西軍勝利の場合の人事や恩賞・小早川秀秋裏切ず

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1山内一豊
小早川秀秋が裏切らなかった場合のその後の人事や恩賞についてのスレッド。
小早川秀秋が裏切らずに東軍を攻めた。
東軍大名はみなばらばらに逃走。
捕まるのも時間の問題とします。
その他の東軍大名も順次、大阪に謝罪に来るとします。

石田三成がどのような人事を考えていたか?
誰が 領地安堵で移封で 没収か?
五大老は五奉行は誰になったか?
武断派の処分は?秀忠は?伊達の処分は?
吉川広家の毛利家での立場の変化は?
東軍に内通していた者達の追求はどこまで?
2無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 18:36:53
くそすれたてるなよ
3無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 18:38:12
>>2
ほっとけ 馬鹿が移る

おい>>1削除依頼出しておけよ 関ヶ原スレがある
4無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 18:48:50
5無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 19:09:36
バーヤバーヤ
6無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 19:28:10
俺的には朝鮮出兵時に
城から討って出て自らも陣頭に立って敵勢蹴散らしたのを
三成が「大将にあるまじき行為」と秀吉に報告したのを
「機を見るに長けた大将」とでも褒め言葉を報告したら
どうなってたか?と。
7無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 19:51:41
関ヶ原で負けても秀忠と前田と伊達と最上と結城と佐竹がいるから徳川はまだまだ巻き返せる
8無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 20:02:32
家康が死んだのか死なないのかにもよる 死んだと仮定するなら豊臣有利に動かすだろ
死んでないならいきなり徳川家を潰すわけにもいかんしな 
小早川は問題ないとして 毛利・吉川は動いたのか?島津は?
活躍いかんによっては第二、第三の徳川をつくりかねん 上杉もしかり
9無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 20:54:16
下ってきたら半蔵隊が一斉射撃ですが何か?
10無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 15:26:34
家康斬首
秀秋関白
11無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 16:03:48
>>8
それ以前に、家康存命だったら、最後の一兵まで戦い続けると思われ。
それに、木曽川沿いに防衛ライン敷かれたら、そこから先にはなかなか進めんだろ。
12無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 19:36:17
家康討死として…。

大老筆頭 毛利安芸中納言  200万石(甲斐守・吉川宰相らは別知)
大老次席 上杉会津中納言  180万石
大老職  宇喜多備前中納言 100万石
大老職(新任)小早川金吾中納言 60万石 関白就任

奉行筆頭  石田治部少輔   50万石
奉行    長束大蔵大輔   15万石
奉行    増田右衛門尉   30万石
奉行    前田玄以     10万石
奉行(新任)小西摂津守    45万石

      吉川宰相     25万石
      毛利甲斐守    30万石
      大谷刑部少輔   20万石
      長曾我部宮内少輔 40万石
      安国寺恵瓊    15万石
      丹羽宰相     30万石
13無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 19:41:28
>>12
随分と奮発したなww
東軍に加担した大名は根こそぎ改易かw
14無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 20:02:31
石田が勝っていたとして真田に信濃やるとか黒田に九州のうち大半やるとかって約束どうするんだ?
あと佐竹
15無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 20:27:28
裏切ずって何?
16燕王淵 ◆i6jwvBOktc :2005/12/10(土) 20:36:36
ギリシャ神話に出て来る神ウラギズ
17無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 02:41:49
家康討死だからね。関東八州250万石・福島・黒田・細川・池田・浅野・藤堂・京極
・筒井・加藤(孫六)この辺りは改易は免れまい。加藤清正・蜂須賀は参戦なき故、
申し開きの次第によっては減封。
>>14
これだけ改易すれば真田に信州一国程度は軽い。黒田に九州半分?あれだけ東軍に謀略
面で貢献し、親父の如水は西軍諸城を攻めた訳で加増などとんでもない。改易でしょう。
佐竹氏は長期戦だったら参戦したかもしれんが、短期なら史実の如く日和見。
史実においても日和見大名は良くて所領安堵。佐竹氏も所領安堵で十分。むしろ上杉氏から
クレームでもこようモンなら、孤軍奮闘の大老職の言い分は重く、減封あっても
不思議ではない。
18無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 11:02:44
>>17
東北はどうする気だ、伊達を改易、
最上を減封して残りは人質をとって所領安堵?
19無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 16:50:22
>>18
東北は難しい。関ヶ原が1日で決着がついたという>>の仮定に従って考察するほかない
が、伊達・最上とも降伏の方向で動くと思われ。史実の島津ではないが、奥羽諸勢が
伊達・最上を中心に南部・津軽・秋田など糾合されて対抗の構えを見せられても
困る。人質取って若干の減封が穏当だろう。ただこれだけの大名がかたまっているのは
中央政権としては穏やかではあるまい。伊達はうるさいので最上・南部のどちらかは
遠隔地に移封させたいところだ。
20無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 21:21:14
どうかなぁ・・・
秀吉は敗軍でも結構助けまくってたからそれを尊敬してた
三成もそれなりに助けたりすると思うんだが・・・

義にうるさい人だし

まっ!流石に徳川家+恩恵大名は滅ぼすだろうけどねw


しかし秀秋が裏切らなければたとえ島津、吉川、毛利
が動かなくても勝てたろうね・・・朝鮮での加藤清正 5万包囲から救ったり
自身もつっこんで敵将生け捕ったりした能力は伊達じゃねーぞ
21無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 22:37:37
>>20
それは強大な軍事力・権威があって初めて寛大にもなれようというものだろう。
緒戦で家康討ち取るという大金星を挙げたとは言え、『信賞必罰』を執り行って
こそ初めて石田治部少輔の権威というものが世に認められる。
また、そもそも豊臣家の危機は太閤の気前良さにも一因がある。奥羽は>>19
書いたように事態の複雑化は未だ確率されていない中央政権にとっては面倒な
火薬庫に成りかねない。上杉中納言さえゴネなければ穏当に済ましておきたい。
事態の沈静化の後に最上を山陰道にでも移封させ、替わりに出羽山形には伊達
への押さえに成り得る大谷刑部・丹羽長重クラスを入れて奥羽への楔としたいところ。
22無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 23:07:13
金吾に500万石くらいあげてやってよ。
23無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 23:46:33
断固として断る!
24無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 23:46:40
>>22
その発言笑えるな!!
25無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 01:13:24
福島・浅野・京極の改易までは無さそうだけどな
場合によっては黒田・細川も
加藤清正・蜂須賀は余程の事でも無いと減封も無いだろうし

真田に信州一国程度・宇喜多に100万石位は有りそうだけど
毛利安芸中納言  200万石(甲斐守・吉川宰相らは別知)
は無いわ安堵+α位にしないと
上杉180万石もちょっと多過ぎかなと

奥羽もそうだけど関東八州250万石もどうするか思案どころ
直轄地を作り加藤清正・蜂須賀や福島・浅野・京極
場合によっては黒田・細川辺りを移封かなとも思う。
26無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 01:29:19
宇喜多秀家 中納言→大納言
27無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 02:36:11
毛利の一門が独立していくつか大名できるんじゃない?
あと小野木とか福原とかの小物もそれなりに大きくなるし
28無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 10:16:39
>>19
伊達・最上が津軽・秋田・南部を糾合なんて、あまりにゲーム脳過ぎるだろ
津軽・秋田・南部は仇敵同士だぞ?
まず、親徳川である最上嫌いの一念で西軍に付いた小野寺は加増
秋田は本領安堵じゃないか?秋田氏は豊臣政権じゃ北奥羽の元締め的扱いを受けてる
出羽・羽後に東軍に付いた大大名を隔離したいなら、それなりにいい土地に移封させなきゃならん
津軽は最北にあって、立ち回りも上手いからコイツも本領安堵になりそう
南部は転封で、空いた旧領に戦犯大名
最上・戸沢はとり潰し
伊達は小狡く立ち回って減封w
29無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 17:54:23
大老筆頭(新任)小早川金吾大納言 500万石 関白就任
30無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 22:14:27
あの三成や五奉行が裁量するとしたら金吾は70〜90万石で
東海道か北陸道に転封ぐらいじゃね?
それに豊臣家の直轄領を300万石以上はかくほするんじゃない?
31無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 23:31:22
>>28
なるほど筋の通った御意見。

◆改易
最上氏(出羽山形24万石)
戸沢氏(出羽角館4万石)

◆減封
伊達氏(陸奥大崎58万石→?万石)

◆本領安堵
津軽氏(陸奥弘前4万5千石)
秋田氏(出羽秋田19万石)

◆加増
小野寺氏(出羽横手3万石→?万石)

◆移封
南部氏(陸奥南部10万石→???)
32無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 23:54:57
蠣崎って、西軍と東軍どっちについたんだっけ?傍観?
33無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 00:18:38
秋田氏19万石じゃ、本領安堵どころか、倍近く加増になってるぞw
34無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 00:28:48
>>31
最上改易なら伊達は最上旧領辺りに収まりそう。
35無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 00:41:32
まぁ秀秋は朝鮮の戦いに参加した武将は一目おいてたろうな
清正なんて秀秋に足むけられないだろうし

その戦いに参加してない家康は秀秋を軽く扱いまくって
今みたいなやな裏切り者ってことになっちゃったけど
36無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 00:42:46
>>31
伊達は10万か5万も残れば御の字だろう
津軽の牽制に秋田氏の元にいる浪岡氏を大名として復活させるとか……
最上氏の旧領は親藩・譜代・直轄・親豊臣のどれかで、奥羽の抑えにする
南部は元々不毛の土地だし、豪族も強いから、同じ10万石の土地に転封になったら
石高も増えて、家臣団も近世化しやすくて実はメリットが高いか?
37無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 00:48:16
旧最上領か旧南部領に加藤清正入れたらどうだ?
で、小西行長に晴れて大隅一国
福島は御親藩である以上、改易にはならないが、数万石程度の小大名にされるだろう
前田は領地を若干削って、当主を利政にする
こうしていくと、案外恩賞に与える土地ってあるな
38無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 01:52:35
真田に信州1国はやりすぎだな
森と仙石を潰せば18万石できるから沼田の安堵とあわせてこんなもんでは
39奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/12/14(水) 01:55:11
秀吉の持つ豊臣政権が絶対でない限り成立しない流れだねおい。
40無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 02:12:35
>>1も読めない糞コテは氏んだほうがいいと思うよ
41無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 02:42:51
>>37
大隈じゃなく肥後でね?
42無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 08:03:12
>>37
最上旧領に若干の減封の上でなら加藤主計頭は良いな。南部領は関ヶ原参戦の東軍
大名か去就不明だった大名を減封の上の移封先だろうね。
福島は信濃・川中島で5万石が相応かとw
43無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 11:46:43
津軽は本領安堵
秋田も本領安堵(豊臣直轄領込みで2万5千石加増)
由利十二党は秋田氏預かり
小野寺は旧戸沢領を加増
最上旧領に加藤清正
南部旧領に蜂須賀家政
伊達は7万石程度に減封
会津+伊達旧領に大谷吉継と与力大名

東北はこれでどうだろう?
上杉は越後に戻るとして、会津に大谷を置き、加藤・蜂須賀・伊達の抑えにする
おそらく火事場泥棒的に徳川に攻め込んだであろう親三成派の佐竹(若干の加増あり)と加えれば、防波堤としてはかなりの厚みが出る
あとは秋田氏の浅利問題、檜山・湊家問題に介入して、味方にすると
44無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 15:36:25
上杉は会津保持したまま越後も加増じゃないか?
45無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 16:35:39
島津どーしる?
4645:2005/12/14(水) 16:38:42
あぁ、まだ東北決まってないか。半年ROMっときます。
47無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 17:34:57
>>44
やりすぎじゃね?
越後は30万〜91万石あるともいうし
120万石と直江30万石と合わせると200万石越えしちまうよ。
それなら越後と旧最上領にして、直江家を50万石ぐらいにしたら?
48無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 17:35:07
>>44
会津+越後は多過ぎないか?
越後+αは確実だとしても、上杉も会津に執着はなさそうだし
49無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 18:02:40
三成の動員兵力じゃ、上杉や毛利に言う事聞かせるの大変そうだ
関ヶ原でも総大将は毛利だし
50無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 18:12:46
三成が関ヶ原勝利後に奉行職を蹴ったらカコヨスギだな 
51無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 18:14:48
果たして小西で肥後国人を治められるのか 
52無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 19:37:42
小西は関東にGO!!
変わりに立花に肥後半国
53無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 20:21:53
 ちょっと待って見れ。
関が原で西軍完勝とはいえ秀忠率いる徳川主力は健在だし東海道筋は
 徳川が抑えているうえ関東は戦場になっていない。
家康の生死でも即徳川問題が片付くわけはないと思ふ。
 九州の黒田、加藤清正が関東も片付いていない西軍に即降参とかもありえない。

 それに伊達政宗が東軍として処罰されるってのもおかしい。
最上と越後の堀は上杉が強引に平らげようとするから東軍以前の問題だろうけど
 表向きは伊達の場合豊臣政権の公認した上杉征伐に従軍しただけだよ。
どっちかっつーと西軍が勝ったと聞くや即座に南部攻めを明らかにして
西軍でしたって顔してそうな気がする。
 べつに加増しなければいいだけだし、せいぜい南部を伊達領として認めるって
条件で関東攻めに使えばいい。
54無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 20:26:32
 あと小早川秀秋は関白にする必要はないし、
本人も秀次の二の舞という懸念を持ちそうだから
関白職はお飾りの公家に一時渡して
秀秋は内覧というところが落しどころ。
55ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/12/14(水) 20:51:31
>>53
大名達がさんざん、どっちにつくか悩んだこの大戦。
西軍が勝てば、グレーな勢力だった奴が雪崩をうったように西軍に馳せ参じるわけで。
各地の生粋の東軍の残党らに対しては、そういった連中に
『残党を攻めよ、さすればそなたらを改めて西軍と認めよう』と一言いうだけで奴らは狂喜して攻めるだろう。

てか、徳川など残存勢力が戦後、粘るのはありえない。
他の歴史をみても明らか。
三国の袁家の末路
漢楚の項羽の末路
日本の平家の末路

大事な一戦で破れたら、あれよあれよという間に滅ぶ。
勝ったら全てを手にし、負けたら全てを失う。
だから諸大名はどちらにつくか大いに悩んだわけだ。
『関ケ原の戦い』ってのはそういう性質の戦だと思う。
56無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 21:01:37
待て、なんで伊達が南部領を貰えるんだ
雪崩現象した大名は本領安堵で十分だろ
57無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 21:09:05
石田三成に見せてあげたいスレッドだw
これだけの案がありますよ、と。
58無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 21:49:13
>>55
>てか、徳川など残存勢力が戦後、粘るのはありえない
徳川譜代は最後まで粘りに粘ると思うが?
それが、三河武士ってもんだべ?
しかも、徳川譜代を中心とした秀忠軍は関ヶ原にはいなかったんだから
59無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:23:05
関ヶ原で西軍が勝った場合の仮定
・九州 黒田征伐。清正は参陣すれば御家存続。
・四国 反豊臣派を全て討伐。
・近畿 単独で抵抗する力のない大名ばかりなので降伏勧告
・東海 西軍主力が美濃、尾張で秀忠軍と睨み合い。
・北陸 前田家と不戦条約
・以東 依然徳川勢力圏
・以北 上杉家の東北or上野侵攻

てな具合?
60無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:13:56
本音はともかく、上杉が孤軍で奥羽で奮闘し、少なからぬ東軍諸勢を引きつけた事も
事実だし、家康と対峙したのも事実。越後の旧領+加増で最低でも160万石くらい
無ければ納得すまい。下記の大功あるものは大幅加増しないとね。

・本戦で家康を討ち取った大名
・奥羽で東軍勢力に包囲されつつ、伊達・最上・結城の諸勢数万を引きつけた上杉中納言
・中山道で秀忠率いる3万数千余を本戦に遅参ならしめた真田安房守&左衛門佐
・北陸道において前田肥後守の二万余を奇計を持って本国に押し留めた大谷刑部少輔
・西軍フィクサーとして実質的な差配役だった石田治部少輔
・表だった西軍大将の毛利中納言それと輝元引きこんだ功で安国寺。
61無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:19:20
西軍の副大将で最も熱気盛んだった宇喜多中納言も大幅加増だと思うぞ
あるいは関白?
62無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 00:00:16
>>61
じゃやっぱりこんな感じかな。

◆大老職
毛利中納言輝元……180万石
上杉中納言景勝……160万石(越後移封+数カ国)
宇喜多中納言秀家…85万石
小早川金吾中納言…60万石(筑前名島30万石から倍増)

◆奉行衆
石田治部少輔……50万石
小西摂津守行長…45万石
増田右衛門尉……25万石(家康内応ばれなければ…)
名束大蔵大輔……15万石
前田玄以茂勝……5万石

◆中老職
大谷刑部少輔……20万石
福原右馬助直高…12万石(家康により半知の仕置とされたものを旧に戻す)
木下式部大輔勝俊…6万余国
63無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 00:23:53
真田は信之の助命願いも有るし、信濃一国丸ごとは無いんじゃないか?
>>38の案道理、森・仙石の旧領加増で良し。後は家格を若干上げるとか
伊達は、イの一番に徳川と婚姻結んだり、一揆煽ったりして豊臣からしたら印象最悪なのに
西軍が勝つや、西軍に味方したから本領安堵or加増なんて都合良すぎるな
一時そうなっても、いずれ削られるのがオチ
徳川は秀忠が潰されないように奔走、当主を秀康にして30万石程度
64無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 00:31:39
小早川秀秋、裏切らなくてもすぐ死ぬのかな。
65無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 01:08:18
竹ヶ鼻城で踏ん張った杉浦重勝を忘れるなよ
遺族がいたのかどうか知らんが
あと織田秀信ってどうなるの?
そのまま復帰させてもらえるもんなの?

>>62
木下は城捨ててるからなあ…
小野木あたりがいいんじゃない
あと大老は4人じゃ少ない
前田を不問にするか毛利秀元を別枠で出すか
毛利閥が多い気もするがしょうがない
6662:2005/12/15(木) 07:48:52
>>65
木下長嘯子は一応は豊臣一族(金吾のアニキだし)で実権の余りない中老という
名誉職に入れておいた、というところです。
織田岐阜中納言は史実では高野山に入ったあとすぐに病死って事だが、暗殺っぽい。
西軍勝利なら岐阜中納言の功も少なからず、という事になりますね。北陸か三河・
遠州とかで倍増の25万石程度かな。織田直系だから政権中枢には入れられないで
しょうねぇ。
杉浦もそうだし、加賀・大聖寺で前田の大軍相手に小勢で立ち向かった山口宗永
父子も忘れちゃイカンわな。

大老職は別に5人と制度で決められた訳じゃないし、もともと脆弱な豊臣政権だから
あんまり政権中枢に権力者は増やさない方が良いかと思った次第。上記4名はの内
三名は過去大老職にあった人物ですし降格はあり得ないです。金吾は一応御連枝ですし
大領を与えるよりは大老職あてがっておいて加増はそこそこという狙いです。
67無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 09:35:28
毛利は観戦しかしてなかったけど、そこは無視していいの?
68無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 12:17:53
>>67
広家に邪魔されて参戦できなかったんじゃなかったっけ?
69無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 12:36:05
徳川は秀康に後継させるとして
どこに押し込める?
250万石→30万石として、かなりの浪人を出す。
他家に仕官できなかった者は、江戸周辺で土着する。
そのまま、関東には置きたくないなぁ。
70無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 16:09:50
蒲生を潰したあとの宇都宮とか
71無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 16:41:40
もともとは三河武士なのに、土着すんのかな?
72無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 16:43:09
勝俊は竜子の連れ子(武田元明の子)って話もあるな
どちらにしろ中老と奉行は譜代でないと不自然だな
蜂須賀、小出、毛利勝信あたりはどうよ
いかにも飾りっぽくてよさげだがw


あと関東は上杉を入れてしまうというのも手かも
73無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 16:54:07
越後に帰りたがってた奴を恩賞で関東に入れるのか?
74無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 18:34:10
徳川に30万石はやり杉
西軍大名に囲まれた地に転封
75無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 18:50:20
徳川は三河一国くらいでいいのでは?
もしくは秀康旧領10万石のみ。
76無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 18:51:04
家康も、毛利や島津を改易するには到らなかった。
30万石まで減封できるかどうかも微妙(三成は改易したいだろうが)
77無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 19:19:48
家康が死んだ徳川にどれだけの力があるかだな。
へたしたら、武田家のようにあっけなく滅亡する可能性も。
78無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 19:53:14
でも三河武士団だから秀忠、忠吉あたりを盛りたてて粘り強く抵抗するんじゃない?
79無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 19:53:25
うむ
80無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 19:59:49
家康死後の徳川家が、関ケ原後の島津家のように一致団結できれば、
最低でも改易は免れられるはず。
スムーズに秀忠が当主になれるか、秀康がおとなしくしてるか、
家臣が団結するかしないか、
些細な事で徳川家の運命が変わるな。
81無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 20:02:24
でも家康に遠慮があったのは豊臣家があったからでは
バックに何もない状態になった徳川に遠慮する理由がないよ
まあ完全にifなんでそのときの状態によるけど
討伐に時間がかかれば全国的に不安定になるし
82無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 20:10:19
基本は徳川改易だろうけど、意外に徳川残党の勢力があった場合は秀忠派と秀康派に
分断するようにもっていき、どちらかに肩入れするやり方で勢力を削いで最後は
せいぜい15万石程度の中堅大名ってところだろう。ただし地縁の三・遠・駿はダメ。
秀康とかだとなんだかんだと暗躍するやもしれんが、その時は正々堂々と改易だw
83無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 20:12:30
スレどうり西軍が勝ったとして、気になるのは秀忠軍がいつ関が原に到着するか。
ちなみに関が原当日はまだ伊那あたりじゃなかったっけ?
84無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 20:19:39
>>67
金吾中納言が西軍として参戦して西軍勝利のような結果なら南宮山諸勢が傍観で終始
するなどあり得ない。
金吾秀秋の西軍参加で西軍勝利ならタイミングは別としても、南宮山は必ず参戦
しているはずだ。
万が一、毛利甲斐守・吉川宰相らが傍観したまま家康が討死したとすると、毛利は
西軍諸将に申し開き出来まい。最悪の場合、吉川は詰腹切らねばならんだろう。
甲斐守は切腹なくとも厳罰だ。
『総大将でありながら二股膏薬』では毛利も加増どころではない。
85無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 20:23:26
じゃあタイミングは違っても三成の総攻撃はあった。と仮定していいんだな。
86無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 20:57:02
一向に名前の挙がらない丹羽長重は、史実通り改易っすか?
あと脇坂とか小川とかあの辺は?
87無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:05:59
取りあえず、場所と石高が決定したのはこの辺りか

上杉  越後+数カ国
伊達  奥州、数万石に減少
徳川  関東、30万石
加藤  最上旧領

この二人はコレで決定なのか?
小西 肥後一国
真田 信濃一国
88無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:06:36
前田利長は?
@:切腹
A:遠島
B:高野山
89無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:26:15
>>86
ちゃんと>>12に出てるよ。
丹羽宰相 30万石

だいたい西軍勝利で何で長重が改易になるの?
90無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:27:17
死罪の沙汰でも恩賞用の土地が欲しいから助命領土没収剃髪高野山でしょう
三成も秀家に貸しを作れるし・・
91無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:27:31
>>83
どこかのスレでも似たよう展開になった気もするが、下記が重要なポイントに
なってるのかと。

・関ヶ原西軍勝利、家康は既に討死
・秀忠隊は数日で西濃に到着
・大垣城は西軍篭城しており東軍が攻囲中
・西軍は大津攻囲の立花宗茂ら15000、旗幟不鮮明だった鍋島勝茂ら参戦可能
・前田兄弟の去就
・奥羽情勢
92無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:30:17
>>86
小早川が裏切らなかったら彼らも裏切らなかっただろう。
脇坂は10万石、他は数万石ぐらいじゃない?
93無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:33:48
>>88
もし東軍残党の勢力が優勢だったり、越後の堀と前田が連携したりするのが
問題になる状況なら穏便に利長は隠居か高野山で利家夫人は大阪に人質の上、
利政に家督を継がせて、越後の堀討伐の先鋒を命じるというところか。
全般に西軍優勢なら減封(能登一国没収)か。
94無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:33:54
上杉デカすぎじゃないか?本領安堵+急最上領ぐらいが妥当だろ。
95無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:40:49
>94
言いたい事は解るが味方に本領安堵という言葉を使う時点で
このスレから終生所払い。
96無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:43:05
>>94
IFの話しだから具体的にどうとは言えないが、関東・奥羽の東軍諸将を一手に引き
受けて、東軍に第二戦線を強いた事だけでも功は少なからじと思うが。
また関ヶ原勝利の報と共に佐竹も参戦するような展開になれば伊達・最上・堀・結城
らにも動揺大きく実質的な戦功を挙げる機会と可能性は飛躍的に増大する。
仮にそうした戦功もあった場合は加増が24万石では北の太守・上杉中納言は大いに
不満だろう。
97無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:45:08
>>95
まぁまぁ95殿。この程度の落ち度ならば94君は本領安堵の上、蟄居閉門で
よろしかろう。
98無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:46:58
佐渡(金山)を加増すれば納得してくれると思いマツ
99   94:2005/12/15(木) 21:48:50
100無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:49:07
>>98
豊臣政権は徳川幕府と比べ領土は少なかったが鉱山・貿易港などの収入源は大きな
拠所だったから、佐渡金山は恩賞とはならなないのではないでしょうか。
10194:2005/12/15(木) 21:50:10
>>95
実際東軍の武将も本領安堵ってやついたぞ。
>>96
たしかにそういわれれば最上領くらいじゃ少ないな。
102  95、99 :2005/12/15(木) 21:53:12
名前を間違え申した、謹慎致しまするorz
103無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 21:55:01
>>101

>実際東軍の武将も本領安堵ってやついたぞ

いや、こういう大名は旗幟不鮮明だった輩だよ。上杉は明確に徳川に宣戦布告して
戦ってるんだから、そういう景勝君に本領安堵とか言っちゃうとキレるよ、実際。
10494:2005/12/15(木) 21:58:51
>>103
いやマジで東軍として参戦した武将でもいた。
あと書き方悪くてゴメン、上杉領として旧最上領を追加する。というつもりだった。
105無名武将@お腹せっぷく :2005/12/15(木) 21:59:34
>100
背に腹は代えられななないデツ

しかも、この時点での筆頭大老でしょうし・・


106無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:00:49
>>98>>100
関ヶ原前の上杉領土は会津・庄内・佐渡なんだが・・・
素直に越後一国くれてやりゃ納得するだろ
107無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:03:56
金山は豊臣直轄だったような・・
108103&96:2005/12/15(木) 22:05:03
>>104
そういう大名もいたんだ。
でも>>96で書いたけど、これだけ頑張った上杉の加増は旧最上領の出羽・山形24万石
だけなの?
史実の黒田・加藤清正の加増でも20万石以上あるんだよ。それから見たら上杉の加増が
24万石ではどうだろうか。

なんか恩賞の不満や再起を掛けて1年後くらいに奥羽諸将が兵を挙げる予感。
10994:2005/12/15(木) 22:11:34
前田家は利長切腹、利政に能登と加賀、もしくは加賀1国はどう?
11094:2005/12/15(木) 22:13:25
たしかにオレのだと上杉少ないと考え直した
111無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:13:44
>>107
直轄ではなく委託
112無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:16:35
上杉景勝や直江兼次がいくら信用できるといっても、
元から120万石もある大名を大幅に加増しすぎると、
豊臣家・三成らの統制が効きにくくなる希ガス。
三成にとっても頭の痛い問題かもね。

三成としては、何とか150〜180万石あたりで抑えておきたいのでは?
それでもまだ多いが、元々徳川率いる東軍を
一手に引き受ける役割を担っていたのだから、
無下にも出来ないのが痛いな。
113無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:18:29
基本的に賛成。>>93でも書いたけど状況次第じゃないかと。
前田家が恭順の意を表すなら利長は助命しても良いかと。これを蹴ってわざわざ
前田80万石を敵に廻す事はない。
真田と同じで東西どちらが勝っても良いように利政は動かなかった訳だし、
利政が継いで西軍先鋒となれば万事良し。その時に春日山の堀家が降伏してれば
思いきって能登没収と強気で出てもOKかなと。春日山に堀が頑張っているなら
気持ち良く前田の降伏を受け入れれば良いかと。
114113:2005/12/15(木) 22:20:05
113は>>109へのアンカーです。
115無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:24:52
>>112
そうなんだよな。上杉・毛利はどうしてもその立場からいって第二第三の徳川に
なり兼ねないんだよね。強敵家康は倒したものの将来に大きな宿題を残す結果にも
なるね。
こんな時、カリスマ性のある指導者がいれば大阪の陣での家康のように大幅加増
なくとも上手く諸大名を統御できるんだが。
嗚呼、佐吉の眠れぬ夜はまだまだ続く。
116無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:30:16
大谷の顔に免じて、50万石はやりたい
117無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:30:39
てことは新たに上杉を抑えるために誰を武蔵に配置するか悩みどころだな。
118109:2005/12/15(木) 22:41:14
>>113
なるほど……ただ利家の遺志を継ぎ家康から豊臣家を守るべき利長が(実際、三成はこう思ってたと思う)東軍についた。
北陸の西軍諸将と戦闘を行った。
ということを考えれば、越後はどうであれ減封は免れないんじゃないかな。
利長を切腹させるかは別にして。
119無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:42:56
>>117
毛利を転封させて牽制しあうように・・・ダメか。
120無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 22:47:09
大谷刑部を武蔵に移封してみては?
121113:2005/12/15(木) 23:11:32
>>118
なるほど確かに前田勢は丹羽長重と闘い、山口宗永を討った訳で感情的には何らかの
ペナルティを課したい気持ちは分かる。
だが政治がそれを許さない局面もある。速やかに東軍諸勢力を討つ必要性が高ければ
敢えて利長の罪は罪として前田家80万石・2万余の兵力を戦力として使う必要があれば
これを用いるべし、という状況もハラにいれておかねばならない。
秀忠隊は未だ無傷で中山道に3万8千余の大軍がある。情実的な措置を取って前田一族に
いらざる覚悟をさせ、前田家80万石が総力を挙げて東軍に加担するような事にでも
なれば西軍としても由々しき事態だ。大事の前の小事、ここは寛容の心こそ必要かと。
122ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/12/15(木) 23:33:02
そうだねぇ。前田家を減封させるのはおっしゃるとおりなかなか難しい。
戦後、落ち着いたら映画・阿部一族みたいに、
または家康が本願寺にしたように、
知行は減らさないかわり、『家』を利長と利政それぞれに分けて与え弱体化させ、
以後、中央政府を影響を与えさせないペナルティを課すという手も。
123118:2005/12/15(木) 23:49:18
>>113
情状酌量を得るために前田は全力で東軍残党を討つ。そう仕向けるのがまあ無難なのはわかるが。
秀忠軍は無視していいんじゃない。
モノのついでのはずの上田城で真田に負け、行軍途中で軍資金が尽きてしまって立ち往生した止めが東軍敗北。
士気ガタガタで戦どころじゃないし総大将がねえ〜。
やっぱ前田は加賀か能登1国で問題なし。
大坂にいる輝元軍2万と大津の宗茂ら1万あと豊臣軍本体(実数知らないけど)もいるし。
金沢に兵を向けただけで降伏する。
124無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 00:38:17
だからさぁ、上杉的には旧領である越後に何としても帰りたいじゃん?
それなのに、会津+最上領なんて「ハァ?」って顔すると思うんだよ
素直に越後一国渡しとけよ
125ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/12/16(金) 01:01:04
>>124
確かに。
影勝はどこの土地をもらっても、越後が戻らないかぎり死ぬまで土豪を扇動し続けそう…
126無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:04:04
上杉は越後に移封+東北・四国・九州に飛び地で与えるとか。
127無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:09:58
>>118 123

>ただ利家の遺志を継ぎ家康から豊臣家を守るべき利長が

別に急に手の平を返した訳でなく東軍に属すまでの流れも考慮すると

前田は本領安堵の利政が本家で利長能登か隠居
大老職&秀頼後見人役から外す。
128無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:14:09
上杉120万石のうち30万石は直江領だし
上杉越後+どこかで120万石、直江35〜40万石でいいんでないの
129無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:15:50
関東管領なんだから関東でいいんじゃないの
130123:2005/12/16(金) 01:20:31
じゃあ今までの豊臣家との関係から利長は高野山追放、利政に本領安堵。
でどう?
131無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:21:09
とりあえず四国あたりから決めたほうがいいんじゃね?w
阿波は蜂須賀そのまま、
伊予は藤堂領を長宗我部、残りを毛利領にして
讃岐の生駒は残すにしても九州あたりに転封だな
西軍一味の信頼できるやつをいれるとか
132無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:22:52
越後の石高ってどれぐらいだったっけ?
133無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:23:06
利長隠居、利政が旧領+利長領の一部の加増とかじゃない?
134無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:27:12
>>133
能登+加賀の一部ってこと?
135無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:27:16
じゃあ加賀能登残して越中とりあげ
136無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:33:39
領地は加賀、能登。利長は高野山追放で決まり。
137無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:34:15
伊達政宗、早急に留守勢と丸森方面の軍を撤兵すれば
本領安堵で手を打ちたいところ。
最上は討伐してでも抹殺したい。
上杉は庄内地方を収封した上で会津・越後で165万石。
旧最上領・庄内地方に豊臣譜代を置きたい。

そして、家康を討ち取れば佐竹は西軍色を鮮明にし、江戸を突くはず
恩賞として常陸と下野の内で75万石。
徳川討伐後の江戸には、宇喜多秀家を置きたい。
宇喜多は東国の旗頭とし、武蔵・相模・上総・下総で163万石。
浅野の跡の甲斐には、毛利の別家として毛利秀元を置く。

138無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:37:20
西軍人材いねえなあw
139無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:39:29
削れるとこや無理に加増しなくて済むトコまで大盤振る舞いしない方が良いのでは?
あと豊家の直轄地を大坂の近場に増やさないと。
140無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:41:52
>>130
光成も前田邸に匿われてた時期もあるしそういう感じからいって

最悪で高野山追放かなと思う

能登になるか隠居か利政、秀家預かりにするかも
141無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:45:55
史実では徳川系の大名がバンバンできるわけだけど、
毛利や上杉、石田の家臣が大名になるってあるかな
142無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:46:00
直轄地を大坂より関東、奥羽、九州に置きたい所。
143139:2005/12/16(金) 01:49:49
>>142
血縁・譜代衆が多ければ各地の要衝に置くのも有りだが…
144無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 01:50:36
やべネタ切れか?
いちど関が原時の両陣営調べなおしてみたほうがいいのか?
人材確保のために
145ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/12/16(金) 02:13:09
>>144
じゃあ小山会議で場の空気に逆らって西軍についた田丸直昌。
彼に伊勢半国を与えるってのはどうでしょう?
146無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:19:13
西軍(名目・事前降伏含む)
●東北〜東海
小野寺義道 出羽横手城主3万2000石
上杉景勝 陸奥会津若松城主120万石
直江兼続(上杉家臣) 出羽米沢城主30万石
岩城貞隆 陸奥磐城平城主12万石
山川朝信 下野山川城主2万石
多賀谷重経 常陸下妻城主6万石
真田昌幸 信濃上田城主3万8000石
前田利政 能登七尾城主21万5000石
丹羽長重 加賀小松城主12万5000石
山口正弘 加賀大聖寺城主6万石
川尻秀長 美濃苗木城主1万石
田丸忠昌 美濃岩村城主4万石 
佐藤方政 美濃上有地城主2万石
木村由信 美濃北方城主1万石
織田秀信 美濃岐阜城主13万3000石
杉浦重勝 美濃竹ノ鼻城主8000石
石川貞清 尾張犬山城主1万2000石
伊藤盛宗 美濃大垣城主3万4000石 
平塚為広 美濃垂井城主1万2000石
丸毛兼利 美濃福束城主2万石
稲葉貞通 美濃郡上八幡城主4万石
稲葉通重 美濃清水城主1万2000石
原 長頼 美濃太田城主3万石
高木盛兼 美濃高須城主1万石
147無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:22:36
西軍
●畿内〜中国
氏家行広 伊勢桑名城主2万2000石      蒔田広定 伊勢雲出城主1万石
滝川雄利 伊勢神戸城主2万石          岡本宗憲 伊勢亀山城主2万2000石
松浦久信 伊勢井生城主1万石          九鬼嘉隆 志摩鳥羽隠居
堀内氏善 紀伊新宮城主2万7000石       杉若氏宗 紀伊田辺城主1万9000石
小出秀政 和泉岸和田城主3万石         増田長盛 大和郡山城主20万石
石田三成 近江佐和山城主19万4000石    長束正家 近江水口城主5万石
前田玄以 丹波亀山城主5万石           青木宗勝 越前丸岡城主4万6000石
青木一矩 越前北庄城主8万石           織田秀雄 越前大野城主5万石
丹羽長昌 越前東郷城主5万石           大谷吉継 越前敦賀城主5万石
木下勝俊 若狭小浜城主6万2000石       木下利房 若狭高浜城主2万石
小野木公郷 丹波福知山城主3万1000石    別所吉治 丹波園部城主1万5000石
新庄直頼 摂津高槻城主3万石           織田信包 丹波柏原城主3万6000石
山崎家盛 摂津三田城主2万3000石       杉原長房 但馬豊岡城主2万石
斎村政広 但馬竹田城主2万2000石       垣屋恒総 因幡浦住城主1万石
木下重堅 因幡若桜城主2万石           宮部長房 因幡鳥取城主5万石
糟屋武則 播磨加古川城主1万2000石      菅 達長 淡路岩屋城主1万石
南条元忠 伯耆羽衣石城主4万石          宇喜多秀家 備前岡山城主57万4000石
毛利輝元 安芸広島城主120万5000石     毛利秀元(毛利家臣) 周防山口城主20万石
148無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:23:07
西軍
●四国〜九州
赤松則英 阿波住吉城主1万石
池田秀氏 伊予大洲城主2万石
安国寺恵瓊(毛利家臣) 伊予国内6万石
長宗我部盛親 土佐浦戸城主22万2000石
毛利勝信 豊前小倉城主6万石
垣見一直 豊前富来城主2万石
熊谷直盛 豊前安岐城主1万5000石
早川長政 豊後府内城主2万石
太田一吉 豊後臼杵城主6万5000石
毛利高政 豊後佐伯城主2万石
毛利秀包(毛利家臣) 筑後久留米城主13万石
立花宗茂 筑後柳川城主13万2000石
筑紫広門 筑後山下城主1万8000石
高橋直次 筑後内山城主1万8000石
小西行長 肥後宇土城主20万石
高橋元種 日向松尾城主5万石
島津豊久(島津家臣) 日向佐土原城主2万9000石
島津義弘 薩摩鹿児島城主56万石
149無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:23:34
>>137
宇喜多関東はあり得ないだろ
っていうか、土着の地から離れれば、兵は弱くなるし、統治も上手くいくか分かんないしで
多くの大名は嫌う行為なのに、戦功第一の宇喜多が何でそんなことにならなきゃならんのだと
それに、宇喜多のアドバンテージとして、「御親藩で大坂にスグにやってこれ、大国」というのがあるのに、関東に回しちゃならんよ
150無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:23:43
西軍→東軍(一部内通含む)
小早川秀秋 筑前名島城主35万7000石
吉川広家(毛利家臣) 出雲月山富田城主12万石
脇坂安治 淡路洲本城主3万3000石
赤座吉家 越前今庄城主2万石
朽木元綱 近江朽木谷城主2万石
小川祐忠 伊予今治城主7万石
相良頼房 肥後人吉城主2万2000石
関 一政 美濃多良城主3万石
来島康親 伊予来島城主1万4000石
竹中重利 豊前高田城主1万石

中立
佐竹義宣 常陸水戸城主54万5000石
加藤貞泰 美濃黒野城主4万石
片桐且元 摂津茨木1万2000石
五島玄雅 肥前五島城主1万6000石
秋月種長 日向高鍋城主3万石
木下家定 播磨姫路城主2万5000石
151無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:25:56
東軍
●東北・越後     
津軽為信 陸奥堀越城主4万5000石
南部利直 陸奥三戸城主10万石
伊達政宗 陸奥岩出山城主58万5000石
相馬義胤 陸奥牛越城主4万9000石
秋田実季 出羽土崎湊城主5万2000石
戸沢政盛 出羽角館城主4万石
最上義光 出羽山形城主24万石
六郷政乗 出羽六郷城主5000石
仁賀保挙誠 出羽仁賀保城主5000石
村上義明 越後本庄城主9万石
堀 親良 越後蔵王城主4万石
溝口秀勝 越後新発田城主6万石
堀 秀治 越後春日山城主30万石
152無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:30:22
東軍
●関東
大関資増 下野黒羽城主1万3000石      大田原晴清 下野大田原城主8000石
那須資晴 下野那須1万5000石         蒲生秀行 下野宇都宮城主18万石
成田長忠 下野烏山城主3万7000石      佐野信吉 下野唐沢山城主3万9000石
結城秀康 下総結城城主10万1000石     真田信之 上野沼田城主2万7000石
里見義康 安房館山城主9万石          皆川広照 下野皆川城主1万3000石
水谷勝俊 常陸下館城主2万5000石      本多康重 上野白井城主2万石
諏訪頼水 上野総社城主1万2000石      井伊直政 上野箕輪城主12万石
菅沼定利 上野吉井城主2万石          菅沼定仍 上野阿保城主1万石
奥平信昌 上野小幡城主2万石          平岩親吉 上野厩橋城主3万3000石
牧野康成 上野大胡城主2万石          松平家清 上野八幡山城主1万石
松平家乗 上野那波城主1万石          小笠原信之 武蔵本庄城主1万石
松平康長 武蔵東方城主1万石          榊原康政 上野館林城主10万石
小笠原秀政 下総古河城主3万石         松平康元 下総関宿城主4万石
松平忠吉 武蔵忍城主10万石           伊奈忠次 武蔵小室城主1万3000石
松平忠頼 武蔵松山城主2万5000石       松平康重 武蔵騎西城主2万石
高力清長 武蔵岩槻城主2万石           阿部正次 武蔵鳩谷城主5000石
酒井重忠(忠世・忠利)武蔵川越城主1万8000石
酒井家次 下総臼井城主3万石           北条氏勝 下総岩富城主1万石
武田信吉 下総佐倉城主4万石           鳥居元忠 下総矢作城主4万石
天野康景 下総大須賀城主5000石        松平家忠 下総小見川城主5000石
保科正光 下総多胡城主1万石           大久保忠佐 上総茂原城主5000石
植村泰忠 上総勝浦城主3000石          大須賀忠政 上総久留里城主3万石
内藤家長 上総佐貫城主2万石           徳川家康 武蔵江戸城主250万石
本多正信 相模玉縄城主1万石
大久保忠隣 相模小田原城主6万5000石
153無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:30:44
●中部〜東海
仙石秀久 信濃小諸城主5万石
森 忠政 信濃川中島城主14万石
日根野吉明 信濃高島城主2万8000石
石川康長 信濃松本城主6万石
京極高知 信濃飯田城主10万石
浅野幸長 甲斐甲府城主16万石
内藤信成 伊豆韮山城主1万石
戸田高次 伊豆下田城主5000石
中村一忠 駿河駿府城主14万5000石
山内一豊 遠江掛川城主6万9000石
有馬豊氏 遠江横須賀城主3万石
松下重綱 遠江頭陀寺城主1万6000石
堀尾忠氏 遠江浜松城主17万石
池田輝政 三河吉田城主15万2000石
田中吉政 三河岡崎城主10万石
水野勝俊 三河刈谷城主3万石
福島正則 尾張清洲城主20万石
一柳直盛 尾張黒田城主3万5000石
徳永寿昌 美濃松木城主3万1000石
福島正頼 伊勢長島城主1万石
市橋長勝 美濃今尾城主1万石
西尾光教 美濃曽根城主2万石
金森長近 飛騨高山城主3万8000石
前田利長 加賀金沢城主83万5000石
堀尾吉晴 越前武生城主5万石
154無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:31:05
●畿内〜九州
織田信重 伊勢林城主1万石
分部光嘉 伊勢上野城主1万石
富田信高 伊勢安濃津城主5万石
筒井正次 伊賀上野城主20万石
古田重勝 伊勢松坂城主3万4000石
稲葉道通 伊勢岩手城主2万6000石
九鬼守隆 志摩鳥羽城主3万石
本多俊政 大和高取城主2万5000石
桑山一晴 紀伊和歌山城主4万石
織田有楽 摂津味舌城主2万石
京極高次 近江大津城主6万石
細川忠興 丹後宮津城主18万石
小出吉政 但馬出石城主6万石
有馬則頼 播磨三木城主1万石
木下延俊 播磨国内2万5000石
亀井茲矩 因幡鹿野城主1万4000石
生駒親正 讃岐高松城主6万5000石
蜂須賀至鎮 阿波徳島城主17万7000石
加藤嘉明 伊予松前城主10万石
藤堂高虎 伊予板島城主8万石
黒田長政 豊前中津城主18万石
寺沢広高 肥前唐津城主8万石
宗 義智 対馬厳原城主1万石
松浦鎮信 肥前平戸城主6万3000石
鍋島直茂 肥前佐賀城主31万石
大村喜前 肥前大村城主2万1000石
有馬晴信 肥前日野江城主6万3000石
中川秀成 豊後竹田城主7万石
伊東祐兵 日向飫肥城主5万7000石
加藤清正 肥後熊本城主25万石
155無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:33:42
>>146-148,150-154
とりあえず某サイトより転載。西軍・中立までは微妙な点もあり。
議論の足しにして下され。
156無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:37:20
>>146-148 >>150-154
転載乙
10万石を加増して遣わす
157無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 02:50:48
東海が大分潰せるから、ここに誰を持ってくるかも重要だな。
尾張は秀信にあげるとして、三河、遠江、駿河をどうするか。
大谷吉継あたりに一国与えるか?
あとの二国はいい案思いつかないけど。
158無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 03:09:33
ちょっと勝手に考えてみた
毛利→筑前、豊前、伊予を加増
宇喜田→播磨加増
前田→本領安堵
上杉→関東のうち3カ国+越後
立花→筑後一国
鍋島→肥前の内で加増
脇坂→讃岐
蜂須賀→本領安堵
京極→一応助命して丹波あたりへ
小野木→丹後
石田→近江で50万石ぐらい
長束→筒井の旧領
小早川→越前(小大名群は美濃か伊勢へ)
毛利勝信→甲斐

159無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 03:42:09
宇喜多を加増するとなると
西は毛利領、東の播磨は小早川の関白御料になる予定
多分、100万石以上の大身にしないとまずいだろうし。
飛び地は絶対嫌がるので、どういう待遇を与えるかが重要だな。
どこかにでっかい空き地ないか?

160無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 03:46:13
>>159
遠江・駿府・相模あたり。
161無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 03:48:13
>>158
ちょい、上杉に与えすぎじゃないか?
越後、上野、下野、武蔵としても徳川家並になるぞ
多くても180万石ぐらいに抑えて
なお且つ、けん制の意味で隣国に同等の大名を置かないと
第2の家康化しそう
景勝が豊臣に忠誠を誓っても、子孫はどうかわからんので。
162無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 06:42:39
前田は宇喜多を頼って領地安堵を豊臣に頼むはず
利家と豊臣の仲を考えればそのまま領地安堵で許されそう
トップは利政に替わるだろうが。
163無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 08:32:34
上杉と前田の扱いは難しいな。
あと気になるのが毛利。コイツは所領安堵でいい。
164無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 12:53:24
>>159
でっかい空き地となれば、やはり関東じゃないか?
あるいは>>160の言うように東海道筋か
>>161
宇喜多を関東に置けば、上杉の抑えになるのでは?

てか、鍋島は伏見に居た勝茂が東軍の城をあちこち攻め落としてるし、
隠居した直茂が秀忠に兵糧の手配をしたことがバレなきゃ、
東海〜関東に加増の上転封させてもいいかも。
立花といい鍋島といい、九州勢は戦国を生き抜いたしぶといとこが多いので、
加増を名目にどこかへ移すというのは、いいアイデアだと思うんだが。
東北も同じこと言えると思うが。
165無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 12:56:32
おまえら痛すぎWWWWWWWWWWW
IFな上に、三成気取りかWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
166無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 12:58:57
一応総大将だから…


>>161
会津に40万石ぐらいで伊達を入れるとかどう
あと甲斐、相模、房総に信頼できるやつを置く
167無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 13:03:28
おまえらなんかに論功されたくねぇよWWWWWWWWW
おまえら30年ローン抱えてる奴とか、賃貸に住んでる奴に
「越後一国でいい」とか「安堵で十分」とか言われたくねーよWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
168無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 13:43:02
ニートのおまいに言われたくない
169無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 13:59:59
真田の信濃一国は、旧領とプラス?

170無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 14:37:19
>>163デス
毛利は名目だけとはいえ西軍の総大将なのに、秀元を代理として派遣するなどあまりに消極的過ぎる。
三成らが出払ってるあいだ秀頼親子守るため兵を引きいて大坂城に入城したのも、三成達が輝元を引っ張り出すための口実だと思う。
関ヶ原においても広家に抑えられてたとはいえ、その兵力にふさわしくない働きじゃないか?
戦後、論功行賞するうえでこのことは絶対話題になる。
まさか家康との密約束があったとはいえないし、結局は広家一人で被ることになるだろう。
当主の消極的態度が配下の独断専行を許した。てことで
輝元の責任は問わないかわりに毛利領変化ナシ(吉川領と広家の処分は毛利家に任せる)。で、どう?
皆の衆
長文スマン
171無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 16:02:03
それでも総大将が恩賞無しなんて勝ち戦は古今東西無いだろ
消極的態度、吉川の独断で恩賞に大幅にキープがかかるだろうが
西軍勝利の後の追撃には必死になるだろうし
172無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 16:12:49
関東征伐するときに主力にさせて、
功があれば加増でいいんじゃない
173無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 17:05:35
だと毛利がデカくなりすぎて上杉同様に新たな脅威になるよ。しかも大坂から近いし。
関東征伐では宇喜多を大将、立花、大谷を副将としてあとは元東軍の降将達を使うほうがいいと思う。
で、終了したら東国の押さえとして宇喜多に武蔵、上野、下総の一部を与える。
毛利には……旧宇喜多領の一部を追加させる。
で、どう?
>>171>>172
174備前中納言:2005/12/16(金) 17:40:35
>>173
東国は寒そうだからヤダ。
やっぱ近畿がいい。
175無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 17:44:54
たから、土着の大名の恩賞の基本は本領+隣接する地域だって
浮田に関東やったら、浮田の力を削ぐことになるって判らないのか?
むしろ、関東は毛利にやったほうがいい
恩賞という名目で力を削ぐことが出来、大坂からも遠ざけれる
176無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 17:58:36
その後の活躍次第だが、小早川秀包に小早川家督と九州もしくは四国に一国やってもいいのでは。
毛利に対する恩賞にもなるし。
秀秋は豊臣一族復帰・畿内転封だろうから。
177無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:00:14
水を差すような質問ですまんが、
関ケ原勝利後の石田三成に、毛利家を「処分」するような権力があるのか?
秀吉生前には秀吉の権力があったからこそ、辣腕を振るえた訳だが、
関ケ原当時は奉行職も退いているし。

関ケ原に勝利した事で、三成の権勢は飛躍的に高まる事は確実だが、
それでも史実家康の様に全国レベルで大名の配置転換をしたり、
お飾りとはいえ総大将の毛利輝元に面と向かって
「関東へ移られよ」
なんて言えるのか?


こういう考察はスレ違いだというのならスルーしてくれ。
178無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:01:39
>>174
ワガママはおやめくだされ〜(T_T)
>>175
それはわかるがあえて、というか彼しかいないんだ。関東における豊臣家の名代をできるのは。
石高などをみても。で、江戸城の築城を天下普請するなどして極力援助してやれば。
毛利家を動かのは火種になると思う。
179無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:08:44
>>178
宇喜多を関東探題にするなら旧領そのままで、関東に出張になるだろうな。
旧領取り上げての転封なら秀家も納得すまい。
180無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:10:02
>>177
オレはアンタの意見理解できるよ。
こうやってレスしてるうちに、ifだけど色々な事情が出てくるの当然だし、ソッチのほうが難易度上がるみたいで面白い。
マスマス「三成達はどうするか……」て考えられるし。盛り上がる。
181無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:19:32
>>58
幕末でさえ一応ごにょごにょしつこく戦争はしたよね。
でもやっぱり大勢が決してしまうと家康が生きていてもなかなか難しいと思う。

あくまで天下人ってのは世の流れの中で生まれるものだからなぁ。
いくら徳川の軍事力がすごくても
徳川対その他
になれば無理。

信長ならなんとかしそうだけどなぁ。
182無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:36:45
恩賞や人事考えるなら、戦前にした約束が重要では?
どこかにまとめてるサイトとかないのかな。
183無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:39:47
秀家は政治オンチなのに、関東は無理だろ
自在に転封出来る大名ってのは

・信長・秀吉系列で成り上がった大名(土着してない)
・東軍についた大名

この二パターン以外は反発が出るのは必至
関東には親藩ならそれこそ小早川秀秋を置くしかない
無難なのは分割して譜代・親豊臣にに与えること
別に徳川が関東丸ごとだったからって、後釜も関東丸ごとである必要はない
184無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:44:14
>>179
……う〜ん
そういわれると他の武将もそうなるんじゃない。ヘリクツになるけど。
幸い周りは東軍だけだったらいいけど、全て西軍だったりしたら転封させないといけないし。
加増転封だし、大国だからいいと思う。
それに出張するほうが本人、領地、兵士たちに余計に負担がかかる。
185無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:49:54
秀長殿さえ生きておられれば〜
186無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:51:33
>>184
秀吉の養子で上方暮らしの多い秀家が岡山にそれほど執着しない可能性もあるな。
家臣団の揉め事もあったし、加増転封は喜ぶかも。
でも関東は遠くて田舎だと拒否する可能性が高いか。
いっそのこと、上杉を関東管領にするか。
187無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:53:45
>>184
西軍で更に「親豊臣」あるいは「親三成」って稀少なのに
彼等の機嫌を損ねるようなことは出来ない
他の武将に多少は反感かっても、自分の味方である人間には好感を持たれたまま、
更に強力になって貰わなくてはならない
188無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 18:54:21
大坂の近くに宇喜多が居ないってかなり不安にならないか?
189無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:06:31
不安とは?
190無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:11:51
おい!おまいら大事なこと忘れてるぞ

秀頼君の直轄領どうすんだ?
191無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:16:01
>>189
毛利は豊臣に忠って訳じゃないのは関ヶ原ではっきりしたのに
毛利本領をそのままに加増して、宇喜多という壁が無い状況になってるわけだ
毛利がその気になれば、大軍を発して急遽大坂を突くことが可能じゃん
その後袋だたきに遭うだろうが、常に喉元に刃を突きつけられてるのは怖すぎる
192無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:17:51
とりあえず堺、長崎などの交易港は確定
193無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:18:23
鎌倉以来、政権は関東と関西を往復しており、政権じゃないほうには必ず所司代等が置かれていた。
関東探題は必要だと思うがなあ。
一番いいのは徳川追討戦で秀秋が失策してて、関白取り消し・関東送りかな。
194無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:22:54
>>191
やっぱ気付くよな
備前に大谷を配置して、立花を豊前に配置しておく。
195無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 19:31:36
>>183
親三成ではないが前田家でもいいだろう。
前田利政に武蔵一国と上野の内から80万石ほど与える。まぁ本命はやはり宇喜多
中納言だな。
相模・小田原には小西摂津守あたりに45万石万石、武蔵・相模・上野・上総・下総に
豊臣家直臣の数万石に加増の上、配置。
軍事は前田or宇喜多でも良いが、関東経営は小西摂津守を中心に名束大蔵大輔か
増田右衛門尉あたりを代官として関東各地におく豊臣家蔵入地の管理・運営を委ねる。
196無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 20:09:01
>>195
おれも宇喜多が本命だが、前田もいいですね。
秀秋は播磨と関白職を約束している以上、難しいかな。
江戸を擁する武蔵周辺は
やはり、大大名の方がいいだろう。
中小の大名だと、江戸の規模、徳川残党の存在などに懸案がある。
だれも、先祖伝来の地を動きたくないのは同じ
そこをあえて転封なのだから、大幅な加増は必須。


それから、江戸の豊臣家の直轄化したときの影響はどうだろう?
その場合は城代を置いた上、七手組を在番させいが。



197無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 20:15:18
なんで上杉じゃだめなんだ?


あと朝鮮再征をやるのかどうかによっても違ってくると思われ
まあやらないだろうけど
小西を西国から動かすのはどうか
198無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 20:41:24
秀頼君に絶対的権力を持たせなければ
再乱は必定だよなぁ。

ところで、おまえら。
五大老・五奉行・三中老の職制は堅持しますか?

199無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 21:09:40
 こういうとなにかもしれんが・・毛利が所領の加増を欲するかどうかは?
だと思う。
あの消極的さ加減からも、勝ってもたいした恩賞をもらえるとは期待はしていないだろう。
輝元タンはそういうのなさそうだし。
 筑前34万石&小早川家家督を小早川秀包、秀元に九州の元秀包領地に移ってもらい
大名として政権役職
吉川広家の隠居による不問、秀包・秀元・元康への独立大名としての格式程度

ただし生糸貿易に恩恵&特典を与える。なまじ所領与えるより貿易で特典の方が
毛利が喜びそうだ。

んで宇喜多はたしか戦後の恩賞に関東を与えるという書状があったので。
宇喜多の関東逝きは本人納得なのだし宇喜多で決まりでしょう。
おそらく徳川秀康を若干加増して付家老というか客将として取り込んで
徳川系の慰撫にあたらせればいいのでは?

 ちなみに宇喜多の跡地岡山に対しては豊臣家の蔵入地として預かり
秀頼君に子供が出来た際嫡男は豊家長者として家督相続だろうが
余った次男を吉備宰相としてこの地に封じ徳川御三家のような立場に
するという線でいいだろ?

200無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 21:14:49
後重要問題が秀頼君の後見人と大老筆頭としての政務代行は一人に重ねない方が
いいだろうが、どっちかに毛利輝元を当てるのはやむをえないとして
もう片方に宇喜多を当てたいのだが恩賞をj関東にしてしまえば遠隔地過ぎて
不便じゃないか?
家康や利家の場合、本人のカリスマと心酔する家臣の結束それと家督を継ぐ成人の嫡子
がちゃんといたが、宇喜多にはそれがない。

大老筆頭として天下政務の代行については外様の大大名の毛利輝元を当てるのが
よいが
玉である豊臣秀頼の後見人には極力豊臣色を強めた有力者を当てたい。
 ただし小早川秀秋と宇喜多秀家そして前田と上杉、石田ではみんな不都合があるので
だれか他に適任以内か?
201無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 21:59:39
>>198
この意見は重要だ。五大老の制度は残しても良いが名誉職程度にする必要ある。
ここまでの意見では毛利中納言・上杉中納言は160万石以上、宇喜多は80〜100万石。
前田・小早川らも状況によっては60〜80万石だろう。彼等に大老職を委ねれば第二・
第三の家康を生むだけだ。
奉行衆を頂点とする政権運営のシステムを武家社会に受け入れさせれば佐吉君も
枕を高くして眠れるだろう。太閤のカリスマ政治はカリスマがいてこそのシステム。
いなくなればモロ過ぎなのは身を以って知ったはず。
こうした政治システムへの移行に失敗すれば足利幕府の二の舞だ。
五奉行を政策決定機関とし、中老職を従前のお飾りではなく奉行の手足として政権運営
・行政・民政などを統括させる職権を与え、定数も三名から8名程度とする。規定としては
譜代・準譜代クラスの5万石以下の小身だが有能な大名を充てる・・・ん?これってまるで徳川の
システムだよw
202無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 22:05:33
輝元は調子に乗って
「勝ったときの恩賞は要りません、何事も秀頼様の御為」
とか言う誓詞を出してんじゃなかったっけ。
それを盾にとってだなwww
203無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 22:14:34
小早川秀秋の行動によって西軍を勝利に導いたら、最大の功労者になるのだろうか?
204無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 23:00:00
>>201
それだけ、徳川のシステムは理想的だったんだよ。
250年の安定を得たのだから。
205無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 23:29:30
>>200
後見人か、難しいね。大老クラスにも睨みが利き、野心の薄い人物・・・。
やっぱ宇喜多なんだが、スレの流れ的に宇喜多中納言は関東探題職っぽいしね。
人柄としては大谷刑部少輔なんだが…病人だし。
政治的美談と捉えられかねないが岐阜中納言はどうか?
遥か昔、故太閤が後見人として立った織田中納言秀信。時代は変わり、かつての
三法師が太閤の遺児の後見人となる…。この人物ならアクも強くなさげだし、総見院
公直系だからねぇ。意外に良い人選な気もするが皆様方は如何?
206無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 23:31:08
もしも、おまいらが黒田長政の立場なら広家の内通の件を腹に納めて黙って
死ぬか?三成が恩賞で苦労するのを見越して内通の証拠と引換に自身の助命
を試みるだろう、フツー?俺ならそうする。
三成も長政の首を刎ねた処で土地が湧いて来ないから必ずこの取引には
応じると思う。広家内通がバレたら毛利は恩賞どころじゃなくなる、
必ず広家は改易切腹になり輝元も隠居させられる(毛利家慰撫の為に
大納言昇進後に隠居願いの形を採るだろうが)かもしれない。

同様に金吾に対しても、合戦前に裏切りの噂が飛んでたから、戦の大勢が
決した時、三成が秀秋に
「テメー、狸に内通してたろ?」と問い質されたら金吾の性格からして
最後までシラを切通せないだろうから、当主の座を追われるだろう。

結局、毛利本家、分家は

 本家:輝元⇒秀元
小早川:秀秋⇒秀包
 吉川:断絶(旧吉川、秀包領は恵瓊に?)

の様に全て代変わり又は断絶してしまい論功行賞後、暫くは政治的に大きな
影響力は持てないと考えるのが妥当でしょう。
そのため、三成は毛利一族に対する恩賞には悩む事は無いと思われます。 
207無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 23:39:35
>>206
気持ちは分かるが、これも加賀前田の仕置きと同様。
関ヶ原本戦で西軍圧倒優位な状況で推移すれば、吉川はよくて本領安堵。悪けりゃ
切腹で本家の総大将としての功もナシだ。恩賞と吉川助命を交換条件という線もあるが。

関ヶ原終了後も混戦模様ならば不問には付すが、毛利家はずーっと先鋒で二股膏薬が
帳消しと認められるまで粉骨砕身の戦働きをさせまくるという事に。
いずれにしても、こうした情勢なら上杉より加増はだいぶ少なかろう。
208無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 23:55:10
>>205
まあ、能力は別として織田なら
淀殿も安心するだろな血族だし
209無名武将@お腹せっぷく:2005/12/16(金) 23:59:44
豊臣家は家臣に反逆されたのだから明智の様に徳川を殆んど全滅させないと
体面を保てないんじゃないかな? 260万石を磨り潰すのに何年かかる
やら・・  案外、奥平を引抜いたら武田の様に脆く滅亡するのかなぁ・・
210無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 00:01:51
>>209
三天王と大久保一党を遠国に配置転換。
211205:2005/12/17(土) 00:02:08
あっ淀君か!それには全く気づいてなかったw
秀信には能力の多寡はあまり求めなくとも良いかも。利口過ぎる後見人でも問題だしね。
血筋もよく、他に一目置かれるが権力はない岐阜中納言は打ってつけだと思います。
212無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 00:08:39
八条宮様は?公家達に口出しさせないという条件で
213無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 00:27:48
いつの間にか口出してるのがお歯黒クオリティ
214無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 00:29:39
そこで三介様が華麗に登場ですよ
215212:2005/12/17(土) 00:38:49
家康をブチ殺した後で豊臣家に逆らえる公家なんか居るか?

ガタガタヌカしたら桂川でスケキヨ状態にするぞ!!(゚Д゚)ゴラァ.

と一喝すれば済む
216無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 00:45:02
後見人として前の征夷大将軍であらせられる足利義昭公を推薦したい
217無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 00:55:54
死んどるて
218無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 01:21:35
秀頼の後見は、秀秋では?

秀秋が西軍参加した時の、約定
秀頼成人までの関白就任と後見、関白御料として播磨一国加増
平岡・稲葉の両家老に近江の内で10万石ずつ加増
だったのでは?

秀吉が秀頼に付けたもり役、片桐且元・小出吉英
摂津・和泉で秀頼の補佐格
219無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 01:31:00
関東に報じても、秀家本人は大阪京都でのうのうと暮らしてそうな希ガス
関東統治は部下にまかせっぱで
220無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 01:45:27
>218
 内通がバレなければね。でも絶対バレるって。
三成が助命しても良さげな東軍大名に、秀秋は家康に内通してましたと証言
させて(証拠が無くても)ジワジワ追詰めていくに米百俵。
221無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 01:53:56
北九州の諸西軍は黒田・加藤攻めで即刻引き換えし
残存で東海道攻め登って浜松まで、そこで徳川と
親徳川派の動向をうかがい恭順なら家康・秀忠は
遠島、他の旧豊臣大名は改易斬首
222無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 02:03:41
加藤・福島・浅野は豊臣家との兼ね合いから大幅減封・当主隠居で残すと思うけど。
223無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 02:06:34
ところで秀頼、誰と結婚するの?
224無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 02:08:10
五摂家か内親王を娶るのでは?
225無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 02:17:30
領土で十分な恩賞を与えられない上杉家から正室出すんじゃね?
226無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 04:59:09
>>225
上杉家の生殖能力は御家存続も危ういレヴェルだぞ?
(まあ、女系は多産かもしれないが)
227無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:19:40
こうなったら後見人は宇喜多秀家にして補佐に織田有楽斎、秀信らをあて
秀家を大和・伊勢に100万石をあたえていいんじゃない?
そして毛利は吉川家断絶、小早川家は秀包が継いで上野一国。
旧吉川領は毛利家に、旧小早川領は豊臣直轄領に。
次に大谷家を東美濃に入れて丹羽を越前半国。
前田家は利長隠居の上大阪住まいで利政を当主に加賀と越前半国。
上杉を越後に戻して直江兼続を出羽か越中に。
真田に北信濃と信幸の助命、さらに中央政権に参加。

228無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:26:32
東軍内応の大名達の処分だが、この当時当事者たちから見ればみな東西どちらが勝つか
読めない状況だったのは想像に難くない。少なからぬ大名達がレベルはともかく何がしか
の両天秤は掛けてたんじゃなかろうか。
史実でも戦場で旗幟不鮮明だったり、怪しげな中立してたのは別にして、徳川もモグラ狩り
はそんなにしなかっただろう。あまり苛烈にやると折角得た勝利が掌から滑り落ちないとも
いえまい。
なるほど金吾中納言は関ヶ原に至るまで十分に怪しい行動な訳だがw、彼の西軍参戦で
勝利を得たというのが前提のこのスレで、金吾を処罰する事になれば後ぐらい所のある
大名達が身を守る為に何がしかの覚悟をされるのも如何なものかと。
229無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:32:28
>>227
東軍の有楽がそんな役につけるわけない
230無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:41:27
>>228
金吾は処罰するんじゃなくて豊臣姓に戻して近畿に所領を与えて
なにかしらの役職につけんだろ?
ただでさえ少ない西軍陣容をこれ以上へらしてどうする。
関ヶ原が終われば島津も重い腰を上げるだろうし
黒田如水も西軍に味方しようとするんじゃない?
231無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 10:10:24
大和路まで西軍に同行し、松坂でなかば中立化した鍋島勝茂の処遇はいかが致しましょう?
232無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 10:17:42
>>231
九州には加藤清正・黒田如水がいるからね。厳罰で臨めば加藤・黒田と連携されても
面倒。申し開きが十分なら不問。ただし対秀忠戦では先鋒。
やはり西軍圧倒的な状況なら減封の上、四国あたりに転封。
233無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 10:24:38
立花宗茂も土着に拘らない派な気がするから
関東か東海道に置いてもいい気がする
あと、真田が中央政権にいる姿が想像しにくいんだが…w
昌幸とは別に、信繁に東海道の何処かを与えると、
日本海側は宇喜多―真田の防衛ライン
太平洋は上杉―前田の防衛ライン
を敷ける
234無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 10:29:07
加藤清正→旧最上領案はどうなってる?
ぶっちゃけ、上杉の恩賞がハッキリ決まってないから
最上領と伊達領と会津というでっかい空きが宙ぶらりんのまま話が進んでるんだが?
上杉の恩賞決めちゃおうぜ?
235政宗$郵政? ◆B29zf77NaM :2005/12/17(土) 10:50:00
上杉は旧領復帰じゃないのかい?
236無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 10:55:34
大老筆頭…上杉中納言(越後・春日山160万石)
大老  …毛利中納言(安芸・広島 140万石)*広家背反の責めにより微増のみ
大老  …宇喜多中納言(武蔵一国・上野の内85万石)*関東探題兼任

奉行筆頭…石田治部少輔(近江半国と山城の内50万石)
奉行職……大谷刑部少輔(尾張・清洲25万石)
奉行職……増田右衛門尉(大和・郡山20万石)*東軍内応嫌疑にて本領安堵
奉行職……前田玄以茂勝(丹波・亀山5万石)

中老…福原右馬助直高(美濃・大垣12万石)
中老…安国寺恵瓊(越前・敦賀10万石)
中老…小野木縫殿介重勝(近江・長浜10万石)
中老…石田木工頭正澄(伊賀・上野7万石)
中老…熊谷内蔵丞直盛(遠江・掛川6万石)
中老…平塚因幡守為広(遠江・横須賀5万石)
中老…速水甲斐守守久(摂津の内3万石)

関東探題…宇喜多中納言(武蔵一国・上野の内85万石)
副探題……小西摂津守(相模・小田原40万石)
関東奉行…名束大蔵大輔(下総・佐倉15万石)

豊臣家差配役…小早川中納言(播磨・美作及び近江の内60万石)*後、関白昇任
秀頼後見…織田中納言(美濃・岐阜25万石)*関ヶ原後加増

大老は名誉職。行政・民政・軍政は奉行が最高決定機関とし、中老は調停役ではなく
奉行の下役として実務を執る役職とする。
大老はいじれないが、実務を仕切る奉行&中老にはフィクサー石田治部の息の掛かった
連中を中心に外様から1名、豊家から1名を入れバランスは取ったつもりです。
237無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 11:01:51
畿内を全て豊臣直轄にするというのは不可能ですか?
誰が反乱しても畿内全軍直轄部隊であればそうそうやられない。

内部での政権交代はあっても豊臣という看板は変わらない。
畿内軍事力を元に豊臣のトップが権力をもてるということで。
238無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 11:13:14
>>237
相当難しい希ガス。畿内に一人も大名置かないとすると大名に与える領地はかなり
足りなくなるような…。
徳川でも武蔵とか以外は関東には結構譜代大名いたからなぁ。

それと軍制としてみても主従関係に依った軍制の当時は、いわゆる正規軍とか政府軍
みたいな編成は取れない。主従関係=指揮系統だからね。
史実でも幕末に西洋の軍事学が入るまでは、そういう意味での軍隊組織らしきものは
産まれていない。
例えば中国筋で毛利が謀反を起こしたとする。出陣するにしても誰が大将なのか?
主従関係の無い人物が突然「大将」になったとして、周りが従順に指示に従うか
全く分からないと思う。
当時としては譜代大名をある程度以上作り、彼等を藩屏として、また指揮官として
一軍を任せるほかは当時としては無いのではないか、と思う。
239無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 11:22:34
>>238
つまり現代的な感覚では統治や統制がうまくいかないということですか?
240無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 11:54:17
>>239
当時の日本では難しいと思うよ。中国では律令制によって民政も軍政も運営されて
いたからいわゆる『政府軍』みたいな軍官による指揮系統があったから良いけど
日本は「諸侯」による地方分権の時代だから民政・軍政ともに「諸侯」の手に任されて
いたから。徳川時代にやっと中央集権に近づいていく感じで本当の意味での中央集権とは
明治に入ってからだからねぇ。
現実的な施策としては畿内に天領(蔵入地)をある程度以上置く。畿内の要所である
大津・佐和山・亀山・郡山のような所には譜代大名を配置することと畿内に最低一人は
親藩の大名に大領を与えて軍事の要に置くことは必要ではないかと思う。
241無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 13:14:52
このスレを見て確信
前田は東軍について正解だった
江戸時代には外様筆頭として栄え
4代目光高は家光に愛され
家光に子供のいないときは次の将軍候補にあげられた

もし西軍が勝っていたらここまで前田は栄えなかっただろう
利長は先見の明があるな。
242無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 14:12:44
ちょっと違うな

前田がもし西についてたら間違いなく総大将かそれなみの立場になってたはず
5大老の一人だからね

史実の前田は家康のあのまつ人質要求に屈したけど
あそこをあらがっていたら確実に兵をあげたのは石田ではなく前田になってたろうからだ
243無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 15:51:00
四国はまずいだろ
長宗我部は少なくとも四国全部
もどすくらいで
まぁ淡路島位は削ってもいいか
でも味方しなかった大名は大坂
近辺に領土は無理だろうな
石田は何のかんの言われて
旧家康領の関東で加増で
政治の中心から外れるか
加増なしで筆頭のまま
取り仕切るかの選択かな
秀忠はまた真田領をとって
返るわけだが落ち武者狩りか
離反で死んでそうだ
244無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 19:27:31
 >>241
242に同意する。あの時点で徳川に抗っていても家中国内が一致結束しているという
前提条件でなら前田にも勝算があるしな。
 まして秀頼公後見役と大老職を父から引継ぎ秀頼公伝奏の利長が反徳川の狼煙の
筆頭になっていれば徳川の立場になっていた可能性だってあるしな・・。
245無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 19:44:22
広家の切腹は無理だろう。宇喜多秀家の兄弟なのだから秀家が助命嘆願に
輝元に加勢すると思う。
まして秀家の息子が輝元の娘と縁組をしている身だから適度なところで毛利に恩を売る
ような気がする。



 まっ・・一番手っ取り早い方法は吉川広家以下の毛利家年寄4名の東軍内応の咎
と輝元&秀元らの豊臣への忠節への功績をあわせ
秀包に小早川家督を継がせ吉川などとあわせ毛利一門に旧徳川領を宛がう。
最上領に加藤清正を置き南部に黒田を置き伊達は領地据え置き
上杉には越後を加増する。
これで西国にかなりの空きが出来る。
246無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 19:49:20
西軍の内通した大名は後継ぎがいたら隠居で、
いなければ秀忠討伐戦の先鋒って感じになるのでは?
247無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 20:02:11
>>245

>広家の切腹は無理だろう。宇喜多秀家の兄弟なのだから秀家が助命嘆願に

これマジなの?
248無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 20:04:08
なるほど。泣く泣く西軍についた、小勢の島津の処遇はどんなだろ?
249無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 20:15:29
245は広家と利長を取り違えてるのでは?
秀家正室の豪は利家の四女、秀家と利長は義兄弟だが
秀家と広家は何の関係も無いハズ。
250無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 21:11:50
おっと失礼245ですが広家の妻は宇喜多秀家の妹なので
義理の兄弟になります。兄弟とはそういう意味です。
251無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 21:30:42
>>250
姉だな、ついでに嫁いですぐ死んだ。
252無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 22:17:14
島津には本領安堵と琉球及びと海外の権益を認めてやれば十分だろ

253無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 23:27:55
>>250
義理の兄弟とは言え、嫁いだお姉さん亡くなってるなら縁戚とも言えないんじゃないの。
それに若大将秀家が、南宮山でグズッてた広家の助命嘆願するだろうか?
一歩間違えば史実みたく敗亡だよ。姉が存命でも厳しい状況だと思うがね。
254無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 02:00:40
>>232
その前に父親の鍋島直茂が、根回ししてると思うぞ
255無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 02:19:37
>>241
>>242

何気に前田って凄いよね。
利家が死んでからもそこまで衰退はせず、加賀100万石。
御三家に近い扱いを受けてた(与太話?)みたいだし。

やはり欲深でないことが良かったんだろうね。
利家にしろそれ以後にしろ。
256無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 02:22:38
>>244
さすがにそれは無理かと。
他の大名がとしながについていくとはさすがに思えない。
利用はしたとしても。

だからとしなががトップを狙うような行動を起こすと難しい。
家康はトップを狙うような行動を起こしてもいっぱい付いてくる大名がいたけども・・・

やはり天下を狙わないからこその前田の栄えだと思うなぁ。

とても幼稚なレスですいません;
257無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 11:40:13
上の方で誰かが書いてたけど金吾秀秋は小早川家から豊臣に復姓させるべきかも。
杉原家系木下の一族で木下式部大輔(長嘯子)・木下宮内少輔利房・木下肥後守家定・
木下利久(詳細不明)ら明確に東軍につかなかった、或いは中立だった一族も豊臣姓を
考えるべきだとは思う。
秀吉は大名達には羽柴姓を頻繁に与えていたが、北政所の杉原系木下家には処遇は
冷淡。(有能な人物がいなかったせいもあるだろうがw)
木下一族冷遇の一因は淀君近江派vs北政所尾張派の余波かも知れないが、これが
武断派vs文治派の温床の一つだとすれば、この辺りの措置も改善したいところだ。
関ヶ原戦後に福島・加藤左馬助・黒田・細川などの没落により諸侯とのバランスを
取る意味でも豊臣縁戚に当たる木下一族の豊臣復姓と所領加増により相対的な豊臣
勢力たる藩屏の育成を進めねばなるまい。
妻が細川幽斎の娘であり東軍参加の姫路城代の木下右衛門大夫延俊は所領25,000石を
半知程度に減封程度で当面蟄居で機会あれば北政所から大赦申請でして頂く感じか。
258232:2005/12/18(日) 11:48:02
>>254

>その前に父親の鍋島直茂が、根回ししてると思うぞ

だから申し開きが十分なら不問って書いてるでしょ。よく読んでね。

  232 :無名武将@お腹せっぷく :2005/12/17(土) 10:17:42
  九州には加藤清正・黒田如水がいるからね。厳罰で臨めば加藤・黒田と連携されても
  面倒。申し開きが十分なら不問。ただし対秀忠戦では先鋒。
  やはり西軍圧倒的な状況なら減封の上、四国あたりに転封。
259無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 14:22:15
木下系列の人間は豊臣姓にして豊臣家直轄地の代官として各地に派遣したら?
関ヶ原が1日で決着したとなれば毛利本隊も出てくるだろうし
物資不足気味の秀忠軍と敗残軍じゃ西軍の攻勢は防げないかと。
家康が生きていればまだ挽回は可能だし、徳川四天王や忠吉がどうなったかで
左右されると思うな。
島津は関ヶ原で動かなかったんだし、小早川勢が攻勢に出た時(出てなくても)
正面の敵に挑むかどうかで決まると思うな。
もともと千六百程度しか兵を出さなかったんだし本領+加藤清正領のうちから
すこし加増されるぐらいじゃないの?
260無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 16:14:53
>>259
代官職では藩屏たり得ない。代官とは即ち行政官僚。仮に九州の蔵入地の代官に
木下肥後守が代官としていたとしよう。一朝事があった際にその蔵入地から動員を
掛けて戦うと?蔵入地では拠るべき城すらない。百歩譲って仮に蔵入地の収入の一部を
緊急時の費用にあてて幾ばくかの雑兵を雇用したとして、本隊である肥後守の本領が
遠隔地ではコアになる部隊が前線に全く存在しないことになる。これでは如何なる
敵勢も防ぎようもあるまい。
必要なのは軍政・民政の権限のある領主としての豊臣藩屏である。
261豊臣秀頼:2005/12/18(日) 17:04:32
取り敢えず徳川家を完全に潰す為、毛利輝元を総大将にしたうえで関東に押し出したとおもいますよ。
262無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 18:20:38
>>261
アレ?このスレはとりあえず家康討死って前提で進行中では?
だから秀忠隊について皆さんあんまり気にしなくてもイイという流れかと。
263262:2005/12/18(日) 18:22:27
>>261
ゴメン。261さんは「徳川家」を潰す為って書いてたね。読み違えてました。失礼。
264257:2005/12/18(日) 18:52:18
豊臣一族の強化案考えてみました。

豊臣関白秀秋(小早川姓より復姓) 播磨姫路/60万石
豊臣式部大輔勝俊(長嘯子)    筑後久留米/15万石
豊臣宮内少輔利房         上野館林/10万石
豊臣肥後守家定          丹波福知山/8万石
豊臣伊賀守利久(官位は新任)   近江長浜/6万石 
豊臣右衛門大夫延俊        伊勢長島/5万石(*)
(*延俊は東軍参加故、一時蟄居後とする)    
265無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 20:29:40
>>261
関東に攻め上った場合
関が原西軍+上杉・真田×徳川+伊達でもう一度決戦だろうな
266無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 21:11:10
>>265
家康亡き後の徳川に伊達が加勢するとも思えんが…。
関東に秀忠が撤退したという事は東海道筋の東軍諸将は西軍に降伏したって事だね。
東海道は小田原で防ぐとして、中山道は鉢形城、奥羽方面は引き続き結城秀康が固めた
上で常陸の佐竹氏にも備えなければならない。太閤の小田原攻めの後北条氏よりも
苦境かも。
三河・遠江なら根こそぎ動員掛けても地縁もあって相当な戦力になりそうだが、
関東ではどうだろうね。
関ヶ原にいた3万と秀忠が率いていた3万8千の兵達だが、家康討死と秀忠撤退で相当数
逃げ散っている可能性もあるしね。
こりゃ江戸城か小田原城で最期の一戦になりそうだ。
267無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 00:11:08
徳川は謀反での負けだから明智みたいに案外あっけなく滅びる鴨。
家康討死の報せを聞いたら佐竹が絶対ノータイムで江戸に攻込む、
秀忠は江戸には帰れないだろう。しかし戦の前に家康は秀忠に
「ワシが討死したら、お前は忠吉の首を差出し妻を頼って恭順しろ、
秀康しか赦さぬと言われたら、お前も死んでくれ。」ぐらいは言ってると
思うな、血統を残す為に信康を犠牲にした男だから。
268無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 00:54:59
そういや、秀康は秀頼の義兄なんだよな
太閤の元に居た時期もあるし、西軍の諸将とも親しいのが多いみたいだし
だけど宇都宮で上杉と対陣してる秀康軍はどうすんだろね?
佐竹が江戸を狙うのは、まず間違いないし、上杉も白河から押し出してくるかもしれんし

関ヶ原西軍勝利&家康討ち死にの場合、中仙道で秀忠は立ち往生になると思うんだけど、
その場合秀忠軍はどう動くんだろ
269無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 01:02:14
信康は積極的に家康が殺した説が主流なんだが?
270無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 11:33:48
西軍側に加勢した小早川は最大の功労者だが、反対に最後まで不戦を貫いた吉川は
戦後の論功行賞で東軍側として扱われ厳罰の対象になった可能性が高いと思う。
271無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 11:37:49
269 名前:無名武将@お腹せっぷく :2005/12/19(月) 01:02:14
信康は積極的に家康が殺した説が主流なんだが?
272無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 12:22:32
秀康は豊臣or羽柴姓にして親藩扱いにってのは?
幼少の件で大坂贔屓なんでしょ、あの御仁は。
273無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 13:01:22
信康斬首って、信長は事後承諾だったみたいだしね
家康から「妻と長男斬って良いですか?」って持ちかけられたと
まぁ、大御所さまがそんな非道じゃ幕府的には不味いから、捏造して信長のせいにしたんだが
274無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 16:45:31
佐竹は単独じゃ江戸城どころか常陸全土を制圧するので精一杯でしょ。
上杉を頼るにしても仙北勢や越後切り取りのために余剰はないともわれ。
できて秀康への牽制ってとこじゃない?

秀康側も直接西軍と交戦しなければ蟄居か隠居、悪くて高野山行きじゃない?
275無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 16:52:58
>>270
このスレの大前提が金吾裏切りなく西軍参戦した場合の恩賞・人事だからね。
金吾が西軍参加して京極・藤堂勢に突撃するなら赤座・小川ら半端モン4将も
裏切るまい、というか裏切る機会そのものがない。
秀秋8000余+4将の軍勢1万数千が藤堂・京極勢に横槍を入れれば東軍諸勢
崩れたつのは必至だろう。
この状況で、南宮山で吉川侍従・毛利甲斐守が傍観する事もあり得ないだろう。
金吾中納言の突撃により戦線崩壊が見て取れるのに傍観し続けて何の利益が
あるだろうか?
史実ではどちらが勝つか分からないが、内府有利と判断するも毛利は西軍総
大将。あからさまに戦場で西軍に討って出るのは出来ない。傍観することで
ローリスク・ローリターンの利益を選択したわけでこれはこれで利益追求の
行為。
状況変わって東軍戦線崩壊の危機に至っても吉川侍従が動かないなら、
とんでもない優柔不断の愚将ってことだ。
276無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 17:59:41
>>268
関ヶ原の一戦で家康討死であれば、東軍前衛の黒田・細川・福島らの太閤恩顧
大名達は四分五裂の有様だろう。尚且つ徳川三万の旗本勢は有力な部将の不足
もあったとは言え、大将の家康が討ち取られている訳で金吾・吉川・毛利らは
みな参戦した状況下で発生したものと想定される。
この状況から見て大垣城包囲の東軍諸勢も潰走するか、動揺しているところ
を福原右馬助ら守兵の逆襲を受ける可能性が高い。
金吾秀秋がいつ頃参戦したかが鍵だが関ヶ原本戦前半を死力を尽くして戦った
石田・小西・宇喜多・大谷の諸勢は大垣〜岐阜の東軍第二戦線まで追撃戦をする
余力があるとは思えない。
少なくとも前半は空弁当してた南宮山諸勢は戦後の嫌疑を恐れ死に物狂いで
功名を稼ぐ必要があり、体力的にも余力があるだろう。毛利甲斐守・吉川侍従・
安国寺・長曾我部宮内少輔・名束大蔵大輔2万余が追撃戦の主力だろう。
彼らがいつ頃、大垣〜岐阜に達するかで秀忠隊との第二次決戦があるのか、
東海道の東軍諸城を一つづつ潰しながら前進すつつ関東に接近していくが決まる
のではないだろうか。

277無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 19:38:56
>>274
 そこまで徹底的な族滅を行う余力が西軍にあるとも思えない。
史実の東軍ですら、なんやかんやいいつつ毛利や上杉は残し島津は手付かず
といった慰撫をしており、西軍にしても、戦後上杉と真田の大幅加増はガチ
な上に、佐竹や伊達も西軍参加大名として相応に残るわけで
まして関東は敵地徳川の本拠だったとくれば東国経営が至難を極めるのは必定で
 秀康と秀忠に分割して徳川を中堅大名として残し
パワーバランスのこまとして使いながら東国経営に協力させるというのも
ありかと思う。

 
278無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 19:48:40
>>276-277
 そうなんだよね。
 上では小早川秀秋や吉川侍従の内応がとやかくいわれるが
実行していない以上、よほどの証拠でのないと処罰できかねるかもね。
増してそんな証拠がたやすく残るはずもない。
現に伊達政宗が石田三成宇喜多秀家と密会して西軍に通じていたのだって
一遍の書状にようやっと残っていたくらいだしな・・
むしろ自分たちが徳川と通じてたのを隠蔽するため
小早川秀秋や吉川、増田は徹底的な強硬論を主張すると思われ

 西軍勝利だと関が原で全てのカタがつくわけもなく
家康死んでても、関東東海道の平定、九州の平定・・
この辺の処罰が終わってようやっと戦功や賞罰が行われるのだから
その辺を加味すれば、逆に大きな戦功と成果をもたらして
大きな位置を占める可能性もありかと思う。
279無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 21:56:02
こうやって改めて考えてみると
つくづく秀忠はめぐまれてるな・・w
もし、東軍が負けてたら、劉禅以下のあつかいだね。
280無名武将@お腹せっぷく:2005/12/19(月) 22:36:55
秀康については、次の様な方向性があるかな?

1宇都宮城にそのまま籠城、もしくは上杉と戦闘
2江戸城まで下り籠城、もしくは佐竹と戦闘
3軍を解体し結城に戻り事態を静観
4その他・・・
281無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 00:28:48
>>280
秀康はもともと家康に対し不信感持ってたし、
家康が討たれたらすぐに降伏で本領安堵。
ついでに秀忠の助命嘆願をおこない、
秀忠はかろうじて命だけは許される、
ってところだろう。
282無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 09:59:52
徳川家敗軍し、当主家康を失ったとしても関八州の大領と数多くの遺臣がいる。
彼らをことごとく討滅するのは時間が掛かる上に豊臣家の声望にも影響する問題に
成り得るので、結城秀康に一定の所領を安堵させ遺臣の一部なりとも仕官させる
事が必要だろう。ただし秀忠と秀康の両方を残すのは良策ではあるまい。
徳川氏の世継である秀忠は政治的な意味においても、処罰しないわけにはいかない。
死一等は減ずるとして高野山行きは確定でしょう。
秀康には徳川姓は許さず、松平姓かせいぜい結城姓を名乗らせる事も肝要。
将来の反豊臣の拠り所となっても困るから、やっぱり結城姓が正解だろうね。
所領は奥羽か九州辺りで20万石以下として家康時代に5万石以上もらってた
重臣衆は隠居とし、その一族の者が秀康配下として仕官するようにして、
徳川遺臣達に満足はいかないまでも不満まではいかない慰撫政策を実施する。
万石以下の旗本衆・御家人はそれぞれ関東諸州を新たに領土とする大名が
積極雇用する政策も忘れてはなるまい。
戦に勝つことも大事だし、大変なことだが天下を平穏に治める事と太閤の
晩節の愚行による悪評を払拭するのも徳川の挑戦を退けた秀頼政権の
プライオリティの高い施策である。
283無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 10:37:35
西軍にとって東軍は明らかな謀叛軍であるであるから一概に東軍勝利時を引き合いに事後処理を語れない。

源頼朝の例が引き合いに出るだろうし、何を置いても必ず家康の血族根絶に動く。こればかりは政治的判断はありえない。

西軍勝利の場合、歴史的にはに西軍は第2の平将門の乱と位置付ける可能性が高い。

東軍勝利の歴史は建前とは逆に家康に権力が集中する革命だったので、封地の自由度が高かったが、西軍勝利の場合は建前通り体制維持。そしてどう考えても諸大名の発言力が強まる。
そんな中でどれだけ三成あたりの中央の裁量があるのか。

最大のポイントは上杉や佐竹あたり地方に残る大名が関ケ原勝利後にどさくさで獲得するであろう領地を果たして召し上げられるかどうかだ。
284無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 18:17:51
>>283
切り取り自由などと言ってないのだから必ず豊臣家に返上しなければ
以心有りと見なされる。
それに上杉景勝の場合は必ず返上するだろうし、そうなると他の大名たちも
一斉に返上するかと。

徳川家の血筋は秀忠・忠吉までを処刑ないし高野山入りは確実。
その上で所領を但馬11万石に。
結城秀康は関ヶ原合戦後に即時降伏ならば所領安堵で秀康の隠居。
285無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 18:19:44
秀忠の場合奥さん経由でたすかるだろ
286無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 19:06:33
>>284
いくら上杉家でも越後獲ったら居座ると思うが。
史実の東軍でも返上したのは、目立つところでは黒田如水くらいか?
清正は、小西領そのまま貰ってる。
287無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 20:12:58
>>283
>>東軍は明らかな謀叛軍であるであるから、
 この辺に問題多いぞ。
東軍全てが謀反を意図していたのじゃなく豊臣家公認の上杉征伐の
延長線上に位置付けられる側面もある。
極端に言えば東軍を謀反とみなすと東軍寄りの利敵行動をとった
とみなされる淀殿の処罰にまで責任はでてくる。
小早川秀秋に関白を据え淀殿の責任を暗に求めるとなると
西軍の政権のっとりになってイメージがよくないうえに
 徳川を族滅して東軍を根絶やしにしようとすれば
逆に体制は安定しない。血生臭い印象を強め
朝鮮出兵のような悪評とセットになって体制への不満を強めると思う。

 当時の状況で言えば家康ですら豊臣家に謀反したのじゃなく
豊臣家の家老としての職権乱用以上の咎を求めようがない気がする。
>>何を置いても必ず家康の血族根絶に動く。
このような所業に走るには西軍や豊臣政権自体がそれだけの基盤も
力もない。

288無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 20:16:52
 それに秀康自体東軍として行動したわけじゃなく
単に豊臣家の天下征伐としての上杉征伐の陣に加わっただけで
この辺は伊達政宗と同様だよ。政治的妥協で生き残れる余地もある。

関が原で勝っても家康が戦死しても、天下が即安定するわけじゃない。
史実で家康があれほどスムースに天下を収拾つけられたのは
関が原が1日で片付いて、それも西軍の一方的大敗で西軍が立ち直れなかったから
それに引き換え関が原で東軍が敗れても
徳川は秀忠率いる徳川主力は健在、東海道筋は徳川が固めてる。
関東も戦場になっているわけじゃない上上杉や佐竹が速攻関東侵入する
とか不可能。
ゆえに西軍が関が原で一方的大勝利を収めてすら
家康が戦死したかで若干状況が変化するにしろ徳川絶滅なんぞ
いってみろ・・長期戦化するのは避けがたい。
 ある程度東軍とみなされる勢力も大幅厳封で生き残らせ
天下普請とかで消耗させていく方が得策。
289無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 20:26:22
>>287
明らかに謀反軍だろが。美味い汁を吸おうとした不忠者は折をみて取り潰しだ。
290無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 21:17:33
>>287
少なくとも徳川家は間違いなく意図した謀叛だろ。

石田三成が今後の政治的中心なのかは別にして、関ケ原前後の歴史は三成の認識に沿う事になる。
291無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 21:58:41
>>286
そのかわり会津はとり上げられるだろうな。
直江山城は米沢のまま(+α?)だとしても上杉本家には褒賞って形で交換になるんじゃないの?

つーか勝てば官軍って言葉もあるし適当にこじつけて東軍筋の大名を削っていくんじゃないのか?
292無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 22:25:55
西軍勝利の報を聞いた上杉家がその直後からどういう動きをとるか。
本気で考えた事があるか?

本当に越後に向かうと思っているのか?
必ずや特別な存在になる上杉家がどう立ち回るか、それが豊臣の裁量で自由にできる部分がいかに少ないかわかるはずだ。


徳川家があれだけ自由に配置ができたのは、家康の求心力が強かった為に大名を支配下の武将の如く扱えたからだ。

新しい豊臣政権で旧体制を継承して大老、奉行を大名が兼任しつつ強い影響力を持つ幕末みたいな体制でどれだけの事ができるか。

それでも中央に強い指導力を発揮させるとしたら、東軍を徹底弾圧する事で直轄を増やしていくしかない。
293無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 22:59:07
>>288
謀叛の大罪を犯している相手に長期戦だの泥沼だのの何が悪い?劣勢になるならともかく。

東軍の目的は徳川家の天下で、豊臣家との微妙な理屈の兼ね合いで結果として落とし所が歴史の通りで狙いを達成した。
対する西軍の大義名分は明確に徳川家の謀叛鎮圧だ。西軍が勝った事で後付けながら豊臣家の勝利とするわけで、豊臣家にとって徳川家は初の謀叛ながら2度目の反逆になる。



絶対に徳川家の歴史が下敷きにはならないから。
294無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 23:01:46
というか、関が原の時点ではプチ戦国状態なんだろうね。
いきなり誰が誰と結び叛逆者が地元で一揆を起こす・・・

議論するだけムダだって。
295無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 23:31:31
>>291
せっかく獲った越後と会津を交換させられるなんて、上杉は納得せんだろうな。
上杉家は東部戦線の大功労者でもあるし。
そもそも西軍首脳に上杉家を御することができるかすら疑問。

>>293
徳川をコテンパンにしようとする。

激しい抵抗。長期戦・泥沼化。

厭戦気分昂まる。西軍首脳に批判が集中し、求心力が低下する。

外様大名がのさばりはじめる。

第二の戦国時代、または第二次天下分け目の合戦へ。

このくらいはまあ、予想できるかと。
296無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 00:00:44
>>295
泥沼化のリスクは背負わねばなるまい。
関ケ原では西軍が勝ったのであって豊臣が勝ったのではない。せめて徳川家討伐で“武家”の面目は保たねばならんだろう。ただでさえ豊臣家の権威は地に落ちているんだから、内部的な求心力を回復するためにも謀叛の放置は出来ない。
もし放置してその弱腰を余所目にもし上杉が佐竹や周辺土豪を大きく取り込んで謙信小田原攻めの如く快進撃で江戸城に迫っちまった日にゃ豊臣とどっちが盟主かわからない状態にまでなる。

さすがに伊達最上を引き入れて上杉牽制なんて豪腕は暫らくは踏み切れないだろうし。
297無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 00:14:34
>>295
上杉が会津に固執する理由も無いので先祖伝来の越後+αで
αをどこら辺を落としどころにするかで探り合う気がするが


家康を討ち取った場合において徳川家がなおも戦闘を継続しつづけるかも微妙
徳川家内でも継続派と和議に向けて動く者も出てくると思う

徳川家の降伏条件をどうするかでもその後の対応は変わりそう。
298無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 00:19:30
>>296
まあ、徳川討滅戦の成否がその後の豊臣政権の行方を左右するだろうね。
(可能性はかなり低いが)すんなりと成功すれば、なんとか豊臣家が天下人たる立場を
保っていくことができるかもしれない。それでも、外様の大大名が数多く存在することにより、
きわめて不安定な政権になる可能性が高いが。
徳川討滅戦が泥沼化したら……>>295のようになる可能性が高いだろうな。
299無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 00:29:25
>>297
いずれにせよ、上杉には150〜180万石への加増は避けられないと思うが。

それから戦後の徳川家の動きに関しては、すべて西軍の対処しだいだろう。
徳川としては戦争継続と和議の両面で切り抜けようとするだろうが、
それに対して西軍がどう対処するか。
江戸まで攻め込もうとするなら徹底抗戦するだろうし、
徳川家存続を保証するなら和議に応じることもあるだろうし。
300徳川秀忠:2005/12/22(木) 00:34:56
スレタイ見つけていきなり書き込んだが
家康や長政とかの手の内にあった西軍諸将の内応を約した密書とかどう使おうか
301無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 02:58:22
>>299
どんなに多くとも150万石までには抑えたい所だろうね
後は直江領を増やすなり他に新たに分家作ったり

西軍としても江戸まで攻め込むとなると中央を不安定にするだけだし
(下手をすれば戦国に逆戻り)
相当の覚悟が要るのでそこまでは無いと思う。
反家康派の実力を示す事が出来れば
(5分以上の条件で和議にもっていければ西軍としては十二分に価値は有るし

秀康が居るので徳川家は存続させるだろうし
(大阪寄りの秀康を残した方が後々の都合も良さそうだしね
302無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 10:38:01
>>301おまいは命のやりとりをする事の意味をわかっていない
303無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 12:58:30
>>297
10年弱の統治とはいえ、それなりに手をかけた領国
徳川戦に備えて、城、砦、街道も整備した
知行所の分配、把握にも労力をかけただろう
よって、会津を取り上げるのではなく
旧領会津120万石+越後でいいのでは?
これで、165万石ほどになる。
304無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 16:35:09
>>303
上杉が会津に来たのは1598年。関ヶ原時は2年くらい。
それに越後の石高ははっきりしない。
30万石・50万石・80万石と諸説がある。
305無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 16:36:01
片桐はどうすんのよん
306無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 17:06:39
>>293だが、論功行賞遊びのネタスレに気付かずクソ真面目に能書きこいてすまんかった。
すみません。
反省したのでもうお邪魔は致しませぬので楽しんでくださいませ。
307無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 17:56:42
越後の石高だが、太閤検地では約40万石だった気がする。
308無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 18:33:17
片桐かぁ・・・
片桐兄弟・小出あたりが五奉行とともに
江戸幕府における酒井、本多、安藤らのような役割をするのかなぁ

あと、大野修理どうなるんでしょ?
常陸に流された後、家康の本隊に混ざって関が原に出てきてるよね
討ち死にしなかったら、淀の元に戻ってくるのかな
309無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 19:29:36
310無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 00:06:37
>>309
遠慮せずになんかいえよ
311無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 00:09:59
>>307
40〜90万石の間だと思う。
個人的にはなんかの資料で41万石って載ってたし、
プラスの誤差入れても50万石程度だと思うな。

景勝自身が越後に帰りたがってるのなら50万石と会津・米沢から100万石。
直江山城には新しく関東に領地を与えて徳川・結城への牽制。

徳川家に対する仕置きは所領を伊相武上の四ヶ国に減らし
家督を秀康が継いで秀忠は蟄居。
これを秀頼の名で行えば従うほかは無し。
逆らえば今度こそ豊家に仇名す逆臣として征伐を敢行。
312無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 00:44:11
会津を直江兼続
越後北関東を上杉景勝
南関東を佐竹義宣
ってことでいいんじゃない?
313無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 00:54:37
実際問題、関ヶ原勝利の場合、上杉はどう動くだろうか。
直江の最上攻めは続行として、最上滅亡後どう動くか。
家康死亡なら、伊達は和睦維持するだろうし、秀康軍は霧散しかねない。
越後か?南下か?
314無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 08:08:23
石田君の釣りえさ
上杉→越後一国加増
真田→信濃一国(一説に甲信上の三国)
織田秀信→美濃・尾張の二国
織田信雄→尾張一国(軍資金として金千貫)
小早川→関白職、秀頼の後見、関白料として播磨一国
    平岡・稲葉の両人に近江の内で10万石ずつ
315無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 15:50:55
>>312
なぜ佐竹がそんなにもらえるんだ?
他の大名が怒り狂うぞ
316無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 15:57:09
佐竹は関ヶ原のときに日和見決め込んだヘタレだろ
そんな奴に加増なんてありえない
317無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 17:54:22
>>313
直江は国元に残すとして、景勝は越後を切り取りにいくんじゃない?
秀康は直江と佐竹の牽制で動くに動けないと思う。
318無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 19:54:22
西軍が勝利したとはいえ関ヶ原が短期間に決し、家康討死という設定ならば
常陸・佐竹氏の大幅加増は難しいだろうね。暗黙のプレッシャーを結城秀康
一党に与えたというだけではね。
恐らく史実同様に関ヶ原後数日で関東にも西軍勝利と家康討死の報は到達する
だろう。上杉会津中将を包囲していた堀左衛門督・伊達・最上・結城の諸勢も
これには浮き足立つ事は間違いなく、この一報に触れて一族のまとまらなかった
佐竹氏も今度は西軍に忠誠を認めてもらう為に何が何でも功を挙げねばならぬ。
この点は関ヶ原本戦は金吾中納言参戦で勝利という条件の本スレ仮定においても
すぐさま攻勢に入らなかったと思われる毛利甲斐守・吉川侍従同様である。
さてこのように遅まきながら参戦したと思われる佐竹右京大夫だが、結城秀康を
討ち取るほどの大功を挙げたとしても大幅加増は上述の理由より困難といわざるを
得ない。
むしろ奥羽という東軍勢力の渦中の中で孤軍奮闘した上杉中納言が戦後に佐竹氏の
動向を詰問するような状況になれば、西軍首脳としては佐竹一族に対し
厚遇はまったく不可能であり『所領安堵』という線が有力だろう。
319無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 20:13:35
伊達から没収した内から10万石以内で加増が妥当
320無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 20:22:08
三成的には自分に親しい人間は強くしておきたい所
今回の事で、自分の味方でいてくれる人間の重要性をしみじみ知ったし
三成は関ヶ原勝利後、豊臣で辣腕をふれる存在
しかし、絶対的権力も国力も持たないとなれば
自分のいいように恩賞を振り分けるように暗躍して、自分の足場を固めるのは自然の行為
と、なれば、後から色々こじつけて佐竹加増はあり得る展開と思うが
321無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 20:30:58
 西軍の場合勝っても求心力不足なんだよなー。石田三成が論功行賞
すると決めてかかってる方が多いが、逆にいえば三成にそのようなことが
できたかどうかも考えた方が良いかと思ふ。

西軍総大将は次席大老の毛利輝元
 彼を担いで体裁を整えた。
副将に大老宇喜多秀家
 彼は三成と親しいとは言え格上なのは事実。
増田や長束は去就が曖昧だったとはいえ彼らが西軍発起人なのは事実。
安国寺恵瓊は毛利一族の動向を動かした立役者

 何より三成は一時隠居に追いこめられ公式に奉行ですらなく発起人として
筆頭に名をあげているわけじゃなく西軍での立場自体が微妙に見える。
三成が主導権をとるというのは東軍が勝ったゆえに責任者として槍玉に
三成が挙げられ西軍=三成というイメージで考えてるだけじゃないのか?
とも思えるんだが。
東軍だとイコール家康なんだが、
西軍だとねーどうも合議での論功とかになるとすると
三成軍が家康を成敗したとでもしない限り三成の意向で論功できる可能性は
低い。
まして豊臣政権の現職奉行や豊臣家幹部連中なんぞ・何の役にも立ってないw
322無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 20:50:42
 まあ関が原出陣組みの実質総大将の宇喜多秀家が筆頭にたって
決めていくのかも試練が
宇喜多が決定権を持つということは政権内で言うと
宇喜多・上杉・毛利の三大老の思惑が論功を左右する。

三成はまず隠居撤回と奉行復職そして若干の加増はあるかもだが
増田や長束の態度を見るに豊臣奉行系が発言力を増していけるとも思えない。
で三大老主導の論功行賞を前提と考えると

上杉が越後と出羽山形最上を併呑するのは事実上取ったもん勝ち
佐竹は上杉と緊密な関係なので所領安堵くらいは許す。
伊達は関東征伐に協力するなら所領安堵(抵抗されると危険な相手なので
一番痛い目にあう上杉が伊達処分を緩和すると思う。)

宇喜多が関東行きになるのは本人希望で関東徳川領を恩賞に希望していたので
これはいいとして関東経営に協力させるためにも秀康は処分せず大名として残す。
ただ真田が上野、信濃、甲斐を恩賞として認められており
これに見合う戦功も上げているのだがそれがどうなるか・・


323無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 20:59:41
大名に加増はいいかもしれんが大幅にやる豊臣のパウェアーバランスがやばいことに
324無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 21:36:45
>>323
だから相当の妥協が必要
325無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 21:50:45
奉行系の人間もそれなりに発言力増すと思うけど?
なんのかんのいって、三成を過大に見過ぎるのはアレだが、関ヶ原の立役者はどう考えても三成なのだから
過小に見積もる必要性も感じない
326無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 22:04:09
>>325
ってかそういう事にしておかないと、このスレが成り立たない。
>>324面倒な事は抜きにして配置を楽しむスレです。
327無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 22:05:34
>>322
大方この意見に同意。特に秀康減封処分のみの措置は重要。徳川家臣・東軍
参加の諸将に要らざる覚悟と団結をさせない政策だ。
また御説のように論功行賞は三成主導とはいかないだろう。
ただし毛利については吉川の動向が嫌疑を招き、これを戦後に上杉・宇喜多・
石田・小西・大谷らが詰問する可能性は少なくあるまい。
当主の中納言輝元も気概に満ちたタイプでもなく、いろいろと証拠を挙げられて
詰問されれば強く出そうもない。特に宇喜多中納言・石田治部はこの機会を
逃すまい。結果、毛利一党は加増はあっても微増で終わる可能性はある。
石田治部の権力の行方だが、大老職とはつまるところ参議院みたいなもので
執行機関としては、その機能も能力もノウハウも大老にはなく、騒乱が終われば
政府機関の運営は行わなければならず結果的に行政機関として従前の奉行とは
違った形になるかもしれないが、行政職が必要にはなり治部少輔はその中核に
なっていくのは疑いない。
だがそれには下記のような条件が必要かと。

・豊臣家の領土拡大
・大老職の過度な加増を抑え、行政に参与させない
・内務官僚の育成。直臣にこだわらず陪臣や旧徳川家臣からも抜擢
328無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 22:15:51
関ヶ原の一戦で活躍した奴が全てだと思うな
いくら後追いで功績立てても
終始奮戦し続けた宇喜多、大谷、石田、小西(?)、そして小早川
あとは上杉・真田
1ランク下がって、立花らの大垣城勢
後追いで功績稼いだ奴らはこの下の扱いをうけても文句は言えないし
上の奴らが戦後権力を握るのは至極当然の話だろう。その権力の強弱はともかく
329無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 23:15:51
裏の真実はどうあれ、からめ手の小早川大活躍と全国に駆け回る。それが出来なきゃ大老衆に仕切られる。

小早川は三成の戦力であり大老を抑える防波堤であり口実だからな。当然関白になる。
330無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 01:00:20
>>329
やはり大老の過剰な加増阻止と豊臣家の権力・封土増強は必須条件。
そのためには金吾の豊臣藩屏として盛り立てていくしかないね。
豊臣関白秀秋の誕生ってわけだ。
331無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 01:52:48
三成じゃ論功行賞できる名目も実力もない。
西についた大名と中立大名で戦国に戻るだけだろ。
伊達政宗なんか意外と「家康が万が一負けてくれたら
戦国に戻って嬉しいけど三成相手じゃ負けっこないしなー。
でも味方したらさらに負けなくなっちまうから
協力はしないでおこう。」って感じの腹だったかもしれん。
332無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 02:18:25
相変わらず政宗君は自分の力量を測り切れてないなw
333無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 09:00:53
政宗の軍って弱いよな
なんで強いみたいなイメージがついたんだろ
334無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 09:06:37
関ヶ原の戦後に何回も会津に攻め込んで何回も撃退されたんだっけな
335無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 09:27:13
>>330
>やはり大老の過剰な加増阻止と豊臣家の権力・封土増強は必須条件。

まず不可能だがな。
三成に毛利や上杉を黙らせる実力なんかないし、
加増を無理矢理少なくしようものならかえって反発を招く。
そもそも豊臣家というのは、気前よく褒美を与えることで諸大名の心を
繋ぎとめてきてたんだから、それが急にケチになったら諸大名の心は離れていくよ。
336無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 10:06:13
論功行賞は表立っては総大将の毛利中納言、副将格の宇喜多中納言らが行う
だろう。しかしフィクサーは石田治部ってことは誰もが承知している。
論功行賞は戦同様前面に出ることはできないが、
その意は宇喜多や突込みどころ満載の毛利を通じた処理が可能だろう。
毛利・宇喜多に戦後処理を仕切れるほどの政治的能力はあまりなかろうし、
その意思も旺盛とは思えない。問題は上杉+直江だろう。
三成失墜説が結構あるようだが、どうだろうか。戦そのものでは非力な
石田治部ではあるが戦後処理や行政に状況が移れば辣腕で知られた人物だ。
権威の失墜を恐れる豊臣家や奉行衆が強力に石田治部を後押しする可能性も
あるだろう。
337無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 10:27:11
宇喜多は政治無関心だからな「石田治部のよきに払え」と言って全面的に応援してくれるだろう
毛利は吉川の事があるから、消極的発言になるだろうし
上杉は問題だが
結局、豊臣的にはピンチだが、三成的にはやっぱイイコトずくめだよ
338無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 11:37:16
石田治部は豊臣政権を私物化はすまい。官僚としての成功、つまり豊臣政権の
権勢維持が石田治部の求めんとするところだろう。
思えば太閤存命の頃より大領を得る機会もあったがこれを固辞し、居城佐和山城
落城の折に城内にはこれといった財物もなく寄せ手はみな意外に思ったという。
島左近召抱えのエピソードもそうだが良き家臣を召抱え、その多くが粛々と主に
仕え、関ヶ原においては数倍の敵勢に数刻に渡って抗戦し続け最期まで敢闘したのは
石田治部その人が家臣の尊崇を受けていた事の証明とも言える。
衰微する豊臣家を三成に立て直して欲しいものだ。
339無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 14:15:08
石田は三成でいいだろ。恥部とかエロいんだよ
340無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 15:14:41
>>335
従前の「利による統治」から徳川幕府の如き「威と法による統治」へ移行する
必要は豊臣政権存続の絶対条件。さもなくば室町幕府のような形骸化・貴族化
した象徴的な存在へ凋落しよう。
しかし石田治部少輔が毛利や上杉に対し実力がない、というのは戦の面だけだろう。
上でも書いたが状況が戦後処理・行政運営に戻れば、その道のエキスパートは
奉行衆であり、その中でも石田治部は抜きん出た能力を自他共に認める敏腕
内務官僚だ。
特に毛利中納言などは戦後処理に何ほどの発言権もあるまい。家康在陣の戦
で自身は総大将でありながら一度も最前線に出ず、前線指揮官と参謀長の位置
にあった毛利甲斐守と吉川侍従はあからさまな日和見の後やっと参戦。
これだけの状況の中で大領加増を申し出る程、輝元のツラの皮は厚くはあるい
まい。申し出たとしても現場にいた副将の宇喜多中納言が黙ってはいまい。
上杉にしても、実際に明確な盟約が石田とあったならともかく、無かったと
したらその功大なりとは言え、上杉氏単独での交戦であり大幅加増足り得るか
といえば若干疑問も残る。少なくとも上杉氏に諸大名の論功行賞を行う権利や
地位はなかろうと思われる。
もし仮に石田治部と上杉中納言&直江山城守に事前に共闘の密約があったとし
たら上杉氏としては石田治部を押さえるどころか積極的に後押ししなくては
ならず、結果的に石田治部の発言力増加と論功行賞に対する影響力は増すことに
なるであろう。
このように見ていけば論功行賞に影響力を持ち得るのは、宇喜多中納言と
石田治部少輔となり他はこの両名の意図する論功行賞に同意せざるを得まい。
341無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 15:27:07
>>340
そもそもそれが前提なら地方は勝手に領土あらそいを始めるに決まってるだろ。政権に従属する意義を見いだせないから大乱になったわけで、家康以外の奴が領地以外の方法で繋ぎ止める方法があるわけないだろ。

豊臣の名代と仮定する三成にだって戦前に豊臣を味方に付けられなかった弱みは永遠に傷として残るんだぜ
342340:2005/12/24(土) 15:38:16
>>341
すいませんが、どの部分について御指摘頂いているのか分かりかねるので
具体的に指摘頂ければ幸甚です。
343無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 17:05:41
>>342全体“像”だよ。部分部分で分けて考えられるもんじゃない。

そもそも幕藩体制とそれまでの過程ってのは謀叛軍だからこそ成し得た新しい秩序なんだよ。
344340:2005/12/24(土) 17:48:45
成る程。おっしゃる主旨は了解しました。
御教授深謝。
345無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 18:53:00
>>340
漏れもこの意見に???です。
従前の「利による統治」から徳川幕府の如き「威と法による統治」へ移行する
必要性をおっしゃっているが・・
東軍とて当初は利と武で強引かつ大胆に日本全部を整理して
政権が圧倒的な力を確保してようやく威と法による統治をなしえている以上
それも東軍は家康主導、家康というカリスマによる圧倒的な求心力があってのこと。

このへん西軍はマイナスが多い。宇喜多は家康ほどのカリスマや実力もなく
三成の最大の欠点は家康のように一から新政権を造って新しいシステムや秩序を
模索することが難しくそういった実力もない点。豊臣政権というしがらみに縛られてる以上
秀吉の残したいろいろなしがらみや命令が政権確立に影響することも
考えられる。
346無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 19:13:01
>>340
三成に実力がない、というのは発言力や行動力のことさ。
彼が優れているのは事務処理能力、つまり官僚としての能力であって、
リーダーシップなど政治家としての能力に関して優れているとは決していえない。
三成が辣腕を振るえたのは、後ろに太閤が控えていたからにすぎないしな。

ちなみに、「外様大名の加増を低く抑える」と何度も書き込まれているが、
手柄があったものに対しては気前よく加増してやらないと、
自分で自分の首を絞めることになるよ。「御恩と奉公」は武家社会の基本中の基本だ。
ケチなイメージの家康だって、福島・池田・黒田・最上など大功のあった大名には大幅加増している。
347無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 19:52:03
既に論功行賞のことについて話し合ってるけど、それは東西両軍のうちどの大名が取り潰されてるの?

それと黒田如水とか加藤清正とかどうすんの?
九州で好き勝手したあの連中は東軍側な雰囲気だし、家康が死んで東軍が敗退したって言っても
まだまだ余力のある状況だから、黒田・加藤の2人がどっちに味方するのかでまだ変わるかもよ?

それに石田三成が事務能力などに有能でも現場復帰が許されていない以上仕置きもなにも
できないでしょ。
とくに腹の中に一物抱えてるやつらは必死で復帰に反対するんじゃない?
348無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 20:32:14
そう考えると大幅加増はするが転封を伴うのが良いかもしれん。
毛利の場合だと吉川侍従の問題とかを上手く使って
加増は認めるが領土の多くを中国地方から九州に移したりとか
真田の加増は大幅に認めるが信州から会津に移すとか
上杉は越後を加増するがその代わり会津を取り上げ
直江を米沢で独立大名として切り離すとかすればいいかも。
349無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 01:07:57
>>348
真田には甲信上を約束してるから、転封は無理。
秀吉ですらできなかった直江独立を新豊臣政権が成すのも無理。
350無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 01:42:30
>>348
転封は敗軍に強いるのが基本線。先祖伝来の地に対するこだわりを軽視しすぎ
351無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 07:56:38
>>348
織田信雄・徳川家康が石高は加増だけど転封っていうのをいやがったのに無理でしょ
352340:2005/12/25(日) 11:24:52
>>346
う〜ん、関ヶ原終了後になれば戦闘力云々は二次的な問題で政治的な意味での
「発言力」も「行動力」も三成の十八番だと思うのだが。
関ヶ原戦の最中の石田のイメージが強いのかもしれないが、彼の政治力及び
行政能力は群を抜くものだ。戦闘終了後に彼が力を発揮できない状況になって
いるとすればそれは即、だ第二次室町幕府状態。強大な諸侯による合議制を経て
再び戦乱かと。

外様の加増を抑えるというよりは上杉の大加増を押さえたいって事を書いてる
つもりで手柄のあった大名までケチケチするとは書いてないつもりです。
実際上杉に大加増を阻止するのは困難なのは承知してますが、他の大名への
論功行賞には上杉氏の影響力はあまり持ち得ないと考えます。(>>340より)
このスレの仮定条件からすれば大加増の対象は、

・家康を討ち取った大名
・関ヶ原に積極参戦した副将の宇喜多氏。毛利は内応嫌疑で微加増か。
・実質のシナリオの首謀者でフィクサーであった石田治部少輔
・徳川秀忠を中山道で遅延せしめた真田一党
・奥羽で孤軍奮闘し、東軍に第二戦線を強いた上杉中納言
・前田肥後守の大軍を謀略をもって加賀に押し留め、関ヶ原で勇戦した大谷刑部
・参戦し西軍勝利に実際に貢献した金吾中納言
353無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 11:55:16
>>352
確かに上杉は戦後処理の中核からは遠くなるかもしれない。
でも上杉にとってそれは痛手ではない。自分で切り取れる余白が直後に広がっているんだから。んで気に入らない施策に対して上杉が吠えればバカでかい声となって全国に響き渡る事になる。
354無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 13:26:42
>>352
戦闘力なんて一度も問題にしてないのだが。
三成は確かに非常に優れた行政処理能力を持っているのだが、
それは優れたリーダーの下で働いてこそ生きてくるものだと言ってるわけ。
実際三成がリーダーとなって指導力や行動力を発揮した実績って、どれくらいあるの?

それから、毛利の微加増っていうのもどうかな。
実際の関ヶ原の戦況を鑑みるに、小早川の西軍参戦だけでの勝利は難しい。
倍以上の徳川本隊に跳ね返されておしまいの可能性が高い。
また、仮に西軍が勝ったとしても、毛利が参戦して家康の逃げ道となる関ヶ原の東側出口を塞がなければ、
家康はさっさと逃げてしまうだろう。家康は意外と逃げ上手だしな(ex伊賀越え、真田の突撃)。
ということは毛利が積極参戦しない限り、西軍の完勝などありえないってことだ。
内応の疑いがあろうとなかろうと勝利を決定付けたのは毛利なのだから、
毛利が大幅加増されないわけがない。
355無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 16:29:50
>>354
三成が直接リーダーになる必要性はないと思う。
大老としての宇喜多秀家や小早川秀秋を表に立てて奉行として発言していけばいい。
でも上杉や毛利の必要以上の強大化をどうしたらいいのかな?
356無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 16:50:07
>>355
毛利、小早川、上杉を表に立てると豊臣政権が乗っ取られる恐れがある。
宇喜多では巨大化した毛利や上杉を従わせることができるかどうか……。
まあ、宇喜多&石田のコンビで秀頼成長までなんとかつないで、
あとは秀頼がバリバリの名君であることを祈るしかないかな。
一歩間違えればどころか、半歩間違えただけでも第二の戦国時代到来という感じ。
357無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 17:37:48
>>355
唯一の救いは毛利本家や上杉が
遮二無二に天下取りを狙うイメージ無い所かな ?

毛利と上杉が直接繋がるとやっかいだけど
互いが互いの牽制、抑止力になれば・・・

やっぱ不安定な政権運営になるなぁ
358無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 17:47:28
>>354
史実とのバランスを考えれば、毛利がいきなり超積極的に浅野や有馬に討って
掛かったとはとてもの事思えんな。
もともと日和見決め込んで東軍有利なら傍観、西軍有利ならボチボチ参加で
ローリスク・ローリターンの選択だったんでしょ。
そう考えればこのスレの仮定である小早川出陣で勝利というものなら、小早川
参加後に、戦況がはっきりしてからの参加って事ではないか?
つまり毛利にとっては事前準備の想定外の選択を迫られた状況だと思う。
だとしたら戦場にいた宇喜多・小西・石田・島津はみんなイライラして南宮山を
見てたに違いなく、その大将が戦後に遥か大阪からノコノコ現れて「で俺は
大幅UPだよね!?」なぁ〜んつってほざいたら、宇喜多の若大将でなくとも
大激怒すると思われ。
まぁこうしたシチュエーションになるとは言い切れんが、感覚的にはありそうな
ハナシだろ。それを毛利大加増は当然とはいかん気もするがね・・・。
359無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 18:21:43
>>358
どうだろ小早川が西軍になったということは西軍勝利が確証もてるということで
そうなると戦後のことを考慮して慎重に考えても参戦するだろう。
参戦した場合、毛利の背後からの攻撃と小早川参戦が戦の帰趨を決すると思われ
 よしんば家康を打ちもらしても総大将輝元が秀頼を奉じた参戦を期待できれば
これだけで毛利の戦功も結構なもんだと思う。
360無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 23:07:32
>>360
小早川だけで徳川本隊を圧倒することは難しく、
毛利の参戦がなければ西軍の勝利など覚束ない。
また、家康を討ち取る可能性が最も高い部隊は、
位置的に考えて長曽我部か毛利だろう。

>>357
毛利や上杉に遮二無二天下を狙うイメージがないのは、
つまり彼らがそういうチャンスに恵まれなかったからにすぎない。
実際天下を握れるだけの実力を持ったら、どう行動するかわからんよ。
家康だって、秀吉が死ぬまでは律義者で通ってたんだから。
361無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 23:41:06
>>360
上の文はだれにいっているんだ?

小早川勢が参戦したとなれば、赤座・小川・朽木・脇坂の四将も西軍側につかざるをえず
西軍側は南宮山側と島津以外は戦闘に参加することとなり、もし、伝令やなにかでこのことが伝われば
長宗我部勢と安国寺勢、長束勢が敵の後ろを攻めだせば、吉川広家も秀元を抑え続けるのは不可能。
そうすれば、二万五千の兵力が後ろを封鎖することができ、東軍を囲むことができる。
そののち、持久戦に持ち込み、輝元&秀頼の出兵が成功すれば、
家康は逆臣として小山評定が裏目にでる結果となり、寝返る将も出始め、
最終的には降伏するか、関ヶ原を抜け出し、討伐を受けるかになると思うな
362無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 00:22:17
>>361
小早川勢が参戦する事で史実と違って西軍が有利な状態だったのならば
輝元&秀頼の出兵前に大垣城組の立花らが援軍として合流するから
この時点でほぼ決まらなねぇ ?
363無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 00:36:53
>>362
それまでに家康が関ヶ原に居ればね。
秀秋や四将が裏切らず、依然として秀忠勢が到着しない。
さらに南宮山に二万を超える西軍が布陣し、いままさに大垣から立花宗茂・毛利秀包らが
関ヶ原に出張ってきたら、状況不利と見て尾張あたりまで退くんじゃない?
364無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 00:37:10
>>361
小早川突入の段階で関ヶ原自体のケリはつくだろ。
家康討ち取られて東軍瓦解するか、退却成功で尾張あたりで第2ラウンドか。
365無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 01:02:24
家康が生きてれば清洲辺りで秀忠隊をも吸収して再戦が望めるけどねぇ。
内府公討死だとすると秀忠が清洲に篭っても皆ついてくるかな?
福島辺りは生き残っていても秀忠には逆らいそうだw
>>362>>363
大垣じゃなくて大津だろw
この時点で立花・毛利元康(秀包?)ら大津攻城組が大垣に到達してる
なら家康は生きていても撤退不可能だろうね。
大垣にいたのは福原右馬助直高・熊谷・秋月・高橋の諸将7,500ぐらい?
だったんじゃないかな。
366無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 01:25:59
史実知ってると小早川の突入は大功に思えるが、よく考えるとそうでもないのでは?
西軍としては予定通りの展開であり、突入の遅延を責められても、評価が上がることは無いと思う。
367無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 02:31:55
吉川ら南宮山に布陣している三万の軍勢が家康本隊の背後を襲撃するような展開に
なれば、たとえ小早川が傍観を続けたとしても、赤座・小川・朽木・脇坂の四将は
西軍として参戦するしかなく、西軍は小早川以外の全軍が戦闘に参加することとなり、
東軍を完全に包囲できるわけで、これなら小早川が参戦しなくても西軍が圧倒的に優勢になると思う。
368無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 09:07:24
流れぶった切って悪いが、島津の処遇を考えた
九州→東北のどこかへ。すると…

領民と領主の言葉が通じないw
369無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 09:30:19
三成がどれだけ優秀だろうが三成は戦国大名ではない
少なくともそういうイメージを持たれていないのが痛い。
かたや家康はバリバリの戦国大名であり、敵対した西軍より
大名もそこは納得するところ。現に史実でも福島などは
三成なんかに使われて納得できないって感じだったし
西軍大名も負ければ家康に従った。
関が原で家康が討ち取られたところで東軍は勿論、西軍大名でも
三成じゃあ論功行賞をされても納得できないし聞きもしないだろう。
み〜んな三成よりは俺のほうが上だって思ってると思うぞ。
その点やはり家康なら勝者として適当だったのではないか?
370無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 10:49:06
表向きは宇喜多が恩賞裁量するので無問題
371無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 11:40:38
>>364 >>367
だからね、西軍勝利のカギを握るのは吉川と毛利。
彼らが東軍の後ろを突けば小早川がどうしようと西軍の勝利は疑いない。

一方、毛利が傍観し続けて、小早川と朽木らが西軍に参戦しただけでは、
西軍の勝利は確定しない。
小早川らの兵力は1万程度なのに比べ、東軍には3万の予備戦力がある。
家康が小早川の陣に鉄砲を撃ちかけたのは、「何なら相手になるぞ」と
恫喝したとも考えられるわけでね。
372無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 18:32:22
>>371
このスレの前提は、小早川参戦で西軍勝利だろ。
小早川と毛利のどちらの参戦が有効かなんて議論は無意味。
373無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 19:24:09
>>372
そうそう毛利・吉川って言ってる人たちはこのスレの前提無視だもんな。
374無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 19:33:17
関ヶ原で家康が負けたら、桶狭間で第2戦ってことね。その結果、氏真が復活して天下を治めると・・・
375無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 19:37:46
>>367
いや、だから毛利の戦略は、
◆東軍有利
  西軍総大将の先手として、端無くも東軍参加は出来ない。
  戦場で一切動かない事で家康に借りを作る。
◆西軍有利
  戦況が万が一西軍有利となれば、南宮山を下り有馬・浅野を討つか
  廻り込んで退却せんとする東軍諸隊を阻止。

こういうローリスク・ローリターンのチョイスだ。史実から余りにかけ離れた
仮説ならともかく、バランスの取れたIFならば上述の毛前線部隊の
消極的方針と、史実との比較から小早川動かずして毛利・吉川は動かない
というのが順当な見方だと思うが。
376無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 19:38:38
ココの話がこっちのブログでも話題になっているゾー!!
それってナウイぞー。発信者はダレダー?!?!

http://list2.auctions.yahoo.co.jp/jp/2084053072-category-leaf.html?alocale=0jp&mode=1
377無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 20:23:59
山降りるのも大変な訳だが
378無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 20:33:12
>>372 
>>373
なあんだ。このスレの人たちは小早川が参戦すれば即西軍勝利だとでも思ってるのか。
随分おめでたい分析だね、そりゃ。
どうも失礼しました。ごゆっくり妄想をお楽しみください
379無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 21:12:50
めちゃくちゃ自演臭いんだけどw
文の最後に必ず「。」で〆てるしw
380増厨:2005/12/26(月) 22:41:59
>>流れぶった切って悪いが、島津の処遇を考えた
九州→東北のどこかへ。すると…

領民と領主の言葉が通じないw

佐竹は何とかなったが?
381無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 22:49:52
>>378
そこまで言うなら、小早川参戦して西軍が敗北する理由を述べよ。
382無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 23:42:15
>>381
スレの前提を掘り下げるなら別のふさわしいスレにて。

確認だが、開戦から1日以内の決着で東軍の増援間に合わずで間違いないよな?


>>380
増厨って時点で・・・笑

383無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 23:54:58
中堅大名の仕置きは俺にまかせろ

長宗我部盛親 西 土佐 浦戸 22万石→東軍に付こうとしてたから所領安堵
青木一矩 西 越前 北ノ庄 21万石→病気で寝てたから所領安堵
前田利政 西 能登 七尾 21万石→利長領加増で120万石
増田長盛 西 大和 郡山 20万石→東軍と連絡取り合ってたから所領安堵
小西行長 西 肥後 宇土 20万石→清正領加増で45万石
石田三成 西 近江 佐和山 19万石→40万石
織田秀信 西 美濃 岐阜 13万石→33万石
立花宗茂 西 筑後 柳河 13万石→31万石
小早川秀包 西 筑後 久留米 13万石→22万石
丹羽長重 西 加賀 小松 12万石→東軍に付こうとしてたから所領安堵
岩城貞隆 中立 陸奥 岩城平 12万石→日和見してたから所領安堵
小川祐忠 西 伊予 府中 7万石→10万石
太田一吉 西 豊後 臼杵 6万石→9万石
木下勝俊 西 若狭 小浜 6万石→伏見城に立て篭もったから所領没収
安国寺恵瓊 西 伊予 伊予ノ内 6万石→吉川領加増で16万石
毛利勝信 西 豊前 小倉 6万石→9万石
山口宗永 西 加賀 大聖寺 6万石→戦死してるので所領没収
多賀谷重経 西 常陸 下妻 6万石→日和見してたから所領安堵
織田秀雄 東→西 越前 大野 5万石→山口領加増で11万石
大谷吉継 西 越前 敦賀 5万石→20万石
長束正家 西 近江 水口 5万石→10万石
丹羽長正 西 越前 藤枝 5万石→兄といっしょに東軍に付こうとしてたから所領安堵
宮部長熙 因幡 鳥取 5万石→なんか行動が怪しいんで所領没収
384無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 23:58:49
小早川と、毛利が突っ込み、さらに動かなかった諸藩も突撃、
半包囲体制で家康とおもだった死亡、もしくは捕縛。勲功は等分。
とりあえず、東軍からの裏切りはなし、
決着は1日、江戸城決戦などもなしってことでいいんじゃないの?


・・・個人的には、関ヶ原が1年くらい続いた場合の趣味レーションの話がしたいんだがね。
最上や伊達、黒田、島津など、関ヶ原に大軍送らなかった諸藩は、
みな、応仁の乱ほどではないにしても、長引くと判断したんだろうにね。
385無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 00:13:44
>>383
前田利政に加増しすぎ。利長領のうちの30万石程度の加増で
残りは他の大名への加増地するのが得策かと。
386無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 00:16:27
ってかそんなに土地がないって
387無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 00:30:19
山口宗永たん・・・・。
縁者に跡目を継がさせてやってくれ。
388無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 00:55:12
>>383
ちんまい大名は、不穏な動きだけで、潰されるか、よくて減封かと、
逆に大大名は、簡単には潰せない。もしやったら、殲滅戦になるしね。
だから徳川も所領を三河か、関東の1国だけにして残すんじゃないかと俺は思う。
389無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 00:56:15
>>384
黒田長政は総兵力率いてるぞ
390無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:00:14
>>389
けど、親父も、大友と戦ったとき、7、8千は動員しているんだけど、
これはどこから、集めてきたの?
391無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:02:51
浪人
392無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:02:52
>>390
如水が九州で牢人とかをかき集めたんじゃなかったかと。
393無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:11:27
増田長盛が一番わけわからんよなこの人何がしたかったんだろ
394無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:13:22
黒田の総兵力より、圧倒的に多くないか、その浪人達。
それだけ、金と装備を残していったのかよ。
395無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:23:15
>>394
全財産をはたいて老若男女を問わず兵を募ったからね
子供も混ざってたんじゃないの
鎧はなしで武器は竹槍とか
396無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 01:31:59
あくまで公称だろ。天下取りの野望なんだから、そのあたりは口八丁手八丁。
397無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 02:14:13
こんなのどう?

上杉:越後+上野北部
毛利:微増
宇喜多:播磨加増
前田:越中没収、家督は利政
徳川:豊後へ、秀康は関東で10〜20万石
最上:改易
丹羽:旧最上領
黒田:関東で数万石
大谷:旧丹羽領を加増
小西:越中へ
織田:尾張加増
鍋島・立花etc.:東海道へ

丹羽は上杉や羽州の抑え。小西を上杉と前田の間に入れ、大谷を加増して前田家に備える。
徳川は遠い九州に転封してかわりに黒田を関東に。
毛利と小早川については裏切らないものと最初から考えていれば特別大きな加増は必要ない。

不十分で適当だけどよろしく
398無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 04:58:49
こんなのどう?って・・
それ三成が決めて三成が全国の大名に沙汰を下すのかよw
で、判りましたと皆納得しておとなしくそのとうりにみなぞろぞろと移動するとw

シミュレーションゲームのCOM担当大名じゃないんだからw
399無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 09:20:06
大谷に西日本全部あげて、左近に東日本全部でいいんじゃない?
金吾さまは蝦夷を与えよう。秀家さまには八丈島を与えよう。
400無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 10:02:47
やだよ八丈や蝦夷
401無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 11:24:39
>>397
西軍についた大名にも罰ゲームかw
402無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 18:50:30
>>397
西軍側の大名を地元から引き離すなら、思い切った加増が必要。
上杉は越後・上野北部とすると何万石になるんだ。
明らかに関ヶ原前より減ってる気がするが?
その場合、直江家はどうする。会津に50万石ぐらいで移すか?

毛利は旧黒田領を与えるぐらいでいいんじゃないか?
403無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 20:51:37
>>389
黒田家の一番家老・栗山四郎衛門、三番家老・母里太兵衛は関ヶ原戦時は国許
にいたよ。仮説に過ぎないが如何に如水軒老獪といえども7、8千の軍勢をあの
短期間に用意するのは難しいだろう。九州は加藤・黒田のほかは目ぼしい東軍は
おらず本領にある程度の留守部隊もいたはず。小西にしても2,000ほどの留守部隊
いたのではなかったか。
関ヶ原の動員数は旧帝国陸軍の戦史関連の部署が江戸時代の動員率と関ヶ原期の
各大名の石高から算出した兵力数が今日の『常識』になってはいるが、小早川家の
石高を50数万石として15000以上動員したというような間違いもある。
一番・三番家老在城で周囲は敵勢となれば総動員で空城にするほうがおかしい
ような気もするな。
404無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 20:58:24
小早川と吉川、どちらの動向が勝敗を左右する要因になるの?
405無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 21:06:10
>>404
単純に考えれば吉川だろう。家康本陣の背後に直接攻撃できる位置を占位出来る上に
背後・周辺の西軍兵力は2万以上。
小早川も西軍参加すれば赤座・小川らと合わせ12,000前後の兵力が大谷勢に
押し捲られた京極・藤堂勢の横っ腹をつく形となり、これらを突き崩すのに
たいした時間も手間もかかるとは思えない。
更に大谷・木下の諸勢とも合力し、宇喜多勢と接戦を演じる福島勢の腹背を
突けば東軍前衛全体に動揺と混乱は起こるだろう。家康本陣方面に前衛の潰走
が始まれば東軍全体の瓦解もあり得る。

東軍の心理的影響を考慮すれば吉川だろうね、やはり。
ただしこのスレは小早川参陣が勝利条件となっている前提なのを忘れずに。
406無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 22:14:14
>>405
小早川が参戦しなくても、それ以外の全西軍が一致団結して戦えば
西軍の勝利だったわけか?
407無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 23:00:28
>>406
毛利をはじめとする南宮山勢力二万余が東軍の背後を突けば、
西軍の勝利はまず間違いないだろう。
東軍側も押さえとして浅野や池田を置いてるけど、これはもう気休めにしかすぎない。

小早川が参戦かつ毛利は傍観の場合、東軍やや有利か。
小早川勢が藤堂勢や京極勢を蹴散らすのはわけない。
問題はその後で、福島勢に攻めかかれるかどうか。福島勢に攻めかかるより早く
家康本隊に押し出してこられると、小早川勢の方が数では不利。
一旦こう着状態になって、その後は石田勢が黒田勢らに崩されるのが早いか、
福島勢が宇喜多勢に崩されるのが早いか、それで決着がつくんじゃないかな。
まあこのスレの前提とは違うんで、余談だと思ってください。
408無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 23:22:39
>>407
潰れる心配は石田より小西だろ。
それに小早川勢一万五千余が松尾山を降れば脇坂・赤座・小川・朽木の四千余も押される形で
敵の側面に出ることになり、返り忠の心配の無くなった大谷・木下・戸田・平塚の五千六百も宇喜多勢の右翼に展開でき
そうすると、西軍正面側は大半が戦闘に参加したことになり、東軍は数の勝る敵に叩かれることになる。
結果、家康本隊が動き出す頃には吉川も西軍有利と見て、南宮山の兵二万八千余が東軍を裏から攻め立てることになり
従来の戦略が成り立ち、西軍勝利になるかと
409無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 23:50:57
小早川と小西を反対に布陣させるという仮説は成り立たないのか?
410無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 23:51:09
>>408
いやいや、石田は開戦早々島左近を失い、自軍の数倍の軍勢を相手に
ようやく持ちこたえている状況だよ。
それから、東軍の持っている三万の予備戦力を甘く見すぎていると思うな。
小早川が東軍に攻めかかれば、家康はすぐに行動すると思うよ。
史実で松尾山に鉄砲を撃ったのは、「裏切らないなら相手になるぞ」
という恫喝の意味合いもあったわけだし。
ちなみに、南宮山方面に配置された部隊を除いた兵力は、東軍の方が多い。
あとは戦局次第。西軍有利となれば毛利は動くし、東軍有利なら動かない。
やはり結局は吉川がキーマンになるかなあ。
411秀康:2005/12/27(火) 23:56:51
話し折って悪いが広家と秀秋は傍観での証文があるから大垣城越えて桃配山に布陣してるので、西軍に味方する危険があれば大垣城の手前で待機してるよ
412無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 00:00:24
実際には細川、藤堂隊が西軍である小早川に対して無防備な腹を見せて戦うわけが
ないので、巷間知られる陸軍参謀本部作成の布陣図に、加えて徳川本隊から分かれ
た別働隊か何かが、松尾山麓の藤川沿いあたりに貼りついていたはずである。
史実として小早川が寝返ったということは、秀秋の目には正面の東軍より、大谷隊
の腹の方が柔らかそうに見えたはずだし。


スレの本題と関係ないのでさげ。
413無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 00:09:17
>>410
徳川三万とはいえ主力は秀忠側にいるし、有能な指揮官がいなくて
下手したら旗本だらけの烏合の衆。
本田忠勝や井伊直政は部隊をつれて他所にいたし、それほど脅威でもない。

>>411
”小早川秀秋裏切らず”ってことは関ヶ原の布陣で秀秋が内応せず
西軍が勝つってことだから家康は桃配山に布陣してる状況じゃないの?
それに状況如何で吉川も西軍として戦闘に参加するかもしれないし
414秀康:2005/12/28(水) 00:19:26
内応の証文取れてないのは島津、小西、宇喜田、大谷、安国寺、と毛利の小セガレであとは全部、取れてないと関ヶ原の戦いがそもそも無いよ
415無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 00:19:43
じゃあ家康は落ちた先の農民に刈られて恨みっこなしって事で
416秀康:2005/12/28(水) 00:25:53
そもそも野戦の神様が、陣形も人員も不利な状態で決戦するかなあ。裏切らないと言う事は決戦は無いと思うので
417無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 00:30:21
>>416
スレタイ確認してますか?他と間違ってませんか?
418秀康:2005/12/28(水) 00:42:41
秀秋が裏切らないと言うことは西軍に着かないと言う事では無く、裏切って西軍に着くと言う事ですね。了解しました。では
419無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 00:43:16
野戦の神は上杉謙信か武田信玄だと信じているオレガイル
420秀康:2005/12/28(水) 01:02:44
謙信は鬼神で信玄は軍神なので家康よりも崇高な神かもです。だから漏れもそう信じるよ、では眠いので
421無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 01:06:34
野戦の神は謙信と信玄だろう。
彼らの兵法が後に江戸時代になって、多くの大名家にとっての教科書
(戦争をするためのマニュアルですな)となっているくらいだからな。
422無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 01:10:08
上杉だとか武田だとか徳川だとか言いだすとまた厨が湧いてくるからやめようぜ。強いのはわかってるから。

ただ肝心な部分だけは神だからとかで片付けるのはやめようぜ
423無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 01:26:29
>>413
その通り。いつぞや日本史板のスレだったか家康本陣の3万は野戦部隊として
どの程度の戦力評価が妥当か?という議論あったよね。
兵数は確かに2万5千〜3万と多いんだが、これを指揮すべき万石クラスの
部将が秀忠隊に多く配置されていて家康配下には兵数の割りに少ないんだよな。
故に防衛的任務や限定的攻勢任務には堪えても、数千〜万単位になると大変そうだ。
本多忠勝や井伊・松平忠吉もいることはいるが寄親・寄騎の関係が確立されて
いない臨時編成で大攻勢の指揮に不安はあるよね。
424無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 01:45:02
秀忠の軍隊の遅延が戦略の一つだという説があるけど、
これは無理があるんじゃないだろうか?
家康の本隊は人数が多いわりには、それを指揮する武将が少ないじゃん。
だから、家康の考えていた関ヶ原は秀忠も戦力に入っていたと思う。
それでなければ、家康の本隊にもっと多くの武将を集中させていたはずだ。
秀忠の遅刻は、家康にとって想定外だったはずだね。
425無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 01:51:11
大体東軍余裕の勝利なら徳川家関係は後述談でもっとふんぞり返ったコメントを乱発してるって
426無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 02:08:21
日本を真っ二つに割ってこれほどの大軍がぶつかりあった戦いで
わずか数時間で総崩れになって敗走して決着したのに東軍が辛勝だったとか
もはや願望からきた妄想としかいいようがない

ひとつバランスが崩れればドミノみたいにまるで正反対の逆の結果になったとか
言葉上ならいくらでもこじつけられるからねえ
427無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 03:51:39
実際合戦てのはドミノみたいなもんだしなあ。
とくに関ヶ原は、様子見の大名が多かったし、
両方ともと通じている大名は、西軍だけの問題じゃない。

>>397
どっちにしろ、勝つためには毛利の力が必要で、総大将も一応毛利なんだから、
毛利の微増ってのはあり得ないかと。
毛利を最盛期の200万石まで戻すくらいしないとね。

けどそれはそれでヤバイから、戦功のあった毛利の一門に、それぞれ数十万石与えて、国持ち大名として、
地方にバラバラ飛ばして、毛利本家は分離した一門衆の分を分け与えるくらいで、
我慢させるべきかなあ。

徳川は秋田か青森に30万石くらいで飛ばして、
佐竹は一門とともに領土安堵、のこりの関東は上杉にでもやるべきかな。
もしくは毛利にまるまる関東まで移ってもらうべきか。
そうすれば、明治維新もなかろう。
428無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 13:02:14
>>427
吉川家を下総か下野あたりに三十万石で飛ばし、
小早川家は秀包が継いで筑前・豊前四十八万石で独立大名に。
旧吉川・小早川(秀包)領は毛利宗家に加増でいいんじゃない?

徳川家はあまり地方へは飛ばさずに四国か山陽道あたりに置いて、
西軍系大名らが見張ったほうが得策。
結城家はそのまま関東に残すぐらいでいいかと
429無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 17:45:18
宇喜多秀家の功績が最も大きいと思う。それに宇喜多秀家が関ヶ原
の決起者という説もあるし・・
関ヶ原本戦での活躍といい五大老という立場、それに秀吉の甥というかとから
考えて、大納言へ昇進し、五大老のナンバー2になると思う。
領土は150万石はいくでしょう。
430無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 17:58:55
小早川家→関ヶ原(松尾山)で傍観
吉川家→関ヶ原(南宮山)で傍観
毛利本家→大阪城で傍観
毛利家の行動をみると、天下を狙ってるようにも見える。
理由→関ヶ原で東西両軍が攻め疲れるのを待って、機を見て、東西両軍に攻めかかる。
そして、大阪城の毛利輝元が秀頼・淀殿を人質に、豊臣恩顧の将を脅迫し、休戦させる。
その隙に近畿を攻略し、天下を狙う・・・・


431無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 18:12:41
>>430
面白いね
まぁそれが当たりかどうかは別にして、毛利も例に漏れず1つくらいは逆転のシナリオを妄想していたと思う。腐っても戦国大名だからな
432無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 18:51:02
家康が討ち死にしたら、誰も三成の言うことを聞かなくなると思う。
大名は本領安堵と御恩に対して奉公するのが主家(豊臣家)にやるべきこと。

それを取り計らってくれた秀吉は既に亡く、
秀吉死後に家康が行動を起こさなかったとすれば、全国で小競り合いが起こることは必至。
なぜなら、自分の所領を認め、また問題があった時に動くアメリカ的なボスがいないからだ。
好き勝手に勢力伸張しても介入してパワーバランスをいじってくる勢力がない。

誰がそんな戦国時代の再来した時に、何の軍事力もない豊臣家に仕えるだろうか。
織田家や足利将軍家と同じ末路をたどるんじゃないか、担がれていつのまにか歴史の表舞台から消える。

そんな状況の家に忠を尽くすのはごく少数だろう。
433無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 19:27:06
>>427
津軽や南部はどこに移すんだよ。
434無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 19:37:11
三成の言うことを聞かない(恩賞でもめる)件は何回か話題になりましたね。
宇喜田に言わせるとか案がありましたけど、秀頼に恩賞やら今後の差配を
言わせたらどうでしょうか?(棒読みさせる)

で、ごたごた抜かすやつは今度こそ秀頼軍で征伐すると。

この時点で豊臣家自身の実石高と兵力ってどんなものなんでしょうね?

秀頼は幼いし、まぁ生涯戦場に出ないとしても、仮に西軍勝利後に
征伐、小競り合い鎮撫、睨みのため等で豊臣家が兵を出す機会があったとして、
代わりに豊臣家の軍勢を指揮する人って誰なんでしょう?
(立花道雪みたいな人っていましたっけ?)

中〜小物の政治家は居ても、戦場でたよりになる人が居ないような。。。
一万、二万じゃなくても数千の精鋭を指揮できる人に秀頼の軍を預け
問題が出た各方面に向かわせればあとは自然と軍勢が大きくなって
関ヶ原後の不穏大名が降参・・・って甘いですかね?
435無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 20:18:28
豊家蔵入地は関ヶ原時点で600万石程度。大半が近畿と九州にあった。
あと金山・銀山。
大坂夏の陣後、家康は大阪城から1万両相当の慶長分銅金を千余個も
運び出したといわれているが、短期間の政権運営でこれだけの蓄財を
可能にしたのは、蔵入地に徴兵担当者を置いていなかったことも理由
のひとつであろう。

436無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 20:33:07
大阪夏の陣と冬の陣で、食い詰め浪人(宮本武蔵とか)を大量に雇ったと、
それでもびくともしないくらい豊臣家は財力があったと聞いたことがある。

当時の豊臣家の常備兵力ってどれくらいだったんだろう?
北条攻めの時に山ほどいた印象だが、いつの間に減ったんだ。
437無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 21:09:39
>>435
豊臣軍だけで18万の兵力があったんなら関ヶ原では楽勝だったな
438無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 21:16:00
豊臣家の蔵入地って600万石もあったか? 200万石でしょ。
600万石といったら、江戸幕府の直轄領より多いよ。
関ヶ原後に200万石から60万石余へ。

>>436
豊臣家の兵力は1万石で300人の計算で行くと、約6万人ってとこか。
北条攻めのときだって、秀吉直卒部隊の兵力はそんなに多くないよ。
ほとんど配下の大名の兵力だ。
439無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 21:32:59
素人の考えなんですけど、細川家って西軍勝利した場合でも
改易はないような気がするんだけどどうでしょうか。
改易しちゃったら、朝廷のメンツを潰す事になって
あとあとよろしくないのではないかと・・・。
440無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 23:44:58
>>439
なかなか鋭い意見ですね。
細川家は関ヶ原の時の当主・忠興よりも親父の幽斎がかなりのキレ者です。
忠興君は運とか要領とかが良くて大名になれたようなところがあるんですが、
親父の幽斎は山崎の戦いで親友の光秀を裏切ってまで、秀吉に味方し、
関ヶ原では昔助けた秀吉の豊臣家を裏切って、家康に味方していますからね。
幽斎的にはどっちが勝ってもお咎めなし的な戦略だったのでは?
困ったら朝廷にすがればいいんですしね。
441無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:00:32
>>439
朝廷にとって大事なのは幽斎自身であって、細川家ではない。
幽斎には捨扶持と京に屋敷でもやって、忠興には数万石で充分かと。
442無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:01:35
>>428
結城を移すのはやはり難しいかな。
>>433
伊達を減封するか、飛ばすかすればいいんじゃない?
最上は確実に潰せるから、結構奥州は空きがあるかと。
上杉ももどすか、大増で豊かな土地に移すさないといけないし。
>>438
あれ?
250万石じゃなかったっけ?
一応徳川クラスはあったと思う。
443無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:02:50
田辺城はよくもったね
他の城は伏見城以外東西両軍ともほぼ一日で落としているのに
2ヶ月も粘るなんて凄いね
444無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:13:32
関が原には豊臣の部隊も石田の隣りに一千ほどいたらしいが
250万石なら3万人くらい派遣すれば西軍が負けることもなかったのに
445無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:16:15
豊臣軍って大阪城にどれくらいいたの?
446無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:16:52
>>442
そんな簡単に大名家を取り潰せませんよ。
攻め取らないと。
もし改易に応じる大名があるとしても、いくつかの大名を波乱なく潰して豊臣の実力がある事を天下に示してからです。上杉や毛利に外注するにも問題があって、実際これが難しいわけですが。

東軍勝利の場合とは違いますよ。
447無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:22:26
>>445
大坂城守備
大坂留守居 7500
御小姓衆 8300
御弓鉄砲衆 5900
前備後備 6700

伊賀在番 7000
448無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:28:57
そもそも関ヶ原では豊臣家は表向き中立。

豊家自身が西軍につくと仮定できるなら、大坂城の兵力を動員しなくても、秀頼一人関ヶ原に派遣するだけでよかった。
449無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:32:01
関ヶ原は三成も家康も「豊臣のため」といって戦してるんだよね
戦後秀頼は家康に「よくやった」と褒めてるしw
豊臣ってやっぱアホだよw
450無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:32:05
豊臣旗本衆は関ヶ原だけじゃなく大津城攻めにも参加してる
これがなければ240万石あった所領を65万石まで減らされることはなかったし
大阪の陣も余裕だった  
451無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:39:15
豊臣家の領地が減ったのは、改易・転封のドサクサにまぎれて、
大名に預けてあった領地を無くしたからだろ。
452無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:46:04
>>447
それだけいるんなら大阪城の守備は豊臣だけで余裕なんだから
輝元も増田もさっさと関ヶ原に向えばいいのに
アホだな  
453無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 00:55:08
宝の持ち腐れだな  
454無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 01:07:55
少し前の自民党の抵抗勢力と似てるね
455無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 01:23:17
ってか東北の大名の位置も碌に判ってない奴がいないか?
スレの上の方でも読んでろ。東北の話題出てるから
456無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 03:41:23
>>455
関ヶ原で津軽為信がどこにいたのか知らないお前に言われたくない
457無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 05:38:27
東西の総兵力
1600年9月15日で
西軍=九州 島津家1万6千・大津攻略部隊 立花宗茂等1万5千・田辺城攻略部隊
小野木公郷等1万5千・大阪城守備隊 毛利輝元 増田長盛 豊臣秀頼 等4万
東北 上杉家4万数千+佐竹2万5千
 
東軍 九州 加藤 黒田 鍋島等2万 信濃〜美濃 徳川秀忠 3万8千 北陸 前田利長 2万 
東北 伊達政宗 最上義光 堀秀治等 4万?
458無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 05:44:35
関ヶ原部隊を足すと
西軍 約23万 東軍 約19万
西軍の方がかなり優位 数では・・・
459無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 05:59:46
素人な考えですが、西軍は関ヶ原ではなく 近江の瀬田まで下がって戦ったほうがよかった気がします。
徳川秀忠も参集してしまいますが、田辺+大津攻城隊3万に加え、大阪城に近づくので、
豊臣からの大きな援軍も期待できます。なのより敗北した後が肝心です。
もし敗北しても大坂が近いので、大阪城に残兵を入れて籠城をすることができます。
秀頼を総大将にしてしまえば、福島正則らも寝返るか不戦にはなると思います。
いくら豊臣は中立といえど、西軍主力が周辺で戦うのなら援軍くらい送ると思うので。
460無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 06:16:34
近江の城全部棄てるの?
だいたい古来から京都にこもって戦って勝ったやつがいないし、
越前の西軍との連絡も取れなくなるぞ
461無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 06:56:26
近江の城(佐和山城)を捨てるのは、西軍にとって得かもしてません。
居城が奪われても戦う三成を見たら、他の大名も奮戦したりするかも。
>>460 の言うと通り越前と連絡とれなくなるのは厳しい。
462無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 07:53:17
>>442
難しいというより、動かさなくてもそれほど影響はないって感じ
もともと10万石程度だし、関東250万石が西軍の有力大名に代われば
監視させることは可能だと思う
463無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 08:13:46
>>462 毛利に備前57万石を加増して、中国地方任せる。
そして空いた関東には宇喜多秀家を入れるそして東軍についた大名を監視する。
464無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 08:19:36
しかし宇喜多に250万石は多すぎるので、下野に大谷か小西いれる。
三成自身は、近江(40万石)と山城くらいがちょうどかな
465無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 08:48:06
>>459
恩賞などを考えるスレなんで、微妙にスレ違い。
466無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 10:11:52
>>452
あれだけの巨城だと、守るのにもそれなりの人数がいる。
467無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 20:37:52
>>465
確かにそうですね。 
西軍には1万石、2万石級の小大名が近畿に沢山居ました。
あれらはどうなるのでしょう?
島津はどれほど加増されるの?
468無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 21:42:57
236 :無名武将@お腹せっぷく :2005/12/17(土) 10:55:34
大老筆頭…上杉中納言(越後・春日山160万石)
大老  …毛利中納言(安芸・広島 140万石)*広家背反の責めにより微増のみ
大老  …宇喜多中納言(武蔵一国・上野の内85万石)*関東探題兼任

奉行筆頭…石田治部少輔(近江半国と山城の内50万石)
奉行職……大谷刑部少輔(尾張・清洲25万石)
奉行職……増田右衛門尉(大和・郡山20万石)*東軍内応嫌疑にて本領安堵
奉行職……前田玄以茂勝(丹波・亀山5万石)

中老…福原右馬助直高(美濃・大垣12万石)
中老…安国寺恵瓊(越前・敦賀10万石)
中老…小野木縫殿介重勝(近江・長浜10万石)
中老…石田木工頭正澄(伊賀・上野7万石)
中老…熊谷内蔵丞直盛(遠江・掛川6万石)
中老…平塚因幡守為広(遠江・横須賀5万石)
中老…速水甲斐守守久(摂津の内3万石)

関東探題…宇喜多中納言(武蔵一国・上野の内85万石)
副探題……小西摂津守(相模・小田原40万石)
関東奉行…名束大蔵大輔(下総・佐倉15万石)

豊臣家差配役…小早川中納言(播磨・美作及び近江の内60万石)*後、関白昇任
秀頼後見…織田中納言(美濃・岐阜25万石)*関ヶ原後加増

大老は名誉職。行政・民政・軍政は奉行が最高決定機関とし、中老は調停役ではなく
奉行の下役として実務を執る役職とする。
大老はいじれないが、実務を仕切る奉行&中老にはフィクサー石田治部の息の掛かった
連中を中心に外様から1名、豊家から1名を入れバランスは取ったつもりです。
469無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 22:54:49
>>468 素晴らしいです。
しかし、宇喜多秀家は、立場(秀吉の甥+五大老+淀殿に気に入られてる)
と活躍(関ヶ原本戦に参陣・関ヶ原で最も活躍・実質西軍の総帥+明石の活躍)
からして、3倍くらいは加増されると思います。
もしかしたら、関白就任も考えられませんか?小早川秀秋よりこちらの方がいい気がします。
そうなったら、豊臣姓になるかも・・・・豊臣秀家
470無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 23:10:31
この戦いが長引いて応仁の乱のようなことになっていたら、間違いなく日本は植民地になっていた。
ま、今もアメリカの植民地だけどさw
471468&236:2005/12/30(金) 00:05:27
>>469
恐縮です。
この配置のテーマは出来る限り諸大名への加増を押さえた場合どうなるか、という
テーマで以前カキコしたものです。スレの流れが似たような感じになったので貼って
みました。
秀家は個人的には100万石上げたいところですがw、テーマ上渋ちん策で考えた
次第です。
ループする前に書いておくと上杉氏は、
・奥羽で孤軍奮闘したものの、西軍挙兵とはその起こりからも異なり出羽山形+α
 の加増に抑えたという仮定と前提です。
・石田/上杉間の密約は無かった、という前提。これは史実の上杉氏の最上氏との
 戦闘に拘泥し、関東南下若しくは相応の軍事的行動が無かった点を考慮しました。
・それでも孤軍奮闘し、東軍に第2戦線を強いた功績から所領としては筆頭の位置に
 あります。

上記とは別に金吾中納言と杉原家系の木下家一族を豊臣姓に復帰させ血族の少ない
豊臣家の藩屏にする案も以前カキコしましたが秀家の豊臣姓までは考えていません
でした。
宇喜多氏は豊臣家にとって最大の軍事的藩屏になりますが厚遇も行過ぎるのは他の
大名の手前どうでしょうか。特に毛利氏は吉川侍従の嫌疑を以って相当加増を抑えて
ますから不満が高まるでしょう。
あとは徳川氏がやったような「役領」という手もあります。関東探題就任に併せ、
役領として20万石拝領させるというものです。これならば恒久的な領土たり得ず多少は
マシでしょうし、実際に越後ほかの大領を持つ上杉氏などを抑えるには宇喜多氏85万石
では物足りない気はしますね。
472無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 11:49:50
>>468
越後だけでは、50万石くらいしかないよ。
現在の領土に、越後をプラスするってこと?
あと西軍総大将を責めるのは難しいかと。
吉川の個人的な行動として、切り離す可能性もあるし。
>>470
スレ違いだが、
それはないな、
戦国時代の100年で、日本の国力の倍になった、
江戸時代も確かに100年そこそこで倍にしたのだが、
残りの150年で国力は、停滞、もしくは退行している。
参勤交代、江戸滞在などが諸藩を苦しめたのが痛い。
経済的にも、貿易規制、大型船の禁止、車輪の禁止など、輸送にも大打撃を与えていた。

なので江戸幕府が成立するより、戦国時代が続く方が、日本にとっては都合がいい。
473無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 12:45:00
>>472 そうですね。またスレ違いですが、鎖国してても外国が本気になったら、
植民地にするのは簡単だったきがします。あと戦国期に国力が伸びたのは大戦景気でしょうか?

>>468 越後一国だったら36万石程度です。多くて40万石くらい
474無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 12:53:25
前田家は一体どうなるのでしょう?
前田利長83,5万石は東軍
前田利政21,5万石は西軍
ただしどちらとも戦闘には不参加だったので、処罰が軽い気がします。その上
弟が西軍ですし。きっと減封され、東北にでも飛ばされるのでしょう。秋田20万石くらいに。
475無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 12:57:53
>>474 補足します。
前田家は宇喜多家と親戚です。その上大老であり、戦闘不参加。
宇喜多秀家が懇願すれば、所領安堵も考えられます。
476無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 13:28:10
>>469
秀秋の関白就任は秀頼が成人するまでの場繋ぎな感があるし
豊臣家に権力を持たせるという意味で、公家や秀家より秀秋のほうが扱いやすい。
秀家には関東・東海のいずれかで150万石クラスの探題になっててもらったほうが
他の大名を監視できて都合がいいんじゃないか?

毛利・上杉らも150万石程度に抑えて、それでも不足なら分家を作り地方へ飛ばせばよし。

それよりも豊臣家の直轄領をどうするかのほうが気になるな。
個人的には五畿全てと七道に一国ずつ12カ国で300万石以上はほしいところ
477無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 13:39:07
豊臣直轄領を300万石はちょっと無理な気がします。
豊臣家にはそのような大国を統治できる人物がいるでしょうか?
徳川とは違い、外様に頼るしかないのです。
九州=島津氏100万石 中国=毛利氏170万石 四国=長宋我部氏50万石
東海+関東=宇喜多氏+佐竹300万石 北陸=前田氏80万石? 東北=上杉200万石
各地は外様に任せ、近畿を小西・大谷・石田・立花・ら中大名を配置し守りを固める・・・
478無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 14:07:19
>>477
島津にそれはやりすぎじゃない?
義弘や豊久の1600余しか出してないんじゃ加増はそうそう望めない。
島津には10万石程度の加増でいいんじゃない?
その分、立花家や鍋島家を大幅加増して九州を任せればいいような気がするな。
毛利にしてもそれほどの加増は認められず、小早川家のみ大幅加増が認められるだろ
(関ヶ原時に吉川・毛利・安国寺が動けば話は別)

前田を利政が当主になり、上杉家は景勝150万石・直江50万石って感じ?
479無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 17:22:47
賞罰のついでに、豊臣家の体制強化の策も盛り込んでおきたい所ですなぁ。

太閤の子飼い連中は減封対照ばかりで、良くて所領安堵か移封だし、
近親者で大国を任せられる程の器量人が少ないのも痛い。

まず畿内に直轄領を増やし、財力を増やす。
・増田長盛 大和郡山城主20万石 ←ここを何が何でも取り上げる。
(内通の件で追い詰める)

兵があっても任せる人が七手組だけじゃ全然物足りない。
そこで新たな子飼いを1万石程度で取り立てておく。
これを足がかりに、今後器量、功績があれば石高を上げて行く。

子飼い対象は例えば表向き人質として前田利常、結城秀康の子などを
呼び寄せて英才教育を行う。(第二の宇喜田秀家を作る)
上記は実際にそれなりの器量があったから書いたが、
大名家の次男、三男などからも選考するような感じ。

後は埋もれた太閤恩顧の武将も取り立てておく。
(故前野長康一党など)

現実には色々と問題があるかもしれないし、即効果は出ないが
この時点で何かしら手を打たないと豊家の人材不足は慢性化する一方だと思う。
480無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 17:28:56
>>473
>なので江戸幕府が成立するより、戦国時代が続く方が、日本にとっては都合がいい。

それはない
ともかくこの手の話題になるとスレ一個丸ごと使う論争になるので、そういう発言は慎んでくれ
481無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 17:38:18
>>479
福島とか加藤あたりを改易して、数万石で豊家直臣とするのは無理かな?
482無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 18:12:44
徳川の場合は関ヶ原で勝利して片っ端から西軍を粛清しました。(西軍に徳川は居ないので)
しかし、豊臣の場合、敵である東軍の半分は豊臣恩顧。しかも、三成憎し
で東軍に付いているため、反豊臣ではない。つまりこれら武断派は潰せないと
思われる。>>481の言うと通り、直臣にするしかないかも・・・・
483無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 18:21:05
>>482
だが、逆に福島あたりをたきつけて仇なしそうな有力大名を打ち滅ぼす
という考えもあるけどな。
分割して、統治せよ。ルールトヨトニカですよ
484無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 19:36:15
んじゃ、小西に肥後一国、清正は減封の上で豊家お預かり 
と見せかけて直参に戻す。大和の代官辺りから再スタート。

そんで早々に大和を与えて清正の軍勢に加え秀長や秀次の旧臣を
呼び集めて(三成や他家に仕官した武将も出来れば呼び戻す)
秀頼様の精鋭軍の出来上がり。

後は、ごり押しでいいんじゃないの?
先の関ヶ原の沙汰に不満があらば、ハイハイ謀反ですね攻めますよと。
実際には1回でもどこかの家を武力で滅ぼせば、後は逆らう人も居まい。

これはあくまで秀頼が出陣しない事を前提の話。
秀頼がどこにでも出張るなら護衛の馬廻り衆千人で事は済む。
先鋒を賜りたい大名は沢山居るだろうしね。
485無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 19:47:57
島津には、本家と分家に日向の残り与えてやればいいだろ。
頼朝からの薩大日の守護ってプライドも満たされるだろうし。
486無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 22:23:18
あまり力を与えすぎると史実よりも何百年も早く中央に反旗翻す可能性もあるしな
島津、毛利と伊達、上杉はどっちに転んでも警戒されるだろうし。

豊家のばあい九州の押えに一番適任なのはやっぱり立花氏かなあ。
いまいち忠誠心が信用できそうにない長宗我部もいるから後もう一組
押さえが居ると思うけど、だれがいいだろ
487名無し武将:2005/12/30(金) 22:46:15
九州+四国の警備は小西行長で決まりでしょb
488無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 00:03:10
>>295-300
よほど下手なことしなければ泥沼化はしないと思うけどな。
関が原に負けてさらに徳川家康が死んだ時点で、もう徳川に味方する東軍大名はいなくなる。
まあいなくさせるようにするってのが正しいかな。

家康を謀反人と位置づけて、東軍大名には徳川家を討伐すれば、戦果に応じて
関が原での罪を減するといっておけばいいだけ。

豊臣の天下が安定するとは思えないが、少なくとも徳川を滅ぼすことだけが目的なら
大して問題もないと思うけどどうかな。

一番いいのは秀頼自身が徳川討伐軍の総大将として出陣し、各大名に指示をすること。
これなら誰が戦果をあげても秀頼の命ってことになって増長も豊臣家臣内での増長にとどまると思う。

本能寺の変のあと、信忠が生きてて討伐命令を出していたら秀吉は織田家の家臣の
ままだったってことと同じ理屈かな。
もちろん秀吉が織田家内で発言力を高めることにはなるが、あくまで織田家内での話になる。

それと同じ。三成主導では難しいね。
489無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 00:55:49
徳川が消えたとなると、次の眼目は毛利の消去だろw。
毛利・小早川を関東に国替えし、中国一帯は豊臣直轄領。

東海道に、小西、石田、立花。北陸一帯は大谷とその寄騎郡。
中山道は真田。北関東は上杉領に編入。
機を見て、3方向から関東の毛利を攻め滅ぼす。
490無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 08:26:06
>>489
野心のない輝元やるぐらいなら上杉だろ・・・
491無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 13:34:44
>>489
それ以前に毛利は関東転封を拒否するだろ。
できて小早川か吉川程度、それも大幅な加増なしじゃ納得しない。
秀秋を豊臣姓に戻すにしろ小早川のままにするにしろ政権に残す以上畿内周辺に残したいな。
分家の立場である秀包を関東に移し、吉川を東北の抑えとして飛ばす。
上杉も同じように、上杉は越後・山形・米沢、直江は尾張あたりに移動させて力を削げばよし。

徳川領を大幅に削って黒田、藤堂などは潰し、福島などの豊臣に忠誠を誓う連中のみ直臣にして
豊臣領を統治させていけば、交易によって財力を貯めることのできる豊臣家と
領土を減らされた徳川家とじゃ10年以内に覆せない国力の差ができることになり
秀頼が元服してから適当な理由をつけて徳川成敗。
492無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 15:16:58
徳川家康→伊豆一国
前田利長→佐渡一国
藤堂高虎→八丈島遠島
伊達政宗→米沢一国
細川父子→隠岐遠島
黒田父子→紀州九度山蟄居
島津義久→所領安堵
加藤清正→市中引き回しの上、打ち首獄門
福島正則→市中引き回しの上、打ち首獄門
493無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 15:46:00
>>492
米沢は国じゃないだろ
それに福島はともかく加藤も処刑なのか?
それよりも黒田や藤堂を処刑したほうがいいと思うけどな。
加藤・福島ペアは家督を譲って、大坂に人質生活か高野山行きでもいいような気がするな
494無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:19:09
毛利も十分危険だな。輝元は長年慎重策に撤してきたが、過去には当代の傑物たる元就やサンフレッチェや秀吉と間近に接した経験から、今豊臣家の状態が緩いと感じたなら自分の器量と相談する可能性は十分だ。

毛利、上杉は絶対刺激しない方策を採らざるをえない。まずは嫌味なく両雄並び立つ形にするしかない。片方を落とす形にすると、結果的には次は我が身と反豊臣で結び付くからだ。討伐となれば尚更だ。

だから毛利と上杉には長期的に相手の失策を待つしかない。その時にもう片方には何か因縁付けて削ればいい。まずは舐められない豊臣家を作って内政を間違えない事からだ。
495無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:49:14
毛利輝元が3万の兵力で笹尾山に布陣していれば、小早川秀秋も西軍側に参戦しただろうし
吉川広家や毛利秀元も西軍側で参戦するしかなかったはず・・・
496無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 19:19:20
>>493
ああ、そうだな。米沢は国じゃないな。
じゃあ米沢の地に転封つーことで。

あと加藤、福島は処断でいいのか?って指摘したね。
いや、たぶん良くない。

でも、三成の立場なら、奴らを生かしておくわけないと。つまり彼の立場になって想像しただけ。
497無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 19:31:08
やっぱ毛利は中国、小早川は九州、吉川は関東、安国寺は四国か東山道に配置して
周辺の大国に備えさせたらいいんじゃないか?
なんなら、秀元・秀家・秀秋などを豊富姓にして毛利・宇喜多・小早川を取り込むとか。
それでなくとも輝元の代では不可能かもしれないけど秀元が毛利を継げば親豊臣系になるんじゃないか?
498無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 19:42:18
>>497
つ【輝元嫡子は秀就】
>>494
残念ながら毛利が単独で天下取る名文がない。家康の場合
一応秀吉の旧主筋と対等の盟友、そして秀吉を一度は破った(あくまで局地戦でだが)
そして秀吉が一目も二目もおき豊臣の縁戚にして後見を頼まざるをえなかったほどの
実力者という実績がものをいった。
毛利の場合天下を動かすにはあくまで豊臣を神輿にして
鎌倉の執権北条氏の先例に倣う意外に方法はない。だから毛利が豊臣を倒滅する心配はない。

ただ将来的に毛利、上杉、真田、立花、佐竹、石田、島津、長宗我部などが
室町幕府の山名、細川のような代物にならない保障はないが・・
499名無し武将:2005/12/31(土) 20:23:56
三成なら、黒田長政・細川忠興・加藤嘉明・福島正則・加藤清正などは確実に
首切りたいと思うにちがいない。小西行長も同じ意見だと思う
500無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 20:37:43
>>499
細川忠興は無理。細川幽斎がいるから朝廷からの働きかけもあろうしね・
加藤清正も難しい。なんせ当人は西軍参加を条件付了解したこともある。
小西行長との軋轢もあろうが死罪は無理だろ。
加藤嘉明・福島正則は処断されてもしかたないだろう。
黒田長政・・彼の場合が難しい彼を死罪に処したいのは吉川侍従とかだろうけどww
逆にいえば彼を生かして置けば対毛利対策で無言の圧力にできるわけで・・
501無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 20:59:21
加藤あたりの朝鮮の役での貢献は全く無視はできない。
502無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 21:18:53
毛利:周防、長門、石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、安芸、備後
   豊前、伊予、備中半国、豊後半国
小早川:筑前、播磨
立花:筑後
鍋島:肥前
小西:肥後
島津:薩摩、大隅、日向半国
蜂須賀:阿波、淡路
生駒:讃岐
長曽我部:土佐、日向半国
増田:大和、伊賀
石田:近江半国
大谷:越前半国
京極:近江半国
木下:若狭
前田:加賀、能登、越中
上杉:越後、佐渡、出羽半国、陸奥半国
真田:信濃半国:上野半国
加藤:上野半国
福島:駿河
浅野:甲斐半国
徳川:安房、上総
宇喜多:備前、美作、武蔵、備中半国
長束:紀伊、和泉
佐竹:常陸、下野
赤松:但馬
織田:美濃、尾張
田中:三河

503無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 22:53:01
>>482
だよねえ。秀吉としたら、譜代がいない豊臣家を支える為に、
子飼いの武将に破格の待遇を与えて、大名にしたのに、
それが秀吉の死後そろって、家康に丸めこまれている。
所詮秀吉個人への恩顧であって、豊臣恩顧でなかったというべきか。
だから、ひょっとしたら、決起したのが、加藤で、
家康についたのが、三成だった可能性もあるけどね。

つか、その豊臣恩顧なのに家康についた大名はあわれだよな、
結局大半は10年もたたず潰されている。
豊臣も許した東軍大名や、でかい大名は速めに潰しとかないと不味いよな。

>>498
天下を取るのに、明文など必要ないよ。
農民あがりの秀吉と、源氏とは名ばかりの、家名詐称の家康が天下とっているんだし。
実力があれば、天下などとれる、

もっとも輝元にそれだけの器量があるとは思わんがw
504名無し武将:2005/12/31(土) 23:12:08
毛利:所領安堵+?120万石+?
上杉:会津+?120万石+?+大納言
宇喜多:武蔵、上野、下総、上総、安房、相模、伊豆240万石+大納言
前田:越中、能登59万石※当主を弟の利政に変更する
石田:近江一国78万石+中納言+大老に昇進
大谷:下野37万石
小西:肥後一国44万石
島津:所領安堵+?60万石
小早川:播磨、但馬、丹後、丹波71万石+大老昇進
織田(秀信):美濃一国54万石
長宋我部:土佐、阿波、伊予半国40万石
真田:信濃半国20万石
立花:豊後40万石
田辺・大津攻城軍 約2倍に加増

505無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 12:20:31
>大谷:下野37万石

どこ?
506無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 13:42:19
とりあえず恩賞を与えるにしても豊臣家直轄領は6〜7ヶ国は確保しときたいな。
摂津・和泉・河内はもちろんほしいし、できるなら大和や丹波もほしいところだよなぁ
生駒・蜂須賀・加藤(嘉明)・藤堂の四国系と寺島・加藤(清正)・黒田の九州系の
東軍大名をすべて取り潰して恩賞用にあてて、
細川・小出・桑山・堀内・京極・筒井・古田ら畿内系東軍大名の領地は豊臣直轄領にしよう
507無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 14:17:22
豊家は摂津・和泉・河内・大和・山城・伊賀・播磨・丹波あたりか。

で福島家は伊賀代官、加藤嘉明家は丹波代官にして大名として取り潰して
直臣に戻して、清正は知行を半分に削って東北移封。
508無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 17:39:14
清正と福島の処遇が問題だな。
嘉明のほうの加藤は息子が暗愚すぎるからほうっておいても潰せるが
509無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 20:58:36
あの二人は国持ちから、直臣にかえてしまおう。
そして、処分に不服の反対派を潰して回らせる。

あと出来れば、石田以下の五奉行も全て直臣にするべき。(10万か20万の扶持をあたえてさ)
そして、五奉行に江戸幕府の老中クラスの権力与える方式にするべきではないかな?
人事権を握っているから、豊臣家の権威は揺らがないし、
それに子会社の社長よりも、本社の役員をやりたい人も多かろう。
というか、そういう人材を抜擢するべきだよな。
510 【吉】 【1750円】 :2006/01/01(日) 21:12:42
>>503
表向きだけでも名文は必要だろう。体裁を整えないと誰もついてこない。

 それと豊臣家の最大の課題は
朝廷官位から独立した権威確立ではないかと思う。
公家が政務に口出ししやすい環境であり、風紀の紊乱を招きやすいと思う。
徳川幕府にとって大奥が腐敗の巣窟になったように
朝廷との腐れ縁はいつか必ず禍根を残すと思う。
今のところ某学者が源氏長者に日本国王の権威が付与された
とか主張していたが
“豊氏長者”に、そのような権威を持たせる必要性があると思う。
小西行長を外交専任の奉行とし明と交易とセットで秀頼に「日本国王」
の宣下を貰い 朝廷とある程度自立しても
豊臣家=日本代表といえる権威をもてる努力は必要と思う。
511無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 21:44:09
>>509
「直臣」という言葉の意味、間違ってないか?
大名と名がつく者は、基本的にすべて豊家の直臣なんだが。
今までの議論の中でもよく「直臣」という言葉が出てきたけど、
それは江戸幕府でいう「旗本・御家人」のことを指してるんじゃない?
512無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 22:03:20
>>511
福島・加藤が大名に対して、大野冶長や木村重成が直臣では。
前者が「豊臣政権」の家臣なら、後者は「豊臣家」の家臣。
513無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 22:35:04
直臣:直接の臣下のこと。(反対語)陪臣
どうもあなたは江戸時代でいうところの大名を、「大名」と呼び、
旗本・御家人のことを「直臣」と呼んでいるようだ。
大名も旗本も、すべて徳川将軍家の直接の家臣、つまり直臣なんだが。
「直参旗本」なんて言うけど、この「直参」という言葉に惑わされているのでは。

例えば、老中水野忠邦は浜松六万石の大名でもあるし、将軍家直臣でもある。そゆこと。
514無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 22:39:46
>老中水野忠邦は浜松六万石の大名でもあるし、将軍家直臣でもある

それを持ち出すのは「親藩・譜代」と「外様」の論だから
「直臣」の説明には混乱をもたらすだけかと。
515無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 22:42:20
>512
政権とそれを主宰する家を分けるのは無理があると思うよ。
極端な話、>512の論だと政権には忠誠を尽くすが、その家には忠誠を尽くさなくても良い事になる。
政権=家だから、有り得ないとするなら、区別する必要も無いし。

そもそも、直臣に対する言葉は陪臣であって、大名は陪臣じゃないでしょ。
徳川幕府を例にとれば、幕府の中枢を担ったのは直臣だから、じゃなくて「譜代」あるいは「親藩」だから。
万石以上であれば大名と言う事では区別は無い。
516無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 23:08:34
>>514
いや、違うっしょ。
水野忠邦は身分としては大名であり、なおかつ将軍の直臣であるってことでしょ。
加賀前田家だって尾張徳川家だって彦根井伊家は大名で直臣である。
大久保彦左衛門や遠山の金さんは大名じゃないけど、直臣。

まあ、>>515の説明が一番手っ取り早い。
517無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 23:14:59
そんな言葉尻のことよりも、内容について話そう。
やっぱりできれば政権首脳は江戸幕府のように小身の譜代にやってもらいたいところだけど、
そのためには政権の力が強大でないとね。外様大名に舐められるような首脳では困る。
この課題をどう解決するかだな。
518無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 23:32:14
>>515
政権とそれを主催する家は別だろ。
後年、徳川慶喜は将軍にならず徳川家だけを継ごうとした。
織田家も信長末期は政権を主催する信長に織田当主である信忠は仕えてた。
極道の大組織のボスだって、自分の組を持ってる。
519無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:09:20
>>518
>徳川慶喜は将軍にならず徳川家だけを継ごうとした。
これ初耳なんだが。大政奉還のことか? 単なる俺の知識不足?
とりあえず、大政奉還のこととして話を進める。

大政奉還後の徳川家は政権の座にあっただろうか。
織田信長は全国を統治するような政権を築いていただろうか。

>極道の大組織のボスだって、自分の組を持ってる。
だから何なの? 
ボス直属の組も大組織の幹部の組も、ボスに対して忠誠を誓い、
ボスのために働くという点において、なんら違いはないじゃない。
520無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:15:12
どうも武家皆家臣論者がいるみたいだけど。
それを否定はしないが、その論だと天下皆領地になってしまう。
スレ的には豊臣の直轄地を増やそうということだと思うのだが。
三成らは公的な家臣であり、直轄地を納める私的な家臣が必要だろう。
史実では公的な家臣に直轄地の管理を任せてたら、公的な権力喪失とともに領地まで失ったわけだし。
521無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:19:10
>>519
慶喜は泥舟状態の幕府の将軍になるのを嫌い、「徳川家は継ぐが将軍にはならない」
と駄々をこねたらしい。
522無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:21:28
加藤や福島などは家督を嫡男に譲らせ、領地を1〜5万石程度の奉行衆直轄の部隊の指揮官か
軍政官として各地に赴任させればいいんじゃない。
清正や正則じゃなければ三成を毛嫌いしないだろうし、もし嫌っているなら三成は特別顧問にでもしておけばよし。
潰した東軍大名の家臣を積極的に登用し、当面の人材の不足分を確保し、
大名の次男三男を豊臣家で育てて使えば人質兼人材ってことで豊臣家の領土が増えても
特に人材面では困らないんじゃないの?
523名無し武将:2006/01/02(月) 00:24:41
豊臣と徳川では比較しにくい。例えば上杉家は西軍に大いに加担した。
戦前は120万石の所領。しかしこれだけの功があったら、さらに加増せざるおえない。
毛利も同じく。三成達だって戦功があるのに所領を削るわけにもいかないから、
難しい。徳川の場合は中大名ばかり(10〜20万石)だったので分けやすかったが、
豊臣の場合、大大名が多く、第二の徳川になりかねない。
524無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:25:35
ゴッドファーザー見たことあるか。
あの映画でドン・コルレオーネが「ファミリー」と言うとき、二つの意味があるんだよ。
ひとつはいわゆる「家族」のこと。もうひとつは「組」のこと。

ドン・コルレオーネ(ボス)……ファミリーの保護者・指導者。
トム・ヘイゲン(ボスの直属)……ドンの養子。弁護士・相談役。ドンに忠誠を誓う。
クレメンザ(幹部)……大幹部。実行部隊を統率。ドンに忠誠を誓う。
トム・ヘイゲンもクレメンザも、ドン・コルレオーネの直臣。
「ファミリー」の長であるドンに忠誠を誓い、奉仕する。
で、クレメンザの子分は直臣ではない。陪臣。彼らはクレメンザに対して忠誠を誓う。
525名無し武将:2006/01/02(月) 00:29:46
豊臣家の課題は直轄領の管理+西軍大大名への措置
どのように、島津・毛利・上杉を納得させ且つ国力を減らすか。
もし反乱が起こったら、一気に滅びてしまう
毛利→豊臣←上杉     
526無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:36:57
>>520
その理屈で言うと、江戸期の大名は将軍の公的な家臣で
旗本は私的な家臣だと、そういうことか。寝言は寝てから言ってほしいんだが。
>武家皆家臣論者がいるみたいだけど。
>それを否定はしないが、その論だと天下皆領地になってしまう。
天下皆将軍の領地とまでは言わないけど、大名の領地はすべて将軍によって
安堵・給与されたものなので、正しいと言えなくもない。
それから、武家皆家臣論って意味が分からん。勝手に用語を作るな。
527無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 00:43:08
要は豊家の直轄領を増やし、各地に適切な人物を代官として派遣するってことでしょ。
公的とか私的とか、直臣とか陪臣とか、言葉の使い方がおかしいだけだと思うんだよな。
江戸時代の旗本は石高にして1万石未満だけど、豊家政権の代官はそれよりも多くすると。
そういうことでしょ。

528無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 01:01:26
>>526
公的・私的の区別も大名・直臣の区別も否定されたら、武士は全員天下人の家臣ということにならんか?
何故すべてを一緒にしたがるのかわからんし、言葉の使い方がおかしいなら正しい用語を教えてくれ。
529無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 01:03:36
>>525
島津は加増は少なくても文句は言えない。
義弘や豊久(関ヶ原で生きていれば)を畿内に10〜20万石の領地を与えて島津の分家にして
本家は中立の立場だからその後の討伐戦に参加しなければ一切の加増は無しでいいでしょ。
毛利は関ヶ原で秀元・吉川・安国寺が動いたこと前提として、吉川家は関東上野に30〜40万石、
小早川は秀秋のまま尾張一国、安国寺と秀元を代わりに九州に。
なんなら秀元に羽柴か豊臣の姓を与えて、一族にしたてて関東にとばしていいんじゃない?
毛利本家は吉川領を増加。
上杉は直江と三成が密約なしの前提で、家康の会津征伐の名目をそのまま利用して
越後と陸奥米沢、出羽山形、それと上野10万石に減らし、
直江を出羽秋田と酒田にして両家で110万石に減す。
530無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 02:19:32
>>522
加藤福島に対してそんな事したら、清正正則個人の恨みから一門衆全体の恨みになるわけだが・・・

>>529
文句を言わない代わりに謀叛が待っていたりするわけだが。
特に島津なんて先祖伝来なんだから転封は栄転のつもりであっても危険。
上杉毛利島津への一気の締め付けは必ず謀叛の結託に向かうよ。
531無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 03:05:32
>加藤福島に対してそんな事したら、清正正則個人の恨みから一門衆全体の恨みになるわけだが・・・
そんなことしたら謀反人として討伐あるのみでしょ。

>文句を言わない代わりに謀叛が待っていたりするわけだが。
天下普請の変わりに秀頼の号令で島津征伐をすればよし。
特に毛利を中心とする連中で行えば両者が疲弊して両得になる。

>上杉毛利島津への一気の締め付けは必ず謀叛の結託に向かうよ。
最初の5年で徳川を潰せれば、次は上杉家を事あるごとに消耗させてゆき
島津が謀反を起こすならば上記の通りにする。
その後、じわじわと毛利を削るだけで最終的には、毛利と上杉は100万石程度にする。
島津は謀反しないんだったらそのまま放置プレイ
532無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 05:24:30
>528
そりゃまた極端な議論だって。
大名の家臣や、万石未満の天下人の家臣(旗本と言っとく)の家臣は天下人に仕えるのでなく、大名や旗本の家臣でしょ。
豊臣家の場合、徳川幕府のように、大名を親藩・譜代・外様の様に区分けしなかったから混乱するのかもしれないが。

徳川家の場合、大政奉還後、数百万石の領地の維持は認められず、駿河60余万石に厳封されたでしょ。
政権を放棄した段階で、徳川家が管理・確保してた領土は好き勝ってに出来なくなってるし、代官は臨時的に職務を継続してたかもしれないが、旗本はほとんどが浪人化してる。
それが問題になって函館戦争になる訳だが。
533無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 09:17:18
>>528
君の使っている言葉で最もおかしいのは「直臣」という言葉だ。
直臣というのは直接的主従関係を結んだ家臣の事を指す。つまり大名も
君が言うところの「直臣」も、天下人と直接的主従関係にあるのだから、
両方とも直臣である。
また君は「直臣」のことを天下人の私的家臣と言っているが、これはその「直臣」と
呼ばれる人々が(ナチの突撃隊のように)単なる私兵集団なら正しいだろうが、
公的な役職に就いたら間違いとなる。ちなみに江戸期の旗本は幕府の役職(大目付、
町奉行、勘定奉行等)に就いており、私的家臣と言う事はできないだろう。

あなたがこれからも「直臣」という言葉を使いたいのであれば、「直参」という言葉に
改めるべきだ。直参とは江戸期の将軍直属の家来のことであり、これなら混乱も少ない。
534無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 09:23:00
>>534
失笑する程のゲーム脳だが、徳川を根絶できるなら他も可能だな
535無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 09:26:45
>>531
>そんなことしたら謀反人として討伐あるのみでしょ。
>天下普請の変わりに秀頼の号令で島津征伐をすればよし。
>上杉家を事あるごとに消耗させてゆき

なるほど。それが成功すれば豊臣家万々歳だ。
けど、そのためには豊臣家の石高が絶対的であるか、または秀吉や家康のような
絶対的指導者がいなくてはならん。そこが難しいところだとほとんどの人が言っているんだが、
そのへんについてはどうなの?
536無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 14:10:04
 ポマエら豊臣家の公的な家臣と私的な家臣の分別に論争があるようだが
秀吉は積極的に直臣と陪臣の区別を取り払う努力をしているようにおもう。
豊臣の蔵入地を在地大名預かりとすることで、その大名の内政に
積極的に介入できるようにし、
島津の伊集院や上杉の直江のように各大名の有力家臣(豊臣にとっての陪臣)
に直接領地の分配や官位や授姓をしたりと各大名の陪臣の内部に
豊臣の準直臣を生み出そうとしていた。

結果的にこういうのは失敗だったわけだが、その要因は
諸大名の外からの組み入れにのみ熱心で内部に強健な中堅直臣や
直轄地の代官統治にあまり関心を払わなかった点だろ。
領地ではなく蔵入米や給与を与える形式での直臣団や直轄軍を整え
彼らの身分を諸侯に次ぐ(幕府における旗本御家人のように)ようにし
 奉行には高い石高をもった者を任命しないくらいする必要はあると思う
あと他にすべき点はあるか?。
537無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:02:19
問題は徳川家をどうするかだよな。
完全に潰すか領地を一国程度に減らして存続させるか。
前者だと徹底抗戦の構えだろうし、
後者でも小山で言ったように豊家に仇名す三成を討つ名目で決戦に及んだと弁明すれば、
三成や秀家がいくら騒ごうが秀頼・淀殿が許可しない限りどうにもできない。
そこで豊臣秀頼の名を使えれば西軍は名目がたち、東軍を処罰できるけど
表向きは中立を主張していた淀殿が許可するか?
538無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:12:00
>>537
それが一番の泣き所だな。

でも、そこを何とか越えないと東軍に付いた連中の大半はお咎めなし。西軍に与える知行もなく朝鮮の役の二の舞になってしまうな。
539無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:16:43
西軍勝利後の徳川の処遇が最大の問題点で、
三成がそのあたりまで考えていたかどうかまではわからない
もしかしたら、小さい大名(せいぜい5万石ぐらい)に削って
残すかもしれない
三成特有(?)の家康アレルギーが再発したら、一気に潰すかもしれない
540無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:31:35
家康・秀忠親子は高野山に蟄居で上総・下総あたりに減封して結城秀康が本家を相続とか。
541無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:39:28
関ヶ原戦終了後、家康討死の知らせが各大名に知れれば、東軍各位は撤退を開始する。
美濃を捨て、福島領尾張に逃げ込む軍勢がほとんどだろうけど秀忠すら到着していない
状況で尾張に残るのは福島以外には黒田や藤堂ら領地に帰れない連中と徳川勢のみだろ。
池田や山内、それに浅野らは本国に逃げ帰るだろうし、伊勢方面に逃げる連中だっているだろう。
そんな状態で再戦できるほど各大名たちは余力はないだろうし
秀忠本隊も物資不足でとても他家に回せる量はないだろう。
ひょっとすると織田や古田や金森なんかはさっさと寝返りだすかもしれない。
そうなると東軍の兵たちの中からも脱走兵が出始め、とても戦えない状態になるんじゃないか?
その間に輝元本隊と秀頼自身が出陣すれば西軍の完勝は間違いなく
福島らも降伏しだすんじゃないかと
542無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:43:24
福島は三成に降伏するのを拒否して、自害するかもしれないな
543無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:53:58
だいたい小早川秀秋がなんもなしに西軍につくわけないだろ。味方しても勝てる保証はない。
むしろ吉川が味方したと仮定する方がおもしろい。そうなると長宗我部は参戦できる、秀元も動ける。そこで小早川、島津も動く。
544無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:54:52
>>541
俺もそれに近い形になると思う。
理想はそれまでに秀頼を説き伏せて親征を果たし、秀頼が勝ち鬨の声をあげるのが後の豊臣家の強い統治の為に重要。

うまく行けば謀叛の鎮圧という形にも変えられる。
545無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:56:22
>>543
それでもいいんじゃない?スレタイには準じているし。
546無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 19:31:11
確かに西軍勝利のキャスティングボードは吉川かもね
吉川はじめ南宮島毛利軍が初期に動いていたら
小早川に裏切りを躊躇させるだけの西軍優位の体制は
整えられたろうしね。
547無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 23:25:20
>>511
んじゃあ、国持ち大名から、俸禄での召抱えに変えると言おうか?
史学板じゃないんだから、用語にいちいちケチつけるなや。
548無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 00:14:37
>>529
出羽秋田と酒田がどうして無条件で手に入るのさ?
549無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 01:55:59
>>547
わけ分からん言葉を自分で勝手に作って持ち出すから
みんなを混乱させるんじゃないか。
間違ってるくせに開き直んなや。
国持ち大名って用語の使い方も間違ってるしな。
中学校の日本史の教科書からやり直した方がいいんじゃないか?
550無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 02:24:21
>>549
>>511が文句言うまで、「直臣」で意味は通じてた。
スレを混乱させたのは、用語にこだわる奴だと思うが。
551無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 08:31:12
三戦板のレベルも落ちたな。
昔はちゃんとした知識を持った人たちが議論してたのに。
552無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 10:15:50
>>534の人物評価はものすごく的確だな
553無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 12:19:24
>>551
おまいのように茶茶だけ入れる奴は
昔から変らん
554無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 15:03:50
>>549
はあ?
ひょっとして、旗本も大名もみな徳川の家臣、
領土の過多に差があるだけとでもいうつもり?

555無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 15:17:59
越後石高のせときますね
越後本庄  村上義明9万石
越後新発田 溝口秀勝6万石
越後三条  堀直政5万石
越後蔵王  堀親良4万石
越後春日山 堀秀治30万石
越後坂戸  堀直寄5万石
越後国内  近藤重勝1万石
合計    60万石
556無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 18:08:54
あの、すいません、
西軍が勝ったときの人事や恩賞etcのお話はどこに行ったのですか?
557無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 20:51:56
毛利:周防、長門、石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、安芸、備後
   豊前、伊予、備中半国、豊後半国
小早川:筑前、播磨
立花:筑後
鍋島:肥前
小西:肥後
島津:薩摩、大隅、日向半国
蜂須賀:阿波、淡路
生駒:讃岐
長曽我部:土佐、日向半国
増田:大和、伊賀
石田:近江半国
大谷:越前半国
京極:近江半国
木下:若狭
前田:加賀、能登、越中
上杉:越後、佐渡、出羽半国、陸奥半国
真田:信濃半国:上野半国
加藤:上野半国
福島:駿河
浅野:甲斐半国
徳川:安房、上総
宇喜多:備前、美作、武蔵、備中半国
長束:紀伊、和泉
佐竹:常陸、下野
赤松:但馬
織田:美濃、尾張
田中:三河
558無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 22:36:37
>>548
秋田実季・戸沢政盛・最上義光は東軍側だから東軍側大名に対する処罰の時点で
改易対象だろ。
各大名に恩賞をばら撒き豊臣家直轄領を増やすためにも潰せる連中は潰しておきたいところ。
559無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 23:13:56
最上潰した上杉に東北の小大名が向かっていくかとなると・・・・・
越後攻めor関東攻めに参戦すれば、所領安堵はあるかと。
上杉に狙われてる・恨まれてる、堀の命運は尽きてるだろうが。
560無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 00:55:51
秋田は言い訳しきれるだろ
戸沢、六郷、最上は絶望的だが
小野寺、由利十二頭はどうすんのかって話になる
561史実では:2006/01/04(水) 03:29:42
東軍
津軽為信  陸奥弘前4.5→4.7万石
南部利直  陸奥盛岡10万石安堵
伊達政宗  陸奥岩出山58.5→60.5万石
戸沢政盛  出羽角館4万石安堵
六郷政乗  出羽仙北0.5→5万石
最上義光  出羽山形24→57万石

西軍
上杉景勝  陸奥会津120→出羽米沢30万石
小野寺義道 出羽横手3.6万石(改易)

その他
松前慶広 不参加   蝦夷松前 安堵
相馬義胤 観望不参加 陸奥中村6万石(改易→政宗のとりなしで安堵)
岩城貞隆 観望不参加 陸奥磐城平12万石→信濃川中島1万石
秋田実季 観望不参加 出羽秋田19万石→常陸宍戸5万石

考える頭がないのでとりあえず置いておきます。
562無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 10:52:36
秋田は観望不参加ってよりは小野寺が明確に西軍(っていうかアンチ最上)だったので
進軍が遅れた。しかし関ヶ原決着前には東軍として行動している
が、最上と徳川の出来レースによって移封という経緯
が、胡散臭いには胡散臭い。伊達と密約も見受けられるし、
西軍勝利の報を得るやそのまま小野寺に合流して西軍として振る舞いどさくさにまぎれて領土拡張するだろう
563無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 12:53:41
伊達、秋田、小野寺が西軍として動いても不思議はないよな。
相馬、岩城は当然上杉の軍門に下るだろうし津軽はとっとと恭順してしまうだろうし
最上、南部、戸沢、六郷はなんやかんやで西軍としての立場表明の生贄として
潰されるか、激戦の果てに条件付降伏で・・
奥羽越はけっこうスムーズに西軍として固められそうだな。おもったより早く沈静化しそう。
564無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 15:00:24
岩城は上杉の軍門に降るも何も元よりこの時点で佐竹のご親族衆ですが。
主家の動きのままに西軍に付くでしょ。
565無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 15:32:17
相馬は佐竹の与力大名っと
でもって上杉氏に通じていて、
供奉延引の勘気による領地接収。
佐竹・岩城・相馬はまとめて考えれば?
このへん婚姻関係多いからな
566無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 17:12:44
阿波の蜂須賀は豊家に領地を返上していたから、
そのまま、蜂須賀を直臣にすればいい
567無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 19:40:34
蜂須賀のような宿老を取りつぶしたら、反発が大きいぞ。
568無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 19:34:51
 というか野心を逞しくするであろう長曽我部を抑え大阪への防壁にする
観点からも蜂須賀は所領安堵が妥当だろうな。
それが無理なら蜂須賀は、どこかへ転封して
阿波は小早川秀秋の関白代行としての賄領にするか
569名無し武将:2006/01/05(木) 19:56:49
>>543
吉川が動いたら勝利?
南宮の兵力は合計で2万8千(しかも長宋我部はかなり後方)
対する東軍は池田・浅野など合計1万2千
それらを相手にした後で家康の本体3万を叩けるか?という疑問
570無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 20:01:45
>569
>>543の仮定では、吉川が動いて、小早川も動く、と言う仮定でしょ。
南宮山方面のみを見れば、おっしゃる通りだが、小早川も動くとなれば、吉川の動きも大きいものになるよ。

571名無し武将:2006/01/05(木) 20:31:10
>>570 しかしながら、小早川に対して家康本体の1万が当たり、南宮山部隊に対して
2万の援軍をやれば、はたしてどうなるでしょう?
自分は、よくて戦線膠着、悪ければ、南宮山部隊が逆に押し返されるとも考えられます。
東軍で最も脅威なのは徳川3万だと思います。
皆さんはあまりそれに触れないようですが・・・・
572無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 20:37:50
>>571
まぁそこに触れる必要はないでしょ。このスレはあくまで勝った後の話なので。
関ケ原に関しては他にスレがあるし。
もし議論するとすれば、その3万が撃破されての勝利か温存のままの勝利か。
それによって戦後にどのような影響があるか。
573無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 20:39:04
>571
そんな簡単に都合よく万単位で部隊を分割出来るかね?
しかも狭いエリアでの合戦中にさ。
まず、分割までに時間がかかる。この間、混乱もするだろう。
その上、先に動くのは西軍。東軍は後手後手に回るし。

家康直属部隊は3万の規模があっての脅威ってのもあるし。


574名無し武将:2006/01/05(木) 20:45:12
>>571に補足です。
徳川本隊を小西・島津・石田に当てたら、とても西軍が耐えられるとは思えません。
石田+島津+小西=1万3千
黒田+細川+加藤+筒井+田中+井伊+松平+本多+織田+金森+古田+生駒
+寺沢+徳川本隊=6万6千 兵力差5万3千
完敗ですね
575無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 20:50:01
>571=574
都合の良いトコだけ取り上げちゃいかんよ。
前提として、南宮山の西軍が動き、小早川も動くってんだから。
南西、南東の西軍が動いてるのに、徳川本隊を一方面に投入しちゃうのかい?
そもそも、君は、徳川を2万&1万に分割して、小早川、毛利にぶつけると言ってるのだけど。
576無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 20:53:24
長曽我部のことも忘れないでください・・・
577無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 21:01:57
>>571
この辺りは日本史板の関ヶ原スレでも散々議論になってたよ。
573氏の言うように規模としての脅威と家康その人の存在こそが関ヶ原徳川勢最大の
武器だ。
南宮山に当たる2万余は誰が率いるのか?これだけの軍勢を手足の如く動かすのに
家康は別働の1万を率いるという状況は厳しい。数千石以下の旗本諸勢の寄り合い
所帯の軍勢に『存在するという威圧感』以外の任務、それも家康の直率を離れての
攻勢任務は相当無理がありそうだ。
578無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 21:04:37
>>569
赤坂にも、中村や堀尾など一万三千ほどが居るからな。
南宮山方面の東軍は実質二万六千ほど。
ただし西軍も、赤坂の背後を衝く位置の大垣城に、福原などの九州勢
七千五百が居る。
579無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 21:06:47
>>574
オイオイ、石田・島津・小西の陣にはすでに東軍前衛がひしめき合ってる状況。
ここに家康直率の3万もの大軍が前衛を押し退けて進軍したら東軍大混乱だぞw
単純な数字の比較じゃ如何にもアレだろう。
580無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 21:28:32
スレずれてきてるぞ。
581無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 21:46:38
>>580
妥当だろ。西軍の勝利がどのような状況に於いて達成されたかによって、
恩賞の内容が変わってくる。
582無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 21:50:29
いや、そういう感じではなく関が原においての戦術論になりつつあるぞ。
もともとIFなんだから状況をそこまで追求しても意味がないと思う。
583無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 01:40:06
ぶっちゃけ、三方から同等以上の軍団攻められたら、信玄だろうが、謙信だろうが、
大敗間違いなしかと。
兵ってのは、結構簡単に潰走してしまうものですし。
584無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 07:10:07
>583
基本的にはそうだろうが、個々の状況を無視して語るのも適当でないかと。

三成軍の方面に徳川3万余を投入したら、>>579氏の状況も起きるし、小早川、毛利等が動いてる状況で、徳川3万余を正面だけに投入出来るのか、と言う部分もある。
特に小早川が突っ込んでくれば、まず、宇喜多隊と激戦中の福島隊が持たない。
そうすると宇喜多1,6万+小早川1.3万が自由に動ける。それに朽木とかも、引きずられて参戦するだろうし。大谷とかも攻勢に出れるだろう。
585無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 08:21:29
徳川息子軍を撃破して真田が関ヶ原に着たらよかった
586無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 08:52:18
>>583
いやだから貴方の言うのは数字の比較だけであって、戦闘全般の総合的な意味での
仮説になってない。関ヶ原という「戦場」というロケーションが全く要素として加味
せずに「3倍の敵勢云々」というのは、やや横暴な推論。
関ヶ原自体が双方合計十万以上の軍勢が戦闘するにはそれほど広くはない。
既に黒田・細川・加藤・田中らが東軍先鋒の内、主に石田陣を指向して布陣。更に
その後方に次鋒として織田有楽・金森・古田・生駒らが布陣しており、これらも主に
石田陣への備えだ。既にこれだけでも十分運動戦は行え得ないほど過密な状況にある。
ここに徳川本陣3万もの大軍がどこにどうやって前進するのか?
加えて石田陣は笹尾山という丘陵地帯に簡単ではあるが防護柵を設けて布陣しており、
東軍からみて石田陣右手は森林で部隊展開不可能で、左手側面は豊臣黄母帆衆及び
島津勢が布陣しており、史実でさえ小早川裏切りまでは東軍先鋒・二之陣の諸勢では
破られていない。
このような超過密な東軍諸勢に石田陣より大筒が撃ち込まれたら被害甚大なうえ、
諸勢入り乱れすぎて、もはや軍勢として体を為さない状態になろう。
撤退や退陣してききた味方の軍勢に隊列を乱されて壊乱することは非常に多い上に
軍勢の指揮において最も忌避しなくてはいけない状態の一つ。
このような家康+東軍諸勢が石田陣に指向して前進しようとするのは「東軍にとって
危険な状況」を生み出しかねない上に『物理的に展開不可能』だという事を考察して
頂きたい。
長くなったが、総合的な視野の無い単なる「足し算」ではどのような意味でも推論
足り得まい。
587無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 09:29:41
徳川本軍は急造の兵ばかりで主力は息子軍だから
数が多くてもそれほどの脅威にはならないと思うが。
588無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 09:52:15
徳川軍は家康の意向と数だけが頼りだから、参戦したら案外もろいかも。
そもそも徳川軍は小田原攻め以来の戦で、元亀・天正の頃の強さがあるか疑問。
589無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 10:00:50
総大将石田が、病気になり、そして福島正則に一通の書状が
「私はもう駄目だ。 これまでの事を水に流し、幼君秀頼公を守り立ててほしい」

福島正則が島左近とタッぐを組んで大暴れ! という小説を昔思いついたが
実現性ゼロだと気が付いた大昔…
590無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 10:08:06
だからさ、アンタ等がif小説を書くんなら良いけど、ここで細かい戦況を想定しても誰も納得できないからムダだって。
立証できないんだし。>>1の出した簡単な条件じゃないと収拾つかんて。
「俺ならコイツはこんだけ減封、ヤツは加増して領地ココ。」って感じで良いんじゃない。
591無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 10:10:18
スレまで立ててないんだから怒らなくてもいいじゃんかw
石田三成がいない場合の西軍とか、if考えるのも面白いんだし
592590:2006/01/06(金) 10:20:57
>>591
別に怒ってるんじゃないんだ。>>588以前のはもう別の関ヶ原板でやってもらいたいだけなんだ。
ちなみに>>589系のネタ、俺は好き。
正則の「……佐吉〜!!」て感じが。
593無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 12:16:56
なんか変わった奴がいるな.
588以前は別のスレでやれとは正月早々なかなかのゴーインさだw
そんなに認められない内容なら御自分で新スレ立てたら?
594無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 16:33:32
誰もそんな風に言ってないのになんでそんなことを突然言い出すの??
もしかして588君かい?
595無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 18:39:45
いいや。君は誰?
596無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 20:23:57
あなたはそこにいますか?
597無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:20:09
毛利:周防、長門、石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、安芸、備後
   豊前、伊予、備中半国、豊後半国
小早川:筑前、播磨
宇喜多:備前、美作、武蔵、備中半国
佐竹:常陸、下野
上杉:越後、佐渡、出羽半国、陸奥半国
真田:信濃半国:上野半国
立花:筑後
鍋島:肥前
小西:肥後
島津:薩摩、大隅、日向半国
蜂須賀:阿波、淡路
赤松:但馬
織田:美濃、尾張
生駒:讃岐
長曽我部:土佐、日向半国
増田:大和、伊賀
石田:近江半国
青木:越前半国
大谷:越前半国
京極:近江四半国
長束:近江四半国
木下:若狭
前田:加賀、能登、越中
福島:駿河
浅野:甲斐半国
徳川:安房、上総
田中:三河
加藤(清正):おむすび三個
598無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:24:37
>>598
福島正則:ふんどし一本
599無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:32:49
>>598
一日あたり、おむすび三個という意味なので
一人扶持弱
600無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:34:28
細川:茶碗一個
601無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:40:42
毛利:周防、長門、石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、安芸、備後
   豊前、伊予、備中半国、豊後半国
小早川:筑前、播磨
佐竹:常陸、下野
上杉:越後、佐渡、出羽半国、陸奥半国
真田:信濃半国:上野半国
立花:筑後
鍋島:肥前
小西:肥後
島津:薩摩、大隅、日向半国
蜂須賀:阿波、淡路
赤松:但馬
織田:美濃、尾張
生駒:讃岐
長曽我部:土佐、日向半国
増田:大和、伊賀
石田:近江半国
青木:越前半国
大谷:越前半国
京極:近江四半国
長束:近江四半国
木下:若狭
前田:加賀、能登、越中
浅野:甲斐半国
徳川:安房、上総
田中:三河
加藤(清正):おむすび三個
細川:茶碗一個
福島:チョン半島
宇喜多:備前、美作、武蔵、備中半国、八丈島(八郎島への改名特典付き)
602無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:42:23
徳川:西方浄土
603無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 22:16:51
出羽半国で陸奥半国って……飛び地?
604無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 04:21:59
蜂須賀とか生駒とか東軍だろ
605無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 05:29:06
>>604
両属。
前田、真田、九鬼、鍋島などと同じ。
606名無し武将:2006/01/07(土) 10:06:44
東軍加担大名=全員、市中引き回し→鋸引き
607無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 13:13:14
大相撲も西のほうが東よりも格付け上になるんだろうか
608名無し武将:2006/01/07(土) 14:08:30
小早川+毛利家も全員打ち首
609無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 14:30:59
>>603
出羽半国→羽前(現山形県)
陸奥半国→岩城・岩代・陸前(現福島県と宮城県)

とおもわれ
610無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 16:12:56
与えすぎじゃないか?
611無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 19:58:47
平塚因幡守為広5万石泣ける。
612無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 20:15:21
>>611
平塚為広は激闘の最中に名誉の戦死を遂げて、断絶だな。
613無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 20:49:23
>>611
この5万石とは>>468の論功行賞についてだと思いますが、元々平塚因幡守為広は
所領1万2千石だったので約4倍の大幅加増です。
為広に10万石とかの所領を加増すると他の大名には破格の加増を要求されかねず、
この辺りが妥当かと思います。
家康・忠勝・井伊や大名クラスの首級を上げていれば、或いは10万石に近い加増も
ないとは言えません。
614無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 21:11:35
 そろそろこの点で考察する必要あると思うので・・一言
官位はどうするんだ???
 
 勝利した西軍のというか三成たちの重要課題は
 豊臣家が天下人なのは公家官位に頼っているが
秀頼の場合武家としての主従関係でかろうじて己の立場を保ってるに過ぎない点。
 とりあえず関白になるのは年齢的に無理だが秀頼をもってなんらかの公的権威を
与えておかないと政権の性格が曖昧で、家康に付け入る隙を与えた事実でも明らかだろ。
 小早川秀秋を関白にする恩賞を主張する香具師もいるからなおさら
秀頼を秀秋より格上とする公式な立場をもたせる必要性が最重要課題だと思うのだが・・

恩賞には所領だけじゃなく官位という手もあるんじゃないか?
漏れも官位にもうちょっと詳しければな・・

でも例えば去就曖昧に近かったが一応西軍として行動したとせざるをえない
例えば佐竹とか長束、増田とかは所領ではなく官位といった名誉を恩典に与えるに
留めるとか言う形の温床もありかと思うのだが・・

615無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 22:10:56
効果はある程度あると思うが、補完的な効果ではないか。
徳川幕府においては幕閣に参画するほどの譜代大名ならともかく一般の大名には
所領加増の可能性は殆どないなかでさえ、各大名家の官位はほぼ先代の官位に準ずる叙爵
しかない。つまり『所領≒官位≒大名の格』という不文律が高家などを除いて
武家階級に存在していたと言えるのではないかと考える。
織豊時代後期にあっても四位以上の叙爵は権力者の一門か、大領土を持つ大名に限られた
ものだから、所領とバランスの取れない官位はどうかな、とは思う。

余談ながら
名束正家…大蔵大輔(正五位下)…所領5万石
石田三成…治部少輔(従五位下)…所領19万4千石
増田長盛…右衛門尉(従六位上?)…所領20万石

上記三名は共に太閤配下の奉行衆なのは言ううまでもないが、所領と官位は
バランスがとれておらず興味ぶかい。
この辺りに詳しい方がいらっしゃれば良いのだが…。
616無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:20:20
誰(主君にあたるべき存在)が配下の官位を、
どういう意向で、どの程度の官位を与えていくのかということに関連してくるような気がしてくる
そこに、所領と官位のアンバランスが生じてくるのではないかと・・・
617無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:30:12
淀君の影響を潰さないと秀頼政権の安定化できないけど、
何かいい案あるかい?

伊達政宗公みたいにするしかないのかなあ。片倉小十郎役いないけど・・・
618無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:33:14
>>617
母上、亡き父上(秀吉)の菩提を弔っていただきたく、出家なされてはいかが?
的な意見を淀が聞くはずもないので、毒を盛るくらいしかないと思うが・・・
誰か良案ある?
619無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:41:22
上杉は会津から、越後・越中と出羽半国。
前田は利政家督で加賀・能登。
伊達は米沢30万石に減封。

上杉は希望通り旧領へ。
前田はさすがに所領安堵は無理。
伊達は所領半減させ、温情で旧領へ戻してやる。
620無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:49:49
>618
出家しても大坂城に居座りそうだしな。
621無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 00:07:35
伊達を米沢に戻して、上杉に出羽半国って
歪な形の領土になんないか?
622無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 00:14:49
>>620
だれか有力大名と再婚・・・は無理かな?
623無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 00:35:44
大野治長と再婚させてやれ
624無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 00:50:02
大野だと線が細い。またぞろ政治に干渉してくると思う。
武断派で淀君とやれそうなの居ないかねえ
625無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 05:30:41
無理だろ。ただでさえ信長の姪でダンナは関白だろ。
見合うのって、あと天皇しかおらんぞ。
626無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 05:33:02
627無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 09:30:35
>>614
武家の官位について語りたいんなら、ここが参考になるよ。
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/

ただ、>>615も言っているように、恩賞を官位で与えるっていうのは
補助的な役割でしかないだろうな。
あくまでも武士は土地が基本だから。
628無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 11:20:22
>12
小早川秀秋を含めたら毛利家は合計330万石、実質的には天下人ですな。
629無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 17:44:00
なんで含める必要があるの?
630無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 18:10:20
>>629
小早川秀秋の女房は毛利輝元の娘であり、小早川家での秀秋の兄弟に相当するのが
毛利一門の小早川秀包
豊臣政権が継続して、その重鎮としての大毛利と名門小早川だったとしたら
秀秋になんかあった際に小早川の名跡と石高はそっくりそのまま秀包か
輝元の外孫に継承されていくでしょうから含めて不都合はないかと。
631無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 18:19:10
>>625
秀頼の兄弟になる人物を生んでもらうって点ではいいかと思う。
なにげに淀殿を大阪城の外に吐き出す効果もあるしな。
ただ淀殿は肥満女といわれているからデブ專後家好みという
非常に偏った趣味の持ち主でないとなー

>>617
淀殿個人が政治に口出ししすぎてどうこうというのは、実際はあまりないので
はないかと思う。
むしろ淀殿周辺の大蔵卿局とかいう女の徒党が淀殿の威を借りのさばるのが
問題なだけであって。
632無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 19:19:35
 上杉は越後一国+最上領加増(+70強?)、但し佐渡・庄内は収公(−20?)
 前田は越中・能登(60〜70万石)
 伊達は上杉とも一応早期に講和してるし、西軍勝利なら多少の戦功はあげそう
上杉牽制にもなるんで本領安堵
 佐竹は下総(但し結城領10万石を除く)加増
 徳川は完全につぶすのは大変だし浪人問題も起きるんで結城家とは別に
無害な地(伯耆か秋田あたりに20万石)を残す。
 空白の関東は・・・やはり宇喜多か、あるいは石田を送り込む
石田なら武蔵1国、宇喜多なら+相模1国、上野半国で100万石
633無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 11:45:21
秀頼って、どういう感じの人なの?
淀殿の話ばかり聞くけど
634無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 12:38:46
>>633
スポイルされて駄目になった典型例かと。
秀吉のもうすこし壮年期の時の子供だったらなあ
635名無し武将:2006/01/09(月) 13:47:15
上杉家を旧領・越後に移したら、減封にならない?
越後ってせいぜい40万石しかないですぞ。いくら希望でも減封に変わりはない。
636無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 14:30:27
皆さん、今川氏真にも領地を分けてあげてください(><)
世が世なればサッカー日本代表のエースストライカーだった男です。
よろしくお願いします。なお、本人は控えめに駿河一国を所望しております。
637無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 14:39:13
秀頼が20代の頃の子供で、
秀吉と当時の側近がしっかり育てていれば、
歴史は間違いなく変わっただろうな。
638無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 14:46:18
20代のときの子ならねねの腹だからきちんと育っただろうね。
福島正則や加藤清正たちの忠誠度もすこぶる高くなるだろうし。
秀吉は女好きだったのに生殖能力が低かったのがいかんね。
639名無し武将:2006/01/09(月) 16:48:29
>>637-638 秀吉が20代の時の子なら関ヶ原の頃は40代かな
だったらかなり壮年だから家康も立てないな
640名無し武将:2006/01/09(月) 16:50:18
秀吉に子が無かったらどうなってただろう?
641無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:48:49
小早川秀秋がほんものの息子になってる悪寒・・・
毛利が史実よりも300年も早く日本統一
642名無し武将:2006/01/09(月) 18:07:51
小早川秀秋って武断派なのか文治派?
643無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 18:15:59
小早川と小西を反対に布陣させる手段は無かったのか?
644名無し武将:2006/01/09(月) 18:59:20
>>643 小早川秀秋は強引に松尾山を占拠してるから無理だね。
もしそうなってたら、天満山に小早川1万5千と宇喜多1万7千だからかなりの
大軍になる。そして松尾山の小西4千が山を下って藤堂の横をつく
645無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:01:32
>>644
だから、事前に三成が秀秋を説得できなかったのかということだよ
646名無し武将:2006/01/09(月) 19:07:04
>>645 まあ、そういうことだね。しかし、大谷形部に占拠させておけばなんとか
なったかも・・・・
647無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:20:50
>>646
なぜ、大谷形部に占拠させておけばなんとか
なったと思うのだ?
648無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:25:38
小早川は15000も兵力ないと思われる。
筑前名島30余万石(35万石説もある)では頑張って10000というところ。
留守居の兵も考えたら8000程度が関ヶ原の実兵力だろう。
15000説は何度も書かれてるが、旧軍の戦史研究の際のミス説有力。
関ヶ原戦後の所領が備前岡山51万石でる事から考えて、関ヶ原での戦力が15000なら
加増は殆ど無かったという事になりかねない。
649名無し武将:2006/01/09(月) 19:29:02
大谷吉継・平塚為広・脇坂安治などの北陸方面軍は早くから関ヶ原に着陣していたので、
小早川秀秋が松尾山に陣取る前にいたわけだ。つまり、大谷吉継ら9千に松尾山を占拠
させておけば、小早川は麓に陣取るしかない。
650名無し武将:2006/01/09(月) 19:32:14
>>>>
648 石高からして1万5千は無理だと思っていましたが、やはりそうでしたか
651備前宰相:2006/01/09(月) 19:35:04
みんな恩賞で頭を悩ませとるようだが、結局のところ大名連合政権に変わりはない。
よって、ヴェネチアやローマのように寡頭制に移項したらどうだろう。
1万石以上に所領を持つ武士を集めた元老院を開設し、立法機能をもたせる。
国家元首として秀頼と天皇を立て、元老院と元首の任命のもとに政府首班を選出する。
改易された大名の所領は全て豊臣直轄領として、中央集権を強める一方、全国大名を
政治に参画させることで、近代国家を建設可能ではないだろうか?
652無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:43:59
ただ、島原の乱の時の小倉・小笠原の動員が8000人(約17万石)
って例もあるから動員数に関しては一概に言えんけどな。
653648:2006/01/09(月) 19:47:59
>>650
もっとも結局のところは兵力は推定算出によるものなので何とも難しいところですね。
立花宗茂などは功名心もあって4000近い動員を掛けていて1万石あたり3人に近い
動員兵力だったといわれていますしね。
本拠地の篭城戦なんかでは根こそぎの動員をかけますので実勢石高以上の動員は
あります。また太閤検地によって確度は上がったとはいえ、公称石高と実勢石高に
差があることもあり、この場合も表高以上の動員可能でしょう。
スレ違いすいませんでした。
654名無し武将:2006/01/09(月) 19:56:17
小西行長は西軍首脳で20万石なのに4000人しか連れてきていない。功名心はあった筈なのに。
同じ20万石の石田三成は6000なのに
655無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:57:07
>>648
ん?
それは一万石で250人という、旧来の算出方法でだした数字じゃね?
実際には500人600人動員した例があり。
(朝鮮出兵では、最高1000人越えたところもある)
だから一万五千という数字は決して無理な数字じゃないぞ。
金があるなら浪人を雇えば、それこそ石高を無視した動員は可能。

つかその算出方法なら、家康の三万も怪しい。
徳川は、秀忠にまかせた別働隊が3万。(徳川だけじゃないが)
秀康にも上杉への抑えとして、(詳しい数字はしらんが)万単位置いていたそうだし、
関東には一族あわせれば、80万石はある佐竹が西軍におり、
空っぽには当然出来ない。
656無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 20:02:48
動員は無理して金かけりゃ何とかなる範囲だろ。
ただ家の財政が傾くくらいのレベルだから、小早川にそこまで無理したい、しなければならない理由があるならの話じゃないか?
657無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 20:08:47
>>654
小西はすぐそばに清正が未出兵でいるし2000ほどの守兵を一族のものを大将として
残しているから関ヶ原は4000程度で問題なかろう。となりに清正がひかえてたら
誰でも空家にして出兵せんと思うが。
>>655
金があれば何人でも雇えるって言い出したら切りがないよ。あくまで常識的な推測の
範疇で考えてって事。
個人的な意見で言わせてもらえば東西の間をフラフラしてた金吾が通常動員の倍近い
やる気マンマンどころか本城篭城以上の動員率ではるばる筑前から遠征してくるとは
正直思えないね。
そう言う意味では>>656氏ではないが客観的に見て金吾にそれだけの戦意と覚悟が
あったという片鱗さえ見つけることができないのでまぁ八千程度というのが妥当だろう。
658無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 20:19:52
659名無し武将:2006/01/09(月) 20:37:18
>>655 頑張っても1万石あたり1000は無理でしょう。
最高でも500限界 朝鮮出兵のときは、1万石あたり約400〜500の動員だった
660名無し武将:2006/01/09(月) 20:40:21
657に同意です。金吾中納言がそんな無理して兵を動員するくらいだったら。
治部少輔や備前中納言はあり金全てつかって浪人集めるよ。
それに所領も関ヶ原に近いし、大老と奉行だから財政も他の大名と比べたら余裕あると
思われるし
661無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:39:09
>>657
その従来言われる、一万五千を否定して、
妥当なのが八千程度というなら、根拠を示して欲しいのだが、
そして頑張っても無理って意見があれば、否定するよ。
別に無理な話じゃないし、可能性は結構あるわけだから。
>>659
いや、実際にレアなケースだがそういう例が残っている。
勿論例外中の例外だろうが、
そして海を渡った朝鮮出兵でさえ、九州、中国の大名は4、500人あたりの出兵を押しつけられたわけで、
関ヶ原にそれと同等の兵力を投入しても不思議じゃない。
同じくあまりやる気のなかった毛利でも、10万石ほど借金してまできているわけだしね。

そして当時の石高は賦役を嫌ったから、過少評価したという疑いが残る。
太閤検地と、江戸時代初期の石高では大きな差がある。
(畿内は殆ど変わらないが、地方は差が大きく、土佐なんか2、5倍になってる)
つまり実際の国力は表高以上に隠しもっているってこと。
662無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 00:34:48
>>661
でもさ、一体どんな根拠で小早川が領国経営を破綻させるほどの動員させるっての?
豊臣の興廃この一戦にありって位の意気込みが宇喜多並に金吾君にあったならわかるよ。
動員って簡単に言ってるけどこりゃ大変な問題だよ。たとえばある企業が通常業務を
支障なく、且つ十分な利益を確保できる水準の雇用態勢を大幅な雇用を実施すれば
短期的に営業力とかマンパワーは確保されるけどB/Sはズタボロだぜw
そうした領国経営を破綻させる動員はよほどの理想主義者か乾坤一擲の博打しか
あり得ない。例えれば太平洋戦争初期の真珠湾作戦と同じだ。失敗したら取り返しが
つかない。無論失敗すれば即ミッドウェーだよ。
三成や宇喜多がそうした動員を行うなら政治的背景から理解出来るが、金吾では
どうだろうか。

朝鮮出兵時は太閤の権力の盛んなときであり誰も逆らえない。まして九州の諸将は
いわば先手衆としての義務を負わされており必然的に動員率も高い。先手大将の
清正・小西の2将が九州に所領を得たのは偶然ではない。
こうした特殊要因と権力闘争の当人ではない大名達の日本国内の合戦時の動員率を
単純に比較するのは些か公平を欠きをすまいか。
663無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 04:17:14
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/l50
今の議論は↑のスレでやるべきだと思うが
664636:2006/01/10(火) 04:59:59
あのー今川氏真・・・
665無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 05:24:40
つか、そもそも石高による動員力は、後世に関ヶ原での動員数より算出されたわけで・・・
666無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 05:45:46
維新は徳川、黒田主体でやるのかな
667無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 11:31:47
>>662
ちょっとまて、これで勝ち組につく、さらに功績でもたてれば、
一気に倍の石高になったり、重職につくこともありうるわけだぞ。
ここで賭けても、なんら不自然な話じゃない、
そして秀秋の事情を見る限り、大軍を投入してもおかしくないぞ。

>支障なく、且つ十分な利益を確保できる水準の雇用態勢を大幅な雇用を実施すれば

浪人や一時的な徴兵である可能性が考慮される
派遣や契約社員、年末年始に短期のパートを一時的に雇っただけともいえる。
よくある話で、これまた珍しくもない。
浪人雇って、近隣国に攻めこんだ例もあるしな。
668無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 13:34:01
西軍が勝ったとして、誰が仕切れるの?
669無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 14:28:49
>>668
天草四郎
670無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:22:09
>>667
 >そして秀秋の事情を見る限り、大軍を投入してもおかしくないぞ

だからさ、金吾君がそんなにやる気マンマンならさ、西軍か東軍に旗幟鮮明にして
突撃するんじゃないかな、朝鮮の時みたくね。
でも史実は伏見城攻めたり、伊勢攻略したと思ったら途中から言う事聞かなくなったり
気持ちはフラフラ動揺しまくりだ。
その程度の覚悟のアンチャンが通常の倍の動員という一藩の財政を傾ける博打を打つ
気概があるのか?
小早川勢の動きと、財政傾けるほどの動員は全く結びつかないとおもうが。

ついでに言っとくと、15000動員ってのは年末にバイト君をちょいと増やすのとは
訳が違うぞ。正社員の数倍のバイトを一気に雇用して九州から会津(途中で関ヶ原に変更)
までコスト負担するんだよ。

金吾程度にこれだけの動員が出来たとしたらもっと切実な立場の宇喜多中納言や石田三成、
そして徳川家康はなぜあの程度の動員で戦おうとしたのか。
矛盾すると思うよ。
671無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:43:22
金吾は屈指の商業都市を抱える筑前だからなー石高以上に財政的余力はありそうだけどね。
672無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:54:32
>>670
小早川は伊勢攻略戦には参加してない
鈴鹿峠でUターンして近江守山にその後に高宮にそれから美濃入りしてる
673無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 21:00:37
>>654
小西行長は肥後宇土十四万五千二百石です 
674無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:00:53
柏原に来た時、秀秋は8千の兵と手元の本に書いてあります。
家柄や兵数からすれば宇喜多秀家は第一にあげる人物だが、
秀元、秀秋の二人の勢力が彼の勢力と伯仲していたともあります。

1万5千だと途中で増えたってことでしょうか?
大谷隊のように寄り合いで兵増え?
7万9千を10万と称していたから増やされた?

伏見あたりから怪しい行動で、吉継が抑えれる兵力から考えて
8千あたりならありそうですが、1万5千だとすると、抑えれると
思うものでしょうか?
本能寺以後の知識薄いので詳しい人教えてください。
675名無し武将:2006/01/10(火) 22:07:52
やる気満々の宇喜多中納言と石田治部少輔は無理動員しなかったの?
この二人(特に宇喜多中納言)は決起者なので例外中の例外である1万石につき1000人
動員してもおかしくない。その上大老だから大きな借金してでも動員すべきだ。
676無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:10:54
>675
少なくとも石田は無理動員の模様。
677無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:44:17
宇喜多はお家騒動で主だった重臣達に離反されてしまい、関ヶ原では18,000の人数を生かしきれず
6,000の福島すら潰せなかった。
下っ端ばかり増やしても同じことだわな。指揮官クラスも本来の倍必要になる。
それに関ヶ原にはもう空きスペースもないかと。
そもそも財政破綻してる宇喜多に倍の兵力かき集めるなんてできるのか。
678無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:45:32
>>676
らしいね。
三成は大坂で謁見した淀に対し、手もちの金(軍資金)が尽きたことを
正直に語っていたようだよ
679無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:52:23
>>674
参謀本部が、江戸時代の福岡藩の石高に、勝手に三人役を課しただけです。
680無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:22:31
>>674
 
 648 :無名武将@お腹せっぷく :2006/01/09(月) 19:25:38
 小早川は15000も兵力ないと思われる。
 筑前名島30余万石(35万石説もある)では頑張って10000というところ。
 留守居の兵も考えたら8000程度が関ヶ原の実兵力だろう。
 15000説は何度も書かれてるが、旧軍の戦史研究の際のミス説有力。
関ヶ原戦後の所領が備前岡山51万石でる事から考えて、関ヶ原での戦力が15000なら
加増は殆ど無かったという事になりかねない。
681無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:30:41
>>671
博多って堺と同じで豊臣直轄じゃないの?
682無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 00:48:11

大谷吉継 5.0万石 1,500人
木下頼継 2.5万石 750人
平塚為広 1.2万石 360人
戸田重政 1.0万石 300人

大谷軍ってたったこれだけ?
大谷隊だけで3500人ぐらいいなかった?
683無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 01:48:22
大谷だけで3500人もいたら8000程度の小早川なんざ全滅さしてる
684無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 03:19:43
>>682
>大谷吉継隊600、戸田重政・平塚為広隊1500、大谷吉勝・木下頼継隊3500
これが正解
685無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 03:51:29
>>670
旗色が不鮮明なのと、動員にはなんら関係ないが、
どっちにつくか迷っていようと、いや迷っているからこそ、
大軍をもっていき、どっちでも必要とされる必要があるわけだし、
小勢なら、裏切っても対して感謝されない。

ついでに関係ないことだが、年末の臨時のバイトは、正社員の何倍にもなるぞ。
職種にもよるが、年末がかき入れ時のとこは、ちょっとで足りるわけがない。

なお宇喜多も石田も徳川も限界ギリギリだぞ。
例えば徳川の場合、北条氏の旧領に色がついている程度。
そして北条氏が本土決戦で徴兵した兵力は五万強。(15歳から60歳の男子の多くを徴用)
武士とは別個だろうが、半農半武の武士いれたとしても、一万か二万増える程度だろう。
滝川を追い払ったときも五万だったしな。

で、徳川は後方の上杉と佐竹の抑えと、(両国とその一門の国をあわせれば、200万石以上になる)
広い国土の最低限の守護と治安維持の兵力とは別個で、
関ヶ原に家臣や息子を含め、七万近く投入するつもりだった。
なら少なく見積もっても、10万以上は動員していないと厳しい。
10万だとしても、一万石あたり400人という規模。
これは土地の生産力の低い東国ではかなり無理をした数字だよ。
686無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 04:09:02
浪人とか一旗組を畿内とかで徴募してる可能性ってのはないのかな?
687無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 09:46:48
帰農していた旧北条、武田家臣が
伝手を頼って徳川勢に陣借りしていた例はよくあったみたい
大きな戦は仕官のチャンスだった訳だ、数は知らん
688無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 10:08:40
で、そんな連中が二百数十年後、今度は西から来た官軍に尻尾を振ったわけか

東北の人間は一番怒るべきは薩長土肥じゃなくこいつら日和見だと思うんだが。
すれ違いなので消える
689無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 12:16:56
板垣信方の子が、山内勢に陣借りしにきて
戦後、仕官し、そのまま高知に行ったな
690無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 14:07:43
>>684 大谷600人なの?五万石なのに少ないな。
691無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 14:10:58
秋田の人間なので、ロクに恩賞くれなかった薩長土肥が嫌いです
佐竹も三春秋田もちゃっかり官軍だもんな
恨みとはおそろし
692無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 19:09:38
>>690
大谷ら北陸道の西軍は前田への抑えも置いてきたから少ないんじゃないか。
木下と吉勝が3500ってのは良く目にする数字だが根拠はなんだろね?蔵入地代官やって
たから、その資金流用ってのはどこかで見た仮説だが、実際のところどうなんだろう。
693無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 19:11:47
 こういってはなんだが、どんどこスレが方向違いにむかっているな・・
宇喜多秀家&石田三成はそうとうな大幅加増は間違いないな。
ただ指揮官クラスの人材確保がかなり必要なので
おそらく徳川系を含む旧東軍系の人材をかなり雇用しそうだな。
694無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 19:43:33
このスレいいな…関ヶ原後ってのも面白い話だ。
695名無し武将:2006/01/12(木) 00:18:54
恩賞の話に戻るけど。
>>693の言う通り、宇喜多秀家・石田三成の大幅加増は確実です。
新五大老 筆頭・宇喜多秀家 中納言→大納言・豊臣姓に復帰・関東探題として徳川家の領土を受け継ぎ、250万石
     次席・上杉景勝  中納言→大納言・旧領越後に戻る。+元直江領・最上領で120万石(石高に変動がないのは越後復帰が希望だから)
     第三・毛利輝元  120万石+元宇喜多領を加増で170万石
     第四・小早川秀秋 35万石+元黒田領・鍋島の筑後半国で70万石 豊臣姓に復帰 関白就任
     第五・石田三成(兼務) 中納言に昇進・近江全国で78万石 
五奉行
     行政・石田三成(兼務)
     財政・長束正家  加増?
     土木・大谷吉継  越前全土45万石
     司法・小西行長  元清正領を加増で45万石
     宗教・安国恵瓊  元高虎領を加増で20万石
    
696名無し武将:2006/01/12(木) 00:37:17
感情的な意見だが、豊臣恩顧の東軍(武断派)って大嫌いだけど。全員斬首決定
それに本気で家康が秀頼の為に戦うと思ってたならかなり馬鹿だな。吉川も家康が
毛利をそのまま存続させてくれるなんて、本気で思ってたな馬鹿としかいえない。
697無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:51:15
吉川は分からんが、豊臣家としては後嗣が若年で不安定この上ない状況だから、家臣同士
の争いとして故意に関与を避けたんだろう。
家康の会津討伐については、ハラに一物あったにせよ、合法的手続きを踏んで豊臣政権
代表として出兵し兵糧・軍資金の下賜もあった。
せめて石田治部が蟄居していなければ何らかの方策もあったかも知れぬが、人物のいない
豊臣としては傍観するほか無かったと見ることも出来るわな。
698無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:11:00
小大名を近畿に集めて。秀頼直属の番方衆を再編成したい
七手組と合併、基本的に大阪在府で
緊急時には、旗本として金の千成瓢箪の先鋒を務める

川尻直次、田丸忠昌、片桐貞隆、青木一矩、木下利房、戸田重政
石川貞清、織田信包、糟谷武則、平塚為広、木下頼継、木下重堅
渡辺糾、郡良列
それと、勲功のあった大名家の分家で


699無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:27:57
>>684
大谷軍全体で5600は多すぎだろ
赤座、脇坂、朽木、小川入れたらほぼ1万の兵になるぞ
こんな大軍に京極や藤堂が突っ込んでいったとは思えない
700名無し武将:2006/01/12(木) 21:39:58
>>699 大谷隊(脇坂・赤座・朽木・小川・大谷・息子・戸田・平塚)は実際に、合計9800になるよ。
脇坂は藤堂を介して内通してるから、藤堂は安心して攻めたのだよ。

701無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 07:31:44
恩賞
小早川秀秋:唐津領を除く筑前一国+松尾山
702無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 07:42:52
>>695
石田の大幅加増はまずない。せいぜい30万石クラス。
事実上の分配役が欲張れば揉める元。
宇喜多が筆頭というのもないし、輝元以上の石高を得るのも無理。
輝元が受け入れても他大名が納得せんだろ。
建前とはいえ大義を掲げておきながらこれじゃ、私利私欲のためと思われる。
事実上の首謀者連中が自分たち中心に加増すれば直後に第二の関ヶ原が起こるよ。
703無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 10:42:44
福島正則に大盤振舞というのはありそう。
豊臣の恩為ということなら、豊臣の力を削ぐような賞罰は出来ないから。
逆に気前よく褒美を与えて、懐柔しようとする。
704無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 10:46:18
なんか300年くらい維新が早まりそうな予感だな
705無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 13:44:01
で、加増はいいが徳川は潰すのかい?
706無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 14:48:17
徳川>陸奥棚倉あたりに一万石
707名無し武将:2006/01/13(金) 22:27:08
>>702 しかしながら、最大功労者級の大名(石田三成・宇喜多秀家・小西行長・大谷吉継)
を30万石級にとどめるってのは、あまりにも不服だろう。特に三成・秀家
大幅加増はせねばならないでしょう。三成に近江全土78万石は決して多すぎではないでしょう。
708無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 22:34:37
>707
関ヶ原以前は、総大将は毛利です、って形をとってたのに、勝った後は最大の功労者なんで大加増に、なんてなったら、逆に諸侯の不信を買うかもしれないよ。
実質的首謀者で、戦後も主導権をとるべき立場であるならば、後々の事も考慮すると思うが。
709名無し武将:2006/01/13(金) 23:58:49
>>703 しかし・・・・毛利は総大将でありながら、敵に内通していますよ。
それでも主導権を握るなんて・・・あまりにも三成が可愛そう。
710無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 01:01:41
戦後、三成が叩かれないようにするには
自分に薄く、他人に厚くを考えることだろうな
かといって、大老連に力を持たせすぎるのも悪いがな
幼君の下の論功行賞は難しいね
711名無し武将:2006/01/14(土) 01:14:48
皮肉なんだけど、史実のように東軍が勝った場合
石田三成100万石くらいあげようよ。実際徳川幕府最大の功労者は三成なんだしさ(´・ω・`)。
712無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 09:35:51
石田が東軍に、福島が西軍に 小早川は史実と同様に裏切る恐れがある状態で
西軍に

この設定はどうだろう
713無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 09:38:24
毛利が東軍になって、徳川が西軍
714無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 10:27:23
なんか何処かの仮想軍記ものでみた設定だそれ
715無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 12:28:11
家康が戦死するような戦争設定なら最前線で戦ってた福島はそれこそ戦死してるのでは
716無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 13:55:16
勝っても秀家は島流しにしよう。おもしろいし。
怒り狂って南軍として本土に攻めてくるかもしれんが
717無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 14:26:15
恩賞
宇喜多秀家:備前、美作、備中半国安堵。加増 八丈島
小早川秀秋:筑前安堵。加増 松尾山
徳川家康 :駿河、遠江、三河、日光山
福島正則 :川中島
毛利輝元 :長門、周防 (敵に内通の咎で減封) 
718無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 15:51:59
ワロス・・だけど家康っておま・・、どういう戦いでそうなるんだ
719無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 16:14:59
毛利の減封は吉川広家の処断により、相殺されたりして・・・
つまり、吉川は毛利本家から捨てられるというわけなんだが
720無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 17:31:15
>>709
毛利は内通してないだろ。内通したのは広家。
そして、三成と共に首謀者として西軍を組織したのは毛利の外交僧恵けいであり、
西軍にあれだけの大名が加わったのは西国の仕置きを任されていた輝元が形なりにも総大将になったから。
ある意味、西軍の存在においては最大功労者といえる。
721無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 18:10:24
恩賞
石田三成:増田長盛の証言により、東軍内通が発覚。改易。
722無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 20:24:18
 石田や宇喜多が石高を欲張るのは問題かもしれないが、やはり結構な
石高加増はガチだらう。
 関が原での状況を見るに逆に宇喜多秀家、石田三成、大谷吉継、真田昌幸
は大幅加増になったとしても、みなやむをえないと思うだろう。
特に毛利は、確かに>>720のいうとおりだが、労せずして漁夫の利を得ようとしていた
のは明白だし、そんなことで文句をいってはやぶへびになる恐れがあるだろう。

 それに淀殿、大阪城の幹部連中、島津、小早川秀秋、安国寺、吉川、佐竹、
上杉、伊達(西軍に寝返ったとして)小西、増田、鍋島・・
だれも、とっている行動からして上記のメンバーの加増に文句をいえる立場じゃない罠。
これだけの顔ぶれが、やましいところがあるのだから

723無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 20:41:10
 逆にいえば石高加増のネックは三成の奉行復帰ができるかどうかなんだよな・・
恐らく西軍が勝利しても三成は奉行への復職は無理と思われる。
彼の復帰はそれこそいらぬ混乱(三成嫌いを家康加担への名文にした連中とかいるし)を
呼びかねんし、彼が西軍首謀者(企画立案は別として実行段階ではほとんど参加してない)
といいかねる面もあるので

三成の奉行職はなし・・その代わり豊臣家の家宰という立場になればいいのではと思う。
実際豊臣家の家中を取り仕切る顔ぶれに人物はいないしな・・三成クラスの人物が
豊臣家の取り仕切りと、
上になんぼかあるように畿内を小禄大名で固めて豊臣家の旗本化しようとか
直轄軍を整えたり直轄地の大幅増加後の整備といった対応をやらせていくのが良いと思う。

西軍勝利でも名誉だけの豊臣家(秀頼)と実務を握る豊臣政権(秀秋や秀家)とに
当分分裂するのは明らかだし、関が原で活躍した顔ぶれのうち
宇喜多は実務を握る豊臣政権
三成は名誉だけの豊臣家
に分かれて連携していくのがベターな気がする。
実際問題、淀殿が政治にしゃしゃり出る悪女イメージが強いが実際はせっぱつまって
いった最末期の行状を誇大に悪解釈した徳川史観だと思うので
関が原で忠節を明らかにした三成をすんなり豊臣家代理として差配させる気もする。
724無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 20:47:06
 長文メンゴ・・でも三成が奉行でなければ加増しても問題はないし
豊臣家宰として直轄地や直轄軍を実効支配すれば、
100万石の加増にも比肩するパワーを三成が手に出来て、なまじな奉行職よりも
大老連中を牽制できる立場になれる。
 それに他の奉行連中を統括していくという実権も手に出来る。
いい案だとは思うんだが・・
片桐や大野ではねー豊臣家の磐石の礎を確立するには役不足このうえもない・・
725無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 20:48:30
大坂の陣に於ける最大の功労者である松平忠直への恩賞は茶入一個だった。
武田攻めの最大の功労者、滝川一益は上野一国と信濃二郡を貰ったが、茶入一個の方が
良かったと嘆いた。恩賞を領土に限って考えるのは間違っていないか。
726無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 21:08:47
◆大老
徳川家康:改易。後嗣秀忠は切腹。降伏した結城秀康に安房の内15万石
毛利輝元:旧領に加え備前・備後・吉川旧領の14万石加増。計190万石、大納言昇進
上杉景勝:旧領に加え越後一国40万石+最上旧領24万石加増。計186万石、大納言昇進
宇喜多秀家:武蔵・上野2カ国+下総一郡約120万石に加増転封。大納言昇進。
前田利長:利政に加賀金沢60万石を相続せしめ、利常には豊後佐伯3万石を分知。
     以後、前田家は大老職免任

◆奉行
浅野長政:改易。幸長生存であれば北政所より助命嘆願により、豊後あたりで5万石。
石田三成:旧領に加え南近江+北近江2郡など計約50万石。従五位上・掃部頭に昇進
名束正家:大和郡山15万石に加増・転封
増田長盛:相模小田原24万石に加増転封。内応嫌疑により以後、奉行免職
前田玄以:下総一郡6万石に転封。内応嫌疑により以後、朝廷工作以外は参画せず。

◆その他
伊達政宗:徳川家との婚姻・上杉との交戦により陸奥大崎35万石に減封
最上義光:上杉との交戦により下野の内5万石に減知の上、転封
島津義久:旧領まま。関ヶ原参加の島津義弘に日向の内5万石加増。
     島津豊久は伊予板島6万石に加増転封。
小早川秀秋:筑前名島30万石に播磨・1国36万石を加増し66万石。
      豊臣姓に復姓し官位は関白へ。
      小早川姓は毛利秀包が継承し加増含め筑後久留米18万石。
黒田長政:討死もしくは改易。父・如水軒は播磨の内に捨扶持1万石程度。
福島・藤堂:討死もしくは改易。
細川忠興:討死もしくは改易。幽斎は助命の上、捨扶持を大和にて1万石程度。
大谷吉継:丹波4郡20万石に加増転封
平塚為広:丹波にて5万石に加増転封
戸田重政:摂津にて4万石に加増転封
小西行長:肥後一国ほか45万石に加増
727名無し武将:2006/01/14(土) 22:54:51
>>726 完璧じゃんかw
でも。俺だったら、毛利・上杉は後の恐怖になるから、領土ではなく、茶器・家宝・官位
などで我慢させて、加増は最小限にする。
宇喜多・小早川などの豊臣一門は大幅加増して地方を監視させる。少しでも信頼できる大大名を作る。
出来れば、毛利秀元も豊臣姓にして、宇喜多・小早川と同等に扱う。
三成・吉継・行長などは、大幅加増ではなく、豊臣家の政務の筆頭格にし
政治を一任する
728無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 22:57:16
・・・誰かこのゲーム脳つまみ出せよ・・・
729名無し武将:2006/01/14(土) 23:10:59
>>728 はぁ?お前が出てけ
730無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 23:13:41
>>729
>>726の>徳川家康:改易。後嗣秀忠は切腹。降伏した結城秀康に安房の内15万石

やれるもんならやってみろよ。一行目から無理ありすぎだあふぉ
731石田三成:2006/01/14(土) 23:41:25
>>730仮想なんだからいいだろ。文句言うな
732無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 23:48:11
>>730
このスレの前提が家康関ヶ原にて敗北だからさ。別にいいんじゃねぇの?
ムリムリ言ってんなら代案だせや
733726:2006/01/14(土) 23:57:29
>>727
本音では毛利・上杉には出来るだけ領土はやりたくないけどね。
茶器などは総見院・太閤・家康など大名が絶対に逆らえないような実力とカリスマ
でもなければ通用しないと思われ。関ヶ原の頃の豊臣家にそう言った手を打てるだけの
役者がいないですな。
従い領土しかなかろうという次第。毛利秀元の豊臣姓下賜は効果微妙かな。
杉原家の系統の木下姓の小大名が数名いるが、天下が治まれば、これらを豊臣姓として
10〜30万石の大名に徐々に加増していく手もあるかと。
734無名武将@お腹せっぷく :2006/01/15(日) 00:23:13
>>726
豊臣家直轄領を大幅に増やしたほうがいいと思われ。
豊臣家直轄領と有力家臣の毛利・上杉が同じ200万石前後では、災いの種になる。

735無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 00:31:07
「豊臣」姓の格式と言うか、特別性を高めるため「豊臣」を与えるのではなく「羽柴」にした方が良いかと。
つまり、宗家のみ「豊臣」で傍系は「羽柴」にする。
徳川幕府では宗家・御三家・将軍子息・弟にしか「徳川」は名乗らせず「松平」だし。

織田家は、そう言う意識があったか不明だが、傍系は「津田」になってるな。
736無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 00:36:45
>>726
畿内周辺地域を完全な豊臣家直轄領としたほうがいい。
七手組の組頭(1〜2万石)以外の大名は、畿内周辺には一人も置かない。

徳川家が、天領を分散しすぎたり、譜代親藩の忠誠心が風化して
江戸幕府は滅んだ。長州藩の京都天誅事件や水戸天狗党事件を見れば明らか。
737無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 00:45:26
信長には明らかにそういう意識があったろ
信長の子供で「織田」を名乗れたのは信忠だけだ
他は養子にだされ、津田すら名乗れてない
唯一、勝長が津田姓を与えられ、信忠与力となってるのが気になるが
738無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 00:48:13
>736
250年続いたんだから、と突っ込んでみる。
739726:2006/01/15(日) 11:56:26
大老の加増減らせとの意見もあり以下修正案と直領について
◆大老
徳川家康:改易。後嗣秀忠は切腹。結城秀康に安房の内15万石。大老職免職。
毛利輝元:関ヶ原時の吉川隊不穏・内応嫌疑備前により加増は吉川旧領の14万石のみ。
     合計約136万石。吉川は能登七尾15万石に転封。
上杉景勝:奥州旧領に加え越後一国40万石加増し計160万石。大納言昇進
宇喜多秀家:武蔵・上野2カ国の計約115万石に加増転封。大納言昇進。
前田利長:利政に加賀金沢60万石を相続せしめ、利常には豊後佐伯3万石を分知。
     以後、前田家は大老職免任

◆直領
摂津35万石・河内25万石・和泉15万石・山城22万石・播磨36万石・紀伊24万石・
相模20万石・豊前15万石・佐渡2万石・淡路6万石・大和の内30万石・伊勢の内40万石
伊予の内10万石・陸奥の内20万石・出羽の内20万石
計320万石(この他、堺・博多・佐渡金山・甲斐金山・石見銀山は直轄として代官配置)

しかしこうしてみると直領を300万石以上にしようと思うと意外と広範囲になるね。
大老に加増節約すると15〜20万石前後の中堅はかなり東軍についているから直轄領多くても
配置する大名に困るし、これで良いのかな。皆さんどうですか?
740726:2006/01/15(日) 12:01:03
>>739
しまった播磨は金吾に加増してたw
近江の内20万石と伊賀一国10万石・若狭一国8万石に置きかえるか…。
741無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 12:53:35
関東全部、朝廷の直轄領にしよう
742無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 13:18:02
日本全土、朝廷の直轄領にすればよい。
743無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 16:26:21
>>741 >>742
それ言ったら、このスレを語る意味がなくなるから・・・
744無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 16:46:23
三成が福島・黒田・細川・藤堂などの所領を安堵してやったら今までと逆で
これらに好かれる
745無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 18:03:34
大老は3名で十分。奉行は直轄領が増えたり、太閤時代みたいなカリスマ頼みの行政は
できないから、豊臣政権の強化となれば好むと好まざるとある程度以上の中央集権化は
避けて通れない。従い本来的な意味での行政府としての役割をこなせる人材も必要なの
だが如何せん豊家は人材不足w 戦後の浪人急増による社会不安を払拭する事と旧東軍
勢力の懐柔策として彼等の積極登用を諸大名だけでなく豊臣政権も実施すべきだろう。
特に徳川家の良き吏僚である板倉勝重・伊奈昭綱、関ヶ原に参戦していなかった栗山四郎
衛門・母里太兵衛・井上九郎衛門そして細川家の松井康之ら他家に知られた家老クラスの
連中は国許におり上手くすれば降伏させることも可能でしょう。
大名クラスとしては上杉家臣の直江兼続、半ば独立している安国寺恵瓊などはその行政能力も
高く上杉・毛利の家臣を独立させることは諸大名の弱体化政策とも繋がり有効な一手かと。
もっとも安国寺恵瓊はともかく、太閤の誘いにも乗らなかった直江を引きぬくは、
ムリっぽいですが…。
746無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 18:05:08
安国寺恵瓊こと野須虎駄無素
747無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 20:56:12
当時の武将は皆戦国武将であり、秀吉によって纏められ、連合政権的なものが
創られていたのに過ぎない。秀吉というたがが外れると、有力大名達が帰国して
群雄割拠に後戻りする危険があった。それをかろうじて回避する重しが家康で
あった訳で、家康が打倒されてしまえば、諸大名が勝手に領土を奪い合う戦国
時代が再来したであろう。
748無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 08:44:46
秀よりのこと(ry
749無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 11:25:55
五畿は全て豊家直轄領にして東西軍大名の次子や当主の兄弟を政権の役人として
畿内に配置しよう。
その上で奉行衆や豊臣一族衆の領地は畿内近辺に配置しよう
750無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 11:35:56
>>748
家康の実力を背景に、秀頼の元に集まっている。
或いは、家康の実力が飛び抜けて大きい為に、それに対抗するため、秀頼という御輿を
皆で担いで集まっている。
751無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 12:17:43
国松のこと(ry
752無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 12:23:26
>>751
まだ生まれてない
753無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 14:10:49
家臣から知行を買い上げることはできなかったのか?
754無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 14:19:05
現金支給は?
755無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 14:58:09
減封の代償として報奨金を支払うという取引は無いのか?
756無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 15:20:27
家康は蝦夷が島に封じてあげよう
757無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 16:23:23
家康は八丈島の主に。by秀家
758無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 19:26:54
>>473-750
それはどうかと思う。確かに当時は有力大名の連邦的な連合政権であった
のは明白だが、
時代背景を考えれば・・当時は朝鮮出兵といった対外膨張への欲求や
いまだ国内経済すら市場が統一されていなかったり未開拓の潜在市場が眠っていたり
いろいろ転換期特有の矛盾がてんこもりで、その収拾をだれもがもとめていたが
 同じスタンスで安定をも求めていた。
戦争による混乱ではなく平和的な国内外の開拓開発を重視したいという
安定志向が時代の趨勢にあったとおもう。
 この時代の風潮を無視して乱世欣求なんぞ無理だと思う。

それに西軍を軽視しすぎだろう。史実の徳川幕府の威光で当時の家康を見るから
家康なくしては乱世は当然という色眼鏡付の意見が出るのだろうが
三成に代表される官僚システム
増田や長束に代表される新興経済官僚の経済通商機構の整備による経済掌握を
通しての国家統一とその政策に密着する商人集団
領土の不足を海外交易で補うというスタンスの有力大名
 彼らにも天下を治めていく能力は十分にあると思う。
彼らに不足するカリスマ性だが、
 史実での「家康が打倒されてしまえば、戦国時代が再来したであろう。」
と畏怖された家康の実力を打倒した三成たちの実力と政権システムの安定性
にカリスマ性が付与されたと思われる。

西軍政権でも十分に徳川幕府並みの天下の安定と発展は可能・・
759無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 19:28:54
大友、武田、六角復活で
760無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 20:48:47
形なりにも関ヶ原に出陣した毛利はしかたないとしても、上杉には加増することはないんジャマイカ?
そもそも西軍でもないし、たまたま時期的に共闘してるような状況になっただけでしょ。
761無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 20:52:15
>>758
あなたは三成に代表される官僚システムで日本を統治していくと書いているが、
官僚システムが機能するためには政権の力が強くなくてはならない。
江戸幕府が強固だったのは、天領・旗本領合わせて700万石という実力があったからだよ。
けど、関ヶ原後の豊臣政権が磐石なものでないことは、今までさんざん語られてるよね。
複数の強力な外様大名の存在とか、当主秀頼の若年とか、直轄領不足とか。
それに関が原の合戦後に三成にカリスマ性が付与されたと思われると書いてるけど、
確かにその通りだろうが、それが日本全国をひれ伏させるだけのものであるかどうかは
疑問だな。

漏れは結局は有力大名による連立政権になると思うよ。連立政権が不安定なのは
ここ10年の国会の歴史を見てればわかるよね。
新生党を立ち上げたときの小沢一郎はものすごいカリスマがかってたけど、今じゃね・・・。

762無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 21:15:54
>>760
この意見賛成だね。上杉も畿内で反家康勢力の存在と挙兵の可能性は察知してただろう。
如何に120万石の謙信公以来の武略とはいえ、単独では天下相手に勝ち目はない。
しかしどうも上杉と石田の間に明確な意味での密約あったとも思えない。理由は如何に
北関東に家康・東軍をおびき出したとはいえ、その後は格好だけでも関東を覗うなら
兎も角、最上領進行…。こりゃ東西手切を確信してたか、混乱の長期化を睨んで既成事実
を作る為としかおもえん。
明確な密約あれば伊達・最上に頭下げてでも北方は「膠着を装う」事にし、北関東の秀康
以下の軍勢に圧力を掛け、しばしば出戦してもおかしくはあるまい。佐竹の動きが
手ヌルいのも上杉の方向性が見えなかったからかと思う。

だから西軍勝利でも大幅な加増は不自然のような気はする。ただし上杉がいくさで
切取った領土(最上領など)については認めねばなるまい。
763無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 21:35:33
西軍が勝っていたなら重商主義的政権が確立し、豊臣家は100年程
後に起こる市民革命により倒されるのではないか――確か司馬さんが
そんな意見を何処かの雑誌に載せてたと思ふ。

 家康が存命ならば久能山に流しタレ
764無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 22:06:24
>>762
混乱の長期化を睨んでというか、混乱は長期化するというのが
大方の大名の見方だったんだがな。
短期決戦で終わったのは、単に三成が実力不足だっただけの話で。
上杉景勝がとった戦略は長期戦を前提にした作戦としては決して間違ってないぞ。

それに、最上や伊達は明らかに家康の意を受けた行動、すなわち東軍として行動して
いるわけで、それと戦ったという事実をひっくりかえすことはできんぞ。

765762:2006/01/16(月) 22:23:16
>>764
あのですね、私は上杉と石田の間に密約は無かったっぽい状況で大幅加増は不自然では
ないか?という意見を書いたんですが…。
別に上杉だけが長期戦を睨んでいたと書いてませんし、上杉の戦略そのものについては
一行も揶揄してませんよ。

 >事実をひっくりかえすことはできんぞ

いや、なんかスゴイ勢いだねこの人w 私の書いたナニがアナタのトリガーに
なったのか知りませんが、よく読んで頂ければアナタの指摘と私のレスに相関性は
無いことが分かって頂けると思います。
766無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 22:42:52
七奉行を新たに制定(旧五大老・五奉行の両方の権限を持つ)
石田三成・大谷吉継・小西行長・宇喜多秀家(又は明石全橙)・安国寺恵瓊・吉川広家・直江兼続
関ヶ原での西軍に大いに貢献したもの+戦後の有力大名の執権
豊臣系(石田・大谷・小西・安国寺)4 宇喜多系(明石)1 上杉系(直江)1 毛利系(吉川)1
石田・大谷・小西・安国寺は所領は持たない。その代わり政務は完全に支配できる。
直江・吉川・明石は、地方の政務を取り仕切ることが出来る。
毛利=中国地方・及び九州・四国の監視兼統治
上杉=東北地方の監視兼統治
宇喜多=関東地方の監視兼統治

767無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:20:47
監視兼統治は、世襲ですか?
そうだとしたら、勝手に自立しなければいいが・・・。
768無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:24:16
はっきり言う。
徳川幕府が不安定な体制の豊臣政権を根底から改革できたのは謀叛だから。
769無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:32:04
>>765
これから治世を築こうとする公議が密約優先ってありえない。
770無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:32:06
>>766
恵瓊は豊臣系というより毛利系だろ。
というか、西軍勝利なら広家は毛利家中では失脚するよ。
それに変わって恵瓊の毛利家中での発言権が増すと思うが。
771無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:32:44
>>762
ということは上杉と石田の間に密約が無かった状況で行われた最上との合戦は、
私戦であったということかな? 上杉が勝手にやった戦争だから
豊臣家はあずかり知らんと。そんな合戦に褒美はやれないと。
すると、西軍首脳部が私戦とみなしていたかどうかがポイントとなるね。

別に詰問しているわけではないので、どう考えているのか教えて欲しい。
772無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:34:13
>>769
ありえないも何もあったじゃん。
773無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:36:49
>>771
762ではないけど私戦でしょ。少なくとも西軍とは関係ないんじゃね?
もともと豊臣家から討伐を受ける立場だったわけだし。
774771:2006/01/16(月) 23:36:53
自分で問うておきながらアレだけど、この問題に対する解答って難しいな。
史実では比較できる大名がおらんし。
例えば地方で戦った加藤清正や最上義光はちゃんと家康の命令を受けて戦っているし、
そもそも上杉と石田の間に約定がなかったと証明することもできないしなあ。

775無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:43:09
>>774
>そもそも上杉と石田の間に約定がなかったと証明することもできないしなあ。
宇宙人がいないことを証明しろって言われても無理。宇宙中探し回っていなくてもいない保証は無い。
いるなら連れて来れば証明できるけど。
同様に無いものは証明できないよ。あるなら書状が残ってる可能性もあるだろうけど。
残ってない以上現状ではなかったと考えるのが妥当なんじゃね?
776無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:43:37
>>772
諸侯に説明がつかない密約を握り潰せる家康は天下人。
たぬきとの評判とは裏腹に筋は通した。

三成も情や密約優先で築かれた政権が将来どれだけ脆さを露呈するかに身をもって気付いているはずだが、それでもやるかね。
777無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:50:12
つ関白空手形
778無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:01:23
>>773
東軍である最上・伊達と合戦をし、越後にちょっかいを出したり
しているので西軍と関係ないとはいえないな。
豊臣家から討伐を受ける立場だったというのも、「内府ちかひの条々」で
西軍が結成された時点で、豊臣家の名前で家康が出した上杉征伐令も
解消されたと考えるのが当然だし。
779762:2006/01/17(火) 00:02:14
>>774
同様に密約があった事も証明のしようがないですな。
私の意見は、上杉挙兵の経緯から見て「東西挟撃作戦」としての密約があったとする
には矛盾点があるというものです。
「私戦」かどうかについては>>773氏が簡略に述べているように公式(家康の段取りでは
あるが)には豊臣家の正式な討伐対象になっている。まぁこれは結果オーライで済ませる
としても、作戦重点が北関東ではなく北方の出羽方面だった点は密約による陽動としても
どうかと。むしろ長期化する家康派VS反家康派の抗争による混乱に乗じた、と思われて
も仕方あるまい。何より結城秀康一党と開戦しなかったのは東軍勝利or有利なケースでは
一つの意思表示とも取れる措置ではなかったか。
毛利ほど甘くはなかったろうが、長期戦→東軍勝利の場合、上杉は結城宰相とは合戦に
及ばず、敵意もないと申し開きをした上で占領した最上領などを返上する事で本領は
保全できるというようなハラがあったのではないかと「個人的」には感じています。
780無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:20:26
>>773
越後にちょっかいは西軍の為ではあるまい。旧領故に越後の地侍などはよそ者の
堀家なぞよりは重代の旧恩ある上杉に従う為に一揆などが他国よりはるかに容易に
煽動できる。ま、本当のところは出羽攻略の間に越後口より攻め入る隙を与えぬ
だけのもので自家のため以外の何物でもないだろう。
堀を越後に釘付けしたところで北陸道の大軍勢・加賀前田は東軍だし、国境を接する
上野は高崎の井伊、館林の榊原などの名前からわかるように完全に徳川の支配下。
同じく国境を接する信濃も森・京極・石川・仙石とほとんど東軍。
というように堀を牽制する事での西軍への貢献的要素は極めて薄いと言わざるを得ない。
伊達・最上との合戦もそうだ。これによる西軍への貢献は多とはいえまい。仮に
上杉が最上・伊達の両氏と合戦しなかったら彼等は海を越えて関ヶ原にいこうとは
するまいよ。
上杉が西軍に貢献或いは密約の有無の議論の焦点は「挙兵」そのものだ。これよって
家康を畿内から離れせしめた点と、一部関東守備の部隊を割かねばならないような状況
を作りだして家康に第二戦線を強いた、という2点にある。
781780:2006/01/17(火) 00:23:36
ごめん
780は>>778へのアンカーです。
773さん、すいませんでした。
782無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:24:15
↑アンカーミス?
783無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:28:48
>>763
秀吉は信長と違って自分が商業独占系だから、堺の商人に嫌われていた。
要するに堺の商人にとって秀吉は商売敵。
だから、堺の商人の多くは東軍が勝つことを望んでいたようだし、
西軍には金も貸さなければ、船も貸し出し禁止だったりしたわけで。
784無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:33:25
>>779
東西挟撃作戦の有無については同意だけど、それ以下の部分についてちょっと。

豊臣家の討伐対称になっているかどうかというのは、無視していいような要素。
これはもうあなたの言うとおり。
で、作戦重点が出羽方面であったことについてだけど、関東へ進撃する前に後顧の憂いを断つ
という作戦は別段おかしなものではない。伊達政宗と最上義光という権謀術数好きな武将を
背後に残したまま南進するというのは空き巣に入ってくれと言わんばかりの行為だからね。
家康の命を受けていた最上と戦ったのだという実績を(しかも戦争が継続していれば最上を
攻め滅ぼしていただろうことを)主張されたとき、三成にそれを突っぱねるだけの
力があるかどうかという問題もある。

長期戦になった場合の上杉の作戦については、君とは考え方が違うな。
上杉が最上を片付けた後に南下する可能性も十分に考えられると私は思う。
ただあくまでも優先順位としては、1.最上領併呑&伊達との講和 2.越後侵攻
3.関東侵攻だとは思う。2と3は場合によっては入れ替わる可能性もある。
最後に、別に上杉ファンじゃないので。念のため
785無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:44:30
>>780
下三行はほとんど同意。
だけど、そういった要素だけが加増に加味されるわけじゃない。
例えば史実での加藤清正の行動は大局にはほとんど影響を与えなかったけど、
19.5万石から52万石へと大加増を受けている。
上杉が西軍挙兵のきっかけをつくったという実績と家康に対して
第二戦線を強いたという実績に、(おそらく)山形を落としたという
実績が加わっているにもかかわらず、大幅加増はないと言えるのが
信じられないな、と。
786779:2006/01/17(火) 00:44:39
>>784
あなたの言う事も一理も二理もあります。一大名として一定期間内で領土拡張を狙う
なら、むしろ手堅い作戦というべきでしょう。

ただ誤解の無いよう理解して欲しいところを重ねて申し上げますが、私は上杉の「東西
挟撃作戦」は可能性としては薄く、従い西軍勝利としても大幅加増はどうなのか?という
内容なのです。
戦国大名として上杉の戦略が正しいとか間違ってる、という主旨ではないのです。
787無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:47:21
清正は家康の指示だったんだろう。九州は西軍の巣窟だからな。
788無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:50:18
清正は一応肥後を制圧したから。
伊達政宗も、自ら制圧した土地がそのまま恩賞になった。
789無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 01:07:28
>>785
だから開戦にしても第二戦線もしても元々自家の為なんだが結果的に西軍有利の材料
となったという点が大幅加増の対象たるか?というのが私個人の意見です。
信じられないというあなたの意見も御尤もな意見でしょう。
伊達にしても加増あってしかるべきが「幻のお墨付き」で加増わずかに数万石。堀に
至っては旧領のまま。越後諸将も堀と同様の処置ですね。買ったからといって加増とは
限りません。伊勢の東軍諸将や筒井などもそういった対象かと。
清正の大幅加増には政治的な意味合い、つまり太閤子飼いの大名達への慰撫であり、
「あの福島や清正までが内府公に大禄で…」とする事と新恩加増によって名実共に
徳川傘下とする事を天下に伝える意味もあります。
その証拠に両加藤家・福島・堀・中村・田中など多くが秀忠の時代までに改易。
(*無嗣廃絶もある)
このスレのちょっと前の流れとして大老に過大な加増は危険との意見も多く、私もこれに
同意であり、その為にはどうするかという起点で書いたものです。
まぁ単なる個人的意見ですから。笑って見てやってくださいな。
790無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 09:52:31
上杉勢が山形に進出したのは
単純に、飛び領地の存在では?
庄内地方は、自分の米倉が他家の裏庭にあるようなもの
狙われやすいし
791無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 11:00:43
上杉に恩賞を与えるにしても旧領への復帰と出羽加増ぐらいで、会津の大半は手放させ
直江山城を関東か、信濃あたりに加増すればそれほど大幅な加増とはいえないんじゃないの?
それで納得しないようだったら討伐令と私戦を理由に減封するぞ、と脅そう
792無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 12:50:51
“旧領に”ってのは実高以上に価値があるのは同意
上杉に旧領に会津に出羽に……てのは与えすぎだろう
旧領+一国で恩賞としては破格だろう
かといって功労第一の上杉に上からモノをいって脅すなんて愚策中の愚策だがw
793無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 21:21:18
 まあむちゃはいわないが上杉景勝は鎮守府将軍としてやるのがいいんでないの。
恩賞としては越後はだめぽだが最上領を加増して
大老からははずし鎮守府将軍上杉景勝として奥羽専任とするの。
関東管領宇喜多秀家が睨み利かせたらなんとかなるでしょ。

794無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 21:34:51
戦国大名の宇喜多を関東に転封するのは容易ではないと思われ。
ましてや勝利に大きく貢献した功労者ならばなおさら。
795無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 21:50:48
この当時の関東は石高は高いが、田舎。
扱いが難しい。
関西以西の大名が受けるとは思いにくいので
いっそのこと元関東管領の上杉家を・・・(ちょっと減らした)徳川家旧領に。
796無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 07:41:05
秀秋も関白より関西以西の上方領地(宇喜多領)を選んだわけだしな。
797無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 09:46:00
石田三成は、九州百万石よりも関西二十万石
798無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 12:31:48
>>794
あれ?秀家って関東での加増望んだのではなかったっけ?
そうでないにしても秀家は長いこと大阪常駐状態で国許の備前岡山とは縁が薄いよ。
だから国許の国人衆上がりの岡越前守・花房志摩守・宇喜多左京亮・戸川達安らと
長船紀伊守や中村何某の大阪在番衆との間に確執(内紛?)があった遠因は
そこにあったわけで、関東移封は秀家には特に大きな影響はないと思うよ。
799無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 17:16:30
>>798
ならば転封は宇喜多家の内紛に直接介入する意味があって、逆に大問題なる可能性あり。旧臣を切り離して大名に取り立てて旧領安堵するしかなくなる。
800無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 17:23:51

801無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 18:25:14
関東に宇喜多の勢力を置くには、旧領+武蔵一国とか旧領+八丈島一島とか
そのへんが限界だな。
802無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 18:25:42
>>798
>大阪常駐状態で国許の備前岡山とは縁が薄いよ。
大阪常駐だから縁が薄いというのはどうかと・・・。
そもそも先祖伝来の土地で親父が苦労して切り取って、
妻(秀家の母)差し出してまで護ろうとした土地だからな。
803無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 18:57:44
                      ''';;';';;'';;;,.,                  ザッ
                       ''';;';'';';''';;'';;;,.,   ザッ
          ザッ            ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
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               ザッ     MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、
                   Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^Λ_ヘ
     ザッ            ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ
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    /\___/ヽ   /\___ /\___/ヽ _/ヽ /\___/ヽ
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   /`ー‐--‐‐―´\ /`ー‐-  /`ー‐--‐‐―´\-‐‐ /`ー‐--‐‐―´
「vipから来ますた」「vipから来ますた」「vipから来ますた」「vipから来ますた」
804無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 19:06:28
秀吉死後関ヶ原に至るまでの石田三成の所在地の変遷をすべて調べ上げたと
豪語する堺屋太一氏の言によれば、佐和山20万石の三成をして250万石余の
徳川家に対抗する勢力を現出せしめた手品のタネは、上杉家の直江兼継、毛
利家の安国寺恵瓊、宇喜多家の明石全登ら、各大名家のキーパーソンを糾合
する「家老連合」の結成にあったという。

もし仮にこの挙が成功していたとすれば、三成は諸大名を大坂に集めて所領
経営の実権を家老・城代層に委譲せしめ、のちにこの家老を逐次豊家の官僚
層と入れ替えることによって事実上の直轄領化をはかる「近代ドイツ式中央
集権制」の達成を目指していたかもしれないと夢想してみた。
805無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 19:15:21
>>804
その様なことを福島正則が許すはずもない。
無理ポ。
806無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 19:42:55
>>805
つか、関ヶ原後に正則は生きてるのか?
運良く生き延びても実権握った三成に誅殺されると思うが。
807無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 19:48:22
>>806
関ヶ原前に三成のやっていたこと。
福島正則に妨害されて実現不可能だろう。
808無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 20:10:13
江戸時代の備前が土佐みたいに統治が難しかったとか、
旧勢力が大変だったとか聞かないな
809無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 20:28:01
>>808
小早川の頃は大変だったらしい。
810無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 21:02:31
>>807
正則が邪魔したかどうかはともかく、実際に三成は(見せかけだけとはいえ)西軍13万余の動員に成功しているわけで。
家老連合はともかく、それに似た根回し工作は当然行われていたのだろう。
811無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 23:37:54
>>810
そんな話が非公式にでも知られたら誰も味方するわけないだろ。
切り離して考えろよ。

まぁ夢は持つのは結構だが
812無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 00:39:41
>>809
小早川って、農民斬ったり悪政を続けてなかったっけ?
小早川の次は5歳の池田忠継が備前の領主になったわけで
大して困難な場所とみなされなかったと思う。
813無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 00:59:43
小早川の頃は、旧宇喜多勢力の反抗があったんだろ。
西軍の主力の旧領に、裏切り者の小早川が来たらどうなるか・・・・
アホの秀秋は上方に領地を貰っって喜んだかもしれんが、家康の陰謀くさいな。
家老の稲葉(春日局の夫)は秀秋を見捨てて浪人してるし。
814無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 01:10:45
池田忠継って家康の孫だよな。
小早川を宇喜多の旧領に入れたのは家康の陰謀くさいな。
815無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 01:40:07
作られた風評の香りがする
816無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 02:04:24
小早川秀秋が備前にいたのは、1602年まで。1602年に死去。
1603年から池田忠継。たった2年で宇喜多の反抗が収まったわけ?
817無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 02:15:45
三成的には領地はそこまで増やさずに上方の近くに居た方が本人にとっても有効だろうな
818無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 08:31:07
>>807
804の言う家老連合は関ヶ原後のことだろ
>関ヶ原前に三成のやっていたこと。
何?
819無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 11:39:02
大老はなるべく地方に
奉行は大坂に近いところに封ずるのが理想だろうな
820無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 13:48:09
上杉は動かせないよな、んで伊達最上領をあげるのか?脅威だな
821無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 21:30:21
>>820
上杉なんぞわざわざ動かす必要ないだろ・・十分に遠い
問題は今回の件で信用失墜の前田と
西軍総大将というのも考慮してでかい顔する毛利

 特に毛利は「家康は上方に上洛するのに米を敷き詰め街道を開き
進軍し、輝元は銀で橋をかけて進軍する」
とのたまわうほどの存在
しかも関東よりはるかに上方に近いゆえに徳川なんぞ比較にならない
脅威になる。しかも戦勝国ゆえ国替えに応じるはずもない。

 意外かもしれんが前田もいろんな意味で動かせない。
西軍勝利しても前田は決して処罰できない前田の弱体化はイコール上杉の脅威を防ぐ盾がいなくなる、ついでいにえば
前田利常は秀吉の子供だといわれているくらいだから前田はなんのかんのいっても
豊臣よりの重鎮に違いなく、上杉よりはまだ組し易い。
関が原では中立色が強く戦後の早期収拾も考慮すれば果断な処置の下せる相手ではない。
なにより宇喜多が許さないだろうな・・前田は使える手駒だろうから。

822無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 21:31:22
 それに何より宇喜多だよ、もまいら宇喜多秀家は三成の盟友だから
安心とか安易な考えのようだが
小早川秀秋、吉川広家、結城秀康、前田利長・利政そして八条宮とは兄弟で
毛利輝元とは息子の嫁の実家。
高台院は義理の母、深読みすると宇喜多が戦後の恩賞に自ら関東を志願したという
ことは秀家がポスト家康の座に付く野心有りと言うのを証明しているようなもの
淀=秀頼の抹殺こそしないだろがね・・
 いずれ秀頼を頂点とした豊臣集権体制を目指す三成と利害が対立する可能性は高い罠。
戦後 高台院閥およびその系列が宇喜多閥に集まって
次の徳川として排除される可能性もある毛利が密着すれば三成の豊臣政権に
容易ならざる巨大な対抗勢力として立ちふさがるであろう。

>>804のようなことを三成が志向していると過程してみれば
なおさら戦後三成が大老を弱体化させようとはかり
関白秀秋&大老連合VS淀=秀頼&奉行連合の政治的戦いになるやもね。

823無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 09:04:12
ねえ何で上杉って越後から会津に転封されちゃったの?
対家康で考えたら強い上杉の方が豊臣にとっちゃ都合がイイと思うが
教えてエロい人
824無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 10:03:23
>>821
>前田利常は秀吉の子供だといわれているくらいだから
はじめてきいたんだが・・・?
825無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:42:42
>>823
表向きは奥州の要である会津に大老である上杉を配置ということになってる。
直江と景勝を不仲にするために、米沢30万石を直江領とする条件で転封させたという説もある。
上杉が越後の石高を過少申告したため、実質減封の会津へ飛ばされたという説も。
826無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 00:05:26
>>824
同じく
秀吉が利常を我が子同然に思っていた・・・
ということなら説明がつくように思います
827無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 00:51:50
利常の鼻毛
828無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 05:18:43
ところで大谷余命の設定はは長いの?短いの?
こいつ100万の兵を任せてみたいって言われたぐらいの奴なんだろ?
加賀に大谷置いて前田は関東に立花と一緒に回ってもらうのは駄目?
真田の真意はしらんけどこれでそれなりに上杉囲めると思うけど
奥州にまともなの残ってないのが致命的だが…
829無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 13:32:03
西軍が桃配山と松尾山と南宮山に伏兵を置き、三成が笹尾山に布陣して
家康が陣場野に布陣して、それで決戦に挑んだらどうなったと思う?
830無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 18:35:44
前田は加賀から動きませんよ
3代利常が大阪の陣で徳川軍第2位となる3200余の敵首を挙げる大功を立てたとき
幕府が恩賞として四国四ヶ国への転封を提示した
だが前田家は頑として言うことを聞かなかった
それが原因で幕府に謀反を疑われるが
それでも最後まで加賀を動かなかった
前田家は加賀を愛してるんだよ。
831無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 19:15:02
>>830
北陸から四国四ヶ国への転封なんて石高的にも減少するしただの左遷みたいな
もんじゃないか。 そんなの承諾すると幕府は思ったのかね。
832無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 19:27:55
土着十余年の時期とそこから更に十五年後を一緒にするなよ
833無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 20:14:22
>>831
雪が少ないし、四国全土の主の地位はミニ天下人みたいで萌えるが。
だがこのスレ的には、関係ない話だな。
大坂の陣の恩賞と関ヶ原の罪では、話がまったく逆だ。
834無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 20:23:05
恩賞
小早川秀秋:飴一個
835無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 20:24:25
飴ちゃん貰ったおヾ( ゚д゚)ノ゛
836無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 00:03:12
>>835
関西人?>飴にちゃん付け
837無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 09:36:53
>>836
関東人?>どうでもいい事に拘る
838無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 12:16:08
>>837
関西人?>関東に対抗意識むき出し
839無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:54:27
>>838
おまいつまらない人生してないか?
840無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 21:05:01
>>830
前田利家って、秀次が死んだあと、尾張と美濃に移動したいってゴネてたんだけど。
841無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 21:06:36
当時四国は未開の地といわれていたし、石高もさがるなら、
北陸>四国でしょ。
でも北陸と四国って究極の選択に近いかも?
842無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 22:30:06
正直、四国全部より越前か越中一国くれたほうが治めやすいし俺はうれしい。
843無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 22:53:06
俺だったら断然、四国全土の方を選ぶな。
四国を要塞化して謀反起こす。スペインの艦隊と組んで、一気に江戸襲撃
844無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 22:54:55
四国に生かされたら、あとは海上を通行止めされて、
永久に四国に閉じ込めるつもりだったんでしょ。
秀吉恩顧の100万石もの大名を徳川は
残す気はなかったと思う。
845無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:21:20
豊臣が200万石から60万石におとされたけど抗議して直轄地返せって言えなかったの?
846無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:38:31
>>845 三成が関ヶ原で負けた後大坂に戻って篭城を強要すれば、200万石は守れたかも。
ただし、大坂城が入城させてくれるかどうかだけど・・・
多分拒否られる罠
847無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:49:01
>>844 島津家は70万石近いけど幕末まで残ったよ。
幕府は島津を恐れていたからね。だから、前田も四国全土を持てばなかなか脅威に
なるから下手に手を出せないと思われ。
いざとなったら八丈島の中納言が居るしww 「宇喜多備前中納言八郎秀家!!八丈島より泳いで参った」
848無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 13:16:47
>>847
島津は江戸からも京からも遠く、僻地で取るに足らないからだよ。
地政学的に天下に覇を唱えることが不可能な場所だから。
849無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 13:21:18
>>845
>豊臣が200万石から60万石におとされたけど抗議して直轄地返せって言えなかったの?
解釈が間違ってる。落とされたんじゃなくて関ヶ原の恩賞として諸侯に与えただけ。
850無名武将@お腹せっぷく :2006/01/24(火) 13:29:04
たまには漫画「センゴク」の主人公のことも思い出してください。
851無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:30:35
>>849
潰した西軍大名の領地があるのに、何故豊臣家の領地を割かねばならんのか。
もし第三者が公平に論功行賞してたら、徳川家にあんなに領地はやらんだろ。
852無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 19:31:49
>>851
文章よく読め。別に論功行賞が妥当とは言ってない。
落とされたという解釈が間違ってるってこと。
853無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 20:33:31
それにしてもあれだけの領地を削られた後に初めてそれに気が付くって
豊臣家の領地管理はどれだけいい加減なんだって気もするが。
普通、そんなことされそうになった時点で「ゴルァ!」だろ。
854無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 20:39:21
滅びるわけだ
855無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 21:09:53
豊臣家が鹿児島の薩摩の位置にあったり、四国に押し込められれば、
存続した気がする
大坂から移動できないってそりゃつぶれるよ
856無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 09:25:56
>>848
地政学は万能ではござらん 明治維新はじゃあなんなのかと。
857無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 12:38:37
>>856
明治維新は薩摩で起こったわけじゃねーだろw
ほとんどは京だし、その後薩摩が首都にでもなったのかと
858無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 15:15:11
日本史上、九州か関東で中央とは別の勢力が育って決起するのは何度もあって
いわば法則のようなものだと思うけど、豊臣をどっちかに置いたら危なかっただろうね。
東北は遠過ぎてだめだし、日本海側は雪とうに弱いけども。
859無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 16:29:31
>ほとんどは京だし

本拠地を主とするならどう考えても納得いかない
860無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 17:54:11
転封以前に家康が豊臣家を存続させる事自体有り得ないと思う。
861無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 18:28:47
>>860
そんなことはあるまい・・おとなしく恭順して他の諸侯と同等の扱いを
受けていたら準親族として、それなりの格式をもって家名存続していた
と思う。
 なにも家康も最初から根絶やしを画策していたわけでもあるまい。
秀吉の天下での織田秀信のような扱いであれば、おとなしくあまんじて
しかるべきだったと思うが・・
 
862無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 18:35:13
>>853
それと豊臣家の石高はいっきに減らされたわけではなく
順を追って段階的に削減されていった。気が付いたらそうなっていたという
具合に。
 それというのも豊臣家の蔵入地は豊臣家の代官が直接管理するといった
形式じゃなく在地の諸侯の管理に委託している形式だったため
 関が原以降推し進められた全国規模での諸侯の転封再編成の過程で
なし崩しに、そういった委託地が消えていった。
なくなる過程では、各地に国奉行があったはず。
あとめぼしいところは天下政務代行者としての家康が、とりあえず預かると言う形で
徳川の管理下においてしまった。
これも豊臣家の蔵入地委託方式からいえば別段文句を言える筋合いじゃなかった。
徳川家は豊臣家の後見であったわけだし。
863無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 22:35:58
江戸幕府の大名としては、65万石なら十分すぎる大大名。
普通だったら満足して大人しく従うだろ。
ま、毛利・上杉だって30万石以上だから戦後も十分大大名なんだよなぁ。
プライドが高すぎたんだよな きっと
864無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 22:48:48
本当に生き残らせてくれるかどうかは別にして、とりあえず条件としては大和辺りへの転封だったっけ?
もし丹波か大和辺りに転封受けて、官位だけは徳川家よりも上(右大臣とか太政大臣とか)保持し続けていたら
豊臣家はどうなったのだろう?まぁその後の更なる転封・減封も承諾するとして。
865無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 22:56:43
関ヶ原後の豊臣家の政策
1、家康の死を待つ
2、秀頼をちゃんと育てる
3、浪人を家臣にする。(真田幸村・昌幸や長宋我部盛親などなど)
4、3で文句を言われたら、足軽として雇った。とか言って切り抜ける。かなり必死で
5、寺などにあまり金を使わない
866無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 23:04:41
6、八丈島へ泳いで渡る
867無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 23:51:06
>864
公家として生き残れたんでないかな?高家みたいな感じかも。
10万石程度の扶持なら軍事的な脅威にならんし。
千姫が秀頼の子を産めば、公家のトップに徳川の血も入るし。
868無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 08:01:23
・摂河泉65万石・大阪城
     ↓
・大和一国45万石or伊勢一国40万石
 家康提案受入による。
     ↓
・近江長浜24万石
 京において豊国大明神の祭礼を行い民衆の歓迎を受けるも
 これが幕府より徳川怨嗟の意図ありとして譴責を受けることに。
 家老・大野修理亮は切腹。減知処分となるも格別のはからいにて
 太閤ゆかり地である長浜に転封。 
     ↓
・近江長浜12万石
 領国経営の不備を理由として半知処分。
 秀頼は右大臣は辞任。
     ↓
・伊勢松阪3万石
 長浜において豊国大明神の勧進を行った事を寺社奉行の査問受ける。
 恭順の意思なしとして譴責及び減封。淀君は江戸にて幽閉。
     ↓
・安房国長狭郡3万石
 以後は準高家扱い。秀頼長子の国松成人後の最高官位は従四位下・右京大夫と
 老中より通達。以後は豊臣家の代々の官位は従四位下・右京大夫となる。
869無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 10:14:18
>>868
どうせなら、尾張中村1万石で筑前守がいいのではw
870無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 11:02:29
>>869
竹生島に送って琵琶湖の支配権のみ認める
871無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 14:12:02
>>862
うむー、結局、豊臣の滅亡は秀吉の、支配システム確立の怠慢、
自業自得によるところが大きいわけだな・・。
それにしても、秀頼がもっと早く生まれていたら、家康がもっと早く死んでいたら、
秀長、利家がもっと長生きしていたら、などの考えもあるわけだが、
秀吉が在世中から、もっと国内に目を向けて、大名政策をガチガチに固めて
いたらあんな呆気ない滅亡はなかったろうに・・・。
最も、明征服計画は諦めなきゃならんし、そうなったら失業兵士の反乱で、
やはり豊臣滅亡かもしれんが。結局、全ては歴史大河の流れの必然であったわけか。
それでも、夢がちっちゃい家康より、秀吉の方が好きだが。
872無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 14:27:38
>>870
それもちょっと考えたけどねw
尾張ってのは交通の要衝だけにね、1万石だけといえども徳川期の陰険な幕閣達では
許可すまいと思ったわけです。
筑前守は正に羽柴筑前守秀吉を想起させる官職名だけにね、これも幕閣らが許可すまい。
徳川時代は江戸のある武蔵国の「守」即ち武蔵守と徳川草創の地である三河国の
三河守は朝廷も幕府に遠慮して武家に官職として与えなかった程だし、意外と
筋の通った推測かも。
873無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 14:59:32
相変わらずスレタイも読めない池沼ばっかりのスレだな
874無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 15:40:02
そういうオマエは文句しか言えないは半人前w
875無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 17:21:38
公家の取り分とか増やさないの?家康はしたらしいけど
876無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 17:50:48
なんと! 自衛隊が事もあろうか、あの戦国時代にタイムスリップ!!

     ドラマ 「戦国自衛隊」 くるよ。   

日テレ版 「戦国自衛隊」 大仕掛け (YOMIURI ONLINE)
31日、来月7日 2部構成
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20060120et13.htm
戦国自衛隊・関ヶ原の戦い
http://www.ntv.co.jp/sengoku/
第一部 1月31日(火) よる9時放送〜
第二部 2月 7日(火) よる9時放送〜

     役名     …………   配役
伊庭明義(3等陸佐) ………… 反町隆史
嶋村拓也(3等陸佐) ………… 渡部篤郎
徳川家康       ………… 津川雅彦
本多正信       ………… 長門裕之
石田三成       ………… 竹中直人
島  左近       ………… 松方弘樹
小早川秀秋      ………… 藤原竜也
豊臣秀頼       ………… 杉村怜音
淀の方         ………… 秋吉久美子

テレビドラマ板  【反町】戦国自衛隊〜関ヶ原の戦い〜
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1132143710/l20

(映画版もあるよ)  戦国自衛隊1549 PART7
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1122221936/  
877無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 21:34:42
>>872
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/kakaku01.html
江戸時代、特に筑前守が敬遠されたというわけではなさそうだ
豊臣家が名乗るんだったらわからないが
878無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 07:19:30
>>877
筑前守は加賀前田の専有
879無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 23:34:54
秀秋って関白になっても、秀頼が成人になったらどうなるの?また疎遠になる?
って言っても疎遠にする立場の人は居ないが・・・
880無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 05:07:13
少し妄想を入れてみた。

裏切る筈だった小早川隊が西軍についたため、福島藤堂あたりが総崩れ。
西軍の優勢の知らせを受けて南宮山の吉川毛利もようやく動きだし、家康本体の背後に出る。
これが決定的となり一気に大勢は西軍に傾き、家康は伊勢街道に血路を開いて脱出を図る。
そこで長宗我部隊(なんでこんな所に配置されとるんだ?)が大手柄。家康死亡。
黒田細川藤堂福島あたりもまとめて討ち死に。池田中村山内あたりの東海勢はなんとか脱出。
東軍残党は岐阜城でまず抵抗し、尾張名古屋でも粘るが結局開城。
この間に中山道を移動中の秀忠は知らせを受けて西進を中止。
南下して三河に抜け、ここで井伊本多らの敗残兵も糾合して反攻の気配を固める。

東軍の敗報を受け、伊達はアリバイ作りのため本格的に最上を攻め、最上滅亡。
関東では佐竹が上杉に同調し、結城秀康は早々に降伏。
追撃する西軍を三河で迎え撃とうとした矢先に関東の危急を知り、秀忠は西軍に和議を持ちかける。
で、三成らの反対を押し切って総大将の毛利輝元がこれを受け入れ、和議は一応成立。
お家存続を条件に東軍は全面降伏。秀忠は大阪に移送して沙汰待ち。
上杉はとりあえず関東から軍を引く。返す刀で越後を攻めたい所だがさすが息が続かない。
佐竹は単独では江戸に攻め上る力はないから、下野と上総の一部あたりまで。
ついでにちゃっかり真田本家が分家沼田入り。
九州はしばらくは史実通り。
東西和議成立後に、加藤清正・黒田如水らは奪った領土を返還させられた上で、大坂に召喚。

こんな状況でどうするか考えてみるのはいかがでしょうか?
881無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 06:03:55
福島を失った豊臣は求心力を失い、乳兄弟の大野治長、従兄弟の京極高知
討ち死に激怒した淀殿は西軍に対して態度を硬化。三成は豊臣の後ろ盾を
得られず、外様大名を制御することが出来ないため、戦国乱世に突入。
882無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 10:40:50
>>880
その場合、長宗我部はどれくらいの加増が妥当だろ。
伊予もしくは阿波一国くらいか?
西軍勝利の場合、長宗我部がどれほどの加増を約束されてたのだろうか?
883無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 18:18:47
>>881
淀殿の態度硬化はそれほど意味無いと思うしありえんきがする。
大義名分とはいえ未成年の秀頼を抱えて後ろ盾もいない状況
それに淀殿がでしゃばりだったとも思えん。
 最悪の場合、西軍は秀秋を抱えて高台院を後ろ盾にするという手がある。
884無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 18:51:57
>>880
スレタイだけで判断するのは無理があるから、
西軍勝利の、ある程度の方程式(方向性)があったほうが
議論するにはいいかもね
885無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 18:58:37
豊臣大事という考えに立てば、福島達を死なせてしまうのは
得策ではない。外様大名の台頭を牽制するためには、豊臣恩顧
の大名達の協力が必要になってくる。
886無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 19:44:55
>>885
とはいえ、>>880のシナリオの様に側方および後方からも突き崩された場合、
最前線で戦っていた諸大名に生き残りの目はあるかな?
特に、黒田・藤堂・細川あたりは本国も遠いし、島津みたいなマネはできないっしょ。
福島だって、尾張に逃げ延びても、面子が有るだろうし。
家は残るかもしれんが、戦に参加した本人達は切腹は免れないでしょ。

連中が無事に生き延びて、家康(徳川本隊)がダメってシナリオを
>>880の様に誰かが書いてくれればそれを土台にするのも良いと思うけどさ。

豊臣恩顧だと、浅野・池田は陣が後方だから比較的逃げやすいかな。
領地に辿り着ければ、後の交渉しだいでこっちはなんとかなるかも。
887無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 19:51:18
どうでもいいけど、うちの金吾には200万石くらいは
もらえるんでしょうね?
888無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 17:42:38

北政所様?
889無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 17:56:53
恩賞
小早川秀秋 領土没収
お寧    筑前、播磨
豊臣秀頼  領土没収
淀殿    摂津、河内、和泉
890無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 18:29:36
関ヶ原後なら、宇喜多秀家を関白にしたほうが天下がまとまると思うな。
891無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 18:36:55
>>890
外人(諸蕃)を関白には出来ないだろう。
今までそのような例はなかったはず。
892無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 18:40:03
補足
征夷大将軍ですら、坂上田村麻呂という先例がありながら、
源平以外からなるのが難しいと、いわれているのだから。
893無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 19:07:36
>>891
秀家は太閤の元養子。秀秋がなれるなら、秀家もなれるはず。
能力的にも、大老という身分的にも秀秋より上。
関ヶ原本戦の名目的な総大将でもあるし。
894無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 19:16:09
>>893
小早川は平氏だし、任命するのは朝廷。
関白は官職ではないので。
895無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 00:29:13
源平成りがたしは徳川の捏造だろ
896無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 13:54:35
ちなみに片桐はどうなるのよん
あれだけ奔走して報われないのも悲しいぞ
897無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 14:46:06
戦国自衛隊だと小早川カコイイ
898無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 20:06:14
 というか豊臣は源平藤橘に拘束されない第五の姓なのだから
豊臣姓で関白太政大臣も征夷大将軍も任官できるとおもふ。
 豊臣姓を持って小早川が関白でも将軍でも任官可能だと思う。

このばあい
むしろ重要なことは関が原で小早川の活躍で勝利した場合
重要なのは家康の生死ではなく西軍が早急な関東征伐を行えるか
否か。実行するのではなく何時でも実行可能だと恫喝する意味で
 そして関東征伐軍の総大将に小早川秀秋を持って任じ
彼に征夷大将軍にも任官してしまう。

小早川秀秋の征夷大将軍任官は今後の政局を考えるうえで
重要な政治的意味がある。

征夷大将軍を豊臣姓で固め、自分が征伐される夷にされることで
家康の天下取りを官位の上で否定したことを満天下に明らかにした

秀秋を関白にすれば先に秀次の悲劇とオーバーラップしてしまうが
征夷大将軍なら秀頼ともぶつかることなく武家政権を預かる
天下代行になりうる。

征夷大将軍が豊氏長者秀頼よりも武家序列でも格が下であると
明らかに出来る。

 あとは足利義満の先例に倣うがいいかとおもう。
明との交渉を小西行長をもって再開させなんとしても「日本国王」
の冊封を受ける。
これはまあ国際的に豊氏長者=日本国王という国際的な認知とパフォーマンス
の意味合いだが・・
899無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 20:46:25
>>898
姓は源平藤橘だけじゃない。豊臣姓が五つ目ってあほか
権威のある姓が欲しいからみんな源平藤橘のどれかを名乗っただけ
900無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 21:35:39
今も国会で騒いでいるだろ。皇室の血統を引いているかどうかは大切な建前だよ。
901無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 02:50:56
>899
姓と名字は別ですよ。
姓としては源平藤橘豊のみ。
902無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 02:58:14
>>901
馬鹿?
903901:2006/02/04(土) 03:03:41
>902
すまん、姓はもっとあった。勘違い。
ただ、姓と名字は別もの。
904無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 03:10:03
>>903
だれも姓と苗字は混同してないよ。馬鹿は書き込まなくていいよ。
八色の姓とか読み方とか意味わかる?
八色の姓の中でも上位の朝臣そのなかでも格式高い源平藤を
みんなが好んで使ったため他の姓はほとんど使われなくなったといっただけなのだが

俺の氏族も本来は大中臣朝臣もしくは橘朝臣のほうが嫡流としては正しいのに
鼻祖として藤原鎌足を仰いで藤原朝臣を名乗ってしまっていたしな。
905無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 03:20:28
やくさのかばね

真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲
906無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 03:28:05
>>905
で、神武天皇の兄を祖にした中臣鎌足の子孫に与えられた藤姓
皇族が臣下に下るときに賜姓される源・平姓
これらと農民上がりが無理やり賜姓してもらった豊臣姓を同列と語り他の姓はないと言い切れる根拠は?
907無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 08:31:19
直臣と直参の違いとか氏姓制度についてとか、日本史の基礎的な
知識が不足している奴が多いな、このスレ。
908無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 12:25:23
>>907
言葉を間違えるなよ。
日本史の基礎じゃなくてヲタの基礎だ。知ったか厨。
909無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 18:09:40
日本史厨は細かいことにこだわるからw
厨が何を言っても、豊臣家の当主(もしくは当主代行)が関白職になれるという事実は変わらん。
910無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 16:38:05
関ヶ原後 
三成「見える!大谷刑部が!刑部・・・」
秀秋「な、何を言う!!見えるのか ((゜д゜))ガタガタ」
三成「苦しかっただろうに。小早川!!貴様のせいだ!!!」
秀秋「お、大谷!!((゜д゜))ガタガタ」
秀秋「ひゃーーーーーーーー!!!!!!!大谷が追ってくる!!!」
こうして秀秋は狂い死にした・・・・
911無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 01:15:32
むむ・・・
912無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 01:27:22
氏姓制度って中学や高校の教科書にも出てくるぜ。
そんな日本史の基礎中の基礎も知らずに「姓としては源平藤橘豊のみ」だなんて
平気な顔して日本史を語ってるから笑われるんだよ。
913奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2006/02/06(月) 01:31:19
せめて武蔵七党くらいは追加してやって欲しいものです。
914無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 12:47:31
江戸末期の石高
徳川・松平家が断トツで

支藩含めた外様実高ベストテン

一位前田家、156万3千石
二位伊達家、111万3千石
三位毛利家、100万1千石
四位池田家、90万8千石
五位島津家、78万8千石
六位細川家、71万6千石
七位黒田家、57万9千石
八位佐竹家、41万2千石
九位蜂須賀家、40万9千石
十位は鍋島家といいたいところだが、意外な伏兵、
真の十位は有馬家、36万6千石
鍋島家は十一位でした。
915奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2006/02/06(月) 21:37:57
則頼系だっけ?
916無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 21:23:15
>>892
田村麻呂はあくまでも貴族だからな。
武士の尊敬の対象にはなりにくい。
917無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 22:03:03
いやそれ以前に田村麻呂どころか源平なり難しなら鎌倉幕府の将軍はなんなのかと
節度使のような権限を持った征夷大将軍に目を付けた源頼朝が世襲官位として利用し始めたのが
征夷大将軍の異様な権威の始まりではあるが、源氏長者を兼ねる色合いを付けたのは家康以後
918無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 19:37:50
>>914
浅野は?本家だけでも佐竹より上だけど。
919無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 01:17:21
三戦板で「日本史の基礎的な知識が〜」なんて鬼の首とったように言ってもなぁ・・
学術的な話がしたきゃ相応の場を探せばいいのに。
920無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 02:12:58
学術的とかってwww
ある程度ディープな歴史ヲタが集まるのが三戦板。
知識薄い状態で鬼の首とったようなアホな考察書いたら叩かれるの当たり前
間違った知識を語りたいんなら相応の場を探せばいいのに。
921無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 04:18:51
では 浅はかな 行動をとらなかった者から 石を投げよ。
922無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 17:48:03
三戦板のどこらへんがディープな知識持ってるのが集まってんだよwwwwwww
見てるこっちが赤面してくるw
923無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 22:10:01
昔はこの板にもちゃんとした知識を持った人たちがいっぱいいたけどね。
無双が流行りだした頃からすっかり減ってしまった。

まあ、関ヶ原について語るのに飽きたってのもあるかもな。
なんせ、関ヶ原スレって話題がループしてばっかりだから。
・〜〜すれば西軍が勝ってた。
・↑への反論。
こればっか。
924無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 00:38:59
書き込めるほどの知識を持ってなくても、無双好きの中高生は書き込みしまくるからな
無双系の掲示板とか歴史ゲーム板が相応の場所だろうになんでここに居つくかね
925無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 01:41:31
あげてみる
926無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 11:43:17
927無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 12:02:20
西軍に戦局が傾いてきた時点で東軍を裏切りだす人とかはいないの?
928無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 13:04:28
藤堂とか山内なんかはまっさきに裏切りそうな気がするがな・・
あ、最前線にいるから無理か
929無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 14:41:33
>>928
THE ゲーム脳
930無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 15:15:51
このスレにゲーム脳ではない奴が何人いるのだろう
931無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 15:41:01
西軍が勝つための策

秀秋は義理が低いから毎回褒美をあげて忠誠を下げないようにしないとな
婚姻を結び一門にしてもいい。
東軍に内応してるなら戦争に出さないとか、兵数を減らすとか、訓練の低い兵を与えるとか
秀秋が寝返っても被害が少ないように兵の配置も重要
それでも秀秋が寝返ったら大谷は攻撃せずにひたすら火攻めを行なう
秀秋の智謀は低いから簡単に計略にかかるだろう
あとは小早川+大谷の一斉で簡単に崩せる
932無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 16:07:04
>>くさい
名案じゃ(・∀・)
933無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 16:59:25
>>931
>東軍に内応してるなら
本人に聞くのか?忠誠と信用がさがるんじゃないか?
934無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 17:03:13
>>933
むむむ
仕方ないから大谷の計略で混乱させておくか
935無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 22:21:25
>>927
福島のような裏切り者なら、簡単に寝返るのではないだろうか。
936無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 19:48:26
なんかどさくさにまぎれて家康の首取って降伏する奴とかいそうだよね。
937無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 13:45:38
>>931
>義理が低い
PK買ってえでぃっとすればよくね?
938無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 02:13:38
大谷と真田は?
939無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:56:56
ここまで見てきたけど大大名多すぎ。50年と持たんぞ、こんな政権
940無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 11:03:46
リュウヂ
941無名武将@お腹せっぷく
50年どころか半年ジャマイカ
もう大名廃止して郡県制実施でいいよ