群雄の一人にもなかなか数えてもらえない甥っ子さんですが、
思えば美しき君臣の情あり、鬼謀による大金星あり、
三角関係痴情のもつれ風ありでなかなか楽しいエピソードに
なってます。この連中を3分以上語れる者は居るか?
2ゲ(ry
3 :
公孫3:2006/03/31(金) 10:32:18
公孫3が3ゲ(ry
4 :
公孫3:2006/03/31(金) 10:36:21
張繍・賈詡・胡車児のトリオは劉備3兄弟に勝てる
ってスレがあったな昔
曹操に『偽撃転殺』あらば、我に『虚誘掩殺』あり
だっけ?
京劇があるので宛城の話は中国では有名らしい。叔母さんの歌もあって。
曹操が負ける話はウケがいいだろうからな
ところで胡車児って名前はペルシア野郎って意味なの?
三国志9には張繍専用のショートシナリオがあるから、俺の中では神
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 11:29:13
そういや胡車児の胡って胡人の胡だな。
本名をそのまんま漢字で表記したとか、車をひく仕事をしていたからとか、色んな解釈があるな
当時の羌の文字って漢字じゃなかったっけ?
チベット文字が完成したのは7世紀って聞いてる
>11
当時の胡というのは羌のことなの?
トウタクの配下は、北方騎馬民族系とチベット系の二派があったと聞くけど
張済の手兵はどっち?
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 13:00:16
カクは役立つが……
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 14:21:13
当時の羌に字はなかったと思ったが
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 14:27:58
当時の胡といえば北方や西域のことで
胡人といえば匈奴、鮮卑、羌のことを刺すんじゃなかったけ?
胡=ペルシャになったのは、亡国して拝火教徒たちが中国に
逃れてきた唐の頃だったような気がする。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 16:37:38
反三国志ではやけにイイ役回りなのがワロタ
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 16:51:36
>>12 董卓のつれていた涼州兵て異民族集団だったの?
強いと言われるわけだ
>18
秘本三国志にはそう書いてあった。
で、呂布と董卓の確執の裏には、実は軍閥内の北方系と西方(羌)系の
両集団の対立があったとかなんとか・・
>>18 全部がそういうわけではない。
ただ、異民族の顔役と交流してよく懐柔していて、異民族の兵を軍に編入していたし
預かった漢民族の兵も韓遂・辺章の討伐の時に戦力を温存し、
皇甫嵩軍団への再編成の命を拒否して子飼いの軍団同然に仕立て上げている。
董卓の兵が強いのはこういうところからくるんだろうな。
こないだ読んだら、張繍って実は若い頃から勇名があった人なんだね。
叔父の七光り、というだけでもなくて。
反三国志では手勢の騎兵集団を率いて呉へ亡命するという場面があったと
思うけど、最後にどうなるんだっけ。あの本は前半は面白いんだけど、
後半であまりに魏の人々が哀れで誰かにあげちゃったんで調べられない・・
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 13:53:07
SWEET三国志の長州チックな張繍はガチ。
今連載してたら小力バージョンだったかも。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 18:33:41
>>18 遊牧騎馬民族って言われるほど強いのかねぇ
羌族なんて夏侯淵に何回も討伐されている
烏桓や鮮卑も公孫瓚に何回も追い払われているし
曹操に討伐されて二十万も降伏した、というし
曹操たちが強すぎただけか?
>>23 あの連中は集まると漢族なんかより圧倒的に強くなる。
逆に言うと普段は少数バラバラで生活してるから弱いわけで。
公孫サンも追い払ったとはいえ結局苦戦してたし(その横で劉虞が懐柔策で成功してたから劉虞殺したし)
袁紹に負けたのも異民族対策を誤ったって面もあるし。
>曹操に討伐されて二十万も降伏した、というし
これは詳しく知らない。青州黄巾といっしょで半懐柔じゃないのかなあ。
25 :
24:2006/03/32(土) 18:42:46
ああ、俺の知識は結構適当なんで詳しい人いたら訂正してくれ。
時代はズレるけど、漢族100人=蒙古族10人=満州族1人、
みたいな事を言われてたんでない? ちょっと極端な話だなとは思うが。
「金族は千に満たず、千に満つれば敵すべからず」みたいな諺?も
宋の頃あったそうで、周辺の剽悍な異民族の内部対立を煽って
なんとか支配するというのは伝統的な漢族王朝の統治テクだった感じ。
ところで、誰も張繍やカクや胡車児やスウ氏については興味ないんか
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 19:21:42
韓世忠や岳飛と言った抗金の名将とやらは
数に勝る金軍を何度も打ち破っているが
28 :
24:2006/03/32(土) 19:50:23
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 22:54:24
「満州八旗は万に満たず、万になれば敵すべからず」
「倭兵30人ですら女真1人に敵すべからず」
明末の誰が言ったか分からないが、女真族というのは
かなり恐れられていたようだ。
岳飛らの評価が高いのもそういう女真に、局地的にではあるものの
勝ったことがあるからだろう。
30 :
26:2006/04/02(日) 02:27:59
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 03:45:58
カクと陳宮どっちのが賢いの?
なんか最近、陳宮のが賢いと感じるんだが。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 04:09:31
無事之名馬
という事で、カクのが賢いでFA。
陳宮は武闘派だけどカクはなんか紙にさらさら書いて将軍に渡して
この通りやったら心配ないです、とか言ってあとは無表情で書見とかしてそう。
全編で余裕ぶちかましまくりのカクが上であろう
陳宮は頭は良いけど決断が遅い、とか郭嘉か荀ケかが言ってたな。
賈詡と孔明の激突があったら面白かっただろうな。
賈詡だったら、成都と前線の離間策、あるいは孔明と魏延の対立を煽る
などで内部をガタガタにさせ、戦う前に勝とうとしそうだし、孔明は
その裏をかき信頼できる少数精鋭で敢えて似合わぬ敵正面強襲をしたりして
虚虚実実の駆け引きハァハァ・・
その頃の賈詡はあまり戦いをしない方針だけど。
程イクのポジションと被るから困る
自称、10程イク=1徐庶なので、カクとは一桁違う気がする。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 11:06:44
徐庶は軍師というより政治家でしょ
徐庶は曹操に情報売っただけでしょ
41 :
Caesar ◆CaesarBk/Q :2006/04/03(月) 15:02:06
徐庶は記述が少なすぎる。
諸葛亮を劉備に推薦し、荊州が曹操になびいた時に石韜と共に曹操に降り、
右中郎将、御史中丞を歴任しているが、具体的な実績は明記されていない。
徐庶が曹操に降ったのは劉備が長阪で惨敗をした時に
母親を人質に取られたという事もあるかもしれないが、
やはり出身地が豫州穎川だったという事が大きいかもしれないな。
後の蜀で諸葛亮ら荊州閥が政治の中枢を担っていることを考えれば正解だったかもしれん。
記述は無いけど魏の臣とのつながりがあったりして。
母親を人質云々はでたらめで単に引き抜かれたとか。
43 :
張先:2006/04/04(火) 04:38:06
・・お・・お前ら・・あくまで宛の君主は無視する気なのかそうなんだな?!
張繍は役人時代に上司が麹勝に殺されたとき麹勝を暗殺して敵をとった
という武勇伝があるし
長安では賈クに「ここをでたほうがいい」と忠告したという話もあるし
なかなかの人物だと思うよ、行動力のある印象
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 06:17:13
カク≦周瑜
カク>呂蒙
カク<陸孫
な、感じで
郭嘉≧周瑜
郭嘉>呂蒙
郭嘉=陸孫
な感じで
陳宮≧周瑜
陳宮<呂蒙
陳宮>陸孫
これが俺の妄想
>4
【知力】
張繍<劉備 賈詡>∞>関羽 胡車児≧張飛(筋肉馬鹿時代)
【武力】
張繍>>劉備 賈詡<∞<関羽 胡車児<<<張飛
【政治】
張繍<<劉備 賈詡>>>>関羽 胡車児=張飛
番外
【色気】
雛氏>>>>孫婦人
張繍と劉備の比較はおかしいだろ。
劉備が頭良いとは思えん、てかカクの策で張飛が消えたらもうおわり。
でも三人組の頭なんだから比較せざるをえないじゃん。
それに劉備はけして馬鹿ではないしそれほど戦下手でもないと思うよ。
博望坂で夏侯淳、漢中で夏侯淵に勝っている。
(漢中では法正の策に従ったからともいえるが
策を実行するにしてもそれなりの能力がいると思う)
曹仁や陸遜のような有名どころが来てしまえば負けてしまうが。
大体劉備の統率力は中の上ぐらいだろうか。
コーエーの数値は70台後半だがあれぐらいだと思う
トロトロの未亡人雛氏vsピチピチのティーン孫尚香
のキャットファイトでハァハァ・・
知力を統率とするならそれこそ張繍のが上だろ。
政治だって根拠がない。
劉備 張繍
統率:75 統率:70
武力:70 武力:65
知力:65 知力:60
政治:70 政治:65
魅力:99 魅力:50
張繍の魅力はもう少し上でもいいんじゃない?
張繍の武力は劉備よりは上だろう。一応武闘派だし。
劉備の統率は80台でもいいと思うくらいだけど。
統率:
劉備>張繍
武力:
劉備<張繍
という感じでわ?
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 01:39:21
張繍、劉備共にコーエー評価が、珍しく妥当だと思う
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 02:01:34
仮にもカクが居たとはいえ曹操と渡り合った張繍が劉備より弱いわけがない。
宛の人々は団結心があるな。
@カクは中央権力保持者曹操の引抜を拒否
A胡車児は主君の暗殺を条件に恩賞を約束されたが拒否し反計を張繍と共謀(一説にだが)
B常識に反する計略(敗兵で敵を追う)を示唆されても張繍はあえて素直に従っている
C一族の女の恥は危険を冒しても必ずそそぐ
三国志世界では稀な美風といえる。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 02:10:54
統率:
劉備<張繍
武力:
劉備>張繍
>>56 逆じゃないかと思う
ついでに
知力:
劉備<張繍
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 02:15:24
>>41 徐庶の出身は豫州穎川だが、
諸葛亮と同じ襄陽サロンに属していただろ?
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 02:52:55
人情の張繍
非常の劉備
63 :
62:2006/04/05(水) 02:54:15
×非常
○非情
64 :
52:2006/04/05(水) 14:02:31
劉備 張繍
統率:73 統率:74
武力:79 武力:77
知力:65 知力:66
政治:70 政治:61
魅力:99 魅力:55
魅力以外は随分似た者同士だな・・
政治が若干違うのと特技で特色をだせば
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 21:14:28
68 :
62:2006/04/05(水) 22:18:57
>>67 義兄だった公孫瓚を死なせた袁紹の下に付き
なおかつ袁譚を茂才に推薦している
他にも、徐州から逃れる時に関羽をおいて逃げ出し
漢中の守りに張飛じゃなく、魏延を選んだり
諸葛亮には「劉禅が駄目だと思ったら君が皇帝に」と言っている
(似たような遺言が孫策と張昭の間にあるようだが)
劉備は人間関係はかなりドライなんじゃないかと思ったんだが
非情は言い過ぎたかな?
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 22:45:58
カク、張繍はよく曹操に下ろうと思ったものだ
それで正解だったわけだが
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 23:33:22
張繍は正解だったのだろうか‥
死に際を思うと‥何かなと言う気がする
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 23:47:58
劉備 張繍
統率:73 統率:78
武力:68 武力:75
知力:65 知力:68
政治:70 政治:67
魅力:99 魅力:69
こんぐらいじゃね?
なんか劉備が過小に評価されてる気が
特に統率
魅力は99もない気はするが、劉備の軍事能力を見誤ってる人がいる様にも
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 23:54:56
三国志の中で最強かつ最大の怪物は劉備
彼に足りなかったのは早くからの地盤と財力くらい
能力は間違いなくすべてトップクラスだぞ
荊州失陥と夷陵の敗戦はダメージが大きかったがね
陸遜が相手ではしょうがないか?
張繍,賈詡が曹操じゃなく袁紹に下っていたら
官渡の戦いの勝敗も変わっていたかな?
それとも、袁紹は賈詡の進言も無視して
やはり負けてしまうかな?
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 00:18:05
個人的に関張の武だけで切り抜けたって感じなんだが。
漫画ではな
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 00:25:53
若き日の劉備:策・武が炸裂
中年の劉備:人徳人徳人徳人徳もはや仏、しかし戦争はあんまり活躍してない
>76
劉表がしっかり張繍の支援+後詰をしてくれ、袁紹と連携しつつ
押し出してきたら曹操にとっては凄い圧迫だったんじゃないかな。
少なくとも、劉備の徐南第二戦線策よりは賈詡はよっぽどうまく
やったのでわ。でも、袁紹が負けたのは多分に運がある感じ。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 01:52:22
>>劉備の徐南第二戦線策
袁紹も新参者の劉備の策を採用したものだ
沮授や許攸はどう思ったんだろうか
厄介ばらいという感じだったかもな。成功すれば結構だし失敗しても無問題
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 02:25:57
袁紹もやって見る価値はあると思ったんだろう
失敗しても新参者がいなくなるだけだし
ところで沮授は官渡の戦いの時
持久戦案のほかに何か策を出していたっけ?
烏巣の防衛とかだったか?
でもこれも持久戦の進言に含まれるか?
張繍に宛あたりに再蟠踞されて許昌をうかがわれたら、ある意味
関羽の襄陽包囲時(というか先行だが)のような脅威に曹操にとっては
なったかもしれない。張繍の部曲が依然として北方異民族系だったなら長駆急襲も可能。
賈詡もそうさせなかったということは、決定的な決め手がないからかな。
兵は質は良いけど消耗していて数は脅威とはいえないし、
劉表も本腰をいれないから許昌はつけないと判断したんだろう。
>劉表も本腰をいれないから
これが大きいな
劉表も中央から来て豪族をまとめているから無理はできない訳だが。
胡車児は重い荷物を背負って日に700里駆けるというのがスゲェ。
一日千里というのは慣用表現という気もするがなぜに700里?
荷物が無ければ一体何里駆けるんだろうか
>>87 この頃の劉表は荊南で起こった張羨の反乱に釘付けで動けなかった。
じゃあ三国デカスロンは胡車児優勝で決定
七百里云々は演義ね。いちおうことわっとくけど。
胡車児: 一日700里。荷物付き
周倉: 徒立ちで赤兎馬の関羽に随伴歩兵可能。
勝負はこの二者に絞られている感じ
孔明がレース用一輪車で乱入
あれは一人じゃ動かせんだろ
五百斤の荷を背負いながら一日で七百里を歩くって
一体どんなシチュエーションでそんな状況になったんだ
胡車児は運送業でも営んでいたのかそれとも何かのバツゲームか
おまいら演義のネタにそんな細かい考証が必要なんですか?
呂布に貢物でも運んだんだろうか。
元は荷物運びだったところを
スカウトされたとか
>97
もともと董卓経由で張繍に仕えてたなら、北方異民族を追いかけて
転戦とかしてた頃じゃないかな。あえて推理してみれば。
むしろ、張済ごときがどうやってミス中国級を娶ったかが疑問だ。
娶った後で開発されてミスチャイナに進化したと推測
張済が三顧の礼で迎えたんだろうか
三十顧ぐらいはしたかもな
ストーカーじゃねえかw
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/21(金) 03:34:01
最終的に落ちれば誠意ということになる。
最後まで嫌われればストーカーになる。
・・実際には同じことしてるのに評価が天と地ほど違うのが哀しいところだな
一般的求愛行為とガチのストーカー行為は一緒にできんだろ・・・
張済ストーカー説は興味深いが
あんがい張済の方もイケメンだったかもしれんぞ
当時の女性の価値は容姿が重要かもしれなかいが男性の価値は顔じゃなかったと思うさ
足のサイズが小さかったんだろ
小足が魅力的とされて纏足が広まったのは唐代末期からだろう。
>>110が「纏足をほどこしていた」とも取れるからそう取ったんじゃまいか。
足のサイズが小さくすると、女性器の締まりが良くなる、という説が千年来
根強く囁かれているが、あれって根拠有るのかな?
特殊な歩き方を強いられて、股関節あたりの筋肉が最強に強化されることで結果的に
壮絶な締め付け力を得る、みたいな副作用ならあるのかも・・という気もするが。
足にばかり負担が掛かって脚力という面で強くなるか微妙な点だな、ポイントは
股関節という点で考えると働いてる人間のほうがよほど強くなりそうだが…
ま、実際には括約筋なんだが、筋肉同士は色んな連携をしてるから、
風が吹けば桶屋が儲かる的な不可思議な効果がある・・のかな、と。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/26(水) 17:26:49
なんだ?
ネタ系かと思ってたら良スレなのか。
>>94 周倉は900里の馬を背負って千里の馬赤兎馬に追いつくほどの力持ち。
一日900里の馬は実は羽のように軽い
実は反重力物質
すう氏の喉内はブラックホール。
凄い吸い出し力。まさに吸う氏
ageman
ちょうエロ雛氏
保守
誰か話題振ってくれや
賈詡には曹操と戦う意思はなかったんだろうか?
南北から攻撃をかければ国力の低い曹操は潰れると思うが。
その話はガイシュツだぞ
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 18:10:01
いつ出たっけ?
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 18:32:25
武闘派のイメージなんてあるか?
元々部曲が西涼異民族で武闘派の流れと言えようし、曹操と何度もガチンコ勝負して
負けてないという希な集団でわある
史実では劉表と組んで曹操と何度も敵対した故、疲弊して勢力伸長が
ならなかったが、曹操と和せず敵せずしつつ他方面に活路を見い
だすという可能性は無かったのかな。西の方へ逃げるとか。
三国志IXのやりすぎかw
馬騰あたりに雇ってもらえば曹操撃破も可能か?
劉備より一足先に益州をもらっちゃう
益州劉家にとりつくのか?
傭兵集団としての高名?を利用して、張魯に話を持ちかけ、
後方支援されつつ益州に基盤を作る。張魯には落としたあかつきには
益の半分を渡す、とかそんな感じで。もちろん約束は守らない。
渡す渡さないで押し問答してるうちに曹操が漢中方面に来たりして、
張魯も強く出られなくなる。その間に地盤を強化。
問題は益州を取れるかだな。山がちの地形では賈詡も戦いにくいだろう。
いや、起伏に富んだ地形こそ、戦術的小細工の宝庫だろ。
まぁカクは山がち、というのはあまり経験ないかもしれないけど
どこまで益州を切り取れるかだな。
劉障は兵が多く、土地の者だから山にも慣れている。
そう簡単に制圧できる相手ではないだろう。
そこで得意の調略、内部攪乱でつよ。
あるいは例の必殺美人局で呼び寄せて一気に・・
劉障が上司じゃ年中欲求不満かもな。
必殺仕事人みたいだな
元締め、死神、頭脳派、色仕掛け
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 17:55:45
age
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 07:19:07
美人局、最高!
張繍が袁紹を支持し、劉表の元に逃げることになった。
ここから妄想開始
張繍に劉備並みの不屈の魂があれば劉備の代わりに蜀の皇帝になってたかも知れぬな。
賈詡の意見も聞かず袁紹にも曹操にも従わない張繍。
こんなの張繍じゃねえ。
そしてカクに逃げられて一人で戦う事になる。
しかし地の利と勇猛果敢な配下達と曹操以下諸候を撃退する
配下達・・誰がいたっけ?
チョイ悪の胡車児と美人局だけでも凄い人材じゃないか。
・・でもカクが居なくなるとキツイな
息子の張泉。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 16:46:56
演義で張方と雷舒
片方は許チョに斬られた
さすがは董卓残党の李確残党の甥のことだけはあるな。
人材が・・
汝南の劉備と連携したらなーとか思うのだが、時系列的にそれはない?
袁紹を支持しつつ、曹操に潰されてなければありえる。
もっともその場合は曹操が袁紹と戦えたかは定かではないが。
上でも出てたけど、そこはかとなくイメージがカブってるから
劉備と仲良くしてたら面白かったな。
そんで劉備が身を寄せてきたら面白い事になるな。
胡車児どころじゃない武を持つ者が二人、もしくは三人来るって事だもんな。
劉備とカクのコンビがみてーw
>武を持つ者
なんか蒼天の影響でこういう人増えたよね
いちいち絡むお前のほうが傍目には鬱陶しいぞ
武を持つ者、間違っては無いが胡散臭いな。
胡車児スレに負けている件について
いろいろ頼み事をしてくる張繍に対しては曹昂の死について責めるくせに、
若い頃金を貸してくれなかったことを恨み、曹操の命を救ったこともある曹洪を殺そう殺そうとする曹丕クオリティ!
>いろいろ頼み事をしてくる張繍に対しては曹昂の死について責める
カクはおいといて、張繍としては投降という選択はどうだったんだろうな・・
息子も未来に反乱して死んじゃうし。とわいえ独力で意地を張ってたらもっと早く死んだ可能性が高いわけで・・
劉表を頼って逃げろ
張繍自殺説ってどのくらい信憑性あんの?
>166
未来が無いよ。劉備を防波堤として使い切れなかった劉表一党は
張繍も使い切れないだろうから、どのみち曹操に席巻されて終わりでわ?
>>169 207年の烏丸討伐の時、北上してたらどうかねえ?
劉備と張繍、関羽や張飛、軍師に賈詡。
孫権の動きも気になるし、劉表の寿命もあと1年余だけど。
>170
・・なんか割と行けそうなメンツですな。
張繍の軽騎で陽動させつつ劉張の本隊で押し出す。関羽は水軍と呉に備える、
とかそんな感じの妄想が・・
曹操が鳥丸征伐を中止して南下するのでは?
その頃なら漢室に連なる身の劉表と劉備が天子の密勅をかざし
簒奪を難じながら兵を挙げたら都周辺でも同調する動きがあったかもよ。
荊州豪族をまとめられないから劉表の兵力は当てにならない。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 21:15:08
やはり呂布との同盟であろう
>>169 防波堤としては使い切ってるんじゃないか?
夏侯惇退けたり、色々。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 02:49:13
繍来々!!
繍来々!!
>繍来々!!
・・なんか迫力に欠けるな・・w
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 21:55:56
漫画ではいっつも中年ヒゲオヤヂの繍さん
たまには二枚目の若武者に描いてやってくれい
あのころはむしろヒゲの方がデフォでないかな
何かの拍子で髭無し皆殺しが
再会されても困るしなあ。
コーエー三国志10で急に美形化したのはなんだったんだろな、アレ。
張繍+カクのコンビが意外に人気がある事が分かったからでね?
VIIとかでもダウソシナリオの目玉になってたし。
或いは腐女子向けカップリング化への布石か
蒼天航路で趙雲は張繍にひどいことしたよね(´・ω・`)
曹丕にイビり殺されるよりはマシな死に方だったんじゃないか
そこで騎兵集団ごと呉に逃亡、ですよ。
>>186 反三国志っすか
\でも採用してたね。呉軍に突撃されてビビッタ
むしろ涼州に帰ったらどうだろう?
弱小君主は髭オヤジじゃないと嫌だ!!
弱小言うな!
張繍軍団はそこらの弱小とはちょっと切れ味が違うぜ。
カクとかカクとかカクとか。
涼州で育てた騎兵があるではないか!
呂布に持ってかれちゃったんじゃないの?
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 18:06:24
良スレage
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 21:36:09
張繍軍2万?
曹操に負けなかったとは言え、反転攻勢に出て領土を奪ったとかいうわけでもないしな。
叔父さんから受け継いだ精兵は戦う度に減っていて質的にも劣化が激しかったかも。
でも叔父さんから若い叔母さんを貰ったから十分か
反転攻勢に出ようとすると曹操が早々に潰しに来る
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/24(月) 08:34:24
精兵の補充は大変だなな
物資はどうなんだろう?劉表から援助でも受けていたのかな?
>>195 領土を奪う戦略的意味が無かったんじゃまいか?
あの頃は天下の趨勢が曹操・袁紹の二勢力に向いていて、独自に天下を狙う事は不可能だった。
カクの頭にあったのは「どちらかに付き、有利な形で生き残る」というものだったと思う。
だから最初は袁紹の同盟勢力だった劉表に付いていたが、最終的には曹操に降る道を選んだ、と。
確かにそれが利口ではあるが、やはり曹操や劉備のようには英雄の器ではないなぁ・・
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/24(月) 22:27:56
あんまり野心家ってタイプじゃなかったのかもしれないね
張繍さんは
成り行きでケイ州に腰落ち着けちゃった感じだし
どうせ涼州に帰ったって万年食料不足&寒いし領地得られる
かわかんねーし そんなら暖かいコッチで劉表のヒモでも
やってっか なんて感じだったりして
戦は強いがね。将器・将才はあるが、王器まで求めるのは酷というもの。
いや、そう決め付けるのは早計かもしれん。
あの時点で独立を保っていても、正直生き残れたか分からない。
劉・孫が政権を築けたのはそれぞれ血縁・地縁があったからというもの。
涼州の一武将だった張繍が中原に進出しようと荊州に居続けようと、土地の名士層の支持を得られた訳が無い。
下手に動けば動いた先で潰される状況だったからこそ、賈詡は曹操への降伏を選んだ。
もし動いて何とかなるなら、彼はその道を選んだだろう。
馬一族のとこへ逃げていったらどうだろ。
曹操に二勝してるからそれなりに尊敬されたりして。
ただ、賈詡はあっちは嫌いみたいだから逐電するかも
>>204 馬一族って有力ではあったが、涼州の中で絶大な力持ってたわけじゃないよ。
あそこは関中十部といわれる土豪の寄り合い所帯で、
時には結び、時には争うという群雄割拠の様を呈していた。
涼州出身とはいえ、豪族でもない張繍一党が身を寄せたところで身内争いに巻き込まれただけじゃないかね。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/25(火) 23:11:02
カントで苦戦になった時はきっと二人とも
やっぱ帰順先間違ったなあ とか後悔したりしたのかなw
張繍は官渡の決戦では獅子奮迅の活躍だった て語られ
てること多いけど具体的にはどんな活躍ぶりだったのだろうか?
その後の曹操政権下では領邑2000つー優遇ぶりだったらしいが
苦境だからこそ帰順した、って感じだろうな。
寧ろ鶏口となるとも牛尾となるなかれってやつ。
領邑2000は武功よりも寝返りの功績を汲んでじゃないか?
寝返ってもそんなに厚遇されないヤシも居るからそうも言えないんでね?
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/26(水) 11:38:36
曹ヒにつまらんイヤミさえ言われなければいい人生だった
味方が少ない状況で寝返ってくれたからだろ。
賈詡もそれを見越して進言したはずだし。
曹操は基本的に軍閥の投降には寛大で手厚い処遇だから
そもそも曹ヒにいびり殺された、てのが単なる風説でないの?
普通に病死と考えても年齢的には問題はない
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/27(木) 15:40:14
乱の血は息子にも受け継がれていた
張繍「おばを曹操に寝ゲットされた!?いえ切れてないっスよ。俺を切れさせたら大したもんですよ。」
ワハハ燃えろ燃えろくそバカ曹操め!
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/03(木) 23:08:04
俺様はチャーシュー好きが高じて張繍も好きになった。
ダジャレをギャグだと思い込んでるのは古い日本人の悪い癖。
ダジャレは古今東西でジョークを構成する重要な一部なわけだが。
まぁ良いユーモアかどうかはアレだが
掛詞とかも手法は似てますな
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/05(土) 23:03:18
横山版のチョイ文官ぽい張繍が好き
中途半端に理性的なところが猛将イメージにならないところなんだろうな
大軍が来たら投降するような計算ができる。
叛する時も、策を使って成功可能性を高めておく。
いわゆる筋肉馬鹿でわないね
でも全部賈詡の手腕というイメージに
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/17(木) 18:35:02
献策を取り入れる柔軟性は評価できるんでねーの
呂布と違ってオノレをよく分かってるから軍師に素直に耳傾けたってか
他に頼れる者もいなかったてのもあると思うが
ちょっと劉備に似た面があるような希ガス そのへんのシタタカ君度は
そもそも賈クって張繍陣営じゃ無官ながら張繍より格上だし
カクのたま袋的イメージ
なんか、俺はちんこのおまけなんだと言われたって言うコピペ思い出したw
>>229 あれ変だよね。
よく考えたら立たせるのも、作り出すのも袋側の仕事のような。
実は凄いのに目立たない、孫権と似たような人物かな?
幾ら何でも孫権が目立たないということはない
劉備と曹操の英雄論でも一応名前だけは挙げられたんじゃなかったけ?
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 03:38:35
私は個人的にカクがあの追撃戦の時、
曹操が相手なら将軍が適わないが、曹操の部将なら誰であれ勝てるという評価は
相当高いと思う。しかもカクのような鋭い人の評だから信憑性が高い。
このような人を結局あまり使わなかったのはどうかなって思っている。
警戒心か、それともやはり多少恨みがあっただろうか。
夏侯惇みたいに正史に記載されて無いとこでがんばってたんだよ
>このような人を結局あまり使わなかったのはどうかなって思っている
同じ投降系武闘派でも、徐晃とか張コウとかは、元々飼い犬であって、
主人が替われば普通に忠誠を期待できるけど、張繍は一時とはいえ
自らの力で割拠した群雄の一人なわけだから、危険度がダンチと言えるんでないかな。
正直、張繍に一軍を任せて派遣とかしたら、将と軍と州を同時に失うかも、とか
思えて怖くて重用できなかったとか。・・劉備でその類の失敗したし。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 14:07:12
u
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/22(火) 16:18:14
ヲイの持ってる三国志本見たら官渡では己吾と陳留の二ヵ所を歩騎5000
で守備した てなってるな<張繍
賈詡は占領した都市の太守を任されたような。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:57:01
やはり3分以上語るのはなかなか至難の技だ・・・
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 13:01:50
張繍と共に苦難を乗り越えていくスレ、なんてあったら面白いかもな。
張繍「他人の城と義姉で酒池肉林かよ・・・」(AAry
>241
カクが居るかぎり、あまり苦難になりそうにないなぁ・・
カクは良策をホイホイ出すし。
張シュウ=のび太
カク= ドラエモン
スウ氏= しずかちゃん
曹操= ジャイアン
曹ヒ= スネ夫
胡車児= 該当者無し
??= 出来杉君
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 16:54:47
官渡以後の袁一族退治には特に参加しなかったのかな?
曹操傘下でもう一度華を咲かしてるとしたら此のあたりだと思うのだが。
このスレ読んでる限りだとこのあたりのことは記述はなんも無いみたいだな。。。
張繍は飼い殺し、賈詡は占領地で内政
三国志11のPKでエンのイベントが追加されたようだ・・
俺は買わないけど
中国でも張繍のフェードアウトを惜しむ意識はあるんでないか。
曹操に2戦2勝という燦然と輝く戦績なのに勿体ないという。
反三国志での扱いもそういった思いがなさしめたものでわなからうか
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 19:48:18
いちおー官渡後も戦功をたびたび上げて破キョー将軍まで昇格した・・・
てなってるから何かしたんだろ 詳細がないだけで
しかし字の記録も残ってないんだな この人
意図的か?
賈詡も嫌われてるしな。可哀想に。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 18:37:45
ばかせがれの張泉も反乱に加担して失脚しちゃったんだよな
このあたりが原因かもしれん
>>250 とは言うが九品官人中正の草案が出来つつあった次期政権を眺めてれば
地盤なし、派閥なし、血縁なし、軍人出身、政権主席の兄殺しの息子
とこれだけ悪条件だと出世どころか生活さえ危ぶまれる
バカ倅とか言うのは酷でないか
まあ張繍の記録が少ないのは確実にこの叛乱への加担の所為だな
初期魏国内部で夏侯氏とほぼ同格の準皇族丁一族が立伝されてないのと同じような理由だ
>>251 賈詡が張泉を助けてやればよかったのにな。
まあ、賈詡がそんなことをする理由がないが。
>>251 けっこう同意
魏諷に加担した面子をみてくと頷ける部分が多いやね
とはいえ 張泉はナニか親父のような努力はしたのかな?とは思うな。
繍オヤジは(マンガの蒼天でもちょい触れたが)曹昂を殺してしまった負い目を
少しでも拭うために武人としてとにかく必死に武功を立てることに努力したよう
に思われるが。もちろん出世欲もあったろうが。
そして曹操もそれに応えるように繍オヤジを厚遇したように思う。
息子はそこらへんはどうだったのだろう。
何もしないでただオヤジの遺産と地位的な引継ぎだけで漠然と暮らし予防線も人脈
作りもしなかったとしたら充分ばかせがれだと思う。凡庸な二代目ちゅーか。
けつに火が点いてから反乱に参加したってことになるわけだからな。
このあたりの記録も何も残ってないのだろうか?
張繍の曹操幕下での心境はまさにそうだろうな。
>>252 あのカクのことだから助言どころか張泉と会うことさえ避けてそう
だねw 二人で密会とかした日にゃすぐチクるヤシとかいそうだし
>予防線も人脈作りもしなかったとしたら充分ばかせがれだと思う
こんなことしたら謀反の気配って事で誅殺される
ヨーロッパや日本だと、犬が腹を見せるような完全降伏=もう攻撃しないでね、
のジェスチャーとして、修道院入りますー、とか出家しまつ、という逃げ方があるけど
中国ではそういうのあったのかな。貨殖列伝の人とか、陶淵明みたいのには
そういう片鱗があるけど、もっと社会的に確立されたルートとしてさ。
張泉とか、プレイ能力が無くても抜ける事ができないって辛いな
劉禅を見習えばよい。
でも、劉禅は依然、安楽侯、という官人であり政治的立場のある人間だろ、
名目上だけとしても。
もっと完全に世間から抜けきる方法ってないのかな・・と。
八王の乱があっても関係ナッシングです、と言えるような。
即身仏オヌヌメ
相手が曹丕では何やっても虐められると思う
イジメ、いくない!
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 22:56:22
強いんだか弱いんだか良く分からんな
戦は上手い方だと思う。失点はないし。
独立を維持→官渡後、劉表の要請で逃げてきた劉備らを受け入れる→北伐中の
曹操の背後を共同で衝くor南下してきた曹操に共同で当る
なんてな事になったら面白そう
張シュウとカクのコンビが中国統一するIF小説が書かれたら凄いな。
相も変わらぬ孔明や曹操が主人公のものよりよっぽど意外感がある。
てことで、小説家志望の人、どうかね?
張泉は武人扱いだったの?それとも一応名士として扱われていたの?
武人ってほどのキャリアあったんかね?
なんか微妙な立場っぽいな
この親子の次の大活躍の場はもはや覇ロードに期待するしかあるまい
でも、親子で揃い踏みとかしてたのかな
u
>>268 長楽衛尉って非常置の宮殿の衛尉(宮門の衛士を管轄)だったはず
だから叛乱を起こしやすいポジションだったといえるな。
へー、何でまたそんな職務の人が・・
叛乱理由はギフウの熱狂的支持者だったってことで事足りるだろうけど。
ギフウとしたら便利なヤツを配下に引きずりこめたって感じだっただろうな。
親父は一時とはいえ自立し、小なりとも鶏口となる気概があったのに
息子は他人様に心酔して尻馬に乗って刑死とゎ・・
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 15:54:58
>>276 親父の時代と張泉の時代は基本的に違う。
群雄割拠の様を呈していれば自立の機会もあっただろうが、
魏の治世が完成しつつあった時代に張泉が自立を志さなかったのは普通だろう。
むしろ堂々と許・ギョウで叛乱を企てた魏諷が非凡(もしくは無謀)だったのであって。
しかし、尻馬に乗ってでも叛乱に加わったのは見識としては正しかったと思うよ。
清流系名士が中央を占める魏にあって名士でもない張家が繁栄を目指すには
全く新しい政権に加わるほかなかったから。
魏諷の叛乱には漢代の名士の師弟が数多く加担していたが、
彼らが魏にあって座して没落を待たずに叛乱したのも同じような理由だろう。
決して魏諷の個人的な魅力に心酔した、という単純な経緯ではなかったはず。
張繍、賈詡以外に誰いたっけ
コシャジィ…
オレ宛勢力ラインアップ(IX):
張繍、賈詡、胡車児、張先、スゥ氏、後に張泉
281 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>271 あの漫画ならやってくれそうな気も少しする<親子揃いぶみ