな思考。
最後の一兵まで徹底抗戦して滅亡なんて少し中国の思想を齧れば必ずしも賢明
ではない事はすぐにわかるよ。
「劉禅は名君ではなかっただけ」
これに尽きないか?
>>273 いつごろの劉禅?
蜀滅亡時の劉禅なら降伏するだろうが
李邈を誅殺した頃の劉禅なら戦に踏み切る気概もあったんじゃないかと思える
だいたい劉備って、劉禅のことを後継者として大切に育成しようという気があったかどうか。
長坂でのことといい……。
>>264あたりもそうだけど、なんで劉禅ひとりに責任を着せようとする人がいるのか
わからないんだけど
一番槍玉に挙げやすいからでしょ
魏の侵攻については姜維による漢中の防衛システムの破綻も大きな原因なのにね
そもそも「国」のことを論じるのに責任の所在を個人に帰結させること自体無理がある
まあそれが一番簡単なのは確かなんだけどね
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 11:53:55
sage
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 12:47:00
なんで少帝劉弁が「董卓を信任して朝廷を混乱させた暗君」とか、献帝が「曹操を信任して中原を復興させた名君」とか言われたりしないの?
それをいうのなら、どうして劉[王章]が劉備に降服したときは
「無駄な抵抗をせず民を守った。アフォだったがこれは正しい判断を下した」
とか言われるのに、劉禅が降服を決断したときはだらしないとか気概がないとか
無能とか言われるのは何故?
キョウ維の暴走を止めてない時点で立派な暗君だろ 自分の配下だぜ
やる気のある奴のやる気をなくし、キョウ維みたいなのは暴走に走る…
国をそんなフインキにしたんだろ阿斗お坊ちゃまわ
キョウって漢字どーやってだすの??
しょうが→生姜
諸葛亮の弟子って事で手が出せなかったんだと思われ。。
一人強大な権力者がいるとその弟子も偉く見えてしまうのはしょうがないよね
中には劉禅の過失や責任についてまともに意見を言っている人もいるけど、
>>283みたいなのは読んでるこっちが恥ずかしくなる
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 14:00:01
>>283 禿堂。
部下の行動を見ていて野放しにする、コレで十分暗君。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 14:03:59
傀儡だっただけ。
良いとも悪いとも言えない。
劉禅スレとなると必ず涌いてくるアンチ…
演義脳の蜀厨ってどいつもこうなの?
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 14:07:56
傀儡だった時点で明君ではないな。
諸葛亮は劉備に
「もし私が氏んだらお前が蜀の(ry」
っていわれてたんだよね。それほどの権力者であり実力者だから
各閥も存命中は手が出せなかったんだろうな。
その諸葛亮が手を尽くして獲得した魏の姜維。
各閥は目の上のたんこぶであった諸葛亮が氏んで意見が言える様になったけど、
劉禅はその経緯を知ってるから物を言わなかったんだろうな。
諸葛亮の敵討ち=親父の敵討ちというのもあるしね。
極めて儒教的な考えだから、それを暗君と見下げる根拠にはならないよね。
>>291 なんだよ、手を尽くして獲得した姜維って……
>>293 はあ?
二進も三進も行かなくなって降っただけだろ?姜維は。
諸葛亮が姜維を手に入れるために色々と手を尽くしたとでも言うのか?
>>291 姜維は行き詰って蜀に投降しただけだよ。
>>294 それだと何か不満なのかな?それを仕向けたのは諸葛亮。
【傀儡】
@あやつり人形。くぐつ。A人の手先となって使われる者。
「−政権」
どうにも傀儡の意味を履き違えてるのか、思い込みで言っているのか
わからない人がいるな。
蜀の執政者は(諸葛亮も独裁力はあったが)専横も壟断もしていない。
「全面的に国政を委ねた君主」と「臣下に操られたかざり」は違うだろうに。
>>296 別に姜維を獲得する為に手を尽くしたわけじゃないってことは理解してくれたかな?
>>296 初めから勘違いしているかもしれないけど、姜維の投降にあたって諸葛亮は
姜維個人を帰順させるための手は打ってはいない。
姜維は諸葛亮以来の防衛のための外征を繰り返していただけで、惰性といえば惰性。
経済が壊滅的な状態に陥っているのでもなければ強いて止めることは出来なかったんじゃないの?
>>300 姜維の攻勢は防衛の為じゃなく、涼州切り取りが目的。
だからムリした。
と前段には賛成できないが、後段には同意。
国力の消耗はあってもそれが原因で領土を取られるということもなかった。
だから国民から不満の声が上がっても建国以来の国是もありそんなに強く出れなかったと考えることが出来ると思う。
>>284 なるほどっセンクスっ!!
諸葛亮は後継者に蒋エンや費イは推してるが、姜維に後を託したという記述はナッシング
>>301 あら、姜維ってちょっと本気だったのね。知らんかった。
地元意識もあったしね
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 18:37:11
無理やり姜維を諸葛亮が投降させるっていうのは無双とか(あるのか知らんが)
演義ぐらいだろ。
いまさらながら、ここで議論するときのソースは統一しておいたほうがいいと
思うんだが。
てか、自分はずっと正史ベースにはなしてたんだけど・・・。
演義で話すなら劉禅は暗君で決定
このスレで考察するまでもないだろ
暗君か名君か、もしくはそのどちらでもないのかと言う疑問は正史に基づいて考えて初めて意味と意義がある
キャラネタを楽しむなら演義ベースとか無双ベースでも問題ないだろうが、考察はやっぱ正史じゃないと意味ないだろ。
俺、演義の劉禅にすら同情を覚えるんだが。
>>282 劉璋はやろうと思えば一年籠城できたけど
劉禅は現実的に考えれば降伏しか選択肢がなかったからだと思う
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/22(木) 23:53:09
言い直せば
劉璋は民を巻き込んで戦争が出来たが民の為を思って降伏した
劉禅は現実的にはそんな選択肢が無かったという事
少なくとも非現実的な選択をしなかっただけマシだろうけど
劉璋のとは一緒に出来ないでしょ
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/23(金) 00:37:36
そういや劉禅が降伏の礼がなってないって笑われたって話があったね、確か
逆だ逆
礼法に適ってるとしてとして称揚されたの
ただし後世の学者がケチつけた
劉璋の場合は劉備が曹操、孫権といった強敵に挟まれ益州内部の劉備は孤立していた
長引けば長引くほど劉備にとって不利だった
だから篭城の意味があった
劉禅の場合はケ艾によってまともな兵力は雲散霧消していたし鍾会の本軍は目前
長引いても劉禅にとって不利になるばかり
だから篭城の意味が無かった
居汚く成都でボロボロになるまで抵抗しても負ければ死
亡国が避けられないのであれば可能な限り漢の祭祀を継続させることこそ重要な事だった
その為には速やかに降伏し命の安堵を得た方がよい
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/23(金) 00:52:35
>>313 あれ?
笑われたは見つからなかったから間違いかもだが、
確かに降伏の礼を具えていなかったようだが…
どう備えていなかったか克明に書き出してみ
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/23(金) 01:07:09
劉禅は引き際が見事なんだよね。天寿も全うしてるし。
先代の遺志を引き継ぎ大望を果たした君主なんて古今東西
あんまりいないんじゃないの?
2代目としては合格点あげたい気がするけどね。
>>315 ケ艾の返書の部分ちゃんと読んでる?
晋諸公賛の箇所しか読んでないでしょ?
傅暢はどっから劉禅がロバの引く馬車に乗ってきたなんて話を持ってきたんだろ?
今手元に正史がないから確認できないんだが、陳寿の記述にはなかったよな?
そもそも棺を担いで自分の体を縛って、という記述とも矛盾するし
いや、棺を担いで自分の体を縛った状態で馬車に乗ってたのかもしれんけど
>棺を担いで自分の体を縛った状態で馬車に乗ってたのかもしれんけど
礼法にかなってなくてもそっちのほうが普通に歩いて出てくるより辛そうだなw
公式記録では正しくしたことになってるが、実は…
てことじゃね?
陳寿の記述より傅暢の記述を優先させる理由がないからなあ
>>321の可能性もあるとは思うが
傅暢が公式記録に隠蔽された真実を知り得ていたかどうかという疑問が残る
傅暢の時代はすでに劉禅の評判悪かっただろうという点も考慮しないといけないし
もちろん陳寿が劉禅に対して同情的だったというのも併せて考えないといけないけどね
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/23(金) 08:06:53
敗戦確定の状況で国を明け渡したんだから名君に決まってるYO。最後まで戦い尽くすというのは話としては勇敢でカコイイけど国民としたら嫌にキマットル。
>>323 敗戦確定まで追い込まれる時点で名君とは呼べない。
いや、それはもう建国の時点でほぼ確定してたことだから
なら皇帝の座に40年も就くことはなかったな。
とっとと降伏しとけ。
当時蜀で暮らしてた当人たちにそんなのわかるわけないじゃん
だが後世から歴史という視点でモノを見れる俺たちにはそのことがわかってる
その辺勘違いしちゃいかんよ
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/23(金) 10:58:53
蜀と魏の差は日本とブラジルの試合に
匹敵する。
コウコウはズィーコ
キョウイはヤナギサーワとタカハーラ
フツーの凡人でしょ。議論のしようが無い。
しかし、「漢」として評価するならヘタレ決定。
業績がないんだもん
どんなに頑張っても平凡以下の評価にしかならん
星新一が豊臣秀頼を主人公に小説書いてたけど、
劉禅だともっとおもしろくなりそうな気がする。
>>330 んだんだ
お人形さんにはお人形さんナリの評価しか出来ん
334 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/24(土) 22:47:53
劉禅が自ら国政に関わろうとした出来事とかないの?
無知の知であったのかもよ。
無知の無知で、口をはさむ奴よりマシ。
魏略に言う、蔣琬が亡くなって、劉禅自ら国事を見ることとなった。
ちなみに同じ年に董允も死んでる。
そして費禕がいるものの、これ以降、黄皓が台頭してくる。
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/24(土) 22:58:07
そこで自ら政治を学ぼうともせんのはいかん。
仮にも皇帝。
辺境ではあるが、王とは別格の位についてる人間。
背負ってる責任の重さが尋常ではないはず。
違う
黄皓を利用して陳シが台頭して来るんだよ
陳祗の台頭自体は蜀が生き延びるためには絶対必要だったことだぞ
黄皓と仲良かったからって陳祗は不当に悪く言われすぎ
>>337 劉禅は諸葛亮に師事して政治学んでるはず
ただ、諸葛亮は根っこが法家思想の人だからねえ・・・
理屈理論ばっかり詰め込まれてたんじゃないかって気がする
ああいうのって諸葛亮や曹操みたいなバランス感覚なけりゃ活かすこと難しいんだよな
>>338 何言ってんだよ。
陳祗は許靖の縁者で、能力を費禕に買われていた。
そのため董允の後を継いで侍中になった。
別に黄皓を利用して台頭してきたわけじゃない。
台頭した後に宮中を掌握するため黄皓を利用したってのが正確・・・かな?
>>339 別にその2人とも悪い事したわけじゃねーべ。
>>342 どちらも劉禅のお気に入りだったから、お互い様ってあたりじゃないかな?
黄皓が劉禅に目をかけられたのは陳祗とお近づきになれたせいじゃないか?
陳祗自身は黄皓いなくても劉禅のお気に入りだったみたい
陳祗が台頭したのは姜維が内政顧みなかったおかげ
そういや、譙周の『仇国論』は陳祗との議論がベースになってるんだっけ
陳祗が北伐肯定派だったのか否定派だったのかは分からんが、頭の回転は早かったんだろうな
董允はよく劉禅を戒めていた。
陳祗が董允の後を継ぎ侍中になると、劉禅を戒めることはせずその意に迎合するようになった。
こういったあたりが劉禅が陳祗を気に入った要因だろうな。
しかし郭循の件といい、費禕って意外と人をみる目がないのかも。
大らかすぎて人の欠点とかが気にならない人間だったのかもしれん
>>350 大らかってのはあるかもね。
鹿車の逸話や楊儀と魏延の間を取り次いだりなんてのを見てもそんな気がする。
>>350 あー、時々いるよねそういう人
いろんな人間から慕われるしその人がいる間はその人中心にまとまってるんだけど
その人がいなくなるといきなりギスギスした空気になったり
>>349-351 儒家に特にいえる事だが、毛を吹いて瑕を求めるという行為は狭量を示す一端。
>>347 姜維以前に費禕生前から陳祗は台頭してきている、
侍中で尚書令の上に鎮軍将軍なんつったら実権は大将軍か丞相並みの権力者、
姜維が政治を省みなったせいというか、むしろこいつが居るから姜維は
政治を担当できなかったとさえ思う。
陳シの死後、姜維は政権取ろうと思えば取れた筈なのに何でか取らないでそのまま漢中帰っちゃってるよね
宮廷が嫌だったんだろ
357 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 15:28:55
横山光輝三国志大百科に掲載されている北京師範大学の生徒116人を対象に
行った登場人物人気投票では劉備が0票なのに阿斗に1票入っていた。
「政治的能力が足りないことを自知して、生活を享楽し、“楽不思蜀”になり、
魏晋之風がある。そして、彼は決して凡庸じゃない」とのコメント。
同意できなくもないが名君とまでは思えない。
>>357 でも、それって劉禅一個人としてのあり方だよな。
たしかに一個人としては、出処進退窮まったときに全て投げ出して
笑われてでも過去を過去と割り切る姿はいいかもしれん。
だけど、仮にも、蜀という国の体現者であった劉禅がそういう態度を取ったら、
蜀に尽くした家臣たちはやり切れんと思うよ。
言葉1つで凡庸じゃないとかすごいな
その言葉1つで天下取れたとかいうなら非凡だろうが、
劉禅はどうみても凡人以下
昭和天皇ですらそういう時に言葉を選ぶ
劉禅は配慮が欠けてると思う
昭和天皇ですら、とは意味がわからんな
昭和帝は明治大帝、大正帝の代に得た領土を大いに失ってはしまったが
国家の難事には天皇家の財産、自分の生命を投げ打って国民を救った慈愛に溢れた人だぞ
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 21:48:36
劉禅が暗君かもしれないが
益州人脈の抵抗が蜀を
継続させたに違いない。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 21:51:44
蜀を存続させたのは荊州閥だよ
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/25(日) 21:52:21
682 名前: 名無しさんの野望 投稿日: 2006/06/25(日) 00:33:17 ID:YVZaKYef
205 :名無しさん 〜君の性差〜:2006/03/28(火) 02:30:41 ID:E8DxIWtm
子供を3人連れて行った店で女性のみデザートサービス、
真ん中の子供は男の子でデザートは貰えなかったね、
「なんで?ぼくだけ?ないの?」
俺も妻もそういった差別には敏感で、同じ金払って何で
サービスが違うのか店長に対してクレームをココの住人らしく議論したが
今回は特別に・・・と言ってきやがったよ、正直いってさ、
親から見ても子供は平等、男の子だからデザート抜きなんて事は
一度もした事は無い、社会は違うね、平気で差別しやがる、
子供に男の子だから我慢しなさい社会は差別するのが当たり前と
教えないといけないのか?
男女板では最近の何でも女性優遇にする男性差別をなくそうと活動中です。
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gender/1137152733/
>>363 だな。
降伏を勧めたの譙周は巴西の人。
姜維の意見を拒絶し譙周の意見を聞き入れた劉禅は名君
昭和天皇って凡君じゃなかったの?
なかったよ
名君だと思うが、ずば抜けて素晴らしいというほどではない
昭和帝が名君名君言われ始めたのは死んでから。
昭和帝は名君とかじゃなくて仁君だろう
軍部の暴走を止められなかったという点では暗君
ただし心根は仁君
>>372 日本の法律が天皇が軍部に口出し出来る形じゃなかったんだが。
またスレと違う話になりつつあるな。
いやぁ、近代史に蒙いから、新鮮だなぁ。
玉音放送を聞いて、
泣きながら剣を折った人も多かったんだろうなあ。
ゴルァ、おまいら、一般ピーポーのおいらたちが天皇陛下についてとやかく言うとは何事だ!!
ということで、劉禅の話に戻そうぜ。(いい加減。)
天皇といっても、無制限な権力をもった専制君主じゃない。
一般ピーポーのほうが立場は上なはず。建前はね。それは役人や政治家でも同じ。
メディアに惑わされてはいけない。
まあ象徴とか言われてもピンと来ない罠
小腸ならピンとくるけどな
いかにも歴史オタのギャグセンスな感じで素敵ですな。
ひとしくん おげんきですか?
・・・あのさ、本気で一般ピーポーとかいってみたんじゃないんだよ。
ただ、激しくスレ違(ry
・・・orz
>>378 立場は天皇の方が上なんだよ
主権者は俺らでその象徴が天皇なんだから
そもそも立場とかで線引きできる関係じゃない罠
言ってみれば偶像であって観念的な存在
そんなものに生きてる人間当てはめちゃったから変なことになってる
益州人は漢室へのこだわりが小さそうだな
自分の領土に突然やってきた劉家を疎ましく感じたかも。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 17:40:08
劉備の最後の言葉があるから劉禅はその実以上に暗君に見えたという気もする。
劉備の子供なんがマズかったのは一理あるよね。
そもそも暗君って後世の評価だから難しい。
戦中の日本だったら暗君だよね。
個人的には英国人にジョン王と比べていただきたい。
>>390 天皇大権を発動する事が法律、慣習その他諸々を無視する蛮行だった戦中日本と
皇帝大権の発動がそうではない三国時代を一緒にするなって
昭和天皇は自制的な方だったよね
田中事件と二・二六事件と終戦くらいでしょ、政治に口出したのは
数々の逸話を漏れ聞く限り、俺とはスケールの違うとんでもない人物だったと思うが、
沖縄に対して冷淡すぎたのはいけない
>385 それは精神的立場が上なだけ。実質はなにも伴ってない。
いにしえの傀儡政権と今の日本とでは全然本質は違うが、似ているようでもある。
総理大臣=諸葛孔明が主導権を発揮して国営をきりもりしていたときは、ほとんどお飾りな皇帝だったわけで。
しかし、ひとたび外敵が攻めてくると、いきなり責任がその双肩にのしかかってくる。
時代がよかったのか、ちょっと後の時代ならあっさり殺されていただろう。
いまの日本では、天皇が失政の責任を取るようなことはないよね。
劉禅から皇位を奪おうってやつはいなかったのかね?
だいたい親父からして、奪うことを勧めるような遺言しとるんだが。
>>391 しかしあの時代に劉禅評価したら
検閲に引っかかりそうだが。
姜維批判も皮肉と取られそう。
1、2歳の赤子だったら、孔明が跡を継いでも特に困らないと思うが、
既に17歳だからな
>>394-396 もしかしたら、実際に色々と思うところがあった人も
いるんじゃなかろうか、誰に関しても
今となっては藪の中、想像の範囲を出る事はないが
想像するだけならタダだよな
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 14:50:39
劉禅もフランスのルイ16世と比べれば良君だろう。
∴劉禅は良君
皮肉の痰
比較はやめないか?相対的に劉禅を判断したいんじゃないんだし、
比較したら、その比較対象についてに議論がまたおきてしまう。
ここ、一応劉禅スレだし、脱線が目立ってたから、提案。
確に。
陳寿以外にはどんな評があるの?
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 03:18:02
劉禅はカツノリであーる。
親の七光りであーる。
へー
ぬるぽ
魏に降った後の劉禅の態度によって
譙周らの待遇は変わってただろか
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 21:52:16
蜀の姓というだけで蔑まれてたからな
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 21:19:38
劉禅は名君とは思えないが
劉備は名君だな。
いや、それはない
英雄ではある
名将……?それもまた違うか?
俺の名前を言ってみろーーッ
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 22:44:45
やっぱり劉備名君だよ。
演義も正史もドラマチックに生きているのが
伝わってくるし。
あれだけ人をひきつけるのは、
礼儀正しい部分と、逆上したら、徹底的に
やる部分が後世の人をひきつけるんだろう。
逆上したら徹底的な人って名君なのか?
名君ってもっと政治的な評価じゃないのか?
>>417 2行目以降は礼儀正しいってのが少し気になるけど同意。
でもそれは名君ではなく英雄の要素だと思う。
劉備がよく国を治めたって話は聞かないしな
つーか政治的評価得る前に死んじゃったんだけど
時代が求めていたのは、名君じゃない。
>418 つ柴栄
423 :
人生相談所:2006/07/11(火) 08:32:14
みんな、よく考えてほしい。
他人事の故に、三国志から英雄を探したくなる。
だが、その英雄視された人物の日々の人生はたいへんな苦労の連続であった。
楽しみといったら、たまに飲む酒ぐらいなものだろう。まあ軍人ならしょうが
ないかもしれん。また富豪なども罰を受けたり、財産を奪われたりと最終的に
厳しい。
だが劉禅の場合はどうであっただろうか。恐らく一番ラッキーだったかもしれん。
まずは赤ん坊の時から助けられ命を繋いだ。その後17歳で王位を受け、
諸葛など有能な参謀に支えられのんびり生きた。最終的には幸福して王位をとられたが
逆に一生安心して遊んで暮らせる環境を与えられた。
他の皇帝は早く死んだり、遊ぶ暇もなくきびいし人生を送った。
客観的にみて、バカ殿に分類されるだろうが、彼が生涯それで満足できたのだから、
彼は一番他の人の苦労の礎の上で人生楽して暮らせたわけだ。
誰になりたいか。そりゃあプライドを捨てれば劉禅が最高でしょう。
下手にプライドを持った武将は首をはねられただけで、ちっともいい思いしてない。
424 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/07/11(火) 11:17:41
誰からも尊敬はされないだろう。
しかし、彼だったら生まれかわりたい。まじで。
酒と女で毎日毎日、極楽気分
最終的な肩書きが「安楽公」だっけ?
世界中の暴虐な侵略者がある意味歴史に名を残しているわけだ。
秦の始皇帝、アレキサンダー大王、シザー、ナポレオン、信長。。。
劉禅のような親から受け継いで滅ぼしてしまった者は歴史的には愚人となる。
でも個人的には、一番幸せでしょうね。
うらやましい。
427 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/07/11(火) 16:23:46
もし、諸葛孔明が死ぬ前に魏を滅ぼしていたらどうだろう。
たぶん呉に勝てたかもしれない。
だがその後孔明が死んでしまったら、結局呉と同じ運命を数十年後に送ることになるな。
結局同じ
俺もうらやまし。毎日豪遊=酒池肉林して、飽きもせず生涯楽しいと言って
たからね。
本当に幸せだったら「郤正の言うこともっと聞いていれば」とか悔やんだりしてないだろ
劉禅なりに少しは統一事業しなければなーと思ってたんだろ
目の前の享楽にころっと行ってしまう弱さだが
まぁ、小市民だよね
つか、君主としての最低限の自覚は普通にあったんじゃねえの?
後宮で美女はべらせたいなんてのは権力者としては当然の欲求だろうし
「蜀を恋しいとは思いませぬ」発言ってさ、
劉禅擁護派からは「暗愚を装った発言」ってかばわれることが多いけど、
あれ、本音だったんじゃないかなとも思う。
俺、そっちのほうが劉禅にいっそう親近感わくわ。
馬鹿を通したというのは、他に才気走った所を見せてるから許される擬態
ずっと馬鹿の部分しか見せてないんだから、馬鹿なんだよ
>>431 まあ人間なんて徹頭徹尾一つの本音しか持ってないってわけじゃないからな
蜀なんて恋しくないといったのも本音、郤正の諫言に後悔したのも本音なんだろう
ごくごくフツーのおっちゃんだったんだろうなあって思うよ、そう考えると
434 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/07/13(木) 13:34:23
ハレム生活できた人なんてこの世で数える程だ。
もうやりたくなった歳には親がいないから、好き放題に遊べたわけだ。
親の劉備の言うこと聞いてたって、ただ苦労するだけ。孔明が代わりに
苦労してくれたわけだが。
三国志の中で一番いいおもいした人物
董允が死ぬまでは劉禅も好き勝手できなかったわけだが
諸葛亮が生きてた頃なんてなおさら
奴が道踏み外したのは40近くになってからだよ・・・あれ、計算合ってるか?
劉禅=金正日
親父はゲリラ戦のが得意、と
劉禅に魅力を感じる人は恐らく皆無に近いだろうな。あんな人には
なりたくないと思うが、実はみんなあの人みたいに生涯遊んで暮らせたらと
嫉妬も出てきてしまう。他の将軍は苦労の割には報いてない
440 :
ヘンか:2006/07/14(金) 16:12:14
劉備は夷陵の復讐がダメだった。
でも、劉禅は決断力に欠けるからもっとだめ。
だから、劉禅は暗君だと思う。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 17:09:25
劉禅は実は諸葛亮から生き残るために自分が死んだ後どうゆう暮らしを
するか、降伏する時期や降伏した後の態度とか教えてもらったりしてな
いよね?
夷陵は荊州なしでは魏に対抗できない為必要な戦。
劉備も策は考えていたようだが陸遜の方に先にやられてしまった。
人物として比較するなら劉禅と劉[王章]がもっとも適切だとおもうのだが
そういう議論が起こらないのは何故なのだろう?
どちらも親父は力ずくで国を切り取り、地域の王のような感じに納まった。
そしてそれなりに問題も抱えつつ国を保って最後は奪われている。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
↑氏ね
そりゃ、劉禅は歴史上の「意味ある糞」だよ。
「こんなバカがOKなら、俺でもOK?」
という免罪符を2千年近く前に出しちゃったからな。
>>443 劉璋と違って劉禅は最後に悪あがきしてないからねえ
あのタイミングでの降伏って何げに絶妙なんだよな
劉諶みたいな特攻野郎が国主じゃなくて本当によかった
>>442 スレ違いだが戦術的にはあの戦いは負けしかないだろう。地形的に。
てか、そもそもあの時点で蜀に大規模な軍事行動の作戦を練れる人物っていたっけ?
>>447 劉備はフウ習と密談していた。これは、夷陵の城を早急に落とす策を練っていたと思われる。
城さえ落ちれば多少はましな行軍ができたと思う。
地形的にどうこうはともかく、あの時点で勝つのは無理ってのには同意かな
姜維が漢中の防衛システム維持させてたとしても大して変わらんかっただろうな
魏で内乱を起こさせる方が現実的だな。
あの頃では長安奪った所で手詰まりになりそうだ。
長安をもし仮に奪うことができたなら、内部的には「やはり蜀漢の理想は正しい。盛り立てていこう」みたいな引き締め効果が、
外部的には魏晋の権威失墜から来る混乱みたいな、軍事的効果よりも政治的効果の方がデカイと思う。
もしかして・・
って思わせたら成功だろうなぁ、北伐
それをうけて中原や江東がどう動くのか
は?雍州、涼州を押さえ、洛陽を攻略した後
魏を河北に追いやって荊州を・・・
どこが手詰まりなんだよ?
>>453 それが諸葛亮の目論見だったんじゃないかと…
映像的イメージ
劉備=耳のでかい坂東三津五郎
劉禅=次長課長の河本
459 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 22:49:03
諸葛亮〜ヒイまでの時代は名君
キョウイになってからはカス
バカが何言っても、説得力なし。
つまり、劉禅は器ってことだな。
だとすればチュン的には名君になる。
まぁ、中身を選べないから名君ではないか・・・
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 08:38:54
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/18(火) 17:34:58
劉禅≒ひろゆき
464 :
袁症 ◆G4YeARAQJk :2006/07/18(火) 22:14:52
劉禅は・・・凡君だな
乱世でなければ十分だったろうけど
まあ孔明の死後30年国を守り無駄な犠牲を出さずに降伏したことは評価できるね
つまり姜維はうんこ
>無駄な犠牲を出さずに降伏したことは評価できるね
自分の命惜しさに降伏したヘタレってことね。
>>466 ケ艾が成都に達した時点で抵抗を続けても、死ぬのは劉禅一人だったと?
ケ艾軍は暗殺者集団か。
自分の命惜しさに降伏しただけだったら劉諶みたいなのがもっといてもおかしくない
むしろあの降伏は劉禅の意思というより蜀の国是だったと考えるべき
そもそも劉禅に降伏勧めたのは譙周だしね
そういや、家臣で劉シンに殉じた人間っていなかったんだよな
姜維にうんざりしてた蜀の人間にとっては劉シンの主張もうんざりだったんだろうか
後世の評価の違いって事だよ
まああの時点で抗戦するメリットって何にもないしな
当事者じゃない後世の人間だから無責任に評価できるっつーのはあるとオモ
降伏した際に自分の首を差し出してれば、後世の評価も
「悲劇の人」扱いになってたんだろうねぇ。
生き残った人間って悪く評価されるよな
賈クとか宇禁とか
>>472 仮に劉禅自身が望んだとしても有り得ないんじゃないか?
ケ艾の態度見てると降伏した国主は貴賓として遇するのが習わしみたいだし
まあ劉禅が降伏のとき実際になんて言ったかはわからないけどね
頭下げて降伏するだけなら、誰にでも出来るからな
いかにも三国志しかかじってませんって人の意見やね
いかにも社会経験のないニートの意見やね
なんというか、鸚鵡返しに近いレスする奴って底が知れる感じ。
>>475が社稷の重さや城下の盟、肉袒牽羊を知ってれば一国の君主の降伏を
誰にも出来るなんて軽々しい言い方はせんわな。
およそ君主たる立場を過ごした人間なら、それは自然と身に付くだろ
劉禅には社稷の重さとか感じられないが
国の滅亡間際の君主なんて、降伏する、首を差し出す、徹底的反抗を訴えて部下に殺されるの3択だ
成り上がり者の二代目に社稷の重さなんざ関係あるのか?
劉禅って多分劉備の欺瞞を一番近いところで見続けてきた人間なんだぞ
名目上は漢の後継
しかも40年もそれを続けて来てる
鰯の頭も信心って事だよ
わかる?
ハイハイ、君も劉禅並のヘタレ人間ですね。
>>483 待て、
>>482はそんなに間違ったことは書いてない
ただ大義名分に拘り過ぎてる感があるが
>>482 自分の意見が全てじゃないだろうことはご存知と思うので
結果論を馬鹿にするのはいかがなものか
生まれたときにはすでに漢なんて有名無実
しかも父親は自分が皇位に就くのを正当化するために漢の皇帝が死んだと風説流してる
これで社稷継ごうなんて馬鹿馬鹿しくてやってらんないのでは
父親や孔明の手前があるから何とかかんとか40年間頑張りはしたけど
追い詰められたときにぶっちゃけどうでもよくなっちゃったんだろう
平成の解釈をするな、ボケ。
だが、実際玉璽とかもニセモノだからな
劉備の即位は臣下にも非難されてるし
劉禅がその辺どう思ってたかってのは興味深い
もはや知る術もないことだけどな
伝国の玉璽はグレーゾーンだし、蜀とは全く関係ない。
何ほざいてんだ?お前w
全く関係ないって・・・もしかして孫権が拾ったものと勘違いしてる?
権じゃない、堅だ
そんな馬鹿はいないだろう・・・
とは思うが、それだと漢の後嗣の話してるのに玉璽関係ないとかほざくお馬鹿さんになっちゃうな。
判断が難しいところだ。
>>489 そのレヴェル以前にグレーゾーンの意味を勉強しな。
そんなところ強調したらなおさらとんちんかんなレスになっちゃいますよ?
「蜀とは全く関係ない」って部分がなければまだ誤魔化しようがあったのにな・・・
イタイタシス(´・ω・`)
もうスルーで
ないわきゃない。
玉璽がないと漢の後継者とは認められないんだから。
ただし当時の蜀には玉を加工する技術がなかったため、
お粗末な贋物を造ることでしか劉備は皇帝を自称することができなかった。
逆に言えば劉備が皇帝を名乗るには贋物を造ってでも玉璽を手に入れる必要があったってこと。
・・・吊られたかな?
劉禅は自分とこの玉璽ニセモノだって知ってたのかな
ボコボコ、ガタガタで子供の粘土細工みたいな玉璽だったりして
>>499 実物を知ってる人が少ないだろうしねぇ。
疑ってたとしたら、否定しようにも証拠は出せない
ってところか。
本物の伝国璽の一部が欠けてるのって有名な話なんだけどな
>>503 案外、精巧な作りで欠け無しだとそっちを信じてしまいそうだが
当時の蜀と呉には中原ほど加工技術が発達してなかったんじゃなかったっけ?
だとすれば蜀の玉璽も呉の玉璽も精巧からはほど遠そうだが
自分が偽帝だと知っていながら40年帝位に在り続けたなら劉禅の印象も随分変わるな
偽物と気づいてたんじゃない?
>>507 たぶん。まぁツッコンだら確実に
空 気 嫁
ってなっただろうし。
そんな環境で40年か・・・
忘れたくなってもしょうがないかもな
>>506 ふむ。 偽帝とまでは思わずとも、自分だけが、あるいは自国だけが唯一無二の王朝であるべきなんだ、他のやつらは征服されるべき存在だ、などと信じず、別に違う政体があってもいいじゃないか、とか達観していたら劉禅の印象は違うと思える。
それはある意味、政治的視野の広さであり、度量であると思う。しかも、後世の蜀政権はなんか中央からは一歩退いた蚊帳の外を決め込んでる節があり、劉禅がその最初の例かな、とかちょっと妄想してしまった。
漢が中華という枠組みを作り200年以上も続いてしまったのだから、
複数政権があってもいいじゃなーいというのは通じない
>>514 普通王朝って復活しないのに漢は蘇ったもんなぁ、ヤバイ
これが演義の冒頭となると分裂>統一、短命>長期の繰り返しだ
てな具合になるんだから歴史は面白い
だが、実際に複数の政権が同時成立してしまった異常な状況の渦中にいた人なワケだからなあ
でも、それは分裂状態というのを認識してただろ
それがまた200年も続けば、別の国という考えにもなるだろうけど
>>514 違う、違う。
もし劉禅が、そこまで思い至っていたら、彼への評価が違ってくるな、ってこと。
そんな証拠もないし、記録として残るような類のものでもないから妄想でしかないわけだが。
ただ、そんな現代的思考をもっていたとも思えないけど。
どうしても四川軍閥は中央への野心があまり伺えない、あるいはあっても積極性にかけるようにみえる。
李氏成漢は詳しくは知らないけど、前蜀、後蜀などはそう(このあたりはすでに分裂を許容しているのかもしれないけど)。
>>510 公孫述の隴西軍閥との連携戦略は、諸葛亮が応用しようとしたんじゃないかと思ってる。
つまり、公孫述は野心家…(だと思える。)
>>517 東晋、南宋と違って同じ漢民族(?)だから
なおさらもういいやって気になりそうだ
>>513 DNA。
判った上で答えてるのを、判った上でヒント。
あいつは暴君じゃないし、諸葛の言うこと聞いてたし、
人をむやみにころしたりしない。最高の王だった。
私的に考えるとうらやましい
優柔不断な他力本願の人だけだった気も
物事の二面性の問題だな
金と女だけのガキよ同じ未来を夢見てるとは思えない
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 23:04:33
蜀の滅亡については、劉禅が名君か暗君かより、
姜維のアホンダラによるところが大きい。
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 23:26:08
英雄→色を好む
色を好む→変態
527 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 23:59:52
劉禅
「将達よ。軍人の本懐を遂げよ。
人はいずれ死ぬ。そなた達の死に場所は指揮官たる朕が決める。
先帝は、夷稜で大敗された。多くの者が戦死した。しかし、軍人として名誉ある戦死であった。
今は無き先帝が建国されたショッカンはいままさに滅亡の危機にある。しかし、漢王室に連なる先帝の魂は必ずや我らを勝利に導くだろう。漢は我とともにある。
これから私は剣閣に赴き、逆賊ギを迎え撃つ。このショクの地に一歩たりとてギに入り込ませてなるものか。
呉が我が国に救援を申しでており、既にこちらに向かっているという。思えば、先帝は、ギを討つために呉との和睦を許して下された。
それも、我が国の悲願である漢王室復興のためであった。いまこそ、先帝とこの私劉禅の旗の下に、漢王室に対する忠義をしめすのだ。
先鋒はキョウイ。3万を率いよ。エンウはこれを補佐。遊軍としてラケン。1万を率いて敵を攪乱せよ。山岳の地形を生かすのだ。
勅命である。これに反するものは如何なる者であろうと処断する。
各軍の奮闘に期待する。
俺の目から見るとそういうのは暴君一歩手前に見える
軍事力用いる奴全てが暴君かよw
平和外交だけでどうにかなるなんて、21世紀の現在でさえもあり得ない事だ
>軍事力用いる奴全てが暴君かよw
あながち間違いでもない
つーかそう呼ばれるぐらいの覚悟がないなら権力者になどなるべきではない
権力から程遠い人物が権力者になるならそうだろうが、
そういう覇者の二代目や三代目はまた別だろう。
まあそりゃそうなんだが
だからこそ世襲制は常に歪みを内包していると言える
533 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/24(月) 03:15:00
人身を引きつけている限り暴君ではありませんよ
ナイス誤植ww
537 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/25(火) 08:15:22
劉禅と韓馥と劉璋と無能三人衆結成
538 :
韓玄:2006/07/25(火) 09:42:13
曹操が統一を見据えて配置した南部四郡の君主を無能だと?
お前バカじゃねーの?
書き込んでから「君主」ってのは無いなと思った
それもゲームの悪影響。
群雄を大名とか言ってみたり…
人物を武将と言ってみたり・・・
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/25(火) 17:59:57
>>542 時代がね。 五代十国時代なら、べつに武将でもいいんだ。あれは武人政権時代だから。
それでも儒者や士大夫を指して武将とは言わない…
こういった呼称に対するツッコミって、少し前までは逆に叩かれるくらいが
普通だったよね
ひと昔前は殆どが武将か軍師
残りは文官でひとまとめなんて酷い括りが当然の様な流れだったし
ゲームで無能と言えば、金旋だろ。
547 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/26(水) 07:57:07
韓玄も金旋も趙範も劉度も、俺から言わせれば名君だな
>>541 君主はラノベのせいじゃね?田中あたりの
>>548 心当たりがないなぁ。 コーエー三国志くらいだろ、韓玄とかを君主扱いしてるのって。
>>544 盧植も軍を率いていたが
曹操も一応名士だし
>>550 一体何が言いたいの?
盧植は武将だとでも…?
役職考えれば武将ではあるな
武官だろ。
言葉の定義にえらい拘る人2chでは多いよね。確かに狭義であればあるほどより正確ではあるが…
>>544の士大夫なんか別に武将と反する言葉じゃない気もするし(もちろん=と言ってるわけじゃない)。
反するというわけでなく、別に構わんとは思うよ。
日本人にしてみれば、武人=武将であるし、武人政権でやってきた歴史だから、政権の中枢にいるのを武将というのはピンとくるから。
日本では一番上が将軍であって、中国ではそれこそ武将の位置に将軍なり尚書なりがいるわけで、ひと括りに武将では正確ではない、というだけの話じゃないの?
普通に使ってしまうけどな、武将。あるいはある勢力内では部将。
この板でも同様なスレが立ったりしてるけど、ゲームに毒された人なんかは
「好きな武将は?」とかって会話になる
こういう時、官僚や文人はどうなるのかと
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/28(金) 09:12:20
オマイら歴史っておもしろいか?
社会人になってなんの役にも立たないぞ。
それより、数学だ。プログラマーになれば
年収3000万以上もあるぞ。
なんだ、そのプログラマーでも
価値観てのは必要じゃね?
歴史、てかこの場合三国・戦国かな?
これも自分の価値観の基としてはよくなくね?
>社会人になってなんの役にも立たないぞ
なるほどアホでもプログラマーにはなれるんだな
だから世間にはアホなプログラムが氾濫してるんですね
劉禅は曹操が覇道の元勲たるジュンイクを殺し、
孫権が陸遜を憤死させたような、猜疑心とは無縁なところは
(人間としては)評価できるかな。
劉備もそうなんだけど、部下に裏切られるということをあんまり考えてないね。
少なくとも、先手を取って殺ってしまえという段階まで思考がいかない。
そのせいか、部下からも何となく逆らう気になれない君主なのかもしれない。
>>557 精神病になりたくないので
プログラマには成りたくありません。
>>561 固定観念を捨てて「俺は優秀ではない」と自覚しろ。
とりあえず楽になれるぞ。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/29(土) 17:56:28
単純にやったことだけを見れば後漢霊帝や呉の最後の皇帝孫皓の方がずっと暗君だろう。
俺Wikiで調べてびっくりしたよ。
南朝の暗君どもに較べれば可愛いもんだ
566 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/29(土) 18:59:33
私の親の友達は子供にアトと名づけてましたので名君でなきゃ可哀想です
>>565 どう見ても北朝の捏造です。本当にありがとうございました。
プログラマーが儲かると言ってもドカタの肉体労働者と同じ扱いだべ。
前は30までが寿命だったが今はもっと下がってる。
理系の大学行ってみ。物凄い勢いでそれだけはやめろって言われるから。
>どう見ても○○です。本当にありがとうございました。
この言い回しの好きな奴っているな
要するにこれが言いたいだけなんだろうけど、流行るとすぐ影響されるのな
別に縦読みにもなってないと思うが何処が並んでいるのか
三国志や信長の野望を作るプログラマーには、そこの知識が必要な人もいるはずだ
信長の野望?
洺
洺州
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/05(土) 23:07:37
>>572 歴史の知識ってあまり役に立たない
むしろ簿記とか英語のほうが1000000倍実益あり。
>>576 簿記とか英語のほうが実益あると思うなら、そうすればいいだけじゃん?
で、他人の行為を無駄と論うことは、簿記や英語並みに実益があるんか?
わざわざageてることで哀れさが更に滲みでてるし
実益求めて歴史学ぶ奴なんざいるか
近代史なら学ぶ奴は多い
歴史を実益だの損得でしか計れない子ってのは、往々にして暗記モノとしてしか
認識できない手合いが多いから……
価値観の形成という意味では、実益あると思うぞ。>歴史を学ぶ。
だいたい周期的に似たような愚かなこと繰り返しているのが人間だから、自戒も含めて益がないとはいえないわな。
それでも実益がないとほざくのは、低脳無能で学習能力のないトリ頭で目先の利にしか考えが及ばない低迷国家の上層部たちだ。
そういうヤツラは過去に似たような事例があって、自分たちのしていることに当てはめられ非難されるのがイヤだから歴史をごまかしたりするw
どんなものでも知識は人生を豊かにするぞ
584 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/06(日) 23:04:00
会社に入ってからは
英語、簿記ができないと
役立たないんすよ。
>>584 いやだから、英語・簿記ができないと役に立たないことと、
君がここで歴史なんぞをやってる連中を見下すことと、何
か関連があるのか?と言ってるのだが。
君は会社に入って役に立つ知識が何なのか知ったわけだ
から、こんなところで住人を腐してないで、自分の知識に
磨きをかけたら?
オレには、歴史を語るスレで歴史を学ぶことの無益さを語
る君の行為のほうが、はるかに無益だと思うが。
>>582 >価値観の形成という意味では、実益あると思うぞ。>歴史を学ぶ。
ただなぁ…嫌中・嫌韓関係ネタは嫌がられるかもしれんが、扶桑社の
教科書問題で、「日本の戦争を美化し」うんぬんとステレオタイプな批
判をしている日本史教授とか見ると、実益があるとも思えないけどw
しかも、大学時代の指導教官だったりするとな…orz
中世史が専門の教授で、専門分野ではかなりマトモな論文とか書いて
るんだが、イデオロギーが加わると、人は冷静でいられなくなるんだな
と思う。
>>583 >どんなものでも知識は人生を豊かにするぞ
ものごとを有益・無益でしか判断できない人間に、人生の豊かさの意味
が分かるとも思えないがw
>>582 歴史から学べることは、人は歴史から何も学べないことだけだ。
延々と同じことを繰り返して来たのが歴史。
それでも、知りたくなる魅力はあるんだけどね。
>>586 嫌中・嫌韓と言いかたからして、
本人が思ってるより偏った人なんだろうが、
最近は史実の方を知っている人も多いので、
ネタとして日教組史観を笑いのネタにすることが多いぞ。
意外に広まっているものなのですよ。
>>587 何悟ったような事言ってるの
歴史ってのは簡単に言えば何がどうなったから結果こうなるという因果律のテキストな訳
史学はその科学的で論理的な解読
お前みたいな文学と史学の境界も判らない奴が史学の地位を下げてるんだよ
原因と因果を明らかにする事によって未来にある程度の予測を付ける為の学問が史学なんだよ
だから少しでも因果律を正しい形で考察する上で一つ一つの記録を洗い細部にまで拘る
さらに取捨選択して仮説を立て、反証を繰り返して仮説を提唱しまた反証を繰り返す
ただ、過去に何があったかだけを調べて満足するのは無意味
史学ってのは過去から未来を考察する為の学問
今はまだ過去を洗う段階で留まってるがね
>588
枝道を楽しむ余裕が足りないな
何事もロジカルに捉えてると将来の結婚生活上手くいかんぞ
素人が歴史を楽しむのは自由だし俺も楽しんでいる
>歴史から学べることは、人は歴史から何も学べないことだけだ。
ただこんな素っ頓狂な事言われると我慢できん
史学と歴史を楽しむ事を別けろバカタレ
歴史から学べる事は多いんだよ
・・・・・いや、だから英語と簿記がね
>>591 心配すんな。 長い人生だから英語も簿記も歴史もやろうと思えば、どれもそれなりにはできるよ。
全部を極める必要があるってんじゃないだろ?
歴史の勉強はなんなら老後の余暇にとっておいてもいいじゃないか。
>>592 ああ、いやスマンw 久々に来てみたら、なんか英語と簿記の話になってたのが
面白くて、ちょっと参加してみただけなんだ 申し訳ないorz
劉禅の存在すら忘れ去られたこのスレ。果たしてどうなろことやら・・・
つまり劉禅が英語と簿記できたら蜀は安泰だったという話か
成都に、NOVAと簿記の大原学園がなかったのは痛かったな。
>>590 人が愚かだと言う例をたくさん見れるな。
粋がって暴走するお前みたいのとかw
>>586 >大学時代の指導教官だったりするとな…orz
それがわかってるなら、反面教師というかっこうの素材となるじゃないか。
自分の内面を磨き上げれば、少なくとも自分の思考ややっていることを冷静に別の目でみれるように
そのうちなれるんじゃないか。
唐中期の楊国忠や後晋の馮玉とかみたいに、目先の利だけにしか考えが及ばず、過去国を傾けてきた愚臣と同じ道を辿っていることにすら気づかないイタイやつには、少なくともならないでしょ。
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/08(火) 23:17:47
歴史って趣味なんだ。
俺は簿記や英語のほうが役立つのは分るし、
史学を勉強しても就職先に苦労するだろうしね。
ま、いいんでない。
即戦力、低賃金、過度の責任、オーバーワーク、残業代カットが今のビジネス待遇だし、歴史くらい趣味ですれば。
>>599 いや、今どきは学歴や資格気にしない会社多いから、
高望みさえしなければさっくり就職できるよ
つーか学歴高くて資格持ってても使えない人間が量産されたせいなんだけどな
簿記って父の仕事を楽にするために出来たんだよね?
蜀なら演義版関平?
陛下、歴史と簿記ってこんな感じでせうか?
いいから劉禅の話を(ry
え、現代版アト様の話だったんじゃ…
何、歴史が仕事の役に立たない?
歴史教師目指して勉強中の俺に何言ってやがんだ
>>601 >今どきは学歴や資格気にしない会社多い
んなこた〜ない
一応、肩書きだけはあると有利。
だって、資格持ってない人物が有能かどうかなんて見抜ける人って少ないでしょ。
肩書き(資格)があれば、それを取得するための努力だけはしていると判断できるから。
そのあと全消去しててもカンケーないしねw
自分も国家試験いくつか受けたけど、覚えてるの少ないわ。
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 22:45:23
歴史ってのは女性に全く人気ないからな。
歴史のコア話は間違いなく引く。
609 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 23:49:01
俺は、女に延々と白村江の戦い熱弁したことないなあ
絶対数は少ないけど、歴史好きな女はマジですごいよ
感情移入しまくるから男よりもずっとどっぷりハマっちゃうことが多い
その代わり自説をなかなか曲げようとしないのが困りモノ
腐女子と同じベクトルだな
女に歴史を語るなよ。
つか、孤高の趣味にしておけ。
>>610 歴史ッツーか、歴史物語が好きなんだよな
さて劉禅だが、
戦争外交に関して言えば、無能というか、
三国志の英雄達とは世代の違う人なんだろうな。
蜀の地で育った劉禅には他の地域の記憶は無く、
「中国は一つ」という地図を見て育った世代じゃない。
現代の人が、モンゴルが分断国家だと思っていなかったり
昔の人が、カザフスタンはソ連の州の名前だと思っていたりするのと一緒だ。
そういうイメージの力は大きい。
劉禅にとって、魏なんてのは外国だったんじゃないのかね
とっくに中国分裂してワラワラやってた時期の生まれだもんな>劉禅
もちろん、漢王朝なんて知ったこっちゃない
劉備がどれだけマインドコントロールできたか次第だが、
思い入れがなくて当然かも知れん
劉備にしたってどこまで本気で漢の後継名乗ったもんやら
漢(おとこ)は常に本気
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/13(日) 00:33:28
俺【花の慶次】の話をしたら
女に振られたな。7年位前。
俺が嫌いだったのか花の慶次が
だめだったのかいまだに謎だ。
>>361 いや、大正はただのうつけと結論が出てるんだが・・・
ま、すでに故人だし、歴史上の人物だから批評しても不敬ではあるまい。
>>620 ・・・これ、初めて見た泣きそう(つД`)
>>620 あ〜、中国で降伏するということは、すなわち「俺のケツを舐めろ!」を意味するわけですが。
いくら飾っても劉禅は無能、劉甚](劉禅の子)はまともで結論は出ています。
623 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 14:37:01
>>620 あ〜、中国で降伏するということは、すなわち「俺のケツを舐めろ!」を意味するわけですが。
いくら飾っても劉禅は無能、劉甚](劉禅の子)はまともで結論は出ています。
3年前お前が幼児だったという事は判ったw
>>623 劉禅は皇帝として誉められる点もあるが、個人的能力にさしたるものはみられず有能とまでは言えない。
劉ェは評価不能。
こんなとこだろ。
大したことなどしたことないが、ろくでもないことしかしない皇帝も多いので、
凡庸〜人並みといったところか。
三国志しか触れない人にはろくでもない暗君にみえたりするんだろう
北朝の酒乱皇帝どもに比べれば…
南朝の糞ガキ皇帝どもに較べれば…
というか部下が有能なら部下に任せちゃうのが良いトップ。
民衆にとっては発案者が誰かなんて知ったことではないんだから・・・。
あとは暴君でさえなければ問題なし。
孔明が実質的には実務を取り仕切ったとしても、やっぱり先帝劉備の
血を引く劉禅が頂点にいるのが形としてはいいのだろうね。
孔明が帝位についちゃったら、孔明としてもかえってやり辛かったと思うし。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 09:25:16
宦官を信任するのが暗君だったらあの始皇帝は暴君かつ暗君と言う事になると思うのだが。
それと親の後を継げたかどうかは君主としての評価に関係は無い気がする。
まして親が名乗った「漢王朝の血をひく」という事すら定かではないのだから。
>>631 宦官だから悪いわけじゃない。モマエは司馬光かw
しかしながら、始皇帝は暴君かつ暗君で評価はあってると思うぞ。
始皇帝は武はあれど、守成に失敗して秦という年季のある国を滅ぼしてしまいましたから。
633 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 13:33:46
死んですぐに滅んだじゃん
1000年近く続いた国なのに
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 14:17:21
つまり武もなく守成も失敗し400年に渡る統一王朝を滅ぼした劉禅は暗君と
400年ってどこの王朝の話?
もう滅びかけていた漢をさらに30年長持ちさせたので名君
>>634 そんなこと言ってしまうと
すべての国が滅んでるんだが
って本当かどうかは知らんが、遺言通り進めば
穏当派が二世皇帝になって、国は続いたと思うけれど
どうかなぁ
>>638 最終的には滅んでるさ。
そうではなく、建武中興みたいに、虫の息あるいはとどめさされても復活させ、さらに2百年ばかり存立させた名君もある、と。
ああ、中興させても自ら破滅の坂に転がした唐玄宗のようなのもいるか。
どちらにしろ、能動的に動いていない劉禅は名君とは呼べない。
劉禅の皇帝としての美点。
任せた臣下たちの行動に掣肘を加えなかった。
ただ任せただけでなく、諸葛亮が陣没した時に慶賀を祝しに来た奴をしかりつけてる。
処断もしたような気もするが、少なくとも上に立つ者としての見識も見せている。
しかし蜀末期はそれが悪い方に出て姜維を抑えきれず、国力を衰退させていった。
もちろん姜維の方針がすべて悪いのか?ということではないとも思うが、
軍部の重鎮である姜維を浮かせたままにしてしまったのは失策といえるんじゃないかな?
良くも悪くも二代目って感じ。
三代目に継がせることが出来なかった分、やや暗君寄りと言われても仕方ないと言ったところか。
お前らの五択もいいけどな、、
孔明、関羽、張飛、超雲という「超人」が心酔した
という事実は絶対に曲げられない。
故に名君、あるいは人間的魅力が尋常ではない人物。
別にそいつら超人じゃないし
カギ括弧付けて強調しといて定義求められると、理解してくれときたもんだ
関羽は1000万パワーあるかな?
劉備は普通に悪魔将軍のコアの黄金マスク
趙雲はスニゲーターはガチ
黄忠はきっとラジカセの奴(柳田理論だと最強)
最強がステカセキングとミスターVTRなのは確実
>>644 哲学用語にもあるし、漫画にも多い。
理解しろというには難しい言葉だぞ。「超人」
「夏侯面怒り!」
645こだわりの、「カギ括弧」
>>650 645じゃないが「」付きの単語は特殊な意味合いで使ってますよってサインにもなるから、
どういう意味で使ってるの?と聞いたんだと思う。
他にも「」には色々な使い方があるけど、641の使い方なら俺でもそう受け取るかな…
有能な人間が心酔してるからそれなりの理由もある、ってとこか
>651
645だろw
↑654のくせして????
お前が654だろがぁ!ボケ!!
只今、
>>651が動揺しています。
現場からは以上です。
>>643 とても偉そうですが、まず貴方から「定義」をご教示下さい。
あの・・・りゅ、劉備の・・・は、話をね・・・・
ど、動揺が・・・劉禅ね
>>657 説明する必要があるのは
>>641 >>643の定義なんか聞いてどうするんだ
>>641が日本語としての「超人」を使ったのかニーチェなどによって定義付けられた「超人」なのか
はたまたキン肉マンやなんかのマンガに出てくるような超人なのか
それを欠いてただ「超人」なんて表現するから
>>643でツッコミが入ってるんだろ
ちったあ頭使って考えろ
>>643の定義なんか聞いてどうするんだ
・・・ってお前も馬鹿ですか?
無意味な定義を持ち出したバカはこいつですが。
>660
キンニクマンとニーチェを並列に語る
お前は何なんだ〜w お前真性だろ。
こわw
>>662 どこが並列に語ってるんだ?
どっちだ? と訊いているのに、それがわからないほど語学力がありませんか。
万引き犯の言い訳みたいだな
バカは自分がバカであると気付きません
やっと阿斗の話に戻ったか
669 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/21(月) 13:26:44
「確かにあいつはバカだけど、なんかこう・・・
裏 切 れ ん !」
劉禅>秀頼+淀
劉禅<秀頼
淀とセットでない秀頼ってあんのかよ
>667
その場で出た咄嗟の言い訳と判るから。
どっちだ、と訊いたという論理のすり替え。
読解力を語学力と間違えるお頭の弱さ。
>>671 河村恵理という少女マンガ家の秀頼主人公のマンガには淀君2コマぐらいしか出てこなかった
ちなみにこのマンガの秀頼は家康ですらガクブルするほどの秀吉真っ青の智謀の持ち主
頭よすぎて子どもの頃から人生諦めてさっさと家康に殺されちゃうけど
うーん…
俺は
>>660でそれ以降書き込んでないんだが
>>663みたいなのは迷惑だな
いくら味方が選べないとは言えあんまりだと思う
劉禅=徳川慶喜
>>674 いきなりニーチェやキンニクマンだしてくるオマイも相当迷惑だよ
日本の民主主義みたいな君主ですね
>>676 超人つったらニーチェだろ
それともツァラストラも読んだことないんか
孔明がいるからなぁ。
ゆでたまごととらえるのはきつい。
>>678 俺もそう思った。
五虎将だけっだら正義超人のイメージで言ったかもしれんね。
そもそも
>>644が「超人」と表記したから
他の人がどういう意味で使ったのか気になったわけで。
なんだ、その、強調するときは誤解をさせない工夫を!
そして我らには落ち着きを!
>>678 だったらなんでキン肉マンが出てくるよ?
そこからおかしくないか。
当たり前と思ってる方向で話進めたらいいんじゃないの。
もっとも、三国演義に語られる英雄たちは超人やらではなく、ほとんど神の領域の認識らしいけど。
正史でいけば、尉遅恭の神勇、王彦章の神人、も神の領域だろうか。
>>681 あくまでも「超人」をどのような意味で用いたのか聞いてるんだから
ニーチェの提唱した超人なのか、日本語の辞書に忠実な意味での超人なのか
はたまたキン肉マンのようなマンガ何かに出てくる、スラングとしての超人なのか
これでおかしくない
「超人」とは〜〜である、と答えればここまで抉れる事はなかった
アデプト
>>682 関羽や張飛、超雲(漢字する間違ってるが)とかの猛将のたぐいの話からだから、ツァラトゥストラではないと思えるけどな。
強い弱いとかいう意味で、キン肉マンか。
ニーチェってのは、それを言いたかったから、ムリに引き合いに出したのと違うの?
無駄に首を切ったり、残酷なことをしなかった。
ある意味平和主義者。女好きなところがいい
ニートのカリスマ
>>
中身の無い文章で↑を一行に多用するヤツは馬鹿。
689 :
680:2006/08/25(金) 08:39:58
お、俺のことかー!
取り合えずスマソ。
>>687 あれはアレで面倒な仕事じゃない?
ニートなら孔明の方がカリスマじゃないかと。
いや、でも過労死か。
仲達は強引に就職させられてるし…。
某毒舌狂士とかのがニートらしいか。
だれ?デイコウたん?(*´Д`)ハァハァ
>>690 そう。言いたい事言って死ぬ!
本人にはやりたいこともあったろうに。
だがそれがいい。
>>689 お前じゃない。
過去スレの揚げ足取りしてるようなヤツ。
史上最古のフェミニスト
舅があれじゃあフェミニスとにもなろうて
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:24:53
キン肉マンが肌を合わせた対戦相手で
敗北は2度 カメハメとミキサー大帝
また同じ相手と2度戦ったのはロビンマスクのみ。
またもっとも苦戦したのは悪魔将軍かと。
>>592の為にピザデブフラ張りたいが
製作者がヘタレだからすぐ消しやがったw
劉禅と何のカンケイがあんだよ!あぁ?
馴れ合いの関係にうんざりするはずさ
僕が触れた指先にそっと
柔らかい棘が刺さる
君が見せたささやかなサイン
見落としてしまっていたよ
今頃...痛い
デブ同士、闘ってろ。
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 23:10:02
コウコウがラケンを巴東に左遷したのは
明らかに失策。
2chはなぜピザなのか?
ピザは中途半端なカロリーと栄養を兼ね備えている。
この場合、フライドチキンの方がしっくりくるのだが。
↑どうでもいいが俺はスリムだよ、ハゲ。
と、デブが申しております。
OK,STOP IT STUPID
アメリカのドラマや映画とかだと、お決まりの様に頭の悪そうなデブガキが
ピザを貪ってるから、そこからきてるのかと思った
I see.
however, Do fat guy, are you?
デブネタは続くなw
ただな、
>>709様は「もうやめろバカ!」とおっしゃってる。
だから、終わり。
>>712様が
「わかった。でもお前デブだろ?」とおっしゃってるのが見えないのか?
いっそのこと、みんなでピザ食おうぜ
ピザなんてここ15年ぐらい食ってないな
日本はピッツァがやたら高い&安いピッツァはやたら不味いだからな。
正直こんな国でピッツァ食う気にはなれない。
雨雨触れ触れイタ公が、
チンポでお迎えゲロキモイ。
ピッツァピッツァ吐き出せランランラン。
イタリアのピザなら、あまり太らないと思う。
劉禅が部屋の片隅で泣いてる。
きっとピザが食いたいんだよ
劉禅がおっぱいを揺らせながらジョグしてる。
劉禅のことを、
管仲のボスだった戦国の覇者、斉の桓公に例えていたやつがいた。
誰だったか忘れたけど。
劉禅が全裸の美女100人の上をゴロゴロしてる。
美女100人並べればただ者でないと言うとこなんだが、2、3人だなー
劉禅はあくまで小市民
今の感覚で考えない方がいい。
>>727 その喩えは適切とは思わんが、そんな程度のことは
道徳心とか全く関係なく、出来たことは間違いない。
100人の美女も1ヶ月で飽きると思う。
1日ひとりと決めて3ヶ月持たせる。
そして3ヶ月も経てば最初の一人が新鮮に感じる→以下ループ
お前ら庶民の感覚で考えるなよ。
ネタにマジレス(ry
それが2cry
(つД`)(つД`)<2cry
劉禅は小太りだったらしい。
「ピザ喰ってろデブ」的な・・・。
孔明がいきなり与えられたカードが「劉禅」じゃ、
あまりに、気の毒。
想像を絶するシチュエーション。
野村克則が楽天の監督に就任したようなもんかw
>>739 逆、劉禅だったから孔明は十全に力を発揮できたんだよ
つーか孔明時代は劉禅はむしろ名君的エピソード残してるわけで
問題は劉禅に単独で国を支える器量がなかったこと
まぁ、逆は言いすぎだな。
でも実際、劉禅が曹操みたいな英傑だったら諸葛亮は臧覇みたいな扱いになってたかも
事跡見ると神がかって有能なのに知る人ぞ知る、みたいな
劉禅が英傑だったら、結構理想の名コンビになるような。 燕昭王と楽毅のように。
あの当時はもう諸葛亮以外の人材っつーと魏延ぐらいしかいないからな
臧覇みたいに影にうずもれることはないだろ
>743
冷静に非は認めたら?
>魏延ぐらいしかいないからな
何を言っている?
>何を言っている?
は??
>749
いい度胸だ、ばか。
チョウギョクの名も挙げられない時点で(ry
ばかとか、なんてカッコワルイ捨てゼリフ…。
なぜそこで阿斗と言わないのかが問題だよな
>捨てゼリフ…。
超カッコ悪い、オヤジ言葉。
どう扱いましょう?
阿斗なんてその場でポイだ。
なんでもない。
阿斗とか、なんてシビレル捨てゼリフ…。
一つだけ言えるのは、
>>752=
>>756=口臭オヤジ(40代)。
ごめん、でも事実だからしょうがない。
なんで必死になるとなんでも=で同じ人間に決め付けるんだろうか。
かえって滑稽ってもんよ?
視野狭窄
40代を毛嫌いしているところを見ると、消防か厨房というところか?
価値観や識見では及びもつかんから相手を論破できず、根拠のない罵声をかけるしか策がないのだろう。
しかもそれが徒労であることに気づかない… 憐憫。
>>763 おれは能楽なんて習ってないぞ。
バカにした意味合いで使ったのかもしれんが、そんな用途では使いません。
ちゃんと国語の授業は受けようね、ぼくちゃん。
消えろ、バカ!
もう何も言えなくなって「バカ」ですか
いや、最初から「バカ」しか言ってないし、こいつ。
すげぇ語彙が少ないから、勉強マジにしたほうがいいって。
漢字、読める?
いいかげんにしろおまいら
板違いだ
劉禅をばかにするスレはここでつか?
>>759=760=764=766=767
キモ過ぎ!消えろ、ゴミ。
762は入らなくていいのか?
>>770-773 ここまでキモい自演も凄いな
発端は
>>745の
>あの当時はもう諸葛亮以外の人材っつーと魏延ぐらいしかいないからな
これにつっこまれてだろ?
どうみても
>>745がアホじゃん
>>774 だからみんなでいじくりまわしてんだろ。
必死なのは
>>745だけ。ボキャブラリーも少ないし。
>>777 もうどうでもいいが、それもハズレだぞ。 ちなみに、772はオレw
はぁ?日本語でおk
はいはい
最後の話題は人材層の話だったかな
やっぱりイメージは次長課長の河本なんだよな。
劉禅に美男子のイメージを持ってる人っているのか?
ノシ
どっちかっつーと美少年
少なくともデブだろう。
若年時と晩年で経年変化したと思えばおk
ピザデブのイメージしかないよ
美形でバカのほうがキャラ立ってるのは確かだが・・・
美形でバカのキャラが立つかwアフォ!
立つよ
美形でバカ。
なにその腐女子が好きそうな設定。ふざけてるの?
一部の男にも大好評になりそうな悪寒・・・
今、劉禅は生まれ変わり・・・
中学校で深刻ないじめにあっている。
>>794 図らずもダブったか、済まぬな坊主。
いいか!たった1〜2年、何かに没頭すれば
「地獄」は「日常」になる。
バカどもは別世界の生き物と捉えて過ごせ。
日本語でおk
>>795 やめておけ。 ここにはお子様が張り付いていらっしゃるようだから。
>796
日本語理解できないチョンは消えな。
俺もイジメられてたけど、意地張って全然気にしてないフリして
毎日笑顔で過ごしてたら半年ぐらいでイジメられなくなったよ
イジメっ子とも普通に喋ってたし
イジメっ子を「バカ」とか見下しちゃうと逆効果だと思う
>>800 「心中で」ということだ、ボケ。
だからイジメられたんだよ、判れ。
しんだらまけ
しんだらあく
しんだらひょうかされない
みずからしぬのはわるいこと
最近の教師はこんな当たり前の事も教えないのか。
>>802 心は態度に出るよ、どんなに隠しても
特に子どもは敏感
と、目糞が鼻糞を嗤ってます
>805
俺が鼻糞なら、お前は劉禅の生まれ変わり、
ピザデブの下痢だ。
どうだ、本題に戻せなかった下痢野郎。
自分の殻に閉じこもってやりすごすか不自然なくらい社交的になって克服するか
イジメから抜け出すためにはどっちがいい?
って話なのか今の流れは
劉禅がピザって、何が元なんだろう…。
やっぱり横山三国志なの?
北方でもピザだったなそういえば
劉禅カワイソウ
美味しい物一杯食って、滅多に運動せず
と言ったイメージがあるんだが、実際の食生活はどうだったんだろうな
孔明死後、劉禅に拝謁した魏延の憤懣が
手に取るように判る。
同時に、劉禅に殺意が・・・。
孔明死亡直後の劉禅は英君だよ
むしろ魏延が生き残ってたらうまく担ぎ上げられて主戦派になってたかもな
>813
>812を理解してからもう一度。
あの頃の劉禅だったら魏延に長安奇襲策進言されればOK出しちゃうかもな
それとも諸葛亮が止めた策ってことでやっぱり採用しないだろうか
818 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 00:48:28
上げ
817 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/10/20(金) 18:45:04
>>620を真に受けてる奴って・・・
まぁ、
>>815はオウムや北朝鮮の洗脳に
ファビョるタイプだろうな
820 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 01:42:10
まぁ、
>>815はオウムや北朝鮮の洗脳に
ファビョるタイプだろうな
822 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/21(土) 23:10:59
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