1 :
無名武将@お腹せっぷく:
福島正則は広島に来て、
本来は豊かだった安芸の民から餓死者がで゜留ほど年貢を絞って、
挑発した人夫を飯も食わせずに朝から日没まで働かせ、
百姓たちが汗水たらして作った米8万石をただで豊臣家にくれてやり、
直訴に来た農民たちに飯を食わせて歓待するフリをし油断している時に
「お前ら百姓風情が命をかけた闘う我らに何を言うか」と全員斬り殺した。
広島にとっては最悪の殿様。
↑
これってマジ?福島正則って実はこんな奴だったのか???
じゃあ当然地元広島じゃ嫌われ者?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 10:17:12
2ゲットずさー
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 10:17:44
5 名前:魔玉坊 ◆F8GULYGZvk :2005/10/10(月) 10:13:20
糞スレ立てないでよ…魔玉君
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 10:18:22
かかれ柴田
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 11:22:31
退き佐久間
>>1 デマだよ、それ。んなアホな情報に騙されてスレ立てるなよ、バカ。かわいそうな子だね。頭が。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 13:39:07
広島では福島正則よりも毛利元就ですよ。
福島なんか名前にも上がらん
猪突猛進の体育会系の馬鹿武将
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 15:02:30
流言飛語
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 15:08:24
福島スレってそういや無かったねw
安芸といえば弘中隆兼
立った立った市松スレが立ったw
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 15:35:34
もっとすれば張飛みたいな人気キャラになれる素材なんだが
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 15:45:12
なんかゲームやってると加藤=忠義者、福島=あっさり寝返り、みたいなイメージが強くなる
なんでコーエーは加藤に比べて福島の義理を低くしてるのか謎だ。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 15:45:36
福島正則の転落
1601年安芸国広島藩「49万石」に加増。
↓
1619年安芸「49万石没収」。信濃国川中島4万5000石へ減封。
↓
1620年2万5000石幕府に返上。
↓
1624年「3000石」の旗本へ
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 15:49:47
>>15 すげえよな、その没落の仕方がw
加藤清正もやっぱり没落したんだっけ?
あ、彼の場合死後か。
じゃあ生きてそこまで没落したのは福島ぐらいなもんか
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 16:07:06
魔王の義弟であり、絶世の美女のお市を嫁にしたが
頭蓋骨を金箔に塗られた人もいるのをお忘れか
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 16:07:32
家康は死の床で、正則に冷酷に言った。(「徳川実記」)
もし、この後将軍に対し遺憾あらば、すみやかに兵をおこさん共、
心まかせたるべしとのたまえば、正則も大声あげて泣きになきけり
とぞ。
ただ今の(家康様の)上意は、(正則にとって)あまりにも情けなき御事
と申しぬといえば、最早それにてざっとすみたり。
正則は酒さえ絡まなければ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 18:24:06
>>1 私は広島の人間ですけど「福島正則」という名そのものを聞きません。
毛利元就、小早川隆景が有名かな。
あとは全く聞かない。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 21:58:50
>>21 同士
毛利、小早川より、津田の方が有名。
>>23 福島正則の岳父だな。たしか信長の従兄弟だ。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 22:43:55
福島、よっぽど人気無かったんだなぁ
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 23:07:25
脳みそ筋肉のイメエジ
清正は虎退治と築城名人とかがパッと思い浮かぶけど
福島は無断築城で領土減封がまず頭に思い浮かぶからなぁ・・・
>>24 広島で津田と言えば、
炎のストッパー津田恒美だ。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:00:29
この人も子供少なかったんだっけ?
やっぱ秀吉の血筋だな
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:01:15
一応この人関が原で活躍したんでしょ?
まさか実は大した活躍も・・・?
たいして活躍してないでしょ
関ケ原前年の内紛で戸川・浮田・花房ら家臣の主力を失い
弱体化した宇喜多勢に合戦の大勢が決まるまで抑え込まれてたんだから
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 13:34:21
福島治重
長尾一勝
木造具康
大崎長行
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 15:25:55
単なる裏切り者
志賀親次
塙直之
本多政重
小田義治
大道寺直次
柴田勝定
村上通清
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 18:42:50
かわいそうな福島さん。
見せ場は関ヶ原前夜、諸将の前で家康支持を叫んだだけw
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 16:39:15
使い捨てタイプの武将
市松は家臣に恵まれたと思う。それが八郎との差
可児才蔵、福島丹波、長尾隼人
八郎さんと市松が同列の家格で語られてる?
桶屋の息子と備前の太主が同列なわけない
関ヶ原における八郎と市松の対戦のことを言ってるんだけど・・・
数で勝る八郎が市松に苦戦したことを
比較してますた。ことばが足りなかった
その桶屋の息子。
秀吉から見て最も近い他姓の血縁なんだよね。
太閤から見て一番近い血筋には同意
しかしそれを根拠とするのは寛政譜だろうがその記述は間違いだと思う
1市松の父正信は秀吉の伯母の子とするが、生没年不明、そんなに近い血縁なら
年代的に市松ではなく正信の方が早く世に出るはずだがそれがない
2血縁者の少ない秀吉のもっとも近い男子のくせに
あまり高く取り立てられていない。
ねねの縁者でさえ(秀次・金吾)豊臣姓を与えられている
秀吉の血縁ではあるがもっとも近いかというとそうではないように思うが
変な文章・・・
あれ?秀吉の叔母が桶屋(正信)に嫁いで正則をつくったんじゃなかったっけ?
>後段
秀吉自体が入り婿みたいなもので、杉原・木下の閨閥に拠らないと一門を形成できなかった。
宇喜多氏との関係もあるし。
正信(?〜1597?)
‖ー市松(1561?〜1624)
┌女
└弥衛門ー猿(1536〜1598)
市松は猿のいとこ(という説)だったね
だが伯母が嫁いだ先の正信が生没年不明で大名はおろか御伽衆ですらないのが謎
秀吉の死の前年まで正信は生きていたのだからこの処遇は解せないなあ
木下や三好・杉原の後援が必要だった時期は秀吉の前中半生までで
それ以降はあまり重要ではないと思われ
むしろその門閥の中に、市松のような「もっとも近い血筋」が
入れなかったことが不思議
それについては疑似一族政権論でまとめてくるよ。
今日はお先に。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 13:34:59
マー
九條さん来てたのれすか、お会いできなくて残念だあ〜
50 :
芝 ◆i6jwvBOktc :2005/10/18(火) 15:00:10
広島人(ヤクザ人)の印象に残るには在任期間短すぎ
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/18(火) 15:11:25
嫉妬深い。
可児才蔵は味噌で知られてる
蟹江が好きだった
かにみそ
>>53 蟹江殿は炎立つでも好演しているよね。そういえば秀武も正則みたいなキャラだった。
三成かwww
横で観戦すれば楽しいのに。
>>55 吉彦秀武はもう少し小心な野心家でもあったけどね。
>>61 砂金を2山、にこやかに持ってくる蟹江がいい味出してた。
真衡が勝利していれば戦国の様相も大分違ったかな?ここ福島スレか。
>>62 トヨエツが死んだあとで清衡に媚びるシーンてのはあったっけ?
>>63 今見返したんだけど、その回録ってなかったわ。ネル。
>>63 それよりずいぶん前に死んでいると思うが。
でも福島っていう人もかわいそうだね。
後世に裏切り者として名前残して、その代償は束の間の栄華。
頭が悪い人の悲哀を体現しすぎている。
こういうキャラは五万石以上貰ったらアカンよな
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 12:46:02
ほんまや
市松の家臣は片目や片手など身体的損傷のある者が多かったらしいね
それを笑った家臣を家康がたしなめたってあの話か
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 15:27:33
マー
伊奈事件で家康の怨みをかったっていうのは?
>>72 図書も報われない男だよな
主君が主君なら家臣も家臣だ>福島主従
浅井はアザイ、伊達はイダテと発音したようだが
福島の場合はフクシマとクシマ、はたしてどちらが正しいのか
姓の由来を含め今川九島氏との関連の真偽について検証しようジャマイカ
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/11(金) 00:04:11
黄八幡北条綱成のおやじと桶屋が同族なわけないだろボケ
息子の扱いがやっぱりひびいたか
同族かどうかではなく
>>73が言ってるのは関連があるかどうかじゃないの?
>>73 ・本当に福島(九島)の一族
・親から福島の血を引いてると吹き込まれて真に受けた
・正成(あるいは綱成)を敬愛しておりそれに肖って自称した
・年少のころ匿われてたことがあってその縁故で福島を名乗った
このうちのどれかだと思われ
伊達郡(だてごおり)から取った伊達姓なのにイダテと読むのは変だな
誰かが誤記した物が今に伝わった可能性はないか?
>>78 因達の当て字として伊達を用いたのが伊達という地名の起り。
伊達をダテと発音するようになったのは明治以降発音を簡略化したからで
それ以前はイダテ、さらに古くはイダチと発音されていた。
遣欧使節が持参した書簡にも奥州王として「IDATE MASAMUNE」の明記がある
政宗公は草葉の陰でどう思ってんだろ・・・
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 13:09:00
森守盛(もり もりもり)1540〜75
出自不明、毛利勝永の一族か。
元気がありすぎて功にはやり、長篠で味方の銃撃の前に飛び出し討死。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/23(水) 14:59:22
五人に一人だ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/25(金) 22:03:19
こいつ三成が捕まったときに、見に行って小ばかにしたらしいな
そしてら三成に「お前の裏切りあの世で太閤殿下にご報告してやる」とやりかえされ
だんまりになったらしいじゃん
そしてその後領地没収だっけ?
リアルアホ福島w
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/26(土) 11:31:29
>>86 正則と三成は、じつはそんなに仲が悪くなかったという逸話がある。
関ヶ原で敗戦して、斬首される間近の三成が与えられた干し柿を
「それは痰の毒だから喰わぬ」と答えたのを
「今際の際に見の養生か」と諸人が笑ったが
正則だけは「治部の言うところ少しも恥辱にあらず」と
擁護したという。
太閤への忠義という一点に関してのみ、大いに共感していた
のかもしれない。
目先しか見えなくて憐れを誘う人だ。
相当嫌ってたらしい三成を、結局は日本史に名を残す英雄にしちゃったからな。
その代償が、自身の忘恩の輩の名、そのうえ実世界での没落まで。
泣かせる。
同じ卑怯者でも、加藤の方は豊家滅亡前にこの世を去ったから、裏切り者のの
印象が少しは和らいでる。
福島は運もないね。
三成憎しで豊臣を滅亡させたアホ武将
自分がなぜ尾張に領地をもらったのかよく理解してなかった模様
福島のあまりのアホさに天国の秀吉は泣いてたと思うw
秀吉は地獄じゃなかろうか。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 10:02:52
秀吉自体裏切り者名わけで
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 10:12:18
『あの世』ってのが在ったら面白いな。信長、秀吉、家康はお互い、どう接するのか
正則どころじゃ無い。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/27(日) 12:43:16
福島って、秀次事件の黒幕説があるよね。
当時朝鮮出兵をめぐって、強硬派の福島ら武断派・秀吉と、
派兵反対派の三成・秀次らとの間がそうとう険悪な雰囲気になってた
という。
そして福島の秀吉への讒言が事件の引き金を引いたらしい。
処刑のいっさいを三成が執り行ったため、三成の陰謀説が主流と
なってるが、福島の手にかかって死ぬくらいなら三成殿の手で、
ということも考えられる。さらに三成の謀反の疑いを晴らす秀次の配慮
だっという見方も出来る。
三成はその後秀次の家臣を多く取り立ててやってるし、
秀次の娘で死を免れたお菊に援助までしている。
三成が秀次と組んでたって話は翼聞くが
福島黒幕説は初めて聞いた
>>87 というよりは少しでも擁護して三成にあの世で秀吉にいわれないようにしようと思ったんだろう
このバカは
秀吉も秀吉だなぁこんなバカを7本槍筆頭にして褒美を与えまくったんだから
清正も確かに裏切ってはいるんだが清正はまだ三成憎しってはっきりして
それでいて豊臣のことしっかり考えて一戦まじえる覚悟までしてるのにたいし
この筆頭バカはなにやってるんだか
まさか戦国無双2にでないだろうな
>>95 あの三成を褒めたエピソードは家康だった気がする。他にも忠興が言った説も
あるし、本気にするな。それに人気が無いから戦国無双に出ることは無いだろ
一応、擁護すると内政に関しては治水に励み、それなりに良い殿様だった。
清正の場合は豪族乱立の肥後だから彼の治水作業が劇的効果を上げたが正則の
治めた清洲と安芸は織田・毛利によってすでに潤っていたので、民衆の印象が
薄いと思われる。
何処に行っても名君になれるであろう三成と比べるのは無理だが、場所しだい
では名君と名を残せたかも。
福島が名君はちと無理なのでは
酒が入ると家臣を平気でセップクさせたりするし
あと人気ないってことはないだろうから出そうではある清正とセットでね
戦国無双w
福島正則といえば治水だったか忘れたけど、民にも好印象の逸話があった様な。
福島はいいね
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 22:14:59
>>98 同じくあるような無いような。
福島正則が石田三成と不仲だったのは間違いないと思う。じゃないと襲撃したりしないだろう。
彼には槍1本で成り上がり秀吉にも七本槍筆頭に上げられて相当の自信があった。
だが現代のヤクザ屋サンでもそうであるように、安定しだすと武闘派よりもインテリが重用されるようになる。
おそらく自分こそ豊臣家一番の家臣であるとの自負があっただろうが、ちょっと気を利かせただけで拾われた
茶坊主ごときが太閤殿下に可愛がられている。これはかなりプライドを傷つけられたことだろう。
池田輝政に「お前はイチモツだけで成り上がったヤツだ」と皮肉ってるあたりプライドの高さは随一だろう。
おまけに朝鮮出兵の際は早いもの勝ちの領土欲で戦っていれば、またあの茶坊主が勝手に講和するしと
もう、福島正則は石田三成に対してはたまらなくアレだったんだ。
秀頼の時代になると三成は官僚として台頭して、豊臣家はあの茶坊主にいいようにされてしまうと思い
それが関ヶ原で東軍に付いた動機であるということは言わずもがな。
元々日本は文官より武官、とくに「突撃ぃ!」と叫ぶような者が尊敬されがち。
関ヶ原での豊臣家直参の武将の分かれ方を見ると見事に武断派対文治派に分かれてるな。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 22:42:59
武家諸法度に違反して城の改造したために49万石も没収された
かわいそうな人だよ。
>>100 朝鮮では前線指揮官でなく後方で補給部隊を指揮してた記憶が……
つーか、朝鮮の地を本気で欲しがる武将がいたのかな?行くまでは気合は入ってて
行った途端に「寒い、臭い、こんな土地欲しくねぇ!」ってなりそうな気がする
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 23:19:02
実際、武家諸法度に従って城を直したいと前もって伝えていた
しかし幕府はそれを知らぬふりをして、改領→「俺は弓といっしょで戦が終わったから
川中島の蔵に入れられてしまう」といったらしい。
彼はただ純粋なだけで馬鹿ではなかったと思うよ。
自分的にとても魅力ある武将に見えますけどね
>>100 三成とて、1584年頃までは正則と同じ槍働きがメイン。
正則にしても朝鮮の役では最前線での働きよりも後方での働きが主。
それに感情の問題といわれがちだが、本来は秀長と利休のいた時代から
豊臣家が内包していた武断派と吏僚派の争いが秀吉という専制君主を失って
表面化したもの。
不仲だったから、とか、そういう感情は脇の問題。
それから茶坊主というのも、実際には三杯茶は俗説というのが今では定説。
>>103 福島は馬鹿だろう。
あんたに見えてるのは馬鹿ゆえの純粋さじゃないの。
あれだけ秀頼をないがしろにしてる奴を叩こうと挙兵した西軍に矛向けたんだから、
その結果どうなるかわからないのはやばい。
もっとも、豊家なんか知らね、自分の栄華だけでいいや、って思ってたなら馬鹿とは
言えないけど。
>>106 >>103じゃないけど、自分の栄華だけって事は無いだろ。
清正、幸長と一緒に家康と会見させるために頑張ったし、
でも、あれは失敗だと思う。豊臣家が一大名にならなければダメって分かってるのに
如何にも「秀頼様に何かあったらタダじゃおかない!」って感じで……
アレ見たら家康じゃなくても豊臣は危険だって思うよ。
て事でやっぱりバカか。
家康を倒せる絶好最大の好機を自分で潰しあげくのはてに
豊臣恩恵の大名を家康側につかせたんだからなぁ
なんで秀吉があの家康を牽制できる位置におかしたのかまるで理解してない
ま・・・正則にしてみればネネが全てだったんだろうが
ねねが家康に付くように言ったってのは疑わしい気が。
もし、そうなら何故宇喜多秀家は西軍に参加したかが分からない。
>>109 いったというより行動したっていうべきかなぁ
寺でなんかの行事にそのまま参加すれば西側につけ しなければ東側につけ みたいな
で参加しなかったもんだから
「政所様は東につけ」といっている と正則は判断したと
もしこれが理由じゃないなら呆れるくらいの大バカ
こんなやつをかっこいいだのなんだのいう人の気がしれん
つーか、東軍参加を勧めたのは長政だろ。
長政は家康の天下で豊臣潰れても良いと思ってたから東軍に付いた。
薄情な感じはするけど、西軍が勝っても天下が治まったかは疑問だし、秀吉が
織田家にやった事を考えると悪とは言えない。
で、正則は先の事を考えずに三成憎しで誘いに乗っただけのような気がする。
・・・やっぱアホだな、正則。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 08:28:31
大名同士で勝手に婚姻関係を結んではいけないという主君秀吉の遺命をあっさり破る福島
自分の養子正之と家康の養女が婚約したときに豊臣に詰問されるが
「自分は豊家の一門であり、内府と親戚になれば、秀頼公の御為になると思うたまでのこと」
と開き直っている
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:01:53
大阪の陣で豊臣家がピンチになったとき江戸で人質になっていた正則は家老に手紙を書いている
「我らは故太閤から大恩を受けていた、もし正勝(息子)に武将としての資質があるなら決起せよ、俺のことは気にするな豊臣方として戦え」と
一人の家老は「我らが決起すれば他の大名も立つはず、勝てばいいが、たとえ負けてもその武名は末代まで残る」
もう一人は「もっともだが、そうなると正勝は父を見捨てることになり子の道に外れる、それにもはや天下は家康殿のもの
ここは家を守ることに専念すべし」と答え結局この意見が採用された。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:19:55
>>86 >こいつ三成が捕まったときに、見に行って小ばかにしたらしいな
>そしてら三成に「お前の裏切りあの世で太閤殿下にご報告してやる」とやりかえされ
>だんまりになったらしいじゃん
そのエピソードは小早川秀秋あたり。
福島正則と黒田長政は逆に捕らえられた三成に気遣いしてたような。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 09:29:14
>>96 >あの三成を褒めたエピソードは家康だった気がする。他にも忠興が言った説も
>あるし、本気にするな。
細川忠興が石田三成を褒める訳ないだろ。
ましてや異常に執着してた妻のガラシアを三成に死に追いやられた後なのに。
関が原前後の忠興の三成憎しは東軍の中でも一、二を争うレベル。
忠興変態性疾患
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/17(土) 21:54:03
三成を褒めてたのは水戸肛門の人だお
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 08:48:38
大阪の陣のとき、正則は「3年早く、3年遅かった」と語っている
3年早いとは3年たてば家康の寿命が来るということで
3年遅いとは3年前なら清正幸長の二人が生きていたのにということ
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 09:30:35
>>120 本気でそんなこといってたのならバカじゃないのか
自分はなんもせず豊臣恩恵のくせして
清正が生きてたのに?
家康は清正が死ぬの待ってたんだから3年前におこす分けないだろう
大坂夏の陣 少しくらい豊臣恩恵の意地をみせてほしかったな
このくそばかは
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 22:07:05
福島正則がクソバカなら、加藤嘉明らはどうなんだ?
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 22:17:31
そうだよな!嘉明何もしてないしな
正則は夏の陣でわざと自分の蔵ごと豊臣に兵糧あげなかったっけ?
それに隠れて兵を豊臣方に送ったらしいし
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/18(日) 23:27:03
清正居ても豊臣に付くわけ無いだろ
嘉明さんは寡黙な人だったんでいいとこ行ってますよ
高虎と仲悪かったのが幸運だったな
福島と加藤はまた別だろう、なんせ福島は秀吉の親類なんだから
おまけに福島自身秀吉には恩義めっさ感じてる
まだ最後は大名として残るならあれでもいいが自分も改易くらってるし
だめだめじゃん
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 00:08:03
浅野も一応秀吉の親類に入るのでは?(ねねの親類といえばそれまでだが)
大阪の陣の時には長政も幸長もいないけど。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 00:15:28
そもそも秀頼が秀吉の実の子だと信じてたやつなんて
いないだろ
んなこたぁない
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 10:42:36
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 11:03:06
福島正則は負け組。中途半端な態度が命取りになった。大坂の陣がおこった時
に、兵糧あげる以外に何も豊臣家に出来なかった意気地無し。
一応家臣に大坂につけとはいってたんだけどね
家臣が息子に父親殺しをさせるわけには
とかいって結局しなかった
それをさしひいても関ヶ原の戦いで 家康側についた時点で大バカ野郎だよこいつは
それがどういう意味を示すか検討もついてなかったんだからな
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 19:51:31
結果が全てだからなぁ・・・今の時代は
清正と違って不幸な人だ。後10年早く死んでれば評価が変わっただろうに
家康と利家が一食触発になったとき
福島は家康の元に行ってるんだよね
清正や幸長や嘉明は豊臣のために嫌いな利家や石田のいる前田邸に行っているのに・・・
まあ、今だから色が鮮明に見えるけど、当時その時間の流れの中で生きてるのを想像すれば、
秀吉が潰すのを諦め、利家も開戦まで持ち込めず、大阪城に居座って気に入らない大老を順に
潰していこうみたいな事してても誰も逆らえない、ほとんど天下人の家康に対して、敢然と立ち上がった
三成ってのがちょっと異常な傑物ってだけの気が。
福島みたいなのは仕方ないよ。
三成さえいなければ、みんなそんなもんじゃん、で終わりな所だろ。
あんまり責めると可哀想。
しょせん器が違ったんだよ。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/20(火) 21:47:15
まあ、そんな馬鹿なとこに惚れているんだが。
人間全員同じ生き様ではおもろくないようにな。
話が反れたスマソ
つーか
正則が徳川の味方したから豊臣家が滅びた、見たいなことを
言っている人が多いが、豊臣政権がなくなることと、豊臣家の滅亡は
イコールではなかろう?どう考えても徳川家や一部の豊臣家上層部は
秀頼豊臣家を豊臣政権下の織田家の様なあり方で収集させようとしていたわけで。
正則もその方向で動いていたのに、強硬派と牢人衆が自らそのプランを
破壊してしまったわけだし。
まあ、正則と言う人は、武人や行政家としてはともかく、政治家としての才能の無さが
致命的だったと思いますよ。これは多くの、秀吉子飼いの武将に言えることですが。
それは間違い
一度秀頼と家康の会見があったがあれで家康は豊臣を完璧にぶっつぶすって決めちゃってるんだよ
あとなんで福島正則が東側についた=豊臣滅亡させた みたいにいわれるかというと
福島がもしあの時西軍側についてor中立を守って篭城でもすれば
位置的に家康は西に進軍できなくなっていて裏切った豊臣恩恵達も福島が篭城するもんだから家康と合流できず
西軍につかざるをえなくなったため そういわれる
まぁもうちょっというなら奴が裏切ったままでも小早川秀秋が裏切らず
確実に西軍に全力つくしていれば戦略的には勝てたんだけどね
>>139 >一度秀頼と家康の会見があったがあれで家康は豊臣を完璧にぶっつぶすって決めちゃってるんだよ
それはどういう証拠があって?客観的に見れば、幕府は豊臣家の転封以上のことを求めてはいないと思うのだが。
それに対して武力反抗したのが豊臣家でしょ?
あと
>福島がもしあの時西軍側についてor中立を守って篭城でもすれば
そんな状況になるのなら、その前に関が原自体が起こりませんよね。家康はそんな政治状況の判断が
出来ないような人間じゃないですし。むしろそういう状況が起こらないから関が原に向けて動き出したわけですから。
もし正則が味方に付かなければつかないで、別のルートで天下取りに動いたでしょう。
西軍が勝つと言う人は、そのストーリーにifが多すぎる。だいたい秀秋云々も、成算があるから家康は関が原に
軍を進めたわけだし。引きずられて戦争に突入した時点で西軍は負けてますよ。
ほほぅ・・・
息子が真田軍にひきつけらて戦力外になった上に三成の山、
平地全ての利を奪われた上しかも囲まれた布陣に自ら飛び込んだと
大した戦略家ですねw
なんでドイツのどっかの将軍が西軍が勝ったといったのか
そして何故、小早川秀秋の裏切りで一気に拮抗が崩れたといわれたのか
もう一度戦略図を見直せ!!!
家康は軍事面ではそんな優秀じゃないよ
内政面では超天才だけど
得意の嘘八百で吉川や福島を味方につけたり(そして用がすんだらポイ)
大坂城が強固だって知ると和睦の条件を反古して堀を全て埋めたり
関ヶ原の戦いでは三成打倒に摩り替えて豊臣恩恵を抱え込んだり
しかし戦いとなるとかなりお粗末
武田には三方ヶ原でぼこぼこにされるわ
関ヶ原では意気揚揚と前進して敵のど真ん中で陣形展開させて霧がはれて初めて実はに囲まれてましたって気が付いたり
大坂冬の陣では補給を甘くみて最後の方は飢餓状態になり和睦を結ばざるをえなくなったり(でも和縛のさせ方は見事 敵の弱点をついたんだから)
んで夏の陣ではたった数千の軍勢の真田相手に数万の軍勢のくせに正面から本陣に入られたり(信じられるか?これ今川義元以上のお粗末さだよ)
姉川の戦いと 秀吉との山を先にとっての戦いは良かったんだけどねぇ
>>141 >息子が真田軍にひきつけらて戦力外になった
なってない。ほぼ無傷で残っている。合流せずに決戦を決めたのは
家康の主体的判断で西軍にそれを強いられたわけではない。
軍事力とは戦場にあるものだけではありませんよ?
>なんでドイツのどっかの将軍が西軍が勝ったといったのか
キミの言っているのは明治のお雇い外国人クレメンス・メッケル少佐のことだとおもうが…。
それは都市伝説の類というのはもう定説だと思っていたのだが…。政治なき軍事はありえない。これは
クラウゼッツ派の軍人であったメッケルにとって常識。彼は当時の政治状況の説明を受けた上で
「西軍は負けるべくして負けた」と言う趣旨の発言は確かにしている。
>そして何故、小早川秀秋の裏切りで一気に拮抗が崩れたといわれたのか
崩れていない。小早川が参戦する直前には、すでに全戦線において西軍は押されていた。
逆に西軍は最初から最後まで攻勢に出ることすら出来ていなかった。
現在では小早川軍がキャスティングボードを握っていたのではなく、単純に優勢なほうに
味方しただけだと考えられている。結果として彼の参戦で西軍はなだれ現象を起こして敗北したが
それ以前も決して勝てなかった西軍に対し、徳川本軍が予備兵として温存されていた東軍が勝つことは
時間の問題であった。
あなたの見方は物凄く司馬史観に犯されている気がする。あれは小説であると言うことを、しかも
何十年も前の解釈の、と言う事を良く考えてほしい。
戦略図も上っ面を見るだけでは、何の意味もありませんよ。
>>142 軍事で優秀じゃ無い人間が天下を取るまで生き残れるとでも思ってるのかよw
そんな人間に信長や秀吉までが遠慮をする態度を取ったと。
講談小説と史実の違いを理解したほうがいいよ。
キミの言うような行き当たりばったりで天下が取れるなんて、面白いけどそんな人間や組織に
他の人が付いてこないよw
もうちょっと専門書などで勉強してみる事をお勧めします。そうすれば先人の行動の意味なんかを、
もっと多角的に見ることができるようになりますよ。
>>143 >なってない。ほぼ無傷で残っている。合流せずに決戦を決めたのは
>家康の主体的判断で西軍にそれを強いられたわけではない。
???関ヶ原の戦いでは秀忠軍は足止めくらった故に参加できずに戦力外になった
っていう意味なんだけども・・・読み取れなかったですか?誰も全滅したとはいってません。
それともあなたの考えではこれは戦力外にはならないのですかね
>崩れていない。小早川が参戦する直前には、すでに全戦線において西軍は押されていた。
本当ですか?全戦線が?それはどの隊に?
三成隊?小西隊?大谷隊?宇喜多隊?
これ全部もう秀秋裏切り前には全部劣勢だったんですか?
>「西軍は負けるべくして負けた」と言う趣旨の発言は確かにしている。
それは小早川・吉川の裏切りを知ったあとの話でしょ
それにifどうのこうのいってるが
最初に仮に小早川or福島正則 が裏切らなければ という仮定を無視して
ありえない とかいってくるのやめてくれないかな
そもそもこの二人が裏切らないっていう時点でifなんだから
それともif話なら「三成が家康以上の政略型の持ち主だったら」という言い方すれば良かったですかね
まぁスレ違いもいいところだからこれで終了するけど
だから成り立つifと成り立たないifってのがあってね…、
関ヶ原にいたる争いは、先ず三成派と正則派が主導していたと言うべきで
正則本人の感覚としては、徳川を頭に頂いたものの、自分自身の戦いと言う
感覚のほうが強かったでしょう。そこで正則が三成に見方、もしくは中立なんて
考えられるわけが無い。
大義名分から言っても、秀吉の遺言で五大老筆頭とされ、天下の政務をまかされた家康に従う事こそ
故、秀吉への忠義そのものナわけで、そこから直していかないと。
そもそも豊臣家の場合、秀吉生存時に既に(一応義弟だが)外様の大諸侯である家康をNO2にせざるを
得ないほどの弱体政権であったこと問題で…
あと、まあ
>それともあなたの考えではこれは戦力外にはならないのですかね
姿の見えない軍隊ほど恐いものは無いよ?それに対応するため戦力を割かなきゃいけないわけだし。
現代のように通信の発達した時代ではないから、真田に足止めされてたなんて正確にはわからないしね。
>本当ですか?全戦線が?それはどの隊に?
全戦線とは全戦線の事だと考えてもらいたいのだが…
西軍は一つの戦線たりとて優勢だった場所は無いのですよ?
だいたい本陣の三成の所からして戦線を維持するのに手一杯。
>それは小早川・吉川の裏切りを知ったあとの話でしょ
あたりまえでしょ?政治分析の無い軍勢判断は無意味だ、と言う学派の人が
判断を述べるわけですよ?当然その状況を聞いてからじゃないと判断しません。
それが正しい学問的態度です。天気予報をするのに天気図だけではなく、気温や湿度、地形を
含めて判断するのと同じ態度です。
まあ、確かにスレ違いでしたのでこれでやめます。
ただ、関ヶ原の本質とは、正則をはじめとする武将派と、三成を代表とする文官派との豊臣家内の権力争いに、
それぞれが大諸侯(徳川、毛利)を引き込んで争いを拡大してしまったこと、だと考えています。応仁の乱のとき
東西双方が細川や山名、大内と言った大諸侯を引き込んだのと一緒ですね。
>>146 「この地形と布陣なら西軍が勝つ」とは言っている。つまり戦術面に限定した発言だが、
そういう趣旨のことはたしかに言っている。
そもそも問題の本質は、勝った負けたはどうでもいいんだよ。
豊臣政権簒奪しようとしてる家康についた、というのが問題なだけ。
織田政権簒奪しようとしてる秀吉についた長益
泥棒が、あいつもしてるじゃん、なんて言ってもそれで別に罪が軽くなるわけじゃないんですよ。
誰がどうしようが、福島が秀頼裏切った卑怯者って事実が変わるわけじゃないし。
そもそも、あそこの本質は兄弟喧嘩込みの跡目争いだから全然質が違うね。
裏切った上で改易食らってるから
マヌケっぷりが目立つ
なんか・・ショボイアンチスレになりましたね(トホホ)
お前が1番ショボイな
>>78 北畠顕家がひらがなで「いだて」と書いている軍忠状がある。
>>152も反論あるならすればいいのに。
煽りしか出来ない馬鹿なのかな。
しかし個人武勇で三成なんか歯牙にもかけない感じだったんだろうな当人は。
仕方ないと言えば仕方ないんだろうけど、なんか可哀想な人だ。
生前に改易食らってるし…踏んだり蹴ったりだね。
正則には豊臣の血が流れてるんだから、家康と組んで保身を図らず
家康と戦うべきだった
別に同族だからといって、本家を守らねばならぬという仕来りは無し
確かに、旗幟鮮明に「俺は自分の家を守る」とか言ってたんなら、好悪の感情は別にして、それはそれで
評価のしようもあるけど、こいつはあれで豊臣護るつもりだったらしいからなあ。
それで気に入らない奴だからって後先も考え(られ)ずに秀頼派を叩いたあげくに、家康が秀頼攻めても
自分は立ちあがる事もできず、そんな卑屈に頑張ったあげく、最後は没落。
なんかもう…悲惨すぎる。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 20:36:15
張飛=正則
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 21:46:26
>>159 つうか、秀頼自身に豊臣の血が流れてるのかも疑わしかったわけだが
>>163 とりあえず石田ちゃんにはアリバイがあるぞ
張飛は筋が通ってるけど福島は正反対じゃん
福島のアンチって…
本気で言ってるのかw
あの路線なら「豊臣政権」は守れなくても「豊臣家」は守れただろう。
ただ豊臣家の中でまさか、福島ら自分たち「豊臣家元老」が排除されて
強硬派が関ヶ原浪人と組んで大阪城を抑えちゃうとは、当時誰も想像が
付かなかっただけで。
大阪の陣は戦争と言うより、武装勢力への強制排除って感覚で考えた方がいいと思う。
ちょっと前ロシアでチェチェンゲリラが学校占拠したりしたでしょ?あんなの。
福島としても、豊臣家が「あそこまで馬鹿だったとは思わなかった」ってのが
実際の所じゃないかな?
正則=韓信
一番のアホは大野治長と淀
憎めないアホということで漏れは張飛=正則を押す
>>170 正則も張飛も、後世にできた物語などでイメージを変えられている
という点で、同じだな。
福島=ハマコー
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 12:33:49
正則は結城秀康に対して、天下に大事あらば必ずお味方しますって言ってるぐらいだし、
結構徳川家べったりだったんじゃない?
まぁ家康の息子(結城家の養子だけどこの時点では一番の年上)に言ったのか、
秀吉の養子=秀頼の義兄に対して言ったのかで微妙な部分があるが。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 09:26:59
おだててくれる人優先主義
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 13:22:02
今日のテレ東10時間ドラマで福島が出るぞ
改易シーン見れるかも
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 13:33:15
福島は反三成ではあっても
秀頼を守りたいという気持ちはあったと思うんだが
大坂の陣前後で家康が豊臣攻撃の姿勢を見せた時はどうしてたんだ?
>>176 奸臣(福島にしてみれば)たちの排除、それが出来なければ先鋒として大坂を攻めると幕府に調停役を
買って出るが許可されずに江戸に足止め。息子の従軍が認めてもらうのがやっと。なのに大坂に備蓄して
あった兵糧米が大坂方に接収されるのを黙認と義理と現実の狭間に揺れた模様。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:37:52
その正則の心を家康は疑っていたからこそ、大坂の陣の時は
正則を江戸で待機させていた
「家康殿!約束が違うではないか。
あなたが秀頼公を大切にすると言ったから、
わしはあなたに味方(注・関ヶ原の時)をしたのだ」
と考えていたかどうかはわからないけど、
正則的には家康に裏切られたと感じていたんじゃない?
だから結局自分で立つ事は無かった腰抜けという事だな。
それだけでも、馬鹿にしていた三成より遥かに品の下がる事だ。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 19:36:41
盟友の加藤清正や浅野幸長がすでに亡くなっていたから、
正則も心細かったのだろう
大坂の陣のときも、秀頼の応援をしたかっただろうけど、
自分と同調してくれる人間がいないことに気付いたから、
江戸でおとなしくしていたんだよ、たぶん
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 19:48:20
秀吉も農民から大名に取り立ててくれた織田家を裏切ったわけで
因果応報ってやつだね
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 19:55:35
秀吉には譜代の家来(つまり親父やじいさん以前の代からいる家来)
がいなかったから、親戚筋・・・だと思われる加藤や福島を
取り立てていくしかなかった
譜代の家来がいれば、秀吉亡き後の豊臣家も別のものだったと思う
彼らが、がんばって豊臣家を守ろうと考えたはずなんでね
後世から見れば色々言えるからな
ちなみに大坂の陣で幕府方が飢餓に陥ったって何処で聞いた話なんだ
色々大坂の陣の本を読んでいるがそんな事が書いている本は見たことがないぞ(「その時」で言ってたのも兵糧じゃなくて「薪」じゃなかったか)
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 22:48:37
>>183 確かに・・・
幕府方が食料危機に陥ったって話は聞いたことがないな
むしろ、兵糧を少なく持参したって話は聞いたことあるぞ
本多正純:上様、兵糧はどのくらい用意致しましょう?
徳川家康:三日分でよい
本多正純: !?あまりにも少なすぎますぞ!
徳川家康:違うぞ正純。少なくてよいのじゃ
本多正純:はて・・・、どういう意味でございましょうか?
徳川家康:秀頼ごときを倒すに三日もあれば十分ということぞ
この言葉どおり、家康は豊臣家をわずか三日足らずで滅ぼした・・・
ってのは聞いたことがあるな
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 22:11:59
全軍で家康に先んじて大坂入城しておけば良かったよな
煮え切らないうじうじした態度が不人気の原因だよな。
家康に付くなら付くで「今日からあなた様の下僕です、
足を舐めろと言われれば舐めます、秀頼の首を刎ねろと
言われれば刎ねます」という態度を徹底出来るなら
それはそれで潔いと思うんだが。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 22:51:21
>>186 秀吉に大名に取り立ててもらったという義理と、
家康に大大名にしてもらったという恩義の板ばさみになっていたんじゃないかな
いわゆるジレンマというやつだけど・・・
正則には、秀吉の義理と家康の恩義を別個のものとして、
割り切って考えられなかったのかもね
黒田親子も秀吉を裏切ったが家が残ったので特に悪く言われてない
やはり生きてるうちに改易食らったのが痛いね
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 04:00:35
もともと黒田は如水の頃から
譜代と言うイメージでもないし、秀吉から警戒されてすらあった感じするし。
如水は別に秀吉の元に付く以前から既に実力を現していた人物。
そんなわけで外様として九州追いやってしまった関係で
長政も既に九州の大名としていわば鍋島とかに近い存在。
市松みたいに秀吉に拾われ、その元で活躍して名を上げたおかげで、
禄を稼げた人物がその豊臣家を裏切るのとは分けが違いすぎるのではないかと。
結局そこに尽きるのかな。
裏切り者のくせに、三成侮蔑しといて自分こそ豊臣家の忠臣みたいな偽善者ぶりが
嫌われる所なんだろうね。
裏切るなら裏切るで、腹決めて行動する程度の器も無いのは痛すぎる。
じゃなければ大坂の陣で、まるで時期は外したものの、遅れ馳せながら大坂方に付けば、
物を見る目がないだけで、筋は通った人間なんだ、という評価もあったろうけど、あれじゃな。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 23:16:30
「あまりに三成が憎すぎた」ってやつだ
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 06:11:15
福島正則
加藤清正
加藤嘉明
黒田長政
浅野幸長
細川忠興
池田輝政
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 15:28:18
>>192 反・石田三成の人たちだね
この7人と三成との確執がなければ、歴史は変わったかもしれないと、漏れは思うよ
あくまで、推測なんだけど・・・
三成を重用しすぎた秀吉の失策。
徳川幕府も本多正純を宇都宮釣り天井事件で失脚させている。
七将襲撃事件で三成がおとなしく失脚していれば、豊臣の天下は安泰だった。
>>194 三成「太閤殿下が全面的な信頼を寄せていた
この私が中核にいない豊臣家など豊臣家ではない!
そんな不正義を認められるわけがないだろう!!」
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 15:47:33
>>195 三成の気持ちを正直に表しているね
三成一人が豊臣家を支えている・・・みたいなところが、
加藤清正とかの武功派には気にくわなかったのかもね
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 17:27:29
三成はあまりに視野が狭窄すぎた。
人の上に立つべきではなかった
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 17:37:41
そういう三成が、豊臣家を守って立ち上がらなければならなかったところに、
豊臣家の悲劇があるんだろうなぁ・・・
利家がもっと元気で長生きさえしていれば、
三成と清正たちの確執も緩和されていたように思えるし
少なくとも家康が豊臣家に手出しすることはなかったはずだよ
しかし、利家と家康が開戦寸前までいったとき、
大谷吉継は家康の下にはせ参じているんだよね。
三成見捨てて。
それが、関ヶ原では数少ない三成のために死んだ男になる。
で、加藤清正なんかはこのときは利家側についている。
どうも豊臣家中の人間関係は分からん。
合理主義派:福島正則、大谷吉継
感情主義派:石田三成、加藤清正
>>192の面子の内、細川・黒田・池田は外様ってイメージが強いので個人的にはあんまりどうとも思わないな。
輝政と家康の娘婿だし。
>>200 大谷吉継は結局最後は、情を優先したじゃん。
>>201 大谷は余命幾ばくも無いので、友情の為に命を捨てることを合理的に選択した。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 22:17:21
関ヶ原の段階で清正も正則も家康の世だって分かってたろうから、
豊臣の世じゃなくて豊臣の血を残すためには三成につくより家康についた方がいいと思った。
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 22:21:46
>>204 同感
清正や正則は、家康が豊臣家を大事に扱ってくれるだろうという気持ちから、
家康についた
そういう意味で、関ヶ原の時は、清正や正則も家康を信じていたと思う
徳川幕府成立以降、彼ら豊臣家を想う人が家康をどの程度信じていたかは
知らないけど・・・
きっと仮面ライダー響鬼の旧Pみたいな人だったに違いない
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 22:39:29
秀吉の妻おねの妹の子供だろこいつ
それは浅野幸長。
秀吉の母方の従弟だったっけ。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 23:20:07
三成も朝鮮まで行って死線くぐってきたら、関ヶ原じゃない違う結論に達したろうに。
秀頼・清正・正則等はこういう器の小さい奴が近くにいて本当に不幸だった。
司馬の関が原だったかに、三成がいて秀吉も救われた、みたいなのがあったけど、
全面的に同意だ。
三成が立たなかったら、豊臣家は残ったかもしれない(これは現実に滅亡したので
あくまでifでの可能性)けれど、家康の目障りな前田は骨抜きにされて今度は上杉、
徳川の世になるのは余りに明らかで、豊臣政権が続いたなんてありえない。
その状況でみんなが尻尾振って家康の提灯持ちに必死な中(秀吉子飼いの武闘派、
福島や加藤なんかその最先端w)、ただ1人三成は家康に非を鳴らして立ちあがった。
それがなきゃ秀吉は本当にみじめだよ。
秀吉は惨めでいいと思うけど
あれだけ恩のある織田家を乗っ取った糞ネズミに誰が同情できるよ
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 09:43:33
結局、感情的に動いたのは三成の方であって
武断派の方が合理的に動いてたってことか
>>203 榊原康政とともに宇喜多家の御家騒動の調停に乗り出したが、失敗して家康との関係が悪化したこともあると思う
秀吉と個人的に結びつきが強く、秀頼の安全を第一に考えた正則や北の政所や淀殿と、
豊臣政権の中心的人物として活躍し、政権維持を第一に考えた三成との立場の違いだな。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 16:49:33
三成は秀吉が死んだと後を追うべきだった
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:18:32
>>217 いわゆる殉死ってやつだね
けど、それは三成のプライドと言うか、信念が許さないだろうな
わしが豊臣家を守っていくのだっ!
って気負ってたと思うからね
>>214 合理的というより保身だろ。
武勇誇っておいてヘタレてるんじゃ情けなさひとしお。
はぁ?
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 07:52:02
保身は保身でも、豊臣の血を守るための保身。
自らの権力を守る=豊臣を守るってことだろ
石田三成:自らを守る=豊臣政権を守る
福島正則:自らを守る=豊臣秀頼を守る
一家臣と一族との違いだな。
喩えると、福島の立場なんかは、幕末の越前藩に近いのだろう。
石田三成は新選組。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 09:07:23
先を見る目がなかったのは三成
家康に騙されたのが福島
家康に反抗したのが三成
秀吉に最も信頼されていたのが正則。
秀吉に最も信頼されていると思い込んでいたのが三成。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 19:28:30
なんかアンチも減ってまともなスレになった
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 19:41:56
秀吉のやりたい放題は
あれで一気に武功派すらやる気なくしたな
>>225 どうやったら福島が秀頼守ったなんて思えるんだ?
お前小学校出た?w
230 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2006/01/17(火) 19:28:30
なんかアンチも減ってまともなスレになった
豊臣姓が近親をはじめ又左にすられてるのに対し 市松が羽柴清洲侍従に止まったのは
何を意味するんだろうか? 老いてボケたハゲ鼠にさえ
市松の短慮さ薄情さがわかっていたのだろうかwww
>すられてる
さあ、書きなおそうか。
清洲城と兵糧を与えられたんだから、期待はしてたんでしょ。
日本号と油屋肩衝を与えられている。
日本号は
天皇→足利義昭→織田信長→豊臣秀吉→福島正則と下げ渡されてきた
天下の功臣の槍である。
それ呑み取られてたんじゃザマーないわな
もしも三成が秀吉の期待を背負っていたのなら、当然日本号は三成に
与えられたはず。正則が秀吉から、厚い信頼を寄せられていた事を
物語るエピソード。
三成は文官だからな〜
日本号は武人にこそ相応しい
それに福島は秀吉の数少ない身内だし
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:18:34
勇敢にも大阪の陣で豊臣家のために戦った福島家の漢たち
家老の福島丹波治重(
>>114の好戦派の家老)の長男 福島長門(大阪城に入る途中、藤堂隊に見つかり激闘の後討ち取られる)
福島正守&福島正鎮(大阪方として奮戦)
福島正則の弟福島高晴(大阪と内通してたのがバレ改易)
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:28:18
大阪の陣のときから江戸居留守を命じられていた正則
家康が重病になったとき、正則は駿府の家康を見舞います
そのとき家康にこう言われます
「一度安芸に帰られるがよい。それでもし将軍家に不服があれば、遠慮せず、兵を挙げられるがよい」と
正則は黙ってうつむいてましたとさ。
へタレ全開の福島正則、その後幕府に難癖をつけられて(家康の遺言だったらしい)
川中島に減封、息子にも先に死なれ、しょぼーんな晩年でしたとさ。
>>242 大坂の陣の時、家康は重病になってはいないのだが?
まあ、そんな所はどうでもいいけどね。
司馬遼の関ヶ原か何かに、家康に
>>242みたいな事言われて、
「一所懸命家康に尻尾振ってるのにあんな事言われて情けない」
とか本多佐渡かなにかに泣きながら訴えたとかいうのがあって、ヘタレの福島らしいなと笑ったな。
資料を読みこむ司馬は、やっぱり福島ってやつが良く分かってたんだろうね。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 22:28:19
そりゃあ、家康から見たら三成も正則もヘタレだろ。
物が全然違う
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 23:01:31
話それるが、正則・三成・家康 お友達にするなら?
自分は家康とはごめんだな
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 23:07:51
三成がヘタレかなぁ??
秀吉の統一を支えてたのは、調略は、如水、軍事は、秀長、補給は、三成の三人だと思うが・・・
当主としては、家康だろうけど、補佐する人物としては傑物だったと思うよ。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 23:54:46
>>247 同意
三成がヘタレだったら、そもそも関ヶ原自体が起きないでしょ
それこそ、史実の藤堂高虎みたいに秀吉が死んだら、幼君の秀頼を見捨てて
徳川に走るだろうな
文官にも関わらず、野戦の名手と評価されていた家康と戦ったことはすごいと思う、勝ち負けは別として・・・
しかもきちんと軍が機能すれば家康倒せる所まで持ってけたんだから、段取りはホント一流だよなぁ
三成はよくやったと思うよ
ていうか福島スレから三成スレになってきてるなw
三成がヘタレとか言ってる奴は、正面からは福島の弁護のしようがないのを悟って、
三成と同じだという風にミスリードしようというのが狙い。
三成は英雄だからな。
正直、家康はかなり嫌な奴だね
あれだけ福島さんが尽くしてるのに酷い仕打ちの連続
家康が人気ないのも納得だね
家康や三成のような身勝手な権力志向野郎は虫唾が走る。
七将による三成襲撃の真相
それは夜這い。
利家死去の混乱に乗じて三成を手篭めにすべく夜這いをかけるも、
偶然にも他にも同じことを考えてた連中と鉢合わせして大騒ぎに。
反三成派の実態
それは重度の三成ヲタ。
しかしつれない三成に逆切れしアンチ化した。
もうこれでいいじゃん。
(^_^;)
>>252 お前は嫌われ者なんだから、そんなのどうでもいいんじゃね?
家康や三成ほどの人物じゃ、同じ時代にいたってお前なんか目にも入らないだろうし。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 21:39:28
福島は秀頼を天下人ではないけど大名として残そうとがんばったんだけどね。
馬鹿ではないよ彼はきっと。徳川がなんせ酷い
>>256 正則が、苦労して構築していた豊臣と徳川の友好関係を、
引っかき回して台無しにしたのが、石田三成。
または
家康=中国 家康=アメリカ
正則=北チョン 正則=日本
三成=日本 三成=アルカイダ
清正=南チョン 清正=フランス
こんな感じか?
左は無いな、中国はハッタリしかできん国だし。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 16:54:25
大阪の陣のときの福島に対する庶民の反応は凄かったらしいね
へタレ、忘恩の徒、など散々叩かれたらしい
それを聞いた正則はしょぼーんとしてたってよ
で、それ以降、被害妄想が強くなったらしく
ことあるごとに「お前も俺を馬鹿にするのか」と切れまくったそうな
庭にセロリ植えてるアル中
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 17:58:28
まあ、光成は光成で、関が原起こしたのは軽率だった。
自分の器を把握してないというか、関が原直前に大谷に指摘されて、
初めて自分の人望のなさ、勘違いされやすい性格に気がついているくらいだからな。
関が原でも、勝てるチャンスをなんどもつぶしてるし。
光成が何もしなかったら、家康もあれ以上は何もしようがなく、
そのうち秀頼も成長して、家康死亡で、豊臣安泰だったのに。
>>262 三成が何もしなければ、上杉家はそのまま滅亡していて、
後の上杉鷹山などは歴史上に現れなかっただろうな。
三成を光成と書くと、何か葉緑素持ってそうな感じするなw
家康が前田を犬にして上杉潰して、その後何もしないなんて思ってる馬鹿って、小学校ぐらいは出たんだろうか。
関ヶ原があったおかげで、少なくとも最初は西軍が勝っていた状況もあったわけで、
その二分された情勢をその後も引きずったからこそ大阪の陣などが起こり、
結果、秀頼は死ぬ事になった。
が、関ヶ原が無かった場合、小田原征伐同様上杉を徳川軍が率いて圧倒的勢力で潰す事になるだけで、
家康は踏みしめるように勢力を拡大するだけだね。上杉領はそのまま入り、
しかも伊達・黒田・細川・鍋島・島津などともいくさを通して盟友関係が深まるわけで、
そこまで行ってしまったら最早、残り毛利だけでは何もできない。
三成も失脚してからそこまで経ってしまったら時既に遅しだ。
大阪の陣を待つまでも無く反対陣営はほとんどいない状況になろうし(真田も普通に生き残る可能性大)
秀頼も家康にあっさり大阪城退去させられそう、
ただそれでむしろ大御所親戚として平和に余生を過ごす事はできたかも。
>>1 その話なんですが、
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/hyakushounouttae.html >あるとき正則の士が夫銀を多く取りすぎていたと、広島の百姓六
>人が江戸まででてきて訴状をもって訴えてきた。正則はこれを聞
>くと台所役人に遠方よりわざわざ来たことであるから充分に馳走を
>せよ、と申し付けた。百姓たちはこの扱いに大いに喜び、夫銀を取
>りすぎていた士は覚悟を決めて沙汰を待っていた。
>
>4〜5日が過ぎると正則は百姓六人を白州に呼び出し、ことごとく
>首を刎ねた。
>正則が語るところによると
>
>「銀五百目や六百目のことで正則の先途を見届けようと不憫な
>妻子を捨てる覚悟で忠を尽くしてくれる家臣たちに迷惑をかけよ
>うとはするとは思いもよらず、さても憎き百姓たちよ」
>
>これを聞いた諸士は皆感涙した。
一応、美談らしいですw
般 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 摩
若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 訶
心 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 般
経 諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 若
呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 波
波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 羅
羅 真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深 蜜
羯 実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 多
提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 心
虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 経
波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅
羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜
僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
菩 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
提
薩
婆
訶
正則へ届け
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:56:58
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 13:28:37
>>264 265と同一人物か知らんが、だとしたら人を小学生呼ばわりするほど
自信をもってる貴様の方が低脳人間だな。
上杉を潰してそのあとどう勢力を拡大する?それを詳しく具体的に説明しろよ。
そもそも上杉に勝てるのか?小田原ほどじゃないが若松城だって堅城だ、
それに小田原と違って上層部もしっかりしてる。会津の地には冬将軍もある。
城攻め下手糞な家康に、1年や2年で落とせるかね?
その前に上杉倒しても手に入るのは120万石だけだな。
それで各地の大名を満足させられるのか?
戦を通して友好が深まるってお前、ただ一緒に闘うだけで友達になるかよ。
上杉攻めが簡単にいかないのは上に書いた通り、
大した恩賞出せないようなら逆に人望失うだけだぞ。
島津、伊達あたりは特にプライド高いし。
まあ貴様が265と同一人物じゃないとすれば、大した論拠もないくせに、
人を馬鹿とほざく真のクズニートだが。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 14:47:23
戦を通して友好ワラタ
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 16:58:20
買ってやれよ
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 21:52:47
小物の三成よりはマシだから買った!!
>>269 そんなに必死なのに馬鹿なんて哀れだなw
秀吉は実際小田原攻めを上手く使って諸大名の上に立つ事に成功したからその事を言ってるんじゃね。
>>269 とりあえず落ち着け、さすがにあの状況で上杉が勝つ見込みはないだろ・・
伊達・最上だけが相手でもうグロッキーだった上杉が何をどうやったら徳川本軍に対抗できるんだ・・・?
時代的にもそんな長期の篭城戦ができる時代ではない。1年2年どころか半年持たない可能性も高い。
>>275 水軍もないしな
とはいえ三成好きには悪いけど
結果論としては関が原をおこしてくれたことに
家康は喜んでいるよ。三成様様って感じだろう。
277 :
名無し募集中。。。:2006/01/28(土) 09:31:01
家康自身
天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげであると言ってるしな
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 11:45:13
簡単に騙される三成を裏で操っていたのは、一体誰なんだ?
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 11:47:21
言うなれば三成自身だろうな それか三成の中で偉大すぎた秀吉の存在
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 12:24:02
そうか、だから誰も三成には期待してなかったのか。
>>280 いっそコテを福島正則ってしてみたら、ぴったりだよ
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 12:39:03
三成みたいな糞を利用して、最後には裏切る奴はいても、期待する奴は皆無だろうな。
>>276 どっちにしてもあんま変わらんでしょ。
上杉討伐無理押しを拒否できず、三成は失脚させられた時点でもはや「詰み」だっただけ。
経過など大して変わらん。
糞の三成があの英雄ぶりなんだから、あの時代の残りの奴らってクズすぎるな
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 06:58:33
三成が英雄?
あぁアレか。カルト信者が教祖を崇拝する様なもんか。
人の意見を聞かない。認めない。失敗したのは全て周りが悪い。
俺が一番正しい。逆らう奴は許さん
・・・まぁ類は友を呼ぶとも言うし、うんこ三成を崇めるのも別にいいんじゃないか?
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 23:54:00
卑怯な武将は嫌いじゃないけど、こういう馬鹿は嫌い
例=三国志でいうと宦官のコウコウ
戦国でいう吉川広家
内通していたにもかかわらず不本意な結果に終わる系の糞武将
正則もその一人
豊臣家の為にという考えなのに東軍
(豊臣うぃつぶす気で東軍に入ったなら嫌いじゃなかった)
しかもその後家はつぶされている
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 02:10:39
三成襲撃に加わった7将に何で池田輝政がいるのか分からんな
むしろ助けてもらったほうなのにね
石田三成が嫌われ者だから。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 06:54:06
>>287 まだ血縁の正則が豊臣のために動くとのは分かるのだが、吉川が豊臣よりも毛利のために
動くのは当然だろ。結果、西の総大将にもかかわらず減封だけで済んだ。
約束どおりの本領安堵ではなかったにしても、十分な功績だと思うが。
>>287 西軍が反乱軍。東軍が豊臣軍。
東軍は豊臣秀頼の名の下に会津征伐に出陣した、豊臣の精鋭部隊である。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 16:51:17
十分な功績なら毛利家が吉川に対してあんな扱いするわけない
家康本人から署名をもらわなかった吉川はアホ
独断で動いて詰めを誤った吉川、毛利家が怒るのも無理は無い
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>>285 まあ三成がどうあれ、お前みたいなカスとは比べ者にならないぐらいは理解できてるだろ?w
>>295 でもさ285じゃ関が原おこせないけど
三成だからこそ起こせて三成だからこそ負けて
それが故に徳川の世に決まったってのはあるよ。
彼は日本史上最大のピエロだよ。
そこがいいんだけどな。
別に関ヶ原があろうと無かろうと徳川の世に大差は無いっての。
>>297 ありまくりだってのwww何処まで逆説日本史するの?
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`ー‐'"
>>298 あの状況で関ヶ原が無かったら、上杉家はどうなるの?
北条の二の舞?
まぁ普通にあの戦力差じゃそうだよね。
で、プチっと上杉が潰されて徳川に飲み込まれたあとに、
家康が今度は毛利に難癖付けたらどうなるの?
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 15:45:07
>>301 くだらんIFだね。
三成は関が原を起こす。
家康がそう仕向けたんだよ。
事実、関が原は起き、三成は破れ
徳川の天下に治まり、天下分け目と
後に言われることになりました。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 19:32:50
三成に関ヶ原を起こさせたってのは
指くわえて見てりゃ徳川の天下に
なるような手をどんどん打ったって事だよ
あのまま何もしなけりゃ確実に徳川の天下になる
そう確信したからこその三成挙兵だよ
まぁ結果的に天下取りへのショートカットに利用されたが・・・
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 21:59:43
まあ当時なら家康と真っ向勝負しようなんて大名・武将なんていないだろうし
それだけでも十分評価できるんじゃないの
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 22:54:26
というか真っ向勝負やるようなバカは他にいなかったから、
いいように家康に利用されただけでしょ。
邪魔なだけの存在だったらすでに殺されてるか武断派に身柄引き渡されてるよ。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 00:39:37
>>305 ショートカットになったかな?
普通に上杉潰して毛利も黙らせたら結局同じような・・・。
上杉そのまま潰しにいったんだとしたら真田とかも味方だし。
そこまで来ちゃえば誰も逆らえんし、関ヶ原も無ければ
あれだけの大盤振る舞いで領土を分ける必要も無いわけで。
後は大阪城のみ、別にかわらなそう。
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 00:45:12
関ヶ原が無かった場合、家康が死んだ後どうなったかわからんよなあ。
反徳川派を一掃できて無いわけだし。
>>304 だから関ヶ原なんぞあろうと無かろうと徳川の世は大して変わらんってこったろ。
そこまで家康に手回しされてたんだから、将棋で言えば詰みってだけ。
目の前に置かれた金を奪って後ろの飛車に取られるか、黙って投了するか。選べた所で意味は無い。
詰んではいない。何より一番気を使っていたのは当の家康だろう
可能な限りの手を尽くしても、一手違えただけで全てがひっくり返っても不思議じゃない状況だった
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 01:12:54
>>309 上杉を飲み込んだ場合徳川は400万石近くに膨らみ、前田、伊達、最上、合わせて150万石強が完全に盟友になる。
真田とも敵対したかどうかわからん、真田と上杉は立場上西軍同士にはなったが、
決して仲が良いわけではないんで、三成が豊臣官軍を叫べば味方もするだろうが、
上杉が相手なら喜んで徳川と一緒に潰しただろう。真田信之はしっかり徳川と繋がってるわけだし。
佐竹も伊達との間に不安は残すが、別に家康に他意はないし、三成が関係無いなら、
特に豊臣に義理立てする事もない、実際大阪の陣では普通に家康についてるし。
島津も上杉に義理なんぞ無いし、関ヶ原が無ければ鍋島も普通に味方だ。
こういう情勢になってしまったら結局大阪の陣前と大差無いように思う。
誰も歯向かえないじゃん。
>>311 むしろその違えた一手が関ヶ原だったと言う方が余程納得がいく情勢だよ。
でも、結局変わらなかった。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 01:37:38
関ヶ原のとき、家康は内心びびってた、これ定説
吉川(毛利)&小早川と密約を結んだが所詮敵との約束
家康が不利になったら密約を無視して襲ってくる可能性だってあるわけで
小早川と吉川が動けば家康は三方から攻められ大ピンチになる
こんな状況で余裕なわけないw
小早川が動かないので黒田に「どうなってるんだボケ、本当に裏切るんだろうな」と使者を出したり
とても余裕とか楽勝といった感じではない、ギリギリの勝利だよ。
>>313 とは言われているが、あれは家康がもっと楽勝できると思ってたゆえの動揺。勝てるってのは疑ってなかったろう。
家康を驚かせたのは、奉行職すら失脚した三成が家康以上の軍勢を用意してしまったことだ。これは家康の誤算。
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 15:53:39
家康は関が原が起きようが起きまいが天下に有利になるように
動いていたことは間違いないが・・・
有利はいかなる状況であろうとも所詮有利でしかない。
有利はコインの裏表のように一瞬にして不利にもなれば敗北にもなる。
関が原を起こさず上杉をだけを討ち滅ぼせて、
有利になったところで勝利ではなくそれは所詮どちらにも
転ぶ有利でしかない。さらに言えば家康には時も少なく、
反徳川派もしくは中立的勢力に警戒心と結束を促す。
親徳川であってもあやしい勢力はごろごろある。
どう考えても関が原での東軍勝利っていうのは
徳川の天下において決定的な要因だよ。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 17:30:56
それを言ってしまったら関ヶ原での勝利だって徳川が有利になった一つの要因に過ぎないんだけどな。
>>有利はいかなる状況であろうとも所詮有利でしかない。
>>有利はコインの裏表のように一瞬にして不利にもなれば敗北にもなる。
これがまさに関ヶ原後の状況だろ。
家康はその辺り見事に切り回したおかげで大阪の陣へと相成ったわけだが、
そこまで15年以上もかかってるわけで。
あと、上杉潰した家康が毛利をそのままにしておいてくれるなんてありえん、難癖付けられるに決まってる。
上杉だって別に潰されるような事は何一つしちゃいねーし。
有利不利が戦後変わる可能性があるのは事実だが、家康が関ヶ原後も見事に立ち回ったという史実がある限り、
その筋道がやや変わったくらいで結果に変動があるとは考えられない。
むしろ「何も起こらず普通に上杉討伐」「西で反徳川が決起」の二通りを家康は計算してただろうけど、
>>313>>314にある通り、関ヶ原の方が家康にとっては誤算が大きかったように見える。
それでも結局大差なかったのに、計算どおりに行った場合はダメになる理由が俺には想像できない。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 18:30:12
秀忠が間に合わなかったのも
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 18:39:03
>>318 三成の首を落とし、
上杉を頭を下げさせたわけだしな
関が原をしなければ
上杉にだって状況的に勝てたのではないか(有利)という憶測でしかないし、仮に勝てたところで
三成中心とした反徳川勢力を残すことになりこれもまた有利になったとしかいえない。
そういう意味では関が原はただの有利ではなく一つの結果といえるね。
実際に武家の号令権を持つ征夷大将軍になったのは大阪の陣前で関が原後すぐだしね。
関ヶ原の勝利が無ければ、徳川は征夷大将軍職を手に入れてはいない。
長期的に見れば征夷大将軍になれたかもしれないが、もっと時間がかかる。
徳川は、豊臣の代行者としての立場しかなく、征夷大将軍に就任することで、
独自の立場を確保し、二条城会見なども発生している。
もしも三成が暴挙に出ず、正則の路線がスムーズに進行していれば、秀頼成人
までに徳川の勢力があれほど拡大するはずはない。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 22:43:00
最初から無かった場合の話と言う憶測の話をしてるのに、憶測でしかないといわれてもどうしろと?
実際無かった事の話を状況からの憶測以外でどう話せば良いのか教えてくれ。
>>320 関ヶ原で駆逐できた三成を中心とした反徳川勢力とやらは上で書いてる毛利・上杉以外でどこの事よ。
そもそも三成は既に失脚してるのに武力蜂起以外で今更何ができるの?
それとあの状況で上杉が勝てる可能性は小田原征伐で北条が勝つ可能性ぐらいだぞ。
当時の北条家の半分強程度国力の上杉家がどうやって勝つの?
そりゃ国力からの憶測だが、上でも書いたが無かった事の話を状況からの憶測以外でどう話せば良いの?
>>321 とりあえず何を根拠に征夷大将軍になれないの?
源氏じゃないからじゃね?
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 00:02:15
>>322 どうしろってそれが憶測だからどうしようもないよ。
しかも徳川天下って憶測すら危ういってことを
言ってるんだよ。憶測を関が原っていう戦いで
結果にした三成はやはり徳川幕府を作った一人だよ。
いい加減関ヶ原スレ池
とりあえずこのスレには関係ないな。
関ヶ原が無かったら市松はどうしてたか?ってんならともかく。
>>324 関ヶ原が無かったら江戸時代は無かったとでも言いたいの?
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 04:11:23
状況無視した憶測なら何とでもいえるな。
状況だけで評価するなら徳川家が揺らぐ要素無いが。
とにかく誰かが立とうが立つまいが家康倒さなければ豊臣政権は終わりだったわけで、
気付かないふりしてたのか本当に気付かなかったのかはともかく、そういう家康を倒そうと
立ち上がったのが三成だったって事だろ。
福島は下っ端のまだ下。
>>330 正則は豊臣政権存続などという、荒唐無稽な夢は見ていないだろう。
三成と違って分をわきまえている。せいぜい豊臣氏存続を願ったのだろう。
三成に勝てる所なんて武芸ぐらいしかない奴が、強い奴には唯々諾々と尻尾振って従って主筋が滅ぼされるのも傍観したのに、
結局全て奪い去られて使い捨て。
己れを知るのが余りに遅すぎ。
憎き敵に、わざわざ天下を献上したアホ”石田三成”
関ヶ原の戦いは完全に藪蛇。
>>331にも
>>332にも同意だなぁ。
あんまり深くは考えてなかったんじゃないの?
立身出世は全て秀吉ありきで活躍してきただけに、
秀吉の存在しない政争に放り込まれて、とりあえず今までどおり秀吉の代わりに秀頼さえ
居てくれればどうにかなるだろう、と。
家康がどんどん強くなった場合どうなるかとかそんな深い事考えてたとは思えん。
アホで腰抜けの福島や加藤は救いないなw
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 16:54:36
ところで脇坂安治は三成嫌いだったのか。
もしそうなら、なんで西軍についたんだ?
好き嫌いでどちらにつくか決める方がおかしいだろ
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 21:53:01
人望も人徳もない三成は、家康からみればていのいいカモだったんだろうな。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 21:59:51
>>335 一人じゃ何も出来ず、みんなが名誉ある最後を遂げて倒れて行く中、一人ション
便チビリながら自分だけ洞窟に逃げ隠れた揚句、結局東軍に捕まって首チョンパ
された、天下謀反の極悪人である石田が一番ザコでヘタレ過ぎるよなぁ。
小早川秀秋に対する対応ひとつとっても
三成ってのは「行き当たりばったりで先の見えない愚か者だったんだなあ」と、つくづく思う。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/10(金) 23:23:54
現在の評価
三成・・・豊臣家のために戦った忠臣
正則・・・家康にいいように利用された馬鹿
343 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/11(土) 06:49:06
>>339 洞窟に隠れるなんて、まるでビンラディンじゃないかw
人取橋の戦い ○伊達軍8千 対 ●佐竹・蘆名・畠山連合軍3万
反伊達の連合軍は数に任せて攻め込んだ。政宗はこの報に接し、最上に対する押さえに2千、大崎に対する押さえに3千人を配し、総勢8千人を率いて布陣した。
政宗、成実らの奮闘によって連合軍は本陣を抜く事が出来ず、伊達軍は圧倒的劣勢の中から持ちこたえた。
この戦いは政宗生涯の戦いのうちでも激闘をもって聞こえ、彼の武名が高まり、伊達氏の運命を大きく開いた戦いであった。
窪田の戦い ○伊達軍6百 対 ●佐竹・蘆名連合軍4千
佐竹義重と蘆名義広に加え、これに白河氏や二階堂氏が加わり、4千人が安積郡に侵入した。
政宗は大崎や最上などへの備えのため、六百人の軍勢であたらなければならない劣勢であった。
政宗は伊達領最南端の郡山城と窪田砦で連合軍の侵入を阻止しようとし、両軍が激突、連合軍が2百人程度の犠牲が出たのに対し、伊達軍は6十人程度だった。
伊達軍は劣勢の中持ちこたえ、40日間の持久戦のすえ和議が成立した。
摺上原の戦い ○伊達軍2万3千 対 ●蘆名軍1万6千
緒戦は蘆名勢優位のうちに進んだが、伊達成実の側面攻撃によって形勢は逆転。
伊達軍の厚い壁を破る事が出来ず、蘆名軍は敗走。蘆名軍は死者2千という大被害を出し、蘆名義弘は佐竹家へ逃亡。
南奥羽の雄蘆名家は滅亡する
童生淵の戦い ○伊達軍 対 相馬軍
相馬勢は当主義胤の弟隆胤を始め多くの家臣が討ち死にするという大敗を喫した。
その後、この戦いは豊臣秀吉の総撫事令により戦いは止まることとなった。
なお、以後戊辰戦争まで駒ヶ峯が伊達氏と相馬氏の藩境となり、駒ヶ嶺以北の現在福島県新地町は伊達領となり、この戦いの影響が大きかったことが分かる。
白石城の戦い ○伊達軍 対 ●上杉軍
伊達軍は首級7百を上げ、わずか1日で白石城を落とした。
長谷堂城の戦い ○伊達最上連合軍 対 ●上杉軍
伊達と最上の巧みな連帯により、直江兼継は城を落とせずに撤退する。
西軍についた上杉は大幅に減封され、伊達と最上は大幅に加増された。家の命運を分けた戦であった。
大坂夏の陣 ○伊達軍 対 ●豊臣軍
騎馬鉄砲隊によって後藤又兵衛と薄田兼相は戦死。政宗はやはり生まれてくるのが遅かったのだろう。
>>344 こら!神保隊を瞬時に撃滅したのを忘れているぞ。
>>339 お前はそんな人間の足元にも及ばないカスなんだぞw
あんまり頑張るなwww
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 02:03:30
お前みたいなチョンまがいの下等生物が必死で頑張った所で、石田の評価は
屑以下のうんこ以外の何者でもないんだが?
相対的でしか価値を計れない時点で石田は終わっとるのよ(プゲラスチョ
いつもの人乙
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 12:38:41
石田も石田教信者も生きる価値ナシ
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 14:15:14
三成の話は他所でやれや
ここは馬鹿大将こと福島正則のファンスレだぞ
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 22:36:10
ところで、彼は清正と仲が良かったのだろうか?
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 23:05:40
逸話が残ってる
清正があるとき、福島に「秀頼公が危機に陥った場合一緒に兵を出そう、
大阪城までには家康の婿の池田がいるが、二人でかかれば楽に潰せるだろう」と手紙を書いた
それを読んだ福島は「とんでもないことだ、私はそんなことしない」と返事を書いた
それを読んだ清正は激怒し「福島は本当に情けない奴だ」といいそれから二度と挨拶をしなくなったそうだ
清正って好き嫌い激しいのか?
清正ってよくわからん
名古屋築城で不満を漏らす正則をたしなめた逸話が有名な割にこういう話があるから、実は正則と大して変わらない性質なんじゃないかと思ったりする
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 01:11:18
正則=ボケ
清正=ツッコミ
要するにどっちも同じ狢…と想像する
キョマサはツンデレ
357 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 09:43:49
清正っていまいち理解できない人物だ。豪傑ではあるが築城の名手であるなど、
政治面などでも活躍。頭もよさそうだが、変なところでキレたりする。
身近にいるときはデレデレして、離れていくとツンツンする。
やっぱ清正君はツンデレ?…デレツン
それに比べて正則君はわかりやすくてよいね。豪将+人間味+大酒のみ
タイトル 姉は一級建築士
サークル みるくどろっぷ
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>>357 清正も正則も築城も商業活動も治水等もどっちかって言うと、家臣団の力が大きいと思う。
大名になる前からそういった部分で業績がある武将と比べると家臣の技量だと判断せざるをえないんじゃない?
というか、代官で若い頃からそういった作業をしていた連中よりも上だということは考えにくいと思うんだが?
清正や正則が内政に関して実績だしたのは大名になってからだし、築城や治水とかで作業を行った部下も
はっきりしている。
線引きは難しいけど、普通に指示だして余計な口挟まなかったと見るべきじゃねーかって思う。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 18:35:33
高虎も築城覚えたのは結構歳いってからじゃなかったか
>>359 それを言ったらどんな人間も技量がないことになる。
「大坂城を作ったのは誰?」「大工」と言うような笑い話。
特に清正の場合は、(それが良いことか悪いことかは別として)
常任の家老職を置かず、あらゆる仕事をそのつど清正が
奉行を定めて仕事をさせたというのだから、むしろ
大名個人の能力が占める割合は、他家の比ではない。
も少し、勉強しようよ。
清正がそういう家臣の使い方をしていたことはちょっと調べただけで分かる
有名な話なんだから。
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 00:22:08
>>361 戦国時代の事もロクに知らない池沼は相手にするな。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 05:16:12
大工が設計するんだよ。
大名はどんな城にしたいか、無知な顧客のように命令するだけ。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 07:50:22
>>363 ふ〜ん。
だったら家康も秀吉も島津みんなもだな。
一人じゃなんにも出来ないし。
城の建築物の設計より縄張りが難しいんだが・・・
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 12:31:38
正則、清正って名古屋城を作るのに携わってるらしけど、
どこら辺を任されたの?
>>359 福島は若い頃代官をやっているだろ。
肥後の。
>>366 名古屋城の庭園は福島正則が造ったらしい。
悪いけど福島が造園ってピンとこないな〜
単なる作られたイメージなのかも知れんけど
福島やら加藤やらが賎ヶ岳以降、大出世して大名になった時、わざわざ秀吉が
「事に老りた老練の者」を陪臣としてつけてやったらしいじゃん?
そーいうやつらにやらせたんじゃないの?
>>369 福島は、大名物「油屋肩衝」を所持していた(秀吉からの拝領)から、
現在の一般的なイメージと全然違う人だったと思う。
福島の肖像画って意外とヤサ男だよなw
加藤なんか、滅茶苦茶いかついのに
でも実際福島って、秀吉が、自分にもこのぐらいの配下がいるって宣伝しなきゃいけない時期の
賤ヶ岳で、他に6人も並べられる程度の活躍した以外に何かあるの?
加藤の場合はまだ朝鮮で、薬屋と馬鹿にしてた小西と同じ程度の戦闘は出来るって見せたけど、
福島は何があるんだろ。
宇喜多に首獲られなかったからすごいとか、そんな感じ?
(´;人;`)
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 01:41:02
>>336 遅レスでスマンが、脇坂は元々東軍に付く予定だったが、成り行きで西軍に加わることになったかららしい。
で、はやいうちから藤堂あたりを介して家康と通じていたようだ。このあたりが脇坂、朽木が所領安堵され、小川
赤座が改易された要因みたいだな。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 01:53:12
徳川家だって武断派と文治派との対立はあったけど武断派は潔く一線から引いた
豊臣家の両派閥と比べると彼らの方が大人だったのかな
そりゃ頭がいるかいないかの違いじゃないの?
秀吉いる間に深刻な事態があったわけじゃないし。
武断以前に家臣が割れる事はあるだろ、織田しかり武田しかり。
徳川だって本多正純だったかな、とか。ただ秀吉の跡に変わりにまとめる
人間がいなかっただけだろ。
徳川って武断派が潔く引いたわけじゃなくて
家康自らが武断派切り捨てたんじゃないの?
ていうか家康が死ぬ前に武断派がみんな死んでた。
徳川は武闘派最年少の井伊ですら正則と同い年なんだよね
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 21:17:16
井伊直政は確か関ヶ原戦後の毛利、長宗我部とかとの交渉をしていたが、
政治力という面からみたら本多、榊原よりも上とみていいのか?
三成の旧領の統治を任されてるあたり
それなりの才覚があったんでしょう
福島を出し抜いたのも徳川譜代の存在感を示す
政治的配慮ともとれる
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 00:46:28
井伊といえば福島改易の原因のひとつに関ヶ原の時退却時に突撃してくる
島津軍を戦わずに見過ごしたというのも理由のひとつだったような・・・
その時の戦いの傷がもとで井伊は2年後に死去したが
同い年で徳川、豊臣双方の出世頭だけど
微妙に共通してたり対照的だったりするな
家康、秀吉の好みがよくわかる気がする
>>382 北条との外交も担当してたよ
小田原攻め前に
氏直を冷たくあしらったりしたんじゃないか
息子だけじゃなく孫も駄目だよな
真之の嫁は別れたあと津軽家に嫁いだけど
その子供が成長して自分の出生知ったら福島家復興させるとか言い出すし
周りの迷惑も考えず恩知らずにもほどがある
挙句母親に毒殺されてるし
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/27(月) 13:16:25
ネタがないから市松の戦歴でも語れ↓
/ \
/ ● ● .',
. 彡 (_人_) ミ
i"| |i
ヽi iノ
', ∩ /
ヽ (. ) /
', i! /
(___/ \___)
デブオタ家康が年端も行かぬ幼女を犯しまくっていた件について
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/27(月) 15:51:51
二条城会見の時に高台院と豊臣7将が家康に反旗を翻すって小説があったな。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/28(火) 11:34:20
>391
それ本当!? 最低〜。 家康なんか大嫌いだ!!
>391
晩年は、だろ
初潮まえの娘とばっかりヤってたそうな
395 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/28(火) 12:13:14
>391
年寄りのくせに、よくそんな体力あったね。
年寄りで体力ないから子供と〜って言うのが言い訳だった気がするけど
なんか違う希ガス
あの時代ではよくある事
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/28(火) 16:49:44
世界中の歴史にも、そういうことは数えきれないほど、たくさんあるだろう?
むしろ側室持たない方が変わり者扱いされたんじゃないか(生涯側室を持たなかった云々がわざわざ人物の紹介にあったりするし)
「英雄色を好む」なんて言葉もあるしな
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/28(火) 18:10:59
世界中の歴史で、年寄りの権力者が幼女を犯しまくってた、という歴史は
あるのか?
当時においても幼女をヤっちゃうのは
やっぱりアレな行為だったのかねえ
聞く前に調べろだからいつまでたってもお前は馬鹿なんだよ
>>1 戦国無双で正則なんか関ヶ原で意味もなく突出して
数分で敗走する馬鹿な猪武者だぞ。
404 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/28(火) 18:18:28
>402
誰に言ってるの?
家康がホントに子供とやったかどうかは置いといて、
当時でも幼女とヤるのは背徳的で、そこそこ善政を敷いてても
幼女とセックスしたってだけで民衆の支持率は低かったそうな
誰が軍師のように語れと言った
この人殺人犯だって関ヶ原に書いてあった
殺人犯だってーこわいヨー><
幼女といっても十二,三歳なら出産もするし、二十歳過ぎると行き遅れの時代。
十代前半で嫁ぐのが当たり前なんだし。
家康が若い娘を好んだのって、正室に懲りた反動で若くて気遣いのいらない相手が
よかったっていうんだと思ったけど…。
>十代前半で嫁ぐのが当たり前
けど、本番はやらなかったような…
信玄とか孕まして嫁が死んでなかったっけ?
上杉の姫な
たしか姫が死んだのって13歳ぐらいじゃなかったか
しんげんおhる
>>410 そもそも家康の生母にしたって数え15歳で出産してるわけで。
>>411 信玄の最初の夫人は上杉朝興の女。
信玄が元服前の13歳で娶っているため、おそらく夫人も同程度の年齢。
信玄の妹・諏訪頼重夫人は14歳で無事に出産してるし、この年齢の出産は
驚く事でもない。
いい時代だよ、ホント
政略結婚でするのと、権力持ったヒヒジジイが力にもの言わせて連れてきてするんじゃ全然意味が違うだろw
羨ましいことには変わりねえよ
∧_∧ ハァハァ
シコ ( ゚∀゚/"lヽ
/´ ( ,人)
シコ ( ) ゚ ゚| |
\ \__, | ⊂llll
\_つ ⊂llll
( ノ ノ
| (__人_) \
| ゙ヽ、 / ゙i
| ゙''─‐'''" l
,/ ゙ヽ
,i゙ / \ ゙i! >市松
i! ● ● ,l あの世でお前がやった事全部太閤殿下にご報告してやる
゙i,,* (__人__) *,/
ヾ、,, ,/
/゙ " ヽ
/ i!
(⌒i ヽ 〈 i / ,i!:::::::::::::::: ::: :: :: :: : : : : :
γ"⌒゙ヽ l l γ"⌒゙ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::: ::: :: :: :: : : : : :
i i,__,,ノ ヽ_i, i::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::: :: :: :: : : : : :
ヽ,_,,ノ"~´ ̄``゙ヽ,_,,ノ:::::::::::::::::: ::: :: :: :: : : :
「子を産め」という圧力が強いから、逃避的(?)に小姓に走る権力者も多かったかもね
戦場に女連れて行けないからじゃないの
日本に限らずよくあることなんだが
刑務所でホモに目覚める囚人みたいなもんか
穴であればマンコでも*でも、どっちでもいいってか
家康は戦場に女連れて行ってた
松永弾正とて連れてってる
いつもじゃないでしょ
ほんとは当時の習いでいざ出陣ともなると女に触れるのは忌むべき事だった様だが
何のスレだここw
それにしても正則は知れば知るほどアホとしか言えんな
例えアホでもここぞという時の行動力があればまだマシだが、
晩年は下手な逃げ口上ばっかで清正にさえ見限られる始末だし
バカな子ほど可愛いんじゃないか
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/08(土) 21:20:57
正則はかわいい池沼
430 :
鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE :2006/04/08(土) 21:34:25
しかし領国の一揆で男女3千人の鼻を削いだという話があるが…事実ではないと思うが…
事実なら正則は武家うまれではないくせに雑民の命など虫けら程度にしか思っていないということになるな。
代官を訴えに江戸まで来た農民を皆殺しにしたそうだし
ありえん話ではないな。。。
_
/〜ヽ
(。・-・) プリン
゚し-J゚
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 10:12:54
福島正則6000と宇喜多秀家17000を決着がつくまで放置して置いたらどちらが勝つ?
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 11:21:41
熊本の清正=神様
広島の正則=ダレソレ?
コレが全て
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 11:55:54
>433
宇喜多に決まってる
福島なんか加勢がなきゃ死んでたぞ
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 20:46:44
正則の役を演じた俳優は多いが....
ハマコーの演じる正則を見てみたい。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 21:00:50
福島正則6000と石田三成6000を決着がつくまで戦わせたらどっちが勝つ?
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 22:03:07
勝猛サンがいる石田だな。司馬遼の「愛染明王」に出てくるあの逸話がいいな。正則サン
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/09(日) 22:07:18
石田相手だと福島隊の戦力は5割増し
>>414 信玄の最初の夫人の上杉朝興の女は、確か信玄よりも6歳年上ぐらい。
だから19歳ぐらいでの出産だったような。結局母子共に助からなかったが。
前田利家の妻まつは、長男の利長を13〜14歳ぐらいで生んでるな。
亀レスでスマソ。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/10(月) 20:23:46
結局、福島ってシズガ岳以外で目立った活躍ってしたの?
/\___/ヽ /\___/ヽ /\___/ヽ
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443 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 14:55:20
年寄りの権力者が晩年に幼女を犯しまくってた
という歴史は世界にもあるのかな?
はいはい次のネタいこうね
445 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 15:53:22
49万石を没収されて川中島4万5千石に減封されたあとは
結構善政をしたというぞ。治水工事などを行い領民からは慕われたと
長野出身の知り合いが話していたんだが。
>>443 金森長近は80歳を過ぎて子供(長光)を作りましたが何か?
あまり家康ばかり特別視しない方がいいよ
家康はデブロリ変態ジジイ
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 16:52:46
金森は養子に跡継がせてたから種無しかと思ってたらとんだ絶倫マンだな
歴史に無知すぎるから
>>443や
>>447みたいな輩が涌いてくる
現代的な観念でしか判断できないんだものな
神君(笑)ヲタがまたきたw
ロリデブ変態が神君(笑)
自己紹介に必死な奴がいる。
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/12(水) 14:39:38
ロリネタは他でやれや
そろそろ木造具康の話しようぜ
福島は悪逆非道じゃないだろ
ただ時勢を読めなかっただけで
>>439 現実的には福島の馬鹿度5割増しで単騎猪突猛進してあっさり首取られてる、て感じ。
福島正則批判と家康ロリオタ説が交互にかわされるスレ
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 08:28:03
石田三成って実は人望がないのか?
457 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 17:40:08
>>443 世界史自体がロリショタ近親相姦の歴史です
>>456 いや、お前三成に人望があるってイメージだったのか?
普通は「三成は人望無いから負けたんだwwwww」っていうイメージで
「いやいや、実際は親友も多かったんだよ」って言われるんが筋だと思う
三成みたいな地位の奴で敵作らないってのは無能か悪人の場合。
三成は関ヶ原であれだけ友軍集めたのだから大した物だよ。
なるほど福島より埼玉だね!
ヘ⌒ヽフ
( ・ω・) d
/ ~つと)
三成自体には何の魅力もないけど、豊臣の力には釣られちゃうよね。
誰かやってくれるだろうという日本人的な空気の中で旗振った三成はやはり英雄だな
日本人的な空気って
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 19:53:12
GHQ以後の日本人だろ、その日本人像は
そんな事ないだろ
家康の専横に誰も立ち上がれなかったじゃん
なんか問詰使みたいなの出したらしいけどあっさりすかされたりして
前田でさえ腹決められなかったんだから後は推して知るべし
実際三成が旗振ったらあれだけ湧いて出た
>>461 つられないよ。だって三成みたいなピエロなんて誰も信じてないし
>>464 GHQというか、日本人をヘタレだらけにした根本は徳川幕府にあり
幕末で巻き返して結果オーライとかいうかもしれんが
ピザの保守体制のおかげで日本は丸々百年は世界に遅れた
468 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 22:52:14
我が国の文化伝統が、世界でも類い希な程の独自性を保ってるのは、全て家康の御陰。
これが外交ヘタな石田だったらと思うとゾッとするわ。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 22:57:42
確かに家康の外交は神業だな。これが三成なら列強の植民地に
なっていただろうな。
神業の外交具体的に
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 23:53:11
アレだろ? 石田みたいな下等生物よりはマシってこっだろ?
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/13(木) 23:56:38
>>471 お前みたいなクズに何か言われるのも有名税ってやつだな
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 04:18:57
ロリデブ変態ヲタキモイ
自己紹介乙
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 14:24:28
チビブサ出っ歯オタキモイ
ピザ康の外交の何処が神か具体的に
外交できないから猿が死んでからしか天下取れなかったの忘れたの?
アンチ三成必死杉
三成なんかどうでもいいよ
それより長尾一勝の話しようぜ
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 00:45:17
クズ田糞成ヲタイタス
なんで馬鹿則のスレでピザ康信者と糞成信者が煽りあいしてるの?
ピザ康ワロスw
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 11:10:58
MaSa則とBaKa則
PiZa康とie康
KuSo成とMiT(s)u成
馬鹿則はギリギリわかるが、他2人はキツ杉
徳川ピザ康
えもいえぬ響きにワロスwww
石田どころか福島より下等な奴がいっぱしのつもりでものが言える、それが2ch
自己紹介乙
お前がな
ご苦労
あまりにも予想通りのリアクションしか出来ない
>>489の頭
自己紹介乙
あまりにも予想通りのリアクションしか出来ない
>>492の頭
三成や家康や
>>489はいいから、福島の最新ニュースなどはないものか。
>>474 で、下等のお前より石田が劣ってる所はどこ?
ピザ康
>>497 そんな妄想はどうでもいいからクズのお前より三成が下なのはどこだよ
石田海苔成
じゃあ500ゲト
/⌒ヽ
/ ^ヮ^) クソスレデ2トルヨー
_, ‐'´ \ / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ
{ 、 ノ、 | _,,ム,_ ノl
'い ヾ`ー〜'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、 ー / ー 〉
\ \`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-く
|| \ \ \ ∧_∧
|| \ \ \ ( ^ヮ^)はい!
|| \ \ \ / ヽ
|| \ \ / | | |
|| \ \∧_∧ (⌒\ __/ /
ヽ( )はい!__ ./\ ∧_∧
/ く \ ( ^ヮ^ )はい!
| \ \/ ヽ
| |ヽ、二⌒) / | | |
もうさ、
髭加藤 > ただの加藤 > 福島 ≧ 片桐
こんな感じでいいんじゃないの?
\
 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`'ー '´
○
o
と思うキモオタなのでした
馬鹿乙
>>245 家康は三成には一目置いてた。へタレなどととんでもない。
関が原後、家臣に対して「徳川には三成のような根性のある忠臣はいるのか」みたいなことを問うたという逸話も残ってるし
正則のことは、まあ普通に馬鹿にしてたろう
金吾に対するのと同じような目で見てたんじゃないか
黄門様も三成褒めてたとかいうね。
まあ普通に考えてころころ寝返る奴より筋通す奴の方が、好き嫌いはともかく、重く見られるのはわかる。
司馬「愛染明王」の、
(正則は)豚のように余さず利用され捨てられていったが本人にはその自覚すらない
はひどいw
それは読んだ事ないけど、関ヶ原合戦直後に伊奈図書の首を要求する傲慢ぶりと、後に改易になって
粛々と城をあけ渡す姿を描いてた短編あって、なんか気の毒だった。
酔っ払って家臣切腹させたるとか、なんかもう悲惨だったな。
もしこうなるのを知ってたら三成の下になっても大阪方についたのかな。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/22(土) 16:13:21
福島県民にはいい殿様だったかもしれないんじゃね?
他の地方のやつがあれこれ言うなって気はする。
吉良上野介も名君だったとか聞いた事あるし。
>>509 それが「愛染」な気がする。
>>510 じゃあ相撲取ってる最中に丸腰の郷士を撃ち殺した山内も名君かもね。
正則が恐れたのは家康と奥さんだけ
奥さんが秀頼についていれば歴史は変わった…
>>506 でも家康は「自分に天下取らせたのは三成だ」なんて皮肉めいた事も言ってるけどね。
正直好きな人には悪いが正則は、同じ秀吉の子飼いでも清正や三成に比べると幾分ダメ武将な印象があるな。
個人的に、巨人時代の清原っぽい印象
>>512 家臣の奥さんにもびびっているけど?
古くからの家臣に腹を立てた正則が
刀を抜いてそいつを殺そうとしたけど、
家臣は自分の家まで逃げた。
正則は刀振り回して追っかけたけど、
家臣の代わりに戸口から出てきた家臣の奥さんが
「私の亭主は、あんたが小身の頃から仕えた忠義者なのに
なんでそんあしうちをしようとするんだ、情けない馬鹿殿だね!」
と怒って詰め寄ると、あわてて刀を背中に隠して
「じょ、冗談だってば! からかっただけだよ!」
とすごすごと逃げ帰ったという。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/23(日) 22:29:01
まあ、そこで「お前も手討ちだ」などとかみさん諸共斬ってたら、これはもはや講談にでも出て来そうな
成敗されるためだけに存在する邪悪な奴でしかないわけで、すごすご逃げ帰ったのは福島のためにも
良かったのではあるまいか。
ねねが言うから西軍に付かなかったとも聞いた事あるな。
人妻に弱いのか?
いや、「逞しいおっかさん」に弱いんじゃねのか?
ハリウッド映画のチンピラって大抵、「母親には敵わねぇ」ってキャラだけど、福島正則もチンピラって事でOK?
弱虫と書いてチンピラと読む。
清正も正則も年少の頃から秀吉と寧々が我が子のように育てたから
彼らからにしても親も同然
>福島県民には
誰か突っ込め
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/24(月) 23:15:27
かわいそう
さみしかったんだね
ひらがなも書けなかったって本当ですか
あの時代は読み書きできる人はごく僅か
寺に入ってたか大名の子でもなければ教養はまずない
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 13:26:58
祐筆とかいうのがいたっていうけどさ、武将当人が読めなくて周りに意訳してもらってたらなんかシュールだな。
星新一の短編で、みんなが肩にロボットのオウム乗せてそれに自分の言いたい事を体裁良く替えて
言ってもらったり、相手のオウムのそういう発言を砕いて聞かせてもらったりして会話してるのがあったけど
そんな感じ。
SFの世界。
527 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 15:24:11
家康が死に秀忠が名実ともにトップに立ったときに
家老の一人が「福島家は豊臣恩顧として生きてきました、今でも幕府は福島家を信用していません
安芸備後の領地のうち備後を秀忠様のトップ就任祝いと称し幕府に返すべきです
そうすれば福島家は安泰でしょう」と言ったが正則は「そんなことする必要ない」と一蹴してしまった
福島家は51万石のうち45万石を家臣の給料に当ていい家臣を集めまくったが
肝心の当主が馬鹿だったため潰れてしまいましたwwwwwwwwwwwww
司馬は関ヶ原で、阿呆には阿呆なりの論理がある、みたいな台詞を左近に言わせてる。
まあ、福島なりの筋を通したのではないか。阿呆に見えるが。
>肝心の当主が馬鹿だったため潰れてしまいましたwwwwwwwwwwwww
「w」をここまで多用する奴は自分の馬鹿さ加減には気づかないんだよな
うはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwおkwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ァ ∧_∧ ァ,、
,、'` 。゚( ゚^∀^゚)゚。,、'`
'` ( ⊃ ⊂) '`
いきなりageてくる奴に痛い奴が多いのはわかってること。
相手にしなきゃいいのに…
お前のバカさはヤバイレベルだぞ。なんだそりゃw
このスレには日本語の不自由な人がいるの?
福島県あたりから福島正則が降臨してる
1番悲惨なのは
>>532か。
残り後半分、頑張って欲しい所だ。
>>536 我慢しないで
wwwwwwwwwwwww
ってやれば?
まあお前の知能じゃそんなもんだろ
540 :
1:2006/04/26(水) 15:31:20
だから福島正則って実は悪逆非道なのか教えろよお前ら
スレタイ読めないのか?
ぐぐりなさい
ドラマとかの配役が悪人系なのが
544 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/06(土) 15:29:20
桶屋の息子じゃないよ
福島は悪だとは思うが当時はそれが当たり前。
まあ寝返ったのに滅びたから阿呆であるな。
コントみてーなヤツだな
547 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 15:06:13
川中島の肥沃な大地で再起すればいい
あまりにも馬鹿だったせいで
残酷性はあまり非難されない感じ
この前テレビでやってた日本人が選ぶ偉人ベスト100で、
三方が原での家康の空城の計がVTRで出てたけど、
信玄が福島正則なら家康は死んでたな、と思った。
空城の計
>>508 たゆうどのぼとけ
が
たゆうどのどぼとけ
に読めてしようが無い。
>>509 これは南條範夫「大名廃絶録 」の福島の一篇じゃなかったかな?
553 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 08:10:06
>>509のヒントだけだと「愛染」も条件を満たしてるんだよ。
てか、誰が書いても無視できないエピソードなんかな?
「影武者 徳川家康」でも伊奈図書のは出てきたな。
そういう奴ならそういう奴でそのキャラ押し通してればまだ可愛いのに、頭が悪くて理解力に欠けてるだけだから、
人より遅れながらもだんだん状況が飲み込めてくると、ちゃんとヘタレてしまう所がまた福島の味。
ところで福島や加藤が秀吉の部下になったのって史実では何歳ごろ?
小説によっては幼児から15,6歳まで幅があるけど、よく言われてるように北政所が
手ずから飯を食わせて育てたというなら幼児期からだろうし、逆に15ぐらいになってたら
当時の秀吉はそこそこ偉いし年齢的にも自立してるので主君の家族同様にべったりということは
ないと思うのだけど。
>>556 ヒント:15歳くらいで部下になったけど、主君との絆を針小棒大に言い立てる。
有名になると「友達」が増えるのと同じ。
たまに飯を食わせてもらった→手ずから毎日 に変換。
また、そもそも長浜時代は秀吉の軍団は組織が整ってなかったし、
歴代の家士も奉公に来る娘の供給地である累代の自領もなかったから
ねねが急遽あつめた女たちを自分で差配しなきゃならなかったから
おにぎりくらい下女に運ばせて「お前たち、これお食べ」と
配ってやったことくらいあるだろう
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 23:43:55
正則と秀吉は結局血のつながりないよな
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 09:32:43
秀秋ともないよな。
つーか、秀秋のようなアホが養子になれたのに、なんで正則はなれなかったの?
系図上のつながりは秀秋の方が強いかもしれないけど、無関係な徳川家や伊達家のガキだって
養子(ユウシ?)にしたぐらいなんだから、秀次、秀秋なんかではなく正則、清正あたりを
養子にして次期関白に指名しておけば豊臣政権は安泰だったのではないだろうか。
養子にしなくても付いて来てくれると見込んだんだろう
秀秋は無能だが正則はキチガイw
実際のところは、正則は秀吉が
後半生で切り捨てよう斬り捨てようとした
尾張系の中心人物の一人。
自分の出自を修正しようと貴族趣味に必死になっていた秀吉は、
無能な近江系、貴族、武家貴族関係の人間は近づけ、
多少有能であっても尾張系は冷遇した。
前田利家も家康の対抗馬を想定され始めた1597年頃まで
戦争には狩り出すけど領地は増やさない、
上杉とならべて働かせて、上杉をべた褒め、前田クソミソ。
付いてきて当たり前の犬。
付いてこなかったら当然取り潰し。
できればそのツラ見せるな、俺の過去を思い出すだろ、ゴラァ。
が死のちょっと前までの秀吉の態度。
ちなみに秀秋は血筋的には尾張系だけど、
若いから尾張系の人間といっしょに武者働きしていない。
秀吉の貴族趣味についていった部類。
だから、秀吉からの生理的嫌悪はなかったし、
ねねや尾張系に対する譲歩のカードでもあった。
>>561 そうか。正則は秀頼に対してやたら忠誠心旺盛だったらしいので、その辺をくすぐって
後見役にしてやれば歴史が変わったかも、と思ったんだけどそうはいかないんだね。
こいつ、騙されて東軍についたのではなく、単に、御家存続のためだけに勝ほうに付いたのかもしれない。
ま、かなり強かそう
なんだかんだで秀頼への忠誠の近いの書の代表は正則がとってるやん
現存してるし
むしろ正則本人
ちょwww正則何歳よww
570 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 22:01:51
age
上杉が滅んだら
三成と正則が手を合わせても家康に勝つのは難しい
となると
三成が兵を挙げた時正則が三成に協力するか
上杉が兵を挙げなければよかったんじゃ
豊臣家を残すだけなら、関ヶ原後でも大坂出れば残せただろうし
上杉が挙兵したのではなく、勝手に家康が攻めかかってきただけではないか
前田みたいに屈服していれば攻められることは無かっただろう
で秀頼成人後に改めて三成なんかと組んで兵を挙げれば
家康を排除できたかもしれない
まあそのころには毛利も屈服しているから関ヶ原以上に分の悪い賭けとなるかもしれんが
徳川が野心持った時点で豊臣は詰んでいたんだよな
関ヶ原で福島が西軍についていたら
かなりの確率で西軍が勝ったと思うが
豊臣政権を守るとしたら、関ヶ原が最後の機会だったんじゃ
関ヶ原は家康と三成の戦いじゃなくて、武断派と文治派の戦いだろ。
家康は確かに野心を持ってはいたが、最初は豊臣を滅ぼすつもりはなかったんじゃないかな。
豊臣家を残すだけなら大坂の陣の時でも何とかなりそうだけど
政権の維持となると前田家と徳川家が争ったときか関ヶ原しかないわけだが
正則は・・・よっぽどアホか恩を感じていなかったんだろうな
敵である三成が主導権を握るようになってしまえば自分の身が危ない
保身>豊臣家への恩だろ
いくらなんでも自分の身が危ないなんてことは無いだろう
昨年自分(三成)を殺そうと襲撃してきた奴だぞ
この時期の三成はそんな権限無いだろ
西軍が勝ったら上杉毛利宇喜多あたりが強大になって
政権の中心となるぐらいじゃねーか
ついでに西軍は福島弟を誘おうとしていなかったか?
福島が味方につくようならあえて敵対はしないだろ三成も西軍も。
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 20:33:07
age
>>581 福島いとこか弟は大坂城にも入城したんじゃない。
584 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/17(土) 11:17:25
福島正守が息子・弟・甥の諸説あって、甥の福島正鎮も大坂方として参戦してるね。
586 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/20(火) 23:23:54
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/21(水) 15:43:29
世渡り下手。それだけ。
実際前田利家も勝家裏切って秀吉勝たせてるのにほとんど何もいわれんし。
後世に対する演技力に欠けるってのはあるかもな。
戦地においては悪逆非道なほどよい。最近では第一次・二次大戦での戦勝国を見れば
その定理の確かさを証明できる。戦争は「騙し」「残虐で」「汚く」「非道な」奴の独擅場だ。
孫子兵法にも「戦は騙しあいの極み」とあるように、卑怯で薄汚い方が勝つのだ。悪は栄えるというが、
本当だ。
>>587 結局それに尽きるね。
相方の清正と違って存命中に領地を没収され、
惨めな晩年を迎えたのが後世の評価を悪くしてる。
清正みたいに大阪の陣の前に死ぬか、豊臣方に全面協力して散るか、
徳川方に本腰を入れて後々まで家を続かせていたら、また違った気が。
あっちにもこっちにいい顔をして中途半端が一番良くないの好例。
長生きしたからいけないのでは
上杉最強
福島と前田じゃ全然違うだろw
福島擁護しようって奴はなぜか馬鹿ばかり。
そういうのを寄せ付ける何かがあるのか。
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/01(土) 13:23:37
利家にとって勝家は単なる寄親で、勝家と秀吉の私戦でまで味方しなきゃならん義理
はないからな。
与力を申し出ながら日和見して逃げ帰ったことは道義的には責められるかもしれんが。
劉備=秀吉
関羽=清正
張飛=正則
孔明=三成
>>593 >与力を申し出ながら
この時点で、道義の問題ではなくなっているのだが。
>与力を申し出ながら
与力って申し出てなるものかねr。
勝家方として戦線に出たにもかかわらず勝手に戦線から離脱したんだから立派な裏切りだって。
秀吉への義理を通すというなら最初から勝家の味方になるのをこばめばいい。
利家みたいなことをされたら勝家はたまったもんじゃない。
勝家の下に付けられたのは信長の指図なわけだから
その状態で表立って秀吉派を名乗り出ろってのはちょっと厳しいんじゃ?
最大の敗因であることと、その事実を糊塗してるのは間違いないが
光秀の与力も光秀に協力していない。
そもそも与力て主従じゃないからな、信長があぼーんした時点で自分の命令に従うのが当然
と考えるのが無理。
600 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 19:19:54
あそう
>>596 この場合は役職や立場としての与力・寄騎じゃないよ
与力=協力ってことだろ
>>599 本能寺の変の後の光秀の寄騎武将とは立場が違うって
何しろ所領は半島である能登で周囲を柴田方によって囲まれてるんだぞw
あのーそろそろ正則にしません。
すれ違いですし。
戻ったら落ちるよこのスレ
605 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 13:04:36
age
たとえ権力の中枢ではなくなったとしても
豊家自体は残れるだろうと思ってたのかな?
607 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 17:59:09
最終的に秀頼が殺されるとまでは思ってなかったのかもな。
義昭にしろ信長の子供たちにしろ、なんだかんだで生き伸びてるやつは多い。
大坂の陣では兵糧を提供したり、弟が豊臣軍として戦うなど
自分は江戸に拘束ながらもかなりあがいてるよね。
豊家滅亡のときどんな心境だったのだろうか。
庶民からも嘲りを受けて、かなり萎んでいたらしいね。
あの時点で秀頼が殺されるなんて普通思わないよ。
家康自身、豊臣が完全に屈服するようならわざわざ戦争なんてやりたくなかったろうし。
屈服しそうにないから攻め潰したんだけどな。
612 :
610:2006/07/19(水) 18:17:30
ああ、あの時点ってのは関が原時点ってつもりで書いた。
関ヶ原の時点で豊臣が屈服?
なんだそりゃw
mんじょういgtxhhw74y6dy6dtxづ6ycvyhvfぷぎkjbhvgfdrsw4245
福島セーソク
>>大坂の陣では兵糧を提供したり、弟が豊臣軍として戦うなど
>>自分は江戸に拘束ながらもかなりあがいてるよね。
しかしそれが徳川の心象を悪くして後の悲劇の原因の一つになってしまった。
軍を率いて大阪入城して華々しく戦った末に討ち死にしていれば、
もしかすると真田級の人気者になっていたかもしれん。
福島十勇士とか出来たりしてな。
>>616 三成、高虎、清正は評価たかいのにな。
でもある意味一番人間ぽいよな。
このスレでさんざん叩かれてる市松って一般でも同じ評価なの?
一般は知ってるか?
そもそも猛将といわれるほどの際立った戦果を聞かんな
まず賤ケ岳自体がえこ贔屓っぽいもんな
秀吉の従兄弟というだけで
戦果に限っても三成以下じゃ
626 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 21:38:15
戦国スレ発掘あげ
まず賤ヶ岳、一気にあの加増は猿のえこ贔屓以外に考えられない
そしてあの肖像画。見てるだけでなんかムカツク
そこまで酷くもないと思うが。悲運の猛将といった所でしょ。
猛将というにはこれといった活躍が無い
ぶっちゃけ正則クラスの猛将はあの時代ザラにいたと思う。
秀吉が数少ない身近の部下として重用し、飾り立てたから
実際の能力以上に活躍できたんだろう。
信長の野望でCクラスの能力の武将に高価な家宝をたくさん上げて、
なんとかBクラスぐらいまで持ってゆくようなものかな。
632 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 09:08:03
>>631 だったらなぜ豊臣姓を与えなかったのか?だったらなぜ多くの所領を与えなかったのか?
血縁の少ない秀吉にとってそれほど目を掛けてやった子飼いの武将なら
もっと厚遇してやってもいいはずだよな
>>632 20万石も貰っているじゃん
関ヶ原後の家康でさえ井伊が18万石で
鳥居本多榊原で10万石ほどだよ
福島の場合は功績があまり無いにも関わらず20万石貰っているのだから
親戚ということを考えても十分厚遇されていると思う。
正則の功績といえばまず浮かぶのが賤ヶ岳だが、
それ以外は、これといって目立った武功はあげてないよな。
とりあえず主要な合戦には参加してたみたいだが。
賤ヶ岳の一等賞と他の参加賞合わせて20万石はどうなんかね。
wikiより
1585年(天正13年)7月16日、従五位下、左衛門大夫叙任。
1597年(慶長2年)7月26日、侍従任官。および豊臣姓を賜る(羽柴苗字も同時に拝領か)。
1602年(慶長7年)3月7日、左近衛権少将任官(従四位下も叙位か)。
1617年(元和3年)6月21日、従三位、参議叙任。
1617年11月2日、参議辞職。
もらってるじゃん。
>>633 たとえば同じ幼少から飼い馴らした八郎なんかへの大封にくらべれば少ないということ
秀吉が血を重視してないかといえばそうではないことは金吾への大幅加増でわかる
金吾との差は何か?八郎との差は何か?上記二人が他家への養子であり相続すべき領地を持っていたから
というならなぜ市松もそうして厚遇してやらなかったのか
>>135 はいダメ。wikiだめよ。そんなのソースにしてる時点で話す気なくす
638 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 13:28:01
世子がいないとこだと結城あたりはどうだろう?関東で家康に睨みを効かせ・・・られないんだろうな
藤堂か
途中で実子が生まれちゃったけど
えっ?
市松と、秀吉が年取ってからの養子とは比較できないんじゃない?
市松とかを召抱えた頃は秀吉だって織田家の一武将にすぎないし。
そうなると遠い血縁の清正もどーにかしないといけなくなりそう。
>>634 賤ヶ岳も特に何かしたわけじゃないし
槍働きにしたって他の馬周りと比較して目立っていたわけじゃ無いし
>>636 宇喜多は比較の対象にならないんじゃ
もともと備前一国ほど有していたし、信長時代晩年から協力している
秀家自身の功績は少なくとも宇喜多家の功績は多大だから当然。
秀秋は甥でたまたま養子になれたからじゃ、
秀秋の兄弟見ても石高は低い
それに秀秋にしても30万石、小早川家に行く前は10万石
福島は十分厚遇されているようだが。
だね、市松はかなり厚遇された方に入るよ。
20万石という数字を舐めてはいかんと思われる。
>>636 金吾や八郎とは年齢が違いすぎるよ、
養子に送るって年齢じゃないでしょ市松は既に。
この二人が養子に送られたのは別に彼らのためってだけじゃない、
宇喜多と毛利という有力な味方であると同時に危険な要素もはらんだ大名家を
取り込むために送ったに過ぎない。
この二人にとっては結果的にそれが豊臣の世になって有利に働いたけど、
同じように主家拡張のために送られた子等ってのは毛利の両川や
北条兄弟とかを見ても後継問題に悩まされたかなり酷い人生を送る羽目になる可能性も高い、
いわば主家のための鉄砲玉みたいなもんで、結果的な領土の大きさだけで判断するのは間違い。
あと市松が豊臣姓をもらったってのは新井白石かなんかが江戸にまとめた系譜図が
ソースだった気がする。まぁどっちでもいいことだが。
秀長秀次を別とすれば
直臣で20万石は
加藤清正浅野長政についで
増田石田と同レベル
かなりの厚遇ぶりだ
>>644 概ね同意だが年齢以前にまず八郎が「他家への養子」ってところに突っ込もうよw
まあ馬鹿に厚遇しても無駄どころか毒になったが。
秀吉は死の床についたとき信長の夢を見たそうだが、
正則も秀吉の夢を見たんじゃないかな。
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/01(日) 21:31:45
やっぱ三成マンセーか。
かなりアホな三成信者が紛れこんでる。
三成信者は逝ってよし。
ごめんなさい(´・ω・`)
>>648 「おみゃあ、よくも恩を仇で返しおったなこの大うつけが!!!」
ごめん、尾張弁よく解からんから適当に書いた
652 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/22(日) 00:58:06
『タダで有料ネットゲームをやろう』
1時間で千五百円の現金とかWebMoneyが手に入ります。
フリーメールOK&mixi紹介もあり
清水義範の「金鯱の夢」だと結構優遇されてるなとフィクションの話
654 :
Himajin:2006/10/29(日) 21:36:57
いや〜 皆さん歴史に詳しいのには驚いた。
当家の主君は福島正則。その家臣 小山善介常久 が家系に残る当家初代。
元和5年、福島正則蟄居と共に広島城から家臣離散。当家に取り子取り嫁で入る。
算漢手習いで生計を立てる。
今日の大河の市松様、輝いてたな、
意味不明な物資ひっくり返しがなんともw
でも改易されほとんど零落の身となって正則は何を思ったのだろうな。
当時にタイムスリップできるのなら聞いてみたい気もする
658 :
木村貴光:2006/12/04(月) 20:01:33
さけんじゃいますぅ
とりあえず
たまに見かける
ソースはWIKIはダメ
という趣旨の発言の意図がわからない
何か問題があるの?
まずwikipediaをWIKIと略すのを止めろ。
wikipediaの記事が出典として好ましくないのは、wikipediaの記述自体の出典が
明らかでない場合が多いからだろう。まともな書籍やらなどでは、記述の出典が
きちんと書かれている場合がほとんどだが、wikipediaの記事は出典が曖昧な物が多い。
項目の記述者の妄想やら、うろ覚えで書かれた根拠不明の事績なども多々見られる。
wikipediaの記事であっても、出展が明確なものは、ソースとして使用することに差し障りない。
o o
。 o 。
o 。 o 。
_ o _ ___ __
__ |:::::::::::::::| /\ __ /:::::::::::::::::\ .|:::::::::|
∠:::::::::::\ |:::::::::::::::|/:::::::::::\ |:::::::::|_|::::: o :::::::::::::| |:::::::::|
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J) U) : : : : : : : : : : : : :o : : : : : : : : : : : o: : : : : : : : :
\J) J) 。 。
c丶 J(っ?? ,--、 。
/ ・ \ /:::::(○ トーァ /し、 。
/::丶__● ⊂ 、_⊃ ⌒⌒ /⌒/⌒''`く ⌒⌒⌒ 。
i:::::(;゚Д゚) (゚ー゚;) __{__{____}_ 。
丶::つ ̄ ̄ ̄ ̄ と ) \______ノ ⌒⌒⌒
⌒ ν::: | MAP | |〜 ━┷┷━┷┷━ 。
U"U ̄ ̄ ̄ ̄Uヽ) ⌒⌒⌒ ⌒⌒⌒ ⌒⌒
662 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2007/01/06(土) 20:08:00
せめて大坂城に入場していれば…でも総大将は無理かも(;´Д`)
663 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/28(日) 20:20:46
総大将でなくてもいいだろ。
一手の大将として後藤又兵衛や毛利勝永みたいに徳川方の大名を一人でも討ち取れば後世では英雄だよ。
664 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/28(日) 20:36:19
いや、大阪城で秀頼が死んだ直後に殉死して腹を切れば
それだけでも悪名は全て消え去ってた。
片桐は豊臣家から裏切り者扱いを受けて、兵を大阪城に差し向けて
秀頼を葬るのに多いに貢献したけど秀頼が死んだと聞いて
殉死したんだよな。
665 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/06(火) 22:19:27
週間日本の100人age
666 :
木村貴光:
さけんじゃいました