曹沖が曹操の跡を継いでいたら魏はどうなってた?

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1無名武将@お腹せっぷく
13歳の若さで夭折した曹沖。機転が利く、心の優しい少年
だったそうですが、もし彼が曹操の跡を継いでいたら魏は
どうなっていたのでしょうか?
それを考察するスレです。
「長子が跡を継ぐのがしきたり云々」の話は、本題から逸れない
程度で。
2無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 21:40:58
司馬イに利用されるがオチ
3無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 21:42:01
曹操の後を継いでいたら・・・?という予想は難しいが、
もし成人していたら、曹操の子で唯一曹操の知力を上回る
能力値を持つ武将として活躍していただろう。
4無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 21:45:26
私には大きな不幸だが、お前らにとっては最大の幸福だ。

この言葉は、名言だとおもう
5無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 21:57:12
政治的能力について、曹ヒと比べてみたいな。
司馬イに利用されるってのには同意。
6無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:01:58
長生きしたとしても後継争いの相手はあの曹丕だぞ
子供の頃に優秀でも大人になってから曹丕より優秀か分からん過大評価だ
魏は曹丕が長生きしたifが一番変わる
>>4
同意
7無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:02:08
曹ヒはどうでもいいけど、曹叡が皇帝になれないであろうことは大きなマイナスポイントだよな
8無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:12:59
>>6
そうだな。曹丕は自分の為なら兄弟すら蹴落とすが、
曹沖にそれが出来るかは疑問。人柄で、優秀な人材は集まって来そうだが
それらが束になっても曹丕に敵うかどうか……
9無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:14:51
>6
>魏は曹丕が長生きしたifが一番変わる
同感

個人的には曹沖好きなんだけど、
曹丕とか曹植がいなくて、曹沖が夭折せず、後継ぎになった場合
20代半ば位で曹操の後を継ぐことになるじゃない? 
魏として結構つらそう
10無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:15:14
子供の頃、周囲から聡明であると将来を期待され
祖父にも「オレのじいちゃんに似ている」とまで評価されていた少年も
成長したら普通の人だった。

少年は司馬炎の孫です。
11無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:21:11
曹沖は人が良すぎて自滅しちゃいそうな気が……
人からは好かれるだろうけど、乱世を治めるには多少狡賢さが無いと
上手くやって行けないだろう。
12無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:52:40
曹丕には大きな不幸だが、曹植、曹彰 にとってはまあまあ幸福かな。
13無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 23:11:23
曹植は将来を絶たれ曹彰は暗殺(の疑い)だろ。全然幸福じゃないじゃん。
14無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 23:16:10
>9
年齢に関しては曹叡だって十分若いけどよくやったし
それほどの問題じゃないんじゃないのかな。
15無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 23:40:56
年齢は問題じゃないが曹沖の青年期の能力を
推し量るのが不可能
最大限に評価すれば、いい君主になったんじゃない
16無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 23:45:40
ずっと副丞相やってた曹丕を蹴落とそうってのは、袁紹、劉表より悪い後継者争いの種だ。
曹沖が健在だったら、結果的に呉や蜀に足元すくわれる。
17無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 23:55:51
曹操が理不尽なほど贔屓しないと後継者にはなれん
曹丕は簡単に足元すくわれるヤツじゃない
18無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 01:42:19
>16
曹丕が副丞相になったのは曹沖が死んだ後の話だから
曹沖が生きていたなら、曹丕を副丞相に任命せずに
曹沖中心の体制を整えようとしたかもしれないよ。
19無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 01:51:46
若杉ないか?
20無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 02:07:59
>>7
でもない。曹叡って、曹丕の路線結構崩しちゃってるしな

曹沖は長生きして、魏の柱石になるのがベスト。後漢の劉蒼を参考にしましょうって感じかな
上手くやれば、曹丕の取り巻きと曹植の取り巻きの間に立てるかも知れないし(丕植兄弟は仲悪くない説を取る)
曹沖曹植の皇族、曹真曹休の準皇族、陳群司馬懿の名族、この六頭体制で若干曹氏強めなら、魏は安泰
21無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 02:23:54
曹丕早死に
→皇族間で抗争
→八王の乱を先取り
22無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 02:26:59
曹沖は曹操が天下統一してれば優秀な後継者だったろうけど、
まだまだ天下が定まってないなら
戦乱の世を渡り切るには向いてないんじゃないかね。
23無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 03:01:26
>20
曹叡は曹丕の路線崩したからこそ成功した部分も多いよ。
崩したからこそだめになった部分もあるけどな。

曹沖が長生きした場合は、曹丕・曹植の対立自体起きたか?と思うよ。
むしろ曹丕対曹沖の対立で曹植は矢面に立つことないんじゃないか。
24無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 09:36:38
曹沖が曹操の後継者となるためには曹沖だけでなく曹操も長生きしないと。
曹操も歳取れば曹丕を廃するという無茶なことをしでかすかもしれない。
国が割れてがたがたになりそうだけど。
25無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 12:24:18
まあ曹丕は無能だった訳じゃないしな。
曹沖が跡継ぐなら曹操という後ろ盾がないとつらいかも。
26無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 12:45:34
久しぶりにマトモなスレに出会った
27無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 14:24:05
曹操が死ぬ時に曹沖が生きていれば25歳だから
若くはあるが全く無理な年齢でもない。
あとは曹操が死ぬまでにどれだけ曹沖の補佐体制を作れるかだろうな。
28無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 14:42:00
補佐体制より先に、曹丕を殺しておかないと。
曹沖の補佐体制から外れた連中は曹丕を立ててくるからな。
袁尚と袁譚の関係と同じ。
29無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 14:59:13
曹沖を曹丕が補佐するのは無理があるが
曹丕を曹沖が補佐するのは無理がない
曹沖は環婦人の子だから、丕や植とは一等格が下がるしね
30無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 15:08:59
曹丕が曹沖を使うわけがない。
曹丕には異母兄弟がたくさんいたはずなのに要職で活躍したやつは皆無。
31無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 15:12:13
そこで曹操の遺言発動ですよ
「曹沖を無下にあつかったら駄目だぞ」って言い残しておくの
32無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 15:35:55
それじゃ逆に臣下同士の対立を生みかねないよ
33無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 15:39:38
どちらにしてもポスト曹操のビジョンを盤石にしなかった曹操の責任

なので、結局兄弟同士の殺し合いで司馬に横取りされるのが遅いか早いかだけ
34無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 15:49:05
残念ながら司馬懿は曹丕に忠誠誓ってるので
35無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 16:38:56
曹丕・曹植じゃ曹操も悩むだろう。
一方は陰湿だしもう片方は放蕩息子だし。
曹沖はそのどちらでもないだけに期待してしまったんだろうな。
36無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 17:05:10
曹操は実は後継者選びでは大して悩んでいない。
曹丕を副丞相としているから、実質的にはすでに後継者に指名したようなもの。
曹植は、後から非主流派が推したのであって、曹操自身が積極的に支持したとは言い難い。
37無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 17:09:30
曹植の周りって、曹丕に嫌われた奴ばっかだからな
次世代に出世を望めない奴らが乾坤一擲曹植に賭けた
曹植はいい迷惑だよ
38無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 18:24:58
曹丕が周公旦となって曹沖を補佐すればいいわけだ
…ありえねー
39無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 18:30:14
>36
曹操が曹植を後継者にするか悩みだしたのは
曹丕が副丞相になった後だよ
だから余計大問題に発展したんでしょうが。

>37
楊修.のように曹丕に擦り寄られていながら率先して曹植側に付いた人間もいるよ。
というか、曹丕とのいざこざで曹植側に付いたのなんて丁儀くらいじゃないか?
40無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 18:34:17
曹丕って楊修にすり寄っていたっけ?
まぁ、曹丕って手紙魔だからな
41無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 19:23:44
>>10
司馬炎は名君だよ、統一するまでは
42無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 19:45:53
司馬炎の孫
司馬衷がアホだったけど、司馬炎はその子が優秀だからで司馬衷を次の皇帝にしたんだけど
43無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 23:27:02
それより曹昴が戦死しないifを考えようぜ!
44無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 23:33:40
それより曹昂の名前を昴と間違える奴をなんとかしようぜ!
45無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 23:35:20
正直あまり変わらない。
魏という国家の体制はほぼ固まっていたし。
46無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 15:09:59
>>43
曹操に馬を渡さず自身がそのまま逃げる。
帰還後は「親不幸者」と後ろ指指される事は数知れず、
跡継ぎにもなれず曹ヒにあぼーんされてお終い。
47無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 15:22:56
その場合曹操が死んでるので曹氏の勢力自体滅んで終了だろ
48無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 17:15:17
曹昂が生き残ってたら、曹丕と曹植の後継争いはなかったわけだし、
曹丕が司馬懿を重用することもなかったのでは?
司馬懿は曹操には疎まれてたっぽいし
49無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 17:52:29
曹昂がたとえ生きていたとしても正直何も変わらないだろうな。
曹操からも後継者指名もされないし…曹操は「曹昂には君主になりえる器ではないと言ってたし」
けど曹冲が生きていたら曹丕と対立して曹家による内部分裂があったと考えてみる。
50無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 19:01:24
曹操がそんな発言聞いた事ないが。
曹丕の発言と混同してるんじゃないか?
51無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 22:29:01
沖と植が組むという可能性はどうだろう
>>49
もしかして北方三国志でのことか?
52無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 23:29:56
司馬衷みたいに暗愚だったなら曹丕を支持する重臣はいないだろうがそうではないからな。
普通に聡明だし、その上嫡子だ。
曹操が曹沖を本気で後継者にしようとしたら諫めるやつ続出するね。
悪くしたら孫権の後継者選びを再現するかもしれない。
53無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 08:26:33
後継者に曹丕より曹沖が選ばれるという可能性の方に議論が進んでいるけど、
スレタイだと丕を出し抜いて沖が後継者に選ばれたとした場合のことを議論するんだから、
難しいよな・・・やっぱり¥家の内紛のようになっていたんでないか?

ただ曹操としても¥・劉荊州の前例を見てるから(沖が死んだのより後だっけ?)
沖を選んだ場合、丕に対して何らかの処置をしていたはずだと思う。
54無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 12:38:35
¥の家って争いあったっけ?
55無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 13:08:13
袁譚と袁尚による争いで袁氏の勢力は滅びました。
56無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 13:50:20
袁術と間違えたのでしょう?
57無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 14:35:22
家臣もろくに扱えないんじゃ専横許して滅亡しちゃうと思うよ。
58無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 16:38:26
ホントは曹沖って毒殺されたんでしょ?
59無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 16:39:59
ああ、そっちか。てっきり夏侯淵のことかと。
60無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 19:40:37
>>53
沖が死んだのは西暦208年
劉表の死とあまり変わらん時期だな
61無名武将@お腹せっぷく:2005/10/19(水) 20:00:33
曹厨?
62無名武将@お腹せっぷく:2005/10/19(水) 21:17:03
曹沖がif、後継者になったら
夏侯惇・夏侯淵・曹洪・曹仁の傀儡君主ケテーイで魏アボーン
呉&南蛮による挟撃で蜀もアボーン
呉も倭に奇襲されてアボーンケテーイ
63無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 00:38:27
例え内乱になったとしても各勢力が呉ショクの数倍だからな。
64無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 12:17:41
政治力高いと思うが、外戚を尊重しない曹丕はイラネ。
曹叡が外戚を尊重しても曹一門はこの代で弱体化している
ので司馬一門に乗っ取られる訳だ。
65無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 13:56:14
外戚を重要した司馬氏の愚かな末路をご存じない?
66無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 14:25:41
曹氏も司馬氏も後継者選びで失敗している。
後漢を反面教師として曹丕が採った政策も
曹魏を反面教師として司馬炎が採った政策も極端ではあるがどちらも間違いではないと思う。

司馬懿のクーデターも八王の乱も曹芳、司馬衷の輔政がしっかりしていなかったために
曹爽、楊駿の専権を許してしまい起きてしまっただけだ。
67無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 14:33:11
後漢を反面教師って外戚のあたりか?
68無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 18:03:42
>>64
歴代の中国王朝は一門に力を与えないようにしている。曹魏はその度合いが
行過ぎてしまったが、別に政策としてはごくまっとうなものだよ。西晋の愚
かしい政策をみればそれがよくわかる。

ちなみに秦以来一族に大権(軍事力)を与えた王朝はいくつかあるが、その
殆どは内乱のタネになって力を削ぐ方向へと転換している。
前漢の呉楚七国の乱、西晋の八王の乱、明における靖難の役その他皇族による
反乱。

後漢だって、太守や牧に任じられた宗族はいても地方で軍権を持った皇族はない。
69無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 18:16:15
禿同
70無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 18:33:58
>>608
天下統一するまでは晋の皇族優遇も有効ではあるよ。
晋の問題は天下統一した後も優遇し続けた事だし、
天下統一できていない魏のような国が皇族を抑えれば
臣下の権力が増して内面から滅ぼされるリスクは当然あるよ。
両方、前朝の失敗点を克服しようとした点では評価できるし
それを時代の状況に合わせて変更していけなかった点ではマイナスだったということだろう。

そんなに晋ばかり卑下するのもどうだろうね。
71無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 18:38:39
すまん
608じゃなくて68だ。
72無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 18:51:09
>>68
牧って地方で軍権を持った刺史じゃね?
劉焉、劉表、劉虞、劉備あたりは地方で軍権を持った皇族なんじゃね?
73無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 20:15:55
遠縁なのであまり同類にはできんよ

皇帝の叔父とか弟とか従兄弟とかとは違うよ
74無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 21:13:28
植がいい って
けいろくのおっちゃんが言ってたよ
75無名武将@お腹せっぷく:2005/10/20(木) 23:51:35
>>72
それらは宗族ですね。

もうひとつ言うと、牧が設置されたのは黄巾の乱以後で各地に反乱が頻発
するようになったため。
そして軍事力を持った劉焉は明らかに独立の志向を持っていた。この点に
限り、中央政権の視点で言えば牧の設置は失敗だったと言える。
76無名武将@お腹せっぷく:2005/10/21(金) 13:36:28
曹沖(東郷公主も)が生きていたら、東郷公主とケコーンするのかな?
77無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 04:44:59
曹操の後継者としての「長幼の序」からいくと沖は実際何番目くらいなの?
78無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 17:46:10
曹丕→文武両道、性格に問題アリ
曹彰→軍才オンリー、後継者失格
曹植→詩文の天才、品行に問題アリ
曹沖→徳才兼備
79無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 20:00:13
>>77
本来の序列で言うのなら、そもそも継承権もないとみなされていたほど低い。
80無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 23:50:42
意外だが曹彰は文才はあった。確かな。
ただ親父や兄弟が文学にのめり込んでいたから、
自分らしさを出すために、武芸一筋を貫いたような
感じがする。多分な。
81無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 23:54:09
そもそも曹丕は次男だから「長子が〜」の前提は最初から無い

とマジレス
82無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 23:56:35
曹昂の同腹の弟の曹鑠(早世)がいるから正確には曹丕は三男。
83無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:09:44
曹仲が後を継いだら父親がやった漢に対する横暴な行為をしなかっただろうな。献帝に対して強制的に禅譲を迫って皇帝にならなかったと考える。
人が良すぎる性格してたと思うから。
84無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:11:18
>>78
いつも思うが丕・彰・植は凄い兄弟だな
卞夫人も相当頭良かったんだろうね
85無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:15:06
彰だけ何であんな勇猛だったんだんだ??
これは父親にも似なかったことだな。
86無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:29:18
曹操だってなにげに武勇譚あるやん
87無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:29:46
曹操もそれなりに勇猛であったような。
88無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:34:04
確かに曹操は
関所を強行突破したり
橋の上で一人踏ん張ってみたり
多勢を少数の兵で守りきってみたり
とかいう演義の様な活躍をしてないから武勇は優れてないと思うかもしれないが
戦場で死ななかったし武勇には優れてたんじゃないかと思ふ
89無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:34:47
曹操の武勇伝なんて聞いたことない。
勇猛なんて初耳だし。
90無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:37:35
>>78
曹丕の性格に問題があるって根拠は?
曹丕って国家の為に肉親や親族等を切捨ててはいるけど人間としてそれ程問題があったとは思えない
それと曹植も太守やったり軍動かしていて文武両道
余談だが曹植は詩なんてものは手遊びで大の男がやるものではないと言ってたりする
91無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:38:08
>>88
曹操は運がとてもよかったとも言える。
苑城攻略の時もそうだけど…典韋がいなければ脱出できなかっただろうしな。
馬超にも後一歩で討ち取らそうなところを許チョに助けてもらったりとか。
92無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:39:03
>国家の為に肉親や親族等を切捨ててはいるけど

ヒント:儒教社会
93無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:45:43
>>89
張譲の家で大立ち回り演じたり猛獣と格闘したり鳥60羽打ち落としたり、凄かったらしいよ
まあ異同雑語と魏略をどの程度信じるかって話だが
94無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:51:22
>>92
儒教社会?
当時は後漢の儒教一尊から道教、仏教が台頭して国家だけでなく価値観の紊乱も起きていた時代だよ
そして曹操はその儒教の道徳にかなり逆らう路線だった
その曹操の目から見てどうして性格に問題があると考えるわけ?
95無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:54:02
>>90
>曹丕って国家の為に肉親や親族等を切捨ててはいるけど
曹洪は?
于禁は?
96無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 01:02:17
>>94
わざわざ
>国家の為に肉親や親族等を切捨ててはいるけど
って部分だけ抜き出してるのにな

ヒント:親兄弟は大事にしましょう。特に父親は
97無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 01:12:24
>>90
もちろん数々のエピソードを挙げることも可能だが、
文帝紀の評を見るのが一番早いんじゃないか。

曹植が文武両道というのは無理がある。
その才がまったく欠如していたとまでは言わないが、
曹丕以上であったという根拠は史書には見当たらない。
長幼の序を乱してまで後継者となるには曹丕を超える資質が求められる。
でなければわざわざ曹植を推す意味がない。
98無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 13:41:01
すくなくとも曹丕が正妻の子であり実質長子であるからこれをひっくり返すくらいの
アクシデントがないと曹沖におはちは回ってこないだろう。
たとえば合肥かハン城の戦いに出陣したとしてで大敗、捕虜になるくらいのifを想像しないと。
99無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 22:56:16
スレタイが
「曹洪が曹操の跡を継いでいたら魏はどうなってた?」
に見えた
100無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 22:57:52
>>99
村上ファンドみたくなってた
101無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 00:53:41
そりゃ恐ろしいな
102無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 21:31:45
乱世において優しいという性格はマイナスではないか?
とくに曹家には曹丕なんて危なっかしいのがいるからなおさらだよ・・・。
103無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 22:31:47
曹沖が早くに早々の後を継ぐ。
曹操を背景として武は曹ヒの助けを文は曹植の助けを得る。
曹操の死後内紛さえおきなきゃ司馬氏に乗っ取られるのはもう1代は後になったんじゃない?
104無名武将@お腹せっぷく:2005/10/26(水) 22:37:30
曹丕を曹沖が助けた方が理想的かつ現実的だけどな
105無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 00:54:11
魏国皇室の縁族関係とか盛大に無視して言ってるんだ。
106無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 01:34:24
>>103>>104なら、だよ
107無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 03:03:58
植って、文才はあったようだが、政治家としてはどうなん?
108無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 03:09:55
曹植は、曹叡の優れたブレーンであったようなフシがないでもない。
109無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 03:46:30
>>107
非情の決断ができるかどうかは別にして有能であることは間違いない
110無名武将@お腹せっぷく:2005/10/27(木) 16:39:36
少なくとも曹沖と曹植は曹丕みたいな非情な決断はできないね。
曹丕は献帝から強制的に禅譲を求めたけど…上記の二人はとてもできないことだ。
場合によっては曹丕みたいな非情の決断も必要だからな。
111無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 01:35:39
曹丕は人間としての度量の小ささから家臣に死を迫るような「非常の決断」も下してるけどな。
そういう人間が古代の聖君にあこがれてるというのがまた面白いんだけど。
理想と現実との相克。
112無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 01:42:57
ムダに非情なトコが珠に傷だな。
非情というか性格が悪い。
113無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:19:50
度量が小さいとはちょっと違うな
非情と冷酷と性格悪いは似てるようで全部違う
曹丕は非情に成れないけど、政治の為なら冷酷になれる、性格の悪い人
114無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:21:13
>>113
的確だ
115無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:28:51
南方征伐を諫めた奴を憤怒にまかせて殺したらしいけどな、出典魏略だけど。
シン氏も自殺を迫るにしては理由が薄弱でカク后にまんまとのせられたっぽいし。
俺の中では曹丕はいまいち情けない男ではある。
116無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:35:54
>>115
曹丕の情けなさは、そういうエピソードよりも無意味な自画自賛にこそ起因すると思う。
曹操=自作自演
曹丕=自画自賛
117無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:42:30
禅譲は曹操が万事準備を整えた上で行われたのか
曹操は特に準備はしてなかったが曹丕が強制的に
禅譲するようにしたのかどっちだろう
状況的には曹操が準備したってことでいいんだろうけど
キャラ的には曹丕がムリヤリ禅譲の方がおもしろいなあとも思ったり
118無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 02:56:00
普通儒教では3年喪に服す
なのに一応名義的には漢臣であった父親が死んで1年で禅定・遷都とやりたい放題
普通もう少しクールダウンの期間置くよな
119無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 09:00:21
>>118に追加するに
曹操の愛人を死後自分の愛人にしてる。これは遊牧民の風習。
だから母親に『鬼畜』といわれた
120無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 10:06:59
>>116
曹操=自作自演 ってなに? 気になるw

>>118
それって出典なんだっけ? 捏造くさいんじゃなかった?
曹丕って曹操並に陥れる系の逸話付け足されてるから
121無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 12:09:26
>>118
時期はともかく、洛陽への遷都は予定内だろ。
洛陽は曹操が復興を行っているし、許は仮宮。
許は頴川郡の郡都でもないし手狭。
122無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 12:17:55
>>120
3年喪に服すは論語出典
三国志語るなら論語くらいは読んどけ
論語それ自体も結構面白いぞ
123無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 15:07:39
>>122
いや、それじゃなくて曹丕が曹操の妾を奪ったって話の出典を聞いたんだが
論語にのってんの?
124無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 15:14:55
じゃあアンカーを>>119にしとけよ
125無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 15:33:18
>>122
論語厨?
正史厨ならよくいるけど論語読まないと三国志語るなは初めて見た
126曹丕スレよりコピペ:2005/10/28(金) 15:37:57
短歌行 曹丕
仰瞻帷幕,俯察几筵。 仰ぎ帷幕を瞻り、俯して几筵を察す
其物如故,其人不存。 其の物故の如く、其の人存せず
神靈倏忽,棄我遐遷。 神霊倏忽として、我を棄て遐へ遷さんとす
靡瞻靡恃,泣涕漣漣。 瞻り靡く恃靡く、泣涕漣漣とす
[口幼][口幼]遊鹿,草草鳴麑。 [口幼][口幼]と鹿遊び、草草と麑鳴く
翩翩飛鳥,挾子巣棲。 翩翩たる飛鳥、子を挟んで巣棲す
我獨孤煢,懷此百離。 我獨り孤煢し、此の百離を懷く
憂心孔疚,莫我能知。 心憂い孔疚しく、我を能く知るもの莫し
人亦有言,“憂令人老”。 人亦た言える有り、「憂い人を老い令む」
嗟我白髮,生一何蚤 嗟我が白髪、生え一れば何ぞ蚤き
常吟永嘆,懷我聖考。 常吟永歎し、我聖考を懷く
曰:“仁者壽”,胡不是保 曰く「仁者は壽し」、胡ぞ是保せざる

上を向き帷幕に目を凝らたり下を見て几筵を見る
それらは以前のままなのにその持ち主(曹操)はいない
(曹操の)魂はたちまちに私をおいて遠くへ行ってしまった
仰ぎ見る(尊敬する)人も頼りにする人もいないので涙が流れて止まらない
おやおや、鹿の親子が遊んだり鳴いたりしている(しかし私の父はいない)
翩々と空を飛んでいた鳥も巣で雛を羽の下に抱いている(しかし私の父はいない)
私は一人ぼっちで孤独なままこの別れを胸に抱いている
この悲しみと痛みで満たされた私の心を誰も知らない
「悲しみは人を老いさせる」と言った人がいる
ああ、私の白髪も何でこんなに早く生えるのか(悲しみが私をこんなに老けさせたのだろうか?)
何時も詩歌を吟じていると父を思い出す(父も詩人だったから)
孔子は「仁者は寿し(仁者は長生きだ)」と言ったがこれは本当なのか?(ならば何故父がもっと長生きしなかったのか)
こんな素敵な詩を詠む男です。ここはアンチ曹丕が多いので改善祈願して投下
127無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 16:20:17
なんで>>125はいきなり厨扱いしてるのか不思議。

「語るな」と言ってるんではなく、「語るなら読もう」的な意見じゃないの?
「三国志」だけでは風俗や慣習なんかを補完できないのは確かなんだし、
変に噛みつく意味がわからん。
128無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 16:29:03
>>126
詩ねぇ
数々の史書の記述から読みとれる曹丕の性格を詩でまっこうに否定するのは俺にはできないな
別にアンチじゃあないし曹丕は有能な為政者で華麗な詩人と思うが
129無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 16:47:46
>>126
君は他人をアンチ呼ばわりする前に
自分の目が贔屓に過ぎないか少し考えたらいいんじゃないか?
上に出ている話は、無茶苦茶な曲解はされてないだろう。
史書の記述と当時の風習から語っているだけで。

詩を含めて曹丕を語ること自体はいいと思うけどね。
曹丕は父親の死の直後には、悲しむあまり臣下からしっかりしろと咎められているし
父の死を悲しんでいたのは確かだとは思うよ。
ただ、その後の行動が当時の風習とはちょっと違ったために後世から非難された面もあるんだろう。
130無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 16:56:14
俺、嫌孔子厨だから無理>論語
131無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 17:11:19
>>126
大酒と奇行で知られた阮籍の詩は一字として酒のことに言及せず、
晦渋な表現でもって真意を包み隠すかのようであるし、
硬骨の政治家であった張華は逆に、童女の恋心をうたった軽妙な詩ばかり残している。
また潘岳は権力に寄り添いながら惨めな逸話を残し、太子廃嫡事件では公文書の偽造にまで手を染め、
それでも最期は無惨に刑死せざるを得なかったという俗悪きわまる小才子なのだが、
詩の中では俗世を厭い、妻を愛し、自然に触れて涙するような芸術家らしい内面性を表現している。
詩に映る精神が、そのまま実人生に当てはまるとは限らない。
132無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 17:47:19
昔江川達也のマンガでも「作品は作者とは正反対」みたいな話があった
そう考えると性格良さそうな詩を書く奴は極悪ってことだな
133無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 17:58:47
正反対とは限らんけどね。
ただ、ドロドロの中世的貴族権力社会を生き抜かねばならなかった晋朝の詩人と、
そうした社会を作り出しながらも古代に憧れていた曹丕とは、相通じるものがある。
社会的自我と芸術的自我が分裂しているわけだ。
134無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 18:56:31
曹操は作品と本人が近い気がする
135無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 20:37:36
跡継ぎ争いの際に、曹植を出し抜くために、カクだか誰かから
「曹操が出征するのを見送る時、涙をためてじっと曹操を見つめろ」
みたいな助言をもらって、実行したって話は実話?
136無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 22:34:31
>>134
似てるのもあるけど、似てない
137無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 22:35:52
仮定の更に仮定で曹仲が継いでも長生きしなさそう。
丕、彰、植は40前後で死んでるし、他の子で長命したのいた?
138136:2005/10/28(金) 22:42:48
うそ、似てる。曹丕と見まちがえた。寝ぼけすぎ。
139無名武将@お腹せっぷく:2005/10/28(金) 23:59:45
>>132
俺はエロ漫画ばっかり描いてるけど本当はマジメなナイスミドルなんだぜっていう
江川一流の自己弁護だろ。
140無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 00:06:52
>>135
そのエピソードは賈クじゃなく呉質
裴松之が注で「世語」から引っ張ってきてる。
141無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 12:37:06
司馬懿を使いこなせるのは曹丕だけ。
142無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 12:40:05
>>141
えーと、、曹操の間違いだよな。頼むからゲームか何かの話をノンフィクションにしないで
143無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 13:22:01
は?実際曹丕に司馬懿は忠誠を誓っていたし、曹操は司馬懿を殺そうとしたたんだが?
ゲーム言う前に、自分の知識の浅さをノンフィクションにしないでw
144無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 13:29:29
曹丕と曹叡は使いこなしていたな
145無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 13:37:29
周不疑を使いこなせるのは曹沖だけ。
146無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 14:18:16
上で「曹操=自作自演」ってのがあったが、
周不疑の逸話なんかも曹操の自作自演なんじゃないかと思ったりする
いや、曹沖も自作自演なんじゃないか
曹丕にトラウマを植え付けようとする曹操の罠なのだ、きっと
147無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 14:40:36
周不疑が実際どの程度の人物かも判らんしなぁ
学者っぽくて、謀臣とか宰相の類には見えないが
148無名武将@お腹せっぷく:2005/10/29(土) 15:43:07
>>146
魏フウの反乱についてもも自作自演説があったな。
曹操にはやりかねないと思わせる所があるんだよなあ。
149無名武将@お腹せっぷく:2005/10/31(月) 12:35:11
何だか補佐向きの気がして来た……<曹沖
150無名武将@お腹せっぷく:2005/11/01(火) 12:33:23
劉禎は曹丕のおかげで貴重な体験しているよな。あの絶世の美女で有名な甄氏を
直視してしまったからイイよな〜ハァハァ。
151無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 21:18:23
他に直視した人は?
152無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 21:32:12
曹植も直視してそうな気がする
153無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 21:37:49
曹植は心の眼で視たのさ……
154無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 22:30:07
甄氏は曹操の嫁になってたほうが幸せだったかもね
155無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 22:43:40
曹操の嫁にはどうやってもなれない
156無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 23:38:57
側室も無理?
157無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 01:03:03
側室は嫁じゃない
妾とか端女とか言うんだ
158無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 02:26:40
曹昂が後を継いでいたらどうなってた?
159無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 02:27:47
とりあえず曹操の正妻は丁氏のままだったろうね。
160無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 02:50:09
そうすると丁氏の族滅は避けられたってことになるな
ってことは魏皇室の縁戚関係が史実とは違った形になっているわけで面白いな
161荀c ◆rsqKOQYKG6 :2005/11/05(土) 08:55:32
自治大集会は中止となりました。
多くのスレと住人を騒がせてごめんなさい

ふざけんなこの野郎、って人は文句を書いていって下さい
以上です
162無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 09:17:40
曹操は奥さん多いけど一番は丁氏、
丁氏と離婚した後は卞氏って変えないのが偉いね
孫権に見習って欲しかったです。。。
163無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 10:11:23
曹操の生母も丁氏の可能性が高い。
となると先妻の丁夫人は母親の親族か?
164無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 10:47:32
すると丁儀・丁廣兄弟は、
丁氏の甥の世代に入る親族になるな。
丁斐も沛の人だが親族かどうかはわからん。
165無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 18:20:57
>>163
伯の字は長嫡子
孟の字は庶出という説もある。
曹操の生母は丁氏でない可能性が高い。

曹丕も長男になった以上は曹丕の嫁も丁、劉、夏侯の一族の中から取る予定だったかも。
166無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 21:52:09
>>165
もしかしたら曹徳の母が丁氏かもな。
最期まで父の側にいたし。

曹昂の母は庶民化した漢の一族か?
本当かどうかはわからんが。
167無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 22:15:02
曹昂・曹鑠の生母・劉夫人の出自が不明だけど、丁夫人の異様な愛情ぶりをみるに
丁夫人が曹操に嫁す際に遵ってきたヨウあたりかもしれない。
古い貴族社会ではよくあることだし、丁夫人が曹昂の死後もあそこまで固執してた
あたりをみると、劉夫人が赤の他人だったとは思えないなあ…。
168無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 22:16:20
>>167
あああり得るね
丁夫人が子供埋めないってわかって
代わりにーって感じだったのかもしれないし
169無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 23:07:58
丁氏は沛の名門だし・・・
劉氏も元を辿れば沛だし。

もしかして、それで丁夫人は・・・
170無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 12:32:09
期待してたんだろうな
171無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 22:55:48
せつなくなりますた
172無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 23:42:47
曹昂に光栄あれ!
173無名武将@お腹せっぷく:2005/11/12(土) 11:07:49
丁夫人好きだなー
こんなに我を通した女性って三国志中では少ないよね
現代人みたいな丁夫人と曹操のやりとりが素敵だ
174無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 14:59:03
よく離婚だけで済んだよね。
175無名武将@お腹せっぷく:2005/11/18(金) 10:16:21
>>173
史書の女性ってどうしても婦人の鑑か悪女のどちらか多いな中で
この人の話は人間味溢れてる。

子供を犠牲にしてもかまわない、かえってそれが美徳とされていた時代に
自分の子供にこれだけ愛情注いで、堂々としてるのはいっそ潔い。
行動はちょっときついが悪意のある人ではない感じ。
176無名武将@お腹せっぷく:2005/11/18(金) 12:40:13
曹操との最後の会話がすごい切ない
177無名武将@お腹せっぷく:2005/11/18(金) 17:24:08
>>176
なんでこんなフランス恋愛小説みたいな話を史書に載せたんだって感じだな。

その丁夫人を手厚くもてなすベン夫人の話も泣ける。
178無名武将@お腹せっぷく:2005/11/19(土) 01:49:24
全然古代中国っぽくないよね
初めて読んだ時はたまげた
179無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 13:03:18
いくら曹操に話しかけられても、無言で機織りを動かすのみで
織りかけの絹だけが涙に濡れていた




ナケス
180無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 23:36:17
このやり取りを知っているのは曹操と丁夫人だけなんじゃないの?
なんで史書に残ってるんだw
181無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:09:38
曹丕が広言しましたw
182無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:19:25
曹操がしゃべったか、
曹操or丁夫人のお付きの者がしゃべったか、
すべて創作か。
183無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:22:13
すべて創作にしてはやりすぎ。
なんか根拠があったんだろうな。

まあ、曹操が喋りまくったんだろうけど。
184無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:27:19
その当時の貴人がひとりで出歩くわけないだろ?
ふたりの周りには従者だの侍女だのいまくり
185無名武将@お腹せっぷく:2005/11/21(月) 00:30:04
許チョがうっかり漏らす→夏侯惇がききつける→親戚中にばらす
→曹丕が手紙に書いて文人仲間にばらす→誰かがそれをネタに詩を作る
→庶民が歌うようになる→他の国まで広まる
186無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 02:33:54
曹丕は絶対絡んでそうだな
187無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 10:20:28
>>185
惇が一番悪いww
188無名武将@お腹せっぷく:2005/11/25(金) 20:56:05
最近類似スレが多いなぁ
189無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 08:16:47
馬鹿が一人で立ててるからな
190無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 13:14:29
継いだら司馬懿につけこまれて魏が早く崩壊してたと思う。
あとは残酷な決断を実行に移せるかだな
191無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 13:20:06
つけこまれないっての
192無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 13:30:36
なんでみんな司馬懿を最初っから簒奪目論んでたみたいに言いたがるかな
193無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 17:49:57
司馬懿は曹丕が庇って、取り立ててなきゃ、その他大勢の名族だ
194無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 23:44:19
曹丕が親族冷遇路線を採ってなきゃ司馬氏なんか芽も出ない
曹丕抜きで曹叡が位につく場合、曹丕が死んでいる以外の状況がない
従ってまず親族冷遇路線になるかどうかさえ怪しい
195無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 23:49:10
ごめん 姉妹スレの曹叡スレと間違えた
196無名武将@お腹せっぷく:2005/11/29(火) 00:36:58
どう見てもそうだろが。
197無名武将@お腹せっぷく:2005/11/29(火) 15:28:46
どうみても曹叡です。ありがとうございました
198無名武将@お腹せっぷく:2005/12/02(金) 01:54:25
吉川三国志だと、好々爺なんだけれどその顔の下には
大きな野望を秘めてるって感じだったな<司馬懿
199無名武将@お腹せっぷく:2005/12/02(金) 04:03:37
後三国志の司馬懿おすすめ
普通にいいひと
200無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 00:29:09
200ゲト
201無名武将@お腹せっぷく:2005/12/08(木) 00:53:32
いまいち影が薄いよね。
202無名武将@お腹せっぷく:2005/12/09(金) 02:17:20
203無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 15:10:47
曹沖は臣下として皇帝に遣えた方がいい様な気がする。
人望もあるし、機転も利くし。
204無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 16:28:55
皇帝の度量が狭かったら、真っ先に消されるタイプだな
205無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 16:49:00
曹ホウは司馬イに消されたからな。
もし曹沖が継いでいたら司馬イにクーデターされて曹ホウと同じ運命になりそう。
だから滅亡がかなり早まるだろうと思う。
206無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 17:17:13
司馬イは丕、叡2代の間に力を蓄えたからクーデターできたわけで
いきなり沖が後継ぎだからって下克上できるわけねーだろ
207無名武将@お腹せっぷく:2005/12/12(月) 22:38:59
曹ヒと曹叡が長生きしていたらクーデターはなかっただろうね。
というか…魏の滅亡まで歴史が関わってた思う。
208無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 00:52:51
マジレスすると、2ちゃんの三戦板に
「曹丕が曹操の跡を継いでたら魏はどうなった?」スレが立ってたと思う。
209無名武将@お腹せっぷく