100万以上の曹操軍VS新君主20万

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1無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:15:42
三国志\
霊遼にて曹操軍怒涛の攻撃30万の大軍。
各個撃破し一息つくも、更に約40万の大軍が進撃してきた。
もう駄目よー。
ギゃー!建寧からも20万の大軍が・・・・だめぽー・・・
2魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/07/20(水) 18:17:30
これはアウトですよ( ^∀^)ゲラゲラ
3迅戯 ◆KiSinjvR.A :2005/07/20(水) 18:22:11
3get
4魔玉坊 ◆F8GULYGZvk :2005/07/20(水) 18:38:35
4
5無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:45:45
>>1よ、パワーアップキット版を買えよ。
6無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:50:53
どうやったらそんな楽しいことなんの?
俺PK持ってるけど、弱い君主で始めても
以外に簡単にクリアできて面白くないんだけど
7無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:52:13
またコーエー厨か…





はぁ…
8無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:55:29
1
夏休み暇なのか?遊んでほしいのか?
9無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:56:32
>>7
またはぁ…厨か…





はぁ…
10無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 18:57:27
好意にして南蛮に攻めて貰うっきゃない
公安のすぐ横に櫓建てて衝車で破壊→撤退を繰り返すとか
11無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 19:12:18
俺、項羽プレイして楚の天下になりましたが何か?
12無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 19:24:48
ここはなにを語るスレですか?
13無名武将@お腹せっぷく:2005/07/20(水) 19:26:05
夏休み厨房が肥三国志を語るスレ
141です。PC9PKっす。:2005/07/22(金) 19:23:56
零陵や長沙辺りで数年うだうだやっていたのが原因。
抜擢武将中心だし。
151です。PC9PKっす。:2005/07/22(金) 20:55:54
この状況で何度やっても滅亡します。
大逆転は無理なようです。
16無名武将@お腹せっぷく:2005/07/23(土) 11:13:05
シナリオ2の董卓で始めます
威信を700に上げておき、各地の兵に50000ずつ上乗せしておきます
捕らえた敵将は全て董卓と同じ相性値にしてから登用します

よろしくお願いします
17無名武将@お腹せっぷく:2005/07/23(土) 11:14:40
あっキョウとは仲良しなので最初に降伏させてあります
そのあとキョウの兵は30万に戻しました
18無名武将@お腹せっぷく:2005/07/23(土) 11:25:49
董卓閣下の長く苦しい戦いが始まります
19無名武将@お腹せっぷく:2005/07/23(土) 11:38:18
>>15
曹操と赤壁イベント出すとか
20無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 13:57:46
う〜む・・
21無名武将@お腹せっぷく
【後三国時代のあらすじ】
新羅では景徳王の子の恵恭王が即位するが、この頃には王都内での反乱が頻発
しており、780年には恵恭王や妃などが殺されて武烈王系の血筋が断絶した。
王位纂奪は続き、宮廷の中で内紛が広げられている中、王位争奪戦に破れた
王族の中には熊川州で独立した金憲昌や海上勢力であった張保皐など地方で
勢力を持つものが現れ、中央の王位争奪にも介入した。これらは中軍などに
よって鎮圧されるが、地方での農民蜂起など、新羅王朝の統治能力は弱体化
していた。

9世紀中盤に入ると、これらの反乱が頻繁に発生する様になり、それは地方に
も波及していく。地力をつけていた地方の豪族達が反乱を起こし、将軍・城
主などと称し、新羅政権から離脱していった。その中で、甄萱、北原の梁吉(
ヤンキル)、その部下の弓裔らが有力な勢力であった。
甄萱は尚州の農民出身で、西南海で軍功をたてて頭角をあらわした。完山(
今の全州)を本拠にして、892年に挙兵、武珍州(今の光州)を襲撃し独立し
た。さらに周辺の豪族達を糾合し勢力を拡大し、900年に「後百済王」を名
乗って南西部に「後百済」を建てた。

弓裔は新羅王族の出身で、891年に挙兵して新羅に反旗を翻し、梁吉の元で江
原道など各地で軍功をあげる。898年に松岳(後の開城)に都をおいて北部一帯
「後高句麗」を建国、901年には梁吉を倒して自らを王と称し、独自の年号や官制を
定めた。後高句麗は904年に「摩震」、911年に「泰封」と国号を改めている。

こうして、新羅・後百済・後高句麗の三国が鼎立することとなったが、弓裔
の下にいた松岳の豪族出身である王建は、そのもとで武勲を建て、918年に傲
慢になった弓裔を滅ぼし、開城を都にして新たな「高麗」を建国、自らを王
(太祖)と
称した。王建は、地方豪族をまとめ上げて地力を蓄え、935年に新羅を併合、
936年に後百済を滅ぼし、高麗は半島再統一する。