99 :
無名武将@お腹せっぷく:
もし仮に北条を盟主とした三国同盟ができてたら、
かなりの大勢力になってたんだろうな。
上杉(越後:39万石、越中:38万石)・・・77万石
武田(甲斐:23万石、信濃:41万石、駿河:15万石)・・・79万石
北条(相模・伊豆:26万石、武蔵:67万石、上野:50万石、下総:39万石)・・・182万石
合計で338万石(上野など入り組んでた国は北条領として):慶弔3年(1598年)の石高です。
おまけに駿河や信濃には、堅城が多いから織田家の軍勢もそう簡単に攻略はできないよな。
100取りますよ('A`)
>>99 もっと大きいと思うよ。上杉は能登全部と加賀の一部も制してるし
武田は三河の一部・飛騨の一部・美濃の一部で…。
謙信が関東管領になったとき(永禄4年)に11万の軍勢だから、
北条と武田を併せると、17万〜20万。奥州勢を含めると、軽く25万?
もともと東国武者は屈強だから、畿内を席捲するのは容易だったと思われ
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/13(火) 04:42:13
対する織田・徳川は
徳川(遠江:26万石、三河:29万石)・・・55万石
織田(加賀:36万石、越前:45万石、美濃:54万石、尾張:57万石、
近江:78万石、若狭:9万石、)・・・279万石(西国除く)
合計で334万石:慶弔3年(1598年)の石高
しかも土地勘がないので、攻略は困難と思われる。