【軍師のおまけ】張繍・宛城勢力を語る【美人局】

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232無名武将@お腹せっぷく:2006/08/18(金) 10:41:56
幾ら何でも孫権が目立たないということはない
233無名武将@お腹せっぷく:2006/08/18(金) 11:30:56
劉備と曹操の英雄論でも一応名前だけは挙げられたんじゃなかったけ?
234無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 03:38:35
私は個人的にカクがあの追撃戦の時、
曹操が相手なら将軍が適わないが、曹操の部将なら誰であれ勝てるという評価は
相当高いと思う。しかもカクのような鋭い人の評だから信憑性が高い。

このような人を結局あまり使わなかったのはどうかなって思っている。
警戒心か、それともやはり多少恨みがあっただろうか。
235無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 07:16:06
夏侯惇みたいに正史に記載されて無いとこでがんばってたんだよ
236無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 11:15:40
>このような人を結局あまり使わなかったのはどうかなって思っている

同じ投降系武闘派でも、徐晃とか張コウとかは、元々飼い犬であって、
主人が替われば普通に忠誠を期待できるけど、張繍は一時とはいえ
自らの力で割拠した群雄の一人なわけだから、危険度がダンチと言えるんでないかな。

正直、張繍に一軍を任せて派遣とかしたら、将と軍と州を同時に失うかも、とか
思えて怖くて重用できなかったとか。・・劉備でその類の失敗したし。
237無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 14:07:12
u
238無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 16:18:14
ヲイの持ってる三国志本見たら官渡では己吾と陳留の二ヵ所を歩騎5000
で守備した てなってるな<張繍
239無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 11:43:26
賈詡は占領した都市の太守を任されたような。
240無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:57:01
やはり3分以上語るのはなかなか至難の技だ・・・
241無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 13:01:50
張繍と共に苦難を乗り越えていくスレ、なんてあったら面白いかもな。
242無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 21:54:52
張繍「他人の城と義姉で酒池肉林かよ・・・」(AAry
243無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 06:22:27
>241
カクが居るかぎり、あまり苦難になりそうにないなぁ・・
カクは良策をホイホイ出すし。

張シュウ=のび太
カク=  ドラエモン
スウ氏= しずかちゃん
曹操=  ジャイアン
曹ヒ=  スネ夫
胡車児= 該当者無し
??=  出来杉君
244無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 16:54:47
官渡以後の袁一族退治には特に参加しなかったのかな?
曹操傘下でもう一度華を咲かしてるとしたら此のあたりだと思うのだが。
このスレ読んでる限りだとこのあたりのことは記述はなんも無いみたいだな。。。
245無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 17:46:31
張繍は飼い殺し、賈詡は占領地で内政
246無名武将@お腹せっぷく:2006/09/01(金) 12:02:49
三国志11のPKでエンのイベントが追加されたようだ・・
俺は買わないけど
247無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 14:24:12
中国でも張繍のフェードアウトを惜しむ意識はあるんでないか。
曹操に2戦2勝という燦然と輝く戦績なのに勿体ないという。
反三国志での扱いもそういった思いがなさしめたものでわなからうか
248無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 19:48:18
いちおー官渡後も戦功をたびたび上げて破キョー将軍まで昇格した・・・

てなってるから何かしたんだろ 詳細がないだけで

しかし字の記録も残ってないんだな この人

意図的か?
249無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 18:21:56
賈詡も嫌われてるしな。可哀想に。
250無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 18:37:45
ばかせがれの張泉も反乱に加担して失脚しちゃったんだよな

このあたりが原因かもしれん
251無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 12:36:32
>>250
とは言うが九品官人中正の草案が出来つつあった次期政権を眺めてれば
地盤なし、派閥なし、血縁なし、軍人出身、政権主席の兄殺しの息子
とこれだけ悪条件だと出世どころか生活さえ危ぶまれる
バカ倅とか言うのは酷でないか

まあ張繍の記録が少ないのは確実にこの叛乱への加担の所為だな
初期魏国内部で夏侯氏とほぼ同格の準皇族丁一族が立伝されてないのと同じような理由だ
252無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 14:10:22
>>251

賈詡が張泉を助けてやればよかったのにな。
まあ、賈詡がそんなことをする理由がないが。
253無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 14:14:41
>>251
けっこう同意
魏諷に加担した面子をみてくと頷ける部分が多いやね
254無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 06:04:45
とはいえ 張泉はナニか親父のような努力はしたのかな?とは思うな。

繍オヤジは(マンガの蒼天でもちょい触れたが)曹昂を殺してしまった負い目を
少しでも拭うために武人としてとにかく必死に武功を立てることに努力したよう
に思われるが。もちろん出世欲もあったろうが。
そして曹操もそれに応えるように繍オヤジを厚遇したように思う。

息子はそこらへんはどうだったのだろう。
何もしないでただオヤジの遺産と地位的な引継ぎだけで漠然と暮らし予防線も人脈
作りもしなかったとしたら充分ばかせがれだと思う。凡庸な二代目ちゅーか。
けつに火が点いてから反乱に参加したってことになるわけだからな。

このあたりの記録も何も残ってないのだろうか?
255無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 06:32:54
張繍の曹操幕下での心境はまさにそうだろうな。

>>252 あのカクのことだから助言どころか張泉と会うことさえ避けてそう
だねw 二人で密会とかした日にゃすぐチクるヤシとかいそうだし

256無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 16:08:27
>予防線も人脈作りもしなかったとしたら充分ばかせがれだと思う
こんなことしたら謀反の気配って事で誅殺される
257無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 12:39:45
ヨーロッパや日本だと、犬が腹を見せるような完全降伏=もう攻撃しないでね、
のジェスチャーとして、修道院入りますー、とか出家しまつ、という逃げ方があるけど
中国ではそういうのあったのかな。貨殖列伝の人とか、陶淵明みたいのには
そういう片鱗があるけど、もっと社会的に確立されたルートとしてさ。

張泉とか、プレイ能力が無くても抜ける事ができないって辛いな
258無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 13:28:50
>>257
隠居
259無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 20:36:32
劉禅を見習えばよい。
260無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 23:11:06
でも、劉禅は依然、安楽侯、という官人であり政治的立場のある人間だろ、
名目上だけとしても。
もっと完全に世間から抜けきる方法ってないのかな・・と。
八王の乱があっても関係ナッシングです、と言えるような。
261無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 00:46:58
即身仏オヌヌメ
262無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 06:18:24
相手が曹丕では何やっても虐められると思う
263無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 11:46:25
イジメ、いくない!
264無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 22:56:22
強いんだか弱いんだか良く分からんな
265無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 01:07:46
戦は上手い方だと思う。失点はないし。
266無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 01:57:33
独立を維持→官渡後、劉表の要請で逃げてきた劉備らを受け入れる→北伐中の
曹操の背後を共同で衝くor南下してきた曹操に共同で当る

なんてな事になったら面白そう
267無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 09:14:49
張シュウとカクのコンビが中国統一するIF小説が書かれたら凄いな。
相も変わらぬ孔明や曹操が主人公のものよりよっぽど意外感がある。
てことで、小説家志望の人、どうかね?
268無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 21:25:40
張泉は武人扱いだったの?それとも一応名士として扱われていたの?
269無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 00:17:55
武人ってほどのキャリアあったんかね?
なんか微妙な立場っぽいな
270無名武将@お腹せっぷく:2006/10/03(火) 21:03:40
この親子の次の大活躍の場はもはや覇ロードに期待するしかあるまい
271無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 12:04:25
でも、親子で揃い踏みとかしてたのかな
272無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 23:12:08
u
273無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 23:39:33
>>268
長楽衛尉って非常置の宮殿の衛尉(宮門の衛士を管轄)だったはず
だから叛乱を起こしやすいポジションだったといえるな。
274無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 00:04:21
へー、何でまたそんな職務の人が・・
275無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 00:26:22
叛乱理由はギフウの熱狂的支持者だったってことで事足りるだろうけど。
ギフウとしたら便利なヤツを配下に引きずりこめたって感じだっただろうな。
276無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 06:23:59
親父は一時とはいえ自立し、小なりとも鶏口となる気概があったのに
息子は他人様に心酔して尻馬に乗って刑死とゎ・・
277無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 15:54:58
>>276
親父の時代と張泉の時代は基本的に違う。
群雄割拠の様を呈していれば自立の機会もあっただろうが、
魏の治世が完成しつつあった時代に張泉が自立を志さなかったのは普通だろう。
むしろ堂々と許・ギョウで叛乱を企てた魏諷が非凡(もしくは無謀)だったのであって。

しかし、尻馬に乗ってでも叛乱に加わったのは見識としては正しかったと思うよ。
清流系名士が中央を占める魏にあって名士でもない張家が繁栄を目指すには
全く新しい政権に加わるほかなかったから。

魏諷の叛乱には漢代の名士の師弟が数多く加担していたが、
彼らが魏にあって座して没落を待たずに叛乱したのも同じような理由だろう。
決して魏諷の個人的な魅力に心酔した、という単純な経緯ではなかったはず。
278無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 15:31:04
張繍、賈詡以外に誰いたっけ
279無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 23:00:09
コシャジィ…
280無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 21:54:44
オレ宛勢力ラインアップ(IX):

張繍、賈詡、胡車児、張先、スゥ氏、後に張泉
281無名武将@お腹せっぷく
>>271 あの漫画ならやってくれそうな気も少しする<親子揃いぶみ