1 :
無名武将@お腹せっぷく:
関ヶ原の合戦で上杉景勝は西軍に与した。
その時、重臣達が一同に背後から家康を
挟撃するチャンスだと進言した。
しかし景勝は「それは亡き謙信公の望むような戦いではない
もし謙信公が生きていたなら、絶対にそのような卑怯な事はせず
正々堂々と真正面から戦いを挑んだに違いない」と言い放ち
これらの進言を退け、近隣の最上を攻撃したのだった。
しかし、本当に軍神あるいは合戦の天才と言われた謙信が
こんな挟撃のチャンスをわざわざ逃しただろうか・・・??
これについてみんなで議論していきましょう。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 20:11:03
景勝は最上領が欲しかったってだけだろ
家臣を納得させるための方便に謙信の名前を出しただけ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 20:15:19
景勝は臆病風が吹いたんだろう。
その最上に予想外に手こずり、上山で大敗まで喫して
いるのだから世話がない。
謙信が謙信厨の言う通りの聖人ならしないだろ。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 21:09:25
謙信なら普通に挟撃しただろう。
天下分け目の決戦になるのが目に見えてるのに
ただでさえ、野戦での「決戦主義」にこだわる謙信がこんなチャンスを
逃すはずが無い!!
単に景勝はビビってただけだと思うな。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 21:53:57
謙信は奇襲の天才ですよ!
川中島は武田のキツツキ作戦を察知、霧の中信玄本隊を急襲
手取川では織田軍を夜半奇襲
天才戦術家の謙信が馬鹿正直に野戦正面激突にこだわってる訳ない 以上
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:07:53
謙信なら最上方面は優秀な部下に守らせ
自分は江戸城を落としに動くよきっと
直江とか?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:39:01
>>7 間違いない!関東官領の謙信がもっともほしかった関東だしな
何度も10万規模の兵で氏康に襲い掛かったし
しかし窮地まで追い込まれたとはいえよくしのぎ切ったよな さすが北条氏康
まぁ小田原城と信玄の援軍なきゃ滅ばされたかもしれんが
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:51:31
優秀な将がいないのでわ?
まぁ運だけで生き延びた男だし、
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 00:02:25
謙信の戦略目標=仇敵の首
この場合は、家康の首
よって、間違いなく家康に襲いかかる
俺の予想では、蒲生氏郷でも襲いかかってた。景勝はへたれ。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 01:54:45
だよなぁ・・・・どう考えても景勝は単に謙信の性格を口実に
して臆病風を隠したとしか思えない・・・。
家康率いる東軍の主力部隊とぶつかるのが怖かったんだろうなぁ。
直江兼続でさえ、挟撃を強く進言したというのに・・・一体何を考えてんだか・・・・。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 06:07:49
そもそも、会津120万石に、上杉謙信がいたら、家康は
会津征伐を考えたかどうか、という問題もある。
確かに上杉謙信と戦うのは、気が重いな…
謙信は無能だからあっという間に滅ぼされるよ
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 15:36:15
>>15 ほぉ・・・無能な謙信が信玄相手に5度も川中島で互角以上のの駆け引きと
合戦をしたのにか?
しかし家康はその信玄に互角の勝負どころかボコボコに
されたんだったよなぁ??
しかも逃げる時にウンコ漏らしたんだぞwww
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 15:59:33
>>16 じゃあ謙信と家康が戦ってボコボコにされたら・・・・・・
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 17:04:42
てか、やっぱ現実にも相性はあるんだろうな。
個人的に、信玄は謀略計略みたいだけど、謙信は猪突猛進(+天運)って感じじゃん。
謙信は運良く信玄からの謀略から逃れたかんがあるじゃん。
兵数が大きく負けていて、それなりな謀略家には勝てないだろ。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 17:14:47
謙信なんて所詮童貞なクズ野郎だから卑怯な戦法だろうがなんだろうがするだろ
景勝はただびびってただけのアホ、運だけで生き延びただけの奴
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 17:19:10
謙信は童貞
謙信はホモ
謙信は無能
謙信はクズ
やれやれ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 17:38:34
勝てば官軍な戦ではなく、漢としての戦がしたかったんじゃねーのか。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 18:14:46
>>18 イメージと違って実際の謙信は外交調略を駆使する人だよ。
将軍家のご機嫌取ったり、関東管領と仲良くして職を譲り受けたり、関東攻めや能登攻めでも調略を使っている。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 18:34:23
せせこましい卑怯者ってわけだ
所詮童貞ホモニート
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 19:32:56
謙信批判厨が沢山いるいんたーねっつはここでつね
結局、北条氏政に関東から追い出された人か
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 23:18:59
結局、大した成果上げてないくせに歴史改ざんで後の世、軍神と恐れられてたことになっちゃった生涯童貞アル中の人か
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 23:27:09
現代に謙信が転生したらサンドイッチも口にしませんよ
栃尾刈谷田川の戦い ○謙信軍 対 ●反乱軍
謙信の初陣。病弱な兄、晴景に変わって出陣した。
実戦経験の無い謙信だったが、油断していた敵を畳掛け、初陣とは思えない華々しい勝利を飾った。
これによって家中の期待が高まり、上杉家は謙信が継ぐ事になった。
北条征伐 ○上杉軍 8万人 対 ●北条軍 9万
関東管領として、北条を征伐した戦。 関東豪族のほとんどが上杉謙信の側についた。
北条軍は撃破されまくり、殺されまくりで小田原城に追い詰められる
北条軍は小田原城落城寸前まで追いやられるものの信玄が助けに入ったため助かる。
関東管領としてはじめての戦であった。
川中島の戦い ○上杉軍1万3千 対 ●武田軍2万
歴戦の武田軍も毘沙門天の化身上杉謙信には勝てるわけがなかった
啄木鳥戦法も軍事の天才謙信には見破られ、武田軍は山本晴幸や弟ら重臣を失う。
車がかりの陣で武田軍は追い詰められ、死者四千六百三十人、負傷者七千五百人を出す大被害を追った。
謙信は単騎特攻して信玄と一騎打ちするなど大活躍を見せた。
唐沢山城救援戦 ○上杉軍13 対 ●北条軍3万
上杉側の関東の豪族、佐野昌綱を救援するため、北条の大軍の中を数騎で特攻。
謙信の威勢に恐れをなした北条軍は怯えて近づく事が出来なかった。
手取川の戦い ○上杉軍2万 対 ●織田軍4万8千
最大勢力の織田も軍神上杉謙信の前では赤子同然だった。
能登畠山を軽々と滅ぼし、謙信に怯え逃げる織田軍を追撃。
織田軍は二千人近くの死傷者を出して、大敗する。
信長自身、近習ら数十騎とともに命からがら美濃へ逃げ帰ったという。
もし謙信が寿命で死んでいなかったら信長は滅んでいただろう。
松川の戦い ○上杉軍2千 対 ●伊達軍4万
この20倍にも及ぶ戦力差を本庄繁長の巧みな戦術で克服し、奇跡的な大勝利を得ている
伊達軍は大量の死傷者を出して大敗、撤退する
この戦いを捏造と言う伊達厨がいるが、もちろん負け惜しみから来る妄想なので注意が必要である。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 18:05:03
>>30 謙信スゲェーーーッ!!
そりゃ生涯無敗と言われる理由が分かるな。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 18:08:21
うそをうそと(りゃく
木崎原の戦い ○義弘軍2百 対 ●伊東軍3千
島津のお家芸、釣り野伏で見事勝利。 義弘、槍の達人柚木丹波を一騎打ちで討ち取る。 この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。
耳川の戦い ○島津軍2万 対 ●大友軍4万5千
九州の覇者を賭けた戦い。 義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。 こんな大規模な野戦をガチでやって大友軍の死者2万人、 重臣多数戦死という一方的な大勝利を収めている。
稀な大勝利、武田信玄 対 上杉謙信の川中島合戦と比べるとその大勝利ぶりが際立っている。 以後、大友は衰退。
沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5千 対 ●龍造寺軍6万
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。 戸次川でも長宗我部信親・十河存保を討ち取るが、指揮官を討ち取るというのは野戦では珍しく、それを何度もやり遂げている島津家久は戦国一の戦上手といえよう。
戸次川の戦い ○家久軍1万 対 ●豊臣四国連合軍
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。 この戦いで長宗我部信親・十河存保戦死。 長宗我部元親、ショックで廃人になる。
泗川の戦い ○義弘軍7千 対 ●明・朝鮮軍20万
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、 朝鮮にいる将たちに帰国命令が下りる。 それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃し散々に打ち破った。 また自らも刀を振るって奮戦した。 明軍の死者は8万。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。 順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め、 朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。 秀吉は大名の領地加増を禁止してたが 島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。
関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●東軍8万
福島隊を突破、追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大阪城に残された妻を取り戻し、薩摩へ無事帰還。 家康は島津を恐れ、関ヶ原後も減封する事が出来なかった
うそをうそと(りゃく
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 22:21:51
>>33 ああ、分かった分かったww
島津は凄いよホント、でもないい加減スレ違いだスレタイ読め。
それとも島津厨は日本語も読めないのか?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 22:25:41
>>35 島津厨ってか南蛮厨
もなや夢の中で勇ましく戦う異民族ですよ
木崎原の戦い ○義弘軍2百 対 ●伊東軍3千
島津のお家芸、釣り野伏で見事勝利。 義弘、槍の達人柚木丹波を一騎打ちで討ち取る。 この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。
耳川の戦い ○島津軍2万 対 ●大友軍4万5千
九州の覇者を賭けた戦い。 義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。 こんな大規模な野戦をガチでやって大友軍の死者2万人、 重臣多数戦死という一方的な大勝利を収めている。
稀な大勝利、武田信玄 対 上杉謙信の川中島合戦と比べるとその大勝利ぶりが際立っている。 以後、大友は衰退。
沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5千 対 ●龍造寺軍6万
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。 戸次川でも長宗我部信親・十河存保を討ち取るが、指揮官を討ち取るというのは野戦では珍しく、それを何度もやり遂げている島津家久は戦国一の戦上手といえよう。
戸次川の戦い ○家久軍1万 対 ●豊臣四国連合軍
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。 この戦いで長宗我部信親・十河存保戦死。 長宗我部元親、ショックで廃人になる。
泗川の戦い ○義弘軍7千 対 ●明・朝鮮軍20万
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、 朝鮮にいる将たちに帰国命令が下りる。 それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃し散々に打ち破った。 また自らも刀を振るって奮戦した。 明軍の死者は8万。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。 順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め、 朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。 秀吉は大名の領地加増を禁止してたが 島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。
関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●東軍8万
福島隊を突破、追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大阪城に残された妻を取り戻し、薩摩へ無事帰還。 家康は島津を恐れ、関ヶ原後も減封する事が出来なかった
関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●東軍8万
福島隊を突破、追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大阪城に残された妻を取り戻し、薩摩へ無事帰還。 家康は島津を恐れ、関ヶ原後も減封する事が出来なかった
これって確か薩摩に帰る時、兵が減りすぎてて帰れなくて、
結局、立花宗茂の軍に守ってもらって帰ったんだよね。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 18:15:22
>>38 そうそう、確か宗茂の実父だった高橋紹運を岩屋城で義弘に殺されて
本来なら仇敵である義弘だが、宗茂は人間が出来た人だったので
仇を討つどころか、逆に義弘を守ってやったんだよな。
宗茂に感謝するんだな、島津厨ww
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 18:20:30
確かに仇だな。
「島津奔る」では仲良く帰途の船で
同船して親しく語り合ってるけど。
家臣に裏切られまくる上杉とは違って、領地はちゃんとしてたんだろうな<島津
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 19:09:51
伊集院
薩州島津
ゴミ大名、上杉の輝かしい戦歴
・信玄に大勝しながらも北信濃を取られるという前代未聞の神業
・10万の兵でも小田原城を落とせずw憂さ晴らしに強姦略奪三昧
・佐野昌綱の城を10度攻めたが、一度たりとも落とせず
・結局北条に関東のほとんどを奪われる
・神保、椎名ら越中の雑魚豪族に苦戦
・渡河退却中の織田を汚く追撃し、戦果を捏造
・御館の乱で衰退自滅、48にもなるのに跡取りを指名せず、領地の多くを失う
・家臣に反乱起こされまくり
・便所で糞尿にまみれながら昇天
・最上に庄内取られる
・伊達と最上にすら勝てず(後世で寡兵で勝ったと捏造)
・関ケ原の戦いを引き起こし、おまけに負け組へ
・幕末、薩摩の芋っぽに虐殺される