1 :
無名武将@お腹せっぷく:
語りましょう
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 05:59:37
秀吉2ゲット
まぁ地味だけどいい弟だな、信玄の弟くらい。
秀吉よりも先に死んでしまったのが惜しまれる
この人が長生きしてれば避けられたと思われる悲劇が多すぎるし…
豊臣の世が長く続いていた可能性もあっただろうし
_,,,,,,,,,,,,_ _,,,,,,,,,,,_
,;r'" ミf"'"三- `゙''-、
,;r'" ,,:r'''''''ー、ミi;ニ二─-:、 ゙ヽ.
,i' /" ,,:-─-:、,_ミi;ニ-─-:、_゙ヽ. .゙l;
,,f"〃 ,f" ̄ ̄ ̄~゙゙"~ ̄ ̄~`'ヽ.ヽヾi
f",i:.;| |; ゙l } i :}
|/j; リ ,|' | ! l ,l
{ ,/ ,ソ ゙l; ヽ ゙}
| /.,rj .,,,__ __,,,,,,... ゙l, ゙l;.}
( l リ-l -=wァ三''';;:. '''~←wァ=- ノミ、| }
l {ノl! ゙l.  ̄ ''´ :: `''  ̄ ト |,リ }
゙l;ヾヽ、l .::: ノ ノ,イ:{
,) :i ゙-i\ ;; ,, ,/f'"i ,}
{. i: l l゙i、 `_´ ,イ i l リ
. ゙l, i l |゙、. -=====- ,i', { l :| 組織にナンバー2など不要だ・・・
:| ; ; | ゙、. ''=='' .,/ ,l | ,リ ,リ
゙ヽi,ir"ヒ,,_ ゙ヽ. / /,ノ、'-'"
j-、`''-ニミ`''──''":-ー''" 'r゙li.
,(.(ヘ`f"-'"`'''i,`l! ̄"~て~'y',n }
,,::-rvー''f">ミ ゝ ゙vっ /.,i゙|.| とヽ)ノ フフ`=ニェ-:rェ_
==-'''''""~ヾミ-,,_ゝ(_ ,/ ;i' :|.l ノ,,r", ,f"''二`ニ=-=-
=ニ" ̄ ̄~`ヽ、`''-ニ___,ノ :l,三,ニ-''",,-'',,r'''''ー-ニ二
堺屋太一の「豊臣秀長」はよかったね。
大河でやってた秀吉のときの高嶋秀長もいい感じだった。
たしかに長生き、というよりも秀吉と死ぬ順序が逆だったらまた違ったろうね。
>>5 血縁ならいいんじゃなかったっけ。
ああ、「後継者」ならだっけ?w
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:32:00
大納言秀長が生きていれば、朝鮮出兵もなく、秀吉死後も
大和・和泉・紀伊の100万石の大大名として秀頼に仕え
家康の前面に立ち家康を押さえつけたであろう
これに奉行連中、前田、上杉、毛利、宇喜多などがゴウリキすれば家康の天下などありえないわけで
この人の早死は豊家にとってかなりの痛手であった
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 18:46:38
人気ないのか?
堺屋史観(私感w)を別にすればネタ・逸話が少ないだけじゃない?
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 20:17:41
豊臣秀長>>>>>>>>>最強島津
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 21:42:29
歴史上NO1の重しやなぁ。重しがなくなった後、豊臣政権ぐちゃぐちゃやもんな。
この人死んだ後
秀吉に直諫できる人誰かいたかなぁ…
独裁者の孤独って悲劇だよな
島津オタの俺は、家久暗殺をしたこいつはきらいだ
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 02:28:12
この人にはゴマすり、太鼓もちは通用しなかった。
>>14 正直それは兄・義久の方が怪しい気が・・・。
保科正之に似てないか?
豊臣政権の屋台骨、大和大納言
この人はキルヒアイスに似てるというかかぶる
秀吉はラインハルト的ポジション
(信長もまたラインハルト的ではあるが)
元ネタ不知の人ゴメン
>>10 インパクおじさんは何処ら辺を創作したの?
兄弟と親友
醜男と美男
病気と重傷
農民と貴族
>>18 マジレスゴメン
キルヒアイスって貴族だっけ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 01:05:16
この方も子種薄いね。
同じ智謀と要領で叩き上げた光秀が秀吉に勝てなかったのは
秀長の様な補佐役に恵まれなかったからかも知れないな。
勇敢な将軍や、謀臣は配下にいたみたいだけどね。
今豊臣秀長を評価する人間てたいていが堺屋秀長で感化された人間じゃないか?
漏れもそうだけど。
実際に実績だけ見て判断しても相当すごい人物だけどね。
四国も九州も攻め入って統一したのこの人だし。
堺屋の影響かどうかはわからんが
あれからいろんな秀吉物に登場するようになったしな
実際、秀長モノの小説なんて堺屋のしかないよな。
短編も司馬遼太郎しかみたことない。
つーか堺屋以前に研究、評価してた人居るの?
堺や以前の小説で秀長がでてくるものを読んだことがあるけど
どちらも有能な人物として描かれてた。。
その小説は野上弥生子の「秀吉と利休」、杉本苑子の「影の系譜」。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 22:42:11
秀吉逝去の何年前に亡くなったん?
なんで結婚しなかったんだろ
>>14 秀長に家久を殺す動機はないのだが、
暗殺だったとしたら大友家から道案内
できてた佐伯惟定あたりが疑わしい。
将としての器量はどこで磨いたんだろう?
兄の側で見習いしてたのかな?逸話みたいに竹中重治に師事してたのか?
兄があんだけ有能だからな
地味に優秀な遺伝子なんじゃないか
四国や九州だけでなく、山崎や静が竹でも重要なポジションで戦ってる秀長だが
小牧長久手の時は名前をみない。いったいどこにいたんだろ。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 23:53:09
今の大河にも秀長は全然出ていない
逆に過去の大河に山内に登場したのがあったか?
大河なんて所詮そんなモンだよ
>>34 伊勢。
秀勝とともに伊勢の織田軍と対峙し各地で優位に戦況をすすめる。
尾張で秀吉と合流したのは長久手敗戦の後。
山内主役のドラマなんだから
たしか「としまつ」では秀長の事跡の多くを利家が乗っ取っていたような。
信繁の小説ってないのかな?
弟物短編集とかでもいいけど
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 10:39:27
>>38 今回は一豊が利家と秀長のおいしいとこ取りだな
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 15:38:15
俺はよく覚えていないのだが
秀長が出た大河って竹中の「秀吉」のみしゃないの?
「おんな太閤記」で中村雅俊が秀長だった。
人生後半の調子に乗った秀吉って弟が直訴したら聞き入れたのかな?
ねーなんで結婚しないのお?
つーか豊臣家が統一できたのって小一郎の手柄で籐吉郎はたいしたことなかったんじゃねーの
>>45 それはないと思う。優秀な補佐役は、優秀なトップがいないと輝けない。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 01:12:28
大河で秀長やったら絶対見るけど。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 02:10:17
兄弟揃ってこうまで子種が薄いのは何だったんだろ
日本史に忽然と現れ一瞬の輝きののち消え去った最強兄弟の遺伝子はいずこ?
ねーちゃんは子供産んでるし
精子が薄い女系の一族だったのかもしれませんね
秀長ももっと女遊びしたったらよかったのに
…て彼の性分では無理か
51 :
信玄:2006/03/10(金) 03:53:17
>>1 無粋じゃとは思うが、水を差させてもらうぞい。
確かに秀長も優れておるが、「最高」のNo.2と云えば、間違いなく武田信繁じゃ。
嫡子・武田信豊に遺した99か条に渡る「武田信繁家訓」は、江戸時代の武士の心得として、広く読み継がれたのじゃ。
秀長は徳人ではあったが、後世に残るような著作は記さなかったのじゃ。
1561年(永禄4年)、第四次川中島の合戦で、宿敵村上義清自身の手によって討ち取られたとき、
信玄はその死体を抱くと号泣したと謂う(「上杉謙信申状」「北越軍談」「武辺咄聞書」)。
その死は武田家にとって大きな痛恨事であり、「惜しみても尚惜しむべし」と評されたのじゃ。
享年37。法名は松操院殿鶴山巣月大居士。
後年、武田氏の武将・真田昌幸は、生まれた次男に真田信繁と名付けている程、武田家中でも信頼、敬慕される人物であったのじゃ。
武田信繁の魂を継いだ真田信繁こそ、義将として今日も尚愛される真田幸村なのじゃ。
久々に無粋な方ですな
>51
無粋じゃとは思うが、水を差させてもらうぞい
>宿敵村上義清自身の手によって
柿崎景家の部隊にですがなにか?
>上杉謙信申状、北越軍談、武辺咄聞書
へー。そうなんですか。ニヤニヤ(・∀・)
最後の一行の書き方をみて
>>53の方が無粋だと確信
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 00:40:35
この人がおったから三成の奉行派、清正の武断派をうまく纏められたんやろな、利家は何処まで行っても奉行派を安く見てたみたいやし、
一番よりナンバーツーの方が好き。
そんなおまいらホル・ホース
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 01:13:28
いや、オンリーワンの黒田孝高のほうが好き。
秀長と官兵衛のコンビが健在だったら
どうあがいても家康は手がでなかったろうな
>>55 ネットでも母国語が出ますかニヤニヤ(・∀・)
おはよう。
おまいら朝っぱらからケンカしてんなよ。
秀長は人と無益に争うようなことを
よしとする人じゃなかったぞ、きっと。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 16:15:46
藤堂高虎はホンマの不義理もんやなぁ・・
主君が生きてるうちに裏切ったことは無かったはず
家康への尻尾の振り様は好きになれんが、家臣や領民への愛情はさすが名君。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 18:11:20
民国人臭いスレですね
「へうげもの」の秀長は温厚な二枚目だが
権力の狂気に取り付かれた兄の命令を眉ひとつ動かさずに忠実にこなす怖い人でもある。
結婚したい
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 23:47:28
るいーじみたいで素敵
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 17:59:17
最高のNO2武田信繁について。
信繁も秀長も最高の補佐役だが、死後に主家の後継候補が殺されてるのも共通してるな。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 21:17:06
ある程度の才能を持ち、「人格者」として、人外の兄者の抑制をするところが共通している。
む・・・
来年の大河は誰が武田信繁をやるのかのう
>>71 死後に兄が暴走を始め、主家が滅亡に向かっていくのも共通してる。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/24(金) 04:28:59
確かに豊臣政権を支えてるのに豊臣秀長の功績は大きかったと思う。
同意します。
秀長が死んでから秀吉も狂ってきたし、豊臣政権の安定もなくなってきたように感じる。
秀吉の軍事的な才能は備中高松の水攻め・中国大返し・賤ヶ岳の戦いで証明されている。
小牧・長久手の戦いでは徳川家康に池田恒興・森長可を討ち取られるなど苦戦するが、秀吉は徳川方の織田信雄と和議を結ぶことに成功。
家康も兵を退き、息子の松平秀康を秀吉の養子として送って和している。
秀吉はこれによって織田信長の実質的な後継者となったので、結果的には勝利している。
しかし、実質的に豊臣政権の内政を担当していたのは秀長と千利休だ。
足利尊氏・直義兄弟のように、足利政権が「軍事の尊氏・内政の直義」だったように
豊臣政権も「軍事の秀吉・内政の秀長」だったと思う。
鎌倉幕府のように「軍事の義経・内政の頼朝」だったら政権も長続きしただろう。
しかし、内政の秀長が先に死んだことが豊臣政権の崩壊の原因だった。
秀長が死んでから、秀吉は千利休に切腹の命ずる。
もし、秀長が徳川家康よりも長生きしていたならば、豊臣政権は安定だったと思う。
前田利家が家康よりも長生きしていたら家康の天下はなかったと言われているくらいだから、秀長が生きていたなばら、さらに不可能だっただろう。
そう考えると、信長・謙信・信玄な早死にしている武将はいくら才能があろうとも天下を統一できず、長生きした武将が繁栄を築いている。
もし元就が早死にならば毛利家あれほどの繁栄はなかっただろう。
内政とは違うだろ
調整役として組織に欠かせない人物、これ
能力的にどうこうより、人間性や兄弟という立場などの問題なので、
代わりになる人物はおいそれと見つからない
足利幕府は長続きしたと思うんだが
鎌倉幕府は、北条氏に権力移ってないか?
「軍事の秀吉・内政の秀長」の前に
単に世継ぎの問題だと思うが
信長・謙信・信玄も世継ぎの問題があったと思うが?
問題を表面化させないのが、NO2の器量だと思うが。
秀長が存命なら秀次に大和100万石を譲って、自身が中継ぎ関白になって解決をはかるくらいしそうだ。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/27(月) 11:25:08
外見はどんなん?秀吉似???
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/27(月) 11:38:08
秀吉と秀長はマリオとルイージ
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/28(火) 16:56:19
秀長にしろ信繁にしろ、主君より長生きしていたらなとは本当に思うな。
秀長なら秀次と秀頼の問題も間に立っての調整や文治武断の対立も
収めただろうし、信繁なら勝頼陣代などという宙ぶらりんは許さず、きっちりと
纏め上げていただろう。
最低でも健在中での主家滅亡はなかっただろう。
あとNO2とは厳密に言えないけど小早川隆景も入れたい。
甥を支えてよく立ち回り、主家乗っ取りを阻止した功績は凄いと思う。
評価されていたからこそあの身代で五大老になったのだろうし。
これらの名No2に唯一欠点があるとしたら主家を支えるべき子供たちを
育てられなかったことか。
信繁だけか、一応主家の最後まで息子が尽くしたのは。それも器量的には?だし。
主家を支えるのに自身が精一杯尽くした結果といえばそれまでなんだが。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 11:32:57
小早川隆景も同じく存命なら徳川政権無かったかも?
いやぁ、小早川はそこまで豊臣に義理立てせんと思うけどなぁ
毛利には詳しくないから断定できないけど
>>83 いや、隆景が健在なら毛利が一枚岩なので、
家康に毛利家が対抗できたって事じゃなかろうか?
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 12:38:36
毛利家にしたら天下取るなら別だが豊臣政権の方が良かったと思うけど。
毛利家は隆元を失ったのが痛すぎだな
そもそも元就の謀略がそんなに卑劣なイメージを持たないのは名目的な当主だった隆元の誠実さによるもの。
元就と両川が謀略で掠め取った新地を非凡な政務能力で纏めたのも彼の功績。
隆元が死んだお陰で、優柔不断な輝元が当主に、以後毛利家は斜陽の一途…
秀長利家鶴松が長生きしてればね
武田豊臣の最後を見れなかった分幸せだった とか言ってみる
輝元は無能じゃないと思うけどな
毛利という体制そのものが、彼をお飾りにしていただけであって
信繁は有能な補佐役だったと思うが、しかし彼が生きていたら信玄と義信の
親子相克を防げたかどうかは怪しい。さらに武田の滅亡を防げたというのは
もっとあやしい。信繁が勝頼なり義信なり武田当主を説得して織田への降服
臣従を認めさせられるのならともかく。
だよなぁ。勝頼は信玄に劣らない勇将。信長が上を言っただけだ。
隆盛期ほど良将揃わずとも未だ信玄麾下の武将は沢山残ってた。
>>89 徳川政権内ではうまく立ち回ってたような…。
分家藩の独立を阻止したりとか
>>90 長篠で逃亡、大島城でも逃亡した信廉と入れ替わってれば全然違ったはず。
信繁存命なら、体調不安の信玄も存命中に次代に家督を譲れたかも。
>>91 良将云々以前に、国の生産力に絶望的な差があったわけだしね。
武田家最盛期の石高は織田家の軍団長直轄地レベルのものでしかなく
本願寺との死闘を切り抜けた後の織田家と戦っても、勝ちの目はハナっから無かった。
むしろあれほどの戦力差でありながら織田側の本格的侵攻が開始されるまで崩壊しなかった
武田家の結束の固さをこそ、褒めるべきかと。
信玄時代ですら朝倉の支援なくして織田に対抗できへんかったしな
へたれ朝倉なんぞに期待した奴がアホ
>>94 >むしろあれほどの戦力差でありながら織田側の本格的侵攻が開始されるまで崩壊しなかった
>武田家の結束の固さをこそ、褒めるべきかと。
崩壊(内紛)するほど人が残っていなかった気がスル
隆盛を誇った家には、どこも優秀なNo2つまり副将がいました。
織田家:柴田勝家
上杉家:直江兼続
武田家:武田信繁
毛利家:毛利隆元
豊臣家:豊臣秀長
徳川家:本多正信
伊達家:片倉景綱
大友家:立花道雪
三好家:三好義賢
信繁自身、父と兄の相克を見ているだけにお家事情にはかなり敏感。
信玄と義信の対立についてはさすがに政策論の相違だけに防げたかどうかは微妙だが、
勝頼の補佐に回っていたら、よくいわれる家臣団との対立は緩和されていただろう。
特に一番問題になるだろう親類衆筆頭が穴山信君から信繁に変わるだけで全然安定度が違う。
(逆にあまりにも人望が来すぎて勝頼から警戒されるのもあるが)
織田との国力差については巨大だが、信長が史実で信玄謙信存命中は国力で
上回っていても正面衝突を避けて懐柔策を取り、没後それぞれ家内の結束が
弱くなってから侵攻していったのを見ると、信繁存命なら手を出さず、
畿内制覇後は西の毛利から先に攻めていくのではないか。
その間に上杉・武田・北条の三国同盟を締結し、謙信存命中にどれだけ拡大できるかだな。
時間との勝負だが、信繁存命ならそもそも信玄が遺言3年とか残すとも思えないし。
ここでNO2不用論を
浅井朝倉が滅んだ時点でもう武田は相手にならんと思うが
>>99 上杉・武田・北条で同盟を組んで領土を拡げる場合、織田領の美濃か徳川領の
三河遠江しかないのだが。
たとえ信繁が健在であろうとも、自国に対して侵攻してくるのなら迎え撃ち
撃破を目指すしかない。
そもそも、謙信が存命中に上杉と北条を結びつけることができたかどうか?
両者の利害の対立をどう解消するのか?(越相同盟もそれで破綻した)
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 21:13:34
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/08(土) 13:44:57
だんだん脱線してないか
いつのまにやら典厩スレに。
大河ドラマの秀長の扱いが悪いのはなんでだ?
まさか今年も出ないのか。
また死んだ後に、「大和大納言様が生きていれば」だけかorz
>>98 なんか秀長と同じカテゴリーで無いやつが多いような
織田家:柴田勝家
毛利家:毛利隆元
徳川家:本多正信
大友家:立花道雪
はちょっと違う気が・・・いや、根拠はない。
つか副将の定義がバラバラなんじゃないのか?
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 18:21:33
織田と正面決戦に打って出た毛利の国力は凄かったんだな
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 18:47:21
秀長が島津家久毒殺したのはマジなの?
>>98 今川家:太原雪斎も追加して
阿蘇家:甲斐宗運も
このスレのNO2は、一門衆筆頭ということでは。
武田だと、良い例が信繁で悪い例が穴山。
織田家:柴田勝家 ←
上杉家:直江兼続 ←
武田家:武田信繁
毛利家:毛利隆元
豊臣家:豊臣秀長
徳川家:本多正信 ←
伊達家:片倉景綱 ←
大友家:立花道雪 ←
三好家:三好義賢
じゃあここを変えるべきなのかな。
>>112 あの状況では秀長に家久を殺す動機はないから、
大友の武将による怨恨殺害の線が強いんじゃね?
家久の体調不良を記した資料があったような。
普通に病死じゃね?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 21:06:44
天才型の家久は、秀長に完膚無きまでに惨敗を喫して自信喪失して自害したんだよ。
>>115 同じ様なポジションが誰にでもおるわけでもないし
無理矢理探す必要もないんでないの
>>115 毛利隆元は嫡子だから意味合いが異なると思うが。
毛利家は元就時代に該当する人材はいない。
輝元時代の隆景あたりが該当するだろう。
そもそも一門筆頭で能力的にもNO2と言える武将なんかそうはいない。
他だと島津義弘あたりか。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 23:56:01
北条家:北条氏照
といってみる。
・・・見劣りしてしまうのは、肥史観のせいなのか・・・・・orz
>>122 そやね。
立派な人物だと思うと同時に、肥史観なら時代を少しずらして
綱成をもってきたほうが相応しいかもしれない。
氏政のNO2が氏照だが氏康のNO2は綱成? 幻庵?
つ香宗我部親泰、朝倉宗滴、北条綱成、石川高信、鍋島直茂、宇喜多忠家、一門括りで有能そうなNo.2?
さあ突っ込め
元就時代は志道広良だよ
秀長タイプの条件
・主君と血縁的に近い(兄弟、義兄弟、いとこ、おじ等)
・家中をまとめることに関しては主君よりも勝る(死後御家騒動)
・能力的にも家中上位である(主君に替わり大将を務められる)
・惜しまれつつ主君より先に死んだ
信長や家康にはいないな
そういや家康って兄弟いないの?
いないこたないよ。
信包がもう少し全面に出るタイプの人間だったらな。
勘十郎だな
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 21:09:14
秀長が生きていたら「唐入りの総大将」
大軍を率いて勝利した実績があるし、身内だし
秀長が生きていたらそもそも唐入りはなかった、というのは
堺屋太一の弁
秀長ってなんでもできるよな
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 04:12:07
やっぱ父親も同じなんだろ?
母親が浮気ものじゃなかったらね
武士になるまでほとんど面識ないってのは事実か?
DNA解析とか出来んのか? >異父弟論争
秀吉の遺骨ってあるのかね?大坂の陣で豊臣家滅亡後に豊国神社が
破壊され、秀吉の遺骨は打ち捨てられたと聞いたが。秀長は知らない。
歯でよかったら豊国神社に秀吉の歯が保存してあるぞ
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 16:00:52
秀長の正室ってどんな人?
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/05(金) 16:56:00
おっぱい3つある人
>>58 秀吉が死亡し、官兵衛は野望を露に天下を取るべく謀術は張り巡らし始める
また、家康も天下を取るべく他家との婚姻を結ぶなど動き出し、一方豊臣家では
武断派と官僚派の対立が激化の一途を辿る
そんな中、前田利家が終に病没し、一気に時代が動き始める
時代の渦に飲み込まれようとする豊臣家の危機を、秀長はどう乗り切るのか
こんなIF小説を読んで見たくなった
家康は自分と同格の人間が居る間は動かなかった男。
秀長存命である限り「温厚な豊臣政権の家老」の顔を崩さなかっただろう。
秀長が生きてたら内部抗争や外様の蠢動はないんじゃなかろうか。
智雲院という人が正室。名前からして尼さんだろう
>>149 そりゃ秀長没後の名前しか伝わってないんだろ。
そういや秀長もあれだけの大身ながら
正室や子供についての話はあまり語られないな・・・男子は居ないんだっけ!?
実子はなかったはず。跡目は養子・秀保(殺生関白の弟)。
ちなみに、秀保は一般には病死とされるが、
「生来暴慢で悪行の限りを尽くし、吉野十津川温泉に保養中に小姓に恨まれたあげく十津川で水死」
とも言われる。血が血だけに、水死(暗殺説)の方が信憑性が・・・。
wikiには実子が2人いたけど女だったとあるな
娘が宇喜多の秀家に嫁いだんだよな? でも早死にして豪姫になったと
>>154 否。
ひとりは秀保に嫁いで、秀保死後は毛利秀元の室となった。
しかし子は無くして没した。
もう一人は森忠政の妻になって、子孫は現在に至るってさ。
歴史読本に載ってたお
側室とかじゃんじゃんとって子供作ろうとしなかったのかね。
それとも兄と同じように出来なかっただけなのか。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 16:14:06
まあ、誰でも女好きとは限らんし、一人の女性を愛する人も折るわけだし
それは今も変わらんでしょう。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 16:23:56
生きてても秀吉に嫉妬されやらてたろ
忙しくてやることやる暇もなかったんじゃ……
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 18:31:09
大変だよな、それって。
藤堂高虎が家老やってたんだっけ。
>>150 新人物住来社の「豊臣秀長のすべて」には尼さんを妻にしたって解説があった気がするんだが
>>162 じゃあ奥さんの方は子供の出来なかった武家の未亡人か何かで、もしかしたら再婚かな。
兄弟そろって精子弱かったん?
たぶん若い頃からの働きすぎで静止の生命力が弱まってたのだよ
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 01:15:08
秀吉については病気になったときに睾丸まで感染してどうのとか本で読んだ覚えあり。
長浜時代に長男が生まれているので精子が少なく弱い精子無力病かと思われる。
現在でも不妊の男性側の原因のひとつ。
余談だが現代の男性は全体的に精子の数が少なく元気がなくなってるそうだ。
じゃあ現代の男性も側室を持たないとな
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 01:53:18
>>167 それだと逆女性1人に複数男性でも良い訳だが。
大河でやっと出てきたな。
利まつの悪夢が繰り返されなくてよかった。
どこにどんな役どころで出てた?
適当に見てたから気づかなかった
最初の軍議で「黒田は小寺か荒木に殺されたのでは?」とか言ってたのが秀長。
あまりにも突然出てきて、いきなり副将の席に座ってたので驚いた。
登場するだけでも珍しい
演じてたの誰だっけ?
半兵衛が死んだらいきなり出てきたな。
役割的にNO2は秀長に、軍師は黒田に、半兵衛から交代ということか。
利まつの時は、利家をNO2にするために邪魔者扱いされて未登場だったな。
>>173 「利まつ」を見る視聴者の大半は「秀吉」の大河も見てるわけで
何であれだけ秀吉の傍らに終始居て家中を支えてた秀長が出ないのか
誰しも疑問に思ったよなぁ
秀長といい蒲生氏郷といい名将なのに扱いが悪い
地味だからね。秀長は長生きしてれば・・
地味なら地味でもいいんだけど、
下手に出すとかえって無駄に目立っちゃう経歴はあるだけに余計に難しい武将たちだな。
他の大名を主人公にしてる小説を書いてたらスルーしたくなる気持ちは判る気がするw
>>177 そうかなぁ?
秀吉の狂気(無理やりな朝鮮出兵とか)を表現するのに
非常に便利な人だと思うよ。
太閤記みたいに秀吉が主人公じゃないかぎり、
もっと活躍の場があってもいいと思うなぁ。
単に注目されるのが遅かった。
彼に関する記述が少ない。
ってだけのことだと思うよ。
おんな太閤記で中村雅俊が演じた秀長はなかなか良かった
ドラマで最初に秀長へスポットを当てたのはあれが最初かな?
>>179 一般的に知名度が上がったのはおんな太閤記からだろうね。
俺もこの作品で秀長の存在を知ったもん。
それまで子供向けの秀吉の小説をいくつか読んでたけどどれにも出ていなかった。
>>179 子供ながらに農民の格好した中村雅俊には違和感をもったw
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 16:52:19
時代が違うが、豊臣家の保科正之。
秀吉もそうだけど、この兄弟って農民(それも地元名を苗字にできない程度の低い百姓)の出なのに異様に才能あるよな
流石に個人武勇の逸話は少ないけど、政治外交軍事全てでトップクラス
実務の中で才能磨いたのかね?青少年期に武将としての教育受けられた環境じゃない
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 20:25:56
秀長の実績って何?
まあまあ、兄者って諫めてるイメージしかない。
但馬制圧とか四国制圧とか九州制圧とか>実績
兄者の無謀を諫めるだけでも、十分な実績だと思うよ。
秀吉の実績の半分は秀長にあると思う。
美濃攻めの時代から秀吉の数少ない一門衆としてほぼ戦歴は兄と一体だからな
独立した作戦行動取るのって途中までなかったんじゃないか
それは竹中・前野・蜂須賀ら与力衆にも言えたことだが
>>185 俺が知らないだけで色んなとこ制圧して凄いんだな。
>>186 秀長が血縁関係じゃないのに諫めてたなら凄いと思うんだよね。
>>187 戦も結構してるんだね。余りイメージになかったよ(・∀・)
おまえら無知な俺に教えてくれておりがとん。
最初名乗ってた「羽柴長秀」だけど、秀の字を下に付けたりして秀吉は怒らなかったのか?
長の字を下につけるほうが恐れ多いのでは?
結局「長秀」だと丹羽殿と同じで呼びにくいということで逆さましたようだけど。
>>184 一番の功績は小牧・長久手の戦いで、秀吉本軍が尾張で徳川・織田軍と対峙している間に
織田信雄の領地の伊勢を攻めた事だと思われ。秀長が伊勢を制圧した事で信雄軍は兵站を
維持できなくなり羽柴軍と単独講和せざるを得なくなった。
下手したら羽柴と徳川の全面対決の可能性もあった事を考えれば、九州攻めや四国征伐
より伊勢制圧の方が功績大。
>>191 小牧の失敗と秀長死後の迷走を見ると、秀吉の実力自体が疑問に思えてくるな。
秀吉あっての秀長だが、秀長あっての秀吉というか。
長久手の失敗や晩年でそれ以外の功績を否定するのは乱暴すぎるんじゃないかね
だいたい秀吉がそもそも腕一本で信長に認められなければ、秀長が士分になることはありえなかったわけで
>>193 小者から士分にとりたてられる程度の出世なら別に珍しくもなんともない。
そこから、自分の足りない部分と自分の分身の両方の役割を任せられる弟がいたことが
秀吉の出世に大きなメリットになったのは否定しがたい事実。
なんせ秀吉は現代のリーマンと違い、「木下家」という独立自営業主の長として織田家に仕えていたんだからね。
頼れる半身が居ればそんだけ自分自身も身軽になるし、土壇場でのフリーハンドも増す。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 23:19:45
>>194 では他にどんな人物がいたの?>珍しくない
なんで脊髄反射的に片方だけを過大評価してその反動でもう片方を過少評価する馬鹿って定期的に湧くの?w
堺屋の本を読んだけどあんまりおもしろくないな。でも史実には
割りと忠実に書かれてはいるとおもった。
それに比べると司馬の短編はおもしろいけどでたらめが多いな。
秀長は留守居ばっかで軍事面では功績がないとか書いてるけど
実際は秀吉配下ではNO1の軍事面の功績をあげてるのでは。
秀長が秀吉より優秀なら秀長のほうが出世してるだろ
丁度貧乏足軽だったころからの友人・利家や腹心の三成が尊属の父や兄貴より出生してるように
木下家なんてのはねねさんからもらった姓だから
本来秀長が木下姓を名乗るのはスジが違うはずだよな。
やっぱりこの家だけは特例中の特例だって。
ねねって浅野家じゃなかったっけ?
浅野家はややさんでしょ。浅野長勝の娘の。
>>197 それどころか対光秀戦でも対勝家戦でも何もしなかったことにされている。
実際はどちらの戦いでも戦況を左右する勘所で、兄貴の代わりに舵取りをしてたわけで……
>>198 どっちが優秀かなんてくだらんことを……。
秀吉も秀長もともに「木下家」なり「羽柴家」なりの興隆のために働いた。
どっちかいっぽうが欠けてたら天下はとれなかった。 そんだけの話。
秀吉が秀長を数少ない親類として取り立てたんでしょ
家臣のいない秀吉はあちこち縁戚を頼ったけど
良い武将として使い物になった血縁は秀長くらい
必然的に秀吉の地位が上がるとナンバー2となるよね
地味なのは仕方無い、秀吉あっての…でありこの点が与力武将衆と違う
秀長いなくても天下は取れただろう
秀長が目立ちはじめるのはもう豊臣家が圧倒的兵力を動員できるようになってから
政権維持できたという期待が秀長にかかってる程度
>>205 それ以前は「秀長の功績」はすべて秀吉のもの、としてしか歴史に残らない。
傍証で秀長がその時期に秀吉の片腕として働いていたことがわかるくらい。
結局功績は個人の主観ないし期待値次第、という落ちw
中国戦線で単独で但馬を切り取った功績は?
すくなくとも、率いる兵は秀吉から借りたものでも、秀吉とは別行動で
成し遂げているのだが。
但馬攻め以前の話だと思われる>わかりにくい
一応、武功夜話みたいな話には具体的な活躍が記載されるようだが、これは信憑性が?な奴だし
金ヶ崎の退却戦でも一段目の将は秀長だし、山崎の合戦で天王山を占拠したのも秀長の隊。
天王山占拠は中川清秀
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 04:38:58
賎ヶ岳の戦いでは、中川を見殺しにしたと秀吉から叱られる
九州攻めでは島津降伏を許したことをやっぱり秀吉に叱られる
ナンバー2も楽じゃない
対浅井でも秀吉の留守中に城を守っていたらしいし、
やっぱ普通に優秀だろうね。
光秀の丹波攻略の補助におこなわれた侵攻でも多くはない兵数で
幾つもの城を落として織田家中でも評価されたみたいな話もあるみたいね。
動き止めたら寂しくて死んじゃうような兄貴の下で、露払い&後始末しまくってる内に
能力がこなれてきたんだろうねえ。
秀長の半分の能力でもいいから秀吉にもう少しましな縁者は
いなかったものか。外戚の浅野は家康に懐柔されてしまったしな。
>>216 つ【秀次】
実は言われてるほど悪くはなかったし将来を嘱望されていた。
・・・・・・・が
>>212 叱っておけば秀吉が責められずにすむからな。
>>218 秀長はそういう役目も理解した上で進んで引き受けそうなイメージがある
賎ヶ岳では中川を見殺ししないで打って出て佐久間の撃退をするべきだったのかな。
漫画板のへうげものスレではそうしたほうがより戦勝が固かったのではないかという意見がでてたんだが。
>>220 秀吉の命令がどうだったか、によるだろう。
現場の判断で無視していい類のもんだったのか、どうか。
史実で言えば「賎ヶ岳では勝った」。 それ以上のIFを問うのはただの因縁つけにすぎない。
これ以上ないってレベルでの勝ち戦だしなあ。
その時点では中川も立場としては同輩上がりでしょ
見捨てたら連鎖的に寝返りや退陣が続出した危険性を思って叱ったんじゃないかね
関白就任などして権威で差をつけるまでは異様に諸勢力に気を使ってる秀吉だし
本気で問題視してるんだったら実質的な処罰してるって。
結局は諸将向けへのポーズとして叱ってみせたってだけのこと。
ポーズなら尚更そういうことしなきゃならん秀吉の立場を汲めてないってことだな
後年の島津攻めのこともあるし、認識は必ずしも一致してなかったりしてこの兄弟
兄弟だけに「兄者の思慮についてくのミリ」って見切りがはやかったんでね?
ただ、自分に対し不条理な排除をかます事はないって信頼はある。
唯々諾々に従って、それが結果的に陰の亭主柱、みたいになったんだろか。
何がなんでも豊臣政権を秀吉ひとりで築いたものとして扱いたい人が居るようで
どう読んでそういう解釈に
中川救おうと思ったら、秀吉本隊抜きで決戦するくらいの覚悟がいると思うのだが。
佐久間が動いたのは秀吉の思う壺だったろうが、それで秀長も動いたら勝家の思う壺になりかねん。
>>225 中川見殺し問題は、ポーズで済ませられる程度の些事と見切っていたというほうが妥当。
なんせ羽柴方の諸将は誰も離反しなかったんだから。
ほんとうにそれで羽柴方の陣営が崩壊するようなら、
守っていろなんて命令出した秀吉の責任になっちゃうよ?
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/27(土) 19:54:05
>>230 離反しなかったのは結果でしょ
捨て殺しがどういう結果を招くかは勝頼の高天神未救援などの例があるぞ
支援がなかったことで高山勢や桑山勢は戦わず陣地放棄するはめになり、最悪連鎖崩壊ありえたんだから
戦勝の結果に救われたのは秀長だろ、叱られるだけで澄んだんだから
ちなみに丹羽長秀は後退した桑山勢を救援に動いた
>>231 高天神城と比べるのは変だぞ。
勢力基盤の危機を見殺しにした勝頼は政治的信頼を失ったが
中川のは失っても戦術的信頼でしょ。所詮野戦陣地なんだし。
あんまり見事に助けちゃうと膠着状態が更に磐石になりかねん。
このまま切り崩し合戦になったら秀吉にマズイ状況だと思うんだが。
>>231 少なくとも秀吉の命令には反してない。 である以上移動禁止命令出した秀吉の責任。
いったいあんたは秀長に何をさせたいわけ? どうしようもない愚将でただ秀吉の弟だったから大納言になれたとでも言いたいの?
軍令違反で勝手に動いて、中川助けれたとしたら功罪合い償うってことで褒賞も罰もなし?
>>231 秀長も丹羽長秀と同等の立場で自己判断で自由に動ける立場だったの?
質問なんだが、賎ヶ岳の秀長軍はどれくらいいたわけ?
柴田軍より少ないと動いたらアホ。
本隊抜きでも多勢で、合戦になっても勝てるなら動くのもありだが。
賎ヶ岳はさ、
秀吉としては本当は中川見殺しにして戦場離脱した
高山右近や桑山重晴を問い詰めたい。
でも賎ヶ岳当時の秀吉と高山ら諸将の関係ではできない。
んでやつあたりで秀長に対して「お前と俺は種違い」とかなんとか言ってうさばらし。
>>236 「やつあたり」「うさばらし」とはまた主観がきつ過ぎるな
実の弟でさえ詰問されるという行為で間接的に彼らへの圧力となった
進んで叱られ役を引き受けた秀長と共に打った一芝居と見れば
この逸話はむしろ秀吉の優れた人臣掌握術だったとも言える
同じ事象でも解釈次第で全く評価が変わるのが歴史の面白い所だな
種が違うとかファビョって叫んでる時点で身内以外信頼できない人と思われるだけな気も
そんな単純な受け取り方をするような奴は大身にはなれない。
たまの現金収入を安酒安女郎につぎ込んで一生を終えるタイプ。
浅野長政が秀吉の実弟だったら良かったのにな。
浅野長政を引き合いに出すなら。
木下家定という3人目の「弟」にも注目してやっておくんなせぇ。
家定はただの子作り大好きなおっさんだから…
怪しげな長男を庇護する魅力ある人物でもあるしさ。
あっでも家定が実弟なら、血縁の有る羽柴一門が増えるなw
木下という姓で武士デビューした秀吉。
義弟に木下を名乗り続けさせておく意味が未だに理解できんのよね。
木下を羽柴家の庶流扱いって事を明確化させるためとか?
確か大谷吉継の次男にも木下性与えてたよな。
源平藤橘に対する憧れが強かったんだろうな
低学歴な人間ほど学歴コンプレックスがあるのと同じで名族コンプレックス
家系図がごっちゃになればそれなりに満足みたいな
徳川家における松平みたいなもんじゃ?
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 17:50:03
でも家定の家系は江戸時代に残って豊臣姓を名乗り続けた
(普段はもちろん木下氏を称して、本姓として公式の場や文書
では堂々と豊臣姓を使っていた)
おねの兄弟の系統とはいえ、他の大名が次々と豊臣姓や羽柴姓、
木下姓を捨てて行く中で、徳川の江戸時代を通じて豊臣姓木下氏
として通し続けたのは偉いと思うお。^ω^
んまあ自分の城の築城のために近所の墓石削ったって話があるし
ただ単にいい人なだけじゃないんだろうな
せめて妹の旭に子供が出来てればな。
ほんと一回日本を一つにするためだけに生まれてきた一族だねえ
後に怨恨を残さず消えている、これが豊臣贔屓が多い理由ではないか。
智雲院は、種違いの姉である智かも。こわw
時代が必要として登場させ時代によって滅ぼされた一族ということか
選民じゃないところから持って来るあたり、神様も意地悪なもんだね。
秀吉が賤ヶ岳合戦で、お前は弟とはいえ、わしとは素性も違う別物だと言ったと言われていますが。創作ではなくて、しっかりとした資料に残っているのですか?
もしかして秀長って生涯無敗?
病に負けた
兄弟というしがらみに負けた
>>258 中国戦線で一回負けてるはず…攻城戦だったかな?
あとは無敗
>>257 秀吉は天皇の落胤とか太陽の子とか大嘘ついてるから。
別腹説もそこから来てるのではないだろうか。
秀長が継父に育てられたというのもあるかも。
じっさい異父説って、どうなんですか?
秀吉の実父の弥右衛門が秀吉が7歳の時に死んだって事は秀長って3歳?
>>262 母親が離婚・浮気してない限り、同父弟なんだけどな。
異父説が正しいなら、父親の没年か秀長の生年が間違ってる可能性も。
あの時代、結婚相手が働けなくなった時点で家に新しい男入れるのが普通だそうな
秀吉の父親が働けなくなったのは死ぬ何年も前で、
そのころから秀長の父親と再婚してたというのが、異父説の論拠らしい
>>264 その論は、「その慣習が『普通』であるという証明があやふや」という問題がある。
というか真面目に議論するなら、その説をとった時点で「働けなくなったから再婚した」証明をする義務が課せられちゃうのよ。
そしてその証明はいまんとこ為されていない……あくまでも「出生年代からみて全弟」説への反論でしかないの。
>>265 >>263へのレスなんだから「出生年代からみて全弟」説への反論なのは当たり前なのだが
それと再婚が普通なの自体は結構な確証があるそうで木下家の場合の再婚の時期があやふやなだけ
再婚の時期がわからない状態なら同父弟説、異父弟説ともにありえる状態
再婚時期がわからないから同父弟だとは言い切れないのね
>>266 だから異父弟だとも言い切れないわけよ。
その程度の論拠しかないってこと。 どっちの説にも、ね。
異父説なんて決着つかないでしょうね。
ところで秀長と家康が従二位権大納言になったのは同時期なんですが。
秀長の大納言って家康を抑えつけるというか、縛る目的もあったんでしょうか
縛りっちゃ縛りだけど、秀吉の政権てのは擬似一族制の側面があるから。
実弟の秀長と義弟の家康が同格なのはそれほど奇妙なことでもないよね。
家康を義弟と考えたら確かに説明できますね。でも豊臣政権の初期って
家康と秀長だけが突き抜けて高い地位にいますよね、前田利家も位が上がるのは
秀長死後だったはずですから。
前田利家は、豊臣内臣筆頭として五大老になったと捉えればいいのではないかと。
江戸時代でいう「親藩・譜代・外様」でいえば分かってもらえないだろうか。
単純に秀長が死んで空いた役割を利家が後継したって話では
>>273 やっぱり豊臣政権固まる前に死んだのが、知名度の点で痛いな。
加賀100万石は有名だが、大和郡山100万石なんて誰も知らん。
もう少し生きてれば大老職はもちろん、関白代行もありえたのに。
そうかもしれませんね、秀長が生きていたら家康を抑えるための五大老も存在しなかったかも。
それと藤堂高虎は、秀長の下で成長してから。人を育てるのも巧かったかもしれませんね。
奈良県のオラが戦国武将というと誰になるんだろ
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/07(水) 23:46:25
松永閣下以外に誰がいるというのか
松永久秀・筒井順慶あたりか。
小物でもいいなら、柳生。
豊臣政権なら秀長と増田長盛。
江戸大名なら柳沢家。
世間的には柳生が一番有名だけどな
まあおれも松永閣下
島左近も忘れるな(対馬出身説もあるけど)。
十市遠勝あたりどうだろ
あと、かつもっちゃんの弟とか
大和武尊にすればよろし。
どいつもこいつも出来た人間だな
うちの地元は、上杉だぜー
戦馬鹿じゃなくて逃げ出したほうな
284 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/08(木) 07:11:11
お、奇遇だな、ウチの地元も上杉
双子の兄弟だけどな
まい地元は道三麺
286 :
営業:2006/06/08(木) 09:33:50
最近CM見ないな
秀吉がボケる前にとっとと死んで秀長が長生きすれば豊臣政権ももう少し長く続いたかもな
朝鮮出兵もうまく有耶無耶にしたかもしれんしね。
地元は別所…
地元は上杉。山内上杉だよ。
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ヽ ヽ〈 i| Vi゙、
゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
. ',.' ,  ̄ , ' ノ /./ ヽ,
. ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
,、 - '''´ | ヽヽ /,、ィ /
逃げた方の上杉っていうとかっこ悪いが
長野業正だぜっていうとかっこいいな
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 15:55:13
信長の野望でも地味に能力が高いよね。
家の地元は宇喜多と毛利の間で目立たないわ
ていうかご当地と認識してる奴も少なそうだ
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 23:03:15
家の地元は……えっと、顕如?(いや、教如でもいいけどさ)
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 00:45:31
秀長がもう少し長生きしていたら…
すと
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 14:55:01
実のところ晩年の秀長は大坂出仕停止喰らってたりとすでに秀吉との間がギクシャクしていて
本当に安全弁になれたかは微妙だったりするが
まあ三成とも関係悪かったしな
三成も如水や長政にも疎まれてたし人間関係は大変だ
確かに健常者の頃ならともかく、痴呆入った秀吉だと
秀長=秀頼の簒奪者ってギアに躊躇無くシフト入れるかもしれんね
日本史板で叩かれた奴がこっちに出張ってきてるな
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 15:32:16
>>298 そりゃ朝鮮出兵に反対したからでしょ。
たとえ生きていても秀頼が死んでからどれだけ指導力を発揮できたか疑問だけど
豊臣家の長老としての立場は不動だから淀君が政治まで仕切ることもないだろうし
文武の対立が合戦にまで決定的になることもなかったろうと思われる。
あとは秀頼にどんな教育をするか。
大阪出仕停止は秀長配下の重臣の不正によるものだろ。
それを秀吉との不仲とまで拡大解釈するのは強引すぎる。
秀長が生きてても秀頼は変わんねーよ、豊臣家に教育システムなんか無いからな
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 16:41:42
>>304 城から出たことも無く初めて牛を見て驚くなんて事はないだろう。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 16:59:50
この兄弟は足利尊氏と直義よりは互いの能力が被っているように思える。
尊氏は軍事、直義は政治と才能が両極端だったために不和を招いたが、
秀吉と秀長は共に軍事も政治も同等にできたからこそ
秀長は秀吉の分身として動くことができたのかな、なんちてw。
>>306 外征の秀吉・内政の秀長というイメージがあるのだが。
四国や九州攻めでも主力を担っている
百姓上がりなのに豊臣兄弟は下手な武士より遥かに軍人としても上
四国、九州と軍事もそつなくこなせたと思われ。
俺は文武にそつない家宰ってイメージだ。
>>303 不仲じゃなくても建言できない立場なら一緒でしょ
強引にやるっていうのは賭けになるし
出仕停止は正月の拝礼差し止めだけという限定的なもんでその後は
また政務に復帰してるんだけどね
養子・高吉の廃嫡を秀吉に命じられて拒否したりと、意外と不和を推測させる話は知られていないのか?
やっぱり根本的な知名度が・・・
拒否が通るって時点で、そこから不和を推測するほうがどうかしてる
不仲じゃないなら拒否らないだろ
兄で主君の命令なんだから
どうかしてるのはどっちかね?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 21:37:38
・・・なんか秀長が生きていればって妄想のために無理矢理実際にあった事件をたいしたことないってしたいのかね?
はっきりいえば無意味なイフのためになんでそこまで
人間どこで豹変するか分からないもの
秀吉が先に死んだら秀長だって突然豹変し実権を握って
秀頼を傀儡にした独裁を目指してしまうかもしれない
秀長には男児が居ないからなァ。
わざわざやる動機がないかと。
たいしたことのない事件を大事にいってるというとらえかたもできるな
>>316 別にいんじゃね?例えそうなったとしても、結局秀長にも子が無いなら、
秀長にとっても甥に当たる秀頼が結局継ぐ事になるわけだし。
最悪の最悪、秀長にそこから子が出来て、完全に簒奪してしまったとしても
豊臣の名は残る、家康に簒奪されるより数倍マシかと。
>>318 同意、もともと秀長は秀吉に怒られ役だったことが多い、
その逆で朝鮮出兵もそうだけど、苦言を呈すことのできる存在でもあった。
全体的に見て実は・・?というならともかく、
養子の一件だけで不仲説を唱える奴など見たこと無い。
不仲じゃなければ拒否ら無いだろとかは頭悪すぎ。
逆に異を正面から言えるのは信頼関係の明石、三成と秀吉もそう。
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 08:43:11
けじめを付けるために謹慎とかさせても、本当に信頼してるからまた使うわけだろ。信長と秀吉にも当てはまる、信頼してなければ佐久間みたいになるだろうな。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/16(金) 09:15:00
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丶 丶 二´ {l} |:l ̄ヽト i-、 ゞソ/l| | っ ょ /
r‐'´_r'jノ /:l: : : :〈ヽ Lノ_イ*|:.! / た | |
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/ す た 妄 \_ |::::::::| i | {}公 |」} | ぁ っ 「
| る い 想 /┴-、::\!/: :\ー' / ッ と 〈
/ で が も /: : ; : /l::::::::7: : :/ / /
〉 す い |//: :ヽ:∨V:\:| \ /
/ ! ! に /: : : : ヘ: : : \」 \ 〈
く |: :ヽ : : : \: : : :\_ > /`Y⌒ヽ
\ て: : : : : : : : :\: : : : ヽ / |
| /=x、: : : : : : : : : ヽ: /:ヽ 7 で 〉
l _/: : : : :ヘ: : : : : : : :i: : : : : : :ヘ l す 〕
/|/三´Y´三三丶: : : : : : :ヽ : : : : : i: : : : : : : ヘ ヽ ぅ 「
//三三三三三三三ヽ: : : : : : : \: : : :ヽ: : : : : : :ヘ 」,イ
ズーっと待ってますが、何か?
もともとは同格・同僚っていうのが多い豊臣政権内では、
頭ごなしに怒れる存在ってのは貴重だったんだろうね
というか、突出した成上がり者のしっかりとした補佐のできる一門衆が
いるってだけで奇跡だと思った今日この頃。
どっかのジャスティス様など、無能な弟の尻拭いで今日も奔走中だからな。
それも成上がり者にはよくあることで。
二人三脚が豊臣政権を作ったんだろうね、偉大な創業者の影に名補佐役ありでしょう。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/19(月) 22:15:50
出石城主だったの?オレの地元なんだけど・・・。
そもそも秀吉、秀長兄弟を他大名の一門集と同じに考えること事態間違いだよ。
織田政権末期は公的に秀吉の与力だし。形式的には柴田軍団の前田佐々と同格。
これは他軍団にはない特徴。それに因幡の大名だし。
秀長が信長から因幡与えられてたの?
預かってるならなんとなくわかるが。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 22:42:18
>>328 因幡じゃなく但馬だろ
それぐらい与えないと、他の家臣と釣り合いが取れんのだろ
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/21(水) 11:15:17
美濃守の官位ももらってたからな
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 23:07:14
慕われてた武将は??どっちか言うたら武断派??
慕ってたのは藤堂高虎じゃないかな。最後は家康の方に行ったけど、10年ちかく秀長の家臣だったし。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 17:48:40
長浜時代から死ぬまでだから10年じゃすまない
調整役として有能だったらしいから、どちらの派閥に
評判がいいかというのではなく、どちらにも慕われていた
んじゃないかな。
高虎が豊臣家に仕えたままで関が原が見たかったな。
秀長に男児が出来てれば高虎後見で存続できたかなあ。
養子の秀保でもいいけど、たぶん秀次成敗で取り潰されるだろうな
秀長に男児がいたら秀吉とギスギスしてたかも。
秀長の性格って穏和って言われているけど、なにか逸話あるのかな?
どちらかというと人の心の動きに鋭いって感じがするけど。
>>334 最後は家康の方に行ったけど>ていうより死んだから。
というか豊臣政権のほとんどの人間が最後は家康の方に行きましたからw
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 16:42:39
最後は家康の方に行きましたから>秀吉、利家が死んだから。
狸が秀吉・利家より先に死ねばおなじじゃまいか。
利家って・・・豊臣政権の中で、そんなに重鎮だった?
五大老と言っても、家康以外ただの古参の集まりなのでは?
古参というよりは地方の実力者と擬似一門で固めてるのが五大老だけど。
秀長も、五大老とか五奉行の中に入ってたら、もっと知名度があったかもしれませんね。
秀長が生きてたら五大老五奉行レベルじゃないでしょ。
もしかしたら秀吉の後継関白は秀次じゃなくて秀長だったかもしれんし。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 07:54:13
利家とは仲良かったん?
仲良かったというか、豊臣政権ができた時。利家は古参の一人だったけど、秀長は家康と同位置の最重要人物だったから。
あまりにも差が開きすぎて、利家が気をつかってしまうと思う。それに利家は勝家側だったし。
家康と同位置>普通に家康より上だろう。
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 11:30:32
秀長が死んでから家康一人飛び抜けた状態ができた、だから利家の地位を上げた。
秀長ももしかしたら晋桓淑の様な野望を持ってたかもしれんね。
曲沃桓叔成師のこと?
なら、藤堂高虎が欒賓か。
355 :
唯今:2006/07/04(火) 21:28:54
秀長って武将として能力どうだったのかな、四国討伐とかは味方の軍勢が多くて秀長個人の力がわからないし
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 21:33:22
秀長みたいな人を彼氏にしたいヤシ
ノシ
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 01:24:44
三成、清正等、誰を可愛がってたんかなぁ?
可愛がってのは秀次じゃないかな。四国討伐とかで従軍を共にしたし。秀長が生きていれば、秀頼が生まれた時に秀次の居場所も確保できたかも
可愛がってたというより、秀次を盛り上げようとしてたんじゃないかな。
お拾いがいない時期だから、秀吉の内意を受けてた鴨。
馬鹿な子程かわいい
秀次は言われてるほどおバカじゃないだろう
秀吉兄弟に比べると見劣りするのはしょうがないとしても……
補佐する人間がいれば無難に勤めることはできるだろう
>>355 但馬は秀長単独で平定しているよ。ただ小国だし、もっぱら調略が主だったらしいが。
ただ、前田なんかは武勇で有名だけど、実際に独力で勝った戦というのは末森城での対佐々戦ぐらいだし・・・
これは戦の功績は司令官クラスに集中するため仕方がないよ。
丹波攻略も秀長の戦歴のなかで特筆すべきものだろうな。
苦戦や激戦だったら少しは資料に残るかもしれないけど、そこまで秀長の手こずらす相手に当たらなかった事が不運かな。
仙石秀久とかは九州征伐で大失敗したおかげで名前が残ってる、なんて事もあるし。まあ失敗以上の活躍したからもあるけど
正直、武将としての才覚自体はもしかしたら浅野長政あたりと大差無かったかもしれない。
でも「秀吉の唯一の弟」って自覚と責任感によって能力以上の活躍をしてた気がする。
というか秀吉みたいに武士になりたくてなったのではなく、秀吉の家臣になった時から武士の勉強を始めたらしいから。
潜在的な能力は浅野とは比べモノにならないような気がする、個人的な妄想だけど
秀吉のおとうとたち。
秀長。言わずと知れた小一郎。
長吉。あるいは長政。雄藩の祖。
家定。目立たないけど木下家の当主。
家康。最終的に一番美味しく横滑り。
っていうか四国征伐にしろ九州征伐にしろ、
後の朝鮮出兵とか見ても、大将として大兵力を整然と扱いこなし
速やかに勝ちを収めることはそれ自体とてつもない采配能力なしには有り得んのだがね。
それこそ上杉謙信とかは10万の兵力を持って関東横断してきて
小田原につく頃にはへろへろだったわけで。
後の大阪の陣などを見ても兵力が上と言ってもそうそう圧勝できるもんじゃない。
ずっと兄貴の始末してきたんだから、兵站の概念とかは
当時としては凄かったのかも。
秀吉=機動力&展開力ってイメージあるけど、副将陣がしっかりして
なければ無理な訳だし。
秀吉軍団はそこが凄いんだよな。
機動力では、中国大返し、賤ヶ岳
大兵力の展開と統率・補給では、小牧・長久手、九州攻め、北条攻め。
優秀なブレーンとそれを差配できる将がいなければ出来ない事、
晩年の家康もこのまねは出来ていない、そう考えるとこの兄弟の能力
はかなり高い。
兵站は三成、局地的な兵略は黒田、全体的な指揮は秀長。
というのが九州征伐で実現した理想の形、という事を堺屋さんが本で語ってました。
長束さんや増田さんの事もたまには思い出してあげてください。
大河ドラマの秀吉、DVD出ないかな〜
>>369 謙信は、8000くらいの兵力が一番使いやすいと言っている。
実際、川中島4回戦では、総兵力13000のうち、実際に八幡原の
信玄本陣に攻めかかったのは8000で、残りの5000は善光寺平に
待機させたまま、結局戦闘に参加させることはなかった。
局地戦ではなく、討伐遠征になると、また違うのでは?
>>375 つまりは謙信の采配能力はそこまでってこった。
その8000で島津や長宗我部を瞬殺できるはずもなし。
ここまでアホな子って…
自分の指揮を伝えるには兵数が小さな方が、良いらしいですよ。
九州討伐で秀長が、どういう役割を果たしたのんでしょうか
島津との休戦交渉で独断で薩摩大隈等の本領安堵を認めたことで
秀吉から叱責されたという話があるね。
まあ、秀吉も信長に怒られてるし。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 11:53:43
>>九州討伐で秀長が、どういう役割を果たしたのんでしょうか
秀吉とは別ルート、実際の決戦場
>>380 秀吉は大隈を長宗我部にやると言ってたから、島津は潰すか薩摩一国ぐらいにする
つもりだったかもしれん。
北条や小田原不参陣組は潰されてるから、甘い処置と言える。
長宗我部も土佐一国だったが、当時と情勢が違うし。
>>382 九州征伐での秀吉はほぼ天下が確定している状況だから戦では単なるミコシに
なっているね。
信長の武田攻めみたいなものだからな。
部下にまかせて、自分は後方。
秀長を大将にしたのも、秀長に箔をつけさせるためと、他武将に多大な恩賞をやらないため。
いっそ家康を大将にして、戦後恩賞で北九州に転封してればよかったかもな。
所領が北九州なら、なし崩し的に朝鮮参陣させることが可能。
家康と引き離されれば、北条もあっさり下るかもしれんし。
箔つけが裏目に出たのが関が原での秀忠だなw
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 19:19:29
>>秀長を大将にしたのも、秀長に箔をつけさせるためと、他武将に多大な恩賞をやらないため。
そんなに薩摩は甘くない、相当苦労はしているはず
風土病で退却寸前だったはず
391 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 19:56:48
>>384 >>秀吉は大隈を長宗我部にやると言ってたから
そうなんですか。
スレと直接関係は無いが
秀吉は毛利輝元を安芸から熊本に移す予定だったから
九州を島津、毛利、長宗我部に三分する気だったのかいw
そんなことしたら九州一円が外様のそれも西国の三雄に割拠する
事態に・・なに考えてんだ秀吉は
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 19:58:50
>>389 なんだかんだで戦は数だ
人海戦術に敵うものは無い
>>389 楽かどうかは別として、そういう理由はあったと思うぞ。
>>391 大隈は信親討ち死にの詫び。
あくまで飛び地で、別に長宗我部自体を九州移転させるつもりでは無かった。
元親は固辞したらしいけど。
394 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 23:52:55
>>393 >>楽かどうかは別として、そういう理由はあったと思うぞ。
箔は四国で付いているはず。
>>391 >>九州を島津、毛利、長宗我部に三分する気だったのかいw
>>そんなことしたら九州一円が外様のそれも西国の三雄に割拠する
>>事態に・・なに考えてんだ秀吉は
当時なら大国をおいた方が無難
信玄と謙信のように
>>394 毛利は比較的秀吉に従順だからな、隆景が居れば可能かも。
それとも反乱を起こさせて3つとも潰す気かも。
島津が武田みたいに、軍勢揃えて攻め込むだけで瓦解するなら
秀次あたりが総大将でもよかったかもしれんが。
実際、瓦解した和家だが。
>>386 この時点で今更、秀長に箔をつける必要性など無い、実績も十分だし。
だから四国征伐でも本当は秀吉は自ら制圧する気だった・・が
小牧長久手のあとの情勢なので、とりあえず秀長に任せる他無かった、
だから秀吉からの書状で、焦る必要は無いいずれ行くという内容の物が多く残っている、
が、秀長は迅速に自分でケリをつけた。
本当に箔をつけたかったのは一緒に連れてった秀次の方。
後継者として今後も大将を任せるつもりで小牧長久手を任せたらとんでもない事になってしまった。
だから四国・九州は秀次の箔をつけさせたいが、大将にできるほどの信頼は無いので、
秀長が代理で行なったに過ぎない。
その後は秀長が病になったことで、その役目が徳川家康に代わっていっただけ。
概ね同意。
秀長の役目の一部を利家、家康が担ったとした方が良いと思う。
秀長生きてたら、ほんとどうなってたんだろうなあ。
秀吉の一粒種の母としての淀の我侭っぷりに、秀長は冷静に対処できたんだろうか。
なんか簒奪者としての疑いを蒙りそうで、心配だ。
秀吉の子の母、ってだけじゃしょせんただの年増女にすぎないよ。
そこに権力闘争が絡まなきゃ、「またあのオバハンは…」で済む話。
秀吉が自分の代行者として扱った、京近くに100万石を持つ大大名。
これとまっとうにぶつかり合う愚を冒す勢力はそうはおらんさ。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 20:25:39
内政面は素晴らしい。
長浜のころは、三成はまだガキだし、
竹中半兵衛は織田家からの出向与力で内政は禁止だろうから
相談はOKだろうが
ほとんど一人でやってる状態らしい
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 21:18:21
せめて秀長に立派な男子が生まれていたら
似たような地味キャラ、丹羽長秀の「米五郎左(こめいろさ)」
風に渾名をつけるならば、「運小竹(うんこちく・うんこだけ)」と
してやりたい。明秀長徳ファンより。
秀長が長生きして、さらに男子がいる?
和製・宋の太宗 と言われるだけかと。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 00:02:57
この前の大河で三成がしずがたけの戦いで発言云々は別にもう側近なってたん
>>402 それにプラスで大和大納言100万石の頃の政治実績も半端じゃない。
伊勢も含めて、仏教勢力的に信長の頃から難しかったこの地域を、
ものの見事に鎮めて統治している。
百姓あがりの小竹が何故ここまでの能力を持ちえたか、
同じ出自の秀吉ですら不思議に思ったそうな。
司馬遼は半兵衛の薫陶って事にしてたけど
本当の所、どうだったんだろうな。
しかし実務能力は超一流だよな。変に目だつエピソードが
無い分、余計に凄みを感じる。
かりにそうでも半兵衛を使いこなせれば大器。
>>407 血筋がどうのて関係ないんじゃない。
育ちが悪いと教養が無いだけで、才能があれば好いんでしょ。
中国の歴代皇帝なんてそうだし、家康も信長も大したこと無いよな。
>>410 その教養の面でも秀長にはなにかあったのかもしれない。
大和や伊勢は仏教勢力が根強いんで、他の土地のように金や力では簡単には行かない土地。
その点は三好・松永・筒井・信長も苦労してるし、雑賀衆なんかはまるごと一向宗に取り込まれてしまった。
いくら豊臣家がこの時強くとも、無教養な者が力で抑え込もうとしたり、金や策で落とそうとしても
必ず何らかの抵抗が、少なくともその頃はずっとあった土地柄だ。
だが不思議とこの時期、この地域で大きな内乱が起きた形跡は無く、
秀長は悠然と大和100万石を治めてる。
>>411 紀州は秀吉の紀伊征伐で徹底的にやられたからなあ。
雑賀衆もそうだが、根来衆なんてひどいよ。
根来寺の寺領は凄いものだったが今は見る影もないしね。
それを見た高野山が驚いて、秀吉に降伏。
もちろん、秀長に才があるとは思うが、反抗する元気がなかったのも事実。
ちなみに漏れは紀州の住人、根来寺は春には桜が綺麗だよ。
そこで高虎が暗躍ですよ、「殿、私にお任せを。」。
いや反対に秀長に「高虎、頼むぞ」って言われて泣きっ面の高虎
そこで、高虎のダークフォースが覚醒。
秀長には雑賀孫市の謀殺の疑いがあるんだが
そんな何者かもはっきりしてない人間の謀殺の嫌疑かけられても…
雑賀孫市の謀殺の疑いがあるんだが >そんな話期間ぞ。
419 :
412:2006/07/13(木) 13:27:56
織れも地元だが知らない。
島津家久のは有名だよね。
家久毒殺は有名ですね。6月に死んだらしいけど、4月に義久が降伏して九州討伐が終わりかけの状態で毒殺する理由がわかりませんが。
というか5月に発病したという資料はあるそうですが
毒殺ねたは秋田よ。
むしろ疑うなら内側だよな。このタイミングだと。
島津最強ネタが流行ったころ「家久は義久に毒殺された」と書いて袋叩きに遭ったあのころ。
はいスレ違い。
>>416 鈴木重意を藤堂高虎が暗殺したって話なら聞いたことあるが。
重意=孫一説も無いことは無いからそういう意味では分かる。
>>425 そのネタ、ちょっと知りたい。
ソースとか教えてくれんか?
千利休が秀吉を怒らせて、何度か秀長に泣きついてきた話って創作?
ある補佐役の生涯(下)にちょろっと書いてあったな
軽く触れただけだから、創作かどうかは分からんが
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/14(金) 19:53:43
>>428 >>28 >>その小説は野上弥生子の「秀吉と利休」、杉本苑子の「影の系譜」。
ここにエピソードがあるかも
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 01:24:31
諸説別れる父親についてだが、もし仮に竹阿弥だったとしたら水野氏庶流ってことになるんだな。
秀長存命なら将軍にもできたんじゃないのか。
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/17(月) 18:52:09
>>431 見たけど、検地の時のエピソードか??
あれくらいは言わんと戦国では通じん
>>433 そう。完全に反発が無かったわけではなかったということ
むしろ反発の燻りだしでもあるからな。
今週の大河を見る限り秀次の話は原作とは相当変わって行きそうな気がするなぁ。
クローズアップされれば秀長も多少は出番あるだろうか・・・。
>>437 >>岩が足りないから寺院の礎石、五輪塔、石地蔵などを集めて使ったそうです。
割りとそういう事多かったみたいよ?
高虎も近くの古墳なんかに使われてた石を使った
という記事を読んだことある。
打ち捨てられて管理者のいなくなった寺院なんかは
手っ取り早い石の入手場所だったのかもね。
当時の寺社なんかは、よっぽど有力な大名の庇護下、もしくは本願寺みたいな
勢力自体に力がなければ衰亡してたしね。
礎石やら提供する代わりに別の場所に荒れ果てた寺社を再建するとか
恩恵を約束したりしたんじゃないか?
無駄に古風で大きな家持ってる身分としては、収入確定してくれるなら
家の材料持って行って貰って構わない。むしろもってけ。
維持費って莫大杉・・・orz
ま、寺の気持ちはしらんが保証と引き換えなら受けるんじゃないかな。
当時の寺社なんか荒らされまくってたって記録があるしな。
んで地方の豪族なんかが保護する代わりに、その土地での影響力を増やすのに
利用するわけだ。
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/25(火) 21:08:10
当時、筒井家から代わって来た時、寺社方が所領返せと言って来たそうだ。
代わりに金で解決したらしい。
(司馬遼太郎の豊臣家の人々参照)
結構あったからなあ。
その分領民の負担はすくないかも
>>431 紀伊・和泉を治めるのが難しいというのは本当のようで、長宗我部元親が清州会議のあたりから
紀伊・和泉の一揆達と手を結んで大阪で暴れたらしい。
しかし秀吉も、実弟にそんな難しい土地を与えなくても・・・・
それだけ秀長の手腕に頼ったってだけじゃね?
445 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/28(金) 20:53:56
他には、いないよ。
石田三成に任せたらどうなっていたか???
力量的にもそうだし、場所的にも豊臣家の心臓部だから、
よっぽど信頼できる人間じゃないとダメってのもありそう。
三成は九州征伐の終了後、博多奉行を務めて復興させる程の高い力量を持ってると思う。でも難しい取りを束ねるのは威名も必要らしい
>>447 三成は経済官僚としての実力は桁外れだから、
一気に再編して経済的にまとめる必要があった換わりに、
抵抗勢力は現地勢力が抑えてくれる九州ではまさにうってつけだったろう。
だけど大和は完全に自分で支配しなければならず、
それでいて経済的にも安定させる必要があった。
これを三成ができたかどうかはわからん、人身掌握にはやや難ありな気がするし。
そうかな、三成は家臣団はうまく掌握してるし、領国経営も良かったはずだから、
可能な木が巣。
というか、あの時点でそこまでの知行持てる地位にいないし>三成
三成は領国を治める実力は戦国でも最高峰と思し、家臣からも信頼される人物という事もわかるけど。
秀長が治める紀伊・和泉・大和は、三成が治めてた近江とは違い。長い間、秀吉に反抗してきた土地だから押さえつける力が必要じゃなかったのかな。
でも三成って、秀長と似ている所もあるし。戦での補佐的な居場所とか
>>451 微妙、秀長って補佐って言うよりは副大将的な役割の方が多かった気がする。
三成はまさに補佐って感じだけども。
>>449 自分の家臣や子飼いを掌握するのは良いし、
経済的な実力は半端無いからもちろん領国経営も任せられるだろうけど、
魑魅魍魎のごとき大和の仏教勢力相手に調停的な役割は出来るかどうか微妙じゃないか?
三成って敵と味方で区別しすぎてしまって、味方には全幅の信頼を受けるんだけど、
敵からはとことん嫌われる印象。それって調停工作する人物としては不向きだ。
むろん地位が及んでないのもそうだが。それ以前に。
秀吉勢の筆頭武将として軍の中核を担ってたり、別働軍あるいは代理として軍の指揮采配を
振るってた秀長と、船舶や物資の補給等の後方担当や軍監などの役割を担ってた三成は
あんまし似ているとはいえんのでは
三成とのエピソードとかあるの?
はっきりとした史実はないと思うけど、実際に三成は古参の武将達とは仲は悪いらしい。
戦功を第一と考える古参達には、はっきりとした戦功がない三成が豊臣政権の中心にいるのは嫌悪感はあったと思う。
頭が固い古参達と、新しい制度を実行する三成との折り合いをつけるのに苦労はしたはず
>>456 清正や正則が襲撃までかけたうえに、関ヶ原で真っ先に敵になったのは、
それなりにはっきりした史実だと思う。
武断系と文治系の確執はどこでもあるからねえ。古今東西、それこそ徳川だって。
無い方が不自然っちゃあ不自然だよな
それを押さえてたんだから、相当な苦労だろうな。
そんなこんなで心労が祟ったんだろうな。
この前、秀長の墓に行ってきたよ。
住宅地の中にひっそりとあった。
秀吉の墓は、丘の上にあって大変だったから、少し拍子抜けしたよ。
でも、墓からは威厳みたいなものが佇んでいてすごいと感じた。
家紋を土鈴に入れただけだと思うわけだが。
>>458 尾張閥と近江閥の対立ってなかったのかな。
秀長在世時はまだ皆ガキみたいなもんだったから、あんま気にしてないってのはないかな。
まさか三成と清正が豊臣家を二分する勢力に台頭するなんて思いもしなかったのでは。
信繁って信長からも、認められてたんだろ?
大河で武田信繁を主役にしたら見るのに。
長宗我部家の谷忠澄を忘れるな。
秀吉が天下統一後に身内が死んだのは、天命ってやつでは?子供もできなかったのも、そうだろうね。
>>457 清正や正則が襲撃までかけたうえに、関ヶ原で真っ先に敵になったのは、
それなりにはっきりした史実だと思う。
>清正は西軍荷担を考えたみたいだから、正則みたいに単純ではないんじゃない。
七将事件は実在に疑念が出てるし、真相も不明だよ。
今日、司馬遼太郎の豊臣家の人々を読んだけど、すごく良かったよ。最後の言葉がよかった・・・・
あれは良いよな〜…自分も好きだ。
兄弟の最期の会話でジワっときた。
「大和大納言」は秀長の最期の言葉も良いが、本文ラストの関ヶ原の戦が勃発した際の大坂城の
古い者達のささやきが切なすぎる。
秀長の母である仲をとりあげた作品で、秀吉が悪ガキのせいで弟である秀長が、村の子供達に仲間はずれにされて姉である智に泣きついていたという話があったよ。
創作でいいから、もっと秀吉関係の本で秀長でてこないかなー
正直大河の主人公になれるだけの題材だと思うがねえ、この人の人生。
現代に迎合した無理矢理な「戦国の女の悲哀」とか描くぐらいなら、この人の人生の
方が普通にドラマチックに出来そうだ。信長、秀吉、半兵衛、如水と脇を固める役者
も揃ってるし。
他人の手柄を史実を捻じ曲げてまで奪う必要もなさそうだ。目に見えた手柄だけが手柄じゃないって
人生なんだし。
つーかほんと最近の大河、歴史の名前だけ借りたフェミドラマばっか、嫌んなる。
リンクを見ずに書いてみる
ゲストは堺屋?
シリーズ 秀吉の家族 @
豊臣秀長 弟が生きたもう一つの太閤記(仮題)
平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43
だそうです
千利休が初期の豊臣政権を支えたと書く人が多いけど。武士でもないのに何故、秀長と対比される?
>>477 当時日本有数の経済力を持っていた商業・工業都市である堺を秀吉支持にまとめたり、茶の湯
を権威付けることで諸大名の統制に役立てた等々。
利休切腹の理由の一つに、秀吉が唐入りに向けて博多を重視しようとした、という説もある。
479 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/04(金) 22:03:50
豊臣王朝の侍従長が利休で首相が秀長というところなのかな
481 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/05(土) 02:07:04
高虎を自分に置き換えてみれば、尻の青い頃に薫陶を授けてくれた人
については格別の想いがあるってのは理解出来る。
それが+か−かってのは人それぞれだろうけど。
なんて思えるのはオサーンになったからかなorz
紀州は良いとこ日の光
わかっちゃいたけど大河では見事にスルーされとるな・・・、
今まさに獅子奮迅の活躍をしてる時なのに・・・。
公金着服してたって本当?
この時代の「公金」の定義を述べよ。
どっかのサイトで秀長に一言コメントしてあって
その中で公金を着服したという話もあったらしいと
ごく短く書かれてたわけよ
初耳なんでちょっと気になった次第
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/09(水) 08:31:37
徳川の世なら、いくら何でも良くは書かれん。
多少の悪口はある
>>473 確かもうなってるよ。
表面上の主人公は秀吉だが
原作は堺屋の豊臣秀長
秀長が亡くなった後に、部屋に入りきれない程の金銀が見つかったと小説ではあったけど。それの事かな?
493 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/09(水) 15:09:07
貯蓄が何で着服なんだ
いかにも江戸の創作らしい逸話だな、
そもそも金を使って政治を進めて行くやり方自体が、
秀吉が天下を取った元で確立されるまではまだまだ曖昧で、
秀長存命時なんかはまだ天下を取ってないんだから、
そんな情勢で公金もへったくれもない。
まぁ100歩譲って、金を溜めてたとしても、この人の半生を見返してみる限り、
どの時点を見ても遊んでる暇なんか一日たりともなさそうな所が・・・、
晩年に遊びまくってる秀吉と違って、苦労するだけして死んでしまっただけに・・・。
「公金」っていう考え方自体、
官僚制度の成立を抜きにしては語れないからねぇ。
大名連合政権でしかない豊臣政権において「公金」と呼ぶべき金がどれだけあったか。
秀長が秀吉の所領からあがる収入のやりくりまでもを任され、そこからちょろまかしたというのならともかく
この時期の秀長に、兄貴の家の財産管理までやってる暇はない。 お互い百万石超級の大大名なんだから。
>>494 >>苦労するだけして死んでしまっただけに
確かに。苦労の連続だと思うけど、小田原征伐が終って。秀吉が形だけとはいえ、天下人になれたんだから満足して逝ったと思いたい。
これって毛利家関係の文書に記載されてる九州征伐のおりに秀長軍が兵糧の着服をおこなっていたという
ことの件なのかな?
ここを見て、久しぶりに竹中=秀吉、高嶋=秀長を見たいと思った。
あれの大河はDVD化されてる?
以前探したけどなかった記憶があるだが…。
権利の関係でDVDはされてないはず
>>497 どうなんですかね。ただの武将ならまだしも、九州征伐の別働隊の司令官が兵糧を着服するんですかね。
>>500 あんまり詳しくないけど「秀長軍」と言ってるから、
秀長がやったわけじゃなくて、秀長の軍の兵糧を、軍のどっかの小隊が着服したって事かな。
それなら普通に有りそうだが。
利家の時もそうだったけど四国征伐、九州征伐すら話題にならないなんて。大河って島津とか長宗我部ってまともに出てこないのか?
今日なんか秀長の館に家康が訪ねてきたというところまでしっかり再現しておきながら、
秀長一切出番なし。
小六が唐突に目立って唐突に死んで、番組終了後の薀蓄に紹介されたりしてたから、
秀長もそんな感じになると予想(;´A`)
>>503 そういえば、あれは秀長邸だったのか。
字幕とか出なかったから、失念してた。
謁見時徳川家臣は侍ってたのに、豊臣NO2の秀長がいないとは・・・・
時期的に、前田利家(唐沢)あたりもいないとおかしいよな。
字幕でてた気がするよ、秀長邸って。
利家辺りの役回りは何故か全部一豊に取られてそうな感じだ。
まぁそれは別にいいけども。今回の大河は配役が渋いせいか一豊関係ない部分は割と楽しい。
ただちょっと人の生き死にの部分を強調しすぎなのがアレだが・・・、
小田原攻めでも山中城攻めの大虐殺とか普通はスルーされるような部分を
無駄に取り上げそう。
家康と秀長は色々と結びつきがあったのはあまり知られてないのかな。
東方の処分について相談をもちかけてるものや病中見舞いなどの書簡が残ってるんだけど。
多聞院日記には秀長の事が結構のってるらしいですよ
>>506 「公のことは自分に」って言うくらいの人が当時最大級の大名と没交渉だったら
むしろそっちのほうが激しくヤバいかと
豊臣政権の二大派閥とかだったら面白いけど
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/16(水) 09:16:23
秀長と家康は同じ地方分権派
三成らは中央集権派
なにその釣り合わない発言力
釣り合わないようであるが、秀吉が生きている間は釣り合う。
秀長が混ざるなら釣り合うわけないだろ。
秀長一人で五大老全員分くらいの発言力はゆうにあると見て良い。
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/17(木) 23:37:58
だから秀吉が中央集権派だから
秀吉が中央集権派? はじめて聞いたわそんな説。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/18(金) 10:21:34
そういえば、秀吉が秀長や家康に朝廷への誓詞差し出させたらしいけど
確か担当は秀秋だったらしい。
問題は何も無かったはず
>>515 秀吉が中央集権派かどうか別にして、石田等は秀吉の側近な訳で影響力は大木い。
>>513 五大老なんて家康を抑える口実に過ぎないのだから、実際は名ばかりの制度。
秀長の死後。利家みたいな、とりあえずの武将の地位を上げる事で、政権内の力関係を均整しようとしただけ
>>517 当時の石田らは秀吉政権の「部品」にすぎない。
彼らが自前の意思をもって動き出すのはもっと後の話だ。
信長が秀長のことをどう思ってたか知りたいな。
陪臣だからあまり関心なかったのかな。
賤ヶ岳の戦いにて、佐久間盛政が数カ所の砦に進軍した時。秀長は援軍を出さなかった事はどういう事なんでしょうか?
小説では佐久間を引き寄せる戦略と解釈されていますが、他の本では秀長が非難されている事もあります。
結果的に大勝利したんだからそれ以上言うことは何もなし。
援軍出したことで形勢が逆転する可能性だってあるんだからね。
仮に秀長の残留部隊だけで柴田軍に勝利した場合、問題もあるしな。
お前とは種ちがいたりって秀吉から怒られたらしいやつでしょ、
状況を考える限り、秀長の軍ならあるいは多少粘れるだけの援軍も出来たと思う、
とはいうものの、総力を挙げてやっと優勢といった所で、数で勝っているだけでは、
奇襲をかけて勢いに乗ってる鬼玄蕃の大軍勢に勝てるかかなり難しい。
また下手に手薄にして後ろの勝家が連動してきた場合、
そのまま木之本の本陣に切り込まれると言う事も充分ありうる。
だから結局人道的にはともかく、とりあえず様子を見た秀長の戦術は間違ってないと思う。
でも必要だからといって毎回配下を捨て駒にするようでは人望が落ちる、
そこで秀長を叱責する事で自分は配下を見殺しにしたりはしないという事をアピール、
したんではなかろうか、弟なら後で話しておけば済む事。
ただ佐久間を誘い出したってのはないと思う、それによる損害も大きいし。
最近ではこの佐久間の中入りはかなり成功していたわけだし、
慎重になりすぎて連係して来なかった勝家のほうにも責任はあるのでは無いかといわれてるし、
もし勝家も攻めてきてたらやられていた目算が高いんで、
わざわざおびき寄せるにしてはリスクがありすぎる。
佐久間の兵が5000以上となると
秀長か堀、以外の部隊だと兵力足りなくて分散投入の愚になりそう
そして秀長と堀は柴田と睨み合って動けないといったとこか
高山や桑山があっさり退却したのに何の咎めも無いから
最初から攻められたら譲る予定だったのかも
中川の戦死は計算違いで
勝家も利家も、武将の中では人気のある二人だから結果的に佐久間に敗因を押しつけられたような気がする。
長期戦か、短期戦にするかで佐久間の評価は分かれるけど、指揮官と攻撃部隊の意識連携がとれてないのが最大の敗因だと思う。
>>527 同意、前田あまり好きじゃないし。顔が良いから信長のお気に入りw
この時点じゃ前田にはまだ責任無いんじゃないか
勝家が与力の動向気にして積極策に出れなかったとするなら
責任はあると思うが。
ただこの時点じゃ単純に戦力的地形的に見るなら
柴田が攻撃に出ても地形的にも兵力的にも有利な秀長勢に勝つのは
難しいだろうけど。
攻撃によって羽柴勢から裏崩れとか寝返りとか起きれば別だけど下手したら
防御陣地から出て対峙しているところに秀吉が帰ってくるわけで
そしたら前田の離反が無くても負けると思う。
530 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 20:46:55
賤ヶ岳
マラソンで即、戦闘開始で勝つなんて不可能だろうな、現実問題
やはり秀長が全軍出したことで勝利が現実かな
秀吉帰ってくるの早杉
>>528>>529 どのみちこの合戦は秀吉が帰ってきてしまったら数的に勝算は薄すぎた、
だからこそのいちかばちかの中入りであって、短期戦で勝負をつける覚悟が無ければ、
遅かれ早かれ勝家に勝機はなかったと思う。
佐久間が突っ込んだ瞬間、士気的にも相手を押していたわけで、
ここで勝家と共に総攻撃をかけられたならば、さすがに秀吉もまだ来ないわけで数的にはほぼ同数だし、
秀長と言えど危なかったと思う。
もっともそこまで成功しても柴田側が勝つ可能性は五分も無いだろうけど。
賭けに出て勝てたとも思えんけど、待って良い方向になる事はまず有り得ない状況で
無駄に待ってしまった勝家はやはり老いていたと言わざるを得ないと思う。
その点佐久間盛政は先を読んでいたとも情勢を把握していたとも思えないけど、
勢いでわずかな光明を作った気迫はむしろ賞賛されるべきだと思う。
佐久間盛政の死に様は異説が多いみたいです。秀吉の勧誘を断って華やかに終らせてほしいとか、処刑場で地味だといって服を奪ったとか。
まあ秀吉のイメージを上げるためとの創作だとも言われているそうです。でも大河で描かれるような猪武者などではなく。冷静沈着で、かなりの戦上手だそうです。
まあ、ちゃんと戦ったのは盛政だけだしな。
>>526 だろうね、秀吉が悠々と美濃攻めなんかしてる事を考えると柴田が攻撃してきたら
多少引っ張り込んで対峙させて、引くに引けなくして撃滅てストーリーじゃないか
でなきゃ最重要戦線を不在にしないで秀長に美濃攻めでしょ。
蜂須賀正勝との仲はどうだったのだろう?
互いに秀吉の下で転戦を続けたのだから同士のような感じだろうか
領土を貰っても息子に譲って終生秀吉の傍で仕えた男なだけに、
同じく秀吉の影となって支えてきた秀長とは長年の苦楽を共にした友人
と言う所なんじゃなかろうか。
もともと二人とも歴史の表面に立つような奴じゃないだけに難しい所だが。
もしかすると、秀長の初期を鍛えたのは小六だったのかもしんないね。
史実の小六はけっこう知将タイプだったんでしょ?
前野将右とは親密だったんだろうな。中国攻めでは共に但馬因幡方面を担当してるし
紀伊に転封後旧領但馬を与えられたのが前野だったのも秀長の意向があったのかもしれんし。
秀吉に政略、半兵衛に戦略、小六に戦術を薫陶されてたなんてストーリーなら
萌え、いや燃えにも程があるな。
というか半兵衛は、天才軍師などではなく織田の目立たない家臣の一人に過ぎないという意見も多いが。
542 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 23:04:41
秀長が半兵衛を師と仰いでいたのは間違いないと思うけど。
秀長の功績が大きかったから、徳川の世で、半兵衛が軍師として
尊敬されたのは確実
???????何かすんごい電波を感じる
半兵衛は創作の部分が多い武将だし、小六は秀吉ではなく信長の部下という説もあるし。
やはり雑用をやらされていた期間の間に覚えたのでは?
実際、貧乏武将である秀吉が半兵衛や小六を士官させる禄は無かっただろうし。
普通に与力でしょ。
だろうね。
ただ稲葉山乗っ取りに関しては、安藤守就の力を借りたとは言え、
一応は史実だったはず、16人ってのは嘘だろうけど。
547 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 09:21:35
半兵衛は、武士としての師でいいはず。
実務は経験だろうけど。
教養は師が必要だから
>>546 16人が嘘とは言い切れない
普通の攻城戦は外から敵が攻めてくるのを前もって察知して城側は身構えるもの
不意に城の中から混乱が起きれば城が城としての機能を発揮できるわけもない
あくまで城攻めでなくクーデター、乗っ取り事件と考えれば少人数でもおかしくない
>>545 でも信長より秀吉に心酔したんだろうな二人とも。
秀吉は半兵衛の戦術論より、知名度を狙って呼び寄せたという説もあるし。
ま、人寄せの看板だな。たいした実績がなくて、知名度だけの扱いにくい武将
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 14:21:02
半兵衛、小六は信長配下だから呼び寄せは無理
秀長には良い意味のライバルだったかも
>>551 >>半兵衛、小六は信長配下だから呼び寄せは無理
それだったら秀吉のライバルでは?
大河でもあった家康が謁見する時、秀長の屋敷に来たって史実ですかね?
そもそも今後大河で秀長が出てくるかどうか……
北条攻めには病気で参陣してないんだよね。
なんか「秀吉の弟、大和大納言秀長が他界」ってナレーションで済まされそう。
やっぱり関ヶ原まで生き残った武将を主人公にすると内容が間延びしすぎて、カスカスになる.
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 14:57:02
秀長で関ケ原は見たい
秀長が生きてれば関ヶ原はないよ。
仮にあるとすれば秀長が家康を危険とみた時だね。
先鋒 加藤、福島、黒田、細川
軍師 如水
兵站 石田
黒子 藤堂
は確定
これに毛利、上杉、宇喜多、前田、西国諸大名
で徳川に勝ち目なし。
でも徳川政権の秀長も見てみたい
561 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 22:50:52
今回の大河は竹中半兵衛や黒田官兵衛より秀長を出すべきだがな
自治スレで戦国が邪魔だから追い出そうと自治厨が勝手に進めてるぞ
大河は竹中半兵衛を軍師であり補佐として扱ってるから秀長と、かぶるからじゃないかな。
もうすぐその時歴史が動いたで出てくるから少しは知名度上がるんじゃない
秀長は補佐だったのか。補佐とは専門家ではないと言いながら10万を超える兵の総大将となり。
参謀と呼ばれる官兵衛・三成を遙か上の大領土を治め、維持に成功し。
家康と並ぶ家臣の最上位である大納言を受け入れた。
彼は補佐を望んだかはわからないが、自身の能力と周りが、補佐という地位にいる事を許さなかった
売ってませんからね、内容はどんな感じですか
もうひとりの秀吉 〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
なんか、その時の題名。批判っぽいぞ
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 20:43:35
大河での秀長の最後 いくらなんでもひどい扱いだな
秀長、隆景、利家が生きていれば
戦略戦術うんぬん以前に西軍にばかり将が集まって関が原どころじゃないだろうね。
逆に言えば西の中心がセコい官僚やドラ息子ばかり残ったから戦が起こったとも言えるけど
>>569 大河で三成と秀長の会話を見てたら、同僚というか
それ以下の扱いに見えたね
>>573 あの時点の三成が秀長にあんな態度とるのは不自然だな。
数々の功績を無視されて、三成ごときになめられて終わるとは・・・・・
>>576 同意、あの時点で三成が秀長にあんなクチ聞けたはずは無い・・・が、その程度は予想の範囲内かな。
むしろ珍しく出てきた事の方が嬉しかった俺って・・・orz
でも小六と違って番組終了後の解説も無かったのが切ない。
あそこでフォローしてくれると結構ありがたいのに。
しょうがないでしょ、今回の大河は関ヶ原が最終舞台になる予定だから。三成のキャラクターを濃くするための犠牲ですなw
というか今回の大河・・・戦のシーン少な!!
まあ今回の主人公武将が大した戦功もないし、小さな領地で妻との生活ばっか。
ここの板名は?
そこageる奴が多い
向こうのスレつまらなかった
三戦でいいじゃん
実際問題、この板が三国時代板にでもならない限り、移転の義務は無いわけで。
歴史ゲーム板もあるわけだし、戦国スレ追い出したら三戦板としての存続意味が無いわけだが。
【戦の神は】生涯負け戦無しの豊臣秀長って、スレ名よくないだろ。荒れるないか?
NHKの番組後のレスは戦国板のほうにしたほうがいいじゃなかろうか。
上のようになるのは必至だろうしさ。
どっちでもいいよ・・・
秀長の話してるんなら、別に全部ここで良いじゃん。
無駄な区分けの話でスレが進む方が迷惑。
誘導厨もいい加減ウザイ。
その時歴史・の次回予告みると期待ができそう。家康との大博打という事は妹の旭関係かな。
600 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 19:53:55
その時 … 1586 (天正14) 年10月27日
出来事 … 徳川家康が豊臣秀吉に臣下の礼をとる
ゲスト 小和田 哲男さん (静岡大学教授)
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html 4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。
ドチビブラザーズ
半分の10万としても凄いな・・
>>571 秀長がいるなら利家はあんま関係なさそうな気がする。
もう無視したらいいんじゃないですか?
運営側が動き出したら従うしかないんですから。
609 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 20:49:57
NO2って織田信雄じゃなかった?
正2位内大臣だから正解ではあるな。
大河でも秀長より目立ってるな一応。
かなりおいしい暗愚役でw
主家を転々とした藤堂高虎が大和大納言家には断絶するまで居続け
断絶時には出家までしたのはよほど秀長を尊敬していたんだろうか
秀吉の方は生前に見限られたのに
身長188センチ体重113Kgという、当時の人間からしたら怪物級の体格のおかげで
個人の槍働きでこそ就職口はいくらでもあったけれど、
どこに仕えても上司や周囲とそりがあわず短期間でクビになってる高虎。
秀長はそんな高虎にドツきあい以外の価値を認めて信頼してくれた最初の主君なわけで……
幕府成立後、秀長の菩提寺がつぶれかけたときには自腹で京都に移転させたっていう話もあり
高虎の秀長に対する敬意は死ぬまで変わらなかったようだ。
前、その時歴史が動いたで高虎を特集してたけど、秀長ほとんど出なかったよ。録画して損した。
1576年に士官したらしいから、中国攻めの前ぐらいかな。何故、力自慢で戦功もあったのなら補佐・守備が多かった秀長の所に?
補佐・守備が多かったなんていう発想自体がそもそも勘違い。
秀長が兄からゆだねられた任務には、秀吉不在時の代理とかも少なくないんで。
>>615 力自慢で戦功もちなら、秀吉配下に結構いるからでは。
その時期だと、ぼちぼち秀長個人の家臣も欲しい時期だろう。
>>616 秀吉不在時に進軍などをするわけがないのだから。兵站調整・資金管理・兵士編成など、ややこしい任務を請け負っていたんだから。
補佐・守備でいいのでは?
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 22:35:34
奇襲の可能性はある。
別動隊として武力は必要
620 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 23:26:10
良く知らなかったが、秀長ってカコイイ人だな
ゲームとかだと、どれくらいの能力なんですか
戦闘C内政A外交C謀略C
100点満点で、政治70戦闘70くらいか。
政治90前後、戦闘80前半やってもいいような。
ゲーム的には評価の難しい人だわな。
功績を評価すれば兄のちょい下くらいまでは設定してもおかしくは無いが、
地味なイメージがずと続いていたのと、
バランス上の問題でそれほどはやれなくなる。
政治力は光栄の近作での徳川家の内政担当者と同程度の数字にしたらいいんじゃないかな。
ていうか最近のやつだと能力エディットできるから自分で好きにすればいいんじゃね。
コーエーに実力を認めさせたい!て息巻いてんなら話は別だが。
>>618 秀長は山崎でも活躍しているし
四国攻めでは大将、九州攻めでも別働隊大将
小牧では伊勢攻めと
賤ヶ岳での前哨戦でも伊勢を別働隊率いて攻めたり
秀吉馬周りより余程戦闘が激しい部署と思うが。
>>626 あの・・・高虎が士官する頃の話ですから
>>624 それ考えたら凄い武将だな。
重要な局面で常に別働隊をまかせられてるわけだから。
秀吉からしたら、おのれの分身同然だろう。
朝鮮出兵時生きてたら、朝鮮占領も夢じゃなかったかも。
「へうげもの」で秀吉よりも利休と趣味が合うような描写があるのは
やはり伏線なのだろうか?
どうなんですかね、自分の病状が悪い時でも朝鮮出兵を反対し続けた人だから。
大河で死んだ場面は一切出してもらえなかったのに、
秀吉がナス食いながら唐突に名を出したのでかえってびっくり。
しかし死んだ時ぐらいスポット当ててくれorz
>>626 秀長参戦時の秀吉の合戦って不敗なんだよね、
個人的に統率能力で言えば秀吉以上の評価がついても
決しておかしくないとすら思える。
とはいえ、信長の野望でこの兄弟が強すぎると、
主人公の大名家が余りにも強すぎてしまって面白くなくなるので、
そこはわかってあげるべきだなw
>>627 76年ごろも普通に秀長戦っていると思うが
不敗=高い能力はどうなんでしょう。
戦ってなくて負けてないから不敗ってんならともかく秀長はかなりの数、戦をしての不敗なわけだが
不敗ではないぞ。微妙だけど1回負けてる。
まあ、負けつうより一時退却みたいな程度のもんだが。
負ける状況を作らない、という戦略的勝利をどれだけ作れる立場にいたのかわからんが、
厳しいところでもなぜか手堅く勝ってくるイメージがある。
四国征伐が神クラスだな・・・、
秀吉が病気とは言えなるべく自分の手で決めたいと思ってることが
わかっててあえて、クチを出せない早業で長宗我部を黙らせてしまった脅威の統率力。
兵が多いだけだと思ってる人が多そうだが、そもそもあの時代に
あれだけの大軍団を首尾よく統率する事がどれだけ凄いことか。
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 08:22:35
禿同。
なかの卵子はすごいな…
小牧長久手の後の2年くらいで北陸紀伊四国を制覇秀吉と真田攻めで失敗家康を見ると
やっぱ秀吉の構想+秀長の統率には家康も勝てなかったんだと感じるよ
まあ家康が戦上手とは聞いた事ないですからね。秀長も聞いた事、無いけど。
家康は野戦に比べて城攻めはさほどってだけでは。
局地戦の家康。
大局を見る秀吉、信長とは器が違う。
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 19:04:51
今からウンコしてくるけど歴史が動いた見逃すなよ
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 19:08:46
本日NHK 22:00、このスレが最高潮を迎える。
646 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 19:36:42
>>644 うぉー!マジでアリガトウ!全然気がつかなかった。
648 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 22:02:51
はじまった
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 22:53:23
ウンコしながら見てたけどEDが一番盛り上がったな
多賀大社ってうちの近所だし、俺兄貴好きだし
なんで男に生まれなかったのか
>>649 お前みたいに馬鹿な妹でも兄にとっては大切な家族よ
高嶋弟のイメージがあるんで兄ちゃんよりも大きいのかとおもえば
兄弟そろって小柄だったんだな
秀吉は150ちょっと、たしか虎之助も150くらい、でも山県昌景なんか140ちょっとw
653 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 23:10:35
>>650がいいこといった
いかに三戦板とはいえウンコしながらとか書くなよw
兄ちゃん病気平癒の加護札書いてくれなくなるぞ
654 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 23:29:59
終わってから余韻に浸っていた。
秀長いいな。
秀吉&秀長の二人だけでもとんでもない奴らなんだな。
天下に登り詰めた最高の兄弟なんだな。
変な発想だが信長の野望とかでこの兄弟が信長に反旗を翻したサイドストーリーとかでないかな?
信長&家康相手にも良い勝負しそうなんだが。
そして天下統一までできたら面白そうだ。
中国攻めの時には、すでに別働隊の総大将として扱われてたのか。
秀長が死んだ後、派手な格好した秀吉がへたり込む姿が、グッときたよ
信長の生前に羽柴Bros.が謀反を起こす可能性となると
勝手に北陸戦線を離脱したとき位だろうか
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 23:39:28
身長140台の猛将か・・・
眞子様とかそのあたりか
軍勢は狂想に駆られた兵がとても頼もしいだろうな
逆に斎藤義龍なんて190位あるからな、山県とならべたらかなりオモロイことになる
竹田城を奪われたという話は聞いたことはないが高山公実録に載ってるのかな?
斎藤義龍とか馬にのったら足がついたとかヤバいよな
金玉でかくなりすぎて御輿にのった秀吉の立場が…
馬に乗れないピザ大名の義元と隆信は…
竹田城奪われた話は知らなかった。
けど、召抱えた近江衆、とくに高虎が奮闘して秀長の恩を返したってくだりはもえた。
あと、EDで兜の裏側に秀吉直筆による秀長加護の御札。
やっぱり兄貴は弟のことを大事に大事に思ってたんだ。
これほど仲の良い兄弟はまれだな。
秀長が良く出来ていたのだろうし、余計な家臣がいなかったのも良かったかもな。
番組内容はありきたりだし、ねねも予告を見る限り期待臼井。
竹田城を拠点に、秀吉隊とは別働隊で進軍してたという事は、中国返しでは秀長ほったらかし?
665 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 17:35:50
そのころは、出石まで制覇
中国返しでは殿(しんがり)
>>664 秀長は山崎合戦でも武功を立ててる。
おそらく高松城包囲中に合流したのでは。
紀州攻めって初めて聞いたが、概要知ってる?
山崎合戦では左翼天王山側を進軍
秀吉としては秀吉本隊と堀隊で敵主力を拘束し
秀長に片翼包囲をさせる積りと言った感じか?
賤ヶ岳とは兄弟の役割が反対で。
669 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 20:19:17
>>668 あれ?
俺の勘違いか。
てっきり天王山前面を最突出部の防御拠点にして、隘路進軍中の秀吉本隊への攻撃を和らげて、進出する時間を稼ぐ役だと思っていた。
違ったらスマン
670 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 21:53:31
中国返しは最後で
山崎は先頭では
どれでもいいよ別にw
史実すら、はっきりわかってないのに
どっちにしろ秀長すげー
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:14:29
というかこれといって批判する要素が見当たらない良武将
あえて言えば他武将を叩く痛い信者か
それは別にあえて言うまでもなく、ていうか特定のスレ、板に
限らず2chではどこでもあることだから。
わざわざ書くのはそっちの方が荒らしっぽいから止めとけ。
>>674 お前のほうがよっぽど痛い人間ということを自覚しろ
678 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 17:58:26
↑時間が無かったんだろ
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 18:07:23
680 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 19:50:29
内政・軍事・(日本国内の)外交で、豊臣政権のNo2で、武断派・文治派両方に睨みを利かすことのできた、おそらく唯一の人物だったと思う。
けれど、秀吉本人の権力とは、やはり比べ物にならないわけで・・・。
この人が最高のNo2として記憶に残ったのは、逆説的だけど、一番いい時期に亡くなったからでは?
あの時期に亡くなったから、その後「秀長が生きていたら」という嘆息が聞かれたのでしょう。
あと5年長生きしたら、秀次事件と似たり寄ったりの失脚劇があったと思う。
文武の対立うんぬんよりも、秀吉本人のネジがおかしくなってたんだから。(長い・・・)
681 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 20:27:29
>>680 まあ、歴史のifは、どうとでも言えるけど
そうはならないと思うけど
秀吉が利休切腹の前に病死してたら評価は最高になっていただろうに決まってる。
それより武断派・文治派両方に睨みを利かすことのできた、おそらく唯一の人物って言うけど。なんか逸話あるの?
そもそも武断派・文治派なんていう色分けが進んでいったのが秀長死後の話だから。
それが政権の成熟によるものだと考える人は「秀長なんかいても大して変わらん」と主張するだろうし
それが「No.1とNo,2の絶対安定」という羽柴政権の特質が失われた結果によるものだと考える人ならば「あの卿がおわしませば」と言うだろう。
歴史なんて解釈しだいでどうとでもとれるものさ。
>>680 いや、秀次とは基盤が違いすぎる。
もしもその後、5年後に秀吉と不和があったとしても、
朝鮮出兵に反対してた秀長は同じく反対だった家康と同じく
兵力を温存してる形になるわけで、しかも御国元の大和。
秀次も当然秀長側の人間なので、その側に付くし、そうなると当然伊達・最上などの奥州も皆なびいてくる。
それこそ1980年代の秀吉ならそれを政争で上手くやる事もできたろうが、
度重なる世継ぎ問題と、朝鮮出兵の無理がたたった1595年付近の秀吉では、
それまで豊臣政権の橋渡しとして基盤を作り上げた秀長とは土台が違いすぎる。
はっきり言ってここで秀長と不和になるような事があったら、
逆に豊臣乗っ取られるんじゃ無いかとすら思える。
それはない
少なくとも「秀次事件と似たり寄ったり」で始末するのは無理だろうな。
単純に考えても戦、政問わない実績の多さとか、築いた人脈の広さ深さが違いすぎる。
人脈の広さって、殺伐とした戦国時代にそんなのあるの?
もしそれが無いなら、秀吉についてくる大名なんてもっと居ないのではw
秀長は豊臣政権においては政権と諸大名との交渉役である取次の上位にあって
これを指揮する名代という役割を担ってたという説があるぐらいだから人脈は広いでしょう。
資料としても関東奥羽の取次をしていた家康の北条氏や最上氏への書簡にそれをうがわせる
内容のものがあるし。
秀長が武断派を非難してる書状が残っていたような
秀長が武断派を嫌悪してたというレスをいくつか見たけど
それが根拠になってるのかな。
内容や誰宛の書状なのか知りたいもんだが。
692 :
680:2006/09/17(日) 05:34:11
>>684,
>>686 言葉が足りなかったっす。
「秀次事件と似たり寄ったり」というのは、失脚までの持って生き方ではなく、最終的に自殺に追い込まれるという意味でした。
秀頼という余りに幼い後継者の将来を考えるに、豊臣姓を持つ身内が、豊臣の後継者になろうとする人間に見える考えに取り付かれたのではということ。
秀次など、一度は関白という後継者の位置に就きながら引きずりおろされた訳で。
秀長にしても、もう少し長生きして、政権移譲の混乱を避けるため、後継者秀次の失脚を防ごうとすれば、妄執にかられた秀吉は秀長をすら失脚させかねないと考えたので。
・・・ま、
>>681の言うとおりIFのお花畑のことだけどね。
>>690 申し訳ない。俺も見たいっす。
秀長にとっては、武断派となる諸将は、小さなときから目を掛けてきた若者という位置(実際この時期30代が多い)なので、非難というよりは「まったく、あいつらもしょうがねえな」って内容じゃないかと期待してるんだが。
(毎度毎度長くてスマソ)
武断派ってくくりが後世とは違うんじゃねーの?
↑
書き方がわかりにくかったな
武断派と目されてた面子が、旧来の加藤・福島らの小姓組じゃないんじゃ
ないかということ
>>690-692 前野家文書だと思うけど明確に武断派の誰かとは分からないと思う。
朝鮮出兵に反対して
軍中功を求め限りなく高禄を求めるものども
高禄を求めるなら自分の領地をくれてやれ
とか秀吉に書いているやつだと思う。
>>659 竹田城を奪回されたのは[日本城郭大系]という書物に記述されているようです。
あと、賤ヶ岳の戦いにて秀吉に罵倒されたのは[老人雑話]というのに記述されてるもよう。
まあ実際、罵倒された後すぐに重要な遠征などの主力部隊とされている事から。兄弟での演技だったというのは、あながち間違ってないかも
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 20:02:37
>>竹田城を奪回されたのは[日本城郭大系]という書物に記述されているようです。
竹田城の資料にも載って無いけど???
どうやら城主だった太田垣氏が秀長の隙を狙って入城し、暫く居座っていた事から奪回された考えたのでは?
その時歴史のHPより
武断派、文治派といういいかたに語弊があるとすれば、
尾張派、近江派の争いといった方が、当時の状況を考えると適正か。
>尾張派、近江派
そっちも後世の視点のような気がする
尾張だって近江に負けず劣らずの商業の盛んな地だし
何よりも弱兵で有名な国
よく近江派の大立者で淀君派なんて言われている三成は実際には北政所と懇意で
逆に加藤清正や福島正則なんかは大名として独立後は北政所とはほぼ没交渉だった
らしいからな
702 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 23:27:13
>>その時歴史のHPより
ようするに、
藤堂高虎との主従関係を出してくれとの要望があったと言うことかな
>>699 田中や片桐脇坂は近江だし
三成を襲撃した7将のうち黒田細川は尾張でも近江でもない
>>701 三成の娘を北政所は養女にしてる
加藤清正や福島正則は幼少時から、秀吉の元で育ったと書いてあったけど秀長とも親交はあったのかな?
705 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 01:24:58
まだ大名になって無い頃から
人事も秀長の担当だろう
秀長の部下から秀吉の部下になったケースは多いらしい
長いこと他国にいた秀吉が身内のことに詳しいとも思えんから、
縁故採用の連中は秀長の推薦した奴が多そう。
>>704 >加藤清正や福島正則は幼少時から、秀吉の元で育った
それ自体が怪しい
二人とも母親と共に秀吉を頼って来てるから、秀吉の家に住み込みではなく
母親と住んで通いで勤めていた可能性のほうが高い
>>700 堺屋小説でも美濃兵は強いと表現されてたけど、尾張兵は弱いの?
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 08:04:14
>>708 いや、尾張の兵が弱かったわけではなく、
初期の信長軍団の傭兵部隊が弱かったということ。
腕っ節は強くても、いざ集団戦というときに、ねばりが
足りなかったということでは。
確かに重臣達の家臣もあったから、尾張の兵全てが弱い
わけではない。
ま、小説的に「こんなハンデがあっても美濃を制圧した」
というほうが受けが良かったから。じゃない?
戦歴見ると初期の信長軍団はやたら強いみたいだが・・・
劣勢にも強く犠牲を気にしない軍団のようだが
何度も美濃に進軍しては、何もできずに終わったという事が多かったらしいが。
よく考えたら信長が神格化されてるけど、初期は大した事なかったのでは?
まあ経験をつんだ、後期の信長は凄いけど
最初の国内統一、隣国1つ目辺りはどの大名でも苦労してるだろ
国内統一だけで10年とかザラ
その後は、テンポ上がっていくけど
尾張統一時代が一番大変だったらしいけどね
秀次って、兄の秀勝が死んだから秀吉の養子になったけど、秀勝生存だと秀長の養子の予定じゃないか?
四国、紀伊攻めでも従軍したみたいだし。というか大河なんで秀勝でねえの?
>>711 というよりまず美濃が強いと見るべきでは。
716 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 09:58:46
>>714 秀勝は、3人いるぞ。
秀吉の実子。
信長の養子。
秀次の弟。
秀次の兄なんだから、秀吉の姉の子。実子にしても、信長の養子にしても早死してるよ
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 23:44:29
だから、兄じゃなくて弟。
妻は淀君の妹で秀忠と再婚、家光の母
>>711 それよく言われるけど、実際に記録に残っている合戦を統計すれば負け戦は
数えるほどしかない。
実際におきた合戦の数と記録に残っている合戦の数が一致しない限り何の反論にもなってない。
記録に残ってない合戦があるのはいいとして
それらの合戦は記録に残っていないから勝ったか負けたか分からないので
やっぱ記録に残っている合戦を統計するしかないと思うが。
何のために統計するのか、を忘れてしまって何がしたいの?
>>719 そうでした、失礼しました。秀次は鶴松が亡くなったので秀吉の養子になったんでした。
じゃあ弟の秀保って何時、秀長の養子に?
724 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 00:14:01
>>723 良く知らないけど、確か丹羽長秀の2男(高吉)が養子にいたから、かなり遅かったはず
秀保が養子になったのは1588年
さっきamazonで「堺屋太一」を売れている順番で検索したら
『豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈下〉』がトップにきた。
NHK効果で売れたのかな。
夏侯惇って案外こんな感じの人だったのかもな。
鶴松が生まれたのは89年で、秀保の養子が88年とういうことは秀次の秀吉養子は有力だったのかな?
諸葛瑾と思う
>>726 他の堺屋の作品はつまらな過ぎて、全然売れてなかったら笑える。
この本が秀長ブームのきっかけなのかな?
英雄にはなれないけど、補佐役なら俺でも って思ったリーマンが貪るように当時読んでたよな。
すいません。最後の行は勝手な想像で書いてます。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 13:03:46
↑そうだろう
たしか、『おんな太閤記』と同時期だったはず
英雄になれないが、補佐役になら成れるという考えじたいが、小説の意図を読み切れていない証拠。もう一度読み返せ
そうは言ってもインパクおやじが注目するまでは
歴史家でも無視する程の扱いだったんだろ?
司馬遼太郎が短編で書いてるぞ、島津家久毒殺論でイヤな意味で名前は広まっていたし。
>>732 >>730がそういう理解をしている、んじゃなくて
当時そういう認識で多くのリーマンが読んでた、って趣旨だろ。
小説の趣旨云々を言う前にレスの趣旨をきちんと把握しようぜ?
その時 歴史が動いたで秀長の100万石の領地を紹介しなかったのは実際は80万石ぐらいだっという意見が多いらしい。100万石って誰が言い出したんだろ?
号して100万みたなものじゃないの
今川も100万石とか言われたりしたし、
豊臣秀次も100万石とか言われたり。
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 09:40:40
桑山や高虎達の領土を連結したら??
初版は73年。
桑山 重晴の情報ない?
1528年生まれ
帝釈天の産湯を使い
姓は車
名はだん吉と発します
746 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/22(日) 00:10:34
『タダで有料ネットゲームをやろう』
1時間で千五百円の現金とかWebMoneyが手に入ります。
フリーメールOK&mixi紹介もあり
今日から始まる太閤記に秀長は出ないね。
748 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 13:10:48
そうだね、異父出しといて小竹ださないってどういうことだよ
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 16:58:28
きっと秀長を出すと秀吉のキャラが薄くなるんだよ。
>>749 秀吉の偉業の大部分が、実は秀長あってのものとバレるからなw
おんな太閤記でも秀長の評価かなり高かったんだけどな。
君主の能力って、まさに「いい部下を巧く使えるかどうか」なのにね。
秀長出さないのは本当に勿体無い。
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 01:42:46
ガンマクね。
あれ、稲なんとかじゃないんかね。
>>753 しかし、えらくカッコ(・∀・)イイ!!義昭公だな。
余りにも古い義元像にワロタw
ここまでベタだとそれはそれで正しいような気がしてくるな。
758 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 17:04:30
>>684 秀長が唐入りに反対してた、ってのはなにか根拠があるんですか?
家康が唐入りに参加しなかったのは、家康の考えというより秀吉が参加させなかったのでは
家康が参加すればポストは現地総司令官あたり
功績が大きくなりすぎる(秀吉は成功を信じて疑わなかった)のを危惧したのではないか
当然だけど、新春にやる明智も出ないでしょうね。でも秀満が出てくるから見ますが、でも大泉洋か・・・
どうせなら金城武でいいのにな。秀満。
それなんて鬼武者?
762 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/12/14(木) 20:12:44
やはり大納言様の主張通りに、家康公を討つべきでしたね。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 20:34:36
秀長が唐入りに反対してたという記述は無いので、普通に幕僚として推進してたでしょう。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 20:58:47
だいごんなぁ!何故死んだぁ!!
って泣き崩れたぐらい、秀長の事を好きだったみたいだな>秀吉
秀長がいたら唐入りしてそのままイスパニアまで攻めてたよ
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 14:26:39
何で秀吉の場合
だいなごん×
だいごんな○
だったの?
舌がまわらなかったのかな
萌えるな
その時歴史が動いたを見逃したorz
再放送も終わったorz最悪や…
770 :
石田重家 :2007/01/22(月) 11:09:46
ドンマイける(^ω^ )
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/22(月) 22:28:41
太一がすげーこいつの事を賞めてたよ
9月に有ったヤツの事? >その時歴史
773 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/30(火) 09:45:42
ルイージとかぶる
774 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中: