【大河ドラマ】「清流」に決定!【今川家主役】

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1清流
【次の大河ドラマ】「清流」に決定!【主役は今川家】
今川義元と氏真は過小評価されていると思いませんか?
これは今川義元と氏真を再評価するために
今川家を題材とした大河ドラマ「清流」を
三戦板のみんなで妄想するスレです。
2清流:2006/01/31(火) 13:29:20
【「清流」イントロダクション】
戦国時代に現れた三人の武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
戦乱を鎮めた彼らの名声は高く、しばしば三英傑と称される。
しかし、その三人の人生の軌跡に結び付き、若き日の彼らの
心の「師」であった人物の真実の姿は決して知られることは
なかった。

その名を今川義元。
戦国時代の名家今川家に生を享け、近隣大名との駆け引きの末に
今川、武田、北条の三国同盟を締結、「海道一の弓取り」とまで
呼ばれたほどの実力を背景に足利将軍を補佐して戦乱を鎮めるため
他にさきがけて上洛を志すが、桶狭間に倒れた悲劇の戦国大名。

偉大な武将、政治家、文化人であった義元は家康を武将として育て、
秀吉に武士の世界を知らしめ、信長に成長の試練を与えた師であった。
義元に接した三人はその薫陶を胸にそれぞれのやり方で今川の「清流」を
受け継ぎ、義元死後の天下泰平の実現を目指していく。

複雑なお家の事情に翻弄される幼少期。
「海道一の弓取り」と呼ばれる大大名としての活躍。
平和への「清き流れ」を作り出す義元の夢。
家康、秀吉、信長との邂逅。
氏真との親子関係の苦悩。
そして、運命の桶狭間。

戦国の世に義元は何を見たのか。
今川義元の真実が今明かされる。
大河ドラマ「清流」、どうぞご期待ください!
3無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 13:35:43
やや良と不可の親子なんぞつまらん
4無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 14:09:09
>>1-2
金よ、おまえの妄想飽きた
5無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 14:56:39
誰が立てようと板趣旨に沿っていればいいやん
まず今川義元を認知し直す必要があるがな
6無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 15:54:49
京かぶれの影響で薄化粧&お歯黒だった人?
7無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 17:56:00
武田信玄の今川義元で我慢してください
8清流:2006/01/31(火) 22:46:30
「勝ち組」だけを持ち上げる歴史なんて浅薄!
(もう大体やりつくしてるし・・・)
「勝てば官軍」なんてイマドキはやらないでしょ!
なんで山内一豊なんかが大河になって今川がなれないの!?
今川家って調べてみると結構すごいんだよ!
ホリエモンみたいなのが調子に乗る今の世に警鐘を鳴らすためにも
今川家大河ドラマ「清流」があるんですよ・・・なんてね。

9奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2006/01/31(火) 23:46:10
北条早雲とか上杉謙信、長曾我部元親あたりはまだやってないな。
今川とはまた目のつけどころが面白いとは思うが。
10妄想女キモイ:2006/02/01(水) 00:24:25
時代劇板にある気色悪い>明智光秀を大河に!スレの住人と
同じ雰囲気の主張と文体だな。

>>1
お前の馬鹿案を採用するまえに、
皆川博子の「戦国原野」という傑作がある。www知らないんだろ?
11清流:2006/02/01(水) 01:02:26
10様へ
残念ながら、今川家題材の大河を妄想する女性などいない、かと・・・。
この書き込みを読んで、体温が下がりました・・・。
それはともかく、戦国「幻」野の情報は感謝。

・・・気を取り直して次いってみよう!
12剥離 ◆plyspK9YWM :2006/02/01(水) 01:07:37
今川で一年持つのか・・・?
13無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 01:08:21
>>10
m9(^Д^)プギャー wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
14清流:2006/02/01(水) 01:15:35
>>12
もちろんです!
15無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 01:31:57
早雲や島津より先に、義元なんてやったら、俺は金輪際、受信料払わんぞ。
16無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 02:01:36
>>10
おまい、あのスレの338か?
叩かれたからって、こんなとこで吐き出すなよww
ここでも煽った挙げ句、脱字してやんの。カコワルイwwwwwwwwwwwwww
17清流:2006/02/01(水) 03:13:51
>>15
やりようによっては早雲や島津よりも面白い大河ができるかもしれませんよ!
18無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 03:30:01
>>2読んでも面白そうに見えない
19無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 04:08:06
変な時代や地方よりはお馴染みの名前が出てくるから数字にはなる。
まぁ晩年の話。
秀吉はチョイ役だな。
20清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:29:03
【主要登場人物】
◆今川義元:
戦国大名今川家当主。幼少期に仏門に入る修行するが、兄氏輝が死去した
ため、母寿桂尼と雪斎の要望と尽力で家督を継ぐ。戦乱の世に平和な世を
もたらす「創業の君主」となる夢を持ち、その実現に尽力する。口癖は
今川の「清き流れ」。
◆今川氏真:
義元の嫡男。剣術や蹴鞠などに秀で、元々武士にふさわしい高い身体能力を
持つが、義元からは良い国を築くことのできる「守成の名君」であることを
求められる。武将としての試練を受けつつ成長していく竹千代との差、
そして竹千代に向けられる義元の慈愛に疎外感を感じて苦しみ、苦悩しつつ
も義元の意向に沿うよう努力する。義元死後絶望的状況に陥った今川家を
存続させようと8年もの長きにわたって奮闘するがかなわず、今川家は
没落する。しかしその後も戦国時代を生き抜き、徳川幕府の確立までを
見届けた、いわば時代の生き証人。
◆松平竹千代(後の元信、徳川家康):
三河の大名松平広忠の嫡男。今川家の支援を得るために人質となる。
義元の暖かい庇護を受けて、雪斎の訓育の下今川家の藩屏となる武将と
して期待され成長していく。10年余りの駿府での生活を経て烏帽子親で
あり今川家一門としてくれた義元を「義父(ちち)」と慕うようになる。
義元死後、義元が作り出そうとした「清き流れ」を受け継ごうと志し、
今川の「川」を取って徳川家康と名乗り、幾多の困難の末、幕府を開く。
徳川将軍職を息子秀忠に譲った後義元と幼少時代を過ごした駿府に戻り、
そこで生涯を閉じる。
21清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:32:59
【主要登場人物続き】
◆太源崇孚雪斎:
今川家家臣出身の高僧。教養、見識、人格全てにおいて非の打ち所の
ない武将、文化人、教師でもある。義元が仏門に入った幼少期から全てに
わたって教育し、生涯最大の師となる。仏門をでることをためらう義元に
「この世に御仏の慈悲をもたらす『創業の君主』となれ」と説いて氏輝
死後の家督を義元に継がせ、自らも僧でありながらも軍師として軍事・
外交・内政全般にわたって活躍する。氏真・竹千代にとってもそれぞれ
の成長を導く師であり、二人を今川家の将来のために育て上げる。今川・
武田・北条三国同盟など義元の「創業」のお膳立てを一通り整えた後
惜しまれつつ亡くなる。
◆寿桂尼:
氏輝、義元の母。藤原家出身。戦国時代切っての良妻賢母。貴族の娘らしく
美しくて教養が深いだけでなく聡明でかつ胆力もあり、夫氏親に嫁いで
以来今川家の当主を補佐し続ける。氏親死後息子達が成長するまでみずから
政務をとったことさえある女戦国大名。義元の家督相続にも力を発揮し、
義元を支える大きな力となる。義元死後も氏真に助言し続け、今川滅亡の
危機を防ぎ抜く。今川家没落直前に「死しても今川の守護たらん」と言い
遺して亡くなる。
22清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:35:46
◆吉法師(織田信長):
尾張の大名織田信秀の嫡男。桶狭間で義元を倒した後天下布武を唱え、
覇天の君を目指した戦国の風雲児として余りにも有名だが、その偉業の
基は駿府に潜入した一週間にあった!家督を継ぐ前の最後の冒険の
つもりでわずかな伴と駿府に忍び込んだ信長は今川家臣に捕らえられて
義元の前に引き出され、絶体絶命の危機を迎える。しかし義元は、磨けば
光る原石のような信長の大成の素質を見抜いて敢えて一週間の滞在を許し、
未だ粗野な武力の信者でしかない信長に今川家の文化的洗練と見事な
領国経営を見せ付ける。信長にとって駿府でのこの一週間は生涯最大の
学問であり、信長の「うつけ」からの大変身と治政の手腕にはこの時の
経験が大きく貢献した。成長を約して去った後家督を継いだ信長は、
多くの困難を乗り越えた後、かつての「恩師」義元と運命の桶狭間で
対決することになる。
◆木下藤吉郎(後の豊臣秀吉):
百姓の身分と生活から解放されることを夢見て尾張中村の故郷を離れ、
放浪の末たどり着いた駿府の今川家の栄華を見て藤吉郎は武士になる
決意をする。藤吉郎は今川家臣松下家に小者として奉公して大いに励み、
主人松下嘉兵衛に士分にまで取り立てられ、ついには憧れの太守義元と
言葉を交わすに至る。義元は百姓から武士の身分を得た藤吉郎に興味を
抱く。百姓の出自の壁を乗り越えて出世した藤吉郎の未来は開けたかに
見えた。が、その出世ぶりに嫉妬する松下家中の同輩にあらぬ疑いを
かけられ続ける藤吉郎は、かばいきれなくなった嘉兵衛からついに暇を
言い渡され、泣く泣く今川家を後にする。しかし、藤吉郎は今川家での
経験と挫折から武士の心得、高家の教養、そして百姓の生まれである
自分が武家の世界で生き抜いていくための処世術について深く学び、
織田家に仕え天下人への道を切り開いてゆくのだった。
23清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:39:33
◆武田晴信(信玄):
甲斐の戦国大名。義元の盟友だが義元と同じく上洛を夢見るライバルでも
ある。義元と雪斎が背後の安全を確保して上洛を果たすために三国同盟
成立を働きかけていることを気づきつつも上杉謙信との戦いに忙しく、
心ならずも義元上洛を見送ることになる。義元死後上洛の野望を募らせて
今川家を敵視するようになってからは今川家最大最悪の敵となり、かつて
自ら追放した実父信虎や今川領内の国人を利用して今川家を滅ぼそうと
企み、挙句には今川との友好を望む嫡男義信さえ殺してしまう。最後には
徳川家と共謀して今川家を滅ぼしていとこである氏真の領土を奪うが、
上洛の夢は果たせず中途に倒れ、皮肉にも武田家は子の勝頼の代で今川家
同様滅びてしまう。
24清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:42:07
◆その他の登場人物
朝比奈泰朝
関口親永
玄広恵探
福島正成
今川氏輝
今川彦五郎
織田信秀
木下小一郎
瀬名
五徳
...ほかにどんな人がいますか?情報提供希望。
25清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:46:35
【各話タイトル一覧】
【第一部義元飛翔編】
初めて見た光
出家の運命
京の五山へ
今川仮名目録
父の死

母はお館
兄達の死
花倉の乱
尾張の虎(田原城の戦い)
安祥城攻略戦
26清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:48:32
三河の小倅
小豆坂の戦い
うつけ迷い鳥
国主の器とは
逃げよ信長

三国同盟
さらば、師よ
流れ猿
百姓侍
夢破れたり
27清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:49:51
烏帽子親
わが義父義元(元信初陣)
母子再会
守成の名君
そして桶狭間1

そして桶狭間2
【第一部完】
28清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:51:44
【ここから第二部氏真苦闘編】
元信恩と仇と
我も清き流れ
信虎父情の悪(やはり父ゆえに)
武田父子無残

楽市楽座
泪と塩
女大名の最期
侵掠すること火の如く
家康もまた
29清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:52:54
駿府失陥
泰朝死す
今川残影
両流再会
決死の蹴鞠

氏真の長篠
夢の終わり
【第二部完】
30清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:53:36
【第三部天下統一編】
夢の京へ
土岐は今、末の流れ
本能寺

流れ流れ土を忘れ
創業成る(関が原)
我が家は高家
駿府へ還る
清き流れ二流の末
【完】
31清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:55:03
と、こんな感じで作ってみましたよ。
どうですかお客さーん!!!
32無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 21:12:06
全然つまらん。
負け犬犬名は、とっとと失せていいから。
33奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2006/02/01(水) 21:16:09
>>31
脚本家に物凄い才能が求められるな。
34清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 21:32:37
・・・戦国に負け犬ではない大名がどれほどいたでしょうか?
負けを経験しない人生がどれほどあるでしょうか?
義元のおそらく人生唯一の失敗(桶狭間)で今川家は大きな運命の
転変に見舞われ、跡を継いだ氏真の奮闘むなしく大名としては没落し
ました。(世間の想像以上に本当によくがんばったのです)
しかし、それは華々しい活躍の陰に決して消えることのない多くの
武将達の真実の末路だったのです。織田氏、豊臣氏、武田氏も英傑
たちの死後、没落を免れることはできませんでした。

この大河ドラマは、そんな人生の真実に向かい合うことのできる
大人のためのドラマです。
・・・ただし、義元、氏真、家康は全て超イケメン俳優で固めます!w
彼らのそばで戦国を彩る女性陣も超豪華キャスト!
大河ドラマ「清流」、こうご期待!
35無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 21:51:46
スレ主の一連のカキコ、読んでみたけど、主観のみで書いてる。やり方によっては、前に書いてあったけど、ホント脚本が大変そうだよ。俺は大河はよく見るほうだけど、今川大河の年は、ジャンクでも見るかっ。
36無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 21:58:14
負け犬大名なら勝頼が主人公のほうが見たいな
37無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:07:26
静岡県民にはうける?
38無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:07:47
半国守護では飽き足らずに、今川了俊を陥れて駿河を掌握した家系のような・・・・清流・・・・ですか。いいかも。
39無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:11:04
キャストをイケメンで固めようとするところがセンスない。
義元成人時は渋めの役者を使うべき。
そもそも企画が通らない
40勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/02/01(水) 22:15:34
>>38
今川了俊こそが室町幕府屈指の名将ですからねえ。
41無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:17:28
だから、要するにつまらねえんだよ。
だから、早くスレ落とせよ、カスw
42無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:19:30
不当なまでに美化しすぎ。吐き気がするぐらいだ。
43無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:35:29
それはそうとこんなものもある
九鬼奔流
水軍九鬼氏と三田・神戸の歴史をNHK大河ドラマへ!
http://www.nogami.gr.jp/
44無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 00:37:51
大河の基本はセックスストーリーだからなぁ
45無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 02:56:04
一人スレを落としたがってるのがいるな・・・
これのせいか?

10 :妄想女キモイ:2006/02/01(水) 00:24:25
時代劇板にある気色悪い>明智光秀を大河に!スレの住人と
同じ雰囲気の主張と文体だな。
>>1
お前の馬鹿案を採用するまえに、
皆川博子の「戦国原野」という傑作がある。www知らないんだろ?
11 :清流 :2006/02/01(水) 01:02:26
10様へ
残念ながら、今川家題材の大河を妄想する女性などいない、かと・・・。
この書き込みを読んで、体温が下がりました・・・。
それはともかく、戦国「幻」野の情報は感謝。
・・・気を取り直して次いってみよう!
13 :無名武将@お腹せっぷく :2006/02/01(水) 01:08:21
>>10
m9(^Д^)プギャー wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
16 :無名武将@お腹せっぷく :2006/02/01(水) 02:01:36
>>10
おまい、あのスレの338か?
叩かれたからって、こんなとこで吐き出すなよww
ここでも煽った挙げ句、脱字してやんの。カコワルイwwwwwwwwwwwwww
46無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 17:37:49
今川家のファンはやっぱり少ないか?
静岡県民はどう思ってるんだ?
47無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 17:49:58
??
48無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 07:02:19
>>46
俺は大好きなんだが、やっぱ今川ファンは少ないだろ。
結局後世のどの時代を探しても擁護者、味方がいなかったのが痛い。
手元にある『今川義元のすべて』によると、駿河凧の絵柄の中には義元の絵柄があるし、
他にもいくつかの関連した伝承や行事が現存しているという。
ただ、感じとしては敬して遠ざけてる、っていう印象。

徳川家康自身は江戸開府からしばらくして義元慰霊のための泉岳寺を建立したから、
ひょっとしたら最大の理解者というのは彼だったのかもしれない。
家康はいつも三河ことばじゃなくて駿河ことばで話していたらしいし。

事跡を追っていけば、大河ドラマにするに足ることを多数しているし、
河東一乱のような関東・東海・甲信を巻き込んだ壮大なスケールの戦争もある。
ただ、結局人間ってのは印象が一番大事なんだよなぁ…
49清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/12(日) 15:55:17
>>48
情報Thnx
知ってる人は義元はなかなかな武将だったことが分かるけど、
知らない人、歴史を単純化したい人には分からない、分かりたくない。

こういうと信長ファンは嫌がるかもしれないけど、
義元も信長も最後には油断して命を落としてるんだよね。
そして、両方とも生き残った息子はできが悪くて家は没落。

違いは何か考えてみると、
信長の場合義元以上に勢力を拡大できて、
彼の世話になった人が大勢大名になって残ってることとかかな?

家康は確かに義元についてはかなり好感を持ってたんじゃないかと思う。
義元の側からすれば広忠亡き後の松平なんて潰せたはずなのに
結局家康を保護してるし、まだ幼い竹千代の面倒を見られるように
竹千代のおばあさんを近くに住ませて上げたりしてる。
先生は自分や息子の氏真と同じ太原雪斎。
結婚相手は親戚の娘で一門扱い。
今川家の家臣団を強化するという打算はあったとしても結構厚遇と思う。
家康は老後を駿府城で過ごしてるし。
駿府での生活を懐かしんでいたんじゃないかな・・・。
50無名武将@お腹せっぷく:2006/02/12(日) 21:54:13
今川了俊なら見てみたい。次点で今川泰範。
51無名武将@お腹せっぷく:2006/02/12(日) 23:40:18
>>49
自分がその人物に魅力を感じて好きならば
不特定多数の「歴史好きじゃない人々」に誤解されてたって
全然構わないことじゃないの?
52無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 16:31:54
>>49
その割には家康は天下取った後も今川家をよいしょしてくれませんでしたね
ただ苦労話の一環としてしか話してませんね
53無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 00:27:02
所詮は、徳川にとって今川人質時代は屈辱の時代。
家康にはよく思う理由は皆無。
歴史の彼方に消えて行くだけの名家、つーても単なる清和源氏足利の一支流に過ぎんが。
54奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2006/02/21(火) 00:53:06
戦国大名の子供があちこちの人質や養子に出るのはよくある話。

最終的に天下取ったのがそのうちの一人だっただけと考えるのは横柄だろうか。
55無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 01:15:13
>>53
そう考えると、「大御所」の居城が駿府なのが、説明つかないんだが。
政治的・戦略的な要所というなら、小田原とかでもよかったのに、あえて「駿府」。
そのころの家康ならば望めばどこへでも居れたであろうに。
家康が晩年の居城を駿府としたのは、単なる必要性というよりも、
駿府という土地への何らかの思い入れがあったのではないか?

おもえば、桶狭間の後に氏真に義元の弔い合戦をはたらきかけている。
もちろん後には信玄と呼応して遠江に侵攻しているわけだが、
してみると、今川に対してそれほど悪感情を抱いていなかったのではないか、と思われるのだが、さて。
56無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 01:30:00
天下人たる者、何かに必要以上に傾倒したり敬意を払ったりしない。
それが全ての者に対する気遣いでもある。
たとえ家康が>>55のような意識を持っていたとしても天下の仕置きでそれを理由に行動する事はないし過度に今川を持ち上げてくれる事もない。あくまで徳川家の都合だ。
だから家康の思いを考察するのは自由だが、行動から考察するのは愚。
57無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 01:32:20
晩年の家康が駿河を選んだのは、地理的問題。駿河は東海道の中でも要所だし。それに気候もいいらしいね。スレ主が考えるように、家康が義元を恩義を感じていたのなら、いくら氏真が頼りなくても、あんなにすぐには織田と結び付かないと思う。
58無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 01:48:45
恩義を感じていたかどうかは別として、
悪感情は抱いてないだろうね。
何しろ、義元の菩提寺は家康が建立したんだから。
まあ、「勝ち組の余裕」という気もするが、
少なくとも、人質時代がトラウマになるほどにはコンプレックスは感じていなかったんじゃないの?

地理的問題を云々するなら、駿府よりも小田原のほうが、より要所だと思うのだけれど、どう?
何しろ関東最大都市にして、箱根と江戸の間の要所中の要所。
西に対するなら、駿府に陣取って箱根を背にするより、
小田原に陣取って箱根で迎え撃つほうがいいんじゃないかって気はする。
59無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 02:22:55
人質になっていたこと自体は別段さしたる苦痛ではなかったと思う。
立場的に言って至極順当な処置だ。
問題はその時期実家の方が崩壊状態だったことであって。
60無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 02:38:30
よくよく考えてみりゃ、竹千代をなにがなんでも生かしておく理由が今川にはないんだよな。
あの時点では松平家が三河でもたいした勢力ではなかったわけで、
さっさと殺すなり寺に放り込むなりして岡崎を制圧して、諸豪族は事前に懐柔する、という方針でも、三河支配は確立できたはず。

それを生かして、自分と同じ師につけて学問を身につけさせ、
させなくともよい元服までさせ、
あまつさえ名前に一字を与えるは、烏帽子親は勤めるはで、
ついには一門の娘と縁組させた。

まあ、純粋な善意ではなく、生かして利用しようという打算も大いにあったんだろうけど、
それにしても、単なる人質以上の厚遇ではなかったか。
61無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 03:18:52
家康は幼少期にどういう思いで織田家や今川家に人質になっていたかは知らん。もしかしたら不遇に感じ、家臣も御家再興の為にそれを煽っていたかもしれん。
でも老齢になるにつれ、他家の人質の実態に触れれば必ず感謝の念は生まれたではあったとは推測できる。

人並みの幼少時代を過ごしていたならあの環境から天下人なんぞ生まれるわけはないわけで、そういう意味でも特に今川家には推測しえぬ複雑な思いを持っていたであろう。
簡単に雪斎を関わりとして挙げるのもいいが、意外とともに学んだ名もなき幼なじみに人生で一番感謝の念を抱いているかもしれん。


広げすぎたな。
62無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 06:06:41
広げすぎでも無いだろ。
幼い頃を共に駿府で過ごした北条氏規や岡部正綱とは実際仲が良かったみたいだし。
むしろ、格段に怨んでいたのは孕石主水くらいじゃないのか?
義元から許可された鷹狩を生涯の趣味としたのも、今川への嫌悪感の薄さを物語っていると思う。
第一、若い頃を思い出し易いと言われる老人の頃を、嫌な思い出がある場所で過ごす物好きはいないだろう。

ただ、そのことを口に出しては不味かったというのも事実だろうし。
義元のことを怨んでいたのは、当時風下に置かれていた三河の豪族であって、家康ではないと考えてる。
少なくとも、駿府における思春期の思い出は、全体的にはそう悪いものではなかったんじゃないかと。
63無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 16:20:29
真田信之なんかも人質時代に徳川シンパになったっぽいしな。
蒲生氏郷あたりも似たようなものか。
ローマもよく地方の人質を教育してローマ派にするという手を良く使ってたし、
案外よくある話ではないだろうか。
その後今川を切ったのは冷徹な判断なのだろう。
64無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 19:01:25
スレ主は赤木駿介『天下を汝に』を知らんのか。
65無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 21:32:55
>>64
あれって氏真がカッコ良すぎだよな。有能な人過ぎ。
もっと明るいヘタレ感がないと氏真じゃなーい。
66無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 02:48:28
氏真びいきなおいらが、ぶっ飛んだのが2回。
某事件の裏側と、実際に刀を抜く描写が入ったとき。作者、氏真公に何させる気だ!
氏真の剣戟が見られる小説は、絶後かどうかは知らないが、空前じゃあるまいか。

「いいひと」で、友人からの人望はある風な描写ではあるけれど、あまり「有能」とは感じなかったな。
築山殿関連で物見遊山気分で行って傷つくし。やっぱ、政治に疎いお人よしだなと。
長篠の軍議で失笑をかったり、本多正信にキツイ内心のセリフは吐かれたりしてるし。

でも大好きな小説だぜ。
っつーか、あの氏真夫妻がデフォルトになっちまって、他のイメージが受け入れられない。
67無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 23:24:15
どちらにしても、誰も注目しないし、世間は興味すら持ってないようだ。
存在自体忘れ去られてるやもしれぬ・・・
今川焼の方が、百万倍も有名だw
68無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 12:50:41
今川橋で売られ始めた今川焼が普及するまでの物語
69清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/03/14(火) 19:11:21
今川創作大河ドラマを書こうかな?
70無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 19:33:56
今川はネタ不足だ
桶狭間以降はみっともない場面が多くてイメージダウンになりかねない
71無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 22:19:37
チラシの裏か同人でもつくって書いてねー。
72無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 08:27:03
猛将YOSHIMOTO〜天下獲りの道〜
73無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 08:40:12
今川焼き派? おやき派?
74燕王淵 ◆i6jwvBOktc :2006/03/16(木) 09:07:59
義元はどうでもいいけど太源雪斎の話はちょっと見たい・・
75無名武将@お腹せっぷく
今川橋のたもとで生まれた今川焼きが、大判焼きや太鼓焼きらと戦いつつ
天下制覇を狙う怒涛の大河巨編。

自分は野沢菜のはいったお焼きが好きでし。