【小覇王】孫策について語るスレ【早死にの逸材】

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68無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 00:16:55
>>49
魯粛とか華キンとかな
69無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 08:28:15
>>66
アクティブで手段を問わない人物の典型だな
70無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:33:13
袁術って当代の英傑に囲まれた上、袋叩きにあっちゃうわけである意味能力以前の問題だよな。
立ち回りの下手さなのか運がないのか…
71無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:39:02
名門のネームバリューで人が動く時代から脱却できなかった人間なんだろ

つーかいつの間にか袁術スレに
72無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:43:03
劉備を語れば曹操が語られるように、孫策を語れば袁術が語られる。
73無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:44:49
>>71
袁術はネームバリューだけの人間とは違うんだが
これだから袁術を舐めてる奴は…
74無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:50:33
>>73の袁術観に期待
75無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:59:43
黄祖を語る人が…いないか。相変わらず重要だけど影の薄いキャラだな。
76無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 18:42:51
孫堅を殺した英雄
77無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 19:32:18
黄祖って劉表に従属してる豪族なんだっけ?
78無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 19:50:24
孫堅を殺したっていうより孫堅が勝手に死んだ
79無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 09:11:35
猪突だからな
80無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:26:47
さすが孫堅の息子だ
81無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:41:31
つうか黄祖って孫堅が勝手に死んだ時には
孫堅軍の捕虜になってて、孫堅の遺体と生身の黄祖を交換したんじゃなかった?
82無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 17:31:05
「オヤジィー、先陣は任せてくれぇー!!」
「うおおお、許さねぇ劉表!!オヤジの仇、必ず取ってやるからなぁ!!」
83無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 23:12:25
正史を見たら黄祖はただの劉表配下の江夏太守というより
江夏一帯の反孫一族の頭領みたいなポジション
孫策が黄祖に攻撃をすると必ずといっていいほど
反孫策派が牽制に出る、黄祖を滅ぼすには反孫一族が割拠する
江東の平定が必須になる
84無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 14:30:49
反孫策派というより、孫家が反劉表、反黄祖って感じかも
85無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 21:35:30
長江上流を攻めるのは反劉表、反黄祖云々以前の
戦略的行為だよ、仇討ちは大義名分
86無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 12:27:09
まぁ、そうだろうな。
実際孫家はそんなこと前から平然とやってるし。
87無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 15:33:46
個人的復讐で除州で虐殺するのが曹操
同族を騙し討ちするのが劉備
英雄はみんなエグイ
88無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 15:37:47
>>87
劉備と劉ショウは劉邦の子孫って意味では同族だが
系統が全然違うぞ
89無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 17:57:34
>>88
劉氏を利用して売り込みをやっている人間が
劉氏の人間の領土を騙し討ちで奪うという部分を問題にしたいんだろ

劉備はピカレスクロマンの方が似合うよな
90無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 21:21:45
劉備自身が同族だから劉璋を攻める気はないって言ってるのになあ
91無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 01:39:47
どのみち、特に恨みもない劉璋を騙し討ちのようなかたちで領地を奪ったのがいかんのだろうな劉備は
92無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 01:23:12
張任がかわいそう
93無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 07:58:43
張任捕らえといて劉章に説得させればよかったのにな。
降らなかったからって即斬ることないよな。
94無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:22:42
斬ったからにはそれだけのワケがあったと解釈するべきなのだろう
史書の記述からだけでは伝わらない、当事者だけが知る事情が沢山あって然るべきだ

そのこらへんの妄想を踏まえた解釈は蒼天が上手だったな
95無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:32:13
まぁそれを言うなら関羽を捕らえた時に殺さないで
呉にお持ち帰りすればよかったのにって事も言えるな
96無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:37:18
関羽も呪い殺すなら呂蒙なんかじゃなくて孫権にすりゃいいのな
97無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:50:46
そりゃ、霊になって劉備に取り付く馬鹿義弟の兄だもん
98無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 13:04:45
続き
その後、孫策は華北一帯に劉備を追い込むも(官渡の戦い)、
劉備配下の関羽や孫策に反感を抱く関中の馬超や
趙雲の義勇軍による後方撹乱行動に悩まされる。その間隙を狙うように行われた
法正による内部分裂工作により知恵袋であり信頼していた
魯粛やこれまで共に闘ってきた周喩・韓当等の将軍を疑うようになる。

ホウ統、法正、孔明等の人材を使いこなし孫策に対抗する劉備を
打ち破れなかった孫策だが、まだこの時は劉備よりも優位の立場であった。

この状況を打開すべく、劉備は、関羽に孫策陣営の平定を命じ、関羽は兵を率いて、
韓当を皮切りに、呂蒙、陸遜、周喩、太史慈、を次々攻略した
特に「背水の陣」を用いて陸遜を油断しておびき寄せ挟み撃ちにし
「嚢沙の計」を用いて灯りで周喩を誘き寄せ水攻めにして討ち取った
周喩との戦いでの勝利が非常に名高い。

紀元206年、孫策は劉備と一旦和睦し故郷へ帰ろうとしていた。
この時劉備軍が和平の約束を破り孫策の後背を襲った。
激怒した孫策は劉備を打ち破り、小城に追い詰めるが。
しかしその後斎王を称した関羽を中心とした諸侯の70万とも80万とも言われる連合軍に
孫策は長江に追い詰められた(赤壁の戦い)。
この時孫策が立てこもる鳥淋を包囲した兵士が孫策の祖国の江東の歌を歌い、これを聞いた孫策は
「ああ、祖国の江東の兵士達も既に劉備に降伏したのか。」と嘆いた。

項羽の足手まといにならぬために、剣舞を踊るふりをして大喬は自殺をした。
悲しみに暮れる孫策は800の精兵を集め劉備軍の包囲を突破し長江の畔に辿り着く。


99無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 13:19:33
小いらないじゃん
100無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 18:04:16
関羽は日頃の行いがわるいから死んで当たり前。
101無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 23:57:53
下のやつからは神扱いだけど同僚にはいばりちらして疎まれてたみたいだな
102無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 14:08:51
別にいばりちらしちゃいないだろ
ガキみたいな性格はしてるけど
それに劉巴とか見てると、名士や豪族たちにだって傲慢なところはある
むしろ関羽がどうこうよりも、関羽や麋芳・士仁らの仲を矯正しなかった劉備の責任が一番大きいと思う
103無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 22:34:14
いやぁ、さすがにそこまでするのはきついんじゃないかな。
104無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 23:56:49
50代のおっさんに、人間関係について説教できねーだろ
105無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 00:05:00
劉備も孔明も関羽のご機嫌取ることの方を重視していた節があるし

つーかまた話が脱線しているな
106無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 00:06:22
いくつだろうが矯正すべきだろ
それが国事に繋がってるならばなおさらだよ
それでも言うこと聞かないなら関羽が全面的に悪い
費詩との一件を見ても、理をもって説けば関羽もちゃんと理解してくれただろうしな
107無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 16:59:22
益州を遠く離れた荊州の人間関係なんて中々わかんねえ、つーのが正直な所だろう。
劉備も張飛のように日頃から注意はしてたかもしれんが。

孫権が甘寧と孫咬の争いを諌めた例はあるが、あれは一方が身内である孫咬であったためあえて孫咬を厳しく諌めたが、
そうでもなければ臣下の関係に主君が首を突っ込むことは難しい。
甘寧と凌統の関係もずっと以前から知っていたにも関わらず凌統に軽く注意するだけで、
一触即発の事態でようやく配置場所をわけたくらい。おとがめはなし。
周瑜と程普の時も解決したのは当事者の周瑜の方で、孫権はあの土壇場でW司令官という無頓着ぶり。

ちなみに>>102よ、劉表の度重なる招聘推挙を断り、劉備から甥の教育の頼みを断り、
個人的な交際を絶ち、劉備に「私でなければ扱えない」とまで言わしめた堅物劉巴を指して名士を語るのは極端だ。
呉の誇る名士張昭ですらその時の劉巴の見識の狭さを非難しているほど。
108無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 17:10:16
甥って劉磐じゃなかった?
109無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 17:26:32
ごめん劉先の甥でした。
110無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 22:14:11
蜀のことを語るスレはここですか?
111無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:13:07
>>107
が、孫権はそんな劉巴を褒めてたりする

呉でも朱然とかが寒門出身の周泰の下につくの嫌がってたし、
まぁ全員が全員とは当然言えないけど、
この時代の名士や豪族の意識の根底には、
庶民に対する差別意識が少なからずあったと考えても良いんじゃないの?
112無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:16:19
魏延の首を踏みつけた楊儀はこの庸奴が、思い知ったかとか言ってたしな
113無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:21:31
孫策の話題→カンヌの話題→名士の話題
114無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 13:01:20
>>111
ここで孫権が褒めたことを持ち出す意図がやや不明だが、
孫権が褒めた理由を「卑賤な生まれを持つ者を受け入れない態度が名士として素晴らしい」と理解するのは俺には難しい。
孫権と張昭でより家格の高い者も、儒者としてあるいは名士としてより高い見識を持ち、行動のより所にしてるものも張昭の方。
孫家と張飛の一族では孫家の方が高い家格の持ち主と言えるかも知れないが、
比較すればより高い家格の持ち主は多くいるわけで、兄孫策と陸康の件を知らぬわけでもないだろうし、
後に例に挙げられた周泰を励ます時と言動が真っ向から矛盾してしまう。


孫権が褒めた言葉として
・世の中の動きに従って態度を変えなかった
・劉備の気に入るように努めなかった
・不適当な人物(張飛)と交わらなかった
これが高尚な人物と呼ばれるに相応しいとした。

これの三番の不適当の理由を単なる生まれの低さと理解しようとするのが混乱の原因で、
一、二番(主に二番)と合わせて考えれば、殆ど劉備の宗族に近い扱いの張飛に阿らない態度を褒めたと見るべきじゃないだろうか。
類似の例でいえば魏の重臣であり曹一門の重鎮でもある曹仁がわざわざ許チョにへりくだって話しかけ同席を持ちかけたのに
許チョの側が断ったことなどにあたる。

それと後の周泰の例で孫権は周泰に寒門の生まれと言えども〜と励ましたが、
養父朱治が孝廉に推挙されるような朱然はともかく同じく槍玉に挙げられた徐盛は周泰に文句付けられる程生まれがいいのか?
って感じもする。奴は蒋欽に対しても不穏当な態度を取っているので蒋欽・周泰が特別卑賤の身なのかもしれないが、
有名な夷陵参加の大将陣に朱然・徐盛らが名を連ねていることを考えると、
こいつらは生まれに関係なく上司に厳しいクレーマーなんじゃないかとも思ったり。
115無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 17:56:58
>>114
別に孫権云々出したのは、補足のつもりで出しただけなんだが
116無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 18:22:00
名士連中も一皮向けば自分たちの勢力を伸ばすことに執着してる集団だからなぁ
学派の違いによる衝突も凄まじいものがあるし
117無名武将@お腹せっぷく
孫策関係ならいいやろ