1 :
無名武将@お腹せっぷく:
内政が出来ずに北伐繰り返して蜀滅ぼしたみたいな
事ばっかいわれてるけど、もっと姜維には深い考えがあったのでは。
うんこ
3 :
高幹 ◆jrxragAXiU :2006/04/12(水) 18:45:38
おはようございます
三沢光晴
△
/〇\
||
こんな感じ
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 19:45:27
内政ができずにも何も、内政自体をほとんどしとらん。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 20:01:33
姜維って山中鹿介みたいでかっこいいじゃん
日本人好みの生き様
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 20:42:41
内政重視で国内を安定させたい蜀にとっては何ともし難い人物だな、亮の愛弟子じゃなかったら拘束追放!
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 20:50:00
いや、こういう奴がいないと国が文弱になって滅ぶんだよ。
ショウエンやヒイの跡を継いで内政とのバランスを取る奴がいなかったのが悪かった。
せめて戦に強ければよかったけど、
毎年少し勝った後いい気になって戦果拡大を狙って、
結局最後は大敗して逃げ帰ってきてるからな〜。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 00:34:54
蜀内部の兵の不満(魏と戦いたいっていう)を一心に背負い
北伐したんじゃないかな。西郷隆盛みたいに。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 00:39:40
異民族を味方につけたのは良かったんだけどな。
ただ、鮮卑や匈奴あたりじゃなくて、弱小民族だったのが…
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 01:28:51
黄コウを早くぶったぎっとけば・・
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 01:40:50
軍事的才能はあったんだろ?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 02:10:45
一応大将軍だからあったんじゃないかい?
例の戦国時代のオートマ弩を兵全員に装備してたらもっとイケたんじゃんかろうか
姜維と共に蜀に降った梁緒・梁虔 ・尹賞は、
蜀で姜維の勢力基盤を作るような働きはなかったのでしょうか?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 03:12:48
盾もって次から次にくる兵や怒濤のごとく迫り来る騎馬隊には押し戻されそうな気が・・・
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 03:14:46
↑18へ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 04:29:48
19
マイナーな三人だなー正史には書いてないのその辺?
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 12:21:34
魏にいた姜維が実権にぎれるんだからよっぽど
人材がいなかったんだろうな。
24 :
鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/04/13(木) 12:34:15
>>1 街亭で山を陣取る馬謖を止めるようにいった人。
ソースは無双
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 12:55:15
>>23 劉備だって曹操の傘下にいたことがあるじゃん
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 13:48:09
ソウソウも炎症の配下だったや
>>10 別に姜維は諸葛亮の弟子じゃない
ただの降将からまがりなりにも一国の大将軍になったのはそれだけ優れてた証左
同時代の人間にもちゃんと評価されているし、魏から見て「蜀は姜維ただ一人」だったのは確か
英雄気質って分類の性格してるよ。母親に「魏ならせいぜい地方役人だが蜀では将軍なので帰らない」って喝破してるし
義人というよりは自分スキーなタイプだね。「荊州閥でも益州閥でもないが腕一本で蜀の大将軍な俺カッコイーー」ってタイプ
最もその「カッコイイ俺」を維持&守る為のよりしろが蜀だったので、それが蜀という国の忠義に変換していった
政治をするタイプじゃないし、する必要が本来は無かったのにショウエン・ヒイが死んじゃって、一番の高官が武人であるはずの姜維にまわってきて
そんな姜維に後続の政治をやらせようとした蜀の悲劇だろ
劉備存命の群雄割拠の頃に生まれていれば縦横無尽に活躍できたろうに(姜維の戦術は機動戦術だし
それ全然例えが違うだろ。
呂布配下だった張遼の方がまだ近い。
ただの武官だった姜維に、
諸葛亮的な民政手腕を求めることが間違いだったんじゃないの
諸葛亮と比べるのが問題
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 14:45:41
魏から降った後ろめたさから魏をぶっ殺したかったんだよ。
そのあと劉禅殺せばほら、天下人
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 15:04:37
姜維って本当に内政もダメだったの?
蜀が滅んだ原因は劉禅が簡単に降伏しちゃったせいであって
内政が悪かったわけじゃないと思うんだが。
しかも何回も北伐してるし、本当に内政が悪かったら戦争じたいできないでしょ。
だいたい政治なんて孔明がきちっと法を定めてるんだから多少の事で悪くならないと思うんだが。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 15:34:35
第二次世界大戦の日本みたいな感じかな?ほとんどでっぱらって国がら空き
>>31 >だいたい政治なんて孔明がきちっと法を定めてるんだから多少の事で悪くならないと思うんだが。
だから30年も持ったんだろ?
陸遜もできなかったんだ
前線指揮官が片手間にできるようなもんじゃないだろ内政は
>>31 蜀後期の内政はよくわからんね
劉禅も黄皓も姜維も具体的に何をしたかっていうと何もわかってないわけだ
>>22 梁緒:大鴻臚
尹賞:執金吾
梁虔:大長秋と姜維伝には記述がありますが、特に目立った活躍等は見つけられませんでした。
だいたい姜維を支持する派閥が無いし
だから必死こいて涼州狙ってたって部分もあるだろ
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 17:51:21
姜維が孔明をも超える内政の天才で
全盛期の曹操以上の戦上手で
呂布をも超えるほど一騎打ちが強かった
って可能性はないの?
>>31>>35 黄皓が台頭して表舞台にでてくるのはおおよそ尚書令の陳祇が歿して以降。
末期の蜀政権は中常時・奉車都尉の黄皓に加え、衛将軍の諸葛瞻と輔国大将軍の
董厥がそれぞれ平尚書事となり、それに尚書令の樊建の四人で馴れ合い政治を
行っていたというのが史料から窺える実情。
なかでも平尚書事の諸葛瞻と董厥は姜維の更迭と閻宇の起用を画策している。
陳祇が生きていた時代はそこまで官僚機構の腐敗はすすんでおらず、むしろショウ周と
の関わりをみても度重なる姜維の北伐による消耗に対する危機的意識はあったと
みられる。
>>22>>36 梁緒が大鴻臚、尹賞が執金吾、梁虔が大長秋という各々の職掌を見る限り、おそらく
この人事を行ったのは姜維。
陳祇が歿すると尚書台の官職を荊州出身者に占められてしまっているため、それに
対抗するための布石の意味合いがあったのではないかとも推測。
>>37 姜維が北伐の作戦上で涼州方面を志向した原因には、諸葛亮時代に北伐が
展開された雍州方面の防衛体制が強固になって手をだし難くなってるのもある。
姜維自身が涼州の事情により精通しているせいもあるけど、実質は選択肢なんて
なかったというべき。
いちど諸葛誕の叛乱に乗じて東部へ繰り出してるにも関わらず、殆どあっさりと
防がれてにっちもさっちもいっていない。
美形
だったのか?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 18:11:44
ゲームの中だけ!
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 18:22:07
>>39 諸葛瞻って孔明の息子だよね。
孔明の息子まで無能だったの?
実際の姜維はこんな感じ↓
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i
!;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ
ゝ;;;;;;;|:::: (●) ,(●) |シ
从从/: \ 、_! / ノ
从从 i 'ー三-' i l
ノ从ヽ._!___!_/
_c―、_ __,l l、__ _,r―っ_
三 ー )  ̄` ̄´⌒´ヽー ヽ / -ー^ヽ⌒ヽ´ ̄`´ ̄ ( ヽー 三
 ̄  ̄`――、__ ヽ , ヽ ,/__,r---― ' ̄ ̄ ̄
`i^ ー '` ーイ
ト-= ニ ニ -|
ト- = ⌒ -|
,-――、_ ノ ,,,@,,, ノ、 _,r―-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ミシミッ ノ /
\ ヽ、 ヽ( i i )ノ ,ノ /
\ l`ー-―' `∪´`ー-―' /
〉 イ 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
孔明死亡→即、蜀滅亡
と思ってるアホの多いこと多いこと
>>39 姜維の輔政時期にも、
まだまだ中央に荊州出身者(諸葛瞻・董厥・樊建)を残してますが、
費イ・蒋エン時期よりも益州人の進出が見られ、
荊州派閥よりも益州派閥を懸念していた可能性もありますね。
>42
けっして無能ではないよ。
官僚としてなら多分優秀なほうだったかもしれん。
ただ、一国の政治・軍事の指導者の器量はなかった、って感じかな。
>>45をちょと訂正。
閻宇が姜維の軍事権を取り上げようとしていたり、
これを推していたのが諸葛贍であるという説もあることから、
×荊州派閥よりも益州派閥を懸念していた可能性〜
○荊州派閥だけではなく益州派閥をも懸念しなければいけなかった。ですね。
>39,45
ただ、伊賞らの官位・職務は、名誉職に近いから、派閥的な意味ではあまり意味が無いような気がするが。
また、荊州閥、益州閥と言うより、蜀漢全体の暗黙の合意的な部分で、政権中枢(尚書系等)は諸葛亮系統の人材が占める、と言うのがあったのではないかな。
益州が地盤の政権である以上、土着化が進むのはやむを得ないと思う。
ただし、最高指導者は諸葛亮系統の人材(=結果的に荊州人士が多い)が占める、って感じだったと思うが。
姜維の場合、費禕が急死したんで、次席だった関係で最高指導者になってしまった、って部分も大きいだろう。
費禕が存命であれば、同世代の姜維も、費禕が引退、あるいは自然死する頃には同様なはずで、その段階での最高指導者は諸葛贍だろうね。
優秀、諸葛氏の中でもっとも戦が苦手そうな諸葛瑾でさえ兵を減らさないところは評価されてるからねぇ
それに比べると時期が悪かったとはいえ諸葛贍の軍才はカワイソス
>49
戦績に関しては気の毒だと思うよ。
多分、初陣だろうから。その上相手がケ艾でしょ。
そもそも、姜維ら歴戦の将軍でも予想出来なかった場所から侵攻されてるから。
諸葛贍の諸軍の役割は後詰、それも涪を策源に、姜維らを支援する後方勤務だったかもしれないから、戦闘を想定してなかったかもしれんし。
諸葛贍は軍才あったと思うよ
文官、高官の子弟で構成される寄せ集めの近衛を率いてあのケ艾を一度は破ってるんだぞ
その後、ケ艾が息子と自分の副官を軍律を盾に脅し上げる程に追い詰めてようやく勝利しているが、
初陣、かつ寄せ集めの前線で戦う部隊ではない軍を率いてそこまで出来れば大した者だ
そもそも費イの後任として姜維が指名したのが陳祇・諸葛贍・董厥なんだから
やっぱ政治に無関心なんだろう
確かに陳祇は順当な線だし、諸葛贍は政権内で(親の威光もあって)信望が厚いんだか
彼等が姜維を漢中から外そうとするんだから。所詮一武官なんだよ、姜維は
>>48 降将であり、益州に土着勢力もなく、荊州人には北伐を反対されながらも、
羌・胡に詳しいこともあり北伐を行うことで「漢室復興」という根本的な部分にしか、
自分を見出す場所がなかったのかなーという感じがします。・・・孤独だったのかな;;
>51
必死に戦った結果であって、軍才では無いような。
本当に軍事的センスがあれば、黄崇の進言を退けたりしないと思う。
とは言え、経験不足がなんとも・・。
>53
戦争一辺倒で無けりゃ、協力してくれる人はいたと思うよ。
遠征に正面きって反対した張翼も、渋々ながら遠征に協力してるくらいだから、姜維がもっとバランス取ってれば、なおさらでしょ。
ショウ周や陳祇の議論(仇国論)も戦争全て反対と言うのではなく、情勢を見ましょう、闇雲な遠征は止めましょう、って事だし。
姜維が孤独だったとしたら、それは彼自身の行動が招いたモノと言えるかもしれない。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 20:11:00
三娘氏ね
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 21:49:49
もしかして孔明存命時は意図的に要職に就けなかったのかな?姜維は。
孔明が自分の地位が危ないと思って遠ざけてたとか。
>>51>>54 諸葛瞻の官歴をおってみれば分かる様に、明らかに親の七光りの声望に
乗っかったかたちで、実力が伴っていたとは言い切れない。
ケ艾を一度は退けたとはいえ、それ以前に逡巡しているうちにケ艾の侵入を許し
為すところなく綿竹まで下がってしまったあたり、国内での防衛戦で採る作戦と
しては甚だまずい。
逆境や正念場に脆く決断力に欠けた優等生型にみうけられる。
>>56 諸葛亮時代の姜維が諸葛亮を脅かす存在にはなりえない。
むしろ姜維を非常に高く評価しており、降将としては異様に昇進は早い。
投降して間もなく倉曹掾に加えて奉義将軍を加官されており、いち降将への待遇と
しては破格。
魏でいえば投降して直ぐに将軍号をあたえられるのは軍閥出身者で、姜維クラスで
あれば県令かよくて国相。
>256
降伏後、奉義将軍で倉曹エンに任命されてる。低ではあるが将軍で丞相府内の幕僚。
第一次北伐後、諸葛亮が側近らに「涼州一の人材。思慮があって、仕事も真面目。馬良よか上かも」「軍事に精通してるから、教練の必要な部隊を任せる」とか紹介してるよ。
その上、後主に謁見させてるから、いきなりエリートコースだね。
2,3年後には征西(南かも)将軍で監軍とか護軍とか、軍部の要職をまかされてる。
かなり、諸葛亮に見込まれてたな。
そのおかげで、諸葛亮の死去後も順調な昇進を重ねて行ったと言えるな。
59 :
58:2006/04/13(木) 22:11:14
>57
諸葛贍を弁護してみる。
思わぬ所(姜維以下、誰も予想してない)からケ艾が侵入して来た。
軍事経験がほとんど皆無の諸葛贍としては、ケ艾軍の進撃速度が読めず、自軍が進出して、ケ艾軍との予期せぬ遭遇戦となることを恐れたのでは?
それでなくても経験が無いから、さらに状況把握が困難になる事が予想される遭遇戦を恐れた結果、後退して戦線を再構築した、ってのはどうだろ。
>>60 ケ艾には兵站が殆どないため主導権をとられるわけにはいかない事もある。
尚書郎の黄嵩が進言している様に、わざわざ拠点まで引き寄せる必要も野戦を
挑む必要もなく、進路を梗塞して持久戦を採れば立ち枯れる公算の方が高い。
もともと敵地へ奥深く侵入する兵士は死力を尽くしやすく、逆に地元で戦う兵士は
兵書でも散地と忌まれている様に数を揃えても以外に脆い。
特に羽林右部督の李球が従軍している点をみても、おそらく実戦経験の皆無な
近軍がいるため、こういった兵士は戦史をみても腰を据えさせるよりも死地へ投じて
やる方が働く場合も多い。
尤も実戦経験皆無なのは諸葛瞻も同様なんで、殊更に責めるのは酷に思うけれど。
>61
全くおっしゃる通りだが、黄崇の進言をとりあげたとしても、実現する自信が無かったんだろうね、経験不足から。
親の七光りと言えど、親や自分の評判を落とさず平時の職務を努めた事や、全くの経験不足ながら、一度はケ艾軍を破った(窮鼠、猫を噛む、だが)点は評価してやらないと可愛そうかもね。
まぁ、その辺は才能と言うより人格的な部分かもしれないが。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 14:30:20
姜維の末期は分かりにくいんだよね。
蜀降伏後、魏の武将抱え込んで反乱起こしたのは
計画的にはどうなの?魏倒せる可能性あったの?
>63
多分、計画的では無いよ。
益州を平定した鐘会が自立を考えたから起きたものだから。
その野心も、先に成都に入ってたケ艾が先走って自滅したのが原因だろうし。
司馬昭も、ケ艾が失脚した段階で鐘会を危険視して、すでに対策を講じてる。
でも鍾会と姜維のコンビってのはかなり理想的なコンビだけどな
いい感じに欠点を補える感じ
……二人して人の心の機微がわからない欠点を持ち続けてるケド
>>64 いや、計画的ではあったけども、
鐘会がここまで信用されてないって事は、
解らなかったんじゃないか?
多分トウガイ相手なら司馬昭も多少は信用したのかも知れんが、
何分、散々負けっぱなしてきた相手だから、トウガイが嫌で
鐘会にしたんじゃないかと。
夏侯覇のこと忘れないでね(´・ω・`)
演義夏侯覇はかっこいい
正史夏侯覇は地味
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 00:06:55
誰か姜維の最後の反乱が具体的にどんな作で
どんな行動を起こしたか教えてくれないか?
鍾会伝や姜維伝に詳細記述あったっけ?
>66
姜維が誰に降伏するか選べる立場には無かったでしょ。
剣閣を守備していた姜維は、剣閣を攻めていた鐘会に降伏するように、後主から命令された訳で。
ケ艾と鐘会のポジションが入れ替わってたら、ケ艾に降伏したろう。
結局、鐘会が降伏相手だった事、その鐘会に野心があった事、鐘会が異常なまでに姜維を信任した事などが偶然重なって起きた事だと思うよ。
姜維が鐘会に降伏したのが263年冬。264年の正月にはケ艾逮捕・鐘会叛乱未遂と言う流れだから、計画的と言うには時間が足りないのでは?
鐘会の野心を知って、焚き付けたと言う部分はもちろんあったと思う。
ただ、計画と実効が同時進行であって、計画と言うには杜撰だったろうね。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 12:45:36
孔明が魏を攻めて姜維が呉を攻めてたら良かったんだよな。
そうしたら天下は蜀のモノだった。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 12:55:31
だな
呉には姜維に勝てる将軍なんていないしな
丁奉のことをお忘れか
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 13:49:03
まず孔明が大軍を率いゆっくり北伐。
呉は蜀が魏に責めてると油断。
姜維は関興をつれて精兵でとりあえず荊州を取る。
荊州は関羽が長く治めてたから関興がいれば味方も増える
ここで姜維はいったん攻めるのを止め防御に徹して地盤を固める
陸遜は守りに強いだけの武将なので大丈夫。
で荊州が蜀の手になったという衝撃が魏にわたった所で
孔明が急いで涼州を取る。後はじっくりやってけば
天下取れたでしょ。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 13:59:45
追記
孔明は馬岱をつれてくわけね。そうしたら涼州での基盤が出来る。
呉を攻める大義名分は孫権の皇帝僭称だな。
でその後は魏と一時的に手を結び呉を片付けてから
魏と最終決戦。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 14:19:40
ただひたすら成功するしないは別として
北伐するだけの国力はあるぞという気勢を見せておかないと
魏に蜀は弱体しつつあると判断され
呉よりも攻め易しで本腰入れて攻撃されてしまうから
無謀ともいえる北伐を繰り返すしかなかった
ただの文官には分からんのだよ
この苦悩は。
あれだけ孔明に可愛がられていたんだし
北伐を続けなければならない意図は孔明から聞かされていたかも
>>76-78 愚か者が
花関索さえいれば、姜維だの関興だの馬岱だのは不要。
釣りは余所でやりなw
81 :
76-77:2006/04/15(土) 14:38:31
いや78は俺じゃないんだけどね。
この作戦結構アリだと思うんだけどどこがダメなの?
>>81 花関索は、呂蒙や陸遜といった三国屈指の将すら虜にしている。
姜維の如き雑魚の出る幕じゃないって事よ
ましてや関興、馬岱なんて話しにならない
83 :
76-77:2006/04/15(土) 14:51:17
花関索って誰?
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 14:56:45
関コウか平の息子だったはず・・なんか物語の主役になってるとか、なってないとか・・
>>83 関羽の子。
神の如き武勇と、宝貝のような武器を持つ三国時代最強の漢。
詳しいく知りたければ「花関索」でぐぐるといいよ。
そらまあ釣りってそういうモンだろ
関索は作り話だろ
あわびうざいお
90 :
76-77:2006/04/15(土) 16:32:32
あるいは孫権と陸遜が不仲になった時に
「孫権が陸遜を暗殺しようとしてる」流言を流させ
陸家を蜀に寝返らせえるって策も取れたな。
そうしたら陸遜に荊州守らせて、姜維は北伐で天下とれたな。
アンダーとの差が大事なんだよね
>>77 何がダメって考え方ゲーム的過ぎるぜ。
蜀が二国相手に二方面作戦取れる国力がある訳ねーだろ。
と、釣られてみる。
93 :
76-77:2006/04/15(土) 17:10:32
>>92 よく読みなって。時間差だって。
孔明が大軍(数だけの雑魚兵)でゆっくりと進軍。
この軍が戦地に付く前に姜維が精兵を率いて荊州を
電撃攻撃するの。
無理のない作戦でしょ。
>>90 黄皓の讒言で失脚→憤死
結局荊州に赴任できる有能な司令官が姜維だけになりその間に成都攻められ滅亡。
それ以前に関羽を油断させ劉備を夷陵で迎撃した陸遜が寝返ろうと思うかだが。
陸抗が人質になり孫皓に殺されるのがオチ。
そして釣りであろうがあるまいがお前は低脳。
荊州の維持にも兵力・人材裂かないとイカンのでは?
>>93 蜀の国力を考えてどっちもとれずに終わるがな。
>呉は蜀が魏に責めてると油断。
>姜維は関興をつれて精兵でとりあえず荊州を取る。
この前提条件が都合良すぎ。
98 :
76-77:2006/04/15(土) 17:38:59
>>97 それは出来るでしょ。だって陸遜だって関羽が北上した隙を突いて荊州手に入れたわけだし。
>>95 だから関興つれて荊州で人材を確保。
>>94 陸遜が寝返らずとも失脚すれば良し。あの状況で流言流れれば呉内部は揺れるでしょ。
その隙に呉を攻める事もできる。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 17:42:38
あわびさんってきもちわるいですね^^;
真面目に成功の可能性を探るとすれば、陸遜を何とか寝返らせるしかないな。
孫権との不仲がピークの時を狙って。
陸抗の時代に晋がやったな。そのときは相手が悪かったがこの策自体はよい。
>>98 呉将をあんな低脳(関羽)と比べるなよ。
それに流言があっても諸葛瑾がとりなすだろうな。
てか孫権は曹叡に服従し潘璋や種朱桓を出してきそうだ。
103 :
102:2006/04/15(土) 17:57:51
種はミス
>>76 > 姜維は関興をつれて精兵でとりあえず荊州を取る。
> 陸遜は守りに強いだけの武将なので大丈夫。
ありがとうございました。
まぁ、時間差をおいた作戦はいいと思うよ。Bフレッツ導入すれば簡単にできる
でも、陸遜に北伐させるのは無理だろうな。そんなことより呉にとっては南部拡大が先決
あと、陸遜を寝返らせる作戦は悪くないな。でも、寝返ったところで陸遜を大将として即用いることはできないし
呉も陸遜ぬかれたところで朱然・丁奉(年代による)あたりで十分迎え撃てる。
まず陸遜が寝返る動機、根拠を示してくれ
陸遜は孫権とは姻戚関係である上に、地元は荊州ではなく揚州
つまり土着の豪族様と言うわけだ
そんな人間が裏切る理由は何だ?
史実では陸遜は最後こそ孫権の仕打ちに憤死しているものの終始呉に忠誠心を示していたし
本人だけでなく子の陸抗も呉に殉じた
何かの切欠でもしかしたら寝返る可能性はあるのかもしれないが、
陸遜の裏切りが契機になって荊州を攻略できるなどと言う薄甘い妄想は成り立たないぞ
、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
/⌒` 三ミヽー-ヘ,_
__,{ ;;,, ミミ i ´Z,
ゝ ''〃//,,, ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
_) 〃///, ,;彡'rffッ、ィ彡'ノ从iノ彡
>';;,, ノ丿川j !川|; :.`7ラ公 '>了
_く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;)
く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
):.:.:.:.:|.Y }: :! `二´/' ; |丶ニ ノノ 逆に考えるんだ
) :.: ト、リ: :!ヾ:、 丶 ; | ゙ イ:}
{ .:.: l {: : } ` ,.__(__,} /ノ 「陸遜が寝返らなくてもいいさ」と
ヽ ! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /´
,/´{ ミ l /゙,:-…-〜、 ) | 考えるんだ
,r{ \ ミ \ `' '≡≡' " ノ
__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
\ `'ー-、 // /:.:.} `'ー、_
`、\ /⌒ヽ /!:.:.|
`、 \ /ヽLf___ハ/ {
′ / ! ヽ
108 :
76-77:2006/04/15(土) 19:39:23
>>106 陸遜が蜀に寝返らなかったのは、関羽、劉備倒した負い目があるから
だと思うから蜀の劉禅あたりが「関羽と劉備殺したのは孫権だから陸遜は悪くないよ」
って手紙送れってれば陸遜も呉から蜀へ来る事を考えたはず。
>>108 それお前の妄想だろ。陸遜をなめるな。
せめて陳寿の陸遜評みれ糞ハイショーシ。
なんか76-77に惚れそう
きみなら反三国志なんか超越した新三国志が作れるよ。
題名は
『ドラえもん大長編
のび太のミラクル三国志』
76-77を生みだした亊だけでも
姜維って偉大だな。
関興だの馬岱だのが出てくる時点で演義色濃厚。
お前ら精神病患者にかまってやるなんて優し杉
116 :
76-77:2006/04/16(日) 00:02:40
あるいは陸遜に呉内部でクーデターするように仕向けるとか。
孫権を廃位してホカの奴を付かせる。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 00:08:05
卒論の時、姜維のことなんて書いたっけ?
確か、宮川尚志先生と同じ意見に至ったと思うけど
俺も項劉最初に読んだとき、
二部隊で攻めるってこんなに簡単なんだって思ったよ。
きっと
>>76-77の案だと、関興が韓信なんだろう。
姜維だろ
>76-77
荒唐無稽過ぎて、レスすんのもどうかと思うが・・・・・。
関興は将来を嘱望されてはいたが、軍事的な部分は未知数。諸葛亮も北伐に従軍させてない。
ってか、北伐当初に死去してるし。
陸孫の負い目って何?関羽や劉備を破った事になんで負い目を感じなきゃならんの?
陸孫としては、孫呉の家臣として、与えられた課題を解決しただけ。
122 :
76-77:2006/04/16(日) 12:01:52
>>120 よく読んでからレスしてくれ。関興を荊州に連れて行くのは
関羽の息子だから。軍事的になんかどうでもいいよ。
関羽が治めてた土地なんだから関羽の息子がいけば
それになびく奴らも出てくるだろ。
陸遜の負い目ってのは蜀に寝返る時のな。呉で一生を終えるならそりゃ
負い目じゃないよ。
釣られ考察するのが三戦の醍醐味
何で陸遜が蜀に寝返りたい前提で話が進んでるんだw
まぁ、76-77の言うように寝返りたいなんてのはありえないけど
孫氏対地元名士って形なら100%ありえないとは言えないと思うけどね
それをなんとか二宮まで無難に押さえたのが孫権のすごさだし
>>122 もうそろそろ誰も相手にしなくなると思うぞ
引き際を誤ると本気ととられて恥かくだけになるよ?
>>122 呉が攻めてきたとき、関羽に統治されていた荊州の連中はこぞって関羽を見捨てたんだが。
ついでに劉備がきたときも、荊州で呉から返り忠した人はいなかったのだが。
それでどうして「関興がくれば荊州の人間はなびいてくる!」となるのか?
関さんはすばらしい
故に息子だってすばらしい
だから陸遜も仲謀見捨てて寝返るに決まってる
っていう蜀ヲタの妄想
まず北伐ゆっくりやってたら兵糧ぎれで敵城つくまえに(ry
陸遜が寝返るという前提に無理がある。
歴戦の劉備も私怨で補給線の維持を怠った。
緒戦勝ったら調子にのる姜維は火計で(ry
てか士大夫層の士仁に裏切られた関羽の子供に威徳なんてない。
また諸葛亮の北伐は成功しえない、史実における北伐の何割かの兵でそのif北伐なんて成功しない。
魏呉同盟が成功し蜀は危機な陥る。
在日消えろ。
130 :
76-77:2006/04/16(日) 12:50:15
>>127 >>129 そういうのは下準備しとけば解決だな。孫権が荊州見捨てようとしてる
とか荊州の民を強制移住させようとしてるとかの流言ながせば
馬鹿な民は信じる。孔明はそういうの得意そうだし。
後、関羽については死後の方が影響力ありそう。
呂蒙呪い殺したとか恐れられてるし。それを利用すれば
なんとかなる。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 13:01:30
簡単な話だ
姜維に勝てる将軍は呉にいない
それ以上の説明は不要
>>130 むしろ呉と孫権のほうが得意というか実績があるよな、その策略は。
関羽の統治下の荊州人士を寝返らせる。
益州南部の連中に劉備政権への反乱を起こさせる。
特に後者は、諸葛亮の南征以後も行われた。
てゆうか三国志の中で呉ってかなり地味だよな。
このスレには太公望しかいませんね
>>133 地味なのは蜀
>>130 諸葛亮はその手の謀略下手
劉巴にも勝てないと自分で言ってる
傅僉と蒋舒とかの話をしようぜ
>>76-77は演義のみで語ってるのがみえみえ。
兵站にたいしての理解もなく、姜維が司令官だのと位階や制度に無知なんだろう。
仮に抜擢人事の一言で片付けるのなら、墓穴を掘るだけにしかならない。
馬岱が馬超の代わりになっていない事も史実で証明されている。
関羽の盛名に幻想を抱き過ぎで、呉の占領後の行政と人心への配慮と政策も無知。
「陸遜は守りに強いだけ」と言っておきながら「とりあえず荊州を取る」という自家撞着。
持久戦を続けてより疲弊するのが蜀でありながらどうして性急に涼州が取れるのか
全くもって軍事に無知な証明。
全体を通して呉を蜀にとって都合よく動く据えモノと考えているあたり、モノの見方が
一方通行で御都合的。
>孔明はそういうの得意そうだし。
>呂蒙呪い殺したとか恐れられてるし。それを利用すれば
>なんとかなる。
演義のお話。
つーかどう見ても釣り。でもスレの荒らしというよりは、餌で住人釣って盛り上げようとしてそうな気もする。
姜維に才能があったのは確かだと思うけど、一人個人の能力だけでは戦況は覆せないものなんだよね。
曹操や劉備や孫権はそれぞれ一大勢力を築いたけど、優れた将軍を従えて戦争に望み、
優秀な官僚のサポートを受けて初めて大きな戦果を挙げられたわけで。
姜維は本国や軍部内にそれぞれ不和を抱えた状態で、それではいかに姜維が奮戦しようとも影響は小さい。
逆に姜維・軍部・本国がしっかりまとまっていたら、波及的に姜維の実力が結果に結びついていたかもしれない。
140 :
76-77:2006/04/16(日) 15:30:47
>>135 諸葛亮は文章考えるのとくいだから
わかり安い文章考えて、荊州あたりに看板立てとけば
動揺が広がるだろ。「孫権既に死す、陸遜当に立つべし」
みたいな。
>>140 学問を奨励した劉表の統治下に一時期いた人民が騙されますかそうですか。
そう簡単に扇動が成功するなら毎回やってるよ、という話し。
それとも「諸葛亮は思いつかなかった。思いついた俺天才!」とか?
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 15:49:55
>>140 荊州って呉の重臣が治める所なんじゃないのかと思うのは俺だけか?
>>76-77が相当に痛い子なのは明らかなんだけど、自分に都合の悪いレス、
反論できないレスは見ないふりってのが凄いな
そりゃ脳内の妄想でいくらでも言える罠
次期丞相候補になるような重臣達が治め、前線で活躍したり軍部でも中枢にいるような将軍達が守る所ですな。
そろそろ76-77の母親が登場しそうな予感。
降将で実績乏しく能力未知数、おまけに位階も不足の姜維が荊州攻略の司令官って
どこまでアホ?
頭の中に虫でも涌いてる?
李厳や魏延や呉懿は雲隠れでもしましたか?
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 16:06:57
>>147 「呉懿」なる人物が三国志に出ていないと思うのは俺だけですか?(音
は同じだが)
諸葛亮生きてる間の姜維って目は掛けられていたものの丞相府の下っ端だからね
普通に考えれば別働隊は第四次以降完全に信任された魏延か外戚の呉懿だろうね
>>150 「音違うし」って何の字と比べてるんですか?
どうせ呉壱だっつってんでしょ この人
148の言い方だと呉懿は誤字ということか?俺には合ってるように見えるが…
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 16:23:40
76-77の母です。
この度は私が障害を患っていたばかりにこの様な事態に陥ってしまいました。
スマン。
今度私のひざに頭突きさせるから許せ。
>>154 みんな、演義の読み過ぎで妄想した人を叩くなら、正史に従おうよ、と
いうこと。
>>156 呉懿の懿って、司馬懿の名との重複を避けるために壱とした、みたいな薀蓄の記憶があったんだが勘違い?
>>157 もしそうでも、あくまで陳寿に従いましょうよ、みなさん。76-77の母
も出てきたんでw
>>148は忌諱の概念がないまま呉懿ではなく呉壱と主張してないか?
本来は「懿」で正しいんだが。
呉懿でも呉壱でもいいんじゃね?
>>158 なんでよ?陳寿の記述に絶対服従しなきゃならんわけでもあるまいに。
>>160 どっちでもいいよな別に。だって名前なんて別人と間違わなければ問題ないし。
>>162 そこまで大きな問題でもないし、気にすることもないよ。
周倉とか言い出さない場合は韋昭でもホウ徳でもなんでもいいよな
165 :
77-78:2006/04/16(日) 18:02:20
ままごめん
166 :
77-78 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/16(日) 18:38:26
あのね。これはあくまで孔明がもっと早く姜維を取り立ててたら
っていう可能性の話をしてるんだからね。
姜維は孔明に匹敵するし。呉は魏より弱いから
この作戦は成り立つと思う。
>>166 >姜維は孔明に匹敵するし
馬鹿?長江上流を手に入れた呉がカス姜維にまけるってかwwww。
それとお前
>>78でもあったのかwwww。
ままごめん
脳内妄想戦略のレスを見るたびに思うこと
他人のオナニーを見せ付けられるくらいにキモイ
>>167 長江の上流は蜀なのは理解してるか?
周瑜の天下二分策とか理解してないだろお前
あと姜維の能力はカスどころか当時でも超が付きそうな一流
ちゃんと史料読んでるか?
煽りじゃなくてまともな知識で反論しろよ
折角微妙に良スレ化しつつあるんだから
でも姜維は軍事一辺倒で政・軍どちらにも通暁していた諸葛亮に匹敵するとは言えない
と言うか姜維は戦術家で諸葛亮は戦略家なわけで畑が違うと思うぞ
171 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/16(日) 19:39:02
ママごめんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
姜維が勝った戦ってどれだけあるんだ?
ものすごく勝率が低かった記憶があるんだが。
勝率は地味に良くない?
ただ戦果合わせるとマイナス
3回勝って、一回大敗
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 20:02:40
>>166 呉が魏より弱いって
日本は中国より小さい
って言ってるのと同じ、それを理由にしても意味ない
/././,,-,,_
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'''---,,i.|/ ''--,, .'--, ヽ
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.>.\) ヽ ` , < ~
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./ r'' .! \ ~ ./ ヽ ヽ, _ ノ
././ \ ,, - .ヽ - >~
ノ/ /ノ .ノ ,,--''
( ./ノノ .ノ
.\__ _ ノ .ノノ イヽ
` 7 ヽ // / ノ ノ 人
) >> ./ !
【佐倉広夢】
「んもう・・・
>>1さんまた駄スレ?駄スレ控えめにね」
「
>>2さん、2日間だけ僕の恋人になって」
「
>>3さん、デートしよ、ね!いいでしょ。デート、デート♪」
「
>>4さん、あま〜いアイスクリーム食べに行こ♪」
「
>>5さん、やっぱり女の子がいいの?男の子の僕は嫌いなの?」
まぁ、まともに戦争して魏に勝てることはありえないから勝率を求めるのはナンセンスだと思う
戦闘でも国力強で防衛側に勝つのは難しいし
>>76-77 呉が魏より弱いから、って・・・。蜀漢よりは、遥かに国力は上だけど。単純に人口比だけでも倍以上の差があるんだが。
それに、姜維を早く取り立てて、って言うが、十分取り立ててるぞ。
降伏直後に奉義将軍で幕府の幕僚。3年後くらいには征西(南?)将軍で中監軍。30歳前後で、この頃死去した趙雲と階級的にはほとんど一緒。
>>177 姜維も含めて、蜀呉は大小(局地戦含む)幾つもの対魏勝利を収めてたりするんで「ありえない」わけでもないが、
自然と勝率は悪くなるわな。
>>178 どうせレスしてもまともに反論できないかスルーするだけ。
>>76-77は制度や社会事情には完全に疎いうえに妄想でしかないんだから。
>孔明がもっと早く姜維を取り立ててたら
もうこんな事言ってるだけでゲーム脳なのは分かりきってる。
盛り上げたくて必死なのか、本気なのか、後者なら怖すぎるが。
183 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/16(日) 21:42:19
ていうか結構、実現可能だと思うけどな。だったら他に何か策あるの?
俺が昔考えた長江埋め立てて呉に大打撃って策よりは実現可能でしょ。
第一次北伐で街亭の守備の指揮官を魏延、呉懿辺りに任せて参謀として馬謖を付ける
>>183 ぼくのかんがえたすごいもびるすーつ
みたいなオナニーは脳内か自分のブログでやれ
>長江埋め立てて呉に大打撃
ホンモノの天才だwwwwww
>長江埋め立てて
地球規模の話になってまいりました。
どうやら真性らしいです
呉は陸戦には弱いということなのか?
>76-77
妄想だな、どっちにしろ君の策ってヤツは。
策って言葉はもっと、史料とか読み込んでから使うんだね。
完璧な策なんて無いんだよ。第一次北伐の初期目標の達成と言う事なら、馬ショクの起用をしなかったら、どうなったか、ってくらい。
これにしても、馬ショク以外の人物なら守りきれたのか?って想定不能な部分がある。
「戦略は可能性の技術」って言葉があるが、上記は馬ショクを替えれば成功&その後の展望がある、と言う意味では可能性の範囲に入る。
が、君のは可能性を云々する以前の妄想でしか無い、と言うこと。
ま、理解出来ないだろうが。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 21:59:25
タラレバになるけど、姜維の配下に関羽、張飛、趙雲がいたら長安は落とせたと思いたい。
>>191はタラレバにもなってない
76-77の様なネタならまだしも、ifをまともに語るんなら演義は忘れんと
天才軍師現ると聞いてヌー速から来ました。
記念火気庫ヽ( ´∀`)ノ ボッ
>192
妄想の次ぎは夢ですかw
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 22:09:29
諸葛亮の北伐の実態
第一次
魏は子午谷か斜谷辺りから進撃すると思っていたから天水などは蜀軍が来ただけで
敵前逃亡、姜維は他の武将から見捨てられ逃げ遅れただけ。
街亭でバショクを倒したのはチョウゴウ。
孟達は浅はかな知識で自滅したのではなく、謀反を渋っていたため
諸葛亮から魏に孟達は謀反の気配があると露見させ後には引けなくした。
第二次
14日間ほど見合っただけ。特に戦闘はしてない。攻城戦用の軍事兵器も造ってない。
第三次
この時代の戦争は出兵前に帝との儀式などがあるが、それをあえて行わず
電光石火で攻め入って武都などを占領。その後魏軍が来たが特に戦闘はしてない。
シバイは出向かず指揮をとっていたのはカクワイ。
第四次
戦闘もなく見合うだけの状態に魏の武将から不満が上がったためシバイが戦闘を許可。
しかし惨敗。魏の兵士3000人ほどが死ぬ。
第五次
五丈原で三ヶ月ほど見合ったとき諸葛亮が病死。やむなく退却した。
戦闘は特に行ってない。
演義だと第四次と第五次の間にもう一つ北伐があったように描かれてるけどこれはすべて創作。
ついでに蜀が補給の面で問題を抱えてると見抜いたのはシバイでなく曹真。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 22:09:51
193そうですな。少し判官びいきが過ぎました。すんません
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 22:16:01
長江埋め立てなんて天才にしか考えられんが
何年かかんの?
199 :
192:2006/04/16(日) 22:16:48
>>195 をいおい、なんか勘違いしてねーか?
俺はべつに妄想してねーぞ
天才だからK2崩して埋めるとかそういった奇抜な作戦があるはず
>196
ってか、魏側も、曹操の漢中平定時に補給には相当苦労してるから、軍事的識見をもってた人物なら見抜いてたかもね。
やっぱ赤壁崩して埋めるのが順当だろ
足らん足らんw
>>198 多分蜀財政破綻すると思われ。
さらに異民族の抵抗が恐ろしいと思われ、
呉からも当然攻められ、それを見て魏も攻めてくるから
滅ぶと思われ。
>>201 魏からすれば蜀軍が補給で苦しんでいるのは明らかなんだから
挑発に乗らずに守っとけばいいだけだしね。
勝手に撤退してくよね。
>>196 第二次は戦闘してる
カク昭無視すんなボケ
第三次の時はまだ曹真が生きてて司馬懿は荊州北部の防衛
出向く訳が無いだろ
第四次で曹真が病死してやっと司馬懿が西方戦線に出てくる
首はnot only兵士
将官、部局の長クラスの首も混ざって3000人分
しかも戦利品の山も手に入れている(高級品とか多い)
兵士が3000人程度死んでも普通、鉄の鎧とか捨てて逃げない
四次と五次の間には魏延の威力偵察がある
これが演義の元ネタになってる
お前註釈一切読んでないだろ
主役の姜維はどこへ行った?w
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 22:43:08
>>206 第二次は戦闘といったって大したものじゃないだろ
それと戦略的な是非をいってるわけじゃないんで勘違いするな馬鹿
>>196 >第二次
>14日間ほど見合っただけ。特に戦闘はしてない。攻城戦用の軍事兵器も造ってない。
対陣期間は二十日間であり、戦闘も行っている。
雲梯と衝車を用いて攻城を開始し、失敗すると井欄を製造して攻撃している。
「墨子」における堙と空洞もしかけており、戦闘していないという根拠はどこから?
第三次と第四次の間には、魏延と呉懿を羌中へ派兵し、陽谿で郭淮と費耀を
撃破している事をお忘れでは?
第五次でも五丈原での対峙かたわら、北原を扼した郭淮、武功水を挟んで司馬懿と
戦闘を行っており、なにも戦闘が行われていないわけではない。
史料を読んではいるようだけど、どこか偏りと見落としがあるのでは?
局地戦はカウントしないってルールでもあるんじゃね?
北伐全部局地戦
魏にとっては戦闘でも
蜀にとって言えば戦争じゃないか
213 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/16(日) 23:30:01
長江埋め立てそんなに無理あるかな?万里の長城作る連中だよ。
やろうと思えばできるでしょ。
大体曹操が大虐殺行った時、黄河が死体で堰きとめられた
んじゃなかったけ?
>>213 それだけの人数を土木工事に投入できるのなら、普通に戦ってもよさそうだが
万里の長城は数百年かけて戦国時代に築かれた物にさらに始皇帝が改修した物
をさらに明が改修したものであって十年二十年でできるもんじゃないんだよ
217 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/16(日) 23:43:51
別に完璧に埋め立てなくてもいいんだよ。上流で長江の流れを横に30メートル
くらいずらしたら下流の呉じゃとんでもない事になるでしょ。
諸葛亮が祈祷しても無理じゃないか?
蝋燭を三倍に増やして魏延を隔離すれば完璧じゃね?
無理
隋の煬帝の運河の話を知らないわけじゃあるまい?
>>220 >知らないわけじゃあるまい?
激しく知らない気がするんですが…
76-77のいってる魏呉同時侵攻は孫策が許昌強襲している間に周瑜が江夏攻め落としている、という無茶な話だ。
そして長江埋めに至っては演義の「十万本の矢エピソード」より無理がある。
224 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/17(月) 00:05:03
まあ昔に考えた策だからな。呉を壊滅した後に中国全土から
非難される策だから。最後の最後にしか使えない。
後、昔に考えた策は長江上流から油を撒いて呉周辺で着荷
呉に大火事を食らわせるって策。
マジモンの天才だなwwwwwwww
まあいずれにせよそれが口実で魏呉に攻められ滅亡。
油云々に至っては気付かれる。
アンタ、いつまでpcやってるの、おしりぺんぺん百叩きの計ね。
逃げるの?じゃあついでにお父さんの勤めてる会社に放火して。
あ、発作が、ぎゃあああああああ。
「わたしはキチガイです、わーわーわーわーアンポンタン×10。ぎゃああああああ。げんふーーーーーちょい!!!!」
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 00:28:32
この子は世が世なら大軍師になれてたな
>>224 川幅がキロ単位なので数十メートルくらい変わっても誰も気にせん
油撒くにしてもそんな大量の油を当時の中国では用意できない
231 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/17(月) 00:55:34
まあ油作戦は流石に無理があるな。と思ってたけどね。
後はトロイの木馬みたいに上流からでっかい木像みたいのを流して
孫権の目に止まり孫権が引き上げさせて孫権の目の前に運ばせて
中から兵士が出て首都を取る電撃作戦
とか
長江の川幅と同じ城を作りそれを流し呉の首都近くまで着いたところで
碇を降ろしそこを拠点に首都を攻略する動く城作戦
とかも考えたな。蜀は呉の上流にあるわけだから
対呉に関しては有利だと思うんだよね。
>>231 その城に兵力を裂き対魏戦線が危うくなる。
トロイに至っては孫権が出て来るまでもない。
>>231 製鉄が盛んになった後漢代から木材が不足し、中原はほぼ禿山ばかり
四川の山奥とて製鉄の燃料としての木材はあったがそれも諸葛亮が使いまくったし
その様な作戦に使う余った木材などない
長江には橋も掛けられないのに川幅と同じ城なんぞ作れる筈もなく
また益州から出る時は川幅が狭いのに荊州入ると途端に広がる
そんな可変式の城なんぞ今の技術だって作れるものか
長江の川幅って上流も河口付近も同じなんだな
237 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/17(月) 01:34:25
>>233 電撃作戦だから城の人数は少なくていいと思う
後孫権は珍しいもの好きだから川から変なの流れてきたら
とりあえず見ると思う。
>>235 あの広い中国で木材がなくなるなんてあるか?
南蛮からも取り寄せればいいわけだし。
後川幅については川幅の狭いところでは縦に二つ城を流し
広いところにでたら横にして合体させれいいんじゃね。
批判する前に可能性を追おうぜ。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 01:41:14
>>231 川は攻め下るのは有利だけど、もし万が一敗走して川を登るのはかなり不利。
上策とは言えないね。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 01:46:23
まじ天災現る!!!11111!!!!!!!
変換ミスったけどある意味正解だから反省していない。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 01:47:00
>後孫権は珍しいもの好きだから川から変なの流れてきたら
すごいなおい
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 01:48:11
張飛じゃ酒好きだから毒を混ぜた酒を送れば殺せる
とか
いくら呂布とはいえ人間なんだから鉄アレイで殴れば殺せる
とか言ってるようなレベル
242 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/17(月) 01:48:12
>>238 そのまま海にでて海からゆっくり帰ればいいじゃん。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 02:15:59
76-77=郭図
ばっかさすがにそれは失礼すぎるだろ
趙活でいいんじゃね?天才だし。
>>237 昔、黄河は黄色くなくただ河と呼ばれていた
しかし、森林が無くなり土地の保水力が低下し木の根によって保持されていた土が河に流れ出した
結果、黄河は黄色くなり2000年近く経った今でもその森林は蘇ることが無い
日本のように熱帯雨林気候の如く雨の振る地域ですら、一度伐採した木は復活せず
植林しなければ禿山になった事を考えろ?
中国はその殆どが乾燥しやすい気候なんだぞ
一度消えた緑は植樹によってすらほとんど戻らないのだよ
>「あの広い中国で木材がなくなるなんてあるか? 」
お前地理も何も知らないで語るんじゃないよ
諸葛亮が生きている間は南中とは小康状態で、物資を豊潤に取り寄せられるほど安全じゃない
演義を抜いて喋れバカタレ
川幅は水平線が見える程広いのにその全てを蓋うってどんだけアホなでかさなんだ
釣りやめてマジメに考えろボケナス
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:12:00
趙活が現代に蘇ったと聞いたのでネトゲ板から来ました
記念カキコ
中国中央部に広がる黄土高原は、西方のゴビ砂漠から風に乗って運ばれてきた黄土が堆積してできた1000mを越す高地です。
年間降水量が約400mmと少なく、内陸に位置するため夏は35度を超す酷暑、冬は零下20度を越す酷寒という厳しい自然条件です。
雨量が少ないため、建築材料となる樹木が育たず、人々は地面を掘り下げて地下住居「ヤオトン」をつくりました。井戸水の温度が
一年を通じてあまり変わらないように、地下の家は夏涼しく、冬は暖かく、黄土高原の厳しい自然から人々を守ってくれます。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:17:08
流れて来たとしても、俺だったら火計でその巨大水上要塞燃やしちゃうけどね
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:21:28
生木なら燃えにくいし、常に川の水を要塞にかけてればいいんじゃね?
と軍師様がレスすると予想。
天才の思考に追いつけ!漏れ!
銅版とか薄く延ばして貼ったらどう?
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:25:13
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:26:21
座布団全部没収
長江の水を汲んで町にかけ続けてれば水浸しになって作物枯れるんじゃね?
>孫権の目に止まり孫権が引き上げさせて孫権の目の前に運ばせて中から兵士が出て
兵が居るってばれたら意味ないだろ・・・
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:30:34
ばれないからトロイなんだよ
トロイの木馬の内側に犬の死体を入れておいて、さらにその内側に兵士が隠れればいいんじゃね?
天才の思考に追いつけ!漏れ!
. -‐ ''  ̄ ̄ ‐- .
/:.. . : .:::ヽ
. , ':.:. :. . : .:.:::::ヽ
/::.:.:. . , ⌒ ー- .__,;.-‐、',
. ,'::.::.:.. : : l:!
i:::.:.:._,.-、,, } l:t
_レ'´... _ゝ'__,. / _,.‐---、 ,r=={:::}
. {::.:._,.-'´'´ ゝ;/ rt:テヽ {t:テヽl:::ヘ
. 冫{´:.. ._;.イt:冫 ´ ヽ ´.l:::::ノ
/:::`ーァ{:.ヽ` } r ', l^´
ヽ:__;ノ !:.:.:.:「 ヽ `ー-ィ !
,j:.:.:.:rl\ヽ ―〜ァ /
彡気/`ヽ、`ヽ ´´/
彡イハ/: : : : : 丶 ` ー- ..__,,.ィ
. 〈/幺//: : : : : : : : :`丶、._ {,ハ
`ヽУ: : : : : : : : : : : : : :  ̄VY戈ー:、
/: : : : : : : : : : : : : : : : : : ヘ气 ヽミヘ
,/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : V衣,〉ー}7
: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :V巛Y/ミ{
ソ・ノハッソ・ウワナカッター[So Nuhash Woouncutter]
(1756〜1822 オーストリア)
延々、水銀を長江に流し続ければ、数十年後に大打撃!
天才の思考に追いつけ!漏れ!
260 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 03:56:41
魏と呉が闘っている間に、攻め取っちゃえばいいよ。もちろん涼州を。手薄だったんだし。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 09:26:07
どっちみち無理
提灯置いといて武将がこれなんだと思って斬ったら上から川の水がどばーっと
それのうしゃのけい
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 10:35:02
人を見る目のない諸葛亮が目をかけたって事は
無能って事だろ?
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 10:40:21
それじゃ魏延も無能だったってことか。
どいつもこいつも天才にはおよばんな。
もっと考えろや
魏の兵の振りをして呉に侵入し孫権を暗殺
諸葛亮は政治や内政は天才だが
戦となると臨機応変に対処できない普通の軍師。
いや臨機応変に対応しとるが?
第一次北伐では初戦の敗北でサッと退却するし
第二次北伐では魏の主力が動いたらすぐに退却するし
第三次北伐では武都、陰平を落としつつ素早く漢城と楽城を改修して魏の侵攻に備えるし
第四次北伐では司馬懿をぶちのめしてる
第四次でシバイぶちのめした、とか馬鹿かと
ぶちのめすの意味から学ぼう
272 :
76-77 ◆xLNKCe9W7I :2006/04/17(月) 20:43:44
第一次の時に兵を隠しておいて第二次の時に挟み撃ちにする
って策はどうよ。
姜維はいつ蜀に降る予定ですか?
張良と韓信は?
どこに隠しておくんだよw
>>271 [一]漢晉春秋曰:亮圍祁山,招鮮卑軻比能,比能等至故北地石城以應亮.
於是魏大司馬曹真有疾,司馬宣王自荊州入朝,魏明帝曰:「西方事重,非君莫可付者.」
乃使西屯長安,督張コウ、費曜、戴陵、郭淮等.
宣王使曜、陵留精兵四千守上ケイ,餘衆悉出,西救祁山.
コウ欲分兵駐雍、ビ,宣王曰:「料前軍能獨當之者,將軍言是也;若不能當而分為前後,此楚之三軍所以為黥布禽也.」
遂進.
亮分兵留攻,自逆宣王于上ケイ.
郭淮、費曜等徼亮,亮破之,因大芟刈其麥,與宣王遇于上ケイ之東,斂兵依險,軍不得交,亮引而還.
宣王尋亮至于鹵城.
張コウ曰:「彼遠來逆我,請戰不得,謂我利在不戰,欲以長計制之也.
且祁山知大軍以在近,人情自固,可止屯於此,分為奇兵,示出其後,不宜進前而不敢フク,坐失民望也.
今亮縣軍食少,亦行去矣.」
宣王不從,故尋亮.
既至,又登山掘營,不肯戰.
賈栩、魏平數請戰,因曰:「公畏蜀如虎,奈天下笑何!」
宣王病之.
諸將咸請戰.
五月辛巳,乃使張コウ攻無當監何平於南圍,自案中道向亮.
亮使魏延、高翔、呉班赴拒,大破之,獲甲首三千級,玄鎧五千領,角弩三千一百張,宣王還保營.
長江に決まってんだろうが!!
おまいは76-77様からなんにも学んでおらん!
学びたくねぇなあ、あんなのにw
>276
ただ、晋書だと蜀漢側の被害が1万人なんだよなぁ。
晋書の信頼性の問題もあるが、この時の戦いは、蜀漢側に分があったけど、痛み分けってトコじゃないかな。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 21:05:22
魏延:ははは、手間のかかった割にはおそまつな結果だったな
孔明:んんん
魏延:孔明、まさに策士、策に溺れると言った所か、ふん、おおかたこんな事だろうと思ったぞ
孔明:んんん
魏延:さぁ六度もの北伐失敗、この失態、貴様どう責任をとるつもりだ
孔明:んんん
魏延:答えんか、孔明
孔明:うはは ははは
魏延:んん、何がおかしい
孔明:失敗などと、とんでもありません
魏延:貴様、この場に及んでまだ
孔明:よくお聞きなさい、この作戦こそ我ら蜀の悲願、第七次北伐計画の第一歩なのですぞ
魏延:第七次北伐計画、まさか また北伐するつもりなのか!?
孔明:左様、そのカウントダウンがついに始まったのです、うはは ははは うはは
>>279 魏では討ち取った敵の人数を10倍に水増しして報告するのが慣例
>>279 書き忘れたけど甲首3000ってのはただの雑兵3000ではなく
鎧を着られる地位と財産のある人間の首3000
要するに士官、将官が多数討ち取られたと言うこと
魏は水増しで蜀は正確、と言いたいなら同意できんが、
正直水増しはかなりあるよな。魏に限らず。
>>283 蜀の場合、正確とはいい難いかも知れないが
諸葛亮が自分で戦って首の数を数えてる事から、水増しは比較的少ない可能性がある
理由は位人臣を極めている諸葛亮は必要以上に己を大きく見せる必要がないから
魏の場合、正史三国志にさえしっかりと「10倍の水増しが慣例」と残っている
魏は水増しは確定的だが蜀は水増ししてるかどうか確証が持てない
>281,282
その辺は十分承知してるんだけどね。
ただ、正史にはなんの記述も無いので。
甲首3千の記述も、注釈である、比較的蜀漢よりの漢晋春秋である分、割引も必要かな、と。
それなりの戦闘はあったにせよ、言われる程、魏軍に被害が出た訳でも無いんじゃないかな、ってこてんぱんに、とか)。
>>285 晋の始祖である司馬懿についての悪い記述を陳寿が本文に書けるわけないだろ…
>286
やっぱり、ソコなんかな。
まぁ、司馬懿も大軍を率いて一方面を任される、ってのは初めてだから、指揮に苦労したのかもしれんね。
それ以前に荊州北部の防衛任されてるよ
>>284 大筋に異議はないが、諸葛亮が「位人臣を極めている」から「己を大きく見せる必要がない」には疑問が残るな。
諸葛亮が蜀内で絶対的な実力者であることが、諸葛亮のある種皇帝に優る地位を支える一つの要素なわけで、
逆に諸葛亮にとって「地位を護るために己を大きく見せること」は重要なことだと思うのだが。
別に「だから諸葛亮が水増し・不正した」というわけではなくて、
だからこそ諸葛亮は身を慎み、勤めて「賢者、君子」として振舞ったのではないかと。
>>287 明帝即位の時点で驃騎将軍・都督荊・豫二州諸軍時で、既に方面の司令官。
孟達の討伐、呉とも江夏、襄陽で戦っているなどし、それらを検証する限り統率に
苦労する様にはみうけられない。
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 22:01:53
演義で左遷された、とされた時期は呉=最前線に投入されてたってこったな
>>289 言われてみれば確かに
諸葛亮は自分が法律に定められた俸禄しか貰ってないともどっかで言ってたな
当時の高位高官は大半が不正に私有財産作ってたってのにそんな事しない自分は君子だ、としたかったのかな
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 22:09:54
内閣総理大臣諸葛孔明とか想像するだけでガクブルだなぁ
そもそも、蜀って史が無いんじゃなかった?
>>294 史官の事?
通説では諸葛亮時代はいなかったとされている。
完全に権力を一元化させ独裁体制を作った諸葛亮にとってみれば、
(古代では)君主に対しても例外ではなく権力に対して阿らない史官が
都合の悪い存在だったというのは頷ける。
ただそのために、蜀が単なる辺陬の軍閥に過ぎない、という評価を与える一因に
なってしまった事もたしかだけれど。
その批判は不適当だと思うが
諸葛亮は史官どころかその他の官職も国政の運営に支障を来さない物は
可能な限り廃止していたように史書からは読み取れる
財政を切り詰めまくってもの凄い省エネ政府作り費用を捻出して北伐を繰り返していたと推測できる
「自分に都合が悪かったから」ってのはいただけない
姜維時代は歴史家いたの?
歴史家はごまんといる
ここで話しているのは史官
姜維の実際はほぼ文武両面の才を備え、
清廉で女遊びなんてしなくて勉強好きで時代の模範でした。
本当だよ。
演義だけど、弓だけ持って敗走中に、郭淮が撃ってきた矢を掴んで射かえして命中させたのには、びっくりした。
発言をトウガイに丸読みされたり…な場面もあるが
>290
確かにそうだけど、指揮下の兵力も少ないし(孟達の時は3万ほど)、戦闘規模も限定的でしょ。
他方面の作戦への助攻だったり、多路侵攻のうちの一軍だったりと。
つまり、最高司令官として、関中・隴西方面を任される様な事は初体験だったんでは?ってこと。
76-77が消えた件について
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/18(火) 08:49:19
>>301 案外知られていない事だが
兵站が繋がらないこともあって第4次までは魏軍の方が数に劣っていると推測される場面が多い
>>280 誰も突っ込んでやってないので、俺が一言。
ジャイアントロボかよ!
俺って優しいなあ。
そもそも蜀は裏を取られる心配がないんだから
兵糧の補給は簡単だったんじゃないか?
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/18(火) 13:42:31
だれが運んでくれるんだ?
あれ?現代の趙括様もう戦死したん?
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/18(火) 15:06:13
いまは雌伏のとき
そして二度と起たない
>>276 第5次北伐でも仲達が引き続き魏軍の指揮を
とってる所を見ると少なくても負けたとは判断されてないんじゃねえの?
>>312 まあ、戦略的目的は達してるからな。
野戦に及ばず守備に徹すれば問題ないと判断された。
及び他の戦線では結果を十分に出してる。
という当たりでは?
>304
祁山の役までは、魏軍も6,7万と言うところかね。
そんでも、司馬懿が荊州時代に指揮した兵力よりは相当増加してるでしょ。
6,7万と言う兵力も隴西に動員した兵力であって、関中以西を管轄した身としては、長安方面の目配せも必要だろうから、やっぱ当初は慣れなかったんでないかな。
>313
いちいち局地戦の勝敗で最高指揮官を替えてたらキリがないしねぇ。
仲達本人にどこまで戦意があったのかも疑問だしな。
孔明としては逆に正面決戦を挑ませる戦略がないと。
この時期では最大限の侮辱に当たるとはいえ
女物の衣装を送る程度では手詰りだったんだろうな。
>316
五丈原の役は諸葛亮、執念の出兵ってだけで、なんら戦略的展望の無い出兵だからねぇ。
唯一の明るい材料として、呉が大規模な出兵をしてくれたが、あっさり撤退してるし。
手詰まりが予想される中、予想通り手詰まりになっただけ、と言えるかも。
孔明の北伐を高校野球に例えると
全国制覇を目標にしてたのに、地区大会の準決勝で1−0で負けた
様なレベル。
ただし対戦相手がその後全国制覇。
ドカベンだと不知火とか土門みたいな立場。
>318
1-0ってほど、魏を追い詰めちゃ居ないだろ。
まぁ、好試合をしたけど、4-0くらいで負けた、って感じじゃね?
>>312 陣地は奪われなかったが相手を追い返す事もできなかった
蜀が兵糧不足で引き返すと即座に司馬懿は成国渠などの整備を曹叡に上奏
この献策が容れられて司馬懿はそのまま留任
運河交通の整備により魏は元々圧倒的だった彼我の国力差をそのまま戦場に持ち込む事に成功しかける
>>317 そこで諸葛亮は運河が開通する1年前に大慌てで第五次北伐を敢行
勝てる時にしか戦わない諸葛亮戦術を見切った司馬懿は陣を固め対陣する事百日余り
諸葛亮は五丈原にて陣没
翌年、前述の運河が本格的に開通し、以降隴西は国力差がモロに出てしまう為、姜維の北伐ルートからは外される事になった
どうしようも無いじゃん。
誰か蜀を勝たせてくれ・・・・・
>>320 それ、どこかのサイトに書いてあることまんまじゃね?
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/18(火) 20:26:16
そこで姜維の出番ですよ
326 :
76-77の妹:2006/04/18(火) 21:02:33
「げんふーーーーーちょい!!!!」
>>325 本人がコテなしで降臨する事はあんまないよ
別人
>>322 俺は
>>320じゃないが、「三国志」だけでなく「晋書」と「資治通鑑」も読んでれば
だいたい察しのつく内容。
「「晋書」は信用ならん」「「資治通鑑」は読めない」で切り捨てないで幾らかでも
読んでみると姜維時代の情勢なんかもけっこうみえてくる。
正史書いた奴って孔明に処刑された奴の息子でしょ。
蜀の事良く書く分けないんだよな。赤壁とかも適当に書いた感じらしいし。
北伐とかも蜀が勝っていたのに正史の作者が歪曲した可能性がある。
>329
釣りだろうが、そんな事実は無い。
噂で、陳寿の父が馬ショクの参軍で、街亭の際、処罰(髪の毛を切る)を受けた、とかはある。あくまで噂のたぐい。
正史の諸葛亮伝、よく読んでみ。
司馬王朝と言う制約の中で、必死に諸葛亮を賞賛しようと言う、陳寿の諸葛亮への敬愛が滲み出てる。
正史の全てが、事実あるいは真実だとは言わないし、事実誤認もあるだろう。
しかし、歪曲と言う言葉を使うのは、失礼だと思う。
いくら釣りだって言っても、いい加減やめなね。
>>329 再降臨乙。
>正史書いた奴って孔明に処刑された奴の息子でしょ。
イタタ……
史料がどうとか、そんな事が気になるとはスケールダウンしてるな。
もっと突き抜けた意見を頼むよ。
>>229 何その厨発言、妹ととして恥ずかしい。
陳寿の「諸葛亮集」を知らんのか。
「臨機応変の―欠けるのでは」
は怨嗟より嘆息の念が強い。
>>332 諸葛亮集を読んだ現代人に初めて出会ったよ。
漢土に塗れて出なおしてこい。
あくまで可能性の話してんだよ。出されたものをそのまま信じるだけじゃ
前に進まないよ。
可能性だけいえば劉禅が魏にわたり政権を乗っ取ったが歴史から抹殺された
みたいな可能性もあるかもしれないし。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/18(火) 23:22:43
MMRみたいだな
ΩΩΩ<ナ、ナンダッテー
\ 姜維と言えば? /ナンダココハ コワイモナー ヒイィィィッ
\ ∧_∧ ∩剣閣だろ! / ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
また出陣だって \ ( ・∀・)ノ______ / ( ;・∀・) (; ´Д`) (´Д`; )
∧ ∧\ (入 ⌒\つ /|. / ⊂ ⊂ ) ( つ ⊂ ) ( ⊃ ⊃
(゚Д゚ )_\ ヾヽ /\⌒)/ |/ 〉 〉\\ 〉 〉 く く //( (
/ ̄ ̄∪ ∪ /| .\ || ⌒| ̄ ̄ ̄| / (__) (_) (_.)(_) (_) (__)
/∧_∧またですか・・・\ ∧∧∧∧ / 『姜維』
/ (;´∀` )_/ \ < 姜 ま > 天水の麒麟児と呼ばれた蜀の大将軍
|| ̄( つ ||/ \< > 諸葛亮亡き後は我が身と国力を省みず
|| (_○___) || < 維 た > その生涯を北伐のみに費やす
――――――――――――――― .< >―――――――――――――――――――――
∧_∧ 宦官に < か > ∧_∧プッ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ;´∀`)翻弄されてる… ∨∨∨ \ ( ´∀`) (´∀` )<北伐組必死だな(藁
_____(つ_ と)___ ./ \ ( )__( ) \_______
. / \ ___ \ムホン / ∧_∧ 大\∧_∧ ∧_∧  ̄ ̄ ̄/.//|
.<\※ \____.|i\___ヽ.ムホン ./γ(⌒)・∀・ ) 将 \ ;) ( ;) / ┃| |
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ /(YYて)ノ ノ 軍 \↑ ̄ ̄↑\)_/ |__|/
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_.i‐>/ \  ̄ ̄ ̄ ̄\め \張翼廖化 | | ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄|. | ̄ ̄ ̄ ̄| / ||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄|| ! ! \ .|_)
生姜維新
史が残っていないんだから、
蜀の戦果に関する記述って出どころが不鮮明だし、
魏との比較は無理が無いか?って亊を言いたかった。
もっとはっきり書けば良かった。
今は反省している。
たしかに史による記録が無いことによって、
つくづく魏晋側に有利な書き方も出来る気もする。
でも陳寿はそれを逆手に取って、
出来うる限りで蜀を立派に描いたような気もする。
もちろん、陳寿もやりにくい面は多々あったと思う。
ましてや姜維なんて晋にとっては大罪人だろうし。
そんな中わざわざ郤正の論文を引用して姜維の清廉ぶりをアピールしたり、
ほぼ文武両道と言ってみたりしてさ。
やっぱり姜維は類稀な立派な漢だったんじゃないかな。
まぁ趙活だって実は白起将軍に快勝して40万人くらい生き埋めにしてて
秦の統一で歴史を塗り替えられただけかもわからんしなwwww
さすが趙活大将軍
\ 趙活と言えば? /ナンダココハ コワイモナー ヒイィィィッ
\ ∧_∧ ∩40万人だろ / ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
また出陣だって \ ( ・∀・)ノ______ / ( ;・∀・) (; ´Д`) (´Д`; )
∧ ∧\ (入 ⌒\つ /|. / ⊂ ⊂ ) ( つ ⊂ ) ( ⊃ ⊃
(゚Д゚ )_\ ヾヽ /\⌒)/ |/ 〉 〉\\ 〉 〉 く く //( (
/ ̄ ̄∪ ∪ /| .\ || ⌒| ̄ ̄ ̄| / (__) (_) (_.)(_) (_) (__)
/∧_∧またですか・・・\ ∧∧∧∧ / 『趙活』
/ (;´∀` )_/ \ < 趙 ま > 趙の麒麟児と呼ばれた趙の大将軍
|| ̄( つ ||/ \< > 父、趙奢亡き後は我が身と廉パの忠告を省みず
|| (_○___) || < 活 た > その生涯を白起討伐のみに費やす
――――――――――――――― .< >―――――――――――――――――――――
∧_∧ 白起に < か > ∧_∧プッ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ;´∀`)翻弄されてる… ∨∨∨ \ ( ´∀`) (´∀` )<リンショウジョ必死だな(藁
_____(つ_ と)___ ./ \ ( )__( ) \_______
. / \ ___ \ / ∧_∧ 大\∧_∧ ∧_∧  ̄ ̄ ̄/.//|
.<\※ \____.|i\___ヽ. ./γ(⌒)・∀・ ) 将 \ ;) ( ;) / ┃| |
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ /(YYて)ノ ノ 軍 \  ̄ ̄ \)_/ |__|/
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_.i‐>/ \  ̄ ̄ ̄ ̄\め \ | | ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄|. | ̄ ̄ ̄ ̄| / ||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄|| ! ! \ .|_)
括ね 活力の活じゃなくて一括の括
>姜維なんて晋にとっては大罪人
どうかな?司馬懿を持ち上げるために諸葛亮を凄く書いたように
相手が強く立派であることはそれを倒した勝利者への賛美になる
まして徳治政治を売り物にし、寛容と忠孝義の美学を奨励したのは他ならぬ司馬炎だし
>>344 「一族皆殺しにされて、非難をあびせられて」と書かれる位だし、
晋初期では超一級の罪人(とされる立場)だと言っていいと思う。
「司馬懿を持ち上げるために諸葛亮を凄く書いた」には賛成だけど。
司馬懿VS諸葛亮と、司馬昭VS鍾会・姜維では争いの質が違う。
ただ、徳治を売りに寛容と忠孝義の美学を奨励した司馬炎だからこそ、
姜維が後に「蜀最後の英雄」とされ得る余地のある伝が残されたとは思う。
司馬懿を持ち上げるために諸葛亮を凄く書くなら「応変の将略に長ずるところにあらざるか」とか記述せんでもいいだろ。
諸葛亮は将軍としても有能だったが、敵(司馬懿)がもっと凄い人物でした、って記述すりゃいい訳で。
司馬氏に憚る部分はあったにせよ、出来る限り公平に記述しようと言う姿勢では?
公平に記述する事で、諸葛亮を浮かび上がらせる様にした、とも言えるが。
ただ、極端に諸葛亮を凄く書いてる訳では無いと思うよ。
諸葛亮を極端に凄く書いてるよ
例えば華陽国史に蒲元の話が出てこなかったら
諸葛亮は政治学から冶金、工作に至るまでなんでも出来る男だと思い込まされる
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 11:46:53
今「英雄生きるべきか死すべきか」を読み終わったが。
柴田も姜維を過小評価しすぎ。もっと格好いい姜維が見たい。
なんで北方は孔明の死で物語終わらせたんだ?
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 16:28:47
その先はエピローグでしかないからだろ
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 16:32:35
国力うんたら言ってるけど、劉淵とか石ロクとかは、圧倒的国力を跳ね除けて、帝国を建設してるよ。
姜維が馬鹿だっただけ。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 16:40:18
そういや陳舜臣が、
三国時代は英雄が多過ぎたんじゃなくて決め手に欠ける人間しかいなかった
みたいな事を書いてたな。
小説家の言葉ではあるけど、「なるほど」とも思った。
>>352 それが段々酷くなって、延々混乱が続くのです。
終止符が打たれたのは唐王朝(※隋ではない)
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 17:51:16
>>352 そういう考え方だからこじんまりとした小説しか書けないんだよな。
「生きるべきか死ぬべきか」
ていくら正史の翻訳が出る前でも
南征でロボット作ったことまで本気にせんでも
356 :
馬服君:2006/04/19(水) 19:00:59
姜維か諸葛亮が韓信を見習って蜀で数年軍事行動を起こさず、ある時期にいき
なり電撃作戦で北伐を実施していたら、どうなったんでしょうね?
>356
諸葛亮の第一次北伐は、それに近い訳だが。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 19:09:39
宇宙大将軍を見習え
>>356 韓信の戦術は、
「劉邦が項羽を釘付けにする」というのが前提で、蜀の場合は関羽が死んだ時点で不可能になった。
361 :
馬服君:2006/04/19(水) 19:18:20
>>357 確かにそうですね。しかし、粘ります。
一回目で陳倉をとろうとしたら、どうなりますかね。自分は、散関は獲得でき
たんじゃないかと思うわけですが。
362 :
馬服君:2006/04/19(水) 19:23:15
>>360 確かに関羽は死にましたが、趙雲あたりでも「おとり」ならできると思います
実際孔明もその手を使ってますし。
補給面を抜本的に改善しないと、
結局ダメ。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 19:31:04
>>362 人物としてじゃなくて、勢力としてだアホ
まぁ、そもそも関羽は一勢力とみなせる規模の土地を持っていたからおとりになるわけで
趙雲だろうが張飛だろうが荊州まるまるないとダメ
上庸方面に囮として少し人数を裂くとかは
367 :
馬服君:2006/04/19(水) 19:34:57
>>364 それなら話は変わりますね。あなたは「荊州」の勢力が必要だったと考えてい
るんでしょうか?
368 :
馬服君:2006/04/19(水) 19:39:06
やはり蜀は領土がせまいから、
>>356は没ですかね。
>>362 劉邦は緒戦で関中を制圧、項羽を数年に渡って防ぐだけの防御力と兵糧を手に入れています。
これは守将の章邯が民心を得てなかったこと、項羽の油断で章邯が孤立していた事が大きいです。
さらに韓信は華北を大迂回して後方を突き崩し、後に劉邦が警戒するほどの戦果を上げます。
結果、項羽は退却を余儀なくされるのですが、諸葛亮に当てはめると
>進攻経路が限定されて小規模な戦いになる。魏にすれば最終的に長安で押さえ込める。
>劉邦役のはずの関羽がアテにならない孫権になり、博打になってしまった。
という感じです。
孟達や塞外民族を使って、兵力の分散も狙っていますが失敗しています。
彼らに劉邦役は務まらなかったようです。
(勢力規模・作戦上の地理条件などで)
関羽がいないなら関興にやらせればいいじゃない
けいしゅうがすでにないであろうが
宦官ってポコチン無いんだよな?
玉だけとったやつもいる。
374 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 21:12:30
ていうか孔明が荊州治めてれば良かったんだよね。
孔明はその後見ても一人で結構戦えるし
蜀は劉備たちに任せてれば良かったんだと思う。
孔明はそんな高官じゃない。
後になり人材もないので任せてみたら中々の手腕だったが、
当初は参謀としては法正・ホウ統・黄権らが活躍し、
将として益州攻めの後詰めで最も活躍したのは張飛。漢中奪取の立役者は黄忠。
そこにあえて孔明を抜擢は普通考えないだろうな…適役だったかもしれんが。
劉備単独で押さえたばかりの益州を統治するのも難しいし。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 21:50:24
けど孔明っていちおう荊州じゃ名の知れた名士なんじゃなかったっけ?
>>374 当時の蜀・漢中は遅れを取ると魏に持っていかれそうな状況だったので、テコ入れが必要だったと思われる。
成都制圧後に内政の安定に着手しているので、たんなる援軍ではなかったはず。
ホウ統がいたら諸葛亮は荊州に戻れたのかなぁ?
このスレだったか、「蜀は人材が一枚足りない」って、俺も同感。
ハァンハァン
脅威的な姜維の胸囲
蜀の人材不足は、一枚じゃ補えないと思う。
76-77じゃないけどさ。
もしも姜維が孔明の同年代だったとしたら、
内政は孔明、軍事は姜維で分担できたとかってことはない?
そしたら孔明も気が楽になって長生きして、三国地図も多少変化したかも。
それとも、やっぱり姜維はそこまでの器じゃないかな・・・。
よく姜維って生まれるのが遅すぎたとか言われるけどさ。
あと二十年早く生まれてたとしたら、どんな立ち位置にいたのかな。
地元代表で馬超あたりと戦って、曹操に取り立てられたりしたかなあ。
>361
散関は、陳倉攻めの際、通過してるな。ここで魏と交戦した記録はない。
って事は蜀漢領と魏領の間の空白地域みたいな感じになってたのかもしれん。
あるいは、陳倉と散関の間は峻険な山岳地帯で兵士が道を切り開いた、みたいな記述もあるんで、すでに自然国境となっていて、散関も蜀漢が押さえていたのかもしれん。
「散関から出撃し」って記述もあるから。
つまり、散関は、戦略的にあまり意味が無いね。
実際の陳倉攻めにしても、成功した後の作戦構想が分からんから、第一次で陳倉を攻略したとしても、どういう展開になるか分からん。
私見を言わせてもらえば、陳倉を押さえた後、西に向かい隴西制圧に向かう構想だと思う。
この場合、街亭を陳倉に置き換える事になるんだが、陳倉で魏の援軍を防ぎきれるかが、焦点となるだろう。
>>383 陳倉のみで魏の西進ルートを完全にカバーできないし、そうなると街亭もカバー
しないといけないし、どのみち戦力も時間も厳しいと思うお。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/20(木) 13:26:22
漢中に[广龍]統、荊州に孔明が理想的。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/20(木) 14:28:22
劉備&法正&張飛
ホウ統&魏延&黄忠
諸葛亮&関羽&趙雲
これがベスト
>>385 政治の中心が益州に移った時点で諸葛亮が荊州にいる理由がないし政務もそれを許さない
>>386 ベストじゃない
>387
自説はないのか?
>>384 街亭を経由する作戦線に対して、陳倉はその戦略的側面に大きな影響を与える為、
魏は全力を以って陳倉を攻囲してその脅威を取り除くか、
相当数の戦力を以って陳倉を封鎖しなければ西進は出来ないでしょう。
魏が展開できる戦力如何によっては、隴西の制圧も不可能ではないと思うよ。
>389
史実通りの作戦なら、魏側は隴山を越えて街亭を抜かなきゃならん。
でも陳倉なら、関中盆地の西端なんで、隴山越えルートより兵站ははるかに容易になる。
史実でも、隴山を越えた隴西・祁山周辺で交戦した際、兵站の負担から魏軍は蜀漢と同程度の規模の軍しか派遣してない。
しかし、関中盆地南西端の五丈原の役では、蜀漢より2倍から3倍の兵力を動員してる。
五丈原は陳倉より、策原地・長安に若干近いから割引も必要だろうが、隴山越えの作戦よりはるかに戦力を投入出来ると思う。
まぁ、魏側は陳倉を奪い返さなくても、散関・陳倉経由の蜀漢の脆弱な連絡線を遮断すれば、隴西の蜀漢軍は立ち枯れするだけだろうけど。
結局は、陳倉周辺を魏軍に押さえられる前に、蜀漢側が隴西を押さえ、かつ、隴西〜漢中の連絡線を確保出来るかどうか、って事になる。
史実同様、隴西三郡に寝返り工作を仕掛けてれば、若干の可能性は出てくるが・・・。
それでも、陳倉から西進して隴西を平定、その後反転して隴西東方で魏軍を迎撃する、ってのはちょっとキツイ様な気がする。その間も、陳倉では交戦があるだろうし。
>>382 >もしも姜維が孔明の同年代だったとしたら、
>内政は孔明、軍事は姜維で分担できたとかってことはない?
無理。
武勇が有って最前線の太守で情勢にも詳しい魏延がいたのに、何でも自分でやろうとしたんだから。
>>391 もっともだけどさ。
でも、姜維とは馬が合うかもしれないじゃん?
それよか劉備が長生きしてくれた方がいいと思う
>>392 おまいはウマが合うとか以前に、出自や位階や周囲とのバランスってものを
考えたりせんの?
組織人事はゲームの駒と違うよ?
劉備は、五虎大将よりも下のギエンを寒中太守にしました
>>394 ふざけてるように聞こえたらごめんね。
でも後漢末〜三国初期は、君主やリーダーと馬が合うかどうかも
出自や位階や周囲とのバランス以上に重要要素になり得てたと思うんだ。
でも所詮「もし」の話だから、ゲームの駒程度の話だけどね。
>>395 成都にいた張飛等でなくて、わざわざ魏延を抜擢だもんね。
かなり劉備には信頼されていたんだろうね。
結果も出してるし。
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 00:04:01
なんで魏延は漢中太守になったの?孔明は反対しなかったの?
魏延の抜擢には次代の人材を育成する要素もあったろうな。
劉備を始めとした古参の武人が死んだ後の漢中の要となる人物として内部に知らしめる意味もあったんだろう。
前任者が死んでから魏延が後釜に座るのと、劉備直々に最初から指名されるのじゃ全然意味合いが違う。
少し話は逸れるけど、
魏延て劉備系人材の最後の大物なんじゃないかな、と思った。
趙雲すら諸葛亮を立てているのに魏延は同格のつもりで、感情的な対立があったんじゃないかと。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 00:39:15
実際正史では魏延と孔明は対立していたの?
正史でも魏延は、孔明はヘタレだ、みたいなことを周りに言い触らしていた
魏延と姜維が組んで北伐したら恐ろしい事になるに違いない
派閥争いか801の二択でどうぞ
>>394 劉備はそのへんかなり無視していたと思われ。
ちょっと話して使えると思ったら、一気に大抜擢することもざらにある。
トウシや張翼とかもその例だったかと。
ただ変なカリスマと人を見る目だけはあったし、
魏や呉に比べても、国内に限れば、かなり独裁的な権限をもってったぽいから、
それが許されていたもよう。
それにあまり人の忠告聞かないというか、空気よまないからね。
>>399 だって趙雲はそれほど高官ってわけじゃないしなあ。
劉備、姜維のことは気に入ったかな?
劉備の好きなタイプは、豪気ではっきりものを言い、
人に媚び諂わないタイプ。文官武官は問わないが、劉備自体が武官なので武官が有利。
有言実行型で、俺について来い、といえる奴かな。
そして、仕事態度が真面目で、清廉で贅沢しない人がよいが、能力があれば気にしない。
また派閥や地縁、血筋などは気にしないので、立場が少々弱くてもマイナスにはならない。
つか曹操並の実力主義者ではないかと。
なので結構気に入ったのではないかと思われ。
劉備自体がスペックダウンした曹操みたいなもんだからな
だよな、あの二人よく似ている。
好みの人材も似ているし、
曹操が身を寄せてきた劉備を厚遇したのも、自分と似ていたからかもしんない。
劉備が曹操に勝っているのは、女子供の問題で右往左往しなかったことか。
曹操は唯一その点では劣っていた。
>403
天地を揺るがす圧勝or国を滅ぼす惨敗以外の結果がなさげw
>408
言い得て妙だなw
>>390 俺も、魏の展開できる戦力如何によっては、という条件付きだからね。
例えば魏が10万以上を動員してきたら、いくらなんでも陳倉でそれを拒止するのは不可能だろうし。
個人的には、まず魏の野戦軍を撃滅しない限り、隴西を蜀のものとするのも極めて難しい事だと思うけどね。
野戦軍の撃滅が戦争における唯一至上の命題であるとは思わないが、
防衛を担う組織だった戦力の喪失は、それ自体が州や国家の崩壊を招き、
敵国を屈服させるのに少なからず貢献するだろうから。
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 03:07:29
>>408 逆だろ。劉備が曹操以下だったら
あんな何もないっ状態から這い上がれないだろ。
魏延は確かに優れた人物だけど、お世辞にも大物とは言えない。
正史では魏延の方が諸葛亮を嫌っていたし、
大局観も人望も欠けているので諸葛亮から軍事を託される事はまず有り得ない、
もっとも姜維も魏延的な立ち位置を求められてはいた程度っぽいけど。
劉備は抜擢人事が好きっぽいけど、結構当たり外れもあるみたいなので、
良かったり悪かったり、名声があったり見所がたったら抜擢してみる、
みたいな事して、後に諸葛亮がその始末に苦慮してたりするし。
>>413 >もっとも姜維も魏延的な立ち位置を求められてはいた程度っぽいけど。
これって?
誰に? あるいはどういった状況で?
>劉備は抜擢人事が好きっぽいけど、結構当たり外れもあるみたいなので、
>良かったり悪かったり、名声があったり見所がたったら抜擢してみる、
>みたいな事して、後に諸葛亮がその始末に苦慮してたりするし。
当てはまるのって、例えば誰?
質問ばかりでごめん。
>411
10万も動員しなくてもいいかも。蜀漢側もその後、隴西を平定せにゃならんとしたら、陳倉にそんなに兵力は置けんでしょう。
当面、魏側としたら、3万程派遣すれば、陳倉周辺は押さえられるような・・・・。
まぁ、どっちみち魏側の援軍(野戦軍)はやってくる訳だけど、撃滅ってよか、隴西を完全に領有化するまで防げるか、じゃないかな。
劉備VS曹操の漢中攻防の様な展開を諸葛亮は構想してたんじゃないかな。
>>413 >大局観も人望も欠けているので
ソースは?
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 09:57:22
>>415 10万云々は、文頭に「極端な話」と付けようとしたんだが忘れてしまった、すまん。
陳倉がどの程度の防護力を有している城塞かは分からないので、
はっきりとは言えないが、さすがに俺も10万もの兵力が必要とは思ってない。
ただ何れにせよ、魏が陳倉を容易に封鎖できるだけの戦力を投入できるのなら、
やはり陳倉を経由する作戦線は妥当とは言えないと思う。
陳倉によってある程度防護されているとは言え、連絡線を敵に晒している事に変わりは無いし。
この事は貴方も述べているから、俺が敢えて言う必要も無かったかもしれないけど。
隴西の制圧が目的であるのならば、主作戦線とその連絡線は祁山方面に求めるべきだと思う。
>>417 人望はともかく大局観がないとはどこからの読み取りですか?
>>414 諸葛亮に、姜維は投降して間もなく「軍事に才能がありますよ」
ってな風に劉禅に引き合わされており、軍事面ではかなり期待されていた。
将来的には魏延の様な軍事の重鎮程度は求められていたっぽい。
ホウヨウ・劉エン、フウシュウなんかもいきなり領軍となってるから抜擢された人物かも。
また李厳も内外の軍事を任された、っていうのも立場を考えれば抜擢人事っぽい気もする。
>>416 長安奇襲作戦の希望的観測の多さと、楊儀と争って敗れるまでの流れ。
長安奇襲作戦は「敵は臆病なので逃げるだろう、相手に人物は居ないだろう、
故にあっさり長安は落ちるだろう、その後に食糧は手に入るだろう」
というかなり都合の良すぎる展開を想像してるのでかなり駄目。
楊儀と争って敗れるまでの流れも、それ以前に北伐軍の事務を担当していた楊儀と争い、
丞相府の人材を追い出そうとして、丞相府の人材で動いていた北伐軍を維持できたと考える甘さ。
楊儀と争いに至った際もヒイを逃がしたり、いきなり橋を焼いたりと短慮さが目立ち、
大局観は無いね、優秀な軍人だけどそれ以上では無いって感じかな。
>>416 >長安奇襲作戦の希望的観測の多さと、楊儀と争って敗れるまでの流れ。
>長安奇襲作戦は「敵は臆病なので逃げるだろう、相手に人物は居ないだろう、
>故にあっさり長安は落ちるだろう、その後に食糧は手に入るだろう」
>というかなり都合の良すぎる展開を想像してるのでかなり駄目。
つけ加えるなら、北伐の度に強襲策を提案していたのもマイナス。
この作戦の高い有効性を認められるのは第一次。
それ以降も固執しているのでは戦略に疎い一つ覚えという評価すらなきにしも。
>>421 奇襲作戦は兵1万を割けばかなりの確率でそれ以上の被害をださせられる良策。
そもそも博打の一つや二つしなければならないほどの絶望的な戦力差があるんだから仕方ないだろ。
強いて挙げれば魏延を失う事が痛すぎるくらいか。
>>423 博打以前の問題、敵が自分の名声を聞いたら怯えて逃げるだろう〜、
っていうのは明らかに自分の存在を過剰評価した作戦であり、
その後の食糧調達も敵が何もせずに残していく事、
民衆から集めるっていう、その後の展望も行き当りばったり。
そもそも長安に到達する事が敵の物見に発見されたり、
敵が逃げなかったらいきなり破綻する作戦で、かなりの確立で成功どころか、
ほぼ失敗すると言う程度の成功率も無いかもしれない作戦。
>>421>>422 魏延の立場は理解してるかい?
諸葛亮が常に慎重策を提示してるんだから、前軍師である魏延はそれとは別の案を提示しなきゃいけない
強襲策の提示は有効、無効ではなく「諸葛亮に作戦を一から見直させる」意味で必要な行動であり、
逆に代案、別案を用意出来ない軍師など存在価値もないぞ
強攻策の提示を以って戦略性に欠けると言った人間の方が戦略性に欠けている証拠に他ならない
また、諸葛亮陣没後即座に兵を引く楊儀一党は何故第五次北伐を行ったのかも理解していない
ただ1人魏延のみ「国家の一大事に何故兵を引くのか」と大局的な観点からの言葉を発している
これは魏延はただの軍人ではなく、諸葛亮戦略の数少ない理解者である事の証拠だ
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 13:41:30
>北伐の度に強襲策を提案していたのもマイナス。
>この作戦の高い有効性を認められるのは第一次。
というところを見落としている人間が「戦略性に欠けている証拠に他ならない」、とか言ってもなぁ。
だいたい有効でない反対案に固執しても、そりゃ流されるだけだろ。
常に別の代案を出しているとかなら、そういう評価をするのも分かるけどさ。
「国家の一大事に」なんて発言は、戦力や士気の状況を把握してないでいってたら、
むしろ大局や戦略を考慮できてないという証拠だと思うのだが。
>>426 仮節・前軍師・征西大将軍
ただ魏延の場合、採用しない諸葛亮を怯懦と感じ才を用いられない事に恨みを
感じていた、というくらいだから、職務に忠実に案を提示していたというより功名心
から言っていた可能性の方がずっと大きい。
>>425の言う、
>前軍師である魏延はそれとは別の案を提示しなきゃいけない
>強襲策の提示は有効、無効ではなく「諸葛亮に作戦を一から見直させる」意味で
>必要な行動
とは言い難い。
毎度一辺倒の主張のみで、諸葛亮の慎重策をカバーする進言のひとつもしないと
くれば、その方が問題で存在価値を問われる様に思えてならないよ。
>>427 有効かそうでないかはともかく、諸葛亮の作戦とは別の案を提示する事によって
諸葛亮の戦略、戦術の妥当性を確認する為にも必要なの
諸葛亮案が涼州や雍州西部方面、魏延案が長安周辺を含む雍州東部方面を対象にしている事からもわかる
何度も言うけど効果の大きさが問題なのではなく、対案の存在その物が必要
本命案の見直し作業にも近い行為だって事さ
>「国家の一大事に」なんて発言は、戦力や士気の状況を把握してないでいってたら、
>むしろ大局や戦略を考慮できてないという証拠だと思うのだが。
こんなミクロな視点は大局とか戦略ではなくて戦術の領域
戦略はもっと上位の視点
第五次北伐は西方への補給路を確保しようとして大規模な運河整備をしている魏に対して
蜀が阻止しようとして行った北伐だったと推定されている
最高司令官1人が陣没したからと言って葬式をしている暇は蜀にはなかった
指揮系統も仮節を持った魏延によって統括されており、北伐の続行は可能だった
人望の無さ、楊儀の政治的寝技などが絡み合って誅殺されてしまったが
その事が魏延の大局的視点の無さを示す物ではないのはご理解いただけるかい?
>>428 何でそんなに動機主義なの?
結果としてやってる事を見ればしっかりと諸葛亮の副官として動いてる
職務にも自分の功名心にも忠実だった可能性だってある
可能性を言い出したら切りが無いぞ
軍事行動で当初案のままロクに対案との比較もせずに実行に移せるわけはないだろ
>毎度一辺倒の主張のみで、諸葛亮の慎重策をカバーする進言のひとつもしないと
諸葛亮の軍事行動を支えていたのは魏延なのだが…
魏延のボヤキは本文ではなく註釈なのだが、裴松之に「この註釈に引用した文章全部嘘だ」とまで言われている
もしこの記載を肯定するような根拠が有ったら示して欲しい
この記載>この魏延のボヤキの記載と脳内変換よろしく
歴史ってのは時にありえないような大勝や大敗を生み出して、それによって流れが大きく変わるもの。
長安急襲は成功の可能性は低かったと思うが、
益州攻め以来常に劉備の身近で苦楽を共にした魏延は、本気で魏を倒して劉備の夢を叶えるつもりだったのだろう。
常に安全策ばかりの諸葛亮に対して、本気で魏を倒すつもりがあるのかと疑念を抱いても仕方ない。
このスレを開いてスレタイを再確認したのは俺だけじゃないはずだ。
諸葛亮の戦略だって「魏延に対して慎重」なだけで実際は無謀無謀
文官として有能、指揮官として有能。
政治家としては二流、司令官としては一流半か二流の上。
英雄としても二流の上。
こんなところでは?
一流の軍人
一流半の内政
二流の政争
そして三枚目
それが魏延クオリティ
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 18:10:47
た が そ れ が い い
438 :
馬服君:2006/04/21(金) 18:41:14
そもそも劉備が田豫を臣下にできなかったりと、蜀は人材が乏しすぎます。
(人材を使いこなせなかったのかもしれないが)姜維が軍事をほぼ独占したの
が蜀の滅亡の原因と思います。
439 :
馬服君:2006/04/21(金) 18:47:49
要は姜維は私の息子のような奴だったわけです。(私の息子より少しはスペッ
クが高い)
>>439 子も馬服君
そして貴方は息子
でFAだと思うが
441 :
馬服君:2006/04/21(金) 18:59:07
>>440 そんな感じでもいいですよ。別に趙奢を自分になぞらえてるわけじゃないんで
。でも息子は「馬服子」じゃないんですか?
>>438 地盤を離れてついてきた麋兄弟のような存在の方が異常。
443 :
馬服君:2006/04/21(金) 19:03:25
公孫瓚の下についていた頃からの配下:
関羽、張飛、簡雍、趙雲
徐州・豫州時代からの配下:
麋竺、麋芳、孫乾、陳到、劉琰
漏れもあるかもしれないが劉表に身を寄せる以前からの正史に記録のある配下。
麋兄弟以外は特に地盤があったと思えるようなヤツはいないなあ。
そう考えると麋竺って相当な変人だよなw
劉琰はどうだろう?
無能だけど、それ故に逆にそれなりに名士っぽいかな?
>>444 劉琰は人物評価を受けたという記述はない
>>445 劉琰は劉備の豫州時代に召し出されて従事になって、話し相手として気に入られている・
その後も賓客として遇されており、この辺りの待遇は麋竺らに近い。
それなりに地元では名の通った存在だったんじゃないかな?
>>446 さっと調べては見たが、劉琰に関しては地盤勢力や名士云々という記載がないんだよなあ。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 19:43:43
>>447 たしかに孝廉に推挙されたり、以前に任官したりって言う記述はないね。
ただ従事として召し出されているわけだから、ある程度は名前が通ったような存在だったのは確実だと思うけど、ちゃうかねえ?
>>448 一応、諸葛亮が漢中に来る前まで太守も兼任してたからまったくの政治オンチってことはなかったんじゃない?
>>449 劉琰の祖先が官に就いたということもないようだね。
麋竺は商いにて土地所有などの財力があったようだが、決して名士ではないらしい。
どの程度、名が通っていたのかはわからない。申し訳ない。
麋竺って豪族だろ?土地所有どころの騒ぎじゃないだろ
>>432 義経だって強襲で何度も奇跡の勝利をしてるしな。
>>382 逆に魏延が20年遅く産まれてたら魏を滅ぼしてたかもしれん。
>>453 義経は勝てば官軍を地で行く男で当時の戦争のルール破りまくり
魏延が二十年早く生まれていたら、相対するのは董卓か?それとも孫堅か?
ちょっと見てみたいかも。
義経がルール破ったのって檀之浦の戦いだけじゃん
>>457 義経のルール破りって、総大将自ら先駆けをやって部下に手柄を立てさせなかったってヤツじゃないの?
>>458 ここでの趣旨は違うだろ
ちなみに、宇治川の先駆け争いとか那須与一とか畠山重忠とか義経の部下は手柄を立てて名を馳せてるよ。
だから檀之浦の戦いだけじゃん
三国時代の戦ルールってあったの?
手切り足切り金玉切り三族皆殺しの中国人にルールなんてないだろ
義経っていま歴史家の評価はどうなの?
姜維は「軍師」っぽい語られ方をしがちだけど、
やっぱり魏延とかに近い感じがするな。
無双の姜維も、もうちょっと魏延寄りのデザインにした方がいいな。
>>464 平家を滅亡に追い込んだ傑出した指揮官という事実は曲げようがない。
ルール破りも昔からよく知られていたことでもあるし。
子供の頃一番最初に好きになった武将が義経だったな。
けど歳をとると真面目に戦って散っていった敗者の方が
魅力的に見えるんだよな。日本だと三成 真田 新撰組 西郷 大日本帝国
とか。
似たような理由で三国志でも劉備、関羽、姜維 は大好き。
陸遜はすごい汚い手で関羽と劉備倒したんだろうな。
↑レス禁止ね
亡き主君に忠義を貫き、最後に追い詰められても敵国に亡命するようなマネをしなかった魏延。
浪花節だな。
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 23:52:49
>逆に魏延が20年遅く産まれてたら魏を滅ぼしてたかもしれん。
魏延をこう考えるってなかなか面白い。
姜維が軍事権をほぼ独占したようになれば、もちろん長安急襲になるのかな。
だとすれば当時の漢中の守備はほぼ張飛にきまりか。
ってことは姜維はいつどうなるんだ?w
>>470 諸葛亮でさえ出来なかった北伐を、魏延で出来るのか?
ああ、だから急襲か。
張飛が生きてたらますます魏延の思い通りにはならないだろ
無双並みに時間軸無視だけど、
張飛と魏延と姜維のトリオなんてさ。
考えるだけで楽しいことになりそうだ。
諸葛亮は胃が痛くなりそうだけど。
いや、張飛が魏延の首根っこ押さえてるから諸葛亮の負担は減るだろ。
張飛と魏延と姜維と諸葛亮体制ですか?
張飛が来たと聞けば夏侯楙が逃げる可能性はあるな
>>476 徐庶にまかせちゃいなよ、孔明君。
抱えていたら寿命縮めちゃうぞ。( ´∀`) / ( ;_ゝ;)
張飛が寝首を掻かれないで
もう少し早く姜維が蜀に来ていたら
まったくあり得なくはないよね。
すげぇ夢が広がる。
歴史通りに魏延が抜擢されたところを魏延がいないもんだから張飛じゃないのか?
入蜀して以来、ケイシュウ派と蜀派の人事問題がついてまわったんだろうなあ
さらにキョウイ・カコウハ・王平らの亡命派もからまり、蜀漢の複雑な内部事情が思われる。
もともと蜀だって外から来て乗っ取った上に、たったの二代では地盤固めも緩い。
なおさら数代を経て地固めした曹氏、孫氏と比べりゃ早々に滅んで然るべきだわな。
>>429 >>430 別に魏延が代案を無理してまで必ず出す必要は無く、
妥当な案であれば補強すれば良いだけであり、軍師は別に対案を出す為に居る訳じゃ無い、
仮に代案を提出したとしてもその作戦案があまりに稚拙なのは
既に指摘した通りであり、慎重策の対案足りえていない。
他にも言いたい事は
>>428が言ってくれた通り、見直し作業ならばそれに甘んじるべきだが、
魏延はそれを不満に思っている事や、韓信の故事に習いたいという功名心から願っている時点で、
魏延の対案は諸葛亮案の見直し作業とは言え無い。
また楊儀が帰還したのはその第五次北伐を行っていた諸葛亮の遺命、
魏延の「国家の一大事に何故兵を引くのか」という言葉も、
諸葛亮が死んでも自分が居るという自負から来る諸葛亮の遺命とそれを履行する楊儀への反発、
これも
>>421で書いた通り北伐軍の基盤である丞相府を廃して北伐を続行しようとする事自体、
大局眼が欠けている証。
軍人としては優秀、それは認めているし、
魏延が諸葛亮の軍事行動を支える重鎮でもあった、
しかしかながらそれはあくまで諸葛亮という手綱を握る存在あってこそ、
同じく諸葛亮の軍事行動を事務面から支えていた楊儀との争い自体がそれを証明してる。
あと魏延のボヤキっつーか恨みに思っていたという事は本文にしっかり載ってるけど。
>>413 >>421 たしかに姜維は諸葛亮に軍事面で期待されていたと思う。でも、
「魏延的な立ち位置を求められてはいた程度」
「魏延の様な軍事の重鎮程度」っていうのはどうかな。
馬良達よりも上って言ってみたり、涼州最高って言ってみたり。
リップサービスにしても、魏延とは少々違う立ち位置を期待されてたと思う。
魏延
統率92
知力73
政治66
魅力42
姜維
統率78
知力77
政治33
魅力72
魏延 姜維
統率88 統率92
武力93 武力80
知力60 知力72
政治55 政治40
魅力38 魅力51
>>452 あくまで俺の認識では、と断っておくと
名家→No. あくまで商業に従事する家系の出身者。
豪族→Yes. 小作人一万、奴隷二千人も抱えていたのだから相当規模の土地と一門を抱えていたはず。
名士→Yes. 陶謙に招かれ曹操に推挙されるなど名声を持つ。「誠実である。文武に明るい」との評価からも
徳と学を認められる存在だったっぽい。
487 :
谷や:2006/04/22(土) 11:49:09
当時の作物といえば雑穀ぐらいしかなく生産量もしれている
米なんて呉の一部しか取れなかったみたいだし
それに将や騎乗者の乗馬用の馬の飼葉なども大変だろう。
当時の蜀の人口って80万ぐらいだろう。動員兵力も作物生産量も知れている。
人材の出土にしても魏や呉に比べ辺境だし人口比で出しても少ない。
また遠征するには兵站が重要かつ大変。守り易い攻め難い四川
長安を攻略しても維持ができない。荊州を失った時点で劉の覇道は潰えたわけだ
国力的に魏6呉2.5蜀1.5ぐらいか?
だから小才しかない大国魏の地方武官姜維が小国の蜀にて重く取り立てられた。
しかし牛尾鶏頭って感じで姜維(・∀・)イイネ!!
本国に戻れなくなって前線でいるしか道はなかったんだろうねぇ〜
>本国に戻れなくなって前線でいるしか道はなかったんだろうねぇ〜
正史にそう書いてあるだろ?
数字付けは荒れる元なんでお勧めできない。そもそもの定義から揉めるし。
荒れてナンボの議論スレだと言うなら無理には止めないが。
逆に数字付けじゃ荒れないだろ。
そんな流れじゃない
マイ姜維パラ
統率80(いくら小国でもトップだった訳だしそれなりかと)
武力85(成都クーデターの際の老体でのド根性ぶりより)
知力85(これが一番迷ったが下駄を履かせてみた)
政治70(派閥も閨閥も無いのにあの登り詰めよう)
魅力90(1800年以上立った今でもこうやって語られる位だし)
野望95(これだけは三国初期の英雄にも負けないかと。漢の証)
意見の収束を目指すんじゃなくて、
各自の思う姜維語りってことなら、数字化も荒れないんじゃない?
他人の妄想数値ってさ、他人のオナニー見せ付けられるようなもんだな。
>>492 魅力に吹いた
そういう切り口は好きだぞ
姜維
統率100 三国志末期でずば抜けている
武力90 趙雲並
知力90 孔明にいろいろ教わってるだろ
政治80 蜀の中では最高
魅力95 不満はあったけど民たちは従ってたし。
496 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/04/22(土) 15:04:32
姜維は涼州人、中国の地脈、土地柄地元意識は我々日本人では計り知れない。
蜀の政策としては対呉に向いていたのに対し、姜維だけが北伐にこだわったのは
「丞相殿の意思」とは羅貫中以下、判官びいきから来るもので、ただ漢中をとればいつでも
田舎に帰れるから
呂布や遼来来も董卓に買い殺されてたし。
戦略家の韓遂も董卓につき、馬騰につき、馬超につき、目的はただ1つ
「中原に涼州人を送りこむ」
そのために立場を変え、頭を変え
「急募!!我と共に中原制覇をもくろもう!! 給与要相談 韓遂」
結局 、姜維はそんな土地柄志向に負けただけ
>>496 蜀の政策が対呉に向いていた事を裏付けるような記述なんてあったか?
>>497 朱績の要請に応じて対魏の為に白帝城の兵を増やしたってのはあるけどなあ。
実はかねてから呉へ侵攻する意図があったところ、渡りに船とばかりに増兵……なんてねw
姜維が涼州狙ったのは地形把握してるからだろ。
涼州とれれば呉の国力は上回るし西から順に攻めれば楽。
蒋琬の涼州攻めの上疎でも、基本的には魏を伐つ事を目的として書かれてるし、
仇国論でも因余国と肇建国はそれぞれ蜀と魏に準えているらしいし、
蜀の国策として、まず伐つべきが魏であった事は否定しがたい事だと思う。
話は変わるが、仇国論における高賢卿と伏愚子は、やはりそれぞれ陳祗と譙周なのだろうか?
姜維が隴西に出たのは、地理風俗に習熟しているという事や羌族との合流が容易になる事に加え、
魏軍の取る作戦線に険阻な山地を包括させる事で、大軍の展開を困難にさせる事も理由の一つだろう。
更に言えば、上邽周辺と関中の間は優良な交通線を有していると言う事も大きいと思う。
諸葛誕の乱に際し、秦嶺を越えて手薄になっていた関中に出たはいいが、
ケ艾に迅速に駆けつけられてしまった為それ以上の前進が阻まれてしまったしね。
私見だが、姜維は諸葛誕の乱の時も、実際は隴西に出たかったのだと思う。
王経の大敗によって失われた野戦軍も完全には回復してなかっただろうし、
長安に駐屯していた諸軍が諸葛誕に対応する為ごっそり移動したとなれば、
魏は手勢も心許ない上、満足な後詰も期待できない。
それ以前の北伐に比べて、作戦の展開はかなり楽になってただろう。
隴西を攻略したいと思っていた姜維には絶好の機会だった。
しかし、前年の大敗によって隴西が騒がしくなっており、羌族の協力も期待できなかったので、
やむなく秦嶺山脈越えを選択したのだと思う。
諸葛誕を蜀に迎え入れるとかすればよかったのにね。
>>504 そりゃまた荒唐無稽な話だな。
諸葛誕の任地は揚州だし、反乱起こしたのも揚州だから、
蜀に迎え入れるのはどう考えても無理じゃないの?
>>505 そんなのいくらでも方法あるでしょ。呉経由とか長江使うとか。
正解。
>>506 「諸葛誕を保護したいので、長江を下らせてください」と言ったところで、
呉としても「はい、そうですか」と通すわけにゃいかんでしょ。
諸葛誕をまず呉に保護させて、その後で蜀が諸葛誕を渡せと頼んでも承諾しないだろうし。
そもそも、軍隊を繰り出して諸葛誕の反乱を支援するならともかく、
本人を蜀に迎えだけでどれだけのメリットがあると言うのか?
76-77について俺が抱く疑問。
・自分が馬鹿だと分かっていない
・自分は馬鹿を装ってるつもりなのに、デフォで馬鹿
皆はどちらだと思う?
釣りの程度が落ちたな
76-77は当時の民衆が字を読めると思っているみたいだし釣りだな。
>>509 魏内部の機密情報を手に入れるとか。
蜀は北伐が上手くいっていないから
少しでも利益がありそうならば何でもすると思う。
>>513 その情報とやらの為に、長江を通させろとか、諸葛誕を投降させ且つ蜀に引き渡せとか、
そういう無理難題を呉にふっかけて関係を悪化させるのか?
諸葛誕が司馬一族と不和であった事を蜀が知っていたとしても、そんな事をするぐらいなら、
史実通り反乱させて魏の注意を諸葛誕に向けさせ、その隙に北へ出た方がよほど利益になると思うがな。
>>514 考えてみたら楊州の官である諸葛誕が蜀の北伐に関する有益な情報を
持っているとは考えにくいですね。同じ迎え入れるなら、
呉に迎えさせたほうが道案内の役には立ちますね。
蜀なら諸葛家の人間は優遇されるだろ。
諸葛誕も蜀に行けばかなりの地位につけた。
呉じゃ大した地位につけない。この時の呉は荒れてるから。
スーパー軍師 現代の趙括様がご降臨なされた!!!!!111!!
ありがたやありがたや
>>516 >諸葛誕も蜀に行けばかなりの地位につけた。
諸葛誕は人材豊富な魏で三公の内の一つ、司空についている。
わざわざ裏切ってまで弱小の蜀にいく義理は残念ながら諸葛誕にはない。
呉は荒れているとかいうが次元が違う。
権力者の孫峻や孫チンは能力が大してあるわけでもないのに猜疑心が強く不穏な動きが少しでもあればついには廃位までやらかす。
交渉が成立しても移送の時点では諸葛誕の命は保証出来ない。
諸葛誕の一族は東晋で重鎮になったのを知らんのか?
>>518 わざわざ裏切ってまでって反乱起こしてんだよ。
だからそれは司馬氏の専横があったからだろ。
趙括さまに逆らうな
埋め殺しにされっぞ
趙高の間違い
いやここは白起の間違いと突っ込んでほしかった。
何にせよ、諸葛誕を具体的にどのような手段で迎え入れるのかという事と、
迎え入れる事のメリットとそれに支払われるであろう対価とを比べてくれないと分からんね。
「諸葛誕を蜀に迎え入れれば良かった」と言うなら、そのくらい説明して欲しい。
まあゲームじゃないんだから人一人連れてきてもあまり役には立たないような気が?
>>526 肝心の76-77がゲーム能なんだからどうしようもない
人材不足の蜀にとって名将一人加わる事はとても重要
対魏でも有利になるし、他の司馬の専横に憤る魏の将を根こそぎ引っ張ってこれる可能性もある。
後、諸葛誕は策使えば簡単に蜀に来ることできるだろ。
>>530 もう釣りのレベルも落ちる一方だね…
面白みもない駄レスしかできんならコテの意味もないんじゃないの?
面白みったってな。
諸葛誕が蜀に来れば即戦力なんだから
速前線で使う以外ないでしょ。こんな当たり前のことに
面白い回答なんかできんって。
軍事力を持たない一士大夫に何の価値がある?
諸葛誕って滅茶苦茶人望あったみたいだから
諸葛誕が蜀に来る→諸葛誕信奉者もごっそり蜀入り
なんて展開になれば良いけどね、あり得るんだろうか
諸葛誕は王凌・毋丘検や夏侯霸と無関係で、疑心暗鬼で反乱を起こした。
アンチ司馬氏みたいな感覚は無かったと思われる。
孫呉ともうまく連携できてない。
短時間で文欽と不仲になるなど、協調性がなかったか心理的に追い詰められていた感が強い。
たぶん蜀の事など考えもしなかったと思う。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/23(日) 23:06:20
諸葛誕って滅茶苦茶人望あったのか?
部下・民衆には優しく
同僚は殺す
大体諸葛氏って瑯耶辺りの豪族だから、すぐ南の呉なら兎も角
蜀じゃ影響力持てないよ
諸葛亮は長いこと荊州に在籍して、婚姻も重ねてる謂わば荊州諸葛氏になった
>537
>533がそういった話をしているので、来ると仮定してみた
>538
魏への忠誠心から起こした反乱だと、どこかで読んだよ
まぁ蜀の事は仰る通り考えもしなかったろう
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/23(日) 23:18:25
>>542 金で人心を得た保身の反乱だと、どこかで読んだよ
>>538の言うとおり、諸葛誕が司馬氏の専横を憎んで反乱したという可能性は低いと思う。
諸葛誕の場合、司馬氏に逆らった夏侯玄やケヨウらと親しかった上、
揚州において前任者二人が反乱し討伐された事から、自身も司馬氏に疑われていると考え、
誅殺される恐怖心から反乱を企んだ、という風に記述からは読み取れる。
諸葛誕は戦争上手くないし、政治的に高官に昇ったといっても実績を積み上げてというより人脈がらみの政治的なものが大きい気がするからなあ。
単体で来られても政治的宣伝以外の旨みはなさそう。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/23(日) 23:28:27
諸葛氏最大の勝ち組は諸葛緒
>>544 賈充が諸葛誕に探りを入れてるからなあ。
諸葛誕は、毋丘倹の反乱を鎮圧した後急に昇進したので位打ちにされると恐れたようだ。
急に領民に施しをしたり、毋丘倹の乱生き残り文欽と接近したりしている。
彼の子孫が後に晋の重臣になっているので、反乱は何かの事故だったと思う。
蜀にもし来たら一度は大将軍になった男だけに人事は複雑だなぁ。
>543
誕 麾 下 數 百 人 , 坐 不 降 見 斬 , 皆 曰 : 「 為 諸 葛 公 死 , 不 恨 . 」とあるので
実際はどうかわからないけど、人望はあったんじゃないかな
>>549 子飼いの部下をぞろぞろ連れてくるのと人材はまた別だよ。
賈充に目を付けられたらもうどうしようもないよ
賈充が探って追い込んで
鍾会が内部分裂と疑心暗鬼でズタボロにする
それが司馬氏コンボ
まあ76-77も、他国から引き抜くなり即刻高位に就けて、次の戦争じゃ大将に
させる様なゲーム的な発想で語ってるんじゃどうにもならんわ。
>>538>>541>>545の様な考察にいたる思考は持ち合わせていない様だし、
社会や組織に疎い世間知らずなんだとしたらわからんでもないけど。
ついでながら俺は
>>510の後者に一票かな。
単純に考えて、敵対国家から来た新参者をいきなり指揮官にしても
誰も従わないわな。
さらに、兵士や将の知り合いや親兄弟の仇である可能性も高いし。
例え諸葛誕が蜀に降り、
>>76-77の考えているようにすぐさま指揮官として用いる事が出来たとしても、
彼の軍事的才能を考えると状況はさして改善されないだろう。
諸葛誕は、毋丘倹の反乱では敵の連絡線を遮断する功を挙げたが、
鍾会らの作戦計画に沿って手薄だった場所へ機動したに過ぎず、
東興の役では諸葛恪らに大いに敗れ、自身の反乱では戦いの主導権を握ろうとせず、
敵の包囲が完成するのを黙ってみていた。
大軍を率いたという経験はあっても、指揮官としての能力には疑問符がつく。
軍事の面では期待できないか。
仕えさせても道案内ぐらいにしかならないな。
諸葛誕の出身は瑯邪国だし、地方官としても豫州と揚州しか赴任経験は無い。
雍州の地理も、雍州方面軍の内情に関してもよくは知らなかっただろうから、
道案内としても不適当でしょう。
軍事的才能のみで考えるならば、当代の人物であれば、
郭淮、陳泰、ケ艾、王基、王昶、鍾会といった人物程の能力を有して欲しい。
諸葛タソは粗雑で行き当たりばったりな所が福島正則と似ている。
曹叡に「無能」という理由で一旦クビにされた後、司馬氏が実権を握る前後に復職。
司馬氏の走狗として働くが、気付けば自分の立場が危うくなっていたと。
思慮と実績に欠け、他の諸葛姓の人物と同じカテには入らない。
たぶん蜀の平均的人材より劣る人物。
でも
>>76-77なら「反省して頑張るでしょ」とか言うだろうか…
>>558 いくらなんでも蜀の平均以下っていうのはちょっと言いすぎだろ
総じて魏呉蜀それぞれの諸葛氏に能力的にそれほど差異は無いだろう
ただ、国の大きさに比して役割が妥当なところに落ち着いたというだけ
魏にあっては諸葛誕が大将軍なのは極めて妥当
司馬一族に反抗できた諸葛誕が無能とは思えないけどね。
>>421 オソレスなんだが
>ホウヨウ・劉エン、フウシュウ 李厳
ホウヨウは仕事ができたのは間違いないし、尻拭いをしたのは劉備と馬超。
つか孔明が追い落としたというか、誹謗したんじゃないのかあれ。彼に非がないとは言わんが。
劉炎?もこれといった失敗はしてないと思うけど。
李厳に至っては、能力には疑問はないし実績もある、後方支援にまわしたのは、孔明じゃないかと。
そのうえ失敗したのも、李厳の責任とはいえないと思うのだが。
フウ習は問題だな、これは同意、
>長安奇襲作戦の希望的観測の多さと、
そんぐらいの賭けしないと駄目かと思われ。
前例の韓信の北伐にしても、間道通って、奇襲して地盤をつくったわけで、
トウガイの蜀征伐もそう。失敗する確率は非常に高かった。
(実際そういう作戦とって失敗した例も多いしな)
けど、正面からいっても、非常に厳しいんだから、そういう冒険は必要だと思われ。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/24(月) 13:06:04
>>563 何度も面倒臭い事言わすな
李厳が更迭されたのは失敗のせいじゃなくて失敗を嘘で誤魔化そうとしたから
そこにトーガイを入れるのは違う
ぶっちゃけていえばトーガイが無茶奇襲しなくても
魏は優位だったし、失敗しても次がある
好条件の中の賭けと失敗すると国単位でダメージがある乾坤一擲は違う
陸抗を蜀に迎え入れればよかったのに
蜀に下ったのが人生最大の失敗
あなるが狭かったのも欠点だな
姜維>孔明
ケ艾>司馬懿
>563
劉淡の場合、魏延と口論して困るんで、官位はそのままで成都に召還。
諸葛亮がやったのはここまで。
後は、劉淡の妻絡みで、劉禅が処刑。
劉淡の個人的問題だな。
まぁ、居ても居なくても、どーでもいいような人だが。
劉封とかももったいなかったよな。生き延びてたら
そこそこ使えてたと思う。
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 00:34:14
ヒント 跡継ぎ争い
>>563 ホウヨウや李厳は能力よりも、人物が問題。
ホウヨウは思い上がりによる行動、そしてそれを諸葛亮が劉備に指摘したからであって、
尻拭いをしたのは諸葛亮でしょう。
また李厳は単に失敗したと言うより、後事を託すには野心や功名心が強すぎる人物で、
自分が失敗すれば諸葛亮に責任を擦り付けようとしたり、諸葛亮はその対応に苦慮した。
賭けなんてレベルの話じゃないからね魏延案は、単なる無謀。
韓信の奇襲は敵の長安での失政と、項羽が楚を本拠地としていたという下地があったけど、
魏ではその要素は無い、成功率の無い冒険なんてただの自殺行為だよ。
>573
ちょっとそれについて言いたいんだけども、陳寿の記述のみを参考にした場合、
長安を奇襲すると言う案ではない可能性はないかね?
俺中国語読めるわけじゃないから、知ってる漢字が集まってるとこしかわからんけども、
少なくとも陳寿の記述に長安の文字はないわけだから、
ハイショーシの記述を鵜呑みにするのはどうかと思うんだよね
それとも誰か別の伝にそう言う記述があるの?
以下俺が訳文を知りたい箇所
延 毎 隨 亮 出 , 輒 欲 請 兵 萬 人 , 與 亮 異 道 會 于 潼 關 , 如 韓 信 故 事 ,
しまった、韓信の故事が長安奇襲なんだな、すまん>573
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 01:46:23
「延が亮とともに出征するたびに、
韓信の故事に倣って万人の兵を借りて
別働部隊として進撃し、
亮と潼關で合流することを必ず要望した」
漢文はもう5年も触れていないが、
この訳で合ってるはず。
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 01:51:48
延毎隨亮出,輒欲請兵萬人,與亮異道會于潼關,如韓信故事,
魏延は諸葛亮の出師に随行する毎に、輒精兵万人を請い、諸葛亮と異なる道で潼関に行こうと欲した
韓信の故事の如くにである
>576 >577
お二方ともすげーわかりやすい訳文をどうもありがとう!
うーん、やっぱり「長安に行く」とは言ってないよなぁ……
ハイショーシは何をもってあの注釈になったんだろうか
やっぱり韓信の故事かなぁ、でもこの引き合いの出し方だと
別働隊を率いて、と言うのに対して故事を出してるように思えるなぁ……
維持出来ないにせよ、一時的に長安を得るというのは理に適ってる作戦ではある
後の桓温や劉裕のように政権内において絶大な支持を得られ、士気は多いに向上するだろう
無事に帰ってくれば
筑紫哲也がカクワイらと共同して挟み撃ちにするから無理
素朴な疑問なんだけど。
姜維って小説やゲームだと大抵イケメンなのはなんで?
実際に正史の姜維伝には、容貌の供述って無いんでしょ?
趙雲や周瑜なんかは、それなりに記録があるらしいけど。
このスレでも語られてたけど、姜維と魏延って似てると思うのね。
戦馬鹿っぽいところとか、政治力に難有りなところとか。
でも姜維が魏延的容貌で、魏延が姜維的容貌ってことはまず無いじゃん?
この二人のイメージが真逆の媒体があったら、是非お目にかかりたい。
>578
潼関で落ち合う、って事は長安を落とさなきゃ無理でしょ。
潼関は長安より東方になるわけだから。
マ狂氏は正史を読む人みたいだから地図も見ればいいのに。
>>581 姜維と魏延が似てたら諸葛亮死後対立しないと思うが。
だいたい姜維は政治をする立場にはなかったでしょう。軍を統括してただけなんだから。
政治は費[示韋]とかがダメだったんだよ。
>>584 似てたら対立しないって理屈がよく分からない。
費イの政治がダメってのもよく分からない。
>>584 軍人としての風は似ていても年齢も立場も違う両者。
諸葛亮にしてみれば御しやすさは雲泥の差でしょう。
それに姜維は衛将軍録尚書事、大将軍録尚書事だったんだよ。
思いっきり政治する立場でしょう。
ちゃんとやったかどうかは別として。
>>581 三国志演義においては、孔明の策を見破り趙雲と互角に渡り合うという華々しいデビューを遂げ、
エピローグ的扱いとは言え、孔明の弟子として物語の最後の主人公として振舞うわけだから、
容貌にしても相応のものにしなきゃならないって事じゃないか。
ま、実際の曹操が
小男、浅黒、醜顔の上に魏延に前歯折られてるのに格好良く描かれてるけどな。
>>585 姜維は投降者で立場弱いんだから自分と同じ考えの奴居たら
対立せんだろう。
>>589 立場が弱かったら、尚更魏延にはつかないだろ。
姜維が魏延に付いたところで楊儀や費イを除く事なんて出来やしないし、
魏延と共に凋落の一途を辿るだけだ。
>582
そうすると、別働隊の魏延の兵力が相当多くないと、
例え長安を落とせたとしても落としたばかりの長安を放っておいて
潼関を攻めるのか?と言う疑問が出て来るよね(まぁすぐ諸葛が来るんだろうけど)
で、長安で合流するなら『長安で落ち合い、潼関を攻めよう』になると思うし
それで1つの仮説として、子午谷は関中盆地の長安より東に繋がっており
長安はスルーできるのではないか、と考えてみたんだ
まぁ素人の考えだけどね
>583
地図はあるにはあるんだが……潼関がないw
おいおいこれ明らかにミスだろぉーと思う歴史群像の地図
場所わかんねーのかな?
>587
でもあれだよね、最後の方では60過ぎたお爺さんなんだから
黄忠みたいな感じでもよくね?
>歴史群像の地図
まぁそういった類の本ってのは得てして主戦場とかしか載せてないし。
>>591 そうそう、姜維はむしろ壮年以降に活躍してるはずだよな。
正史中の姜維ってさ、実は演義よりもどの小説よりもカッコイイと思う。
姜維の野心や焦りがすごく伝わってくる。
郤正の論文や、孫盛の論への裴松之の意見もグッとくる。
姜維が死んだ時点で、三国志は終わったんだよなと感じる。
>>591 歴史群像シリーズって2冊か3冊あって、でかい地図が付録にあったような。
あと、馬超を調べれば潼関の位置は特定できるでしょう。
>591
そこで「魏略」の記述が生きるのさ。
魏略の信頼性は高くないけど、この件に関しては正史の記述と符合する、と。
魏略の記述の様な構想であったのではないかな。
つまり、魏延案は、長安の軍勢は自分が奇襲すれば逃げる。
逃げた軍勢の兵糧で、魏延軍は食いつなぎ、潼関で魏の援軍に備える。
その間に諸葛亮率いる主力部隊も(斜谷道経由で)潼関で魏延軍と合流する。
長安の治安は主力軍の一部が行う。
長安をスルーした場合、長安駐留軍をどうするのかが問題になるし、魏延軍の兵站も問題になる。
諸葛亮の主力軍との合流も果たせないだろう。
長安を無視すれば魏延軍は、孤軍になり、かなり危険。
ちなみに潼関はイ水と黄河の合流点辺り。距離にすれば、長安〜陳倉くらいはある。
まぁ、地図を見れば分かるが、子午道経由で潼関に出る場合、長安は魏延軍の連絡線を圧迫しうる位置にあり、
長安に十分な戦力が配置されていた場合、魏延軍の戦略的側面は大きな脅威を受ける。
長安を落とすか封鎖しなければ、魏延が東へ進むのはまず無理だろう。
>>588 曹操が格好よく描かれてるのは三国志演義じゃなくて吉川三国志じゃないか?
>>565>>573 つか俺にはホウヨウの件は政争に見えるんだが、
確か、法正と仲がよかったと、なにかで見た覚えがあるし。
彼が不満に思ったのも、誹謗され左遷されてからだしね。
>長安奇襲
で、本題。
確かにいくつもの偶然か、敵の失敗を期待しないと駄目な作戦ではあるが、
幸い初期の敵の長安守備の司令官は、あの夏侯楙だし、馬鹿な失策をしてしまう可能性はある。
それに平時では長安に駐留している兵は、決して多くないだろうから、逃げ出さなくても、
落とせるかもしれない。
それにもし速めに気づかれ兵を集結されれば、そのまま帰ってくればよい。
それに失敗しても、失うのは、最悪魏延と一万程度の兵。
姜維などが行った、漢中におびき寄せて敵を叩くという、蜀そのものを危険にさらすものでないしね。
その後も魏が奇襲を警戒して、長安に大軍を常に駐留させれば儲けものだ。
正面からぶつかっても、その分(長安奇襲を警戒して)前線は楽になる。
長安に常時大軍を駐留させていれば、魏の財政を圧迫できる。
これは酷い
長安奇襲はさみんな涼州人の格好して隠れていけば成功したんじゃないかな?
>593
やっぱり軍人らしい軍人だよね、最後まで蜀将だったし
>姜維が死んだ時点で、三国志は終わったんだよなと感じる。
呉スキーには悪いけど完全同意、止めてた息を吐き出す感じに似てる
例えがよくわからんね、すまん
>595
その、何て言うんだろ、いくら夏侯楙がヘタレでも
何もかも残したまま逃げ出す事はないんじゃないかなって思う
それに魏略では逃げ出して長安が空になるのではなく、
指揮すべき人物がいなくなり陥とすのは容易いと書いてる(確か)って事は、
それ相応に戦闘もあるだろうし、長安を陥とせても潼関に向かえる兵力じゃなくなってる可能性もある
潼関を直接奇襲する場合、おそらく同時進行で諸葛亮も侵攻してるのに、
夏侯楙が魏延討伐に向くと言うのは同時に長安を手薄にするわけだから
難しい気がするのよね
>596
1次北伐においては長安には十分な戦力が配置されていたとは言い難いよね
上記の案に対し2方面を相手にした場合、その脅威は更に小さくなるし
だから1次北伐が最初で最後のチャンスだったんだと思う
あと兵站は携帯食料でしのぎ、蜀本軍が長安を包囲した時点で3郡が寝返り、
ある程度通るようになると思うんだが
>598,602
諸葛亮が漢中に出張った段階で、明帝・曹叡が征討に行く、と言い出してるが、孫資らの進言で防御に回ってる。
それで、曹真が派遣されてるわけで、決して長安方面が不備だった訳じゃぁないし、油断もして無い。ただ、隴西に攻め込まれるとは思ってなかっただけ。
つまり、蜀漢の侵攻以前に、長安方面の司令官は夏侯楙から曹真に替わってた可能性が高い。
実際、趙雲が陽動で、其谷に出た時、即座に曹真が対応している。
魏延軍1万は精鋭であり、動員出来る兵力が10万人程度の蜀漢からすると、全兵力の1割で、しかも精鋭を捨て駒にするのは人的資源の欠しい国情から選択出来ないだろう。
また、長安周辺(関中盆地)であれば、兵站も容易であって、大軍の駐留も魏にとってそんなに負担にはならない。
隴山を越す戦役だと、相当苦労したようだが。
実際、隴西の戦いでは兵站の問題から蜀漢軍と同じ程度の兵力しか動員してないが、五丈原の役では蜀漢軍の2倍から3倍の兵力を苦も無く動員している。
まぁ、既出なんだがね。
魏延の長安奇襲案については、やはり人によって評価は別れるね。
いずれにしろ姜維の
「漢中の防衛ラインを下げて敵をおびき寄せて叩く」
よりは数段上策だと思うけどね。
>>598さんも言ってるね。
>>602さん
呉も好きだけど、その感じわかる気がしますよ。
欠点も多いけど、姜維はやはり三国志最後の漢だと思う。
もしも魏延の長安急襲作戦が採用されていたら、姜維はどのように歴史にからんできただろうか?
姜維の行った防衛戦略の転換は、それを非難する声ばかりが挙がるが、
実際そこまで叩かれるものでもないと思うよ。攻勢防御としては至極妥当かと。
戦力と物資を集結させる漢城と楽城は、敵が漢中を突破する場合、戦略的な側面に存在し、
その連絡線を掣肘する事が可能な位置にある。
また、敵はその連絡線中に、極めて通行困難な地形を含む事になるので、
上記の、戦力を集結した拠点の効果と相まって、その補給を強く圧迫する事が可能。
また、恐らく姜維が率いるであろう野戦軍が、敵主力に対する遅滞行動や連絡線の遮断を行う事で、
案外早く敵軍を撤退に追い込むことが出来たかもしれない。
撤退となった場合、敵としては狭い峡谷という脆弱な退却線しか持たないために、
激烈な追撃と退路の遮断によって殲滅されてしまう可能性もある。
ただ、防衛線を剣閣まで後退させてしまうと、そこまで大規模な追撃は難しくなるだろうけど。
いずれにしても、あの戦略は構想通りに行われる事が無かったのだから、
蜀平定戦の一戦を以って評価するのは早計だろうね。
諸葛亮死んだ時魏延に魏に偽の投降させて大打撃を与えるとかそんな策が取れたらよかったのにな。
個人的には、
〜孔明(含む魏延)死亡まで…三国志
〜姜維(鍾会・トウ艾)死亡まで…三国後志
で、それ以後…晋史
という気がしてます。
羊[示古]・陸抗や杜預も立派だけど、彼らを三国志に入れるのは
何か違うような気が…ね。
>604
魏延案と姜維の防衛戦略変更は比較できるもんじゃない。
魏延のは、北伐と言う大きな戦略の中の選択肢の一つで、姜維のは安全保障政策の大変更とでも言うべきもの。
どっちが上とかでなく、全く別質のもの。
姜維の場合、蜀漢滅亡の際、本来陽安関に居るべき主力が留守だった、って部分が大きく、姜維自身が自ら策定した防衛戦略を破綻させてしまった、ってのが大きい。
>>606氏のおっしゃる通り、蜀漢滅亡を事例に取って判断は出来ないかな。
>>606>>609 勿論、魏延の長安奇襲と姜維の防衛戦変更の内容そのものは別種だと思うよ。
別にこの二つをいちどきに並べて甲乙つけたわけじゃない。
あの蜀でそこまでの「攻勢防御」は不要だったんじゃないかと思う立場から、
魏延案はちょっとくらいはアリだったんじゃないかという意見を述べただけ。
蜀漢滅亡をもって姜維の戦略をすべて否定するのは反対というのにも同意です。
まあ、姜維の場合、下手にキャラ付けするよりも、正史から読み取れるそのままの姿、
権力に執着せず、富貴も追い求めず、ただただ軍人としての栄光を、名声をのみ追い続ける姿の方が、
数段かっこいいだろうな。
姜維をそんな風に描いた作品は見た事が無いけどな
つか、そもそも防衛用の兵力まで、北伐につぎ込んでいるんだから、
彼は弁護できんよ。
俺には、魏と戦っている、そして勝ったという得点を得るため、
そしてそれをもって宮中への発言力を得ようとしたようにしかみえん。
がっちり守っていれば、基本的に無難な戦略しか選ばない魏は攻めてこない。
それでは、意味がないと判断したのではなかろうか。
>>603 その孔明が実際にとった戦術なら、たしかに五分の戦いはできるし、
負けても退却が容易で被害は少ない。それは俺にもわかっている。
魏にとっても遠方で、価値が低いからな。
だが、勝ってもなにも得るものはないぞ。
どこまでいっても戦術レベルでの一勝に過ぎない。
魏の国力からすれば、ダメージにはならん。
>魏延軍1万は精鋭であり、動員出来る兵力が10万人程度の蜀漢からすると
姜維が北伐しまくって、内政がぼろぼろになって、降伏したときで、10万だから、
当時はもうちっといたと思うけど、ま、北伐に投入できる兵力ならそんなもんかな。
そして魏延が失敗したら、それこそ引篭もっていればいいんじゃね?
逆に攻めてきても、輸送の困難さなどから、篭っていれば、
曹操が退却に追い込まれたのと同じ結果になる。
姜維が防衛用の戦力を北伐に転用した、というのはまことしやかに言われているが、
実際それを決定付けるような記述は無いと思うんだがな。
蜀平定戦に際し、漢、楽合わせて1万の兵力しかいなかった事を根拠としているようだが、
華陽国志柳隠伝によれば、漢中守備隊の全戦力を二城に集結したわけではなく、
黄金囲を始めとした各防御陣地にも兵が駐留してた事が窺えるし、
姜維は防衛戦略の転換に伴って隴西方面に7箇所の防御陣地を築いてもいる。
また、王平の時の3万という数字が、関城の守備隊も含んでいたのかどうかも不明だし。
3万が関城の守備隊まで含んでいたとしたら、蜀平定の時も漢城楽城、隴西及び秦嶺の防御陣地、
そして関城の戦力まで全て含めれば、そこまで削られたとも思えない。
>>611 賛否はあれ、そのままで充分カッコイイのにな。
なんで蝶とか華武者ってイメージになったのか本当に不思議だ。
せめて趙雲ライン辺りで留まってれば、いまごろ無双世界も違ってたろうな。
>>614 日本における姜維の美青年ぶりは、吉川英治の影響じゃないかな?
>>615 やはりそうだろうな。
無双の姜維19歳かつあの見た目っていうのも吉川氏の影響だよね。
氏は平話や演義を基に書いたらしいが。
最後の英雄、生まれてくるのが遅過ぎたってことで、
本国でも万年青年みたいなイメージが固まっていったのかな。
姜維が蜀に降ったときには既に二十七くらいだったよね?
孔明が劉備に出仕したのも二十七って聞いて、へえと思った。
人生いろいろ決め時だったのかなあとか。
故郷の母親や妻子は、はたして天寿をまっとうできたのだろうか。
成都の反乱後に殺された妻や子って、まさか魏に残してきた方じゃないよね。
何十年も見捨てられた上に、いきなり処刑じゃ気の毒すぎる。
>>617 姜維の降伏も、諸葛亮の出仕も、共に27歳の時だな。
奇しくも同じ年齢で人生の転換期を迎えたというのは、偶然とは言え、
何か運命めいたものも感じる。
その点を考えても、吉川氏が何故姜維が降った時の年齢を19歳にしたのか理解に苦しむ。
>>615-616 本場中国の演義が題材の演劇や芝居なんかでも姜維は美青年。
というか、二千年近く語られてきた物語の登場人物のイメージがわずか数十年前の
作家で変わるのは難しいだろ。
それが吉川英治が始めて日本に三国志演義をもちこんだってなら話は別だけど。
横山光輝の趙雲だって、一度三国志を読んだり、演劇なんか見たりした人にとっては
違和感ありまくりだろうし。
大体の登場人物のイメージなんかすでに何百年も前から変わってないよ
>>618 演義の方ではどうなんだっけ?
弱冠二十歳にも満たないって扱いじゃなかったっけ?
うろ覚えだ。
>>619 趙雲は本国でもイケメンっぽいね。
四川出身の中国人と知り合う機会があったんだけど
互いに貧しい語彙の英語で語り合ったところ、とにかく趙雲ハンサムで一致。
向こうは周瑜よりハンサムって言い張ってたよ。
姜維のことも話題にしてみたかったんだけど、何となく言いそびれた。
>612
既出だが、隴西を完全に押さえれば涼州の奪取も容易になるか、少なくとも無力化が可能だ。
そう言った状況を作り出せれば、魏は自国・自領防衛なのに「遠征」するハメになる。魏にとって隴山越えは負担が大きいのは史実が証明してる。
つまり、魏にとってけっして価値が低い地域では無いって事。価値が低ければ、武都・陰平の様に放棄してるだろう。
その遠征軍に蜀漢側が勝てるor守りきれるかは別問題だけどね。ただ、一般的に防御の方が有利だろう。
あと、蜀漢の兵力は10万動員と書いたけど、北伐に動員したのは6,7万だと思うよ。そんでも姜維時代よか多いと思うけど。
根こそぎ動員かけた五丈原では10万くらい連れてったかもしれんけど。
遠征軍6,7万の中の1万捨石ってのは・・・・。
>>そして魏延が失敗したら、それこそ引篭もっていればいいんじゃね?
魏延軍だけ派遣するならね。まぁ、上記から捨石はどうかと思うが。
魏延案の場合、主力の諸葛亮軍も連携して動く訳で、魏延軍の成否が判明してから動いてるんじゃ、遅い様な気がするが。
って言うか、成功の可能性は極少だとは思うけどね。
なんだかんだいって名将ケ艾を倒したのは
姜維の策なんだよな。
>>624 どうせ鍾会をそそのかしてケ艾を逮捕したとかいうのじゃないか?
>>621 なんかの本で中華では趙雲=老将ってイメージがあるって読んだけど
そうでもないみたいだね
俺には
>>612の言う「どこまでいっても戦術レベルの一勝」が何なのか見当も付かない。
そもそも戦術と戦略は不可分なものであって、戦術レベルで行われた闘争の成果が、
場合によっては戦略に著しく影響を与える事もある。
戦略レベルで見れば、戦術の行われる空間と時間は、点であり一瞬でしかないが、
直接的なアプローチによる闘争の極限が会戦にある以上、それによって大きな戦果がもたらされれば、
それ自体が戦略的な意義を持つ。
例え魏でも、数万もの戦力の野戦軍を失えば、その回復には大きな時間が掛かるだろうし、
国力に影響を与えないというのはありえない事だろう。
隴西を戦場にした場合の戦果が、常に戦術レベルでおさまるとは限らないと思うが。
>>627 確かに俺も↓を否定するつもりはない。
歴史上には、小勢は辺境で圧勝しただけ結果によって、その後の歴史が変わった例もあるしな。
>戦術レベルで行われた闘争の成果が、 場合によっては戦略に著しく影響を与える事もある。
だが、基本的に安全策の魏が、数万の野戦軍を失う賭けをするなど、まずありえない。
基本的に小競り合いをして、あとは引きこもって、蜀に限界がくるのを待つ、
という基本戦術で対処できる、つかしているしな。
用意されたスタジアムに通って、一ラウンドスパーをするだけ。
魏にとっても失ってもそれほど痛くないし、兵をおくるのも困難だから、
魏にとっては賭けをしたくなるほどではないんだよ。
大兵力を投入して大会戦という形には決してならない。
だから戦術レベルで収まってしまうわけ。
なので蜀としては大会戦をせざるをえない状況にもっていく
つまり長安の近くか、長安そのものを奇襲しないと、
状況はいつまでたっても辺境で小競り合いをするだけになってしまう。
そして野戦軍数万を潰し、隴西を併呑したとしても、
蜀の軍が永久に駐留できるわけじゃないんだから、
蜀軍の留守を狙って、魏が出撃してくれば、また失うだけかと。
維持できたとしても、今度はそこからの長安攻略がある。
長安を直接狙うより、補給は楽かもしれんが、そのぶん遠回りで、補給線は長い。
そしてホームグラウンドで万全の状態でまちかまえる魏軍。いくらなんでも分が悪い。
正攻法でやりあうだけでは、国力に差がありすぎると、不利だと思われ。
勿論西域を完全に併呑できれば話は別なんだがなあ。
むこうからなら、けっこう楽みたいなんだよね、馬超もおとしているし。
だが漢中からじゃ、劉エンが李確にけちらされたみたいに終わるかと思われ。
>>625 そのとおりなんじゃないの?
姜維が鍾会と組んだからケ艾は死んだわけだし。
>628
第一次北伐の際、隴西3郡が蜀漢に押さえられ、隴西・涼州が危うくなると、張コウ指揮下5万を派遣してるが。
これは防衛というよか、早急に蜀漢軍を撃破するためだと思うけど。
蜀漢側が主導権を握れたような場合では、魏側が会戦を求めざる得ないような状況に追い込まれる事もあるだろうし、諸葛亮の狙いもその辺りだろう。
その勝敗は別の問題(街亭の様に)ではあるが、蜀漢側に主導権がある状況下であれば、蜀漢側が優位な状況である可能性は高い。
隴西へ進行すれば、絶望的な国力差ながら五分か状況によっては、それ以上の戦いが出来る。
そして、隴西を確保し、周辺異民族を提携出来れば関中盆地を脅かす事が出来る。
その結果、魏の関中盆地の統治が弱体化すれば、長安の奪取も可能になるかもしれない。
だが、直接的に長安方面へ進出を図れば、魏軍の圧力を国力の差のまま受ける事になる。
これを打ち破るのは容易でない(っていうか現実的でない)し、一時的に押し返したとしても、動員が容易な魏はさらなる圧力で反攻に出るだろう。
この時、蜀漢側に対抗出来る力が残っているだろか?
リデル・ハート曰く「直接的に会戦を求め、それに勝利しても、(敵の)連絡線沿いに敵を押し返すだけで、押し返された敵は雪だるまの如く大きくなって帰ってくる」と言うのがある。
ちなみに
>>627氏のレスは
>>隴西を戦場にした場合の戦果が、常に戦術レベルでおさまるとは限らないと思うが。
の部分であって、
>>歴史上には、小勢は辺境で圧勝しただけ結果によって、その後の歴史が変わった例もあるしな。
↑こう言う事を言ってるのでは無いと思うよ。
>>629 結果的にはそうかもしれないけど、「策」でも無いような気が。
姜維って本当に自ら蜀復興を謀って鍾会と組んだのかな。
降将として何となく鍾会に付き従っていただけっていう気がする時もある。
蜀が隴西を維持しつづけるとしても、隴西の生産力でどれだけの兵を維持できる?
漢中から常に輸送じゃ国力に影響与えそうだし、
主力を漢中において魏に攻められたときだけ隴西に兵を出すとしても大変そうだ…
もっとも馬超の例があるから隴西・涼州周辺異民族を合わせれば、益州に頼らなくても
そこそこ魏と戦えそうだが。
隴西ならば異民族との連携が取りやすいんじゃない?
>632
隴西の生産力が不明だからなんとも言えないね。
ただ、漢中を例にとると、劉備が平定した頃は曹操の移民政策もあり、生産力はほとんど無いような状況。
で、漢中と益州本国の輸送路も秦嶺並に険しい。
だが、漢中には常に3万前後の兵力が駐留していた訳だけど、漢中駐留軍は蜀漢滅亡まで維持できた。
まぁ、ある程度開発はしたろうが。
これはどう言うことかと言うと、安全な兵站集積地を築ければ、ある程度の軍の長期駐留は可能だ、って事。
隴西は漢中よりは生産力も期待できるしね。
>>628 蜀軍への対処として数万の戦力を派遣している以上、その多くを失う可能性はある。
例えば、魏軍の予想を上回る速度で接敵を行えば、不期遭遇戦に突入する可能性もあり、
魏軍が設堡陣地によって動かなかったとしても、蜀軍がそれを迂回して魏の連絡線に迫れば、
魏側も何らかの機動を行わざるを得なくなる。
少なくとも、魏軍が峡谷の出口を固めるだけで対処できる秦嶺越えの作戦よりは、
蜀軍は状況に応じて何らかの対応が可能だろう。
また、長安付近を奇襲すれば決戦に持ち込める可能性がある、と言うが、
>>603氏の指摘の通り、孫資別伝によれば諸葛亮の南鄭入りの時点で、
魏は蜀を警戒し始めている。
そのような状況では奇襲など成功しようもないし、峡谷の出口を固められた蜀軍は、
被害を惜しまず敵軍の強固な陣地正面を攻撃する他無くなる。
つまり、秦嶺越え作戦の方が、魏としては容易に決戦を回避できると言えるのではないか?
大方のことは
>>630氏が言ってくれているので、言及はしない。
実際に一部の住民を連れ帰ったろ?
姜維って、意外に2chで人気だよね。
>>638 凡百の人物よりは人気あると思うが、蜀で言えば諸葛亮とか関羽とか、
高い人気を誇るような人物と比べるとそうでもないと思う。
>>639 関羽はアンチも多い。
相殺すればかなり落ちると思う。
>>639>>640 世間一般に比べれば三戦板の姜維ってすごい注目度だと思うんだよね。
魏のいわゆる五将軍とか、呉の都監レベルの奴等よりも目に付くしさ。
それとも自分が過小評価しすぎなのか?世の中で姜維ってそんなに有名なのか?
各種小説でもゲームでもボーナストラックっていうイメージが強いんだが。
姜維ファンの人が気を悪くしたらごめん。自分も姜維は好きだけどさ。
642 :
641:2006/05/03(水) 02:11:47
「都監」→「都督」
ごめんなさい。。
蜀後期で語ることは姜維ぐらいしかないという事情もある
姜維は死ぬ直前まで蜀の復興考えてたと思うけどな。
大体鍾会とケ艾死んだのなら劉禅にそのきさえあれば直ぐに降伏撤回できてたでしょ。
ケ艾死んだとき劉禅まだ蜀にいたんでしょ?
>644
鐘会&ケ艾が死んでも、その指揮下の将校や兵士が10万単位で居るんだよ。
その上、漢中には、ぞくぞくと(鐘会の叛乱へ対処するため)増援軍が送り込まれてる。
降伏撤回なんぞしたら、身の破滅だな。
姜維は軍事に関してはやはり一流だったと思う。
だからこそ最期の成都での反乱が能動的なものだったのかどうか疑問。
まずトウガイや将校達を倒し、鍾会も最後には切り捨て・・・とは言うが。
それで、はたして本当に残された魏兵達が姜維の下で統制とれるのか?
呉ほどじゃないにしても、この時代の兵は各将に属するようにも思うのだが。
下手をしたら劉禅の身だって危い。なのに、そんな賭けに出るだろうか。
すでに姜維だって、それなりに名も通った人物に成っていたんだし、
大人しく降伏していれば、司馬政権下でそれなりの待遇も得られたろうに。
647 :
646:2006/05/03(水) 07:09:15
>>646 だからこその姜維か、と思い直した。
自己レスすまん。
姜維には北伐など成功しないと分かっていただろう。
孔明ですら成功しなかったことが、姜維にはできるはずが無い。
ただ、孔明の意思に従いたかっただけだろう。
>>645 あの時代、大将が死んだら兵はおとなしくなるものじゃないかな。
>蜀後期で語ることは姜維ぐらいしかない
そんなわけない
夏侯覇を忘れては困る。
父の夏侯淵は魏の武帝(曹操)の従兄弟、
彼の姪が蜀漢の張飛の妻、その娘が蜀漢皇帝、劉禅の后。
すごい位置にいる人物なのだ!!
内政の孔明はずば抜けてたけど
事北伐に関しては姜維のほうが優れてたんじゃなかろうか。
>>651 まぁ、個人の縁としてはすごいけど
呉・蜀で兄弟ともに重鎮となり
後に親族が魏でも出世した諸葛家がいるからな
あれはどうみても異常
諸葛誕のほうが直系に近くないかい?
>>649 将校・兵士の故郷は北国であって、その指揮官が死んだからと言って蜀漢政府復興を認めないだろうし、従わないだろう。
鐘会・ケ艾が死んだとしても、その上位者である司馬氏が健在な以上、兵士達の魏への求心力は変わらない。
>652
北伐と言う行為が一戦闘に限られず、蜀漢の政治の範疇に入る以上、政治と軍事は分けられるもので無い訳で、政治に感心を持たなかったって点で諸葛亮より劣る。
確かに、一軍の指揮官としてなら姜維の方が遥かに諸葛亮より優れていたかもしれないが、北伐の総帥と言う最高司令官としては劣るだろうね。
孔明独裁状態よりも、ショウエンorヒイ&キョウイの時のが蜀は強かったのでは?
>657
蔣琬or費禕&姜維時代には、大規模な戦役を起こしてないでしょ。
蔣琬の川下りは中止だし、費禕時代はせいぜい1万ほど。
>>強かったのでは?
って部分の根拠を聞きたい。
「強い」が具体的に何を示してるのかわからんよ。
なんだかんだ言って、みんな姜維のこと好きだね。
能力値スレなんかで、姜維をやたら低い能力値にしたがる奴をよく見るし、
姜維嫌いも結構いそうだけどな。
姜維は逝っちゃってる軍人系だと個人的には思うんだが。
意外にアイドルというか女から人気があって驚く。無双の影響だろうけど。
マジレスすると、曹仁くらいの能力だと思う
攻めの曹仁は想像できない。
守れる姜維も想像できん。
おいおい守りの姜維普通に強かったじゃん
そうだったね。剣閣で頑張ったよね。
やっぱり姜維ってカッコイイよ。
当時の一般人にとっては迷惑この上なかった奴。
守りでは陸遜以上だと思うよ。超一流。
攻めでも同世代の中では一二を争うと思う。
あの時代、姜維とケ艾がずば抜けていた。
姜維はバックアップする連中が無能だったのが可愛そう。
ケ艾はバックに司馬一族とか有能なのが揃ってたからな。
守り最強は陸抗だろ
>>670 姜維とケ艾も凄いが、陳泰とか郭淮とか鍾会から隔絶した才能とは思えんけどな。
呉にもまだ陸坑らが居たし。
杜預も居る
国家として死に体の道を歩き始めてる呉蜀に比べて
これからが全盛期の晋将の方が人材が充実してるのは当たり前ともいえるけど
羊祜もね
戦略面ではかなり恐ろしい
戦術面ではケ艾が最強だろう。
姜維は他の連中は倒せたが彼には最後まで勝てなかった。
>>675 けどケ艾最期は姜維を避けて諸葛瞻と戦ってるジャン。
姜維を恐れたからでしょ。
避けたとはちと違うだろ
戦わずして勝ってるんだからケ艾の完勝かと
ただ、西陵の陸抗の変態さにはケ艾も及ばないのでは
西陵の陸抗は間違いなく三国一
陸抗は具体的にどんな事したの?
陸抗は数万の兵を率いてたのに高々2000の兵で篭もってる白帝城を抜けなかったからなあ。
半年間包囲して魏の援軍が来たので撤退。
やはり条件によるとしかいいようがない。
ただし陸抗の西涼の件は見事としか言いようがないがな。
西陵で歩闡(歩シツの子)が叛乱を起こしたことが発端で
コレを好機と見た晋軍は西方より徐胤の水軍を、江陵へは羊[示古]の本隊を進軍
さらに楊肇を歩闡の救援軍に向かわせる(合わせて五万、総数で八万とされる)
加えて、呉将の離反が相次いでいたため、
陸抗は圧倒的に少ない兵(三万)を長大な防衛線に分散させて防衛しなければならない
陸抗がネ申なのは、長江流域における防衛ラインの点と線を的確に見抜いて隙を全く与えなかったところにある
さらに二重の防衛包囲網を敷いて、羊[示古]の挑発に見向きもせずに歩闡を屠った為に
晋軍は撤退する羽目になった。これ以上ないってぐらいの呉征伐のチャンスだったのに
西陵陥落=呉滅亡は後年証明されることになるから、陸抗の卓越した戦略眼が伺える
>>680 その頃の指揮官は陸抗じゃないよ
永安城の戦いは羅憲が優れてたいえる。彼は晋将となった後も呉の城を陥落させる功績を挙げてるし
孫の羅尚も五胡十六国の一国である成漢の始祖である李特を討ち取ってる
陸抗と同じ地形を利用した戦巧者と言えるだろう
>>682 最初の派遣軍の司令官ではなかったのはたしかにそう。
しかし陸抗は当時あの辺一帯の軍事総指揮者であり、益州の牧も兼ねていた。
で歩協が苦戦してたので3万の兵を率いて援軍として出かけたが、結局包囲を厚くしただけで半年ほどで撤退してる。
この時に関しては特に見るべき点はないのは変わらない。
まあ陸抗に本気で白帝城を抜く気はなかったとか、西陵の戦いは約10年後でありこの時から成長したのだという見方も出来るかもしれないけどね。
でも西陵の時にケ艾みたくどこかから抜け出してくるようなヤツがいたら、やばかったんじゃね?
ケ艾の間道抜けだって乾坤一擲で毎回毎回お家芸のようにやるわけじゃねぇw
蜀滅亡時の呉軍の侵攻は目的自体がいい加減で適当だから
無理する必要性を感じない品
ケ艾が陸抗の立場でも撤退したろう
ケ艾って元々地形マニアな特技を生かした持久型の戦争するし
思考としては諸葛亮に近い。逆に姜維の方は司馬懿に近い速攻型の思考をしている
>>685 魯粛が何故江陵を劉備に明け渡してまで蜀の手伝いをしたか全く理解してないだろ
ハァ?荊州の防衛ラインは結果的に呉が手に入れてるじゃん
蜀を含む長江上流のラインはそれこそ西陵を封鎖すれば充分なんだよ
むろん、根本的に解決は出来てないけど、呉の防衛戦略としては荊州を手に入れて
防衛ラインを安定させることが必要最低課題な訳
蜀を含まなくても南朝を保つだけなら可能と言うことは後の南北朝時代をみれば判るだろ
西陵の時に陸抗の包囲陣地に向かった楊肇は、兵力も小さく、補給も困難だった。
陸抗もよく防いだとは言え、羊祜の本隊が到着していたら包囲が破られた可能性は高かったろう。
しかしながら、襄陽から直接西陵に向かうと、比較的険阻な地を含んでしまうので、
楊肇がそうであったように、補給の維持が困難になる。
だから羊祜としても、本隊はそのまま南下させて、とにかく江陵周辺を押さえる必要があった。
平坦な道を通って軍を西陵に向ける場合、江陵の存在が晋軍の連絡線を圧迫するからね。
江陵の戦力と防護力を熟知し、徒に軍を動かさず、また公安の戦力を移動させて、
長江を天然の防塞として、陸抗軍の本拠地である楽郷への侵攻を許さなかった。
それによって、晋軍が西陵に直接指向する戦力を大幅に削る事が可能となり勝利に繋がった。
まさに戦略による勝利だと思うよ。
>>687 はぁ…
絶望的に頭悪いな
南北朝時代は兎も角、蜀が滅んでからは
晋は北だけでなく西からも呉に仕掛けられるようになった
西陵の時だって蜀方面からの圧力がなければどんだけ楽だったことか
で?無理して押し通すことが出来るの?蜀滅亡時の呉に
「取りあえず援軍だして、手遅れだったらいくらか掠め取っておこう」程度のやる気で発した軍に?
大体、ただでさえ伸びきってる防衛ラインに蜀を加えて呉は維持できるのかね?
言ったろ?根本的な解決はできてないけど、必要最低課題は満たしてる。ベターな選択だったってことさ
必要最低限は長江流域を抑える事だっつうの
不可能だな。荊州から益州への進軍は劉備でも一年かかったんだ
あの時点で羅憲に快勝した所で、せいぜい巴群を抑えればよいところ
でもその後、最悪のシナリオとして蜀に侵攻してきた魏軍と、蜀の防衛軍を纏めて相手にしなければならない
人さらいして帰るのがせいぜいでしょ?理想としては
泥沼化して軍が釘付けになれば、本国の方に魏が繰り出してくる
長江中域以下で手堅く守ってるのが呉の身の丈なんだよ
このころはまだ江南は開発途中だし。
まともな政治をして、江南を開発して、魏(晋)が八王の乱や侯景の乱クラスの血族による大乱を起きたら乗じて兵を繰り出す
スレ違いだが、コレが呉の理想的展開
東晋の桓温が蜀を落とせたのは華北が混乱して蜀まで目が届かなかったからで、北に大国魏が居る状況で蜀を取るのは無理がある
陸抗と姜維が同時に北伐できてればな。
呉は本当に消極的だったからな。
姜維が積極的に北伐を行ってた時代、呉の軍事を総轄しているのは朱績のはず
陸抗が実質的にその地位に昇るのは270年からだと思うんだが
そもそも呉がそんなことしてたら三国一の早さで滅亡してたな
もっと早い時期で長江の北岸あたりも取れていたら・・
>>690 あの「援軍」は逆
「長年の悲願である益州征服の最初で最後のまともなチャンス。万一蜀が盛り返したら援軍ってことにしよう」
が呉の本心だよ
入口で追い返されたからわかりにくいだけ
>長年の悲願である益州征服
コレを意識してたのって周瑜と孫権ぐらいだったけどな
>>697 言うほどチャンスでもないし(万が一落とせたとしても維持ができない)、
それ程労力を払って大動員をかけた様にも思えないんだが、その「呉の本心」の根拠はどの辺?
取れたら儲け物。
無理はしないが、一応動いておくか!
って、くらいのものだろ。
根拠は?
呉って結局何がやりたかったんだろう?
蜀と魏が戦ってるのを見てるだけじゃ天下とれないだろ。
蜀が魏の領土多少とって魏の国力が弱まったら北伐するきだったのかな?
天子の乱立状態にこそ呉の大義があり
天下統一なんて明確な狙いにない
別の国として認められた状態こそ呉にとってのベターだろ
実際に呉の版図なんて漢の外みたいなもんだし
>>702 呉の北伐回数をしっかり数えてからまたおいで
>>703 呉の行動って戦国楚の行動によくにてるんだよね
どっちつかずで自分の周囲だけ守れればいい的な
呉の北伐は積極的防衛って感じだな
姜維と同時期に行った呉の北征は、諸葛恪による合肥新城の攻囲、
毋丘倹の乱に伴う孫峻の北上、その後の孫峻による徐州方面への出兵の3回だな。
諸葛恪の時は、姜維も諸葛恪に請われて出兵したものの、準備不足で早々に撤退。
諸葛恪も徒に軍をとどめて大敗。
毋丘倹の時は、姜維の出兵とは半年ほどずれている。
徐州方面への出兵の時は、姜維はケ艾にしてやられ段谷で大敗を喫し、
孫峻も早々に引き揚げた上変死する。
国家間の連合による作戦は難しいとは言え、うまく連携したとは言い難いな。
>>702 昔どこかのスレで私的に勘定したことがあったんだが、諸葛亮が全権を握ってから5度北伐する間に呉も
4〜5回程魏に自ら兵を派遣してたよ確か。呉は魏から侵攻を受けることも数度あったんで諸葛亮時代は
大差ない程の戦火は交えてた。(余力は呉の方があるので、姿勢として蜀の方が積極的だったのは疑いないと補足)
姜維時代はむしろ蜀側の方が無理な侵攻で、国力に過剰な負担をかけてたと思う。
呉の北上は領土広げとこうってな感じのもので、天下を覆そうとかまでは考えてない気がする。
蜀のも諸葛亮の3回目以降は涼州の切り取り以上はとりあえずあまり考えてない気がする。
まぁいきなり天下を取れるのはゲームの世界だからな
仮に戦争の大天才が居ても、奪った土地を今度は防衛しなきゃならない訳で
桓温、劉裕、陳慶之、皆洛陽を落としているが維持せずに撤退してる
>>708 国境線が膠着して各々がきっちり防衛線を整えちゃってるから、一気に天下を制するような方策は立て難いのでは(特に呉蜀は)。
随時領土拡張を狙い目前の問題を処理しつつ、敵国が乱れるのを待つのが現実的だと思ったり。
武田信玄が三国志時代にいたら何クラス?
姜維クラス
放火魔が三國志の時代にいたら神。
714 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 02:50:32
孫権と張昭のいざこざは十分放火じゃね?
いやスレの質を落としたくないんでまぁいいや
715 :
バカ劉禅:2006/05/06(土) 06:30:13
でもやっぱり一番のバカは劉禅で決まり!
劉禅も劉禅でたいした男だったのかもしれんな。
姜維を持ち上げるとしたら黄色い人はどうなの?
黄色い人なんかは姜維のこと嫌いだったんだろうけどさ。
劉禅自身は姜維の北伐についてどう思っていたんだろう。
いくらなんでも姜維(軍部・漢中府)>皇帝ってことは無いだろうし、
本当に劉禅が姜維を外そうと思えば、出来ないことは無かったんじゃ?
たとえ沓中に逃げ込んだとしてもさ。
劉禅、意外に姜維スキーだったのかもね。
劉備が諸葛亮を認めていたくらいには。
むじんとこの考察では黄色い人がかなり高評価で姜維の北伐による国力の衰退を一心に食い止めようとしていたことになってるが
実際に衰退しそうだったら劉禅も手をうった希ガス
スキーだったのかねぇ
諸葛亮系の人材が、執政に就くって言う原則を守ったんだと思うよ。
蔣琬・費禕は諸葛亮の遺言。
費禕が急死したんで、次席の姜維が暫定的に浮上。
洮西の大勝利で大将軍に。
姜維も諸葛亮の幕府出だし。
良い意味では執政を信頼し続けた君主と言えるが、悪い意味では、執政を変更する見識は無かったとも言える。
好き嫌いでなく、一度決めた人事を替える、って言う見識は無かったんだろうね、姜維の北伐が国庫に負担大でも。
まぁ、臣下としては非常に仕えやすい君主ではあったろうけど。
費イの死亡時、姜維がその次席にまで登りつめていたこと自体がすごいよ。
確かに諸葛亮の幕府の出だが、ショウエンや費イとは立場が違うだろう。
いくら本人に資質があるとはいえ、降将だし、涼州出身で派閥も閨閥も無い。
国庫が大変で黄色い人達に進言されれば、いくら劉禅でも姜維を退けるんじゃない?
なのに北伐を続行させたことといい、そもそもの姜維の異例の出世ぶりといい、
実は劉禅が積極的に支持していたんじゃないかって思うんだが。
劉備が諸葛亮や魏延を信頼して、大きな仕事を任せたみたいにさー。
夢見過ぎ?
姜維の正反対の行動と言える、あっさり降伏した事や降伏後の身の処し方が悪評の原因だろ。
日本人的価値で評価したら賢明な判断とも言えるけど、儒教的価値で評価したら最悪となる。
バカか
儒教的価値で判断するなら「劉氏の祭祀を絶やさないための降伏」は
決して手放しでは誉められないが、それでも最悪の評価にはならない
ちったあ儒教ってのが何なのか考えろ
劉禅の評価が低いのは演義と毛沢東の影響だ
というか閻宇を使った交代劇を渋ってたりしてる
が、積極的に反対もしていない
単純に人が良くて、感情的に無下に出来なかっただけだと思うよ>劉禅
平和な時代なら家柄その他で群の太守ぐらいは務まる器
いいヤツだな、劉禅。
友達になりたいタイプだ。
ちょっと頭がのんびりした金持ちで権力者の友人か。なりたいな、確かに。
でも人妻を奪った事がある
意外にとんでもないヤツだな、劉禅。
姜維はそういう方向の武勇伝って無いね。
清廉といえばそうだろうけど、あんまり面白味も無いような。
友達付き合いはしにくいタイプっぽい。
劉禅と姜維って5歳差だっけ?まあまあ同年代だよね。
いろんな意味で正反対の二人だな。
阿斗と姜維は1才違いと言う説もあるよな
>>729 どういう説?
劉禅223年17歳
姜維228年27歳
5歳違いだけど?
劉備が覇業をなしていれば、
劉禅は名君として名を残せたと思ってる。
劉禅は象徴天皇の先駆け!
>>730 俺はそんな説聞いたことは無いが、おそらく魏側の書に劉禅の年齢が高いことを示すものがあるからじゃないか
魏略では劉備が小沛にいたころに生まれたことになってる。
裴松之はありえんと否定しているけど
劉禅と秀忠どっちが優秀なんだろうな。
>>733 魏略の取ると今度は劉禅が5歳から10歳上になるんだけどね。
生年が分かる人物と、そうでない人物の境目って何だろう。
姜維や諸葛亮ははっきりしてるけど、ショウエンや費イは不明だよね。
737 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 01:27:17
>>736 たまたま享年や生年、または「○○の時何歳」と書いてあるかどうか
君主なら大抵書いてあるが、それ以外はたまたま書いてあった、ってだけ
境目は運だけ
たまたまっていうのは、例えば三国志なら陳寿の気まぐれってこと?
資料のある、無しとかではなくて?
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 03:29:26
740 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 03:31:04
741 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 07:31:10
三国志は演技しか読んで無いから史実は詳しくわからんが、とりあえずキョウ維のキョウの字漢字でどう変換するか教えてくれ
それと法正、ホウスウ、孔明って誰が一番優秀だったの?演技じゃ孔明、籠統が竜虎のごとく書かれてるが
>>730 なんかの三国志の本に姜維は202?206?〜264
って書いてあったぞ
光栄の三国志5でも234年シナリオでは29歳だったし
>>743 正史を読もう。
後主伝と姜維伝にそれぞれ記述がある。
演義その他ではどうか知らんが。
なんで調べればすぐにわかる様な生年ネタを長々とやってるんだろうか。
>>733>>743 姜維は第一次北伐の年(228年)に投降し、27歳とある以上、逆算して202年生まれ。
劉禅は即位した年(223年)に17歳とある以上、これも逆算すれば207年生まれと
確認できる。
>>734 明らかに秀忠。
>>745 いや劉禅は秀忠みたいに大失態はしてないし
747 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 11:41:32
失態犯すような機会がなかっただけ
二代目ってのは大体無能だからな。
日本でも頼家、義詮、秀忠、勝頼、秀頼、
劉禅 曹丕 名前忘れたが孫権の次も大した子としてないでしょ。
秀忠の何が無能なのですかい。二代目としては合格点だと思うが。
外征に失敗しまくった曹丕よりも明らかに上だぞ。
正日はある意味初代より有能かも
ゲーム話で恐縮だけど、最近のコーエーの劉禅評価は目に余るものがある。
そこまで落とすことないように思うんだよな。単に平平凡凡でいいじゃん。
孫権はある意味最強の二代目だけどね
彼より名君なのはいくらでもいるが
創業・守成をあれだけバランスよく持ったのはなかなかいない
劉禅は何もしてないだけだからなぁ
誰を任命したとかそのくらいか?
治水事業を計画したとか、そういうの無いの?
義詮も言われるほど無能じゃない
魏文帝が無能なら、劉備も孫権も無能だ
っか三国志全体でみても歴史的価値は曹操≧曹ヒ>>>孫権>>>その他
>>753 関が原に遅れたり
長篠で惨敗したり
自分で遠征したのに勝てなかったり
無能だと思うんだが。
頭の中、戦が全てだね
きみ、イラクにでも行ってきたら?
小説程度の知識で語ってるんだろ
>>758 「戦」 国時代
だよ。戦が一番重要に決まってるジャン。
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 14:18:22
三成=孔明
姜維=清正
所詮信長、秀吉、家康の足元も及ばない卑劣漢
国か争うから戦国時代
一番重要なのは経略
戦なら信長は相当数負けてる
だいたい戦だけなら勝頼は戦争で武田最大の領土を広げた訳だが
つーか魏文帝は戦国時代じゃないし
最終勝利者以外が無能ならそうだろうよ
秀忠って最終勝利者じゃないんかい
>>756 魏の文帝7年の治世に曹操に匹敵し孫権を大いに上回る評価を与えたのには興味があるな。
外交戦略を見ると曹丕は孫権の口車に乗って攻めるべき時(夷陵時)に静観し、
時機を逸してから攻め込み敗北するなど、他に遅れを取ってる。
人材活用についても多くは父から引き継いだ人材に頼り、曹丕が独自に抜擢した人物といえば
司馬懿が挙げられるが、曹丕自身の近親排除の政策も仇になり後に簒奪の憂き目に合う。
また于禁その他に対する態度も主君として大いに問題あったことが司馬光に指摘されてる。
とりあえず曹丕の悪いと思うところ挙げてみたから、いいところ挙げてみてくれ。
多分経済面とかの話題になると思うが、三国志ってこの辺淡白だから良くわからなくて…
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 14:47:44
曹丕の戦術戦略面は、曹操の失敗をひきずってる面もあるやろ
…と言うと?
魏文帝は中国諸王ランキングでもあれば上位に切り込めると思ってる
場合によっては曹操より上でよい
禅嬢を行い後の王朝の交替劇の手本を作ったこと
「文は国家の大経なり」と国を動かすのは教養人であると位置付け
九品官制を整えたことは後の科挙だけでなく
今に至までつづくエリート文治主義の原点であり
その選定方法を文学にしたことは中国史における革命と言ってよい
隋唐の繁栄は魏文帝による文化改革と、周武帝の府兵制による軍事改革の末に生まれたのだ
スレ違いな上、若干贔屓だけどね
孫権の歴史功績は建康の開発と南方の開発に尽きる
建康が後の南朝政権が悉く首都に選んだ土地であるのは言うまでもない
加えて南方の開発である
残念ながら孫呉の存命の内に成果は花開かなかったが
孫呉の南方開発がなければ東晋は早々に滅びたであろう
中国史において後進地帯であった南方は孫権の開拓、宋文帝の治世を経て
梁武帝の頃にはついに北と南の文化・経済バランスが完全に覆るのである
魏明帝はその時の名君であっても歴史においては埋没する存在
劉備などは宋の腐れ朱子学者に勇気を与えただけの存在
極論で言えばね
一時代を論じるのに歴史全体の流れで云々はあまり・・・
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 15:17:04
>梁武帝
宇宙大将軍
>>768 >その選定方法を文学にしたことは
俺は原典をあたったわけではないので間違いかもしれないが、九品中正法の選定項目に「文学」の要素は含まれて無かったはずでは?
内容は仁や義を評価する儒教原理に乗っ取った選出方法で、「文学」を含んだのは唐代の科挙制度の功績だったのでは。
禅嬢を行い後の王朝の交替劇の始まりというなら王莽からだし、その後曹丕が前例(王莽や、古の聖王)を踏まえ手順を様式化し、
後の覇者が簡略化していったのは確かだが、これが誰か個人の見識の高さを示す材料になるのかといえば疑問符がつくような。
宣言は確かに素晴らしいね。
>>772 あの宣言によって文学の価値が飛躍的に高まった。国家レベルにまで
ゆえに科挙に於いて文学が重要科目になった
(九品官法+文学主義)×時代の成熟=科挙
その功績を俺は魏文帝に還元したい
その基礎を作った、人材マニアの曹操にこそ還元したい
776 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 15:50:57
周不疑や婁圭への仕打ちを見るに、人材を道具としか見ていなかった曹操はダメだろう
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 15:51:36
ぶっちゃけ孔明ってたいした事無いんだろ、曹操やシュウユのほうが人望も軍事も上だった
ほんと捏造好きだな特亜
>>774 直接的な事実に限定しないのであれば、功績は個人に還元されるのではなくむしろ多くの人物に分散されるのでは。
「科挙に文学が盛り込まれた」という限定的事実に歴史的流れという大局的な視点で眺めるのは大切なことだとは思うが、
その影響を曹丕に再度限定するのはナンセンスでしょう。
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 16:10:11
贔屓の引き倒しという言葉を覚えておくといいよ
分散されるにしろ、影響力で言えば皇帝である曹丕が言ったことは大きいだろ
姜維の姜の字も出ない流れになってきたな・・・
曹丕の最大の功績は敵が生きている中途半端な状態で新皇帝になったこと。
これのおかげで「天下を統一したら皇帝」ルールから新たに
「ただし敵が弱ければ統一前でも可」ルールを付け加えた。
>>781 更始帝や光武帝は?
まだ公孫述などがいて統一してなかったような?
巴蜀は元々統一ルールの例外
姜維がもっと早く生まれてたら
蜀も天下統一できただろうにね。
786 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 20:58:39
陰平から進軍してきたトウガイの兵力っていくらくらい?
>>785 確か生まれたのが1579年だったかな
ちなみに本能寺がイチゴパンツの1582年
元服が15歳としたら1594年
まあ戦国とはほぼ無関係だな
>>784 そうだね。生まれるのが遅すぎたね。
あるいはどうにか間にあったって感じ?
あるいはもっと遅く生まれてたら、晋を倒して皇帝になってたりできてたかもな。
祖逖と被る感じが>姜維
姜維の性格からして、戦乱の時代にあっても皇位は望まないと思う。
ちょwww
なにこのキモい流れ
ネタだよ
ネタの似合う漢。
姜維ごとき匹夫が狙えるほど天下は安売りされてはいなかったと思うがな
今度はそっち系のネタ?
どっちだよ 8・・・800げととは言わないからね!ちょっと過疎ってるだけなんだから!
>>738 廟や顕彰碑を残している武将も結構いる。
>>803 日本と同じく、生没年を入れたりするんだね。
知らなかったよ。
>>802 それだけは止めろ。
せっかく平和裡にここまで来たのに。
姜維は一騎打ちでもトップクラスだろ。
趙雲倒してるんだから、呂布クラス。
倒してないし倒してても良くて文醜クラス
のはず
智は諸葛亮、武は趙雲というフレーズを見るたびに
なんかこっちの方がモジモジしたくなる。
姜維大好きなんだけど。
いつから小説の感想スレになったんだよ
5年早く生まれてたら、あるいは遅く生まれてたら、普通に魏の涼州方面の有力な一将軍になってたんじゃない?
事務能力もある感じだから途中で中央に呼ばれることもあったかもしれん。といっても蜀漢でされた以上に重用されるとは思えんけど。
あるいはケ艾の代わりに蜀に侵攻してたかもしれん。
早く生まれたらとか別の場所で生まれたらとかいうのは、ifにもなりやしねー
環境が違ったら全くの別人ができあがるだろ
年齢も生まれもそのままでも、蜀に降らなければそこそこ出世したかも。
姜維よりだいぶ出自の低そうなトウガイも引き立てられているし。
出自アレコレを問わなくなった時代だから、その辺は構わないと思うのだが・・・
そのまま魏にいたら蜀はどうなったんだろ?
250年頃は悲惨なことになってそうだ
外征できる人間がいねえんじゃね?
人民はそのほうがいいかもしれんが
エン宇の天下。
劉備の志に趙雲の武に諸葛亮の知恵
物語にしやすい人物だと思うんだけどな。
三国志サーガのラストに相応しい。
>出自アレコレを問わなくなった時代だから
…え?
むしろ後期の魏は贅沢な物が好まれているように思うが。
贅沢を競うなら晋代だね
人の乳で育てた豚は俺も喰ってみたい
>>818 どういうこと?
三国志最後の人物だからこういうキャラになったって事?
「劉備の志に趙雲の武に諸葛亮の知恵」という様な、演義でのキャラ付けは、
確かに三国志の最後を飾る人物となったからされたものだろうな。
正史から読み取れる姜維は、知略はあるといっても孔明と同等ではないし、
武勇に優れたという記述も無いし、執拗に北伐を行ったが、陳寿の評にあるように、
演義劉備のように漢室復興を志したのではなく、自身の名を為すための物だしな。
「能力も忠義もあるが、功名心旺盛な軍人」では、三国志演義の最後には向いてないかもね。
その割りに演義の最後は他の作家に取り入れられてないんだよな
みんな孔明で終わらせてる
そこまでスーパー姜維にしたんなら、もっと他の人から真似られるぐらいの
最後にしろ世とも思う。
それにしても「劉備の志に趙雲の武に諸葛亮の知恵」って凄いよね。
時代(六朝から明代位?)に求められて生まれたキャラなんだろうな。
本当にスーパー姜維だ。
意外に日本では器用貧乏なイイコちゃんキャラに収まってる気もするけど。
正史では魏兵達にメッタメタに刺されて殺されてるけど、
演義だと急な心臓発作が死因になってるのはなんで?
最期まで戦って死亡って方がカッコイイのにね。
当時の姜維萌え腐女子が死に方が悪いとかで投書でもしたんだろ
腐女子って最悪だな
>>827 うそ。演義だとそんなラストなの?シバレンでも普通に魏兵につっこんで死んでいったのに
あまりにスーパーにしすぎて処理に困ったのかな?趙雲の武もってるから魏兵につっこんでっても勝っちゃうとか。
だから心臓発作で戦ってたらどうなるか分からないとかのラストにしたんだろうか?
なんかジャンプの打ち切り漫画みたいだ。
831 :
827:2006/05/11(木) 02:13:46
>>830 手元に現物無いので確認できないんだけど、確かそうだったよ。
まだまだやれるのにっていうよりは、既に全ては決していた風だった。
計が破れ、天命かって嘆いたとたんに胸が痛くなってたような。
悲憤のあまりの憤死っぽくもとれるかも。
うろ覚えでごめんなさい。間違っていたら誰か教えてください。
>>827 それヤダ。
六朝から明代って相当長いな、オイw
>>831 確か心臓発作で昏睡。
意識を取り戻したと同時に魏兵が押し寄せ、胸の痛みを堪えながら戦う。
そして「わが計ならず、これも天命だ」と自刎。
安能版では、たしか心臓発作で死亡。
魏兵が押し寄せた時には安らかに寝台に横たわってた記憶が。
姜維が腐女子に萌えられるようになったのは、コーエー以降じゃない?
肝が鶏の卵大だったと書いてあったような?
でも肝臓はもっとでかいよな。
肝臓でなくて、胆嚢でなかったかい?
劉備の志に趙雲の武に諸葛亮の知恵に超人的な肝っ玉か。
スーパーどころの騒ぎじゃないな、姜維。
でも劉備の人望は受継いでいなかったので功業建たず
別に趙雲の武や諸葛亮の知恵だって継いでないよ
正史だと膾斬りの挙句にはらわたを引きずり出されたんだっけ
昏倒して自刎とどっちがいいのかな〜
史書等で見るかぎり、膾斬りされるのはそれなりの人物。
やはり姜維は当代随一の男だったのだろう。
カッコイイ。
物語の人物としては最高
実際の上司、友人にいたら迷惑千万
友人くらいならいいんじゃないか?
一緒に天水から蜀に降った三人も出世させてもらってるみたいだぞ。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:12:20
自分の国の統治者じゃ最悪だな
姜維のフォアグラ?
>>816 三国志の最後を飾ったのは霍弋と羅憲ですが('A`)
羅憲が演義でどう活躍したんだよwww
>>850 どうもこうも羅憲は演義には登場していない
>>852 いや演義はよく知らんから、演義の最後は羅憲や霍弋で終わってるのか?というたんなる質問。
蜀の滅亡をもって三国志が終わってるという意味なら、羅憲や霍弋の晋代を除く活躍のあとに鍾会の叛乱があるわけだから848のレスの意味かわからなかっただけ。
まあ849のレスも非常にわかりづらいものであるのも恥ずかしながら事実だな。スマン。
片方の知識しかないようなやつが偉そうに語るものではないと水鏡先生が言ってました
855 :
76-77実は1 ◆xLNKCe9W7I :2006/05/11(木) 20:40:15
しかしこのスレ伸びたな。スレ立てた時は絶対100あたりで過疎ると思っていたんだけど。
病院から出てこれたんだ
76-77が1だったのか。
良スレ立て&ナイスレス乙。
姜維って珍長30センチの猛将のことだろ?
>>858 さすが、私が見込んだだけのことはありますね。
三国志って物語的にグダグダ
竜頭蛇尾だよな
最後の方なんてもう誰もメジャーな人物おらんし(姜維が一番有名な時点で・・)
三国を統一したのは誰?
司 馬 炎 で す が 何 か ? と答えられる人間がどれだけいるものか
ジャンプの無理に引き伸ばされた長期連載作品みたい
史劇の完成度としては楚漢争覇、春秋戦国時代、日本の戦国時代のほうが格段に高いと思う
日本の戦国は三国時代とはモチベ的に逆で、後期になるほど(信長出現あたりから)終焉に向けて俄然盛り上がってくるから
物語としてのケジメがついてるのだろう
関ヶ原というクライマックスもあるし
三国志は初期の混沌としてる時代が面白さでは華
ある意味光栄のゲームと同じ
>>748 勝頼は無能じゃないと思う。
そもそも武田は信虎が初代、信玄が二代、勝頼が三代じゃないか。
孫権も実質二代目か三代目でしょ。
孫堅か孫策が初代。
司 馬 炎 で す が 何 か ?
>>861 誰もが物語として楽しんでると思うなよ
ドラマ性なんてどうでもいい奴もいるんだよ
実際に起こった出来事を、フィクションである漫画の連載に例えて面白くないとか物語のけじめとか言い出すなんて、
アホにもほどがある
>>864 少数だろ
史実として楽しみたいならもっと味のある時代はたくさんある
>>865 頭悪いなじゃあお前に三戦板は必要ない
日本史板で三国時代の話して相手されずに泣いてろ
三国時代なんて物語として楽しめなければ大して意味の無い時代なんだよ
物語化された演義でオナってるくせになにをのたまっている
×日本史
○世界史
揚げ足を取る野暮はいないと思うが
うわぁ…痛い奴が涌いてきたな
>>868みたいな他板では風化した煽りを見ると三戦なんだなって思う
他板と1ヵ月遅れって本当だな
( ゚Д゚)イッテヨシ
>物語化された演義でオナってるくせになにをのたまっている
これは酷い。
自分で「味のある時代はたくさんある」とか、「大して意味の無い時代」だのと
言っておいて、自分も朝からしっかり三戦板に張りついて何言ってんだろ。
「他板と一ヶ月遅れ」なんて自分は賢いと思い込んでるんだろうけど、
>>861を
見る限り自分も十分にヤバイって自覚はないんだろうか。
空気の読めない子なんだろうけど。
三国時代の歴史上の意義と歴史としての面白さは別物であり、「意義がないなら面白くなければならない」という相関関係には当然ない。
また、面白さの感じ方は千差万別だし「メジャーだから」というのが大した指針にならないのも皆経験的に感じてるだろう。
第一、「メジャーであることが面白さ」に直結するなら戦国時代<三国後半となりそうなものだが…
中国の一時代が日本でこれだけ浸透している時点で。
逆に中国の他の時代や他の地域の歴史は日本で人気ないかもしれんが、面白さで劣るとも思えん。
>>869は俺ですが、
>>861=
>>866とは別人です。肩を持つ気もありません。
>>861の無駄にスペースを入れるのも上手く使わないと馬鹿っぽいと思います。
この手の、後付け屁理屈は相手しても無駄でしょう。
負けを認めないし、認めなければ負けてないとおもってる2chに最適化された人格ですよ?
というか
>>861は釣りだろ?
76-77に似た新手の登場だと思ったが違うの?
だいたいにして
> 司 馬 炎 で す が 何 か ?
なんていちいちスペース使っちゃってたり、レスの中身を見ても
ちょっと中国史をかじった知ったか厨にしか思えんのだけど
>>873 >無駄にスペースを入れるのも上手く使わないと馬鹿っぽいと思います
かぶってた。ごめん。
さすがアホの子だ。
ちょっとつついただけであっと言う間に本性を出してくれたw
五代十国とかは前半も後半もオモロイ時代
で、どこまで話を戻せばいいんだ?
うーん香ばしい
>>861は釣りか新生郭図
姜維は嫌がる張翼をひっぱり回すほど張翼が好き
そういえば張翼って何歳で死んだんだろ?
結構長生きじゃね?
>>881 劉備が益州を平定したとき張翼を書佐としたとあるからね。
それから263年まで48年、書佐になった時に20歳だったら68歳。
廖化並の老齢だな。
883 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 20:13:50
姜維は63歳だったっけ?263年の時
>>881 廖化も張翼も反対されてんのに使ってんだよね
姜維が嫌って使わなかった奴って楊戯くらい?
>>885 楊戯以外で、姜維が要職から遠ざけたり免官した人物は知らないなあ。
まぁ、楊戯は仕方ない。仕事は怠惰、酒が入れば姜維に対し悪口雑言、使い続ける方がおかしいと思う。
それでも257年の遠征までは使ってもらえてたけどね。
姜維はいい奴だよ。
廖化は兎も角、益州軍閥である張翼は使わざるおえないだろう
最も、対立してても理解しあう関係だったみたいだが
何だかんだ言いつつ張翼は姜維スキーだったからね。
もちろん廖化も。トウ芝も郤正も傅僉もね。
実は劉禅もそう。あとは鍾会もそうだったかな。
陳寿は隠れ。遅れたところでは裴松之も。
なんだかんだ言われても結構能力あることは認められていたんだな。
そうじゃなきゃ目的達成していない司令官に誰もついてこないしね。
比較対象はいたりしたのかな
別の奴が魏軍と戦ったが、全然話にならなかったとかある?
正史には豚殺しの大将軍・何進すらにも忠義を誓う人物がいるからな。
能力の有無はともかく、姜維の振りかざす大義名分に従う人物が多くても全然不思議ではない。
中国の古代史には肉屋が実はインテリで/金持ちで、みたいなエピソードが結構あるから、何進=精肉屋さんではない気もする。
宦官を味方に付けるほどの賄賂が用意できる肉屋は普通ではない。
普通ではない肉屋は春秋戦国が有名だが、漢末でも張飛が金持ちで逃亡中の関羽を匿まったという言い伝えがあるが、この張飛は肉屋だ。
「劉」という字も家畜を殺す=牧畜社会の司祭やリーダーという意味があったりと、古代中国の肉屋は扱いに注意が必要だと思う。
894 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/13(土) 11:00:46
>>891姜維伝くらい読め
鍾会が誕や玄よりも上って言ってんだろ
sage忘れスマソ
比較された人材が微妙。
裏切った連中ばかりということじゃなくて実力が・・・
>>894 >>891が言ってるのは、蜀の対魏司令官として比較対象がいたのかって事だと思うが。
馬良や李永南、諸葛誕や夏侯玄と姜維が比較された事は、この場合はあまり関係ないかと。
閻宇と姜維を代える話があったという事は、比較対象として閻宇がいたのだろうが、
閻宇は対魏戦線の指揮を執った事はないし、この人事自体権力闘争的意味合いが強いからな。
誕や玄は微妙ではないだろう
>>893 まじか。そういうネタどんどん仕込んでくれ。
つかどっからそういう情報仕入れてくるのよ?
張翼とか不満はありつつも姜維に従ってるわけだが、
それは彼でないと魏の脅威から蜀を守れないと思ったからなのか
して、そういう結論に至った経緯は何なのか
別の奴が、魏とやって負けて、やはり姜維じゃないと駄目だなと思ったのか、
それともそれ以前に中央が腐りきってるのが分かってて、
まだ姜維の方がマシだと思ったのか
>>899 史記とか左伝読めば結構載ってる
殷周革命の立役者太公望も殷に住んでいた頃肉屋だったと言う話もある
古代、肉屋は卑しい仕事でなく
>>893の言うように屠殺業者は選ばれた存在だった
肉屋が卑しいなんて言うのは大分後になって仏教が普及してからの話
>>893 何進は何皇后が美人だった事から美形だと云う説もあるね
そもそも皇帝に見初められるような肉屋の女なんて存在が貧乏だったなんて変だ
宮廷御用達の大店の娘と言う可能性が大きいと俺は思う
第一、古代では肉は高級品なんだしそれを商う人が金持ってない訳ないな
食肉ってのは兎角コストパフォーマンスの悪い食品なんで値段が高くなるもんだし
姜維の策を聞いてこりゃいける!と思って北伐。
いつも裏をかかれて敗北。みたいな流れじゃないか?
自分のとこで飼育から販売までやってた豪農とかなんじゃない?
そんなに分業進んでないだろうし
霊帝ってお金大好きだし、官位金で売らないとダメなくらいに皇室の財政はやばかったと考えると
豪農、豪商の類に持参金たっぷり持たせて輿入れしてもらうってのは十分に有り得る話だよね
>>901 なるほどなるほど、確かに言われてみればそのとおりだ。
肉屋は商人に含まれるのかね。
なんか金持ち=富豪→なんか商売で成功した ってイメージが
別に本人たちの代で商売に成功しなくてもいいんだがな
当時は相続税なんてないから、一度財産を築いてしまえばそのまま
その財産を使って土地を開墾しておけば豪農になれるし、商売に使って大失敗しなければ商人としてやっていける
>>905 古代中国の肉屋は土地や流通に独特のつながりを持っていたようで、ぽっと出の肉屋はなさそう。
儒教の下で目立たなくなってはいるものの古俗や祭祀と深い関係にあり、さかのぼると少なくとも殷の蜚廉-悪来-女妨の親子あたりまで行く。
太公望も別系列の組織を持っていたかも知れない。彼には異民族説がある。
こういう地縁や職能集団が解体され、古代から中世に移行するのが三國志の時代。
その象徴が何進〜何晏かもと思いつつ正史を読み直すのも面白いね。
前の方で無意味な時代とか言ってた奴は歴史を読んでるようで全く読めていないわけだ。
908 :
病床:2006/05/13(土) 16:15:55
肉屋ではなく商人が蔑まれているんだろうな。
太公望は姜姓ともいわれ周と並ぶ異民族の首長だった。(林泰輔:周公と其時代)
異民族とは商や周からの視点であって、それは後世になっても差別視が続いたわけではない。
異民族側からいえば、肉をひさぐ者は神官の分業化により発生しただけの聖職者でもある。
時代を経てもそうした側面は残り士大夫に次ぐ立場と差別対象の顔の両面を持つようになった。
何進や樊カイになぜ字があるのか考えたらこんな感じかと。
太公望は姜姓とも言われ、じゃなくて姜姓そのものだろ
姜姓の呂氏ってこと
俺は
>>908ではないが姜姓を自称した、とも眉唾とも言われている。
>>908は姜族の首長 子牙であるという説を採ったのかも知れない。
911 :
病床:2006/05/13(土) 16:40:33
商が祀るための犠牲奴隷は羌族だったからそれに反発しただけの勇者とも
族長として反乱したとも考えられるが謎が多い太公望だけに
姜姓そのものと言い切る確証がなかったから・・・
>>910 羌族と姜姓をごっちゃにすんな
そこは重要な所だ
>>911 子孫が姜姓とされており、史料には改姓したとも書かれてない以上太公望も姜姓と考えるのが自然だろ
>>912 その姜姓の「姓」は血統を示すものだろ?
んじゃ研究書とやらに太公望の子孫が姜姓に改姓したと言う話があるのか教えていただいていいかね?
出来ればその本に書いてある根拠も併記して貰えると読む手間が省けていいのだが
天水四姓の姜は太公望と関係してるのか?
917 :
病床:2006/05/13(土) 18:06:39
研究書を読んでなければ、
>羌と姜を一緒にするな
このセリフがすぐには出ないだろうね。
論題がズレるから煽りはよそう。
>>900 志向する政策の食い違いから命令に従わないのはいくらなんでもまずいんじゃないか?
日頃仲が悪くても事にあたっては力を合わすのが国士というものだろう。
諸葛亮と魏延みたいなもんさ
蜀の全盛期にこいつが魏延クラスの位置にいたとしたら、
劉備はだいぶ助かったろうな
姜維って劉備の言うこと聞きそうにない
>>920 そりゃ人材は多いにこしたことはないだろうが、全盛期は文字通り人材も最も充実してた頃なんで
実際の時期より貴重度は低かったんじゃないか?
馬謖扱いかも
蜀の全盛期って漢中王即位の頃か?
使うにしても何処でどのように使うのか思いつかないな
馬謖の代わりに
姜維の本領は機動作戦だから
荊州用か、長安落としてからだな
考えてみれば、身分階級ガッチガチの朝廷で「一介の肉屋の娘」が
太子の実母ならともかく、「皇后」になれるわけはない罠。
日本でもそうだな。この手の出世物語は、必ず大身のコネがいる。
桂昌院みたいに
八百屋の娘→母が亡夫の主人と再婚→継父の主人である関白に
よって御小姓に→春日局の部屋子→将軍と(略)→側室→綱吉母→
従一位(゚д゚) ウマー
これとて正室じゃないんだよね。
でも何進妹は「皇后」なんだから、普通に考えれば高位の官吏の
養女になったという経緯などがあるんじゃないのかな。
賄賂もありじゃないか?
1儒学を好みながら頻繁に軍事行動を起こした矛盾した性格の持ち主。
2贅沢を望まないストイックな性格。
3度量はそれ程大きくないものの、蜀の老重鎮でちょっと気難しいトウシに
人物を認められている。
4魏の蜀討伐の属官は秀才揃いだったが姜維の右に出る者は無かった。
934 :
490:2006/05/14(日) 00:19:28
カッコイイ!
マジ惚れそう
↑スミマセン
誤爆しました。。。
>>934 姜維と答えればツウだと思われるかもなw
姜維最大の汚点は魏延以来の漢中の防御法を変えてしまい蜀滅亡のきっかけ
を作ってしまったこと
魏延って演義じゃ極悪人だもんなぁ。
実際、人を見る目が合った(?)劉備に漢中太守に抜擢されてるし、
兵の掌握にも長けてたらしい。だから、諸葛亮が死んだ後も劉備に
忠誠をつくして魏に奔らなかったのではないか。
それに比べて、諸葛亮は、劉備が気に入っていた魏延や李厳は処断するし、
諸葛亮自身が気に入っていた馬ショクはぼろ負け&処断だったし、
楊義は魏に奔ろうとした…
魏延は処断されてないし、李厳の処断も妥当じゃね?
>>939 楊儀は別に魏に奔ろうとなんてしてないぞ。
「五丈原から撤退する時に軍勢を挙げて魏に下っていたら、ここまで落ちぶれなかっただろう」
と愚痴をこぼしただけだ。
魏延のはただの権力争い
馬岱のおかがでさくっとまとまったが、長期化したら魏に走らないとも限らない
アホ過ぎ
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/14(日) 23:18:53
>>942 正史の事を言ってるのか、演義の事を言ってるのか知らんが
もし前者ならそれは別に馬岱の功績じゃない、
馬岱は従者と数人で逃げる魏延を斬っただけ。
魏延を破ったのはどちらかと言えば王平の功績だろう
つーか、また魏延に話が戻ってるな…
また痛い魏延叩きが沸いてこないか心配だ…
痛い魏延叩き?
別に叩いてる人はいないと思うんだが
ちょっと認識に誤解やズレがあるだけだろうに
>>943の言い様は正しくてもちょっと悪意を感じないでもない
このスレも終わりか。いろいろ為になる話が多かったな。
自分で立てといて言うのもなんだけど。三戦板で一番有意義なスレじゃね?
>>946 有意義かどうかはともかく、おまいさんのネタ振りはいい加減見てて苦しい
調子こき過ぎんなやw面白いスレだったけど
蜀スレも盛り上がっていないことですし、
これはこれで、それはそれで。
皆は蜀スレに移行かえ?
それとも次スレ立てるの?
>>951 魏スレ呉スレ共になく、蜀本スレの活性化を
やっぱり姜維がいないと諸葛亮死後の蜀は糞つまらんかったと思うんだよね。救いようが無い。
曲りなりにも三代目主人公の役目は果たしたんじゃないかな、と。
感情移入の対象がいないからな。劉禅は宦官にたぶらかされて糞だし、嫌悪感しか沸いてこない。
ぶっちゃけ有意義なスレとは言いがたかったけど数人の智者が降臨したのは良かった。
当時、姜維の北伐の戦果を見ていて
「魏延が生きていれば・・・」
と思っていた人は少なくなかったのでは
公式には謀反人扱いだから口にはできなかったろうが
魏延は蜀屈指の人材だったからな
蜀では数少ない、張遼や徐晃、張コウあたりの魏のトップクラス武将とも張り合える武将だったと思う、将軍として