858 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/08(火) 01:35:51
葵は前半はひたすら家康の勝ち勝ち勝ち勝ち・・・で、後半はひたすら
徳川が磐石で万歳、万歳、万歳、万歳・・・・みたいな流れだからな。
主人公三人に苦悩の部分が少な過ぎる。 少しあっても上流階級が
くだらないことにこだわってるようにしか見えなくてドラマとして視聴者の心を
つかむ要素がない。 江戸幕府の成り立ちと徳川家初期の系譜を知りたい人には
教材ビデオとして秀逸だろうけど。
まあそれでもこのスレの住人なら大概面白いと思うわけだろ? 日本史好きだから。
859 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/08(火) 11:25:37
>>858 というか三代記なんかやった日にはエピソードなんて盛り込めないっての。
>857-858
わたしがこれおもしろくないと思ったのはそういう理由だったのか
なっとく
関ヶ原から大坂の陣までに絞れば、もっと濃い作品になったかもしれないね。
>>858 >まあそれでもこのスレの住人なら大概面白いと思うわけだろ? 日本史好きだから。
そういう決め付けたような言い方は良くないと思う。
自分は日本史好きだが、だからと言って、このドラマの全てを好きとは言えない。
好きな部分もあれば、嫌いな部分(特に家光関連のエピ、朝廷いびりの件)もある。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/09(水) 10:16:10
>>861 まあ、事実だから仕方が無いんだけど、あそこで大河お得意の架空キャラが登場するというのもねぇ。
どうにもイジりようがない話。
863 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 00:51:52
話の始まりが太閤死去の翌日からというのが普通の人には難しすぎだ。
豊臣政権末期なんてもの凄く複雑な無理に無理を重ねてなんとか建前だけの安定状態を
保ってる有様なのにそんなとこから始められても分かるわけねーよ。
ただでさえ秀吉は天下人だから豊臣政権は安定してるんだと勘違いしてる人が多いのに。
864 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/10(木) 01:09:35
普通の人にとっては
小川真由美演じる淀君の方がよほどの踏絵だと思う。
迫力あったよなあ。
>ただでさえ秀吉は天下人だから豊臣政権は安定してるんだと勘違いしてる人が多いのに。
そうなの?
解説希望
868 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 01:32:02
>>867 学生時代に教科書や授業で「豊臣秀吉が天下統一」と習う=日本が安定した。
茶の間のほとんどのオサーンやオバサンの認識なんてこんなもんだよ。
869 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 02:46:16
>>863 >豊臣政権は安定してるんだと勘違いしてる人が多い
確かにそうだね。
秀吉の存命中から、既に政権基盤の脆弱さを露呈していたよね。
あくまで秀吉という個人の力だけの政権。
彼の老化がそのまま政権の疲弊に直結していた。
しかし、その一方で秀吉の死後、18年にわたって豊臣家が生き長らえたという事実を
どう捉えるかということもあるんだよね。
豊臣家が潰されないように付け入る隙を与えなかった
という訳では断じてないな。
871 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 10:19:38
>>869 やっぱり関が原後に政権をあっさり家康に渡したことと大幅減封を受け入れたことが
豊臣家の余命を延ばしたんだろうね。
それ、全く逆ですから・・・残念
家康の力を世に知らしめる事になっちまったという失態だよ
873 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 16:23:38
事実の羅列だけじゃないか、って批判があるけど、じゃあ架空人物や赤マフラー満載のほうがいいってのかい?
874 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 17:44:46
>>871 それはちょっと違うんじゃない?
豊臣家は徳川家に臣従したことはないのだから。
それに家康はあくまで 豊臣家の大老 として戦後処理を行っているからね。
豊臣家としては「何が起こったのかよく分かっていない」というのが実際のところだったのでは?
気がつけば蔵入地は激減し、諸大名は豊臣秀頼から恩賞をもらっておきながら、実際にはそれを
差配した大老・家康に付いていくという捻れ現象が起こっていったのではないかな。
おまけに秀頼は関白職にも就けない※状況では、諸大名は武家の棟梁(征夷大将軍・右大臣・
源氏長者)に従うのか、前関白の子息(内大臣、後に右大臣)に従うのかという選択を迫られるこ
とになる。
結果、軍事的にも政治的にも優位な立場にあった武家の棟梁側に吸収されていったと。
※豊臣家は1595年、秀次の処刑によって関白職まで手放してしまった。
これにより政権の正統性まで失ってしまうという手痛い失策を犯している。
875 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 19:42:35
>>873 何故、痛い架空キャラを出してくるんだ・・・赤マフラーなんて・・・。
俺、赤マフラー好きだったけどな・・・
あの時代にカッコイイ!!と思った
877 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 22:53:08
>>874 >これにより政権の正統性まで失ってしまうという手痛い失策を犯している。
手痛いを通り越してないか?
そもそも豊臣政権自体、関白職+軍事力+経済力で成り立っていたのだから。
但し、秀吉の存命中は軍事力+経済力で対抗するような勢力が無かったから
太閤による全国支配という図式で問題は無かったし、いずれは秀頼が関白職
に就くことを誰もが疑わなかったということもあるのだろう。
家康は関が原の戦いの後、秀頼の名で論功行賞を行うことで豊臣家から経済
力を奪い、尚且つ、摂関家を復活させた足利尊氏に倣って関白職に九条兼孝
に就け、以後、九条兼孝から近衛信尹、鷹司信房、九条忠栄へと継承させる
ことで豊臣家の関白世襲の芽を断ち続けたわけだよな。
で、その間に豊臣恩顧の武将たちへの宣撫工作によって軍事力までも奪って
しまった。秀頼の名で論功行賞を行っているのだから、豊臣家としては諸大名
は皆、秀頼の家臣であると信じて疑わなかったのだろう。
恩顧の武断派が揃って健在であったことが判断を誤らせたのかも知れない。
気がついた時には手足を完全に捥がれていた・・・そんな感じか?
>>873 大河の架空の人物が活躍することは「太閤記」以来の大河の伝統です。
それと赤マフラー満載とは言うが、彼以前に「風と雲と虹と」の草刈正雄の前例がある。
それに「葵」には道化師キャラとして水戸光圀が赤マフラーの如く(こっちは時代を遡る)暗躍していることを忘れるな。
大久保彦左衛門をメインに据えた方が、秀忠の上田攻めで端を発する本多親子との確執や
後々の長安事件に本家の忠隣の左遷、大坂夏の陣の旗奉行不首尾騒動、一心太助との出会い、後々の頑固爺エピとか色々描けたろうな。
せめて彼を取り巻く群像劇で俺は十分。
朝廷弄りなんぞ視覚的にツマンナイ話なんぞナレだけで済ませりゃ良かったんだよ。
879 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 00:11:18
>>872,874
いや、関が原後の抜け殻みたいな豊臣家が徳川による減封や政権簒奪をどうやって防げと。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 01:07:56
確かに幕府の朝廷いたぶりの場面は見ていてもつまらない内容が多かったのは確かだ・・・
881 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 03:31:23
>>879 >徳川による減封
これは間違い。
結果、豊臣家の蔵入地は大幅に減じたが、これらの多くは豊臣恩顧の大名に分け与えられている。
あくまで表向きではあるが、豊臣秀頼から与えたもの。
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 11:42:42
>>881 要するにそれほどの建て前で固めてまで徳川は豊臣の減封を狙ってくるわけだから
豊臣家の力の減衰は免れ得ないわけだよ。
関が原で西軍が勝っていたら豊臣の世になっていたみたいな考えだな
豊臣家の力なんて、関が原時点ですでに象徴としての力しかなかったんだよ
西軍が勝っていたとしても、豊臣家は直轄地を切り売りして褒賞与えなきゃいけないのは代わりないし
西軍の大名は豊臣の世のために戦ったわけでもないから、豊臣以外に実権が移るのは免れない
>>883 西軍勝利時の褒賞として豊臣家の直轄領切り売りというのはさすがに妄想入りすぎというか
ほとんど暴論に近い。
政治的には確かに西軍が勝っても豊臣家は実質政権は手放して名目上の後見や顧問のような
立場に退いた可能性はあるがそれを通り越して豊臣家の直轄領を分配するようなことをすれば
それこそまた争いの種を生み出すことにしかならない。 褒賞にする東軍の領土とて膨大だし
なにより徳川・結城の300万石は丸潰しにすることも可能なんだから。
885 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 17:28:49
結局、政治的実権が既に豊臣家に無かったのは事実ですね。
政権の正統性を示す「関白」の地位も無ければ、直轄軍も存在しない。
軍事力の中心は恩顧の大名たち。
この恩顧の大名たちが分裂したとして東軍が敗れ、武断派と呼ばれる大名たちが処断された場合には、
豊臣家の軍事力の中枢は宇喜多、毛利、上杉、島津などが握ることになり、秀頼に石田、小西や譜代が
近侍したとしても、秀吉全盛期のような政権であろうはずはない。
結局、軍閥による合議制を基本とする政権では、遅かれ早かれ足利将軍家のような状況に陥ったことは
想像に難くない。
886 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 18:26:09
豊臣家ってさ、石田や加藤や福島みたいな子飼いの人材もみんな大名にしちゃったから
肝心の豊臣家自体の軍事組織って石高の割りにもの凄く貧相じゃん?
これってよく考えたらもの凄い異常な状態だよね。 秀吉は本気で自分の死後の
有事の際には恩顧の大名の力だけで相当強大な敵性因子も排除できると思ってたのかな?
それとも呆けてそこまで考えが及ばず、周囲の進言も聞かずの状態だったのかな?
スレ違いだけどすごく大きな謎だよね。
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/12(土) 19:17:49
>>886 旗本八万騎に比べるとお寒い限り。
豊臣政権の場合、恩顧大名とはいえ豊臣家直轄軍ではないし、大名間の抗争がそのまま軍事力の
低下を招いてしまった。これが豊臣家の軍事的基盤の脆弱さ。
秀吉個人が権勢を誇っていた時代ならばいざ知らず、晩年、我が子を溺愛するばかりの恍惚の老人
に成り下がってしまった秀吉に、もはや政治・軍事機構を整備しようという意欲は無かったし、いくら
誓紙を書かせたところで、それがどれだけの意味を成したかと言えば、ほとんど意味を成さなかった
というのが正しい。
雁字搦めの組織・機構・職制、さらには旗本八万騎と呼ばれた常備兵力を有した徳川政権に比べる
と、諸侯による連合政権の脆さを早速に露呈してしまったというのが正しいだろう。
888 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/13(日) 01:04:07
西軍敗北の遠因としては、戦前に宇喜多家で内紛がおこり、浮田、花房、戸川ら有力家老が離反したこと、戦力を大津城攻め、安濃津城攻め、宮津城攻めに分散したのが悔やまれよう
あるシミュレーションによると、無事に西軍が勝利した場合は、石田三成は奉行筆頭に帰り咲き、近江一国78万石、大谷が越前一国42万石、
島津が日向三郡加増で77万石、小西が肥後一国55万石に加増、鍋島が本地安堵、毛利が豊前一国加増で150万石、
長宗我部が阿波一国加増で50万石、真田が信濃一国47万石、毛利秀包が甲斐一国23万石、上杉景勝が越後一国加増で160万石、
小早川秀秋は筑前に加え、関白料として飛び地の播磨を加え、計70万石。そしてなぜか、宇喜多が徳川旧領260万石に封せられるとある
なお、秀頼は政治機構から切り離され、オーナーとして奥に退いている、とある。
徳川に対する処分としては家康、秀忠の処刑と、北政所の助言により、結城宰相秀康をもって家督させ、陸奥棚倉6万石どなろう
そんなことより着々と形成しつつある亀田包囲網について語ろうぜ
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/13(日) 11:20:36
>>888 そんな「IF」を持ち出したところで虚しい限りだね。
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/13(日) 13:59:09
>>890 そうなったとして、さてその政権が長続きするかという不安も。
893 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/14(月) 14:09:05
>>892 豊臣家の権威が時間の経過と共に失われていくことだけは確実。
894 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 01:55:24
春秋時代みたいになるだろうな。 じゃあその後は戦国時代か。
895 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 03:18:01
津川雅彦の徳川家康役はハマり役だなぁ。
897 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 11:38:32
>>896 あと100もレスが入れば、言われないでも出て行くよ。
くだらんことを言うな!ヴォケ!
898 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 20:06:16
恐らく黒田如水が九州を平らげて石田三成と決戦したはず
899 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/16(水) 13:05:59
900 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/17(木) 19:46:52
900
そういやこの大河では、黒田如水はキャスト無しだったんだな…。
902 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 02:07:59
903 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/19(土) 03:22:35
904 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/20(日) 16:14:18
でも、京極兄弟は登場。
905 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/23(水) 13:06:51
さっさと埋めろやクズ共
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