まぁ誰が最初かなんて問題じゃないだろ 信玄が出来なかったって事実があるだけ
豪族連中の反感や反発があっても押さえ込むだけの力を保有しえなかっただけ
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 18:25:10
>>950 永禄11(1568)年に近江で差出検地をしたのが最初
以後
永禄12(1569)年 伊勢
元亀2(1571)年 二度目の伊勢
元亀3(1572)年 山城
天正3(1575)年 二度目の山城
天正4(1576)年 三度目 山城
天正5(1577)年 越前
天正8(1580)年 播磨・摂津・ 大和・近江
天正9(1581)年 丹後・和泉
天正10(1582)年 能登
差出か、配下を使っての検地かはちょっとわからんけど。ざっとこれだけの検地してるよ
>>953 サンクス。
信玄上洛時に考慮するのは元亀3年以前の4つだね。
問題は彼の本拠地(尾張、美濃)で行われていないことか…。
美濃でしてないのは不思議。
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 18:49:16
武田領では上田小県地方で
天正六年または七年の記録が残っている。
しかしこれは真田昌幸が自ら実施したもので、
武田本家に改出高を差し出した形跡はない。
この期に及んでも諸豪族が半分独立しているところが武田クオリティ。
没落した足利将軍家を助けて何とかして娘を嫁に送るか息子を養子にする。
あとは息子なら当主になれるように邪魔者を排除し嫁なら子を生ませる。
そうすれば武田家出身の将軍が出る。
その将軍に武田と上杉の間を取り持ってもらい北条氏に関東を任せて形だけの公方を鎌倉にでも送る。
あとは武田・上杉・北条らの軍事力を背景に各地の戦争を停止させ守護を再配置して本州を徐々に固める。
ある程度平和になったら各地の守護を動員して反抗し続ける諸大名を討って新たにその地に守護を置き将軍権力を高める・
958 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 19:06:05
尾張・美濃といった本貫地で検地がないのは確かに妙だよな
実力で奪った土地だから、直轄性が強くて検地の必要がなかったんだろうか?
土地の有力な武将を軍内に吸収できたからそれほど必要性がなかったとか
それだけに反感も買いたくなかっただろうし
他の土地は軍事力で奪ったから一貫して圧力かけやすかったんじゃないかな
960 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 22:43:34
勝頼の頃には織田家と武田家の経済格差は相当ついていたんじゃないかと
金山からも金が採れなくなってきたようだったし
勝頼も経済政策には必死になっていたらしいよ
館に商人入れて活動活発にさせてるもん
でもそれは軍鑑やらなにやらでは例によって批判対象にしかならんが
所詮敗軍の将とはいえ勝頼は結果がもう少し違ってたらまったく違う評価だったかもね
織田家と徳川家との確執が深すぎた
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 01:31:50
勝頼はよく落ち武者狩りや野伏にやられて命を落とさなかったな
全軍崩壊したわけではなかったということだろう。
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 08:18:02
部下達は討ち取られたがな
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 09:12:56
土屋昌恒ら少ない近臣が奮戦したからな
もっとも最後は疲労と上であっけなかったという説もあるが
ちなみに土屋の息子は親父の忠節を気に入られて徳川の家臣に
二万石を与えられ、後に七万石。老中まで出す名家になった
武田軍が正規兵を鍛えれば良かったんじゃないの?
信長が年中あちこちで戦争出来たのは職業軍人を大量に養成したからでしょ。
お百姓さん使ったら戦争出来るシーズン限られちゃう。
>職業軍人を大量に養成
誰が吹いてんだ、こんなウソ?
堺と本願寺から掠めた矢銭(用心棒代)で食い詰めた百姓や牢人を
雇っただけだぞ、織田は。一銭斬りの軍規も、合戦になると傭兵が
逃げ出してたから。当時の武士は半農、兵農分離は秀吉の刀狩以降!
江戸時代の歴史観で戦国時代を語るな
969 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 13:37:57
信長の兵農分離って家臣団の妻子共々自分の権力に従って移動させて
地縁を薄くして統制力を高めたことじゃないかね?
織田軍の数的主力は一般的な軍役を与えた国衆の兵士には違いなかったはず
>>967 武田領国で、村が村人ではなく金で雇った流れ者を兵役にだした事が問題になってるんだが。
こうした雇われ者は軍令より略奪などに走ってしまうので、大名側からは嫌われていたようだよ。
だから農兵のほうが役に立ったわけか?
身一つのあぶれものは何よりも己の身が大事なわけで、形勢不利と見るや逃げ出すのは当然。
また、いつそういう状況になるかもわからんから乱暴狼藉で私腹を肥やすのも当然。
それよりは土地や家族、村といったしがらみのある農兵の方が、信用できる。
乱取りはもちろん熱心に行うが、立場が変わればそれを行われる側の人間でもあるわけで、
大名勢力が自分たちを守ってくれるならば、大名権力を支えもする。
とはいっても、雑賀や甲賀ほどではなくとも、集団で傭兵家業を生業にする輩はいたようだし、
完全に信頼が置けない訳でもなさそう。
まあ、要するにどちらもメリット・デメリットがあるわけで、
それを上手く使い分けることが重要ではないだろうか。
そもそも兵農分離しないと農繁期に戦争が出来ないってのが大嘘だからね。
実際武田軍の出陣が一番多いのは稲刈の前後だし。
974 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 01:59:52
天目山に向かう武田勝頼一行を見て領民は何を思ったのやら
見ても見過ごしたのかな
逃走中の勝頼一行を襲撃しようとした。
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 08:17:23
したが土屋に切り殺されたんだよ。
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 13:00:22
片手千人斬りというやつか
でも日本刀で人を斬るには、両手持ちにして持ち手の間隔を空けてテコの原理を利用した斬り方じゃないと難しいはず
本当に片手で斬ったとするのなら恐ろしい達人だったっつーことになるなw
本当に片手で斬ったわけじゃないよw
勝頼らの自害の時間を稼ぐため、隘路に片手で蔓掴んで立ち片手で太刀振り回したって奴だろ
土屋に斬られた武士の血が流れて三日間赤かったという三日血川がああるとか
でもあきらかに誇大な話だろうな
勝頼だか信勝だかの首が堀に投げ込まれていて
その前を百姓が手を合わせて通り過ぎてたって話しだから
まだ多少は慕われてたんじゃないか?
981 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 13:35:03
>>979 実際は皆空腹と疲労で動けなかったのが現実。勝頼も自害ではなく箱の上に
座っていて疲労で動けない所を槍で刺されて死んだそうだよ。
逃げ遅れた者は次々討たれて
最後には疲労で力尽きて動けなくなった所を殺された
あまりに悲惨だから農家に火を放って自決したと創作したのだろう
三河風土記の記述だな
他の記録にあるような華々しい最後ではなかった、とわざわざ言及している
984 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 13:52:31
衰退して皆殺しにされ滅亡していく武田家を、圧政を強いられてた信濃の農民達は
どう受け止めたんだろうな。
特に志賀城や小岩岳城の奴隷や娼婦にされた人々は
信長公記によると女子供を刺し殺した後、武士はばらばらに打って出て皆討ち死にしたとあるな
土屋の奮戦はここでも書いてあるが
勝頼についての記述はないな。討死、とだけある
例の勝頼一行の最後の美談は甲陽軍鑑にしか書いてない
そろそろ1000いきましょうか
>>973 そうなの?
どうやって農業と戦争両立させてたのそれじゃ
990 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 16:30:22
>>984 北信濃の者達は織田の領国に素直に組み込まれた
これが答えだろう
>>989 軍役衆といって、農民だが村を代表して軍役をこなしていたのだ。
だから、別に農繁期とかは関係ない。「信濃市史」には、有徳の者を
出せと信玄が命じてる。ぎゃくに言えば、傭兵(牢人)とか病弱な者、臆病な
香具師らを「軍役衆」として代りに出す傾向があった反証。
これは北条軍や織田軍、上杉軍も同様。
>>990 天正10年には森は遁走し、川尻はスッ殺されたわけだが・・・
>>992 それは本能寺のためでは?
少なくとも棟別銭が北条の5倍以上という武田体制(信玄時代から。甲陽軍鑑が正しければ、勝頼時代はさらに重税に)よりは織田のほうがマシでしょ
北信濃衆は上杉や北条攻めに従ってるからな
信長が死んで家康が扇動するまで武田本貫地の甲斐でも騒乱起きてないし
>>990-994 戦に勝ったほうに付くという単純かつ当然の行動
信長死後は上杉配下の旧村上・須田満親に従ってるし
>>993 武田の棟別銭は50〜200文、北条は50文
なにをどう計算すると北条の5倍以上になるのかね?
>>994 家康が扇動しただけで騒乱起きまくりなワケだが
織田が武田より慕われてたら何か都合悪いのかw
川尻の件なんて家康の侵略正当化の口実だってとっくにバレてるだろ
一、関銭、駒口を取るべからざること。
一、百姓前には本年貢の外に不当な課役をすべからざること。
一、忠節人を立て置くほか、理屈を並べて懈怠する侍は殺害もしくは追放すべきこと。
一、公事はよくよく念を入れて詮議し、落着させるべきこと。
一、国侍は丁重に扱いつつ、さりとて油断なきよう気遣いすべきこと。
一、元来、欲のままに治めれば諸人は不満を覚えるものである。所領の引き継ぎに当たっては多くの者に知行を与えて支配せしめ、広く人数を抱えさせるべきこと。
一、本国より奉公を望む者があった場合は、よく履歴を改め、前の主人へ届けた上で扶持すべきこと。
一、諸城は堅固に普請すべきこと。
一、鉄砲・玉薬・兵粮を蓄積すべきこと。
一、各々支配する郡内ごとに分担して道を作るべきこと。
一、境界が入り組むゆえ、多少の所領争いが起きようとも私怨を持つべからざること。
以上の他、悪しき事態が出来した折には、罷り上って直に訴訟すべきことである。
(信長 甲州・信州国掟)
1000なら姉小路の天下
土屋片手1000人斬り
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い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
ん ド l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ た
の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
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