【小覇王】孫策について語るスレ【早死にの逸材】

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1無名武将@お腹せっぷく
正史の孫策、演義の孫策、孫策関連の事象、孫策ファン、呉ネタ等はここで!
マターリと話しましょう。


孫策の簡単な説明:
孫策は個人の武勇もさることながら、義兄弟の周瑜をはじめ、張昭、張紘の内政手腕のプロ、
さらに程普、朱治、黄蓋、韓当等の古参、蒋欽、周泰、陳武、凌操、董襲等の猛将などの優秀な
人材が次々とついていく人間的魅力があったと思われます。
また太史慈との一騎討ちは正史にも残る名勝負であり、三国志史上人気の高い勝負に挙げられます。
しかし性格は短慮で、すぐ人を殺したりと何かと恨みを買うことも多く、
最後はそれが災いして命を落としました。その歳はわずか26歳でした。
演義では于吉の呪いによって殺されています。後年、皇帝となった孫権により、長沙桓王と諡されました。
2 ◆7rAzqBFcf. :2006/01/16(月) 02:54:28
>>2>>3
3無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 02:59:47
>>3>>4
4無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 03:56:04
やたらと人物像スレ立ててるのがいるが同じヤツか?
5無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 08:41:15
孫策は中原に打って出ようとしてた
しかし地元の豪族はそれを嫌がっていた
対立した結果、孫策は豪族に暗殺されてしまった
弟の孫権はそれを知っているので
豪族の言うことを聞き中原に打って出ようとしなかった
終了。
6無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 08:57:31
久々にスレタイがまともな人物スレを見た
7無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 09:04:05
何故か皇帝の孫権より人気の高い孫策
8無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 09:23:49
あのまま、孫策が暗殺されなかった場合。

孫策8000の軍を率いて曹家を滅ぼす
         ↓
    論功行賞は孫策の思い通り
          ↓
       袁紹が謀反を起こす
          ↓
        出撃中劉備が挙兵
           ↓
        劉備が中原を占拠 
          ↓
       劉備討伐に向かうものの中々倒せない
         ↓
       関羽が孫策の配下の周愉を背水の陣で破る
          ↓
         劉備と講和を結ぶ
             ↓
           劉備が協和を破る
                ↓
             包囲する
                 ↓
              各地から援軍が来る
                 ↓
               孫策90万の軍に囲まれる
                     ↓
                  900の兵で包囲を抜け出すつもりが劉備を討ってしまう   
                      ↓    
                     異民族南下              
                       ↓
                     五湖十六国時代
9ジンジルクス ◆p488GDaooM :2006/01/16(月) 09:33:16
孫策が曹操を倒すのはさすがに無理だと思うぜ
無理に攻めていって玉砕しそうだ
孫策の中原制覇は孫策ファンの夢だけどな^^^^;
10無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 10:03:32
許昌に攻め入って曹操から献帝を奪い取る計画を立ててたんだっけ?
11無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 10:23:47
どちらかというと袁紹に呼応した形に近い
12無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 10:29:24
>関羽が孫策の配下の周愉を背水の陣で破る
????
13無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 10:31:25
孫策が生きていたらまず父親の敵ということで荊州を奪いとっていたかも、
そして蜀をとれば曹操以上の大国を築き、曹操対孫策の一騎打ちになって
いた。
14無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 10:58:43
荊州を取ればそりゃ益州も取れるだろうな
だが、荊州攻めのときに背後から攻めてきた曹操に潰されるってオチがありそう

その前に孫策が孫堅と同じように罠にはまりそうだ
15無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 11:11:59
軍事才能より、政治才能が感心する。
ただの海賊出身で、名族周氏を取り入れて、
二張のような名士を幕下に招致できたのは、たいしたものだ。
(呂布、劉備を見れば分るが、名族、名士ってどこの馬の骨も分らん
やつに簡単についていかないものだ)
彼らが孫家についていかなければ、江東は短時間に平定されなかっただろう。
死に際、息子ではなく弟に権力を移譲するのも凄い。
ただ、曹操を倒せるかどうかについて、正直難しい。
生まれたのは20年早かったら、定かではないだろうが既に曹操が
巨大化になった時はもはや個人の才能より国力の問題だ。
その溝は諸葛亮時期の蜀を見ても分るが、簡単に埋まらない。
16無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 12:07:41
袁術からの独立も政治手腕と言うか駆け引きの上手さを示してるわな
17無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 12:28:57
孫策が曹操領に進行
意外な力で徐州まで取る
曹操が孫策に気をとられてる間に、急に袁紹が曹操を攻める
曹操は陳留の辺りに逃げる
袁紹が皇帝を手に入れる
何故か孫策VS袁紹に
隙をみて曹操、漢中辺りで再起をはかる



色々あって、
袁紹→死ぬ→息子→喧嘩→何故か劉備が君主に
孫策→地味に荊州ゲトー
曹操→涼州ゲトー→成都ゲトー→
蜀と呉が少し大きく、魏が小さい天下三分
18無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 12:51:56
けっきょく江夏を抜けなかったのに何で北上なんて仮定で盛り上がれるわけ?
19無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 17:06:41
孫策ファンの夢だからだよ
20無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:58:34
ちょっと過大評価されてる気がするな。
親父より凄いのは確かだが。
21無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:59:40
>>20
どのヘンが確か?
22無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 01:00:52
功績が違うだろ
23【騎馬隊サラブレッド】ディープインポクト ◆E1w9sQluyU :2006/01/17(火) 02:13:12
>>20
早逝したのが原因かな?
24無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 02:57:08
>>15
死んだ時点で、息子は幼児じゃないのか。
弟に委譲したのは、常識の判断だろう。
25無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 07:04:42
>>23
それが大きい
大活躍した後、急に死ぬから落ち度が生まれなかった
26無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 07:53:15
あの性格なら、生きてても誰かに刺されそうだけどね
しかしカッコいいよな、孫策
27無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 23:01:52
>>24
まぁ常識ではあるが、それでも生前から、新たな臣下が加われば、それを孫権に紹介して、
「いずれお前の手足になる人々だ」とか言っていたはず。
将来的なビジョンをどう考えて、↑みたいな弟ageをしてたのかは知らんが、
自分の限界と、弟の得がたい才、その両方をきっちり理解してたんだろう。
それだけでも凄いよ。
なんだか一般的に爽やか短気くんでバカっぽい印象があるけど。

孫権死後、呉の滅亡間際まで慕われたっぽい話が結構残ってるもんなぁ。
若くして死んだからこその美化もやはりあるだろうね。あと顔が良かったのも。
28無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 00:59:40
>>26
身辺警護を軽視してる以上、遠からず暗殺か戦死したろうね
史実どおり死ななくても直ぐに北上なんてできないだろうけど
29無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 01:23:34
共の者も連れずに狩りしたり、お忍びで出歩いたり
それをさんざん心配されて諭されても、スマンわかってる、と言いつつ辞めなかったんだっけ
そりゃあっけなく死にもするわな
確かに馬鹿だがそういうところが面白い
30無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 11:42:04
ある意味その辺がヒーローっぽいから孫権よりも人気があるのかもしれん
31無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 14:05:12
もし孫策が長生きできたら、
官渡の結果が大きく変わったかもな。
隙を見て曹操領を襲って皇帝を手に入れて、
官渡を勝ち抜いた袁紹と対抗するか、
曹操と袁紹の共倒れを傍目に荊州を奪い取るかどっちかだな。

当時の国力では劉表にすら勝てない可能性もあるが。
32無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 14:29:19
33無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 14:35:56
孫策は無論政治的な見方で二張を家臣にしたのだが、
やはり二張が孫策と意気投合していたからこそ、出てきたのだろう。
というか、家臣の大半は孫策が集めた人たち。
孫権にとってこれだけの人材を残してくれて、ありがたいと言えばありがたいが、
迷惑といえば迷惑だな。二代、三代の重臣、後見人一杯で身動きも取れない。
張昭は言うまでもなく、周瑜とも赤壁以降戦略的な分岐が生じた。
周瑜が亡くならなければ、二人がどうなっていたのか正直わからん。
34無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 14:38:08
>>31
たぶん劉表を倒せるまでの実力がない以上、そのどれにも当たらない気がする。
当時の孫策は許貢の例からも分かるように不穏分子の掃討と江東の慰撫が急務。
軍事力でも江夏を落せず劉表に勝てないのが当時の実力。
曹操と袁紹が戦っている間に可能な限り荊州を攻略して勢力を拡げない限り、
赤壁と似た状況をむかえる可能性が高そう。
35無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 14:48:29
冷静に考えると曹操に勝てるはずがないよね
36無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 19:51:06
>>33
そのお目付け連中が死んだら孫権もおかしくなりだしたもんな
37無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 20:54:08
晩年の孫権をただの耄碌と信じきってる人って多いよね
38無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 23:12:36
益州取ってる間に荊州とられても、反転して取り返すのが孫策クオリティ
あんまり防衛の事考えてないよな
39無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 02:26:31
陳登にやられたんだっけ?
40無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 10:28:26
40
41無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 03:45:34
>>33
孫策と家臣の出会いとか結びつきって漫画みたいなのが多いよな
幼馴染みの周瑜はじめ、泣き落としでやられた張紘、
ガチンコ勝負のすえに走れメロスみたいになった太史慈、
孫策と家族を庇ったために投獄拷問までされた呂範、
死刑寸前で拾われた呂蒙、、、
孫権と張昭のバトルはさらに上を行く面白さだけど
42無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 09:16:08
いや、孫権とのコントをしてる張昭ですら
孫策時代はノリノリのイケイケだったのが、もう爆笑
43無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 15:01:15
あの狂人一歩手前の虞翻ですら
お兄ちゃんの時代は普通に謀士として活躍してるしね
44無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 18:20:52
人の使い方がうまかったのかな
45無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 18:49:16
>>44
人の意見をよく聞き、適所適材に人を用い、彼を知る人は
みな彼のために命を賭けるのを喜びとした、とまで云われとる。
まぁ相当短慮だし、欠けた部分が随分あって、それが災いして26歳で終わっちまった。

虞翻と孫策といえば、
山越討伐後の危ない山の中を二人で下りて来て、途中出会った軍楽隊に孫策が角笛を借りて
笛を吹いてたら、それを聞きつけた家臣たちがワラワラ集まって来た、
っていうエピソードが何故かすごく好きだ。
46無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 20:29:52
爆乳女子高生・孫策伯符(そんさく・はくふ)が
天下統一を目指すパンチラ漫画。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1098773840/l50
47無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 20:59:13
>>45
二十歳ソコソコで戦上手でカリスマ性があり人使いも達者なのに
その上思慮深ければそれこそ嫌味だ
48無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 22:02:24
改めて孫策と周瑜がトンデモ義兄弟だったと思わせる
49無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 02:13:38
鳳雛も孫策の時代は呉に仕えてたんだよね?

孫策が死んで呉から離れた人が結構いたような・・
50無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 03:35:33
孫策が死ななかった場合

孫策軍8000を率いて、上洛を開始する。
途中で夏候淵の軍と対戦するものの圧勝し、敵を生き埋めにしてしまう。
堂々とガラ空きの許都を占領し献帝を確保するつもりであった。
劉備が先に入っていた。
自分たちが夏候淵と戦っている間に、許都に入ってしまった柳眉に対し
ぬけ駆けされたと激怒した孫策は、劉備に対して大軍を集め威圧しにかかる。

謝罪に赴く劉備に対して軍師魯粛は彼を殺すように進言するものの、張飛の舞いと軍師ホウ統の機転と
いつものような人を食ったような、のらりくらりとした態度でなんとか許してもらう。

その後孫策主導のままに政局が決められ孫策は、江東に居を構え自らを覇王と称した。
51燕王淵 ◆i6jwvBOktc :2006/01/22(日) 05:03:53
普通に孫策について語られてるなんて
時代の流れを感じるなあ
52無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 08:48:35
>>49
孫策の時代 ×
孫権の時代 周瑜存命時 ○
53無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 01:00:28
あげ
54無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 01:27:37
その後論功行賞が行われるが、
基準は孫策との関係が良いか否かであったためにそれは不公平なものとなる。
劉備は新野に転封される(あそこも一応は都市だしな)と
こうして一応中国に平和が戻ってきたわけ。

平和は長くは続かなかった。
かって袁紹の配下であった田氏が論功行賞を不服として、孫策に謀反を起こした。

孫策はすぐさま大軍を集めて田氏討伐に向かったが、その後に劉備が挙兵。背後を付く形で
中原の一部分を瞬く間に奪ってしまう。

これを機に次々と諸侯が孫策に挙兵をするが、孫策は百戦錬磨。反乱を次々と下してくが
孫策が別の地域に行く間に、また反乱が起こるいたちごっこであった。

中原を制した、劉備は30万の大軍を集めて孫策がいない間に江陵を占領する。
このとき、愛しの妻の大喬を奪われてしまう。

すぐに帰ってきた孫策は4万の精兵を集めて劉備軍30万と戦う。
数に勝る劉備軍だが、軍規が乱れていたことと戦上手の孫策には勝てず完敗してしまった。
55無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 09:13:25
なにそのガチ覇王
56無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 09:22:12
ありえそうだが、周喩というストッパー忘れるな。
57無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:38:52
200年の段階では江夏の黄祖にも手こずっていたのだろうが
以降も孫策存命であれば208年曹操南下のタイムリミットまでに江陵制圧は可能だったのではないか?
もし実現していれば魯粛の青写真通りの天下二分時代へ

という所まで考えた時点でありがち過ぎる展開に自分でも赤面する
劉表陣営の抵抗力をまるで度外視している妄想だからねぇ
58無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:10:48
自分も孫策好きです。
黄祖や袁術の壁を敗れなかったですし、
勇将の太史慈相手に一国の主が一騎打ちを挑むのもちと軽率かと。
けど、蛮勇で僅かに狂気を孕んだ孫策が好きですけどね。
59無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:49:31
黄祖に手こずったといっても、野戦でコテンパンにノシたけど領内のイザコザでUターンだから国内に問題なけりゃ
現有戦力で突破できたと思うんだよな。まあその国内の安定も含めて国力なんだから、
当時の国力じゃ無理でしたってことなんだろうけど。
60無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 20:59:58
孫作
61無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 22:07:00
孫索
62無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 22:13:31
損裟苦
63無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 22:50:06
爆乳女子高生・孫策伯符(そんさく・はくふ)が
天下統一を目指すパンチラ漫画。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1098773840/l50


64無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:11:49
孫呉を語ると必ずと言ってもいいほど黄祖と袁術が出てくる。
どちらも評判がよくないが、不当に軽視されてないかっていつも思う。
65無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:14:39
袁術って実際どんなもんだったんだろうな?
大抵の三国志関係ではヘタレというイメージしかわかないのだが
66無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:32:24
袁術も若い頃は侠気の人で知られ、孝廉に推挙されたそうだが
この当時は郷党の間での名声を挙げるための売名行為が名門子弟の間で流行っており
官職について以降の奢侈で贅沢三昧な生活から察するに
侠客としての評判も売名のための演技だと思われる

また『山陽公載記』に袁術は孫堅の夫人を人質に取り、孫堅の発見した玉璽を奪ったとあるそうな
ヘタレというか、よりアグレッシブに嫌な奴だわな

いずれにせよ良からぬ評判の方が有名になった人物であり
話半分だとしても友人にはしたくないタイプだ
67無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:42:17
>>66
dくす

>いずれにせよ良からぬ評判の方が有名になった人物であり
>話半分だとしても友人にはしたくないタイプだ

何かワロタww
68無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 00:16:55
>>49
魯粛とか華キンとかな
69無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 08:28:15
>>66
アクティブで手段を問わない人物の典型だな
70無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:33:13
袁術って当代の英傑に囲まれた上、袋叩きにあっちゃうわけである意味能力以前の問題だよな。
立ち回りの下手さなのか運がないのか…
71無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:39:02
名門のネームバリューで人が動く時代から脱却できなかった人間なんだろ

つーかいつの間にか袁術スレに
72無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:43:03
劉備を語れば曹操が語られるように、孫策を語れば袁術が語られる。
73無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:44:49
>>71
袁術はネームバリューだけの人間とは違うんだが
これだから袁術を舐めてる奴は…
74無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:50:33
>>73の袁術観に期待
75無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:59:43
黄祖を語る人が…いないか。相変わらず重要だけど影の薄いキャラだな。
76無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 18:42:51
孫堅を殺した英雄
77無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 19:32:18
黄祖って劉表に従属してる豪族なんだっけ?
78無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 19:50:24
孫堅を殺したっていうより孫堅が勝手に死んだ
79無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 09:11:35
猪突だからな
80無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:26:47
さすが孫堅の息子だ
81無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:41:31
つうか黄祖って孫堅が勝手に死んだ時には
孫堅軍の捕虜になってて、孫堅の遺体と生身の黄祖を交換したんじゃなかった?
82無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 17:31:05
「オヤジィー、先陣は任せてくれぇー!!」
「うおおお、許さねぇ劉表!!オヤジの仇、必ず取ってやるからなぁ!!」
83無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 23:12:25
正史を見たら黄祖はただの劉表配下の江夏太守というより
江夏一帯の反孫一族の頭領みたいなポジション
孫策が黄祖に攻撃をすると必ずといっていいほど
反孫策派が牽制に出る、黄祖を滅ぼすには反孫一族が割拠する
江東の平定が必須になる
84無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 14:30:49
反孫策派というより、孫家が反劉表、反黄祖って感じかも
85無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 21:35:30
長江上流を攻めるのは反劉表、反黄祖云々以前の
戦略的行為だよ、仇討ちは大義名分
86無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 12:27:09
まぁ、そうだろうな。
実際孫家はそんなこと前から平然とやってるし。
87無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 15:33:46
個人的復讐で除州で虐殺するのが曹操
同族を騙し討ちするのが劉備
英雄はみんなエグイ
88無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 15:37:47
>>87
劉備と劉ショウは劉邦の子孫って意味では同族だが
系統が全然違うぞ
89無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 17:57:34
>>88
劉氏を利用して売り込みをやっている人間が
劉氏の人間の領土を騙し討ちで奪うという部分を問題にしたいんだろ

劉備はピカレスクロマンの方が似合うよな
90無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 21:21:45
劉備自身が同族だから劉璋を攻める気はないって言ってるのになあ
91無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 01:39:47
どのみち、特に恨みもない劉璋を騙し討ちのようなかたちで領地を奪ったのがいかんのだろうな劉備は
92無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 01:23:12
張任がかわいそう
93無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 07:58:43
張任捕らえといて劉章に説得させればよかったのにな。
降らなかったからって即斬ることないよな。
94無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:22:42
斬ったからにはそれだけのワケがあったと解釈するべきなのだろう
史書の記述からだけでは伝わらない、当事者だけが知る事情が沢山あって然るべきだ

そのこらへんの妄想を踏まえた解釈は蒼天が上手だったな
95無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:32:13
まぁそれを言うなら関羽を捕らえた時に殺さないで
呉にお持ち帰りすればよかったのにって事も言えるな
96無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:37:18
関羽も呪い殺すなら呂蒙なんかじゃなくて孫権にすりゃいいのな
97無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:50:46
そりゃ、霊になって劉備に取り付く馬鹿義弟の兄だもん
98無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 13:04:45
続き
その後、孫策は華北一帯に劉備を追い込むも(官渡の戦い)、
劉備配下の関羽や孫策に反感を抱く関中の馬超や
趙雲の義勇軍による後方撹乱行動に悩まされる。その間隙を狙うように行われた
法正による内部分裂工作により知恵袋であり信頼していた
魯粛やこれまで共に闘ってきた周喩・韓当等の将軍を疑うようになる。

ホウ統、法正、孔明等の人材を使いこなし孫策に対抗する劉備を
打ち破れなかった孫策だが、まだこの時は劉備よりも優位の立場であった。

この状況を打開すべく、劉備は、関羽に孫策陣営の平定を命じ、関羽は兵を率いて、
韓当を皮切りに、呂蒙、陸遜、周喩、太史慈、を次々攻略した
特に「背水の陣」を用いて陸遜を油断しておびき寄せ挟み撃ちにし
「嚢沙の計」を用いて灯りで周喩を誘き寄せ水攻めにして討ち取った
周喩との戦いでの勝利が非常に名高い。

紀元206年、孫策は劉備と一旦和睦し故郷へ帰ろうとしていた。
この時劉備軍が和平の約束を破り孫策の後背を襲った。
激怒した孫策は劉備を打ち破り、小城に追い詰めるが。
しかしその後斎王を称した関羽を中心とした諸侯の70万とも80万とも言われる連合軍に
孫策は長江に追い詰められた(赤壁の戦い)。
この時孫策が立てこもる鳥淋を包囲した兵士が孫策の祖国の江東の歌を歌い、これを聞いた孫策は
「ああ、祖国の江東の兵士達も既に劉備に降伏したのか。」と嘆いた。

項羽の足手まといにならぬために、剣舞を踊るふりをして大喬は自殺をした。
悲しみに暮れる孫策は800の精兵を集め劉備軍の包囲を突破し長江の畔に辿り着く。


99無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 13:19:33
小いらないじゃん
100無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 18:04:16
関羽は日頃の行いがわるいから死んで当たり前。
101無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 23:57:53
下のやつからは神扱いだけど同僚にはいばりちらして疎まれてたみたいだな
102無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 14:08:51
別にいばりちらしちゃいないだろ
ガキみたいな性格はしてるけど
それに劉巴とか見てると、名士や豪族たちにだって傲慢なところはある
むしろ関羽がどうこうよりも、関羽や麋芳・士仁らの仲を矯正しなかった劉備の責任が一番大きいと思う
103無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 22:34:14
いやぁ、さすがにそこまでするのはきついんじゃないかな。
104無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 23:56:49
50代のおっさんに、人間関係について説教できねーだろ
105無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 00:05:00
劉備も孔明も関羽のご機嫌取ることの方を重視していた節があるし

つーかまた話が脱線しているな
106無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 00:06:22
いくつだろうが矯正すべきだろ
それが国事に繋がってるならばなおさらだよ
それでも言うこと聞かないなら関羽が全面的に悪い
費詩との一件を見ても、理をもって説けば関羽もちゃんと理解してくれただろうしな
107無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 16:59:22
益州を遠く離れた荊州の人間関係なんて中々わかんねえ、つーのが正直な所だろう。
劉備も張飛のように日頃から注意はしてたかもしれんが。

孫権が甘寧と孫咬の争いを諌めた例はあるが、あれは一方が身内である孫咬であったためあえて孫咬を厳しく諌めたが、
そうでもなければ臣下の関係に主君が首を突っ込むことは難しい。
甘寧と凌統の関係もずっと以前から知っていたにも関わらず凌統に軽く注意するだけで、
一触即発の事態でようやく配置場所をわけたくらい。おとがめはなし。
周瑜と程普の時も解決したのは当事者の周瑜の方で、孫権はあの土壇場でW司令官という無頓着ぶり。

ちなみに>>102よ、劉表の度重なる招聘推挙を断り、劉備から甥の教育の頼みを断り、
個人的な交際を絶ち、劉備に「私でなければ扱えない」とまで言わしめた堅物劉巴を指して名士を語るのは極端だ。
呉の誇る名士張昭ですらその時の劉巴の見識の狭さを非難しているほど。
108無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 17:10:16
甥って劉磐じゃなかった?
109無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 17:26:32
ごめん劉先の甥でした。
110無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 22:14:11
蜀のことを語るスレはここですか?
111無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:13:07
>>107
が、孫権はそんな劉巴を褒めてたりする

呉でも朱然とかが寒門出身の周泰の下につくの嫌がってたし、
まぁ全員が全員とは当然言えないけど、
この時代の名士や豪族の意識の根底には、
庶民に対する差別意識が少なからずあったと考えても良いんじゃないの?
112無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:16:19
魏延の首を踏みつけた楊儀はこの庸奴が、思い知ったかとか言ってたしな
113無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:21:31
孫策の話題→カンヌの話題→名士の話題
114無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 13:01:20
>>111
ここで孫権が褒めたことを持ち出す意図がやや不明だが、
孫権が褒めた理由を「卑賤な生まれを持つ者を受け入れない態度が名士として素晴らしい」と理解するのは俺には難しい。
孫権と張昭でより家格の高い者も、儒者としてあるいは名士としてより高い見識を持ち、行動のより所にしてるものも張昭の方。
孫家と張飛の一族では孫家の方が高い家格の持ち主と言えるかも知れないが、
比較すればより高い家格の持ち主は多くいるわけで、兄孫策と陸康の件を知らぬわけでもないだろうし、
後に例に挙げられた周泰を励ます時と言動が真っ向から矛盾してしまう。


孫権が褒めた言葉として
・世の中の動きに従って態度を変えなかった
・劉備の気に入るように努めなかった
・不適当な人物(張飛)と交わらなかった
これが高尚な人物と呼ばれるに相応しいとした。

これの三番の不適当の理由を単なる生まれの低さと理解しようとするのが混乱の原因で、
一、二番(主に二番)と合わせて考えれば、殆ど劉備の宗族に近い扱いの張飛に阿らない態度を褒めたと見るべきじゃないだろうか。
類似の例でいえば魏の重臣であり曹一門の重鎮でもある曹仁がわざわざ許チョにへりくだって話しかけ同席を持ちかけたのに
許チョの側が断ったことなどにあたる。

それと後の周泰の例で孫権は周泰に寒門の生まれと言えども〜と励ましたが、
養父朱治が孝廉に推挙されるような朱然はともかく同じく槍玉に挙げられた徐盛は周泰に文句付けられる程生まれがいいのか?
って感じもする。奴は蒋欽に対しても不穏当な態度を取っているので蒋欽・周泰が特別卑賤の身なのかもしれないが、
有名な夷陵参加の大将陣に朱然・徐盛らが名を連ねていることを考えると、
こいつらは生まれに関係なく上司に厳しいクレーマーなんじゃないかとも思ったり。
115無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 17:56:58
>>114
別に孫権云々出したのは、補足のつもりで出しただけなんだが
116無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 18:22:00
名士連中も一皮向けば自分たちの勢力を伸ばすことに執着してる集団だからなぁ
学派の違いによる衝突も凄まじいものがあるし
117無名武将@お腹せっぷく
孫策関係ならいいやろ