ゲーム風に仙石を数値で評価した場合、どんな数値が妥当?
875 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 08:26:50
太閤立志伝風で評価するなら・・・
統率:54
武力:77
政務:65
知謀:50
魅力:82
理由はこんな感じかな・・・
統率・・・戸次川以外(引田は如何ともしがたい兵力差があったので除外)の戦(中国攻め、淡路攻め、紀州攻め、第二次四国攻め)は無難にこなしている。
武力・・・数多くの戦場を生き抜き、また小田原戦では虎口を占拠する活躍をしている。
政務・・・過酷な課役により、農民に逃げられた点はマイナス。しかし、土木建築(城普請と小諸開発)と早くからの殖産興業(小諸蕎麦)に目を付け、実行していた点は評価できる。
知謀・・・戸次川の大失態は大きなマイナス。だが、挽回の際の準備のよさ(家康の口添えとパフォーマンス)や家名存続のための様々な行動は後々に活きている。
魅力・・・大失態をしたにもかかわらず復帰が許されたこと、時の権力者(秀吉・家康・秀忠)から高い信頼を勝ち得ている点と後の講談での活躍。
贔屓入れて、こんな感じかな。
>>875 そこから各能力一割引したら丁度良い感じ。
魅力82は幾等何でも高すぎるんでは?
…ま、能力談義は程ほどにしとこう。
>>857 じゃあ仙石の生涯戦績は城之段とか言う城落としたのだけですか…
どの程度の規模の城か知らんが
もう漫画読み過ぎ査定はいい加減にしろと
実は上限値が150なんだろう。
881 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 03:46:39
>878
いや、仙石個人の指揮によって攻略されたのは茶臼山城攻め、由良城攻め、川端城攻め、喜岡城攻め、岩倉城攻め、和気城攻め、小松原城攻め、城之段城攻めとなる。
城之段城は湯川直光の城だから、そこそこの規模だったとは思うよ。
>879
だから贔屓入れての評価といったろ。
漫画読みすぎ査定というが、それなら前田慶次・雑賀孫一・山中鹿之介とかも能力高すぎだろ。
>>881 もういい加減にしろ、何だから普通にそこらへんも含めての話だろ。
何でもかんでも「自分が否定されてる」みたいな思い込みはいい加減うざいぞ。
今までの数値に何も文句いってなかったのに
漫画になった途端、数値が・・・とか言いだしてるだけで影響受けてるお
そういうもんだろ。何かしらの影響受けて武将の評価も変わるものだからな。一般人がもつ戦国武将の評価の大半は映画・ドラマ・小説・漫画による力が大きいだろうし。
既出かもしれんが、仙石は四国勢をこのままのさばらせとくのは
豊家にとって後々めんどくさいから秀吉の密命をうけて
わざと指揮を混乱させ敗北させたという説もあるよ
後々復帰できたのはそのため
>>885 話にならんな
勢力そぐためなら堅固な城攻めの担当にするとか
大会戦で先鋒にしたりといくらでも手がある
いずれも本隊が到着してからの話
豊臣軍の戦力が揃ってない時に、戦線を大幅に後退させるような
真似してまですることじゃない
>>885 そういう「裏では実はそうだったのだ!」的なネタってよくネットで見かけるけど、
自発的にソースを出してくれた人って皆無だなあ。
どう、たまには出典のひとつもつけてみない?
「裏の事情だったから表だった記録には残ってないんだよ!」で終わりじゃね?
小説とか創作フィクションならべつにそれでいいんだけどな面白くなれば。
仙石秀久と尾藤知宣の二人の人生を比較すると面白いな。
二人とも初期の秀吉に仕え、無事出世し大名までのぼりつめたものの、互いに九州征伐の際には軍監として、前者は積極策をとり、後者は消極策をとったことで失敗を犯し、追放されている。
その後、二人とも小田原征伐で許しを請うため馳せ参じるが仙石は大名に復帰、尾藤は処刑されただの暗殺されただので、最後もわからずじまいで消えていくんだもんな・・。
>>885のような事は想定してなかっただろうが、秀吉にとっては結果オーライじゃないか
敗戦は痛いが邪魔な四国勢を整理できたんだしプラマイゼロな気がする
整理できたって…
整理された四国勢は仙石だけじゃんwww
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 03:34:48
大局を見誤って敗北した武将は数多く、
最終的に数万石程度の禄で終わった大名も多い。
仙石は、数多いそうした戦国武将の中で、それほど貶されるほどの武将ではない。
もちろん、讃えられるほどの武将かというとそうでもないが。
比較対象が、大大名や当時を代表する名将クラスなのが、仙石がしょぼく見える原因ではないか。
しかし、それは、
たまたま、小大名にあまり精通していない半可通でも、仙石の名前だけは割と知られてしまっているから、だろう。
もちろん、自分も、仙石クラスの規模の大名でどんなのが居たのかはほとんど知らない。きっとたくさん居たんだろうな、位のモンである。
仙石がネタになるのは、戦功の有無とかは本質的な問題ではなく、
九州におけるクセノフォンもかくやという「大撤退」と、そこからの改易と復活劇ゆえに他ならない。
そこで論点としてあげるべきは、むしろ、
「なぜ、仙石は、自領の讃岐まで退かざるを得なかったのか。
途中で安全を確保するすべは無かったのか。
(たとえば、出兵準備をしていた毛利を頼る手もあっただろう。
むしろ、単純に「臆病だから」という理由付けならば、手近な大勢力の友軍・毛利を頼りそうなものである)」
というのがまず一点。
加えて、
「本隊が参戦しないままで起きてしまった戸次川での敗戦が、豊臣政権にどの程度影響を与えたか。
敗戦が引き金となって、何らかの危機が訪れるリスクはあったのか。
(九州征伐が頓挫する、あるいは、友邦毛利が離反する、徳川との戦端が再び開かれる、島津勢が余勢をかって九州の外まで攻めあがる、など)」
という点も気になる。
一応自分なりの推測や解釈はあるけれど、今夜のうちはあえて、「問い」として問題提起するにとどめてみよう。
誰か3行くらいにまとめて
仙石が讃岐に逃げ帰った理由を敗戦後の仙石本人の立場で考えると・・・
・大友家は島津侵攻のために瀕死状態(大友が島津方に降伏するかもしれないので、小倉城では長居できない)。
・毛利は味方になったばかりで、いつ離反するかわからない(これを機に毛利と島津が内密に手を組み、助けを求めたところ、逆に捕らえられる可能性がある)。
・混成部隊であり、さらに敗戦によって多くの指揮官が死亡し兵力も分散、指揮系統はめちゃくちゃで守備隊も編成できない状態である。
・敗戦後に軍監身分である仙石にとって最大の主任務は生き残って戦況報告等を行い、敗戦の責任をとる必要がある。
自分なりにはこんな感じかな・・当然かなり都合のいい解釈だがw
一気に讃岐に帰ったわけではなく、しばらく小倉城に留まっていた事を見ると、この時に何かしら思案してたんだろうな。
逃げ帰った理由以前に、逃げ帰らなきゃいけない状態に陥ってるだけで、十二分にプギャーだろ
大敗して逃げ出した武将は仙石だけじゃなかろう?
単に負けたとか逃げたとかでカタルーニャ
「みんな」理論キタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
ゴンベエが長宗我部・十河の軍鑑をしていた同じとき、
毛利と宇喜多付き軍鑑が黒田官兵衛だったわけだが、
官兵衛さんと同じ役割を秀吉は期待したのでしょうかねえ。
当時の官兵衛とゴンベエの秀吉政権における位置づけはどのへんにあるかという話になるわけだが。
しかも三好一門の十河氏は外様といえど親秀吉派だしな
四国勢=とりあえず牽制のための先遣部隊
毛利、宇喜多勢=主力先鋒
そもそも率いる数や期待されてる役割が違う
正確には四国勢+大友勢。
総勢2万の軍監だから、出世コースのポジションでいい位置づけではあるな。
ただ秀吉は官兵衛と同じ役割は期待してないと思うよ。
命令はあくまで待機+現状維持だったからな。
902 :
木村貴光:2006/11/23(木) 18:45:13
私こと花岡美代子は愛知県岡崎で殺されました。
中部地方のクズどもこれ以上のホームレス猟りはやめろ!!中部地方はこんなやつばかりですわ。岐阜県と愛知県民はもう三国志を語るな!!でていけ岐阜愛知に核弾頭を落とせ!!一人も生かすなクズが…わたしゃ成仏できないよ!!
木村貴光は花岡美代子さんを支援します。ホームレスも立派な人間です。みんなで警察のクズどもに脅しかけて、ちゃんと捜査をさせよう。犯人わかってて動かない警察に喝を!!
903 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:37:58
相当好意的に解釈するならば、
戸次川で積極策を主張した理由は、
不仲であった長曾我部と十河を
強硬路線を主張することで引っ張って意思統一を図ったのではないかと思われ。
(三国で言う、合肥の張遼のようなもの。
李典・楽進らとの不仲を、
寡勢で打って出ることで防衛戦線の意思統一を成功させた)
何の根拠も無いけれど、動機は十分なのよね。
今は同じ太閤配下の四国勢とはいえ、かつての宿敵同士を、
「余所者」の立場でまとめなきゃいけないんだから、
消極策を唱えようモノならば、ただでさえ低い士気と統率が、
ますますグダグダになりかねない。
万が一そうだとすると、
むしろ、そこで正論を主張した長宗我部が空気が読めていなかった、
ということになるのだけれど・・・。
(あるいは、十河も長宗我部と同様に仙石の強硬意見に異を唱えて、
長宗我部と手を取り合っていれば、
仙石も案外あっさり意見を変えたかもしれない。
その真意はどうあれ、
二人そろって反対されたうえで主張を通せるほどの発言力(立場上の「権限」は別として)は
いずれにせよ、仙石には無かった気がする)
成否は別として、仙石の立場で積極策を主張したこと自体は、そう大きな失点とはいえないのでは。
もちろん、結果として「見事に」釣られてしまったわけだが。
>>889 積極策を取ろうとする者が失脚しても復帰でき、消極策を取ろうとする者が失脚すると浮かび上がれないということは、豊臣
家臣団は帝国陸軍の直接のご先祖様のようですね。
>>905 帝国陸軍にも石田三成のような補給の達人がいてくれればなぁw
史実だとあんまり弱くないのに、最近の信長の野望だと弱すぎだな…
と、漫画が出た途端言い出す奴が増えてもう
そういう単純な発想しかできない905は帝国陸軍の子孫
ぷっ
島津氏にとっては、秀吉本隊が来援するまでに北九州の要衝を全て確保しておくのが至上命題
だったのだから、短期決戦を望んでいた。
そこへアホみたいに正面から渡河作戦を決行した仙石は、やはり戦略眼がない。ここは多少味方
に犠牲が出ても決戦を避けて持久策を採るべきだし、秀吉もそのように命令していた。
敵将の島津家久は突っ込んでくる四国勢をみて小躍りしたろうな。
>>889 逆に攻撃を控えるように秀長へ進言した尾藤も秀吉の勘気に触れる。
どうしろっちゅうんじゃ!秀吉w
まぁ冗談。
状況が若干違うから一概には言えないが、尾藤は恐らく釣り野伏せを警戒し・・・・仙石は無視した。
どーも歴史の闇に消えた尾藤知宣という人物が気になる。
名将言行録の信長のエピソードの一つにこういう話がある。
元の出典がどこなのか、どの戦いのことなのかわからないが。
ある役で信長の先手が崩れ、本陣の旗本も危うく見えた。
信長は周りのものに「尾藤はいないか」と問う。
「三の備えにおります」と返答があり、「それならば気にすることは無い」と騒ぐ様子も無かった。
そして結局二の備えまでは崩されたが、三の備えで予想通り受けて突き返したので敵を破ることができた。
これは信長の見通しの正確さを物語る話という位置づけのようだが、信長から相当信頼されていた指揮官だったように見受けられる。
ごく小規模の部隊長として有能だったという点でも仙石と同じ・・・・
>>912 戦国時代板の方のスレにあったレスだけど
99 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:09:10 ID:aAZ5TZpu
>>95 尾藤甚右と、同じく粛清された御子田(御子柴とも伝わる)半左は元々信長の旗本で
墨俣城主になった木下藤吉郎が請うて与力として貰ったという説がある。
二人とも武将としては有能で頼りになったが、秀吉に対して信長直参という事で横柄な
態度を取る事もあったとかで、その時点では我慢していたが、信長も死に、人材も豊富
になった時点で不要として処分されたとか。
100 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:12:45 ID:aAZ5TZpu
ちなみに横柄な態度云々がなくても、単に自分の直臣ではないから
信用できないとして処分された可能性はある
ただ仙石も「センゴク」一巻で描かれたように、直臣ではなく信長から
預かっていた武者って説もあるからその辺の区別ははっきりしない。
元々は信長の直臣だったという説が多いようだな尾藤
>>913 そういう意味で言えば、信長の寵臣なのに粛清されなかった堀秀政は尻尾をつかまれない方でも「名人久太郎」だったな。
蒲生氏郷もそうだな
死後は蒲生家は減封されたけど
長谷川秀一も本人は死ぬまで重用されてたけど死後はお家断絶
まあこれは無嗣断絶だから仕方ないが
そういう意味では親父の所領、それも上杉旧領という難治の越後をそのまま任された
堀秀治は凡庸と言われてるけど意外に有能だったのかもしれん
掘秀治は相続したどころか加増されてるよ
久太郎が死んだ時堀家の所領は越前北ノ庄18万石だったけど、秀治の代に
越後に加増転封された
あと久太郎に関しては幼少時から小姓として信長に仕えていたという説の他に
最初は晴れて墨俣城主になった秀吉の下に小姓として仕え、その後に才気を
買われて信長の下に推挙されたという説もある
後者の場合は元々秀吉派閥で、信長の意向をいち早く秀吉に伝える間者の役
を務めていたとも考えられ、後の厚遇も当然とは言える。
尾藤にせよ堀にせよ、墨俣城主時代(があるかどうかも実に眉唾だが)の秀吉との
交流があったというのは『武功夜話』がソースじゃなかったっけ?偽書説が
ほぼ確実になってるし、それはほとんど論拠にならんぞ。
雑兵としては一流
将としては三流
だなっ!
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 05:31:07
いや、さすがに三流とはいえない。
二流てとこだな。
兵としては一流
中級士官としても一流
上将としては一気に三流って感じ
秀吉もそのギャップは大誤算だったに相違ない
923 :
無名武将@お腹せっぷく:
age