あとは好きなように・・・議論をどうぞ。
徳川家康は司馬仲達って感じがする
劉備の耳、家康の耳・・・
肖像画を見ると、両人とも「福耳」の特徴があるような・・・
劉備と家康をどう関連付けて議論するの?
正史の劉備は家康に似てると思う。
羅貫中+湖南文山+吉川英治は劉備を美化!
山岡荘八は家康を美化!
他に隆慶一郎、新田次郎、司馬遼太郎もある意味、家康を美化!
(実際に小説を持ってて、何遍も読んだ結論)
北宋の司馬光も劉備を美化した一人!
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 19:15:38
経歴詐称
両人とも氏素性不明!
劉備に比べたら家康の美化のされ方はかわいいもん
劉備は漢の皇族系と偽称!
家康は新田一門と偽称!!
三河武士の先祖が山賊だとの説もある。
初代の信光がその首領だったとか・・・
劉備の本当の先祖は誰なんだろう?
もしかして先輩の公孫瓉と同じ・・・ケース・・・??
憶測で叩くのは不毛
両人の二世の「守成型」の意味を前提として…
親父の劉備が国力を充実せず乱世のままで逝って、跡を継いだ劉禅。
不安定だらけの国を治めるの精一杯で、暗君のレッテルを貼られた。
諸葛亮・李福・蔣琬・費禕・董允などの有能な家臣が相次いで逝ったために、
一気に国力が傾いてしまい、滅亡する悲劇を招いた。
一方、徳川家の基盤を固めて、天下泰平の世を築いて逝った
親父の家康の跡を継いだ秀忠。
家臣にも土井利勝・酒井忠世・青山忠俊・安藤重信などの
有力な家臣がいて、やり易い政治で名君の名を残した。
劉禅は姜維を粛清できず、最後の漢の滅亡を早めた。
一方、秀忠は不平分子の本多正純を改易にして、さらに国の基盤を固めた。
・・・こんな感じかな?
「へうげ」家康と「センゴク」家康…
どちらが劉備に似てるんだろう?
一説によると劉備の養子の劉封は長沙の劉氏(劉必?)の族子で、
本姓は羅侯のケ氏だというらしい。
後漢の元勲のケ禹は高密侯に封じられたが、彼の庶子の内、羅侯に
封じられた者がいたそうだ。劉封はその末裔?
…となると寇姓は誤り?
俗説では、劉備が呂布に追われた時に厄介になり、妻の肉を差し出した
主人の劉安の息子が劉封だという。後に養子に迎えたとか…
どれが本当かはわからんが…
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 15:43:12
>>20 「ギャンブラー徳川家康」ってあるもんな。
また、へうげの家康が見たい。
今週の「へうげ」家康は登場しなかった…
今度は二週間後だろうか??
明日のモーニングには・・・
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 06:46:44
http://plaza.rakuten.co.jp/aiaifudousann/diary/200602100000/ 慶応3年11月15日、33歳の誕生日の日、龍馬は刺客に襲われ、凶刃に斃れた。
百数十年を経た今日、未だにその真相は分からない。
暗殺の真相が不明なため、その下手人や黒幕については様々な説がある。
下手人については、新撰組や京都見廻組が有力視されてきたが確証はない。
黒幕については、公儀つまり幕府説、薩摩藩や長州藩の武力倒幕派説、
伊呂波丸事件の紀州藩説、身内の土佐藩説などイロイロだが、どれも定かではない。
本書では、長崎・出島を本拠地とした武器商人グラバーを黒幕としている。
薩長同盟を後押しし、倒幕戦争を煽り、莫大な商機を目前にしたグラバーにとって、
無血革命を唱導し始めた龍馬は抹殺すべき存在だったという。
そしてそのグラバーの背後には、ユダヤ資本のロスチャイルドが・・・。
中国のアヘン戦争でしこたま儲けた次は、日本の内乱戦争だったというのだが・・。
『龍馬暗殺―捜査報告書』 小林久三、光風社文庫。
どうでもいいが、へうげの家康が見たい。
今週は家康が出てない・・・
明日こそは・・・
そして時は過ぎ去って行く
明日はへうげが載るな。
とにかく家康が見たい。