享年(キョウネン)175?〜225 字は不明(五十という説もあり)
呉の学者、元の名は享徳である。
元々呉出身の学者であったが他人の享年を言い当てたことで有名になる。
そんな彼が初めて享年を言い当てた人物は孫策であったという。
郭嘉も予言していた為、軽率な点が目立つ孫策の享年は予測し易い、
という意見もあるが周瑜らの推挙で呉に仕官したとあるので才能があったと思われる。
そんな彼が享年を言い当てた主な人物は陳武、呂蒙、劉備、曹丕とある。
陳武の享年を知った享年は孫権に諌めるも陳武の勇を買っていた孫権は
「その様なことはあるまい」と言うが、実際に合肥にて戦死してしまった。
次に呂蒙の享年を言った際は孫権の逆鱗に触れ処罰を受けそうになるも張昭と諸葛瑾の諫言によって取り成された。
また劉備の享年を言い、実際にそうなった時は孫権は手を叩き喜んだと言う(注1)。
曹丕の享年を言うも曹丕が崩御する前年に死去、諡号は敬侯。
字は不明だが、原文に「彼ノ字五十ニ至ル」とある、しかし彼の進言は言葉数少なくそれを表したものともいわれる。
孫権は夢に享年が出てきた事で死期を悟ったという。
(注1)「手を叩き」の点は劉備の死を喜んだのではなく、享年の才能を絶賛した物と言われる。
名前は死んだ時の年齢を表す「享年」字はそのまんま「五十」です。