1 :
劉孔明:
三国志ファンには蜀のファンが多くいらっしゃると思います。漢朝最高の志半ばにして倒れた劉備玄徳や諸葛孔明、関羽や張飛、その他多くの将兵たちや文武百官…。そんな彼らに哀悼の念を禁じえない方々はおおくらしゃっるのでは?
そこでこのスレではどうすれば蜀が天下を取れたかを考えていきたいと思います。荊州を失わなければ、あるいは孔明が皇位についていればなど、みなさんの中にあるたくさんのifや方法論を、自由に述べいってください。
演義の孔明が不死身だったら天下が取れたと思う
>漢朝最高の志半ばにして倒れた劉備玄徳や諸葛孔明、関羽や張飛
?
4 :
劉孔明:2006/04/04(火) 21:20:35
すまそ 漢朝再興でした
蜀だけ無双のキャラだったら統一できた。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 21:25:11
アホ劉禅が、ネオ劉禅なら、とれた。
7 :
第六天魔王:2006/04/04(火) 21:40:42
そもそも陳なんとかがあのとき曹操を殺しておけば
無理。日本で言えば四国が本州に喧嘩売るようなもの。
四国=蜀
九州=呉
本州=魏
位国力差があった。しかも四国には薩摩みたいな特殊な地方はないしw
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 21:44:03
ほう統失ったのは痛い あれに5虎の誰かつけて荊州を守らせておけば
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 21:48:29
実は荊州と巴蜀は肥沃な土地なんじゃびっくり?
やっぱり孔明の死後、国内が荒れ天下が取れなかった
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 22:13:50
1、ホウトウのシボン
これにより、関羽が事実上一人で荊州を運営するはめに。
2、関羽のシボン
即ち荊州の喪失。これにより国力低下は言うに及ばず、2方面から魏領を伺うことができなくなった。
3、イリョウ
2位と3位での潰し合い。
4、諸葛亮の魏延嫌い
数少ない使える将軍ながら、いま一つ使い切れず。結局諸葛亮一人で内政から軍事まで
やることになり、イロイロな面で限界が。
5、度重なる北伐
タダでさえ国力で劣る蜀があれだけ遠征を繰り返せば、いかな諸葛亮の政治力をもってしても
疲弊は避けられない。
蜀にB-29が早晩に配備されれば勝てたんじゃねーの?
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 22:16:57
1000機のB-29があればな
17 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/04/04(火) 22:27:47
反三国志でも読んでみろよ
蜀が大勝してるよ
劉備や馬超とか死なないしね。>反三国志
反三国志は超三国志とは別物ですか?
孔明が劉備の後を継ぐ。
シ蜀に改名
趙雲が手を滑らせて阿斗死亡
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 15:51:35
孫夫人との間に子供生ませて孫権の養子に
謀略で以て呉の後継者に収まる
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 15:55:50
戦国自衛隊〜三国志編〜
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 15:56:35
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 16:11:21
劉禅を無能と信じて疑わない
蜀厨が必死なスレはここですか?
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 16:23:50
俺がプレーすれば統一できたよ
戦争負けたらリセすればいいしwwwwwww
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 16:30:36
こういうセンスないレスがつくと、
空気が重くなるな。
まさにストッパー。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 16:51:19
人生もリセット
30 :
島津義弘:2006/04/06(木) 16:52:49
大筒で攻撃
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 17:02:01
鉄砲隊かまえッー!
類似スレ何個目だ、コレ
もういい加減飽き飽きだな。
まあ今は春だけどな。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 15:12:30
もうじき梅雨だね
>>13 >1、ホウトウのシボン
これにより、関羽が事実上一人で荊州を運営するはめに。
ちょ、おま、潘濬とか無視かよ
関羽はあくまでも荊州方面の「軍事」の統括者であって政治の統括者じゃない
荊州方面の内政を統括する人間は別にいる
>4、諸葛亮の魏延嫌い
数少ない使える将軍ながら、いま一つ使い切れず。結局諸葛亮一人で内政から軍事まで
やることになり、イロイロな面で限界が。
いや、諸葛亮は魏延を滅茶苦茶に重用してるから
>5、度重なる北伐
タダでさえ国力で劣る蜀があれだけ遠征を繰り返せば、いかな諸葛亮の政治力をもってしても
疲弊は避けられない。
諸葛亮の北伐って戦闘になれば勝ったり持久戦で対陣だったりで兵力の損耗少ないよ
確かに国力を消耗するのは間違いないが即座に蜀が疲弊するほどじゃない
>>19 反三国志は中国で出回っていたif本
それを光栄が日本人向けに書き直したのが超三国志
>>36 ホウトウは内政官なのか?
オレとしてはホウトウには戦略眼を期待(実績無いから)して、その死を惜しんだわけだが。
外交やら諜報も、かな。
軍事が関羽、内務が潘濬。いずれもその担当範囲内では大きなミスがあったとは思わない。
それでも何かが足りなかったから荊州は落ちたんで、それは戦略判断のミスだと思うわけ。
で、勢力内での序列や性格から、軍事担当官の関羽が戦略判断でも主だっただろうと。
あと、国力=兵力ではない。
持久戦だから余計に物資を消費するし、生産が滞る。
事実、諸葛亮の後任人事は外征を考えたものにはなっていない。
>>38 >ホウトウは内政官なのか?
いや、それは
>>13に言えよ
ホウ統が死んだから、関羽が荊州を一人で運営すると主張してる
>>13にな
>あと、国力=兵力ではない。
国力=兵力だよ
武器、兵糧、輸送器具、他諸々の兵力に関わる全ては国力、つまり国家の体力が大事
>持久戦だから余計に物資を消費するし、生産が滞る。
実際に兵力を削りあった方が物資も人的資源も消耗が速い
諸葛亮の後任は政争で潰しあった結果ああなったのであって外征云々じゃないしな
>>39 うんえい 0 【運営】
(名)スル
組織や機構などを動かし、うまく機能するようにすること。
「―方針」「会を―する」
国力と兵力を=で結んでしまうというのはどうなんだ?
糧食は全て屯田なのか?違うよな。
職業農民が生産する糧食の方が多いよな。
外征に際しては租税負担に加えて、当然徴収もしてるだろう。
しかも長期にわたるから、2度3度と行う事になる。
民間の蓄えが減る、これが国力の疲弊だね。
諸葛亮が死んだ事で、「北伐派」の地位が相対的に下がったんだろう。
劉備入蜀以前に戻したいと考える勢力を抑え切れなかったんだろうね。
>>40 長期の遠征による国力の疲弊?
そうならない為に諸葛亮は節約に節約を重ねて国力を落とさない形で北伐を敢行してるんだよ
同格の李厳による開府要求を突っ撥ねるとかでも判るように徹底的に無駄を省いた政権運営をしている
塩鉄専売によって民間が疲弊するリスクも政権内部では考慮されており民間を疲弊させないように苦慮していた
それに関して民間が疲弊したと言う記事はないのでギリギリのバランスではあったかも知れないが大丈夫だったのだろう
また法の運用を厳正にやったと言う事は唐突な徴発等はあまり行われなかったと考えていい
否定するならば租税負担に加えて徴発も行っていたとする根拠を提示して貰いたい
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 17:56:53
>>42 >法の運用を厳正にやったと言う事は唐突な徴発等はあまり行われなかったと考えていい
なんで?
>>33 飽きたのなら書き込まなければいいだろう
誰も君に来てくれなんて頼んでないのに、何で粘着して愚痴ってるの?
×書き込まなければ
○見なければ
1ヵ月挟んで批判しなくても…
>>43 臨時の徴発は民衆に不平感を生じさせるけど諸葛亮の政治に対しては民衆も支配者層もそんな不満を出した形跡がない
また法に定められた租税以上を突然に取ろうとすればこれは怨嗟の声となるし
唐突に人員を徴発しようとすれば同じく民衆は疲弊する
事実、敗戦によって失われた人材を強引に穴埋めした姜維は国内からの非難が凄まじかった
>>41 適当な言葉がみつからなかったんで、作った。
「北伐推進派」とでもいうか、中原の”奪回”を目指した連中。
姜維とかも含めて。
>>42 えーっとね、外征をするってことは国力を削ることなんだよ。
これは時代や洋の東西を問わず。
増して、相手は10倍近い国力を持ってるわけでね。
無論、ソレを見越して備蓄をしとくんだけど、平時であればそれらの備蓄は
市場に流通しているはずの物資だよね。
特に益州は長い事”平時”が続いていたから、中原では普通程度の租税負担や徴発
であっても、よりダメージは大きく残るだろうね。
>>42 造語は誤解の元なんでやめれ
国力を削って出兵してるってのは当たり前
俺は諸葛亮の北伐は国力を衰亡させないギリギリのラインだったと言う主張なの
大体、魏は第五次北伐以前には隴西の兵站線の確保ができておらず、あの地方に限ると
兵力が「蜀>魏」になってたのは晋書にも書かれている通り
それから大いに勘違いしてるけど益州が平時が長く続いてたってどこにソースあんの?
あそこはあそこで長く動乱が続いてるんだよ
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 21:22:08
三竦みってのは互いに足を引っ張り合うから難しいよね。
関羽がイケイケで魏が関羽に総力を向けた時に呉が魏を攻めてくれれば良かったんだけど、
呉には呉の思惑があるからね。
呉としては上流である江陵は他の誰が持ってても都合悪いからね
だから殺してでも奪い取る
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 21:41:57
ユリウスカエサルが継ぎ、妻はサッチャー。
大将軍にはチンギスハン。
幕僚には、ネルソン、ハンニバル、ファビウス、ナポレオン、カール。
政治は、…秋田
蜀厨きもい
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 22:35:50
思うに、相当鉄血政策掲げた山岳ゲリラだったんじゃねえの?
ポル○ト派みたいな。泣いてバショクとか、チョウヒの不信死とか、
カンウと離れて統治したりとか、孔明が幅利かせて無理矢理統制とる
ために内部にドロドロしたモメゴト抱えてたのでは?蜀って・・・。
56 :
大橋巨根:2006/05/26(金) 23:21:45
蜀にガトリング砲さえあったらなー
潘濬に限らず、荊州人士で関羽を裏切らず最後まで従った者のほうが少ない
というかロクにいないのよね。
なにしろ、関羽が呉の参戦と荊州陥落をしったのは敵である魏側の策によって。
それだけ呉の情報封鎖が厳しかったのかもしれないが、公安だけでなく、他の
諸城も抵抗せずあっさりと降服開城して関羽に急を知らせようとした動きがない。
こりゃもう、関羽の統治(軍政面に限っても)に問題があったとしか結論づけ
ないよな。そして、荊州という要地を任せられる人材が他にいなかった時点で
劉備の覇業の頓挫も決定づけられていたと。
「決定づけ」という日本語はない
関羽だけの問題じゃない
丁度人事異動の真っ最中に攻撃受けたと推測される訳で呉の攻撃タイミングの上手さもある
>>60 そんな人事異動の最中に遠征を行ったのなら、判断したのが関羽か劉備か諸葛亮
かはしらないがフォローのしようがないな。
逆だっつうの
関羽の北上が想像以上に上手く行っちゃったから統治体制の再構築が必要になった
人事異動しなければ結局その後の戦闘に支障を来たす
誰かを責めるんじゃなく呉を誉めろ
想像以上にって、結局ハン城を包囲した程度で?
しかもそれで結果も出ていない時期に再構築が必要になったって、荊州の統治
体制はどれだけ杜撰だったんだ?
>>57 仮に家に籠もってたのがポーズにしても、一応孫権が来るまでは出仕しなかったんだから荊州組の中では粘った方だろ。
確かに演義では率先して寝返っていたし、季漢補臣賛では糜芳・士仁ど同列に扱われてるが、
じゃあ藩濬がなんかやったのかと言われると特に過失はないはず。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 01:24:22
age
大雨降った時に祈山じゃなく長安攻めてりゃよかったんじゃね?
劉禅ではなく劉理?が跡をつげばよかった
劉永の間違いじゃね?
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 23:40:45
荊州があるかないかでかなり難易度が変わるね
孟達か劉封が援軍を出してたら関羽タン死ななかったの?
そうだよ。
わぁーすごーい
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 00:00:51
藩濬だが
「呉書」には降伏の経緯が書かれていないんだな
>>74 え?と思ったが記述があるのは注の方か……
関羽と不仲で、孫権が関羽を攻めると呉に入った。
これは楊儀伝だったかな?
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 00:51:36
張飛がアルチューじゃなかったら
発想を変えて「滅亡を防ぐには?」の方がまだ芽がありそうだな
曹操とその一族郎党と家臣団を
まとめてヘッドハンティングすればよかったのに
迂闊にも吹いちまった。
もう何代かあとまで閉じこもって耐え忍べば中原に出る可能性もあったのかもしれないな。
蜀が健在でどこまで魏or晋が乱れたかわからんが。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/09(水) 13:44:36
蜀だけの力ではさすがにどうにもならないだろうけど、
呉と蜀が完璧な同盟を結んで、魏に同時進攻を繰り返していたらどうだったかな?
兵力ではまだ余裕が有るだろうけど、孔明・陸遜が指揮する大軍はそう簡単に追い払えないだろうし
何度も苦戦が続けば魏の内部崩壊も期待できるような・・・。
石亭時に呉蜀が完全に足並みを揃えていたら面白かったかもな。
燕独立も早まるかも
蜀の大地の下にあるエヴァを掘り起こす
義に厚くない関羽が赤壁で、逃げてきた曹操を切り捨てていればナントカなったかもしれない。
>>58 たしか陸遜伝だかに、関羽の統治の統治について書かれていて、
徳が行き届いた統治とか、かなりほめられていたよ。
庶民や兵卒にはいい統治者だったのは間違いなかろう。
ただ支配層には、関羽アンチが結構いたようだけどね。
彼らは劉備に従ったわけであって、
(劉備が刑州を落としたとき、人士の多くは劉備に従ったそうな、劉巴以外ねw)
関羽に従ったわけではないというのが、関羽にはわからなかったんだろうな。
あそこで呉が魏につかなければ、関羽がハン城を落とした確率は非常に高いし、
かなりの陣地を築いていたそうだから、徐行に勝てなくとも、
陣地で防いでいる間に城を落とし、退却に追い込む可能性はある。
・・・ふと思ったんだが、その場合。刑州北部は蜀に落ちるが、
劉備はいい年だから、数年でおっ死ぬ(イリョウで寄生虫にあたったという説もあるが)
その後は当然劉禅が継ぐんだが、刑州の大半を領有し、独自の外交権まで認められた関羽が、
劉禅なんぞに従うかな。特にこの場合功績は文句なしナンバーワンだ。
結果ものすごく傲慢になり、従わない可能性があるかも。
また同時に劉封を粛清する口実もないから、勇猛な劉封が、無能とまではいかないでも、
まだ若く、実績も足らないボンボンに忠誠を誓えるのか疑問。
少なくとも孔明が実権を握るのは無理だよなあ。
後事を託されるのも、関羽になりそうだし。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 06:57:57
と言うか関羽いなかった方が上手く行くんじゃないか?
関羽以外じゃ張飛くらいしかいないわけだが
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 10:15:09
荊州陥落を防がない限り厳しいな
ホウ統と法正が生きていたと仮定する。
法正は益州で劉備に、人望があり誰とでも上手くやれそうなホウ統が荊州で関羽の補佐。
そして関羽留守中の重要拠点は仕事に徹する趙雲あたりを配置できれば呉も迂闊には動けないだろう。
ホウ統や趙雲とも揉めるようなら打つ手ないが、この2人なら我慢して円滑に回してくれる気がする。
>ホウ統が荊州で関羽の補佐
無理
劉備はお気に入りを手放さないだろ
逆に孫夫人を益州に連れて行って、孫権に返さなかったらどうだろうか
できれば子供もつくったりして
人質か…曹家と婚姻した孫家の奴らとか考えるとあんまり効果なさそうだ。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 16:49:26
赤壁敗戦後の曹操を関羽が討ったことを前提。そしたらギは曹ヒが即位。幼い統治者にギは混乱。これに乗じて馬騰が曹ヒを攻める。劉備は安心して劉ショウを攻める。ここでもホウ統が死なないことが大前提。
劉備はショクと荊州ゲト。孫権は徐州を攻める。ギは立て続けに謀反と反乱の嵐。
劉備は馬騰と共鳴しギを攻め孫権も攻める。ギ滅亡。そのまま馬騰を帰順させ孫権と夷陵で決戦。勝利。統一
演義のスレで語ることだな
誤爆すまん
曹操を討つか、それなら呂布に曹操を討ってもらえば、天下とれたかもしれんな。
実際曹操は下手すりゃ、エン州で名もなき雑兵に討ち取られていたかもしれんし。
ま、その場合エン紹が天下とる確率が非常に高い。
下手すりゃ死んでたって誰でも同じだね
>>89 俺も88をみていたら、むしろ死んだほうがよかったのかなって気になってきた。
ゲームなら裏切ることはないんだけど、
よくよく考えたら、関羽が死んで、ついでに劉封を粛清したから、
お家騒動がなく、うまくまとまったんだよね。
エン家曹家孫家と、みなお家騒動でごたごたしているから、
ある意味助かった面もあるわけだ。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/21(月) 18:41:06
ホウ徳がいれば取れた
103 :
わかめ:2006/08/22(火) 00:15:11
赤壁の後、関羽が曹操を斬っていれば
漢中で馬超とホウ徳が別れていなければ、てか
張松の計画がばれず、劉備がすんなり蜀取りできてたら、と仮定したらどーなんだろ
桃園の誓いに孔明も混ざっていたら、蜀どころかあっさり天下を取っていたかもね
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 10:27:42
3歳でそんな実力あったら曹沖の立場がないぞ
109 :
105:2006/08/22(火) 11:39:45
>>106-108 いや、全くそのとおりだがw 要するに同じ世代に生きていたらって事さ。
葬送が大陸の半分支配した後で出てきたって、時間切れに終わるのが当然だよ。
やっぱりスタンガン
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 21:24:31
ホウ徳だホウ徳!どっかのバカコレクターがいなきゃヤツは蜀に行っていた!
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 22:02:12
魏将と呉将が全員死ねば取れる
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 22:13:03
>>109 そしたら結義の時に出す羊が足りなくなって劉備のおっかさんが困るな
>>109 得体の知れない劉備、
何か人を小ばかにして喧嘩ふっかけられる関羽、
酒の勢いで喧嘩する張飛、
やたらと気ままな簡雍…
だめだ、ツッコミ役決定だ
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 10:07:45
馬超があと10年長生きしていたらどうたったか?
西涼方面の攻略には欠かせない人物だと思うが・・・。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 10:42:58
関羽が死んだから夷陸の戦いが始まったし、
張飛も死ななかったかもしれない。
いかに荊州が重要な地とはいえ、それが原因で魏と呉が手を結ぶ事態など
蜀にとっては絶対に有ってはならない状況だったはず。
堅物で傲慢な関羽なんかより、趙雲に外交能力のある補佐官でも付けておいて
益州が安定するまでのらりくらりと時間稼ぎさせておいた方が良かったんじゃないかな?
それを言うなら呉の呂蒙の先見的戦略性のなさにも触れるべきだろうな
荊州を得るデメリットは容易に考慮できたはずだからな
所詮阿蒙は阿蒙だったということかもしれんが
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 11:47:46
荊州を趙雲に任せて置けばよかったと言うのは同でしょう
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 11:54:46
>>119 え?え?
江陵を得る事は呉にとって独立国家として成り立つ最低限の事だぞ
取らなければ呉はない
蜀にとって都合のいいことばかり考えてるんじゃねーよ
>>122 いやー、関羽を討ち取り、荊州を蜀の支配下から魏・呉へと移すことにそんなにメリットがあるか?
関羽を討ち取れば劉備は攻めてくると簡単に予測できるし、魏の勢力を安定・拡大することは、
果たして蜀にとってのみ都合のいいことなのか?
俺には荊州攻めは呉にも都合がいいようには思えん
まあ合肥の張遼が恐くてへたれたんだろうがね
2行目は魏の勢力を不安定・減退することだと思うが
これは呉にとってもメリットはある。
ただし江陵を握っている勢力の拡大はデメリットでもある。
呉にとっての江陵の重要性は滅亡時をみれば分かるよ。
呉が仮に全く動かなかったとしても関羽が成功した可能性は低い。
徐晃の後に曹操も来ていたからね。
呉が関羽と共闘して合肥を攻めても簡単には落とせず
関羽が撃退されて呉軍も撤退となったんじゃないかな。
あと呂蒙は蜀まで攻撃する気だったから劉備が攻めてくるのは
計算ずくだったかむしろ自分から攻める気だったのかも…。
今までこの手の相手に何度レスしてきたかわからないが、一応今回もマジレスしておく。
>荊州を蜀の支配下から魏・呉へと移すこと。
まだ関羽は樊城すら落としておらず、荊北の情勢は戦後そのまま。南部の蜀領(もともと荊南には呉領もあった)のみがそのまま呉へとスライドしただけ。
しかも魏側は関羽の攻撃による疲労と呉の伸張を受けて戦後まもなく襄陽・樊城を捨てて防衛線を宛まで下げているので、
つまり関羽討伐の戦後情勢でいけば荊州は魏・蜀・呉の三すくみ→呉単独支配に移ったといった方が正確。
>魏の勢力を安定・拡大することは、
つまり魏の勢力は微塵も拡大してないので、
呉の選択は蜀にとってのみ大いに都合が悪く、魏は苦渋の選択をし、呉は大笑いといったところ。
呉に都合が良くない面とはどこですかね?
>合肥の張遼が恐くてへたれたんだろうがね
これは間違いなくあるね。合肥は相当の難所の上に張遼は名将、しかも防衛構想上江陵を初めとした長江南岸のラインは
なんとしても欠かせないところだが、合肥は呉からすれば守り難く魏からは攻めやすい。
呉から見て戦略上より重要でより隙だらけの荊州を狙ったというのは想像に難くない。
>>125 誰も短期での話はしてないんだがね
長期的に見て、呉にメリットがあったのかという話
既にあの時点で国力には歴然とした差があったわけだから、下位での潰しあいはどうだろうという話をしているだけ
>>126 長期的に見ても呉は荊州を手にしてることで国防を有利にしてるよ。
>>127 その結果、ああいう歴史を辿ったわけだが
>>124 >呉が仮に全く動かなかったとしても関羽が成功した可能性は低い
え?え?
何を根拠にそんなこと言えちゃうの?
関羽が徐晃とぶつかった時点で江陵陥落の報を受けた関羽軍の士気は萎え萎え
もしも江陵が落ちてなければ結果が全く見えないよ?
>>128 そりゃ呉のせいじゃなくて蜀が財政破綻で自滅したからだ
もう少し良く考えろ
>>126 長期でみたなら、呉は魏蜀の侵攻をキチンと撃退し勢力を伸ばすことに成功したという歴史的事実は言わずもがな。
結局蜀もこれ以上対抗を続けられなくなり和睦を申し入れてきて呉の支配は磐石となったという孫権の読み通り。
これをメリットと呼ばずになんと呼ぶのかがわからない。
蜀が得たたかもしれない領土と戦力を、それを長期的にも呉には向けなかったかもしれないことを頼みに、
魏に与えたかもしれない影響を、実際に得た呉の利益を確かに上回るものだったと思ってるのかな?
>>130 だからよー、君とは議論の前提が違うんだよね
あの時点で既に魏と呉・蜀の国力には歴然とした差があった、これは事実だろう?
で、そこから呉・蜀の勝利を導くには2国の協力と連携が必要だと考えるわけだ
この視点で考えれば、呉の荊州奪還なんてものは大してメリットを感じれんわけよ
たとえ将来に向けた布石だとしても、あの時点で互いに争う必要があったのか?
そりゃ蜀にも非難される点はあるだろうが、魏を大幅に減衰できないのならやるべきではなかった、ってのが俺の考え
>>132 歴然とした差があったから、所詮国の違う二国の連携によってどうにかしようというのが土台無理。
それは石亭勝利→諸葛亮北上の流れをみてもわかる。
なので自国を磐石にし、中央の魏が衰退したり分裂したりを狙う方がよっぽど可能性が高いとも言える。
幸いにして地形的な恩恵によってあれだけ差があっても比較的容易に守ることはできていた。
>>133 期待値の話をするのはナシだぜ?
史実ではそうやって滅亡したわけだからなw
>>135 曹操はそのすぐあとにおっちんでる
どう見ても指揮なんか執れる状態じゃないし、曹操が死ねば士気が激減
ここは結果論だけども間諜が曹操の様子くらいは探ってるだろうし
曹操が来ててもあんま問題がないんだよなぁ
呉の滅亡の原因は敵(魏晋)より早く国内の混乱から疲弊していったためで、
こんなの戦略に組み入れられようはずもない。魏晋との抗争で疲弊したならともかく…
期待値なるものが何を指してるのかがよくわからんが、これを根拠のない推測だと言いたいなら
より根拠のある推測とやらを見せてくれ。
>>132 ところが経済戦争だと蜀と呉の圧勝なわけで
差はあるけどそんなに圧倒的な差じゃないんだなぁこれが
流石に関羽があの世までご招待しましたとは言えんからな、その可能性は高い
>>134 荊州を取って呉は滅亡した→荊州取らなければ呉は滅亡しなかった
靖国参拝するから中韓に文句言われる→靖国参拝しなければ中韓に何も言われない
論理が似てるね。まったく根拠になってないのに。
>>137 相手の疲弊を待つのに自国の混乱は放置かよ、おまいの言う戦略ってのは随分無節操だな
歴史と同じように動けば同じ結末に行くと考えないのか?
>>141 混乱は放置って何が?当時献策した呂蒙、あるいは受け入れた孫権に
「今から60年後の王朝が悪政を敷きついには滅びるかもしれない」ことを視野に戦略を組めとでも言うのか?
60年後の内部的な混乱はその時の為政者達の問題であってこの件になんの関係もないじゃん。
>>137 呉の相手の疲弊待ちってのは蜀が健在で呉蜀による魏への経済締め付けが出来ている場合のみに有効なんだよ
蜀が財政破綻で自滅して長江上流を魏晋に抑えられた後はその策はもう意味が無い
だけどもう方向転換できない状況だった
あとは国力差でジリ貧だ
>>142 >>133がおまいのレスじゃないならスマンが、
>自国を磐石にし、中央の魏が衰退したり分裂したりを狙う
ってのが荊州を攻めた呉の基本的な戦略なわけだよな
これは10年やそこらで達成できるものかね?
それこそ50年60年を見越した戦略なんだから、混乱の起こらない体制を維持してかなきゃいかんわけさ
そして、その策は失敗しました
>>136 江陵の陥落さえ分からなかった関羽が曹操の健康状態を分かるわけ無い
孫権や呂蒙は使者の往来があったから分かったかもしれないが不確定情報で動くほどアホじゃない
曹操は摩ヒにいるときはまだまだ元気で死ぬまで3,4ヶ月ある
その間、関羽が耐えられるかどうかは怪しいな
>>143 経済的要因のみならず後継者争いや腐敗などの政治的問題から、北方民族の侵攻など外圧問題など色々ある上に、
蜀が財政破綻で自滅して晋に蜀を押さえられることを当時の呉人に予測したり打つ手があったりするの?
後世の為に現在の支配領域を拡大・安定させて後に託すことが呉にとって最善の選択だったはず。
このスレも昔は荊州失陥について「呉には呉の都合がある」とした上で
どう防ぐかが議論されてたのにな…
>>146 最善の選択はどうでもいい話だ
実際悪い策ではないからね
ただ、結果としてその選択で失敗したんだから今仮想の話をしてるんだろ
失敗した策を今度は成功しますってのは訳がわからん
そして予測できたかと言われれば、予測しなければいけなかった、と答えるよ
でなけりゃ全ての仮想の話は成り立たん
>>144 その無茶苦茶さは釣りなのかどうかを疑ってしまうが、本気だよね?
荊州を得ることによって支配を安定させるという方策自体に、60年後の混乱の要因があるってこと?
それともその後の混乱を待つことなく一気に全国を統一できるような名案でもあったのか?
失敗したのは後継者争いや政変・クーデターに暴政など政治的問題の蓄積なんだが、
問題をそこに求めるのではなくあの時「国力を伸ばし、後に繋げる」ことを選んだことに求めることがどうしてできるの?
>>148 ???「悪い策ではなかった」のに
>>119から始まるこの議論に繋がるの?
最善の策がどうでもいいとか意味不明。その時の最善の策を選んだと言えるなら問題は別のところに求めるしかないじゃん。
あの時の呉にだけ当時考えうる最善の策以外を選んででも他に取るべき道があったことを「蜀に天下を取らせるには?」スレで語ろうと。
一体その考えはレス番号でいうどれを踏まえた意見なのか聞きたい。
>>146 そーだよ
だから呂蒙は取り得る最善手を打ったが後に続いた孫権が大きくヘマしただけ
江陵を取って呉の独立独歩の体制を築いたまではよかった
最悪なのは二宮の変だ
あれで全部台無し
このスレは「蜀に天下を取らせるには?」だからな。
呉にとって最善とか呉の長期繁栄とかはどうでもいいんよ。
蜀にとって最善であることが一番重要。
呉の最善手をまず想定しないとそれを上回る形での蜀の天下統一プランが立てられないだろ
このノータリン
>>149 違う違う、戦略としては、領土を固めて相手の疲弊を待つ、というのがあるわけさ
そして、そのために行ったのが荊州奪還だろ?
ならばその後、少なくとも魏が疲弊するまでは磐石な政権運営を行うことも戦略の一部なんだよ
そして失敗したんだからやめるべきだった、と言っているわけ
>>150 あのさー、俺は最善の策とは言ってないし、むしろ妥当な策だった、と言ってるんだよ
妥当な策を採って滅んだ勢力が歴史に幾つあるかわかるか?
そして蜀が天下を獲るには呉の協力が必要だったとも言ってるんだよ
なら「蜀以外が勝手に滅ぶ」が最善で終了じゃん。もしくは「蜀以外は常にミス連発して戦争に悉く勝利」でもいいし。
「魏と呉が降伏してくる」でもいい。そんなの語ろうだなんてヤツいないだろ。
>>154 あなたが思ってる最善の策をいってもらわんと何も言えんよ
>>156 荊州攻めの時に呉が魏側につかなけりゃ(表現としてはおかしいが、意味は通じるだろう)面白くなったと思うよ
その後曹操が陣中であぽーん→蜀・呉の北上→決戦の流れになればいけるんじゃないの
>>154 荊州奪取はまずそれだけで「国土を広げることに加えて防衛線を安定させる」という目的を持つ作戦。
それは「領土を固めて相手の疲弊を待つ」という戦略の一環。ここまでは良い。
それには「磐石な政権運営を行う」ことも条件だったとして、その政権運営が60年後についに破綻した時に
「磐石な政権運営を行うべきだった」とその間の政権運営について問題にするのではなく
「国土を広げることに加えて防衛線を安定させる」という成功した部分を問題にして変えろみたいな話しになるわけ?
少なくとも蜀が天下を取る為には関羽が絶対に必要になるだろうな
蜀の将軍の中でも珍しく船団を率いる能力があると記述されている将軍だし
蜀の中では珍しく全国区に名前が鳴り響いてるからな
となるとどうすれば関羽を死なせずにいられるか
ここが焦点だと思うよ
>>158 だから、そもそもの「領土を固めて相手の疲弊を待つ」って戦略は「磐石な政権運営を行う」ってのが前提だよね
ならば「磐石な政権運営を行う」ってのができないんなら「領土を固めて相手の疲弊を待つ」って戦略をヤメロと
即ち蜀と事を構える可能性が高い荊州奪取もこの時期にやるべきではなかった、ということ
呉の政治体系を考えると「磐石な政権運営を行う」ってのは難しそうだし。まあこれは蜀にも言える部分があるんだけど…
それでも「磐石な政権運営を行う」ってのが可能だって言うなら、「ああそうですか、俺はそうは思いませんけどね」としか言えんよ
>>157 曹操が死ぬことを予期し、また蜀に長江流域を押さえられたまま難所合肥を抜き、まだまだ大軍を抱える魏軍と対抗しながら
蜀側が一直線に荊州から中央までのルートを進むのを助け、その上で大国魏を滅ぼし、上流を押さえ同等以上の大勢力となった蜀を
地形的な助けを借りず、また後の政変を起こす前に決着をつけることを当時の一作戦の決断の際に求める馬鹿はお前ぐらい。
>>161 俺は蜀の話をしてたんだがね
呉の採れた戦略は合肥を伺いつつ荊州を牽制するくらいかな
てか「当時の一作戦の決断」てのがあの時の呉側の認識だとしたらお笑いものなんだがw
>>160 どんな作戦だってそれが最終的に実行されるまでの間磐石な体制を維持してもらわなければ不可能だ。
そのチャンスが何時訪れるのかはわからないし、実際何度かチャレンジしたけど駄目だった。
お前に言わせれば諸葛亮や魯粛の戦略も「結局上手くいかず天下は膠着し両国とも滅ぼされた」になるのか?
他の戦略に変えるべきだったと?
それともこの2人については協調を実現することのできなかったその時その時の両国責任者の判断が悪くなり、
呂蒙らのこの時の判断は維持できなかった後の指導者ではなく呂蒙らが悪いとなると?
蜀限定の仮定を持ち出して話をそらす。
そのくせ話の根本は呉視点からの荊州攻撃。
論法として間違ってるんだよ。
>>162 呉が自身の利益を省みず「合肥を伺いつつ荊州を(関羽の作戦に支障をきたさないように)牽制する」なんてことをしてくれれば
蜀は大助かりだなそりゃ。
>>155にあるのと同程度のことを主張したかったのか?
>>163 長期的な時間がかかる戦略を立ててそれができなければその戦略は失敗だった、と言っているだけなんだが
呂蒙に関して言えば、自分が生きている間を超えての戦略ならその責の一端は自身にある罠
後戻りできない戦略を立ててあとは知りませんってのは流石に無理があるな〜
>>165 しかし、あの時点で江陵を獲るなら史実と同じ流れになるのではないかね
呉は基本として合肥を狙うべきだった、という主張がそんなに違和感あるかねぇ
>>166 合肥取るより荊州取るほうがメリットが多く、さらに荊州の方がスキだらけだったんだから
そりゃ違和感あるだろ。
>>166 呂蒙だけではなく諸葛亮も魯粛も自分が生きてる間は実現できず自分が生きている間を超えての戦略だぞ。
お前は彼らを指して「無責任だ」とか「失敗だ」とでも言うのか?お前にとって成功した長期的戦略って誰の何?
呂蒙らは短期的目的は完璧に果たし、その上で長期的にも後に繋げたのに。
合肥を狙って現実以上の成功を収めることにどれ程の公算があると考えているんだ?
>>167 どのブラウザ使ってんのかは知らんが、最低50前くらいからのレスは読めよw
ま、目の前に落ちてる毒団子も毒だと知らなきゃ食べれる品
>>168 諸葛亮も魯粛もってのは所謂天下三分のことか?
それなら実現すらしてないし、第一俺が提唱してるのがそれなんだがw
呂蒙は確かに短期目的は果たしただろうが、それが長期的に見て失敗の原因となったのも確か
結果論ではあるが、曹操が死んだ後の混乱をうまく生かせなかったわけだしな
それともまだ呉は「磐石な政権運営を行う」ことができたというのか、それなら好きにしろよ
>>169 三つの国を鼎立させる、ということには成功してる。呂蒙でいうなら荊州を奪うという所は達成した。
そこから考えられる、三者の自国の天下統一論を推察するなら最終的には皆実現はできなかった。
それを責めて「どうせ蜀取ったって最終的には滅びるんだから、蜀攻めないで北上しろ」と211年当時の劉備の正しい選択と
主張する馬鹿馬鹿しさが君にわかれば、後は自分の言ってることに当てはめてみるだけ。
「史実通り進めば赤壁の敗戦による混乱を天下統一に結び付けられなかったのだから長期的に失敗だったのは明らか」とかね。
基本的にはどれも言いがかりに近い。
自己勢力の正統性の問題から蜀が国を保ち続けることの難しさ、それはわかるが、
「蜀は結局は磐石な政権運営を行うことができないから〜」なんて理由を主張しても上記の説なんてとても受け入れられないはず。
>>169 じゃあ呂蒙案を超え、後の世に政治が混乱しても天下取れる具体的かつ納得のいく戦略を呈示して。
まさか
>>157とかがそれだとか言わないよね?
>>171 おまえもちゃんと読んでるのかよ…
呂蒙案、あの時点の江陵攻めでは引き篭もり路線を決定してしまうんだよ
呉の政治に磐石さを求めるのは_だから天下を獲りたけりゃ蜀と共同して魏にあたるしかないの
ただそれだけの話だ
>>172 呉の政治に磐石さを求めるのは無理で蜀との協調は絶対に磐石なの?
>>173 どんな曲解したらそうなるんだ?
勿論互いに一時的な同盟だとは理解してるだろうさ、3者の戦力バランスがある程度になるまでのな
それとも、対魏戦線において一国であたれるというのか?
理解に苦しむのは、曲がりなりにも同盟国だった蜀を切ってまで
当時深刻な紛争を抱えていた魏と結んで長期的に利益があったのかってこと。
蜀を完全に滅ぼして益州まで奪う目算があるというなら別だが、
荊州を奪って敵を増やしただけなんじゃないかと。
蜀の降伏の時だって「呉を頼ろう」って意見は速攻で却下されてた訳で。
そう考えると、ただでさえ国力の劣る国同士で潰し合う事にメリットがあるとは思えん。
>>174 3者の戦力バランスが整ったら荊州抑えられてる呉は北に勢力伸ばしてたとしても危険な状態なんだが。
そしてその状況で、そちらの意見の前提になっている政権の混乱が起きるわけだ。
>>175 当時呉は魏とすでに和解してる。
うわべの和解とはいえ、蜀との同盟もうわべのもの。
蜀-呉が友好関係で魏-呉は敵対関係だったなんて都合のいい妄想。
呂蒙が荊州を奪い劉備を撃退した後無事同盟関係を修復できているわけで。
そもそも劉禅(諸葛亮)―孫権(陸遜)ラインでかなり強固な同盟関係が結べたのも呉が荊州の支配を確立し
劉備が死んで荊州奪還を蜀が諦めた(荊州問題が蜀の折れる形で解決した)ため。
だから両国不可侵や魏領の領土分配などが明文化され宣言されたことでお互い後に引けなくなった。
それまで孫家と劉家は成り行き上協力してただけでしばしば紛争を起こしており、友好国かどうかも怪しい。
関係強化のために送り込まれた夫人が帰ってしまうほど冷え切った当時の関係に比べたら
むしろ関係は改善されたという結果論。
>>176 うわべだけの関係だとしても、魏が戦線を2つ抱えている状態なのに
なぜわざわざ蜀の国力を削って自分への圧力を増すような選択をするのかってのが分からん。
蜀が滅びれば荊州を奪ったとしても、対蜀戦線が消滅した魏が雪崩れ込んでくるだけじゃん。
別に蜀と呉が友好関係だとは思えんが、呉にとって荊北を窺い、漢中を狙う蜀は
都合のいい盾として機能はしていたはず。それをなくしてまで荊州を奪うことに意味があったのかと。
>>176 そりゃあ3者のバランスが整う前に江陵を攻めるだろw
場合によっては外交で獲れるかもしらん品
俺が一貫して主張してるのは、あの時点での江陵攻めはなかった、という点なんだがな
そして、疑問視しているのは国力の劣る国同士で潰し合う事なんだが
>>178 だから、蜀は滅びてないし魏の戦線は二つのまま、漢中を狙う蜀は都合のいい盾としてその後も機能している。
蜀の国力を削って呉の国力を確かなものにしただけ。荊州を奪うことによる国防上の利点は計り知れない。
>>179 あの時点を置いて取る機会なんて早々なさそうだから取ったんだろ。
>>180 そうかねぇ。
呉にもう少し信頼感があればあんなにあっさりとした蜀軍降伏はなかったと思うが。
「古より以来、他国に寄りて天子と為る者無し」なんてどうしようもない発言がサクッと
通るのは、呉に対する不信感の表れだろうし。
あれだけ簡単に荊州取れて、さらに取った後同盟の回復もできるようなタイミングがそうそうあったらそれこそヤバいな
>>182 結果の形としてはそうかもしれんが、対魏戦力的には何も変わらずというか、むしろ減少したんだが…
>>181 お互いに信頼できないからこそずっと荊州を巡って争ってきたし、蜀がもはや荊州を諦めたから
「お互いに互いの領土は攻めません。天下のココからココを蜀、こちらを呉のものにします」
なんて誓約を立てて万人に知らせた。
それまでは「互いの領土は攻めません」なんて誓うつもりも(荊州は俺のものと両方思ってた)、
「領土を事前に分配した通りにします」なんて誓うつもりも(早いもの勝ちだと思ってた)なかった。
>>183 お互いに取り合い奪い合いしていた頃は互いの不安定地域の扇動(主に南方)なんかもやってたわけで、
それをやらずに南方に安定した勢力拡大に成功した分、両国総量でみたら増加のはず。
>>184 誓約なんて何の役にも立たないだろ。
誓約を立てることによって両国の信頼が強固になった訳でもない。
そう考えると蜀の力を削り、なおかつ盾としての機能を弱めた
荊州侵攻に意味があったとは思えん。
>>185 このことに関連した魏の増加に心当たりはないので詳しく。
>>186 地政学を学べボケナス
それまでここくんな
>>186 役に立ったよ。
それまでの間、両国国境でしばしば紛争が起こったのに対し、
それよりも長い陸遜時代両国の武力衝突は常に事前回避されてる。
相手に対して「国境付近に兵を置きすぎ。減らせ」なんて抗議できる(しかもそれが通る)のはこの期間の両国関係を表してる。
それまでのトップ同士の口約束を巡って互いに非難合戦を繰り広げていたときとは比較にならないのは、
文章として残し、広く万人に知らせてしまったため誤魔化しが聞かないため。
>>187 いや、単に南蛮や越方面を安定させることによる戦力の増加よりも
支配者の交代がスムーズに進み、中原を押さえている魏の方が増加するんじゃないの、ということなんだが
>>189 それはここでやる必要があったのか?
漢中を落として荊州北部へ進軍し始めた蜀を叩き、結果的に魏への絶好の侵攻の機会を逃した
ハン城攻めを共同で行って、その見返りに江陵を頂いてもよかったのではないかと思う
>>189 誓約で関係改善したとは思えんがね。
ぶっちゃけると諸葛亮が呉との関係を改善したのは荊州失陥によって
漢中方面からしか攻め手がなくなったからだし。
陸遜にすりゃ合肥と荊州の2戦線を抱える様になったからやむなく関係改善しただけだし。
結局は互いの利害が一致しただけで、全く信頼関係が醸成されてはいない。
だからこそ降伏時に呉も蜀が盾として機能するはずなのに助けに行かないし、
蜀も呉に期待せずにあっさり降伏したんじゃないの?
>>188 ところで、中国の地図なんて見れるのか?
検閲で見れない気しかしないが
>>191 「それはここでやる必要があったのか?」というのは「もっと早く(関羽北上の時に)不戦の誓いと領土配分やっとけよ!」ってこと?
もしそうなら、ある意味最もな意見ではあるんだけど、「両国トップにその意思が無かった」としか言えない。
両方とも荊州を譲る気が無かった。
だから劉備も「涼州取ったら返すわ」と言って返さなかったし、孫権もすかさず奪いに行った。
なので「ハン城攻めたら渡すわ」は二番煎じなので使えないのですよ。
>>192 口約束じゃ信頼できないから(そんな信頼感ないから)明文化させた。お互いの信頼感に頼るのではなく、
「公に宣言した約束を守らない」時に発生するデメリットで相手を縛ろうとしたわけ。
なので、破った場合のデメリットより大きいメリットがある場合の保証にはならない程度のもの。
それでも平然と国境侵犯やらをやらかす時よりは大分進歩した。
諸葛亮が奪い返せないから、あるいは陸遜は2戦線を抱えたくないからというのは全くその通りで、
そのために結ぶことができた盟約。「両国間に鋼の信頼関係が」なんてのは口だけ。
>>194 中国歴史地図集 三国・西晉時期なら東方書店で買えたと思うけど、そういうのじゃダメなん?
197 :
195:2006/08/23(水) 17:53:15
ごめん「涼州取ったら返すわ」→「益州取ったら返すわ」の間違い。
>>197 いや、涼州獲ったら、もあったはず
それで揉めたところに曹操の漢中侵攻→南郡の譲渡じゃなかったっけ
>>195 その程度の盟約しか結べないところに両者の将来の破局があったと思うんだがね。
結局お互いに魏より取れるところから領土を掻っ攫おうって発想しか持てなかったからこそ
呉にしろ蜀にしろ最終的な勝利を得られなかったんじゃないかと。
もともと同床異夢なんだから。
>>198 そうだね、ありがとう。ただ涼州取る前だったから益州の方が良いかなと。
経緯はおっしゃる通りだったはず。
>>200 そうなんだけど、これ以上は…
どっちかが「こいつの元でナンバー2でいいや」みたいな勢力ならともかく、両者とも野心ありありだから。
蜀と呉は良く似ているよな、構造が
野心の強さ、単体では動けないもどかしさ、豪族中心の揺ら揺らする政治基盤、有能な丞相の奮起、後期の人材不足…
どうせ史実では滅んでいるから孫権や呂蒙の選択は間違えていたというのなら、
どうせ滅んだのだから劉備や諸葛亮の選択は間違えていたとなるな。
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 00:48:51
天下三分の計が間違っていた。
天下二分の計で魏と蜀で組むべきだった。
そして呉を討ち呉の地域を蜀が貰い魏がモンゴル地方を討ちに行く
為の補給国となるべきだった。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 00:52:35
せっかく蜀と魏で対決と言う時に
呉は裏切り城を乗っ取ってから同盟を進めるという
とんでもない事をした。
それに憤慨した関羽は単独行動になって討ち取られた。
つまり
組む相手を間違ったのである。
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 00:57:40
そして三分の計からのミスは
ギエンの策を孔明が用いらなかった事。
ギエンの策は完璧だった。
あの状態ならギエンの策が一番良かったのに
孔明は後の蜀の体制を保つ為にギエンに手柄を立てさせず
しかし策的には最も良いと言うジレンマを解決できなかった。
孔明の策で敗北を続けたのである。
それを見ていたギエンのいらいらは頂点に達したと思う。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 01:02:32
孔明からみれば大変な自体だろうけど。
あの状態でギエンの策が成功していけば
ギエンの権力が増大して孔明の立場は無くなる。
人材が不足している以上ギエンが活躍すれば
蜀の武将が劉備の意思を次いだ孔明の方針に従わなくなり
新しい秩序をもたらすギエンを基に蜀が変わってしまう
危険があったからだ。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 01:04:41
天下三分の計と人材確保のミス。
バショクを切ったのも間違い。
敵に切られるならまだしも見方を見方の手で
切っている時点でミスである。
釣れますか?
三国の中でも完全に名士主導の政権運営がなされてた蜀において
今更一将軍が手柄を立てたところでギエンに出る幕は無いだろ。
生きてりゃ皇族同等の扱いを受けたであろう関羽なら解らんでもないが。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 01:25:25
魏延が蝋燭を倒さなければw
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 01:49:58
それが覆されそうなほどギエンの策は戦火を上げる事を
孔明が天才だからこそ分かっていたのである。
だからかなりの戦力であろうとも重用できなかったのである。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 01:55:31
勝つにはギエンの策を用いてギエンをかなりの位を与えて
蜀の体質が変えてしまうか
旧態全の王朝復興派で行くのか?
孔明は王朝復権のままなんとか進みたかったのである。
しかし
勝つためにはギエンに戦果を上げさせ指揮権を渡すしかない。
戦果を上げさせたのに指揮権を伴う位を与えないのであれば
蜀全体の士気は低下し魏や呉に下る者が相次ぐ事に成る。
しかもギエンを筆頭に。
とんでもないジレンマを孔明一人では克服できなかったのである。
ポカーン…
太公望ばっかのスレだな
まあマジレスすると魏延の策はあまりにも博打的な要素が強過ぎて
元々博打的だった北伐では採用できなかった
街亭をしっかり馬謖が防いでいれば大分分のいい博打だったというのにな
耕作地を増やすなどして食料を増産して、産めよ増やせよで
人口差&国力差を縮める以外の方策が思い浮かばん。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 03:05:43
もちろんギエンだけの犠牲で終わるように
兵をあづかってから成功したら孔明に後から
きてくれとギエンは言った。
つまり戦力をすこしだけ増強してくれれば結果を出す
と言ってリスクヘッジまでしていた。
そこまでギエンは読んでいた。
ギエンが失敗しても大元には対して被害が出ないように。
攻めなければどう考えても撤退しかないのに攻める手立てを
考えれたのはギエンだけ。
結局孔明の策は失敗した。すべて孔明の作戦でああなったのだ。
それを考えるとギエンの憤慨も分かろうというもの。
攻めるのはギエンにも任せて
政治を孔明がやってれば良かったのだ。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 03:13:55
元々孔明は守りは得意だが攻めるのは苦手。
それを補えるのがギエンだった。
しかし方針上ギエンは重要視できない。
そして孔明は今まで
攻めた時でも守りの体制で勝って来た。
「後の先」で勝って来た。
それを最終的にはシバイに見破られて
「誘い出されなければ良い」とやられた。
もちろん
「先の先」が得意なギエンだったらそのような
状態になるまえに切り崩していけた。
孔明は最後まで「攻」の武将を信用しなかった。
つまり「攻」の武将を生かせなかったのである。
219 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 03:19:22
人材不足の上のギエンの軽視が
結局ギエンを離反の道に走らせた。
後半のギエンの活躍と待遇をみてみれば
それは分かる。
孔明の警戒と疑心の中であれほど活躍できた
と言うのは間違いなく蜀を持ち直せた器なのである。
孔明がもしギエンを少し信用していたらどうなっていたか?
・・・こんな糞スレがたった一日で100レス以上伸びてるけど、
誰だよ、火を付けたのはw
俺w
呉を絡めるとこうなるとは正直思わなかった^^;
しかし、蜀に天下を獲らせるには
荊州失陥がないか、街亭を失わないかくらいしか思わんので反省はしていない
前から疑問に思っていたんだが
劉備ってよく漢中とれたね
なんとなく魏にとっても蜀にとっても
重要な土地だと思うんだが
単純に蜀の大金星ってかんじなんすか?
曹操の戦略ミス
戦略ミスも有るだろうけど、やっぱ孔明が居たからこそでしょ
あれ?法正は?
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 16:28:55
法正は少し助言しただけ
作戦を考えたのも指揮を執ったのも諸葛亮
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 17:27:53
司馬懿が火計で死んでたら・・・
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 17:57:42
太公望・張良・孫武・孫びん・周瑜・司馬懿・陸遜・呂蒙・諸葛亮・鳳統等もろもろの
知将(軍師)、呂布・張飛・関羽・趙雲・馬超・黄忠・典韋等の猛将が配下にいること
そしたら、楽に天下統一ですね(程呈や荀ケ、張遼や魏延等他にも色々いますが、特に
秀でた人だけを集めてます)
ゲームでもやってろ
劉邦 ⇒ 漢中王から天下人へ
蒋介石 ⇒ 支配領域広州一州から天下人に
毛沢東 ⇒ 支配領域華北の一都市から天下人に
>>123の
>まあ合肥の張遼が恐くてへたれたんだろうがね
>>169の
>呂蒙は確かに短期目的は果たしただろうが、それが長期的に見て失敗の原因となったのも確か
これを見て、昨日この議論に参加しなかった俺までも顔が赤くなった。
蜀ヲタがこういう奴ばかりだと思わないでくれ。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 19:20:08
呂蒙は陸口に駐屯していて、長沙郡が管轄。別に江夏郡管轄
の司令官がいて、魏と直接対峙していたんじゃないかな。
関羽が、南陽郡に攻めると同時に、江夏から汝南郡を攻めれば
よかったと思っているんだけど。
俺もそう思う
荊州獲った後って呉は北部へ攻め入ったっけ?
なんか難所の合肥ばかり攻めてた希ガス
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 19:31:38
>>232 ここ蜀オタのスレじゃねーのw
てか俺は別に蜀にそんなに思い入れがあるわけじゃねーぞ
どれが一番好きかと聞かれれば、どれも好きなだけで
関羽も呂蒙も張遼も、あの辺の将は全て好きだな
>>233 豫州南部の汝南から徐州南部、淮南辺りまでは
曹操の徙民政策によっているのは軍隊と屯田兵のみ
普通の民衆がいない土地を切り落としても内地から農民と兵士を送らなければならない
人口の空白地域だったんだよ
そんな所を攻め落とすと負担ばかりが増えて得るものが無い
>>233 蜀にとってはそれは都合がいいけども
呉にとっては荊州を取って防衛ラインを確立するほうが都合がいいんだよね。
徐州を制圧するのは楽だが騎馬が馳せ回るのに都合のいい所であるので
守りきれるかどうかは危惧されることとなる、長江全域を手中にする方が上策。
と、呂蒙も言っているわけで。
そもそも、江夏から汝南は攻めやすい訳じゃないと思うよ。
間に大別山脈がそびえてるから、連絡線が維持しづらい。秦嶺越えの比ではないけど。
まあ荊州攻めに関しては200で結論でてるんだけどな
>200 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/08/23(水) 18:02:22
>
>>195 >その程度の盟約しか結べないところに両者の将来の破局があったと思うんだがね。
>結局お互いに魏より取れるところから領土を掻っ攫おうって発想しか持てなかったからこそ
>呉にしろ蜀にしろ最終的な勝利を得られなかったんじゃないかと。
呉にとっては〜を連呼する連中もそういう発想しかもてない連中と言うことだろうよ
てか俺は三国志に関してそんなに深い知識を持っているわけではないが、より知ってる連中の頭の固いこと固いこと。
「学びて思わざれば即ち昏し」を地でいく連中ばかりだな
>>239 お前は思いて学ばざればって奴だな
余計な煽りいれる前に学べ
呉にとって、どうするのが最良であるかを考えなければ荊州失陥を防げない
呉にとっての最良の方策は荊州奪取である以上、それをどう乗り越えるかが
蜀に天下を取らせる為の手段とはならないのか?
呉さえなんとかしてしまえば魏はその軍事システムのバランス上、関羽の北上に最善の対応が出来ないからさ
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/24(木) 20:09:34
>>237 そうだけど、蜀が天下を取るには、呉が守りに徹していたら無理
だと思う、共同で魏を攻めてもらうのが1番。
大別山脈が邪魔かもしれないが、廬江郡の上は高そうだけど、江夏
からだと低くなっている所が在るかもしれない。
うまく関羽が南陽を取れたとしたら、汝南と南陽で連携も取れや
すそう。
そんな風に思う。
>>240 うーん、何度も言うが、その後の呉の方針を決定付けたと言ってもいいあの時点での荊州攻めは、
やはり長期戦略的な失敗の原因だと思うよ
まあそれはいいや
この場合、荊州攻めがあるものとして考えるわけだよな
それなら関羽にハン城を攻めさせずに北伐ルートを通るしかないんじゃないのか
>>242 その君が言う長期戦略的な失敗というのは蜀視点でのことだろう?
>>243 俺の考えは既に述べてあるし、俺を説得できる既出でない論を述べれるのか?
そうでなければ平行線だから終わりだよ
もう既に
>>241か
>>242の後半についてへと変わってるんだ
スレの流れくらい嫁
まず魏の軍事システムが各地の戦線にある程度兵士を置いて防備を固めつつ、そのどこかに曹操が顔を出し敵を叩く形
あの時点だと崩れかけた西方戦線を建て直すべく魏軍全体の内かなりの部分が西側に寄っていた
その軍事的空白を突く形での北上な為「北上しない」って選択肢はないな
関羽の北上によって今度は西方戦線に空白できてるし
>>245 つまり荊州からの北上は必ず行う、
それによって江陵は獲られるかもしれんから次の手を打つ、ということかね
ならば江陵で呂蒙を抑えきれたのか、
抑えきれなくてもハン城を抑え、曹操と対する関羽への救援と戦線の維持ができるかが焦点かな
だから、何で蜀にとってはって仮定のクセに
荊州攻撃は呉の失敗とか呉視点になってるんだよ。
>>246 そもそも江陵が何であそこまで電撃的に落とされたのかを焦点にすりゃいいと思う
逆に言うと電撃的に江陵を落とされなければ北上自体が失敗しても
がら空きの長安、牽制の荊州と蜀には最高の条件は継続して残るわけだし
>>242 ここまでざっと読んでみたのだけれど
呂蒙は荊・揚州の長江防衛ラインをもって魏晋の疲弊を待とうとした
それより早く呉の政治体制が破綻したのだから
呂蒙の戦略は間違いだった
諸葛亮は劉・孫の連携をもって魏を討とうとした
それより早く孫権との友好関係が破綻したのだから
諸葛亮の戦略は間違いだった
この2つの違いは何?
>>248 呂蒙伝を読む限りにおいては内政の素早い掌握と偽報が原因だっけ
まあこの場合は呂蒙を褒めるべきなのかもしれんが、江陵に誰か防いでくれそうな将を派遣するしかないのか?
>>249 選択の余地の有無
呉には選択する余地(荊州を獲るか・魏を攻めるか)があるが、蜀にはない
それと諸葛亮と魯粛の戦略な
なんだこいつwwwwwwwww
じゃあローマ帝国が崩壊するから400年後を見越せなかったことはユリウスカエサルの長期的戦略眼に問題があって
モンゴル帝国の200年後の連合解体を見越せなかったことはチンギスハンの長期的戦略眼に問題があったってことだな
>>250 なんで蜀には選択が無いと言い切れるわけ?
極端な例を挙げるけど、蜀が南に軍を進めてことごとく制圧してその兵を持って西まで進軍して
返す刀で1000万の大群を率いて中国全土を制圧することも不可能と断定することはできないよな?
>>251 拡大解釈が好きな馬鹿は消えてね
>〜不可能と断定することはできないよな?
うん、できないできない
よかったね、それで蜀は天下を獲れる、はい、君の想像は誰も否定しないからもう来なくていいよ
>>252 じゃあこれで天下取れたってことでこのスレは終了だ、はいめでたしめでたし。
>>245 その西方戦線が空白って、根拠は?
というか、本当に空白だとしたら、漢中の劉備本軍はなにをしていたのか?って
ことになるんだが。
もともと諸葛亮の戦略が益・荊二方向から同時進撃となっているのだから、関羽単独
で北上している時点で終わっているだろう。
劉備や諸葛亮は関羽だけ動かして、空白な西方に兵を進めなかったのは何故だ?
関羽の北上が劉備の命令ではなく独自のものだとすれば、もう蜀は国家としてどう
しようもない。また関羽も諸葛亮の戦略を理解していなかったとなる。
>>254 あの時の流れは
漢中を占拠→西方戦線が崩れる→魏は戦力を西方に集中させる→荊州北部が手薄になる
→呂蒙の計略→関羽の侵攻
て感じではないのかい
劉備本隊は漢中の内政と西方での睨み合いか?
>>254 劉備に彼方此方やられて曹操本軍が急いで援軍として西方戦線に赴く
夏侯淵が死んだ西部方面部隊を残して曹操本軍が関羽戦に移動してるんだから
空白地帯は言い過ぎだったが、劉備本軍に勝てない程度の戦力しか残ってはいない
だから劉備は漢水下りを孟達に実行させた
関羽の北上はその孟達を上庸に孤立させない働きもあった
法正は少し兵を休める事を進言したので劉備本体は長安を睨みつつ一時停止
どこが単独なんだボケ
ほんとif系スレって馬鹿しかいないな^^;
>>250 選択肢の有無?上にもあるが当時の呉が江陵後回しにして徐州を窺うなんて無茶が選択肢に含まれるなら
劉備が蜀制圧を後回しにして北上を目指すのも含まれるよ。どちらも将来性極小だが。
>>256 つまり劉備軍が休息を必要とした時期つまり動けない時期に関羽は北上したと。
やっぱり単独だと思うぞボケ。そして主体が関羽にせよ劉備か諸葛亮にせよ、
何考えてんだ自分の戦略を忘れたのかボケ、とも思う。
違う
蜀は動いていたが劉備本軍は丁度その時動いていなかった
しかし別軍はしっかりと動いていた
>>259 関羽と曹操が交戦状態に入ったら、劉備本隊が本格的に侵攻する手筈だったのではないかな
曹魏攻略の為に樊城を包囲する関羽。
だが、それは呂蒙の巧妙な罠だった。
「関羽の荊州支配は 私に崩される為に築いてきたんですものね」
「いつもの力が出せれば…こんな呂蒙なんかに…!」
「よかったじゃないですか 士仁と麋芳のせいにできて」
「んんんんんんんっ!」
「へへへ おい、関平を用意しろ。二人まとめて処断してやる」
(耐えなきゃ…!!今は耐えるしかない…!!)
「関羽の生髯ゲ〜ット」
(いけない…!髯が感じやすくなってるのを悟られたら…!)
「生関羽様の生首を拝見してもよろしいでしょうか?」
「こんな奴らに…くやしい…! でも…感じちゃう!」
関羽なんて、主君に対する忠義と自分の名誉ばかり気にして戦ってる筋肉バカだろうに
何で荊州みたいな危ない場所を任せたのか良く解らんな。
関羽は性格が傲慢で疎まれてたんじゃなかった?
劉備の言う事しか聞かなくて扱いに困ったとか。
傲慢ではあるが疎まれていたという記述は無いな
劉備の言う事しか聞かないという記述も無い
まあ周りからは疎まれていたのかもしらんが、尊敬もされていたんだろうな
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 19:18:58
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 20:39:32
結果によって、評価が決まるのだろうけど、評価の決まる前の
関羽に対する、周りの意見も、関羽の一面を表しているはず。
呂蒙が、陸遜に「関羽は、荊州を手中にし、その地に恩徳と
威信とがよく行われている」と言った言葉も、ある意味、関羽
の一部分なんだと思う。
>>263 逆に関羽じゃなかったら、荊州はあんなにもたなかったんじゃないか?
関羽は頭も切れ、軍師の指示がなくとも一人で戦えたからこそあの激戦区を任されたんだと思う。
赤壁直後に軽卒鋭兵で建業を落としていれば歴史は変じた
建業なんてまだないんじゃないのか
そうだったね、赤壁前後に孫権がいたのは柴桑県だっけ?
ともかく、呉が南郡に兵すすめる間に電光石火、呉の本拠を陥とす
ギャンブルに出て成功してたら劉備にも天下取りの芽が出てたと思う。
それ以降は地方軍閥ルートしかなかったような…
つまり呉を乗っ取れということですか?
赤壁から長江下流域への移動は、かなり時間がかかると思いますが…
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 21:39:09
三国時代の平均寿命は40~50です。あくまでも公明は長生きしたほうです
騎兵数千のみで奇襲をする手があると見たが
あと、江水は当時としては高速移動路線じゃない?
たしかにそうですが、荊州水軍は手駒にないし、
長江上は合肥方面からの侵攻に備えた部隊が警戒していたのではないでしょうか
不慣れな水戦で蹴散らしながら行けるとは思えませんし
確かにそうですがそれ以降に天下狙えたかというとそれも厳しくないですか?
兵士は霞食って生きるわけじゃないし、その辺の棒切れを武器に戦う事も出来ない。
柴桑を落とすにしても、当然間断ない補給が必要だが、その為の物資を得る手段も、
輸送する手段も、当時の劉備が有していたとは思えない。
劉備が突然長江を下りだしたら、当然呉軍も不審に感じて戦力を向けるだろう。
柴桑に到達し得たとしても落とす手段無く、城壁の前で徒に時を過ごしている間に、
後方より来る呉軍によって攻撃されてしまうし、その頃には劉備軍は欠乏し、
まともに戦う力など無くなっているだろう。
万に一つも勝ち目が無いどころか、戦力を分けた呉軍は南郡を落とす事にも失敗するだろう。
結局は魏を利するだけだな。
仮に、それらの問題が解決して柴桑を落としたとしよう
うまく孫権も討ち取ったとしよう
しかし、これでも広大な呉を掌握したわけではなく、
むしろ南郡を攻めていた周ユが魏に降って孤立するだけではないのだろうか
>>274 平均寿命が低い事の意味っていうのは、
長寿の人がいないということじゃなくて、乳幼児が大量に死ぬってことなんだよ
当時でも40〜50で死んだら早死にかと
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/25(金) 22:59:20
>>240 ざっとこのスレみたんだが、そもそもそれって後知恵だと思うんだよね。
劉備に刑州を奪還されてしまう可能性だって決して低くないんだから、
下手すりゃ、呂蒙こそ、呉滅亡の原因になったかもしれない。
だから呂蒙の刑州奪還は中長期的な面で優れていたとはいえないと思う。
劉備が史実どおり負けても、劉備が長生きすれば、呉と講和するとは思えないし、
さらには大敗しなかったら、長期化するのは目に見えている。
当時の蜀で劉備を止められる人間なんて、一人もおらず、
それこそ、魏以上に権力が集中していた国家なんだしね。
んで関羽を殺さなければ、実際ほっといても蜀が呉に攻め込む可能性は非常に少ないし、
蜀が上手くいき、馬超も生きていたから、西涼をとり、
さらに関羽が上手くいけば、上庸からのラインが繋がり、
刑州南部くらいはただで返還されていたかもしれん。
>>283 >劉備に刑州を奪還されてしまう可能性だって決して低くないんだから
荊州奪取と同時に陸遜が夷陵を制圧して反撃に備えてる
この時点で劉備の負けは見えてる
>んで関羽を殺さなければ、実際ほっといても蜀が呉に攻め込む可能性は非常に少ないし、
>蜀が上手くいき、馬超も生きていたから、西涼をとり、
>さらに関羽が上手くいけば、上庸からのラインが繋がり、
>刑州南部くらいはただで返還されていたかもしれん。
なんつー甘さだ
そこまで地盤を固めた蜀が呉に遠慮するわけがない
>>283 うまくいけば
うまくいけば
うまくいけば
あーあーそうだねうまくいけば劉備は天下を取れたね。
こんなこといっていたら誰だって天下を取れたわ。
だから相手が上手くいく可能性があるわけ。
それもその確率は決して低いものではない。
それなのに、冒険主義的な敵対行動をとることを肯定するわけにはいかんってこと。
つかね、世の中偶然に偶然に偶然が重なって、運よく勝ってしまいますた。
ってことは結構あるもんだよ、歴史をみているとね。
>そこまで地盤を固めた蜀が呉に遠慮するわけがない
単独じゃどっちにしろ、魏には勝てない。
合肥を攻めることを条件に領土を譲るくらいはあるだろう。
>荊州奪取と同時に陸遜が夷陵を制圧して反撃に備えてるこの時点で劉備の負けは見えてる
なわけないでしょ、実際序盤は押されていたし、どっちに転ぶかは運しだい。
兵力も同程度、呉の勝率は五割くらい。
そして呉が勝っても、劉備が軍勢を温存して、撤退に成功する場合だって想定される。
さらには、魏が南下してくる可能性だってあったし、
蜀に勝てても、刑州は陥落していたって落ちだってある。
>>286 地理を少しは考えろ
荊北が落ちると許都は俎上の鯉だぞ
当然遷都するしかない
その遷都は劉備たちに対し強烈な追い風となる
単独でも1:1なら魏に勝利出来る切欠になる
夷陵の戦い序盤は押されてたんじゃないぞ
持久戦に持ち込んで劉備に長い陣形を作らせる為の布石
何の為に夷陵に陣地を築いているにも関わらず
かなり西の方まで呉が防御線を移動させてると思ってるんだ
劉備はそれに対して囮を使った誘引策を講じようとしたが遅きに失して敗戦した
戦略規模で完全に負けてた不利な状況で戦術規模から勝機を見出した劉備が凄いだけで状況は五分五分じゃない
>さらには、魏が南下してくる可能性だってあったし
こんなもん見抜かれて劉備と陸遜がこれについて手紙でやり取りする時間まであったんだけど?
そんだけ時間ありゃ防備も充分に取れるわ
>>287 夷陵に関しては、そもそもの呉攻めそのものが間違っていたとしか思えんな
しかし、義弟である関羽を斬られ、二面侵攻の絶好の機会を失った劉備の気持ちも理解できんではないな
しかし、許昌から遷都するとしたら、どこへ行くと考えるね?
?か、洛陽か…はたまた古に習い、彭城というのも面白いな
289 :
288:2006/08/26(土) 06:37:48
あー、上の?はギョウね
いくら当時簒奪の色を見せていたからって自分の治める魏公国に都作ったら批難がでかいぞ
それに曹操死亡直後に曹丕が遷都してることもあって洛陽の復興は充分
緊急時でも遷都するなら洛陽だと思う
洛陽に遷都することによって、漢帝室に対する忠義を喧伝して前述の劉備達への追い風を少しでも緩和しようとするんじゃなかろうかね
>義弟である関羽を斬られ、二面侵攻の絶好の機会を失った劉備の気持ちも理解できんではないな
全然理解できませんね、蜀を建国するために多くの人間が犠牲になったというのに、
このバカ兄弟は自惚れと傲慢さによってその理想の全てを無駄にしてくれました。
結局の所、私情で国の命運を揺るがす身勝手な考え方は曹操と大して変わらなかった訳です。
>>291 劉備の場合、荊州という実利を得る事をストレートに書かず
「自分の身内を大事にする」と攻める名目をただの国利から儒教の道徳へと書き換えた上手い一手だぞ
儒教とか、当時の儒教的なおためごかしが通用した社会情勢とかもう少し考慮しようぜ
いや、ハッキリ言ってただ自分の感情を抑えきれなくなっただけの話で
儒教も何もないと思うんだよね。
自分一人の責任で仇を取るならともかく、多くの人間が巻き添えで死ぬ事を承知で
弔い合戦を仕掛けるということは、つまるところ
関羽>>>その他大勢の命 ・・・・としか見ていない証拠だよ
自分を慕ってきた部下達をそうやって平気で切り捨てる人間を
儒教では家族愛だと奨励していた訳でもないでしょ?
>>293 ポカーン…
蜀にとっての荊州は益州に閉じ込められない為に必要不可欠な土地
秦嶺山脈による天然の防壁は魏蜀双方の軍事的な行動を激しく妨害する為
北方向への伸張が難しい蜀は取らない事には緩やかな滅亡が確定する土地でもある
(そんな地勢だからこそ荊州に拠らないで成立する諸葛亮の北伐戦略が高く評価される
秦嶺山脈を越えて大いに魏の意表を突けたのもそれが大きな理由)
で、ただ「荊州欲しいんで」と呉に攻め入るのでは曹操と変わらん
これまでの反曹の名分が失われ求心力が一気に低下する
それを防ぐ一手としての関羽の仇討ちへの摩り替え
あくまでも戦略の一部として関羽の死を利用した、と深読みしたいようだけど
そんな蜀の命運を賭けるような重要な作戦にしては、いくらなんでも結果がお粗末過ぎないか?
臣下の理解と協力を得られた作戦だったのなら、もう少し周到な準備をしていただろうし
いかに後方の不安が有るとはいえ、荊州を賭けた呉との決戦に孔明が随伴していないのは不自然すぎる。
どう考えても深い戦略に基づいた行動ではなく、感情に溺れた劉備の暴走にしか見えませんよ。
いずれは決着を付けなければいけない相手とはいえ、あの時点で呉に決戦を挑めば魏を喜ばせるだけのこと。
元々国力の低い呉と蜀が争ってさらに消耗するくらいなら、荊州の支配権と引き換えに同時作戦の盟約でも結んだ方がずっといい。
そもそも魏に対抗するためには呉と蜀の連携が不可欠であったのに、大局を見失い両国の関係を悪化させたのは間違いなく愚行と言える。
確かに荊州は蜀にとって重要な地ではあったものの、最大の敵である魏の存在を忘れさせる程の理由にはならないし
やはり弟・関羽の死が主の目を曇らせたと見るのが妥当だろう。
>>295>>296 結果がどうであろうと戦略は正しかったのが理解できないのか?
早い時点で荊州を取り返さなければ劉備が培ってきた地盤がどんどん失われていくって面もある
関羽の北上で魏が震撼したように荊・雍二方面からの攻めは魏を打倒するのに有効だった
それに大いに失念してるが、あの時点での呉は魏の藩国で魏帝国の一部
趙雲の諫言が根本的に間違っているだけの事
名分、実利が伴っている戦争で外交的にも戦略規模の軍事的にも蜀にはあれしか無い必然的な一手
結果が大敗戦に終わり蜀の国威、国力が多いに衰退したのは確かだがそれを以って
「劉備の行動は間違っていた」と断じることこそ愚行だぞ
あそこで劉備が生きている間は、蜀は部下への体面や戦略上からも荊州を諦められないし、
呉も絶対奪い返しに来ると警戒を緩めることはなく、対決→敗北は濃厚。
なので遠征直前に劉備無念の病死、後を継いだ劉禅&諸葛亮が混乱を収めしばらく体制固めの必要から(という名目で)
呉と和睦、これでどうだ?
>>297 趙雲の諫言が根本的に間違っていたとも思えないけどな。
荊州を奪還する利と荊州を巡って呉と争い続ける害を計りにかけて、劉備は前者・趙雲は後者を重視したんだろう。
利はこれまで散々説かれているので省略するが、いつまでも呉と争い続けるわけにはいかない以上、
一気に滅ぼせないならどこかで妥協する必要があるのだから、交渉で一部奪還で手打ちにするのも選択肢の一つじゃなかろうか。
もちろん上の「劉備の判断は明らかな間違い」には賛同できないけどさ。
>>299 地形を考えろ
江陵が無ければ蜀側から荊州への連絡線は繋がらん
江陵は魏呉蜀全ての国にとって喉から手が出る程欲しい当時の最重要戦略拠点の一つ
これらを総合すると江陵抜きで荊州のどこを貰っても蜀には全く利がないどころか害があり
江陵を呉が妥協するという事は考えられない
そこまでの外交の積み重ねでお互いにお互いを不信感持ってるしどちらかが泣かなければ呉蜀の間は落ち着かないよ
史実では蜀が泣いたわけだ
上庸の孟達が既に寝返っていたからな…
あれもミスと言えばミスか
しかし、古代中国史を学びながら儒教に対する理解が少ない方がいるのは残念なことだ
それで三国志を読むことができているのか、謎だな
>>300 そこはあれですよ。夷陵一帯まで(江陵の直前)までで妥協ですよ。
江陵は確かに東西南北を結ぶ重要戦略拠点だが、夷陵付近を押さえておけば後に繋がるんじゃないかな。
まぁこれだと緊張は対して緩和されないことになるが、孫権も和睦の使者を送って来た以上これぐらいの妥協はするだろう。
>>301 建前上認められなくとも便宜的に融通きかす場合は三国志を中心とした古代史にも良くある話で、
その影響は無視できないにしても、最終的にはそれを換算した利害で物事を判断すべきではなかろうか?
>>297 >早い時点で荊州を取り返さなければ劉備が培ってきた地盤がどんどん失われていくって面もある
その考え方がそもそも身勝手で無謀なんだよ。
呉にしてみれば、赤壁で主戦力となり多大な戦力を浪費した以上、その見返りに荊州の支配権を
要求してくるのは無理もないことであり、それを無視するから魏と呉が手を結ぶような危険な状況が生まれてしまう。
劉備が荊州・益州を完全に支配して、魏に対抗するための基盤作りを焦るのは勝手だが
そのために本来同盟を結ぶべき呉と争ってお互いに戦力を消耗しているのでは本末転倒である。
実際、魏と呉を相手に無謀な戦いを挑んだ関羽は自滅しているのだから、力押しだけで荊州の問題を
片付けようとする事がいかに愚かで困難であるか良く解っていただろ。
戦略上の要所だからといって、この先呉が永遠に支配し続けるという保証はどこにもない訳だし、あの時点では
関羽のような愚直な武将の武力ではなく、外交努力によってお互いに妥協できる線を見つける以外になかったはず。
結果がどうであれと言うが、物事は結果を見てからそうなった原因を探っていくものだろ?
逆に質問するが、仮に劉備が呉を破り荊州を奪い返していたとして傷ついた戦力で
荊州を狙う魏&呉を相手に一体いつまで戦い抜けばいいと言うんだ?
結局のところ、お互いに妥協点を見つけない限り国力で劣る呉や蜀は
共倒れになって魏に滅ぼされるしかないんじゃないのか?
>>303 下2行の儒教云々に対するレスだと思うが、正直何を言いたいのかが理解できん
俺は
>>293に対して言ったつもりだったんだが…
まあ、実際儒教を個人個人がどう捉えていたかを知る術はないんだがな…
>>301 関羽の北上によって上庸と孟達は孤立から救われていたのに関羽は敗死
ミスってよりは呉の攻撃によるアクシデントだと思う
>>302 夷陵と江陵は近過ぎで妥協とか出来ない場所にある
妥協できるのはよくて巫までじゃないか
>>303 現代の価値観で過去を裁くのはダメだろ
>>304 また新解釈がでてきたな
正直、俺の知ってる三国志と彼の知ってる三国志は別物な気がする
訳が違うとかではなくて、異世界の物語に見える
赤壁で呉は劉備のために戦ったのか、それは知らなかったな
関羽は喜び勇んで魏・呉を相手にしたのか、それも知らなかったな
戦略上の要所を外交で奪えることがあるのか、それも知らなかったな
>>300 それは勝手な憶測で、とてもそこまでの外交努力を積み重ねてきたとは思えない。
関羽の行動を見る限り江陵だけが問題の種だったようには見えないし、どちらにとっても重要な
拠点ならばそこを共有することでお互いの関係を深めていく手段も取れただろう。
とにかく力ずくで押さえ込んでしまおうというのは、将来同盟を組むべき相手としては
最悪の発想であり、とても将来を見越した戦略眼とは思えない。
>>308 すげぇwww
平和教育もここまでいくと有害だと認識できるな
お前の意見も勝手な妄想だと言われれば、どう答えるよ?
>>303 一回全部のツッコミ所にツッコミ入れたら行数オーバーになったんで簡潔に
お前うざいから消えろ
303だが、二行のレスに行数オーバーのツッコミ入れられたと思うと泣けてきた。
消えるわ…
>>307 は力業のゴリ押しだけが戦いだと思っている猪武者のようだな。
将来同盟を組むべき相手である以上、相手の立場も踏まえて戦略を立てねば
こちらの足元をすくわれてしまう、そんなことも知らぬ愚直な武将がどういった末路を
辿るのかは関羽がよく教えてくれた。
ただでさえ戦争は無駄の多い浪費なのだから、国力もないくせに無駄な衝突を繰り返すなど馬鹿げている。
呉も蜀も共通の敵である魏が強力である以上無駄な戦いで消耗することなど許されなかったはずなのに、
ああいう結果に終わってしまったのは、外交の力を軽く見ていたとしか思えない。
>>313 いやー、関羽が呂蒙を警戒しまくってハン城を攻めたと理解している俺にとっては、
関羽が力業だけのゴリ押しをした武将には見えませんがね
それにあの時点で呉と蜀は外交をやってはいましたよ
「涼州を制圧したら荊州を返す」とね
まあ多少時期は遡りますが、一応南郡は返しているわけで、貴方の言葉を借りれば
呉は素直にそれを信じて待っていれば良かった、ということですかね
>>308 呉蜀同盟の外交史くらい調べてから書けやボケナス
>>313 呉にとっては魏も蜀も敵であり味方なの
漢の後継を標榜する魏と蜀は統一を国是としてるが呉は違う
統一を国是とせずに存在していられた三国の中ではちょっと異質な国なんだよ
何か戦争=武力の衝突、とでも思ってる奴が居るようだけど、重要なのは力以上に戦略だよ。
重要拠点だから誰にも譲らぬ、何を犠牲にしても死守 ⇒ では、その後は? ⇒・・・とにかく譲れないから死守
・・・ではとても戦略とは呼べないだろ?
とにかく相手に利を与えず自分達だけ都合のいい展開にもって行こうとしても
向こうも同じ事を考えているのだから、いつもそう上手く行く訳がない。
最終的な勝利を掴むためには、時として妥協や屈辱に耐えることも必要だろうに
目先の事ばかりに捉われて全てが上手くいくほど世の中は甘くないよ。
>>317 思想がどうとかではなく、呉にとっての脅威は蜀ではなく強大な魏である以上
呉が呉で有り続けるための最大の敵は魏ということになるだろ?
>>318 江陵に限っては曹叡のコメントくらい参照しようや
兵家必争地なんだとさ
江陵無しでは呉も蜀も座死、魏は統一不可能
ではどの国が妥協する?
まず統一出来ないだけで国土が危険にならない魏は妥協できる
呉は国防の関係上妥協できない
蜀は益州一国では国力差を付けられて敗北必至なので妥協できない
戦争以外の手段がないぞ
321 :
313:2006/08/26(土) 17:00:04
>>318 上半分:
俺に対して言っているのなら、君の日本語の読解力が不足しているだけかと
てかそんな考えの人はいませんよ
下半分:
それについてもそんな考えの人はいませんね
君が自分の意見が絶対だと考えていないのなら、人と意見をすり合わせてみてはどうでしょうか
そうでなければ消えろ
>>319 全然ならん
呉は長江以南に魏が来なければ呉で有り続けられる
323 :
321:2006/08/26(土) 17:02:20
>>322 >呉が呉で有り続けるための最大の敵は魏
これを
>呉は長江以南に魏が来なければ呉で有り続けられる
で否定することは出来ないと思うが
どちらも正しい認識だと思うがね
>>322 解らん男だな・・・・いくら長江の地の利があるとはいえ
魏が全力で呉を潰しにきたら、とても守り抜けるような戦力差ではない。
要するに1強2弱の状態なのだから、弱いもの同士で手を組まない限り
微妙なバランスを維持していくのは難しいだろ?
>>324 最大の敵は呉の領域に踏み込む者であってそれが魏とは限らない
何度も言うが魏は呉にとって友であり敵である存在
蜀もまた同じ
>>325 全力で来た赤壁、濡須はしっかり守ってるけど?
>>326 全ての敵を防ぐ力が呉にあるというのならそれでいいだろうけど
魏と蜀が手を結べば呉に未来はない、魏と共に蜀を滅ぼせば
戦力バランスが崩れて呉も滅ぼされる。
・・・こういう状況で己を維持していくためには
「とりあえず」誰が敵で誰が味方になるかは明白だろ?
魏と蜀が手を結ぶ事なんか無いだろ
>>306 夷陵と江陵が近いと言ってもその昔の公安(油江)と江陵程ではないでしょう。一応夷陵と江陵の間も隔てる川が見えるし。
巫は元々白帝城の目前で荊州からも離れており(呉が保つのは困難で)、あまり譲歩にはならんのじゃないかな。
呉は武力を用いて強引に占拠したのだから、前回も領有した零陵を返還したようにそれなりのものでないと。
当時は漢中方面で揉めそうになった劉備からの申し出だったわけだしね。
タイミングとしては劉備が軍を動かし白帝まで赴き諸葛瑾が派遣されてきた時。
まず呉の非道を責めて元の領地返還を求め(これには応じないだろうが)
「せめて夷陵近辺までの諸城を開放して誠意を示せ。そしたら今回は軍を還す」
これで突っぱねてくるようなら打つ手無しだが、そうはならん気がする。
>>327 嘘ばかりつくなよ、濡須は蜀に対する備えがいる以上全力で攻められる訳がないし
ほぼ全力に近い赤壁にしても、いくつもの偶然が勝利に結び付いただけの話で
呉の実力のみで跳ね返した戦いではない。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 17:39:45
蜀って結局呉にやられたようなものだろう?
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 17:40:51
だって蜀と呉が団結してれば魏だって勝てないはずなのに
呉って蜀に対してよく分からない行動しかしてないじゃん。
>蜀と呉が団結してれば魏だって勝てないはずなのに
根拠は? あとお互いに相手をまるで信用してない国同士が
完全に団結できるはずがなかろう、それぞれの都合もあるしな
>呉って蜀に対してよく分からない行動しかしてないじゃん
って具体的に何?
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
「はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました」
これが勝利へのカギだ!
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:21:03
>>334 >蜀と呉が団結してれば魏だって勝てないはずなのに
根拠は?
根拠は蜀と呉が団結してる時に魏は勝てるのか?と考えてみれば
簡単に分かる。
蜀と呉が団結してれば…と思わせるのは石亭の時に諸葛亮が事を事前に知っていればというぐらいかなぁ…
これは偽投降を使った作戦なので機密を漏らす危険は冒せなかったんだろうし、この辺が同盟の限界かな。
諸葛格は基本的には未熟者だが、事前に呉蜀が出征時期を打ち合わせして事に及んだことがわかるのは
この諸葛格-姜維間だけで、後は相手が攻めた(勝った)のを見て慌てて出征を決めたのが幾つかあるだけなんだよね。
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:24:17
袁紹が官渡で勝って曹操を滅ぼしていれば良かった。
魏の勢力を何とか削いでおかないと呉も蜀も未来がないことは
お互い解ってはいたんだろうけど、中々完璧な連携は難しいということかな。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:30:11
三すくみの理論で考えればいいんだって。
魏と蜀で間違いなく敵対してるんだったら
残りの一人がどっちに付くか?で決まる。
つまり呉は最後魏に走ったから蜀が負けたんでしょ。
呉が最後蜀についたなら魏の負けでしょ。
>>340 3すくみではないよ、国力では魏が圧倒的な力を誇っており
呉と蜀が手を組んでやっと対抗できるほど。
ただ蜀には優秀な人材(孔明)が、呉には地の利(長江)が有ったおかげで
何とか抵抗出来ていただけだよな。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:38:25
>>341 まあ厳密に言ったらそうかもしれんけど
関係性を大まかに言ったらそうでしょ。
344 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:40:53
結局呉が魏に走ったから負けたんだって。
いくら国力があるって言ったって
蜀と呉が共同で魏を攻めたら魏は滅ぶよ。
間違いなく。
>>344 現実味はないが仮定として「呉蜀が完璧に歩調を合わせていたら」ならともかく、呉は最後魏に走ったから蜀が負けってのは意味不明。
俺の知らない歴史では蜀は219年あたりで滅びてしまったのか?
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:47:55
力の弱い奴が力の強い奴に勝てないってのは結局
弱い奴って力もそうなんだけど
結局「団結」できないからなんだよね。
蜀と呉が良い例だ。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:49:35
なんか釣りっぽいな
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:52:39
>>345 「呉蜀が完璧に歩調を合わせていたら」ならともかく
完璧でなくともいけるでしょ。
なんなら順番ずつでも良いし。
一年交代で蜀と呉で魏に攻め込んでりゃ
しのぎきれないって。
強くても一国で二カ国に対抗するのは無理なんだって。
今日の論争は・・・
呉と蜀ががっちり手を組んでいたら歴史は変わっていたかも知れないのに
バカ3兄弟のクソッタレが、許せねえ!!・・・と、結果論やもしも〜が大好きな蜀厨
VS
劉備や関羽の行動は全て正しかったんだ!、バカにすると僕が許さないぞう!!
・・・と何でもこじつけて正当化したがる劉備三兄弟厨
・・・でお送り致しました、 味方同士なんだから仲良くしろよお前らw
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:54:11
馬鹿っぽく見えるけど
一応マジレスです。
茶化す意味とか別に込めてないよ。
マジでそう言うことでしょ。
ケ艾と鍾会が蜀取りした後、
司馬氏政権が晋じゃなくて蜀と名乗ってたら天下取れたと思うよ。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:59:20
なんて言うのかな。
それぞれの国の武装の技術が
違いすぎる場合を除いて
ほとんど同じ兵器で戦ってるのなら
一カ国が二カ国相手に戦っていられないんだよ。
力学的に。
355 :
.:2006/08/26(土) 19:03:08
夷陵以後は1対2やん
しかもトップが3回変わってる
>>354 武装の技術だけが全てじゃねー
軍事技術ってのは兵法や軍事ドクトリンを含んだかなり広範囲の代物だ
>>347 呉の身の振り方を順番に並べたら
劉備と結ぶ(赤壁)→荊州を巡り蜀と疎遠に、魏に接近→蜀と断裂、魏に藩国の礼→魏と断裂、蜀と結ぶとなり、
単純化すると蜀→魏→蜀となる。最終的には蜀と結んで長いこと魏晋と対立してんのに
「最後魏に走ったから」ってのがおかしいってこと。蜀が負けたという事実は否定してないよ。
>>349 228年1月の諸葛亮の魏への侵攻から蜀→呉→蜀と数ヶ月単位で攻め込む。
229年蜀侵攻。
230年蜀防衛。呉派兵。
231年蜀侵攻。
232年呉襲撃を受ける。
233年呉侵攻。
234年蜀侵攻→一ヶ月後→呉侵攻。
諸葛亮の7年間、常に一年に一回以上の割合で魏は戦闘を行ったが、十分対抗できた。
むしろ蜀は諸葛亮が倒れるなど相当の無理を押しての強行。
半端な連携では無理なんだよ。完璧でも怪しいんだ。
一国と二国といっても国力で言えば魏を1国とすれば呉は0.3国、蜀は0.15国ぐらいの差があるんだ。
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:20:51
>>356 兵法は有効で必要なんだけどみんなで戦争して時間が立てば
方法ってのは均質化していくんだって。
兵法ってのは戦いの方法みたいな物だから。
似通ったものになっていく。
だけど
戦争における兵器の差ってのはそうそう超えられない。
だから現代でも他国の武器の発展に過敏に反応するでしょ。
つまり
使ってる武器に違いがそんなに無いなら国単位で言えば
単純に同盟が多いところが勝つんだって。
もちろん同盟してもしょうがない規模の国は除いてだよ。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:21:39
たとえ諸葛亮が生きていたとしても蜀は天下を取れなかったのだよ。
まあ、あれだけ差が付いた状態でノコノコ出てきても遅いよなぁ
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:28:13
>>357 むしろ蜀は諸葛亮が倒れるなど相当の無理を押しての強行。
無理したから負けたんだって。無理しないで普通に蜀と呉で攻めてりゃ
勝てるよ。
年表も大体蜀の一人相撲になってるでしょ。
それは連帯出来てると言えないよ。
まあ連帯できなかったんだからその例を出せなんて思わんけど
普通に攻め込んでりゃ勝てるよ。
>>358 兵器だって金属の質とか除けば鹵獲した兵器から技術なんてバレバレ
曹爽が諸葛亮の元戎鹵獲したのを見ながらコメント求める話しを知らんのか
古代の兵器ってのは単体もしくは少数の技術で出来てるからコピーは楽だぞ
軍事教義とかの方がまだコピーに時間がかかるわい
第一、馬や金属資源の差もあるのに軍事ドクトリンが均質化するわけがねぇ
現代のような複雑な技術の複合を例に出すのは大間違いだっつうの
何言ってんだお前
>>361 北伐をもう少ししっかりお勉強してから来い
このクソガキが
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:40:07
>>362 だろ?その当時は常識を覆すような
兵器の差は無いって事だろ?
鹵獲したらすぐ真似できるんだからさ。
馬や金属資源の差なんてのも質の良い悪いだけで
使う先や方向が違う訳でもない。
つまりその当時は戦争兵器の技術の差なんて無いも等しい。
そうしたらいよいよ
簡単な力学が物を言うようになる。
しかし、最近このスレよく伸びるよなぁ・・・・凄腕の釣り士でも居るのか?
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:42:37
要は歴史云々より蜀を勝たせりゃぁいいんだろ?
関羽が傅士仁らの裏切りを見抜いてちょちょいと問題解決。孟達は心変わりせず、関羽は宛あたりで魏に圧力かけて、劉備らは北上。
そしてまぁ細かい事は置いといてとにかく長安以西は占領。荊州で十万、涼州雍州で十万、益州で二十万は集まると思うんだが、そんだけいりゃぁなんとかならね?北方厨で悪いな 笑
>>361 蜀が無理したから負けたなら、呉は無理しないで尚且つ蜀が必要以上に頑張って疲弊させた魏に勝って
領土増やしたかと言われればノーなわけで。
蜀が無理しすぎってのは一理あるにしても、二国足して半分に満たない国力で消耗戦やっても先に息を切らす方は自明のことでしょ?
>>363 煽る必要はないだろ。コイツは駄目だと思ったらスルーが鉄則。
>>364 兵器の差はあまり無かったせいで軍事ドクトリン等の差が非常に目立つんだよ
369 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:44:59
やっぱり荊州陥落&関羽死亡を回避しなきゃ始まらんよ
あれで蜀は終わったようなもんじゃん
>>369 それを回避する為には魯粛の江陵貸与を荊州貸与とした摩り替えを防がないとな
371 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:49:09
>>368 なんつうか軍事ドクトリンが有効だとしても
個別が団結して同時に当たってくる物を防げる物ではないよ。
軍事ドクトリンっていうならなおさら
蜀と呉で団結する方向で使ってれば良いこと。
一国でそれを有効に活用したってただ外交を通した内政に影響するだけ。
ドクトリンだけで勝つ事なんてないよ。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:52:22
>>367 呉は無理しないで尚且つ蜀が必要以上に頑張って疲弊させた魏に勝って
領土増やしたかと言われればノーなわけで。
↑
呉はもっと蜀に協力して蜀は必要以上にがんばらないで魏を疲弊させてれば
領土も増やせたって事よ。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:55:42
ちょっと変わった事言ってるかもしれんが
可能な範囲で言ってるよ?
別にヘンな裏技でとか超絶兵器でとかじゃなくて
蜀と呉が同盟して共同で魏を対してれば
勝てたって事よ。
要するに呉が魏に傾いても良いかなみたいなどっち付かず
だから
負けたって事。
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:57:31
それ言ったらつまらなくなる。
つまらないのは有り得ない事を前提に話しを進められる事なわけで
呉と蜀が一致団結を続けると先ず劉備は益州を得られない
しかし益州を得なければ劉備は孫権から独立できない
この最初の時点で双方の行き違いは始まってる
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 20:05:46
みなさん博識で面白い。
まあ昔の過ぎた事をしゃべってるからあり得ない事
ではあるんだけど
当時
蜀と呉が表向き同盟しなくても方向を同じにする事
くらいはできたでしょう。
蜀が魏を攻めたんならチャンスと言うことで呉も魏に攻め込めば
良い事なんだけど。
蜀の方にチャンスを見出しちゃった呉がいるんだよね。
378 :
.:2006/08/26(土) 20:10:02
魏と呉が遣り合ってる間に領土拡大してそれでも借りた土地も返さなかったのは劉備なわけだが
>>378 劉備が借りてもいない荊州南部四郡までも貸した事にしてるのは孫権
380 :
.:2006/08/26(土) 20:15:50
>>379 江陵も返してねーだろうが(w
そもそも南部四郡だって、周愉が曹仁ひきつけてる間に孫権の別働隊として取ったようなもんだろ
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 20:19:21
国力的に呉と蜀を合わせてようやく魏の半分くらいだろ。
魏の政変とか大内乱でも起こらない限りまともに戦っても勝てるわけがない。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 20:25:20
戦争って別に敵国内の全ての敵を殲滅しないと勝てない訳
じゃないからね。
戦争が力学的になる、ってどういう意味だ?
あと、バトルドクトリンは重要ではない、などと言っている人は、
テーベの斜行陣、マケドニアのファランクス、ドイツの電撃戦なんかをよく調べた方が良い。
ナポレオンの時代でも、欧州各国はフリントロック式マスケットと滑腔式カノン砲を使ってて、
国家間の兵器技術に大きな違いは無かったが、それでも対仏欧州同盟はフランスに敗れてる。
同盟国の数が全てなどと、思い違いも甚だしい
>>380 周瑜が曹仁牽き付けてた?
逆だぞ
周瑜が江陵の曹仁を攻める時に背後から攻撃されない為に劉備が配下を送って制圧させたんだよ
劉備はずっと周瑜と一緒に江陵包囲してたしな
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 21:14:07
現代戦の兵器はそう言う力学的なモンを
ひっくり返す物だから
その近代戦を古代の戦争と同じ土台にしてはいけないよ。
だいたいフリントロック式マスケットやカノン砲は三国志の
時代にあったのかい?
鉄砲や大砲やらはそういう古代の力学を覆した武器でしょう。
それでそこから近代の戦争が始まったような物。
近代戦の同盟関係と古代の同盟関係も同じにしてはいけない。
386 :
.:2006/08/26(土) 21:15:13
>>384 どんな理解をしてるんだか
挟撃できるような兵力があれば劉備が短期間で落とせる訳ねーだろ(w
しかも張飛+兵1000で兵2000人貸してくれとか言ってんじゃねーか
387 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 21:16:54
>>383 対仏欧州同盟はフランスに敗れてる。
↑その戦いに参加した全ての兵士が三国志の兵器しか使って
なかったとしたらどうなったのか?と考えるのが建設的だろうね。
フランス革命の徴兵制による軍隊とそれ以前の原始的な軍隊の区別もつかない
馬鹿どもが偉そうに語っているスレはここですか?
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 21:20:47
近代兵器を使用した戦争における力学と
古代兵器を使用した戦争における力学と同じにしてはいけない。
蜀が天下取るのと伊達政宗が天下取るのってどっちが現実的なの?
古代の戦争ね
春秋戦国時代辺りでも同盟国数が少ない国が勝った例はいくらでもあるんだがな
魏が11州分の軍、呉軍が3州分の軍、蜀が1州分の軍
呉と蜀が同盟しても4州分、力学的に11州分の魏が勝ちますね
地勢学的に言えば呉・蜀は守りは出来ても攻めて、勝つには魏が分裂しないと無理だね
393 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:05:20
>>392 魏が11州分の軍、呉軍が3州分の軍、蜀が1州分の軍
呉と蜀が同盟しても4州分、力学的に11州分の魏が勝ちますね
↑それはタダの算数の計算ですよ。
なんと言うのか
「同盟国数が少ない国が勝った例はいくらでもあるんだがな」
これは「勝った例がある」だけの事。
でも勝ち残ってるのは同盟数の多い国に成ってるでしょう?
そもそも1州あたりの国力がイコールではない罠
直リンする馬鹿に言われてもな
それとも宣伝かい?
>>393 いや
勝ち残った国は結果的に同盟国が増えるけど戦争時は同盟国が少ないほうが勝つことも多い
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:20:39
外国の兵力が三国の地域にいくらでも来ることが出来るならちょっと
変わってくるけど
一定の地域内での戦争の場合、その地域を作り出して
維持している組織体の中で強弱を決める場合
別の維持系統で成り立っている組織体がより多くの
地域内の別の組織体と協力し合ってる国が勝つようになっている。
って事なんだよね。
>>393 国力比がただの計算で1国と2国なら2国が勝つはまともな理論ってどんな理屈よ。
>>394 人口で比べても(といっても時期はちょっとズレたものだが)393に近い結果が残っていた気がする。
>>386 兵士借りて分進合撃で一気に落としたんだろ
402 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:30:31
>>398 つまり「勝利」を維持してるのは自分の国かい?
「結果的に同盟が増えた」この同盟が存在しないとしたら
その「勝利」は維持できると思う?
地域内での資産や生産物をそこに住む人間で分け合うと
する。それで出来上がった生存システムを人間一人と例える
資産が骨で生産物は血液や肉だと思えば良い。
その中で分けていけば何人かに分かれるよね。
5人だとしよう。
その5人が喧嘩しあうとするよ。
当然一番になる奴が出る。
だったらその負けた奴らが全て共同でその一番の奴に同時にしかけたら
どうなる?
絶対に勝てない。
だから戦争では勝った後に協定を結んで自国の影響下になるように
するのさ。
つまり軽い同盟のような物だ。
これがまったく存在しないとしたらどうなる?
なんで、どやつもこやつも蜀に天下取らそうとするんだろう。
仮想小説でも蜀の北伐が異様に多いし
404 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:32:57
つまり同盟が無いなら勝ったままの関係を維持する事は出来ない
って事なんだよね。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:35:36
つまり限られた範囲内の中に存在する国のみで戦争するなら
その範囲内の他の国と多く同盟を組んでいて
同時に攻め込める機会を多く持つ国が結局勝利する事になるんだよ。
>>402 だから馬鹿か?
魏と呉・蜀では国力に決定的に差があるんだよ
1対4で絶対勝てないのと同じで呉・蜀が同盟しても4対11なんだから絶対勝てない
>>405 魏は11州が同盟結んでるようなもの
呉は3州が同盟結んでるようなもの
蜀は1州のみで同盟なし
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:38:50
つまりもっと簡単に言えば
「負ける国と言うのは同盟関係が作れない国」
って事なのさ。
もちろんこれは力学的なものだから
限られた範囲の中の争いなら全てに応用できるよ。
学校でも会社でも国でも。
つか蜀と呉の同盟が続いて魏を倒せるなら
劉備が入蜀した後に荊州開け渡せばよくね?
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:43:29
>>407 三国志の時代は州制度がうまく機能してないだろう?
多くの州を抱えていたって命令系統は大げさに言って一つで
なりたってるだろ?
多くの地域があってもそれが一つとしてしか機能しないのであれば
それは一つの国でしかない。
ここで言うのは自国の影響下以外の自国と目的を同じにできる
別の組織体って事だ。
三国の国力比
魏:呉:蜀
6:3:1
魏を7とする説もある。
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:48:37
>>406 なんて言うのかな。
戦力を数値化して同じ土台に左右に分けて同時に攻め合った状況を
現実に当てはめてもそれは数字上の算数になるだろ?
蜀と呉の同盟が一つの国に成って同じ経営状態を共有して
三国地域を上と下に分けて上が魏で下が蜀と呉の連合体にした状況で
考えてもそれは成り立たないんだって。
蜀じゃないけど、劉備が徐州をなんとか維持できれば
もっと勝機はあったかもなあ
414 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:53:33
一つの国に左右から同時に攻めただけで
戦力に差があっても単純な算数では出てこない被害が増えていくだろ?
国と言うのは同時に数カ国相手にしつづけられる仕組みじゃないんだよ。
どう考えても。
国力では圧倒的である魏が、何故即座に呉・蜀を滅ぼさなかったのか
それは勢力が拡大すれば、それだけ戦力も分散するし、対立勢力も多くなるからである
従って魏・呉・蜀の国力比だけで議論をするのはあまりにも不毛である
>>415 >国力では圧倒的である魏が、何故即座に呉・蜀を滅ぼさなかったのか
どう考えても長江と山脈の険のお陰です。本当にありがとうございました。
また痛い蜀ヲタが大暴れしてスレが伸びてるとおもったら少し違った。
>>414 複数戦線持ってても勝利した国の例はいくらでもありますが。
>>416 君の脳は脊髄反射することしかできんのかね
人によっては11対1とまで言う国力の差を山脈の険だけで防げるものか
国力比が仮に11:3:1であったとしても、呉・蜀に向けられる戦力は精々その半分程度だと言っているのだがね
実際の魏よりも魏を三分割して同盟させた方が強いとでも思ってるんだろうか?
他の条件が同じなら一元化した方が摩擦も抗争もなく、個々の利益より全体の利益で行動できるんだから有利に決まってる。
>>419 は?魏の11に対して呉が3、蜀が1なんだろ?
呉の3に対してるのが魏が大約8、蜀の1に対するのが約3、割り振られた二倍強の戦力差を地勢でなんとか防いだ。
つまり魏の11に呉蜀連合が4、戦力比率は同じ二倍強の戦力差。全く同じこと。
地勢以外の何で防いだんだ?
422 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:14:09
蜀が滅んで、晋対呉になったときでも
晋内部では呉への遠征反対派が大半を占めてたよ。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:14:47
>>420 一固体として完成してしまったものを分けてしまったら
ちょっと変わってくる。
そこまでの三国内の力学を生んできた歴史事態が
無かった事になってしまうからだ。
魏が他の国と組むんだったら分かるけどね。
その一国が今までの力学を作り出して来たんだから
それを分けたらただの分裂になる。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:16:37
限られた範囲内の勝利者はそれ以外の範囲内の総数には勝てないって
事なんだよ。
>>421 君はこのことを考えてみよう
1.魏は呉・蜀とだけ隣接していたのか
2.魏の戦力は一度にどれだけ集めることができただろうか
>>425 おいおい。それを言えば呉蜀だって後方に勢力を控えてるし、戦力の集中はできないよ。
むしろ1つにまとまった魏晋に比べ呉は蜀、蜀は呉へも不意に備えて警戒を怠れないのだから
一地方に関する兵力差は開いてもおかしくない。
自分の論に当てはめてみろなんて簡単且つ初歩的な質問は当然想定していて、何らかの反論が最初からあるんだろうから
次は初めから書いておいて欲しいね。手間も省けるし。
>1.魏は呉・蜀とだけ隣接していたのか
それは呉や蜀も一緒なんだけどな
寧ろ、呉は山越抱えているし
蜀は異民族いっぱいだし
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:36:32
つまり蜀と呉で攻め続けてれば魏だって国家が次第に縮小する。
別の地域から別の方法で同時に攻め込むのも良いし
片方が善戦したなら相手国が混乱している内にもう片方が
兵力を増強すれば良い。
魏は戦力を生産する地域が紛争状態になるから生産力が低下するし
増強たって訓練している暇なんてなくなるから雑兵が生産されてくる事になる。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:36:36
北方の異民族と手を結ぶってのはどう?
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:39:23
蜀が目を付けたのはそれなんだよ。
異民族ってのは自国で生産システムを割り振らなくても
異民族内で動いてくれるだろ?
そこに目を付けて戦力の増強を図ったのさ。
なんせ自分で経営しなくても兵力を産出してくれるのだから。
>>429 その前の蜀の国庫が破綻して滅んだのが史実
アホか…
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:40:57
あっ蜀が目を付けたのは北方の異民族じゃないけどね。
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:42:46
>>432 君の言う蜀は呉と共同作戦を常に展開して破綻したのか?
一人相撲で一国でやろうとしたからだろうが。
>>426 言ってて矛盾に気付かないのか?
ある意味凄いな…
一地方における兵力比がそれほど広がるのなら、3倍程度の戦力なら用意できるだろう?
集中された戦力を迎撃することで精一杯な防御側は後方を突かれて即死亡、というわけだよ
まさかそれすら地形のみで防げたと言っているのか?
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:44:54
一国で勝てないのに一国でそれを行おうとしたから
蜀は負けたんだよ。
というかすでに250で結論出てるよな。
蜀が天下を取る方法
「蜀が南に軍を進めてことごとく制圧してその兵を持って西まで進軍して返す刀で1000万の大群を率いて中国全土を制圧」
>>436 今話してるのは220年頃の話ではなかったのかいー!
440 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:46:26
>片方が善戦したなら相手国が混乱している内にもう片方が
兵力を増強すれば良い。
善戦できないで、攻めた国が疲弊したのが蜀の歴史なんですが・・・・
兵力増強すれば良いってゲームじゃないんだから、簡単できないんだよ。
呉は人口不足で南方の島にまで、人狩りに行った。
>魏は戦力を生産する地域が紛争状態になるから生産力が低下するし
戦力を生産するっていう表現が良く解らんが、紛争状態になるのは国境線じゃないの?
魏のずっと内部まで紛争状態になるのか?
>>440 確かに紛争状態になるのは国境線だが、各方面から攻められれば国は動揺するだろうね
中には離反する太守も出るだろう
もっとも、厭戦気分が続くのは呉・蜀も同じだが、包囲されているのとしている方では感じ方は違うかと
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:50:55
それは知らんどこで戦争するかはその時になってみないと分からん。
攻められた側は平常時と同じ生産力は保てないんじゃないか?
>>440 >魏のずっと内部まで紛争状態になるのか?
ゲームで考えてるんだろ
>>441 小さいのも含めれば毎年のように戦争してるんだぞ、普通
今更動揺も何もないだろ
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:53:45
蜀に勝たそうと思えば同盟作って共同作戦を長期間やるって事
だろうね。
曹操だって初めそう言う作戦で勝って来ただろう。
ifなんて考えること自体が不毛。
同盟がうんぬん言ってるのも、
>>438のようなことを言ってるのも、
どっちも同じレベル。
曹操ってどっかと共同作戦組んでたっけ?
反董卓連合くらいしか思いだせん
攻めてる側は不死身なのか?という疑問はともかく
それは国とテロリストの戦いであって
蜀と呉が放棄するのならともかく、国として維持するなら無理
それができるならアメリカやロシアの土地は
とうにアラブのモノになってる
>>445 お前はこの板自体の存在を否定するのか
よく見てみろ
ifの塊だぞ?
>>443 各 方 面 か ら 攻 め ら れ れ ば
動揺するだろうね
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:01:36
アメリカ以外の国が同盟組んだらアメリカは勝てるか?
核ってのは常識外に置いてさ。
飛行場も世界にちらばる米兵力を他国に置かせてもらえない
海域内に入り込むのもお断りだったらアメリカに勝ち目はないよ。
アメリカの強さって他国の同盟とその地域に戦力を派遣させて
もらえるから成り立ってるんだし。
だから近代や現代の例は不適切だと
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:05:09
まあ古代と比べるのは不適切だな。
453 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:05:10
>431
おいしいじゃん、それ!
なんで実現しなかったの!?やっぱ民族の壁は高すぎたの?
>>453 異民族は異民族ということ
敵であり友人である
そして、必ずしも魏の脅威に晒されているというわけではない
455 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:07:52
>>453 それがおいしくても呉が蜀に協力する事もなく魏になびく雰囲気ばかり
ならプラマイゼロと言うか
結果マイナスでしょう。
>>449 各方面含めての話だよ
戦史に残らない小競り合いがどうして無かったといえる?
それとも、戦史に残せる規模の戦をしろと?
そんな事してみろ
攻める側の国庫があっという間に尽きるぞ
普通に各個撃破されないか
・・・お前ら飽きずに良くやるよなww
>>435 言ってて矛盾?実際10万超える侵攻を地形を活かして数万の兵で防いできてる。
魏側の10数万も守備側の数万も持てる兵力の全てではなく後方への守備を置いた上で、
前線の一地方に投入できる兵数はやはり国力の比に近いものになる。
どの辺が矛盾?まさか貴方の想定してる両国は後方の備えなど用意せず全軍で攻め込み全軍で守備するんですか?
それとも呉蜀の後方だけは後方への守備を蹴散らして滅亡しちゃうの?
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:15:16
魏は蜀や呉と比べたら圧倒的だが
それでは蜀や呉は魏に絶対勝てずに負け続けて国が育ってったのか?
>>445 はアホですな、仮定抜きの話だったら只の知識自慢にしかならんだろ
そんなことするくらいなら本でも読んで歴史を学んだ方が有意義だってのw
ここで得意げに語ってる奴の知識なんて、あまり信用できないからな
>>459 君は地形に頼りすぎだよ
てか地形さえあればなんとでもなると思っているようにも見える
>>460 魏と呉は互いに影響し合う前に勢力を築いてきた。で、赤壁の奇跡の後劉備が蜀を奪って蜀を建国。
以後大きく動いたのは蜀→呉への荊南と、呉、蜀の南方進出で、南北の国境ラインは膠着したまま。
国に関係なく基本的には防御側が勝ち続けてきた。
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:21:44
>>465 地形は重要でしょ。
地形を考えない戦争なんてないよ。
468 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:24:55
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:24:57
ジョジョが戻ってきてたら天下統一出来てたでしょうね!
誰も地形を無視するようなことは言ってないだろ
>>465は「頼りすぎ」って言ってるだけだ
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:30:08
>>454 >>456 な〜るほどね…ごもっともだわ…
異民族は、魏に対する脅威ではなく、金や領土に対する野心をくすぐって動かすってのはどう?
呉に関しては、荊州をエサに外交で釘付けにできない?
無理め?
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:31:27
>>470 頼っても良いぐらい重要でしょ。地形は。
勝手に城壁みたいな役割もしてくれるんだし。
そりゃ無理すれば超えられない事も無いけど
かなり疲弊するから効果的でしょ。
それを超えてまで無理に仕掛けようとはならない。
中には崖の横に杭打って道作る人もいるけどさ。
>>465 >てか地形さえあればなんとでもなると思っているようにも見える
それは君が馬鹿だからじゃないかな。
元もとの話題は国力の差からの有利不利の話から、
>>415の「国力比だけでは決まらない」の根拠部分である
国力では圧倒的である魏が、何故即座に呉・蜀を滅ぼさなかったのかについての言及。
415はそこから「一戦場に国力差ほどの兵力差はでない」と主張し、
こちらは「非常に攻め難い場所によっていたため兵力差があっても攻め切れなかった」と言ってるだけ。
唯でさえ戦争は攻めるより守る方が有利なんだから当たり前といえば当たり前の話。
なんでそれが「地形さえあればなんとでもなる」になるんだか…
>>471 異民族に関して言えば、あれだけ友好的に扱ってくれる魏と切ってまで
蜀に味方するメリットは無いだろう。姜維と共同で攻めた時もあったが、国力換算するほどのレベルでない
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:43:37
張良、韓信、ショウカ陳平がリュウビ陣営にいたら間違いなく統一出来ただろうよ!
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:53:02
>>474 あ〜…やっぱそーだよね〜…
つか、ずっと隣人してた奴よりポッと出を取る奴ぁいねぇもんな〜…
よっぽど仲が悪くない限りは…
なら、呉じゃなくて魏と結ぶってのは?
…一番やっちゃいけないパターンか!?
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 00:58:05
魏軍が同盟などいらないほどに無敵なら
外交なんてしない方が手っ取りばやかったでしょ。
なんで
シコシコ外交をしてたんだ?魏は。
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 01:00:05
>>476 それ。その方向って色んな可能性があると思うんだよね。
479 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 01:01:18
蜀が早い段階から魏と同盟組んでたらどうなるかね?
というか、五胡十六国時代で一番最初に異民族が独立したのが蜀の地という事を考えると
異民族利用とか言ってるレベルじゃ無いんだよな
李特は流民集団の受け皿で、李氏が独立した背景には道教の存在があるけど
五胡十六国の形成の元を辿ると、曹操が異民族を内地に入れた事によって
異民族の教育水準や技術水準が上がり、人材を排出してしまった事にある
この異民族対策の路線は魏の後の晋も受け継いでる路線だから
例え三国志が史実より続いても異民族の独立というのは起こりえた事象なのだが
呉蜀が残ってる事によって晋に緊張状態があった場合、劉氏、慕容氏は内地に攻め込むより
自分たちの独立を晋に認めさせて国家間としては友好関係を築こうとする筈で
魏(晋)の背後の異民族に期待するってのは何十年待っても期待できない展開だと思うぞ
そんな事するなら蜀なんて建国せずに、劉備が曹操の家臣なれば済む話だろw
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 01:18:57
劉備が曹操の家臣ならないで行くとしたらさあどうでる?
>480
激同
五胡十六国は八王の乱という、めちゃくちゃな内乱があったからこその現象だと思う
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 01:28:28
>>478 お、意外にも認められたw
でもそうなると、裏切るタイミングって難しいよね…
それこそ、
>>481の言うように“ほぼ”家臣になって、呉を攻めるよう提言して、
>>480の言う異民族対策を転換させて、こちらも攻めさせれば、
魏はそれなりに疲弊して、攻める側はラッキー!
ってのはどう?
もちろん、南北を同時に攻めることは無いだろうし、
蜀の地の自治と、曹操に対する影響力が高い、っていうめちゃめちゃハードルの
高い前提条件が必須だけど…
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 01:54:07
このスレ読んでて思ったんだけど、「蜀に天下を取らせる」って前提が
あいまいじゃないか。
たとえば、建国直後の蜀の人材や国力と、その後では変わってくるし、
どの時点か明確にしないと比較しようがないかと・・・。もともと戦略
レベルでは魏との差はあるわけだから、ある時点での戦術レベルで勝利
することで戦略レベルでの勝利につながるか考えたほうがいいのでは。
陳泰が居なければ姜維の大勝から活路が……
「劉備」に天下を取らせるなら簡単。
「蜀」は無理。
陳泰、郭ワイ、鍾会、トウガイがいなけりゃ楽勝
曹操と孫権がいなけりゃ楽勝
租茂いなきゃ楽勝
>>480 異民族を内地に引き入れるのは、曹操以前から行われていたことじゃなかったか?
積極的・大々的に採用したの曹操だよ
>>421 お前はアホだな
地形を活かして守れるのは魏も同じ
仮に国力比が11:3:1だとして考えるなら、同程度の戦力を置いておけば守れるだろ
なんで同時侵攻を考えるのかが理解できん
魏は3である呉に戦力を3割けば、蜀には8の力で当たれることになるぞ
お前の考えを適応すれば、
地形を活かせば1:3でも守れるんだから、魏は10:1で蜀を攻めれるということじゃないか
自分に都合のいいように解釈しすぎだな
アホがアホを罵る構図は正視に耐えない。
そんな動員をしたら兵力の空白地帯が出来るぞ。
待ってるのは大混乱だ。
>>494 わざとアホの理論で答えてるんだからアホなものにしかならんさ
国力比が11:3:1だというのは人口の話だろ
しかし一方で
>>411のような説もある
これはどこから導かれたものなんだ?
時期じゃない?
北方からの難民を抱えた状態の呉や蜀なら、それなりの国力がある
でも、彼らは北が安定すると北に戻っていくしね
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 08:54:42
蜀が、国力20倍兵力15倍の魏と互角に戦えたのは、諸葛孔明のお陰だよ。
魏は数十万の兵力を動員して何度となく蜀に攻め込んだが、ことごとく諸葛孔明に撃破され、名将・張コウや王双を討ち取られた。
諸葛孔明が死んだことを聞いた曹叡は、酒宴を開くほど喜んだという。
>>498 確かに孔明は凄い
しかしそういう話を聞くと、人口が10倍はあるという魏に孔明を超える奇才がでなかったのは不思議だと思う
九品〜法(確か陳グンが献策したというやつね、名前は忘れた)による弊害が既に出ていたとも思えんのだが
>>498 そんなにはないしあったとしても1対1で戦ってるとでも思ってる?燕王は?呉は?三国志読んだことある?
司馬懿がいるじゃん>孔明を超える奇才
常勝不敗の名将・司馬仲達も諸葛孔明には全く歯が立たなかった。
諸葛孔明の死後、その陣跡を見た司馬仲達は
「史上最高の名将なり。この男を越える将は、金輪際現れることはないだろう。」
と言い残し、その場を去った。
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 09:18:12
孔明のすごさは戦場におけるものではないと思うよ。
確かに演義では神のごとく采配を振るっているように見えるけれど
彼の真骨頂は綿密な計画に基づいて勝てる可能性のある戦をしている
ということ。
北伐についても最初の北伐は街亭の敗戦がなければ長安を陥落させ
られてと思うし、幾度か計画を修正して五丈原では屯田による補給
の問題を解決して不退転の意思をみせた。魏が持久戦にしなければ
戦自体は勝っていただろうね。
長安が取れれば、(才能ある武将はともかく)徴兵や物資の心配は
なくなり、天水などの辺境も蜀の版図に入るから国力はあがる。
キョウイも孔明の後継者として目されていたぐらいだから才能は
あるんだろうけど、彼には大局的な戦略がなく、漢の敵である魏を
攻めるという大義だけでいたずらに北伐を繰り返した。
孔明が死んだ時点で蜀の命運はつきていたのだよ。ただし、彼の
遺産で蜀が30年もったことも事実。それが彼に偉大さなのさ。
なんですかこの痛い孔明厨は?
>>502 そうかな…北伐は蜀の念願で長年からの宿命だったから自然と蜀には活気がでた。対する魏はアホォ附馬のせいで戦意は落ち、曹真さえもなくなった。
しかし正直周喩などと同じ強さの司馬懿がほめるくらいなんだからなんだかんだいっても諸葛亮はすごかった。演義ほどではないが。
>>503 街亭もあるけど陳倉すら落とせない今の自軍じゃ長安なんてムリポってかんがえたんじゃん?
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 09:48:49
三国志の時代って中原で飢饉が起きて、人が中原から南に大移動したから人工比は対して変わらなかったって説を聞いたことがある。
507 :
503:2006/08/27(日) 09:56:10
>>505 自分的には結構斬新な意見だった。
スレの内容の逆説的な話になるけど、蜀が天下を取れる限界の時は
どの辺になるだろう。
蜀は漢の後継国家という位置づけだから、皇位を簒奪した魏とは相容れない
から攻め続けるしかなかったんだけど、孔明が「もうだめ。魏滅ぼすの無理。」
って考えてたんならその時点で無理だと思う。
>>503 いや、姜維も並外れた将だったと思うが
ケ艾、陳泰あたりが優れていただけのこと
限界は曹真が死ぬ前までだな
それ以降はまるでダメ
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 10:05:05
赤壁あたりで曹操が死んでくれてりゃ楽チンぽんだったのに。
>>507 新野で劉備に仕えた→よし、やってやる!(まだ可能性は無限大)
赤壁で曹操が周喩に敗北→これで曹操はしばらく南には来ない!(さらに可能性大)
巴蜀を制圧→よし、計画通りだ!(可能性最も大)
夷陵で敗北→一気に遠ざかった…(可能性は僅かに有り)
キョウ維げと→これで次の世代も安心だ!(もう、自分が生きているうちには魏討伐が不可能)
街亭で弟子敗北→ムリポ(´・ω・`)(ムリポ(´・ω・`))
こんな感じか?
>>511 その場合、呉に呑み込まれるだけのような気がする
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 10:15:26
諸葛亮の最大の欠点は人を見る目がないことと、
すべて自分で劉備の意思を引き継いだことだと思う。
515 :
507:2006/08/27(日) 10:17:43
>>512 内容はそのとおりだと思うけど、お茶吹いた
後漢復興も蜀漢による統一もそもそも不可能。
関羽北上の時点が最大のチャンスだったと俺は思っていたが、
どう考えても国力は漢中戦の時期で攻勢限界に達している。
それでも訪れた勢力拡大の機会。
年令的な焦りか、関羽は無理に押し切ろうとしたけど失敗。
その後の先主による夷陵戦も戦線が長過ぎ、陸遜クラスの将には致命的なハンデとなった。
これらは人的、兵力的に大きな損失だった。
全ては孫呉を舐めすぎ、警戒を怠ったのが原因。
結果だけ見れば、この二人の外征はやらない方がマシだったと言える。
入蜀の成功から漢中戦の戦勝が生まれ蜀漢は成立し天下三分の形勢は確立した。
国力的に魏を除くのは不可能なのを考えるとそこで満足するべきなのだ。
だが彼らにとって天下三分に価値はなかった。
現実を見れば呉を上流から力攻めで下し、
南北朝の一角として何世代にも渡って機会を伺う方が確立は高かったのではないだろうか?
劉エンの頃から根回ししてれば天下取る可能性もあったな
三国になってからは無理というか詰んでた
>>516 呉をなめてたんじゃなくて孫権をなめていたりして。孫権は曹操、劉備と比べ明らかに戦場に立つ機会が少なく、まだ若い君主だから。家臣は陸遜や顧擁、徐盛など目白押しだ
>>516 それ夷陵で失敗しなかったか
そして呉を制圧したとしても、魏はなにも疲弊してないから状況が悪くなるだけでは
>>516続き
荊州以前の先主は単なる傭兵隊長に過ぎない。
徐州時代は余り本腰を入れてない印象を受ける。
彼が反曹の旗手として真価を発揮したのはやはり隆中対以降だろう。
…⇒当陽⇒赤壁⇒荊州接収⇒入蜀⇒漢中戦⇒関羽北上⇒夷陵⇒南征⇒北伐…
この上記の流れから、この時代の戦争は前の戦争の成否を引き継ぐというのが判る。
前回、前々回の失敗は南征の成功だけでは賄い切れなかったはず。
前提条件から北伐は成功の見込みは薄いのだが、
それを惜しい線まで行ってしまったことが孔明の偉大さだ。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 10:32:42
>>511 曹操が死んだら西凉が魏に攻め込むだろう。
その間に呉が劉備に攻め込む。そしたら蜀はアウト。
仮に呉が蜀に攻め込まず魏を滅ぼしたとしよう。
その場合劉備は蜀を取ってると仮定する。
残るのは馬騰、国の体制が整ってない蜀、健全な呉
こうなると実質劉備と孫権の一騎打ちになり臣下の能力は拮抗してる。
そうなると経済的に発展してる東の地域を手に入れられる孫権の方が優位に立つ。
魏の臣下がどちらにつくかわからないなど多少のイレギュラーはあるが・・・
これを考えればよほどのことがない限り蜀の天下はない。
まあおれだったら先に劉備滅ぼすけどな。
つーか姜維が諸葛亮の後継者って、それなんていう演義?
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 10:36:37
望蜀ってのは、このことだね。
>>521 曹操が死んでも頼れる旧臣はいる。賈ク、張遼、司馬懿、満寵など
劉備が蜀をとっても呉は未だに徐州占領して平原に進むくらいでとまってんじゃね?
>>519 白帝城あたりから進軍するのと荊州から直で東進するのでは全く違うだろ。北にいくより遥かに容易い。
それに孫氏よりも劉氏の方が、豪族連合のトップには相応しい。眉唾だが。
制圧後の接収は容易なものと期待できるだろう。山越問題はあるけど。
魏が衰えていない?いつ武帝が王莽の輩として扱われ、魏が新の様になるか可能性が無いとは言えない。
漢朝の権威は亡霊のように残っている。それが先主自身だ。
曹丕の過小評価だろ、ソレ
献帝は今だに手中に有り。清州兵も健在。仮に曹操他、赤壁従軍組が戦死しても、荀イクをはじめとした留守組も健在
漢朝の権威は亡霊のように残っているなら、ソレこそ献帝を手にしている魏の優位は動かない
527 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 10:51:18
少しだけ言いたいことがある。
時期は劉備が益州に入ってから関羽北伐までの話。
国力差の件だがこれはあまり関係ない。
自国で必要な分の兵糧だけ手に入れればいいのだから
問題は他国との比較ではない。
自国でどれだけ兵糧を蓄えられるかだ。
それができていれば国力差なんて名将、知将の働きでいくらでもひっくり返る。
その点では三国とも安定した政治を行っているので問題ない。
528 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 10:54:29
>>524 そうかもな。しかしおれは蜀が天下を取るのを前提に話をしてる。
もし平原で留まったとしても劉備は呉に倒され
天下は取れなかったと思うがどうだろう。
>>528 しかしもし呉が徐州止まりだと陸遜がしばらくでてこない可能性もある。
前からそこそこ有名だった陸遜だがやはり天才呂蒙がいなければならない。そして徐州占領ということは魯粛は呑気に呂蒙を馬鹿にする暇なんてなかったはずだ。
215年あたりに劉備が蜀げと呉は徐州止まり。馬騰は長安を含める西北一帯を統治。かつて曹操暗殺をともに企てた馬騰なら呉でなく蜀の味方をしてくれるだろうし
(´・ω・`)話が出来過ぎが…
530 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 11:10:00
もし、曹丕が皇帝になろうとした時期まで、関羽が動かず
にいたら、漢臣の楊彪・陳群・華歆・荀悦等と手を組んで
何かできたかもしれない。
袁紹が官渡で勝利⇒曹操一党は荊州に亡命。劉備三兄弟と再会
⇒劉表は袁紹との同盟を破棄。劉璋と益荊同盟を組む。
⇒袁紹の南下、孫氏の西進⇒曹操と劉備の活躍で危機を脱する
⇒…
ここまで書いて馬鹿らしくなって飽きた。
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 11:12:45
>>531 蜀に天下を取らせるわけだから、蜀成立後からの情勢を考えないと
まずいんじゃない?
蜀成立後からだとローマ帝国と同盟を結んで
魏を攻めたら勝算あるぞ
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 11:22:59
>>533 間にいるゲルマン民族をどう排除するのだ。
535 :
.:2006/08/27(日) 11:58:52
合肥で孫権が勝って徐州まで殴りこみ出来てればぐちゃぐちゃになってたかもな
徐州なんか落ちたところで大勢に影響はないような・・・
537 :
.:2006/08/27(日) 12:27:58
徐州までいけてれば烏丸やら公孫とも連携取れるからなぁ
その時期は魏の国内も内乱もぼこぼこだし・・・・・
まぁ関中軍団みたいに大カウンター食らって呉が滅びた可能性のほうが高いか(w
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 13:06:11
呉には陸路で敵領奥深くに侵攻する力はないと見た。
539 :
魏延:2006/08/27(日) 13:07:06
ただでさえ防衛戦が薄く伸びる事を嫌った呉が
徐州に攻め入るのは考えにくい
>>540 どうだろうね、史実でも孫権は何度か合肥に軍を進めている
合肥を占拠してそれで終わりということは考えにくいので、
徐州か、はたまたエン州方面かのどちらかには侵攻するのではないだろうか
>>540 北部はともかく淮水は押さえないと危なくない?
長江は最終防衛ラインだったような…
だから、合肥を得ることは防衛戦を安定させ、厚みを増すことになるけど
徐州まで進行して維持するのは防衛戦を薄くさせる行為で、同一には語れない
戦線
▽ ▽ この状態ならば、合肥までの距離は一衣帯水であり
魏が攻めてきた場合、建業からも増援を送れる厚みが存在する
合肥 又、建業との間に合肥というワンクッション置かれる事もメリットの一つ
〜〜〜〜〜〜〜長江
建業
戦線 徐州を得た場合
▽ ▽ 敵の戦線を側面にも受ける上、厚みがない
徐州は陸の孤島状態
戦 |> 徐州 呂蒙の言にもあるとおり、徐州は平原地帯なので
補給・援軍を迅速に届けるには馬が必要だが、乗馬術も馬の絶対数も魏が多い
線 |> 加えて、徐州単独なら兎も角、合肥も荊北からの圧力がかかるので二面防衛作戦になる
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜淮水 結局、淮水のラインで広陵―寿春―合肥の防衛戦を敷くと、次に欲しいのは荊北になる
|> むろん、呉の政権層の徐州出身者の数を考えれば、徐州は取りたい土地ではあるが
合肥
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜長江
建業
544 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 18:55:50
呉一国の話ならばさもありなんだが、連携して蜀が動けば話が
変わってくる。
いくら魏が強大といっても2方面作戦はかなりのリスクを生じる。
だから、徐州であれ荊北であれ取りに行くならば蜀を味方につけ
同時に進行を行う。
但し、史実でもそうだが連携がうまくいかない場合は大敗北を
記す場合があるのでそこが問題だ。
三国の国力って1:2:7くらいの割合でしょ?
2対1でも余裕しゃくしゃくじゃん
>>543 その解釈はどうだろう
確かに呂蒙は徐州を得るより江陵を攻めるべし、と進言しているのだが
これは暗に呉のそれまでの合肥攻めの目的が徐州の制圧にあったことを示唆している、と考えることも出来るわけで
君の言うデメリットを考えなかったとは思えない
というか、合肥は呉からすれば守り難い場所ではなかったかな
国力に余裕があるとは言っても、広大な領土や都市を守らねばならないのだから
全兵力を一点に集中するわけにはいかない。
常に攻勢でいられるのならともかく、呉と蜀に完璧な連携を取られてゲリラ戦を
仕掛けられるとかなり辛いぞ。
そのゲリラ戦をする体力は永遠に続きますか
完璧な連携を求めるなら同盟した二国より一国のほうがいいんじゃないの?
同盟してるとはいえ二国間の国境にも多めに兵を割かなければいけないしね
そもそも完璧な連携の取れたゲリラ戦というのがよく分からない
無理
むしろ、蜀・呉の国内で異民族によるゲリラ戦が繰り広げられてたから
ゲリラ戦ってのは防御側が行うものだから、呉蜀が望んで仕掛けられるものでもないでしょう
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 19:50:20
ゲリラ戦に例えているが
ゲリラ戦みたいに戦っているのはあくまで
一国としてなりたってる国。
戦法がゲリラ的だろうとなんだろうと
国があるかぎり続くでしょ。
>>549 光栄のゲームなら同盟したらその国境に兵割く必要ないもん
蜀が攻めてきたから、兵力を涼州に集中させたのにそこで呉が攻めてきたら兵移動させるだけでも大変だもん
それを繰り返して兵を移動させまくってたら国力が疲弊するから力学的に二国同盟が勝つもん
>>552 >国があるかぎり続くでしょ。
>国があるかぎり続くでしょ。
>国があるかぎり続くでしょ。
どこの小学生の理屈だ?
555 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 19:55:04
国ほどの体力も無いテロリスト達が
「体力無いからテロリスト解散〜」なんて言うか?
国が遊撃形態で攻めたからといってなんで体力が続かないんだよ。
それとも遊撃作戦をしたらその国は
一思想団体なみの経済力しか持てなくなる
ってなってんの?君たちの三国志ってw
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 19:58:37
>>554 小学校の図書館でも行って調べてみればw
>>555 現在みたいに簡単に人を殺せる爆弾や銃がパンなんかよりも安く手に入る時代と一緒にするなよ
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:03:54
>>557 経済からみたら同じ様なもんだ。
むしろゲリラ戦なんて正攻法より費用が掛からない。
ゲリラ戦で莫大な費用が掛かって続けられないとか抜かすなら
ゲリラ戦は金持ちの国しか使ってない事になるなw
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:04:17
ゲリラ戦の絶対条件は非戦闘員である住民の協力。
攻撃の後、住民にまぎれてしまうから追跡できず神出鬼没と
なるわけで、この時代の住民にはそこまでの協力は望めないかと。
それに、この時代は決戦=全滅ではなく、相手の戦意を挫けば
壊走というパターンで決着がつくから、武将の策略や統率力と
いったものは戦において非常に意味のあるものだった。だから
名将がいれば数倍の凡将がひきいる敵部隊を敗走させることも
可能だったのさ。(もっとも兵力差が勝敗の最大の要因である
ことは変わりないのだが)
ゲリラ戦の様に攻撃するという事は、小部隊を敵領内に潜伏させ、
現地住民の支援を受けつつ敵の小規模部隊を攻撃し疲弊させる、って事か?
ゲリラ戦が展開できるほどの信頼関係を、敵地住民との間にそう簡単に築けるものか?
コーエー三国志では隣接する都市に略奪を仕掛ければ、費用もかからず、相手にダメージを与えられるもん
自領域の住民の信頼すら得られなかった時代だ
敵領域ならなお更無理だろ
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:10:32
>>560 作戦行動で国内に入ったのに
「私は敵国生まれで敵国からやってきました、でも仲良くしましょう」
って告げないだろ。
強い武将が敵国内に侵入してかく乱するのは金もかからないし、簡単なことだもん
それをやれば力学的に蜀が天下取れるもん
565 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:11:34
>>550 敵に攻められた国の住民が主を慕って敵の妨害をすることはあるけれど、
この時代の住民は自分の生活に関わらなければ、権力者のすることは
関係ないと思っているだろうから、信頼関係を築くのは無理だと思う。
ゲリラ戦自体が近代以降になってからの戦法で、民族意識とか思想上の
一体感がなければこの時代では無理。(しいて言えば、黄巾の乱は近い
ものがあるとは思うが)
>>563 事情も何も告げない武装集団に自国の軍隊を攻撃するから支援しろと言われて、
はい分かりましたと頷くのがこの時代の一般的な住民であるとでも?
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:16:28
まあ、あれだどんなに大きな国でも君主は一人。
組織体制がまとまってない国同士の同盟ならまずいだろうが
呉、蜀ともにちゃんとした体制を取れてる。
その状態で同盟の連携がきちんと取れていれば
魏は包囲されてるという意識があり士気も低くなる。
そうなれば君主が二人いて自由に動ける同盟国の方が士気が高くなり
圧倒的有利な状況になる。
またいくら領土が広いといっても国力差はあまり関係ない。
それを跳ね除けるための同盟&共同前線だ。
568 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:16:39
>>564 お前の頭の中ではカンウが敵国内に侵入してるんだろ?w
確実に成功させる為に暇してる孔明とか?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:16:46
>>566 支援なんていらない。
強い武将が数人の部下を引き連れて、敵の軍事施設に奇襲かけるだけの簡単なことだ。
地元住民の支援なんていらない
570 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:18:36
>>566 まさか「事情も何も告げない武装集団」が敵国内に入れると
思ってないよな?一応聞いとくが・・・
571 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:21:20
言っとくけど
遊撃みたいに適当に出張るのって費用も兵糧も対して掛からないよ。
それを討伐する為の正式出兵の方が費用もかかって大変だって。
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:25:52
>>569 費用はかからないし、成功すれば大きなダメージを与えることができるが
失敗する可能性はかなり高い。
よっぽど勝算がないと、優秀な武将を敵地で犬死させることになる。
「埋伏」だってよっぽどのことがないと成功しないよ。
黄蓋も周魴も楽勝で成功したじゃん
二国によるゲリラ戦最強!!
それだけ能力のある武将がいたなら、
中華の端に追いやられる前に
なんとかできただろ
575 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:30:47
>>569 そんな小規模で何ができるわけ?大した効果があるようには思えないな。
それにさ、地元住民を味方につけとかないと通報されちゃうよ?え、強い
武将だから絶対に見つからないって?
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:36:27
>>573 楽勝じゃないって。楽勝に見せるための努力や情勢分析ができてたから
成功したってこと。
「戦線が動かぬのぉ」→「よし、他国かく乱だ」ってゲーム感覚じゃできない。
(ゲームだって失敗して武将が捕らえられたらショックなのに)
お前ら釣られすぎだろ
司馬仲達って10万も兵を率いていたのに、諸葛孔明の3万の北伐軍にコテンパンにやられたんだろ?
いくら孔明が天才だと言っても、ちょっと情けなくないか?
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:40:58
>>577 スマソ
24時間テレビのおかげでやることないから。
>>579 ああ、またやってるのか
それならしょうがないな
邪魔して悪かったな、続けてくれ
581 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:46:32
期待通りに動くと思って期待どうりの数を用意して期待通りの動きしか
しないなら
数が集まってようが頭良い武将が居ようが
「雑兵の集まり」にすぎん
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:50:07
このスレは面白いね。
今だ魏は負けないと思ってるのかい?
力学的に破ってみせようか?
この俺が。
力学を覆せる兵法や戦術などない。
唯一科学だけが可能である!
そうして科学の戦争である近代に
進化してきたのだからな。
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 20:51:07
>>578 仲達の戦略は蜀の侵攻をくいとめることで勝つことではない。
仲達のすごいところは孔明に対峙するものは自分しかいないと
思いつつ一方で孔明には勝てないと考えていたところ。
だから、勝負をさけて守勢で侵攻を抑えることに終始した。
実際、たまに攻勢に出るとそのたびに手ひどい目にあっている。
584 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:00:44
このスレをさらに活性化させるためにもう一度
勧告する。
限られた範囲内の国家間の戦争ならば
その国家に単体では敗北するであろう他の
国全てを同盟連帯させればどのように強かろうと
勝利国以上の戦力になるのである。
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:05:57
つまり多く同盟し戦争をしかけない(消耗する機会のない)
国が最終的に勝ち残るのである。
ここで言う勝ち残ると言うのは他を圧すると言う意味だけの
勝利ではない。
他国から外交を信託させても良いと思われる権利を
有するようになる。と言うことである。
「同盟」「共同」 この個と個のつながりは
無限の可能性を秘めるシステムである。
巨大は「個」は
「同盟、共同」できる弱き個によって敗れるのである。
586 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:12:44
魏にも名将がいなかったわけではない。
張儁乂という名将がいた。
張儁乂は袁家にあった頃は河北統一に最大の貢献をし、
曹家に加わった後は、常に任務を全うして中原統一を成し遂げ、常勝不敗将軍と言われた。
だが、そんな名将も諸葛孔明の敵ではなかった。
負けたと見せ掛けて退却する蜀軍に追い討ちをかける張儁乂は、いつしか谷間の細い道へと誘い込まれた。
ふと見上げた崖の上に諸葛孔明の姿を見た時、既に勝敗は決していた。
矢の雨が張儁乂の体に降り注ぎ、希代の名将はその場で絶命したのである。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:13:43
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:15:40
>>585 まさにその通りだね。
ただし、蜀に天下を取らせるのには非常に厳しい条件であることは
間違いない。
但し、そもそも、同盟をする相手である呉は同床異夢の関係だった。
すなわち、蜀は漢の簒奪者である魏に対して正当な政権であるという前提
だから、魏とは同盟できない。また、守勢に回ることもできない。(常に
攻め続けなければ蜀の正統性はない)
呉は、蜀と違い孫家の個人的な政権だから、孫家が存続すればいいのであって
(あわよくば政権を握ろうとはおもっていたにしても)別に魏でも蜀でも孫家
の得になればどちらでも良かった。(魏が勝てば次に滅ぼされるのは呉だから
蜀にくっついていただけ)
だから、少なくとも蜀の天下に関しては貴殿のいう理論には全くあてはまらない
し、逆に言えば赤壁の戦いがあれほど見事に機能したのは、魏の野望に対する
危機感で一致したからであると思う。
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:17:30
「同盟」「共同」「科学」「国力」=アメリカ合衆国
である事実がそれを物語っている。
ある一定の戦闘水準で止まったアジアと違い
その様な事実を検証し物ししていった国がある。
あらゆる戦争の歴史や事実を中国、ヨーロッパから集め
科学もあらゆる国から集め、時には敵国からさえも
あつめ(ドイツ)同盟国を増やし共同戦線がいつでも
行えるように成長した
アメリカ合衆国である!!
そしてその国は最良のシステムを有しているのである。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:25:34
同盟や共同の強力さは日本人ならば良く分かっているだろう。
徳川はなぜ勝利したのか?
戦力では上回っていた西軍が小早川の離反
共同戦線の亀裂により破れたと言う事実が
あるだろう。
勝利の影に
常に付きまとうのは
「同盟」「共同」であるぅぅ!!!!!
591 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:27:11
わかったかこのトーシロどもがぁぁ!!
592 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:28:15
ウオッホン・・・・・
では
反論はあるだろうか?
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:28:16
遅レスだが、
>>526 青州兵は曹操が死んだら消えちゃうぜ
はいはい分かった分かった
で?
どうやってそれを強固な物にするんだね?
西軍みたいに脆い「同盟」「共同」じゃなくてさ
同盟を駆使して8万の大軍で河越城を包囲した上杉憲政は、同盟無しの北条氏康軍8千に、
完膚無きまでに叩きのめされた。
596 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:32:41
>>594 一度君からそれの考えを聞きたい
ぜひ教えてくれないか?
考えてみてくれ。
>>596 なんせトーシロだからな
釈迦に説法する気はこれっぽっちもないよ
さて、ご高説を承ろうか?
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:36:22
―┼‐ ノ / | --ヒ_/ / \ヽヽ ー―''7
`」 ┼, 二Z二 レ / /´レ' \ ―7 ̄} | ー-、 /
(__ (|フ) (__ノ _ノ ∨` ノ / / _ノ \_
─┼- / | ‐┼- | ー|―
─┼─ | \ レ /  ̄Tー / ノ -─
(二フヽ \/ _ノ (二フ\ ヽ_ノ / 、__
i';i
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_ ||.I.|| /⌒\ /冫、 )
\ ||P|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ `./⌒ i ` /ゝ _,,..,,,,_
||\`~~´ (<二:彡) \( > ('\\ ./ ,' 3 `ヽーっ
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄\`つ ⌒ _) l ⊃ ⌒_つ
.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| `'ー---‐'''''"
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:37:21
>>594 はいはい分かった分かった
↑
と言っているんだからその
君が分かった観点から考えて見てくれ。
分かっていなかったならば
「分からない分からない分かりたくないぃぃー」
と言いたまえ。
赤壁の戦いで、周瑜は全軍の指揮を諸葛孔明に委ねるべきであった。
さすれば、用意周到な諸葛孔明によって逃げ場を無くした曹操は、死を選ぶしかなかったであろう。
困った御仁だ。
分かったのは「共同」「同盟」が大事だと言う事。
其処まで繰り返して言う程ではない。
俺が質問しているのはその後の事だ。
形式だけの同盟なんぞ無いに等しいのは当然ご存知ですよねぇ?
だからそれを強固なものにする方法を教えてくれと言ってるんだ。
分かった?
602 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:42:13
>>596 594ではないけれども(あえて言おう588だ)
同盟・共同は同じ目的において最大の力を発揮する。
たとえば、目的が曹軍の撃退などで、かつ、勝利を確信できる場合
には有効である。
しかし、目的があいまい(かつ同床異夢)であれば、それぞれの目的
に添った形で動くため、同盟の意義は薄れる。
孔明が孫権の皇帝即位を認めたのは、同盟の強化というそれだけであった。
しかし呉の協力がなければ魏に対抗できない以上これは正統な判断だと思う。
それでも同盟することのメリットを考えた上でのことだし、ベストではない
にしてもこの場合はベターな選択であった。
603 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:42:54
>>601 すばらしいじゃないか。
そう「共同」「同盟」の重要さを理解できたようだね。
じょうできだ。
そして
君が知りたいのは
どの様に同盟を強固にすればよいのですか?
と言う事だな?
蜀が呉に降伏して傀儡になればいけそうじゃね?
織田信長みたいに包囲網作られても勝利したパターンってのは
どう考えればいいんですか?
教えてください
606 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:49:46
>>602 すばらしい
その行動はベターであった。
しかし
ベターではない事があった。
それはつまり君の言っている中に答えがある
つまり
蜀にとっては魏は「いつか必ず討たねばならない」存在で
あったのに
呉にとっては「討てればいいな、討てなくても呉があるんだったら
べつにいいや」
って事なんだ。
つまり
ベクトルまでは共同化できなかった。
一方
トウタク政権を打倒しトウタクを討つといった目的は
みなで共同する事が出来た。
結果は成功である
もちろん
セキヘキでの「魏を迎え打つ」と言った目的の共同化はどうなったか?
結果は成功である。
呉の孫権が最も恐れていたのは魏ではなく、諸葛孔明であった。
そのために、孫権は魏と手を組んででも荊州を攻めて、蜀の力を削ぐことを選んだ。
蜀と呉の共同路線の崩壊を招いたのは、皮肉にも諸葛孔明の才能が偉大過ぎるゆえであった。
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:52:42
つまり呉の非協力が蜀の敗北と魏の勝利を結果
づけたのである。
>>606 ポカーン
軍事的には董卓と連合だと董卓の圧勝なんですが…
トラブルで暗殺される事までも戦略やら何やらに含めていいんですか?
610 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:55:27
>>609 じゃあトウタクは勝ったのかい?
トウタク政権は健在だったのかい?
含めろ含めろ色んなモンを。
風が吹けば桶屋が理論も、ここまでいくと尊敬できるか?
トウタク政権は内部クーデターによって崩壊した
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:57:53
>>609 そのトラブルはどっから出発したよ?
どこ陣営の計画だよ?
異民族か?
>>610 暗殺直前の董卓は一度失った洛陽どころかエン州までも支配権におさめつつありました
陳留周辺での略奪行為とか、関東諸侯はどうして放置してたんでしょう
董卓政権は健在でした、董卓が死ぬまでは
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:59:40
>>607 そぉ?
今の日本の竹島や北方領土やイスラエル問題と同じように、
「荊州はうちのもの」っていう意識が強かったのとやっぱり魏が恐かったから、
ていう理由の方がしっくりこない?
だって、諸葛亮が恐いなら、そのまま同盟を継続して蜀潰しに行くでしょ、普通。
孔明于のいない荊州を奪還しても、孔明の脅威を根こそぎ削いだことにはならないでしょ?
生きてる限りはその脅威に怯えるでしょう、普通。
616 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:59:45
【インパルス】100kmマラソン中継中の音声ミスでスタジオの音が拾われる 【これが「絆」】
http://www.youtube.com/watch?v=O4QS7JgTlmw 板倉「山根はまったく…」
堤下「ハハハ」
板倉「山根やばいって」
堤下「ハハハハ!やばいよね」
数人の男と女の笑い声
板倉「あれ、やばいよ、ほんっとにやばいよ!」
堤下「霊だよ、霊!」
?「あの人マ、マジ、ほんとに走るの」
堤下「これ見て感動する奴っているんすかね?ひでーよ、あいつは」
板倉「姿慎めよあいつは きもちわりい」
※決してネタではありません。これが「絆」の真実です。
>>613 トラブルは非常に個人的な問題で呂布という人間から起きました
まさかいくらなんでも妾に手を出された挙句、それを咎められる事を恐れて暗殺だなんて!
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:02:53
洛陽、エン州がどれほどのもんだっての。
正当に戦力で負かそうが暗殺されようが
結局反トウタクのベクトルに滅ぼされてるだろ。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:05:11
ではなんでそんな三国末期の魏のような
圧倒的なトウタクは
統一できなかったと思うんだね?
そんなに強力ならできるはずだよな?
>>619 董卓は圧倒的ではありませんよ
頭大丈夫?
621 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:08:21
>>615 戦略的要素ってのがあるでしょ。
そこを押さえておかねばならないから取っておくのさ。
そんな
簡単な理由で取りに行かないよ。
622 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:11:18
>>620 教えて
どっかの一国が攻め込む程度で勝てたの?トウタクって?
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:11:43
別にトウタクに対する反トウタク連合の戦闘が同盟の有効性に異議をとなえる
ものとならないと思うけど。
だって反トウタク連合だった一枚岩ではなかった。表向きはトウタクの専横
に対するものであっても中身は諸侯の勢力争いだもの。
同盟が同一目的に対して強固になるものだとすれば、反トウタク連合は本音
はバラバラだった。(それが孫堅が敗北する理由になるのである)
事実トウタク死後はなし崩しに連合軍は瓦解してしまった。
同盟が同一目的のよる強大な敵に対するものだとすると参考にはならない。
624 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:15:31
>>623 まあ中身はそうだったとしても
行動の面ではみな同じ方向で行動できたので
中身が同じ目的を有していると言える水準だろ。
完璧な連合じゃない例だ。
董卓暗殺の黒幕は諸葛孔明であった。
董卓政権が長く続く事を危惧した諸葛孔明は、女装して董卓の宮殿へと潜入した。
長身で凛としたその女に呂布が心奪われたのは、もはや必然と言えよう。
董卓を殺してでもその女を手に入れたいという考えに達するのに、
時間は掛からなかった。
626 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:21:13
このスレってすごい面白いスレだと思わない?
いやー楽しいな。
>>624 皆が同じとしたのは大義名分だ
目的じゃない
つうか董卓が洛陽遷都したのは
反董卓連合の力っていうより、孫堅の力だろ
一気に止まったな
24時間TVが終わってお風呂タイムか?
とりあえずまとめてみるか
1.呉蜀がツーカーの仲になる
問題点:荊州争いをどう収めるか
最終的に呉はどう片付けるのか
2.少数で、魏軍とは直接あたらずに魏領を荒らすことで国力を削り
それを二国で行うことで動揺させる
問題点:先に呉蜀の国力が消耗しないか
それで致命的な被害を与えることができるのか、あるいは次の一手をどうするのか
こんなところか?的外れだったらスマン
>>630 2は姜維の北伐そのまんま
蜀が先に財政崩壊起こしたね
>>630 蜀が呉に降伏、見返りに劉禅を象徴としてかかげる
荊州より大北伐(関羽の路)洛陽に至れば魏を倒せる
>>631 姜維の北伐は少数によるものでもなければ、敵との決戦を避けていたわけでもないと思うぞ。
呉蜀合わせてもまだ国力が足りない
後に晋が南に逃げて政権を維持出来たのは孫呉による山越の征伐と南方の開墾で
国力が上がっていたから。建業が首都として機能できるだけの規模であったことも要因
もうこうなると、天下取りたかったらバクチしかない
魏との一大決戦に持ち込んで勝つ
それも魏から攻めてきたのを迎え撃つ形が望ましい
要はもう一回の赤壁であり、後の[シ肥]水の戦いのような事をするしかない
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 00:54:03
黄皓がいなければいい
関羽が生きていた頃
入蜀して漢中王を名乗った時に荊州を返還したら
どうなったんだろう?
貧しすぎて北上どころじゃなかったのかなぁ?
蜀が天下をとるにあたって、荊州の存在は必要だと思う。
ただ、結局のところ国力が及ばない。よって、
1.バクチをうつ(決戦で勝つ)
2.魏が内部分裂、それを各個撃破
どっちかが必要じゃなかろーか。
‥‥無理っぽいなぁ
638 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 02:11:49
博打か…成功するかな?
赤壁は水に不慣れ、連環の計、偽装投降、病人続出、気のゆるみなどが併発して勝ったけど魏も馬鹿じゃないんだしもうムリポじゃない?
内部分裂は曹操が生きているうちはムリポだな
逆
曹操生きてる間の方が叛乱が多い
返すも何も元々孫呉の土地ではない。
劉表⇒劉g⇒劉備と継承されてきた。
正当性も何もなく、荊州貸与は魯粛の考え付いたイカサマ。
孫権は魯粛の荊州貸与案を欠点だといっていたが、
その時点では孫呉に経営能力などなかった。
もし譲らなくても実力で排斥されていた可能性が高い。
魯粛は天才だよ
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:01:58
諸葛孔明の蜀に天下を取らせるための戦略は最善のものであった。
これが完璧に機能していれば、蜀があるいは天下を取れたかもしれない。
しかし、その戦略は人的なミスで当初のほころびが生じ最後には挽回不可能
にまで傷口が広がってしまった。以下に自分なりに検証してみる。
@ホウトウの死
ホウトウは諸葛亮同様大局的戦略を構築・遂行できる人物であった。
もともと人材が少ない劉備陣営には貴重な人材であった。彼に死が
諸葛孔明を蜀攻略に向かわせたのであり、それがなければ孔明は
荊州で内政と対呉外交に専念できたであろう。また蜀成立後は孔明
を宰相にして、逆にホウトウを荊州経営の責任者にすることもでき
呉との関係も円滑にできただろう。
あー、ageるときは最後にageな
割り込まれたくないだろ?
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:10:04
A関羽のおごり
関羽は劉備軍団の中で旗揚げ時からの宿将であり、劉備の義兄弟であり
武将としての功績も抜群で、同じ立場の張飛と違い冷静な判断ができる
まさに劉備の右腕であった。それゆえ、彼が晩年徐々におごり(年齢的
あせりもあったと思われるが)、孔明の「東は孫権と和し、北は曹操と
当たる」という戦略を忘れ、呉を侮ったとき、彼の運命は決まったので
ある。右腕たる関羽を更迭するのは当時の状況では難しいと思うが、
黄中・趙雲コンビに馬良などの優秀な参謀をつけて交代していたほうが
よいのではなかったか。
645 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:13:59
B先主の私怨
いわずと知れた夷りょうの戦いで大敗したこと。戦になる前に、蜀軍が
呉に侵攻し緒戦は勝利を収めたが、その時点で呉は荊州返還を申し入れ
ている。冷静に考えれば、関羽の死の賠償として荊州をとり呉と改めて
同盟を結んだほうが良かったのだろうが、まぁこれは無理だったろうな。
>>644 別に侮ってないし
無知かはたまた阿呆か君は
この手のレスは良く見かけるが、関羽が呉を侮ったという記述はどこにあるんだ?
647 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:17:07
C街亭の敗北
これは明らかに人選ミス。人材の少ない蜀に若い指揮官の経験と箔を
つけたかったのだろうが、馬ショクが完全に期待を裏切った。
せめて主将を老練な王平にして、馬ショクは副将程度にしておけば
良かったのではないか。
>>647 文字が書けないという王平に主将を任せるのか、ゲームのやりすぎだな
せめて他の将を挙げろよ
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:24:37
Dその後の北伐
孔明の北伐については補給の問題やシバイが戦わなかったことで
成功しなかったが、孔明の取った戦術自体に誤りはなかったように
思える。合戦になればほぼ勝利していたし、撤退の理由も合戦の
勝敗そのものより策にかかった成都の劉禅が呼び返したりとそんな
くだらない理由だった。
史実を知っている我々が孔明の北伐が成功しなかったことを考えれ
ばギエンの長安を直接衝くアイデアがどうかということになるが、
孔明は決戦になれば勝つかもしれないが、蜀軍も疲弊することから
これはとらなかった。やってみた場合は一か八かの賭けになっていた
だろうが、やってみたい方法ではある。
以上・終わり
側背を突かれて領土も自身の首も失ったんだから侮ったも同然。
荊州から動かなきゃ呂蒙や曹仁、二人係りでも殺せないだけの実力はあったのに。
651 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:35:33
>>648 鎮北大将軍で漢中という要所をおさえているぞ
文字が書けないという理由は適切でない
投降して日が浅いとかにしておけ
>>651 補足
魏延、呉壱の後の話だな>漢中という要所をおさえているぞ
653 :
.:2006/08/28(月) 08:43:14
>>651 年代がごちゃごちゃになってねーか?
当時の王平なんかただの降将ってだけだろ
654 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 08:49:58
ごっちゃになってるのは647だろ
>>642 @には不確定要素が多くないか?
可能性というならば徐庶やら田豫やらもだろうし。
士元と関羽で大丈夫なのかも分からないけど。
Aこれは
>>646に同意かな。
まぁ、調子に乗りやすそうではあるが。
あと関羽の代わりに挙げた人でいけるのかな。
関羽は半独立勢力みたいな所があるし。
Bは同意なんだがもし土地だけ頂いたとなるとあとで孤立しそうな虞が。
別に呉は魏と結べばいいのだろうが。
Cもやはり
>>647と同じ。王平は結構融通が利かない人じゃなかったかな。
対異民族や後方支援、対呉からどう移すか・・
D司馬懿が決戦に乗ってやるメリットがないからなぁ。
しかも下手に蜀を倒しちゃうと自分が粛清される可能性もあるし。
ここいらも見越して北伐は手堅く攻めていたのだろうが・・
これから反論も来るだろうがそこから議論が進むといいよね。
所で疑問なんだがなんで常に特定の二国しか話題にならないんだろう?
呉や周辺の動きも合わせてみたい。
孔明が東南の風をあと5回吹かせる
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 10:59:04
>>646 三国志読んだことある?
なぜ関羽が江稜の守りさえ薄くして魏を攻めたか。それは確かに狼煙台の安心もあるが一番の理由は呂蒙の仮病で代わりに陸遜が指揮をとったからだよ。
関羽は陸遜がただの若輩者だと思いっきり見くびっていた。違うか?
違う
>>657 三国志読んだことある?と煽る以前に、君の論点がずれてる。
660 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/08/28(月) 11:15:28
662 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 11:17:13
基地外かどうかはわからないが、
>>660が2ch初心者なのは確かだな
664 :
.:2006/08/28(月) 11:26:23
侮ってなくてあのざまならただの無能だな
>>659 反論するのも良いが明確な理由も書け
ここは蜀に天下を取らせるには。蜀が天下を取れなかったのは荊州での関羽の失敗が大きい。なぜそれが起こったか→呉を見くびっていた→
>>646が見くびっていないと答えたのでそれに反論した。ただそれだけだ
赤壁で曹操にトドメさせればよかったと思う。
北伐の時期では大差つきすぎだし、誰が後継者になってもジリ貧。
667 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 11:47:13
国境線のガードゆるゆるにして、魏に攻めさせればいいじゃん
670 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 11:56:39
671 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/08/28(月) 11:57:01
戦国英雄ネタ・三国志、戦国時代
三国志・戦国時代板 分国法(ローカルルール)
一、三国志・戦国時代の研究・娯楽等及びそれらに類し、関連する全ての事象を扱う板也。
一、三国志・戦国時代でない歴史関係のスレ立ては禁止也。
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一、やおい・エロ・下品などは【PINKちゃんねる】でお願い申し候。※21歳未満立ち入り禁止
一、個人サイト批評・批判はネットWatch板、コテハン叩きは最悪板で。
>>670 オマエが釣られてるの確かだが…( ´_ゝ`)
>>672 別に釣られたって釣られなくたって関係なし
675 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 12:06:12
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 13:41:14
ネタスレに早変わり
>>665 659だけど
>>646が『関羽が呉を侮ったという記述はどこにあるんだ?』と言っているけども、
これは
>>644の『孔明の「東は孫権と和し、北は曹操と当たる」という戦略を忘れ、呉を侮ったとき』…@
という文に対しての問いかけ。
「関羽は呉を侮った」という主題に該当する記述は、以下の
・孫権は関羽の娘を欲しいと申し込んだが、関羽はその使者を怒鳴り屈辱を与えて、孫権は大いに立腹した。(関羽伝)
・関羽が樊を包囲した時、孫権の援助の遅延に関羽は腹を立て使者を怒鳴りつけた。孫権はそれを聞いて彼が自分を侮っているのを知った。(関羽伝)
・食糧が乏しくなったため、関羽は呉の米を勝手に奪い取らせた。(呂蒙伝)
・陸遜の手紙を読んで大いに安心し、呉に対する警戒心をまったく失ってしまった。(陸遜伝)
これらから、
>>644の@に該当する項目を考えると、
@の「呉と和する戦略を忘れ」の部分に該当しない陸遜の手紙〜の項目は除外されることになる。
つまり、陸遜の手紙〜という以外の項目は@のテーマに沿っているわけ。
よって、646の問いかけに対する答えは、「関羽伝、呂蒙伝にあるよ。」ということになる。
しかし
>>657は
>>646の問いかけに対して『関羽は陸遜がただの若輩者だと思いっきり見くびっていた。』
という唯一@のテーマから逸れてる返答をした。
よって論点がずれてるということになり、そう言ったわけ。
ある時代 ある板 乱れた世の中片隅
スレを落とさぬ為に
>>1はageまくる
醜く煽るニート達には 決して追いつけない風のように
今ageる事だけが全て 是も非も越えただageる
清らかなその体は 穢れもせず罪を重ねる
天国も地獄さえも スレが落ちなけりゃ喜んで行こう
「住民は皆、平等」などと何処の管理人のセリフだか知らないけど…
682 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 16:56:10
>>680 呉と和せず=呉を侮るなら何故関羽は初めから全軍を擁し果敢に魏に攻めない?もう自分は先が短い年齢なのに、何故か。
それは結局呉を侮っているようで実はかなり警戒していた。(特に呂蒙)狼煙台も(ホントにあったかはしらんが)
しかし全軍で魏に攻めたい。しかし呂蒙がいる。このループでかなり行き詰まっていた。そこを呉に突かれた。
陸遜という若輩者なら多少守りを薄くしても勝てるだろう。ここで初めて本当の意味で侮った。
違うか?
>>682 侮った…のか?
呂蒙伝では関羽は少しずつ兵を減らしていったとあるが
>>683 そもそも荊州の駐留軍だけで呉を警戒しながら、魏と事を構えるなんてどう考えても無理がある。
結局は関羽の自惚れと傲慢さが招いた災いだったのさ。
>>682 それが「呉と和する戦略」と何の関係があるの?
むしろ呉に安心して兵を樊方面に回した。
君の考えだと
同盟相手を警戒して多数の守備兵を残す=呉と和する戦略
なのか?
>>685 だから
>>680は呉と和しない=関羽は呉を侮っている。を俺は
呉と和しない=
○ 完全に侮っている訳ではない。むしろかなり警戒している
× 侮っている。
と言いたかった。ただそれだけだ。
>>686 だから何故それを680に対して言うの?
戦争とかで、戦略的には挽回できないのに
局面においての勝利で挽回したと言う人は居ますね
>>684 256 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/08/24(木) 23:31:42
>>254 劉備に彼方此方やられて曹操本軍が急いで援軍として西方戦線に赴く
夏侯淵が死んだ西部方面部隊を残して曹操本軍が関羽戦に移動してるんだから
空白地帯は言い過ぎだったが、劉備本軍に勝てない程度の戦力しか残ってはいない
だから劉備は漢水下りを孟達に実行させた
関羽の北上はその孟達を上庸に孤立させない働きもあった
法正は少し兵を休める事を進言したので劉備本体は長安を睨みつつ一時停止
どこが単独なんだボケ
690 :
.:2006/08/28(月) 19:18:51
>>690 この流れがよくわからんぞ
>>684 荊州の駐留軍だけで呉を警戒しながら、魏と事を構える
>>689 劉備は漢水下りを孟達に実行させた
関羽の北上はその孟達を上庸に孤立させない働きもあった
法正は少し兵を休める事を進言したので劉備本体は長安を睨みつつ一時停止
>>690 で、戦闘の記録は?
そんな中、よく諸葛瑾は生き残ってこれたな、と、
しみじみと思う。
693 :
.:2006/08/28(月) 21:32:50
>>691 すまん、法正が関さんを見捨てて戦闘を止めさせた記録やーね
長安方面ででかい戦闘があったわけでもないし、もし作戦なら見捨てたようにしか見えんぞ
関羽が呉(というより陸遜)を侮ったのはあるだろうが、
呉は徐州よりも荊州が欲しいのだし、衝突は免れない。
関羽だろうが諸葛亮だろうがこの敗戦は仕方ないことだ。
>>693 見捨ててないっての
漢水下りの上庸奇襲の意味がわからんのか貴様
関羽の人となりを妄想して、こんな事を考えてみた。
関羽って、謀略が嫌いだったのでは無いだろうか。
得意か苦手かと言われれば、得意では無かったと思う。
しかし左伝等のおかげで、相手の謀略をある程度読めるという自負があったのではないだろうか。
孫権が「息子の嫁に、あんたの娘をくれ」と言って来た時は、
「俺の娘を政略の道具にされてたまるか!紫髭のクソガキ!」等と思ったのかも知れない。
孫権の援助が遅れた時には、
「こちらが弱って落とせなくなった所を横から頂くつもりか!
漁夫の利狙いか、碧眼のクソガキめっ!」
なんて事を考えてたのかもしれない。
おまけに、侠の精神が強かったというのがある。
困った人は身を賭してでも助けるべし、というのも侠の精神だろう。
呉の食料を勝手に頂いた時も、
「困った仲間に飯くらい提供するのは当たり前だ!」
等と、相手の都合も考えずやっていたのかも知れない。
そこへきて、好戦的な呂蒙の退任と、新任・陸遜の遜った手紙。
「こんな無名な奴が後任というのが腑に落ちんが、後方支援をして出世した文官か何かなのだろう。
ようやく本腰を入れて協力する気になったのかな?
いきなり警戒を解く事は出来んが、呂蒙よりはマシそうだ」
なんて考えてしまったのかもしれない。
うん、妄想なんだけどね。
>>696 関羽は聖人というわけではないからね
まあ、今じゃ神様だが
関羽って結構後方撹乱してるぞ。知力60台は下らないはず。
夷陵当時でさえ先主は陸遜を知らなかった。
関羽が彼を侮るのも無理は無い。
219年夏5月、曹操、軍を漢中より長安に引く。
劉備、劉封を漢中より沔水を下らせ孟達と合流させ上庸を陥とさせた。
秋、劉備漢中王即位。
関羽、仮節・前将軍となり軍勢を率い樊城へ攻め入る。
長雨のため漢水が氾濫し、于禁降伏。
閏10月、呉軍、荊州に侵攻、公安・南郡を陥とす。
関羽、徐晃に敗れ荊州に退却するも既に呉が占領してるため麦城に立て篭もる。
冬11月、陸遜、新しく帰順した者たちに印綬を授ける。
冬12月、章郷にて関羽ら捕らえられ斬首される。
関羽北上周辺の時系列。
劉封らが救援に来ても樊城陥ちたか疑問。
また荊州は呉軍に陥とされてしまい益州の入り口を押さえられてるので意味なさそう・
荊州が陥とされたあと、宜都などに益州から侵攻し取り返せない限り、関羽孤立アボーンのシナリオは覆りそうにないな。
>>698 人となりと知力はまた別の話だろう。
ついでに言うと数値化はスレの主旨に外れる。
>>696 賊徒使って荊州と中原を切り離しにかかってるぞ
>>700 上庸は本来前線ではなくて後方支援の役目を振られた城
でなけりゃいくらなんでも奇襲だからって数千で攻めて即落ちたりなんてしない
そこを落とされたら普通は取り返しに出る、上庸は孤立してるしな
その空隙を突いて関羽北上
今度は曹仁が唐突に襄陽を囲まれ樊城に押し込められ孤立
705 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 23:54:18
孫子の兵法の一文によると
「戦争において大事なのは守りである。
故に負けない体制というものは自分で作りだすことができるが、
勝てる体制というのは必ずしもわが軍で作り出すことは不可能であり、
そのほとんどは相手自身によって作り出されるものである。」
と言っている。
つまりこれに当てはめ北伐を考えると、
シバイは絶対に負けない体制を作れていたから最終的に勝った。
しかし諸葛亮も負けない体制を作り出していたため
局地的な戦い(チョウコウの深追い)などでは負けた。
これはシバイが諸将を抑えられず、
結果として深追い(攻撃)の体制に陥った軍が、
絶対の守りを有している諸葛亮に挑んだためである。
さらにこの文のことを考え別の観点から言うと、
蜀がどうすれば勝てるのかと言う観点からではなく、
魏がどうすれば滅んだかと言う観点から蜀の天下を考えるべきである。
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 23:55:41
そうだね、力学的に勝つね
>>705 至言だな。
その前提で行くなら
・後継者問題が泥沼化
・仲達更迭
・孟達の謀反
・255年前後の内乱
あたりが重要なポイントかな。
>>705 張コウ「追撃は嫌でござる」
司馬懿「いいから行ってこい」
張コウ「ギャー」
なんだけどな
若いときの司馬懿は結構血の気が多いからなー
キ山の大敗を少しでも取り返そうと普通に追撃させた可能性も高いんでない?
>>640 劉表から受け継いだのはgじゃないぞ。この時点で劉備の主張は破綻している。
そして形式がどうであれ、江陵一帯を劉備が借りたか譲り受けたかは事実。
そもそもそんな形式を云々するのなら、荊州牧の地位が朝廷を無視して勝手に
継承されていることからしておかしいのだが。
711 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 03:17:31
どうしても関羽が陸遜を軽視して実力を出せなかったから負けた、
という風にもって行きたいのな。
>>710 でも劉gは正式な江夏太守だわな
劉備も劉備でそこから荊州丸ごとの領有権を主張し始めたわけだ
>>711 何だかんだと理由を付けて関羽の行動を正当化したいようだが
ちょっと呉が動いただけで守りきれなくなったのは、奴の軽率な行動が原因だろ。
蜀の戦略としては絶対条件ともいえる呉との同盟が確立されていない以上、
無謀な賭けに出て荊州を危険に晒すべきではなかった。
劉備や諸葛亮も荊州を守っていなさいと言ったわけでもないし、
呉との友好を甘く見ていたのは関羽だけではないだろう。
最も、現場にいながらそういう判断のできない関羽が一番悪いが。
715 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 09:47:37
自衛隊をタイムスリップさせる。
>>714 劉備も諸葛亮も関羽もしっかりとした対応してた
でも間に合わないほどに呉の動きが速かった
詳しくは蜀将討議スレ13の900辺りを読め
717 :
.:2006/08/29(火) 10:14:56
つい数年前に荊州南部を速攻で切り取られたのに、また相手が早かったってアホか
それほど狙ってたんだな。
ツンツン女を後背位で犯す興奮に似ている。
>>714 たとえ無理な命令が下ったとしても、義弟の関羽程の重鎮が異を唱えれば止めることも出来たはず。
部下の命を預かる身でありながら現場の状況も把握せず、油断と過信によって無謀な冒険に出た関羽の罪は重いよ。
そもそも孔明みたいな冷静な男が部下に無茶な指示を送るとは考えにくいし、
呉との関係が険悪であることを本営には知らせていなかったのではないだろうか?
>>716 頑張ったけど間に合いませんでしたで済むか、ボケ。
命のやり取りやってるのに、それのどこがしっかりとした対応なんだよ。
957 名前: 945 2006/03/15(水) 22:36:25
残り少ないスレに殺伐とした埋立主が!!(\│゚∀゚┃/ペカー!(AAry
チラ裏・私見になりますが。
曹仁の軍が少なかった理由ですが
元々与えられていた兵力が少なめだったとか侯音の乱で兵力をすり潰したor
宛への守備に兵力を割かざるを得なくなったとか、漢中戦役に対処するため
曹操が行った戦力再編で引き抜かれたとか考えられる要因や可能性はあるの
ですが、オレ的には劉備側の宜都太守孟達による房陵の攻略とそれに続く
劉封・孟達の上庸攻略に対処するため軍を分けて差向けたところものの見事
関羽に突かれて囲まれたんじゃないでしょうか。
>>955氏よりも少し踏み込んだ感じですか。
この傍証として晋書宣帝紀にある荊州刺史胡修と南郷太守傅方の降伏状況
などが、于禁やホウ徳の降伏と別になっていることがあります。
当時の曹操勢力の軍事体制を分析すると、前線は節を与えられて諸軍を統括
する漢朝の将軍とそれを主に兵站面でバックアップする州刺史及び兵站面では
刺史の監察下にあり、兵力の供出等に関しては(多分)節を持った将軍の
統括下にあって実際に兵站を充実させたり兵力を拠出したりした郡太守が
セットになっていることが判ります。
(更にいうと、こうした節を持つ「漢朝の」将軍がどうにもできなくなると、
漢の丞相にして魏王たる曹操の率いる「魏王の」軍が救援にやってくる手筈
になっています。)
こういうシステムを見た上で、荊州方面を統括していた征南将軍曹仁の周囲を
見ると、曹仁についてるのが汝南太守の満寵で、荊州刺史の姿が見えない訳。
それは何故かと考えると、荊州刺史は襄陽・樊城周辺から離れていたのだろう
とくる訳です。(で、実際、南郷太守なんかと一緒になってるからこの襄樊
からは離れていたことが判る訳です。)
で、曹仁にくっついているべき荊州刺史がなぜこの時期、曹仁から離れて
南郷太守と一緒になってたか? 考えると、先に述べたように、房陵・上庸の
危機に対処するために曹仁からの指令などがあって、上庸方面へ向かっていた
のだろう、と、なるわけです。
965 名前: 945 2006/03/18(土) 21:40:16
停滞するスレに再び殺伐とした埋立主が!!(\│゚∀゚┃/ペカー!(AAry
>>964 自分は南郷太守の郭睦は劉備が任命した太守だと解釈しています。
南郷太守の郭睦は房陵太守のトウ輔と共に陸遜の派遣した謝旌に破られてますが
それは 呉書陸遜伝で陸遜が江陵を押さえ宣都入りした後のこととされています
南郷郡、房陵郡の地理関係から見て、郭睦やトウ輔は関羽が送り込んだのではなく
劉備の任命によって成都(または益州・荊州間のどこか)から派遣されて任地に
赴く途中で陸遜らの攻撃を受けてとっつかまったと推察されます。
傍証として、蜀書劉封伝中に注としてあげられている孟達が劉備の下を辞去して
魏に寝返ったときの手紙をあげておきます
「(略)ここに臣は事の原因を求め、自ら房陵・上庸をお返しし云々」とあり、
孟達の中で、劉備の下を辞去する時点で房陵と上庸が孟達の治下にあったことが
窺われます。
既に関羽が敗れる時に房陵太守としてトウ輔の名が陸遜伝に載せられているので
もっとも整合的な説明は、トウ輔は孟達と交替で房陵太守になる予定であった。
しかし、任地に到着する前に陸遜らの攻撃を受けた。と推察されます。
これらのことから更に推論の足を延ばすと、劉備側は、トウ輔や 郭睦を房陵や
南郷に派遣すると共に、彼らが任地へ就き次第、劉封や孟達らを関羽の助力として
荊州北部へ派遣する予定だったのだろうと考えることが出来ます。
名前しか出てこない 郭睦やトウ輔と違い、劉封は武力が売りである旨描かれてますし
孟達も、シ帰から山麓を越えて房陵を強襲して陥落させ、更に上庸へも攻撃をかけた
ことから判るように、その軍事能力は相当なものです。
(孟達の軍事能力はもう少し評価されてもいいかもしれません)
966 名前: 945 2006/03/18(土) 21:41:23
>>963 と言う訳で、上記考えから自分は 郭睦を南郷を攻略した将軍だとは考えません。
荊州刺史胡修と南郷太守傅方は、房陵・上庸の危機に赴いたものの、
状況を覆せなかったか、救援に間に合わず撤退した、又は、劉封や孟達と対峙している
最中に、曹仁から、今度は襄樊を囲まれたので急ぎ襄樊方面へ戻り、節度を受けるよう
連絡あって、撤退したと考えられます。
ホウ徳が樊の外にいたのも、単純に寝返る可能性を疑われたばかりでなく曹仁から何か
指示を受けていて、それを 胡修・傅方らに伝え、合流するという役目を負っていたの
かも知れません。
まぁ想像に過ぎませんけど。
968 名前: 945 2006/03/18(土) 21:50:50
ということで、こうした所から呉の荊州侵攻が、劉備側の人事異動と体制整備の途中、
劉備陣営が力の再配分を行っている途中のドタバタした時期にドンピシャで行われた
ことが分かります。
呉からすれば最高のタイミング、蜀からすれば考えられる中で最悪のタイミングだった
と見なせるわけです。
あと一カ月呉の判断が遅れていたら、劉備陣営の勢力内パワーバランスの再編は終了
していた可能性が高く、呉の襲撃に対し、あれほど脆い醜態を晒さずに済んだ可能性が
大きいと考えてます。
969 名前: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/18(土) 21:55:54
まあ魯粛ん時からの悲願だからね。
曹操・劉備と違い、唯一長期計画でやってたのが呉だから。それにあらゆる焦点を合わせた準備がなされてたんだべ。
徐州への野心さえ大規模な偽装だったのではと。
976 名前: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/19(日) 04:24:28
>>968 そんな時期に関羽は軍を引き抜いて北上していたのか。
978 名前: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/19(日) 12:19:31
>>976 逆じゃないか?
軍を率いて北上し、成果があったからこそ起きた人事異動、再編成なんだから。
>>720も命のやり取りの何たるかを理解しようね。ぷげら。
728 :
.:2006/08/29(火) 10:38:11
傅方や胡修は于禁と一緒に外にいただけじゃねーの?
なぁ、荊州失陥は防げないんじゃないか?
それなら無血開城したということで進めたほうがよくないか?
益州だけだとかなり難しいが…
魏を攻める絶好の機会だったとかそんなことは関係ないよ、状況から考えて関羽がすべきことは
侵略ではなくまずは荊州を守り抜くことであったはず。
本来の役目を忘れていいカッコしようなどと考えるから無理が生じて
あのような無様な失態を演じる結果になったんだよ。
ヒゲは隆中対の通りにやっただけ。
狼煙台などの備えはしてあったし、
呉が攻めてきたら慌てて帰ればいいやくらいに思ってたのだろう。
予想外に後方が脆く孤立してしまったのが運の尽き。
732 :
.:2006/08/29(火) 10:48:58
>>729 そこまで行っちゃうと後は魏が勝手に倒れてくれるのを待つだけだなぁ
実際、曹ヒの早死にって言う最大級のラッキーがあっても駄目だったんだし
>>728 資治通鑑みると襄陽にいた可能性もあるな
そうすりゃ、襄陽の面子がしょぼかった理由にもなるな
>呉の荊州侵攻が、劉備側の人事異動と体制整備の途中、
劉備陣営が力の再配分を行っている途中のドタバタした時期にドンピシャで行われた
ことが分かります。
こんなもの只の言い訳に過ぎんだろ、戦争やってるんだから常に敵の隙を窺うのは当然のことだし。
そもそもそこまで呉を本気にさせて危険な状態を作り出したのは誰なのか、が問題だろ?
戦略上外交政策だけでは折り合いが付かなかったというのは解るが、そんな危ない状況下で
絶好の隙を相手に与えてしまったのは、現場責任者の関羽の責任であることは否定のしようがない。
734 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 10:53:56
今日 暑くね?
絶好の隙を突けた呉将たちが凄すぎる、と解釈した方がよくね?
あっさりと封じられる狼煙台程度で呉に備えたつもりになってるんだから
戦場で暴れる指揮官としては優秀でも、全軍に指示を与える司令の器ではないんだよ。
737 :
.:2006/08/29(火) 11:02:43
本国から援軍が出たり、上庸から援軍が出てるわけじゃないからなぁ
体制が整った所で大きく変わるのかね?
時間かければ曹操本隊に虐殺されるだけのような
>>733 言い訳?
当人じゃない俺達が何言っても擁護か批判にしかならないぞ
言い訳を出来るのは行動を起こした本人だけだ
で、呉がどうやってその力の再配分を蜀が行ってる事を見抜いたんだろうか
地盤を得て何年も経ってない劉備と
地盤を永く構え、周ユという情報戦のプロフェッショナルがいた孫権では
やっぱり陣営の情報戦の経験値の差が物凄かったんだろうなぁ
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 11:29:26
今更の遅レスすまんが、蜀が天下を取れなかった原因は色々あるのだから、
どうすれば良いとかってのは、机上の空論に過ぎないと思う。
原因を幾つか挙げるならば、国力の差もあっただろうし、
劉備が蜀を建国するのが遅かったとかさ。
誰がどうすれば良かったなんてのは、結果論に過ぎないんじゃない?
>>739 結局はそう。こんなの話すこと自体不毛なんだよね。
江夏を得るだけで5年。
江陵を得るのに更に10年。
呉の執念は狭いが深かったということだ。
>>739-740 話の種がありながら議論の花実が咲かないのは話者の方に問題がある。
自分に知恵も技術も情熱も無ければ、そりゃ不毛に決まってるよ。
それらを他人に分けてもらおうという我々のような乞食が口にするのは傲慢ではないか?
>>730 魏と協力して蜀を叩くとまでは予想していなかったんでしょ。
蜀と呉を足しても、魏にはまだ及ばない。
そのような状況下で、魏と手を組んでまで、蜀を討つとは普通考えん。
バトルロイヤルで、一番弱い奴を、(この時点では互角かな?)
一番強い奴と組んで叩くような戦法は普通選ばんし。
>>743 呉が魏に臣下の礼を取り、蜀との婚姻もとっくに破局し、さらに荊州をめぐって小競り合いも絶えなかったのに
>魏と協力して蜀を叩く
ことをまったく予想していなかったならば、蜀は随分とお天気脳だらけだったわけだ。
これじゃ蜀に天下を取らせる方法考えるどころじゃないな。
予測はしてたろうさ
746 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 14:53:38
ただ予測が甘かっただけさ・・・
敵が予測を上回る事を予測が甘いと全て言い切る事が可能なら
>>746は正しいな
劉備が曹操に従い続けながら力を蓄えて、内部の協力者を募って折を見て曹操をぬっ殺すしかないな。
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 16:03:16
ある程度善戦した上で最終的に敗れたのなら責められないが、ちょっと呉が本気になって
侵攻してきただけで総崩れになって終了、では全然話にならないよ。
ある程度善戦して最終的に敗れてますよ
ただ結果大崩れしたってだけで
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 17:33:44
劉表が全員を前に後任は劉備だって言ってたらどうなったと思う?
カイエツとか荊州古参も従うだろうし、孫家との抗争していた面子も従うだろう。
曹孫連合が組まれる可能性は低いだろうし。
結構荊州の地盤固くならないか?
どこが善戦だったのか教えて欲しいものだ、俺には餌に釣られて飛び出したマヌケが
空き巣に家ごと盗まれたようにしか見えないがww
753 :
.:2006/08/29(火) 17:42:26
善戦は善戦だったと思うけどね
まぁ万が一樊城を落としててもなんら大局には影響なかったと思うけど
荊州陥落を防ぐためにはそれ以前に国家単位での関係改善しかなかったんでないかな?
使者をもっと頻繁にやり取りさせるとか、なるべく穏便な態度で慎重に事を運ぶとか。
最初に還せと言われた時に、変に渋ったりせずに劉備がとった南部四郡と周瑜がとった江陵をトレードで話をつけるべきだった。
あそこで大々的にやり合ったことが両国間の悪しき前例となった感は否めない。
孫権や呂蒙の判断が純軍事的にいかに正しかろうとも、周りが納得しなければそう簡単に兵は動かせないわけで、
もし婚姻関係が続き、以前に衝突した前例もなく、丁度蜀から使者が滞在中であれば、
呉の多くの士は判断を躊躇っただろうし、もし関羽北上のタイミングをやり過ごせていれば、
あれ程簡単に陥れられる機会はもう無かっただろうと思われるので、
外交で解決なんか元より無理としても、あと1〜2年呉側の決断を遅らす努力は尽くしてみるべきだったんじゃないかと。
>>754 同意です。
赤壁前後でそういう話をしてないのかも知れんね。揉めすぎだし。
外交って勝ちゃぁいいってもんでもないような。
赤壁当時は劉備には地盤がなかったし、周瑜は「天下2分の計」のもとに動いていたんじゃないのか
>>756 そうなんだが・・
曹操が「一緒に狩しねえ?」って手紙出したときはそれを断ってるしなぁ。
呉としては劉備をどう扱いたかったんだ?
劉備が四郡とってるあたり劉備の庇護者って立場ではなかったのかな?
また呉の話か…
しかし、蜀の戦略を考える上では欠かせないものだしな
赤壁当時〜周瑜死亡辺りまでは劉備は孫権の客将として扱われていたのではないだろうか
それが劉備が蜀を得る辺りで本格的に揉めだす
孫権としてはまだまだ手の内においておきたかったが、そうできない状況になってしまった
子離れできない親というのは変だが、そういう感覚もあったのではないかと
呉としても初めは劉備を曹操に対する盾として利用したかったんだろうけど
天才軍師や勇猛な五虎将をもつ蜀が妙に力を付けてくると、段々危機感を感じ始めてたんだろうね。
まあ、冷静に考えれば魏が最大の脅威であることには変わりないのだから、不毛な争いは避け
2国で上手く荊州を分割統治して打倒曹操を目指して欲しかったんだけど・・・。
いっそ江陵をベルリン化してしまおう
江陵に長城を築くのか…
>>754 国家単位で関係を改善する方法として、
益州を取った時に荊州を譲るってのを考えたけど、
荊州閥が黙ってないよなぁ…やっぱり。
黙ってないというか、あの時点での江陵までの譲渡は意味不明だろ
あそこは孫権に対する保険の地でもあったわけだから
漢中落とした時点でも2面作戦の展開に影響するし、長安を落とすまでは無理じゃないか
764 :
.:2006/08/29(火) 22:25:11
呉と協力できるんなら無理に蜀が2面作戦する必要はないんだがな
協力できてないから
766 :
参考:2006/08/29(火) 22:33:10
そろそろ何を言っているかわからなくなった人へ参考
kodaman-empire.kir.jp/san/sba-hun.html
767 :
参考:2006/08/29(火) 22:39:05
参考2
kodaman-empire.kir.jp/san/sba-hun02.html
もっといい方法はないものかねぇ
議論のわかりやすい資料として使いたいんだけど。
適当にblogでも作ってお前がまとめれば?
あとそのサイト色々認識欠けてると思う
あんま参考にならないなぁ
>>766-767 呂蒙の謀略がない件について
というか、不完全な考察サイトを挙げられても…
770 :
.:2006/08/29(火) 22:52:01
>>767 一行目から長安の都で襄陽陥落の報告を受けたとかなってるんだが・・・・
>>765 何故協力出来ていないか。
それは呉が荊州を、関羽を殺してでも奪い取ろうとしていたから。
その問題の荊州が無くなったら、魏に真っ向から迎え撃つ体勢になるのは呉になる。
ましてや防衛線が長くなり、対蜀への兵力は極力減らしたいはずだ。
この状態になれば、呉も蜀との同盟を真剣に考えるようになるんじゃなかろうか。
もちろん、後年のように魏とも誼を通じてのらりくらり、
というのも考えられなくはないのだが。
>>771 諸葛亮時代にもロクに連携とれてないよ
あんな程度での協力だと意味ない
>>771 前半4行は史実通りの流れではないのか
ところで、関羽死後、荊州・合肥からの2面作戦というものを呉はやったのだろうか
やった
でもその度に孫権の合シ肥攻撃が失敗して頓挫
>>772,
>>773 だから、それをもっと早い段階でやっといたらどうだったんだろ?
って思ったのよ。
劉備・関羽・張飛って看板がいる間にね。
劉備の孫権不信と孫権の劉備不信は根深いんで無理
荊州の事以外でなんかあったっけ?
益州
739だが、忙しくて今来たのだが、
>>742は何が言いたいんだ?
>>779 突き詰めれば、呉は何処とも同盟を組む積りは無い
でおk?
>>780 文句しか言えないなら黙ってろって事じゃね?
>>781 どことも敵対するしどことも手を組むってことだね
状況次第
劉備は孫権に「同族なんか討てない」と言いつつ自分で益州乗っ取りかけてるからね
これが2人が完全に袂分った
783 :
.:2006/08/30(水) 00:13:02
曹操に取られるよりましだと思うがなぁ、
つーか周愉の死後呉は益州まで取る気あったんかいな?
「2人で一緒に益州取ろうぜ!」
「同族は討てませんよ」
「そうか、しょうがないな」
「益州とったどー!」
なので孫権が劉備不信になるのは当然
>>784 それなら孫権が甘すぎるんだろw
同属である劉gをダシに荊州を占拠してて、
その劉gが死んでもなお占拠してた男だぞ。
そんなその場限りの口実を信じてる方がアホだろ。
それで劉備不信になっただなんておかしすぎる。
>>786 死後も占拠までは別に問題ない行動じゃないか?誰かを騙したわけでも劉gを殺したわけでもなし。
劉璋も殺した訳じゃないけどね。
とかく理由や主張が劉gの頃からコロコロ変わっていたにも関わらず、
蜀取りの事で劉備不信になるのがおかしいって事。
そもそも、劉gの件にしろ劉璋の件にしろ表向きの理由なんだから、
本音は別にある事くらい分かっているはず。
呉の「一緒に益州取りに行こうか?」なんてのだって所詮表向き。
その実、仮道伐カク為の軍だと見るのが普通だろう。
その呉の謀略を潰す為に「同族は撃てない」と答えたに過ぎないだろ。
そこまで暗愚じゃないだろ、孫権は。
>>786 孫権の甘さよりも孫権に攻撃の言い分作ってしまった劉備の方に問題がある
まあ劉備は孫権ごとき若造と思ってたのかもしれないけど
赤壁の後、江夏に孫権に乗り込まれてなし崩し的に奪われる>劉備の孫権不信
途中で送信すまん
赤壁の後、江夏に孫権に乗り込まれてなし崩し的に奪われる>劉備の孫権不信
荊南四郡で誤魔化したつもりの孫権
荊南四郡の北側を通って荊南に劉備を封じ込めつつ益州を狙う孫権>劉備の孫権不信
劉備の自称荊州牧(荊州は俺の物宣言)>孫権の劉備不信
これまでの分を仕返しする劉備
江陵を貸し与えて劉備のご機嫌を取る魯粛
益州共同攻めで劉備をとりなそうとする孫権→断られて劉備に益州取られる>孫権の劉備不信孫権ブチギレ
魯粛の荊州全部貸しただろ宣言>劉備の孫権不信
益州取ったんだから荊州返せよ→涼州取ったらね>上記の「荊州全部呉の物」を追認したけど劉備は孫権不信
呂蒙の三郡侵攻>劉備の孫権不信劉備ブチギレ
ブチギレ劉備関羽の北上+バックアップ体制の確立>その前に呂蒙の電撃戦で色々落ちた
>>789 攻める口実なんて、大抵はただの屁理屈だったりするからね。
それこそ孫権に対してだったら「朝貢を怠っている」とかでも理由に出来る。
大した問題じゃないでしょ。
>>791 それで孫権不信になったというのもおかしい。
それまでの周りの経緯も見れば、国君同士の信頼なんて無いと考えた方が良い。
口では信じてる等と言っていても、腹では何を考えているのか分かったもんじゃない。
それ位は平和ボケしていない劉備や孫権は分かっていたはず。
分かっていなかったのは劉表や劉璋くらいなもんじゃないか?
>益州取ったんだから荊州返せよ→涼州取ったらね
その時点で劉備が荊州を譲っていたらどうなったんだろう、って事なんだけどね。
劉備が約束は守っちゃったって事で、孫権は劉備を攻める最大の理由が無くなる。
仮に調子に乗って蜀まで攻めたとしても、あの髭が天然の要塞に立ちはだかってるだろう。
そうなれば、無理に蜀を攻めるよりは、協力して魏に当たった方が良くなるんじゃないか?
逆に劉備が荊州を襲うにしても、自ら手放した土地だから攻める理由が無いだろう。
前述通り、理由なんて幾らでも作れるけどね。
それよりは呉と協力して魏を攻め、漢中・涼州・長安を攻めて魏を弱らせる方が良い。
これで、呉・蜀共に協力して魏に当たる理由ってのが出来るんじゃないか?
>>792 「お前は俺か」
人間誰しも考えることは同じだな。
前に俺が言われた全く同じことを言おう。
>当時の基本情勢
三国時代とは呼ばれているが実際は南北朝時代の走り。
圧倒的な北朝(魏)と脆弱な南朝(呉、蜀漢)の二項対立。
荊州失陥により蜀漢の国際的な競争力は最弱となった。
それから北伐が出来るまで持ち直したことが既に奇跡。
当時、魏の主力は常に荊州、揚州方面に鎮座していたし、
国力的に蜀漢は呉の付属政権の態すらあった。
>呉の都合
孫策死亡後の呉の目的は自軍単独による長江流域の制圧。
彼らは曹魏の排除も天下統一も最初から諦めているのである。
揚州が孫策以来の策源地でその保全に荊州は最低限必須。
それは魯粛以来の孫呉の基本戦略で、
彼の荊州貸与は自軍の当時の経営力との妥協によるもの。
孫呉は赤壁前後では江夏すら自力で抑えられなかった勢力。
元々荊州を奪い取るつもりで「貸した」のだ。
そして必ず奪い取らねばならず、事実奪い取った。
>呉の益州遠征の可能性
益州も有るに越したことは無いが、
無くても西陵、夷陵の地点でピンポイントの兵力集中で押さえられる。
もちろん北朝とそれに加えた上流勢力と同時に争うのは根本的に不利なので、
外交努力によってそのような戦争は避けなければならない。
益州を魏に落とされるよりは自力でその困難な任務を成し遂げる方が遥かにマシ。
恐らく徐州攻め以上に困難だとしてもやり遂げる。
実際蜀漢滅亡時に火事場泥棒的に進軍しようとして羅憲に阻まれた。
コストは莫大だろうが、それによるメリット(国防上の安全)は計り知れないものがあるからだ。
地政学的に北朝勢力(魏)が長江上流域を占めた時、南朝勢力(呉)はほぼ確実に滅びる。
事実魏の後継王朝の西晋はその王道的な戦術で三国を一応は統一した。
>蜀漢の都合
そんな物々交換は絶対ありえない。
まず涼州を取れる保証が無いし、譲渡は先主や孔明一人の一存では絶対決められない。
彼の目標が天下統一である以上、孫権が揚州を捧げて自分に臣従するべきなのだ。
またそのような彼を後漢朝中興の旗頭としてのプロデュースする荊州閥が
自らの地盤と権益を孫呉に譲り渡して自分達の足元を揺るがす道理など無い。
>反魏
最も重要なポイントは連携を取るなら同一政権内でのほうが圧倒的に都合が良いということ。
仮に呉に荊州を譲り渡しても蜀漢には絶対に協力しないということ。
現に陸遜存命時でも関羽以上の脅威には全く成り得なかったではないか。
それは彼が無能だったのではなく、全く動く気が無かったから。
呉は申し訳程度に出兵するだけで本腰を入れて戦ったことなど一度も無い。
元々呉は長江流域の割拠が目的。呉の真の敵は「長江上流を占める勢力」なのだ。
北朝打倒による天下二分など蜀漢との外交を維持する為の空手形だろう。
それは荊州接収後の蜀漢以後の北伐からも明らか。
蜀漢が隆中対を実行するには「関羽」と「荊州」と「東和政策」は絶対必要なのだ。
そして「東和政策」という要素の維持が必要なくなる寸前に全てを失ってしまった。
先主死後の北伐はその亡骸のようなものに過ぎない。
つまり呉と蜀漢は最初から相容れぬ関係だったということ。
両者の共闘は孫権が呉主である以上不可能。
その可能性は土着豪族との地縁が薄く、天下統一を本気で狙う孫策存命時か、
周瑜主導の「先主を王者、孫権を覇者」とした天下二分に見るしかない。
先主の目標は天下統一。
孫権とは絶対相容れなかったし、お互いに虚言を弄して利用し合うことを試みた。
荊州争奪戦⇒関羽死亡⇒夷陵⇒国交断絶の流れは自然な経過だったと言える。
孔明の目標は一段下がっている。
恐らく自分の代では涼州、雍州、司州の西北部三州以上を彼は狙っていない。
孫権との絶縁状態は回復したが根本的に当てにしてないのだ。
>>793-795 >呉の都合
孫策死亡後の呉の目的は自軍単独による長江流域の制圧。
彼らは曹魏の排除も天下統一も最初から諦めているのである
これには異を唱えるぞ
本気で合肥を攻めたことがあるのに、孫策死亡後既に呉が天下統一を諦めていたとするには無理がある
国力の差を痛感したのは合肥で大敗し、濡須でも長江南岸に引いたあたりからではないのか
あと、陸遜や孫権が本気で戦っていないというのもやはり無理がある
孫権の勝率は目を覆うものだが、合肥・合肥新城の攻略は難を極めた
無理して攻めなかった、というのが正解だろう
そりゃ自国の首都のすぐ手前に重要拠点があれば攻めるだろう。
合肥攻略はあくまでも呉の自己本位な都合。
それに天下統一をやるつもりなら関羽北上時に魏に出兵すべきだろう。
どこかで関羽の快進撃も止まるだろうが、あの時点では兎角魏が大きすぎる。
涼雍益三州は蜀漢、荊揚二州に呉が割拠するのがそれぞれ単独で魏に伍するのに最低限必要。
呉は関羽討伐で条件を満たしたが、蜀漢は孔明が命と国力を削っても無理だった。
歯の不具合を治すために唇を裂くのは間違いだろう。
>涼雍益三州は蜀漢、荊揚交三州
に修正。「策源地」「前線」「貿易ルート」の三セットだな。
魏 司州兗州予州徐州:武帝 冀州并州幽州青州:文帝
蜀漢 雍州:先主 益州:孔明 涼州:馬超
呉 揚州:孫権 荊州:陸遜 交州:士燮
こんな勢力図は萌えるなあ。
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 08:37:05
>>802 蜀漢おかしくねーか?
劉備は漢中が相応しく、長安には…誰だ?
というか時期はいつで、どういう展開が起こったかを書いてくれ
804 :
.:2006/08/30(水) 08:46:39
馬超が独立するに一票
蜀の人材不足は万人が認めるマイナスポイントだろう
思えば、高祖劉邦は漢の三傑と呼ばれる優秀な人材を抱えていた(陳平や周勃もいるがここでは省略)
さすがに韓信を得るのは無理だとしても、(仮に諸葛亮にこの役目を与えても韓信の時代とは違うので無理)
蕭何・張良の役目を諸葛亮・?統に与えれば、魏に対抗できたかもしれない
つまり?統死ぬな、と言いたかった
807 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 09:17:35
自衛隊を派遣する
>>804 劉備陣営が異民族にどういう対応をするのかにもよるのでは?
>>805 未知数とはいえ孔明の過労死は抑えられるような気はする。
>>807 四川なら米軍じゃねーのか?歴史的には。修理が物凄く大変だったらしいが。
>>802 曹操が健在なのに陸遜がそんな大役についてることに関してはつっこまないほうがいいのか?
810 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 12:27:44
B29で洛陽大空襲と建業大空襲をする。
>>810 面白そうだなw
胴長だから急いで馬に乗れず必死に逃げ回っている孫権を想像してしまったw
虎に乗ればいいじゃないかw
呉国の守護者
>>799 江陵が呉にとってどれだけ重要かわかっていれば、統一をやるつもりなら〜なんてのはないだろうに。
蜀が統一事業を願っていたこそ孫権と争ってでも荊州の領域を守ろうとしたし、それ以前に漢中を奪還されては元も子もないので妥協した。
落とされた荊州を奪還しに行ったのもそうだけど、国家運営上の優先順位があるのだから。
そういや呂蒙死んだじゃん!ラッキー!荊州取れるかも?
↓
夷陵の戦い
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 22:14:31
>>816 いや、やっぱり「呉は許せん、呂蒙が死んだ!?まだ陸遜がいる!
許さん!!!」
↓
夷陵の戦い
だと思う。だから夷陵の戦いは不可避。
議論するなら夷陵の戦いでどう布陣すれば勝てたか、ということ。
818 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 22:21:21
>
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 22:22:43
>>817 あの場所は呉が有利らしいから
勝てない説が・・・・・・
>>817 和平交渉中に秘密裏に進軍とか?
劉備はあそこにとどまる気はないのに陸遜に先越されたわけだし。
どこで戦うべきだろう?
>>793 言われた事ってのは
>>796まででいいのかな?
>当時の基本情勢
脆弱だからこそ手を結ぶ必要性が呉にも出てくる。
魏の兵力が荊州、揚州方面に集中しているならなお更。
(ただし、劉備入蜀の時点であれば、漢中にも夏侯淵の率いる兵が集まっているだろうが。)
両州を守らなければならないのに、益州に食指を動かしている余裕など、普通は無い。
それこそ過去レスにある通り、横っ腹への二面作戦には購い難いし、
蜀との関係が悪いままなら三面もありえる訳だ。
つまり、孫権が劉備を信用できるか否かは既に小事であり、国として同盟する事が大事となる。
荊州を呉が得たら、否応無しに蜀と結ばざるを得ない状態になるだろう。
国力についてだが、圧倒的に呉にも劣るようになったのは、
関羽を失い、荊州を「奪われ」、張飛が殺され、劉備が夷稜で大敗して死亡した事も
含んでいるんじゃないか?
荊州を得ていたメリットはこの時点では全て失い、むしろマイナスだったのではなかろうか。
さらに言えば、体制が機能しかけた時に蜀の前身である劉備軍団の三本の大黒柱がわずか数年で朽ちた。
損失としてはこれが最も大きいだろう。それを孔明が引き継ぎ、取りまとめ、運営した。
国を作り直した、と言っても良いくらいだ。
そこから北伐等が出来る程にまで回復させたのは、確かに奇跡としか言い様がない。
が、それらのマイナスが無かったら?孔明の北伐よりはやり易かっただろう。
>呉の都合
>
>>797が述べているので割愛。
>呉の益州遠征の可能性
荊州を手に入れるか、劉備勢を降すまでは不可能。理由は二つ。
一つ目は、補給線が長くなりすぎるという点。
楊州よりも、益州に近い荊州に基地を築かなければ出費はさらに嵩む。
曹操に備える為にも長期間の出兵は出来ないし、その為の備蓄も蓄えなければならない。
荊州を抑えずに益州を望むのは危険が多すぎる。
二つ目は、益州との間に劉備勢が頑張っているという点。
劉備勢との仲が悪ければなおさら不可能だし、先に挙げていたように信用していないのなら、
益州攻めの際に劉備が襲ってくるという恐れを持つのは当然。
そこで出るのが「一緒に益州取らね?」という提案だが、以上の点を考えれば、
どう見ても劉備を潰す為の軍としか思えないだろう。
つまり益州を攻める為にも、荊州は抑えて置きたい土地だったという事だ。
>蜀漢の都合
涼州を取れる保証?保証のある戦なんて聞いた事が無い。
そんなたわけ者が国政に口を挟むようでは、蜀の天下統一なんてまだまだ遠い。
荊州閥は確かに厄介なのだが、一つ考えてみよう。
頭が誰であろうと、自分の土地・利益が守れれば良い。
そう考えた者は、とうの昔に劉ソウと共に曹操へ下っているのではないか?
それこそ魯粛のように、「ちょっとの間貸すだけだ」とするのも良いだろう。かなり厳しいが。
ちなみに、その提案をした際に猛反対しそうなのは誰だろうか…?
>反魏
>>797に同意である為、ほぼ割愛。
>元々呉は長江流域の割拠が目的
どうしてそこで止まってしまうのかが疑問だ。
恐らく蜀滅亡時の図を見ての結果論だからだと思うが。
>空手形
劉璋を追い出した蜀勢がそんな事に気づいていないとでも?
そもそも、隙あらば獲る、は戦国の習いだろ。
劉備は隙を突いて荊南の4州を自力で取った。
それを呉が自分の土地だと主張するのはおこがましいと言うものだ。
>つまり呉と蜀漢は最初から相容れぬ関係だったということ。
お互いの目標が中華統一ならば相容れないのも分からなくは無いが、
そうじゃないならやり様はある。
この論では、呉は荊州を手に入れれば満足と言っているようにしか思えんし。
>>796 >お互いに虚言を弄して利用し合うことを試みた
蜀が攻めれば呉が準備し、呉が攻めれば蜀が準備する。
対する魏は両方面を警戒しなければならないから、兵力は自然と分散する。
これだって利用し合う関係だと言える。
もし、呉が攻め取れるまで、蜀が魏を弱めてくれる事を期待していた策だったとしたら、
俺は呉の首脳陣の脳を疑う。
で、
>>793は前に言われた時に全部納得して、全く疑問も持たなかったのかい?
>>799 >それに天下統一をやるつもりなら関羽北上時に魏に出兵すべきだろう。
天下統一をする為にも、荊州は呉に必要だった。だから関羽を殺してでも奪い取った。
そういう風には見えないのかい?
蜀と呉の戦略の差
諸葛亮は国力の比較ができていたからこそ、攻め続けた
孫権は国力の比較があまりできていなかったから、守りに重点を置いた
共に魏は目障りで力を削ぎたい相手ではあったが、根本思想が異なったためうまく連携できなかったというだけ
>>821-824(見辛いので纏めるためだけのアンカーです。気にしないで下さい)
826 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 00:14:31
>>817 そもそも荊州を呉に正式にもらっといて荊州と漢中の守備をしとくべきだった
>>817 そうだなぁ。勝つつもりなら、なんとか敵の連絡線に戦力を投入するしかないね。
その為には、左翼側を迂回して魏に備えていた黄権を沮水に沿って南下させ、
オウ亭と江陵の間に進出させるのが理想だろう。
だが、当陽の辺りには潘璋が蜀軍に備えていたらしく、それを破らねば連絡線には迫れない。
やっぱり難しいねぇ。
>>821-824 1:「荊州返還」
2:「劉関張生存」
3:「夷陵の敗戦が無い」
これらの状態での北伐は成功出来るか?というのが
>>792のテーマだったはず。
>>821以外はそもそも論旨がずれているので無視する。
>>793-795でも言及していないことを延々論じてもしょうがないのでな。
>蜀漢の国防上の都合
夷陵戦役後の蜀漢の国防拠点は先ず第一に漢中、第二に白帝城である。
蜀漢の対呉対魏防衛は両方とも「点」の防衛。
蜀漢の絶対的な長所は「天険」。他の二国に比して圧倒的に守備が堅いのだ。
もし孔明は益州に割拠することだけを望むならば、
この二点を押さえていれば魏と呉を同時に敵に回しても国防は成立する。
だがそれは蜀漢の国是からして有り得ないのである。
北伐による簒奪王朝の打倒を宿命付けられた時点で、
蜀漢は短命王朝となるのは無理も無いことだった。
劉氏である利点は後漢朝への忠義という観点からの大義名分のみ。
その大義名分に引きずられて滅んだようなものだ。
>呉の国防上の都合
関羽討伐後の呉の国防拠点は先ず第一に長江、第二に夷陵、西陵である。
呉の対蜀漢防衛は「点」の防衛。対魏防衛は「線」の防衛。
呉の絶対的な長所は一にも二にも「水軍」である。
それを活用するのに「長江の制水権」が必要となる。
「水軍」と「長江の制水権」の防衛ラインが機能すれば、寡兵でも魏の南征に抗える。
そして「長江の制水権」の優位を揺るがしかねない脅威が長江上流の勢力だ。
それに対しては夷陵、西陵などの平野部に出る寸前での要害で、
兵力を集中的に投入して食い止めればいいが、ここを抜かれたらお終いだとも言える。
絶対的に優位を保てる水戦の頻度が減り、
確実な勝率を見込めない陸戦が主体になるからだ。
だから呉の先主死後の対蜀漢外交は「第二の夷陵」を回避することに尽きる。
二度三度と東征を繰り返されれば蜀漢自体には負けなくても、
はるかに強力な魏が側面を突いて南征してくる。
もちろん魏と蜀漢の同盟など有り得ないが、
二国を同時に敵に回して国防を全うできる国力は呉には存在しないし、
一国を正面で相手にするのも地の利を生かした防衛システムに頼らなければ不可能。
「机上の空論」は絶対に起こってはならないのだ。
以上のことから貴方の言うように呉と蜀漢は相互に同盟する必然性が存在する。
ただ劉氏は魏を攻めなければならず、孫氏はその必要性はなかったということ。
それらから出てくる疑問。「何故荊州を返さねば成らないのか?」
赤壁は征服戦争だったか?単独で呉は魏を江陵から追い出したのか?
これは全くの出鱈目だろう。
それからの一連の魏の駆逐は共同作戦で行われている。
「荊州貸与」も何も元々彼らの土地ではないのだ。
蜀漢は対魏戦略における外交上の配慮で「荊州貸与」という出鱈目を認めていただけに過ぎない。
「土地は有徳者に帰す」という蜀漢側の発言も呉が奪えば「徳有り」ということになる。
この発言も呉の正当性を主張しているようなもので胡散臭い。
「涼州を取ったら返す」というのも蜀漢側の最低限の妥協の姿勢だろう。
ただ荊州閥の存在も有り、それがどこまで本当か判らない。
ぶっちゃけ空手形だろ、とは思う。
先主死亡時点で勢力として半壊というのは深く納得できる。
「より人的、兵力的な損失の少ない時点での北伐」
確かに結果論で言えばそれが正しい解決法のように思うがその案は無理があるように思う。
「田分け者」に天下を統一出来るはずが無い、とあなた自身が言っているではないか。
1がありえないので、2と3も関係が無い。
それから2と3だけを満たす新たな議題が派生する。
「関羽を処刑しなければどうなっていたか?」ということ。
>孫権の野心
こちらの責任で本来の主題から派生してしまった議題だが一応見解を述べる。
孫権に天下への野心があるとしよう。
では何故赤壁で同盟をしたのか?何故荊州を貸したのか?
そして何故周瑜や呂範の進言に従って先主を拘留しなかったのだろうか?
それは結局、孫権が自分一人では武帝と対峙する自信が無かったからではないか。
貴方の言う「”隙あらば取る”は乱世の習い」とは全くの至言だが、
それを荊州分割で折り合いがついたと思っている相手にやる彼の感性は理解不能。
最低限、魏に利する行動は「魏=呉=蜀漢」の勢力比になるまでは絶対に慎まなければならない。
「魏>>>>呉、蜀漢」の勢力比の時点で荊州問題で蜀漢と争う時点でおかしい。
それが判らないで天下統一をするつもりなら孫権は無能。でなければ目的が違う、ということになる。
孫権が荊州に張って他人に合肥を攻めさせる、というのも効率的な案の一つだが恐らくやるまい。
多分孫権が欲しかったのは合肥という土地以上に
孫策の様な輝かしい戦功と自分の将才への確信だったのだろうから。
彼は孔明や陸遜のような社稷の臣に戦わせて、
後主のように自分は座って天下を待つ、ということは家柄の低さから許されないのだ。
その葛藤の深さは計り知れない。
あっそ。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 11:23:11
関羽が殺された後、蜀が魏と同盟し役立たずで目障りな呉を挟撃し滅ぼす。もし運よく生き残った場合でも弱体化した呉など恐るるに足りないから完全に滅ぶまで挟撃を繰り返す。以上長くなってしまった無知な男の構想でした。
>>833 史実も同盟こそしないものの便乗して魏も動こうとしましたが
機動防衛した陸遜に隙がないのであきらめました
どうやって魏と蜀が同盟するんだ。蜀が自らの存在意義を否定することになるだろ。つか呉に対して兵力裂かなくていい分余計北伐なんぞ出来なくなると思うが。
じゃあ魏と呉を同盟させて、蜀の人間を大量に亡命させたら
魏と呉は勝手に滅ぶんじゃないかな?
>>831 だから
>>815だって。赤壁で同盟しなくていいなんて周瑜の大勝を見てるから出てくる結果論。
>>828 時系列をハッキリしてくれないか?
>>821が言っている時点では、劉備入蜀、精々漢中王になった辺りだろうけど、
>>828の時点では既に孔明率いる蜀漢帝国になってる気がするんだけど?
そこの間が重要だと思うんだが。
>>831 > では何故赤壁で同盟をしたのか?何故荊州を貸したのか?
> そして何故周瑜や呂範の進言に従って先主を拘留しなかったのだろうか?
> それは結局、孫権が自分一人では武帝と対峙する自信が無かったからではないか。
そのとおりでしょう。曹操が反董卓連合を組んだのも劉備が袁紹や劉表のもとにいたのも
一人で対峙する自信が無かったからでありこれは天下への野心とは無関係ですね。
> 貴方の言う「”隙あらば取る”は乱世の習い」とは全くの至言だが、
> それを荊州分割で折り合いがついたと思っている相手にやる彼の感性は理解不能。
劉備や関羽が荊州分割で折り合いがついたと思っていたのならかなり間の抜けた話ですが
関羽の対応をみると折り合いがついたなどとは思っていなかったでしょう。
> 最低限、魏に利する行動は「魏=呉=蜀漢」の勢力比になるまでは絶対に慎まなければならない。
> 「魏>>>>呉、蜀漢」の勢力比の時点で荊州問題で蜀漢と争う時点でおかしい。
> それが判らないで天下統一をするつもりなら孫権は無能。でなければ目的が違う、ということになる。
地勢を無視して勢力比といったところで無意味です。
関羽が成功して蜀漢が荊州で勢力を伸ばせば呉にとって蜀漢は魏以上の脅威となり呉による統一は危うくなります。
逆に大失敗して江陵が魏に陥ればすぐにでも魏が統一したでしょう。
いってしまえば江陵を保持せず防衛体制が整っていない呉は統一の為の基礎ができていない段階です。
これは劉備が孫権から蜀への共同作戦を提案された時の状況と似ています。
もしもあの時に蜀を獲っていれば馬超、韓遂との連携もあり得ただけに
直接的ではないものの魏に利する行動となってしまいました。
しかし劉備からすれば自らの統一のために蜀は必須の地であり提案を拒否し孫権を欺いたことは当然です。
両者の目的はあくまで自らの手による統一であり魏打倒の為の共闘は重要ですが一手段でしかありません。
> 孫権が荊州に張って他人に合肥を攻めさせる、というのも効率的な案の一つだが恐らくやるまい。
この行以下は意味を把握できないのでノーコメント。
>>828 >北伐による簒奪王朝の打倒を宿命付けられた時点で、蜀漢は短命王朝となるのは無理も無いことだった。
ごめん、ここ意味不明なんだけど
短命王朝となったのはただの結果論だろ
諸葛亮があくまで魏に戦いを挑んだのは、蜀が正統な王朝であることの宣言でもあっただろううが、
それ以上に守りに徹すれば滅びることが目に見えていたからではないのか
>>840 >>829が言いたかった事は、小さな国力で北伐しなければならない情勢では
短命になる可能性の高い国家なのは仕方がないって事じゃないかな?
829じゃないが語ってみる
842 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 22:21:02
すまぬが、少々まとめさせてもらう。
@蜀呉の同盟が揺るがず、関羽がはん城を確保できる状況が想定できるか。
A夷陵の戦いが回避できるか。
B史実に沿ってことが進んだ場合最後の機会は街亭のたたかいに逆転の目が
あるか。
少なくともAは難しい、なんせ先主の個人的な感情の問題であり、途中黄中
の死があるもののそれなりに有能な将軍がいるのにもかかわらず、呉に「戦い
方を知らぬ」といわしめたほどの敗退をしているため。
@の場合、蜀呉の同盟は無理なのか
Bで少なくとも呉の脅威を考えなくて良い場合、北伐が成功する目があったか
どうか。
なんで夷陵が入るんだ?
夷陵での敗北を避ける、ということか?
844 :
.:2006/08/31(木) 22:46:57
@も無理だろ、呉を警戒して張遼やdが参戦できなくても曹操本軍が近づいてるんだから維持できないべ
>>844 @はあれだろ、上であった
1:「荊州返還」
2:「劉関張生存」
3:「夷陵の敗戦が無い」
という状況じゃないのか
この場合、荊州変換の代償として関羽の代わりに呂蒙がハン城を攻めることも予想されるのではないか
そして、劉備本隊が長安まで行けたかもしれない
846 :
.:2006/08/31(木) 22:53:59
>>845 なるほどね、それならいけるかも・・・・・
いや、そっちに兵力を集中すればさすがに合肥方向から本拠地にカウンター喰らうだろ
>>846 あの時の魏の戦力は混乱してたし、長江を渡って攻めてくるとは思えん
呂蒙の軍と程普の軍が出撃してたみたいだが、孫権の本隊は合肥方面の警備をしてたんじゃないかな
>>840 仰るとおり一連の意見は結果論が殆どなのだが、
守勢に徹すれば孫呉のように比較的長命を保ったと思っている。
蜀漢滅亡は姜維の自滅にしか見えないのでな。
>>839 無視された部分は私の私見なので構わないが、
酸棗や放浪時の二人には拠るべき土地も抗し得る兵力も無かった。
そのことを以って赤壁時の孫権と比較するのは横暴。
>関羽の対応
婚姻云々を言っているのか良く判らない。
折り合いが付いたかどうかは関係なく、最重要拠点であることには違いない。
ただ呉軍の侵攻は関羽の予想と対応をはるかに超えていた。
呉軍にとって最後で最大の征服戦争だろう。交州戦は元々蛮風漂う反覆常なき地なので勘定に入れない。
これ以降は遠征に於けるキレが無くなってしまうのだ。この原因は基幹戦略が尽きたから、ではないか?
魯粛の長江防衛システムが完成された以上、周瑜の天下二分を実行するべきなのだ。
その後の呉軍が一度でも樊城から宛城にかけての中原の急所を脅かしたことがあるだろうか?
時間をかけたら中原の戦乱の痛手が癒え、兵力差が開いて勝てなくなるのは明白。
例え孫権に天下への野心があったとしても、その行動は朦朧かつ迂遠すぎるのだ。
>魏軍の江陵占領の可能性。
蜀漢を敵に回す為に産み出された「魏呉同盟」。
これは当時の蜀漢がいかに脅威であったかを示すものかもしれない。
理知的な判断を狂わせる程の恐怖を西方に感じていたのだろうか。
勢力比から言えば当時の蜀漢と手を切ることは「呉の天下統一」にとってデメリットが大きすぎるのだ。
どうであれ呂蒙の関羽討伐は呉の基礎を磐石にした反面、魏の最大の危機を救った。
魏軍はほぼ全軍を夏侯惇の二十六軍を居巣に、曹操の本隊を長安に集結して予備戦力は殆ど残っていなかった。
曹仁が樊城に追い詰められ、于禁の七軍が壊滅した状況で、
徐晃あたりが江陵を接収するなど有り得ない。どこにそのような余力が残っているのか?
大敗しようが江陵まで退いて防げば守りきれる。相手も追撃は出来るだろうが攻め切ることは出来ない。
またその時点で陸口の呉軍は否応なく江陵を救援するだろう。
その場合「その間呉軍は何をやってたんだ?」ということになる。史実では関羽の背中を狙っていた。
そして、その後の夷陵では武帝以来の宿敵だった先主を代わりに打ち負かす親切さだ。
自らの手による統一は大事だが最強の敵に多大な利益を与えるのは
地勢をも越え得る勢力を与えるのに等しい。
>>840 しかし、次の時代の成漢は守りに徹していたが
蜀漢と同じ程度の期間で滅んだよ。
予備戦力:冀州 武帝
予備戦力:許都 于禁
対蜀漢 :漢中 夏侯淵
対荊州 :襄樊 曹仁
対呉 :居巣 夏侯惇
が217〜219年の魏軍の主な五軍団。
217年の呉との戦役で起きた疫病で武帝の幕僚はかなり死んでいる。
このことが武帝の対応力を落とした原因ではないだろうか。
この時期の蜀漢への振り回され方は以前の武帝では考えられないことである。
蜀漢との戦いで夏侯淵が定軍山で戦死し、
曹洪以下の敗残兵が漢中で孤立の危機にあったので
その救出の為に武帝の本隊が投入された。
武帝は隙あらば漢中を奪い返そうとしていたが関羽の北上で断念。長安に引き返す。
対荊州戦線の維持の為に派遣した于禁の七軍が訳の判らない天災で壊滅したのは光武帝の「昆陽の戦い」すら思い出させる。
一気に蜀漢が上り詰める機運はあったのだ。
襄樊を落とせばそこを拠点に武帝本隊を引き付け先主の関中進出を助ける、という計画。
もし上手くいけば魏は交互に繰り出される攻撃に振り回され、
玉突き的に西方の領土を失った可能性がある。
「魏呉同盟」という武帝の最後の引き出しによって完全に消え去ったが、
これらの作戦は「呉に荊州を譲渡して北伐」などという案より余程効果を上げる可能性があったのだ。
武帝からすれば呉の長江防衛システムが完成するより、
目の前の関羽と背後の先主を斥ける方が優先事項だったのである。
>>828 誰が貼ったか知らないが、
>>821以外は趣旨と異なると言うなら、
>>793-
>>795を貼った奴に文句を言ってくれ。
俺と同じ意見を持っていた人が言われたという、全ての事に対して意見を述べただけだ。
とはいえ論点を絞るのは賛成。でも反論はしとく。
その前に、俺の考えている時点では、蜀や呉はまだ建国していない。
面倒だから劉備勢を蜀とか、孫権勢を呉とか言ったりしてるだけであった、
と言う事を念頭に置いといてもらいたい。
>呉は魏を攻める必要性が無い
ありえないでしょ?国土、人口、将数等、それらを総合して国力として、
着々と盛り上がって来ている魏を、指を咥えて待っているとでもいうのか。
放っておけば手が付けられない程の差が開くのは明らかだろう。
>「土地は有徳者に帰す」という蜀漢側の発言も呉が奪えば「徳有り」ということになる。
言葉の捉え方が違うのではないか?俺が違うだけかもしれないが。
確かに土地と言ってはいるが、その真意は土地に住む民の事。
関羽の言い分として、劉備勢が支配してからも民は大過なく過ごし、良く治まっている。
そんな所に戦乱を持ち込んだら、土地を奪い取ったとしても、生産力の要である民が離散してしまう。
平和な土地に戦を持ち込むお前らに、民が従う訳が無い。
つまり、お前らには「豊かな荊州」を治めるなんて出来ないから諦めろ。という事だろうと俺は解釈している。
まあこれは、荊州を呉に渡す気が無いという方針の元での話だ。
これを突き詰めようとするまた話が脇道に逸れていくので、一旦止めて置きたい。
>1がありえないので、2と3も関係が無い。
1が成立すれば、2は事故でも起きない限り可能であろう。
3は起こるとしても、魏を蚕食し、相当な国力を付けた後になるだろう。
その前に呉と事を構えてしまうようでは、荊州を譲った意味が無いし。
2,3は1が前提条件であるという点では一緒だ。
で、1に対する反論はどれだ…?俺の目が節穴なのか?
それとも、返還という言葉で引っかかっているのだろうか?気に入らなければ貸与でも譲渡でも良い。
荊州が孫権の支配領域になるという点では変わらないんだから。
なお、俺のいう荊州返還(貸与)の理由は随所で述べているが、
呉は戦線を引き伸ばす事になる為、呉は蜀と同盟・協力をせざるを得ない状態になる、という事。
そして、蜀は荊州にもいた戦力を益州へ移す事で、北方への集中も容易くなるし、
呉の侵攻に対しても山岳を利用して寡兵で撃退する事も可能である。
となれば、呉としては蜀を攻めるメリットは無い為、自然と矛先は魏に向けられる。
こうして呉・蜀の目的を「魏の討伐」とする事が出来る。これらがメリットだろう。
デメリットは、荊州閥の反対と生産力の低下だろう。
生産力に関して言えば、漢中、涼州、長安と得ていく事で回復していけるし、
劉璋が溜め込んでいた益州の財産もある為、暫くは持つだろう。
また、国内を安定させ、政治が軌道に乗れば益州だけでもいくらかの生産力は増す。
それこそ、一、二度の遠征失敗があっても、国を保っていく事は可能だろう。
孔明は、己の命が尽きる間に五回も戦果の上がらない戦をしたんだし。
一番の問題は荊州閥だろうけど、どうしたものかね…?
どうしたもこうしたも
無理っつうんだよそれは
理由もアンカーも付けずに無理って言うのは簡単でいいな
856 :
.:2006/09/01(金) 01:56:18
荊州返還してればってのは蜀が呉に降伏してればとかそのぐらいありえない話だからなぁ
目が節穴というより脳がスポンジ。
とりあえず先主が魔王と化す。
孔明以下荊州閥を処刑し荊州を返還。
孫尚香と再婚して自身の名前を孫備として孫権の軍門に下る。
関張は呂蒙に預けて魏に備えさせ、自身は酒池肉林に耽る。
これって天下二分じゃん。
>>853 1をやらねばならない理由と「呉が天下統一」を第一目標にしていることを同時に証明は出来ない。
前者だけなら「孫権の目的=天下三分」となるのが判る。
魏を相手に後者をやる機会はそう何度も無い。
あの時点で江陵に侵攻するのは天下統一を放棄していることと同じだろう。
戦線を引き伸ばそうが同盟は維持されなければならない。
関係ないのだよ荊州問題が未解決でも。
また呉が荊州さえ取れば自然と矛先が魏に向くというのも疑わしい。
滅亡時の主攻は長江の上流からだったろう?
長江上流の勢力を尽く排除しない限り呉の北伐は有り得ないのだ。
それくらい彼らの国防体制は「地の利」に頼りすぎている。
それを守ることに汲々として「天の時」を奪うことを考えない。
そのような心根で天下統一を考えていたとは思えないのだが。
結局蜀漢の対魏戦を理由とした荊州問題(=呉の安全保障)の先送りに
呉が不信感を抱いたのが同盟の一時的な決裂の原因かな。
完全にスレ違いの流れだが
>>859が思う呉の天下統一への道筋を教えてくれ
ついでに
>>851 >武帝は隙あらば漢中を奪い返そうとしていたが関羽の北上で断念。長安に引き返す。
この時系列は間違ってる
襄樊を落とせばというが現実には徐晃の下に続々と兵が集まっていて
関羽は徐晃に敗れ樊城の包囲は解けさらに曹操本隊もすぐ近くまできていたわけだ
徐晃に負けたのは江陵が落ちたせいという主張もあるが
関羽が江陵の陥落を知ったのは魏からの情報提供があったからで
もし敵側からの情報のせいで動揺し徐晃に敗れたのなら関羽軍はあまりに脆く
仮に江陵を奪われなくても徐晃、曹操と戦いながら襄樊を落とすなんて不可能に近い
1:武帝本隊が漢中から退却⇒長安滞留⇒漢中王即位
2:侯音、宛で反乱、樊城の曹仁が鎮圧⇒孟達の上庸攻撃⇒関羽北上⇒于禁の救援
3:武帝、麾下の徐晃を宛城に派遣⇒水害で七軍壊滅⇒龐徳戦死、于禁投降
4:予州付近の群盗が関羽に帰順⇒遷都案と仲達、蒋済の反対
5:武帝〜孫権間で魏呉同盟の協議⇒関羽湘関の兵粮を拝借⇒孫権荊州侵攻を開始
6:樊城の兵粮が尽きる⇒徐晃の救援、関羽退却
7:江陵陥落⇒関羽到着⇒軍団瓦解⇒敗走⇒斬首
時系列不明
・呂蒙の虚偽更迭⇒関羽、江陵と公安の守備兵を樊城包囲に投入
・徐晃陽陵陂に進軍⇒徐商、呂建の合流⇒偃城を攻め落とす⇒殷署、朱蓋などの十二部隊が合流⇒関羽と交戦、四冢を攻略⇒関羽撤退
>>861 失礼、長安滞留時の関羽北上であった。
勿論、武帝本隊が到着した時点で襄樊攻略を続けるのは不可能。
そのような状況では撤退すら危うい。
だが後一押しで落ちる状況だったということも忘れないで欲しい。
推論だが江陵との連絡は徐晃との交戦前には途絶えていたのではないか?
関羽が正面衝突であっさり大敗するのはどうにも解せない。
そのような場合、最初から士気を喪失しているか、
兵站に問題があるかのどっちかなのだから。
つまり徐晃に負けたのは江陵陥落が原因だ。
完全な結果論だが、于禁に勝った時点で劉封、孟達らと合流し退却すべきだったな。
>呉の天下統一
1「勢力均衡までの対蜀漢同盟維持」
2「長江防衛システムの完成」
3「魏の弱体化」
これら三つの同時進行完全達成。
3>2>1の順に優先的で、呉が天下統一をするには全てをやらねばならない。
それからが真のスタート。その先は知る由もない。
地勢、地の利が呉の強みである反面、それが呉の限界を作ってしまっている。
だから2を急ぐ余り1をないがしろにしては3に反するような行動は呉の天下統一は不可能にする。
チャンスがあれば、蜀を併呑し魏との国力の差を埋めるのも
選択肢のうち
攻めたら国力は一時的に疲弊すると思うが
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/01(金) 21:25:39
蜀の天下統一は不可能、以上!
867 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/01(金) 21:29:16
力学的に蜀が天下とるます
868 :
.:2006/09/01(金) 21:33:15
風水的にも蜀が天下を取るらしい
869 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/01(金) 21:35:27
化学的に蜀が天下とるます
地学的にも天下をとれるはず
文学的にはもうとった
それはないだろうな
実際魏の国力、兵力を10とすると呉と蜀はどの程度のものだったの?
263年の戸数/口数
魏 663,423 / 4,432,881
蜀 280,000 / 940,000
口数の1/10くらいがこの時代の兵力とされてるので推定兵力、魏44万、蜀10万
>>859 >1をやらねばならない理由と「呉が天下統一」を第一目標にしていることを同時に証明は出来ない。
そりゃそうだろう。同時に証明しよう等と思っていないし、その二つは全く別問題だ。
むしろ、貴方がそれを同時に捉らえる事で自らの論にこじつけようとしているだけじゃないか?
>あの時点で江陵に侵攻するのは天下統一を放棄していることと同じだろう。
何故それで天下統一放棄と見なすのかが相変わらず理解出来ない。
劉備との同盟を優先する為に荊州北部を放棄するという事は、孫権は楊州と荊州南部のみで
曹操と対峙しなければならないと言う事に他ならない。攻守共に、だ。
史実で言えば、国力では劉備死亡直後の蜀漢の地位に立たされる訳だ。
更に、治めている劉備勢とて曹操勢に比べれば国力は数段劣る。
いつ曹操に奪われるかも分からないのだ。奪われたら取り返すのは至難の業である。
だから奪える機会が出来た関羽の北上時に江陵を奪い、荊州を手中に収めて国力の増加を図った。
荊州は呉にとって、鼎立を狙おうと統一を狙おうと、魏に対抗する為にも必須の土地である。
それは孫権にとって、劉備との同盟よりも優先するべき事項なのだ。
よって、江陵侵攻をもって天下統一を放棄しているという理由にはならない。
>また呉が荊州さえ取れば自然と矛先が魏に向くというのも疑わしい。
では何故、夷陵の勝ちに乗じて蜀を落さなかったのか?
知っての通り、魏が南下してきたからである。戦線を伸ばすと言うのはこういった危険を含んでいる。
また、戦線が伸び、国力の増す見込みが出来た呉を、魏が放って置くだろうか?
周魴によって誘われたとはいえ、隙があると見なした魏が石亭へ攻め込んだ事だってある。
そういった危険性を無視してまで、蜀と国交を絶って長江の更に上流を狙い続ける事など出来ない。
つまりこの状況では、益州を獲って長江上流を抑えるメリットよりも、攻められるデメリットの方が多いのだ。
国力増強や国家保全を考えるなら、魏討伐が優先的になるのは至極当然の流れだろう。
>滅亡時の主攻は長江の上流からだったろう?
建業から見れば全ての都市は長江上流とも言えるのだが、それは置いとこう。
呉が滅んだのは長江上流の船団の力のみではない。
晋の国内からは襄陽、寿春、下ヒ等の各方面からも兵を出している。
加えて言えば、呉国内の政情不安定というのが最も大きい。
戦死した呉の将軍が張悌ただ一人だったというくらいに酷い。
つまり、上流から攻めたから呉が滅んだ、という訳ではない。
>長江上流の勢力を尽く排除しない限り呉の北伐は有り得ないのだ。
呉が魏と不可侵条約を結んで蜀を撃たなかったのは何故か?
また、合肥攻めはどう説明するのか?
長江の天険を頼みに守る事を第一義とするならば、江の北へ兵を出す事などありえない。
それに統一を諦めていたならば、何故魏の国境に近い、田舎だった秣陵へ首都を移したのか。
ただ保全を考えるだけなら、首都を敵地の隣に置くなど正気の沙汰ではない。
>>876 本拠地を前線間近に置く事はよくある事
例えば劉邦が長安を首都にしたのは対匈奴戦線の最前線に程近い場所だからだったりする
劉邦の場合、匈奴を攻めると言っても制圧の攻めでなくて攻勢防御ってこったな
守る事を第一義としても、首都を前線に近い場所に置くのはよくある事って事を俺は言いたい
そういう例だったら、永楽帝の北京遷都のほうがよくね?
永楽帝は南京が敵地同然だったから少々違う。
>>876 >夷陵戦勝時
追撃を掛けて攻めなかったのは敵の失策を自ら犯すつもりがなかったから。
当時の呉としては荊州が保全できれば良いのだ。この時点ではまだ荊州経営は安定していない。
また魏が攻めてこれたのは呉が対蜀漢同盟を破棄したからだということを忘れている。
俺は「それ以前に魏が攻めてこれないくらいに叩き潰すべきだった」と言っている。
>「建業から見れば全て上流」
呉の国防を第一とした益州対策に於いては以下のようになる。
一:呉が蜀漢を倒し、支配する
二:蜀漢が保全し、それと同盟する
三:蜀漢が保全し、それと敵対する
四:魏に取られる
呉の兵力では一が不可能だから二をやっていたに過ぎない。
三、四の状態では何時滅んでもおかしくない。
では夷陵で滅びなかったのは何故か?
それはやはり「孫権を中心に家臣が団結」していたからだろう。
A:呉が滅んだのは「長江防衛システム」の弱点である「上流からの攻撃」が原因。
B:呉が滅んだのは「政情不安」で諸軍団の「戦意が振るわなかった」のが原因。
俺の主張はA(B)。Bは言うまでもないと思ったから言わなかっただけだ。
貴方はBを主張し、Aではないという。
ところで上流からの侵攻がもっとも効果を発揮し戦果を上げたことについては否定しないのか?
征呉戦の六軍団中もっとも長い距離を進撃したのは誰か知っているだろうか?
建業入りを最初にしたのは誰か知っているだろうか?
もっとも建業に近い司馬伷ではない。距離の問題ではないのだ。
>「建業を首都にするのは狂気の沙汰」
孫氏は皇帝になったがその正当性の保障は武力によるものだけだ。
基本的に孫子一門は軍人皇帝なんだよ。
国境守備と政権維持、経済と文化の交流を同時に行うポイントは建業以外ない。
揚州が地盤ではあるが、呉会の地は山越の本拠に近すぎるので首都としては不適当だ。
>>876 >江陵の保持
以前武帝から呉と蜀漢の共同作戦で奪い返した。取り返すのは「至難の業」ではない。
どうしても蜀漢が荊州を魏に奪われるとしたいようだが、
そのような状況で呉が奪われない保証などない。
また重要拠点を最悪の敵に奪われるのを
見過ごす馬鹿が指揮官務める国が滅びない方がおかしい。
呉の天下統一に必要な三大条件
1:「荊州掌握による長江の制水権掌握」
2:「勢力均衡までの同盟維持」
3:「魏の弱体化」
貴方:「呉は天下統一を諦めていない。荊州攻略はその為の第一歩」
俺:「だとしてもあの時点で2と3を放棄するのはおかしい。既に諦めているのではないか?」
というのが今までの互いの主張だろう。
呉が天下三分で割拠するには1だけで十分。
だが天下統一には1、2、3が全て必要。
こじつけもなにも貴方の論自体が「呉の天下統一」を自論を否定しているのだ。
天下統一を狙うのに荊州争奪〜夷陵戦を2を放棄してあの時期にやるのは馬鹿げている。
2が必要な間は常に3を行わなければならない。
でなければ中原の勢力が回復し、呉が付け入る隙などなくなってしまうのだ。
つまり3がより困難で不可能になるということ。少ない制限時間を浪費以外の何だというのか?
「月へ行くロケットを壊したが、俺をそれでも月へ行く」と言っているようなもの。
手段が無いのにどうやって目的を達成するのか?
更に戦線拡大は不利で馬鹿なことと貴方は言う。
その不利で馬鹿なことをやっていたのが219年時の魏と蜀漢であった。
つまり呉の動向次第で全てが決まったのである。
「蜀漢を弱体化」させるのは一向に構わないが、それが「魏への利敵行為」だから問題がある。
それに武帝の才知と魏の強大な国力がありながら、数段劣る先主に鶏肋をくれてやるのか?
確かに鶏肋ではある。だがそれは燕雀ではなく鴻鵠のそれであった。
また荊州戦線では呂蒙が静観し、武帝本隊の救援が来るまでは関羽の一人勝ちだった。
荊州返還を確実にする策がこの関羽の樊城攻略への援助である。
ここは労せずして蜀漢に恩を売りつけ、魏の勢力を殺ぐべきだろう。
孫権と対峙していた夏侯惇の二十六軍は戦力を西に送っていたのだ。
常に予備戦力をこの方面に増派されていた後年の戦役を考えれば、
これを破るのはるかに容易い。
呉の天下統一の為に魏を追い詰めて淮南・山東を攻め、その後に蜀漢に荊州返還を迫る。
荊州戦線が南軍有利でその東西は膠着していた。
淮南の夏侯惇を拘束し、荊州戦線で関中から救援に来た武帝本隊を挟撃する。
はっきり言って理想論だがそれが天下統一への最善策で江陵侵攻は「機会の放棄」に等しい。
もっとも北軍にそのような大打撃を与えても淮南・山東の維持は困難だろう、
魏と正面から当たるのは常に呉で蜀漢は西方で漁夫の利を貪ることは間違いない。
元々上流を蜀漢に占められた時点で呉の天下統一は困難だ。
だがそれは周瑜の天下二分を孫権が放棄したことの結果である。
計画も信義も忍耐もなく場当たりで土地を欲するだけで「野望を持っている」とは言わない。
確かにその僅かな可能性を断ち切ったのは関羽が原因で孫権に責任は全くない。
だが彼が同盟断絶や中原進出を迷っているのは明らかだった。
そのような孫権の迷いが呉の方向性を決定し、地方政権で終わった原因でもあるのだ。
>合肥攻め
剣閣に魏軍が常駐していれば蜀漢は北伐を諦めていても攻める。
合肥もそれと同じことだろうが。
>>884 孫権が迷っていたか、それは疑問だな
俺が思うに、濡須までは魏と戦争をやりあって勢力を広げていくつもりだった
しかし、濡須で敗北に等しい痛みわけを経験した後に、
魏の国内の混乱を待ってから攻めるというように方針を変更したのではないかと
この判断自体は間違っているとは言わないが、国力の差を正しく認識できていないとも言える
>「建業を首都にするのは狂気の沙汰」
六朝全否定デスカwwww
国力の差など指導力と戦争手腕でどうにでもなる。
戦争が下手なら外交で勝つのだ。
事実、孫権の外交手腕は武帝や先主をも越えるものだった。
その彼がただ江南に割拠するに止まったのは彼がそれ以上を望まなかった証拠だろう。
武帝存命時にも関わらず、侯音や魏諷の乱で魏が動揺していても待つ。
更に武帝が死んで最大の混乱が訪れるはずだった時期に夷陵をやる。
孫権は中原進出の機会を老残の先主と争って捨てることを惜しまない。
結果論ばかりだが、武帝や先主に対する孫権の長所とは「若さ」だったはず。
それを生かせず目先の利益に飛びついたことは「目標」の低さ以外の何だというのか?
濡須が無益な戦いに倦み、蜀漢が大いに呉を利用して勢力を拡げるのを恨みに思うのは無理も無い。
だが対魏への手段を変えるのは構わないが、戦略目標自体を変えるのは完全な間違いである。
>>876は攻めるために建業に遷都した、と言っているだけな気がするが
武昌あたりから北上するルートってありえないのか?
江陵―武昌―建業のラインがあって東西に軍団を固めている。
江陵を北上すれば襄樊、建業を北上すれば合肥に突き当たる。
全く攻める気がないとは思わないが、魏を河北に押し込めない限り、淮南を取っても無意味。
そこだけ落としたって蜀漢とは連携が取れない。魏の人海戦術の力押しで跳ね返されるだけだ。
隆中対や天下二分の構想は「荊州を北上する大将が襄樊を下し宛洛を窺う」つつ
「漢中から秦川に出て魏の勢力を殺ぐ」というもの。
隆中対の構想とはずれるが荊州から出てくる大将が蜀将である必要はない。
また益州を落とさなくても襄樊進出は可能なのだ。
実行できなかったのは政治的な不信感が原因だろうな。
出し抜かれることをお互いに恐れているのだ。
この無様な足の引っ張り合い。弱小勢力とは悲惨なものよ。
>>889を見ると中原進出をやる気はあったが、時期を間違えたように見える。
蜀漢は戦って負けたけど、呉の場合戦わずして滅んだという感じ。
蜀漢も呉も内部の混乱で防衛ラインを維持できなくて
攻めてこられて滅んだような。
>>883 2,3を無視して夷陵戦をやったのは劉備だろ
あの時点で劉備は統一を諦めていたのか?
>>884 地図を見ろ
仮に関羽が樊城を攻略したら荊州返還なんて確実になくなる
夏侯惇の二十六軍が動いたのも孫権が藩臣の礼をとったからだ
理想論なら夷陵戦がなければ呉が襄陽を保持できた可能性や
街亭勝利→石亭勝利で関羽北上時以上の戦果をあげた可能性だってある
なぜ関羽北上時だけを理想論でみようとするのかな?
つーか、関羽北上時に呉が合肥攻めたらむしろ魏は全軍で
江陵攻めてこないかな?
呉は徐州取れても江陵取られたら滅亡だし。
>>896 このスレ読み直せば、あの時魏にそんな余裕はなかったと思うはずだが、そんな余裕があったのかね
>>895 >天下統一の機会
その最大の機会を自ら捨てて、先主からも盗んだのは誰かな?
「孫権が天下統一をするつもりだ」という証明はせず、
無責任な行動による同盟破綻の責任は先主に転嫁か。
疎ましい兄弟を殺して「アイツが悪いから死ぬのが当然」と言っているようなもの。
同盟が維持されている状況での「荊州返還が有り得ない」など全く根拠が無い。
武帝本隊と夏侯惇二十六軍に挟撃されて襄樊軍団が単独で持つか?
また老い先短い先主が「時間切れ」でくたばれば蜀漢の動揺は計り知れない。
その時に荊州討伐の義軍を起こして何の不都合がある?
また魏との決戦をあの時点で回避するなど「時勢が読めていない」のだ。
天下統一をやる気があるならな。
藩臣の礼を取るのは構わないが落ち目の大敵を何故叩かないのだ?
関羽から江陵を取るのと夏侯惇から淮南を秤にかければどちらを選ぶべきか明らかだ。
呉が魏との信義を守っても天下統一には遠いのだぞ。
また義兄弟を殺され、荊州を奪われて、同盟を維持するのは「侠」の道義に反する。
張飛あたりは確実に離反するだろう。そのような状況で北伐など出来るか?
夷陵敗戦後とは訳が違う。
一度しかやり返さなかったのはそれ以上は確実に共倒れになるからだ。
>街亭勝利→石亭勝利
>>792で自分が言ったことを忘れたのか?
出発点は「219年の時点で荊州返還⇒北伐」
それを蜀漢がやるのがありえないと言っている。
孔明の北伐期の魏と219年時の魏とどちらが倒しやすいと思っているのだ?
どちらにしても中原復興による兵力差の拡大を考えればその案は論外だろう。
長引くほどに南軍は不利なのだ。
「上流の敵を攻めるのが不利」とか下らん反論を抜かしそうだから先に言おう。
周瑜はやった。呂蒙もやった。陸遜がやる。それで終わりだ。
あまりにも理不尽な不義を働く勢力は敵に大きな反動と団結を与える。
魏との連戦で疲れきっているのに呉軍を同時に相手に出来るわけがない。
大きすぎる怒りは地勢の常識をも覆すのだ。
>>898 もし関羽の北伐が成功して荊州北部も手に入れれば
当然劉備も長安を攻めて落とせるかもしれない。
でもその状態になった時、劉備が呉と同盟を組み続ける理由はないよ?
>>898 なんつーかさ、地政学勉強しろや
先ず、呉にとっては大敵を叩くよりも何するよりも「江陵を抑える事」が大事なんだわ
江陵が無ければ地政学上、呉は独立国家として存在出来ない
劉備が味方だった時はよいが関係がこじれ始めた以上、即刻奪わなければならない
それが江陵という土地の位置なの
西陵・江陵・ガク州・建業、これらを結んで出来る防衛ラインなくしては呉は蜀にも魏にも脅かされるわけさ
>>898 >関羽から江陵を取るのと夏侯惇から淮南を秤にかければどちらを選ぶべきか明らかだ。
守れない、人のいない国力を減らす土地、淮南
国家の防衛を万全にし、人が多く国力を向上させる、江陵
どう見ても江陵です
本当にありがとうございました
>>900 攻め取った土地を策源地にして連戦を続けるのも限度がある。
どこかで反攻を受けるが道理だろう。
その時同時進行を受ければ簡単に崩れる。
呉蜀同盟を破棄するのは「魏の弱体化後」
つまり荊州北部と関中の同時攻略程度では中原の地力自体はノーダメージだし、
勢力均衡は起きない。必要がなくなるのはずっと遥かに後。
>>901 地政学なんて当時にはない。あるのは合従連衡だけだ。
それに無知のレッテルを押し付けるのは俺じゃない。過去レスを読んでるのか?
野戦で勝てなくなるのに天下統一も何も無い。
割拠するだけなら別だし呂蒙の荊州侵攻を判断ミスとは言わない。
江陵確保の重要性は重々承知している。
地政学以前だけでなく兵学も学べ。
それ以前に礼法も学ぶべきだし、過去レスを読め。
>>901 呉にとっては大敵を叩くよりも何するよりも「江陵を抑える事」が大事なんだわ
まず、ここが理解できないな
とりあえず、長江防衛システムと言うのは長江を超えて南岸へと渡らせないためのものなのか?
違うなら説明宜しく
納得することはないと思うが、上で述べられているように落ち目の大敵を叩く以上の効果があるとは思えない
ただ渡るだけなら問題ない。20万を何部隊にも分ければ幾つかは通るだろう。
だが制水権のない状態では兵站の連絡船が切れ、敵地で孤立する。そうなったら一方的に殺されるだけ。
中流の制水権を制するのに夏口、陸口が絶対必要。
その上に荊州の支配には江陵は絶対必要。その次に西陵(夷陵)。その次に益州。益州防御の為に漢中…
このシステムに拘るとキリが無い。
それだったら会戦で敵を撃滅する方が効率がいい。
その機会を捨てるのは山頂布陣にも等しい地政学馬鹿。
>>902 誰も呉に江陵を攻めるな、とは言ってないわけで
あの時期に江陵を攻めたことに疑問を感じているだけ
早い話が、蜀へ援軍を出してハン城を落とさせ曹操本隊と共同で対峙して、
劉備の本隊が長安を攻略してから交渉で(半ば恫喝という形で)江陵を貰っても良かったという話をしている
この段階で劉備がくれるわけがない、と言うのはどうだろう
援軍を出してハン城を攻略した時に交渉をもちかければ、渋々ではあるだろうが、承知するのではないか
蜀としても魏・呉に挟まれている荊北の防衛には気をつかうだろうからね
>>897 余裕?
曹操本隊と夏侯惇二十六軍そして捕虜の于禁軍三万
徐州なんぞ呉にとっては鶏肋なんだから。
こうして見ると呂蒙の計画は短期的には勢力の伸張が確実だったが、
長期的に見ると視野が狭いにも程があるようだ。
武力を使う発想は間違っていないが、使う相手と機会を間違っている。
軍人上がりらしい発想と思考ということだろう。
彼を周瑜や魯粛の列に入れるのはどうも納得がいかない。
関羽に勝ったのは単に敵が余所見をしてる瞬間に超高速の右ストレートをぶち込んだけ。
それだって十分凄いが、それが夏侯惇の背中なら「非呉下阿蒙」どころではないだろうに。
先主が長安を落として封鎖、西から退路を塞いで兵站を切る。
更に白帝城方面から孔明が、陸口から陸遜が江陵の魏軍を挟撃。
そして徐州からは孫権本隊が山東全域を尽く降ろし?天下二分が成る。
まあ武帝がそんな連絡線を伸ばしきったり、パンクするような無理をするわけが無い。
蜀ヲタって、呂蒙を否定することしかできない。
防衛ラインを確立してその後滅亡するまで領土を削られることがなかった
これだけでもかなりの功績なのに、
何が目的か分からんけど何故か中華統一にこだわる。
光栄三国志のやりすぎですね。
「山東」って山東半島周辺だけじゃないお。
太行山以東も「山東」だお。
>>911 俺には
>>908は功罪を冷静に評価していると思うがね
君が誰のファンなのかは知らんが、そう思うのならここに来ないことだ
>>905 >その上に荊州の支配には江陵は絶対必要。その次に西陵(夷陵)。その次に益州。益州防御の為に漢中…
西陵あれば益州への守りは充分だし、江陵あれば北への守りは形になる
何でそんな訳のわからない極論を言うの?
それに会戦で敵を撃滅する方がって…おいおい
会戦なんてよっぽど差がなければ博打だぞ
そんなもんに防備を頼ろうとか、ゲームじゃないんだから勘弁してくれ…
>>908 でも呉が水と船を棄てて陸で勝てるのか?中原の麦食に耐えられるのか?
という疑問が出てくる。天下統一は項羽や孫策でさえなし得なかったこと。
孫権如きに出来るはずがない。
>>915 余程の差があっても博打だ
ゲーム感覚なのは君では?
>>914 はいはい蜀ヲタ乙。君はまずスレタイを見ようね^^
>>916 >孫権如きに出来るはずがない。
果たして本人がそう思っていただろうか?そこが重要
てか煽り増えたな
>>904 長江を軍事境界線として制水権を自分の物にする事が目的だと俺は解釈してる
よくも悪くも呉は長江沿いの都市をメインに構成されてるから敵に南岸に渡られるとやばいし
また、長江流域南岸には武昌があったりして呉の経済も集中してる
まず国家として存立する為の最低限のポイントとして江陵が必要なわけ
呉の江陵ってのは地理的にはWW2直前の日本の朝鮮半島みたいな存在だよ
無きゃ防衛が成り立たない土地
>>917 博打なのがわかってるなら安易に会戦で敵を撃滅する方が効率いいとか言わないでおくれ
>>920 言っていることは理解した
しかし、それはあの時に江陵を攻める理由にはならない
なぜなら、江陵を抑えられている=侵略の危機にある、というわけではないからだ
蜀の戦力が北へ向かっている時には蜀は長江南岸へは攻めてこれない
これは自明の理だろう?
ラスト2行は不要
>>921 >>905は俺じゃねーし
>>915 武力の中原と財力の江南、というのが中国大陸の歴史的な南北の色分けだった。
だがこの古代末期の時点では武力も財力も中原なのだ。
それが武力の面で一瞬だけ傾きかけたのが219年の関羽北上なのだよ。
優秀な支配者の下、敵の勢力が年々大きくなるのに消耗戦を挑むことが
目隠しで会戦するより馬鹿げているのが判らんのか?
人口の保持力と回復力が中原と当時の江南では桁違いなんだよ。
「時間を掛けると取り返しが利かない不利になる」と何度も言っている。
呉の方針が天下統一でも天下三分でも、
あの時期に決戦を挑むことの利を理解出来ないのはそれこそ勘弁してくれ。
孫権がどのような視野で望んでいたのか知らないけど、
自分の死後は孫亮(幼稚)、孫休(文弱)、孫皓(無道)といったような連中だぞ。
どれだけ時間を掛けても不利になるだけ。
>>908 そんなことないでしょ
蜀が荊益二州に加えて雍州までも得てしまえばほぼ揚州のみの孫呉としては
長江下流に押し込められて不毛な徐州方面からの北上か交通の要衝江陵を抑えられたままで遡上作戦をしなければならない
さらに経済の要衝武昌も江陵から目と鼻の先
これでは独立国家として存在するのは厳しいよ?
>>921 余計なところに見境なしに絡むなよ
面倒くさいんだから
>>922 あのタイミングでなければ江陵を取れないから
それに尽きる
必要な物を取る機会があったから取った
呉の動きは非情なまでにマキャベリスティックだよ
>>923 古代でも三国志の時代になると財力は南>北
これは魏の経済政策がとある事情によって失策続きで経済が混乱していたから
だからこそ国力、国土で劣る二国が魏を相手に曲がりなりにも独立を保てたんだよ
>>926 >あのタイミングでなければ江陵を取れないから
その根拠はなんだ?
「とりやすい」状況ではあっても、「あそこでなければ」という状況ではないはずだが
荊北・長安での2面作戦が展開されれば荊北では曹操の本隊と戦う蜀が江陵の防衛に手を回せるだろうか?
蜀からすれば荊北では魏・呉の両面から挟撃されているわけで、荊北の防衛すら危うい状況な訳だが
>>926 確かに”兵馬を用いて”取るのは純粋に難しい。不可能に近いかもしれない。
だが、その時に「魏呉同盟」という切り札をチラつかせてはどうか?という流れ。
スレタイの趣旨には全く反していない。
蜀漢にとって勢力均衡までの間に魏呉と同時にぶつかったらアウトなんだから。
呉の動向が全てで、何もかもが孫権の一存次第。
つまりこのスレの内実は「関羽の使者になって孫権を説得するスレ」なんだよ。
908は三国志の時代しか知らないんでしょ
魏晋南北朝時代も勉強しろ
>>928 それまで関羽がいたことによって手出しできなかった江陵に軍事的空白が出来た
あのタイミングでなければ蜀もバカじゃないんで再度軍事的空白は埋まるし(つーか埋まりかけてた)
また次の空白になる時を待たなければならないが、北上が成功してしまえば
江陵に再度軍事的空白が生まれるのは運
なら取れる時に取らないと、次はないと考える方がいい
>>927 その時点での内容量ではなく容器の大きさ自体を言っている。
>>928 孫権が関羽北上中に助力の検討をしたとを聞いたことがある。
まあ恩を売りつけて江陵を奪う腹積りだったろうけどな。
軍人というのはそういうのが嫌いだから意地になって不可能なことをやろうとする。
つまり孫権が「荊北を取らせてやるから、荊南クレ」と言ったのを
関羽は「俺一人でも取る貴様は引っ込んでろ!」と拒絶したのが問題。
それでマジ切れした孫権が呂蒙を送り込んで江陵を押さえた。
そこまではいいが関羽を斬ったのは理解出来ない。
やはり「兵が無くても名将は名将、殺せるうちに殺しておこう」という判断か?
>>928 あ、言い忘れてたけども荊北<>中原の間には山脈やら戦国時代からの城壁やらがあるので
防衛するだけならばそこに寄って立て篭もる事も可能
>>932 貨幣経済を成立させる為の銭を鋳造する銅を算出する高山が魏になく
蜀と呉に完全に抑えられた状況で器がどうのとか、経済わかってんのか?
>>931 蜀からすれば荊北では魏・呉の両面から挟撃されているわけで、荊北の防衛すら危うい状況な訳だが
ここへの反論は?
ハン城は上庸方面からの援軍で持ちこたえさせるだろうが、この時に呉が蜀(江陵)を攻めたらどうなる?
魏蜀の同盟がありえないと言う前提でだが、俺は簡単に落ちると思うが
>>934 俺は901でも930でもないけど、
君は反論できないからって随分必死なんだね。
次スレ必要かい?
いらん。
>>936 公安、江陵があっさり落ちたのは司令官である関羽が遠征によって不在な為に起こった命令系統の混乱が大きな要因だと考えられる
だからこそ劉備は
>>723の蜀将スレのログにもあるように太守等を送り込み、命令系統を整備しようとしている
軍事的空白は組織だった抵抗が出来ない事によって起こっているのであって
命令系統さえしっかりとしていれば両面からの攻撃でも何とかなると俺は考えている
>>935 その豊かな南方から何故人口が流出するのかを
お得意の経済学、地政学的観点から証明しろ。
また劉表や劉璋が割拠するに止まったのか御高説を賜ろうか。
政治が経済によって動かされるように、経済は政治によって歪められるのだ。
枝葉と本筋を間違えているのでは?
>>941 ならここで話は終了だな
俺は軍略では周瑜に引けをとらない呂蒙が江陵を落とせないとは考えないのでね
劉備もその辺はわかるだろうから、江陵の譲渡を条件に援軍を要請すると思うよ
上庸−荊北のラインをしっかり押さえていれば2面作戦は継続できるから、江陵に拘る必要は薄い
荊州閥もこの状態でなら強い反対はできないだろう
そして対峙している陣中で曹操が死ぬと、更に面白いことになるなぁ…
>>842 元々北方の人間が南方に流出したのは戦乱、動乱を嫌っての事だった
元々の流出原因が経済にないので、経済とは関係のない事で人は北方に帰る
特に古代中国人は、祖廟やら祭祀を非常に大事にする民族で
先祖の眠る土地、故郷に戻りたがる傾向が強い
>また劉表や劉璋が割拠するに止まったのか御高説を賜ろうか。
>政治が経済によって動かされるように、経済は政治によって歪められるのだ。
>枝葉と本筋を間違えているのでは?
こっちの質問は意図と何を企図してるのかが全くわからないんで返答は差し控えさせてもらう
政治面、地政学面での形勢が不利と判ったら経済をチラつかせる。
判ってるのか?と聞きつつ自分が聞きかじったような知見しか出さない。
次は宗教かな(・∀・)ニヤニヤ
魏晋南北朝なんて西晋の軍政面の失敗による永嘉の乱が大半の原因だろ。
三国の形勢と何の関係があるのか?
長江が西から東に流れるように歴史は過去から未来へ進むんだよ。
大きな流れを掴んで俯瞰するのは重要だがこのスレでは不適当。
上庸−荊北のラインって一歩通行じゃないか?
>>943 呂蒙の軍略は実際に戦う以前に勝負を決するポイントをきっちり見極めて速度で相手を叩く事が多い
関羽戦もその例
ちなみに俺は、「命令系統さえしっかり整備されてれば」防衛できると言っただけで
命令系統が整備されるとは言ってない
だから呂蒙の電撃戦は(その得意分野から見ても)止められない
あのタイミングだから呂蒙が荊州を落とせたんだと思うのは間違いないが
じゃあ蜀に回避手段あんの?って言われるとないよ、としか返答できないな
>>947 関羽の娘を孫権の毒牙に掛けさせる。
自分を見下す偉丈夫気取りの虎の子を
犬みたいに後ろから犯すのは面白いだろうなあ。
>>945 煽るだけなら邪魔なんでどっか行ってくれる?
あと長江は時々東から西に流れるよ
歴史に例えるのは不適当じゃないか?
950
>>949 じゃあ「水が上から下」でいいじゃんwww
>>951 水が下から上に動く事もあるんでwwww
>>949 どうしても無知のレッテルを貼りたいようだが、
数少ない例外を常識のように振り回すな。
基本原則とされる長江の上流優位に例えただけ。
もう少し自然科学だけでなく修辞学を勉強しろ。
>>953 時として歴史は巻き戻るんですか?
中々詩的ですね
第一例外ではないでしょ
ポロロッカ現象は自然界ではありふれた現象
ありふれた事は例外じゃないよ
>>947 どういう状態を想定しているのかが噛み合ってないな
俺は
関羽荊北へ出陣→【この時、呉は動かない】→関羽ハン城を落とすというifで考えている
この場合、関羽はハン城付近で曹操の本隊と対峙するわけだが、この時に呉は劉備に
援軍の使者を送ればよいわけだ。無論、江陵の譲渡を絶対条件にし、恫喝も交えて
曹操がもうすぐ死ぬとは思わないから、劉備はこれを呑むだろう
これなら呉・蜀の戦力は減らずに魏と相対でき、ベストだったと考える
つくづく魯粛の死は惜しまれる
ポロロッカ現象は「海水」が干満の影響で海嘯を起こし
「河水」を押し流すもの。「河水」が「東から西に流れる」のではないだろう。
長江は「海」じゃないだろ。
主題を無視した名家的な言論は止めてくれ。
>>955 呉が動かないifならその後の動きはほぼ納得
ただし劉備の場合、約束だけしといてきっちり防備を固めていそうだがな
ただ、呉が動かない前提が俺にはありえないように思える
孫権の判断を蜀にとって最悪のタイミングから動かす事案は何かあるんだろうか
>>956 海水に押された河水はきっちり東から西に流れてます
主題を無視してるのは貴方ではないですか
つまり「長江が東から西に流れること」は一時期だけの事とは言え起こっているのです
959 :
.:2006/09/02(土) 18:53:05
3重のIFだなぁ
呉が動かない、関羽が樊城をおとす、援軍がくるまで(曹操が死ぬまで)樊城を保つ
>魏晋南北朝なんて西晋の軍政面の失敗による永嘉の乱が大半の原因だろ。
この程度の知識しかないのかよwwwww
m9(^Д^)プギャー
>>957 孫権が守勢重視、外交による魏の国力低下狙いに方針を変えたのは濡須以降だと考えている
しかし、この長期戦略は呉の政治形態で成し遂げることは難しい、と気付くべきだったかと
果たして、江陵攻めを提案した呂蒙に呉の政治バランスが理解できていただろうか?
全てはここに帰結すると思う
既にこの時期に説得に行くことは自殺行為だし、関羽の行動が呉に与えた影響も小さくはないだろう
こう考えれば
劉備・関羽・孫権・呂蒙に大局を見抜く目があれば良かった、としか言えない
もっと具体的な可能性としては、関羽の行動を諌め、陳謝すれば可能性はあったかもしれないな
>>961 何故成し遂げるのが難しいといえる?
むしろ魏呉蜀3国の中で最後まで残ったのは呉でしょ?
>果たして、江陵攻めを提案した呂蒙に呉の政治バランスが理解できていただろうか?
守勢重視になったからこその江陵狙いだと思うよ
粘る為にはどうやっても江陵が必要だから
名士が力を付ければ、孫氏の首をすげ替えるのは容易い。
守勢自体があやふやじゃないか?
>>955 土地の移譲を条件に援軍を送るなんて聞いたことがないんですけど。
仮に孫権がやったとして劉備が受けるかどうかは断定できないし、
受けても譲渡が保障されるかは怪しい。
孫権が江陵の譲渡を絶対条件に、援軍を出す旨を通達したとして。
おれは次のケースを想定する。
1.申し出拒否。関羽引き返し、守りを固める
2.申し出受諾。孫権合肥侵攻。作戦終了後、守りを固め、渡さない。
3.申し出受諾。孫権合肥侵攻。作戦終了後、江陵を渡す。
あなたは3を想定しているようだが、1,2,3の順に確立が高いと思う。
また、3は以下のケースでも実施が保障されるのか?
関羽が失敗しても江陵を渡すのか?(統一をあきらめるのか)
孫権があまり積極的に戦わずに北伐に貢献できなくても、受け入れるのか?
これだけ不特定要素の大きい策が孫権にとって最善手といえるのか?
おれは荊州問題は魯粛時代に信頼関係を築けなかった点につきると思うがね。
孫権がいるだけで抑止力になる。負けて敗退するより何もしないほうがマシ。
魏は武帝死後の混乱もあったろうが荊州の安定の為に暫く動かせなかった。
それにしてもほとほと蜀漢との関係に嫌気が差してる様子がうかがえるよな。
関中方面で魏に大勝すれば2で、かなりの損害が出れば3と見る。
まあ孫権はそのような理屈より感情を優先させたように思う。それ自体は悪くない。
ただ蜀漢が天下統一をやる上でそれ程、呉へのケアを怠っていたということだ。
>>965 その案は一時的にはローリターンハイリスク。
だがこれに耐えられなければ天下統一は無い。
問答無用の荊州侵攻はハイリターンローリスク。
ただ確実に夷陵戦をやる。
場合によっては関羽に協力して失敗するより最悪の事態も。
魏にとってはどちらが夷陵で勝っても共食いに過ぎない。
>>962 呉が最後まで残ったのは、呉の方針が外交による魏の疲弊を狙ったものだったから
この戦略自体は悪いものではないが、呉は豪族の力が強いために安定して政権を運営することが難しい
この点は蜀も同じで、だから諸葛亮は北伐を敢行した
もっとも、これは諸葛亮の絶妙な政治バランスあってのものなので、呉に求めるのは難しいのかもしれない
しかし、攻めて欲しかったというのが俺の考え
陸遜は孔明に引けを取らないと思うけど、
孫策以来の遺恨が羽翼を拡げるのを阻んだ格好でもある。
>>965 他の人が言っている通り、土地の移譲による援軍要請はある
劉備はこの時曹操と2面で戦端を開いているので呉に背後を突かれたくない
断って江陵を攻められれば、各戦線が瓦解する恐れすらあるので援軍は受ける
1.申し出拒否はないと考えているのでパス。また、そのメリットがない
2.3.こういう時は予め譲渡してから援軍を送る場合もある。約束を守らないことは当時は不名誉なこととされた
正統王朝を自称する蜀が、不義理を果たすだろうか、俺にはそうは思えない
また、作戦終了後とはどの時点でのことを言っているのかをはっきりさせてくれ
それに孫権に合肥を攻めろなどとは言っていない
あくまで荊北に布陣した曹操本隊と相対する関羽への援軍
合肥に孫権は進軍するだろうが、それは交渉とは少し外れたこと
>>971 先主は同族すら討つ男。信義も何も無い。
孫権が韓・彭の二の舞にならない保証はない。
高祖が非難されないのに先主のみが非難されるのは時勢に沿わないかと。
973 :
965:2006/09/02(土) 21:21:12
>>966 mjsk?! 勉強不足でした・・
>>967 ほぼ同意。呉にとっても蜀呉同盟は利益があるのだから
蜀が荊州方面で魏の矢面に立ち、揚州方面の安全保障を行う旨を
呉に納得させられていたら、夷陵戦はなかったかもしれん。
>>968 あなたの文を読み違えているかもしれんが、
荊州を押さえ、魏の失策をまつ事の成功率と、荊州譲渡云々による
成功率を比べて前者が劣っているとは思えない。(結果は失敗したがね)
あと「確実に夷陵戦をやる」事は否定しないが、関羽が失敗し、呉が
徐州に取り残された場合、夷陵戦に匹敵する大戦を地の利のない場所で
することになり、その際に蜀が呉に戦端を開かない保障もなく
呉の北上策にうまみが少なすぎる。
後、江陵の譲渡を前提にするなら少し確率の高い方法を思いついたよ。
「蜀が、江陵の譲渡を提案する。」そうすれば孫権も荊州侵攻をためらった
かもしれん。
974 :
955:2006/09/02(土) 21:31:16
>>973 もうわかっているかもしれんが、
>>968は俺じゃない
>>971が俺
>>972 そもそもの前提が、蜀が電撃的に天下をとれるとは考えていない
まずは諸葛亮の言う天下三分がなされる状況を考えているので、はっきり言えば天下をとれる保証すらない
それに「こういう時は予め譲渡してから援軍を送る場合もある。」と書いているのにそれはスルーか?
975 :
875:2006/09/02(土) 21:33:45
帰ってきたら流れがすっかり変わってる…
「関羽征伐時、孫権に統一の意思があったか否か」はどこいっちまったんだw
>>975 俺が言うことではないが、過度な長文は読む気が失せる
意見は纏まっていると思うが、もっと簡潔に頼む
続けたいなら次スレ立ててくれ
977 :
.:2006/09/02(土) 21:37:35
距離と時間を完全に無視してるような
襄樊を落とせる可能性がでたのは于禁壊滅の219年8月で関羽敗退が10月から11月
この間に状況を漢中に報告して呉と交渉+援軍ってのはいくらなんでも無理だろ
>>971 作戦終了とは、関羽の北上戦の終了を意味する。関羽が敗北し、
蜀が寸土も得られないことも当然あるんだけどそれでも譲渡するのか。
あらかじめ譲渡する場合援軍は間に合うのか。
以上2点が謎。
またこれらがクリアされるんなら蜀からの譲渡提案の方が成功確率は
高いと思うがどうか。
980 :
875:2006/09/02(土) 21:51:10
ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。
って事でダメだった
↓よろしく
>>975 誰も喪前の論敵を論破できなかったから無かったということになっている。
その間に訳の判らんアホがごねて議題は訳の判らん方向に行った。
>>979 例え外交用の印綬を渡せれていた後の陸遜だって独断で交渉なんて行わないのが当然なのに、
そんな権利がはなから無い関羽に国家規模の交渉なんか許されないと思うが。
>>978 この戦いの意味は、魏の戦力を荊北に釘付けにすることに意味がある
つまり、関羽は漢中で休憩中の劉備本隊が主力の、おとりともいえる(上庸方面との連絡のためでもあるが)
従って、曹操本隊と対峙していれば目標の一端は達せられる
援軍はハン城を落としていれば間に合うだろう。既に陸口には駐屯していたのだろうから
提案自体は蜀側からでも呉側からでも、どちらでも構わないと思う
どちらにもメリットはあるのだから、特に拘る部分ではない
ただ、劉備からなら関羽と呉援軍との間はギクシャクしないだろうし、
江陵を抑えたい孫権としてはこのデメリットが非常に少ない(殆どない)場面で使者を送らないというのも考えにくい
よけいなことをしやがって。
うるおおお
219年に驃騎将軍・荊州牧となっている訳だがそれ以前の孫権の官爵は?
ダンディー
989 :
875:2006/09/02(土) 22:13:30
ちちちぃ
どこまでが
>>875の意見だったのやらサッパリ判らん。
やはり次レスは必要か。
「三国時代も魏晋南北朝のうちだと知らない馬鹿晒しage」
930 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/02(土) 17:27:17
908は三国志の時代しか知らないんでしょ
魏晋南北朝時代も勉強しろ
おまえがだ。
「論破された哀れな敗者晒しage」
960 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/02(土) 18:58:21
>魏晋南北朝なんて西晋の軍政面の失敗による永嘉の乱が大半の原因だろ。
この程度の知識しかないのかよwwwww
m9(^Д^)プギャー
論破されたのが余程悔しかったらしいな。よしよし。
因みに俺は200レスくらいしてる気がする…
>>119は俺の書き込みなんだが、>>117-
>>118には感謝してる
もちろん、参加した皆にもね
果たして何人が参加してるのかは知らんが
「現代版名家晒しage」
958 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/02(土) 18:47:20
>>956 海水に押された河水はきっちり東から西に流れてます
主題を無視してるのは貴方ではないですか
つまり「長江が東から西に流れること」は一時期だけの事とは言え起こっているのです
貴様みたいなアホと話すのは疲れる。女に持てないタイプだな。
「自称経済学通晒しage」
935 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/02(土) 17:39:20
>>932 貨幣経済を成立させる為の銭を鋳造する銅を算出する高山が魏になく
蜀と呉に完全に抑えられた状況で器がどうのとか、経済わかってんのか?
風説だけで論拠ゼロ。中二病乙。
「地政学馬鹿晒しage」
901 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/02(土) 15:46:58
>>898 なんつーかさ、地政学勉強しろや
先ず、呉にとっては大敵を叩くよりも何するよりも「江陵を抑える事」が大事なんだわ
江陵が無ければ地政学上、呉は独立国家として存在出来ない
劉備が味方だった時はよいが関係がこじれ始めた以上、即刻奪わなければならない
それが江陵という土地の位置なの
西陵・江陵・ガク州・建業、これらを結んで出来る防衛ラインなくしては呉は蜀にも魏にも脅かされるわけさ
外交戦略は無視ですか。もう少し理性を身につけようね。
乙俺。
乙乙乙乙俺。
1001 :
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立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
ん ド l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ た
の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
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⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
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