【史上】織田信長を語るスレ【最大】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1無名武将@お腹せっぷく
この国の歴史を最も大きく動かした個人。

史上最大の男、織田信長を語りつくせ!
2無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 00:32:51
         |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
           |;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;_:;:l:;_;:_:;:_:;:_:;:_;:_;|
        |______|_____|
        | 三|  _     _   |三 !
        | 三| ,ィ三シ   ヾ三ヽ |三 |
        | 三′  .._     _,,.   i三 |
        ト、ニ| ,ィでiフ  ;'ヾでiヽ、|三.|
        ', iヽ! "´  /  !、  ``  |シ,イ
         i,ヽリ    ,' :  !.     |f ノ
         ヾ!    i ,、 ,..、ヽ   lノ
          |  r 、、 _ _ ,ィ ュ ,イ l
            l   ヾー‐-‐‐/  i /、
             ゙i、   ゝ、二フ′ ノ/'"\
              | \  ー一 / /   _,ン'゙\
          ,ィ|、  \     /_,、-'" _,.-''´ `丶、__
       _, イ  | ヽ_ 二=''" _,. -''´  """""´´  ``ー


3無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 00:40:08
やっぱこの人って天才だったのかね?
4無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 00:41:30
人心把握には欠けてたけどね。
5無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:13:36
家来に殺されたバカ
6無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:21:45
単なる大量虐殺狂だろ。殺せー、撫で斬りにせい!
たび重なる家臣の謀反にも「何の仔細ありや(何故だ)?」「何の不足ありや(ワカラソ)?」
7無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:22:57
史上最大の、うつけ
8無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:28:49
父・織田信秀の葬儀で焼香を鷲掴みにして撒き散らすなど
常に常識型破りの行動をとった男。
9無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:29:51


劣化版ヒットラー
10無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:31:34
信長『常識?それってうめぇんか?今朝クソと一緒に流したわ』
11無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:32:48
戦国時代を終わらせるきっかけを作った男
良くも悪くも日本史上異質な存在
12無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:34:36
稲生では千七百対七百で勝利
桶狭間では4万対2千で勝利
森部では6千対1600で勝利
天王寺では1万5千対3千で勝利
二度の包囲網を粉砕
戦争の天才
13無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:39:13
戦上手で、負けても盛り返す
実力があれば出自不明の浪人だろうが足軽の子だろうが部将、大名に
無能なら譜代家老でもポイ
すこぶる有能な上司だが部下は大変そうだな、の典型
14無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:42:00
Q 信長に心酔するタイプ

A 残虐な独裁者に痺れるマゾ

15無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:43:42
単なる偏執狂・・・
大量虐殺を好む
16無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:46:44
南蛮に興味を持ち、ある意味日本に活性化を促すことに
貢献した男。

>>11同様、良くも悪しくも、だが。
17無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:50:43
「信長公記」より、残酷シーンを抜粋

比叡山焼き討ち

 鎮護国家の大道場は、叫喚のるつぼと化した。織田勢は僧俗・児童・智者・上人の別を問わずことごとく首をはね、
信長公の御前に差し出した。また山上では名僧・貴僧の呼び声高い高僧たちとともに美女・小童のたぐいが数をも知れず捕らえられ、
御前に引き出されてきた。かれらは口々に「悪僧を誅伐なさるにおいては是非もなし。しかしわれらは助け候え」と哀願したが、
信長公は聞き入れず、彼らはすべて首を打ち落とされた。まことに目も当てられぬありさまであった。
 焼き討ちは完遂され、信長公は胸中のしこりをとりはらった。信長公の怒りに触れた比叡山の山麓には数千の屍が散らばり、
この世のものとも思えぬ情景が広がっていた。哀れなことであった。

※婦女子大量(数千人)虐殺・この世とも思えぬ風景
18無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:53:50
長島攻め
 観念した一揆勢は降伏赦免を求めてきたが、信長公は断固として許さなかった。
 信長公はかれら奸悪の徒を干し殺しにすることで、年来の乱妨狼藉の報いを受けさせようとしていた。
 そのような状態が続く中、8月2日夜大鳥居に籠城していた一揆勢が夜間風雨に紛れて脱出を図った。
 しかし織田勢はそれを見逃さず、追撃して男女一千ほどをなで斬りにした。
 長島の陣は、一揆勢の思いもよらぬ長陣となった。7月13日に貴賎数知れぬ男女が長島・屋長島・
 中江の三ヶ所に逃げ入ってからすでに三ヶ月が経過し、過半はその間に餓死していた。
 もはや抵抗する力も尽き果てた一揆勢は、9月29日ついに降伏開城した。
 降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
 しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。
 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
 心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
 かれらは大軍の中を死兵となって荒れ狂い、陣所を切り崩し、御一門衆をはじめ数多の将兵を討死に追い込んだ。
 彼らは大軍の中を切り抜けて無人の陣小屋に駈け入り、そこで支度を整え、川を越えて多芸山・北伊勢口へ散り、
 そこから大坂へ逃れた。この失態をみた信長公は、残る中江・屋長島の両砦に対しては周囲に柵を幾重にも廻らして
 砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
 年来の鬱憤を晴らした信長公は、29日岐阜へ帰陣した。

※1000人をなで斬り・降伏した20000余人も砦に押し込めて、
 人間バーベキュー。信長は大量虐殺の成果に溜飲をさげる
19無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 01:56:39
越前一揆掃討戦
 国中の一揆勢は壊乱し、右往左往しながら取るものも取りあえず山中へ逃げ入っていった。
 しかし信長公は殲滅の手をゆるめず、「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」
 と厳命したのであった。
 織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた男女の数は、
 記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。そして信長公は御小姓衆に命じ、
 これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、
 生捕・誅殺された人々の数は合わせて三、四万にも上ると思われた。

※12250人を捕縛のうえ、合わせて3〜4万を殺す。
 山に逃げた人々も容赦なく探索し、残らず処刑。
20無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:07:39
殺人鬼だな。。。
21無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:08:46
信長はマキャヴェリズムを体現した君主だ
>>20のような者は君主を語る資格は無い
22無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:10:58
城スレで、織田・豊臣系の大名の城は、外様の島津・伊達・毛利・上杉あたりとは規模が違いすぎるって話が出てた。
なんか、これらの巨城群を見てると、大規模土木工事を含めた技術的・社会的システムが他の大名とは根本的に違ってた気がするんだけど。
23無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:11:07
当事の僧兵も負けず劣らずひどいけどな。
24無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:12:02
荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。

25無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:13:23
宗教勢力を政治・経済から強制的にパージさせた功績はあまりに巨大だがな。
もし信長がいなかったら、政治や経済に坊主が一々口を挟むイスラムみたいなしょーもねー社会になっていた恐れも・・・。
26無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:14:39
>外様の島津・伊達・毛利・上杉
だってこいつら有名だけど
生産力の低い辺境の田舎大名だモン
27無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:15:37
>織田・豊臣系の大名の城は、外様の島津・伊達・毛利・上杉あたりとは
>規模が違いすぎるって話が出てた。

豊臣・徳川(近世平城)の間違いだろ?
「外様」(江戸時代の家格)なら。
織田の安土城は、逝ったらわかるが飾りみたいな山城で、こけおどしなんだが。

28無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:16:24
>>26
それなら熊本城は? って話になるよ。清正が変だっただけかもしれないが。
29無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:18:04
>宗教勢力を政治・経済から強制的にパージさせた功績はあまりに巨大だがな。

↑こういうのに限って、実家の仏壇には親鸞と蓮如の絵が(w
30無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:23:05
 >>外様の島津・伊達・毛利・上杉
 >だってこいつら有名だけど
 >生産力の低い辺境の田舎大名だモン

江戸時代の話をしているのか?
>外様・・・???

信長とどんな関係があるのかと、小一時間・・・
31無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:24:18
>>30
尾張・美濃出身の、早い段階からの織田系の大名とそれ以外って意味でね?
32無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:26:13
たしかに日本史上最大の大量虐殺魔であるのは、太田牛一が証言しているな。
33無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:28:50
「尊敬する人物は信長です」っていう人をみると軽くひいてしまいます
34無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:30:07
>早い段階からの織田系の大名

みんな(柴田勝家・滝川数正・佐々・森・佐久間・・・)
江戸時代には滅亡してるし、たいした築城はしてないのだが?

豊臣系の大名なら生き延びてるけどね。
35無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:32:45
>「尊敬する人物は信長です」っていう人

時代が遠いから、「尊敬する人物はアドルフ・ヒトラーです」っていう人
よりは社会的指弾を浴びないだけで、大量虐殺魔としての本質は同じ。
36無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:34:25
>>17-19>>24あたりを読むと、確かに引くなorz
37無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:34:44
>>34
熊本城の清正は豊臣系。姫路城の輝政はさて、織田系か豊臣系か。
このクラスの城を作った、非尾張出身大名っておらんと思わん?
38無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:39:48
>>37

>このクラスの城を作った、非尾張出身大名っておらんと思わん?

合戦・篭城に耐えられん(安土城・豊臣大坂城・伏見城=すべて落城)で、何の意味が?
謙信も信玄も落とせなかった(秀吉も)小田原城あたりが最強じゃね?
忍城は小田原開城後も落ちなかったけど。
39無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:42:16
>>38
いや、別に実戦能力の話じゃなくて
大規模土木建築を含めた社会システムの高度さ経済力が、
織田信長(およびその後継勢力)とそれ以外では段違いじゃねーんかと思うんだが。
その例として、近世大城郭を上げてるわけで・・・。
40無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:44:20
織田の岐阜城も簡単に落ちたしな・・・

徳川が落とせなかった上田城(真田)はどうかね?
41無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:45:25
近代戦に対応した熊本城を忘れて貰っては困るな。
42無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:50:13
>大規模土木建築を含めた社会システムの高度さ経済力が、
>織田信長(およびその後継勢力)とそれ以外では段違いじゃねーんかと思うんだが。

問題にならんね、上杉謙信も北陸に海洋商業国家を作ったし、北条氏康も
税金の格段に安い領国経営に成功して、商業も活性化した結果、関東をほぼ制覇してたよ。
あんまり、ビジネス系歴史作家の俗説に呑み込まれないようにしてもらいたいと思う。
楽市システムは他の大名もやってるし、史料でみるかぎり信長の楽座はウソだ。

>上田城(真田)はどうかね?

戦術だけでいえば、真田最強説は可能じゃないかね。
43無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:51:31
>41

西南戦争の熊本城(明治陸軍の鎮守府)と清正時代を
いっしょにされても・・・・
44無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 02:54:08
ここ、本格的な織田信長厨が来るのかと思ってたけど、
存外にレベルが低い・・・・・。
45無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 03:01:59
安土城に行く機会があったら、観音寺城(近江佐々木氏居城)をみてくるといいよ。
あまりの城郭の規模の違いに、信長という人物の器量の小ささがよくわかる。
46無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 03:10:28
実戦的に堅固な大規模山城で、難攻不落(落城しなかった)という意味では、
越後春日山城(上杉謙信)・中世小田原城(北条氏康)・能登七尾城(畠山)
近世平山城では仙台青葉城(伊達政宗)・熊本城(加藤清正)・姫路城(池田輝政)
47無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 07:26:30
確かに石垣、水掘り、天守を用いた近代城郭は織田(尾張)系列の特徴だな
48SandMan:2006/04/29(土) 07:46:13
>>1
確かに史上最強の天下人と思えるがどこか脳が抜けてるな・・・
あいつは暴君だな
49無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 09:49:41
あまりにも京都にこだわり、京都にヌッ殺された公家コンプレックスじゃね?
50無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 09:54:39
>>45
まあ、安土は中継地点だからな
居城は石山に置く予定だったから
51無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 11:00:44
「信長が執拗なまでに寺社勢力を弾圧?したから、今の日本には宗教から来る争いが無い」
って何かの本に書いてあったんだが、そういう見方もあり?
52無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 11:16:18
信長=董卓
53無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 11:38:18
秀吉や家康の方がトータル的に見たら大物じゃね。
54無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 12:58:33
一向衆が各地で国持ちになって本願寺が政教一致の国家を作ってたかもね
その気になれば女子供まで扇動して殺し合いに向わせる連中だから兵力は馬鹿みたいに多いし
キリスト教国家の侵略対仏教国家なんて構図になってたかも
55GW厨:2006/04/29(土) 13:11:01
ゲーム脳が行きすぎてないか?
本願寺は大名じゃないから勢力拡大が領土拡大と同義にならないよ
56無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 13:12:35
百年停滞していた時代を動かした男だな
延々と地方割拠の戦国時代を終わらせる流れを作り出した
敵対勢力には容赦ないが、敵対しなければ寺社も保護するし自分も寺立てたり神社に進んで寄進したりしてるから一概に権威を否定したわけでもない
武家一極支配政権の樹立が目標であって宗教撲滅を考えていたとは思えないな
57無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 13:17:06
加賀みたいな一揆持ちの国や、一定の支配地を一向衆が確保したところは本願寺から坊官が派遣され、本願寺の統制下に置かれている
しかも年貢が名目をつけて上納されてるから、ほとんど大名と同じだよ
有名大名も一向衆には悩まされて禁令出すか激烈な鎮圧戦やるか迎合するか、だもん
58無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 13:27:45
公に妻帯を認めてるから、坊主の癖に婚姻政策もやるし(三条家と姻戚関係になったことが後の信玄との縁に繋がる)
僧侶としてのステータスも朝廷工作で准門跡とされるし
元々寺社にあった座統制の権利や不入の権利も持ってるし
手がつけられん
59無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 13:40:52
信長は嫌いだが、日本史上信長が先鞭をつけた世俗武家一極支配の構図が戦乱を終わらせ江戸時代をはじめる流れを作ったことを否定するのは不可能
天下統一の流れができてなかったら日本はスペイン辺りの植民地になってたかもね
60無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 16:00:01
wikiより
延暦寺は義昭側について浅井・朝倉連合軍をかくまうなど、反信長の行動を起こした。
〜略〜延暦寺の武力が天下布武の障害になるとみた信長は、延暦寺に武装解除するよう通達し、
これを拒否されたのを受けて9月12日、延暦寺を取り囲み焼き討ちした。

一揆関係は破防法じゃないけど宗教邪魔くせーってイメージなんだがw
61無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 16:03:30
信長の構想は、石山から淀川を通って琵琶湖に出、若狭湾に抜ける列島横断ルートを確保したかったんだっけ?
安土はその構想の一部。もし信長が天下とってたら、ひょっとしたら平家が目論んで挫折した
琵琶湖から若狭湾への運河に挑戦してたかもなぁ。
62無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 17:39:11
信長は商工業主体の経済思考だから流通ルートの確立を何より重視していたからな
農業主体の江戸幕府は安定性は高かったが
発展性を欠いていたのは否めない
63無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 19:04:46
>信長は商工業主体の経済思考

信長が工場でも作ったのか?

>農業主体の江戸幕府

農産物も商品(流通=商業)なのだが?

何よりも、貨幣を鋳造したのは謙信(越座小判)と信玄(甲斐碁石金)が最初で、
秀吉の天正大判小判で本格化した。商品流通経済というなら、独自の貨幣鋳造が不可欠。
64無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 19:16:57
>信長は商工業主体の経済思考だから流通ルートの確立を何より重視していた

何の史料的根拠もないな。商業+手工業生産物(商品)の流通なら、戦国大名の
大半が重視していたし、信長はむしろ遅れていた部類(上杉や今川の港湾商業地支配・
北条の太平洋沿岸貿易奨励・島津の明貿易・大友のスペインとの独自外交など)だぞ。
65無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 19:51:25
>>38
合戦・篭城に耐えれん城って、
安土城は信雄の放火、豊臣大坂城・伏見城はあの状況で落ちない城は無い、
大体小田原城も落城してるのに、何で最強なんだか…。

>>42
>史料でみるかぎり信長の楽座はウソだ。
楽市令も知らんのか。
66無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:06:21
織田信長の歴史的意義は秀吉の天下統一の土台を作った事。
それ以外はなし。
67無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:06:48
>>65
楽座の文言が「楽市令」あるからといって、信長が油座や馬座を
保護した史実は覆せんな(藁
楽座は名目だけだったのだ

>大体小田原城も落城してるのに、何で最強なんだか…。

小田原降伏・開城が「落城」なのか??藁
忍城も落城しなかったしな。
68無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:14:26
信長の業績=畿内アウトバーン造成・大筒大船
アドルフ・ヒトラーの業績=ヨーロッパアウトバーン造成・原子爆弾とロケットの基礎実験

両者の共通する犯罪=無差別大量虐殺・自殺
69無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:23:18
>>67
安土城下では楽座は保障されていた、座が保護されたのは京の油座や馬座。

降伏・開城が落城でないと?だったら攻撃される前に降伏すれば
全て最強候補かよ、馬鹿馬鹿しい詭弁だな。
結局どう転んでも落とされるからの降伏だろ、落城しないんだったら
ずっと篭ってろって話だ。

>>68
戦国時代の武将の大量虐殺を責めても意味無いと思うが。
70無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:30:33
>>64
(限定的ではあったが)関所の撤廃、楽市楽座、町民の税負担の軽減。
琵琶湖を利用できる場所に建築した安土城、
信長が経済思考を有しており、商工業を重視していたのは事実。
それに関する信長公記の記述や書状も存在しており、
史料的根拠が無いとするのは無理だね。

ただ他より進んでいたと言えばそれは嘘であるが、
信長ほど広範囲で行った人物は居ないとは言える。
71無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:44:25
>戦国時代の武将の大量虐殺を責めても意味無いと思うが。

降伏した人々を数万単位で虐殺した例>>17-19>>24は、管見のかぎり信長しか見当たらんな。

>降伏・開城が落城でないと?だったら攻撃される前に降伏すれば
>全て最強候補かよ、馬鹿馬鹿しい詭弁だな。

正確には内応による開城だ。落城(力攻めで落とした)ではない。
誰も小田原城を落とせなかったのは覆せない史実。

>安土城下では楽座は保障されていた

ビジネス系作家の解説本にでも、そう書いてあったのか?
史料があったら、よろしこ!

「伊藤惣十郎(美濃・尾張)へ唐物方、呉服方申付候言」(信長書状)
史料に残るだけでも建部の油座、越前の軽物座、堺の馬座、すべて信長による座の掌握だ。
72無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:46:25
>信長が経済思考を有しており、商工業を重視していたのは事実。

>商業+手工業生産物(商品)の流通なら、戦国大名の
>大半が重視していたし、信長はむしろ遅れていた部類(上杉や今川の港湾商業地支配・
>北条の太平洋沿岸貿易奨励・島津の明貿易・大友のスペインとの独自外交など)だぞ。

だそうだが?

73無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:53:33
>ただ他より進んでいたと言えばそれは嘘であるが、
>信長ほど広範囲で行った人物は居ないとは言える。

経済(商業)重視の割には、独自通貨も作れなかったんだな。
↓に比べると、経済政策では決定的な遅れだと思うがね。

>貨幣を鋳造したのは謙信(越座小判)と信玄(甲斐碁石金)が最初で、
>秀吉の天正大判小判で本格化した。商品流通経済というなら、独自の貨幣鋳造が不可欠。
74無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:58:35
>>71
だから?って話だけど、戦国武将が降伏した相手を虐殺した話なんてざらだし、
降伏自体認めないのもざら、あの時代に数の大小に拘ってもしゃーないだろ。

>正確には内応による開城だ。落城(力攻めで落とした)ではない。
>誰も小田原城を落とせなかったのは覆せない史実。
大阪城も講和を利用した謀略により外堀を埋められた結果、
だいたい落城=力攻めかよ、その論だったら誰も大阪城を落としてない事になるが?
内応を考えない城攻めなんて詭弁も良いとこ。

>史料があったら、よろしこ!
安土城下に出された楽市楽座令、
否定したんだったら安土で座が保護された史料を出して。

>>72
否定した事をオウム返しされてもねぇ…。
75無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 20:58:48
信長信者の歴史家がヨタ解説文を書く→一次史料も読んだことのない作家が
鵜呑みにして小説を書く→間違った解説書が再生産される→信長万能伝説が成立する
→ループ

歴史の中の真実の信長にとっても、不幸なことだな。
76無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:04:44
>安土城下に出された楽市楽座令、
>否定したんだったら安土で座が保護された史料を出して。

本所(京都)が座を失ってない以上、楽座の実行は不可能だろ?
安土で部分的な楽座を命じたところで、本所に結びついた商人たちが
流通特権を手放すはずがない。したがって、言葉だけの楽座となる。
それとも、座の機能そのものを知らんのか?
77無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:07:43
>>74

>戦国武将が降伏した相手を虐殺した話なんてざらだし、

「公記」の数万人単位の大量虐殺は読んだよね?
ほかの戦国大名で、信長の大量殺戮に匹敵する例があったら
挙げてもらいたい。しょせん無理だが(w
78無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:08:31
>>73
信玄・秀吉の製造した小判は実際に紙幣としてものではなく、
単なる恩賞、また謙信の貨幣もあくまで領国限定のもの、
日本全国に独自の貨幣が根付くのは江戸時代から。
信長は選銭令を出しており、既に根付いている銭の価値を高めて対応していた、
銭を作ってないから経済重視でないと否定するのは極論。
79無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:13:52
>信長は選銭令を出しており、既に根付いている銭の価値を高めて対応していた

選銭令自体は平安時代・鎌倉時代を通じて何度も出されてるな。
恩賞・贈答用の金貨鋳造であっても、戦国大名が経済的求心力を
発揮しようとすれば、自然金本位制(信長がこだわった?永楽通宝など
が、貨幣価値を喪失しつつあった時期)の成立過程では、きわめて重要な
経済政策だ。→江戸時代に入って、金座・銀座が急速に普及した理由。
80無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:15:50
>>76
本所の座はあくまで京という市場での保護であり、
手放すはずとあんたが言った所で安土においては楽座が宣言されてる以上、
それに従わざるを得ない。
だから否定したいんなら史料をよろしく。

>>77
だから数の大小の問題に拘ってもしゃーないと言ってるんだけど。
81無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:17:08
>信玄・秀吉の製造した小判は実際に紙幣としてものではなく、

二人とも「紙幣」(信用発行)までは作っておらんぞ。
本朝での紙幣は幕末の藩札、全国的には明治以後。
82無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:17:54
てか、グチャグチャケチつけてる奴、誰も信長が他の大名を経済的に圧倒してた要因を説明しないのな。
まー、堺や京都を押さえたから〜とでも言いたいんだろうが、
堺・京都を押さえたからと言って誰でも天下とれたわけでもないし
そもそも先立つものがなければ東国の織田家がこれらの地域を制圧できるわけもないんだがな。
83無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:21:32
>安土においては楽座が宣言されてる

宣言はされても、実行された証明はない。
本所は商品に関わる全国的な保証だから、たとえば地方的に
ある商品を座の枠内から調達しても、京都や堺などでは座に
入れてもらえないだろうな。その意味で、誰でも売れる買える
を保証した「安土の楽座」は楽市以上のものではない。
84無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:23:42
>他の大名を経済的に圧倒してた要因

信長の財源って、堺への2万貫(銅銭2000万枚)とか寺社への矢銭じゃねぇの?
85無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:25:41
>>79
大事なのは信長が選銭令で行うとした、貨幣価値の向上であり、
つまりは信長の貨幣に対する捉え方。
別に選銭令の先駆者だとか言ってないから。

恩賞・贈答用の金貨鋳造なんて一般に広く流通するものではなく、
唯の金の塊と同義で、経済的求心力を発揮する金本位制では無い、
だから秀吉の造った天正大判小判は定着しなかった。
故に体制が整い、金山発掘技術の向上した江戸時代になってからしか
貨幣は定着しなかった。
86無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:25:59
昔から旧勢力がウザいので遷都するってのはよくあること。
信長が本拠を京都ではなく安土に置き、堺でなく石山を志向したのはこれら旧勢力の排除を目論んだからでないのけ?
つまり対宗教勢力対策とは違って武力で強引に・・・ではなく(大商人は坊主と違って利用価値があるからね)
新しい町を新たに作りそこにオレルールを敷く事で経済システムの改革を図ろうとした、とか。
それに、信長は淀川・琵琶湖水系の水運を軸とした経済システムの構想を持っていたっぽいし。
江戸時代に入って幕府は関東に出来たけど、経済の中心はあくまで上方だしね。
87無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:27:27
>宣言はされても、実行された証明はない。

GWだなぁ
88無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:28:35
>>81
スマン、貨幣と書き間違えた。

>>83
>宣言はされても、実行された証明はない。
だから実行されて無いとするなら、安土において座を保証した史料を出せっての。
楽市楽座を宣言した以上、保護する以上は書状が残ってる筈だから。
89無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:29:48
>「公記」の数万人単位の大量虐殺は読んだよね?
>ほかの戦国大名で、信長の大量殺戮に匹敵する例があったら
>挙げてもらいたい。しょせん無理だが(w

に対して↓

>だから数の大小の問題に拘ってもしゃーないと言ってるんだけど。

しょせん無理だったか・・・

問題は降伏した数万単位の大量虐殺だろ?
合戦での殺しとか、単なる見せしめの規模を超えてるとは
考えないのか? いや、考えたくないだけなんだろうな。
目の前で人が死んだのを見たことなければ、殺したこともなさそうだし。
90無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:32:21
なんか、通説に逆らう事がカッコイイと勘違いしてる痛い奴がいるなぁw
91無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:33:33
>>89
>目の前で人が死んだのを見たことなければ、殺したこともなさそうだし
死んだのはともかく、お前はあるのかよ…。
92無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:38:00
>>83
楽市=楽座だから、
座ってのは独占権を指すから、
楽市である以上、座が存在出来っこない。
93無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:39:50
↓恥ずかしいほど意味不明だぞw

>恩賞・贈答用の金貨鋳造なんて一般に広く流通するものではなく、
>唯の金の塊と同義で、経済的求心力を発揮する金本位制では無い、
>だから秀吉の造った天正大判小判は定着しなかった。
>故に体制が整い、金山発掘技術の向上した江戸時代になってからしか
>貨幣は定着しなかった。

謙信が大量の「かい金」(銭で買った金)を残していた通り、自然発生的な金本位制
は定着していたとみるべきだろうね。
また、御館の乱を仲裁後に武田勝頼が黄金50枚(および東上野領割譲)で
景勝と同盟を結んだように、交換価値(貨幣の実質)は銅銭ではなく、
黄金で成り立っていた、ゆるがせない史実。上記引用の雑文は、貨幣(交換価値)
そのものの本質を誤解している。

金山発掘技術も、家康の大久保長安(武田家臣)登用にみられるように、
戦国末期に高水準に到達していたと考えるべき。

94無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:44:33
安土だけ楽座でも無意味だな。
たとえば、安土で木綿を大量に仕入れたとする、
その木綿を堺で売りさばこうとしたところ、木綿座の商人頭
からクレームがついて、商売を停止される。没収!まる損じゃん?
95無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:48:25
>>94
尾張、美濃、近江等、信長支配下の諸国では大概楽市だったみたいだがな。
96無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:52:01
駿河、美濃、近江、越後・能登など、信長以前(以外)の大名が支配下の諸国でも
大概楽市だったみたいだがな。

>>94は単独市での楽座が無意味だと
言ってるんジャマイカ?
97無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:54:02
>>96
物資の集積点である都市と、それを繋ぐ物流路を抑えた点が信長の信長たるゆえんだろ。
98無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 21:55:59
>恩賞・贈答用の金貨鋳造なんて一般に広く流通するものではなく、
>唯の金の塊と同義で、経済的求心力を発揮する金本位制では無い、

信長もそうとうに黄金を重視してるんだが?
家康との盟約を強めるために、「1人では持ちきれない(黄金の)量であった」(公記)
を贈ってるし。
99無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:03:45
信長の構想では本拠は秀吉と同じく大坂で(というか秀吉が信長構想を受け継いだ)
安土は過渡的な拠点に過ぎない。
日本の中心としては地理的にいまいち弱いし。
あと5年も信長が長生きしてたら大坂に移ってたろ
100無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:08:56
>>99

歴史に「もしも」は、ない。
ましてや、再三の家臣の謀反に「何の不足ありや?」「何の子細ありや?」「是非もなし」
などと、理解不能状態に陥る信長は、5年生きようが10年生きようが
かならず家臣に殺されていた。史実は「もしも」を許さない。

それより、貨幣(交換価値による金本位制自然発生)の意味を理解できんバカは
退散か? プゲラ
101無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:11:08
>>93
謙信は貸付金・運上金・贈答金を含めたもので、
黄金を買うって事は銭の価値を認めても、金本位制の貨幣制度とは言えず、
勝頼の例に至っては大名間での金のやり取りに過ぎず、
経済的求心力を発揮する貨幣政策とは別な訳ですよ。
そもそも金本位制度とは貨幣と金のある基準による交換制度によって成り立つものであり、
自然発生的な金本位制度とは貨幣=金(他にも銀とか)に他ならない、
これを達成するのは大量の金山の確保と貨幣を全国的に鋳造できる江戸時代な訳。
あと銅銭は畿内では価値を持っている(信長への屋銭とかね)

信長は戦国末期の人物では無い上に、
>大量の金山の確保と貨幣を全国的に鋳造できる
徳川幕府とは土台が全然違う。

>>98
重視してるし、してないの問題ではなく、
そういうのは金本位制とか、貨幣制度とは別の、
あくまで黄金をプレゼントしてるに過ぎないわけ。
102無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:12:14
↓これにも反論できそうにないな(プゲラ

>安土だけ楽座でも無意味だな。
>たとえば、安土で木綿を大量に仕入れたとする、
>その木綿を堺で売りさばこうとしたところ、木綿座の商人頭
>からクレームがついて、商売を停止される。没収!まる損じゃん?
103無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:12:45
>>100
てか、君自身は信長が他の大名を経済的に圧倒できた要因は何処にあるとおもっちょるのかね?
なんか聞いてると、上杉あたりが天下とりそうなんだがね
104無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:14:13
>>94
他所で仕入れて安土で売ればOK
105無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:17:22
織田軍の強さの要因である、大規模な常備軍と鉄砲その他の装備・物量。
それを支えた経済的背景。それが理解できなきゃ話にならんと思うぞ。
106無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:21:10
>>101 君って、自分でも意味がわからないまま書いてるな(爆笑

>謙信は貸付金・運上金・贈答金を含めたもので、

金貨を中心にした、金融制度・徴税・恩賞(知行の貨幣化)
が行なわれていたということか?

>黄金を買うって事は銭の価値を認めても、金本位制の貨幣制度とは言えず、
>勝頼の例に至っては大名間での金のやり取りに過ぎず、
>経済的求心力を発揮する貨幣政策とは別な訳ですよ。

黄金と銭の交換関係(売買)が成立し、なおかつ黄金が銅銭よりも重視された
証明ではないのか? 平安以後、日本で銅銭が鋳造された史実はないし、
流動的で統制できない(鋳造できないから)銅銭よりも、自然発生的に黄金が
交換価値(貨幣)として優位を占めたわけだろ? この史実は。

>そもそも金本位制度とは貨幣と金のある基準による交換制度によって成り立つものであり、

そのとおりだ。だから↓のとおり、君の結論も間違っていない。

>自然発生的な金本位制度とは貨幣=金(他にも銀とか)に他ならない、
107無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:26:45
>織田軍の強さの要因である、大規模な常備軍
通説の兵農分離をしめす史料はない。むしろ、傭兵だろ?

>と鉄砲その他の装備・物量。
長篠3000挺説なら、写本の捏造だな。翌年の天王寺では
本願寺の数千挺に苦戦してる。信長も負傷。

>それを支えた経済的背景。

矢銭説を採るがね。
108無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:29:05
>>107
鉄砲3,000はともかく、火気の数量で他の大名を織田家が圧倒していたのは確実。
大規模な常備軍がいたのも定説だろ。てか、傭兵って何? 初めて聞いたぞそんな話!w
109無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:35:24
>>104
安土で仕入れて安土で売ればOKだろうな、たぶん。
110無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:37:01
>>107
あんた、信長が何故勝てたのかホント自説全く語らんな。
人の揚げ足取りばっかり。ツマラン。
111無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:44:05
中二病なんです
そっとしておいてください
112無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:47:21
>矢銭説
矢銭こそどこの大名でも取ってますがな。
113無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:47:41
信長のやった虐殺は、確かに戦のルールに反したものかもしれないが、
日本の歴史にとってプラスに作用したことは間違いない。宗教が政治に
口を出すことがなくなった。(最近は違うけど)
ちなみに、虐殺された宗教勢力の側だって自分達でも虐殺やってんだが。
114無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:54:36
矢銭と簡単に言うが、取る相手にそれだけの資金力がなければとる物もとれん。
まして10万人近い兵力、大規模な常備軍・馬廻衆、他を圧倒する銃火器・装備。
これらを整える莫大な資金を、貧乏人から税金取るだけでまかなえる筈がない。
そこで重要な商業都市を押さえると共に、商工業の活性化策が重要になってくる。
信長は堺を押さえ若狭を攻略し石山を狙い琵琶湖畔の安土に拠点を設けた。
その物流重視・重商主義的な指向性は明らかで、その事が織田軍団の圧倒的な軍事力を支えていた。
そう解釈するのが最もベターだと思うがな。金本位制がどうのなど、この時代においては些事に過ぎない(まだそこまでの段階ではない)。
115無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 22:58:54
>あんた、信長が何故勝てたのかホント自説全く語らんな。
>人の揚げ足取りばっかり。ツマラン。 >>110

スマンねぇ、中二病なもんで。
要望に応えられず悪いが、通説というか信長を褒め殺しするビジネス系作家の
方言が嫌いなだけ。安直に、それに踊らされる輩も。
信長が困難な畿内を制圧できた最大の長所は、愚直なまでの徹底性だと思うよ。
大量虐殺も含めて。ただし、その限界も明らかで宗教の統制なら別のやり方が
あったと思う。家臣統制もね。

とにかく、天下取り史観みたいなのは戦国時代の実像とかけ離れてる現代の思想
だと思うし、現代の思想を離れて信長の実像にせまってみたいだけだ、スマソ。
116無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:06:21
安直たって、なら信長の勝因を聞かれたら
安直に矢銭ですって答えられても説得力が無いワナwww
信長が美濃攻略から天下布武なんて誇大妄想を抱いたのも事実だし
他に京都を支配した勢力なんていくらでも居たのに
天下統一に駒を進めたのは信長だけだワナ。
117無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:08:26
>重要な商業都市を押さえると共に、商工業の活性化策が重要になってくる。
>信長は堺を押さえ若狭を攻略し石山を狙い琵琶湖畔の安土に拠点を設けた。
>その物流重視・重商主義的な指向性は明らかで、その事が織田軍団の圧倒的な軍事力を支えていた。

だから、その重商主義(本来は絶対王政下の一国単位の経済政策だが)
も信長にかぎらず、富国強兵政策を採っていた戦国大名なら誰でも志向
していたわけで、信長だけの発想というのが歴史観を歪める。
最も保守的だったとされる謙信ですら商業都市を直轄地にして、津税やアオソ座の冥加金
を金融や商業圏の拡大(能登の商業港直轄化)に転用していたわけっしょ?
信玄の北上(川中島)南下政策(今川攻め)だって、商業港の確保が狙いなわけで。
118無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:12:06
>天下統一に駒を進めたのは信長だけだワナ。

畿内外延制圧ね、せいぜい。
天下を「天子様の下」と訳すなら、京都政界(朝廷)を武力で支えるという意味だ。
天下布武=全国制覇という妄想、乙。家臣団統制も出来ない信長には、しょせん不可能。
119無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:15:00
>>118
ホント揚げ足取りばっかだな。
信長死後、激しい内乱と家臣団の分裂がありながら
彼の後継勢力がたいした抵抗も受けず天下を取ってるわけだが。
120無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:19:35
>彼の後継勢力がたいした抵抗も受けず天下を取ってるわけだが。

後継勢力・・・? 誰が? 信長を後継したかどうかは、見解の問題だが、
見解の問題というより、嫡流が滅びたのなら戦国大名としては滅亡だがな、ふつう。
121無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:20:22
おいおい 天下布武の"布武"をどう解釈したら#京都政界(朝廷)を武力で支える
になるんだw
お前こそ通説を打破する事が自己目的化して踊ってるよ。
122無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:21:24
>>120
誰かこのバカ何とかして・・・orz
123無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:23:41
>>121
それでは、
天下の概念規定からはじめようじゃないか。
まず、天下一統は江戸時代の概念である史実について。
124無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:23:54
この板もIDが付けばいいのに・・・・・・
125無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:24:09
>>106
んー部分だけしか見て無いのか…。

貸付金・運上金・贈答金とは金によるやり取りもあったろうが、
金山を保有していた点も大きいだろうね、
しかしそれよりも大事な点は「かい金」を行ったということは、
銭で金は買えても、金=銭というのは定着していなかった証拠。

>黄金と銭の交換関係(売買)が成立し、なおかつ黄金が銅銭よりも重視された
これは正しいが、それは金本位制の貨幣制度ではない、
ある一定の基準による貨幣と金の交換、つまり銭の価値を金で保証する事が
金本位制が要点であり、民間に流通する銭への行政機関からの保証な訳ですよ。
つまり全国的な基準の存在しない戦国時代に金本位制は無理、
それから何度も書くが恩賞・贈答用の金貨鋳造は一般にさえ広く流通するものではなく、
その他の貨幣でも領国内を限定的に行き来する程度。

>自然発生的に黄金が 交換価値(貨幣)として優位を占めた
だからこれは単に黄金の価値が高いだけでの話で、金本位制でもなんでもなく、
>自然発生的な金本位制度とは貨幣=金(他にも銀とか)に他ならない
という結論もそういう前提あってこそ。

まあ幕府でさえ銭は100%金はあり得なかった訳だから、
この時代に完全な金本位制なんて無理だけどな。

さっきから史実って言ってるけど、銅銭もいまだ価値が持っているって史実もお忘れなく。
126無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:25:57
自説に酔って通説たたきするのがカッコイイと思ってる奴テラキモス
127無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:26:11
>嫡流が滅びた

史実だね。織田嫡流は天正10年5月、本能寺と二条邸で滅んだ。
三法師は秀吉の簒奪に利用されただけの名目だから。
128無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:28:04
信長の後継勢力といえば秀吉だろ
129無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:29:28
>>123
じゃあ、稲葉山を岐阜と改名した理由あたりから
130無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:30:41
>>128
信長が作り上げた基盤を秀吉がそっくり継承してる事が理解出来てないおばかさんがいるのですよw
131無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:33:45
>金山を保有していた点も大きいだろうね、

謙信が金山を保有とは、初見だ。佐渡支配は景勝以後なわけで。

>銭で金は買えても、金=銭というのは定着していなかった証拠。

いまだに、交換価値(貨幣の本質)が理解できてない(失笑
米で銅銭を買う(交換)することも出来たし、米で金を買う(交換する)ことも出来たよ。
交換価値(貨幣)とは、交換してもなおかつ使用価値以上の汎用性がある商品(ある特殊な商品としての貨幣)

以下、金本位制については金を最高の交換価値とする傾向が
戦国時代に自然発生した史実以上でも以下でもなく、詳細は不要。
銅銭の交換価値が低下していく過程だ。

132無名武将@お腹せっぷく:2006/04/29(土) 23:43:40
>>131
越後には鳴海金山がある。
けどあれだけ書いたのに金本位制度について理解できないとは…、
なんか強烈なアンチ織田みたいだし話しても無駄だったか。
133無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:24:07
>>132

悪いが鳴海金山(阿賀北)は、謙信の直轄領地じゃないんだよ。↓

http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Tokubetsuhen/Narumi/index.htm

金本位制の概念は御説のとおり。だが、戦国末期に 金>銅銭=米(その他)と、
自然発生的な金本位制が銅銭や米による商品交換を凌駕していたのは史実だ。
選銭令を発した信長ですら、金目を上位に置いてたしね。

>交換価値(貨幣)とは、交換してもなおかつ使用価値以上の汎用性がある商品(ある特殊な商品としての貨幣)
つまり、米でも布でも交換価値としての汎用性があるなら、銅銭(使用価値はゼロ)よりも、通貨足りうるということ。
価値論は経済原論の基礎だ、しっかり勉強してくれ。
134無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:35:20
>>133
鳴海金山は謙信の隠し金山だったとされるんだけど、
おまけに君が紹介したページには、
>鳴海金山の持つ位置づけがわかって来ます。
>ここは越後軍の軍資金を支える、重要な「宝の山」だったのです。
とか書かれてるんだが、自分の紹介したページくらいちゃんと読めよ。

あと経済論を語りたいなら金本位制くらいちゃんと理解しろ、
>金>銅銭=米(その他)
は金本位制じゃねえ、金本位ってのは金が交換価値の最上位に立つって事じゃなく、
金による一般貨幣の価値の保証だ。
135無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:45:44
>>134

揚北(阿賀野川以北)に、謙信の直轄領は存在しません。
揚北衆は独自の領国経営を行なっていた国人領主で、謙信が金山経営に介在できた史実は
史料に現存しないんだな。
HP主が一般論として「越後軍の軍資金を支える、重要な「宝の山」だったのです」
と語ろうが、謙信が春日山城に残した2000枚の黄金(大半が「かい金」)の出所
を証明できないのですよ。したがって、根拠なし。

>金本位制の概念

は、「御説のとおり」と書いたはず。謙信の財政にとって、銅銭よりも金が
優位に置かれていたというだけの話=自然発生的な金本位制(黄金蓄財の裏づけが最強の富、という意味)
136無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:48:00
>>135
まぁなんでもいいが、お前の話はつまらん。
137無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:48:56
>>136
まぁなんでもいいが、お前の話もレベル低すぎてつまらん。
138無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:49:23
>>135
>黄金蓄財の裏づけが最強の富

けど、戦国最強の財力を持っていたのは信長なのよね。
139無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:50:31
>>137
こいつ自分の話のレベルが高いと思ってるよプゲラ
140無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:51:24
>>138
>黄金蓄財の裏づけが最強の富

けど、戦国最強の財力を持っていたのは秀吉なのよね。

それも、家康に奪われちゃうんだけど。
141無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:52:06
>>140
オマエ本物の馬鹿だな。
秀吉の財力だって信長の基盤を受け継いだ結果手に入れたものだろうが
142無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:53:16
>>140
てか、オマエ秀吉が本能寺の変後独力でゼロから天下とったような言い方止めろや。
馬鹿すぎてみてられんぞ。
143無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:53:17
オマエ本物の馬鹿だな。

織田嫡流は、ほ・ろ・ん・だ

滅亡したのは動かしがたい史実。
144無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:54:44
>>143
信長の残した軍事・経済・社会システムを秀吉が継承して天下をとったのも、
動かしがたい史実。血縁になんでこだわるの? スゲー意味不明。
145無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:55:01
それよりも、
家来に殺されたバカ殿信長を礼賛して、楽しいでつか?
146無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:55:47
>>145
それよりも、織田信長なんかいなくても秀吉は天下とったような事言って楽しいですか?
147無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:56:27
間抜けにも隙を見せて家来に殺された戦国の大大名って
信長のほかに誰かいたっけな?
148無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:57:28
織田家は滅んでも信長の作り上げた勢力、経済・軍事システムは生き延びている。
そしてそのシステムが天下の統一を信長の死後も推進して行く。
それこそが最重要。嫡流等日本の歴史にとって意味はない。
149無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:57:50
中身がなくなってきたから、もう寝るポ

あ、最初から中身なかったっけ??
150無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:58:21
>>147
うぁ、こいつ経済とか軍事面での論争で勝てないと見て個人攻撃に切り替えやがったよプゲラ
151無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:58:53
>>148

わーったよ、織田信長はたいしたもんだよ。
滅亡したけどな。
152無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 00:59:00
>>149
でたー、必殺理由つけて逃げる!
厨房の典型的な症例やw
153無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:00:55
>個人攻撃に切り替えやがったよ

個人崇拝みたいなスレなんだから、仕方ないかと
家来に殺されたのは事実だしな
154無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:01:55
>>152
オマエモナー
中身なさすぎ・・・・orz
155無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:03:40
最後は煽り合いか?
つまらん。
156無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:04:36
時代は違うが、松下村塾の連中なんて30までに主だった奴は全員死んでる。
伊藤・山県なんぞ高杉の手下ABだったしな。秀吉・家康も信長の手下ABだしw
時代を変るってのはそういう事だ。大体、信長自身何度死線をかいくぐってる?
そういう奴は大概道半ばで死ぬが、結果として時代を変えるのはそういう奴らだ。
157無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:05:59
しかし結局、何故信長が天下取れたのか自説は聞けんかったな。
てか、彼の脳内では信長は天下とってないのか
158無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:07:18
>>135
そうか、じゃあ金山が謙信の直轄領かはどうでもいいや。
越後には金山が存在したから、>貸付金・運上金・贈答金
に金の割合が多くなったとでもしとく。
で、「かい金」で金を買っていたというのは、先述した通り、
銭の価値を認めるものでっても、金本位制である銭=金で無い証左。

そんでまず謙信は戦国末期の武将じゃねえ上に、
黄金蓄財=自然発生的な金本位制、じゃないという事をお前が理解してないから困ってるんだが、
金本位制を証明したければ、謙信が鋳造した貨幣により、行政機関が定める一定の基準で、
黄金との交換が可能だったという証拠が要るわけだ。

黄金による富や、黄金が交換価値の上位なのも否定していない、
ただそれは自然発生的な金本位制なんかでは無いわけだ。
むしろ原始的な物々交換に立ち返っただけ(ただ否定的な意味だけではない)
159無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:07:50
神君家康公は、甲州流軍政学信玄の弟子を標榜していたのであって、
信長公のことなど、おくびにも。

と、レスしてみるテスツ!
160無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:14:44
>158

135ではないが、

>金本位制を証明したければ、謙信が鋳造した貨幣により、行政機関が定める一定の基準で、
>黄金との交換が可能だったという証拠が要るわけだ。

謙信の能登分国法に、金での取引は京目ではなく、田舎目(現地価格?)で
という項目があったような。

>謙信は戦国末期の武将じゃねえ

没年が天正6年だから、信長(天正10年歿)と同様に、戦国末期の武将じゃないかなあ?
161無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:26:39
>家康公は、甲州流軍政学信玄の弟子を標榜していたのであって、

「甲陽軍鑑」が幕府公認の兵学書である以上、
家康は信長よりも信玄の弟子と言えるかもな。
江戸時代の信長や秀吉は、なんかクソみそだし。
162無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:27:24
話がそれまくってるので元に戻すと、
貨幣を鋳造していない信長の経済観は謙信・信玄に劣っているのでは?
という事だけど、信玄の甲斐碁石金は配下への恩賞用で、
謙信の越座小判も限定的、謙信が死後所有していた金でさえ千二十六枚、
つまるところ金の貨幣というのは高価すぎて実用性に乏しい。
また西国では東国程に銅銭の価値が低下していなく、まだ実用性もあったため、
選銭令で対応出来る信長とは土壌が違う上、徳川幕府が行うまで貨幣鋳造は
経済活動にさしたる要因にならず、信長の経済観を疑う材料になりえない。

>>160
>での取引は京目ではなく、田舎目(現地価格?)で
それではあくまで取引価格だからね、交換に際する基準では無い。
けど詳しく書いてくれるとありがたい。

信長も末期の武将とは言い難い、
まあ1582年という微妙な年代なんで何処に基準を置くかは人しだいだが、
活躍期間を見れば謙信は戦国中期の武将、
信長は中期から末期に向かう武将なんじゃないの。
163無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:35:17
>>162
てか、信長以前を戦国中期、信長以後を戦国末期と考えるべきでは?
具体的には信長上洛以前が中期で以後が末期。
信長のやったことは、時代区分を決定付ける程のことだよ。
164無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:39:11
>>161
江戸時代って不思議なんだよな。政治の中心である江戸は関東なのに、文化と経済の中心は上方にある。
経済システムのかなりの部分が西国を重視した織豊時代の上に成り立ってるけど、江戸が妙な具合に大発展してる。
家康は織豊の遺産を受け継ぎつつ、政治の中心は東国に移す事で徳川純度の高い政治を目指したってとこかな。
165無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:41:39
>信玄の甲斐碁石金は配下への恩賞用で

うーん、その評価は難しいな。昭和何年だか忘れたが、甲斐の勝沼館から大量の
碁石金が発掘されたの、知ってる? 蓄財説と流通説があってね。

謙信の能登分国法は、価格=基準と理解してもいいと思うよ。
金で取引が行なわれてなかったら、わざわざ基準を明文化する必要はないと思う。
価格=相場、だが、基準(京目ではなく田舎目)なんだから。「現地価格?」と
書いたのは、「田舎」の解釈の問題で。

>信長も末期の武将とは言い難い、

うーん、これはさすがに無理があるでしょう。
戦国時代の区分を応仁の乱以降とすれば、謙信や信長は「最末期」だし。
守護(守護代)からの徴税を1000貫とした時期を戦国時代の初めとするなら
謙信や信長の親父の世代でも、じゅうぶんに戦国末期になる。


166無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:47:16
>具体的には信長上洛以前が中期で以後が末期。

なんで、そこまで信長を中心に戦国史を考えるかね?
北条早雲の代が戦国時代の初期っしょ?
戦国大名の上洛自体なら、謙信が2度もしてるわけで。
167無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:52:29
>>166
そりゃぁ、信長台頭をきっかけに天下の統一と戦国時代の終焉が始まるわけで。
信長秀吉家康によって天下統一が推進された時代を指して「戦国末期」でいいじゃん。
問題は何時から戦国末期にするか、だけど、
信長が1地方大名から中央政界に躍り出た上洛を一つの画期にしてもいいんじゃね?
因みに、謙信その他の大名の上洛は具体的に日本の歴史を動かしたわけじゃないから歴史区分に使うのは不適切。
168無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:52:38
家康は織豊の遺産を破壊しつつ

が正しいと思うよ。上方の経済発展はともかく、やや強引な手法で
江戸に経済の中心を持って来ようとしてるからなぁ。むしろ、江戸の経済発展
を阻害したのは、政治的な目論見(関所)でしょ?
169無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:57:12
でもなぁ、上洛したのが運のツキというか・・・。
信長は京都で殺されちゃうわけでしょ、けっきょくは。
畿内政権の崩壊(足利・織田・豊臣)に、公家化した武家の末路を
みるわけよ、頼朝や家康の幕府が成功したのを考えると、つくづく。
170無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 01:58:11
あ、平家の没落と似ているという意味でね>169の追加
171無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:01:15
重商主義の畿内武家政権が重農主義の関東武家政権に敗れる・・・。
確かに似てるっちゃー似てるな。
172無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:03:06
>>163
うん、だから中期から末期への収束していく過程の人物だけども、
本能寺の変を挟んでの日本統一だから、立ち位置が難しく、
中期〜末期にかけての武将かなと。

>>165
それは初耳、しかし他国に多く流通した記録も無いし、
やはり甲陽軍艦にもあるように褒美用じゃないかね、
むろん金だから蓄財も可能だろうし、あくまで領内に限るものだろう。

金での取引はそりゃあったでろうけども、
=金本位制での交換制度、ではないからね。
現地価格に合わせろというのは取引価格の基準を設けているだけに過ぎない。

年代を均等に分ければ末期の武将だけども、
歴史的な分け方をすれば各地で大勢力が勃興しては衰退していく戦乱が続くのを
終結に向けて動かし始めたのが信長なので、中期〜末期の人物と言えると思う。
それまでは泥沼の状態が続いていた訳だしね。
173無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:04:25
>>169-171

なるほど、慧眼だな。古く新しい歴史観だ。
174無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:10:48
>それまでは泥沼の状態が続いていた訳だしね。

かならずしも、そうとは言えないな。
細川政元が実権を握った時期もあるし、
三好長慶も京都を制圧後、堺に公方(幕府)を立てた経緯があるし。
松永久秀も京都を支配した(フロイスの記述)こともある。
畿内周辺の政治に限定して考えると、何も信長が初めてではないわけだ。
175無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:14:41
>>174
それを泥沼という気がしないでもない。
あくまでも畿内の地方大名って感じで、しかもどれも短命で終わってる。
統一への明確な流れを作り、他の地方の大名を圧倒する勢力を作り上げたのは信長が最初だし。
176無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:15:04
>>174に付け加えれば、信長没後に秀吉が天下をまとめていなければ
単純に戦国騒乱が再来していた可能性も否定できないわけだ。
泥沼がどこまでも、という具合に。その意味で、結果解釈の歴史観が
信長神話を作ったとも言えないんじゃないかね。
177無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:19:46
>>176
確かにそれはいえる。信長死後の家臣団分裂状態が長期化してた可能性だってあるんだし。
本能寺の変以後数年の秀吉は、間違いなく日本史上最高の戦略家だったしね。
けど、旧織田家を秀吉が再統合した時、既にこの勢力に対抗できる大名は日本の何処にもいなかったわけで
そのあたりをかんがえると、やはり信長の作り上げたものの大きさは認めざるを得ないと思うよ。
178無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:25:34
家康が信雄なんぞを名代にしないで、北条とタッグで秀吉を
早めに葬っていたら、織田は傍流も家臣も名を残せなかった
という仮説について・・・。いずれにせよ、江戸時代に信長
の命脈は残らなかったわけだが・・・。家康は信玄の弟子だし。
179無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:29:34
>178

織田有楽が残ったよ。有楽町に名前が。
180無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 02:43:39
>やはり信長の作り上げたものの大きさは認めざるを得ないと思うよ。

大量無差別虐殺の大きさは、な。
181無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 03:15:50
そりゃ他の大名は一向宗や宗教勢力に対して融和策をとったからな。
182無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 07:28:21
>>179
宗家の織田信雄の家系も忘れないでください
183無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 08:51:47
>>180
馬鹿の一つ覚えみたいに虐殺虐殺と繰り返すなよ。
なんでもかんでもヒューマニズムを持ち込んで、善人面はやめろ。
話が進まなくなる。
184無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 08:53:51
>>180
それに無差別ってのもおかしいだろ。
同じ一揆衆でも信長に以後逆らわないと誓って許された者たちもいる。
185無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 13:23:17
また人間バーベキューの話題か
186無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 15:26:53
比叡山のお坊さんは罪のないきれいなお坊さんです><
187無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 15:39:29
かれらは口々に「悪僧を誅伐なさるにおいては是非もなし。
しかしわれらは助け候え」と哀願したが、 信長公は聞き入れず、
彼らはすべて首を打ち落とされた。まことに目も当てられぬありさまであった。

降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、
際限なく川へ斬り落としていった。 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
188無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 15:40:07
信長公は殲滅の手をゆるめず、
「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」と厳命したのであった。
 織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた
男女の数は、記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。
そして信長公は御小姓衆に命じ、これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。
このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、生捕・誅殺された人々の数は
合わせて三、四万にも上ると思われた。
189無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 15:40:41
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。
190無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 17:28:51
まあ、変態悪徳坊主の一味だから自業自得でしょ
191無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 18:00:20
日本人の2人に1人は、信長に先祖の親戚とかを殺されてるわけか?
192無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 18:55:29
信長が麻原みたいに見えてきた・・・。
193無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 18:57:30
俺の先祖は長島で織田軍と戦ったけど生還したよ
194無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 19:30:33
>織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
>心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。

>>193の先祖は「心ある者」ではなかったわけか。
195無名武将@お腹せっぷく:2006/04/30(日) 19:47:15
まあ、そう言うな(´∀`)
奥州からわざわざ郎党6人連れてやってきたんだよ
それだけでも偉いでしょ
路銀だって馬鹿にならんよ
196無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 05:56:56
とりあえず>>187のくだりは見事にこの時期の叡山を表してるよな。

他の悪僧は殺してもかまわねーから俺だけは助けてくれなんていってるようじゃ、
自分が生臭坊主だと認めてるようなもんだ。
しかも女人禁制のはずの比叡山で大量の女と子供が居る中で。

こんなバカ坊主共が特権階級に居た事の方が間違い、焼かれて当然。
むしろこれは誰かがやらなきゃいけなかったこと。

これと一向宗に対する仕打ちを同列に並べてる事がアホ。
197無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 08:52:54
降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、
際限なく川へ斬り落としていった。 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
198無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 09:56:54
一言に二万とかいうけどさ、大大名でさえ万単位の動員が難しい時期。
女子供を数えたにしろ軍記物的水増し補正がありそうだな
199無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 11:58:05
>軍記物的水増し補正がありそうだな

ふぅむ、「信長公記」>>187-189に水増し補正ねぇ。
200無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 13:06:40
信長公は殲滅の手をゆるめず、
「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」と厳命したのであった。
 織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた
男女の数は、記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。
そして信長公は御小姓衆に命じ、これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。
このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、生捕・誅殺された人々の数は
合わせて三、四万にも上ると思われた。
201無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 13:07:58
補正はあるだろうな。
太田牛一は織田側に立って物をいうから史料としては客観性を欠いている。
疑いすぎてはいけないが、書かれた時期を考えれば二万は大げさ。
202無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 14:04:18
そりゃそうだろ。
桶狭間の45000対2000、長篠の鉄砲3000挺あたりも、メチャ誇張だわな。
203無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 18:04:15
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。
204無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 18:09:10
信長に惹かれるのは当たり前田
205無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 18:13:58
全部足しても2000いないな
206無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 18:28:50
降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、
際限なく川へ斬り落としていった。 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
207無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 18:34:13
殺戮者に惹かれるのは当たり前田
208無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 18:56:38
>>207
ネチネチと連レスしまくりやがって
209無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 19:26:12
>>17
比叡山って寺でしょ、女人禁制でないの???
なんで、婦女子がいるのさ?
210無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 19:46:03
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

211無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 19:50:24
ホテルの窓に付いてる▼ってなんなんだあれ?
212無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 20:49:49
おでん
213無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 21:19:39
信長公は殲滅の手をゆるめず、
「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」と厳命したのであった。
 織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた
男女の数は、記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。
そして信長公は御小姓衆に命じ、これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。
このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、生捕・誅殺された人々の数は
合わせて三、四万にも上ると思われた。
214無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 21:52:33
まあ、明智さんがそむいた理由がなんとなくわかるきがするよ
転戦に疲れたんだよね
215無名武将@お腹せっぷく:2006/05/01(月) 22:51:46
キンカン頭も野望の人。
善人ぶろうたって無駄じゃ
216無名武将@お腹せっぷく:2006/05/02(火) 00:00:46
信長「こぉの、キンカン頭めが!」
光秀「な、何をされまする・・・?」
信長「こ、こうしてくれる!」(殴る蹴る)
光秀「ご無体な・・・」

秀吉「く、くくッ」
217無名武将@お腹せっぷく:2006/05/02(火) 00:20:47
最後の最後まで劇的過ぎたからある程度美化されるんだな・・・
218無名武将@お腹せっぷく:2006/05/02(火) 00:25:02
たしかに劇的だな、合戦での奮戦も殺戮も、自殺も…。
219無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 08:34:45
はじめまして、男根柄というものについて調べているのですが

信長が道三との面会時、男根柄の衣装を着用していたと
聞いたのですが。半袴とか浴衣だとかネットで調べましても
よくわかりませんでした。

この話の原典となる資料はあるのでしょうか?
また男根柄というのは実存するのでしょうか。

ご存じの方がいらっしゃれば教えて頂ければと思います。
宜しくお願いいたします。


220無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 14:39:39
>>219

>男根柄の衣装

初出は歴史小説じゃね? 信長の逸話(軍記書)には誇張が多いのでご注意。

信長公は茶筅の髪に湯帷子の袖をはずし、大小は差していたものの荒縄で腰に巻き、
芋縄を腕輪にし、腰には猿使いのように火打ち袋や瓢箪を七つ八つぶらさげ、
下は虎革と豹革の半袴、といった格好でやってきた。供の者は七百人ばかりが連なり、
足軽を先に立て、三間間中柄の朱槍五百・弓鉄砲五百ほどをかかげていた。
 しかし信長公は寺に着くと四方に屏風をめぐらせ、その中で髪を整え、
いつの間にか用意した褐色の長袴をはき、これもいつの間にか作らせていた見事な
拵えの小刀を差した。(信長公記)

これ以外に正徳寺の面会時の信長衣装を伝える史料はない。
221無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 15:01:40
>>220

情報ありがとうございます。
「信長公記」ですね。

どうやら司馬遼太郎の「国盗り物語」に
男根柄というものが出てくるそうなのですが
それが初出なのでしょうか?

それとももっと古い軍記物があるのか調べております。
222無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 16:01:39
よっぽどちんぽが好きなんだなw
223しつもーん:2006/05/03(水) 16:16:14
経済基盤のことが一段落ついたみたいなんで、軍制での織田家の優位性を晒しませんか、?
あと、畿内制圧と絡んで、豪族の土地支配に対しての織田家のスタンスはどのような物だったのでしょうか?
比叡山はともかく、一向宗とは何によって支持された(or独立した)宗教団体だったのでしょうか?
('_')教えてエロイひと!
224無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 16:19:32
鷹狩りの時に着てた羽織が男根柄だったって聞いたことあるけど・・・
ガチなら趣味ワルスw
225無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 16:20:12
鷹狩りの時に着てた羽織に男根の刺繍がしてあったって聞いたことあるけど・・・
ガチなら趣味ワルスw
226無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 17:15:01
>一向宗とは何によって支持された(or独立した)宗教団体だったのでしょうか?

今日的な視野で宗教団体と考えるのは、間違いだね。中世の日本人は信長もふくめて
信心深い人々だったからね。彼らは戦国領主(国人領主・大名権力)の支配(過酷な徴税や軍役)
よりも、比較的ゆるやかな寺社の庇護を受けたかっただけで、一向宗に帰依したのは
いわば「よりましな選択肢」だったにすぎない。それと、多くの土豪(小規模領主)が
一向衆徒として一揆(盟約)したのも同じ理由で、既得権を護りたかったから。
惣(郷村の自治)や寺町(寺社の保護下)、自治都市(堺や博多)も同じようなもの。
たとえば、大坂の陣のときに秀吉に弾圧された過去をもつ雑賀衆が徳川と戦うために
大坂方に付いたのも、大名権力から自治村の自由(収奪を嫌う)を護りたかったからと
考えられている。比叡山や高野山など、既存宗派も既得権を失いたくなかったから
抵抗したわけで、信長政権後期の畿内検地・秀吉の検地には一揆が烈しく抵抗している。
隠し田や利権がその原因であって、信長にとっても権益の奪取がすべてだったと言えよう。
抽象的でスマソ。
227無名武将@お腹せっぷく:2006/05/03(水) 19:51:47
ようするに土豪が勢力安定の為に宗教と手を組んだわけだ。
228223:2006/05/03(水) 23:17:50
226
雰囲気つかめた〜ありがd
229平民バカ:2006/05/04(木) 00:12:10
信長「おお、親父殿、上総介信長にござる」
道三「うむ、ワシがマムシの…う!」
信長「いかがなされた?親父殿」
道三(う、うそ!この子、パンツはいてないよ?)
信長「ああ、これでござるか?これはこういう模様の着物なのでござるよ」
道三「模様?完全に3D立体化して見えるが」
信長「親父殿と会うというのに下半身丸出しなんて、どう考えたっておかしいでしょう?」
道三「フム、確かに…どう考えてもおかしい」
正徳寺の会見は終始信長のペースで進んだ。
230無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 00:14:19
ティムポを模様と見間違えたか、道三!
231無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 00:49:54
敵と部下には厳しいけど領民やおなごには限りなく優しいよねこの人。
232無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 00:56:51
物言わぬ従順な奴隷には、どんな戦国大名も優しいよ。
歯向かえば地獄だがな。
233無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 01:10:27
>敵と部下には厳しいけど

このへんが命取りだろ、アボンされたし。前のNHK「その時・・・」の
視聴者アンケート「上司にしたい武将」でも、明智光秀に完敗してたな。
234無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 01:23:59
領民に優しかったのはわかるけど、女に優しいか??
235無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 01:28:07
間違いだね、愛した「男に優しい」が正しい。
236無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 01:36:19
あれぐらいやらなきゃ急激に勢力伸ばすのは無理
237無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 01:48:54
急激に滅びるけどな
238無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 02:09:40
>>229
夜中に吹いてしまった…
いかがなされた?じゃねーだろ!
239無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 02:25:50
>>229「完全に3D立体化して見えるが」www
240無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 11:49:05
このスレがつまらんのがよくわかった。
241無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 12:19:20
>>234
竹夫島の悲劇を考えると・・・
242無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 14:04:55
 天正9年4月10日のこと、信長公が小姓五・六人を伴って竹生島参詣に出かけることになった。
経路は長浜の羽柴秀吉居城まで馬に乗り、そこから湖上五里を渡船して参詣するというもので、
水陸合わせて片道十五里の道程であった。
 往復すれば三十里にもなる道であったが、信長公は意外にもその距離を一日で戻ってきてしまった。
まことに稀代の出来事であり、余人をしのぐ気力と体力に諸人は感じ入ったものであったが、ここで
不都合なことが起きた。
 遠路のことであるから今日は長浜へ逗留されるに違いなし、と誰しもが思っていたところへ
突然信長公が帰着したため、城内にいるべきはずの女房衆はあるいは二の丸まで遊山に出、あるいは
桑実寺まで薬師参りに出かけてしまっていたのである。このため城内は大いに混乱し、目も当てられぬ
慌てぶりとなってしまった。
 このさまを目にした信長公は、「女房どもを縛り付けて即刻差し出すべし」と桑実寺へ使いを出した。
これを受けた寺では「何とぞ御慈悲をもって助け候え」と長老が詫言を申し上げたが、信長公の怒りは
やまず、その長老をも同時に成敗してしまったのだった。
243無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 15:48:41
勤務時間に遊んでた女中が殺されたわけか。
しかし、寺の長老まで殺すかね、ふつう。
244無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 17:02:36
現代ではその残虐ぶりがエキセントリックとか美化されてること多いけど
やっぱり外道だな
245平民バカ:2006/05/04(木) 19:18:44
人間関係に詳しく、城内の詳細を知る奥向き女中は戦国時代にあっては間諜から徹底的に狙われていた。
口も尻も頭も軽いような女は寺の参詣を口実にしたバサラ講(デートクラブみたいなもん)で骨抜きにされ、油断して行きずりの男になんでもかんでも喋ってしまうわけだ。
長老だか僧侶だかはは城内の女性と流れ者に扮した間者との繋ぎの役割をしていたため、殺された。
奥向きの秘密を自慢げに喋る女が殺されずに済むようになったのは平和な時代になってから。
246無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 21:06:02
微妙にスレ違いですまんが
信長が今の時代評価されてるように
ヒトラーも絶対評価されるようになるって
知り合いが言ってんだけど何て言い返せばいいですか?
それとも知り合いの言うことが正しいんですかね
247無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 21:09:39
ttp://rekiju.hp.infoseek.co.jp/tegami/nobunaga.htm
女に優しいのソースはこれだね。
一度キレると見境なかったんかも。
248無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 21:17:43
なるかもしれないし、ならないかもしれない。
400年後の事など誰もわからない。
249無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 21:34:04
竹生島の一件って有名だと思ってたけど、あまり知られてない?
250無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 21:55:16
>>249 >>242に「公記」の訳文があるよ。

>>246
ある意味で、君の知り合いの意見は正しいな。
ナチスヒトラーのユダヤ人大量虐殺も、信長の一向宗徒大量虐殺も
新しい価値観と秩序におさまらない連中を消滅させたという意味では
必然的な帰結だ。ヒトラーがユダヤ商人の既得権を排除し、民主主義者や共産主義者を
絞め殺したのも、新秩序のためには当然だろう。民族浄化もドイツ社会の活性化につながった。
同じように、信長の天下布武という新秩序にとって、一向宗・天台宗・真言宗などの抵抗勢力は
殲滅の対象だった。規制緩和・改革が必要だったわけで。
これが今日、行き詰った資本主義と民主主義社会を改革する思想として評価されているのは
周知のとおり。「格差社会」などと批判しているのは民主主義の既得権益を奉じる抵抗勢力
であって、時代の波に呑み込まれるのは必至。ヒトラーの再評価は、いまのところ
シオニストとユダヤ資本の財力で封じ込まれているが、日本が信長的ネオファシズム
で成功すれば、ユーロも同じ流れに傾くと思うよ。俺はイヤだが・・・。


251平民バカ:2006/05/04(木) 22:16:02
>>250には悪いが、ヒトラーと信長は根本的に違うよ。
ヒトラーは結果的に彼の愛した祖国を灰塵に帰して裏切ることになった。
たとえば、ダンケルクの戦いで信長なら、どうしたと思う?
ヒトラーは甘い。その時期でないのに人の心変わりに期待するところがあった。
戦国で言うならば朝倉クラス。
252無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:26:24
平民バカ君には悪いが、ヒトラーと信長は同じだな。

>ヒトラーは結果的に彼の愛した祖国を灰塵に

安土城下が灰燼に帰した史実はどうするのだね?

>ダンケルクの戦いで信長なら、どうしたと思う?

信長が将軍義昭を殺せず、顕如とも和睦を繰り返した不徹底と同じだな。
イギリス兵やフランス兵は殺せないが、ユダヤ人なら大量虐殺。これが信長の
一向宗の土豪や一般門徒は大量虐殺できたが、根源を絶てなかった10年戦争の
本質的な理由なのだよ。みずからが楽土を築こうとした場所で自殺した
のも、ヒトラーと信長の共通点だね。ヒトラーのアウトバーン建設、信長の
畿内街道建設もよく似ている。ひたすら新兵器に頼る軍事思想も同じじゃないかね?
 なによりも、他人の意見を聞かない独裁者という点で、二人は瓜二つだ!
253無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:43:49
あのさー、もしかしてここの住人にも
「信長は戦に負けたことはない!」
って思ってるヤツいるのかな?
本能寺やあやふやな手取川、金ケ崎を除いたら他の戦いはすべて勝ったって思ってるヤツ
漫画の「信長」とかの影響で本気で思ってるヤツかなりいなくない?
254平民バカ:2006/05/04(木) 22:44:20
>>252
もちろん、共通点は多いけどね。
信長が生きていれば安土城を焼くのは許さなかったわけで、ベルリンを初め、東西から連合軍に攻め立てられドイツ全土を蹂躙されたヒトラーと比較にはなるまい。
ダンケルクでは部下が英仏の四十万将兵を殲滅できると進言したのに、陸海軍を下げて、空軍の威力にこだわった。
こんな事は世界史にも何度あるかないかの珍事で、歴史的大勝利を逃してしまう。
要は詰めが甘いせいで失敗した。
信長が苛烈だ残酷だと言われながらも一歩踏み込んだ局面で、ヒトラーはイモをひいている。
255無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:45:16
>戦国で言うならば朝倉クラス。
朝倉義景がヒトラーみたいに他国の領土を併呑したことってあんの?
ヨーロッパ全土を支配したヒトラーを戦国武将にたとえるなら
やっぱ信長でしょ、虐殺魔という点でも
256無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:48:10
>あのさー、もしかしてここの住人にも
>「信長は戦に負けたことはない!」
>って思ってるヤツいるのかな?

いないんじゃね? このスレの流れは、ほぼ信長叩きみたいだから。
257無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:49:00
>信長が無敵だって思ってるヤツ
確かにいるなワラ
258無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:50:43
>信長が無敵だって思ってるヤツ

そうか、平民バカがそうだったW
259無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:51:13
>>255
初めから意図的なものが感じられ
議論になってない。

>>254
現代的な視点で信長を見ている限り
いくら否定しても中途半端。
260無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:51:24
道を造ろうとしない奴と、新兵器を有効利用しない奴と、助言を聞き入れる独裁者を挙げてください
限定条件の一致じゃない事を並べてどうミスリードさせたいのですか?
261無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:56:46
信長がいつ負けた?手取川なんて上杉厨の捏造だぞ!?
262無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:57:06
>助言を聞き入れる独裁者

これだけ答えてやる。絶対に居ない、設問そのものが論理矛盾だ。
263無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 22:59:01
キター( ̄□ ̄;)!!本物のアホ信長厨がキター爆ワラ
264無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:00:25
連載回数 6 連載開始日時 2004/04/01( ... あらすじ 鷹山と青木昭吾。 己の内にある神性は狂気へと変貌する。 全ての無垢なる儀式は、流血に沈む宿命 ...
265無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:02:35
白起に比べたら、信長の所業なんかカワイイもんだ。
266無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:04:57
>>250
>これが今日、行き詰った資本主義と民主主義社会を改革する思想として評価されているのは
>周知のとおり。
今日叫ばれている「規制緩和・改革」ってのはより古典的な資本主義の理念に近づこうって
いうものであることは自明の理。古典的な資本主義の理念を徹底攻撃し、強大な国家
権力による経済統制を推し進めたヒトラーとは正反対なのだが。ユダヤ商人の既得権
なんてのはプロパガンダの中にしか存在しないが、戦国の寺社勢力や現代の族議員の
既得権は誇張もあるにせよ紛れも無い現実。

>ヒトラーの再評価は、いまのところ シオニストとユダヤ資本の財力で封じ込まれているが
こういうレスを見るにつけいつも思うんだが、一体ヒトラーの「何を」再評価するの?
無謀な戦争を仕掛けて祖国を灰燼に帰した上に東西に分裂させ、東プロイセン始め
多くの領土を二度と戻ってこない状態にした男の再評価なんて、シオニストがどうこう
言うまでもなく有り得ないだろよ。
267無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:05:19
釣りやネタじゃなくて本気で信長が無敵だったって信じてるヤツいる?
いたらカキコよろ
268無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:08:03
>>267

まずは「無敵」を定義してくれ。
269無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:08:55
>一体ヒトラーの「何を」再評価するの?

信長と同じ大量虐殺なんじゃね?
270無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:09:26
敵キャラに触れても死なない。
271無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:10:19
信長はそこまで戦上手じゃねえよな。下手とは言わんけど。
戦に勝つのに優れていたというより、戦に勝てるような状況を作り出すのに卓越していた感が。
長篠においても、鉄砲無しでも信長有利の戦況だったらしいし。
戦略家タイプだな。
272無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:12:39
信長は無敵です 教科書嫁
273無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:18:13
>>262
なら、
>他人の意見を聞かない独裁者
これにはどういう意図があるんだ?
危険が危ない、一番最強とかと同レベルだろ

>>267
ねーよ
274平民バカ:2006/05/04(木) 23:30:56
分かりやすく言うと…
信長の虐殺って戦場で行われたこと。
ユダヤ人虐殺は一般市民が家から連行されて隔離施設で行われたこと。
ユダヤもジプシーも不潔だとか宗教的に許されない存在だから隔離された。
だからヒトラーはアウシュヴィッツじゃなくてダンケルクで大虐殺を敢行していれば、後で負けたとしても格好がついた。
アウシュヴィッツなんて、簡単に言えばイジメ。
長島の戦いや、比叡山焼き討ちと状況が違いすぎる。
275無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:31:17
>>268
マリオでもやってろwwwww
276無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:38:58
>信長の虐殺って戦場で行われたこと。

荒木村重の妻子や女中たちが戦場で殺されたとでも?
京都の河原で見世物にしながら焼き殺したわけだが?
277無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:39:55
>>268
>>229の信長は無敵状態
278無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:53:45
アンチも厨も虐殺ネタが好きだな。
世界史上そんな珍しいネタでもないのに、何でこんなに食い付きがいいんだ?
279無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:56:48
信長の人生は散々語りつくされた感があるが、安土城天主閣の造型に非常に興味がある。
案外普通の形の天主像だと思う、俺は。天主の上から二回目の八角の段だって四角い部屋の中に八角部屋を作っただけだと思うんだ。
(根拠はまったくなし) 今までの復元案って信長らしいとは思うけど・・・
280無名武将@お腹せっぷく:2006/05/04(木) 23:58:57
>>276
村重の件での信長はむしろ寛大ではなかったか?
説得の為に結構な手を尽くしてる感じもするが。
村重が「降伏しても殺される!」って勝手にビビっただけだろ。
まぁそういう心理状態に家臣を追い込んだ信長にも罪はあるが。
281平民バカ:2006/05/05(金) 00:02:53
>>276
それは同情申し上げるが、その前にきちんとした理由があるからやった事だろう。
荒木や女中は今をときめく織田家中の者として特権を享受する立場にあった。
対外的に美味しい目を見ることも、しばしばあっただろう。
君は官僚が役目を離れたところで汚い真似をして、責任は庶民と同じで良いと思うのか?
まあ、現代日本はそれで良いことになっているが、そのせいで役人は自覚のない給料泥棒ばかりじゃないか?
そもそも特権階級の堕落が原因で戦国の世になったんだぞ。
『ま、いいか』と許す信長が戦国の世を終らせてくれるのか?
282無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 00:02:56
>>280 ↓これが「寛大」かね?

荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。
283無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 00:06:34
信長とは余り関係ないからどうでもいいけど、
ヒトラーは第一次世界大戦後で連合国に負債まで背負わされてどん底な上に、
なにもできないインテリ共和国だったドイツの中に居て、投獄されても上層部の腐敗を訴えて、
やがて民衆の支持から経済を立て直したって部分は今も昔も評価されてるだろう。

その後に暴走してしまったからといって、彼が居なければそもそも
ドイツは第二次世界大戦を起こす事すらできなかったに違いない。
俺らからすりゃ虐殺の大罪人であって、許せないかもしれんけど、
ドイツ国民からすれば彼だけを非難するというのは無責任極まりない事だ。
284無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 00:07:33
>君は官僚が役目を離れたところで汚い真似をして、責任は庶民と同じで良いと思うのか?
>まあ、現代日本はそれで良いことになっているが、そのせいで役人は自覚のない給料泥棒ばかりじゃないか?

そうか、女中(官僚??)の子供たちも焼き殺されるほどの同罪だったか・・・。
凄まじい論理だな。
285平民バカ:2006/05/05(金) 00:16:55
>>279
俺もそう思う。
そもそも、天守閣は高みの有利を活かすための高楼であって、建築技術的に互い違いに平屋を重ねていく方法しかなかった気がする。
安土城の天主閣に登りたい!そういう期待に応える接待のために、八角の茶室みたいなのが室内に設けられただけと思う。
柱や梁が剥き出しだと、建築技術を盗まれかねないしね。
286280:2006/05/05(金) 00:22:22
うおぉ・・・でもさ、その惨劇に至るまで信長にしてはかなり多くの外交手段を弄してた
と思うんだよ。
これはおれ自身の主観で申し訳ないが、あの信長の気性を知りながら謀反を起こして、
負けたとなると家族を棄ててさっさと逃げていった村重の方が残酷。
三国志で言えば正史馬超以上のDQN。
287無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 00:26:53
村重が無責任で、結果的に残酷な出所進退をしたのは周知のこと。
だが、信長の嗜虐的とも思える残虐さを不問にしてよいわけではない。
288280:2006/05/05(金) 00:32:22
そこは概ね同意。
常に疑心暗鬼にとらわれてたんだろうかね。
289平民バカ:2006/05/05(金) 00:33:10
>>282
戦国にあって美々しき衣装か。
荒木一党、裏で相当貯め込んでいやがったな。
信長も、村重を戦場に送って家族が慎ましい生活を送っていたなら同情したかも…南無。
290無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 00:44:39
ここまで酷な見せしめされてんのに何で中途半端に背くのかねぇ…それが謎
どうせ背くなら光秀みたいに一の矢で仕留めないと駄目なこと位認識出来なかったのかな
簡単にピッコロしちゃえるのは、中世の命の価値の薄さも原因なのかな
殺す方も殺される方も現代の価値観から見るとズレてるなぁ
291無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 00:49:54
俺も松永や荒木の謀反って理解できない。 勝てるとでも思ったんだろうか。
それとも心理的に我慢ならない状態だったのか。
292平民バカ:2006/05/05(金) 01:03:14
>>291
毛利や上杉、他の織田家中の誰かと申し合わせてたって説もあるけど。
室町中期はこんなちゃちな反乱でもかなりダメージが大きかったような気がする。
足利幕府と違って織田家の腰が固まってたんで無用の混乱が起きなかっただけだと思う。
293無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 01:39:26
>>285
そんなもんで建築技術は盗まれない。お前は図面をパッと見ただけで東京都庁を作れるのか?
294無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 02:14:53
概念が盗まれる
295無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 02:40:06
建築技術が盗めるかどうかは知らんけど
北条家の八王子城を建設した北条氏照がわざわざ信長存命時から
外交を通じて、安土城の技術を学び。
近江の大工と技術者を呼び寄せて八王子城の建設(主に石垣だけど)
に役立たせてる所を見るに、別に信長は安土城の技術を秘密にする気なんかなかったんでは?

俺以外に作れるもんなら作ってみろぐらいのものだったんじゃないかと。
296無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 08:01:10
戦国後期となると国主の館城の構築概念は少しずつだが変化が見られる。例えば土塁から部分石垣へ移行するなど砲兵器に対する防御思考が随所に顔を出してくる。
安土城では層塔型のシンボリックタワーが権力の象徴として配置され、安土天主以前にもあった高櫓を大型化し、一気に高級化・美術・建築技術昇華を果たした。
高櫓の使い方としては有事の際にしか使用されない傾向が強いし、武具庫的使用しかされなかったであろう。
しかし、織田信長という男は自身が住まわったとされているからは少し変わった人かもしれない。
秀吉大坂城天守はいろんな意味で安土天主を越えたつくりだったかもしれないが、やはりただの櫓として使用されたと思われる。
297無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 08:07:50
当時の大工は自分でプレゼン建てたり大名に売り込んでいたからな。
298無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 08:15:52
滅ぼした戦国大名の一族郎党を皆殺しにするのは、戦国時代の通例。
(三国志の時代もいっしょかな?)

別に信長だけが残虐なわけではありません。
282のようなことは、他の戦国大名もやっているだろう?
299無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 08:24:10
比叡山焼き討ちも現比叡山の土を調べる焦土層があまり確認されていないらしいから全山丸焼けという事はなかったらしい。また大量殺戮も大量ではなかったのかもしれない。
信長公記も太田牛一が全部見た事を書いてある訳ではないので七実三嘘というくらいでみないといけない。
荒木一党謀反にしても、信長の政治運用の仕方(土着無用、官僚配置)に荒木・明智がついていけなかった為に乱を起こしたのだろう。
荒木はうまくいかなかったが、明智はうまくいった。
300無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 09:14:51
天下人と戦国大名
・敵を殺して支配区域を増やす
信長→天下盗り
一般大名→只の勢力拡大

・邪魔なやつを殺す
信長→虐殺
一般大名→統治方法

あの時代の日本史の主役で、善くも悪くもスケールが大きいからやった事が目立つだけ
いいイメージの処だけは嬉々として貼りつけるのに、悪いイメージの処を貼られるのは不愉快だってのは変
何で信者は神格化したがるんだ?光も闇も飲み込んで好きになれ
301無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 09:55:16
>信長公記も太田牛一が全部見た事を書いてある訳ではないので
>七実三嘘というくらいでみないといけない。

じゃあ、長篠は辛勝、手取川はボロ負けといったところか?
302無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 10:07:15
ん? 信長公記が仮に七実三嘘としてもなぜ長篠は辛勝、手取川はボロ負けとなるの?
303無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 10:25:18
>>298
一族郎党皆殺しなんて日本じゃあんまりないぞ。
中国じゃ日常茶飯事だけど。
>>282に代表されるような「根切り」が戦国時代でも前代未聞だったから信長は人口に膾炙するんじゃないか。
漠然としたイメージだけで語らないように。
304無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 10:30:20
300の一般大名と信長の比較が良く分からんのだが。。。

・「只の勢力拡大」の延長線上にあるのは、「天下取り」じゃないのか?
・「邪魔なやつを殺す」にしても、両者ともに見せしめに殺しているだろう?

まあ、確かに最大規模の信長がしたことが、目だってしまった事は認める。
アイフルだと叩かれるけど、弱小街金だと目だたないようなもん。
305無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 10:36:56
>>303
そうかな?日本史でも結構あるような気がするが。
・「一族」までは皆殺しで、
・「郎党」は自由に・・・
というパターンもあるかもしれんな。
306無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 11:35:59
>>290
主君が疑心暗鬼の塊みたいな人だから、当然家臣も疑心暗鬼の塊。
村重は一度疑われたら死は免れないと思ったか、あるいは家臣に諫言された?
あと誰かからの讒言で決起せざるを得ない状況まで追い込まれたって説もある。
307無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 11:52:49
執権北条って和田とか族滅さてなかったっけ?
308無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 12:13:33
>>300
でもあの時代に明確に天下取りを
目指していたのは織田信長くらいだよ。
毛利とか北条も大きな勢力圏を築いた割には
天下を取ろうとしていなかったし・・・
まあ強いて言うなら武田信玄くらいがソレを目指してたってぐらいじゃないかな?
309無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 12:26:57
>>304
例えが強引だけどそんな感じ

信者は、只の勢力拡大を天下取りとしてクローズアップして喜ぶ事はするが、
同じ様に只の見せしめを虐殺としてクローズアップされると癇癪起こすのは何故?
って意味で書いた
310無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 12:36:09
信長崇拝者なら、根性据えて大量虐殺を賛美しろよ。
彼の徹底性は、その残虐さにあるのだから。
311無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 12:37:55
どうだ、素晴らしいまでの殺しぶりじゃないか。

長島攻め
 観念した一揆勢は降伏赦免を求めてきたが、信長公は断固として許さなかった。
 信長公はかれら奸悪の徒を干し殺しにすることで、年来の乱妨狼藉の報いを受けさせようとしていた。
 そのような状態が続く中、8月2日夜大鳥居に籠城していた一揆勢が夜間風雨に紛れて脱出を図った。
 しかし織田勢はそれを見逃さず、追撃して男女一千ほどをなで斬りにした。
 長島の陣は、一揆勢の思いもよらぬ長陣となった。7月13日に貴賎数知れぬ男女が長島・屋長島・
 中江の三ヶ所に逃げ入ってからすでに三ヶ月が経過し、過半はその間に餓死していた。
 もはや抵抗する力も尽き果てた一揆勢は、9月29日ついに降伏開城した。
 降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
 しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。
 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
 心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
 かれらは大軍の中を死兵となって荒れ狂い、陣所を切り崩し、御一門衆をはじめ数多の将兵を討死に追い込んだ。
 彼らは大軍の中を切り抜けて無人の陣小屋に駈け入り、そこで支度を整え、川を越えて多芸山・北伊勢口へ散り、
 そこから大坂へ逃れた。この失態をみた信長公は、残る中江・屋長島の両砦に対しては周囲に柵を幾重にも廻らして
 砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
 年来の鬱憤を晴らした信長公は、29日岐阜へ帰陣した。

※1000人をなで斬り・降伏した20000余人も砦に押し込めて、
 人間バーベキュー。信長は大量虐殺の成果に溜飲をさげる
312無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 13:05:37
自分の意志で皆殺しフラグ立てて殺されてるんだから>>282みたいなの以外は
信長は酷いとは思うが一揆衆を可哀相だとは1ミリも思わないな
自分で既得権>命って選択して砦に籠もってた奴らなんだろ?
313無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 13:47:49
>降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
>しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。

降伏しても殺されるのなら、選択の余地はないように思えるがな。
314無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 14:54:23
一向一揆のメカニズムってのがいまいち分からん。 江戸時代みたいな貧しさゆえの
搾取層に対する反抗とは違うんでしょ?
石山や加賀みたいに並の大名以上の力を持った宗教勢力の前例を見て同じように
百姓による自治を得ようとしたのかな? だとしたら信長も一揆衆もそれぞれ
言い分はあるだろうから信長も説得は試みたんでしょ? 
でも貧乏なあの時代に一揆衆に搾取も含めた「国家はひとつの力で治められるべき」
っていう国家観を受け入れさせるのはかなり難しいことなんだろうね。
315無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 15:01:04
・命が惜しいから逆らわない
・既得権が惜しいから一揆
の選択肢から一揆選んで戦ってたんだろ

一揆しなくてもどうせ殺されるならやっちゃえってノリなら分かるが、
やらなくていい事わざわざやったから淘汰されただけだろ
まあ、皆殺しなんてぶっ飛んだ事する方もする方だが
316平民バカ:2006/05/05(金) 15:05:06
上九一色攻め

国松警察長官は狙撃を受けながらも指揮を取り、首謀者のほとんどを捕え、オウム撲滅に王手を掛けた。
しかし国家公安委員会は破壊活動防止法の団体適用を拒否。
何人かの警察官僚は
「このまま放置すれば刑法上の悪しき前例となり、日本の法威は軽んじられ、治安が悪化する」
と委員を説得した、涙ながらに訴えた者もいた。
だか委員は報復を恐れ、警察はオウムの組織全体に手が出せなかった。

現在、オウム幹部数名は遁走、信者の多くはいまだ教義を捨てず、懸念されていた暴力団との関係も解明されていない。
317無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 15:07:45
それまで、無税に近い状態で相互扶助の暮らしをしていたところへ、突然。
信長「ここいらは俺っちの配下にする予定だ、カネ払いな」
農民「え・・・? カネを?」
信長「払えないなら持ってくぞ、ゴルア!!」(蔵の米を強奪)
農民「や、やめてよ」
信長「氏ねや、ボケ!!」(怒スッ)
 で、村じゅうまとまって一向一揆が始まり、負けた農民たちは皆殺し。降伏しても
人間バーベキュー。てな感じか?
318無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 15:18:42
>>315
既得権って具体的に何? せいぜい自治を望んでた程度じゃないの?
319無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 15:28:19
>・既得権が惜しいから一揆

既得権=信長に矢銭(みかじめ料)を支払わない権利
    法外な税金を支払わない権利
    信長の殺戮兵の一員に組み込まれない権利(戦死しない権利もふくむ)
    信長の使用人にされない権利(勤務時間外に出歩いたからと手討ちにされない権利)
    思想信条、学問の自由、信教の自由を奪われない権利
    
320平民バカ:2006/05/05(金) 15:41:45
僧兵「おい!阿弥陀様が乱世平定のために寄進をお求めだ!金と米を出せ!」
百姓「ひいい!こ、これで全部でございます」
僧兵「これでは足らぬ!信心が足らぬ証拠じゃ。お、娘がおるではないか。ヨシヨシ拙僧がこの世の極楽に連れていって進ぜよう」
娘「きゃあー」
??「待てーい」
僧兵「何奴!」
織田「貴様に聞かれて名乗る織田信長ではない!」
僧兵「仏罰を食らえ!」
織田「信長キーック」
僧兵「ぐは!ま、待て、ワシを斬れば七代…」
織田「この信長、既に千代祟られておるわ」
僧兵「わー!降伏!降伏したッ!ぎゃあああ」
321無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 15:44:30
やっぱ自治権=自治権だよね。
この時代、普通は百姓は被支配層だから一向門徒が例外的だったんだろうけど
やっぱり自治権ってのはすごく魅力的なんだろうな。
それを手放すよう説得するというのは至難の業で長島の殺戮も不可避だったのかな。
 
322無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 16:09:44
勝家「殿、女子どもたちが命乞いをしておりまするが」
信長「宗徒は皆殺しじゃ! 小屋に焚き木を運べ」
秀吉「焚き木、でござりますか?」
信長「そうじゃ、焼き殺すのだ。女子どもの悲鳴が聴きたい」
勝家「宗門頭には、女子と子どもの命は助けると・・・」
信長「じゃかましいッ!! 殺せ、ひとり残らず殺せ。焼き殺せぇ」
勝家・秀吉「・・・・・」
信長「人が焼けるこの匂い、天をつんざくような悲鳴。たまらんのう」
323無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 16:47:50
>>321
徴税権と裁判権だものそりゃ魅力的でしょうよ、
逆にそういう権利を持っていたが為の弾圧だろうね。
今から天下統一しようとしてる人にとっては邪魔でしかないからね。
折角統一しても国内に武装した自治領なんかあったら口出しされたりで統治に支障を来すからね。
不幸にも抵抗出来るだけの勢力があったから信長の決めた境界線に従わなかったんだろうね。
324無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 18:52:40
白起略歴

BC293 秦宰相・魏冉の推挙により、左更となり、韓・魏と、伊闕で戦う。斬首24万。
BC273 魏を攻め、華陽を抜き、将軍の芒卯を敗走させ、三晋(韓・魏・趙)の将をとらえ、斬首13万。
     趙の将・賈偃と戦い、その兵2万人を黄河に沈めた。
BC264 韓のケイ城を攻め、5城を抜き、斬首5万。
BC260 長平で趙の趙括と戦って勝ち、降服した趙兵40万人を生き埋めにし殺害。
325無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 00:58:25
>>314
厭離穢土欣求浄土。要するに穢れたこの世を完全に見限り、清められたあの世に一切の希望を持った集団。
これが一向一揆のメカニズムの全てだろう。
だから死など恐れていないので、この世を穢れたものにした張本人らに向かっていって
死ねるならば、喜んで死んでいこうとする異常集団。
そもそも、一向宗の始まりは親鸞の流れに影響を受けた本願寺が
文字の読めない農民でも経を読めるように手ほどきをして、
罪人でも貧乏人でも分け隔てなく、経さえ唱えれば極楽浄土へいけるという教えを広めたもの。

既得権にしがみついて山ごと焼かれたボーズ共とは180度違う存在。言ってみれば、

信長が叡山の座とのつながりのような経済的既得権を破壊した存在ならば、
一向宗は叡山の僧だけが関われた神仏という存在の精神的既得権を破壊した存在。

石山本願寺も叡山に焼かれかけた歴史がある、いわば公然たる敵同士。
だから説得の余地はあったのかもしれないけど、
国家観の受け入れはまず無理でしょう、そういう穢れた現世に嫌気がさしてる連中なんだから。
秀吉や家康のように上手くそらしてしまう必要性があったということ。

特に家康は三河で忠臣ですら引き込まれて同士討ちをさせられてしまう
宗教の精神性の恐ろしさを嫌というほど味わってるだけに、本願寺対策はかなり鮮やか。
326無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:05:04
>>325

>家康のように上手くそらしてしまう必要性があったということ。
>特に家康は三河で忠臣ですら引き込まれて同士討ちをさせられてしまう
>宗教の精神性の恐ろしさを嫌というほど味わってるだけに、本願寺対策はかなり鮮やか。

そうかねぇ・・・。家康も君が批判する「異常集団」と同じ「厭離穢土欣求浄土」思想の
持ち主だったんだけどなぁ。

19歳の徳川家康は、桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれた時、
大高城から大樹寺に僅かな供回りを連れて走った。絶望した家康は、
先祖の墓の前で自害しようと決意したが、住職が家康に「厭離穢土、欣求浄土」即ち、
「戦乱の世を住み良い浄土にするのが家康の役目だ」と説き、翻意させたそうだ。

以後、家康の軍旗は一貫して「厭離穢土欣求浄土」だったな。(爆笑>>325
327無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:10:53
>>326
いや・・・だから恐ろしさを嫌というほど知ってるんだろうと思うが・・・、

恐ろしさを知ってる=嫌ってる

という意味じゃないぞ、本多正信とかもそうだし。
328無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:19:43
>>327

じゃあ、家康が厭離穢土欣求浄土思想の「恐ろしさを知ってる」から
旗印にしたことは認めるんだね?

君が「異常集団」という一向宗が「戦乱の世を住み良い浄土にする」のを
家康と同じ目的にしていたとは、考えられんのかね?

君の家の宗派は、そもそも何なんだい?
おそらく仏壇には親鸞と蓮如の絵があるんじゃないのか?

329無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:24:38
付け加えていうなら、家康がどういう思想だったかはついぞわからんけど、
家康が一向宗と同じ思想だったというのは完全にダウト、ありえない。
ただその脅威はわかっていた為、上手くそらしたに過ぎない。

まず三河一向一揆の経緯を調べてみるべし。
330無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:28:18
>>328
あぁお前さん虐殺のコピペ貼られたときに居たアホか。道理で。

まともに相手して損した。
331無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:28:57
>>329

バカか、おまい?
家康は浄土宗だ、根っこは本願寺(一向宗)と同じだがな。

>厭離穢土欣求浄土。要するに穢れたこの世を完全に見限り、
>清められたあの世に一切の希望を持った集団。

↑おまえが言い出したのを、軽くからかっただけだ、ボケ!

「厭離穢土欣求浄土」をググってみな(微笑
332無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:31:49
>>330

コペピが何のとわからんが、無知なバカをからかうのが趣味なのさ(ゲラプ)
333無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:36:58
何だ何だ?信長厨が退散したと思ったら、こんどは家康厨が恥をかきに来てるのか
334無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:45:07
ttp://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/itki/iku5/503.htm

ttp://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei046.htm

ttp://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/ikki/ikki.html

ttp://jp.fujitsu.com/family/sibu/toukai/sanei/sanei-04.html

三河一向一揆でググって見た。
家康が浄土宗をどこまで信じてたかは知らんけど、
これだけおおっぴらに衝突しておいて、根っこは同じといわれてもピンと来ないな。

狸親父の事だから、利用しただけだろ。
335無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 05:42:49
手取川スレにて

748 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/04/20(木) 11:51:35
>>746
おまえんとこ、宗派は何なんだ??
仏壇の中に親鸞とか蓮如の絵とかあったら笑うぞ。
弘法大師か天台宗でもな(笑

758 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/04/20(木) 16:40:46
>なんかシナ人臭いのが沸いてるな
↑こういうヤツにかぎって宗派は浄土真宗なんだぜw

782 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/04/20(木) 17:21:18
ここのレスで織田信長の一向宗殺戮を容認してる連中が
法事の時に仏前の親鸞・蓮如に手を合わせてるかと思うと、
思わず笑える件について。

799 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/04/21(金) 01:04:43
>>798
という君は何宗の何派なのかね?
君が法事や葬式のたびに、本来の祖先が浄土真宗かどうかは別としても、
信長を信奉しながら第六天魔王が滅ぼそうとした仏に手を合わせている欺瞞を諭しているのだよw
かりに、君のご先祖様の親族や知人が人間バーベキューにされていたとしたら、そんな欺瞞に耐えられるかね?

802 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/04/21(金) 01:27:12
>>800
なるほど、そうかね? だが、問題にしているのは信長の残虐性なのだが・・・。
〜以下略



脈絡も無くこんなキモイ喋りかたの奴が二人以上居てたまるか。
336無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 09:36:38
>>331
馬鹿だwwwwwww
信玄は孫子に傾倒してたってのと同レベルwwwwwwwwww
信徒に東西分裂させられた本願寺カワイソスwwwwwwwww
337無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 11:58:09
>>335-336>>325君)
あまりの悔しさに、とうとう一睡もできなかったみたいだな。可哀相に。

なんだかヘンなコピペばかりだが・・・・、どうでもいい。

つまり、お前は手取川スレで轟沈された信長厨房というわけか?
たしか最後のほう、論理破産して泣いてたっけな。(爆笑
338無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 12:29:33
家康や秀吉が宗教にうまく対処できたのは、その前に信長が10年の苦闘の末に弱体化
させていたから、とは思いつかないものかねえ。
339無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 14:27:24
>東西分裂させられた本願寺

>家康や秀吉が宗教にうまく対処できた

どちらもよく分かってないようだ。
明治時代の神仏分離・廃仏毀釈(神道に強制改宗)のせいで、仏教系宗教というと特殊な教団みたいに
考えがちだが、日本人はもともと信仰心の強い民族だったんだよ。
家康が戸籍制度を寺社(主に本願寺系)に頼らざるを得なかったのも、
伝統的な信仰心を巧みに利用したもので、江戸時代の寺は現在の役所機能を
持っていたわけだ。その意味では、日本人のほぼ100%が戸籍上は寺の支配下
にあったといってもよい。一向宗を特殊な狂信者集団としか把握できないなら
戦国・江戸時代の人々の意識に迫ることは無理だろうな。
340無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 14:36:31
一向宗=今で言うオ●ム心理教見たいなもんと考えちゃイカンってこと?
341無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 14:46:28
現在のS学会=法華宗(他宗派排除)は正しいかもしれんが。
信長も最初は法華に傾倒していたことだし。
342無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 15:43:25
>>339
寺社が役所の機能を受け持つようになったのは、江戸時代の幕府による宗教統制政策
からなのだが。
日本人が信仰心のつよい民族だったことも、一向宗が特殊な狂信者集団ではなかった
ことも事実だが、だからといって全ての寺社がそう簡単に政治に従っていたわけでは
ないことも事実。
というより、宗教が完全に政治に従属するようになったのは信長・秀吉以後のはなし。
それ以前は己の既得権益を守るためには朝廷とも争った、当時としては’普通の’集団
だった。信長秀吉によって宗教団体は牙を抜かれ、それによって家康は己の統治体制
に寺社を組み込むことができるようになったということ。
343無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 18:45:18
武装した僧侶がいて、権力者と戦争してる時点で十分狂信者だろ
344無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 19:24:58
>>343
だから、それが「現代の価値観」なんです。
宗教関係者が武装する。政治権力に従わない。それらは現代の日本においては
異常になるのであって、日本でも過去あるいは現代でも他の国や地域では武装
する宗教者・政府と戦う宗教団体は普通にある。特に中世は自力救済の時代で、
自分の生命財産は自分で守らなければならない。それは武士だろうと寺社だろう
とかわりはないのです。
寺社にたいして武装するなと言うのは、言い換えれば政府が守ってやるから武装
の必要はない、こちらの言うことに従え、ということです。これは寺社だけで
なく一般民衆にたいしても同じこと。そしてこれは、政府のちからがつよくなけ
れば出来ないことでもある。中世の貧弱な権力基盤では不可能だった。
345無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 19:41:53
>>344 ていねいな解説、乙。

>>343みたいなヤツが戦国時代に生きてたら、たぶん3日で狂い死にするだろうな。
天正16年の刀狩まで、僧侶や一般農民(二本差しが普通)はもとより、女子供(護身用)まで帯刀
してたんだから。集団で武装する(身を護る)のが狂信者なら、中世の郷村のすべてが>>343が目の敵にする
一向宗と同じことになる。
346無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:13:43
中世では農民=兵隊
347無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:22:51
弁慶がいい例だわな
他宗教団体を武力で圧倒するは
中世はでは普通のこと

てか、世界標準だと宗教団体が
暴力を利用しないで布教するのを信じてるの
日本人ぐらい

348無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:37:08
>暴力を利用しないで布教するのを信じてるの
>日本人ぐらい

いや、ちょっと体験のある日本人なら、そんなことは信じてない。
S学会やK福の科学と喧嘩してみな。てか、話を一般化すんな。
349無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:38:02
信長の仏教弾圧と秀吉・家康のキリスト教追放が大きい。
あれにより宗教が大勢力を誇ることはなくなった。
もっとも明治の国家神道を宗教とすればそれが日本最大なのだが。
350無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:52:27
信長が目の敵にしていたのは、日本中に関所を設置し、経済発展を阻害し、庶民を
苦しめていた連中でしょ。
室町末期の混乱を利用して、一向宗や一揆勢は年貢を滞らせたり、荘園自体を横領
したりもしてた。僧侶なのに、高利貸しをしたり、関所を設けて通行税をごっそり
取ってた。彼らが私腹を肥やすことで、更なる重税の悪循環に陥っていく。その流れを
断ち切ったのが信長。
351無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:55:12
>信長の仏教弾圧と秀吉・家康のキリスト教追放が大きい。
>あれにより宗教が大勢力を誇ることはなくなった。

三人とも寺社建立は盛んにやってるけどな。
352無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 20:58:09
>>349
厳密にいうと、信長は別に宗教を弾圧したわけではありません。
政治に関わっている「宗教団体」に、お前らは政治に関わるなと政治の世界からの
追放を狙ったのです。もっとも宗教団体の方からすれば、それまでの中世の常識
に従って俗世界に関わっていただけなんですがね。
そして信長が戦ったのは、信長と政治的に対立した宗教団体だけで宗教ならかた
はしから潰したなんてわけでもなく、信仰を禁じるようなこともしていません。
信長が目指したのはあくまで政教分離です。

例えば織田家の被官には熱田大宮司職千秋家があります。彼らは兵を率いて織田
家に従っており、信秀の代には稲葉山城攻めで、信長の代には桶狭間で時の当主
が戦死を遂げています。信長は千秋家の残された遺児を保護し、彼が元服した時
には遺領の返還を約束した上で「大宮司は重要な職なのに当主が続けて戦死して
しまった。これからは俗世に関わることなく神職の務めをはたせ」と告げてます。
353無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:00:46
こういう見方も可能だな。

信長に目の敵にされたのは、日本中に関所を設置し、地域経済を発展させ、
信長に代表される戦国大名の専制支配を苦しめていた連中でしょ。
室町末期の混乱を利用して、信長は矢銭を強制徴収たり、寺社荘園を横領
したりもしてた。庶民を護る武士なのに、軍役をかけ矢銭をごっそり取ってた。
彼が私腹を肥やすことで、更なる重税の悪循環に陥っていく。その流れを
断ち切ろうとしたのが一向宗徒。
354無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:08:51
書き込みする前に読み直しとかしようぜ
355無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:19:51
>>353
中世の関所がどういった意味をもっているか分かっていないようだけど・・・。

当時、寺社の関所にかかる関銭は運送費とほぼ等価。つまり関税100%。
これが如何に経済や流通の発展を阻害したかは分かる?
政府が公的資金を徴収する意味の本関と、寺社が自分の私腹を肥やすために
勝手にあちこちに設置した新関とは、意味が違う。
だいたい、なんで「日本中に関所を設置し」が「地域経済を発展」に繋がるんだよ。
356無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:29:44
一応いっておくと、寺社が設置した関所も名目は喜捨であり、その金は寺社の修繕や
運営費、また救済事業に使われるとしている。
このあたりは政治もかわらない。京の七口に関所を設けた室町幕府はそれによって運輸
関係者による一揆をひきおこしたがその後も関所が廃止したことはない。
義政の銀閣建造費は関所の通行料だし、妻富子もやはり通行料でしこまた蓄財して、その
金を使って応仁の乱時に軍事費として貸し付けたりしている(慈善事業も行っているが)。

そういった通行料徴収目的の関所を撤廃したのが信長。
ちなみに往時、伊勢国内の伊勢神宮への街道では50箇所の関所があったとか。
357無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:34:43
ほとんどの大名が宗教勢力が武装したり政治に介入することを
よく思っていなかったはずである。
しかし信長以外の大名はそれに対して妥協したりして結局何も
できなかっただけの話。
理想をかかげそれを実行した信長は立派な政治家といわざるを
えない。
358無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:34:48
軍勢で押しかけて来て「カネ(矢銭)出せ!ゴルァ!」のが悪質じゃん。
関所を通るか諦めるか(関税=受益者負担)という選択の余地もなし。
359無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:36:52
>ほとんどの大名が宗教勢力が武装したり政治に介入することを
>よく思っていなかったはずである。

論拠なし(都合の良い想像)だね、ほとんどの戦国大名が寺社に帰依し、寺社勢力を利用してる
のに? 信長も利用できないと判断したから大量虐殺したわけっしょ?
360無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:41:06
謙信 信長は寺社を利用したくても利用できなかった
ってとこでしょ
361無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:41:13
信長は寺社を利用しようなどという考えはもっていない。
362無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:43:04
>>358
いいえ、矢銭も出すかどうかの選択判断はありましたよ。もちろん、出さなかったら
どうなるか?という面はありますが。そして矢銭を払うというのは服従を意味しており
その後の保護を求めるという意味があるので、受益者負担という点では同じですね。

ちなみにそれをいうなら街道の関所も同じです。関所側は、この街道通ってうちの関所
を使えやゴルァと強制的に通行させて税をふんだくるなんてこともやってます。
363無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:43:11
>寺社が設置した関所も名目は喜捨であり、その金は寺社の修繕や
>運営費、また救済事業に使われるとしている。

だとしたら、大いに「地域経済を発展」に繋がるな。
寺社の修繕=労働現場の確保
運営費=周辺事業の活性化
救済事業=貧民救済・福祉充実

いいじゃん!
364無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:45:38
>信長は寺社を利用しようなどという考えはもっていない。

基礎から勉強し直せ。法華宗を利用し、キリスト教を利用し
みずから安土城下に寺社を建立した信長を知らんのかね?
365無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:46:39
>>363
建前を丸呑みしちゃ駄目だよ。あくまで名目ね。
何事も、名目通りとは限らない。
366無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:48:32
>>356>>362 よく勉強してるなぁ。この人のカキコを読むだけで
ここに来る価値があるよ、ホント。
367無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:50:34
一向一揆で何も遺恨が残らないとでも?
368無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 21:59:32
>もちろん、出さなかったら どうなるか?

矢銭を出さなかったら、村ごと焼かれて人間バーベキュー?
369無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 22:13:43
>>368
大名や豪族などの支配者階級は何もしませんね、基本的には。
ただ、矢銭を出さないということは支配を受け入れないということで、逆に言えば
支配による保護もないということ。雑兵が略奪しようと山賊の類が襲撃してこようと
他の大名が侵略してきても、大名豪族には保護責任がないので放置します。
370無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 22:23:26
何もしないわけねーだろ
371無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 22:43:25
 永禄十一(一五六八)年、織田信長が上洛するや、日和見(ひよりみ)の堺衆に先立ち、
久秀は我朝無双といわれる「つくもかみ」、宗久は「松島の茶壷」「紹鴎茄子(なす)」の
名茶器を献上、信長の機嫌をとり結んでいる。さらに翌十二年、信長が堺に矢銭(戦費)負担
を申しつけ、堺衆が理不尽だと顔を真っ赤にするのを宗久はひたすらなだめすかし、
矢銭二万貫を献上する原動力となった。骨のないくらげのような男だと憎まれるが、
堺が火の海になるのを救ったのは彼だ。信長は喜んで堺を直轄地とし、宗久に
二千二百石も与え代官に任命する。
372無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 23:12:36
やっぱ人間バーベキューか・・・・orz
373無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 23:53:22
上洛後の永禄十一年(1568)、信長は自治都市として繁栄を謳歌していた堺に
矢銭(戦争税のようなもの)を課した。堺は三好三人衆と結んでいたため、それを拒否した。
信長は翌年、もう一度警告した。
「近日中に数万の兵を出して堺の町を一軒も残らず焼き払い、老若男女一人も
残さずなで切りにするであろう」
 このとき、堺は賢くも信長に屈伏した。もし、このとき逆らえば、
後の比叡山のような目にあったのは間違いなかった。
374無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:05:04
>>339>>344
宗教の政治的機能や、宗教団体が武装する事など特に異常だとも思わないし、
特に戦国時代に関して言えば、その宗教団体の大元締めである叡山が強い権限を持って
いたわけで、権力と武力がつながることなど、時代も時代だし珍しい事じゃない。

これと同様、一向宗をまとめる存在だった本願寺も
それ自体は一つの宗教団体であり、僧であるので特別な事は無い。

異常だといってるのは、その宗徒の戦国期におけるその広まり方と、
それを信じた一般庶民の恐るべき行動力そのもの。
そもそもそれまでの神仏というもの自体、神聖不可侵なもので僧の特権であり、
ただ畏怖する存在であっただけだった。
そこへ蓮如が権力も財力も関係なくただ唱えれば、ただ求めれば極楽へいけるという
考えを庶民に広めた事から一気に拡がっていった。
これ自体が当時からすれば異質極まりない事であって、
それまでの仏教徒同士の単なる小競り合いでは済まされないものになっていった。

特にそれを異質に思ったのは他でもない叡山であって、
神仏を特権階級のものとしていた層であることは言うまでも無い。

その流れから更に進んで浄土宗となり、おっしゃるような政治的機能に絡みつつ
溶け込んでいったわけで、むしろ「現代の価値観」で言うなら、
俺らこそ既に当時のようなものではなく
江戸時代から現代にかけてもっと受け入れやすいものになった形で
浄土真宗の一部を根底に知っているが、
そんなものは知らない当時の人らからすれば、どれだけそういう人らが異常に写った事か。
という事、家康もそうだが色々な大名家もその理解し難い考えを恐れ
わざわざ一向宗を禁教としてるんだから、異常でないわけが無い。
375無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:05:32
>>373
>信長は翌年、もう一度警告した。
>「近日中に数万の兵を出して堺の町を一軒も残らず焼き払い、老若男女一人も
>残さずなで切りにするであろう」
ソースよろしく。
376無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:07:38
まったく迷惑な天下布武だな

信長と本願寺第11代法主・顕如の接触が始まったのは永禄11年(1568)9月、
信長が足利義昭を奉じて上洛した頃からである。信長は京周辺の平定を終えると、
畿内と西国を結ぶ摂津国大坂の地に寺院を構える石山本願寺に明け渡しを迫る
一方で5千貫の矢銭(軍事後援金。米1万石相当か)を課した。信長の意図を知る蓮如は
矢銭の要求に応じたが、それで許す信長ではなかった。信長は宗教勢力との共存ではなく、
あくまでも己の『天下布武』の傘下としてのみ宗教の存在を認める、という考えだった。

377無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:40:20
殺戮魔だな

信長は永禄十二年二月、軍勢三千をもって別所に陣取り、港町尼崎に矢銭を課し、
これを拒否した尼崎衆と戦いをまじえ、四町の間をことどとく焼きつくした。
堺があくまでがんばれば、尼崎と同様の運命にあったわけである。この危難を救ったのが、
今井宗久であった。今井宗久は、永禄十二年八月十七日付、三淵藤英あて書状に、
「去年より公方様ならびに信長御台御料所、拙者に仰せつけらる」とあり、今井宗久は、
堺と周辺の代官に任命され、信長は戦わずして堺を手に入れる見通しを得たため、堺を引きあげた。
自由市堺は、信長の前に解体した。
378無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:42:46
>>376
いえ、もう少し古いですね。
信長上洛前に、顕如は岐阜へ使者をやって「こののち上洛するようですが頑張ってくれ」と
祝福と馬・太刀を献上している。
つまり、本願寺は本来は親信長、というよりは親義昭派?といっていい。
何故かというと、当時は義栄派とそれに繋がる三好一族によって畿内は騒乱状態になって
いたので、それにかわって平穏と安定をもたらしてくれる勢力は歓迎だった。だからこそ、
上洛後の矢銭要求に二つ返事で応じた。小説などでは顕如の策がどうこうと>>376みたいなこと
を主張するものもあるが、実際にはこのころはそんなものはない。

もう一つ、信長が大坂本願寺の土地明け渡しを要求したというのは実は根拠がない。
そんな使者なり要求が実際に行われたということは、織田側にも本願寺側にも寺社
朝廷商人その他当時の記録にまったくない。
ただ一つ、顕如が各地の一揆に対織田の蜂起を呼びかけた檄文にその主旨のことが
書かれているが、当然ながら一次文書でもないので確定とはいえない。
ちなみに、現代の本願寺ですら「檄文ではそう主張されたが、本当にそのような要求
が出されたかどうかは判らない」と言っている。
379無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:44:19
ヤクザだな

信長はまず摂津に出陣して池田勝正をくだすとともに、十月二日摂津、和泉に矢鎖を課した(『細川両家記』)。
石山本願寺が礼銭五千貫、法隆寺が防築銭千貫余に対し、堺は二万貫という巨額の矢銭である。
信長の威嚇的な矢銭の強要に対し、堺衆は断固拒否し、南北両荘一致して防戦の用意をした。
城楼をあげ、掘を堀り、北の口々に樋を埋めて、矢銭の徴収を延期させようと計った(『細川両家記』)。
『津田宗及茶湯日記』にも、「去年(永禄十毒)十月ゴロヨリ、堀ヲホリ、矢倉ヲアゲ、事ノ外用意共イタシ候」
とある。堺の会合衆が摂津平野郷の年寄衆に対し、共同防衛を促したのもこのときのことである。
 これに対し、信長は、「もっての外の御気色」であり堺もその攻撃を恐れて、上を下への大混乱におちいった。
380無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:46:20
>>378

なるほど、鵜呑みには出来ないな・・・。
サンクス。
381無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:50:10
自分の支配下に入らない武力を持った勢力に、領内での
自治権を認める支配者のほうが間違っている。
382無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 00:50:56
>>377
永禄十二年十二月って、本気でいってるのか?
383無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 01:02:26
>>381
だよな
そんなこと許したら、自分が泊まってる寺に焼き討ちかけられちまうもんな
384無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 01:16:54
逆らうバカはぶっ殺してしまえばいいんだよ、なにしろ天下布武だかんな。
ぬるいこと言ってて、天下が治まるかい。狂信者たちは皆殺し、女子供も焼き殺し。
それが支配者の原理だろ? 何か間違ってるかい?
385無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 01:26:47
>>384信長様でつか?
386平民バカ:2006/05/07(日) 01:30:07
このまま、貧富のさが開けばさ。
TOYOTAや創価学会に墾田永年私財法が適用されて、三十年もすれば不輸不入の権利を獲得して自前の治安組織を作るだろうな。
ヤクザや不法入国者を武力として雇ってる内に実権を奪われる奴らもいるかもね。
それで日本人どうし争う。
政府が調停に乗り出しても無視して争い、政府は実権を失う。
そんな日本を建て直そうとしたら、TOYOTAや創価学会に何を求めると思う?
双方特権を維持したままの共存共栄か。
特権を剥奪し、中央集権化するか。
坊主は坊主、商人は商人に戻れというのが筋だと思うよ。
387無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 01:35:55
>>386

言いたい事はわかるが、S学会(実名挙げるな、告訴されるぞ)に
坊主はいない(信教団体だ)し、TO×OTAは信長公の地盤だろ? 圧倒的シェア確保で
業界に覇権を唱える商法も。ヤクザまがいの矢銭要求も信長公なんだがな。
388平民バカ:2006/05/07(日) 01:49:35
今まで安かった法人税を所得税を引き上げ、宗教家は教義の徹底を義務付け、堕落を許さないと言ったら…
宗教界、医師会や経団連は猛反発だろうよ。
しかも、その時の彼等は武力まで保有している。
今以上に貧しい社員や信者らも何代にも渡って教育され縛られてきたしがらみには逆らえないよ。
だから、みんな立ち上がるだろうね。
たけど、それは労働者の自治闘争か?
単なる大企業、勢門宗教の特権維持でしかないだろ。
一向一揆も堺衆の抵抗も最下層の農民や労働者の自治権獲得とは関係無いよ。
389無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 02:02:58
悪くない事いってるように思うんだが、
現代に例える事でかえってわかりづらくなってる気がするぞ。
390平民バカ:2006/05/07(日) 02:06:19
>>387
別に創価学会やTOYOTAが違法行為をしているとか、言っているわけじゃない。
訴えるならどうぞ。
歴史の流れとして、地方分権と貧富格差が進んだ場合、自然そうなるって事を言ってるだけ。
分かりやすい行政以外の大組織として例を上げただけ、別に山口組でもいいんだが、その脅威とはまた別だからな。
TOYOTAや創価みたいな暴力団でもない組織が肥大化、荘園を持ち、武装したのが本願寺とか堺、伊賀の里といった自治勢力だと思う。
放置すれば応仁の乱のような、争いの元になることは目に見えている。
391平民バカ:2006/05/07(日) 02:11:35
>>389
ごめん。
現代に例えているうちに、信長云々ではなくて、現在の日本に腹を立ててしまってたよ。
392無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 02:29:36
>>388
厳密に言うと、各地の一向一揆と本願寺は別ものです。
本願寺はもともと蓮如以来「王法為本」として現世権力には従うことを唱えてきた。
だから、本来は上からの支配を跳ね返そうとしてきた地方の一向一揆を認めず否定
してきた。
信長という共通の敵を前にして共闘することになったが、両者の本質的な対立原因
が解決されたわけではないので指揮系統が存在することもなかったし、上下関係が
成立することもなかった。その矛盾が一気に噴出したのが越前。上からの支配を拒
んで挙兵した地元の一揆衆と、その一揆を下部組織として組み込もうとした本願寺
から派遣された坊官の対立が最後には武力対決にまで発展している。
393無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 03:15:19
>>392
学があるなぁ・・・。

蓮如も一向一揆(暴力的反抗)には反対してますしねぇ。
その上部組織と下部組織、地方組織の不統一ですが、
たとえば、謙信が高梨氏との関係で越後一向宗の布教を解禁(為景時代に禁宗)し、
そのいっぽうで越中一向宗(信玄の煽動というか、顕如に依頼した一揆)と戦う
なんかも、史実と思われますか? 真宗寺院の伝承しか残ってないようで。

つまり、越後一向宗と謙信の早い段階での和議。
あ、ついでの折で結構なんですけどね。
394平民バカ:2006/05/07(日) 03:16:14
>>392
そういえば、勝手に戦った人間を坊さんが処罰した話があったね。
本願寺と一向一揆衆はほとんどの場合、目指すところが違っていたのかも知れないな。
395無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 06:24:03
織田信勝(信行)は達成と改名したらしいけど
これは清洲織田家の名跡を継承したという意味?
396無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 10:01:25
>>392
なるほどな。何故上杉と和解しておきながら北陸の一向宗は徹底抗戦を
唱えて本願寺の使者まで追い返したのが理解できたよ。
と、なると1566年に朝倉と上杉が同盟組んだのも貿易協定だけでは耐えれる状況ではなくなった、
一向宗相手として必然的に、となるか。

>>393
越後一向宗の和睦については浄土真宗かな?(自分の宗派なのに知らない)
の新潟各地のお寺さんに伝わっているよ。書も残ってるそうだから史実じゃないのかな?
うちは和睦した時に入信が流行したとかで入ったとか。
しかし高梨氏の関係でってのは初めて聞いた。越後国内の争いのためっては聞いてたけど。
盆にでも住職に聞いてみようかな。
397無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 11:25:49
流れを読まずにカキコ
信長の偉大な所は
対立した宗教勢力は攻撃しても、
その宗教自体は禁止しなかったことだな。
あの時代に政教分離をやり遂げたって世界史的に見ても凄い事だよ。
398無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 12:05:08
うーむ、禁教はチラつかせてるから、政教分離の思想があったとするのは偶然の
結果をとらえての評価にすぎんかもな。たしかに一向宗を禁じた史料は残っていないが。

「公記」より、荒木謀反に関する処置。

高槻城主の高山右近はキリシタン門徒であり、それに目をつけた信長公は一案を廻らした。
陣中へバテレンの宣教師を召し寄せ、「右近に忠節を働きかけよ。さすれば何処にキリシタン寺を
建設しようとも許可する。しかしもし請けぬというなら、その時は宗門を断絶する」と申し渡したのである。
宣教師としては請けざるを得なかった。
かくして宣教師は佐久間信盛・羽柴秀吉・松井友閑・大津伝十郎に同道されて高槻に入り、
理をわけて右近を説得した。このとき右近は当然ながら荒木方へ人質を差し出していたのだが、
右近はこのさい小鳥を殺して大鳥を助けることがキリシタンの繁栄につながると考えた。
そうして伴天連の説得に応じ、高槻城を開城することを承諾したのであった。
399無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 12:24:00
>>396

レス、サンクス。

「高梨氏の関係で」というのは、信濃本誓寺の越後移転のことです。
おそらく天文20年台の初め、武田氏の北信濃侵攻以後で、高梨政頼(本誓寺大旦那)が
謙信の縁戚であることからそうなったらしい。謙信上洛時に本願寺との交渉(支配地域内通過?)
も、高梨氏の仲介だった説(井上鋭夫氏)もあります。何かわかったらお盆にでもUPしてください。

若干スレ違いで、スマソ。
400無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 15:29:36
信長は生臭坊主が嫌いなだけなのです。
401無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 03:15:11
いんにゃ、女子と幼児の泣き叫ぶ悲鳴が好きなんだがやぁー!
402無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 19:05:33
織田厨ホイホイage
403無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 20:25:25
アンチホイホイでもある罠
404無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 20:27:18
そんな益体もないものより美人ホイホイとか作れ
405無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 20:29:50
信玄厨が顔を真っ赤にして書き込むのを見守るすれっどはここですか?
406無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 20:43:49
織田厨は何か勘違いしてるようだな
信長だろうと誰であろうとも、尾張と言う立地条件で周りの諸大名も
雑魚揃いだし、誰でもあの程度の勢力にはなれた。
407無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 20:46:08
勢力的には少なくとも今川は大敵だったよ。
将が無能だったことは否めないが。
408無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 20:56:12
義元は無能ではない、桶狭間で討たれなかったら
信玄など普通の大名で終わっていた。
409無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:09:03
ま、信玄・氏康・謙信と関東甲信越の3英傑とガチでぶつかってたら、
信長は歴史の脇役で終わってただろうな。
410無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:15:30
ぶつからない様にしてたのも信長の器量だと思うが
でもま、もし長篠戦の大将が勝頼で無く信玄だったとしても、鉄砲の需要をそんなに認知して無かった所を見ると
似たような戦法を取りそうなもんだがね。
最も、引き際は鮮やかだろうがw
411無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:21:43
>>ぶつからない様にしてたのも信長の器量だと思うが
びびりなだけだろう。

>>鉄砲の需要をそんなに認知して無かった所を見ると
これは後世の捏造ですよw
412無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:25:54
>>411
>びびりなだけだろう。
ビビってたからこそぶつからない様に手を回し、結果として一度も正面から敵対したことは無かった
そうは考えられませんか?
>これは後世の捏造ですよw 
それは知らなかったな。
じゃあ何か、信玄が鉄砲を重く用いた戦ってあったっけ?記憶に無いなぁ・・・
413無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:28:36
信玄は信長のことを過小評価していたし前時代的な
人だから逆に武田の滅亡を早めたかもしれない。
414無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:45:40
>信玄が鉄砲を重く用いた戦ってあったっけ?記憶に無いなぁ・・・

君の記憶(というよりも不勉強)にないだけ。
「妙法寺記」(弘治元年・1555)に「旭城砦に鉄砲300、弓800を入れ」
とある。写本しか残らない「公記」よりも信頼すべき一次史料だな。
信長は天正4年(長篠の翌年)に、天王寺で本願寺の鉄砲数千挺に驚いてる
から、「公記」の長篠3000挺(写本で改ざん説が有力)は真っ赤なウソだね。
415無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:57:25
信長は全てが凄かった

自ら無から新たなことを創造する能力がありながら
敵の真似を平気でガンガン行う
暴君と言われている、部下は大変だったことだろう
だがしかし関所を廃止したり楽市楽座を行ったり民衆には結構いい政治を行っていた
悪運が無茶苦茶強い、奇跡起こりまくり
最後の最後でとんでもなく運が悪い事態に陥った

もうね、普通の人間の物差しじゃ計れんよ
416無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 22:58:41
鉄砲を重視するかしないかは別にして東国では鉄砲
や硝石が手に入りにくい。
417無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:01:54
信長は全てがバカだった

自ら無から新たなことを創造する能力がないので
敵の真似を必死にガンガン行う
暴君と言われている、部下は大変だったことだろう
しかも安土城下強制宿泊命令を行ったり民衆には迷惑な政治を行っていた
悪運が無茶苦茶強い、弱くて無能なのに奇跡起こりまくり
最後の最後で、当然の事態に陥った

もうね、バカな人間の物差でしか理解できんよ
418無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:04:16
>>417
んじゃ人の真似ができない他の戦国武将はもっとバカだったというわけだな
ていうか人間そんなことそうそうできることじゃねーぞ それができりゃ第2次世界大戦でもうちょっとマシな戦いが・・
日本人の性質ではちょっと無理なことだな


重税かけまくってた武田よりかはマシでしょ
419無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:07:31
>鉄砲を重視するかしないかは別にして東国では鉄砲
>や硝石が手に入りにくい。

こいつ、何も知らんバカか?
狼煙の原材料が何か知らんらしい。信玄の狼煙台は永禄以前に整備されていたよ。
堺に硝石が入る前に、越中五箇山(一向宗)では硝石が作られてたわけで。

人糞(獣の糞)を培養し、硝酸塩→結晶化→硝石(硝酸カリウム)

420無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:09:20
とにかく信長が超合理的な人間であったのは確か
プライドも何もかなぐりすてて相手のやり方を平然とパクり能力重視能力重視 
家柄? んなもん知ったこっちゃねー
官職なんていらねーよ、金と武器が必要 だから堺よこせ

だがそれだけじゃ部下はついて来ないよなぁ・・ いや、意外とついてきていたのかも・・
421無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:11:04
「妙法寺記」(弘治元年・1555)に「旭城砦に鉄砲300、弓800を入れ」

これ、第二次川中島合戦だな。善光寺別当栗田鶴寿を支援するために
3000の兵と鉄砲・弓を搬入。つまり、信玄の兵力(当時15000)の
先陣隊にすぎない。本隊の鉄砲装備率を同じにすると、長篠より20年前に
1500挺も装備していた可能性がある。
422無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:11:06
昨日「日本人に好かれる偉人」ってので、信長が見事1位に輝いてたけど
信長に票を入れる人って、「信長は桶狭間で今川義元を少数で破った」位の事しか知らないんだろうなぁ。
虐殺した事も、信玄に酷く脅えていた事も、自分勝手だった事も知らないんだろなぁ。

俺はそんな信長が好きですが。
423無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:12:43
NHKの「その時、歴史が」では、投票数で光秀に負けてたけどな。
424無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:15:15
いいんだよ
みんなに評価されて
みんなから人気があって
みんな大好きな信長なんて
信長じゃないやい!
425無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:17:00
信長はさ
凄いけど酷い人ってくらいの認知度が丁度いいんだよ
426無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:19:07
どっちにしても、織田信者の不勉強と頭の悪さは困りものだ。
信長という虚構で日本人(ビジネスマン)に活気を与えようとする
ビジネス系作家たちの思惑とは相反して、バカばかり再生産されてるんだから・・・orz
427無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:20:55
世間一般の信長の認知度

・桶狭間で僅かな兵で今川義元(バカ)の大軍を破った
・長篠の戦いで三段鉄砲という活気的な戦術で時代遅れの武田勝頼(バカ)を撃破
・比叡山焼き討ち
・外国のことに興味津々
・キリスト教を保護した

まぁこんなもんでしょ
確かにエンターテイナー性が高いのは確かだ
だがこれらは全てが間違いっつーか実際には微妙にズレてたっつーか・・
428無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:21:29
つか、信長の場合はさ
関連書籍が多すぎて内容がごっちゃになってるんじゃね?
429無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:26:19
信長について知るならどういう書籍を読めばいいのん?
取り敢えず、司馬遼太郎の「覇王の家」、「太閤記」
坂口安吾の「信長」は読んだんだけど、今一事実性に欠ける気がしてならない。
そういう書籍で得た知識を、こういう場所で披露するには全然全然早すぎると思って、ずっとROMりながら知識収集してたんだけど
それでまた矛盾点とか相違点が出ちゃうと頭が混乱する。
なので、こういう板に居る人たち、こと、信長スレに居る人たちの信長についての知識収集源を知りたい。
よろしくたのんます。
430無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:29:57
信長信者を心酔させるバカな虚構の一例

@本願寺に鉄砲で苦しめられた信長が、史上はじめて鉄砲隊を組織したウソ
A楽市は先例があるのに、信長の独創だったとするウソ・楽座もウソ
B法華宗に帰依し、寺社建立など信仰心が強かったのに、無神論者とするウソ
C天動説のカトリックイエズス会士から、地動説を学んで理解したというウソ
D没年の秋に施行されたグレゴリオ暦を知っていて、朝廷に暦改正をせまったというウソ
 以下、後述。
431無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:31:01
>>430
全部知ってるよ まぁ全部本当かはともかく


でも信長は天才で偉大
432無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:34:00
>信長について知るならどういう書籍を読めばいいのん?
>取り敢えず、司馬遼太郎の「覇王の家」、「太閤記」
>坂口安吾の「信長」は読んだんだけど、今一事実性に欠ける気がしてならない。

小説で歴史を勉強してるのか? しかも、史料吟味が最悪のラインナップだな・・・
まず「公記」(町田本の訳本)、「織田信長文書の研究」(新人物往来社)あたりから。
433無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:40:28
>>414
それでも少ないわな。他家の資料を見ても特別多いわけでもなく
重要視していた理論は成り立たない。それと肝心の火薬の調達は?
自分で作るとしても秘伝とされてた調合比を知っていたのかなー?

>>419
必死だなw
越中に硝石が取れる山が存在していた事さえ知らないとはなwwwwww
それでも生産量は輸入をしなければ追いつかなかったわけだが。
それと人糞の硝石は純度が低い。当時の技術で銃として暴発しない硝石を精製できる可能性は極めて低い
秀吉は堺の商人に対して良質の硝石を求めた書も残っているわけなんだが

>>421
そうか!武田は防衛と野戦も同じ状況で戦うんだね!
流石織田に皆殺しにされただけはある☆
長篠で先陣の安中隊は開始早々、弾切れで突撃したのにね〜〜〜
434無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:43:48
>>432
dくすこ!
>小説で歴史を勉強してるのか?
最初は資料系の信長本を選ぼうと思ったんだけど、信長の生涯を抽象的にしか載せて無いのが多かったから
年代も同時に知ろうとしてた僕にはどうも合わなくて。。。
公記も、字だけなら聞こえの良い創作物だと思ってたから、であれば有名著者である司馬遼太郎のほうが参考にできるかなと勝手に勘違いしちゃって。
とにかくありがとん。
435無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:45:49
司馬は面白いが偏ってる人だからな〜
面白いんだが
436無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:49:20
>秘伝とされてた調合比>>433

確実な史料として残ってるのは、上杉謙信が足利義輝から下賜された
「鉄砲並び火薬調合」(上杉文書・もとは大友氏から伝来)だから
君にも説明不能の質問じゃないかね? 火薬調合は相伝です。

>越中に硝石が取れる山が存在していた事さえ知らないとはな>>433

知りたいので史料をあげてください。無理だと思うが。

>それと人糞の硝石は純度が低い。当時の技術で銃として暴発しない硝石を精製できる可能性は極めて低い

論述自体が、論理矛盾してる。ちなみに、江戸時代の硝石は人間の糞尿から培養・精製がメイン。

437無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:55:49
信長が現代に存在していたら・・!

意外とつまらん人間をやっていたかもしれん
何しろ今の時代人殺しなんてやったら人生真っ暗 そんな大損なことをあの超合理主義者である織田信長が果たして行っただろうか、いやない
政治家になったら有事の際には役に立ちそれ以外でも役に立つという一見素晴らしいがその代わり有事が実際に発生したら何をやるかわからん

意外と企業の社長なんかやってボロ儲けして好き勝手やってるかもしれん
438無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:58:07
>>432
軍事面においてなら、谷口克弘氏の著作がいいかと。中公新書あたりならお手ごろでしょう。
439無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 23:58:54
>>433は、硝石を鉱物と勘違いしてると思われ。
日本の山から採れるとは初耳だwww
440無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:01:06
つか、信長の冒険的発想は保守的派閥の多い(多そうな)現代ではあまり容認されないかと。
あまりの冒険っぷりに家老ですら一時見捨てるくらいだし、とてもとても。。。
441無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:02:14
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%B8%82%E3%83%BB%E6%A5%BD%E5%BA%A7
この記述は信じていいのかな?
朝市とか十日市とかは信長の楽市楽座の流れだそうな。
私の拙い記憶力では、鎌倉時代の市に由来していたような気もするが。

(島根県には、六日市という町に七日市という地区がある。ちょっと面白いね)
442無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:11:27
>>433 は逃亡か??
少なくとも、お前が尊大にも批判したアンカー先の人たちは
ちゃんと一次史料に典拠したカキコだったよな?
>>436あたりの質問に答えてみれ、バカが!
443無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:14:55
433 名前:無名武将@お腹せっぷく :2006/05/08(月) 23:40:28
>>414
それでも少ないわな。他家の資料を見ても特別多いわけでもなく

弘治元年当時の、他家の史料とやらをUPしてください。
444無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:25:03
>>433は典型的な信長狂信者
史料も読んだことがないくせに、安易な解説書の請け売りで恥をかく
445無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:25:12
>>436
>知りたいので史料をあげてください。無理だと思うが
1572年に五箇山から日本海経由で石山城へ火薬運搬されているが?(養照寺由緒書より)
で?なに?

>君にも説明不能の質問じゃないかね? 火薬調合は相伝です。
は?本願寺と将軍は密約を破り上杉に火薬製方秘伝書を渡したとして信長から非難されてますがなにか?
相伝なんですか。ふ〜ん

>論述自体が、論理矛盾してる。ちなみに、江戸時代の硝石は人間の糞尿から培養・精製がメイン。
18世紀に入ってからですがなにか?
武田は時空さえ越えられるのですねwwww
446無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:26:36
436が発狂していたようだなw
やれやれ
447無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:34:39
>>443
同規模の天正三年上杉軍役張によれば国人集だけになるが

鑓3604 打物類 650 鉄砲 316 旗368 馬 566 

といった所。
軍役張だから防衛の分はまた別。
別に武田が特別重視していたとは思えないが?
448無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:36:37
>>445

>五箇山から

だから、越中五箇山は硝石の培養地であって、山から鉱物のように採れたわけじゃないってば!

>>419より
堺に硝石が入る前に、越中五箇山(一向宗)では硝石が作られてたわけで。
人糞(獣の糞)を培養し、硝酸塩→結晶化→硝石(硝酸カリウム)
>>433より
越中に硝石が取れる山が存在していた

>本願寺と将軍は密約を破り上杉に火薬製方秘伝書を渡したとして信長から非難されてますがなにか

典拠史料は? ハッキリと示してください。
>>436より
「鉄砲並び火薬調合」(上杉文書・もとは大友氏から伝来)

織田氏と本願寺が、大友氏伝来の上記文書を知っていたとする史料は?
ちなみに、公記には信長と義輝が鉄砲に関する交渉をして記録はありません。

>それと人糞の硝石は純度が低い。当時の技術で銃として暴発しない硝石を精製できる可能性は極めて低い

「純度が低い硝石」(人糞培養・精製)が「暴発しない硝石」という論理矛盾は説明できないわけですね?
449無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:38:37
>同規模の天正三年上杉軍役張

ははは、弘治元年から20年後の史料ですなwww

UPして欲しいのは、弘治元年(少なくとも数年の誤差)史料だよ
450無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:43:16
>>449
無茶言うなよ。なら当時の織田の資料を提示してくれないか?無理だろ
451無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:43:19
>>447 名前:無名武将@お腹せっぷく :2006/05/09(火) 00:34:39
>>443
>同規模の天正三年上杉軍役張によれば国人集だけになるが

国人集(国人衆が正しい)だけだって??
史料もまともに読めんのか、ボケ! 天正3年上杉軍役帳は
一門衆と旗本もふくめての数字だよ。
452無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:44:58
>>451
あー、そうだな。書き間違えた。
しかし口の悪い奴だな
453無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:45:41
>無茶言うなよ。なら当時の織田の資料を提示してくれないか?無理だろ

たしかにそうなので、

>それでも少ないわな。他家の資料を見ても特別多いわけでもなく>>433

がウソだった、ということで決着しますた。
454無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:47:25
しかしどうしても武田厨は鉄砲に負けたんじゃない!!理論に固執してるようにしか思えんな。
455無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:48:37
>>453
俺は別人ですがなにか?それと3段論法はよせよwwチャンコじゃあるまいし
456無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:49:00
天正3年の上杉軍=鉄砲316(総勢約5000〜8000人)
弘治1年の武田軍=鉄砲300(先陣3000人)※20年前

これでよろしこ?
457無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:51:28
>>433(445)は>>448の「史料提示要求」には応えるべきだな。
458445:2006/05/09(火) 00:55:41
ややこしいからコテ付ける。迷惑なら外す

>>448
>だから、越中五箇山は硝石の培養地であって、山から鉱物のように採れたわけじゃないってば!
当時は培養しようにも硝石菌が確立しておらず掘り出していたんじゃなかったか?

>典拠史料は? ハッキリと示してください
本願寺文書と同じく上杉文書
本願寺と将軍に謁見してもたらされた部分は読んでないの?

>織田氏と本願寺が、大友氏伝来の上記文書を知っていたとする史料は?
本願寺の資料と本願寺文書。もっとも現代語訳された物だけどね。
459445:2006/05/09(火) 00:58:35
>>457
残念ながら専門家でもなけりゃ無理だな。
それよりそれで信玄が鉄砲を重視していたとする理論は無理があるだろ。
460無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 01:06:26
>>445さん、ありがとう。

>本願寺と将軍に謁見してもたらされた部分は読んでないの?

「上杉家文書」(文書四七三、越佐史料四-203)は読んでますが、将軍義輝から下賜された
とはあっても、本願寺云々はありませんね。永禄2年の上洛時に、謙信は本願寺
し家臣を遣わして進物を渡してますが(越中・加賀領内通行のお礼)、本願寺を
訪ねた記録はありません。
「本願寺文書」ですが、天正年間に本願寺が謙信に鉄砲衆を提供し、
信長軍を破った(手取川?)とする記述もあり、史料としての信憑性は
疑問です。お手元にお持ちでしたら、抜粋でもUPしていただけると、分析が
可能かと思います。

ここは外野が煩いですが、史料検証が出来るスレだと思っていますので、よろしく。
461無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 01:07:21
武田は織田に負けたわけではなく鉄砲の威力の前に負けただけだ!!!!!
462無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 01:15:41
>当時は培養しようにも硝石菌が確立しておらず掘り出していたんじゃなかったか?

勝手な推論に逃げるな、ボケ! お前は山から採れると主張したんだぞ!

>本願寺と将軍に謁見してもたらされた部分は読んでないの?

読んでねぇよ、バカ! そんなこと、どこにも書いてねんだもんwww!

>本願寺の資料と本願寺文書。もっとも現代語訳された物だけどね。

そんな記述があるかどうか知らんが、お前わかってんのかぁ??
本願寺文書は江戸時代の編纂記録なんだよ、そもそも!
一次史料があれば、待ってやるからアップしろよ!
463445:2006/05/09(火) 01:18:01
>>460
残念ながら本願寺文書は持っておらず。現代語訳も以前読んだだけ。でも嘘じゃないよ。
田舎だから図書館にもなさそうだなー。
うぷできる人がいたらうぷして欲しい。
上杉文書だけだと将軍とだけだと思うけど、本願寺とも上洛時に交渉しているんだよ。
もっとも武田、北条警戒して内密に行っていたわけなんだけどさ。
この辺は本願寺文書の本文にも書かれてるらしいけど、俺は分からない。
上杉方の資料は絶対にない!絶対に!!
越後一向宗に伝わる口伝だからね。内密ってのも本当。
本願寺文書の交渉の内容を聞いた内容と口伝の内容が見事なまでに一致するからね。
ただ資料がないので嘘と言われたら反論できん!
口伝だもん。嘘の可能性高いしね。
ただ本願寺と交渉したのは紛れもなく本当だと思うよ。必死だな俺w
464445:2006/05/09(火) 01:23:15
>>462
>勝手な推論に逃げるな、ボケ! お前は山から採れると主張したんだぞ!
だと思ってた。調べてみたら勘違い?みたい。
やー、すまんな。

と、口悪いな。釣りか?スルーさせてもらう。

>>ALL
遊びで罵り合うスレかと思ってたけど、真面目な人(462さん)が出てきたので
真面目な方向に路線変更するよ。俺も知ってる知識を提供する。有意義な話しになればいいと思われ
465無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 01:27:56
口の悪い煽り?もあるが、おしなべて良スレだね
466無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 02:58:20
鉄砲が有効的な武器だということは子供でもわかる

もし使える状況にあれば多用するということは想像
に難くないと思うが
467無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 04:30:57
それと鉄砲と弾薬をそろえるお金、鉄砲を重視しようがしまいが
結局金持ちは有利で貧乏人は不利と言う容赦の無い現実が・・・
468無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 05:02:55
(つД`)
469無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 05:06:14
そういう根本的なことを無視してみんな難しく考え
すぎているような気がする、鉄砲に対しての考え方
にそれほど個人差があるとは思えない。
470無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 09:44:31
では、本願寺がいちばん金持ちだったと。
堺を信長に売り渡した宗易や宗休は、とんでもないアホだったんだな。
471無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 11:33:49
>>470

それは言えそうだな。信長から恐喝された2万貫なんて
堺商人にとっては、はしたガネなんだから。
大量に牢人を雇って徹底抗戦する――輸入鉄砲や硝石が通説どおり堺独占なら勝てるんじゃね?


472無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 11:35:08
>>470
本願寺の鉄砲衆は雑賀衆。
自分で鉄砲を購入した百姓の集団だよ。
それでも、信長傘下の鉄砲隊のほうが数は多いと思うが。
473無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 12:02:34
>>466
問題は運用形態かな。当時どの大名も軍の1割は鉄砲を保持していたが、鉄砲隊としては機能させていない。
それぞれの豪族ごとに鉄砲を所持し、それぞれの部隊に支援火器程度として機能させているだけで有効活用はされていない。
竜造寺だったかな?は弓と鉄砲による2段打ちしてたらしいけど、それが当時の限界だったんじゃないかな。
474無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 12:16:54
>>469
信玄厨はバカだからそれすらもわからない
475無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 12:21:37
天王寺の戦いで信長は足を撃ちぬかれたんだろ?
なんか、このひと隙があるなぁ
476無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 13:11:55
鉄砲は戦争じゃなくて暗殺や狙撃用に使うべきだったんだ
でも射程が短いか
477無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 13:28:00
実際にそのように使われて信長も狙われたが。
478無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 13:52:21
三河日記では信玄狙撃されて死んでるらしいね
479おやじ:2006/05/09(火) 14:05:01
日本人の特性かもしれないけど、大きな事をした人を揚げ足取りのような事を並べて
過小評価するのはどんなもんでしょうか。
偉人は偉人として素直に認めたいと私は思います。

信長の新政策や革新が二番煎じだったことは事実です。
しかし良いと思われる新政策、新技術を日本規模で実行したのは信長だけです。
信玄が領民のために堤防を築いたのはあまりに有名ですが、
信玄は侵攻先の領民を奴婢に落としたりしています。
信長以外の大名「江戸期も含めて」にとって国とは自分の支配する領国だけで
日本国ではありませんでした。

一方、信長は大量虐殺者であり自己を神格化する典型的独裁者でした。
全部ひっくるめて信長は日本史上の偉人なのです。
480無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 14:32:30
>大量虐殺者であり自己を神格化する典型的独裁者
>信長は日本史上の偉人

独裁者を待望する危険思想の持ち主か、そうでなければ
お前は単なる分裂症だなwww
481無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 14:43:00
>>480
信長のおかげで戦国が終息し、今日、統一国家としての日本がある。
482無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 14:45:11
>>480
>全部ひっくるめて信長は日本史上の偉人なのです。 
>全部ひっくるめて
483無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 14:58:04
独裁=悪という短絡的な考え方もどうかと思う。
衆愚という言葉もあるのだし。
484鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/05/09(火) 15:06:32
開発独裁って言葉もあるしな。
独裁者=悪と考えるのは教養がない証拠だな。もしくは極左(´・∀・)ゲラゲラ
485無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 15:41:52
腐った民主主義より一人の英雄の独裁の方が国民にとっては幸せ

独裁政治は腐ったらトップ一人を殺せばいいだけ
民主主義は腐ったら末端のシステムまで浄化しないといけないから大量の死者が出る
486おやじ:2006/05/09(火) 15:59:47
早速のレス有難う御座います。

偉人=尊敬する人、立派な聖人君主では無いと私は思っています。

ちょっと話はズレますが文化大革命当時の中国を取材した記者が記事を
送ったところ、文革のマイナス面の記事はボツになったそうで。
結果当時の新聞記事は全て文革バンザイ、それを信じた日本人の構図ができました。

大量虐殺者でも歴史の転換期に大きな役割をした信長を偉人とすると、
何故に危険思想の持ち主なのか?

裏もある表もある。陰も日向もある。報道も全て真実じゃない。
全部ひっくるめて・・・です。
487無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 16:03:45
>>485
卓見ですね。
戦国時代とはいわば腐れ果てた民主主義の成れの果
てのようなものという解釈でいいですか?
488無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 16:27:34
>大量虐殺者でも歴史の転換期に大きな役割をした

これ自体は危険な思想だな、じゅうぶんに。ヒトラーやラディンの思想も愛せますか?
歴史の転換期には大きな役割を果たしてるわけだが。

オレが信長信者を嫌いなのは、文革がどうのと議論をイデオロギーの土壌に持ち込む傾向だ。
歴史観がイデオロギーだとしても、フィクションの中で満足して欲しいよ。



489無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 16:37:26
>鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/05/09(火) 15:06:32
>開発独裁って言葉もあるしな。
>独裁者=悪と考えるのは教養がない証拠だな。もしくは極左(´・∀・)ゲラゲラ

こいつ↑は旧植民地時代(ポストコロニアル)に回帰しているらしいな。もしくは現地奴民(´・∀・)ゲラゲラ
490おやじ:2006/05/09(火) 16:44:46
私は松永弾正って好きですね。
彼の悪人道一直線なところ、他の悪人大名のように偽善者ぶったところが無くて
いいですね。・・・俺ってやっぱり危険思想?

さて本題、長篠の鉄砲3千丁ここでは否定的意見が多いようですが。
田舎大名でも500程度の鉄砲保有なら織田が5千ぐらいでも良さそうですが。
皆さんのご意見をお聞きしたいです。
491無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 16:47:11
信長の大量虐殺は戦乱を終わらせるための手段で
ありヒトラーを持ち出すのはナンセンス。
もし信長がいなければ戦乱も長引き 政情や経済も
不安定になりどれだけ死者が増えたかわからない。
492無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 16:53:25
>>488
俺はお前のような知ったかの方が嫌いだな。
氏んでくれや
493無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 17:25:20

革命的独裁者という意味では、ポルポト(クメールルージュ・オンカ毛沢東派)
なんてどよ? 大きく歴史を動かしたし、大量虐殺なら信長以上(カンボジア国民の3割を殲滅)

494無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 17:30:38
>信長の大量虐殺は戦乱を終わらせるための手段で
>ありヒトラーを持ち出すのはナンセンス。

たしかにそうだな、広島長崎の原爆のほうがふさわしかろう。
天皇教の狂信者たちの戦意を、イッキに萎えさせたわけだから。

>長篠の鉄砲3千丁ここでは否定的意見が多いようですが

べつに意見じゃないよ、史料(町田本公記)にないだけで。
495無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 17:34:00
信長記にでているが>鉄砲三千丁

鈴木儲のことだし、信長公記は加筆だから信用できないと
言うだろうしね。
496無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 17:37:44
町田本にはあるが?
池田家本(原本信長記)に“三”が書き加えられた跡があるだけ

知ったかイクナイ
497無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 17:53:02
>>494
たしかにその後日本は武装解除し、大和魂も米国に
骨抜きにされたことを考えると似てるのかな、
498おやじ:2006/05/09(火) 18:06:53
なるほど、確かに信長公記に鉄砲三千丁でてきませんね。
現代語版ですけど、確認してみました。
資料に無いから数の裏付けが取れないわけですね。
とすると何かほかに手は無いのでしょうか。
このままだと、500でも5千でも良くなりますね。
499おやじ:2006/05/09(火) 19:11:28
例えば、織田家の鉄砲購入台帳とか、堺のお得意様控えとか、上杉の部隊編成表みたいなものの織田家版
が現存すれば推定できますよね。
織田勢力圏での鉄砲生産数や輸入量の裏付け資料は無いんでしょうか。
500無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:19:54
信長は本当に大量虐殺者なのでしょうか?
理由があって大量に殺すのと、単に趣向や観念にとらわれて大量に殺すのとでは違うような気がするのですが。

利家なんかは、たくさん人を殺したけど無益な殺生はしていないから地獄にはいかんとか言ってますし…

そこの所どうなのでしょう?


おしえて詳しい人。
501無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:30:36
>池田家本(原本信長記)に“三”が書き加えられた跡があるだけ

町田本も1000挺の記述だな、知ったか君。町田本見たことあるのか??
原本信長記(内閣文書)も読んだことなかろうな。

>織田勢力圏での鉄砲生産数や輸入量の裏付け資料は無いんでしょうか。

大量の鉄砲・硝石(火薬原材料)を独占的に輸入したと、
信長マンセー作家さんが書いてるので、裏づけ史料はいらんのじゃね?
502無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:34:37
なんか独裁がいいとか言ってるが
日本は独裁者いねーんだよなあ
秀吉にしろ家康にしろ外様大名だらけだし、依然天皇は健在だしね
信長ちゃんは朝廷潰すつもりだったのかしら
503無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:35:21
>>500 史料を読む限りは、嗜虐趣味(サディスティックな殺人癖)で殺してるとしか思えんね。

長島攻め
 観念した一揆勢は降伏赦免を求めてきたが、信長公は断固として許さなかった。
 信長公はかれら奸悪の徒を干し殺しにすることで、年来の乱妨狼藉の報いを受けさせようとしていた。
 そのような状態が続く中、8月2日夜大鳥居に籠城していた一揆勢が夜間風雨に紛れて脱出を図った。
 しかし織田勢はそれを見逃さず、追撃して男女一千ほどをなで斬りにした。
 長島の陣は、一揆勢の思いもよらぬ長陣となった。7月13日に貴賎数知れぬ男女が長島・屋長島・
 中江の三ヶ所に逃げ入ってからすでに三ヶ月が経過し、過半はその間に餓死していた。
 もはや抵抗する力も尽き果てた一揆勢は、9月29日ついに降伏開城した。
 降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
 しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。
 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
 心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
 かれらは大軍の中を死兵となって荒れ狂い、陣所を切り崩し、御一門衆をはじめ数多の将兵を討死に追い込んだ。
 彼らは大軍の中を切り抜けて無人の陣小屋に駈け入り、そこで支度を整え、川を越えて多芸山・北伊勢口へ散り、
 そこから大坂へ逃れた。この失態をみた信長公は、残る中江・屋長島の両砦に対しては周囲に柵を幾重にも廻らして
 砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
 年来の鬱憤を晴らした信長公は、29日岐阜へ帰陣した。

※1000人をなで斬り・降伏した20000余人も砦に押し込めて、
 人間バーベキュー。信長は大量虐殺の成果に溜飲をさげる
504無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:47:29
その後流石に殺しすぎたとか言ってなかったっけ?
資料も読んだ事ない素人なので違っていたらスルーして下さい。
505無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:49:42
>年来の鬱憤を晴らした

って、牛一の常套句だけど、彼の信長という歴史的巨人への理解度の低さを表している。
506無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:54:20
>>504 ますますエスカレートしているように思えるが・・・。

越前一揆掃討戦
 国中の一揆勢は壊乱し、右往左往しながら取るものも取りあえず山中へ逃げ入っていった。
 しかし信長公は殲滅の手をゆるめず、「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」
 と厳命したのであった。
 織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた男女の数は、
 記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。そして信長公は御小姓衆に命じ、
 これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、
 生捕・誅殺された人々の数は合わせて三、四万にも上ると思われた。

※12250人を捕縛のうえ、合わせて3〜4万を殺す。
 山に逃げた人々も容赦なく探索し、残らず処刑。
507無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:54:54
>原本信長記(内閣文書)も読んだことなかろうな。
え?原本信長記の所以は太田牛一の自筆だからだよ???????
つか池田家本と内閣文庫所有本は同じモノだからw

>町田本も1000挺の記述だな、知ったか君。町田本見たことあるのか??
町田本には「鉄砲三千挺ばかり・・・」とあるのは確かだがね
ただ、最近はそれを千として出版はしてるがw

知ったか乙
508おやじ:2006/05/09(火) 19:56:44
なるほど、町田本に1000の記述ですか。
そうすると、長篠の織田家は鉄砲1000丁で戦ったと解釈していいわけですね。
また後で町田本はあてにならんとか言わないで下さいよ。
509無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 19:58:12
>原本信長記の所以は太田牛一の自筆だからだよ

知ったか、乙!
これも写本だぞ。牛一の直筆は「永禄十一年記」のみ。
町田本原文は1000挺、訳本ではない。
510無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:00:56
>>508
織田勢の鉄砲の総数が1000挺という意味ではないので悪しからず

鳶の巣山へ、別に500挺送ったりもしてるしね
511無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:03:27
512無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:03:28
>>509
え???????
513無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:05:52
>牛一の直筆は「永禄十一年記」のみ。
前田家所蔵本の事か?
514無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:08:39
>>509は知ったか厨だから、ググって「永禄十一年記」だけしかないと勘違いした模様
515無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:09:48
>>511は原文とは言わない、口語訳本といいまふ

知ったか哀れすぎる
516おやじ:2006/05/09(火) 20:09:56
ゲッゲッ!
早速、出ました。
三千説も有るが、千説が主流ということですか。
517無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:12:12
国の重要文化財が>>509によって否定されますた
518無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:15:54
GW終わったから、春厨や黄金厨の残党とは言えないし
夏厨には早過ぎるしな

所詮、ネット知識か
519無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:16:46
>>503>>506
無実の、無辜の民を虐殺したわけでもないしなー。
越前でも長島でも、先に攻撃を仕掛けて、結んだ約束を反故にしたのは一揆側。
520無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:20:28
>>519 それにしても、降伏した人間を殺すかな。見せしめでも・・・。

荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。
521無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:23:29
降服する前の行動調べれば?
522おやじ:2006/05/09(火) 20:32:48
んーん
町田本を信頼できると前提して、
別働隊が500、武田と直接戦闘したのが1000、合計1500
あと後方に?
長篠の織田軍は鉄砲1500以上で武田と戦ったこれが結論?
523無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:33:05
>>503  >>506  >>520

>>500に対する反論になっていないが何を言いたいの?
524無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:39:44
>>520
荒木の場合は、むしろ村重が謀反を起こした時点で処刑しなかった信長の温情を
感じる。その後も「降服すれば助命する」という言葉にも耳を貸さず逃亡抗戦。
さらに使者を務めた荒木の一族ですら妻子を捨てて逃亡。
こういう話を聞くと処刑側が残酷だと責められるが、裏切れば人質が処刑される
と判っていて裏切る側は責められないんだよな。
しかも、「裏切られれば人質は処刑」なんてこの時代の常識で謙信も信玄も政宗も
秀吉も家康も島津も毛利も愚将と言われた氏真だってやっているのに、何故か彼ら
は責められるずに信長だけが残酷と責められる。
525無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 20:40:35
>>522
信頼出来るかどうかは置いておいて、正確な数字はわからないと言う事です
ただ信長発給文書には他の諸侯にも鉄砲を借り受けてるから、
相当数次ぎ込んだのでは?と考えられるというオチですよ

>>523
現在の価値観・世界観で過去の事象を断罪したい輩なので注意
526無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:31:55
正直、殺しすぎ・・・
527無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:32:00
>>503>>506>>520は共産主義者
人を殺すというそれそのものがダメっていうバカ
どーせ学校でも「戦争はいけないと思います」とか教科書的な発言しかしてないさ
528無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:36:40
>>527は殺人犯(前科者)でOK?
529無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:39:27
現在ではなく他の大名と比べると少し(大分か?)ましに思える。
530無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:40:12
>>528
当時の信長にとっては一向一揆がダントツで最強で最悪の敵だった
何度も死にそうになって、追い詰められてー
お前らだって例えば信長の野望で無茶苦茶強い武将に苦しめられたとしよう
そいつ仲間に入らなかったら斬首のところにカーソル行くだろ
531無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:42:23
当時は戦国時代な
殺さなきゃ殺されるんだよ

信長もそうやって散々痛い目にあってきたからな
しかも1回裏切られてるし 無理は無い


例えどんな理由があろうと殺人はいけないって共産主義者かてめーは
532無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:47:53
>>530
なーんだ、ゲームで熱くなってるだけか。平和なヤツ。

>>531
>例えどんな理由があろうと殺人はいけないって共産主義者かてめーは

共産主義者(スターリン・ポルポト・チャウシェスク)は大量虐殺をしてますが?
533無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:51:27
>現在ではなく他の大名と比べると少し(大分か?)ましに思える。

誰と比べたつもりか知らんが、信長の万単位虐殺はダントツだがな
根拠もなく、思い込みか??
534無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:51:52
>>532
例えばの話だよ
実際の信長は何度も殺されかけてるからな その積年の恨みは凄いことになるだろうな
だから虐殺ははっきりいって普通の神経ならそうなるかもしれないレベルだ
実際やってみたら「あ、やりすぎた」と思うだろうが
535無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:52:42
長島や叡山、石山もそうだが、信長は非戦闘員の退去勧告出してる
 
荒木の時も有岡城落とし、降りた荒木久左衛門等に尼崎の村重の説得に向かわせてる
これは有岡開城の条件だったんだが、それに対して荒木久左衛門等が取った行動は…

逐電したり、そのまま尼崎の村重と共に立て籠もりましたとさ

その報復
536無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:53:25
虐殺スレか、ここは
537無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:54:28
>>536
いいえ、無知の虐殺厨(共産党員)が暴走しているだけです
538無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:56:34
まぁ、万単位の虐殺記録が残っている以上、残虐性を指弾されてもしゃあないが。
539無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:56:38
一向一揆衆は信長にとっては、虐殺にはあたらなかったのでは無いでしょうか?
彼らは男女子供に関わらず兵士です。
しかも本来であれば、降伏した側は支配者の配下に組み込まれるはずで、
降伏しない兵は当然滅ぼされる対象となります。
ところが、一向一揆衆は敗北後も自分の主君は一向宗なわけです。
偉い坊さんがまた信長と戦えや!といえばそく敵です。

信長にとって…というか当時の大名にとって一向一揆衆は宗教団体ではなくりっぱな敵対国家の
兵士なわけです。
しかも降伏したとか言いながら、主君は宗教なわけですから、それは降伏したとはいませんよねぇ。
反逆する気まんまんの兵隊を目こぼしするような大名じゃあホントのうつけってもんです。
540無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:57:36
なんだかんだと批判されているようですが、
尾張一国にも満たない領土から、
あれだけ版図を拡げたんだから
凄い人物には違いないでそ。
541無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 21:59:26
>>539
謙信も信玄も、一向宗を巧く利用してるがな。
家康に至っては、一向宗(真宗)寺院を行政の末端に組み込んだわけだし。
大量に殺す必要があったかどうか、議論してみては?
542無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:01:54
>>540
批判しているのは無知の虐殺厨(共産党員)だけ
世間の評価は日テレの番組のように歴史上人物でトップ、最強、最高

>>541
キリスト教の普及認めたり本願寺が利益独占してた市場を楽市楽座にしちまって他とは比べ物にならない規模で戦ったんだ
今更後に引けるかよ
543無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:03:20
>>542
NHKでは光秀に負けてたけどな
544無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:04:33
>今更後に引けるかよ

勢いでやっちゃった説か・・・・・
545無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:04:44
>>541
それは信玄が信長と戦うのに浅井と軍事同盟をしていたのと同じで一向宗とも同盟していただけじゃ
ないか?謙信についても同じ。
もし彼らが天下統一事業を進めたら遅かれ一向宗とは対立する事になる。
その場合置かれた立場は信長と同じ。

その際に彼らがどう出るかは、IFの世界だけどね。
546無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:05:48
>>543
日テレでは光秀98位だったけどな


その時歴史が〜 は歴史マニアが多いからな
あんまり歴史知らん人の割合が増えると信長超有利
547無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:06:27
武田わ上杉が上手く利用した?
武田は利害が一致したからだし、上杉もそれまでどうだったか?
家康に至っては信長による寺社勢力の政治介入を徹底的に排除した後の話

バカも休み休み言え
548無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:06:46
大量虐殺は避けられたか、否か。それが問題らしいな。
549無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:07:04
>>544
仮に信玄達のように上手くやったとしても(まぁわだかまりとか多すぎるし、無理だと思うけど)どうせ両方の利害が一致せずすぐに再戦する
550無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:08:55
NHKのその時、歴史が〜はマニア受け悪いぞ
一昔前の俗説垂れ流しだし
551無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:09:01
避けられない というかあそこで大量虐殺してなかったら信長は本能寺以前で死んでたかもしれんし更にでかい戦いになったことだろうな
そしてそれの割を食うのは一般の人たちと――
やむおえないし、当時の信長の状況から見てその気もよくわかる 自分を何度も殺しかけた相手をそう簡単に許すなんて無理です
552無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:10:10
>>550
対象者が ってことだ
はっきり言ってその時歴史が〜を見ているという時点で歴史オタクの割合は必然的に高くなる
日テレのは適当に道歩いている人に聞いたぽいし
553無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:10:20
ガイシュツテーマのループだが、レベルが低くなってるのはどうして?
554無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:11:24
>>553
信長はメディア露出が多すぎて大半のことは既に出たから
555無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:11:36
よく分からないが、信長をダシに使って

共産主義の虐殺は綺麗な虐殺

なイメージを刷り込もうとしてるようにしか思えない
556無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:11:40
ようするに殺人鬼だったんだろ?
557無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:13:10
>共産主義の虐殺は綺麗な虐殺

いや、むしろ信長=共産主義者(独裁者)説かと。。。
558無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:13:56
>>556
そうだよ
織田信長も
豊臣秀吉も
徳川家康も
武田信玄も
上杉謙信も
伊達政宗も
毛利元就も
今川義元も

暗君バカ殿という評価が世間ではなんだかんだいってもやっぱり多い今川氏真以外はその辺の一般庶民も武士もみーんな殺人鬼だよ
559無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:14:40
今夜も信長信者のよく釣れることよ、ほっほほ
560無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:14:59
>>557
あの頃の日本に民主主義は存在しないんですが・・
まぁ堺とか自治都市はそうと言えるかもしれんがね
561無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:15:33
氏真も飯尾氏誅殺してるから殺人鬼
562無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:16:02
>>558

信長だけだろ、大量虐殺は。
なんとなく、他の武将出して逃げてねぇ?
563無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:16:56
知ったかが論破されて釣り宣言するのはデフォ
564無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:17:13
>>559
共産主義者の負け惜しみ乙
565無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:17:14
結論!
信長は血も涙もない冷血漢の共産主義者だった!
566無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:18:25
大量虐殺の人数定義は?
567無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:18:50
信長=スターリン(鉄の人)

なるほどね。
568無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:19:38
大量虐殺ってなぁ
一向一揆とかだって村の住人ぶっ殺したりぐらい普通にやってる
あの戦国時代を終わらせたってだけで何人の命を救ったことか

楽市楽座と関所の廃止は普通にいい政策だしな
569無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:20:10
>大量虐殺の人数定義は?

数万単位(公記に詳細)だな
しかも、降伏しても、コ・ロ・ス!
570無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:24:38
共産主義者が必死なスレはここですか?
571無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:25:01
アメリカでの認識の一例

Noguchi, Hideyo
1876-1928,
Japanese bacteriologist, grad.
Tokyo Medical College, 1897.

He came to the United States c.1900 to work with Simon Flexner at the Univ. of Pennsylvania and in 1904
joined the Rockefeller Institute (now Rockefeller Univ.) staff.

He made important studies of snake venoms,
of smallpox and yellow-fever vaccines,
and of the laboratory diagnosis of trachoma.

He isolated (1913) the Treponema pallidum from a syphilis patient,
proving that this spirochete was the cause of syphilis;

he also developed a skin test for syphilis. He died of yellow fever in Accra, Ghana,
where he had been studying that disease.
His writings include Action of Snake Venom upon Cold-Blooded Animals (1904)
and Laboratory Diagnosis of Syphilis (rev. ed. 1923).

The Columbia Electronic Encyclopedia,
6th ed. Copyright c 2006,
Columbia University Press. All rights reserved.
572無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:27:44
まぁ仮に信長が光秀をみんなの前でボコるような奴だったとしよう
虐殺しまくった殺人鬼だとしよう

だがしかし、あの戦国時代を終わりへと導いた
それと糞の宗教団体も潰した
これだけでどれだけの価値のある行動か!
結局最後には重税にして領民を苦しめた(塩が無くなりそうにもなった)武田信玄などよりもずっと偉い

信長が宗教潰してなかったら(キリスト教も潰す気だったようだし)今我々がまったくの他人事として見ている宗教での戦争のもしかしたら当事者になっていたかもしれん
プラスマイナスで考えたらプラスが残る そのマイナス面すら許せん完璧主義者はバカとしか言いようがない
573無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:29:25
自分の趣味で大量虐殺は、勘弁してくれ
というイメージだな
574無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:32:13
まぁ、自分も家来にヌッ殺されたわけだから、自業自得というか・・・。
575おやじ:2006/05/09(火) 22:33:32
よくわからんが長篠で織田家は鉄砲1500以上で戦ったらしい。
ここまでの結論。

よくわからんの部分、
1.長篠の合戦は事実?
2.よくわからんから鉄砲3000の可能性も存在する?
3.よくわからんのだから、議論する価値なし、勝手に解釈しろ?

すいません宜しくお願いします。
576無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:35:43
まぁ確かにこの手の英雄タイプは賛否両論が激しい
その中で信長は更に賛否両論、プラス面とマイナス面が大きい人物だろうな

そんな人間なのにその時歴史が動いたの1番歴史を動かしたのは誰かとか日テレの番組とかで普通に1位取ってるのは凄いな
あんなもん事実上人気投票みたいなもんだし
577無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:35:46
大量虐殺の事ばかり言う人は宗教の怖さというもの
がわかっていない。
もし徹底的に根絶やしにしてなければ秀吉も高野山
を簡単に降伏させられなかっただろう。

戦が続くデメリットは計り知れない。
578無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:39:29
っていうか長篠で鉄砲あんまり使ってないのなら武田軍は相当な雑魚ということになってしまうのだが
3段鉄砲どころか3000丁の鉄砲すらも・・
2000ぐらいはあるよね 流石に もし無いとすれば武田は大して革命的な戦術も無かったにも関わらず歴史的大敗をしたということになるぞ
579無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:39:33
>>575(おやじ)さん

1.公記の記述と長篠記という史料がある。合戦は史実(あった)。
2.3000挺は学界では否定的。1000+500(家康に)が有力。
3.議論の価値あり。武田騎馬軍団(俗説だが教科書などにも主流説)を含め。

※天正4年天王寺合戦(対本願寺)で、信長は「数千の鉄砲」に苦戦している(最終的に勝利するが、信長も手負い)
の史実から、長篠の「大量の鉄砲による戦術革命」は否定的に見られている。
580無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:42:01
>武田軍は相当な雑魚ということになってしまうのだが

公記で3万以上(織田)対1万5千(武田)だから、力負けだろう。
しかも、不利な城砦攻めの野戦策を採らざるを得なかったから。
581無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:42:29
まぁ当時鉄砲最強は本願寺だからな
島津なんて本願寺に比べればカス同然よ
582無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:44:20
>>580
それならとっとと逃げたらよかったのに ということになる
とにかくあれだけの歴史的惨敗を喫したのだからなぁ 兵数だけじゃ言い訳にはちょっと不十分
583無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:48:29
>それならとっとと逃げたらよかったのに ということになる

「公記」の牛一の合戦評価として、勝頼が陣を動かさなければ負けることはなかった
とある。長篠包囲の兵を残して、連合軍に決戦を挑むべく陣を前に移したのが敗因。
「軍鑑」も、ほぼ同様の評価だね。陣を前方に移して、かえって逃げるに逃げられなくなったということか。
584無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:50:14
信長が光秀に殺されたことは、彼の評価を下げるこ
となのだろうか?
多くの者を敵に回しても妥協せずに旧勢力をつぶし
改革を成し遂げた ということの証ではないか。

彼の遺したものを見れば彼の偉大さがわかるはず。
585無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:51:11
>>582-583
ただし、織田徳川軍の死者6000、武田軍の死者10000説(相互に少し過大評価か?)
らしいので、力負けという感じじゃね?
586無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:52:33
>>505
死者1万って武田の兵数1万5千として2/3が死んだことになる
日本史に残る歴史的惨敗だ そりゃこの戦い終わった後国ボロボロですぐに滅びるわけだ・・
587奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/05/09(火) 22:53:20
16000人も死んだのか・・・


・・・
588無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:54:06
>>582-583
ただし、織田徳川軍の死者6000、武田軍10000だから(少し過大?)
力負けという感じじゃね?
589無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:56:54
6000は多すぎじゃね?
590無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 22:57:22
仮に1万が過大だったとしても兵の半分が生きて戻ってこないって異常だぞ
591無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:00:06
長篠も川中島同様、文献史学では史料精査の難しい合戦だな。
「軍鑑」では、高坂弾正が北信濃から取って返し、8000の兵で甲府に同行し
勝頼の敗戦を糊塗したという逸話もあるし。
592無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:04:40
>信長が光秀に殺されたことは、彼の評価を下げることなのだろうか?

荒木や松永にも叛かれ、最終的に直臣に殺されたわけだから
人望のなさは史実が証明してるな。敵に内通したとかなら、まだしも。
「もう、この人(信長)には付いていけない」ではなかったのかな。
信長に天下人としての資質がなかったということでは?
593無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:05:48
>>592
君の言う天下人としての資質とはなんなんだ?
594無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:09:06
>>592
確かに信長に天下人としての素質はありそうに見えないな

信長はあまりに合理的すぎてしかも自分主義でみんなと一緒に〜って感じじゃなさそうだし
だから部下に裏切られるのは仕方ないのかもしれん まぁ松永は主君が誰でも裏切りそうだが
光秀は教科書的人間だから朝廷潰すなんて信長の考えについていけなかったんだろうね だから全然違うタイプなのに比較的上手くいっててしかも恩もある主君を裏切ってしまった
595無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:12:04
>君の言う天下人としての資質とはなんなんだ?

人の恨みを買わない、少なくとも信頼した部下に殺されるような結果は出さない
じゃね?
596無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:13:04
>>595
うーん、その論理でいくと自分が死んだ後部下に国を乗っ取られた秀吉はどうなるんだ?
ギリギリアウトかギリギリセーフかどっち?
597無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:14:05
>>592
開拓者の悲劇とでもいいましょうか、旧態を打破し
ようとすれば抵抗も激しいということ。

彼がいたからその後に続く秀吉や家康が楽になった。
598無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:14:23
>>588
その数もほぼ俗説
599無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:14:28
>>596

死後のことだから、仕方ないんじゃないか?
生きてるうちに殺されたのなら、信長と同じレベルだが。
600無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:20:22
天下人として必要な資質。
それは幸運に恵まれる事。
どんな天才でも幸運に恵まれなきゃどうにもならない。


と、試しに言ってみる。
601無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:21:33
>>600
信長は尋常じゃないとてつもない日本史最高に運を持った人物だぞ

ただ最後にそのツケがまわってきた
602無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:22:28
>>595
その条件で天下を取った人っているの?

そんな人は武士をやめて百姓にでもなったら
いいのでは?
603無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:28:05
>>602

おいら百姓の出ですが、何か?

                     ひでよし
604おやじ:2006/05/09(火) 23:36:02
ご返答有難う御座います。
長篠の合戦は議論の価値ありということで、
武田騎馬軍団の存在はYes、No?
戦国時代の馬が小型で鎧武者の騎乗に耐えられないとか、
そもそも補給はどうしたとか、諸説あるようですがお願いします。
605無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:38:58
>>604
ゼロという可能性は無いけどせいぜい1割程度がお馬さんに乗ってたというのが実情ではないだろうか
606無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:43:41
>>604
騎馬軍団とやらが、兵科としての騎兵部隊のことなら答えはNo。
十六世紀の日本の軍制で、そんなもの編成できない。
607無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 23:47:43
>>604(おやじ)さん

武田騎馬軍団の存在はYes、No?

武田氏の史料では馬上(騎馬兵というよりも馬に乗れる格の侍)
は、全軍の6%。つまり、10000に対して600。川中島合戦図屏風(岩国博物館=甲陽軍鑑に従った描写)
を別にすると、いくつかの長篠合戦図屏風に「騎馬隊」は描かれていません。
フロイス「日本史」の記述にも「この国の武士は馬を降りて戦う」とあり、
騎馬軍団(騎馬隊)は否定的に検証されてます。仰せのとおり、本朝の原産馬は小型で
虚勢の習慣がなかったことから、騎馬突撃には不向きとする説もあります。
ただし、兵站輸送では甲斐駒(武田軍荷駄隊)が戦略的な力を発揮したという伝承があるようです。
608おやじ:2006/05/09(火) 23:57:07
騎馬武者のみで編成された騎兵隊はNO。
騎乗の武者に数人の郎党「歩兵」が従って戦闘。
鎧武者の騎乗による戦闘行動に戦国時代の軍馬は耐えられた。
ここまでよろしいですか?
609無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 00:00:52
>>608(おやじ)殿

おおむね、御意。

>鎧武者の騎乗による戦闘行動に戦国時代の軍馬は耐えられた。

退却戦、もしくは追撃戦に馬を使った説が有力のようです。
鑓襖や鉄砲構えの前には、平安末期いらいの騎馬戦闘は無力化していたかと。
610おやじ:2006/05/10(水) 00:40:30
なるほど、騎馬武者も馬を降りて戦うですか。
そうすると、馬は兵器ではなく輸送手段ですね。
たしかに和弓は長すぎて騎兵が使うなら短弓ですよね。
611無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 03:10:58
>たしかに和弓は長すぎて騎兵が使うなら短弓ですよね。

仰るとおり、馬上では大弓は使えません。専門の弓部隊は徒歩で、馬上は短弓(半弓=現代の流鏑馬でもそうですが)
が主流だと思われます。馬は高価だったうえに、虚勢をしていないので戦場では扱いにくかったのではないでしょうか。
馬に蹄鉄を施した史料もないので、どうやら草鞋を穿かせていたらしいですね。
612おやじ:2006/05/10(水) 10:56:32
長篠有難う御座いました。
まだまだ疑問はたくさん有ります。

1、桶狭間で義元は本当に宴会やってたの? 
 昼食の習慣は明治以降では、それとも総攻撃前の腰兵糧作り?
2、信長の出自は? 藤原氏だったら平氏の必要ないでしょ、それとも?
3、鉄甲船は?鉄甲船の大鉄砲は大筒?


613無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 10:58:20
1の桶狭間は、少数で今川の本陣に正面から特攻!!!
614無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 11:01:54
桶狭間は「桶狭間山」(公記)
鉄甲船は「鉄舟」(多聞院記)
615無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 11:52:32
>>612
>1、桶狭間で義元は本当に宴会やってたの?
首実検
616おやじ:2006/05/10(水) 13:28:19
正面から特攻「強襲」が今の定説?
今川勢が各地に分散してさえぎる部隊が存在せず義元本隊へ、
結果的に奇襲と同じ?
佐々隼人正は暴走?囮?囮でないと中島周辺の今川勢はなにしてたの?
中国の戦記物にでてくるような、前線の崩れから逃亡する前線部隊と前に進もうとする後方本隊が
ぶつかって混乱、同士討ち、気が付けば大軍が小勢に大敗のパターン?

首実検ということは、謡三番は死者を慰めるため?
617無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 14:19:29
>>35みたいな馬鹿がいるんだね
今の教師がダメなんだろね
618無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 14:51:31
☁ฺ信長って、この前の日本の偉人100人のやつ
(タイトル詳しく忘れた)
1位だったけど、ちょうどウチが尊敬してたひとで
よかったなー^−^−^−なんかあのひと尊敬できる^^
そういえば鉄砲を3000丁用意したっていうやつでは、
聞いた話、なんかの書物?みたいなもので、本当は1000丁で、
近くに3と小さくかかれていたから3000丁になったっていう説も
あるらしいんだけど、実際はどうなんですヵ??
619無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 14:57:58
>>618
本当です。
織田信長は大したことないよ。
武田信玄のほうがすばらしい
620無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 16:07:34
酒を飲めない信長は、幸若舞と大量虐殺が趣味でした
621無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 16:23:26
信玄なんか実際たいしたことないぞ。
622無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 17:06:08
信玄は天下を取る気なんかなかったでしょ?
わずかばかりの領土を欲しがっただけ、
信長とはスケールがちがいすぎる。
623無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 17:12:42
信玄はスレ違いだろ
vsスレでやれよ
624無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 17:53:25
【武田】2万5千で上洛【信玄】その42
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1147078275/

vs武田はこのスレでどうぞ
625無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 18:43:43
思考・視野などで差があるかもしれないが、信玄が小さいとは思わん。
信長も言われているほどスケールのでかい武将ではないと思う。
両者とも国盗り合戦にあけくれているのは間違いない事実。
626無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 20:31:11
>>612
武士の出自なんて基本的に信用しないほうがいい。
627無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 20:56:56
藤原から平への改姓は天下取りの意志表明。
源平交代論でよかったっけ?
628無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 21:45:04
織田厨ホイホイage
629おやじ:2006/05/10(水) 22:36:17
有難う御座います。
やはり、源平交代論しかないですか。

桶狭間、佐々隼人正が討ち死にそれを見た義元公これほんと?
討ち死にのシーンを見たのではなくて、届けられた首を見た?
信長隊は中島周辺の今川勢も義元本隊もまとめて打ち破ったとも取れるし。
義元の旗本300騎、300騎といっても当然郎党がいたはずですよね。
騎馬武者6%説で5千が義元本隊?
とにかく、謡をやる余裕の話から、いきなり300騎が50騎に減って敗死。
わかりません!奇襲説をドラマや小説が取るのも理解できます。
630初心者歴史ヲタ:2006/05/10(水) 22:46:47
信長さんがすごいってことはよく解りました。
しかし、彼の征服の夢はどこまであったのでしょうか?
世界だったのしょうか?
631無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 23:02:55
>>629
織田のほとんどが捏造だよ。

>>630
天下すら地方すら統一できない織田信長が世界とか相手できるありません。
632無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 23:10:50
信長のすごさは>>17-19>>24に凝縮されている。
633無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 23:24:03
>>632
それはない
>>572-577
らへんで完全否定されて虐殺厨死亡ww
634無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 23:28:50
平→源→北条→足利
織田→明智→羽柴→徳川
635無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 23:33:23
信長の偉さも>>17-19>>24に凝縮されている。
636無名武将@お腹せっぷく:2006/05/10(水) 23:45:41
宗教勢力の大量虐殺というのはまだ分かる。
2万の非戦闘員も、子供なら数年で戦闘員に、女なら十数年後には戦闘員(ガキ)を作る。
層化の力の源は主婦だし。
637無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 00:43:34
ここで必死に大量虐殺を擁護してる信長厨も、大半は祖先が浄土真宗なんだろなw
直系の先祖が信長に虐殺されてたら、もまいらもこの世に居なかったんじゃね?
幸運を感謝汁www
638無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 00:53:38
>>637
自分の発言がどれだけ矛盾しているか、理解してない?
639無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 00:55:21
>>637
お前さん浄土真宗についてなんもしらんだろ。
640無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 00:57:18
釣れますか?>>637
641無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 00:58:39
まだバカが三匹・・・
642無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 01:05:38
14分弱で織田厨3匹か、食いつきのいいほうだなww
643おやじ:2006/05/11(木) 02:13:10
1、義元は謡などやりながら、桶狭間で首実検をしていた。
2、出自について目新しい話なし、どうでも良いってことか。
3、全然反応なし、たぶんこれも目新しい話なし。
1、から派生した桶狭間合戦の様子、信長隊強襲で義元隊300〜5000が敗走
義元敗死、その間今川勢はなにしてたか謎。

ここまでのまとめは以上でよろしいでしょうか?

桶狭間の印象、貴族趣味の男がのこのこ敵地やって来て頓死したともとれる。
ここに限って言えば、巷に言う義元名君説はかなり怪しい。
これでは名君義元を討ち取ったもっとすごい名君信長の図式が成り立たない。
644無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 02:15:04
>>641
三匹が釣る
645無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 02:50:27
今川義元は北條氏と戦っては負け織田氏と戦っては負けた男。
勝った戦は吉良氏を攻めた時くらいか?

ちなみに第二次小豆坂合戦は大原雪斎が大将。
646無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 03:06:22
織田氏戦は桶狭間までは勝っていたし、北条氏との戦いでも領土を割譲させている。
第二次でも、雪斎は負けていたところを、岡部の軍が急襲をして勝ったんだから一概に「雪斎がいたからだ」とはいえない。
第一次小豆坂に関しては資料が少なくてあったかどうかも不明。
647無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 07:43:49
なんか釣りたいのかどうか知らないけど、現代の価値観しか当てはめられない人多くない?

虐殺を持ち出して信長のネガティブキャンペーンしたいみたいだけど、当時は殺すか殺されるかの時代なわけで。
相手は他の農民と違って、女子供までも団結して戦ってくる輩なんでしょ?
まあ当時の民衆ならみんな武装したり戦ったりはするんだろうけど、一向宗はその規模が段違いな敵だったわけじゃないの。

どの大名だって領土や利益は得たいだろうし、各々が生き抜く為に力をつける必要があるんだし。
なんか 信長=悪 信長に攻められた一向宗、大名=善 みたいな構図にしたがってるように見える。
別にどの時代にも絶対正義なんてないでしょ。
648無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 07:56:55
史実かゲームか
語りたい点でかみ合ってないな
649無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 08:43:41
>>647

人間バーベキューが好きなんだな
650無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 09:22:53
>>649
議論で勝てなくなればレッテル貼り。だから自分も否定されるっていい加減
気づいたほうがいいぞ社会に出る前に。
651無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 10:30:33
>>646
よく嫁
今川氏の合戦じゃなく、義元の合戦だ
652無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 10:35:12
あと北條氏からの領地割譲は外交によるものな
戦で奪回できたわけじゃない
653おやじ:2006/05/11(木) 10:49:57
おやじの意図
ドラマや小説に描かれる信長像と史実の信長を比べたい。
捏造説などがとび出してそれに対する反証が行われるのを期待しています。
素人レベルの話と史家の方々の意見を両方聞きたいのです。
史実とされた事が稀に覆されるのは承知していますが、それを期待してでは有りません。

1、信長にとって家康は同盟者?従属勢力?家臣?
2、姉川の合戦 家康の活躍で信長勝利は本当?これこそ江戸期にいくらでも捏造されそうだけど。
3、信康と築山殿は冤罪?落ち目の武田と内応してどうするの?

以上、信長と家康の関係宜しくお願いします。
654無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 10:54:40
>信長=悪 信長に攻められた一向宗、大名=善 みたいな構図にしたがってるように見える。
>別にどの時代にも絶対正義なんてないでしょ。

単純な論理だなあww そもそも善悪とかは関係ないぞ。

人間バーベキューに快感をおぼえるか、それとも不快かの違いだ。
信長を崇拝するなら、殺人狂としての悦楽もふくめて崇拝せれww
655無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 11:02:30
>>653
1は従属同盟ってところでしょうかね。あるいは、上下のある同盟関係。
完全に対等な同盟の方が少ないですから。それが、時代が進むにつれ次第に
従属度を強めていったというところでしょうか。
そもそも両者では立場からして違います。織田家は信秀の頃から幕府によって
独立した勢力と認められていたのに対し、徳川は完全に今川の支配化に置かれて
いました。また領土の点でも、桶狭間の時点で信長が尾張の大半を押えていた
のに対して家康は岡崎周辺の領有を今川家によって保証された身分です。
清洲同盟の締結についても、家康自ら信長の元に挨拶に出向いたのに比べて、
一方の信長は返礼に林を岡崎に派遣したのみです。『後三河風土記』だったか
忘れましたが、「岡崎殿、清洲にご出仕」なんて記録もあります。
後の対応を見ても、家康は信長の要請を断ったことが無いが、信長は自分の
都合で応じていますね。
656無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 11:15:47
>>654
信長は殺人が趣味でもなければ殺人で悦楽していたわけでもない。
そんなこというのがアンチのレッテル。

こういうことを言うと越前を持ち出してくるが、あれは長年自分を悩ませ
苦しめた敵を倒したことに関しての快哉。罪を犯したわけでもない、敵対
したわけでもない無辜の民を虐殺なんて信長はしていないよ。
657無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 12:28:40
聖人君子な英雄なんていません
658無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 12:53:43
>人間バーベキューに快感をおぼえるか、それとも不快かの違いだ。

おまいは人を殺したことあんのか?当時の常識を現代の常識にあてはめんな
659無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:01:45
>>653
1、同盟というより従属に近い、家忠日記などからも判断できるよ
2、姉川合戦は信長公記が全て物語ってる、どちらかが大勝したのではなく、
 勿論、家康の活躍ってのも嘘
3、冤罪かどうかは不明、家康から信長に信康自害の許可を取ってるが、
 これも自ら許可を取って徳川家に叛意がないのを示す自衛策とも取れる
660無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:02:08
>>653
3 岡崎の代官がカギですね
661無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:10:26
>>654
なら北条氏以外の大大名ほとんどにあてはまるな。
662無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:12:03
信長を殺人鬼などと声高に叫ぶ人に聞きたい。

ではどのような方法ならばよいのですか?
信長のおかげで、戦乱は終束に向かい天下が安定し
たのも事実だと思いますがそれらのことも加味して
お答ください。
663無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:30:38
悦楽してないと断言できる根拠は?
664無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:31:33
悦楽してるとする根拠がないから
665無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:33:57
>信長のおかげで、戦乱は終束に向かい天下が安定した

 アンチではないが、信長時代(永禄〜天正)以前に万単位の死者が出ている
合戦は少ない。応仁の乱のような一見大規模な戦乱でも、100人も死者が出れば
兵を引いてるのが実態だよ。大量虐殺も厭わず、強引に戦乱を平定に向かわせたのは信長の
功績だが、同時に負の側面も持っていたということだろうな。
 圧倒的な財力と兵力で、割と平和裏に平定していったのは秀吉。信長のように
果断な政策を行なえばリアクションも大きいから、かえって平定に時間を費やした
という評価も仕方がない。自身、再三の謀反のすえに命を落としてるしね。
666無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:35:27
撫で斬りせずに奴隷として売ったとかは殺さないから良いと言う事ですか?
667無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:36:30
奴隷売買を廃止したのは秀吉の最大の功績。
668無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:39:32
>撫で斬りせずに奴隷として売ったとかは殺さないから良いと言う事ですか?

奴隷売買は全国的にあったけど、大半が買い戻し(身代金目的)だったらしいね。
中世ヨーロッパと同じく、戦争は経済行為でもあったから、殺す必要がなかったということか。
669無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:42:58
奴隷市が盛んだったのに、買戻しが主だとはこれ如何に?
670無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:44:33
信長が殺戮を好んだのは、どうあがいても否定できんな。
671無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:45:49
肯定もされてないがなw

当時からも殺戮を好んだとも評価されてないし
672無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:08:26
端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

>>みな肝魂を失い、二目と見ようとする者がなかった。

べつに現代の感覚とかじゃなく、当時でも気をうしなうほどの光景だったわけだろ?
どっか麻痺してるよな。

673無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:14:35
それで、どこに信長が殺戮云々あるのかな?
674無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:18:51
信者は信長の残虐さを指摘されると「当時は信長に限らずそういう時代だった」という論法で煙に巻こうとする。
当時の尺度でも非道だったからビビられおそれられたんじゃないか・・・
675無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:20:54
信者なら信者らしく、殺戮を賛美してみせろよ。じれったい・・・
676無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:22:12
へー、ならどの大名も非道で残虐なんだねー
677無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:23:42
万単位で殺戮した(公記にあるだけで6〜7万人)のは、信長だけっ!
678無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:24:50
殺戮厨って面白いね
679無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:26:48
秀吉も万単位で殺してるがw
680無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:29:18
>>17-19>>24の殺戮例を合算すると、

85510人(餓死含む)だな。
合戦の死者ではなく、処刑した人数。
「公記」の他の記述を併せると、軽く10万人虐殺といったところか。
681無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:31:34
次スレは【戦国史上】織田信長を語るスレ【最大の虐殺魔】
682無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:32:41
晩年の秀吉が暴君化で耄碌したことは秀吉信者も割り切って認めてることだ
信長信者も見習って信長の残虐性程度は認めなさい
683無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:38:11
晩年じゃないが?
684無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:40:29
ということは一向一揆も残虐なんだねー
685無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:46:14
法華宗徒に対しての残虐性は凄いもんなw
686無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:48:16
>>682
戦時中と平時を同列に並べて考えているの?
そういう人が信長とヒットラーに例えるような愚を
おかすんだろうな。
687無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 14:49:16
他の連中を持ち出してきても野ブナがのエグさを帳消しにできるわけでも無し
688おやじ:2006/05/11(木) 14:57:17
ご返答有難う御座います。

1、上下関係のある同盟、従属に近い同盟、判り易いご説明有難う御座います。
”二人の生涯を通じて決して破られることの無い盟約”美しいけど非現実的ですね。
2、やはり!家康の活躍は怪しすぎ。
TVなどでは姉川の後すぐに、浅井朝倉攻めがあって誤解しやすいですが、その間に浅井朝倉勢に悩まされる期間があって姉川大勝では説明がつかないと思っていました。
3、不明ですか。

もう少し何かないでしょうか?特に3、お願いします。
689無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:07:29
アンチ信長?の人にもう一度聞きたい。
ではどのような方法がいいのですか?
答えられないのでしたら先に進めないのでこれ以上
そのことにこだわらないでください。
690無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:17:57
対案もない、エセヒューマニズム、おまけに
ヒステリック、まるで社民党だな。
691無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:27:13
凶悪犯罪者織田上総介
692無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:40:30
ねえアンチはどうしたいの?
どう信長を評価したら満足するのカナ?カナ?
693無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:55:02
>>690 です。アンチを指してのものです。
694無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:58:42
                         ∩___∩
     __ _,, -ー ,,             / ⌒  ⌒ 丶|     今、どんな気持ち?
      (/   "つ`..,:         (●)  (●)  丶        ねぇ、どんな気持ち?
   :/       :::::i:.        ミ  (_●_ )    |    そんなにえらいの?
   :i        ─::!,,     ハッ  ミ 、  |∪|    、彡____  
     ヽ.....:::::::::  ::::ij(_::●    ハッ    / ヽノ      ___/
    r "     .r ミノ~.      ハッ   〉 /\    丶
  :|::| 信者 ::::| :::i ゚。            ̄   \    丶
  :|::|    ::::| :::|:                  \   丶
  :`.|    ::::| :::|_:                    /⌒_)
   :.,'    ::(  :::}:                    } ヘ /
   :i      `.-‐"                    J´ ((


695無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 15:58:45
残虐厨は量ばかり取り上げるが質なら武田親子も負けてねーし伊達政宗も十分残虐じゃね
それに例え越前などが焦土となろうとも人なんて自然に集まってくるもんさ、もしくは誘致するだけ
696無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:00:27
まて漏れは、伊達大嫌いだぞ!武田も!
だけど奴のDQNっぷりは他の追随を許さないからやなんだ
697無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:11:14
>>695
・・・この虐殺厨の正体は上杉厨なんだから武田と伊達を例に持ってきても意味無いよ。
698無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:18:06
大量虐殺者アンチが一人と思うべからず
699無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:20:31
「内閣総理大臣 織田信長」を読んでから、この人が大好きになりましたw
700無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:30:22
同じ虐殺でも上杉謙信のように、将軍家も公方も有名無実化してるのが誰の目にも明らかな中で
関東管領なんて埃のかぶった大義名分を傘にきて関東でやりたい放題、
こういう山賊と変わらん連中の虐殺が一番罪深い。一番罪の無い人らが殺されてるんだから。

まぁなんにせよ大量虐殺嫌いなら、全員北条家ファンになろうぜってこった、
他の大大名家のファンだったら、言える立場に無い。
叡山の僧兵が破却した本願寺の寺の数もかなり多いわけだし、自業自得。
701無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:30:52
信者も無視すればいいじゃねぇか、自分の信仰に自信あんのなら。
それをいちいちムキになって釣られるからww

大量虐殺も出来んで、天下が治まるか。ってな、虐殺者信仰者たちよ。
702無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:42:36
だな、ある程度虐殺容認でもなけりゃこの板に来てる事自体意味不明。
703無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:45:42
やっぱ秀吉がすぐれてたんじゃないか。

草履取りをしながら、信長の基地外じみた実行力を支える。
手練手管で、何とか城持ち大名にのし上がる。
勝手に北陸から撤退して、織田家中に謀反を流行らせる。
これに誘われるように松永・荒木と続々謀反に踏み切り、光秀がこれに成功。
秀吉「やったポ!!」
待ち構えていたように光秀を破り、勝家もアボン。
秀吉「織田家?ケツ!」
大量虐殺に手を染めることもなく、信長も成し得なかった天下平定を実現。
704無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 16:46:11
だからそう拡大解釈に持ち込むなと(ry
705704:2006/05/11(木) 16:47:20
706無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 17:03:43
信長なんて、単なる大量虐殺狂だろ。女子供も殺せー、撫で斬りにせい!
たび重なる家臣の謀反にも「何の仔細ありや(何故だ)?」「何の不足ありや(ワカラソ)?」
バカなの? この人って。
707無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 17:05:49
はい、はい、あなたが。
708無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 17:09:04
信長は火攻めのイメージ
秀吉は水攻め(お金攻め)のイメージ


ヒトラーと比べてるけど、ヒトラーは人種がからんでるからなあ
前線で闘ってたドイツ人よりも金持ちになったユダヤ人
第一次世界大戦
遅れてきた帝国
アウシュビッツはは別の生き物を殺したイメージ

いずれにしろ戦争時代に生まれるというのは殺人者になることなんだお
709無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 17:12:33
火攻め(人間バーベキュー)もツラいが、空腹攻めもイヤだろうな。
710無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 18:52:14
何不自由なく育った我々からすれば戦国期の事なんぞ野蛮と思うだろうが、その時代に通用した通念を理解しなければ信長が大量殺人者としか見えないだろう。
先の大戦中、帝国日本が戦国期の一向宗、米国が信長と置き換えれば、理解しやすいかもしれない。
一向宗の「降らば業国、進んば浄土」と唱えた衆徒も、陛下万歳と唱えて特攻した赤子もそう変わらない。
信長や米国も最新兵器や大量虐殺をもって根絶やしにしたい気持ちは共通なはずだ。
711おやじ:2006/05/11(木) 19:12:47
3、についてご意見が無いようですので、次へいきます。
タヌキが出たので次はサルでいきたいと思います。
信長の小者から天下人へ、秀吉の登場です。

1、秀吉の出身身分は?
秀吉は本当に小者からスタート?いくら何でも草履取りを大名にしないでしょう。
秀吉は本当に水のみ百姓の小せがれ?まさか、うつけ殿が道端のおもしろい針売り籐吉郎を登用しないでしょう。
2、他の大名家で雑兵身分から侍大将格「自家郎党を持ち一隊の指揮を任される身分と仮定」に出世した記録はありますか?
急激に巨大化した織田家と他の大名の比較は、無理を承知でお願いします。
3、戦国時代の論功行賞は?
とても素朴な疑問ですが、戦働き以外で加増されることがあったのでしょうか?
秀吉の身分が低かった時代のエピソードでは内勤「戦働きではない」が認められて出世したことになっています。

以上、よろしくお願いします。



712無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 19:51:16
秀吉か。普通に考えて百姓が天下なんて取れる訳ねぇだろ。
俺は蜂須賀一党や郷土郷士の群れの中にいた奴だと個人的に思っている。
愛知で言うと津島市、稲沢市、愛西市あたりをうろうろしていたと思う。
今川家に仕官していたらしいけどそれも分からんと思う。
無論、桶狭間合戦時だって小説のように活躍してないと思うし。
信長との接点は桶狭間以前から信秀の影響力が浸透していた津島市界隈でファーストコンタクトと思うのだが(まるっきり根拠無し)
ま、為政者というものは表向きの反対で裏集団を支配していたかもしれないのでその中の有力郷士が秀吉だったかもしれない。
現在で言うと為政政党に政治結社の右軍団が複雑にからみ裏の世界を仕切っているのとよく似ている。その裏軍団の一ブロック長が秀吉で
表の政界に進出したと、こうみるのが普通。これもまるっきり根拠のない事です。
713無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 19:53:11
>>703
草履取り???
>>710
流石に赤子は出征してないだろwwww出生違いだな
714無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:07:22
まさかお前「あかご」と読んだんじゃあるまいな。
赤ん坊が特攻するわけないだろ。
715無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:16:09
信長が残虐じゃないというならこの世の中善人しかいないことになる。
716無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:21:37
家康も結構残虐。
浜松の頃の話で地方の小城を攻めた時の話をさがすといい。
米国の原爆投下のほうが残虐性がトップレベルと思うが。
信長なんて大した事ない。ポルポトもむごいじゃないか。
717無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:31:00
>>715
お前は歴史を知らなさ過ぎる
信長よりも平気で大量虐殺を行った人間は世界にいくらでもいる
バーカバーカ
718無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:34:07
当時の一向一揆を食い止めるには真面目に根絶やしにするしかなかった
それがたとえ男だろうと女だろうと老人だろうと子どもだろうと
そうしないといつまでたってもイタチごっこが続くだけ
虐殺厨は宗教の恐ろしさを知らなさ過ぎる
とにかく宗教の力を弱めたというだけでも信長の価値は素晴らしくある(別にキリスト教ってわけでもなかったしな)
それをやらなきゃおそらく信長は死んで戦乱の時代は更に続いただろうな

で、まだ言うことあるの? 虐殺厨w
719無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:35:56
信長も残虐だが古今の和洋残虐対決してもらおうじゃないか。
さて、信長何位かな。
720無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:37:40
虐殺魔なら信玄も変わらないんだけどね。
721無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:39:34
残虐を美化してはいけない。時代時代によるものが大きいため、平成の御世では言いがたいとこもある。
722無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 20:45:50
正直虐殺した信長よりも本願寺の方が糞
723無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:21:41
虐殺、虐殺って、おまえら釣られすぎwww
724無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:35:41
虐殺ではなく他の事にも目を向けよう。
例えば・・・・・何かある?
725無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:44:41
敦盛
726無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:45:50
>724
勤務時間外に遊んでた女中を御成敗、寺の長老も同罪処刑。がある。
727無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:50:20
不出来な幸若舞に激怒し、御折檻・・・
728無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:52:58
>>724
> 例えば・・・・・何かある?
織豊系と言われるほど特徴的な城郭の築造を行った織田政権だが、
山本勘助のような築城軍師の名を聞かないよね。
誰が考えてああいう形態の城が発達したんだろう?
729無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 22:15:07
沢彦?とかいるけど、
信長ブレーンって謎だよね。ほとんど学校(寺)で勉強もしなかったらしい
信長の頭脳ブレーンって、どんな連中なの?
730おやじ:2006/05/11(木) 22:16:05
秀吉の若輩時代の史料は無いのですかねぇ。
過去を消さないといけない程ヤバイ出身だったとは思いたくありませんが。
戦国時代の論功行賞は、やはり戦働きだけですか?
前線で敵の首を取ってなんぼ、後方は軽視、これが日本の伝統ですか。
731無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 22:20:29
明智光秀だって前半生、出自や経歴は全く不明だよ
732無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 22:30:48
>前線で敵の首を取ってなんぼ

信長の場合はちと違うかも。桶狭間では情報戦で褒美とかあるし、
越前一向宗の婦女子を釜茹で虐殺でも恩賞があったらしいし。
733中常侍 うんこ ◆knhfo7S6wc :2006/05/11(木) 22:35:01
儒教思想である信・義・忠を重んじることこそが
武士の鑑とされたから。
734奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/05/11(木) 22:35:57
っ「後の世に」
735無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 22:51:33
>>728
松永久秀が築城した大和多聞城を参考にしたという説有り
736中常侍 うんこ ◆knhfo7S6wc :2006/05/11(木) 22:52:09
たぶん、葉隠のことを指摘してるのかも
しれないが、それだけでは説明できない
人物が過去にいるのでは?
737無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 22:56:39
>>729
> 信長の頭脳ブレーンって、どんな連中なの?
私的なシンクタンクがないというのは珍しいかも知れない。

ただ、信長は聞き上手だったという話があって、
軍議では皆が意見を言い尽くすまで喋らせて、それから判断を下したという話も聞いたことがある。

そういう意味では身分が低いが才知に長けた光秀や秀吉をブレーン格にせず、
そういう場に出るように取り立てたのは
彼らが家中をリードすることを期待していたのかも。
738無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 23:00:22
普通の大名なら光秀はブレーンで活用したいタイプだ。
そうすれは本能寺のような目には会わない。
739無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 23:03:33
>>737 いや、家臣じゃないっしょ。

最初に上総守(こんなのない)と名乗り、「バカかお前?」で、上総介に改めたよね。
第六天魔王も、由来は宇佐神宮(神道だが、神仏概念)に伝わる仏敵で、畿内の発想ではない。
天下布武印(岐阜段階)も、誰かの入れ知恵っしょ?
740無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 23:18:44
ブレーンの謎(どこかの段階でアボン)が、そのまま晩年の不可解な朝廷政策になってるのな。
息子の官職を気にかけるいっぽう、謎の三職推任問題は信長の意を受けた村井の強要かどうかわからんまま。
謎が残ったから、織田朝廷説や幕府説(これは不可能)、果ては朝廷廃止説まで生まれるわけで。ww
741無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 00:03:23
>>730
武功夜話でも嫁
742おやじ:2006/05/12(金) 03:10:46
ご返答有難う御座います。
1、前野さんちも現段階ではということで、出身については以前不明。
2、ここも下克上以外で身分を飛び越えた出世をした者はなさそうですね。そもそも秀吉の出身階級が不明で設定自体無理がありました。
申し訳ありません。
3、織田家の場合も軍事行動の一環と呼べるのではないでしょうか、少なくとも純粋な後方勤務ではなさそうです。
ご指摘の通り織田家には他家と多少違った功績の査定基準があったかもしれません。
743無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 03:38:02
織田信長の親衛隊やなんか読むヨロシ
744無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 10:57:42
>下克上以外で身分を飛び越えた出世をした者はなさそうですね

結果をみると下克上になったわけで、身分を飛び越えた出世など多くの例がある。
松永久秀は右筆であり高坂昌信は奥近習、主君の侍臣であれば
自分の才をアピールできるので評価されやすい。
ただ佞臣と他の者から陰口を叩かれることもあっただろう。
だが侍臣とはいえ禄を食む身分なので当然家来もいる。戦になれば駆り出される。
そこで功を立て他の者を見返せるかは、その者の野心と腕次第。
745無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 13:33:59
>>742
手勢持たない層から下克上でない出世なら、直江兼続とか本多正信とか黒田重隆、職隆とか
なんぼでも居るでしょ。
それと根本的に勘違いしてるようだが、ロジスティクスを近代軍制になぞらえるのは無理がある。
数町歩の郷士から100万石大名まで武士の本分は領主だよ。
746無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 19:32:57
>>744
高坂は架空人物の説が強いけどね
747無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 20:04:58
高坂弾正昌信(軍鑑)=春日(香坂)源助虎綱(武田史料に実在)
748無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 20:28:44
>>747
その説が強引なんだよ
749無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 21:10:23
すげぇ、昌信すら実在怪しいんだ
初めて知った
750無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 21:55:51
織田掃部(奇妙丸=信忠と松姫=信松尼)の婚約の使者で美濃岩村城将。
織田(津田)一門??
751無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 23:41:32
>>749
俺も武田スレで初めて知った。で、調べてみたらその通り臭い。
747は従来の強引な説だよ
752無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 23:50:46
>>751
>747は従来の強引な説だよ
って、中身知ってるのか?

何をいまさら・・・w
山本勘助実在を証明する史料も市川文書(管助)しかないし、春日源助が高坂昌信
のモデル説には、「軍鑑」(高坂昌信口述)の元史料筆記者とされる春日惣次郎(昌信の甥)
が論拠になってるだけだ。そもそも「軍鑑」を前提に、歴史を云々する愚かさよ・・・orz
だからといって、伝承の中に史実を見出すのも必要だけどな。

753無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:04:58
>山本勘助
なんか最近は、実在したんじゃないかって見直されてるとかいう話を聞いたんだけど、根拠ってどこなんだろう?
754無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:07:52
なんか息子がどうとかってきいた・・
755無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:16:09
>>753
実在がとにかく確認できるのは「使者・山本菅介」。この菅介が実際にどのような
人物だったのか。経歴その他はまったく不明なんで、講談に登場するキャラ「軍師・
山本勘介」とどの程度重なるのかも不明。
756無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:21:58
信長の棺を読めば桶狭間の合戦や本能寺の変の秘密がわかるよ
757無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:35:07
とうとう小説がネタになってきたか・・・、信長信者のレベル。ワロス

>講談に登場するキャラ「軍師・山本勘介」とどの程度重なるのかも不明。

ぜんぜん重ならねぇよ、ボケ! 名前だけの人間と「軍鑑」の主人公をどう比較する?
すぐ上のほうで、高坂昌信を否定したのにか?? 織田厨、レベル低すぎww

758無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:37:56
2chで本気になってる奴がいるよ
759無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:42:15
ま、低レベルは確かだから・・・
760無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:45:04
山本勘助については、建築奉行の山本菅介がいて、関山の祖先の勘助は足軽だったんだろ?
川中島では参謀になってたそうだが、名前があっただけで全然下っ端だったらしいが。
761無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 00:50:46
>>760
建築奉行・川中島では参謀?ww の典拠史料ならば、
このスレで居ないとされてる高坂昌信口述の「甲陽軍鑑」だな・・・

>山本菅介

「市川文書」にしかいませんね、そんなのww
762無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 01:08:12
山本堪助の住居跡が発見されています。
ただ軍師であったかは不明。
足軽大将としては実在した。
763無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 01:14:48
>>762
偽物です。住居跡もお墓も、そりゃ観光の種で・・・orz

>足軽大将としては実在した

ことにしないと、武田氏の武勇および地元の沽券にかかわる
という山梨県学芸員たちの努力ですが。もちろん、確証のある
同時代史料をと言われれば、何も言えませんな。

って、高坂昌信「軍鑑」を認めないかぎり、勘助が成立せんのですよ。
764無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 01:15:22
>>761
俺は詳しくは知らん。オタの君と一緒にしないでくれww
765無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 01:20:13
>>763

高坂弾正と山本勘助は「甲陽軍鑑」のセットってこと?
766無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 01:21:58
>>765
高坂はプロレスラー


なんでもない。帰る
767無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 02:24:05
高坂→軍鑑→勘助
高坂(架空)→軍鑑(演義)→勘助(架空じゃん)って論法ですね
768無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 03:06:56
佐々木小次郎やマルコ・ポーロも架空の人物だって架空の人物…
疑わしきは架空の人物って話は頭では納得できても、なんか物悲しい自分がここにいます。
769無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 03:23:34
堪助は江戸時代の軍学者が軍学を流行らすために
創作された虚像、堪助という実在する人物の名前を
借りただけ。
770無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 09:54:03
高坂や勘助がいないと武田厨には不利になるのかな?
771無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 19:11:57
おってもおらんでも信玄は強い。どうでも良い。ノブヤボでこの二名がおらんとやや不安。
772無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 19:47:01
信長「はっ!はぁぁぁあんっ!ぞ、草履は?草履は、ど、どこいったの??」
藤吉郎「ああ。懐で温めてたよ。今年一番のホカホカだ。」
信長「懐でっ!!温めたぁぁ!!さるぅあったかいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」
信長「猿のぬくもりと体臭の染み付いた草履を履くと、俺のチンコに火がついた」

773無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 20:43:25
信玄って強いのか?
774無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 20:50:43
>>773
村上より弱いが家康より強い
775無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 20:51:36
そりゃあ、それなりに強かったでしょうよ
弱かったら信玄の代で滅んでるはずだから
776無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 20:56:08
信玄の負の遺産が勝頼の失点にされててカワイソス

スレ違わねーか?
777無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 20:58:48
でも、各大名は本当に居たかもしれんが、家臣は本当に居たかどうかわからんぞ。
とりあえず桃太郎の犬猿雉のようにお供を付け足しただけかもしれん。
日向の伊東家などは、家臣がどんな人々だったのかさえよくわからないようだ。
薩摩と大友にはさまれてたからか、地味な大名家伊東家は悲惨だ。
778無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 21:09:15
山本貫助を始めとして、いろいろと煙っぽい武将っているよな。
実際に、あまり名前が表に出ない側近ってのはいたんだろうけど。
家康も白と黒に分かれた側近がいたよな?
以心崇伝?となんこうぼう天海?だっけか
779無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 21:24:44
>>774
若くて未熟な頃の家康に、だな
780無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 21:27:21
信玄の負けとされる村上戦も、信玄26歳。
若いころはどんな有名武将も痛い敗北はあるもんだ。
781無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 21:34:09
負け戦でどれだけ被害を小さく出来るかが名将かどうでないかが決まる
なんていっぱしの事をいってみるテスト
782無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 21:38:55
しっかし、そのころに大量に人死んだりしたら、戦国時代のうちには
人口を回復できない気がするんだがな。
死んだら食い扶持が減るから、子供増やしやすくなるのかな。
すると結局一世代後には、逆に若い兵士が増えることになりそうだよな・・・??
783無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 00:09:04
(´・ω・`)知らんがな
784無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 00:10:20
>>782
人口はただ増やせばいいってもんじゃないよ。その時代の食糧生産に適ったものじゃないと。
戦国時代に爆発的に増えた国もあったけどね。
785無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 05:38:10
信長ってどの程度凄いか童子に諭すようにわかりやすく教えてくれ
786無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 05:41:58
うつけものと言われた男が
天外を統一寸前まで行ったのよ
わかった?
じゃ早く寝なさい
787無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 09:04:20
>>316
確か、この時は野中が国家公安委員長だった気がする。
上祐の新教団とか、日本人も喉元過ぎるのが早いよね。
788無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 10:11:49
愛知の県知事になっただけで「よーし!パパ天下を統一しちゃうぞ!」
とか考えたかなりのつわもの。
789無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 10:46:15
しかし尾張1国といっても60万石弱もあって、かなりの大国なんだよね。
確かにその時点で天下布武を考えてたのはかなりすごいことだが
790無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 11:12:14
尾張は当時何番めの都市だったの?
京都は荒れてた感じだし
尾張に流れてくる人も多そう
791無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 11:53:22
桶狭間当事、今川家と織田家は石高の点であまり差が無かったというアレな話。
792無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 17:15:04
桶狭間当事、今川家と織田家の動員兵力は4.5万と3千というアレな話もある。

尾張では、国は豊かだが領主はなぜか貧乏だった。
793無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 17:19:06
>>790
都市・・・?
794無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 20:14:12
NHKの功名が辻の信長電波扱いなのは…
795無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 20:19:14
あれは演じている人のせい
796無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 20:22:48
ちゆうか、本当に怖い。
797無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 20:31:57
まぁ浅井の裏切り辺りから電波ってるのは事実

>>792
それから10年も経つと1万以上の軍勢が動かせるようになるよ
798無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 21:21:20
来週は、これあり?? それともスルー?

荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。
799無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 22:04:12
織田嫡流は家臣の裏切りで皆殺しにされたんだ。

滅んだんだ。大名としてなくなったんだ。

これが揺ぎ無い現実なんだ。いいかげん受け止めたら?
800信玄:2006/05/14(日) 22:05:00
李舜臣「800」
801無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 22:34:55
>>799
武田みたいにただ単に戦争で負けて滅びたよりもマシだよ

>>798
出たよ宗教の怖さがわかってない虐殺厨ww
802無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 23:00:44
>>798
非難するなら荒木道糞に汁
803無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 23:01:45
>出たよ宗教の怖さがわかってない虐殺厨ww

荒木村重一族処刑を宗教鎮圧と思い込んでるバカ(爆笑
804無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 23:19:31
>>799
織田信雄が後に大名に復活してますが名
805無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 23:25:12
>>792
尾張は長年の織田氏の内紛で分裂してた
信長が尾張を統一したのは桶狭間の前年。
信長の支配体制が確立したのはむしろ
桶狭間の合戦の勝利と家康との同盟で
今川がチョッカイを出せなくなってから
なんて話もある。
806無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 01:02:57
>>804
しょせん傍流だなwww
嫡流の三法師はどうなった??
807山師:2006/05/15(月) 01:19:38
関が原の合戦で西軍につき高野山に追放され1605年に病死しております。
ちなみに子息はいません。
信雄以外に信高、有楽斎等の子孫もおられます。
808:2006/05/15(月) 01:23:15
掛川城と小田原城は何県と何県にあるの?
809無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 01:39:29
>>806
武田の嫡流は信玄自らの手で断絶させているな
810無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 01:50:08
織田家にかかわらず、主家や氏そのものが滅亡した歴史上の人物はたくさんいます。
でもソレが織田家と信長とはあんま関係ないんじゃないか?


811無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 01:53:42
上杉謙信に至っては断絶はおろか誕生もさせてないな。
812無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 11:36:02
>>808
つり?
813無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 14:33:31
      | Hit!!
      |
      |
   ぱくっ|
     /V\
    /◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで
 _ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
  ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
   ` ー U'"U'
814無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 14:35:59
811ってきもいな
815無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 15:13:56
>>811
死ね
816無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 15:59:58
上杉謙信に至っては断絶はおろか誕生もさせてないな。
817無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 16:36:30
上杉謙信に至っては断絶はおろか誕生もさせてないな。
818無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 16:49:17
上杉謙信に至っては断絶はおろか誕生もさせてないな。
819無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 18:18:45
織田嫡流(信長・信忠)は家臣の裏切りで殺されたんだ。

秀信(三法師)が高野山で頭を丸めて尾張。

滅んだんだよ、大名としてなくなったんだ。

これが揺ぎ無い現実なんだ。いいかげん受け止めたら?
820無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 20:15:16
>>819
武田スレからの改変かw

豚は氏ね
821無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 20:29:49
>>819
滅びたのは武田”だけ”ですがwwwwwww

織田の末裔は江戸時代も出羽国高畠藩・天童藩の2万石の大名として、
丹波国柏原藩の2万石の大名として残りました。

武田は?ねえ武田は?

あ、信忠に負けて皆殺しにされたんだったねwwwwww

822無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 20:39:47
武田ファンは改変コピペばかりだな
823無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 20:45:21
武田厨はストーカーに近いよな。
天下人の家康は武田に惨敗wwwwうはwwwwだの
謙信がしつこいから天下を取れなかった!だの

信玄が生きていたら天下取れた!織田ファンもそれに従え!!だのさ
もうね氏んでいいよ
824無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 22:02:37
>織田の末裔は江戸時代も出羽国高畠藩・天童藩の2万石の大名として、
>丹波国柏原藩の2万石の大名として残りました。

そうじゃったのぉ、フォっフォっフォwww すべては、わしの配慮よ。
信玄の息子(信清)も景勝に被官させたことじゃし、めでたしめでたしじゃ。

と、神君が仰せです。
825無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 23:28:06
濃姫はいつごろ織田家からいなくなったのだろう?
826無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 23:48:53
>>825

最初からいないよ。婚約だけで、スルーしたらしい。
827無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 00:07:30
そうすると正室は吉乃になるの?
828無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 00:37:30
>>826
それは、ない
829無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 00:43:44
帰蝶(俗称濃姫)は、資料にいっさい存在しない
830無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 06:19:46
帰蝶も俗称だろ
資料に一切ない事もないのだが、明確にわかるのが存在せず、
推察される資料が極めて少ないと言うだけ
壺の件とかね
ただ諸説あるから、生死やいつまで正室の地位だったとかは、はっきりしてまへん
831無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 08:54:59
本能寺の後に信雄の世話になった説、子供ができなくて追い返された説、最初からいなかった説、
色々とあるよなー。
ただ気が強かったのはウソらしいな。信長に釣りあうように創作されたんだとか。
832無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 09:40:34
濃姫は「のうひめ」ではなく「のうき」と読み
美濃から来た姫という意味で特に帰蝶を指して
の言葉ではないらしい。
833無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 13:57:19
美濃から来た姫って帰蝶しかいないじゃん
834無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 15:59:50
そういえば戦国無双で信長は「お濃」とか「濃」とかいってた気がするんだけど…。
実際はそう呼んでたの??
ちなみにこの前、濃のさんずいの部分をつきへんにして、
「膿」っていう漢字と書き間違えた経験アリ。_| ̄|○i|||ii
835無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 16:18:23
実際は濃とかで呼ばれていないと思う。名前で呼ぶ
か御台あたりか?
まあ関係ないけど、現代に置き換えて考えると
出身地で呼ぶというのも結構失礼な気がする。
836無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 16:27:18
>>834
そういった呼称は後世にできたもので当時は無いはず
837無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 18:44:53
>>834
そういうのは個人の名前ではなく、後世の人間が区別するために名づけたもの。
838無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 20:53:29
ttp://post.baidu.com/f?kz=100263464
中国の2chみたいな所で日本の戦国武将が書かれてるぞ
翻訳してもよくわからんが
こんな感じに見えてるらしい
839無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 20:56:27
名前は諸説あるが、斉藤道三の娘が信長の正妻だったことは、否定できないわけだな
840無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 21:39:22
ぁぁそっかー!ちょい勉強になりますた!
841無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 22:02:17
やはり物語としては、信長の妻は蝮の娘と言う方
が都合がいいんだろうな。
842無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 22:18:41
山科言継の日記で記述されてる『壷事件』の顛末から、
信長の正妻は道三と小見の方の娘で間違いないだろう。
843無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 22:45:55
生駒氏の娘が御台と呼ばれている文書があるから
早い段階で濃姫は、織田家から消えたのだろう。
844無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 22:49:23
>>843
問題は、その消え方なんだよね。
特に離縁の場合、農姫の引き取り先がない。実家は敵になった義龍が当主。
さらに母方の縁である美濃明智氏も義龍に滅ぼされているし。
845無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 22:59:28
早死にしたと考えるのがいいのですか?
846無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 23:25:45
死んだり離縁したなら記録に残ってそうだけど
847無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 23:36:10
本能寺まで織田家にいたと言う新説話を聞いた事があるのですが…>美濃の方
なにやら坊主が書いた本能寺殉職者の名簿みたいなのが出てきてその中に名前があったとかどーとか。

うろ覚えなのですが…
848無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 23:58:25
たしか「おのう」と言う名前があったんだっけか。
でもそれを濃姫だと決定付ける証拠がない。
849無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 00:19:43
仮にも信長の正室がそんな「おのう」なんて記載
されているのかな?
850無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 00:21:14
まず死亡時期が不明。桶狭間以前に死んでいるというものから大坂の陣の頃まで
生存していたという説まで。
次に境遇が不明。政治的利用価値がなくなったあとも信長に保護されていた、保護
は受けていたが信長からは離れていた、捨てられた、離縁して尼になった、
他いろいろと。
なんでこんなになるかというと、結局のところ断言できるほどの確証がないから。
そこに小説家の想像の余地があるわけだが。
それくらい、記録がない。特に信長公記にロクに記述がないというのが問題。
生駒の方やお鍋の方のような実質正室扱いされたような女性の記録は残っている
ので、少なくともその頃には生別であれ死別であれ信長とは離れていたと思うが。
851無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 00:30:59
>>849
正室なら、貴人扱いされるから記述されるにしても「前右大臣室」とかそんな
かんじになるよな。
852無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 00:51:02
お鍋の墓みると、正室扱いされてたようには思えないけどな。
秀吉派だったから記録に残りやすかったんじゃ。
853無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 01:04:14
信長の墓も、惨めなもんだがな。
854無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 03:05:11
信長の事だから正室でさえも美濃からきたのうとか呼んでたのかも。

自分の息子に奇妙とか茶筅とか三七とか付けるくらいだからねぇ、それでもまだ最初は良い方で最後の方は
めんどくさくなったのか勝/縁/人だから…。
855無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 03:12:05
>>854
信長の人の呼び方と、他人の記述のしかたは別でしょう?
たとえばサルとかハゲネズミとか金柑とか信長が言ったとしても、他の人が
秀吉や光秀のことを書くのにそんな言葉は使わないでしょう。
856無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 03:14:44
しかしあだ名つける名人だなw
857無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 09:52:44
>>838
書き込みが鬼島津ってのが笑えるなw
858無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 13:08:07
>>850

『言継卿記』
>永禄十二年七月廿七日
>晩頭佐藤錫携来、一盞受用了、故一色義龍後家壷可為所持、
>可被出之由信長連連被申、一乱之刻被失云々、尚於責乞者可自害云々、
>然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、國衆大なる衆十七人、
>女子之男以上卅余人可切腹由也、
>仍中分失弗に治定、今日無事に成了、佐藤も十七人之内也

>永禄十ニ年八月一日
>早旦弾正忠所へ罷出、於門前曾禮申之、しうとめの所へ禮に被行、
>彼門前迄同道、山上城可見物之由被申

「本妻」と「しうとめ」の関係を推理すれば、お濃と小見の方以外に考えられないだろう?
859無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 19:00:56
今井宗久の手紙には、信長御台の御料所が堺にあったように書いてあるんだよね。
860無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 19:06:40
>>859
その「信長御台」が濃姫(便宜上、道三の娘のことをこう呼ぶ)とイコールかどうか?
という問題が常に存在する。
861無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 19:26:42
>>860
濃姫でないとしたら、他には誰の可能性があるの?
862無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 19:49:44
「御台」なら、正室側室の区別つかないんじゃね?
863無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 20:24:53
御台はどう解釈しても正室以外にないよ
864無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 20:55:24
もと側室で実質的な正室というのもあるけどね。
信長で例えれば、正室は濃姫。しかし濃姫がいなくなったとしても、奥向きを
管理(統治)する存在は必要なわけで。そういった役割を担うようになった側室
はやはり御台とよばれることもある。
あ、もっといい例がある。家康と徳川家だな。正室の築山殿が処刑されてからの
家康には公式な正室はいない(一応秀吉の妹がいるが)。でも、奥はある。存在
する以上は統治する実質的な御台が必要になる。
865無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 21:54:54
>>859
信忠と信雄を生んだ吉乃の事を指していると
思うが。
866無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 21:58:31
>>864
で、その実質的な御台を、実際に「御台」と呼んだという論拠はあるの?
大名の正妻のポジションは、そんなにいい加減なものではないと思うのだが
867無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 21:58:37
吉乃って早くに死んでるだろ。
868無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 22:00:21
>>865
吉乃=生駒は、小牧時代に死んでるから、該当しない
869無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 22:03:45
すいません。上洛前に死んでます。
870無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 22:05:25
>>866
正妻が既に没していたとすれば差し支えないんじゃね?
871無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 22:14:18
大奥(ドラマ)では、御台様もいるけど
奥を取り仕切る大奥総取締りがいたな。
管理する存在は、そういうポジションが与えられるんじゃないの。
872無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 22:20:13
>>858
8月1日に、姑のところへ礼に行ったのが、
7月27日の騒動を仲裁してくれたことへの礼を言うためだと仮定すれば、
本妻=濃姫
本妻姉妹=道三の娘たち
姑=小見の方
ということで、間違いないと思う。
小見の方は、もっと前に死んでるという説もあるけどな。
信長の妻の母で、道三の娘たちと美濃国衆に影響力を持っている
という条件にぴったり当てはまるのは、小見の方しかいない。
そして、逆に、小見の方の娘で信長の妻になっているのは、濃姫しかいない。
確か、道三と小見の方の間には娘は濃姫一人だけ。
873無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 22:34:20
実はお市の方が・・・
874無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 23:09:47
>>872
八月一日の記事の主格を本妻(=濃姫)として、小見の方を姑って言うのか?
875無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 23:25:23
信長の正室が、早くに死んでいる、または離縁とかしてるとすれば、
天下布武のためには何でも利用する信長が、バツイチ独身という立場を利用しないはずがない。
新たに政略結婚、天皇か貴族の娘などと結婚しようとしただろう。
それをしたことがないってことは、つまり、正室はずっと生きていたんだよ。
たぶん、和久井タンが演じる濃姫のように、清楚で控えめな女性だったんじゃまいか?
表にしゃしゃり出てこなかったから、家臣の目には存在感がなかった→史料に出てこない。
876無名武将@お腹せっぷく:2006/05/17(水) 23:27:02
>>874
>しうとめの所へ禮に被行

これの主格は明らかに信長
877無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 00:07:47
>>876
「早旦弾正忠所へ罷出、於門前曾禮申之、しうとめの所へ禮に被行、」
これを一つの文とするのなら、「弾正忠所へ罷出」とあるのにいきなり主格
になるのか?
「しうとめ」からは次の文とするのなら、主格がかわるのならその名前は出て
くるもんじゃないのか?
878無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 00:17:17
弾正忠ってのが信長?
879無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 01:32:52
>>877
この文章、主語が全然ないけど、
日記だからたいていは言継本人、敬語で書いてある部分は身分の高い人物。
古文だと、こうゆうのよくあるだろ。
敬語は、被行=行かれる、被申=申される

早朝、(私は)信長様の邸へ行った。門前で彼に出会い、礼を言った。
(信長様は)姑の住居へ、礼を言いに行かれる(ところだった)。
880無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 01:54:27
>>858の、何が書いてあるのか、さっぱりわかんないんだけど
だれか、翻訳して!
881無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 16:10:16
>>880
永禄12年7月27日
・・・前略・・・、故斉藤義竜の後家が持っていたという壷を、
信長様は何度も「出せ」と要求されたが、(後家は)落城の時の混乱の中で紛失したと応え、
「なおも責め要求されるのなら自害します」と言った。
(彼女に同情した)信長本妻の姉妹16人も自害すると言い出し、
(美濃の)国衆のうち有力なもの17人と姉妹の夫16人、合計33人が切腹すると言う騒ぎになった。
(この騒動は)仲裁によって治まり、今日、平穏に終結した。・・・後略・・・
永禄12年8月1日
早朝、(私は)信長様の邸へ行った。門前で彼に出会い、礼を言った。
(信長様は)姑の住居へ、礼を言いに行かれる(ところだった)。
姑の住居の門前まで同道し、(少し会話をした)
(信長様は)山上城(岐阜城)を見物させてくれると言われた。
882無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 18:46:05
なにかおかしくないか?壺を要求されたのが後家だとすると。
883無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 19:52:50
>843
吉乃が御台扱いされてるのは、江戸以降に作られた偽書部分でのみです
他どんな資料においても、吉乃は「室」つまり側室以外の扱いを受けていない
長男の奇妙(信忠)が嫡男と言っても、信雄は吉乃の子と知られていたけど、
信忠の方は正室の養子として知られていた、誰の腹であるかは意外と遅くまで知られていない
また、武功夜話拾遺では、小牧殿という女主が吉乃とは別に出てくる
それと、お鍋は信長死後秀吉に有利に動いた女性なので資料が残っていると考えられている
それに、信長は秀吉の正室である寧々に対して「子の無い正室のあるべき姿」を書き送ってる
モデルケースが傍にあったと考えるのが妥当ではないかと、自分などは思うけど

安土殿、養華院殿が濃姫である可能性は極めて高いんじゃないかと思っている
まぁ、この辺のことは日本史板へ行けば常識のようにして載ってるけどね
884無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 21:28:21
>>872
>仍中分失弗に治定
誰かの仲裁によって騒動が治まったのはわかるけど、
誰が仲裁したかは書いてないんだよね。
考えられるのは、「本妻」「しうとめ」または第3の人物
たしかに、8月1日の姑への訪問が、7月27日の仲裁への謝礼と仮定すれば、
関係がぴったりと当てはまるんだよね。
まあ、8月1日の「礼」も、壷事件に関係あるとは書いてないから、違う可能性もあるけど。
本妻の姉妹が16人という点も、並みの武士には娘を17人も産めないから、
父親は大名クラス、すなわち道三。故に本妻は濃姫という結論になるんだよね。
885無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 15:48:48
>>881
信長・・・・・、まるで駄々っ子だね(笑
886無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 19:09:45
義龍後家って浅井の娘か
887無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 21:18:12
お聞きします。
信長は道三の遺言を美濃攻めの
大義名分にしなかったのですか?
そうなると濃姫の利用価値もあると思うのですが。
888無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 21:48:57
あからさまに唱えたりはしなかっただろうが(少なくともその類の文章や寺社への
請願などは残っていない)、道三の娘との婚約関係というのは美濃に対しては十分
政治的価値はある。反義龍=龍興派(親道三派)へのつながりとかね。
889無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 00:06:57
2度目の裏切りは容赦なく許さない信長も何故か松永久秀に対しては
平蜘蛛を差し出せば許してやると意外と寛容だったがやはりどこかに
久秀に対して共感みたいなものがあったのかな
890無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 00:15:54
>>889

それはない。重包囲網の危機に晒されてただけで。
自己保身のためなら、何でもする信長の醜さ(裏腹)は嫌いだな。
891無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 13:09:39
>>890
生きるか死ぬかの瀬戸際

むしろ自分が得をするためには誇りも全てかなぐり捨てる信長かっけー
これが出来りゃ日本が第2次世界大戦でボロ負け(まぁどっちにしろ負けるだろうけど)することは無かったんだし
他の大名ももうちょいマシに戦えたんだろうがな
892無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 13:30:59
>むしろ自分が得をするためには誇りも全てかなぐり捨てる信長かっけー

て、本能寺でのアッサリした諦めかたはどうだ?
根性なさすぎ。
893無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 13:53:59
本能寺ではいくらなんでも逃げられないでしよう。
それでも光秀に自分の首が奪われないようにしてるが。
894無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 14:28:16
例 

68 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/04/29(土) 20:14:26
信長の業績=畿内アウトバーン造成・大筒大船
アドルフ・ヒトラーの業績=ヨーロッパアウトバーン造成・原子爆弾とロケットの基礎実験

両者の共通する犯罪=無差別大量虐殺・自殺

69 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/04/29(土) 20:23:1
>>68
戦国時代の武将の大量虐殺を責めても意味無いと思うが。

71 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/04/29(土) 20:44:25
>戦国時代の武将の大量虐殺を責めても意味無いと思うが。

降伏した人々を数万単位で虐殺した例>>17-19>>24は、管見のかぎり信長しか見当たらんな。


Q戦国時代の武将の大量虐殺を責めても意味無いと思うが。
Aだって信長しか虐殺してないんだもん。

信長しかしていない虐殺を悪評価しといて
その他の信長しかしていない事にはまったく触れていない馬鹿がいるスレはここですか?
そもそも、いかに虐殺しているとはいえ太平洋と戦国を同列で語ることは
ものすごく恥ずかしい。
 
このスレ、驚くほど低次元で驚きました。議論や評価するなら理解できますが
これではタダの中傷ですよ。
895無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 14:34:41
安心しろ、島原の乱など降伏した人々を殺した例は意外とある
特に宗教関連で言えば、叡山や法華宗、本願寺の三つは、室町期に大量虐殺してるから
これは敵対したとか関係なしに、その地域に住んでる人間を無差別にだから
アンチがいう信長が残虐だとするのより、よっぽどタチ悪い
896無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 18:10:55
ただ信長もヒトラーも、政治家としての手腕は
間違いなく一級品である事は誰しもが認めるところではあるんだよな。
897無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 18:30:51
荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。
898無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 19:35:24
しょうがないよな
有岡城の荒木重臣は村重を説得するという条件で降伏受け入れて貰ったのに、
尼崎に籠もる村重を説得するどころか、そのまま籠城したり逐電するという、
前代未聞の無節操さを見せた為、その報復を受けただけ
899無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 19:42:39
もうこの手の話はこのスレでは結論が出たはず。
900無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 21:43:52
【殺人狂 織田信長】
・直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
・織田嫡流(信長・信忠)は家臣の裏切りで殺される
・家臣に織田家を乗っ取られ滅ぼされる
・6000人も討ち取られながら長篠を大勝と捏造
・革新的と言われている三段打ちも捏造
・手取り川で惨めに惨敗
・信玄に怯え岩村城の叔母を見捨てる臆病者
・二万もの軍勢で秋山に翻弄される戦ベタ
・秋山との約束を破り城兵を皆殺し。生きたまま叔母の腹を割いたキチガイ
・侍女の不手際を許さず一刀両断。助命嘆願した僧さえも殺す
・徳川と連合を組みながら武田に大敗をする弱さ
・弱兵浅井朝倉に敗北
・朝倉に媚び諂い土下座をしてまで許してもらう
・それでありながら一方的に条約を破る卑怯者
・斎藤義龍に永久に勝てず敗北しまくりw 3戦全敗wwwww
・何度も暗殺されかけるカリスマのなさ
・長島攻めで足を狙撃されて苦しむ。惨め
・しかも百姓相手の長島一向一揆で大敗をする惨めっぷり
・700年もの歴史を持つ偉大な延暦寺を気に入らないからと丸焼き
・何万人も虐殺する異常な虐殺マニア
・松永に二度も裏切られる先見のなさ
・荒木にまで裏切られる人徳のなさ
・最後は重臣の光秀に殺されるwwww
901無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 21:52:49
       ▅▀▅    ▊  ▊ ▊
▄▄▄▄▄▄▄▄▀    █▄▄▄
       ◢▋ ▀▀▀▀▊       █▄▄▄   ▂
      ◢▋  ▄▄▄▄█▀▀▀   ▀▀▊ ▅▀   ▀▀▀▀▀▀
      ◢▀           ▊         ▊
  ▄◤▀            ▊        ▊

                 ◢░ ▄◢◣▂    ▄▄▄▄     ▄◢◣▂ ░◣
         ◢▅◣      ▐░:: ▀   ▀     ▐░░░▌   ▀   ▀ ::░▌
▃         ▌ ::░▌   ▐░::       ▐░░░▌       :: ::::░▌
▐◢▀◣▅◢▀◣ ◥▆▌    ▐▓░:::: :::    ▐:░░░▌       :: :::::░▓▌
▐ ::░▌ ::░▌ ▃ ::░▋     ▐▓▓░:::: ::  ▄◢░░░░▌   :: :::::░░▓▌
▐ ::░▌ ::░▌ ▀▅▀      ▀█▓▓░:: █▀▀▀▀▀▀▉ :: :::░░▓▓█◤
902無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 21:57:28
ノブナガサイキョウ ノブナガテンカビト!      粘着織田ヲタ氏ねよ
  ヲタタタタタタタタタタタタタタタタタ・・・・・     ∧_∧
             へ          (´<_` )
    / ̄ ̄ ̄ ̄\ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
   (  人____)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\        )
    |ミ/  ー◎-◎-)         |、     ノ .|
   (6     (_ _) )         |      | |
    | ∴ ノ  3 ノ _      |      | |
     \_____ノ _ E〕      |      | |
    (    ))___〕__E〕     |      |_丿
    |    信長  __〕_E〕    |  /ヽ  |
    |_________)        |  | |  |
    (三三三三三[□]三).         |  | |  |
    \::::::::::::::::::::::::::::::::/        |  | 〉.  )
      |::::::::::::::::::/:::::::/         |  ノ /  /
      |;;;;;;;;;;;;;;;/;;;;;;;/            |  |/  /
     (___|)_|)        / /\ ヽ
                      |_ /   ヽ-'
903無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:00:14
愛知県の車の盗難件数、交通事故死者は全国ワースト1w
904無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:00:58
今も昔も虐殺マニアなんだな
905無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:01:41
上杉厨の荒らしが酷いな
906無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:02:18
全くだ。上杉厨は最低だな
907無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:03:09
池沼上杉厨はスルーして話しを戻すか
908無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:06:12
>>900
俺はそんな残酷で惨めな部分も多く持つ信長が好きだよ^^
909無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:06:30
信長って光栄だと結構戦闘低い(といっても最高ランクあるが)けど実際は戦国最強と言っていいような・・
だって戦国であの最強軍団本願寺を破り大大名をいくつも倒し最強武田軍団(笑)を特に奇策無しで撃破

まぁ北条上杉毛利とかは潰せてないけど別にこいつらだって他の大大名潰せたってわけでもないから


後虐殺厨論破されすぎ もうちょっとマシな戦いしろよ 
まぁメッキが剥がれてきた上杉や武田もこんなもんだったようだけどな
910無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:07:49
>>900
別に信長が捏造したってわけでもない
まわりが勝手にやっただけのことだろ

っていうかどこからツッコめばいいのやら・・
911無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 22:25:59
【殺人狂 織田信長】
・直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
・織田嫡流(信長・信忠)は家臣の裏切りで殺される
・家臣に織田家を乗っ取られ滅ぼされる
・6000人も討ち取られながら長篠を大勝と捏造
・革新的と言われている三段打ちも捏造
・手取り川で惨めに惨敗
・信玄に怯え岩村城の叔母を見捨てる臆病者
・二万もの軍勢で秋山に翻弄される戦ベタ
・秋山との約束を破り城兵を皆殺し。生きたまま叔母の腹を割いたキチガイ
・侍女の不手際を許さず一刀両断。助命嘆願した僧さえも殺す
・徳川と連合を組みながら武田に大敗をする弱さ
・弱兵浅井朝倉に敗北
・朝倉に媚び諂い土下座をしてまで許してもらう
・それでありながら一方的に条約を破る卑怯者
・斎藤義龍に永久に勝てず敗北しまくりw 3戦全敗wwwww
・何度も暗殺されかけるカリスマのなさ
・本願寺攻めで足を狙撃されて苦しむ。惨め
・しかも百姓相手の長島一向一揆で大敗をする惨めっぷり
・700年もの歴史を持つ偉大な延暦寺を気に入らないからと丸焼き
・何万人も虐殺する異常な虐殺マニア
・松永に二度も裏切られる先見のなさ
・荒木にまで裏切られる人徳のなさ
・最後は重臣の光秀に殺されるwwww
912無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 23:14:46
柴田勝家「おい、おまいら!今川が攻めてきますた。対策協議汁!」
織田信長「詳細キボンヌ」
柴田勝家「憎きDQN今川への攻撃を提案しますが、何か?」
佐々成政「今川攻撃キターーーーーー」
前田利家「兵数10倍もキタ━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!」
柴田勝家「兵数10倍ごときで騒ぐ厨は逝ってよし」
木下秀吉「オマエモナー」
丹羽長秀�--------終了-------�
柴田勝家�--------再開-------�
林 通勝「再開すなDQNが!それより全軍の篭城キボンヌ」�
佐久間信盛「今やらなきゃ武田にやられちまう…」
前田利家「↑誤爆?w」�

柴田勝家「鷲津、丸根砦陥落age」�
木下秀吉「ほらよ今川本陣奇襲>織田全軍」
織田信長「ネ申!!」�
前田利家「猿キタコレ」�
柴田勝家「突撃age」
木下秀吉「突撃ageんな!sageろ」�
柴田勝家「突撃age」�
織田信長「怒りに任せた突撃age厨uzeeeeeeeeeeee!!」�
前田利家「ageって言って今川に勝てると思ってる某武将はDQN」�
服部半蔵「イタイ武将がいるのはこの国ですか?」�
佐々成政「氏ね」�
木下秀吉「むしろゐ`」�
柴田勝家「突撃age」�
織田信長「勝家 、 必 死 だ な ww藁ww 」
913*Tp0tp8[:2006/05/21(日) 01:58:04
てす
914 ◆LLLLLLLLL. :2006/05/21(日) 01:58:59
あっwwwwwww
915無名武将@お腹せっぷく:2006/05/21(日) 09:34:34
>>900-907
自演乙!50の城について、ちゃんと調べ終わったか?w








武田厨氏ねよ
916無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 12:37:35
武田は金山があったからもっていただけ、
金を堀尽くしてしまったから滅びた。
当然の流れ。
917無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 15:47:02
白蟻みたいだな
918無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 07:02:09
葡萄でも作ってればよかったのに
919無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 20:49:09
最近過疎っているが皆武田スレに出陣中なのか?
920無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 21:14:32
そろそろ俺の出番かな。
921無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 22:12:47
>最近過疎っているが

単細胞なマンセーと虐殺しか、ネタがねんだもん。
922無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 22:42:49
最近目立つのは信長と朝廷とが融和関係に
あったか、対立していたか、というテーマを
めぐる論考だそうです。
1.正親町天皇に譲位の意志はあったのか?
2.信長は右大臣・右大将自認の意図は?
3.馬揃えは天皇に対する信長の圧力か?
4.左大臣推任の主体は誰か?
5.信長の自己神格化は事実なのか?
923無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 09:28:49
5はガチ。ルイスフロイスが本国に送った手紙に
「あの馬鹿調子に乗って魔王なんてPNで手紙書いてるよwwwテラワロスwwwww
ゼウス真似て自分の誕生日に国挙げてパーティーやってるんだぜ?どう見ても池沼です。ありがとうございました」
天罰降ってそのうちあぼーんだな。確定」
と書いている
924無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 09:56:56
>>923
その意訳、面白いとでも思ってるの?
925無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 10:00:27
実際もっと恐怖におののいてるしな
926無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 15:55:37
>どう見ても○○です。ありがとうございました

これが書きたいだけのアホだろ
927無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 18:43:15
【殺人狂 織田信長】
・直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
・織田嫡流(信長・信忠)は家臣の裏切りで殺される
・家臣に織田家を乗っ取られ滅ぼされる
・6000人も討ち取られながら長篠を大勝と捏造
・革新的と言われている三段打ちも捏造
・手取り川で惨めに惨敗
・信玄に怯え岩村城の叔母を見捨てる臆病者
・二万もの軍勢で秋山に翻弄される戦ベタ
・秋山との約束を破り城兵を皆殺し。生きたまま叔母の腹を割いたキチガイ
・侍女の不手際を許さず一刀両断。助命嘆願した僧さえも殺す
・徳川と連合を組みながら武田に大敗をする弱さ
・弱兵浅井朝倉に敗北
・朝倉に媚び諂い土下座をしてまで許してもらう
・それでありながら一方的に条約を破る卑怯者
・斎藤義龍に永久に勝てず敗北しまくりw 3戦全敗wwwww
・何度も暗殺されかけるカリスマのなさ
・本願寺攻めで足を狙撃されて苦しむ。惨め
・しかも百姓相手の長島一向一揆で大敗をする惨めっぷり
・700年もの歴史を持つ偉大な延暦寺を気に入らないからと丸焼き
・何万人も虐殺する異常な虐殺マニア
・松永に二度も裏切られる先見のなさ
・荒木にまで裏切られる人徳のなさ
・最後は重臣の光秀に殺されるwwww
928無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 21:07:37
↑こういうの貼る奴らに限って「手取川は捏造」とかいってんだろな
929無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 21:13:04
>>923
「魔王」宣言は信長一流の諧謔だと思うけどな。
930無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 21:24:42
アホは w を沢山連ねないと不安なんだろうか
931無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 09:24:38
在世時もこれぐらい信長に粘着してた奴、ごろごろいたんだろうなあ。
932無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 09:53:41
>>928
>>927は今年からこの板に住みついた基地外の仕業
スルーするとよろし
933無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 13:21:14
ツマンネ
934無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 09:27:35
基地害のお決まりの台詞



捏造
935無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 13:27:56
だって便利なことばなんだもの、
秀吉厨がよく使うよね。
936無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 13:42:00
自分の誕生日を祝うという発想は
神格化なのか?
937無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 14:16:27
祝われた事がないんだ、察してやれ
938無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 15:04:51
魔王云々、自分を神のようとかは宣教師の記録にしかないでしょ
信玄宛の書状に書いたというのは俗説だし
キリスト教徒への態度が変わるとすぐボロクソに書くのが宣教師だから…
939無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 19:44:50
>秀吉厨

こんなのはいない。
940無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 21:43:49
捏造乙!
941無名武将@お腹せっぷく:2006/05/28(日) 09:57:30
秀吉好きってあんまり聞かないよな
歴史にあんまり興味のない奴には知名度が高いおかげで支持されてるようだが
942無名武将@お腹せっぷく:2006/05/28(日) 23:03:50
おもしろい傾向ですね。
関ケ原では荒らしもいた秀吉厨が、主君
である信長スレではおとなしくしている
っていうのも。
943無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 00:19:32
ただの石を「これを俺、そして神だと思って敬え」と強制するエピソードはかっこ悪いと思った
944無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 01:42:59
>>937
お誕生会開いたのに誰も来てくれなくていじける信長
945無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 02:44:01
俺は行くよ^^
946無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 03:25:10
しかし、信長の苛烈さが増したのって、生駒の方が若くして死んだ(1566)のと、斉藤義龍のせいで
まともに入り込めなかった美濃を龍興への代替わりのおかげで制圧できた(1567)ことが、
やっぱり大きいのですかねえ?
947無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 05:24:46
>>943 私としては信長らしくていい
エピソードだと思うが、
ただ同じことを秀吉や家康
がしたら943のように感じるかも。
948無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 09:33:32
>>943
普通に神道にそってますが。
例えば、今も神社にご神体としてある石や鏡というのは、それ自体が神という
のではなく、かつて神が降臨したモノ、というシロモノで、その物体に残った
神の力の残滓を通じて神あがめるということです。

>>946
むしろ、浅井長政の裏切りからだと思う。苛烈さが前面にでてきたのは。
949無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 10:03:10
>946
吉乃厨乙
死にかけてるのも知らないわ、その間に他で子供作ってるわ
武功の話を鵜呑みにするのも、いい加減にしたら?
950無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 15:11:26
和久井濃姫(;´Д`)ハァハァ 
951無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 20:03:01
>>946
苛烈さが出てきたのは、一向一揆との戦いを通じてだと思う。
兄・信広、弟・信興、信治、叔父・信次、従弟・信成、腹心の家臣・森三佐衛門、、、
個人的に親しかっただろう人たちが大勢死んでいるし。
狂信的な一揆勢を制圧するために、残虐な戦法をとらざるを得なかったし。
952氏家卜全:2006/05/29(月) 20:35:28
>>951
おいらは入ってないんだ・・・(´・ω・`)
953無名武将@お腹せっぷく:2006/05/29(月) 22:25:16
>>938
「延暦寺を焼き討ちするとは、とんでもない奴だ、( ゚Д゚)ゴルァ!!」 天台の沙門・信玄

「堕落した坊主どもをぶっ殺して、何が悪い?(笑 」 第六天の魔王・信長

この書簡のやり取りがフィクションだと?
954無名武将@お腹せっぷく:2006/05/30(火) 05:54:15
僧侶を殺すことと自分が神を自称することにはなんの関係もないと思うが?
955無名武将@お腹せっぷく:2006/05/30(火) 22:06:34
>>952
そりゃアンタは美濃三人衆だし。
生き延びていれば稲葉さん並の信頼を勝ち得ただろうけどね。
956中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/05/30(火) 23:32:30
>>943
それ宣教師のやつだよな?
ところで総見寺の碑文て、何がかかれてたのだろう
957無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 00:18:36
                        _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
                     三'::::::............... .....::::::`y,.
                     ナ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヾ
              | ̄|   V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{
           | ̄| | ̄|   ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_  _,,,,,_ t;;:ヌ
           |  | |  |  イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f    しらねーよ
           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'  
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'
           |,.ィ―'''' ̄ /| |       /二ク     !
           /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、     ヾニン   ノ\
            /'''::::;r|''':::;;;|  | ! \       _,,./|::;;'''\
        /:;;/ |;;;''::;;|   丶\  `__>-ー´   !;;;:'''::iヽ、
          i/   |'::;;;;''|      三 ―''"       !''::;;;;| /ヽ
        /⌒ヽ  |;;''':::;|       \            !;;::''|/  i
         /     \{'';;;::''}          ̄二ニ=    !::;;|   |
        /ヘ     |;;:::::;{            ‐-      !/   |
        /  i     |:::;;;''!             ー       !  / |
     /   l     |;;'';イ                   }   {、
     〉、      ∧テ{ ヽ  _   _,,,,;;;;;:::-==ニ;;;_   ノ __,イ´
      / \_    //レ!      ̄           ̄ { ̄  |
    /    `ー::v'´/ | i                     i    |
    i       / ̄   | |                     i、  |
    i       /    ||                         ヽ  |
958無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 00:44:50
>>951
信長は尾張統一の過程で、
弟・信行、信時、叔父・信光を殺している。
また、叔母で岩村城城主夫人(名はなお、またはつや?)を残酷な逆さ磔の刑に処している。
その程度の親族が戦死した程度で、心境に変化があるほどやわではないと思う。
959無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 01:07:44
>>958
それらは信長に敵対したり裏切った場合
のことで、基本的に彼は、身内には甘く、
身内に対して危害を加える者には容赦しない。
960無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 01:30:36
>>958
>弟・信行、信時、叔父・信光を殺している。

信行は、一度戦争で打ち負かして助命した後、再び謀反を企てたので、殺した。
信時、信光は殺してない。この二人はそれぞれの家臣によって殺された。
岩村城主夫人の場合は、信長の五男・御坊丸を甲府に人質として送ったことが痛いな。
御坊丸は3つか4つくらいだったらしい。そりゃあ、信長も怒るわなぁ。
961無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 02:25:58
信長は処刑方法として、人間バーベキュー(一向宗徒10万人弱)・全裸逆さ磔(年下の叔母)を好んだらしい。
962無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 06:59:38
>960
>岩村城主夫人の場合は、信長の五男・御坊丸を甲府に人質として送ったことが痛いな。
>御坊丸は3つか4つくらいだったらしい。そりゃあ、信長も怒るわなぁ。
うむ、確かに。
御坊丸が戻ってきた時の元服の様子、犬山城主に据えたこと、信忠の与力にしたことなどを考えると
随分と信長の中では大切な子供だったようだしな。
織田掃部が自害させられたのも、同じ理由からかもしれないし。
963無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 07:50:29
何で子供に勝長なんて名前付けたんだろ
964無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 08:12:00
武田の家督を持たせて甲信以東方面の主将にするつもりだったのでは。
965無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 12:14:03
信ちゃん、武田が大嫌いだからそれはしないでしょ
966無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 12:53:23
坊主憎けりゃを地で行く感じだしねえ
967無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 13:26:50 BE:214261294-
信長最大の発明とされる
鉄砲用兵と鉄鋼船
しかしその効果を知ってるはずの後継者
秀吉、家康がそれらを多様しなかったののは
戦国の謎の一つだろう
鉄鋼船は本願寺攻め移行歴史から姿を消す
鉄砲にしても流しの以降合戦の主力になることはなかった
なぜ2人の天下人はこの2つを捨ててしまったのか
用兵や兵器の発展に力をそそがなかったのか謎である
ま鉄砲については突撃してくる騎馬のみに有効であったとか
大砲の登場があるにしても
968無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 13:38:52
お子様登場
969無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 14:23:45













                             ?                       
970無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 01:12:10
信長の7隻の鉄鋼船があれば、ペリーの黒船におたおたすることもなかったじゃん?

なんで、秀吉と家康は海軍を作るのを放棄したん???
馬鹿じゃね??

信長は戦艦どころか、空母機動部隊も作ってたわけでしょ
971無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 01:45:49
信長はライト兄弟より300年以上早く飛行機を作ったとの説が浮上しました。
972無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 02:22:11
>>970
お前は何をふきこまれたんだ
973無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 02:57:03
鉄船?甲板に天守閣みたいなやぐらを乗せて船の回りは所詮ハリボテだし
おまけにハリボテ鉄で重くなった船を航行させるのは人力(ノД`)
974無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 03:16:22
>>916
ハァ???
と釣られてみる
975無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 07:31:13
六月かぁ
信長ドコー?
えっ本能寺!?
えっ手勢数十騎!?
フムフム




( ̄ー ̄)ニヤ
976無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 08:10:04
信長が作ろうとしてたのは、飛行機じゃなくてミサイルだぞ。
飛行機が時代遅れの兵器になることも見越していた。
977中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/06/01(木) 10:36:05
本能寺の変424周年記念がもうすぐなわけだが(旧暦)
978無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 13:58:58
新暦だと7月1日だが、本能寺にエアコンとかあったのかな。
979無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 15:06:25
あったよ
快適でした。
980無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 15:36:21
さすが日向守様
なにごともぬかりなく・・・
981無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 18:14:16
竜骨のない鉄鋼船なんて安宅丸に比べたらショボイな
982無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 23:58:43
>>978
おれの誕生日な件について
983無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 07:03:04
>>982
もうすぐおめでとう
984無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 10:15:14
age
985無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 15:46:01
今日は命日か?
986無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 16:56:55
旧暦だと、もう少しあとだから、厳密には今日ではない
987奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/06/02(金) 22:38:40
7月1日だったっけね。
988無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 23:53:15
ハッピーバースデ〜ィ
ハッピーバースデ〜ィ
おめでとう 自分〜〜
989無名武将@お腹せっぷく:2006/06/02(金) 23:58:28
>>988
おめでと〜☆
990無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 10:46:41
990
991無名武将@お腹せっぷく
991