1 :
奇矯屋onぷらっと:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 00:01:17
2
明智兵に紛れればきづかない
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 00:03:52
その場合、織田政権が続くが、天下を取れるかどうかは微妙
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 00:12:52
あれだけの国力の差があれば俺でも天下取れるお・・・
取れるでしょ?
優秀な司令官と、若さと、積極性が信忠には残るんだから
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 00:16:51
どーでしょーかねー
包囲網ができていましたからねえ
むずかしいでしょうねえ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 00:19:20
>>8 いやいや。武田は滅びかけだし上杉も毛利も押し込まれてるし、もはや北条と島津に多少てこずる位の事しかないでしょ・・・
地方連合なんていう幻想を一応投げてみようか。
>>8 包囲網?なにそれ。
本能寺のおきた1582年には九州の大友から東は北条・佐竹・芦名・伊達・最上までが
織田に恭順。明確な敵対者は上杉と長宗我部くらいで、毛利はどうやって講和に
とりつけるかで苦慮中、いいかえれば武田のように滅亡してでも敵対するなんて
意識はない。島津も使者派遣している。
はっきりいって、この時点での地方の大名の政治課題は「どれだけ多くの利権を
確保しつつ、どれだけのものを差し出せば無事に織田政権に恭順できるか?」と
いうもの。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 03:11:45
織田家の正式な家督後継者が成人で官位もあるこの場合、幼児の三法師とは
まったく違うケースだ。秀吉にしろ勝家にしろ信忠を立てる事になる。
光秀も信忠を取り逃がす事になればクーデターは事実上に失敗で朝廷を
含め史実でさえ同調する勢力が無かったので、擾乱は早々に鎮圧される。
また信長死去により、そのカリスマ性ゆえの貪欲かつ苛烈な戦略は停滞し、
他勢力の併呑ではなく融和的な政策に戦略転換する可能性はあるだろう。
織田家の重臣にとっては信長という鬼のような信賞必罰主義の絶対君主の
急死は林・佐久間・荒木らの末路も見ているだけに、密かに歓迎するべき
事態とも言える。政権内部は安定化するとみても良いだろう。
この時点で今だ恭順していない勢力も、講和の好機と見るむきもあっても
おかしくはあるまい。
ただし、政権安定の為に宿老・重臣衆には高禄を与える必要も出てくるし
上述の条件に従えば講和を求める勢力にしても徒に領土割譲は求められない
とすると信忠後の三法師の頃が大変な事になる可能性はある。
そういう意味では信忠は天下統一は良いとして、その後の舵取りは意外に
難しいとは思う。
佐久間はともかく、なんで荒木が関係するのよ。
あいつは明智と同じで、信長からは厚遇されていながら謀反を起こしたヤツ。
ってか、武田を滅ぼした手腕からして
信忠は強攻派なんじゃ?(単に松姫パワーかも知れないが)
諸勢力に対して融和路線とは限らないと思うが
そうすると、各軍団長の功績多可を心配を問題視する奴がいるかもしれんが
織田家軍内に於いては世代交代も十分に進んでるし
信忠政権になんら問題は無い気がする
15 :
12:2005/11/10(木) 10:05:12
>>14 武田攻めの場合は信忠が出張った頃には勝敗は戦略的には既についていたし、
信長の総指揮下で事を運ぶ訳だから、甲斐攻めを以って信忠が強硬派と断定は
できまい。
外交面で融和策に転じない可能性もあるが、信長その人のやり方は彼のカリスマ性
による所も多いのではないだろうか。今だ評価の定まらぬ信忠が同じやり方を
踏襲するのはリスクがあろう。
>>13 荒木が厚遇されないから謀反というのは初耳だな。本願寺石山城攻めで包囲中に配下
のものが本願寺勢に兵糧を売った事が明るみになり、信長ならば荒木を許すことは
あるまいと荒木自身も観念し、座して滅ぼされるくらいなら毛利・本願寺の力が
畿内にまで及ぶ内にと謀反に至ったんでは?
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 12:30:37
>>15 私は13ですが、「荒木が厚遇されていない」なんて書いてませんよ?
それから配下が兵糧を売ったから云々は本当にあったことか不明。
現実には、荒木が謀反を起こした正確な動機はわかっていない。
ただ、荒木に対して信長が相当気を使ったのは事実。例えば最初に荒木謀反の
報が届いたときはしばらく信じなかったというし、謀反が確定した後には「不満が
何かあるなら聞くから」なんて使者に言わせている。まあこのあたりは西国戦線の
崩壊を恐れた信長による外交というかリップサーヴィスかもしれないが。
しかしこの後も、信長は人質を長く生かし続けている。本来なら裏切り確定の
段階で殺していいものたちなのに。さらにその後、勝敗がほぼついたあとにも
「村重が降伏すれば城兵・人質は助命する」なんて言っている。普通はありえない。
城兵はともかく、謀反を起こした豪族の人質が一年以上も処刑されていないなんて。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 14:17:37
武田家滅亡は本能寺の変の3日前。勝頼も自害を3日遅らせれば少しは笑えただろうに……
因みに質問
勝頼と一緒に逃げた正室(北条の姫様)の名前は何て言うの?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 14:36:06
幸福のレス
このレスを見た人間は生きてるうち神様に幸せに守られます
※あなたに訪れる幸福を招く方法が一つだけあります。
それはこのコピペを一時間以内に7つ、別のスレに貼り付ける事です
この時、信長が信忠の立場だったら親父見捨てでも岐阜に逃げるだろうなぁ
そんな信長が既に死んじまってるんだから
信忠も諦めて逃げなかったんだろうよ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 18:34:05
三法師こと織田秀信「いいじゃん。信忠死んでも俺がいるからw。後見人は秀吉だしw。3歳で天下人だぞw」
三法師は長孫だけど妾腹だからねえ。
信忠が順調に子供を作っていくと織田家の家風からして
傍系に追いやられてた可能性大かと。
寝言を起きたまま言ってるよ
信忠は幼名ほど奇妙な人間にはなれなかったな
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/13(日) 18:33:03
>>13>>15 >佐久間はともかく、なんで荒木が関係するのよ。
>あいつは明智と同じで、信長からは厚遇されていながら謀反を起こしたヤツ
思いっきり書いてるんだがw
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/18(金) 22:56:09
>>26 俺には
「されていながら」
と読めるが、お前にはどう読めるんだ?
本能寺の変は誰が首謀者なのか?
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 20:32:27
秀吉しかいない
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 04:38:37
家康とみた
朝廷一派だろ。
諸葛亮だろ
33 :
無名武将@お腹せっぷく :2005/11/22(火) 01:59:43
なぜ謀叛を起こしたか
明智は多分ハードな仕事の疲れから鬱病になってたんじゃないかな
これから先のこと考えたらまだまだ戦い続けなければならないことに
悩んで発作的に謀叛起こしたんじゃないのかな
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/22(火) 20:21:29
隠居しろよ
できなかったんじゃない?長男の光慶はまだ十代だったんだから。
しかし織田家の重臣層って随分と息子との年齢差が大きいような。
>35
あちこちに派遣されてて、子作りする間が無かったんじゃね?
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 09:52:01
朝廷・足利幕府や興福寺や東大寺などの宗教勢力等が何らかの形である程度の関与は
してても不思議じゃないわな。
どんな勢力が黒幕だったかはともかく、内部は一枚岩ではなく結果として織田征討の
勅命も綸旨も出なかったのかも。
38 :
織田翔ぶ長 ◆LSfas/njZs :2005/11/26(土) 14:49:30
それにしても何故、穴山梅雪はあの場面で別行動をとったのだろう?
本能寺の後って川尻が死に穴山が死にで結局、家康が火事場泥棒的に甲斐と信濃を得ていて、胡散臭いんだよな。
家康が穴山を謀殺して一揆を煽って川尻殺して国を得た計略にもみえる。
と、妄想を語ってみる
本能寺蓮如
>>38 穴山謀殺は不明だが、一揆の扇動と川尻殺して甲斐を得たのはほぼガチ
最近は黒幕説も下火になってきたようだが
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 03:44:24
あげますよ
もらっちゃった
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/30(水) 15:20:36
何説がいまいちばん信憑性あるの?
>44
光秀単独犯説に戻ってる模様。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/04(日) 01:36:22
恐怖
天海=光秀説も気になりませんか?
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 19:13:01
>>38 穴山梅雪は家康に降伏して、信長は家康に伴われた梅雪に謁見して駿河国江尻の
所領安堵を保証した訳だから梅雪の人事権は実質は徳川家に移管してたんじゃないか。
もしそうだとしたら甲斐国に食指を動かしたい家康とすれば利用価値は大いにあると
思うが。もっとも小山田信茂・木曾義昌・穴山梅雪は甲斐国では、評判はすこぶる
悪かったらしいから何とも言えないけどね。
いずれにしても生害するよりは生かしておいた方が使い道はあるだろうね。
一説には、もともと肥沃な駿河だが、信玄ゆずり内政上手な梅雪が肥え太らせた
江尻を家康が狙ったなんてのもあるが、なんかあんまり現実感ないよな。
>>48 なるほど。しかし、自分が家康だったらと考えた場合武田の一門で重臣であった男を代官にはしておけないけどなぁ…
いつ反乱を起こされるかが心配だし、裏切り者で人望がないにしても武田残党が蜂起した場合、梅雪は旗印になりかねないと思う。
井伊や配下に組み込んだばかりの甲州兵、甲斐の地侍、旧武田家臣など梅雪が蜂起した場合協力するかもしれないし。
自分が家康なら謀殺するかなぁ
ちょっと主観的すぎたかもしれないな。ごめんよ
穴山が反乱しようにも勝頼信勝のもとにあった勢力より大きな規模にはなり得ない。
ましてや一揆の盟主に収めてもらえるかなあ。
穴山の領土を徳川家が直接統治できるなら、
その方が絶対に都合がいいと思うがな。
穴山家なんて強力な国人領主は、いわゆる中央集権化を狙うなら邪魔なだけ、
穴山家や小山田家のような国人領主の存在が、
武田家が中央集権化に踏み切れず、大名の権力が限定的だった根拠にされているくらいだし。
つまり、反乱を起こす可能性等がほとんどないと仮定したうえでも、
もし徳川家が直接的な甲斐支配を狙っていたなら、
強力な国人領主である穴山は存在そのものが邪魔。
もしある程度国人領主の自治を残した穏便な間接的な統治を狙っていたなら、
徳川家に忠実であるという条件付で、穴山の存在は有益。
ということになろうかと。
>>53 慎重な家康があれだけ苦戦させられた武田家の重鎮を信用するかな?
一度裏切った者は二度三度繰り返す事を厭わなくなるという事もあるというし
「徳川家に忠実」になると約束させたとしても家康にとって梅雪の存在は有益ではないのではないだろうか?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 21:00:41
梅雪が信長に拝謁した当時は甲斐は織田家の支配下。
甲斐の状況を非安定化工作によって、徳川の機会創出の端緒を築くには格好の駒だと
思うが。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 21:07:04
今日放送された「義経」の最終回が本能寺の変と被って見えたよ。
ちなみに来年の大河は本能寺の変が放送されるからね。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 21:19:09
「上様!本堂にまで明智勢が!」
「であるか…、是非も無し。蘭丸、防ぎ矢致せ!」
「ははッ。…上様、これにて今生の別れでございますな。」
「うむ…。さ、もはや行くが良い。」
「はッ、これにて御免!」
>>54 そういうことも考えて、
「徳川家に忠実である」という条件をつけたのですよ。
まあ、疑っていたと確定は出来ないと思うけどね。
つまり私見としては、
穴山の存在は家康にとってどちらかといえば邪魔だった可能性のほうが強いのでは?
と思うと。
もちろん、だからといって、謀殺云々まで想像するのは飛躍のしすぎだけど。
しかし、私も個人としては、そうわかっていてもそういう想像もしてしまう。
梅雪の殺害に家康が関わっていたかどうかは不明だが、少なくとも助けようとも
しなかったのは事実。
それまで同行していたのに、どうして周囲が敵になって危険になったとたん別行動
をとるようになったのか?
家康が梅雪を置いてさっさと逃げ出したのか、それとも梅雪は家康になにか危険を
感じ取って自ら離れたのか。
積極的に殺したのではないかもしれないが、消極的に死に追い込むようにしたのかも
しれない。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 00:00:51
倍説スレか?
総合スレだ。
ただの個人的な想像。
まあ、スレ違いではある。
スレ違いかすまん。ならば消えよう
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 16:41:39
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 00:55:03
ぅお!?消えた!!
本能寺の変の時の織田勢はどれくらいいたんだろうな?150人くらいか?
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 12:50:23
二条城には500くらいいたんじゃないか?
信忠勢か…500じゃやっぱ助けようもないよな。
信長の馬廻りと信忠と村井の数を併せて2,000人弱かと。おそらく1,500人くらい。
本能寺には確か、150人ほどで、他の馬廻りは京市中に宿泊してた。これが500人くらいかな。
で、信忠も500人前後で、後は所司代・村井の部下数百ってとこかな。
なるほど。だがやはりその数じゃきついよな!
確か本能寺っつーのは寺よりも城に近かったと聞いたことあるぜ。
堀があって、中には鉄砲類の火薬が沢山蓄えてあったとか
このスレの住人に読んでもらいたい本
「本能寺の変 本当の謎」 円堂晃著
発行所 並木書房
図書館で借りたのだが、かなり興味深かった。
是非、一度読むべし。
>70
当事の寺社仏閣なんぞ、みな半分城みたいな感じでは?
>>70 信長の死因は爆死である
という説がありましたね。
その為に首が獲れなかったとか…
>>71 読んでみたいと思います。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 14:40:32
ボチボチ本題に回帰しましょうかw
織田信忠が二条城に立て篭もらず、父親の若い頃の様に危機にあっては何は
ともあれ逃亡するぐらい、けれんみのない逃げっぷりだったら織田政権は続いた
可能性は大きかったのにね。
信長はそれが出来たから若い頃から何度も危地を掻い潜ってこれた訳で
そういう意味では左近衛権中将殿は凡人だったということか。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 14:52:25
>>70確かに堀などもあったが万単位の兵を相手では無力に等しかった
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 15:13:35
明智勢全体では1万3千ほどだったろうが実際に本能寺攻囲したのは、そんな
多くはないだろう。
それに市街地を焼き払うくらいの市街戦ならともかく、取りあえず包囲してから
攻め立てたなら万を越す軍勢は却って利がないような気がする。後詰や警戒線の
軍勢をいれたら1万以上だろうけどね。
>>74 おまい、
あ の 織 田 信 長 が 逃 げ 切 れ ず に 死 ん だ
コレが第一報な訳
そんで
や っ た の は 畿 内 に 勢 力 張 っ て る 明 智 光 秀
これが第二報
で、現状として
今 の 手 勢 は 千 に も 届 か な い
っ て か 、 指 揮 官 ・ 官 僚 ク ラ ス し か い な い
そんな現状
逃 げ る ? 無 謀 じ ゃ ん
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 16:50:32
>>77 アンタ戦闘するのが前提でしょ。
確実に逃げ切れる、とは言わないが500や1,000で明智あいてに戦うよりは
余程マシ。確かに信長はにげきれまいが、信忠は逃げ切れた可能性が無いとは
言えまい。
現に家康は畿内から領国に逃げ帰った。彼の手元には手勢と呼べるものは
一切なかった。ま、なかった故に逃げる事に徹することが出来たとも言える。
この時に帰国できた家康が天下を取った事を思えば皮肉といえば皮肉だろう。
逃げ切れた可能性ってのは、事実を知ってる俺たちだから見いだせる可能性ってわかんない?
信忠の状況になって考えてみろよ
情報なんて全然入ってこないし、500、1000で逃げて明智に捕まったら大恥もいいとこなんだけど?
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 17:28:27
若年時の信長なら、そんな大勢では逃げまいよ。
単騎で一目散だ。信長本人だって逃げ切れるかどうか確信を持って逃げては
いない。
浅井備前守謀反時に自身は大軍にも関わらず逃亡を選択。こういう判断の事。
81 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/12/20(火) 17:37:04
一目散にどこを目指せるかが問題。近江なら明智左馬介が坂本から軍勢を出していたらどうするのか?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 18:01:21
都を一旦東に抜け鴨川を越えたあと山科の東端から宇治方面へ抜ける。
その後は鈴鹿峠を目指し、伊勢へというのはどう?
83 :
82:2005/12/20(火) 18:19:10
>>82 ゴメン、変な書き方しちゃった。
都を一旦東を目指し、鴨川を越えて山科の「西端」から南下して宇治方面へ
抜ける。その後は鈴鹿峠を越えて伊勢を目指すというのは如何でしょうか。
>>83 本能寺からやや北に移動してくる明智勢。
情報が少ないのなら、逃げ道として北・西・南は疑わしくて向かえないと思う。
信忠的には明智光秀が謀反した時点で
周辺の勢力に光秀の根回しがすでにしてあったと思うんじゃないでしょうか?
それなら逃げられないって思って戦うかもです。
86 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/12/20(火) 19:32:59
意表を衝いて千貫櫓の津田信澄と合流ルート。脱出は辛いけれどね。
四国攻めの軍勢を掌握すれば、秀吉の来援前に士気の上がらない明智を撃破。
光秀のお婿さんに合流かいっ!
近場で臨戦体制なのはここだけだし。勝長は安土に単騎駈け。
挟み撃ちの恐怖で光秀軍はたちまち瓦解。
明智が突発的なクーデターをやらかしたなんて、二条城にいる全員が(本能寺で死んだ信長も含めて)「まさか?!」と思ってるでしょ
あの明智光秀なら、筒井や細川に万全の根回しをして、退路要衝を押さえた上でのクーデターと現場の人間なら誰でも思う
丹波と丹後、大和は敵方。
二条御所から逃げうる先・・・
山科も無理だよなあ。
鈴鹿越え狙うくらいなら日野の蒲生をまず頼りたいが道があるかどうか。
逃走経路として順当な近江こそが最も危険に思えるね。坂本城の存在は脅威。
陸路でなら大津草津を経由しなくても安土までは一日行程。
都を脱出してわざわざ坂本を通るはずもなかろ。
いや、坂本城の明智勢が籠もりきりで傍観してくれるというのは無理が無くない?。
近江の小領主との絆も薄いし、岐阜までの道筋が見える状況ではないと思う。
信忠は明智の突発的な謀叛って事を知らなかったとしても、現実は周辺に手は打ってなかった。
信忠が安土・岐阜方面へ逃走する、って判断さえ下せば逃げ切れたんだろな。
一度、逃走開始るれば、京〜安土間の状況もある程度把握出来る(つまり、明智勢は周辺には手を打ってないと言う)。
その判断が愚かな判断にしか(当人達には)見えないんだから、前提条件の問題だよ
そらまあ結果論で語られたら妄想は膨らまないけどさ。
>95
まぁそうなんだけどね。
ただ、本当に用意周到な謀叛であれば、本能寺近くに住んでいた所司代・村井父子をみすみす信忠のトコまで行かせなかったろうし、信忠にしたって兵力差が圧倒的なんだから二条城に移動する余裕も与えないハズで妙覚寺を囲めば済む。
その辺りから判断できなかったのかな、と。
推理小説の殺人の種みたいなもんだな>気づけ信忠
後から言われて解る、何のことは無いんだけど、見方を変えなければ見つからないみたいな
まぁ、信忠の選択はベターだったと思うよ
あれで信忠が逃げたら、信忠は間違いなく信長や秀吉を超える超人確定だ
>>94 その判断ができるのは、明智は他に全く手を打っていなかったということを
知っている後世の人間のみ。
>>85 本能寺は突発的だという意見が学者の定説
根回ししてないから大山崎の街すらとれなかったんだよ
102 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/12/21(水) 12:13:51
>>101 というか中途半端に天下人意識を持ってしまって、自縄自縛に陥った訳だよね。
一心不乱に打倒光秀で駆け上れば良かった秀吉とでは、兵力以外の要素でも勝負にならないな。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/29(木) 22:06:14
丹波口方面は当然ながら近江も安土が有るゆえ信忠ならずとも京の西方と東海道筋は
鬼門と考えるだろう。二条城からいったん山科を目指し、鴨川を越え東山から進路を
北に変え大原経由で志賀峠を越え湖西を北に向かい柴田修理の北国を目指すというのは
どうだろうか。
いっそ筒井を頼るという手もある。
……俺が信忠なら絶対にやらんが
>>105 実子のない順慶に、光秀の子を養子にするという話題があったそうだ。
すくなくとも味方とは考えないだろうな。