1 :
無名武将@お腹せっぷく:
コウチュウには矢で頭巾をやられ、
ホウトクには腕やられるし
こいつ矢で簡単に死ぬだろ
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 21:05:12
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 21:05:39
単語/用例の登録
___
/ \ ________
/ ∧ ∧ \ /
| ・ ・ | < 氏ねよ
>>1 | )●( | \________
\ ー ノ
\____/
ホウトクには頭を矢で撃たれてなかったっけ?
幾つ関羽、呂蒙スレ立てる気だYO!
三国志大戦のことを言ってるのか?
大戦の関羽は弱くない
ただ関羽を入れるとデッキが弱くなるだけだ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 20:45:36
関羽はすげー、まじですげー
並大抵のやつじゃ倒せない、矢なんて当てられない
ただ関羽が兵を率いるともれなく土地と兵の命が奪われる
強いけどこればかりはしかたない
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 21:27:54
曹操の所では顔良殺して手柄を立てるくせに
劉備の所では荊州を失い国に大打撃を与える関羽。
曹操の所では張遼や徐晃と友達になるくせに
劉備の所で傲慢な性格が災いし部下に裏切られる関羽。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 21:50:26
逆に弓で死なない人がいないか、聞きたい
額に矢を受けても死ななかった正史関羽
17 :
15:2006/02/08(水) 22:17:21
18 :
p6046-ipad313osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2006/02/08(水) 23:19:44
関羽最高杉
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 21:03:53
カンウあげ
きゃんうは魏にいたほうが幸せだったんじゃw
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 07:52:09
k
曹操「イッツトレードォォォォォ!!!!」
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/25(土) 19:12:29
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 19:02:11
よく考えたら五虎将で戦場絡みで死んだのってコイツだけなんだね
馬超も戦死していますが何か?
趙雲も戦死しておりますが何か?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 19:27:20
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 19:46:04
【ぶっちゃけ
>>1は弱いだろ】
曹豹には頭巾やられて
王忠には腕折られて
こいつ屁で簡単に死ぬだろ
馬超と趙雲って病死じゃなかったっけ?
有名どころの戦死者って関羽夏侯淵張コウ孫堅くらいか
典韋や太史慈も入るか
張遼ってどうなんだっけ?
バカヤロウ
人生なんて戦いそのものだろ
人生論と実際はちゃう
生まれた瞬間から一人人生という戦場で戦い続けるんだ
病死だ?事故死だ?
んなもんは関係ねぇ
一人戦場で死んで行く、それが漢ってもんだろ
どっかで聞いた
ホウ統とかは?不意打ちだから戦死者に数えられないのか?
馬良を忘れないで
ホウ統って不意打ちなのか?
>>35 典偉は張繍攻めの際、不意打ちにはまって戦死。
太史慈は合肥の戦いで全身に矢を受けて死亡。
張遼は丁奉の矢をくらって死亡。
>>42 一応流れ矢で死亡ってことだけど、まあ不意打ちってことにもなるか。
待ち伏せされてたんだし。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 23:15:54
張遼は実際は病死らしい
張合βも戦死だよね
戦死とは違うが諸葛亮は陣没
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 13:32:01
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 13:44:19
正史と演技をごっちゃにするやつがいるからなぁ
普通は演技前提で話すこと多いよな
てす
正史でも演義でも関羽は強いけどね
強さの質がちょっと違うけど
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 16:59:44
とりあえず関羽は頭が弱い
頭は弱くない
強くもないが
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 10:50:32
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 13:32:12
まあおまいらが関羽けなしたって結局関羽には勝てないわけで
論点ずれてる
死人に勝てるのは伍子胥くらい
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 17:16:14
アンチスレが立つのも関羽が絶大な人気を誇る証拠だな。
英雄が厨房に僻まれるのも世の常ってとこか?
呂蒙ウザス◆S4nDZYk.gIさん、今度はこっちに来たんですか?
あなたのヲタ役はつまらないですよ。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 19:26:27
関羽が弱いなら、華雄は最弱だな。
なんせ、関羽に一太刀で首を獲られたんだからな。
華雄は孫堅ぐ・・・げはっ!
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 23:48:42
その華雄に縮み上がって一騎打ちに名乗り出る事も出来なかった
夏候惇、淵は更に弱いってことか。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 04:46:14
別に関羽は弱くないだろ?
張飛、趙雲が強すぎるだけ。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 20:31:33
劉備に頼まれて話かけようとした顔良を容赦無く斬殺する卑怯な髭
それなんて弘治本?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/30(木) 19:14:50
>>66 宮本武蔵だってタイマンと言い張っておいて
弟子五人使って佐々木小次郎を殺したんだぞ
そのくらいアリ
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 18:13:59
371 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/04/04(火) 13:02:32
>>369 正史に関羽は三国志を1回バラバラにして時系列を直した挙句
さらに軍事常識によって考察しないと凄さがわからないように書かれている
蒼天スレでの書き込みなんだが誰か詳しい人いる?
正史だと関羽どうなの?
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 18:31:47
正史だと関羽は曹操に遷都を考えさせるほど脅威を与えた
漢中で劉備本隊が曹操本隊を撃破し、軍事バランスが崩れたのを中原に攻めあがることで最大限に生かそうとした
けど、曹操軍予備の徐晃と同盟破綻により後背をついた呂蒙により撃破された
南北朝時代(つまり演義とかの成立前)のショウマカとかの猛将が「関羽の再来」と賞賛された例もあるように、ネームバリューがあったことは確からしいが
正直、三国時代を代表するほど凄いとは…
結局敗死した上に劉備軍全体の戦略を破綻させたわけで
正直ただの信者の弁だな
確かに良く調べると、たぶん関羽が関与したであろう内乱など攻めるタイミングとしてかなりいいことはわかるが
結局、呂蒙の転任も陸遜の手紙も嘘で呉は虎視眈々と荊州を狙っており
関羽自身も呉と折り合いの悪くなるような外交しかしておらず兵を動かせば攻められて当然
曹仁を攻めるにはいいタイミングだが、兵を動かすには最悪のタイミングだった
どこの議論スレか忘れたけど魏の戦力配分のおかしさも指摘されていたな。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 21:20:48
関羽軍には後詰がいなかったしな
ただでさえ孤立気味(主力は平定間もない漢中に駐留中)なのに、内部分裂起こしてたら不測の事態に備えられるはずもないし
75 :
カンヌ:2006/04/04(火) 22:01:10
神様ですが何か?
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 01:04:39
関羽って最後のほうはすでに劉備からは独立した
感じに諸国からはとられてたんだよね。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 01:57:44
諸葛亮の意味ワカメ
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 04:07:55
関羽最高!!最強!!誰もかなわない。だって軍神さまだもん
商売の神様じゃなかったっけ?
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 20:54:48
日本でも毘沙門天は商売の神様だよな。
商売は平時の戦争という概念はかなり古いんだろうね。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 23:19:41
一応武神も兼ねてたはず
曹操が欲しがった関羽だ。凄いに決まってる
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/05(水) 23:34:07
武神
死者の無念を晴らす『老爺』
信義・理財の神
逆に金銭にとらわれない潔癖性から財神
算盤を開発したと伝説がある
霊験は災難予知死者蘇生を司り、無礼を許さない神
天界の南大門の守護神
タンキー(中国版イタコ?)に憑く神とされる
呪いでしか呂蒙を殺せないクズ
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 23:57:55
>>84 逆にスゴイと思うが。
というかどう見ても呂蒙は病死です。ほ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/08(土) 14:58:42
おそらく関羽戦で傷おってそれが原因で死んだんじゃない。呂蒙。
ここだけの話関羽配下の呂布は呂蒙の兄
まともな会戦も無いのに負傷するのはすごいな
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 11:33:50
いやおそらく結構な戦してるだろ。あの前後で呉の将軍死にすぎだし。
ヵ^/ぅ っょぃょ
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 19:59:42
タイミングよく病死が出たから迷信深い当時結び付けちゃっただけでしょ
具体的に戦死戦傷で無い限りはちょっと信じられん>結構な戦
そもそもまともな戦闘するだけの兵力は荊州に残ってないからな
頼みの士仁はあっさり降伏するし
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 23:01:33
>>92 関羽は一人で一万に匹敵するって言われた戦上手だぞ。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 23:13:51
>>94 用兵に長けた曹操だって敗戦はある。
甘寧と戦うのに利は無しとするなど
状況判断には優れていたと思うが、朱桓などと
同じで性格に問題があった。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 01:01:52
ていうか妄想の中だろ
呂布やカンウだって数十人の矢の雨すら受けきれない
弓道部15人で殺せる
中国はいろいろ妄想しすぎ。
どんな武勇に優れた奴も万の兵どころか50の兵にも勝てない
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 01:04:55
妄想っていっても恐れてるのは敵なわけで
やっぱ万人の敵と言われるぐらいの戦したんじゃないの?
普通はそうだ
でも普通じゃないから歴史に武勇が残るんだろう
敵中に単独で突っ込んでって大将一人斬って相手の軍の士気を崩壊させるなんて普通の人間にはできねぇ
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 04:39:17
あ、あの―
演義と正史の分別はちゃんとつけようね
>>1 確かに物語とか、ゲームでイメージされるほどには強くないだろう。
そういう風にいくと関羽は弱いのかもしれん。
ただ、お前よりは確実に、格段に強い。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 05:56:23
関羽は鉄アレイで殴られるとしんじゃう
>>101 ああ、その響きは・・・!!
あのスレどうなった?
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 06:12:50
青龍刀がどれだけ重いか知ってる人いるかな
>>99 正史でも単騎で敵陣乗り込んで敵将切ってるって書かれてるよ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 18:01:47
中国の歴史だろ?
南京大虐殺で日本人が4000万人殺したとか主張する国だからな
そんなレベルで疑い出したらキリがないぞ。
だいたい「書かれてるよ」ってお前実際見たのか?
神話とかと同じく神が人間を創った、ってレベルと同等の妄想もんだろ
常識で考えろよ
どんなに強い奴でもたった一騎で敵の大群に突っ込んで武将を討ち取れるか?
たとえその武将が現代の格闘技世界王者とかだったとしても
15人の矢で死ぬんだよ。それが現実。捏造に決まってる。
そりゃある程度強い奴はいたかもしれないが、
常に最前線で戦い続けて常に兵士を打ち取りまくって生存するなんて
呂布も関羽も張飛も全部捏造だろ
せいぜい後方で指揮してた同名のおぼっちゃんが作った捏造だろ
つーか単騎とは書かれてないだろ
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 19:45:01
>>108 おまいはこの板にこないほうがいいな。
今の世の中に「関帝廟」というものがあるのは知ってるかな?
関羽の武勇や威徳を祭ったものなんだけどさ。
捏造では片付けられない尊厳があるってことじゃないかな。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 19:47:17
>>111 その関帝廟ってそもそも日本にないし。
歴史改変キチガイ大国である中国にあるアホ像だろ
そんなの仏やゼウスの像やらと同じ
捏造ってことでおk?
113 :無名武将@お腹せっぷく :2006/04/10(月) 19:47:17
>>112 おまえもな(^ω^)
116 :
112:2006/04/10(月) 19:49:23
クソスレあげんな氏ね
横レス挟むが函館にも横浜にも関帝廟はあるよ
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 19:51:42
>>114 それは「中国に頼光を祭った神社はないから…」とかいうおかしな論法だぞw
だいたい中華街にはあるし
関羽信者ってオウムとかにひっかかりそうだ
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 19:52:56
中華街って・・・・ププププププギャーm9(^Д^)
>>122 自演乙ピュピュピュピュギャーm9(^Д^)
そんなくだらんもんを置いてる街なんて
基地街ってことでいいんじゃね
くだらんな関羽信者は低脳すぎて釣られすぎ
しかもsageを知らんし
関羽ってあれだろ?呂豪の策にハマって簡単にアボーンした髭だろ?
5虎将の中で一番ミジメでださい死に方したよね
張飛のほうがマシだーよ
「関羽・張飛の二人は、一騎で万の敵に対する武勇があると賞賛され、一世を風靡する剛勇の持ち主であった。関羽は顔良を斬ることで曹操に恩返しを果たして去り、張飛は厳顔の義心に感じ入ってその縄目を解き、
両者並んで国士と呼ぶに相応しい気風を備えていた。しかし、関羽は剛毅が行き過ぎて傲慢であり、張飛は乱暴で部下に恩愛をかける配慮が無く、これらの短所が仇となって、あえなく最期を遂げる事となった。
世の理とは、こういうものなのだろう」(「関羽張飛皆称万人之敵、為世虎臣。羽報效曹公、飛義釈厳顔。並有国士之風。然羽剛而自矜、飛暴而無恩、以短敢敗。理数之常也」『蜀志・関羽伝』)
>>127 くだらん釣りにはくだらんレスしか返せないよ
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 19:57:19
>>123-
>>127 ちょww
おまww
ちょっと落ち着け!
幼児でも自演だって分かるぞ!
変なVIPPERが関羽を語ってそのうえ自演しててワロタ
安置関羽のフリした自演乙wwwww
単騎ってどこに書いてるんだ?
確かに関羽自身も乗り込んで顔良を討った記述なら知ってるが
単騎とかフィクションだろ
>>129 一万の兵に勝るのになんで関羽ちゃんは呂豪につかまっちゃったのぉ?^^
演義厨はどうせ関羽が華雄を討ち取ったとかあちこちで語ってんだろな
ププププププギャーm9(^Д^)
>>129 ふーん
簡単に言えば強かったけど自意識過剰で
最後には仲間に見捨てられてアボンか
カスに相応しいね
関羽は顔良の麾蓋を眺め見て、馬に鞭打って敵勢一万のただなかで顔良を刺し、その首を斬って引き返したが、
袁紹軍の諸将のうちでも敵対できる者はなかった。かくて白馬の包囲は解けた。曹公はすぐさま上表して関羽を漢寿亭侯に封じた
(蜀書六・関羽伝日本語訳)
>両者並んで国士と呼ぶに相応しい気風
徐晃「関羽ぬっころしたら褒美やるぞ〜」
関羽「兄貴、マジっすか?」
徐晃「ハァ?こいつなに公私混同してるの」
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 20:02:16
sageろって言ってた本人が自演まで凝らしてageまくってるな・・・
>>138 一万の真っ只中に数万の兵士と一緒に突っ込んだ、の記述が抜けてるよ
呂布も捕まったらあっさり殺された
所詮人間は人間…
まあ普通に考えて捏造大国の中国の英雄だもんな
南京大虐殺は実際40万人の死者なのに4000万死んだことになってるようだから
関羽は万の兵じゃなく100の兵に匹敵したんだろね
それでもすごいが。
まぁ、数万は釣りとしても単騎とはどこにも書いてないわな
先鋒として派遣されたんだし部下連れてないなんてありえん
関羽って一万の兵に匹敵しないじゃん
捕まって殺されてる時点で既に違うじゃん
ばかじゃねーの?
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 20:05:25
>>142 それでも神として祭られたのが関羽なんだけどね。
一時期は道教の最高神にまで格が上がったほどなんだがね。
関羽は雑魚でいいんじゃね
>>146 関羽一人の失敗で国の半分がなくなってんだから
兵5万くらいには匹敵するぞ
>>134 関羽は、顔良の旗印と車蓋を望見すると、馬に鞭うって馳せつけ大軍の真っただ中で顔良を刺し、その首を斬り取って帰って来た。
袁紹の諸将のうちで相手になれる者はおらず、かくて白馬の包囲は解かれたのである。
この描写を見ると、単騎のようにも見える。
演義の関羽は超人だけど
正史の関羽は強いけど普通に欠点もある等身大って感じだね
ところで関羽が神扱いされたのっていつから?
>>149 んじゃあ劉禅が降伏したせいで蜀全部なくなってんだから
40万の兵に匹敵する劉禅最強だね
>>147 ただの武将を神の位まで崇める中国(笑)
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 20:09:57
>>151 明の時代までは怨霊神と恐れられた程度。
この時代から一気に人気が開花して上級神として祭られたそうな。
>>153 まぁ、関羽の時には半分になって、南蛮ちょっと齧ったから
6万くらいだな劉禅は
>>154 それはどこの国でも同じでは?
日本だって坂上田村麻呂はじめ、いろんな武将が武神として祀られてるぞ
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 20:11:41
>>154 関帝の信仰心はアジア一帯に置いては仏教をも上回る。
歴史の妙味に興味がないなら早くどっかにいってくれ。
関羽は仏教でも信仰されてるよ
関羽信仰が広まったのは、関羽の出身地とされる河東商人が全国や海外に広まっていったのに伴ってという説がある
算盤まで発明したことになっているからね
つまり関羽の偉人イメージの大部分が虚像
↑プギャーm9(^Д^)
程c・郭嘉みたいな曹操の参謀が「関羽と張飛は兵万人に匹敵」と評したのって実は関羽が顔良を斬る前
つまり正史に載らない武功がそれまでにあったんじゃないのかね?
時系列が合わない
158 :無名武将@お腹せっぷく :2006/04/10(月) 20:11:41
>>154 関帝の信仰心はアジア一帯に置いては仏教をも上回る。
歴史の妙味に興味がないなら早くどっかにいってくれ。
159 :無名武将@お腹せっぷく :2006/04/10(月) 20:15:02
関羽は仏教でも信仰されてるよ
関羽信仰が広まったのは、関羽の出身地とされる河東商人が全国や海外に広まっていったのに伴ってという説がある
俺の親仏教やってんだけど関羽なんか一字も出てこないんだけど
『関帝菩薩』まんまもしくは『伽藍菩薩』は関羽のこと
関羽が敵に評価される猛将だったのはわかるけど
欠点とか失敗も知れてるから、神としてスゲー扱いなのはやっぱり違和感があるかな…
関羽は閻魔大王
『仏祖統紀』によると隋の代の天台智が関羽を仏法に帰依させて伽藍神にした、とある
ここまでくると妄想チックでやりすぎ
>>162 程cのは後、郭嘉のは裴注
武功があったとしても関張の立場と歴史に残らなかった事を考えると大した武功ではないと思われる
>>171 関張伝ではなくて先主伝を読めばいい。
たくさんの戦歴が出てるから。
関張の立場を考えればその殆どに参戦していただろう。
その中で得た名声であると考えられる。
その当時の劉備が部下まで評価されるような功績をあげる立場にいたとは考えにくいが
>>173 先主伝を読むといい。
賊討伐の他、袁紹・曹操・袁術・呂布ら、怱々たる面々と小勢ながらよく戦っている。
名声を得るには充分な戦歴。
名声を得るだけで神扱いなら
戦国時代に何人神様が生まれたんだ?
やっぱり受けた恩を返してから去ったっていう話が中国人好みだったとか?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 21:22:25
>>135 全盛期は万人の兵に匹敵しても、
58歳ならせいぜい10人くらいじゃねーの
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 21:41:46
関羽の身長が二メートルあったと言うのは演義の話?
>>174 黄巾賊討伐や袁紹戦はスウ靖・カン丘毅・公孫サンの元での一部隊長としての働き。
部隊長なんだから小勢は小勢、嘘ではないが意味合い(というか印象)が違う。
劉備が部隊長として何れも功績を残したのは間違いない。が、
そのさらに下の関羽・張飛が(周囲に知れ渡るような)巨大な武功をこの時期に立てたとみるのは俺も難しいと思う。
戦いの内容の精査も必要だが、いかんせん記述が少なすぎて具体的な働きがわからない。
公孫サンの時も先主伝を見ると「度々功績を挙げた」とあるが、武帝紀を読むと劉備は打ち破られていたり、
典略によれば賊と戦い負傷、死んだフリをして戦後に助けられるなど、
先主伝では「○○で戦った。活躍した」としか書いてないが、他伝を読むと実際は負けたりもする。
敗戦が書いてない部分もある。さらに徐州を手に入れた時など、常に少数だったわけでもない。
相手側の曹操・袁術・呂布にもその時の状況があり、劉備相手にに全軍を派遣してるわけでもない。
多くの戦歴がある、の一言じゃ片付かないのが劉備の戦歴。当たり前だが一戦一戦状況が違う。
…って劉備の話しになっちまった。三人とも経験の豊富さだけはガチ。これは否定できない。
>>179 劉備が部隊長として功績を残したなら、
その側近の武勇が目立っても全くおかしくはないと思うけどね。
むしろ、先陣に立って戦うという意味の武勇なら、
当然部隊全体の指揮を取っていただろう劉備よりも、
はるかに関羽・張飛の方が目立ったでしょう。
やはり、関羽・張飛の武勇に対する高い評価はその頃のことが根拠なのでは?
まあ、それは用兵という点に関する評価ではないということになるだろうけど。
要は水戸黄門みたいなものだろ
今の時代ならあんなの作り話だとすぐに解るが
江戸時代に水戸黄門なんて劇とかやったら
助さん最強伝説とかうまれても不思議じゃない
日本の場合、邪馬台国の場所すら諸説紛々なのに
関羽のばあい実在の武将なのは間違いない
それでいいじゃん
つーか関帝様が青龍刀とか持ってる時点で
後世の誇張、そんなの解ってる
でもそれでいいじゃん
結局、弱くはないが、
ゲームやマンガみたいに馬鹿強くもないってことでしょう。
>>180 例えば楽進とかが部隊長として活躍したからって、楽進よりもそのさらに部下が楽進以上の名声を得るなんて考え難いと思うんだよな。
関羽を捕まえたのは潘璋の部下の馬忠だが、関羽の退路を断ったとして出世するのは潘璋(と朱然)だし、
他国の人間からしたら「関羽を討ったのは孫権軍の呂蒙」止まりだろう。
馬忠は関羽を捕まえる大手柄で辛うじて名前を歴史に残せたレベル。
それ以外のことは一切残ってない。
>>183 楽進がその後州牧とかにでもなれば話は違ってくると思いますが。
>>183 だよな
実際どんなに強くても義経の家人の弁慶や三郎なんて
名前が残る訳ないよなー
…あれ?
そいつらが義経以上の名声や評判を得てるわけでもなく、そもそも義経は部隊長で終わったわけじゃない。
それとも義経の槍働き時代に、義経以上にその部下の武名が鳴り響いたというような180の状況があったのだろうか?
俺は詳しくないので良く知らないが。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 23:56:32
那須与一(神業を見せる)とか、畠山重忠(武勇と教養兼ね備えて武士の鑑とされる)みたいなケースとか?
実は常に全裸で戦ってたとか
>>186 だからさ、後に仮にも皇帝にまでなった人物の配下なんだよ。
>>183 馬忠なんかは単にそれ以上に功績を重ねられなかっただけの話でしょう、
関羽・張飛は共に別部司馬として任じられ、劉備の護衛をしたり、
劉備と親密な関係だったり、単なる部隊長として捉える事に問題があり、
張飛は曹豹と共に下ヒの守備に就いたり、関羽は下ヒの太守をやったりしている。
だから劉備が呂布に敗れる以前には両者共に劉備の片腕と言える位置にいた訳で、
そういう立場になるに相応しい功績を立てて、そういう立場になった事になる。
>>189 後の皇帝になった頃の関羽や張飛なら、先ほどの例えでいえば呂蒙に該当するような位置づけだろうに。
なにも「関羽は生涯部隊長のさらに側近止まりで歴史に名を残せない」みたいな趣旨の議論じゃないことはわかってるよね?
「スウ靖・カン丘毅・公孫サンなどの元で一部隊長としての働いている頃の劉備」の、
「そのさらに下の関羽・張飛が(周囲に知れ渡るような)巨大な武功をこの時期に立てたとみるのは難しい」という話し。
>>190 劉備の部下の中で上位の功績があった、あるいは側近だった。これはかなり高い確率を推測できる。
それが名声に繋がる十分な戦歴か?というのが
>>171以来の話題なわけで。
それ以前の劉備のいかなる戦いで、どんな功績を立てれば当時の関張が
>>180でいう
「劉備よりも、はるかに目立つ」状態になるんだろう?
その比較のための馬忠の例。「馬忠なんかは単にそれ以上に功績を重ねられなかっただけ」で、潘璋を越えられなかったのなら、
当時の劉備軍が「荊州の半分を支配する軍の総司令官を捕らえる」以上の大功を立て、
関羽・張飛共に実行したと見ているのですか?
決まってるだろ。花雄をk(ry
関羽で遷都考えたってのは正史に残ってるんでしょ。
雑魚な分けないジャン。
>>191 劉備の得ていた名声を考えれば、>それが名声に繋がる十分な戦歴か?
なんて問いの答えは簡単だろ、つまりは十分だったと。
まあ劉備よりはるかに目立つ、というのはやや疑問があるけど、
こと関・張の武勇に関しての評判は上だったのは間違い無い。
だから馬忠は単なる1発屋だからね>荊州の半分を支配する軍の総司令官を捕らえる
という功績で名前が史書に載っただけのでもめっけもん、
それ以前に呂蒙配下の一人の潘璋と、その潘璋配下の一人に過ぎない馬忠とでは、
当時の関羽の立場と比較してもかなり下位だし、183で君が言ってるように、
作戦の末端に過ぎない馬忠の功績は言うほど大したもんじゃない。
正史の伝以外の記録はどうなの?
つっても民間伝承なんかは当てにならんからなぁ…
>>194 「劉備が名声を得ていたから」、十分だったというのが簡単にわかるというのもわからない理屈なんですが。
まず潘璋も名声を得ていたし、馬忠が一発屋というのも推測でしかなく、
「その間の活躍が史書に残ってないから、その間は活躍はない」と断ずるのならば関羽・張飛にも当てはまってしまう。
当時の関羽と比較して「かなり下位」とのことだが、潘璋は呂蒙の配下ではなく将軍職を持つ一人の将軍。
潘璋配下の司馬であった馬忠と比較するならともかく、どうして潘璋がスウ靖らの元に居た当時の関張と比べて下位とされるのか。
俺は勉強不足で当時の劉備軍の状況を良く知らないんだが、関羽(とその主劉備)がそれだけの地位いたことはどの書物のどこから
類推されたのだろうか?俺の未熟な知識だと馬忠と比べて差し支えない程度に思えるが。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 13:36:15
「劉備には英名があり、関羽・張飛はいずれも1万の兵に匹敵する者(万人之敵)である」(魏志程c伝)
「諸葛亮が統治の明るさでもって宰相を務め、関羽・張飛が三軍に冠たる勇ましさでもって将帥を務めておりますから、手を着けられなくなります」(魏志劉曄伝)
「劉備には梟雄の相があるうえ、関羽・張飛といった熊虎の将がおり、久しく屈従して他人のために働いたりはきっといたしますまい」(呉志周瑜伝)
晋書・南史・宋(南北朝のほう)史などでも当時評判を得た勇将を関羽や張飛に喩えている
正史の功績記述量とのギャップが大きいな…
劉備は当時漢中王で、関羽は前将軍・仮節(軍事全権委任者)
曹操の元に居たときには、朝廷から直接官位を貰ってるからその関係もあって有名だったのかもね
趙雲みたいに別伝でも立ってればわかりやすいんだけどね
局地戦的な功績はあんまり正史の伝じゃ書かないっぽいし
>>196 劉備が名声を得ていたという事は、
劉備がこなしてきた戦歴は名声を得るに十分な戦歴だったという事、
それは同時に劉備の武の両翼だった関・張が名声を得るに十分だったという事になる。
馬忠は関羽を捕らえたという手柄でしかなく、後に出世したり名声を得たりした関・張とは違う、
馬忠が一発屋でないとするなら根拠を示して欲しい。
荊州制圧軍の総大将は呂蒙、その呂蒙に従ってる潘璋は当然に呂蒙の配下。
あと俺はスウ靖らの元に居た当時とは限定していない、関・張の名前が現れるのは
曹操に劉備が下った時期からで、平原の相として千単位、また徐州を手に入れた劉備は
万単位の兵を率いており、その劉備の両翼として親愛を受けた事は関羽伝に書いており、
下ヒの太守として要所を任された関羽の立場は馬忠よりかなり上、
また劉備軍NO2と関羽の立場は、呂蒙に付けられた将軍達の一人でしかない潘璋よりも
立場は上だろうね。
辺境の局地戦で伝の大半が構成されてる奴もいるので、やはり正史に残り辛いというよりは
劉備軍の前半生を共に戦い抜いたなかで、その活躍を書物にまとめて残すような人物がいなかった、
あるいはいたけど失われてしまったんじゃないか?それでなくても蜀書は薄すぎる。
>>200 「俺は限定していない」って…「俺は流れや相手のレスなんて読んでいません」という宣言ですか?
191にレス付けてるのに191内の「スウ靖・カン丘毅・公孫サンなどの元で一部隊長としての働いている頃の劉備」も気付いてない?
>>202 そもそもは174が書いた、賊討伐の他、袁紹・曹操・袁術・呂布ら、という戦歴に、
179が勝手にスウ靖・カン丘毅・公孫サンの元で、と限定しただけだろ。
既に書いたが、関張の名前が現れるのが劉備が曹操の下へいた時から、
という前提を無視して、恣意的に身分の低い時だけを見てるから、
限定していないと書いたまでだけど、俺は190でもそういう前提で書いてるし。
というかちゃんと内容を理解してるか?
恣意的に低いとこだけ見てるというより、「ここからここまでではなかっただろう」と付けたらそこに言及してきたから
そこについて話を180、183と進めた。
「劉備が部隊長として功績を残したなら、その側近の武勇が目立っても全くおかしくはない」
について、部隊長時代に部隊長のまたその下の側近が部隊長を上回ることはないだろう、に対して
部隊長時代に限定しない事柄ではそもそも183に対する反論にならないだろう。
話しが全くかみ合っていない。
ここまで喧嘩腰に話を進めておいてあれだが、「関張の名前が現れるのが劉備が曹操の下へいた時から」
という解釈をしているなら、それほど意見の相違なでないかもしれない。
それはともかく「ちゃんと内容を理解してるか?」とのことだが
「関張の名前が現れるのが劉備が曹操の下へいた時から、」という前提があるそうだが、
活躍時期について言及したのはせいぜい162・171の「顔良を斬る前なのか後なのか」ぐらいしか見当たらない。
一体どこでその前提ができたんですか?
「曹公の厚恩は有難いが死を誓い合った劉将軍を裏切ることはできぬ。必ず手柄を立てて曹公に恩返ししたうえで立ち去りたい」
と宣言して実行したからじゃないの?
欠点は多いけど武勇の士で義に厚く忠臣
186はなんだか弁慶や伊勢の三郎も知らないみたいだし
もうこれ以上語る事もないんじゃね?
義経四天王ってやつかね
あとは既出の那須・畠山とか。敦盛で有名な熊谷直実とか
弁慶や伊勢の三郎を語るスレじゃないだろうにw終わってもかまわないスレではあるが。
俺もその2人「義経英雄伝」での知識ぐらいしか知らないな…
頼光四天王っていうのもいるな
渡辺綱(わたなべのつな)
坂田金時(さかたのきんとき)
卜部季武(うらべのすえたけ)
碓井貞光(うすいのさだみつ)
時系列無視の理論なんか並べれれてもな
>>208 俺も弁慶の史実は知らないが
幼い頃、絵本の牛若丸を読んで
なんでべんけいはとてもつよいひとなの?
こどもにまけたんでしょ?
などと親に聞いて困らせたそうな…
つーか天狗最強じゃね?
>>191 そもそも「巨大な武功をこの時期に立てた」かどうかと言う話ではないのでは?
元々は正史とかに目立った具体的戦功がないのに、
程c・郭嘉みたいな曹操の参謀が関羽張飛を高く評価しているのはなぜか?
という話だったはず。
で、それについて劉備が部隊長クラスで活躍している時期に、
一般にはあまり意識されないが、
わかるものにはわかるような功績を立てていたということではないだろうかと。
つまり、その時期に誰にでもわかるような巨大な武功を立てたわけではないが、
程c・郭嘉のような者には認められるような実績を挙げていたのではないだろうか?
という話だと思うが。
別に功績なんぞ立てて無くても「百里の才」だの「乱世の姦雄」だの言われるけどな。
曹操とか呂蒙とかがけっこう関羽は恐ろしい
みたいな発言してるんじゃなかったけ?
もう呂蒙の時期になると顔良の件など有名になってるずいぶん後だから当たり前
程c・郭嘉の話とはぜんぜん違う
都の武芸大会で優勝したとか
型部門で優勝しただけのジェットリーが何時の間にか実戦部門で優勝した、みたいに言われているようなものかもw
>>213 当時の関張の立場で虚名を得るのは、実際の働きで名声を得るよりも難しいと思うぞ。
曹操のように中央の権力者の子息だったり、ホウ統のように高名な先生の弟子で知識人層に名前が知られた存在でなければ。
そもそも、曹操のは人物鑑定の結果であって名声とは違うし、ホウ統のは実際に司馬徽の門下で見せた才覚によるものだから裏付けはある。
>>217 人物鑑定の結果、評価された人間は名声を得る。これをうけてようやく名士社会にデビューできた人間も多い。
関張の「武名」とは全く別物の気がしないでもないが。
関張の場合は許チョの勇壮さを見て樊カイに例えて取り立てたとか、そっち系だよね。
一目見て「こいつはヤベェ」みたいな武将だったんだろ。
なんか0か100の議論になっつないか?
関張が劉備に付き従って数々の戦いに参戦してたのは事実なんだし、
>>212みたいな感じだろ。
見た目の威圧感で加味された部分もあるだろうし。
気になったので指摘させてもらうが
程cの評価は劉備と孫権が手を組んだ後の話
関羽は顔良斬ってるし張飛は長坂で活躍してる
郭嘉の評価は傅子から引かれたもの
同じ場面で裴松之は魏書からも注を引いてるが
その二つの注で郭嘉の主張が対立しているため
どちらかの注は誤りであることも考慮すべき
ていうか人物鑑定ってどれくらいの確率で当たってたんだろうか?
水郷先生だかは諸葛亮と[广龍]統以外人材は発掘できなかったのかね。
白馬での関羽も長坂での張飛も、敵の将兵が恐れて近付かなかったというような描写がある。
これはつまり、袁紹軍や曹操軍の間に「関羽張飛は恐ろしく強い」ということが知れ渡っていたということだろう。
いくら見た目が恐いからといって、よくわからない奴相手にビビって誰も近付けないというのは、いくら何でも不自然。
>>221 デビュー前の箔付けみたいなもんだから、権力者や金持ちの縁者なら誰でも良く言ってもらえるよ。
>>222 白馬の関羽は「先鋒として敵陣に突入して顔良を斬った。袁紹軍の中で敵うものなく、包囲は解かれた」
…これを見る限り「事前に知れ渡っていた」と思わせる箇所は見当たらないが、他伝にはあるの?
張飛の方も俺は相手がヒョードルとわかってても近づかないが、
巨漢のマッチョマンが目を怒らせて「ぶっ殺す!!」とかわめきながらバット振り回していても近づきません。
なので俺的には違和感を感じない。↑に突っ込める奴はヒョードルにも突っ込めるよ多分。
>>224 おいおい、戦場でマッチョマンが暴れてるからって近付かないんじゃ話にならないだろ。
お前に例えてどうする。そりゃ平時にわざわざヤバイ奴に近付く馬鹿はいないだろ。
>>223 その辺も人によりけりだと思うが、権力者の縁者ならわざわざ鑑定を受けんでも既に「家名」という名声を受けていたり
人脈があったりと始めから社交界入りしてる状態なのであんまりお世話にならない傾向があると思う。
人物鑑定の恩恵を受けるのは、なんらかの問題で社交界入り出来なかった・出遅れた人達
(宦官関係等の汚名があるとか・金があっても家柄が低いとか・そもそも金も家柄もないとか)が積極的に評価を受けようとしてた。
著名な人物鑑定家も、こういった一般に評価され難い層の中から活躍する人物を送り出すことで特に「見識が高い」との評判を得る。
また、権力中枢部から離れたところにも地域ごとに「グループ」みたいのがあって(あると思われて)
同郷の士(同グループ出身者)を引き立ててグループ全体を活性化させよう、みたいな動きも。
>>225 その理屈でいけば「強い」との噂が広まっていても誰かが近付か付いてくれないと戦にならない。
(まぁ事実戦になってないわけだが)
どっちにしろ張飛伝の記述を疑わないなら、
張飛は「やべーアレに近づいたら間違いなく殺されるよ」みたいな雰囲気をビンビンに出していたわけで、
「そんなことありえねーべ」というなら記述の信憑性を疑うか、
「ありえねーと思われることを実現したから歴史に名を刻めたんだろう」と思うかですよ。
>>227 だから、強いって噂が広まってたから近付かなかったんだろ。
劉備の息の根を止めるために無理して追い討ちをかけた曹操軍の最精鋭部隊が、よくわからないただ見た目が恐いだけの男を恐れて近付かなかったのじゃ話にならない。
兵1万に敵するってすげー表現だろ、冷静に考えたら
やっぱりビビるほど凄いオーラ放ってたとか
実績とオーラが合わさってだろ
その比重はそれぞれのお好きに
ここであえて電波飛ばして
劉備が自分の名声を高めるために巧妙に関・張を宣伝したと言ってみる
敵陣に突っ込んでいって大将を討ち果たし、他の諸将が全く手を出せなかった
まさに兵1万に匹敵する武勇だったわけだが
でもやったの一度切りでしょ、それでも凄いけどまぐれだったんじゃ…
まぐれで一度だけ強くなるのか
漫画みたいだな
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 19:56:28
まぐれじゃないのなら、例えば曹仁の首取るとかやってるだろw
あ〜あ、変なのが来たな
まともな流れもここで終了
>>228 曹操軍の最精鋭部隊は実物にはビビらないけど噂にはビビるわけだ。
最精鋭部隊とかがどこから出てきた表現か知らんが、そっちも全然お話しにならないな。
「強いよ」と流言流せば誰も近づかないのかと。
>>236 噂を聞いててその実物を見たからビビったんだろ。別に見た目が関係ないとは言ってないが。
恐れて近付かなかったくらいだから、実績に裏打ちされた噂だったんだろ。
虎豹騎って最精鋭部隊じゃなかったか?
呂布と闘ったってのは正史でもあるの?
呂布とは戦ってるけど一騎打ちはしてないよ
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 20:37:14
張飛の場合は、橋の上というのがポイントだろ
道が狭いから一騎打ちになる
そうなると数に任せて攻められない
多分喜んでそういうのに応じそうな武将はいなくて
あるいは勝ち戦で生きて手柄を立てたいのに、なんかヤバそうな奴と一騎打ちなんて危ない橋わたりたかねー、と思う勝ち戦の心理だったとか
兵一万なんてくらいだから、実績+オーラでFA
まぁ、ここの1は伊藤美咲をブスっていったりする不細工女とかわらん
レベルだよな。
>>1 ホウ徳が放った矢が額に当たったという記述がある
しかし死んでいない
頭に鉄棒やナイフ刺さっても生きてた人はいる
路上で暴漢に頭をナイフで刺されてたのに気づかずに家まで帰ったなんて話もある
打ち所が良ければ誰でも死なない
関羽といえば、骨まで達した鏃を体削って取り出す手術受ける間も平然と飲み食いしてたとかいう話があったな
演義だと碁を打ちながら手術させたんだっけか?
正史では宴会の最中。
肘の肉を切って血がボタボタ流れてる光景見せられながら、肉を食ったり酒を飲んだりする凄まじい宴会。
酒飲んだら出血止まらなくなるんじゃないの?
肘の血が流れて皿いっぱいになったが、関羽は酒を飲み続けながら談笑していたらしい
わかった。人間じゃなかったんだよきっと。
そのまま流し続けたら出血死間違いなしだろうから、実際は止血なり縫合なりしたんだろうけど。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 23:07:19
蒼天航路読めば一発で関羽ファンになるよ。
253 :
いかりや長介:2006/04/15(土) 04:33:23
諸葛亮ファンは読まない方が良いと思いまふ。
文長ファンはどうでしょう?
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 23:44:17
楽進の方が弱いと思う。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 10:48:00
三国志で最強の武将は顔良
理由は顔良の一騎討ちデータを調べれば解る
関羽に斬られたのは劉備が自軍にいることを教えようとして話しかけようとしたら斬られた
三国志マガジンか。
大将自ら伝令役やるわけねーだろw
だいたいそれだと行きはなんとか説明できるけど帰りはどーすんだ
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 18:55:34
確かに。将軍二人が前面にでて「ほなサイナラ」ってわけにもいかんな。
顔良って親父面だったり不細工顔にされてること多いよな
顔良って名前は本名ではなくてあまりにも美形だからついたあだ名だって説もあるのに
「ぼく、きれいながんりょう」
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 19:28:51
何回も戦して怪我をしない方がおかしい。
/././,,-,,_
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'''---,,i.|/ ''--,, .'--, ヽ
_,--'',.イ .\ .--,, .ヽ
./,,ィ / .i , \ ` -,,_ `ヽ_
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././ \ ,, - .ヽ - >~
ノ/ /ノ .ノ ,,--''
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.\__ _ ノ .ノノ イヽ
` 7 ヽ // / ノ ノ 人
) >> ./ !
【佐倉広夢】
「んもう・・・
>>1さんまた駄スレ?駄スレ控えめにね」
「
>>2さん、2日間だけ僕の恋人になって」
「
>>3さん、デートしよ、ね!いいでしょ。デート、デート♪」
「
>>4さん、あま〜いアイスクリーム食べに行こ♪」
「
>>5さん、やっぱり女の子がいいの?男の子の僕は嫌いなの?」
顔良しは天地を喰らう2RPGでは格好良かった
全ての打撃が会心だし、インパクト充分
文醜も「糞強ぇ入れ墨野郎」ともとれる
俺は徒名説好き
紀霊 : くたばれ張飛!
関羽 : ちょ、張飛!?バカかおまえは、オレは張飛ではないわっ!!
バキッ
紀霊 : おーイテ!よくもやりたがったな張飛!!
関羽 : またまた、オレは張飛ではないといったろうが!
紀霊 : じゃ、じゃ、てめえはだれだ!?
関羽 : 関羽だ!姓は関、名は羽、字を雲長という、どうだまいったか
紀霊 : 関羽・・・知ってるか?
雑兵1 : 聞いたこともねえ!
雑兵2 : ウンコなら知ってらあ
>>264 俺はナゾのぶしょうの恐ろしさで全部吹っ飛んだw
関羽は最強、陸遜が汚いだけ。
最強かもしれないけど馬鹿なのでしょうがない。
汚いって
智謀だろ智謀
腕力で押さえ込めば汚くない、とでも?w
文醜は最強、曹操が汚いだけ
兀突骨は最強、諸葛亮が汚いだけ
なかなか応用が利くな
于禁は最強、関羽が汚いだけ
あなたは正直者です。
きれいな関羽をあげましょう。
ああ・・・髭がきれいさっぱり・・・
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 20:54:56
権
呂蒙よ
貴方が落としたのは漢中ですか?それとも白帝ですか?
それとも荊南ですか?
呂
荊南です
権
貴方は正直者です
綺麗な関羽をあげましょう
呂
荊南クレよ
関羽いればおk
雲長よ
貴方が落としたのは荊北ですか?
それとも荊南ですか?
それとも命ですか?
雲長「すべてです」
樊城は落とせなかったので完璧にはあたらないが、上手いな。
278 :
メソ:
モキュー
モキュシュダーン
ハヨセナ