孫権(多少訂正)その1
199. 孫策に従い劉勲討伐、さらに黄祖討伐。(呉主伝)【部?】
203. 黄祖討伐。水軍は撃ち破った【部?】が山岳地帯の不服住民に不穏な動きが見えたため撤退。
呂範や程普を各地に派遣し鎮圧。(呉主伝)【司?】
206. 黄祖攻め。呂蒙らの活躍もありついに城を落とす。(呉主伝)【司】
208. 曹操を呂蒙らに赤壁で防がせると共に自らは合肥に向かうもはかばかしい戦果を上げられず帰還。九江に派遣した張昭も成果を上げられず。(呉主伝)
(全部をひっくるめて判断すべき?)【司?】
213. 曹操を濡須で防ぐ。
夜陰に乗じて中洲に渡った魏軍を水軍を動かし包囲、三千人を捕虜とする。(呉主伝注)【司】
214. 廬江の皖城を攻め陥とす。(呉主伝)【司、部も?】
その後、荊州の領有をめぐって劉備と対立、呂蒙魯粛らを派遣し自らも陸口まで出陣。(呉主伝)【司】
曹操が漢中に侵攻してきた為、劉備から和解を申し込まれ和睦、荊州を東西に分割することに。
今度はそのまま合肥攻め。張遼らの急襲にあい惨敗、撤退。(呉主伝)【司、部ともにマイナス?】