波がすごいのが曹操クオリティか
歳とって弱気になり落ち目になるのが曹操か
どっちだ?
失点その1、赤壁 失点その2、漢中
これだけでも90台は厳しい。とにかく肝心な所で詰めが甘すぎる。
中原を押さえてる以上、本来なら三国鼎立など有り得なかったのだから。
赤壁も漢中も兵站線伸びきってる状態だからなぁ
なんだかんだで曹操は補給下手なのか?
>>738 赤壁では、自軍の速度に頼りすぎての敗北。
漢中戦では、敵を軽んじて引き上げるのが早すぎたために居残り組みが敗北、救援間に合わず。
>>737 押さえた所で病死でもしてれば文句ない英雄だったのにな
曹操と言へども、晩節を汚したことになってしまうのか…
汚したとまでは思わないけど
大きなミスを指摘されてなお80台ってむしろかなりのもんじゃないか?
コイツがミスしてなかったら、三国志じゃないし。
でもその場合でも革命が起きるかな?
>>738 つーか曹操は規模の小さい局地戦の方が得意っぽい
衰えなのか何なのか袁家潰して中原一の勢力になってからはポカが目立つ
>>744 曹操も袁家を滅ぼすまではこまめに運河作ったり補給路を入念に確保しつつやってたのにな
案外油断するタイプなのかな
戦術指揮能力の高さで誤魔化されていたものが勢力が広がって見えて来たのかもしれん
しかし、変わったなこのスレも
以前なら「曹操の知力は90妖しい」とか言ったらもの凄い勢いで叩かれたのに
>>745 13あたりからこのスレ見学してるが
結構曹操の知力は話題になってるし、叩かれてない方だと思うよ
惇の魅力90台確定を批判した人とかはカナリ叩かれてたけど・・・
あと皇甫嵩 馬超 姜維の統率90台確定批判派も叩かれてた
曹操は袁家を滅ぼすまでがピークだな
>>747 長城を超えて烏丸をやっつける辺りまでは入れてやれよw
あれ?
烏丸やっつけてから袁家滅亡じゃないか?
750 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 23:25:40
曹操はもともと定見や長期的戦略には欠けている。
この面では河北から中原に出て天下を統べるという一貫した戦略を若い頃から抱き、半ば以上成功させた袁紹の方がずっと上。
曹操は能力値で言えば統率、政治は極めて優れていると思うが、知力は80台がいいとこだろう。
少なくとも彼の助言はあてになりそうにない。
>>749 遼東公孫氏の降伏まで含めると、そのとおりだな
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 23:27:34
俺「あなたは仮にも将軍だ。 宮中にて大将らに命じて事を片付ければ威厳も保たれるのに何を好んで槍をひっさげ先頭に立ち武勇を誇る。 少しは王者らしく振る舞わられよ。 まったくもって酔狂な御仁だ。
呂布「な、なにい! 腰抜けが何を無用な舌を動かす! お前が十合戦うことができたら、わしはすぐに戟を収め腹をかっさばいてくれるわ!
俺「お止めなされ。 将軍が俺に敗れるようなことがあれば営々と築いた英雄の名が一挙に地に落ちますぞ。
呂布「なにっ! わしがお前のような 2 ちゃんねらーに敗れると… 2 ちゃんねらーめが何を思い上がる! いま真の勇を教えてやる!
俺「はっははは。 およしなされ。 一人の大将に俺と戦うように命じなされ。 将軍は深く陣中にいれば威厳は保てまする。
呂布「ぬうう! 問答無用!
呂布の怒りは爆発した。 こうなると誰も呂布は止められなかった。
呂布「うん?
ジャーン ジャーン
呂布「 2 ちゃんねらーか? 俺一人でも相手してやる!
さすがに猛将呂布である。
一騎で 2 ちゃんねらーの中に突入した。
呂布は手当たり次第に 2 ちゃんねらーをなぎ倒した。
しかしいくら強いといっても人間の力には限界がある。
満身創痍で身動きもできぬありさまとなった。
俺「呂布将軍。 雑兵に討たれたとあればその名に疵がつきましょう。 俺がお相手いたしましょう。
呂布「そうか。 武士の情けというわけか。 よろしくお願いいたす。
俺「いやー!
ドスッ!
俺「丁重に葬ってやるがよい。
こうして呂布は無残な敗北を喫したのである。
甄氏を息子に寝取られ、二喬を銅雀台に並べられず。
これではやる気もなくなるでしょう。
754 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 23:29:55
横山光輝−項羽と劉邦−の、龍且戦の焼きなおしのコピペ改変なんてイラネw
曹操を偉大なる大凡人と評したのは何だったっけ
劣等感に苦しんでみたり誰もが認める英雄になってもポカやらかしてみたり、なんかいちいち人間味あるんだよな
孔明あたりの計略には時々ひっかかってくれた方が曹操らしいし知力は85程度でいいのかもな
やる気というパラメータがない以上、それが事実でも評価しようがないな。
劉備と曹操の知力は同程度だろうな。
>>756 自分は先主ファンだが、流石にそれは買いかぶりすぎだと思う。
隆中対で漸く自分自身の利用価値と、
武帝との付き合い方を掴んだという感じなんだが。
劉備は瞬間的な戦況の見切りと生存能力が高いよね
長期戦略に欠けるけども機転で評価しても80代までいける可能性を多分に秘めてる
殺し合い以外はからっきしだけどな。
公孫サンの事もあわせて考えると、劉備の師匠だったロ植って、相当ヤバイ人物だったんだろうなぁw
>>759 そう思うと劉備ってもっと武の人でもいい気はするね
一生かけてやっと地盤を固めたのもあって、戦略的な事や政治的な事はロクにできてないし
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 23:46:26
曹操も劉備も、長期的戦略に欠けているという点で似てるんだよ。
ただ、曹操は長期的戦略を考慮する余地がある場面でむしろ失策があるのに対し、劉備は人生の大半は長期的戦略以前の問題ながら、若い頃の死んだ振りを始めとして機転はかなり利く。
梅の故事から曹操も機転では大したものだろう。
赤壁や漢中は長期的戦略の問題なのか?
劉備の機転と言うかしぶとさはまあ群を抜いているな
数値にはしようがないが
しくじったら死亡確定のような場面を、外的要因まで駆使して何度と無く切り抜けてるし
あれだけ負けて、戦死しないのが凄い。
>>763 赤壁は曹操の侵した大ポカの1
漢中はその2
赤壁は戦略ミスと言うより単純な見落としが積もり積もっただけのような
中原から離れた長江流域の風土と疫病、主力は環境に不慣れな中原以北の兵、そして相手は水戦慣れした精鋭
近作では水軍系能力の有無で表現してるしそれでいい気がする
768 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 00:14:27
カクが指摘したような江陵を守る策を取らず、のこのことそんな不利な状況に飛び込む戦略眼の無さ。
カクの知力談義の時にも書き込んだけどカクが指摘したような策は採れない
考えてみれば赤壁は曹操にとってほぼ最初で最後の大規模外征なのか
烏丸に対しては青州兵が普通にそのまま通用しただろうし
意外と外征の難しさを甘く見てただけだったりして
何でやねん。説明てくれさい。
>>769 レス番なにかな?
今適当だが探してみたんだが見つからなかった、すまん
カク策を取れない理由は、「曹操は我慢できない」だったような
二喬をゲッツするのを?
>>770 それは「だけ」で済む話じゃない。
そういう失敗は人間的と言えるかもしれんが、
能力値的には大きなマイナス評価だろ。
中原は董卓の悪貨鋳造のせいで貨幣価値が急落し極端なインフレーション
相次いだ賊乱もあって経済は大混乱に陥っていた
そこで漢丞相でもある曹操は良貨を鋳造し貨幣に対する信頼を取り戻し、中原経済の立て直しをしなければならなかった
貨幣を鋳造するためには大量の銅が必要なのだが、曹操の支配領域に銅山はない
銅山は長江流域に散在しているため曹操は南征をする必要があった
劉表の治める荊州は江夏郡に良質の銅鉱山を有していたのだった
劉表の急死で戦わずして荊州を手に入れた曹操だったが劉備が江陵を取ろうとしていたので追撃
江陵まで強行軍で進め一息つく間もなく劉備が今度は銅山のある江夏郡に立て篭もった
ここまでが一応の史実↑↓ここからが推測
喉から手が出る程欲しい銅を目の前にお預けを食らったらたまらない
だけではなく、カク案では中原の経済復興が先延ばしになるし
劉備は放っておくと何をしでかすかわからない男
また劉備についていった民衆は荊州の彼方此方で自分達を攻撃した曹操の悪口を広げかねない
曹操はその状況での数年を我慢できずカク案を退けた
と俺は考えている
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 00:55:27
>>776 その結果天下統一を逃した以上、
君の言う数々のデメリットを我慢してでも江陵を維持し、
長期的視点で呉や劉備の荊州割拠の野望を挫く方が正着だったんじゃないのか?
俺もそう思う
でもここで書いているのは推測される曹操がその案を受け容れられない理由であって
最善手は何かって事ではないので許して
俺のいう策は神の視点で言ってるのでなく、当時すでに指摘されていた以上、曹操も選択しうる選択肢だった。
だが曹操はそれを選ばず、大失敗を演じた。
これは動かない事実だろう。
この点では曹操に弁護の余地はないと思う。
これで統一だって思ったら気が抜けたんだろうな
カク案には裴松之が批判したりしてるな、
・当時は関西で馬超等が健在であり、荊州にのんびり居座って威光で呉地方を手懐ける余裕は無い。
・荊州は劉備・孫権の争奪の的になるのは明白であり、荊州に住民は劉備を慕い、
孫権の武略を恐れており、曹氏が守りきれるものではない、実際に曹仁も一年程度で敗退した。
・張魯を平定した時の益州の例を見ても、荊州と劉表の兵を手に入れた際は江南を攻撃した最大の機会だった。
と述べて、荊州に大軍を留め置く事は無理であり、孫権と劉備が荊州を攻撃するの明白である以上、
荊州を慰撫して、江南に降伏を促すのは無理である断じて、機会としては絶好だったと批判している。
ただ、曹操の敗北は天の責任(疫病や風は人の責任に帰す事は無理)という所に疑問を感じるものの、
疫病自体は大軍を荊州に置こうとするならどのみち避けられない問題であるし、
江陵を保持しようとすれば呉の水軍と戦うのは必然になる以上、裴松之の批判も妥当な所があると思う。
あと曹操の赤壁・漢中の二つは失策であるけども、知力90陥落は無いでしょ。
それはあまりに曹操の他の功績を見なさ過ぎだと思う、
中華の大半を平定したという実績は上の失策を補っても余りあるものでしょう。
>>781 裴松之は、少なくともカクについてはあてにならんだろ
>>781 ジュンイクと仲違いしてからの失速ぶりを考えると全て曹操の実績と言うわけにはなぁ
784 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>781 董卓の大軍に単独で挑んだベン水の戦いでの敗北(忠義として評価されはしたが)とか、
怒りに我を忘れて起こした徐州大虐殺とか、
留守を任せていた張バクに裏切られ、本拠地を失なったりとか、
張シュウの偽降に騙されたり(騙された事自体はともかく、敵中に単身に近い状態で居たのがいただけない)とか、
マイナス要因は事欠かんと思うがね。
しかも、そのマイナスは曹操自身の決断に起因し、リバースは部下の功績による所がほとんどな訳で。
曹操は、部下の進言を良く聞き入れる名君ではあったけれども、ジェネラリストの限界は超えられてないと思われる。