ねえ、張飛を武力以外で讃えるとしたら何がある?益州侵攻のときとかみると、かなりの軍略家だったとおもうんだけど
>>894 袁胤から玉璽奪って皇帝に返した。
あと曹操が丞相を譲ろうとした相手。
ナムコ三国志リスペクト。
関羽が呉にしたって話も縁談を蹴った話と食糧強奪事件の二つだけども、
縁談を蹴った話は元々呉の関羽と劉備の離間策が見え見えの縁談だし、
関羽が怒るのも無理は無い、断り方は不味かった面はあるが、
呉もこれに対して怒るのは筋違いの話。
食糧強奪事件は既に呂蒙が荊州奪取に動き出している段階の話であり、
既に同盟の破綻が起きてる時点の話、信憑性もイマイチだしな・・・。
荊州問題自体は劉備からして返さない方針で、関羽がどうこう出来る問題ではないし、
それに荊州割譲以後は両国に交渉は無いので、一旦収まった問題ではないだろうか。
魯粛死後から孫権に荊州奪取の策略を説いて、実行に移そうとしてるあたり、
同盟の破壊者は呂蒙で間違い無い。
まあ荊州問題そのものに関しては、両国とも相手を非難できる問題じゃねえけどね。
南郡を貸したのがいつの間にか荊州を貸した事にしてる呉も呉だし、
南郡を借り受けといて知らんぷり決めてる蜀も蜀。
>>縁談を蹴った話は元々呉の関羽と劉備の離間策が見え見えの縁談だし
そりゃないだろ。
いくらなんでも蜀贔屓すぎる
>>897 離間策が見え見えなら、ますますそれに乗ってしまった関羽の思慮不足は責められるべきだな。
どんなに見え透いたことでも、相手が一応は礼節に乗っ取って外交を行っている以上、それを
暴力的にぶち壊したのでは、「関羽は呉と通好する気はない」と口実を与えるだけ。
フォローになってないぞ。
さらに
>荊州問題自体は劉備からして返さない方針で、関羽がどうこう出来る問題ではないし
だからこそ、荊州を任された関羽にはその失陥に対する責任がある。関羽は、主君の方針を
守ることが出来なかったのだから。
ついでに言えば
>食糧強奪事件は既に呂蒙が荊州奪取に動き出している段階の話
だとすれば、関羽は呉が荊州侵攻の動きを見せている時期に守備の兵を割いてまで北進
を行ったわけだ。知っていてやったのなら呉の戦意と戦力を見誤った結果であり状況
判断のミス。知らなかったというのならそもそも関羽の諜報能力に問題あり。
>>898 いや状況を見ればどう見ても離間策でしょ。
関羽の主君である劉備は既に孫権の妹と離縁しており、
それなのに主筋である劉備を通さずに、関羽に直接の交渉、
一国の君主である孫権と、荊州を任されてる関羽が縁談を受ければ蜀政権内で関羽が
どういう立場に立たされるか分る筈、しかも呉が荊州を強く求めてる事は周知の事実であるの
にも関わらずだ、またこの場合関羽の娘をよこせっていうのは半ば人質をよこせと言ってるようなもの。
まさか本気で呉がこの縁談を持ちかけていたとすれば、それはそれで呉の外交的配慮を疑う。
>>899 離間策って劉備と関羽との離間策なんだけど、だから策に乗ってないし、
おまけに主筋である劉備を通さずに関羽に直接縁談を持ち掛けるのは
礼節からも外れてるし断られて当然でしょ。
ただ確かに関羽もうちょっと穏健に断ればよかったが、
この一件で呉が関羽の態度についてウダウダいうのは筋違い。
荊州失陥は蜀政権内の関羽の責任であって、呉蜀同盟破綻の責任ではない、
同じく守備兵云々も蜀政権内の関羽の責任、なんか論点勘違いしてない?
呉蜀同盟の破綻?
そんなもん劉備が江陵を返さず妹が呉に帰った時からのことだろ。
関羽のせいとは言わないが、だからと言って孫権や呂蒙のせいとも言えないぞ。
もともと呉の戦略においても蜀の戦略においても荊州は必要な土地。それでも
呉蜀が同盟を組もうというのなら、どちらかが折れて諦めるしかない。
>>902 孫権の妹が帰った後も魯粛が死ぬまでは同盟を続けようとする意思はあった、
魯粛死後に呂蒙が孫権に荊州攻略を説いて、それからは明確に荊州奪取に向けて動いており、
同盟破壊の実行者は間違いなく呂蒙でしょ、同盟破壊を前提に動いてる。
荊州は一応は割譲されたし、呉にとっては今だ不本意でも互いに騙し騙しやっていく必要があった、
荊州の奪取はもっと時期を見るべきであり、夷陵を招くようなやり方は不味かった。
まあここらへんは上でも散々語られて、ループしてるけどねぇ...。
呉蜀同盟をうまく操作できたのは魯粛だけ。
劉備も関羽も魯粛の手のひらに踊ってたに過ぎない。
そんな魯粛が死んじゃったもんだから蜀を操作できる人間いなくなっちゃって
仮にこのまま呉蜀同盟が円滑にいって魏を打倒できたとしても
蜀の方が呉より優位に立っちゃう可能性の方が高そうだし
かつて呉より下位だった蜀が自分より上位になっちゃうのは
俺が呉の立場だったら魏の傘下入りするより遥かにへこむな。
>>904 演義読んだことないの?
ならこのスレくんなよ
そもそも呉には蜀のように魏を倒す意思があったの?
荊・楊州の防衛ラインを堅守して、半独立国家を維持できればOKって気がするんだけど。
孫策周瑜魯肅にあったことは間違いない。
>>903 >荊州の奪取はもっと時期を見るべきであり、
時期を見て荊州奪えなかったじゃ洒落にならんだろ。
あのタイミング以外でどういう絵を描いたら荊州を獲得できるのかそれを示せない限り
呂蒙の荊州侵攻は唯一の機会を生かした最善の戦略だったことになる。
荊州奪取は時期を待って、と言う意見には同意できないなぁ。
では、どんな時期なんだろう、と言う事になるよ。
関羽が隙を見せた、あの時期がチャンスでは?
荊州を失陥すれば劉備が出兵してくるのは視野に入れていたと思う。
陸孫を早々に夷陵近辺に派遣して国境を塞いでる訳だし。
また、夷陵の役の時期は呉にとって大変な時期ではあったけど、関羽戦の頃より、魏とは良好な関係を築いてる訳で、二面戦の可能性は低い。
対蜀と言う部分では、国境線に近い夷陵で劉備軍を防いでおって、この戦役のみを取り上げれば、そんなに厳しい戦いではない。
火攻で大勝する以前に、蜀漢軍を止めてる訳で、この段階ですでに防御側有利だろう。
>>903 一つ誤解があるような。
魯粛の呉蜀同盟はあくまで「呉が荊州を領有する」ことが前提。
三分についても同様で、魯粛は本来甘寧と同様に二分策で益州まで含めて魏と
対峙することを計画に入れている。しかし周愉の死によって益州侵攻が一先ず
頓挫してしまったので、次善の策として劉備を強化して魏に当らせるという方策
をとっただけのこと。
呂蒙が同盟を破壊した云々というが、実際には魯粛も壊している。
この二人はあくまで荊州の領有を目指した上で蜀と結ぶ事を目指しただけ。
単刀会でも、最初に侵攻したのは魯粛。そのあとで会談で(一先ずの)妥協決着を
つけただけ。おそらく魯粛が生きていれば、同じ調子でじわじわと荊州を奪還して
いっただろうね。呂蒙はいっぺんに奪還をはたしたわけだが、それは両者の考え
の違いではなく、おかれた状況の違いなだけ。
二人とも、「まず強引にでも土地を奪う、その上で蜀に認めさせたうえで同盟を再
締結する」という手段は変らない。
>>910 魯粛存命ならば、そこで打ち止めじゃないか?
少なくとも涼州を取るまでくらいは。
呂蒙に夷陵の役をやる覚悟があっても、
魯粛にはないだろう、と思うのだが。
>>911 赤壁前夜、勝手に劉備と密盟結んで諸葛亮連れてきて孫権に事後承認を迫ったのが魯粛ですよ。
演義のイメージで語らないほうがいい。
>>912 すまん、『覚悟』という言い方が悪かったようだ。
『つもり』くらいに修正しといて。
私は魯粛を過小評価していない、と一応言っておく。
涼州を取るまでっていつ?
そもそも劉備は中原よりも先に涼州を取る気があったのか?
中原を得て強大になった劉備は、昔の盟約を律儀に守って
荊州を返却してくれる保障はあるのか?
かつて呉も一方的に盟約を破っているのだから
蜀も守る必要はないと突っぱねられたらどうするのか?
強大になった蜀と一戦するのか? それこそ勝ち目はないんじゃないか?
演戯のお人好し魯粛でも無い限り、荊州が将来的に平和的に呉の物になるとは考えないだろう。
魯粛だって、どうせ強行策をとらざるを得ないんだったら蜀がまだ呉の手に負える内に
荊州をとっちまおうと考えるんじゃないだろうか。
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:45:17
どっちにしろ、魯粛が荊州を奪うとしたら、劉備が攻めて来るのも計算しているだろうよ。
その時の作戦指揮は彼がやるとは限らないが、劉備を破るつもりだったと思う。
>>915 孫権の魯粛評が呂蒙伝にちょっと載ってるから読め
917 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:54:39
魯粛はプランナーとしては優れていたけど実行する能力ってのはそれ程ではない
孫権も「言うだけ言って実行しない欠点があった」と評価してる
>>914 劉備が約束を守る保障などまるでない。
守らない可能性がはるかに高い。
魯粛とて劉備がロクでもないやつだということは、
荊州分割の時点でわかっていただろう。
それでも決定的な同盟決裂、それに伴う激戦は曹魏を利するだけで、
それは孫呉が天下を得る上で絶対に避けねばならないはずだ。
>>演戯のお人好し魯粛でも無い限り、荊州が将来的に平和的に呉の物になるとは考えないだろう。
魯粛だって、どうせ強行策をとらざるを得ないんだったら蜀がまだ呉の手に負える内に
荊州をとっちまおうと考えるんじゃないだろうか。
合理的な考えだ。だが、こう考えたのは呂蒙ではないか?
魯粛はもう少し別の方向を見ていたような気が私にはする。
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:25:22
>>918 プランナーだから荊州奪回プランは取り返しに来る劉備を倒すとこまで考えるだろ。
実行者は別人だろうけどな。
>>920 計画ってのも大局的なのと実務的なのがあって魯粛は前者が得意だったってこったな
孫策…中原進出?
周瑜…自ら西進することで反曹勢力を糾合。天下二分
魯粛…同盟によって、周瑜の代わりに劉備を利用した天下二分?
呂蒙…同盟抜きで孫呉が自立できる天下三分
難易度でいうと魯粛のが一番キツイかな。
>>921 うむ。
だから孫権の魯粛評は一面の真実かもしれんが、全く不当な評価だと思う。
実行者であった者を持ち上げるための発言と言うべきか。
>>923 それは、おかしくないですか?
評価というのは結果も含めて為される物なのだから、
魯粛自身が蜀に対する対策を持ち得ず、事実、荊州を奪還できなかったんだから仕方がないでしょう。
あったかわからない魯粛の荊州奪還プランとやらで孫権評が不当とするのはどうかな。
>>919 >それでも決定的な同盟決裂、それに伴う激戦は曹魏を利するだけで、
>それは孫呉が天下を得る上で絶対に避けねばならないはずだ。
>
曹魏を利することよりも、荊州が二度と手に入らなくなることの方こそ
天下を取る上で絶対に避けねばなるまい。
関羽討伐をまずい策と批判するのならば、
それ以外に荊州を手に入れる方法があるんだということを示すべし。
話はそれからだ。
不当ではないかも知れんが孫権が全てを見通していたって保障もない
要するに参考にはなるけど全面的に信用するようなものでもないってことだろ
>>924 それに対する魯粛の弁が
「なんかやろうとする時(天命があれば)頭いい人が来て助けてくれるさ!」
だから、孫権の魯粛評を不当とするのはちょっと早計じゃないか?
どう見ても行き当たりばったりです
928 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:58:03
実際赤壁といい荊州問題といい夷陵といい、たまたま成功させられる人間がいたから出来たというタイトロープだよ。
ただ魯粛が計画しないとそのロープ自体が見えなかったと思うよ。
>>926 そんなこと言い出したら、あらゆる論評が信用できない。
孫権による評価は、対象者達の言行、結果などを比較した上で、
彼らの主君という立場から為された貴重の史料と思います。
>>919 そりゃそうだ。
だが関羽北上の時点で曹魏も蜀漢も孫呉との戦いは望んでいなかったはず。
『漁夫の利』を狙えるのだから、時間一杯戦わせて疲弊させてからでも遅くはないだろう。
その間に劉備の主力が回復するというのは考慮できるけど、それだったら曹操だってそうだし。
漢中戦と関羽北上で体力を使い果たした蜀漢に魏も呉も同時に相手にできるかな?
その時こそ外交だけでどうにかできそうな気がするのだけど。
>>930 その論理は、
時間一杯戦ってくれる
外交で解決できる
そのとき魏がちょっかいを出さない
という三重の希望的観測によって成り立ってるよ。
・時間一杯戦ってくれる
⇒魏と蜀漢が消耗するのは確実。
しかし、呉が手を出したせいで結果的に魏の消耗が抑えられ、
極端に蜀漢が弱くなってしまったのが得策ではなかった。
・外交で解決できる
⇒確かに疑わしいが、夷陵の役をどうにかして避けられないものか。
・そのとき魏がちょっかいを出さない
⇒その場合は当然の如く同盟続行。
蜀が魏と結ぶなんて関羽北上の成功より有りえない。
>>933 戦前の段階で、長期戦になり両者が消耗するかなど不明。
呉の圧力に屈するほど弱くなった蜀に、魏が黙っているだろうか?
一つ一つ条件では、可能性があっても、
そういった条件を積み重ねるというのは無茶だと言うことですよ。
>>931 外交で解決できる状況にできないこともないだろう。
どうであれ、『もっと上手く出来たんじゃないか』とかいう論理で、
呂蒙を減点はできないのは確かだが。
>>930 戦況は刻一刻と変わるのに、遠方の呉がどうやって「時間一杯」のタイミングを測るんだか。
外交の使者を送ったら、「魏はすでに遷都し、蜀は中原に進出していました」
あるいは「関羽はすでに退却して南郡にひきこもっています」じゃ阿呆だろ。
とりあえず時間一杯のタイミングを具体的に示してくれ。
次にそのタイミングドンピシャで外交の使者を送ることができるのかどうか
その実現性は高いのかどうかを検討してくれ。
>>935 ですな。
ifの可能性を追い求めるのは歴史ファンの楽しみの一つだが、
そのifをもって歴史上の人物の能力を評価するのは駄目と思う。
周瑜が天下二分を立案したことを評価するのはありでしょう。
これをもって、多少の知力増もありやもしれません。
でも、周瑜なら天下二分を成し遂げたろうから知力を上げろ、というのは無茶なんですよね。
>>903 時期を選んだらその内蜀が攻めてこないような時期が転がり込んでくるのかよ。
>>936 タイミングを測る場所は”遠方の呉”ではなく”前線の陸口”ですよ。
そして「魏はすでに遷都し、蜀は中原に進出していました」が、
正にそのタイミングではないのですか?
蜀は漢中〜漢水のルートで魏と戦えるから、
戦略的に荊州にこだわる必要がある程度は減る。
戦線が拡大するので孫呉との同盟を一層強固にする必要がある。
だから荊州を返還する、と。
関羽を殺して魏と呉で南北を分け合うのではなく、
関羽を生かして蜀と呉で南北を分け合った方が、
長い目で見れば両者にとって良いのではないかと思うのです。
5行目以下は「よくわからない」としか言いようがないです。
あなたはどう思いますか?
>>939 益州・荊州・雍州(涼州・エン州・豫州)などを押さえられ魏が北方に遷都した後なら、
もう譲歩して荊州を譲る必要がない。
むしろ魏の動きしだいでは北方を守りに専念して河を降って呉を滅ぼすこともありうる。
>>940に同意。そこまでいったら逆に蜀と魏が和睦して盟を結び
蜀が呉に攻め込むこともできる。
そうなったら呉は絶望的だよ。
魏と結ぶことはないな。自殺行為だ。
結ばなくとも中原は一進一退の攻防だろうし、益州・荊州が全軍を挙げて攻め込めば
晋の征呉の再現になる可能性は高い。