1 :
無名武将@お腹せっぷく:
弓、槍、鉄砲の貫通力はどの程度か? 刀は実戦で使えたのか?
対抗する具足の強度は?
戦国期の武具の威力を語れ!
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 12:13:18
2get
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 12:17:21
おいらの愚息は130mだが子宮突きまくりだぜ?
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 12:19:47
良い地金を使われて、おりますな!
5 :
姉小路不敗伝説:2006/04/10(月) 12:59:55
6 :
鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/04/10(月) 13:14:05
明智光秀ほどの大将が竹ヤリで簡単に貫かれる安物の甲胄なんか着てねーべ。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 13:54:27
槍の達人が胴をまともに突いたら破れる?
弓が胴に命中した時、至近距離でもダメージを与えられる?
8 :
鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/04/10(月) 14:18:54
世に鉄砲が出回る前の、一回の合戦における死傷者数の少なさをみれば、鎧がかなりの防御力を示していたことがわかるべ。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 14:27:47
「投石」を忘れるな
以前日本史板にこの手のスレがあって
飛び道具派と冷器武器派が罵倒し合っていた。
興味深い話題とは思うが、なぜそんなことで喧嘩までできるかは
正直よく判らなかった。
三戦にしろ日本史にしろ香ばしい奴がいるって事だろ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 14:59:33
長槍は突かずに叩けってのは、具足を着た相手には槍で突いても効果的でなく
それなら兜の上からでも殴って脳震盪を起こさせた方がいいって発想かな?
長槍は長さおおよそ6メートル強。
二階の天井位の高さにある鉄の穂先を振り下ろせばかなり効いただろうね。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 15:02:50
>>8 川中島では馬鹿みたいに人が死んでるし、指揮官クラスの死者も多い。
弓や槍を中心とした戦でも人は何千人も死ぬんでね?
むしろ戦国後期の合戦規模の拡大と戦術の高度化が死者の増大の主因だろう。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 15:18:44
文献をみると川中島での死傷者は少ない。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 15:32:01
>>14 ウィキメディアでは両軍合わせて七千人以上死者が出た事になってるけど。
せんせー
うぃきめでぃあってなんですかっ
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 18:35:18
刀の威力は粗製濫造があって落ちてたかもね
慶長以前の古刀はそれ以後は再現不能
有名な童子切安綱は、江戸時代に罪人の胴で試し切りしたら6人分の体を斬りなお威力余って台座にまで斬り込まれた
朝倉宗滴は「名刀一本買うより、百本の槍かって部下に持たせろ」みたいなこといってなかった?
基本的に集団戦が主流になってた時代だからな
鉄砲なんかもろ量産品だし
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 19:12:25
川中島だけど
指揮官クラスは完全装備の具足を纏ってただろうけど
足軽クラスに鉄製の具足なんて出回ってたのかね?
せいぜい剣道に使う胴みたいな、木製・布製の防具が関の山だと思うんだが。
そんなのだったら弓や槍でも十分貫通できて、死人がどっさりでたんでないかい?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 21:14:27
>>17 なにせ、実戦では日本刀の刃を潰してた位だからな。
具足相手に切れ味はいらないって事では?
槍は突くんでなく叩く武器だって話とも通じるけど、
具足相手じゃ刺したり斬ったりは無意味で、殴った方が早かったんだろうな。
ヨーロッパだとそこでメイスだとかモーニングスターとかいった、殴る専門の武器が出てくるわけだが。
日本にも金棒とかあったな。
>>7 具足は可動部分が多いため、隙間ができる。
そこをぷすりと刺すのが常套手段。
斎藤道三の槍稽古もこの隙間を正確に刺突するためのもの。
裏を返せば隙間以外は致命打にはなりにくい。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 10:15:57
日本の槍衾と古代ギリシャのファランクスって同じ物?
>>22 違うんじゃないの?
ファランクスは重装歩兵がガッチリ隊列組んで敵に向って一定方向に突進するもの
槍衾は臨時に足軽が集まって敵の突撃なんかに対して防御陣を敷くものでしょ
24 :
鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/04/11(火) 17:32:57
日露戦争における旅順攻撃は一回につき3000人ぐらいの日本兵が死んだわけで。
当時日本軍には少数しかなかった機関銃がロシアには300門近く配備されていたわけで。
それをもってしても一回の総攻撃で死傷者3000人。
槍や刀の時代の川中島の合戦の死傷者3000〜4000人はありえない。
そもそも南北朝時代までは刀槍はまったくといっていいほど使われていなかったんだよね
>>22 盾が無ければファンランクスにならんと思うが。びっしり盾で覆って矢、投げ槍を防御しつつ突進
ある意味戦車(バトルタンクの方)のような考え。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 22:28:39
>>26 ファランクスってローマの投槍に負けたんだっけ?
弓マンセーな日本の戦ではあんまし有効じゃねーかもなぁ。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 23:31:54
処刑された罪人の胴体を二つも三つも重ねて断ち切れるんだから
鎧位上手くやれば切れるような気がするがどんなもんかね。
刀では難しくても、遠心力が利用できる長巻ならやれた気がするが。
幕末の榊原鍵吉は、胴田貫の太刀で明珍兜を両断したそうだよ
でもこれは達人が名刀使って据え物斬りしたケースだから
普通は刀で両断って無理じゃね?
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 23:39:54
>>29 動いて、しかも抵抗する敵兵の鎧兜を斬るのは無理だろうなぁ。
ボクシングでジャブの打ち合いになるのと一緒で、据え物を斬るような大降りの技が実戦で使えるわけない。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 23:47:34
馬に乗ってない足軽が鉄の鎧兜なんか身につけていたら戦場につくまでにバテバテだと思うんだが。
装備が30キロくらいあったら、こけたら起きれんぞ。
>>31 普通は脱いで移動してたそうだよ
合戦っていうとおり、ある程度暗黙の了解で戦ったのが当時らしい
準備時間はあったろうし、逆にそれを無視した夜討ち朝駆けが有効だったんだろう
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 01:09:52
>>32 どっちにしても漆塗りの木箱(前とか書いてある奴)を背負って戦場にいかにゃならんだろうが。
どーでもいいけど、聖闘士星矢でクロスの入った箱を背負って移動する場面たくさん出てくるなw
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 01:24:59
戦国期の刀は斬るというより叩き割る武器だぜ。だから戦国期の実戦用の刀は刀身が分厚くてでかい。細い刀は江戸期か戦国でも装身具としての役割が大きいな。
もちろん切れ味は抜群だがね。もし地元の博物館とかで鎧兜に細い刀持たせてたら注意してやりな。
武具は荷駄隊や人夫が運ぶんじゃない?
てゆうか徒歩の足軽クラス装備は鉄とかじゃなくもっとしょぼいだろ
陣傘ORハチガネ
胴丸
拗当て程度だろ?
>>35 荷駄隊が運ぶ物は多岐に渡り、しかも多い。
大将級だけならともかく、全軍勢の鎧は運べ無いと思うが。
盾ってあんまり見ないね
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 16:35:21
兜、鎧、こてをセットで装備できた足軽なんてそういなかったんだぜ。兜だけのやつとか、こてだけのやつなんてのはざらにいたらしい。装備が揃えられたのは武士が職業化してる軍だけだな。
足軽の陣笠は鉄製で、食事の際は鍋代わりにも使われたらしい。
>>39 戦国も中頃になれば、武具は領主側が用意するんですけど。
基本的には、部隊で武装を統一する。
何故かと言えば、同士討ちを避けるため。
雑兵物語で「誤って味方に討たれる事を思えば、鼻や耳や顎に穴を穿って印を付けておきたいくらい」と言われている。
実際に同士討ちを避けるために、旗指物・袖印・笠印・刀印・合言葉などが用いられるけど、
指物・袖印・笠印は乱戦で失われる可能性が高い。
刀印はとっさの時には判別しづらいし、合い言葉は手間がかかる。
そうした一貫で、武装も統一して一瞬で敵味方を判別出来るようにしておくと同士討ちの危険性を減らせる。
>>6 逃げる途中で身軽になる為甲冑は捨てたと予想
ここで重要なのは戦国期の合戦における戦力は動員兵力の約4割て事じゃないだろうか?
仮に1万で出陣しても実際に戦闘装備なのは4千で後の6千は非戦闘員みたいな物でほぼ丸腰に近い
それをまとめて考えたら行けないと思う
ちなみにソースは正式な名前は忘れたが井伊直政の部隊編制表みたいなもんだ
明智光秀の部隊も確か同じ様な物があったはず
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 19:20:24
足軽として動員した農民があまりにもみすぼらしい格好で集まってくるから、領主が用意
してやったというのが実像だろうな。
軽装で統一という事はないのか?
寄せ集めにそんな良い装備与えてたら金かいくらあっても足りんぞ
名刀一本買うより百本の槍、というやつだろうな
あんまり高価な品じゃ財政が破綻する
雇い足軽なんかはこの典型でしょ
軍役の動員なら、知行の代価だからそれぞれの領主が用意するだろうけど
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 21:49:22
確かに。ドラマや映画のようにピカピカの軍装ってのは実際ありえねーだろうな。
だから余計、赤備えが目立ったんじゃないかな。
信長も若い頃は直属の兵を赤備え一色にしてたらしい
他にも黄備えとかいろいろあったらしい
戦場で目立っただろうね
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 21:50:47
赤備えとかしなくても、新撰組みたいに揃いの陣羽織着てたらスゲー目立つしカッコイイと思うがなぁ。
>>48 初めてきくんだがソース何??
赤衣母衆とかじゃなくて?
>>43 岡本半介のか。
あれによると戦闘員は36%だっけ。
ただ、非戦闘員と一括りにしても旗持ちなどは当然武装しているわけで。
そこらへんも考えに入れるべきだと思うよ。
あと、その手なら後北条も忘れるな
黄衣母衆とかじゃなくて?
それと黄色の漆塗りってあったのかね。
黒朱茶金銀しか見たことないけど。
>>52 あったけ?
やっぱ衣母衆と勘違いしてない?
衣母衆だとマントみたいな感じだよ
とりあえず明日確かめてみるわ
どの辺りに書いてある?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 11:55:57
その平手の才覚により、天文16(1547)年、信長公を道三の婿とし、道三息女を尾張に迎える縁談がまとまった。この時期、国内は静謐を保っていた。
信長公は十八頃までは特別の遊びはせず、朝夕馬を責め、3月から9月までの間は川で泳ぎ、水練の達人であった。この頃、竹槍を使った仮戦を御覧になり、
槍は短くてはいかぬと考えて、自軍の槍を三間柄や三間間中柄などの寸法に改良した。
当時の信長公は、湯帷子の袖をはずし、半袴をはき、火打ち袋などをぶらさげ、髪は茶筅に結い、紅や萌黄の糸で結び、太刀は朱鞘のものをもちいていた。
配下は全員赤武者とし、市川大介に弓、橋本一巴に鉄砲、平田三位に兵法を学び、鷹狩を好んだ。行儀は悪く、町では人目も憚らず柿や瓜をかじり、餅を食い、
人に寄りかかり、肩にぶらさがって歩いていた。その頃城下は穏やかで品のよいものであったから、この有様は大うつけとよばれるほかなかった
(信長公記・首巻七、現代語訳)
>>53 俺も黄は見たことないが顔料あれば出来そうだが。
本多正信は肌色漆の諸肌鎧だし
>>55乙
サンキュー!確かに書いてあるね
>>53 尾張地方には有松絞りて技術あるから黄色の色自体は多分作れるんじゃないかな?
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 19:31:40
>>55 要するに、田舎侍の小倅がグレて不良や街のチンピラたちとつるんで遊びまわってたわけだな。
何処の時代のどの場所にもいそうな感じだけどなぁそんな奴w
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 20:09:15
>>55 こんな不良に鉄砲、槍を持たせて、兵法教えたら危ねぇだろ。
チンピラがつき
農民がこねし天下餅
座して食ふは苦労人坊ちゃん
>>60 農民なんて言ったらかっこよすぎ。まるで堅気みたいじゃん。
秀吉はガキの頃はどっちかっていうと浮浪児・家出息子。
長さ6mの長槍を突こうとしても、緩慢な動きになるだけではなかろうか
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 22:01:57
火縄銃>弓>長巻>長刀>槍>刀
>>62 6メートル。立てると槍先が2階の天井に届くくらい。
こんなのを思い切り振り下ろされたら兜や陣笠越しでも洒落にならん。
それと、長槍は槍持った兵士が隙間なく並び隊列を組んで戦う槍衾戦法が基本。
長槍を装備した敵兵が一斉に向かってくると横にかわせないし、
槍をかいくぐって近接戦に・・・ってのも無理だから、この戦法は極めて有効だった。
あと、古代マケドニアのサリッサも、中近世ヨーロッパのパイクも長さ6メートル位。
長槍隊で集団戦法を駆使するとどの文明圏や時代でも大体これくらいの長さで落ち着く。
因みに、長槍は集団戦では威力絶大だけど、一対一で戦う場合長すぎて役にたたないので、
一対一での戦闘を前提とした槍は長さ2〜3メートル位になる。
66 :
62:2006/04/14(金) 00:00:06
>>64-65 いや、まぁ、だからこそ長槍は「突く」武器ではない、と言いたかったのだが、
とりあえず補完サンクス。
ただ、6メートルの高さから振り下ろしたら、その後持ち上げるのが大変だろうし
下手すると地面にめり込んでるだろうし、何しろ振り始めから地面に達するまで
2秒ぐらいかかるだろうから敵には当たらないしで、
頭上1〜2メートルぐらいの高さから振ってたんじゃないかと思うのだが。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 00:15:56
槍の使い方は「叩く」「払う」「突く」。
叩くのも有効だけど、脚(足)を狙うのも結構効果的だったらしいよ。
それは一般の槍の話だね。
足軽の使う長槍は穂先も短く小さいので、
狙って切るのは至難の業。
斬馬刀なんてのも有ったな
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 01:06:32
狙って切るんじゃなくて槍の石突で突くんだよな。脚の装備は貧弱だから膝や足の甲なんかに当たったら痛くて立ってられないらしい。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 15:09:59
>>66 けど、刺す能力も槍衾では結構重要だけどね。
槍衾って移動城壁みたいなもんで、
敵が無理に突っ込もうとすると串刺しになるってんで、それで敵の突撃を防いだわけだし。
戦国期の主武器はあくまで弓と鉄砲だけど、
それだけでは敵の突進をくい止られないので、防御用として槍衾が発達した。
長篠みたいに野戦陣を建設する余裕があればいいけど、中々そうもいかないからね。
あと、槍衾は横槍に弱いので、大抵の合戦では敵の横を取った方が勝つ。
「横槍」って慣用句ってそこからだったかもしれんな>側面攻撃
>>71 もともと鉄砲は槍衾を崩すために用いられたらしいしな。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 19:02:12
>>73 同時代の欧州だと
銃>槍>騎>銃・・・
みたいな関係だっけか。
ジャンケンみたいな綺麗な三すくみ
竜吐水?みたいなポンプにナタネ油みたいのを詰めて、
火炎放射器にしたら槍衾も崩せないかな。
銃は攻撃力、槍は防御力、騎馬は機動力に優れているわけで
それぞれ弱点もあるしな
菜種油じゃ余程細かい霧にでもしないと火炎にならないかと
そうか・・菜種油に点火したこと無いのでわからなかったyo..
菜種油は着火点高いからなあ〜やるなら大豆油ww
越後で石油出てたよな
でも分離しないとどうしようもないか
そこでギリシアの火ですよ
…でもあれの詳細って現代ですらわかってねーらしいからな
戦国時代じゃムリポか
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 19:53:25
まぁ、大筒使えば早いんだがな。
地中海なら、磨いた数百の盾で太陽光を反射させ、敵船の一点に集中させて
発火炎上させるという事が行われたね。虫眼鏡で蟻を焼き殺す原理。
で、歴史学者が実験してみたら、木造船が一瞬に燃え上がったとか。スゲー。
アルキメデスの話って実話なん?
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 10:45:08
時に、弓で当世具足を狙撃したらどの程度のダメージ?
それと、合戦で大将格が討ち死にする場合、
どのような武器にかかって死んだか信用できる統計ってあるのかな?
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 10:52:03
小山田投石隊
大将格の死因は切腹が一番多いんじゃないか?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 13:08:05
火炎放射器みたいに使うなら引火点が常温以下じゃないとダメだと思う。
植物油だとまず無理(インターネットだとソースによって値が違うみたいなんで
正確にはよくわからないが、どこ見ても少なくとも200℃は越えてる)。
大将は首取り手柄にするから、組み打ちの結果討ち取られることが多いんじゃね?
つまりは槍か刀。首挙げられる時は短刀かな
今川義元とか、竜造寺隆信とか
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 14:44:16
足軽が合戦で必要なのは槍と短刀と言われてるくらいだからな
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 14:45:36
宇宙戦艦ヤマトの波動砲
野戦で大将首を取るって事は、
1:鉄砲・弓矢・投石などの撃ち合いが終わり、槍衾で敵の戦列を崩して、敵本営まで攻め入る
2:奇襲
3:追撃戦
のどれかかと。
どれも飛び道具を使う段階は終わって、乱戦になってる可能性が高そう。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 22:28:15
>>92 戦の死人って鉄砲と弓矢で7割強でしょ?
大将格だって大半は矢や鉄砲にやられたんじゃね?
首は転がってる死体から回収するだけとかw
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 22:32:06
戦ってる奴のほとんど全員が敵の大将の顔知らない。
てか、味方の大将の顔も見た事ないだろ。
立派な格好してるのが大将。
敵大将だと思って首とって行ったら自分とこの大将だったり。
>>93 大将の定義によると思う。
前線指揮官という意味での大将なら多い。
実際井伊直正や松平忠吉なんかは銃創が死因になっているし、
後藤基次は黒田長政は突撃してくるときは最前列にいるから、そこを狙えば撃ち殺せるとも言ってる。
しかし、軍や衆を預かる司令官という意味での大将なら、少ないと思う。
彼らはまず前線に出てこないし、彼らの元にたどり着く頃には乱戦。
槍で突いたり、組み伏せて殺したり、熊や義元なんかがこれに当たる。
まあ、このクラスになると戦場で死ぬことは滅多にないけどな。
>>93 雑兵物語に書いてある事だな
あれも確実に信頼出来る物じゃないしなあ
登場の火器なんて殺傷距離短いし
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/20(木) 21:28:17
弓の名手・内藤正成が弓の秘訣は、と聞かれたら
拳突き出して相手の顔に当たるような距離で射ることだ、と答えたとか
これは心構えを指すことだと思うし、言った人間にも諸説あるが参考までに一応
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/20(木) 22:09:45
>>98 現実的には長槍の射程スレスレ、10メートル位が一番だろうな。
弓の軌道が羽根で安定し、威力が最大になるあたり。
騎馬武者が槍衾スレスレから弓を射て一撃離脱とか効果ありそう。まぁ、敵に飛び道具がないのが前提だけど。
てか、戦国期には騎射って戦法は廃れてたんだっけ?
NHK教育見てるー?
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 01:11:16
>>97 馬術の名人家康(らしいよ)も馬術の奥義を聞かれて、危ないところでは馬から降りる。と言ったそうだ。極めた人だからこそ言える言葉ではあるね。
以上、名将言行録より
騎射なんて出来る人間はそうはいないだろうし
1人2人でやってもあまり効果は無いかと
源平時代の一騎撃ちならともかく
モンゴル騎馬軍団みたいのが揃って騎射してきらた脅威だろうな
そうか?ちょっと乗馬が得意なオジさんが神社で流鏑馬してるぞ
>>103 殆ど障害物なくほぼ一直線に走れるのと敵味方が入り乱れて馬の制御すらままならない合戦での騎射が同じだというのか君は
少しは勉強してこいww
>>103 それは乗馬が得意ではなく弓技が得意なんだよ
馬は運送用で、戦場では降りて闘った説は
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/22(土) 01:53:07
>>104 犬を馬場に放ち、それを追い回して矢を射掛ける訓練もあったみたいよ。
勿論矢は殺傷力のないものに交換されてるが、やっぱ残酷。
150匹の犬を放して射手36騎で追い回すっつールールなんで、戦場に限りなく近い壮絶なもんだったろう。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/22(土) 16:27:47
戦国時代の騎射の実例って何がある?
オレは家康が三方ヶ原で負けて逃げる時、騎射で追って来る相手を二騎落としたことぐらいしか知らない
そうか、追撃戦では有効か<<騎射
深追いは禁物だが
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/23(日) 01:20:12
>>109 追撃戦は稼ぎ時だからな。
古今、偽装撤退に引っかかって伏兵にやられる奴が多いのは
それだけ追撃戦にて上げられる戦果が大きいからだし。
足の速い馬にのって、逃げる敵を後ろから射殺するというやり方なら騎射は物凄く有効だぞ。
だが騎射できる武人が当時何人いたか
集団で仕掛けるには熟練が必要だし
普通に鉄砲でも撃ち掛けて倒して悠々首取ったほうが速いかも
当時は毒矢は使ってたのかな?
アイヌはトリカブトの毒を使ってたよね。
銃での傷も結局、黴菌に感染して死ぬのが多数だろうから、
毒なんて卑怯だ、てのは多分に建前のような気がする。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/23(日) 03:14:56
>>112 矢じりと矢の結合部をわざと緩くしておき、矢を抜いても体内に矢じりが残るように細工してたなんて話を聞く。
敵を矢傷で無理に殺す必要はない。戦闘能力を奪えばそれでOK。
矢じりが体内に残った人間は戦になど出られないし、そいつを治療し養う為に敵はより多くの国力を消耗する事となる。
まぁ、対人地雷の発想だな。
まあ戦場においては殺すよりも負傷させた方が戦闘力は落ちるからな
殺した場合は一人分しか戦力は落ちないが負傷ならその負傷者を助ける為に何人かは戦闘できなくなるからな
まあ足軽なんかはそのまんま放置だとは思うが
>>112 毒矢は取り扱いが難しくてあんまり使われなかったって聞いたことがあるかもしれない
>殺した場合は一人分しか戦力は落ちないが負傷ならその負傷者を助ける為に何人かは
>戦闘できなくなる
なるほど・・そういう観点は今まで持ってなかった。目が開かれたような感じ
>>113 武田のゆる鏃か。
あとは鏃に糞尿を塗りたくって射るという方法もあるそうな。
簡易バイオ攻撃だな。
>>114 そりゃあ現代戦の発想だろ。
当時の発想じゃ手柄や戦利品の得られない攻撃など意味薄いんじゃないの。
ゼロとは言わないがモチベーションは確実に低い。
敵の首級を血眼になって探している最前線の将兵は一般的にそうかも知れないけれど、
適当に「生き延びればいいや」ってな気分で参戦してる奴もたくさんいるだろうし、
個々の手柄よりも全体的な勝利に興味のある指揮官とかはそういう発想してもおかしくないのではない?
勿論負傷させるだけでも勝ちに貢献すると言う発想はあるだろうが、
殺せるものをわざわざ負傷にとどめたいと言う発想はないだろ。
毒を使わないのは単にコストの問題じゃないか?
>>100 もしかして、知るを楽しむ「日本刀なるほど物語」ですか?
テキスト本も読んだけど、鈴木眞哉の項目とか面白かった。(信憑性については判んないけど)
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 18:16:03
鈴木ちょっとだけ出てたよ
戦場で刀は使われなかったって例の説語ってた
>>122 サンキュ
「武器として実用性に乏しかった日本刀」って奴ですかねぇ?見逃しましたわぁ。
再々放送に期待します。
戦闘に負けても謀略で勝つ“蝮の道三”
当時、毒殺で一般的に使われていたのは、トリカブトあたりか?
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 00:16:38
日本刀なるほど物語,おもしろかった
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 02:12:27
>>112 この時代に盾すら潔くないと言って使わなかった侍が
毒矢なんて卑劣極まりない物なんか使わないと思うよ
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 16:05:21
鉄砲が主力武器になってる時点で卑怯も何もないようなw
毒は殺傷力高くても速効性ないから意味がない
しかも貴重な馬を殺すのも問題
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 21:02:08
>>127 やっぱり鉄砲と毒殺は違うんとちゃうかな
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/18(木) 22:30:53
近代戦でも爆弾で1万人殺すより
毒ガスで100人殺す方が不道徳扱いだし
応急手当として、馬糞を湿布の代わりにしてたってのは聞いたことある
栗毛馬の馬糞は傷に効くってあれか
科学的に何の効果もないそうだけど
馬糞なんか塗ったら雑菌が入らないかな。
止血効果とか、どうなんだろ?