136 :
101:2005/10/12(水) 16:09:05
>>135 だからハッタリでは無いって。
事実だって言ってるじゃん。
信じないのは自由だけど、事実を言ってるだけだから。
始まったのは信じない人間に咎がある。
始まった原因は俺だとしても。咎があるのは信じない人間。
>>136 お前さっきから責任を押し付ける事しかしてないな( ´,_ゝ`)プッ
>>134 関係ない人間じゃなくてこのスレにに居るのお前一人じゃないのか?
101と
( ´,_ゝ`)プッと
俺と
>>138お前
最低4人
106 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/10/12(水) 14:35:16
>>105 105なんて無いよ
書き込む前に自分で調べろ
そしたら恥晒さずに済むぞ( ^∀^)ゲラゲラ
多分これが恥ずかしいからムキになって荒らしてるんじゃねえの
そういった意味じゃコイツを荒しに変貌させたのは>107の書き込みなんだから>101が悪い
んじゃ俺が纏めるぜ
市進学院はレベル高い。市進での偏差値+10が一般での偏差値
>>110はゲームネタ
偏差値は理論上全ての実数を取る
電波な偏差値の原因は母体数が小数であるか問題が適切では無かった事が大きい
解ったか?
解ったら諸葛孔明の偏差値を決める作業に戻るんだ
>>143 低脳推理乙!
俺は106じゃないぞ( ´,_ゝ`)プッ
>>146 お前のレベルでを計るな
それがこの様だろ( ´,_ゝ`)プッ
148 :
101:2005/10/12(水) 16:43:08
>>144 >偏差値は理論上全ての実数を取る
の?
市進学院はレベル高いからこんな偏差値になるんだ…
ってそんな訳ないだろ!
なんかその辺からして嘘臭いんだよな
僕は頭が良いのですよってハッタリにしか思えない
訳の分からない能書きばかりで説明出来てないし…
結局116って数字にはなる為にはどうなんだよ
レベルの高い市進学院でどんな状況なの?
151 :
101:2005/10/12(水) 16:52:49
>>149 説明出来てないも何ももともと俺は質問に来た人間なんだけど。
>>151 お前が言った116ぐらい説明しろやカス( ´,_ゝ`)プッ
153 :
101:2005/10/12(水) 16:54:47
>>150 いや偏差値116を取ったことがあるってだけだから別に。
天才とか言わないでよ。
>>151 そうかも知れないがレベルの高い市進学院の人なら説明ぐらい出来るだろ?
説明して終わりにしてくれ
155 :
101:2005/10/12(水) 16:58:24
>>152 記憶の範囲だけど
人数は2万人くらい
平均点は20点くらいだったはず
130点満点
俺は100〜110点の間だった
貰った順位表には30位まで載ってたけど30位は確か80点くらいだったはず
説明ってこれでいいのか?
こんなものが欲しかったの?
どういう計算で116なのかはおれが知ってるわけが無いのは言うまでもないと思うけど。
>>153 グダグダ言わないで教えろや!
偏差値が116になるにはどんな状況のか?
レベルの高い市進学院って晒したのは何のためだ( ´,_ゝ`)プッ
>>155 偉そうな事言ったのに知らないのか?( ´,_ゝ`)プッ
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 17:01:49
演義だけでも諸葛亮を天才ってことにしてあげてょ
正史じゃそれほど目立たせてもらってないし…
159 :
101:2005/10/12(水) 17:02:46
レベルが高いって言ったのは俺じゃないぜ。
中学校の予備校としてはメジャーだから
進学校に入るような人間は全員が知ってるはずだと思うけど。
市販の受験用の本を見る場合は市進の偏差値に10足した数字が適正だ
って言われたからレベルは高いんじゃないの。
>>157 俺は偉そうなことなんて何も言ってない。
俺は
質問 偏差値はどれくらいまでいくんですか?俺は116までは自分で取って確認しています
って言っただけだぞ。
101の勝ち〜
さあ孔明の話に戻れ
何かのついでに
[( 得点−平均点) ×10÷標準偏差]+50=偏差値
標準偏差ってのはあれだ、ぐぐれ
理論的には−無限から+無限までの全ての数字が偏差値になりうる
よし孔明だ
ひとり必死に顔文字使ってる奴いるけど、お利口なつもりなのか?
おれ、72が最高。最低は29。
こんなもんが上下の限界だと思ってたが、そうでもないんだな。
で、孔明。
彼の戦争論の本質は、「圧倒的大勝or損害微少の撤退」という戦略理論の確立にあると思う。
その戦略理論はおおむね確立されているのだが、結果が「圧倒的大勝」に終わったことがなかった。
孔明が80まで生きていたら、一回くらいは「圧倒的大勝」を得られたかもしれん。
一度でも成功すれば、それまでの損害が少ない分、評価も逆転していた可能性がある。
バントでホームランが打てるのか
ホーナーならね
>163
いや、圧倒的大勝と言うより、負けない限りいつか勝てると言う
ものすごく後ろ向きと言うか、あくまで最低を考えて行動してただけ
ショカツリョウは多分それだけの期待と責任があったから
そうせざるを得なかったんだろうとは思うけど、俺はやっぱりギエンの(しつこいw)
天水辺りに囮軍としてショカツリョウ自身が行けば長安周辺も手薄になったんじゃないかと思いつつ、
論破された俺と言う事実だけが残っているw
>>165 いや、孔明のやり方だと、全てが計画通り運んだ場合は大勝するでしょ。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/13(木) 03:59:20
そうとは限らん
>165
おそらく君が言っている「圧倒的大勝利」ってのは大会戦での勝利とか派手な戦果だと思うが、1回きりの軍事行動しか起こせないと言う状況下であれば、圧倒的大勝って言う抽象的なもんを目指すのも有りかと思うけど、
そうでない場合、と言うか一般的には限定的な目標をクリアしていく事で最終目標達成を目指す。
その場合、目標達成が目的であって、圧倒的大勝利ってのは結果的に付いてくる場合はあっても、それ自体が目標で無い。
諸葛亮の場合、北伐当初の目標は隴西以西の確保と言うのがあり、それを達成するにあたって、人的資源が少ない蜀漢としては兵力損傷を出きる限り減らす事で隴西確保後の第二段階へ進む事も可となる。
第一段階をクリアしなきゃダメじゃん、ってなるかもしれんけど、第一段階をクリアするために消耗してしまったら、第二段階へ進むどころか、第一段階で得た果実すら確保出来なくなる。
ただ、諸葛亮の場合、戦争計画はしっかり立てられたけど、それを遂行し、目標達成するまでの手腕に原則(常識)的過ぎて柔軟性を欠いたと言う感じかな。
あるいは自身が想定している状況下ではものすごく辣腕だけど、一度、想定外の状況に陥ると安全策(つまり撤退)しか選択出来ない、って感じか。
例えると、敵軍が急遽進出してきたのを(急進撃は兵の疲労や兵站の不備が付いて回る場合が多い)「準備不足で突っ込んできた、撃破するチャンス」と捉えるか「不意を突かれた、危ないから撤退」と考えるかの違いかな。
能力と言うより、個人の性格的な部分が強いかもね。
169 :
孔明:2005/10/13(木) 11:37:27
順調に長安めざして進軍してたけど
兵糧が届かねぇからいけねぇんだよ
>168
俺の言ってる圧倒的大勝って言うのは、
>163では「圧倒的大勝or損害微小の撤退」と言う戦略理論の確立とあるから
>165で書いてる事はだいたい、あなたが>168での書いてる事と同じだと思うよ
ただ、あなた程詳しく細かくは、考えてなかったし書いても無いけどね
まあライトなファンなんで知識量が少なめだからと言うのが、実際の所ですがw
171 :
163:2005/10/14(金) 01:41:10
俺の言った「圧倒的大勝」ってのは、
>>168が言うところの「最終目標達成」にあたって、
途中段階で兵力を損耗せずに目標を達成するという意味ね。
孔明の場合はそれが物凄く徹底されてる。
だから途中段階で計画が狂うとさっさと引き上げちゃう。
孫権なんかは逆に、「最終目標達成」があまりにも困難だから、
途中段階で大会戦を引き起こして勝利することを目的としている。
172 :
165:2005/10/14(金) 07:16:08
>170
だとすると細かいようだけど「圧倒的大将利or損害微小の撤退」と言うよりも「圧倒的大将=損害微小での目標達成」ってことかな。
そうすると微妙なようで決定的に違うかもしれない。
>171
概ねそんな感じかな。
ただ、孫権の場合、最終目標達成の困難さを自覚しているから、石亭のように謀略が成功した場合を除いて会戦は望んでないような・・・。
石亭での大勝利にも係わらず、戦果拡大を図っているような様子もなく、限定的だし。
第三次北伐以降の諸葛亮は常に会戦を望まなきゃならんような状況だったんで(決定的な会戦で勝利しなきゃ、第一段階すら達成出来ないような)会戦を渇望していたようだけど、
孫権は出兵して状況が有利なら戦闘も可。不利ならさっさと撤退、ってのを諸葛亮以上に徹底している感じじゃないかな。
孫権の出兵は諸葛亮のお付き合いで、蜀軍が動いてるから有利かもね、って感じで。
で、出兵しても楽に勝てそうでなけりゃさっさと撤退すると。
>>172 確かに「大会戦を引き起こして……」ってのは言い過ぎだった。というか、石亭限定だった。
勝てそうなら戦闘、ヤバそうなら撤退、どっちにしても最終的には撤退するって感じかね。
孔明が大会戦を望んでいたのは第三次北伐だけじゃね?
あれはもう、ぶっ潰す気マンマンだったっぽい。
でも、少なくとも第四次は会戦を望んでないと思う。
第五次はどうなんだろう。結果的に会戦しなけりゃならんような状況に追い込まれ、
しかも会戦させてもらえなかった……という感じのような気もする。
174 :
165:2005/10/14(金) 19:17:23
>173
孫権の場合
>>172でも書いたけど、楽に勝てそうなら進撃、ちょっとでも障害があれば即撤退って感じだね。
自分の感覚だと第一次が街亭、第二次が陳倉、第三次が祁山、最後が五丈原と考えました。
第一次が街亭までかなり順調で会戦は求めてない(必要としてない)。第二次は城攻め。第三次&五丈原は会戦で魏軍を破らなければどうにもならない状況かと。
ただ、第三次&五丈原でも会戦を望んでいながら、安全策に終始すると言う具合(魏が会戦回避策を取ったと言うのもあるが)で一貫性に欠ける。
街亭での唯一つの失策でその後の北伐は無理を重ねてる感じがする。
孫権の石亭といえば、陸遜の右督として三軍の一つを率いた朱桓はやはり、
「事前に退路を断って敵軍を殲滅し曹休を捕らえ、空いた軍事的空白をつき勝ちに乗じて寿春を奪い淮南の領有を目指すべき」
という作戦を孫権に献策したが、取り上げられんかったね。
寿春を奪えたとしても、そのあと守り続けるのがキツすぎる!!
朱桓は後先考えなすぎ。それとも、曹仁を撃退した時みたいな力業で守り抜くつもりだったのか。
「諸葛亮は思慮深いが決断力に乏しい、しか〜し
彼は天下の奇才であった」 by仲達
>>176 守り抜く、というよりは「許昌・洛陽に攻め入る橋頭堡とする千載一遇のチャンス」ということらしい。
つーか、領有する気がないなら何であれだけ寿春方面から侵攻するんだ。
>>175 夾石・挂車の隘路を封鎖するという作戦?
これは先走りすぎてるかも。
なにより呉軍の戦線が延びきってしまうし、隘路が仇になって前線への輸送が
困難になるうえ、寿春を抜く前に合肥を落さないといけない。
史料を読む限り、この作戦に積極的だったのは10万もの大軍を動員した曹休ただ
ひとりといってもよく、後方に控える豫州刺史・前将軍・満寵や建威将軍・賈逵、
曹休の軍に従軍した孫礼なども慎重策を唱えており、魏軍の窮地は彼らの機転と
朱霊や青州刺史・建武将軍・王凌の奮戦で脱しえている。
前線で敵に軍勢を大破された場合、そこから長躯して侵入されるのは後方で何ら
カバーできない場合が殆どで、この時の魏にはそうではなく優秀で思慮深く適切に
対処できる面子が揃ってたから、いくら呉軍が勝ちに乗じて北上しても合肥で足止め
くらうんじゃないかな。
それに江陵まで出張ってる司馬懿も黙ってないはず。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 23:41:17
関羽から荊州を奪取し、その後蜀漢と同盟を結んだ以上、孫呉としては淮南確保を目指すしか無かったんだろうね。
国境を長江から淮河に移すって感じかね。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 13:00:31
184 :
無名武将@お腹せっぷく:
あげ